『戦人少女一章一話/二話/三話』 ... ジャンル:ファンタジー 異世界
作者:EKAWARI                

     あらすじ・作品紹介
雨の降る夜届けられた凶報、黒き少年との出会い、そして別れ……幼き美少女アテゥールナの戦いに蠢くダークファンタジー。

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 其の蒼とも翠ともつかぬ瞳は全ての者を引き寄せ
 光の証でもある黄金の髪は 時に闇の化身・白銀に煌く
 彼の者の声もまた美しき万物の調べ
 其の真白き手が掌に取るはこの世で彼女だけの為の武具
 憂え 金と銀の鼓動よ
 眩き翼を持つ者よ
 貴公は光と闇の化身
 戦いに身を委ねる ただ一つの聖霊なり







 戦人少女(せんじんしょうじょ)

 ――序章――




「なんてことだ」
 20代後半といったところの、金の髪をした優しげな顔立ちの男は、苦しげに眉を寄せる。
 それに妻と思しき美しい……これもまた金髪の女性はそっと寄り添った。
 男は妻を見て罰が悪そうに視線を逸らす。
 ごちゃごちゃと山積みにされたいくつもの本、出しっぱなしのビーカー。先ほど妻が窓を開けておいたからこそ、埃っぽくないだけの白く散らかった部屋。男は科学者であり、近頃科学界で騒がれ始めた分野『遺伝学』の権威だった。
 ぱらぱらと白いカーテンが風に揺れる度、男の表情もまた辛げに渋顔をつくる。しかし、いつまでも黙っているわけでないと判断した男……下級貴族シューミア家の現当主であるジハルト・K・シューミアは重い口を開いた。
「――アテゥールナ……僕らの娘は『彼女』の生まれ変わりかもしれない」
「え?」
 妻である女、サリア・T・シューミアは何を言われたのか一瞬わからないように眉を寄せた。
 ジハルトはそっと本棚の奥から一冊の古い本を取り出す。
 シューミア家の家紋が入った其の本を見た刹那、女は意味を理解したように、はっと驚きに眼を開いた。
「まさかルナが『彼女』の……」
 少し震えた可憐な声で、サリアは窓の外を一瞬伺い、再び夫を見つめた。窓の外には無邪気に遊ぶ我が娘・アテゥールナ・A・シューミアの姿があった。夫も妻と同じように娘を見つめ、続いてサリアに視線を移す。
「ルナの髪の色は何色だ?」
 そっと眼鏡を外し、ジハルトは光の加減で蒼にも翠にも映る瞳で見ながら妻に問いかけた。
 この、蒼でもあり、翠でもあり、また蒼でも翠でもない瞳はシューミア家の者にしか現れないものだということは、交際当初からサリアは聞いていた。
 結婚して随分経つけれど、今でも不思議に思う魔性の瞳。
 其の眼に見られて、サリアは観念したように声を絞り出した。
「銀がかった金の髪……です」
『彼女』と同じ……と言おうとして女は口を噤んだ。
其処まで言わなくても聡明な夫にはわかっている筈だし、サリアは其れを言いたくなかった。
「もし、アテゥールナが『彼女』の……だったら、娘はこの世界を変える存在の筈だ。言い伝え通りならば」
 サリアは気まずそうに視線をおとす。其の言い伝えを知っているからこそ、ジハルトの言葉が耳に痛かった。
「もうよしましょう。もしそうだとしても、『カギ』に出会わなければ何も起こらない。何もない。カギがいなければ言い伝え通りにはならない」
「……ああ、そうだな」
ジハルトも少しだけ希望を取り戻したように薄く笑いながら、妻の黄金色の髪をそっと撫でた。まだ三歳になったばかりの、我が娘の未来が明るい光に照らされていることを、ただ願って。




 第一・時(アリア)の章

 1 雨の降る夜





 いくつもある地上の中で特に大きな大陸がある。
 西半球の中枢に位置する其の大陸の中でも一際大きい国。世界の共通語としても使われる其の国は、いくつかの植民地を従え、もう三十年以上も前から世界三大大国と呼ばれていた一つだった。
 国名・ラドスティス。
 ズラリと続く埃と熱気、でも何より活気溢れるガラクタ市を抜けると城下町へと出、其処にある宮殿に住む国王は親馬鹿な事を除けば完璧と民衆に評価されているキレ者であり、彼がいるからこそ今のこの国があった。そして国王の住む城からいくらも離れていない場所には兵士の訓練所と、格闘家たちの為の闘技場があった。そこから北に向かうと、乞食やそれ以下の身分の者がごろごろ転がっており、西に向かうとこじんまりとした家を持つ民衆の住宅街となり、東に行けば下級貴族や金持ちの民衆の家々が連なり、南には公爵や伯爵などより身分の高い者が住んでいる。
 ガラクタ市ならばいつもやっているが、毎週、週末になると城下でも市が開かれる。ただ其の市の物はガラクタ市より良いものぞろいなので値も張る。だから東と南に住む地区の人間は週末の市に出向き、西や北の住人はもっぱらガラクタ市に世話になっていた。
 また街道近くではいくつもの工場や職人たちがそこで腕を磨いていた。
 学校もある。
 此処、ラドスティスでは西・東・南の住民には最低一年間の教学義務が課されており、それぞれの地域で行われていた。
 この国では、乗り物は馬車か馬が基本になっているが、ツゥシブル(この国にのみ生息する動物で、人懐っこく、足が速いが、餌をやらずに乗ろうとすると怒り狂う)という手もある。他にも300以上に及ぶ地域等があるが、基本的に皆大差ないシステムであり、中心にくるものが村長だったり、町長だったりするだけの話だ。
 気候は冬は少し涼しくなるくらいで、夏は結構暑く、平均気温は40度くらいになるが、けれど期間はそんなに長くはない。



 その国の都市、東の住宅街の住人である夫婦、ジハルト・K(キリーヴ)・シューミアとサリア・T(ティニー)・シューミアは、九歳になる我が子に笑みかけながら荷物を纏めていた。
 理知的な眼鏡の似合う優しげな面立ちのジハルトは見るからに科学者といった風体で、ちょっとクセのある金髪と、シューミア家のものにしか現れないという、角度によって蒼にも翠にも見える瞳をしている。
 妻、サリアも人目を引く容貌で、上品そうな口元にさらっとした金髪の、女性らしいという言葉の似合うたおやかな女性だった。
 そして其の娘、アテゥールナ・A(アリア)・シューミア。
 この夫婦も街を歩けば十人中九人は振り向く美貌を放っているが、アテゥールナ、ことルナは別格だった。
 振り返るどころではない。まだ九歳の子供であるのに、其の存在感の大きさに、はっと圧倒され、目を奪われてしまう。
 神話の中でしか語られていないような、銀がかった美しい金糸の髪。父親同様、蒼にも翠にも見える不思議な瞳の色に、長い睫に覆われた目元は意志が強く、凛としている。この国では異端ではないのかと錯覚してしまうほどの真珠色の肌、小柄な身体。しなやかな体躯は小作りで、繊細な硝子の人形を思わせる。
 声も高く透き通っていて、愛らしいという印象を受けるだろう。
 そんな我が子を見つめながら、サリアはふっと六年前のことを思い出す。

(もし、『あの人』のカギがあの子ならば、私はどうすればいいだろう)

 ルナは、アテゥールナは『あの人』の……なんだと夫は言った。
 今此処でそれを考えていても仕方ないと、サリアはぼんやり考えながら、娘を抱きしめた。
「お袋?」
 高く愛らしい声に反して、まるで男の子みたいな喋りで、不思議そうに母を見るルナに、サリアは額にキスを一つ落し、そっと「愛している」とつぶやいた。
 サリアとジハルトは隣国まで出かける。一ヶ月は帰ってこない。
 其の間アテゥールナは使用人一人に任せることになる。
 年に一度のソレを、ただ旅行に行くのだとサリアとジハルトはルナに告げている。この国では十歳以下の子供はたとえ植民地国でも、生まれた国から出てはならないという法律があったため、一人置いていかれるということをルナはすぐ納得した。
 けれどそれは嘘だ。
 本当はサリアとジハルトは、わが国の植民地となっている隣国にいるルナの妹……もう一人の娘に会いに行っている。金の髪に、蒼にも翠にも見える瞳の、外見だけはルナに似ている妹、ミリュラ・S(シア)・シューミアに。
 ルナには妹、ミリュラ、ことミラという妹がいることは告げていない。告げてはいけないと、何故か直感してしまったから。
 魔法大国から来たという、元・召還師の知り合いにミラと養育費を預け、こうして年に一度ミラに会いに行くのはいつも一緒にいてやれない罪悪感もあるのかもしれなかった。
 此処毎年のことだからルナも恒例行事であると納得し、留守番には慣れている。毎年同じ理由をつけて旅行に出る自分たちに不審は抱いているかもしれないけれど。ルナは外見こそ愛くるしくてか弱い女の子だが、見た目より芯から強い子なんだとサリアもジハルトも知っている。
 ルナが泣くところなんて、生まれてきた時くらいしか見たことがないし、自分の意思は決して曲げない子だ。いつも帰ってきたら、笑いながら「寂しくなんかなかった、平気だ」と照れ隠しをする、そんな子。
 だから今回も自分たちが帰ってきたとき、この子は笑いながら出迎えるのだろうと、サリアは思う。
 なのに、之が最後のような嫌な予感に包まれていた。

 * * *

 雨が降っていた。
 しとしとと、妙に湿気をはらんだ気候に、ルナは髪をくしゃりと掻き揚げた。腰まで伸びている其の髪が不快で、紐で一つに縛り、やりかけのトレーニングを再開する。
「……421、422、423、424……」
 腕立て伏せを続けていたルナだったが、なんだか急にやる気が萎えて500回でぱたりとやめた。
 いつもなら最低1000回はやるのに今日はどうも気が乗らないのだ。
 雨だから、天候が悪いからなのだろうか。しかしそんなことが理由ではないとルナは気づいている。

(まさか、俺が寂しいって感じてるというのか?)

 自分ではじき出した応えに、ルナはいらだちながら、自分の手作りサンドバックを思いっきりぶちのめす。
 鈍い音を立てながら、サンドバックは半回転し、また己のほうに返ってくる。其れをルナは拳を寸分たがわぬところに二重で打ちつけた。
 ぱらぱらと乾いた音をたてながら、破れたサンドバックから大量の砂がこぼれ落ちてくる。ルナは破れたサンドバックを一瞥すると、何を思ったのか、今まで大切に使ってきた其れを、雑草を踏み潰すように踏みつけた。
 雨が窓を覆いつくし、漆黒に染まった部屋で、アテゥールナは幾度も同じ行為を繰り返して、ずるりと引きずられるように腰をおろした。

 ……二ヶ月。
 二ヶ月もの月日、両親は帰ってこなかった。
 連絡すらなかった。
 別に遅れるなら、ルナは其れで平気だった。
 この街のことは知り尽くしてるし、悪童仲間もいる。
 彼らと遊んでいるうちに男言葉が身についてしまったけど、其の事だって自分の性に合ってるんだと感じているし、自分は自分だから之で良いとも思う。
 何より喧嘩が大好きで、強い相手と戦うのが何より楽しいアテゥールナは、昔っからよく色んなところに出歩いた。その際に、例え金が少なくとも、食べ物の量だけはある店とかも知った。だから親の残した金を少ししか使えなくとも、ルナには生き延びていける自信がある。使用人は一ヶ月ぽっきりで来なくなったけど、其の事だって気にしていない。
 けれど何の連絡もないという事実が、この幼い少女の心を不安に駆り立てた。

「アテゥールナちゃん!」
 ふっと自分を呼ぶ声が聞こえて、ルナはようやく立ち上がった。
 よく聞き知っている声だ。
 ちょっと高くてクセのある声と其の喋りで、ルナは其れが隣のおばあさんだとすぐに判断する。
 しかしいつもと様子がおかしい。
 いつもはもっとおっとりした喋りなのに、今日はやけにあわただしく、其れでいて震えているような声なのだ。そんな疑問を浮かべつつも、アテゥールナは玄関の戸を開けた。
「……ばあさん?」
 70歳近い老婆は、深い皺の刻まれた目じりに涙を称え、冷たくなった手でルナの小さな身体を抱きしめた。
 白いシャツは雨に濡れていて、其の冷たさが直にルナに伝わり、ルナは一瞬身体を強張らせる。頭の何処かで、何か悪いことがおきたのだと悟りながら、老女の手を振り払うこともなく、ただ抱擁されていた。

「……んだの……」
「え?」
 ざあざあと、先ほどより激しく打ち付けてくる雨の中、老婆はか細い声で言葉を押し出した。
「シューミア夫妻……ルナちゃんのお父さんとお母さんは……死んだの」
 ルナは瞬間、信じられないというように目を見開き、老女を凝視したが、先ほどの胸騒ぎはこれだったのだと納得するような、複雑な表情で佇んだ。
 老婆の言葉も、表情も、とてもうそを言っている人間のものには見えない。
「……なんで」
 考えるより先に言葉が出た。
 脳裏に、在りし日の二人の姿が浮かぶ。
 怒っている顔、笑っている顔、辛そうな顔。薬品くさい、父親のためだけの部屋は、今も二人が二ヶ月前に出て行ったときのまま。
「……何で死んだんだよ」
 心のどこかで其の死を信じられない自分がいる。明確な答えがほしかった。
「事故よ」
「え?」
「ツゥシブルが暴走したの」

 雨が降りつける。
 茶色い地面も赤らんで、白い肌に空から落ちてくる雫が身を打ち付ける。老婆の灰色にも似た白い髪も、暗雲の下、時々銀に煌く黄金の稲穂の髪も、重々しく纏わりつく。
「お父さんとね、お母さんは旅行が長引いたことに焦って早くルナちゃんの元に帰ろうとしたんだけど、丁度其の頃隣国でデモが起こってて、ツゥシブルをね、デモを起こした人々が暴走させて、一週間意識不明で、昨日……天国に逝ってしまったの」
 アテゥールナは刹那、目を見開き、顔の筋肉を強張らせた。
 それに気づいているのかいないのかは定かではないが、そのまま老婆は「可哀想に」と繰り返しながらただ泣いていた。
「……んで、なんで連絡なかったんだよ……意識不明だったなんて、んなこと全然……」
 知らなかったと言おうとした瞬間、ルナは口を押さえて膝を屈した。
 強い酸味が喉の奥から這い上がり、胸の辺りが気持ちが悪い。そんな少女の変化にようやく気づいたのか、老女は焦るように言葉を連ねた。
「違うのよ、折を見て知らせようと思ったの。心配させたらお父さんとお母さんも悲しむだろうと思って……」
「黙れ!!」
 ルナは彼女の言葉を遮る様に怒鳴りつけた。
 握りこんだ右手からは、爪が食い込んだのか血がたれ落ちてくる。ルナはそのまま右手を振り上げると、雨でぬかるんだ地面に拳を思いっきり叩き込んだ。
「ルナちゃん!?」
「いいから、黙ってくれ!」
 慌ててルナの行動を止めようとした老婆に、ルナは荒々しくもう一度怒鳴った。
 そして二度、三度また地面に拳を振り下ろす。

(俺はこの一週間何をしていた?)

 少女は眉間に皺を寄せ、悲しんでいるような怒っているような複雑な表情で自問自答を繰り返す。

(筋トレしてバカ共と騒いだりしてただけじゃねえか。なんで連絡をくれなかったんだ。なんで…俺はこんな子供(ガキ)なんだよ)

 叩きつけた右手は鮮血にまみれていたけれど、痛みはなかった。
 胸が代わりにじくじくと痛んだ。

 * * *

 止まない雨、白い死体に黒いフード。
 昨日死んだといわれ、送り届けられた父と母だったもの。
 人間とはこんなにあっけなく死ぬものだとは、ルナも戦争孤児達の話を聞くたび理解していたつもりだったけど、目の前でおきるとなんとあっけないものかと感じる。
 涙する、生前父と母と仲の良かった人々に、時々訪れては父と口論を交わしていた男たち。
 九歳の喪主を務めるアテゥールナの幼さがいっそ同情を強く引き立てた。
けれどルナは一滴も涙を流さなかった。
 父と母の不幸を、直前まで知らなかったことに悔恨の念こそあれど、人々が自分に対しいうような「可哀想」な人間ではないと思っていた。

(そうさ、人間いつかは死んじまうんだ、其れが今だっただけだ。大したこたぁねえ)

 ルナはぎりっと小作りの唇を噛み締める。
 有象無象の群集を捉えつつ、大きい眼を細め、ルナはいっそ殺意を感じるほど強く眉を吊り上げた。

(俺を……この俺を哀れむんじゃねえ)

 かつて父と母と呼んだ存在は灰となり、白い骨となった。
 雨脚も弱まり、湿った棺に彼らがいた証の骨が収められていくのを見つめ、ルナは一人父の研究室に向かう。昨日散らかしてしまった、少し埃くさい白い部屋にかつての父と母の香りが僅かに漂って、ルナは緩く口元に笑みの形を浮かべる。
 眼を瞑れば、鮮やかに二人の姿も思い出せた。
 穏やかで、ちょっぴり切なくて、目を開ければ彼らはもういないのだと強く実感させられる。
 それでもルナは泣かなかった。
 代わりにアテゥールナの小さな胸の奥に、酷い雨が降り続けていた。





 2 戦慄なる出会い




 父が死んだ。
 母も死んだ。
 植民地だった隣国に旅行に行き、民衆のデモが元で暴走をしたツゥシブルに襲われたのが原因だった。
 けれどそんなことはこの少女にとってはどうでも良かった。
 彼女が悔やむのは、己が両親が帰ってくるものと何の疑いもせず信じていたことだけ。
 死んでしまう可能性を悟れなかったこと。そして両親が事故にあったのに、誰も自分に知らせようとしなかったことから見た、己への信頼感の無さ。
 それらは全て当たり前のことではあったけれど。
 まだ九歳の幼き少女の胸には、あつく激しい雨が降り続けていた。

「クソ野郎!!」
 高く可憐な声をした少女は、其の声に似つかわしくないほど声を荒げ、ゆうに5つは年上であろう大柄な少年を、其の小さな拳で殴り飛ばしていた。
 ギロリと、まるで手負いの獣のような荒くれた目で少女は転がった少年をにらみつける。殴り倒され、頬を赤く染めて血を流す少年は、其の只者ではない彼女の目に、冷たい汗を流す。
 少女が凄むと、元々可愛い系のひどく整っている顔をしているからこそ、より壮絶なものがあり、強い恐怖心を促させる。誰しもがそう感じてしまう表情で、彼女はぐしゃりと男の頭を踏みつけた。
「だぁれが寝ていいと言った? なあ!」
 言いつつ、少女は情け容赦なく、恐怖に今にも失神しそうな年上の少年の身体を蹴り飛ばし、其の首元を強引につかんだ。
「光栄だろ? この俺様、ことアテゥールナ・A(アリア)・シューミア様と喧嘩出来たんだからよぉ?」
 くつくつと、天使のような顔立ちをした、悪魔のような表情の少女は笑いながら男の腹を思いっきり殴りつける。其の衝撃に、少年は真っ赤な血を吐き、引き摺られるように意識を手放した。
 少女……アテゥールナは無関心な、蒼にも翠にも見える硝子玉にも似た美しい瞳で刹那見た後、興味を失ったようにそれきり其の姿を視界にいれるのをやめた。
「これじゃまるで弱い者虐めだな」
 暗い路地裏に紅く塗れた少年を放置し、アテゥールナ、すなわちルナは返り血のついたまま夜道を行く。
 少女の太陽の元で輝く黄金の稲穂のような髪が、見え隠れする月の光に照らされ、銀糸に染まる。
 五百年前に遡る伝説の色合い。
 この国では金を光、銀を闇の化身としてきた。
 其の両方の守護色を持つ髪をした幼い少女は、ふっと行き場を失ったように砂利だらけの地面に腰をおろす。
「……つまんねえよ、どいつもこいつも」
 ぽつりと呟く声は寂しさを含んだかのようなソプラノ。
 整った小さな横顔は子供らしさの残る曲線を描きながら、それでも何処か大人の顔を僅かに覗かせる。

 夜の街に、夜の顔。
 昼は安全な路でも危険な香り漂う市に変貌するこの街。人買いが集まり、子供や女の人身売買もこの刻に行われる。
 そんな中、一際人目を引く美しく愛らしい少女。けれど彼女を知るものは誰一人彼女に手を出そうとはしなかった。特にこんな、怪我をした獣のような目をしているときのルナに下手なことをしようとするのは、知らない者だけだ。
 そう、今まさに彼女を囲み、売ろうとしている10人の大の男たちがどうなるのか、街の人々は知っているからこそ手を出さないし、知らないフリを決め込む。
「は、機嫌わりぃってのに、またお客さんか? 10人や20人で俺がやれると思うなんざ思い上がった野郎だぜ」
 周囲の物陰に潜む、気配を隠しているその道のプロであろう男たちに、ルナは不敵に言葉を発した。どこに誰が何人いるのかなんてこの少女にはお見通しだ。
「わりぃが手加減できねえからよ、覚悟しとけよ? 死んでも後悔しねえようによ!!」
 いうや否や、ルナは茂みに隠れているつり目の男を助走をつけて蹴り飛ばし同時に眉なしの男とともにぶっ飛ばした。
 筋肉トレーニングを趣味に、生まれつきの怪力と身軽さに、天性のセンスが加わり、的確にルナは数箇所に及ぶ人体急所を付きながらの攻撃を繰り出す。
 けれど相手もプロなだけはあり、二人目の眉なしにはガードに入られる。残りの八人の男たちも一斉に襲い掛かってくるが、ルナは奴らの行動を逆手に二名ほどは相打ちさせ、すかさず一番大きな男の腕の上に飛び乗り、顔面に容赦のない回し蹴りをぶち込む。
 一瞬面くらいながらガードを遅れてやろうとする大柄な男に、ルナは拳を三重に素早くたたきつけ、膝蹴りで一番小柄な男を巻き込んで打ち落とす。小柄な男と大柄な男がダメージを受けているところにルナは、二人の男根目掛けて拳を叩き込み、鎖骨に肘鉄を食らわす。そこで鈍い金色をした腕輪の中心にある石をさっと、撫でた。
 瞬間、腕輪は大きな薙刀にも似た武器に変換され、それをもってルナは細身だけどがっちりした男と長髪の男と目の下にほくろのある男を殴り倒す。次にたれ目の男の首元を武器の棒部分で打ち込み、喉仏をそのままつぶして首の神経を圧迫する。
 その間、約5秒の出来事。
 地面に倒れる男たち。唯一まだ倒れていないのは、ルナの攻撃を何とかガードした眉なしの男だけだった。
「な……お前……」
 10人にも及ぶプロの男たちが9人もたった5秒の間に倒された事実に、眉なしは細い目を驚愕に見開く。
「まさか、『緑青のアテナ』!?」
「けしかけた奴に伝えな」
 高く透き通った、けれど百戦錬磨のつわものだと物語る荘厳なオーラを纏う声に、眉なしはびくりと身体を硬直させる。
 とてもじゃないが、九歳の子どもとは思えない闘気だった。
 銀がかった金の髪に、蒼にも翠にも見える瞳に白い肌の、外見だけは硝子人形のような小柄で愛くるしい少女は、其の印象を許さないような禍々しく神々しい雰囲気で静かに声を押し出す。
「今、これ以上この俺様になんかしてみろ。殺すぞ?」
 ぞくりとすさまじい旋律が背を走り、眉なしの男は言葉を失っていた。
 他にも意識があれど立ち上がれなかった男たちも同様に青ざめ、中には土気色の者すらいた。

 突如パチパチと、間抜けな拍手の音が聞こえ、ルナは背後を振り返る。
 そこには黒い髪に黒い肌の、闇色の目をした黒服の身長160cmくらいの少年が立っていた。見たところ12、13くらいの年齢だろうか、それにしてはやけに大人っぽい雰囲気を振り撒く所が少し気になった。
 ルナに気配を悟らせなかった少年とのこともあり、ルナは警戒心も加わり、より険しくなった顔で少年を見る。
「誰だ、てめえ……」
「聞く前に、自分から名乗るのが礼儀だろう」
 雰囲気同様大人っぽく落ち着いた、しかしまだ声変わりをしていない印象のテノールの声で、少年は言った。
「アテゥールナ・A(アリア)・シューミア」
 可憐なのに粗野な印象の声で、簡潔に名乗ったアテゥールナはくいっと顎を引き、目を細めて少年の姿を見つめる。
「『緑青のアテナ』……か。噂は聞いている。見た目は小柄で愛らしい少女だが、とてつもなく強い……と」
 ぴくりとルナは身体の動きを止めた。
 アテナとはこの国・ラドスティスのアテゥールナという名前の一般的な愛称だ。
 緑青の……というのは、蒼でも翠でもあり、また蒼でも翠でもないシューミア家の者のみがもつ瞳の色であるということを指す。その『緑青のアテナ』という名はいつからかアテゥールナ・A・シューミアを畏怖する者達からつけられた通り名だった。
 しかしいくら有名といえどこの街でのみであり、この街で見たことのないこの黒き少年が知っているということに、ルナは眉を顰める。
「余計なことくっちゃべってんじゃねえよ。さっさとてめえの名をいいな」
 そう彼女が言ったとたん、男は雰囲気を一変させ、触れば斬れるような闘気を纏い、短く言葉を押し出す。
「ガリューマ・W(ワイズス)・シューバ」
 其の名にルナは聞き覚えがあった。
「『黒のガルス』か。てめえの噂こそ聞いてるぜ」

(どうりで雑魚にはありえねえ、強い気ぃ放ってるわけだぜ。)
 ふっと彼にまつわる噂を思い出しながら、ルナは苦々しげに、それでも何処か愉しげに唇を噛み締めた。
「黒い髪、黒い瞳に黒い肌の、黒い服着たガリューマちゃんは、まだ12歳なのに全国各地で看板破り、その数たった三年で百に及ぶってなぁ?」
「百は誇張だ。それに先ほどのお前の台詞そのまま返させてもらう」
 ざわりと空気が動く。
 風に煽られた木の葉が、二人の幼い子供の上を舞った。

(動く!)
 黒のガルスは重剣を使うんだという情報は、半年ほど前に聞いた。
 ルナは地面を蹴り後ろに飛ぶ。
ガルスはルナが予測したとおり前に刀を振りかざした。
 銀がかっている美しく細やかな金糸の髪が一束風に乗り、アテゥールナは小柄な身体を利用して少年の懐に飛び込み、肘鉄を喰らわそうとする。
 しかしガリューマはルナの行動を読み取り、其の腹目掛けて膝を流れるような動作で打ち上げた。
思わぬ反撃に口の中を切り、血を流しながらそれでもルナは少年の頬を右拳で打ち込み、反動を利用して自分の間合いを確保出来る分だけ、距離を離して着地する。
其れと共に、少年の刃に掠められた髪が地面へと舞い降りた。

「へ……へへ……」
 ルナは口元に笑みを浮かべながら、右手の親指の腹で血を拭い、先ほどの薙刀にも似た武器をきつく握り締める。
「こんなに血が騒いだのは初めてだぜ。喧嘩でこんなに愉しい気分も……なあ」
 この国の喧嘩に武器の使用が卑怯などという常識は存在しない。
 人にはそれぞれ生まれた時より持ち合わせている能力が違うし、磨けば上達しても、限界だって人によって異なる。だから素手が得意なら素手で戦えばいいし、ナイフが得意なら其れでいけばいい。剣が得意なら剣で、槍が得意なら槍で、弓が得意ならそれでいけばいいじゃないか。
 それが基本的な考えだ。
 だからこの国では「格闘家」という職業などが繁栄しているし、素手で戦わないのを卑怯と罵る者もいない。
 そんな環境に育ったのだから、ガルスが剣を使ったのも、自分が其の自分だけの為の、生まれた時よりもっていた其の武器を使うことも当然の権利だった。
 ルナはすうっと息を吸い込み、己の気を鎮めた。
 人の気配、木の気配、土に潜む虫の気配、全ての気配に神経を巡らせて、幼顔の少女は己が武器をしっかりと握り締める。
「こいつは俺の相棒、ゴーディアスラ」
 愛らしく可憐な声域に対し、凛としており、それでいて男性的な喋りでルナは自分の武器を掲げて言った。
「クラファラ」
 短く己の剣の名称を告げ、少年は駆けた。

 するりと風のようにルナは少年の剣戟を交わす。
 感情の高ぶりを収め、気配を消したルナは体の命じるままに行動を起こす。そしてそれをするのは本当に強いものを相手にしているときだけ。
 アテゥールナは人や物、全ての気配を察知する能力が長けていた。
 ルナと対峙する上でのガルスは、明らかにルナの行動をよんで行動をしている。少女の俊敏でいて、驚異的な速さがあればこそ、渡り合っているという状況だ。
 空気を読み、目前の黒き少年が己の行動を読んでいるのだとしたら、感情も含め、己の気配を消してしまいさえすればよまれないはずと睨んだからルナはあえて己に纏わり付く気配を断ち切った。

「っ!」
 アテゥールナの繰り出したゴーディアスラの刃をガルスは片手に持ったクラファラで支え、少年は拳を繰り出した。
(右……いや、左だ)

 一瞬の判断の遅れがルナの行動を遅らせ、少年の拳は少女の左頬を掠り、白い肌から紅い血が滴る。
 ルナはそれが風圧で切れたのだと理解したが、次々繰り出される少年の剣技に、其のことにかまう余裕はない。そうして二度、三度ガルスと刃を交えながら、ルナは自分が見当違いのことを考えていたことに気が付いた。
 ガリューマはルナの気配を読んで攻撃を仕掛けていたわけじゃない。

(こいつ、俺の行動を計算してやがる)

 その洞察力と計算力にルナはいっそ賞賛の拍手を送ってやりたいくらいにも感じた。
 感性と頭脳、本能的に相手の動きを知るものと、理性的に相手の動きを知るもの。柔は剛を制すというが、ルナはこの状況に深い感謝をしたくなってきた。
 相変わらず気配だけは消している状況で、ルナは知らず口元に笑みを浮かべた。
 愉しいのだ。
 勝つことが困難になればなるほど、相手が強ければ強いほど。
 命を掛け合うこの刹那の時が、背筋がぞくぞくするほど愉しい。
 ふいにルナのスピードが上がった。

「!」
 爛々と輝く瞳は、元来の色と変わり、ほぼ青がかっている。
 そしてそれよりガルスが驚いたのは、ルナの髪……だった。
 さっき確かに自分が切り落とした筈の、一束の髪が元の長さまで伸びていっている。其の髪の色は……いつもの金色に銀がかっている色じゃない、逆だ。銀色に金がかっている色合い。

(こいつは……)
 ガルスは瞬間、足を止め、瞬きすることすらせずアテゥールナを見つめた。
 何かを思い出しそうでいて、嘔吐間が込みあげてくるのに懐かしいような。奇妙なデジャ・ヴュ。
 更にこの顔。
 白磁の肌に大きく長い睫に彩られた好戦的な瞳に、小さい鼻、小さく紅い唇、丸みのある柔らかな輪郭。背は低いのに体のバランスが綺麗なのは、彼女が小顔だからだ。
 そして其の手に握られた、金と銀に輝き、水晶玉と針のついたようなデザインと、薙刀にも似た刃の武器・ゴーディアスラ。
 それら全部に見覚えがあったようなそんな錯覚。

(そうだ。俺は……確かに何処かで見た。これを……)
 チラリと脳を掠める、灼熱の炎のイメージ。
 其の奥に佇む女の影がぼんやりとして的を得ない。けれど何故かこの目前の少女とイメージが重なる。
 自分の心の臓の音が聞こえる。
 こうしている今もアテゥールナは迫っているというのに、ガルスの目はそのことを映していなかった。
 耳鳴りがする。
 頭が痛む。
 止めろという、体の警告がしているんだとガルスは理解したけど、それでも思い出そうとした。
 ふっといきなり全てのピースが嵌った気がした。
 視界が拓け、突然理解した。
 今のルナの状況も、何もかも。

(そうか。アテゥールナは「お前」の……か)
 目に懐かしいような、複雑のような微妙な色合いを湛え、少年は目前に迫ったルナの刃をかわす。
 しかし確かにかわした筈なのにガルスの頬からは血が流れた。
 その理由はスピードも攻撃力もどんどん加速しているからなのだと少年は納得する。
 重剣は威力の代わりにスピードはさほど出ない。
 けれど自分は相手の動きは大体わかるからスピードが出ないことをそんなに不便に思ったことはなかったが、今は違った。
 今のルナの相手をする上では有利とはいえない。そう解釈した途端、少年は即座にクラファラを地面に放り捨てた。

 拳を振り上げ、脚を使い、まわりのもの全てを巻き込みながら、ルナとガルスは攻防を繰り返す。
 はじめは押していたガリューマも、どんどんあがっていくルナの戦闘能力の高さに苦戦を強いられる。
「とどめだぁ!」
 血走った眼でガルスを見たルナはざっとゴーディアスラを高く掲げた。
 あと一撃で決まる。其の時ルナの脳裏に映像が流れ込んだ。

 灰色の雲、纏わりつく雨、白い死体に黒いフード。
 もう動くことはない父と母だった者が炎に焦がされ灰と化す。
 息はなくて、あの日のあの面影のまま白に帰す。
 父の薬品くさい部屋は在りし日の彼らの匂いをさせる。
 縋りつくように座り込んだ自分の前にずかずかと土足で上がりこんできた男達。
 口々に喚く大人たち。
 其の残像が繰り返し、己が中を廻り行く。
 死体、赤と白の死体。
 シタイ。

 鋭く、脳が停止するような耳鳴りがした。

「っ!」
 気付けば立場は逆転していた。

 地面に縫い付けられるように押さえ込まれた小柄な身体。
 こうして直に触れ合うと力の差を思い知らされるようでルナは面白くない。しかし先ほどの一瞬の躊躇と自己停止という失態を起こしたという苦い部分がいっそ少女の心境を清々しくさせた。
 彼女にとっては弱いこと、己の失敗を認めないということが悪いことであり、他人を見て忌んでいるものでもある。
 が、それは自分に対してもだ。たとえ失敗したのが自分であっても、そのことが原因でどうなろうが、それは己が全部悪いのだ。
「アテナ」
 聞き取りやすい声で告げられた我が名に、ルナは顔だけ少年のほうになんとか向ける。
 たとえどういう処分をされようが、もう覚悟は出来ていた。

「お前、人を殺したことないだろう」
 予想外のガルスの言葉にルナは訝しげに眉を顰める。其のことに気付いてるのか、少年は言葉を継ぐ。
「さっきの一瞬の躊躇は恐怖からじゃないか?」

(恐怖? 俺が?)
 少女はふっと口元に笑みを浮かべる。
 しかしそれは少し前まで見せていた戦いへの悦びからの笑みではなく、せせら笑うような自虐めいたものだった。
(親父とお袋の死体を見て、また死体を見るということに怖くなったってか?ああ、そうだよ。怖いさ)

「それがどうしたっていうんだよ」
「……わからないか?」
 全く、この男はわけのわからないことを言うとルナは思う。
 でもこの言い草からいって、ガリューマは人を殺めた事があるんであろうということだけは予測できた。
「武と武で戦いあう、其の行為は元来、相手を殺すための行動だ。それは如実にお前の戦い方にも出てる」
 少年はぎりっと戒めの手を強くした。
 ビクリと身体が悲鳴を上げる、が、ルナは声を出さなかった。
「忘れるな、戦いは殺し合いだ。また、人の命は重い」
 ギリギリと身体が圧迫され、苦痛を伴う。
 もう少し締め付けられていたら手首が折れるのではないかというところで、ガルスは拘束していた手を外し、ルナの上から立ち退いた。
「お前はもっと強くなるだろう。そのときを楽しみにしている」
 無表情な印象の端正な顔に薄い笑いを浮かべ、ガリューマは言った。
 そしてそのまま振り返ることもなく、重剣・クラファラを拾い、裏路地を後にした。

「へ、へへ……」
 少女が倒れてるのをこれ幸いとばかりに襲いかかろうとする下卑た気配を、周囲から感じながら、ルナは哂った。
「次に会ったら、ぜってえ勝つ」
 ひゅるっと風を切る音をさせ、裏から襲い掛かってきた男を殴り飛ばし、ルナもまた裏路地を後にした。
 心の雨はもうあがった。
 次に進むときはもう其処に来ているのだ。


 * * *


 ドンドンと、戸を叩く音を何度も聞き、書類整理をしていた大工の棟梁は重い腰を上げた。
 もし客だったなら、受付のほうへ行く筈だから自分のところに尋ねてくるのは弟子志願か友人のどちらかとなる。
 妻は今ガラクタ市に出かけているはずだから今はいない。
「このクソ忙しい時に、ったく、誰だぁ?」
 不機嫌そうに棟梁は階段を下りていく。
 深い皺の刻まれた垂れ気味の目元に、潰れたような鼻、尖った顎に、白い物が混ざっている黒髪の、五十前後と思しき男。
 この年になり、かなりの貫禄が付いているということを、棟梁は自覚している。
(もし、冷やかしだったらぶっ殺してやる)
 血の気も熱く、至極物騒なことを考えながら、棟梁は木製のドアを開けた。
 すると其処にいたのは以外にも、まだ幼い小柄な美少女だった。
「誰だ、おめ」
 すっかり毒気を抜かれた男は訝しげに少女をまじまじと見つめる。
 それに少女は完結に言葉を滑らせた。
「弟子志願者だ」





 3 逆遺産






 ――……話は三日前に遡る。
 父と母の葬儀の後、父の真白い研究室で縋りつくように座り込んだ自分。
 しかし感傷に浸る間も無く、ドカドカとわざとらしく足音を響かせて、下賎なる来訪者がその場を壊した。
「誰だ、てめえら」
 機嫌の悪さを隠すことも無く、忌々しげに問うたアテゥールナに、格好だけは紳士的な男達は各自下卑た笑みを浮かべている。
 目前の相手の態度にルナは不快に眉を顰めた。

(胸糞悪ぃ)
 有り余る金に、くだらないことにばかり夢中になり、弱者を犠牲にしては自分の身ばかり護り続ける。
 男達からはまさに、そんな種類の人間の匂いがする。
「しかし凄いですねえ」
 入ってきた奴ら五人の中、鼻の下の髭をくるりと巻いた、薄い茶髪の愚鈍そうな男はへらへらと笑いつつ、ルナを舐めるように見つめている。
「こんな髪の色はじめて見ました」
 そうして注がれる視線はまるで自分を珍獣であるかのように、値踏みするような目だった。
 あからさまな目に、彼女はちっと低く舌打をする。
 銀がかかった金髪。蒼のような翠のような、見るものによってその色を変える瞳。
 この国には珍しいほどに色白い肌。
 己の容姿が他人と一際変わっていることの自覚くらいはあったけれど。
 ……最もその『変わっている』と認識している容姿の項目に、『類稀なる美貌』というのはは含まれていないのだが。
 そしてこの瞳の色はシューミア家の者に現れる特徴で、はじめてみたのが髪の色についてのみならば、それはイコール父のことを知っているということになる。
 穏やかでおっとりしてて、でも自分たちに見せないようにしているだけで、時々切れるような鋭い眼差しを見せていた父。
 いつも部屋を散らかして、研究に没頭しては母に叱られていた父の、そんな一面をルナは知っていた。
 あの眼を見て、ああ、確かに自分は父の子供なんだと、思った記憶もある。
 知っているということは父と面識があったということ。
こいつらに会っているとき、父は穏やかな作り笑いを浮かべながら、当たり浅わりのないことを言いつつ、屈辱に身を焦がしていたのではないのだろうか。
 きっとあの刃物のような目をしていたのは、あいつらに会って帰ってきた日、そうではないだろうか。
 父は深慮で、色んな感情を押し込めることに長けていたけれど、足元しか見ないような人間が大嫌いだった。
 少なくともそういう人だと、自分の目には映っていた。
 一瞬の間に回転する思考の中で、ルナはそこまで考えると、全く不機嫌を隠そうともせず口を開く。
「何か?」
 いつもより低く、それでも愛らしく高い音声でそう告げた声には明らかな非難の色が混じっていたけれど、誰もそのことに気付いていないのか更ににやけ顔を酷くした。

(ぶっ殺されてぇのか? こいつら)

 先ほどの薄い茶髪の格好だけはご立派な男は、そんなルナの心情など知ってるわけもなく、言葉をかける。
「父君も整っていた顔をしていたけれど、君はそれ以上に魅力的だね」
「俺の容姿なんかどうでもいいだろうが。魅力的だぁ? 別に嬉かねえよ。それよりてめぇらなんだ? 親父とお袋の葬儀の日に部屋を荒らすとは無粋な野郎だな」
 出来るだけ取り乱さないように、しかし話をするのも嫌だってことは隠そうともせず、ルナは即座に言葉を返した。
 その言った内容にまわりがざわつくのが分かる。明らかな不満の色と頭に血を上らしたような声。
 それらを無視してルナは背を張って見据えるように立つ。
 普通の子供、それも仮にも貴族の娘ばらば普通は出来ない芸当なのだと、一体こいつらは気付いているのか。
 目の前に立つ男達は皆ちっぽけで卑猥すぎていっそ道化のようだ。
「まあまあ」
 他の男達を宥める様に、笑顔という名の仮面を顔に貼り付けて薄茶髪の男は言葉を繋げる。
 外見だけはご立派で、中身も普通の人が見たら立派な人だと勘違いしそうなほど優雅な仕草だった。
 しかし中身は薄っぺらく、ただの阿呆にしか見えない。
 その事に気付いているのはアテゥールナだけなのか。彼女はその辺りのことを知りたくもないと思ってはいるけれど、つい考えた。
「見かけによらず随分口が悪い。シューミア公は一体どのような教育をしたのやら」
 大仰に肩をすくませてみせる男の、そんな些細な態度にすら苛々する。
「親父は関係ねえし、他人の家の他人の部屋にいきなり大勢で押しかけるほうがよっぽど礼儀知らずだろ。しかも葬式のあったその日。俺は気が短いんだ。これ以上はいわねえぞ。てめえらなんだ? 何しにきた?」
 一瞬、ひくりと彼のこめかみの辺りが引くつくのをルナは確認し、ざまあ見ろと心の中で舌を出す。
「率直に言おうか。我々は皆君の父君の研究に研究費用を投資していた者だよ」
 一応貴族と銘打ってあっても下の下であるシューミア家にはあまり金がない。しかも、国の首都であるこの街に来たのは、父・ジハルトの代になってからだった。
 そのことを踏まえると別段おかしな話ではなかった。
 多分こいつらは自分たちと同じ東の住人で、貴族ではなく、金持ちに部類されている奴らだ。
 成金の匂いがぷんぷんする。
「なのに君の父上は30の若さで死んでしまった。まだ研究は途中だったというのに、無責任なことだ」
 薄茶の言葉に、賛同するような声が上がった。
「責任は取ってもらうよ。研究途中の資料は全部私たちが引き取らせてもらう。遺産金もだ。それと」
 苛々する。先ほどよりも加速して。

「我々が父君に貸していた金銭を全額返してもらう。何、簡単だ。君ほどの美貌があればすぐに稼げるだろう」
 にやりと、今度こそ隠さず厭らしい笑みを浮かべ、男は続けた。
「上の人間はノンセクシャルな人間が多いと聞いたし、君の父君も同じことをしていたんだろうさ、何も問題はないよ」
 嘲る様な笑みと声に、今度こそ堪忍袋の緒が切れた。

 音が出るほど激しく壁を打ち付ける音が響く。
 べこりと引っ込んだ白い壁。
 そこからは中の金属がむき出しで見えている状態だ。
 呆然と皆が立ち尽くす中、それを行った少女は怒りの色に染まった眼で男達をじろりと睨み、次の瞬間消えた。
 いや、消えたんではない。
 あまりの速さに皆が消えたように錯覚しただけだ。
 次の刹那、彼女は薄茶髪の男のすぐ後ろにいた。
 ナイフを持っているかのような鋭い手つきで、その首に手を押し付けながら。
「さっきから聞いてると好き勝手いいやがってよ。死者を貶める真似なんざしてんじゃねえぞ」
 ぞっとするくらい静かな怒りを含んだ声だった。
「おもしれぇじゃねえか。借金だぁ? 返してやるよ。しっかりとな」
 いまだ退けられていない小さな手に、男は冷汗を知らず流し、それでも気力を絞って言葉を放った。
「はっ、じゃあ返して貰おうじゃないか」
 恥も外聞も無い、目の前の恐怖を取り払うために男は崩れた表情を取り繕うこともせず、叫ぶ。
「僕ら一人につき500万TM!!(約200万円) 一週間後に前金として払えなかったら、君を売り飛ばす! 良いね!?」
 全部で5名、つまりは2500万TM(約1000万円)だ。
 一週間の余裕こそ渡すものの、普通は九歳の子供が払える額じゃない。
 わざと余裕を見せて追い込もうとするこいつらは、ご立派なのは見かけだけのこいつらは、おそらく自分と同じ東の住人で。
 下級貴族ではなく、ただの成り上がりの金持ち。
 仕方がないといえばそれまで。
 ある程度は階級で護られているけれど、この国は実力主義の個人国家だ。
 強きものは生き延び、弱ければ死ぬ。
 たとえ小さな子供でも、裏の闇を知っているそんな国。
 馬鹿と無知では長生きするには難しく、ゆえに子供らは生き急ぐように成長していく。
「上等」
 余裕なんて無い筈だけど、少女は口元ににぃっと性悪そうな笑みを浮かべて不敵に声を上げた。

 * * *

 それから三日が経った。
 あれから家にあった父や母の持ち物も、必要最低限以外の自分の持ち物も全て売り払った。
 残ったのは、我が家の家宝とは名ばかりの剣が二振りに、がらんどうとなった家に包丁一つ、オーブン一つ、衣服一着、バケツ一つ、コップ一つ、皿一つ、鍋一つ、少々の塩、シーツと毛布一つずつ、そして裏庭にある小さな野菜畑一つに肥料少々と写真一枚。
 それ以外のものは全部質屋にいれた。
 助かったのは隠し地下に置いてあった膨大な量の父の本だ。
 父が集めていた本は珍しい物や、絶版になっているものもあるらしく高値で売れた。
 若かったとはいえ父は立派な科学者であり、父の残した研究の類は借金のかたの一部にあいつらに既にもっていかれていたが(その分を省いての上での2500万TMなのだから横暴といえばそれまでだ)、こっそりと研究してたものもあったらしく、押さえられていない研究書も売り払った。
 が、それでも最後の25万TM(約10万円)ほどだけがどうしても足りない。
 あまりの苛つきに、誰でもいいから殴りたくて。
 ただ喧嘩したくて。
 全て頭の中を真っ白にしたくて、ただそれだけのためだけに危険な夜の街へと出て行った。
 けれど自分の目に適うやつはいなく、苛立ち任せに自分に声をかけてきた男を意識を失うまで追い込んだ。
 そして出会ったあの男に。
 ガリューマ・W・シューバ。
 最後、動揺してしまったとはいえ自分を初めて倒したオトコ。
 自分を助けたのが同情や優越感からじゃないということは好ましいが、やられっぱなしなのは性に合わない。
 いつかまた相対し、今度こそ自分が勝利を掴むためにも生きなければいけないのだ。
 売り飛ばされるということは、イコール肉人形にされるということ。
 意思なんか関係なければ、最悪手足を切り落とされ、鑑賞がてら弄ばれ、拷問の末苦しみ抜いて殺されるのがオチだ。
 文字通り、冗談じゃない。
 ゆえに生き延びる手段として、金が必要だった。
 ガルスに締め上げられて痛んだ腕が逆に頭を冷静にさせる。
 自分に何が出来るのか、何が得意なのか。
 後ろ盾の無い……あるのは下級貴族という名の「箔」だけのガキが職を手にすることは難しいとは知っていたけれど。
 この国は良くも悪くも実力主義だ。
 弱けりゃ死に、強ければ生き延びる。
 なら、自分の能力を見せ付け、力があることを思い知らせればいい。
 その結果の選択肢の一つがこれ。

 ぽかんと口をあけ、眉間に縦皺を刻んだ50前後の男に、アテゥールナは再度口を開く。
「聞こえなかったか? 弟子志願者だ」
 と不機嫌さを少し含ませながら言うと、男は胡散臭そうな顔でルナの顔を見、それから可笑しそうに喉で笑う。
「譲ちゃんが? わりいが此処は子供の遊び場じゃねえんだよ、帰んな」
 上がった笑いはそのままに、それでいて目に凄みを利かせながら、男は低く言葉を出す。
 普通の子供なら一目散に逃げ出すか、腰を抜かすか、泣くか。
 どれかを起しそうなほどの壮絶さではあったが、生憎、少女は外見こそ硝子人形のような愛らしさと美しさを持ち合わしているけれど、普通の子供でもなく、度胸もあったので、何も感じていないかのように平然としていた。
「遊ぶつもりなら来たりしない。アンタ、ウォルゴ・E(イマジン)・ダラスクだろ?建築業界屈指の腕前の持ち主で、ダラシアン地方から身一つでやってきて、20年でウォルゴ大工をラドスティス一と目されるほどに育て上げた実力派」
 可愛らしいだけにしか見えない子供が大人見たいな口を利きながら自分の経歴を言っていくのに、再び棟梁は驚いたように目を見開く。
「流石、大工の守り神、イマジン神を洗礼名にもらっただけのことはある。一部じゃイマジン神の化身だとも呼ばれてるんだぜ? アンタは」
 人は見かけによらない。
 どうやらこの少女は其れを地で行くタイプらしい。
「だからアンタに弟子入りしたいんだ。ラドスティス一と謳われるアンタなら下手な弟子は取らないだろう?」

(このガキ……)

 挑発されている、とウォルゴは感じた。
 言外に自分は有能だから使え、ラドスティス一とまでいわれてんだから外見だけで追い出すような器の小さい奴じゃないだろうと訴えているのだ、この子供は。
しかしそれにしても。
 変わった容姿をした少女だと思う。
 気温が高めのこの国にはまず生まれないといわれている白磁の肌、小顔に小柄な身体。
 大きな瞳は蒼とも翠ともつかぬ色で長い睫に覆われており、眉は細く目との間狭く吊り上っている。よく見ればその眦が好戦的な色を宿し爛々と輝いているようにも見受けられた。
 ちょこんとのった小さな鼻は顔のバランスにあったもので、小さいわりには高い。
 唇は小さく、薄く紅を塗ったように色づいている。そこまでみれば上級の売女とそう変わらないのに、口元に綻んでいるのは艶やかな其れではなく、挑戦的ににぃっと口の端だけ持ち上げるような、独特のものだ。
 金糸に銀の色が時折混じる、ストレートで量の多い、なのに細くてさらさらしていそうな、世の女共が羨むと思われる髪については、何を思っているのか無造作に紐で縛っているだけだ。
 服装だって動きやすさを重視したもので、ミニスカート丈ではあるがとくに色気を求めたとは思えない。
 おかしいくらい整った、見たことも無いくらい美しい容姿をもっているのに、よくよく見ればそれらを全て裏切っているのだ、目の前のこのガキは。
 そもそもこんなにわかりやすく、男気すら感じられる気性を隠そうともしていないのに其れを感じさせず、尚且つよく見なければ認識出来ないのは、外見があまりに綺麗で、愛らしいものだからだ。
 子供の頃は男女の境目が曖昧だというのに、何処からどう見ても女で、声もどう聞いても女であるからこの少女の言動も不可思議なものに感じさせる。

「……思い出した、確かてめえはおこぼれ貴族サマのとこのアテゥールナってガキだろ?『緑青のアテナ』とかいわれてる。なんでこんなとこにきてんだ?」
 こんな目立つ子供が噂にならない筈は無い。
 実際、まるで硝子人形のように愛らしく美しく、我らが主・ゴーディヴァアル神の最高傑作のような子だとも、いや魔王の加護の元生まれたのではないか、悪魔のように強いとも世間に囁かれているのは、この街の人間で知らぬものがないほど有名な話だ。(ただ、世間と隔離された王国兵士なら知らないものもいるかもしれないが)
 確か洗礼名は時空の女神、アリア神を頂いたとか、そんなことまで出回っている。
 ウォルゴは噂に頼って人を判断するのは好きじゃない。だからそれらも一蹴に帰してきたのだが。

(こりゃ悪魔ってほうがまだしっくりくるか?)

 中身と外見がこれほどにズレているのに、それを当然と感じさせる一風変わった雰囲気は悪魔の所業にも近しいと思う。
 綺麗な顔をして凶悪なのが悪魔の常だ。
 しかし同時に、やはり神の子という印象も捨てがたい。
 主神ゴーディヴァアルは光も闇も両方を背負いし、唯一の両性具有神。
 金と銀の眩き姿の我らが父、我らが母。
 そのイメージもまたしっくりくる。
 そんなことを考えていると一層高い愛らしい声が不機嫌気にウォルゴの耳に届いた。
「親父もお袋も死んだから、就職先探してんだよ」
 棟梁は思わぬ言葉に眉をひそりと顰める。
 若くして両親が亡くなったというのは、この国において別に珍しい話ではない。
 が、この目立つ子供の父母だというのにまだ噂になってない事に正直驚いた。
 確かアテゥールナの父もまた高名な人物だったと思うが。
 しかしまあ、仕方ないといわれればそれまでだ。
 この都市はこの国の首都だけあり、広く、人口も多い。
 その上、人死にや誘拐、強姦などは日常茶飯事の物事として起きている。
 明日は我が身、他人に構っていたら死ぬのは自分のほうだ。
 たった9歳の…もうすぐ10歳を迎える少女がこれほど名を馳せているほうが珍しい事柄だ。
「そいつは気の毒なことを聞いたな」
「別に気にしちゃいねぇよ」
 さらりと切り替えされた言葉の早さに何処か戸惑う。
 ペースが崩されているな、と男は思う。
 一日にこれほど驚かされたり、拍子抜けしたりするのは初めてだ。
 面白いガキだと思う。
 もうウォルゴ自身にも、この一癖も二癖もある少女への興味を崩すことは出来なかった。
「で、俺に雇われたいってか?」
 そこで棟梁は話の流れを元に戻した。
 こくんとルナは首を縦に振ることによって肯定の意を伝える。
 そのあたりの仕草だけは子供なんだなと、ウォルゴは相手は幼い子供なんだと、わかってたつもりでわかっていなかったことを再認識したように、妙な感慨を覚えた。
「ついてきな」
 くるりと背を向け、踵を返しながら男は言う。
 手には大工道具一式を握りこみ、腰巻には金槌を刺した。
「腕を見てやるよ、話はそれからだ」
 にぃっと並びの悪い黄色い歯をみせて、悪戯っ子がそのまま大きくなったような笑みをする男に、ルナは意地悪く笑み返し、後に続いた。

 * * *

 ウォルゴ・E・ダラスクの元で働く話は実に呆気なく纏まった。
 どうやら出会い頭に交わした問答こそが戦いだったらしい。
 気に入らせることに成功するということは、それだけで有利に事が運ぶということだ。
 腕を見てやると言った白いもの交じりの黒髪の男は、まずはじめに道具の使い方という基本的なことから聞いてきた。
 道具の一つ一つの使い方、タイミング、持ち方。
 実技を多少は交えてのものだ。
 アテゥールナには学が無い。
 一応、一年間の教育義務にのっとり、我が国の文字は簡単なものなら読めるし、簡単なものなら書けるのだが、詳しくは知らない。
 そもそもお勉強なんてものは性に合わないし、わからなくても何も支障がありはしない。
 本なんてわかる奴が読めばいいのだ。
 好きな奴が読めばいいのだ。
 そんな風に思っている。
 けれど、学が無いからって物を知らないわけじゃない。
 ただの思いつきでその道のベテランの棟梁に弟子入り志願したわけではないのだ。
 ――……アテゥールナは昔から、大工仕事の類が戦いの次くらいに好きな子供だった。
 絵本代わりに工具関係の分厚い本を母に読み聞かせてもらったほどのめりこんだ世界。
 何冊も読んでもらい、其れを思考の中で反目してきた事と大差ないことを質問されても淀みなく答えられる自信がルナにはあった。
 実際その通りで、とっくに暗記してることばかりが質問に出た。
 わからなかったのは一つか二つ。その程度。
 次に実技で、このラドスティス一と言われる棟梁の弟子がやっとお出まし。
 一年前に弟子入りしたという、骨格のいい大柄な赤茶色の髪をした男だった。
「ルールは簡単だ、其処にある道具をどれをどんだけ使っても構いやしねえ。3時間以内に本棚を作り上げろ。審査は俺がきちっと見てやっから安心しろ、んじゃ始め」
 やる気があるのかないのかいまいちわからない声で50前後の男は合図を送った。

 流石はイマジン神の申し子と呼ばれるだけあるな、とルナは素直に感心した。
 木材一つ見てもラドスティスで最上級のダラシアン地方産のものから、ゴミクズ同然のものまで揃っている。
 時間制限以外は一切制限はなしに本棚を一つ作る。
 技術や仕上がりだけではなく、道具の良し悪しを見極める審美眼、どんな物を組み立てるかというのを想像し、またその通りに作り上げる能力、大きさや使いやすさのバランスが取れたものが作れるのか、等など。
 それら全てをひっくるめた総合能力を見ようというのだ。
 面白い。
 喧嘩だけでなく、人と能力を競い合うことのなんと愉しいことか。
 これに落ちたら弟子入り、ひいては就職に失敗ということになるのだが、生憎アテゥールナはそんなプレッシャーなど感じるような精神の持ち主ではなくて、嬉々と目前の課題に取り組んだ。

 結果は先にも述べた様に、呆気ない合格を通知された。
 自分と赤茶毛の男が作り上げ、横に並べた課題の品を見た瞬間、棟梁はかっと目を見開き、大柄の己が弟子に怒鳴り込んだ。「なんだ、このクソみてえなのは!」とかなんとか。
 次いでルナに振り返った男は、さっきの鬼のような形相は何処へやら、非常に漢らしい豪快な笑いと共に、力加減も考えずにバンバンとルナの背中を叩いた。
「やるじゃねえか、チビガキ! 女にしとくのが勿体ねぇな、おい」
 ついでくしゃくしゃと頭を撫で回されるのには、流石に参った。悪気がないからこそ余計に。
 その後上手く話をつけて、一か月分の給料前払いと、契約金によって、37万5千TM(約15万円)を受け取った。
 どうせ借金返却の前払い金として払った後残ってる金なんて税金その他払って消耗生活必需品を買ったら2000TM(約800円)くらい残ればいいほうだ。
 食事は家の裏にある家庭菜園のものと、あとは魚でも捕まえて食えばいい。
 満足な食事は出来ないかもしれないが、一日一食でも死にはしない。
 仕事は明日の朝5時からだ。
 今は夕方4時18分。
 明日からは忙しくなる、だからその前に遣り残したことにけりをつけよう。
 少女はふっと何ともいえない笑みを浮かべると、静かに歩きなれた道に足を進めた。

 * * *

「ルナのやつ、今日もこねえのかなー、なー? どう思うよアズラ」
 ごみためのようなその場所で中心になっている少年に、明るい茶色の髪をした雀斑のよく目立つ狐目の、10歳前後の少年が話しかける。
「うっせえぞ、デル」
 アズラと呼ばれた、13〜14歳くらいの焦げ茶色の髪をした少年は、不機嫌気にデルと呼んだ先ほどの狐目の少年にデコピンを一つ食らわす。
「痛ぁ〜!」なんて情けない声など無視だ、無視。
 其れに便乗して騒いで笑いあう仲間の声も今は億劫に感じる。
 少年達は所謂孤児であり、この国の住所わけでいうならば、北の住人だった。
 大人たちから隠れるように暮らし、時には犯罪にも多少手を染めながら食いつないでいる。
 仲間同士の結束は固く、大人は信用していない子供達。
 独自の情報網をもち、昼はガラクタ市を活動の場とし、夜は北の住居で息を潜めるように雨風を凌ぐ。大人に見つかれば売られたりバラされたりする恐れがあるからだ。
 そんな自分たちだったが、『緑青のアテナ』という通り名で名高い、色んな意味で有名人のアテゥールナ・A・シューミアも仲間にカウントしているということは、多分周りの人間に奇異の目で見られる事柄だろう。
 アテゥールナ……ルナは破天荒でおよそ女らしからぬ性格の持ち主ではあるが、貴族の血を引く娘で、東の住人だ。
 身分違いもいい所だろう。しかし同時に少女自身が自分たちといることに何の疑問も抱いていないんだから仕方ないじゃないか、とも思う。
 初めて会ったのは5、6年前のこと。
 この国の気候に合わない白い肌に、見たことも無いような銀がかった金という変わった色合いの髪に、蒼とも翠ともつかぬ瞳をした、会ったことも無いような愛くるしく美しい幼い少女が、これまたやたら美人の母親に連れられてガラクタ市にきていたのを偶然見かけたのが最初。
 売春宿で働けばさぞかし儲かるんだろうな、高級娼婦として滅茶苦茶贅沢出来るだろう、いいな女は。ただ男と寝るだけで色々手に入って。
 彼女を見ながらそんな類の言葉を仲間と言い合い、笑った。
 その言葉が聞こえていたんだろう、硝子人形のような整った容姿の幼女はすっと音も無くやってきて、有無を言う前に一番身近にいた仲間を顔が腫れるほど殴った。
「だーれがからだをうるんだ!ルナはそんなことをしない!おんなだからどうした、こしぬけ」
 舌足らずな発音をするんじゃないのか、という予想に反して、言葉は幼いけれどきちんとした発音で少女はぶん殴った自分たちの仲間を足蹴にした。
 最初、なんの冗談だ、と何が起こったのかを理解できず仲間と少女を凝視した。
 おいおい相手は3、4歳のガキだぞ。しかも女。
 そんな感想を抱きながら、呆れと馬鹿らしさの混じった目でじっと倒れた仲間を見た。
「けんかをうるならかう」
 ふんぞりかえりながら、腰に手を当て、ふんっと不機嫌気に小さく紅い唇を反らして、眉間に不機嫌の象徴のような縦皺を刻んで少女は気強く言い放った。
 というかその外見でその中身は反則だろう。生意気にも程がある。
 見事、頭に血が上った俺たちは3対1(1人はもうのされているし)だとか、相手は女であるとか、小さい子供だとかいうことを綺麗に思考の彼方に置き去りにして襲い掛かった。
 が、結果は俺たちもあいつも両方の顔に蒼痣だらけで、決着はつかずというなんとも情けないもの。
 なんであんなチビガキがあんな幼いのに、女なのに強いんだとかそんな理不尽さも感じたりして。
「いいかげん、まけみとめろ」と更に可愛い声に不釣りあいの気の強さを垣間見せていたあたり、喧嘩は引き分けだったが精神的に俺たちの負けだったのかもしれない。いや、認めたくないけど。
 と、そんなタイミングでどこかに行っていたらしいあいつの母親が困ったように笑いながら姿を見せ、にっこりと俺たちに向かって綺麗に笑んだ。
 正直あんなキレイな人にそんな風に笑いかけられたことなんてなかった俺たちはボッと、火が出るんじゃないかと思うほど顔を紅くした。
 この少女も変わっていれば母親もまた変わっている。
 洗練された身のこなしと、上品さ漂うその雰囲気から上級出身者であるということは一目で分かるのに、俺たちみたいな下層の住人を見下すような色は一切見当たらない。
 その上、己が娘が年上の少年と喧嘩になったというのに、娘を咎める素振りも無い。
 普通「女の子が喧嘩なんかするもんじゃありません」とか、「あんな野蛮なのに関っちゃ駄目よ」とかいうもんじゃないのか?
 見たことの無い反応で戸惑う。
 穏やかに見えるけど、もしかしたら見た目ほど穏やかな気性じゃないのかもしれないと、そう結論付けた。
 その場は一旦其れで収まったが、顔を付き合わせるたびに喧嘩をした。
けれど子供ってのは不思議なもので……(今も子供だけど)喧嘩するたびになんか仲良くなっていって、つるんで、一緒に馬鹿やって、笑って。
 そしてもう十日ほどルナとは会っていない。
 先にも述べたように独自の情報網を、自分は持っている。
 だからアテゥールナの両親が死亡したというその事実も知っていた。
 いい人たちだった。
 自分たちを身分で見て蔑んだりしない、そんな変わった人たち。
 別れは名残惜しいと思えるくらいには、内心慕っていた。
 けれど。

(お前はどうすんだよ、アテゥールナ)

 両親が死んだ、その事実に泣き崩れて悲しみにくれるのか。
 ルナが二人を本当に慕っていたからこそ、その死にどんな反応をしたのか想像に難しい。
大体、単純そうで分かりやすいように見えるのに、気難しく出来ているのだ、アテゥールナという少女は。
 何を考えているのかなんて長年の付き合いのあるアズラにも見当はつかなかった。
 でもまあ、自分の予想を裏切るような行動を取る可能性が一番高いんだが。

「よぉ、なーに湿気たツラしてんだよ」
「………アテゥー……ルナ!?」
 今まで思考を廻らしていた相手が、気配も無く突如目前に姿を現し、アズラは驚きの勢いのままがばりと身を起こす。
「おま、いきなり気配消して現れんなよ!」
 驚きのまま声を上げたのが恥ずかしいのか、タコみたいに顔を紅くして言葉乱暴に少年はまくし立てる。
 その様子にくつくつと心底楽しそうに、人の悪い笑みを少女は見せる。
「気付かねえほうがわりいんだよ」

(ほらやっぱりだ)
 アズラは心中で毒づく。やっぱり自分の予想を裏切って、泣きもしなければ悲しみにもくれず、いつもどおりの態度の彼女がそこにいた。
 思わず安直の息を吐く。後でこのときの自分の行動を取り消したいなどと考えるようになるとは、想像もせずに。
 そんな感情を持ったまま、彼はふっと思い出したように顔を上げ、そして笑っていた少女の表情が、雰囲気が変わるのを感じ取って……顔を強張らせた。
 彼女が口を開く。その様子がスローモーションのように、少年には見えた。
「それよりさ」と切り出した言葉を区切って「何処か二人で話せるところにいかねえ?」とちらりと意味有り気な視線を一つよこしながら、ルナは続けた。
 その目の様子に、アズラは何か真剣な話があるのだと悟り、固まった頬の筋肉が僅かだけ緩んだ。
「何、ルナ内緒話?」
 狐目のデルが自分とルナを交互に見つつ、彼女に会えた嬉しさゆえか言葉楽しげに聞いてくる。
「ああ、大事な話だ」
 反してルナは淡々と告げる。
 少女の態度や口調に違和感が募った。
「アズラ、ルナに手ぇ出すなよー、出したら殺す!」
「いや、無理だろ、相手はアテゥールナだぜ? 押し倒したところでのされんのがオチだって」
「というかこの流れってさ、ルナがアズラに告白すんじゃねえの?」
「ええ!? そんなぁ」
 後ろのほうでがやがやと聞こえる声は、ルナが平素と違うことに気付いているのは自分だけなんだということを如実に知らしめていた。
「うるせえぞ、てめえら、黙ってろ。ルナ、こっちだ」
 ぎんっと凄みを利かせながら睨むと、今まで騒いでいた奴の口もぴたりと止まる。
 その事に便乗して焦げ茶頭の少年は彼女のリクエストに応えるべく、歩き出す。
 もう先ほどの強張りは取れていた。その代わり緊張からの汗がアズラの成長途中の未熟な背に伝った。
「すまねえな、色々」
 後ろのほうでぽつりと独り言のように呟かれた少女の言葉は、敢えて聞かないフリをした。



「なあ、聞かねえのか?」
 何を、とは言わない。
 少しでもこの時を長引かせたくて、アズラはわざとゆっくり歩く。
 その態度に焦れた様にアテゥールナは小さく舌打ちをした。
 そして一つ深呼吸をすると、振り向かない少年にも構わず少女は凛と声を張り言葉を継げる。
「俺、就職決まったんだ」
 ピタリとアズラの足が止まる。
 汚れて黒い裸足が震えてくるのが嫌でも分かった。
「おめでとう」とか「よかったな」とか「そうか」とか言うべき言葉はいくらでもあるだろうに、ただ喉が戦慄いて声が出なかった。
「ウォルゴ・E(イマジン)・ダラスク知ってんだろ? あいつントコでな」
「……いつからだ?」
 ようやく絞り出した声は驚くほど低い。
 ルナもまた少年への違和感を敢えて無視して淡々と続ける。
「明日」
 頭を金槌で殴られたような衝撃というのはこういうのをいうんだろうな、とアズラは人事のように考えた。
「だから、さ」
 聞きたくないと、耳を塞ぎたいと、少年は唇を噛み締めながら思った。
「さよならだ」
 綺麗に言い放たれた言葉に、彼はぐっと唇を噛んで凌いだ。

 人生なんて別れがたくさんあって、それは出会い以上に別れが多くて、死に別れもあるけど、他の離別もあって。
 単純な言葉に見えるけど、その淀みの無い声に決意が伺えて、目の前が暗くなる。
 堪らず、振り返った。
 感情の読めない、相変わらず硝子人形みたいな綺麗な顔で、少女はただ立っていた。
「今更だが楽しかったよ」
 そんな過去形で言わないでほしい。
 遠く懐かしいものをみるような眼差しで、常は蒼とも翠ともつかぬ瞳が強く翠色を帯びていて、綺麗だけど見たくないと思った。
「……なんでだよ」
 声変わりを済ましたばかりの声が掠れる。
 責めているとも、やり場の無い怒りを携えているとも受け取れる声色で少年は年下の少女を糾弾する。
「なんで、そんな風に言うんだよ! ふざけんなよ、てめえ」
 勢いのまま彼女の胸元を掴み上げても、ルナは避けようともせず、真っ直ぐな視線を彼に寄越す。
 強い決意の見とれる瞳だった。
「俺は今借金を抱え込んでるんだよ、返済するためにゃ働かねえといけねえだろ」
 そういうことじゃねえだろ、そういうことを俺が言いたいんじゃねえってことくらいわかってんだろ。ぐっと喉まで言葉が競り上がった。けれどそれは言葉にならなくて。このまま沸騰するんじゃないかって思うほど、熱い感情が込みあがった。
「俺は、俺たちはお前にとってなんなんだよ!!」
 ぐっとルナの首もとの服を握り締め、怒声と共に目線の高さを合わせる。
 何十センチにも及ぶ身長差で、少女の身体が浮き上がる。
 服一枚で身体を支えているのだ、苦しいだろう、なのにそんな素振りも無く少女は感情の篭らない笑みを口元に浮かべていた。
 彼女の態度に余計に苛立ちが募り、アズラは泣きそうな顔で怒りを顕にした。
「てめえ、ふざけんなよ! ふざけてんじゃねえよっ! 女だったらなんでも許されるとでも思ってんのかよ! 俺たちなんかどうでもいいのかよ、捨ててくのかよ、答えろよ、アテゥールナ!」
 少女の紅い唇が動いた。
「男だとか、女だとかそういうくだんねえもんで線引いてんのは、俺じゃなくてお前らだろ?」
 ふっと自嘲するような眼差しと口元に、少年はあっと目を見開く。
 諦めたような、諭したような、歳に似合わぬ表情はまるで。

(まるで、達観した大人みてぇな顔すんじゃねえよ)

 もうすぐ10歳といっても、まだ9歳だろう?俺より5歳も年下なんだろう?俺がお前の歳のときはもっと子供染みていたのに。
 なんでそんな生き急ぐ? 俺たちとの決別によってお前は、子供時代に終わりを告げるつもりか。
 アズラは目を細めて、再び唇を噛み締める。
 錆びた鉄のような味がした。
 止め処なく溢れる感情と共に水分も、熱い眦に集まってくるのを、焦げ茶頭の少年は感じた。
「なんで1人で解決しようとすんだよ」
「これが俺の問題だからだ」
 きっぱりと、ルナは言い放った。
「馬鹿野郎!」
 アズラは縋りつくように少女の華奢な……けれど見た目に反して骨っぽく、柔らかさの欠けた小さく細い身体をかき抱いた。
 つんっと鼻の奥に、他では嗅いだ事のない良い匂いが届くのが、余計に遣る瀬無かった。
「お前は女なんだよ」
 鼻水が、目の奥から溢れる苦い水滴と共に溢れるのを感じながら、知らず震える声で彼は続ける。
「知っている」
 いつもなら誰かに抱きつかれると殴って追い払っていたのに、ルナは何も聞く必要はないとばかりに、ただ抱擁を黙って受け入れていた。
 
「女ってのは、喧嘩が強いとか関係ねえんだよ、誰かに護ってもらうもんなんだよ」
 嗚咽が始ったのを他人事のようにアズラは感じながら、それでも言葉を模索し、続けた。
 自身の、持ってる言葉の少なさが、恨めしかった。
「護らせろよ、護り……たいんだよ」
 ぶわっと涙も鼻水も見っとも無く流れる。
 抱いたまま、少年は倒れるように膝を落とし、更に強く少女を抱いた。
 顔に当たる銀がかった金の髪は細くて、さらさらとしていた。
「助け、たいんだよ、お前を。力に、なりたいんだよ。親の遺した逆遺産なんて、お前の責任じゃねえだろ」
 少女は何も言わない、その表情も彼には見えない。
 ただ、すっぽりと自分の腕の中に納まる彼女の小ささに、今更ながらどうしてこんな少女があんなに強いのか不思議にも思った。
 この街じゃ、これくらい強い女のほうが良い。
 でなければ生きていけないから、色んな意味で。
 だから別に気にしないようにしていたけれど、それでも何度も思った言葉を、哀願するように少女にかける。
「護らせろよ……なぁ」
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、少年は尚少女を離さなかった。



「………悪ぃ……」
 そっと左手をアズラの肩に置き、ルナはぽつりと言葉を漏らした。
「悪ぃ、俺今まで気付かなかった」
 幼い子供のように泣きじゃくりながら、少年はおそらく、其れが「護りたい」ということについてではないと何処か漠然とした頭で思った。
「お前が俺をそういう目で見てたなんて気付かなかった、すまねえ」
 右手でわしわしと、アズラの固く短い髪を撫で回しながら、ルナは続ける。

 ――……謝ってんじゃねえよ。そんな言葉が、聞きたいわけじゃないんだ――。

「お前、俺のこと好きだったんだな」
 疑問系ではなく、断定系で少年の己への感情を告発し、少女はそっと手を離した。
「でも、さよならだ」
 ひらりと、アズラの腕の中から抜け出すと、ルナは一度強い目で彼を見据え、後はもう振り返ることもせずにその場を立ち去る。
 凛と張った小さい背は、もう話しかけることを拒絶しているかのようで。
「ぅ、ぁあああああー!!!」
 少年は感情のままに声を張り上げ、むせび泣いた。

 * * *

「ねえ、シャリャ」
 金色の髪をした幼い少女が50前後の女の名を呼び、椅子にぶら下がった足を小さく揺らす。
 其れを見ながら、シャリャといわれた妙齢の女は、「なんですか?」と酷く穏やかな口調で言った。
「花、咲いてきたね。もうすぐ春がくるみたいよ」
「ええ、そのようですね」
 言いながら彼女も窓の外を覗き込む。
 確かに一厘、早咲きの花がそこにはあった。
「姉さんのいる国はきっともうあったかいんだろうな」
「そうですね」
 あの国は気温が此処より高いですから、そう呟くような声色で続けながら、女はお茶の用意をした。
「どうぞ」
「ありがとう」
 育ての親に差し出されたカップを受け取り、一口啜る。
 熱く濃い目に淹れられたお茶が文句なしに美味かった。
「あのね」
「はい」
 打てば鳴り響くようなテンポの会話が楽しいのか、はたまた別のことで楽しいのかわからないけれど、とにかくそんな表情で少女は続けた。
「10歳になったら、会いに行こうと思うんだ」
 シャリャは一瞬目を見開き、続いて諦めるようなため息をそっとこぼした。
 そんな女の様子を気にするでもなく、幼い少女は続けた。
「これもあるしね」
 と、言いながら少女は自分の額を指で示す。
 そこには丸く蒼紫色の石が一つ、綺麗に嵌っていた。
 父と母が事故に遭ったときに、父から受け継いだ、モノ。
「ミリュラ」
 女は幼女の名を呼ぶ。
 金の髪に蒼とも翠とも付かぬ眼の色をした、美貌溢れる愛らしい少女。
 ミリュラ・S・シューミア。
 ラドスティスで名高き緑青のアテナの妹だった。
 此処にもう一つの逆遺産があることをアテゥールナは知らない。

2006/01/29(Sun)23:27:15 公開 / EKAWARI
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■この作品の著作権はEKAWARIさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 こんにちは、EKAWARIです。続編アップしました。
 とりあえず今回の三話は一緒に入れましたが、四話は新規投稿しようと思っています。理由は簡単。三話で一つの区切りついてるってことと、第一章は八話まである予定ですが、一話と二話が短かったけれど他のは三話なみに長い予定なんで、あんま長いものを一つの奴にいれてると読んでるほうも疲れそうだと思ったからです。いやまあ、確かにある程度は纏まった長さあるほうがいいとは思うが、長すぎるのは、しんどいし。というわけで四話の時も六話までいれて新規…の予定です。
というか、第一章だけで200Pは軽く越えると思うんですけど、四章構成で一章はほんっとうに起承転結の「起」だけしかないのになんでこんな長いのか自分で少し謎です。
 今回の話ではルナさんがアズラに対して謝ったのに驚きました。(いや、自分で書いたんだけど)
いや、あらすじ(プロット)のほうではルナさん捻くれ全開でアズラを精神的ぼろぼろにする予定だったのに、まさか謝るとは……以外と優しかったんだな、ルナさん。まあ、ルナさんは作中のアズラの台詞にもあるけど、単純そうで複雑な方だから仕方ないっちゃ仕方ないですがね。
 この小説は自HPに載せたのと同じ作品を自分で見直して、変だなってところを出来るだけ書き直した代物ですが、アドバイスや悪いところの指摘等ございましたら、少々きついくらいで構いませんので宜しくお願い致しします。(ただし、わざとやった設定や伏線に関ることについては書き直せませんのでご了承ください)
 それと、これはダークファンタジーの上バトル中心ものですので流血シーンが多くなるかもしれないことを言っておきます。あと恋愛シーンは片恋くらいでほぼ皆無です。また男尊女卑の世界観の上、夢も救いもほとんどないです。女襲われるのが日常茶飯事の世界ですが、軽く流せる程度のキスシーン以上の過激性的描写は出てきませんので、その点は保障いたします。(セクハラ発言はあると思いますけど)
 また、時間の関係上、アドバイスをもらってもすぐには返信できませんし、書き直せないと思いますので、行動が遅くなることを先に詫びておきます。(ただし、時間はかかりますが、一気に纏めてかも知れないけどきちんと返信は返しますし、書き直します)
 四話以降はストックないため執筆遅いと思いますが何卒よろしくお願いします。それでは。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。