『我が日記』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:時貞                

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    一月九日――

 今日から僕は、日記をつけることにしました。
 はじめまして! 僕の日記帳さん。
 えーと、何から書き始めればいいのかな? 日記なんだから、今日あったことならなんでもいいか。そうだ、この日記帳を手に入れたときのことを書いておこう。
 今日僕はおこづかいを持って、馴染みの画材屋さんに行きました。僕はとっても絵を描くことが好きなのです。僕の描いた絵を、みんなが誉めてくれます。友達も、大好きな幼馴染のアリサも、先生も、他の大人の人たちもみんなです。……ただ、あいつらだけを除いては……。
 あれ? なんだか話がずれちゃったな。そうそう、僕は今日馴染みの画材屋さんに行ったのです。目的は、新しい絵筆とスケッチブックを買うためでした。
 画材屋さんに入ると、店のおじさんがいつものように丸椅子に座って新聞を読んでいました。 僕が入ってきたことに気付くと、「よぉアっちゃん、こんにちは。今日は何をお探しだい?」と、新聞から目をあげて声をかけてきました。僕はこのおじさんが大好きです。顔も身体もまんまるで、いつもニコニコ笑っている優しいおじさんだからです。それに、僕の絵をいっつも誉めてくれます。
「新しい絵筆が欲しいんだ。それと、スケッチブックもね」
 僕はそう言いながら、陳列棚に並べられた絵筆を一本一本手にとって、どれが一番良いか選びはじめました。同じように見えても、絵筆は一本一本それぞれに違いがあるのです。
 じっくり選んでいた僕の横で、おじさんが何やら箱から取り出して棚に並べ始めました。何気なくおじさんが並べている物に目を向けると、僕の視線に気付いたおじさんがニッコリと笑って、「新しく仕入れた商品だよ」と言いました。「アっちゃんは日記をつけているかい?」と、おじさんは笑顔で聞いてきます。「日記? ううん、つけてないよ」と僕がこたえると、「日記をつけることはとても良いことだよ。あとで色々と役に立つこともあるしね。じゃあ、いつも買い物をしてくれるお礼に、これはおじさんからアっちゃんへのプレゼントだ」――おじさんはそう言って、茶色い革表紙の日記帳を差し出しました。
 おじさんからもらった日記帳。それが今、僕が書いているこの日記帳です。何日続くかはわからないけど、頑張って書きつづけます!
 それにしても、あの店のおじさんは本当に良い人です。それにくらべて、あのクソバカどもときたら……。あいつらのことは、明日書くことにします。今日はもう疲れました。
 おやすみなさい。


    一月十日――

 今日はあいつらのことを書きます。
 ハッキリ言って、あいつらのことを思い出すだけで胸がムカムカして気分が悪くなるんだけど、思い切って洗いざらいこの日記に書いてしまいます。
 あいつらはバカです。大バカです。ゲロゲロのウンコです。いっつも僕にイジワルばかりしてきます。僕は今まで、あいつらに何百回イジワルされたかわかりません。何千回からかわれたか、何万回叩かれたりしたかわかりません。僕がようやく描きあげた絵を、目の前でビリビリに破かれたこともあります。あのときは、本気であいつらを殺してやりたいと思ったッ!
 あいつらが何故僕のことを苛めるのか、さっぱり見当がつきません。
 僕の背が小さくて貧弱だから? 額が広くて、顔がちょっとアンバランスだから? いや、僕よりも背が小さくて僕より可笑しな顔をしているのに、まったくあいつらに苛められない子だって何人もいます。きっとあいつらには、理由なんて何もないのでしょう。ただ単に、誰かを自分たちより下だと勝手に決め付けて、苛めの標的にしているだけなのでしょう。そして、たまたま僕がその標的に選ばれてしまった……そういうことなのでしょう。気付いたら何故か僕が苛められていたように、あいつらも気付いたらこの僕を苛めていた――僕にしてみれば、まったくもって最悪です。
 今日もあいつらにイジワルをされました。
 買ったばかりのスケッチブックは、半分が引きちぎられてしまいました。取り返そうとして飛び掛ったら、思いっきりゲンコで殴られました。僕の右のほっぺは、今もじんじん熱くて赤紫色に腫れています。
 あいつらにはもちろん、何も出来なかった僕自身にも腹が立ってきます。
 チクショー! チクショー! チクショー! チクショー! チックショーッ!
 僕はいつも、あいつらがみんなこの世からいなくなってしまえば良いと思います。いつかあいつらに絶対復讐してやるぞッ!
 なんだか腹が立ちすぎて、お腹がペコペコになってしまいました。今日はここまでにします。


    一月十一日――

 今日は良いことがまったくありませんでした。
 ただただいつものように、あいつらにイジワルをされました。だからあまり日記を書く気がおきません。
 おやすみなさい。


    一月十二日――

 また今日も、あいつらにイジワルをされました。
 今日は本当に酷かったです。僕がスケッチしていた小川の絵を取り上げられ、くしゃくしゃに丸めて川面に放り投げられました。そして背中を小突かれまわされたあげく、冷たい小川に突き落とされました。頭から水浸しになった僕を見て、ゲラゲラ笑っていたあいつらの大バカづらが頭から離れません。
 ああ、身体が冷え切ったせいか、なんだか熱っぽくなってきました。頭がボーっとして目の前がフラフラします。
 ……だめだ。今日はもうこれで。


    一月十六日――

 久々に日記を書きます。
 あれから僕は、高い熱が出て三日間寝込んでしまったのです。本当に苦しくて、全身がブルブルと震えて、このまま死んでしまうんじゃないかと思いました。ああ、生きてて良かった! でも、あいつらにまたイジワルされるんだったら、あのままいっそ死んでしまったほうが良かったのかもしれません。
 いや、こんなこと考えたらダメだ! 死ぬ前に僕は、あいつらに絶対復讐してやらねばッ!
 ――寝込んでいるあいだに、とっても不思議な夢をみました。
 あの夢はいったいなんだったのでしょうか? 僕がとっても不思議な国にいるのです。そして多くの人たちが、本当に見渡す限りの多くの人たちが、僕を取り囲むようにして大きな声を張り上げていました。不思議な服を着た人々が何万人、いや、何十万人というくらい大勢集まっていて、大声を張り上げて僕の名前を叫んでいるのです。僕も人々に向かって、大声を張り上げて何かを叫んでいました。でも、何を言っていたのかはまったくわかりませんでした。
 不思議な乗り物が走っていました。
 不思議な飛行機が、不思議なマークをつけて大空を飛んでいました。もの凄いスピードと爆音です!
 僕の両隣に二人の男の人がいました。とても偉そうな格好をして、ピカピカに光るブーツを履いていました。二人ともとても怖そうな顔をしているのですが、どうやら僕の方が偉いようでした。しきりに作り笑いを浮かべているのがわかります。
 僕はその夢の中の世界では、一番偉い存在なのです。ああ、これだけ偉くなれば、憎きあいつらを死刑にしてやることだって出来るのに……そう感じたのを覚えています。
 ――本当に不思議な夢でした。
 ああ、久々に字を書くと疲れます。今日のところはこのへんで。


    一月十七日――

 熱が下がったばかりで身体がフラフラしているのに、またあいつらに捕まって苛められました。この前買った絵筆は、真っ二つに折られてもう使い物になりません。
 もう、いやです。


    一月十八日――

 今日もあいつらに苛められました。


    一月十九日――

 また苛められました。


    一月二十日――

 苛められました。


    一月二十二日――

 今日もやられた。


    一月二十三日――

 嫌なことばかりを書かなくてはならない。
 もう日記を書くのはこれでやめにする。


      *


    九月二十日――

 この日記帳に最後の記述をしてから、実に四年半以上の歳月が流れた。
 今日はここに、この象徴的な日記帳に、僕の大いなる決意を書き記したいと思う。
 その前に、今日の出来事を簡単に書いておこう。
 僕は今日、今度の選考会に出品するための絵の最後の仕上げにかかっていた。選考会のテーマは人物像である。僕は出品作のモデルに、去年病気で亡くなった幼馴染のアリサを選んでいた。
 アリサは僕の初恋の相手だった。ずっとずっと大好きで、大人になったら結婚したいとさえ思っていた。
 ――そのアリサの突然の死。僕は身体中が干乾びてしまうのではないかと思うほど、毎日毎日悲観の涙に明け暮れたものだった。今でもアリサは、僕の心の中にいる。実物のアリサを目の前にしなくとも、その姿をありありとキャンバスに描き出すことができる。
 僕はこれまでにないほど、自分の情熱をすべて注ぎ込んでアリサの肖像を描いたのだった。
 作品は九十パーセント以上仕上がっていた。あとは最後の手入れをするだけという段階で僕は猛烈な眠気を覚え、迂闊にもアトリエとして使っていた離れ小屋の鍵を掛け忘れたまま、寝室で午睡をとってしまったのである。
 嫌な胸騒ぎを覚えて目を覚ました。
 僕はとっさにベッドから飛び起きると、何か得体の知れない衝動に突き動かされてアトリエへと向かった。背筋から冷たい汗が流れる。
 木製のドアを大きく開け放ち、アトリエの内部に一歩踏み込んだ――その途端、僕の全身から力が抜け、その場にがくんと膝からくず折れてしまった。目を大きく見開き、一点を凝視する。
 ――アリサの肖像画が、何か鋭利な刃物のようなものでズタズタに切り裂かれていた。
 僕は夢遊病者のようにフラフラと立ち上がり、傷付けられたアリサの肖像画に向かってよろよろと歩いていった。つま先に何かが当たり、床板の上を滑っていく。それは刃を折りたたんだ小型のナイフであった。
 それを目にした瞬間、僕の喉の奥から獣のような咆哮が迸りでた。
 そのナイフには見覚えがあったのだ。そして、その持ち主があのハンスであることも。
 ハンスも画家志望の男であった。僕と同じように画家としての勉強を積むため、このウィーンに住んでいる。しかし、僕の目から見ても彼にはまったく絵の才能がなかった。いつも僕のことをを妬み、隙あらば執拗な嫌がらせや創作の邪魔をしてくるような男――それがハンスだった。
 僕の心の中に、青白い炎がメラメラと燃え上がっていった……。

 僕はここに決意する。
 昔、僕にさんざん惨めで屈辱的な思いをさせた《あいつら》、そして、僕の情熱の結晶とも言えるアリサの肖像画をズタズタに切り裂いたハンス、将来奴らに必ず復讐してやるということを。
 僕は奴らを憎む! 奴らだけではなく、奴らと同じ民族すべての人間を憎む! 
 僕は今後の一生をすべて、奴ら――ユダヤ人たちへの復讐に捧げる。

                                    一九〇五年九月二十日 アドルフ・ヒットラー



       ――了――

2006/01/10(Tue)19:57:33 公開 / 時貞
■この作品の著作権は時貞さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
お読みくださりまして誠にありがとうございました。
連載再開前のリハビリ第2段です。今回はショートX2であるということを強く意識して書いてみたつもりなのですが、いかがでしたでしょうか?(汗)
昨年末から、何かと忙しい日々が続いております(泣)時間があるときにじっくりと腰を据えて、皆様の作品を拝読させていただこうと思っております。
なんでも、一言でも結構ですので、ご感想などいただけたら飛び上がって喜びます!
それではッ。

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