『鴉――レイト』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:時貞                

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 舞う、舞う、鴉が舞う。
 この汚れきった街の空を、更に真っ黒に染め上げる。
 様々な欲望が渦巻き、多くの人々の心と身体とを飲み込んでは肥大していく日本最大の歓楽街――新宿、歌舞伎町――。
 快楽の街、狂乱の街、犯罪の街、喧騒の街、孤独な街、そして、欲望に満ちた街――。

 午前六時半――俺はようやく明けはじめた空を仰ぎ見た。
 漆黒から濃い紫色へと変わりゆく空を、薄雲が北風に煽られて流れていく。そしてその中を飛び交う、無数の鴉の群れ。鴉たちは舞い降りる。そして、毎夜欲望の街が垂れ流す糞尿――飲食店が店先に積み上げるゴミ袋――を啄ばみ、残飯を漁り、そしてまた飛び去っていく。凄まじい羽音と高らかな鳴き声を上げ、まるでこの街を嘲笑っているかのように羽ばたく。そして、この俺を挑発しているかのように羽ばたく。
 俺は時々感じる。
 この欲望にまみれた街で唯一絶対な強者と言えば、あの鴉たちなのではないか、と。
 俺はこの歌舞伎町で路上生活を続けている。いわゆるホームレスというヤツだ。現在の都知事が施行した傍迷惑な改革により、一時的にこの歌舞伎町も随分住み難い街となってしまった。寝床を奪われたホームレス仲間は、方々へと散っていった者も多い。それでもまた、新たな路上生活者たちがこの街を求めてふらふらと集まってくる。まるで常夜灯に集まる羽虫のようだ。一度姿を消してから、数ヶ月もしないうちに舞い戻ってくる者だって少なくない。
 この欲望の街が、この魔境のような街が、俺たち路上生活者を惹き付けて放さない魔力のようなものを持っているのであろう。俺は以前、この街に渡りつく前にも色々な場所で路上生活を行なっていた。渋谷、上野、池袋、吉祥寺――しかしここ、歌舞伎町ほど惹き付けられた街は他に無い。そしてこの歌舞伎町ほど、鴉の群れの多い繁華街は無い。
 考えてみれば、俺もあの鴉たちのようなものだ。残飯を漁り、ボロボロに黒ずんだ衣服を纏い、一般の人々から疎まれる存在。嫌われる存在。俺は群れて存在しない、一羽だけの鴉だ。
 
 毎朝現われる鴉の群れの中に、俺のことを強く意識している一羽の鴉がいる。
 最初は俺の錯覚かと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。もともとは俺自身の方が、その鴉のことを強く意識して眺めていた。そいつは恐らく、群れの中のリーダー格だったのだろう。他の鴉たちとは明らかに違った。仲間たちが残飯を啄ばんでいるあいだも、常に周囲に目を配っている。そして、一番最後に仲間たちに囲まれるようにして、残飯を口にするのだった。何か危険を察知したときには、そいつがいつも先陣を切って飛び立つ。すると仲間たちは、いっせいに後に続いて飛び去っていくのだった。仲間を引き連れ舞い降りてくるその姿には、一種の威厳にも似た風格が備わっている。
 そいつが俺の目を、強く意識しているのだった。
 今日もいつものごとく、仲間たちが残飯を漁っている間中、五メートルほど離れたコンクリートの上に座り込んだ俺の目をじっと見つめている。
 そいつの目から感じるもの――、それは憐れみでもなく、嘲りでもなく、ましてや畏怖の念といった類のものでもなかった。それは、俺の主観から察するに一種の同胞意識のようなものででもあろうか。同胞意識――もしかしたらこいつは、俺のことを異形の鴉だとでも思っているのだろうか? 確かに俺は、人間よりもこいつら鴉に近い存在なのかもしれない。そう考えると何だか滑稽だった。そして不思議なことに、ちょっとした嬉しさのようなものも感じてしまった。
 俺はそいつに微笑み掛けた。そして、ポケットの中から形のくずれたクラッカーの破片を放り投げた。
 そいつも俺に微笑み返した――ような気がした。だがしかし、そいつは俺の放ったクラッカーには目もくれず、くるりと背を向けると残飯を漁り終えた仲間のもとへと戻っていった。思わず俺は微苦笑を浮かべる。クラッカーの破片に気付いた別の鴉が、一瞬で飛び寄りそれをさらっていった。

      *

 夜の街に、どこからともなく集まってくる鴉の群れ。
 早朝に現われる鴉たちとは、まるっきり姿かたちも性質も違う夜の鴉たち。
 長く、軽いウェーブの掛かった毛髪を茶色や黄色に染め、タイトな、皺ひとつ無い三つ釦のブラックスーツにその身を包んでいる。そして、格下の鴉たちは夜の街を歩く女性たちに声を掛けまくるのだ。
 歌舞伎町の夜の鴉――ホストたちは、この欲望の街のひとつの顔と言ってもいいだろう。彼らは残飯の代わりに女性客たちの現金を啄ばみ、クレジットカードを啄ばみ、そして、女性客たちの心と身体を啄ばんでいるように思いながら、実は自分自身の心と身体とを啄ばんでいるのだ。
 同じ水商売でも、男性客を相手にするキャバクラなどに比べ、ホストクラブの開店時間は遅い。ホストクラブの経営者にとっては、キャバクラのコンパニオンや風俗嬢なども重要な顧客であるからだ。店が閉店した後に男性客から搾り取った金を握り、今度は自分が客となってホストクラブに脚を運ぶ夜の蝶たち。
 夜の鴉と、夜の蝶との宴の始まりだ。
 俺にはまるで縁の無い世界。まるで興味も無い世界。こんな世界と関係を待ちたいなどとは爪の先ほども思わないが、この巨大な欲望の街は何を仕掛けてくるかわからない。

      *

 夜の鴉と、朝の鴉との活動時間が重なるときがある。
 ホストクラブは開店時間が遅い代わりに、閉店時間もまた遅い。中には客が居つづける限り、サラリーマンたちが通勤してくるような時間帯まで営業をつづける店もある。そして、会計を済ませた客を見送りに出てくる夜の鴉たちは、その脆弱な姿を白日の下に曝け出すこととなる。

 俺はその日、早朝からホームレス仲間の一人と残飯を漁っていた。
 店員の目を盗んでコンビニ前のゴミ箱を漁る。中華料理屋のシャッターの前に積まれたゴミ袋を漁る。スナックや居酒屋の出したゴミ袋を漁る。漁る、漁る、漁る。
 収穫した残飯を、あらかじめ用意しておいたビニール袋――これもゴミ箱から拾い出したものだ――に詰めれるだけ詰め込む。入りきらない物やすぐに食らいつきたい物などは、擦り切れかけたズボンのポケットの中にそのまま突っ込む。
 黙々と手慣れた作業を繰り返していたとき、突然背後から素っ頓狂な声があがった。俺と仲間のホームレスは、ほとんど同時に振り返る。
 そこには一人の厚化粧をした女性と、四人の夜の鴉たち――ホストたちがにやけた笑いを口元に浮かべながら立っていた。おそらく閉店後、客として店に来ていた厚化粧の女性に引き連れて来られたのであろう。珍しいことではない。店外でのサービスも、ホストの営業のひとつだ。
「こいつらいつ見てもきたねえなぁッ。ああ、くせえ、くせえッ」
 相当店で飲まされたのか、そのホストの顔は真っ赤に上気し、口からはアルコール臭がムンムンと漂っていた。余程店でストレスの溜まることでもあったのだろう。通常この街のホストたちは、俺たちのようなホームレスに遭遇しても、このようにあからさまな言葉はそうそう吐かない。ざっと見たところ、その厚化粧の女性も含め、その場の全員が相当に酔っているようだった。
 俺たちは彼らの視線を無視し、踵を返すと再び残飯漁りをつづけた。そんな俺たちの素っ気ない態度が気に入らなかったのか、先ほど声をあげたホストの男が更にからかうような言葉を投げてきた。
「おい、お前らよぉ。そんなに物に困ってるんだったら、こいつをくれてやるよ」
 そう言って、スーツの内ポケットからマルボロの箱を取り出した。まだ封を切っていない、新品のボックスのようだった。そしてホストはおもむろに、マルボロのボックスを放り投げる。
 俺の仲間のホームレスが、マルボロの落ちた路面に思わず飛びついた。ホームレスにとっては当然水や食べ物が第一優先であり、アルコールや煙草などの嗜好品はまさに贅沢品である。ましてや煙草など、落ちているシケモクを拾って吸うのが常識だ。仲間が衝動的に、新品のマルボロに飛びついたのも無理はない。
「――いッ、いててててぇッ――」
 マルボロの箱に手を伸ばした仲間のホームレスが、うめくように苦痛の声をあげた。
 見ると、マルボロを放り投げたホストが、仲間の手のひらを革靴の底で踏みつけている。
「はっはっは、残念、残念、もう少しで取れたのに」
 そう言って、踏みつける足に更なる力を込めたようであった。俺の仲間は、一際高い苦痛の声をあげる。それを聞いて、他のホスト連中や厚化粧の女も笑い声をあげはじめた。
 もはや無視してはいられなかった。
 この街で路上生活を送る、ホームレス同士の暗黙の了解――それは、お互いに何があっても干渉し合わない。へたな同情をしない――というものがある。ただでさえトラブルの絶えない歌舞伎町だ。自分が生き延びるためには、たとえ気の合う仲間に起こったことであれ、トラブルには絶対に首を突っ込まない――それが鉄則なのである。
 しかしこのときの俺は、そんな鉄則など忘れていた。別に仲間に対して同情心を起こしたわけではない。自分でもよくわからない、衝動的な感情が俺を突き動かしていた。
 俺は仲間の手を踏みつけているホストの胸倉を掴むと、へらへらした横っ面に強烈な拳を叩き込んだ。栄養状態は最低だが、昔から身体は大きく腕っぷしも強かった。それなりに修羅場もくぐってきたこの俺だ。ホストはいとも簡単に、まるで映画のワンシーンのように後ろに大きく吹っ飛んだ。
 倒れたままの仲間を抱き上げ、その場を引き上げようとしたときである。
 それまでにやにやと薄ら笑いを浮かべていた他のホストたちが、俺たちを取り囲んだ。顔は怒気で真っ赤に上気し、目が血走っている。俺は素早くその三人の体格や仕草に目を遣った。一人が小型のナイフを握っている。

 ――まずい。

 いかに腕っぷしに自信のある俺でも、一度に三人を相手にするほど自分の力を過信してはいない。ましてや相手の一人は刃物を握っている。隣で震えている仲間のホームレスに、加勢を期待するのも無理な話であろう。
 俺は覚悟を決めた。
 この中で一番手強そうな奴――この場合、やはり刃物を握っている奴がいいだろう――の股間に思いっきり足蹴りを食らわせ、ひるんだ隙になんとか逃げ出すしかない。隣の仲間はつかまるかもしれないが、ここまできたらもう自力で逃げてもらうほかない。
 俺はすっかり降参した素振りを見せて相手を油断させると、一気に刃物を持ったホストに飛びかかった――つもりであった。
 俺の足が止まる。足元を見ると、先ほど俺がぶん殴ったホストが、鼻血を流しながら俺の足首をしっかりと押さえ込んでいた。背筋に一気に戦慄が走る。と、思う間もなく、一人のホストの拳が俺の顔面をとらえた。目の前で火花が散り、左の頬骨の辺りがカっと熱くなる。その次は鳩尾に強烈な蹴りを入れられた。空っぽの胃袋が悲鳴をあげる。俺は思わず腰を折り、突き上げてくる胃液の苦しさにむせ返った。

 ――やべえ。こんなチャチな奴らに……。

 そう思ったときであった。
 俺に攻撃を加えていたホストが、突然甲高い悲鳴を上げはじめた。
 俺は霞んだ目を凝らす。その視界に一瞬映ったものは、深い深い闇であった。
更に目を凝らす。すると、そこには驚くべき光景が繰り広げられていた。

 おびただしい鴉の群れ――。
 鴉、鴉、鴉、鴉、鴉、黒、鴉、鴉、鴉、闇、鴉、鴉、鴉、鴉、鴉、鴉……

 その鴉たちが、鋭い嘴や爪を立ててホストたちを頭上から攻撃していたのだ。ウェーブの掛かった長髪は乱れ、額から薄っすらと血が滲んでいる。高価そうなブラックスーツもいたるところが引き裂かれ、鴉のものと思われる糞尿で汚れていた。
「わッ、な、なんだッ! 助けてくれッ――」
 鴉の大群に為す術もないホストたちは、俺たちのことなどもはや見向きもせずに逃げ出していた。厚化粧の女が一人取り残されたが、彼女もハっと我に返ると、必死の思いで駆け出しはじめた。そんな女の頭上から、容赦なく鴉のフンが降り注ぐ。
 俺は呆然とその光景を眺めていた。
 気がつくと、俺の隣で震えていた仲間のホームレスの姿も無かった。
 ホストたちを追い払った鴉たちは一際甲高い鳴き声を周囲に響かせ、空中を数回旋回した後、俺の面前三メートルほどの路面に次々と舞い降りてきてひとつの漆黒の塊となった。
 じっと俺の姿を見据えている鴉たち。その群れの中に一際強く鋭い視線を感じ、俺はそちらに目を向けた。

 ――あの鴉だった。

 いつも俺のことを強く意識している、群れの中のリーダー格らしき一羽の鴉――。
 俺はほんの半歩ほど歩みより、そいつに微笑み掛けた。
「ありがとうよ」
 そいつも俺に微笑み返した――ような気がした。

 舞う、舞う、鴉が舞う。
 この汚れきった街の空を、更に真っ黒に染め上げる。

 やはり俺は、異形の鴉なのだろうか……?
 背を向けて歩き出した俺の背後で、鴉たちが大きく羽ばたいていく音がいつまでも響いていた。



    ――了――

2006/01/04(Wed)17:07:47 公開 / 時貞
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです。
といいましても、ほとんどの方がはじめましてだと思います。小説はおろか、PCに触れる機会もほとんど取れない状態が続いておりまして、実に一ヶ月ぶりにキーを叩き、真っ先にこちらに顔を出させていただきました。時貞と申します。どうぞよろしくお願い致します。

ブランクが空くと本当に文章が書けなくなってしまうものですね(汗)最初の数行で頭がクラっときてしまいました。しかも……何やら漠然とした形のハッキリしないお話になってしまっている(大汗)こ、これから時間が取れ次第、徐々にリハビリ(?)していくつもりでおります。

連載中で長期中断となっている【てるてる坊主】という拙作があるのですが、そちらも決してあきらめませんッ!なんとか完結させます!そして、遅ればせながら皆様の作品も徐々に拝読させていただこうと思っております。

……あ、言い忘れました。新年明けましておめでとうございますッ!

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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