『―アヤカシ― 第三部 其の一【三】』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:渡来人
あらすじ・作品紹介
日々、世界の異形と戦う破邪法師の黒岸大悟は秋田から帰って、平凡な日常を過ごしていた。しかし、帰ってから三ヶ月経った今、何か不穏な気配が再度現れてきている。第一部は-completed_02 第二部は-completed_03にありますが、読まなくても大丈夫です。
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教室の窓から見える空は蒼く、雲一つない晴天だった。青天白日、とは良く言ったもので、まさにこの空がお似合いだな、と俺は柄にもなくそんな事を思った。
いつも通りの学校の教室の風景は変わらず、今、英語担当の先生、加藤が黒板に白のチョークで文字を書いていっている。どうでもいいが、四時限目って凄く眠くなるよな? 窓際の席でそんな事を思いながらも、ちゃんと真面目に授業をこなす、ふりをする。
そんなこんなで、今日も授業終了の鐘がなる。我が学校は無駄に凝っていて、電子音ではなく、本物の鐘を使っているところが渋い。その経費をもっと他のところに使えば、と言っても無駄なわけである。何処から出てくるのか、その費用は。修学旅行は長野止まりの癖に。直訴してやろうか。
左手で頬杖をつきながら俺は再度と空を見た。つまらない時は空を見るのが一番のリラックス方法なのかもしれない。
月日は早く、もう二月に入っていた。左手の義手を創ってもらいに、神檻という人形師の住む、秋田へ行ってから、約三ヶ月が経つ事になる。
俺は≪氷獣≫フェンリルとの戦闘後に左腕が動かなくなり、先程も言った理由で秋田へといった。其処で奈留髪(なるかみ)さんと秋楽(あきらく)さんという二人にも出会って、二日間を一緒に暮らさせてもらった。まぁ、出会いはあちらのスーパーの紅茶売り場、そして飯まで奢ってもらったという何とも情けない話ではあるが。
まぁ、ともかくその後が大変だった。誤解されて、奈留髪さんが襲ってきて、なんとか振り切ったと思ったら目的地に到着してて……そしてようやく神檻さんに会えたと思ったら後ろから秋楽さんに刺されたり。あの頃は若かったよ。
その後色々あって、二日、三日待っててくれと言われたので、泊まらせてもらった訳だが。
しかし……義手も創ってもらい、左腕と結合させて帰ろうと思った矢先に、≪蒐集者≫ことハンターがやってきた。神檻さんを狙いに。……此処らへんは俺もよく解らない。だから割愛させてくれ。
お互いに犠牲は出たものの、なんとか≪蒐集者≫の皆を倒して、事情を聞いた。
≪蒐集者≫のアンセムとエレインさんが言うに、自分達は操られていたとの事。なんでも組織の裏で敵と交信しているのを自分達が見たらしい。組織の中でも、エレインさん達の隊はあまり良い印象が無かったため、消してしまおうと思ったのだろう。そして、俺は多少、解消し切れてない部分は在りながらも、取り敢えず此方(こちら)に帰ってくることにしたのだ。
……これが、前回までのあらすじと言ったところだろうか。自分でも纏めきれていないな、などと思う。
左手を開いて閉じてしてみる。
……左腕は義手だとも思われないほどに精巧に創られていてビックリする。ちゃんと動くし。本当にどういう構造になっているのだろうか。分解したらヤバイ気もするけど。まさに人類の神秘! とでも言ったところか。
俺はノートを仕舞って、席を立つ。右手には弁当の風呂敷。昼休み、俺は大抵食事をする為に場所移動をするのだ。
いつも通りの学校の風景は変わりない。時々、俺の横を同級生やら下級生やら先輩やらが抜けていく。俺は気にせずに渡り廊下へと向かい、別館へ。
目的地は俺が所属する、紅茶愛好会の部屋だ。旧生徒会室を改造して作った部屋は中々に雰囲気が出ており、俺は気に入っている。夏場は屋上、冬場は其処で喰うのが俺の昼の定番となっている。色々なタイプの紅茶も飲める、ティーカップコレクションが顧問と卒業していったOBやらOGやらのがたくさんあるという、紅茶好きにはたまらない空間となっているのだ。
俺はそんな事を考えながら引き戸を開ける。がらり、と音が鳴り、部屋の中が一望出来る。
其処には、一人の男が居た。
「よーう、田渕さん。お前も此処で食事かい?」
短いザンギリ頭、黒のハーフフレーム眼鏡を掛けた、横に少し細い黒の双眸を此方へと向ける。田渕英信(たぶちひでのぶ)は一つの教室ほど在る部屋の中央で、テーブルに弁当を置いて、その中身を食べていた。唇を三日月の形に歪めて笑う田渕はなんだか可笑しかった。
へーい、飯粒が頬に付いてるぜ。敢えて指摘はしない。
「よう、大悟。ま、こっちゃ来い。紅茶談義で一晩を語り明かそう」
その言葉に、冗談とは解りながらも苦笑してしまう俺が居る。
コイツならマジでやりかねんからだ。
前、俺はコイツのアールグレイについての話を聞いていたら実に三時間も語り続けてくれた。正直途中で寝てしまったから内容は解らないが、しかし、その時の田渕は俺が寝ていた事も知らずに話し続けていたらしいから恐ろしいったらありゃしない。棚から茶葉を取り出して中身を見る。
「待てよ。俺のダージリンは何処へと消えた? 最近減ってる気がしてならんのだが」
「それは気のせいだろう」
気のせいじゃないと思うよ。ほら、今覗いても減ってるもん。
じろり、と田渕の方を見る。
あれ、なんで顔を逸らす眼を逸らす? おい、テメェか、テメェがやったのか? これいくらしたと思ってんだ俺の小遣い(三千円也)考えろよ?
「……これ、高かったんだよなぁ……ま、しゃーねっか」
「え、マジで? 有難う」
……あ、今何つった?!
俺の眼が光る。いや、気のせいだ、光って見えただけ。田渕がいきなりソファを蹴って立ち上がった。今にも逃げ出しそうな雰囲気だ。
「しまった、誘導尋問かッ!」
ソファを跨いで逃げる態勢へと移行する田渕。
逃すかよッ!
走り出す俺。振り向く田渕の引き攣る笑顔が俺の瞳の奥底に焼き付く。
この後、絶叫が響き渡ったのは言うまでも無い事実だ。
―アヤカシ―
其の一
「見事な晴天白日の空だな……」
「現実を見ろ。空は限りなく澱んでるから」
曇り空の下、俺はそんな事を言って田渕に突っ込まれている。昼間の青天白日とした遙か彼方まで続くような碧空は何処へやら、そんな痕すらもなく、見事に濁った空を見ていると気分が病んできそうな気がする。証拠に、俺は意気消沈とした顔で部室で紅茶を飲んでいた。ダージリンのミルクティ。
今日の授業の日程は終っていて、放課後の一時を過ごしている俺は、再度と紅茶を飲みに此処に来たわけだが、先客の田渕が居て、今の流れに至る。時刻は四時半。
雨が降りそうな天気。
そろそろ帰ってしまおうか。
そんな事を考えながら俺は紅茶を飲む。ミルクで少し白色に濁った液体が、俺の口の中へと入り込み、ミルクの甘みと紅茶の渋み、さらに香りが雑ざり合い口の奥へと流れ込んでいく。微かな温もりが俺の喉を通り抜ける。まだまだ寒い季節、俺の体を温めてくれる紅茶に感謝しなければ。
田渕が自分で持ってきたという、ショートケーキをフォークで刺し、口へと運んでいる。俺も欲しいんだけどな、くれないんだよね。ケチだッ!
そんな事を思いながら、俺は紅茶を飲む。
「……二月、か……」
田渕が、手元の本を見ながら言う。二月に入って十日が経つというのに、今更何を言っているのか……。
よく解らないけど、俺の方をにやにや見るのは止めろ。
「だからどうした」
「いや、どうも」
釈然としない顔をしてみる。なんだか意味深な事を言われている気がしてならない。
田渕は相も変わらずに、紅茶(アールグレイ)のブラックティを飲んでいる。何の悩みも無い顔が、俺の心の奥底を刺激してくる。なんだかムカつく。
苛々していると、部屋の引き戸が開いた。
「こんにちはー」
現れたのは漆黒の髪を後ろでポニーテールにしている、渡辺和葉(わたなべかずは)だった。
活発で天真爛漫な女の子で、俺と古い間柄。運動神経が良く、頭も中の上と言ったところで、大きく見開かれているどんぐり眼は光を反射している。学園でもかなり上位に入る可愛い顔は、男子女子共に好かれていて、つくづく俺とは次元が違うと思わされる。
俺の近くには、もっと普通の奴は居ないのだろうか?
「ちぃーっす、和葉。何か用かい?」
「用が無きゃ来ちゃいけない?」
「いや、そういう訳でもないが」
紅茶を口に含む。と、和葉は軽やかな脚つきで、俺の隣へと座った。
む、紅茶を飲み干してしまった。もいっちょ淹れてきますか。俺はそう思って立ち上がる。すると、ぼすっ、と俺の座っていた方へと和葉がイキナリ寝転がりだして、俺の座るところが無くなった。
……何やってんだ?
「えっと……眠い?」
何故に疑問形? そんなところに突っ込みを入れるべき場合ではないのかもしれないけれど、勝手に反応してしまうのは関西人の性なのかもしれない。……気にしないでいくか。俺は紅茶を淹れ直すために茶葉を取って、ティーポットに色々入れて、お湯を入れ暫し待つ。
二分ほど経って、二つのティーカップに注ぐ。場所を取られてしまった俺は、仕方なく田渕の隣へと腰を降ろす。
「……ほれ、借りてたMD」
「ん、ああ。で、感想は?」
「やっぱりラッドは最高」
よろしい、と田渕が一言言って、鞄へとMDを仕舞った。田渕と俺とは趣味や嗜好が結構一致するため、たまに、こういう貸し借りが行われる場合がある。基本、俺が貸してもらうのだが。
俺は眼前のテーブルに置いた二つのカップの一つを和葉の方へと押し出す。残った一つのカップを取って、口へと運び、中身を飲む。
和葉は起き上がって、くぴり、と紅茶を飲んでいた。
……暇だ。
俺は先程の田渕の顔を思い出す。
何で二月とか言ったんだろう。二月になんかあったっけ? 大切な事があった気がするんだけど……。
「ねぇ、大悟」
俺は声がした方を向く。
ああ、なんだ和葉?
「甘いもの、好き?」
はぁ?
イキナリの問いに俺は少し内面で戸惑いながらも、取り敢えず正直に答える。
「イマイチ、好きじゃないな」
「べっ、別にっ!」
ぷい、と顔を背ける和葉。なんだか不服そうだ。
っがっ?!
ぼすっ、と音が鳴った。
俺の腹からだった。
……何をする田渕ッ!
――もう少しソフトな言い方を覚えろ。
小声で囁くように言われた言葉。
正直にモノ言っただけなのにどうして殴られなきゃいけねぇんだよ! ソフトって十分すぎるほどにソフトだったじゃねぇか! 流石に怒れる訳も無く、頑張って堪えて心の中で憤怒の表情を作り表面上は笑顔を作りつつ、なんでだよ、と田渕に問い返した訳なのだが。多分、笑顔が相当不気味だったと思う。自分でも思うのだから、他人には滅茶苦茶に見えていたに違いない。絶対に。
……解った、その鬼のような眼で見るな。善処するから。
和葉には視線を向けずに、俺は黙々とフォローをする。
「いや、別にさ。俺は確かに甘いものは好きじゃないけどさ……喰えないわけじゃないんだ」
「え、本当?」
「うん、ケーキ類は美味いと感じるし、別に程々の甘さならば美味いとも思えるし」
ただ、チョコは残念ながら無理なのだ。
俺が最後の一言を付け足す。
……待て、田渕。拳を握り締めるなッ! あと、凶々しいまでのオーラを発するな!
これには涙無しには語れない理由があるんだ!
「御託はいいから」
「待て、ほら、女の子だって居るんだぜ!? か弱いか弱い和葉さんがッ! 暴力反対ッ!」
ひし、と田渕の体が固まり、和葉の方を向いた。俺は田渕の拳を見たままだったが。オーケー、これで時間は稼げた、っつーか殴られずに済んだぜ。やがて、俺が固まっていると、田渕は仕方ない、といった風に、ソファに座りなおし、紅茶を飲んだ。
顔が引き攣っている気がしたが、気にしないで和葉の方へと向く。息が荒いのは真面目に苦しいからだ。
「と、言う訳だ」
「どういう訳?」
「暴力では何も解決しないという事だ」
「論点ずれてるから」
田渕の突っ込みを無視する。
俺はカップの紅茶を一気に飲んで、立ち上がった。逃げなければ多分俺に明日は無い。部屋にある時計を見ても、もう五時を廻っている。下校時刻をとっくに過ぎている。我ら紅茶愛好会は、クラブ活動などに分類されないらしいので、もう帰らなければいけないのだ。
傍らにおいていた鞄を背負って、俺は部屋を出ようとする。
「お前らもはよ帰れよ。下校時刻はとっくに過ぎてんだぜ?」
「……雨降ってるのにか?」
…………。
またまた、ご冗談を。俺は部屋の窓へと早歩きで移動する。窓から下を見てみると、大粒の雨が地面を叩きつけていた。水溜りに波紋が幾重にも重なっていくのが見える。
……こればかりはどうしようもないか……諦めよう。
傘持ってきてないしなぁ……。
「昼は晴れてたのにねぇ……」
和葉が呟く。全くもってその通りだ、実に青天の霹靂だったのに……。そう思いながら、手を窓へと伸ばして、硝子に触る。冷たい感触が俺の指先に残る。
雨って何時から降ってたんだ? 全く気付かなかったんだが。
「さっきだ。ったく、ざーざー音が鳴ってただろーが」
「だぁ、帰れねー!」
聞けよっ、と田渕が叫んでいる気がするがそれは気のせいだと思っておく事にする。
陰鬱とした空は絶える事無く雨を降らし続ける。
BGMが地面を雨が叩く音なんてイマイチだ。
暫く已みそうも無いので、俺はもう一度紅茶でも飲むことにした。もう、何杯飲んでいるかさえ解らない。その内カフェインの摂取しすぎで死んでしまうのではなかろうか。
そういえば、桜井は何処に居るんだろうか。今日は同じクラスなのに、アイツと会ってないし、休んでんのかな? ま、別にいいか、気にするほどの事でもないだろうし。俺はこぽこぽ、とお湯を沸かしながら下らない思考を働かせていた。それにしても今日の授業は暇だった。俺は理系なんだから、別に社会とか歴史とか古文とかヤル気無いのに、あのオッサン達といったら……執拗に俺を狙ってきやがって! 俺が何をしたって言うんだ?!
「それはお前が毎時間寝てるからだろうが!」
「あれ、俺声に出しちゃってた?!」
俺が少し驚いた風に、田渕の方を向く。こくり、と頷いて、肯定していた。見れば、和葉まで笑っているじゃねぇか。……ああ、くそ。独り言を呟く癖をどうにかして直したいもんだ。苦笑混じりにそんな事を思う。てーか田渕、お前別のクラスなのになんでそんな事が解るんだ? エスパー?
無言の空間が構築される。
二人は紅茶に夢中のようだ。田渕は手に本を持って読みながら、和葉は寝転がってた。
むぅ、暇だ。
俺はお湯を注ぎ、紅茶を淹れる。ダージリンは切れそうなので、アッサムで。
インスタントから、本格的なものまで、アッサムは結構有名だろうと思う。特徴は味の濃さ。しっかりとした味わいと、その水色の濃さがなんとも言えない。ゴールデンティップを含むブロークンタイプのモノは高価だが、言う事無しだ。ただ、今淹れているのは、OP(オレンジペコー)なので、抽出時間は長め。関係ないって? いいから聞いとけ! 損することは絶対にないから! これは甘いものとの相性がいい。特に、クリームが多いショートケーキとかは最高だ。何故俺がケーキ類が好きな理由が解るだろ? その他はクッキーとかビスケットとかも好きだぜ?
……また、話が脱線してしまった。こう、熱中すると話とかって、脱線するよな。
三、四分待つっていうのは結構な時間だ。ティーポットごと持ってって座りながら待とうかな。
歩いていって、田渕の隣へと座る。田渕はちら、と此方を見て、黙り込んでいた。
…………。
まぁ、良いか。
こういう雰囲気もたまには良いだろう。
ソファに座る。
暫くして、時間が経ったので紅茶を淹れる。
視線を和葉にやってみて、一言田渕へと投げ掛ける。
「ところで、和葉姫は寝てしまっているようですが?」
そんなに疲れていたのだろうか。
「構ってやらないからだろ、お前が」
「何故に俺の所為になるか。俺だって忙しいの知ってるだろうに」
「知らないっての。ったく、この甲斐性無しが」
其処まで言われる筋合いねぇっての。
苦笑交じりにそう言って、俺は軽口の応酬を終らせた。……雨はまだまだ降り続けているのだが、流石に時刻が危なくなってきた。そろそろ先生達が見回りに来そうな時刻、五時四十分を越した。俺は暖かい紅茶を一口飲んで、立ち上がる。
「おいおい、こんな雨の中に帰るのか?」
「夕飯までに帰らんと。腹減ったし」
田渕が本から顔を離して、俺を見て言う。
「濡れるぞ?」
「解ってるよ」
俺はそう返して、背を向けて部屋を後にする。
電灯もついていない、真っ暗闇の廊下を、俺は歩く。寒さが身に沁みる。かなり帰りたくなくなってきた。……ああ、そうか。携帯で連絡とりゃいいのか……なんでこんなに簡単な事を忘れていたのだろうか。間抜けを通り越して、本気で自分に呆れてきた。
ポケットから携帯を取り出して、メールを送ろうと操作する。
「今日……は、少し……遅く、なる……こんなもんか」
送信ボタンを押して、送信出来たのを確認。ポケットへと仕舞う。そして戻ろうとすると、田渕が現れてきた。手には傘を持っている。
「ほらよ、帰るんだったら傘ぐらい持ってけ」
「やっぱ残る事にした」
俺が言うと、田渕はふざけるな、といった顔をして、俺を睨んできた。
「なんのために傘を持ってきてやったのか……はぁ」
わざとらしい嘆息を俺の眼の前でして、田渕は部屋へと戻ろうとする。
その時、何かの気配を感じた。
……またか……。
正直、面倒だ。今月はまだ十日しか経っていないと言うのに。
「田渕ー、やっぱり俺出るわ。仕事みたいだから。和葉に宜しく言っておいてくれ」
「あー、またか? 多いな今月。回数減らせ、渡辺を騙すのは気が引けるんだから」
「無理言うな、和葉を騙れるのはお前しか居ないんだ」
苦笑する。
お互いに背を向けて、俺が去るように歩き出す。
なんというか、面倒事が秋田へ行ってから多くなった気がする。大仰に肺に溜まっていた空気を全て溜息として吐き出した。
眼の前の空間に手を翳す。
ずるり、と。
あらぬ所から現れた日本刀を確りと握って、鞘から抜き放つ。
眼の前の空間が裂ける。
俺は急いで、その裂け目に飛び込んだ。廊下の闇と同化して消えていく。
「はぁ……面倒事は前の調子で良いと言うのに……」
二
先生の見回りを避ける。俺は外の先生が此方に気付いていないような様子に安堵して、消していた電気をまた付けた。廊下側の窓に並んでいるカップのコレクションが保存されている棚を一瞥して、教室ほどの広さがある部屋の中央のテーブルの両端にあるソファへと腰掛けた。
俺は結局、大悟を見送った後、部屋に戻って紅茶を飲みながら本を読んでいる。外は雨だが、別に傘ならばこの部屋に予備が数本あるため、帰れないことも無い。それでも、帰ろうとしないのは、この眼の前にいるお姫様の所為だ。漆黒のポニーテールが印象的な可愛い系のモテる女の子、渡辺和葉のお陰で今帰ることが出来ない。
寝ているのだ。いつのまに寝たのか。俺と大悟が話している間に寝ていたのだが、それならばきっと、何処でも寝れるという特技を身に着けているのだろう。結構騒がしかったはずなのに。根性在るなー、と思いながらデコピンしたくなってきた。なんとも脈絡性のない考えだろうか。我ながら阿保らしく思えてくる。
立ち上がり、窓の外を見れば、もっと阿保らしくなった。中空に男性が浮いているではないか。そして此方の視線に気付くと、俺の方へと近づいてくる。消えろよ、と呟いてみたが消えるわけも無く。殺意の視線をやるとそそくさと逃げ出していった。俺は再度紅茶を飲むために座りなおす。
はぁ、とわざとらしく嘆息する。
これも、血筋なのかな……色々と俺の家系はおかしい人々ばかりだからな。全身を黒で決めている山奥に住んでいる阿呆の従姉とか三度の飯よりも化学兵器をこよなく愛する自称天才の馬鹿な従兄とか……勘弁して欲しいものだ。まったく、俺の周りにはどうしてこうも普通の奴等が居ないのか、疑問に思ってやまない。などと思いながら俺は紅茶を飲んで本に眼を移す。
俺の趣味は純文学からライトノベルまで幅広いのだが、取り敢えず今読んでいるのは純文学。人に見られるのは余裕なのだが、まぁそれでも心理的に読まれたくないよな。因みに作者はライトノベルしか読めないらしい。駄目人間の典型だと思う。関係ねぇよ。自分自身で突っ込みつつ、本を閉じた。
「……起きたか?」
ごそごそ、と動き始めた渡辺を見て、そんな事を呟く。
「……ぅ、ん〜……あれ? 大悟は?」
「帰ったよ、今さっきな。夕飯までには帰らなきゃいけないらしいんで」
渡辺は、少し困惑したような表情を浮かべて、ソファに沈み込んでいた体を半身だけ起こす。そして次の瞬間慌てるように俺に時間を訊いてきた。俺は少し時計を見やって、確認する。時刻は軽く六時を越えようとしていた。俺は別に何も無いからいいのだが、渡辺には何かがあったのだろう。さて、どうするか。
……傘でもやりゃ、帰るよな?
俺は部屋の傘立てを見る。数本は残っているから、大丈夫だろう。
「あー、ごめんね! 私、寝ちゃったみたいで、起こしてくれれば良かったのに」
「気にすんな、気持ち良さそうに寝てる人間を起こせる程俺は悪人じゃない。それより、時間は?」
へ? と頭に疑問符を浮かべやがった。
時間を気にしてたんじゃないのかよっ!
「いや、悪いなー、と思って? ほら、だってこんな時間まで居てくれてたでしょ?」
「違うっての」
違わない事もないが。
……ま、この様子なら大丈夫だろ。俺は傘を取ってきて、渡辺へと渡す。そして、親指で部屋の入り口を指してジェスチャー。帰れ、ということを表現したかったのだが、上手く出来ているだろうか? はい、案の定困ってますね。畜生、其処まで俺は下手なのか。終いにゃ泣くぞ。
「あー……つまり、女の子が夜遅くまでほっついてると危ないから早く帰りなさい、と言いたい訳だ」
ぽりぽり、と頭を掻きながら渡辺は応える。
「あー、ほっついてる訳じゃないけどね……ごめんね?」
謝る必要性なんて皆無なんだが……。謝り癖でも付いているのだろうか?
「いや、コッチこそ悪かったな。アイツ鈍感すぎるわ」
「へ? 何の事?」
お前もとぼけるの下手だな、と思いながら渡辺を見る。頬が紅潮しており、完璧にとぼけているのがバレバレだ。それなりに鋭くなくてもこのくらいは誰だって解るだろうに……お前ら揃って色々下手くそだな。上手くやりたいんだったら、もうちょっと感情を隠す術を学べと言いたい。
「……ほれ、もうすぐだろうが」
そうだ、二月といえば、あの行事しかあるまい。その他大勢の男子にとっては永久に忘却してほしいくらいに必要性皆無の日なのだが。勿論、俺もその他大勢に含まれる一員である。桜井もあの言動さえなければ、モテるだろうにな、とは思うのだが。実際に告白された事はあるらしいし。死ね。
ぼっ、と渡辺の顔がヤバイぐらいに紅くなる。俺相手にそんな事されても……大悟の前でやれよ、心配ぐらいはされるだろうからさ。
「……取り敢えず、フォローはするさ。気にするな」
「え、え、え?!」
「……大悟の方はなんとかしておくから、渡辺は自分で出来ることをして下さい。さて、もう遅いし、帰れ帰れー」
俺は大仰に手を払って、さっさと帰れのポーズをする。いい加減時間も危ないし、俺も帰った方がいいかもしれない。ま、こんな時刻に俺らが居る方がおかしいのだが。先生に会わないように帰らないと。わざわざ優等生ぶっている意味が無い。まぁ、この部屋に明かりが付いている時点で怪しまれるのは確定なのだが。
「ほれ、もう六時も十五分を軽く過ぎたぞ。携帯持ってんなら迎えに来てもらいなさい」
「えーと、ごめんね? なんか悪い事しちゃったな」
なんで謝るか……。はぁ、と大袈裟に嘆息せざるを得ない。
謝るってのは、自分が何かしら相手に悪いことや申し訳ないことをしたときにする事だろうが。今、お前は何かしたか、否、してない、反語。つー事で、謝る必要性皆無なのに……ああ、もういいよ。こう考えてる顔をするとまたお前謝ってくるし。ああ、畜生。
「ほれ、ちゃっちゃと帰れ。実は俺は忙しい」
勿論嘘だ。全く忙しくなどありません。
「ごめんね……じゃあ、最後に一つ訊いていい?」
「あ、なんだ?」
少し怪訝な表情で訊き返す。
「大悟ってさ、なんのバイトしてるの?」
俺の体が固まる。まるで石のように固まる。
バラしたら、殺される……よな?
「いくら訊いても教えてくれないんだよねー」
「……何時か話してくれんだろ。俺も詳しくは知らないからな」
勿論嘘だが。実は知ってます。釈然としない様子で、渡辺は座ったままだった。
俺はティーカップを洗いに行く。台所らしき所の蛇口から出た水は冷たくて、少しぼやけていた俺の意識を覚醒させてくれた。丁寧に洗い、拭いて、元の場所へと戻していく。雨足も大分弱くなっている。もしかしたら、もう傘も要らないかもしれない。大きく背伸びをして、鞄を取るために戻る。
「ほれ、お前も早く帰れ。何回言わせるんだ?」
「はいっ! ごめんなさい!」
あれ、威嚇してないはずなんだけど? 眼付き悪いからか? 眼鏡の効果もあまり無いようで困る。愛想が良くなるように頑張ってるのだが。
ああ、口調がキツイのか。
「……さて、じゃあな」
「あ……うん」
引き戸を開けて、廊下へと出る。電灯さえも付いていない(何故だ?)廊下は、暗くて不気味な雰囲気を醸し出していた。霊が出てくる絶好のスポットなのかもしれない。鬱陶しいったらありゃしないのだが。廊下の窓からは、月が見えた。その周りに散らばる星々は光り輝き、僅かにだがこの世界を照らしてくれる事だろう。
……雨ももう降り已んでいる。傘も要らないか、などと呟きながら俺は廊下を進んでいく。
がら、と後ろの方から誰かが出てくる気配がした。渡辺なのだろう。解りきっている事だが、取り敢えず自分の中で確認をしておく。
後ろを振り向かないままで呟いてみた。
「……アイツを嫌いになってやるなよ? お前みたいな良い奴なんて、アイツにゃ勿体無さ過ぎるが」
外に出れば、二月の風がかなり寒く感じられた。
「だっしゃああっ!」
斬、と俺は再度と刃を返す。手応えと共に刃は眼の前の物体に深く深く入り込んでいき、やがて、勢いと共に手応えが無くなり、宙を舞う。物体は上下に真っ二つに別れ、嫌な音を鳴らして地面へと落ちる。これで四体目。いい加減多すぎる数だ。一晩でこれ程の数を相手にした事はそうそう無い事なのだが。
策略か、陰謀か、はたまた誰かの悪の軍団が復活してしまったのか。なんにせよ、俺の面倒が前の数百倍まで膨れ上がったのは言うまでも無い。死ね。
叫びたいけれど、今は叫ぶ状況ではない事ぐらい、俺でも解る。
――後数匹。
いくら雑魚ばかりだとは言え……気が滅入る。
ああ、俺ってば、変な人にばっかりモテるのね。などとくだらない思考を働かせて、右手に握っている日本刀の刃を鞘へと収める。
この川原の公園は電灯も無い為、辺りは漆黒で包まれていた。水のせせらぎが耳へと入る。普段ならば、安らぐのだろうがそんな暇は全く無かった。寧ろ、耳障りと言ってもいいぐらいだ。草木が円を模って所々に点在しており、その中心には砂場や滑り台などといった、遊び用具が置かれていた。今俺が立っているのは、その砂場の横であり、滑り台の終点、と言ったところか。結構襲われやすい場所かもしれない。
取り敢えず結界を張っておいたから、人間が近づいてくるはずが無いんだけど……。ま、要するに人目気にせず暴れられるって事かな。
リィン、と何かが鳴る。
刹那、何処から湧いて出たのか、三匹の異形が姿を現していた。ざ、と間合いを詰める。俺は刀の柄を握り締めた。
三匹が、ほぼ同時に地面を蹴って俺に向かって加速を始めた。
ほぼ同時に襲い掛かってくる異形どもは、連携という言葉を知らないのか。三方向からの突進と言った感じの攻撃だった。知能の低い、雑魚ばかりが群がっても何にも戦力にはならないのに。そんな事を思いながら、一匹ずつ処理を始めていく。処理、というのもいい響きじゃないけど。
流麗な動作で後ろへと振り向きざまに刃を揮(ふる)う。
高速で抜き放つ、抜刀術の初歩の型。基本、抜刀術は後の先を取るモノだと聞かされているが、俺にとってそんな事どうでもいい。無惨に胴体が斬り離される奴は放って置いて、次へと移行する。
……しまった、自分でさっき、ほぼ同時って言ったじゃねぇか。
俺は突然の二匹の猫に似た体を持つ異形の細く鋭い爪での攻撃をなんとか刀で受け流す。その際に、右腕に少しの斬り傷を負って、血が多少出たが、戦闘行為に支障無し。後ろへと猫を踏み台にして跳躍し、着地する。
眼の前の二匹の猫型の異形の双眸が朱く光る。なんと不気味で妖しい事か。
俺は地面を踏み締めた。
一瞬で猫の懐へと潜り込み、刃を下から上へと奔らせる。驚愕の表情が、両断される。振り切ったと同時に太刀筋を変化させて今度は水平に振り抜き、四分割。肉塊となっていく様を見ながらそのまま刃を、今度はもう一匹へと奔らせる。上から下へ、振り下ろし。爪で防御するも、その程度の防御、無いに等しい。ぱきん、と弾けて折れ、俺の刃は深々と猫の体へと入り込む。
「……終了」
崩れていく様子を眼で確認しながら、日本刀を鞘へと仕舞って、ぱんぱん、と両手を払う。
雑魚だった。在り得ないほど雑魚だった。
これはこれで楽でいいのだが……まぁ、これが日常か。既に俺の生活は、非日常が日常となっているので、俺の感覚がおかしくなっているのかもしれないが。
「ま、終ったんだから、家に帰るべきか?」
夕飯もまだだし。しかし、少し遅く帰ると言った手前、帰りにくいぞ?
くるり、と鞘ごと刀を柄を軸に回す。ぱし、と逆手に持ち直して、鞘に包まれた切先を地面へと刺す。
刀身だけでも二尺八寸、全長合わせて三尺五寸。黒岸家に代々伝わる、宝刀である。
≪八咫烏(やたがらす)≫……それがこの刀の名前。
……にしても、今日は寒い。そろそろ三寒四温というかなんというか……暖かくなってきてもいい頃合なのに。全く関係はないが、俺は寒い冬より暑い夏の方が好きだ。夏はカキ氷が美味い季節だからな……そして、なんといってもスイカだなスイカ。因みに、スイカに塩を振ると甘くなるというが……俺が試してみたら、塩のしょっぱさが口の中に残り、なんとも嫌な感じだった。やはり、スイカも野菜も何でも、生が一番美味しく食べる方法だと思うのだが……ま、こう考えているのは俺だけかな……? 今の状況に全く関係ねぇや。
いつも通りにくだらない思考を働かせて、近くの丸太椅子へと腰掛ける。
携帯を取り出し、時間を見る。
六時四十分、俺が学校から出てきたのが何時ぐらいだったか。……まぁ、そんな事はどうでもいい。
「……ふむ」
取り敢えず、少し此処で時間を潰してから、家に帰るとしよう。
……さて、暇潰し、といっても何もすることが無い。川原を全力疾走するくらいか、本当に何もすることが無い。なんだこれ、どうやって時間を潰せ、と?
そうだ、瞑想でもしてみるか。……ああ、時間を忘れるほど瞑想できる奴はそうそう居なかったんだよね。俺もそんな奴等の一人なのですが。
……あれ? 本格的に時間潰すモノが無いぞ?
ああ、そうだ。
今日田渕が何故か殴ってきた理由について考えましょうか。
さて、口振りからするに、二月だ。そして……まぁ、二月に関係するものだ。俺は丸太椅子に座って、思考を開始する。二月といえばスキーがまだ出来る頃合だ。関係ないなこれは。蜜柑もそろそろ旬じゃなくなってきている頃だ。全く関係ねぇなこれも。そういえば今日の夕飯はなんだろうか……久々に豚カツが喰いたいのだ、そうそう希望通りにいってくれるわけもあるまいて。
あれ、なんかものの見事に脱線しているような気がするのは何故だろうか?
この件は今は保留にしておくか。いずれ解るようになるだろ。多分。
夜風が吹いていく。
「……そろそろ帰るか」
≪八咫烏≫を放り投げる。すると、まるで空間に喰われるが如くにずぶずぶ、とあらぬところへと侵入していく。最終的には、跡形もなく消え去ってしまった。……こうすると運ぶのが便利だな。
この街、俺が住んでいる萩原(はぎわら)市は、俺の担当エリアという事になっている。一応、一応だけれど。勿論、俺一人じゃキツイので、もう一人、二人ぐらいは居る。一つの街に二、三人で担当するのが普通である。それにしても、今日は当番だとはいえ……誰か助けに来て欲しかった。何が悲しくて俺が一晩で七匹消さなきゃいけないんだよ……はぁ、雑魚ばかりだから良かったものの、あれが滅茶苦茶強い奴だったらどうするんだ? 俺、アイツ等の携帯番号知らないぞ? ……今度会った時は一応訊いておこう。そして用が無い時にでも呼び出してやろう。……色々な面倒事が俺の許へとやってくる気がする。……不幸だ。
少しかじかむ両手をポケットへいれて、家へ向かって歩き出す。
途中にあった石を蹴り飛ばし、一緒に舞い上がった土が俺の眼の中へ。ジーザスッ!
涙眼になりながら、両掌で顔面を押さえる。
つくづく不幸だ。
特別今日が不幸なだけかもしれない。多分、今は不幸という世界中の不幸が全て俺の元に向かって飛来してきているのだろう。そう思ってないと、精神が安定しない。
う〜、と少し唸りながら土手を登り始める。
冬場だから草はあまりないが、それでも春の近づきを感じて、数種類の草花は生え始めていた。踏み潰さないように避けて歩く。俺って優しい。
土手の上まで登りきって、今度は平行移動。舗装されていない砂利道を通りながら、靴を通して砂利の感覚を楽しむ。
直後、眼の前の何かの影が現れた。
……人?
凶々しい気配が無い、よって人だということは解る。
もしかして、この川原に何か用が在る人だったのだろうか。ま、俺には関係ないかな。今は俺も刀も持ってないし、何にも焦る事は無いのだ! 刀持ってたら危なかったが。
焦って損したよ畜生。スルーして、横を通り過ぎようとする。
すると、人影が俺に向かって指を指してきた。
「待って! 此処はどうなったの?!」
俺は突然の質問に、唖然としながら振り向く。
体を包む深紅のマント、その下に見えるのは多分セーラー服。かぶったニット帽で髪を隠し、眼の部分を隠すサングラス。首筋に巻かれたマフラーはその小さな顔の半分を覆い隠していた。
小さかった。俺の肩ぐらいまでしか身長は無い。
一瞬少女かと思ったが、セーラー服を着ている時点でそれはないかな、と思う。まぁ、最近は小学校からセーラー服の所も在るには在るのだが。
さて、突っ込みどころ満載だなコイツ。多すぎて突っ込む事さえも面倒だ。
ほらほらー、もう夜だよー?
良い子は帰ってご飯食べて寝る時間帯だー。
「違うよっ! ボク……じゃなくて私は! 異常を感じて来たんだけ……来たんだが!?」
「オーケィ、夜遊びも程々にしろよ? ほら、お母さんがきっと心配してるぜ?」
両肩を持って、目線を合わせて言う。
……何処かで見たような……いや、無いな。
そんな事を脳の奥隅で考えながら、俺は眼の前の不思議人物を見据える。あ、なんだか膨れてきた。やべぇ、怒ってる?
「私はっ、子供じゃっ、なーい! 君は私を馬鹿にしてるのか?!」
わぁお、怒られちった。
じゃねぇよ。なんとかしねぇと。
「悪い悪い、でもさ、こんなに遅くまで遊んでると本当にお母さん心配するって。ほれ、家は何処。送ってってやるからさ」
「だからっ、違う! 此処で異常は無かったのか?! 何か変なものが居なかったのか!?」
「例えば?」
「……怪獣とか、幽霊とか、そんなモノ!」
「居ねぇよ、なんかの漫画の見すぎじゃないか? そんな格好までして……此処に来るまでに恥ずかしくなかったのか?」
ぷちん。
あれ、何か鳴ったよ?
「うがー! もういい! 帰る! じゃあな、クロ……わかぞう!」
「若造じゃねー」
ぷい、とマントを翻して、走り出すその姿に、俺は少し苦笑する。結果的には帰ってくれたけど、怒らしちゃったな。あー、少し罪悪感。服装もアレだったし、最近の親は何を考えているのだろうか。
可愛さ余ってイタさ十の十二乗倍だ。
喋り方もなんだか、大人ぶった風があったし。途中で何回か言い直してたな。ま、気付かないふりをしてあげるのも優しさというやつだろう。俺って優しい。
そして、俺は不思議人物が走り去っていった、反対方向へと歩き出す。
今日はなんだかよく解らない日だった。明日こそは普通の日になりますように。
思って願って、其処で気付く。
俺はちゃんと、対人の結界を張っていたはず……。この川原の公園を中心として、百m四方を結界で覆ったのに。ちゃんと、此処を意識させないようにしたはずなのに。結界を解かなきゃ、此処に来ようとも思わないはずだ。
「……待てっ、お前は……ッ」
振り向いても遅かった。
其処には柔らかな月光に照らされた、砂利道が延びているのみだった。
三
「大佐、大変な事が解りましたでありまする」
朝のHR前、正直俺は半分眠り掛けていたのだが、それは桜井の声によって中断させられた。起き上がって桜井の方を向く。地毛だと思われる赤髪、その一部に金のメッシュを掛けている。黙っていれば美形なのに、言動が全てを台無しにしてくれるという阿呆。桜井一樹、その者である。
何かと派手好きで、テンションが常時高い。シンプル イズ ベストな俺とはファッション的な反りは合わないのだが、それでも、近くにいるだけで楽しくなってくる男だ。ただ、鬱陶しいのが大半ではある。
……だからどうした。
「転校生が来るらしいんだよ! しかも、女!」
「また、ベタだな。そして、なんだろう。何処かの漫画的展開が繰り広げられる気がするよ」
「残念ながら、このクラスじゃないんだけどな……ま、帰国子女らしいぜ?」
残念ながら、俺には関係ないな……。
俺は熱心に語る桜井を無視して、睡眠の体勢へと入る。耳から入る言葉は右から左へと流れていく。
直に鐘も鳴るだろう。どうせ、その時までの辛抱だ。
……さて、無視しているといっても、雑音が煩いのは否めないな。
選択肢は二つ。消すか、無視するか。……オーケィ、消す。
ぐい、と顔を起こして、桜井を見据える。どうやら語りに熱中しているみたいだ。
「だから俺は思うんだよ、結果的に最強なのは妹だと」
……コイツ、本当に何の話してるんだ?
最初は、確か転校生の帰国子女の話じゃなかったか? 本当に言動が全てを駄目にしていると再認識、そしてコイツは少し普通の人間の部類ではないという事をさらに再認識。駄目人間の典型だな、と思う。もう、なんだかヤル気が無くなった。と、その時、HRの鐘がなる。
桜井も渋々ながら、自分の席へと戻っていった。
担任の小田原(おだわら)が教室へと入ってきて、委員長が礼の合図。出席を確認するまでの間に、俺は睡眠へと入ろうとしていた。
……この学年への転校生か……。さっき桜井が話してたことが脳裏に過ぎる。俺には関係は確かにないが……それでも見てみたい気がする。帰国子女、といったか。……あ、やばい。かなり気になってきた。睡眠出来ないじゃないか。くそぉ、恨むぜ転校生。
訳の解らない恨みを取り敢えず転校生に押し付けて、俺は寝るのを諦めた。起きてりゃ多分眠気も覚めるだろう。ならば、四時限の授業をどう過ごすかに焦点は絞られてくるな。……勉強するふりしとけば先生らは誤魔化せるだろう。幸いに今日は社会の授業が無い。苦手な社会が無いとなれば、もう大丈夫だ。
はぁ、と大袈裟に溜息をついて、俺はシャーペンを右手に持つ。
今日の空も青々と晴れ渡っていた。
「はぁ……何だって言うんだ」
今日は俺のクラスに転校生が来ると専らの評判だ。其処彼処で女子が男子が騒ぎあい、容姿などの予想談義を繰り広げていた。可愛いかな、それとも格好良いかな、とかどうでも良い事ばかりが耳の中へと入ってくる。鬱陶しいからといって叫んで注意する事はかなり恥ずかしいし……嫌になってくるな。
桜井辺りが興味しんしんになっているに違いない話題だな、と思いながら、俺は手にした本のページを捲る。HR前というのは何処もこんなに煩いものなのか……本を読む環境には絶対に適していない、と思う。
キャー、と女の集団が叫ぶ。
だーかーらー、大声出すなよ。帰国子女とか外国人だとかは俺には全く関係がないんだから。少々ウンザリしてきた。抜け出して部室で本を読んできてやろうか。鍵ならば我が手中に在るのだから、何時だって何処にいたって這入れるし。しかし、優等生としてフケるのは無理な訳で。こんな役作り、しなけりゃよかった。
ん、いや、優等生だからこそ許されるのかもしれないな。
……にしても、暇だ。
俺は大悟が何をしているかを少し考えてみた。
此処は六組、大悟は一組。さて、アイツならば寝ているのだろうな。
時限間の休みに結構会いにいったりもするのだが、大抵寝てるか、空を見ているかの二択に分けられる。まぁ、それがアイツらしいのだが。
そんな事を考えている内に鐘は鳴る。速いな、これが、一寸の光陰矢の如しってやつか?
各々が自分の席へと戻る中、ようやく静寂が訪れるな、などと思って本を開く。……俺の読みが甘かった。煩さはさらにヒートアップしていって、とうとう先生が来ても治まらない。寧ろまだまだヒートアップしていく様を見て、俺は本を机の上に投げ出した。誰だよ、転校生とか噂広めた奴は。
担任の伊佐原先生(いさはら)は対処に困っているようだった。まぁ、まだ一年目だからしょうがないと言えばしょうがないのかもしれない。やがて、振り切って大声で出席を取り始める。だんだんと騒ぎが小さくなっていく。こういう所は才能の為せる業か。
「は〜い、んじゃあ今日は転校生を――」
ようやく治まりかけていたが、その言葉で即行辺りは喧噪で満ちる満ちる。
「煩い」
……あれ?
あのー、先生。凶々しい殺気をまずどうにかしてください。怖いです。それでも女性なのか。若干二十三歳の若い女教師の背中には悪魔が見える。満面の笑顔なのに、眼が全然笑ってないのは何故だ?
流石にこれには皆押し黙るしかあるまい。
「転校生が来てますからねー。皆うきうきなのは解るけれど次騒いだら英和辞典が飛びますよー?」
それはマジで言ってるのか?
俺は頬杖を突いている手を顔から離して、呆気に取られた表情を作ってみた。この学園には変な教師が多いのかもしれない。普通の学校に行きたいものだ。もう手遅れなのだが。
「ささ、這入って這入って。では自己紹介をよろしく」
はーい、と明るい声が教室の外から聞こえる。幼さの残る声。そして、扉を開けて中へと這入ってくる転校生。女だった。いや、これは噂で聞いているから別に良いのだが……帰国子女? 嘘だ、絶対外国人だよこれは。いや、日本に住んでた外国人ってケースか? いずれにしろ、すぐに解るか。
「えー、イギリスからの留学生、アンセム・ベルゼリュート・イアンレイムです。皆さん宜しく!」
…………。
どれも違った。
留学生かよッ! 噂とはえてして怖いものだ。概念を固定され、植えつけられてしまうのだから。さて、だがそんな事はどうでも良いというように、周りが歓喜の声を上げる。そりゃあ、そうだろう。俺でも思うのだ。可愛い、と。……ま、恋に発展したりはしないがな。
白桃色の髪は首筋辺りまで伸びていて、さらり、と柔らかに揺れる。深緑の瞳は丸く煌いている。此処の制服は届いていないのか、セーラー服だ。そして、小さい。目測で百四十五前後だろう。華奢な体は、まるで小学生をイメージさせてくれる。禁止ワードに設定。年頃の子はかなーりそういうのを気にするので。それ以前に、話す機会すら作らないと思うが。
「それじゃ、ご自由に空いている席へ……って、無いね。それじゃあ、この机と椅子使っていいから何処でもどーぞ」
「はい、わかりましたっ!」
……我先にと言わんばかりに男子が喰い付くな。わぁお、生存競争っておっそろしいぜ。
そんなに隣にしたいかお前らよ。多分、この場合は順列など関係なく、本当に自由席となるだろう。つまり、本当に何処でもオーケー。教室ならば、机の上でもいいかもしれない。それは物理的に不可能だが。だからか、だからお前らはこのチャンスを逃したくないのか。そんな事を思う、教室の隅で苦笑する俺はかなり危ない人間に見えること違いない。
がたん、ばしっ、どごっ。
なんだこの擬音。
視線を音がした方へ持っていくと、先程紹介された――アンセムといったか、だが敢えて少女と言おう――が、席を丁度俺の横に置いていた。……問題は距離だ。近いっての。手を伸ばせば届くぐらいに近い。うぅ、男子諸君の視線を感じる……。よりにもよって、何で此処なのだろうか。何処でもいいのだから……。因みに俺の席は一番後ろだ。
このまま終れば、この場所は人の渦と化すだろう。渦中に身を委ねる事無かれ。
伊佐原先生が教室を出て行く。俺は一刻も早くこの教室から抜け出す事にした。
教室を出て行く俺の後ろ側で、雪崩の如くに人が殺到していくのが解る。さらに隣のクラスからも、隣の隣のクラスからも。店長大変です、二年生全クラスから注文が殺到中です、対処し切れません。くだらない思想を思い浮かべる。そんな中、桜井の姿が見えた。
「おい、お前は何をしている」
此方に気付いて、桜井が振り向く。
「あぁ、田渕か。決まってんだろ、転校生の品定めだよっ!」
「品定めって……商品じゃないんだぞ……まぁいい。大悟はどうしてる?」
「いつも通り、寝てるよ」
あっそ、と俺は素っ気無い返事を返して、廊下を歩き出した。桜井が横を通り過ぎて、六組の教室へと這入っていく。はぁ、と何だか解らない感情が混雑として吐き出される吐息に、俺の気分は最悪なものとなっていく事が解る。せめて、もう少し学園生活が楽になればなぁ、と思ってしまう。
きっと、俺のクラスは次の授業の先生が来ても、喧噪が静まる事は無いだろう。本格的に授業をフケるという考えが脳裏を過ぎる。マジで実行してやろうか、そんな気分になってきた。
授業開始の鐘がなる。
各々のクラスに戻る生徒達、俺はそれを掻き分けながら、自分の席へと座った。
先生がやってくる。英語の加藤。お決まりの挨拶は開始の合図。そして俺は教科書とノートをだして戦闘隊形へと入った。かっ、とチョークの音が響き渡る。
「ねー、教科書見せて?」
眼鏡がずり落ちた。いや、気のせいだ。突然に唐突に突如としてされた要求を、俺は数回反芻する。……何故俺なのか。お前の隣に女子が居るだろーがっ! ……あれ? 居ないんだが。ああ、休みか……。少し遠い眼をしてみる。何の効果すら期待出来なかった。
俺は諦めて、本を渡す。手元にはノートしか残らなかったが気にするほどの事でもない。
「え、と。……あれ、教科書無くて大丈夫?」
「気にするな」
寝るから。
先程からの少しだけ英語の授業を受けてると、この範囲はテストで出るにしても、十分ぐらいで暗記出来るため大丈夫だと判断した。よって、寝ても差し支えはない。
くぁ、と軽く欠伸をして、眼を瞑り頬杖を突く。寝ていない、と誤魔化しやすい体勢での睡眠は俺の得意技だ。
チョークの音だけが響き渡る。だんだんと意識は薄れていき、そして――。
「名前はなんて言うの?」
……とことん邪魔してくる気か?
あぁ、何だか滅茶苦茶視線が痛い。特に男子諸君の殺気染みた視線が。
「……タブチ。田渕英信。……そんな事より、授業に集中しろ。お前にはつまらないかもしれないけどな」
「つまらなくは無いよー。日本の授業は興味しんしんっ♪」
いや、何処も同じようなモンだろうが。
そして、授業に興味津々になるやつなんざ初めて見たよ。
前を向く。
「……ってタブチ? タブチヒデノブ?!」
教室内に響くほどの大声で、少女は叫んでいた。先生が、じろり、と此方を見る。俺の所為じゃない。男子諸君が此方を見る。あれ、気のせいか、さっきよりも殺気が増大しているぞ?
はっ、として気付いたらしく、少女は謝る。俺にじゃねぇよ、クラス全体に謝れよ。
そして、神妙な顔で俺の方へと机ごと近づいてきて、言う。
「へーっ、へーっ……君がかァ……」
「……何を言ってるんだ。お前を知り合いに持った覚えは無いぞ?」
言葉に反応して、数名の男子が俺の方を睨む。
……ヤバイな、殺気がさらに増大している。
「取り敢えず、離れてくれ。俺が殺される」
視線という名の凶器で。……膨れっ面で此方を見るな。くそぉ、なんでこんな事になってしまったのだろうか。先ず、コイツが何で俺の方に来るか、そして口振りからして俺を知っているか。これを解明しなくてはならない。……俺の知り合いから情報が漏れたとか? それとも、何処かのマザーコンピュータで俺の情報を手に入れたのか? 後者は確実に在り得ないと断定、前者をさらに絞っていく。留学生、という事で、そんな情報は俺の知り合いからも聞いた事が無い。別にそれはそれで当たり前なのかもしれないが、やはり連絡ぐらいは取るだろう。……いや、取らないな。少なくとも俺だったら。
…………。
だぁ、考えても埒があかん!
「なぁ、なんで俺を知ってるんだよ。お前と接触した覚えすらないんだぞ? 其処は教えてもらってもいいと思うが」
「それはね、神檻から教えてもらったんだ……あ」
次の瞬間、少女がしまった、という顔でそっぽを向く。どう考えても誤魔化しきれてない。俺は少女の口から出された言葉を脳内で反復。すぐにその名前の正体が解る。
俺の知り合いの中で、もっとも不思議かつ危険な人物。俺の脳ミソは、それ以上の答えを出す事を拒否していた。あまり思い出したくはない思い出がある。
「……はぁ……よっく解った。この話は後回しだ」
続いて話そうとする少女を俺は手で制する。なんだか申し訳無さそうに戻る姿を見て、悪い事をしたかな? と心の隅で思った。
だが、そんな事よりも、俺の方を向く男子諸君の殺気と視線が精神を斬り裂く刃と化し、俺をざくざく、と特に心臓辺りを突き刺しているのが解る。今日一日が、無事で居られるかが不安で不安で仕方が無かった。
嘆息する。
泣きたい。
それから俺は、なんだかんだで、少女――と呼んだら怒られたので、アンセムと呼ぶ事にする。とにかくアンセムに付き纏われて、迷惑この上なかった。同級生の男子諸君は俺をまさに呪わんとする眼で見てきて、すれ違う下級生はカップルか、と冷やかし、上級生は俺に向かって罵詈雑言を吐き続けていた。俺の方こそ理解できてねぇんだよボケ、テメェら全員窓から放り投げてやろうか、という危険な思想まで出てきた。相当ヤバイ。
そんなこんなで、迫り来る追っ手から逃げながら、疾風の如き速度で昼休みはやってくる。
ようやく解放された俺は弁当を持ってそそくさと教室から逃げ出した。
……これで逃げれると思ったら大間違いだ、という視線が俺の背後に刺さっていく。ちくちくして痛い。俺の心が痛い。精神的に大ダメージ。
…………。
おい、何で付いてくる。テメェが俺へ対しての殺意や狂気や何やかんやの源だという事が解っていないのかっ! 実力行使に……出たら出たで殺されるよな。どうすりゃいいんだよ……!
「なぁ、俺は飯喰うんだからさ、ほれ、クラスの女子と喰ってこい」
「ええぇー、女の子は食べれないよッ!?」
ちょっ、どういう間違いしてんだよッ! そしてその発言は少し卑猥だから大声で言ったら……ほらまた誤解されたー! 果てしない視線が俺の方へと向いてくる。逃げ出すように駆け出す俺。実際逃げ出しているのだが。呆然と立ち尽くしているアンセムを後眼(しりめ)に走る走る。
そして俺の横に並ぶアンセム。速い。しかし、これは多分アンセム自身の運動能力ではない。アイツが絡んでて、普通な訳が無いのだから。
別館へと続く渡り廊下まで逃げた所で、俺は立ち止まった。アンセムに少し気になっている事を吹っ掛ける。
「お前、秋田に居たのは何時頃の話だ?」
「十月の最後から十二月の初めまでかな」
それを聞いて、俺の思考が働く。
……確か、丁度その頃だったはずだが。
「じゃあ、黒岸大悟は知ってる訳だ」
アンセムが驚愕の表情をする。そんなに驚く事なのだろうか、などと思いながら俺はゆったりと歩き出した。その横をちっこい体で、てくてくと付いてくるアンセム。俺を除けば、これは絵になる風景なのだろう。日常の少女、とでも題名を付ければいい。
あ、素直に落ち込んできた。せめて除外する以外の方法は無いものか。
別館へと這入る。
「ねぇ、クロギシは何処にいるの? 伝えなきゃいけない事があるし」
「素直に会いたいって言え。今から行くとこに居ると思うから」
少し早足で先導していく。
アンセムはその後ろを付いてくる。
廊下を歩いて生徒会室、と札が提げられた部屋の扉の前へ。中からごそごそと気配を感じるから、誰かは居るのだろう。大悟かは解らないが。扉を開ける。
「誰か居るか?」
「おう、俺が居るぜ!」
教室ほどの広さに、廊下側にはティーカップを置く為の棚が。教室の後ろの方を改築して、簡素な壁で仕切った台所のようなところがある。そして其処には、元々は生徒の荷物を入れる為の棚が在ったのだが、それを有効利用して茶葉置き場へと改造した。
大悟がひょっこりと台所のような所から顔を出してくる。俺達は其処でお湯を沸かし紅茶を入れたりカップを洗ったりと多彩な事をするのだ。簡単な料理も作れたりするから、此処で暮らそうと思ったら暮らせる程、便利な場所だ。実際に顧問は此処で一泊した事があるとか。関係ない。
俺は気にせずに中に這入る。その後ろを、アンセムが付いてくる。適当にソファに座らせて、俺は弁当を風呂敷から取り出して、広げる。
いただきます、と呟いて、食し始める俺に対し、アンセムは眼を輝かせていた。……喰いたいのか? つか、お前飯はどうした……。
アンセムは自分に呆れたように微笑う。その顔だけでもう全てが解った。
……忘れたのかよ。
今度はコッチが呆れる番だった。
しょうがないので、俺は弁当を差し出す。が、箸が無い。俺が使っていた箸を渡すのは流石に女の子だ、気が引ける。と言うか女の子でなくても嫌がるわ。俺だって嫌がる。なので、台所へと移動。箸を探す。
「大悟、箸」
「其処」
ティーポットと睨めっこしている大悟の指が、棚を指す。俺は手を伸ばして荷物を入れる棚を改造した引き出しを開けて、中身を見る。……あった。一人半ほどしかない通路で二人が居ると狭くて仕方が無いので早々に離脱。其処で、大悟が何をしているのか少し気になったので訊いてみた。
「どの位の時間が一番美味くなるかの研究中だ。アッチいけぃ」
「飯はどうした飯は」
「亜光速で喰ったよ」
「お前は体に負担を掛けすぎてるなぁ……もうちょっとなんとかしないと肥るぞ?」
そりゃどうも、と大悟が締めて、俺は台所を去る。
箸を渡そうとソファに座って、ようやくアンセムの方を見た。体が硬直した。
…………。
「……お前には、恥じらい、というモノはないのか?」
無視して、ばくばくと食べ続ける。それほどまでに腹が減っているのか……朝飯は喰わないと力が発揮できんのだぞ? いや、別に朝を食べてきていない訳じゃないかもしれないが。
怒鳴る気力さえ失せて、俺は眼の前の光景を唖然としたまま見守る事にした。折角箸を持ってきてやったというのに、俺の箸でばくばく喰っているアンセムを見詰めながら、さっき自分で言った言葉の答えを出す。きっと、無いんだろうな。無いからこういう事出来るんだろうな。ははっ……全然笑えねぇ。
「大悟ォー、紅茶淹れろ、ついでだから」
俺はもう諦めムード満載でソファの後ろに思い切り凭れて、首を後ろへと倒す。逆さになっている景色の向こう側には、大悟の居る台所が見えた。
「あー? ……しょうがねぇ、ついでってやつだ。茶葉は?」
「アールグレイー。そしてそれを二人前ー」
「なんでだよ、茶葉の無駄遣いすんな」
顔が見えない中、俺達の応酬が部屋に響き渡る。アンセムは貪るように弁当の中身を喰らっていた。その姿はまさに餌に群がる肉食獣……といったら怒られるどころではないので、可愛い可愛い狐にしておこう。そして、俺はその表情を一瞥してから、大悟へと言葉を返す。
「いや、此処に居るんだよ一人。てんこーせー」
「はぁ? 冗談も程々にしろっての。転校生が此処に来るはずがないだろーが。帰国子女なんだぞ?」
噂って怖いな、間違って伝わるのだから。
「関係ねぇだろ、それ。後、帰国子女ではなく留学生だから。外国人だから」
その外国人はただ今俺の弁当の半分を平らげていた。俺の分も残せ。しかしながら、止まる気配は一向に無い。
「外見的特徴を言ってやろうか? どんな奴かを当てるクイズだ。其処から出てきたらアウトだからな」
「よっしゃこい」
「先ず、頭髪が白桃色だ。そして、瞳が深緑色、風貌は小学生って所か」
其処でアンセムが先程言った深緑の瞳を光らせて、弁当をテーブルに置いていた。今にも襲い掛からんとする獣の如くに構えている。……忘れてた、自分で決めただろうが。子ども扱いするのは禁止手だと。
だが、クイズは継続され続ける。
「あー、詳しくいってみようか。そうだな、瞳が眠たそうだな、性格が活発なのに反していると思われる。そして輪郭がやや丸い、けどそれが逆に可愛らしくしてる」
きしゃー、と襲い掛かってきた。
何故だ、褒めたのに! テーブルを跳躍して猛獣の如く迫ってくるアンセムの腕と体を取って力に逆らわずに受け流し、さらに其処に俺の力を加えて投げ……たら危ないので床へと着地させる。再度と襲ってくるアンセムを振り払いながら、さらに特徴を言っていく。
「がたがた煩いぞ?」
「失礼、続けるぞ。そうだな、口許がゆるい、耳が少し尖ってる。華奢なのに滅茶苦茶運動神経がいいぞ」
それは今証明されている。
動き素早い! 右腕が俺の頬を掠るか掠らないか程度の所を通り過ぎていく。実に危ない転校生だ。
「おーい、だんだんと外見から遠ざかってないか?」
「気のせいだ!」
俺はアンセムの腕を絡め取って、動きを止める。当たり前のように、力は此方の方に分があるのだ。体格の差とは結構怖いものだな。後、リーチが違いすぎる。割と俺は手が長い方なのだ。手を広げれば、身長と十数cmは違う。身長が百五十在るか無いかのアンセムにリーチでは負けるはずが無いのだ。
不服そうな顔が俺の眼に入る。
視界がぶれた。
……ヤバイ、(別の意味で)破壊力抜群だ。だが、力を弱めるわけにはいかないんだよ!
しかし、此処で褒めておかないと俺の命が危ない気がする。
「続けろー」
「外見から離れるが、コイツは普通の人からみりゃ可愛い。えーっと、世間で言う妹系? そんな可愛さ。そういう訳で、話題沸騰中だ。クラスの男子はメロメロだぜ?」
「って女かよっ」
「あれ、言ってなかったっけか?」
「知るか。……つーか、そういう奴に俺は会った事が在るぞー。まぁ、違う奴だとは思うがな、アンセムっつって――」
「はい、正解。お前凄いな、エスパーか?」
「はぁ? 何言ってるお前は。居るはずねぇだろ」
……そうだった、コイツ、鈍感だったな。
ずっと前での空港での渡辺の件に関しても、お前は気付いて無かったよな。自分で笑い話にしてたもんな。いい加減可哀相だろ、どうやったらコイツの鈍感さは治るのだろうか。
腕の中から、何かが抜ける感覚。
やば……考え事してたら力を抜いてしまっ……。
衝撃。
しかし、それほどのモノでもなく、やはり女の子か、と再認する事になっただけだ。
「……体の使い方がなってない。腕の筋力だけで出してるようなもんだな」
俺が指摘すると、アンセムが怒って、ぽかぽかと叩いてくる。
痛くはない。
それを見て、はぁ、と嘆息してみる。
「大悟、いい加減出て来い。本当に居るから」
「解ったよ、丁度お湯も沸いたから淹れていく」
その次に俺が見たのは、大悟の驚愕の表情であった。
2006/04/11(Tue)18:20:43 公開 /
渡来人
■この作品の著作権は
渡来人さん
にあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ようやく書けるようになって来た……。お久しぶりです、または初めまして。とりあえず高校の課題に四苦八苦している渡来人です。
高校が始まり、だんだんと文も書けなくなってくるだろうから、せめてこの連載だけはけじめをつけたいとおもいます。ストックを溜めている途中です。
こんな駄文でも読んでくださった皆様に、最上級の感謝を込めて、本当に有難う御座いました。
・更新
作品の感想については、
登竜門:通常版(横書き)
をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で
42文字折り返し
の『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。