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『Present』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:月明 光
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「白鳥さん、白鳥さん……!」
「……ん……?」
三度揺さぶられて、ようやく白鳥小雪(しらとりこゆき)は目を覚ました。
椅子に座って、机に突っ伏して寝ていた所為か、身体が所々痛む。
意識が朦朧としていて、頭が重たい。
「あれ……?」
半開きの目で、小雪は周囲を見渡す。
どうやら、まだ夢と現実の境目に居るらしい。
「ネコバスが……自転車と……接触事故して……」
「……どんな夢見てたんだよ?」
意味不明な言葉を呟く小雪に、赤松拓郎(あかまつたくろう)が呆れて問う。
放課後に図書委員の仕事をしていたら、カウンターが長蛇の列になっていたのだ。
心配になって見に来てみれば、カウンター係の小雪がこの様である。
「代わってやるから、顔洗って来たらどうだ? ……え〜と、返却ですか? クラスと名前を教えて下さい。…………はい、確かに。今度は、ちゃんと期限を守って下さい。次の方どうぞー」
小雪と席を代わると、赤松は客を次々と捌いていく。
「ふぁ〜……ありがと、赤松君……」
小雪は、欠伸を噛み殺しながら、御手洗いに向かった。
小雪が戻って来た時には、全ての客が居なくなっていた。
――こんなに接客上手いなら、始めからやってくれれば良いのに……。
そんな事を思いながら、小雪は赤松の姿を探す。
見付けた時、赤松は散らかった本棚を整頓していた。
窓から差し込んでくる夕日が、図書室と彼を赤く照らしている。
「ごめんね、赤松君」
本当の意味で目を覚ました小雪は、改めて赤松に礼を言った。
そこでようやく、赤松は小雪に気付く。
「別に。……テスト勉強か?」
作業を続けながら、赤松は尋ねた。
「えっ……う、うん」
恐らく、居眠りの理由を聞いているのだろう。
本当は、もっと違う理由があるのだが、小雪は頷いた。
本当の理由を知られたら、少し不味い事になるからだ。
「まだ先の話なんだし、無理しない方が良いぞ」
赤松は溜め息を吐きながら、小雪に忠告する。
前にも、似たような事があった所為だろう。
「そ、そうだよね……」
小雪は、冷や冷やしながら話を合わせた。
「そう言えば、赤松君って、ここで本借りた事無いよね?」
そして、話の方向を、少し無理矢理変更する。
「欲しい本が、置いてないからな……」
「ふーん……どんな本を読んでるの?」
「えっ? え〜と……」
小雪に問われ、赤松は言葉を詰まらせる。
知られると、少し不味い事になるからだ。
「あ、もう閉館の時間だ。さっさと帰ろう」
「う、うん……」
かなり無理矢理、赤松は話の方向を変えた。
「このトーンも買っておこうかな……ペンも予備が無かったっけ。原稿用紙は、まだ十分あるし……よし、これで暫くは大丈夫かな?」
十一月中旬。とあるアニメ専門店。
籠の中身を確認しながら、小雪は呟いた。
背は百六十センチ程。長い黒髪が印象的だ。
身体の発育具合は、身長と比べれば妥当と言うべきだろうか。
手に持っている籠には、漫画を描く為の道具が大量に入っている。
「もうクリスマス……か……」
クリスマス色に染まり始めた店内を眺めて、小雪は呟いた。
ここだけに限った話ではない。
大体の場所は、そろそろクリスマスに向けて動き始める。
だが、小雪は、幼い頃からこの時期が好きではなかった。
彼女の両親は、仕事の都合上、殆ど家に居ない。
一人っ子の彼女は、もう何年も、独りでクリスマスを過ごしてきたのだ。
もちろん、それはクリスマスに限った話ではない。
お金にだけは不自由しないので、いつしか漫画に手を伸ばしていた。
居ながらにして、様々な世界へと連れて行ってくれる漫画が、独りの小雪にとって無くてはならない物になるのには、さほど時間は掛からなかった。
いつの間にか、時間とお小遣いの殆どを、漫画に費やすようになっていた。
そして漫画を書き始めたのも、いつの間にかの話だった。
漫画を読んでいれば、漫画を描いていれば、何もかも忘れる事が出来る。
居場所が無い事も、独りの虚無感も。
「ふわぁ……眠い……漫画描いてると、ついつい遅くまで粘っちゃうな……。
これで、今日は全部かな。冷えてきたし、早く帰ろうっと」
籠と財布の中身を確認すると、小雪はレジへと向かった。
「好きになった人を、片っ端から撲殺していく天使の話か……買ってみるか。……お、『樹の旅』の新刊か。これも買っておこう」
十一月中旬。とあるアニメ専門店。
ライトノベルを吟味しながら、赤松は呟いた。
背は百七十センチ程。平均的な体型だ。
少しフレームが大きめな、度が弱めの眼鏡を掛けている。
手に持っている籠には、漫画やライトノベルが大量に入っていた。
「もうそろそろ、クリスマスだな……」
クリスマス色に染まり始めた店内を眺めて、赤松は呟いた。
ここだけに限った話ではない。
大体の場所は、そろそろクリスマスに向けて動き始める。
だが、彼にとっては、どうでも良い事であった。
彼の家族が、異常な程に宗教に敏感で、他宗派の祭りを断固拒否しているのだ。
特別な料理は出ないし、ケーキは買わないし、増して祝う事なんて無い。
彼と、彼の家族にとっては、平日と何ら変わらない日だ。
彼も、特にクリスマスを共に過ごす女性が居る訳でも無く、仕方がないから、去年は友達とカラオケでアニソンを歌って過ごした。
だが、それなら普段と差ほど変わらない。
アニソンを歌うのも、サンタルックの美少女に萌えるのも、普段と特に変わらない。
いつもの習慣を、偶々クリスマスに行っただけの事だ。
そんな訳で、赤松のクリスマスは、毎年何か満たされずに終わってきた。
これまでずっとそうだったし、きっとこれからもそうなのだろう。
――今年は、声優のラジオでも聴きながら、ゆっくり過ごそう。
そんな事を考えながら、赤松はレジへと向かった。
小雪と赤松が、同じレジに向かい、顔を合わせる。
二人は一瞬固まり、
「あ、赤松君!?」
「白鳥さん!?」
お互いに、お互いの存在に驚いた。
同じ高校の、同じクラスで、同じ委員会に務めている人に、よりによって、こんな場面を目撃されたのだ。
――オタクがバレてしまった……。
二人の頭の中は、それだけで溢れかえっていた。
十二月二十四日。
街は、色とりどりの眩しいイルミネーションで輝いている。
音楽と喧騒が混じり合い、よく判らない音になっていた。
そんな中を、二人が歩いている。
片方は、長い黒髪が印象的な少女。
年齢は、高校生くらいだと思われる。
防寒対策は完璧で、冷たさが入り込む隙は一切無い。
片方は、フレームがやや大きい眼鏡を掛けている少年。
年齢は、恐らく少女と同じ程。
少女程に厚着はしていないが、それなりの防寒はしている。
「……本当に良かったの、赤松君?」
「何が?」
小雪に唐突に問われ、赤松は質問で返す。
「その……クリスマスに呼び出しちゃったから……」
「別に。家族はアンチキリストだし、友達とアニソン歌うのもな……。白鳥さんこそ、聖夜の相手が俺で良いのか?」
赤松は小雪の質問に答え、更に尋ねた。
小雪は、
「うん。帰っても、誰も居ないし……」
少し俯いて答えた。
「ご、ごめん。不味い事訊いたな……」
赤松は、ばつの悪い顔をして謝るが、
「だから、誰かと一緒にクリスマスを過ごせる事が嬉しいの」
小雪は微笑んで応える。
そして、雲一つ無い、澄んだ夜空を見上げた。
イルミネーションの所為で、星の煌めきは殆ど見えない。
「……雪、降らないかな……」
少し沈んだ声で呟いて、小雪は溜め息を吐いた。
せめて星が綺麗ならば良かったのだが、それも叶わない夢だ。
そう思うと、街の輝きが、途端に機械的な冷たさを帯びた気がする。
これではいけない。
今年は、一緒に過ごしてくれる人が居るのだ。
――『あの時』は、心臓が止まるかと思った。
だが、お互いに口外しない事を約束すれば、自分にとって初めての『趣味が合う友達』である。
それだけでも十分満たされているのだ。
満たされなければならないのだ。
小雪は首を左右に激しく振り、雑念を追い払った。
揺らされた頭がクラクラし、堪らず小雪は項垂れる。
その時に、『それ』が目に入った。
「これ、何だろ……?」
アスファルトに落ちている『それ』を、小雪は屈んで手に取る。
一辺が十五センチくらいの四角い箱。
カラフルな包装紙に包まれており、更にリボンで装飾されている。
「プレゼント……だな。どうしてこんな所に……?」
「誰か落としたのかも。交番に届けた方が良いかな?」
二人が『それ』について話を巡らせていた時。
小雪が突如、『それ』に引っ張られる様にして走り出した。
「し、白鳥さん!?」
「え……えぇ!?」
赤松が戸惑いながら名前を呼ぶが、当の本人が一番驚いている様だ。
小雪は、そのまま路地裏へと入っていく。
それを追いかけて、赤松もイルミネーションの陰へと走っていった。
突然だったので差をつけられたものの、それ程速い速度で移動していた訳でもなかったので、すぐに追いつく事が出来た。
「どうしたんだ!?」
小雪と併走しながら、赤松は問う。
「それ……が……こ……つ然……勝手に……っ!」
小雪は応える余裕すら怪しく、呼吸するので精一杯の様だ。
「白鳥さん、もう少し運動したらどうだ? バテるの早過ぎるぞ」
いつの間にか、赤松は全く違う心配をしていた。
ツッコむ余力すら、小雪には無い様だ。
人気の無い広場に出て、ようやく小雪と『それ』は止まった。
精根尽き果てた小雪は、荒い呼吸をしながら、その場に倒れ込む。
――こんな季節に、こんなに身体が熱くなるなんて。
防寒着を脱ぎ捨てたいくらいだが、その余力すら残っていない。
「大丈夫か、白鳥さん?」
そんな小雪に、赤松は心配そうに尋ねる。
少し息を乱していたが、まだまだ余裕が有りそうだ。
「思ったんだけど……手を離したら良かったんじゃないか?」
「…………」
赤松の今更な意見に、小雪は撃沈した。
「それにしても、何で動いたんだろうな、これ……?」
小雪の手中にある『それ』を見て、赤松は呟く。
手に取ってみるが、特に変わった様子は無い。
振ってみても、同じ事であった。
開けようかとも思ったが、流石にそれは躊躇ってしまう。
色々と考えていると、再び『それ』は動き始めた。
不意を衝かれ、赤松は思わず手を離してしまう。
『それ』が飛んでいった方を向くと、十数メートル程先に、人影が在った。
その人影の前で、『それ』はピタリと動きを止める。
「はふ〜、戻ってきた〜……」
予想外に可愛い声を上げて、人影は『それ』を両腕で抱えた。
どうにか回復した小雪を起こすと、二人は人影に近付いていく。
灯の灯っていない広場だが、人影の回りは明るい様だ。
肉眼で確認できる距離まで近付くと、人影は少女になる。
背は百五十センチ前半くらい。
銀髪のセミロングに、円らな紅い瞳。
赤と白の、典型的なサンタルックに身を包んでいた。
「プレゼントを無くしたら、先輩に怒られるどころじゃ済まないですからね。本当に良かった〜……。……でも、時間が……果たして間に合うですか……?」
独りで呟きながら、『それ』を足元の白い大きな袋の中に入れる。
そしてその袋を、後ろの橇に積む。
運搬用の橇らしく、袋を積んでも、人が乗るには十分だった。
その橇は、太い紐で動物と繋がれている。
大きな角が特徴的な、体長二メートル程の動物だ。
「あ、あの……」
勇気を出して、赤松は少女に声を掛ける。
そこでようやく、少女が二人の存在に気付いた。
一瞬固まり、
「……見ました?」
そのまま口だけ動かした。
二人は、同時に頷く。
少しの間、辺りは静寂で満たされ、寒風の通り過ぎる音だけが聞こえる。
少しの間、だけだった。
「はわあああぁっ! ど、どうしましょう!? 一般人に見られてしまうなんて! 一生の不覚です! 私、クビになってしまうですか……!? そんなの絶対イヤです! 確かに、職場では、勤務日数の十六倍は怒られてますけど……でも! 先輩みたいに一人前になる為に、こんなトコでクビにはなれないですよ! こう言う時は……え〜と……はう〜、マニュアルに載ってないです〜……。……って、何を言ってるですか、私! マニュアルに無い自体に対応出来てこそ、一人前じゃないですか! 考えるです……えっと……えっと……えっと……!」
少女は一人で焦り、葛藤し、決意を固めて頭を抱えた。
「だ、大丈夫?」
見かねた小雪が、心配そうに声を掛ける。
「だ、ダメです! サン・タクロス社は秘密主義の徹底が最優先なのです! 新人とは言え、歴とした社員として、一般人の手は借りられないです!」
が、全力で拒まれた。
焦った余り、重大なミスを犯した事には、まだ気付いていない様だ。
「サン・タクロス社の新入社員なんだ?」
「!? 何で知っているですか!?」
「今、言っただろうが……」
面倒な奴に絡まれたな、と内心呟きつつ、赤松は溜め息を吐いた。
「え……えっと……何と言うべきか……」
平静を取り戻した少女は、二人にどう説明すべきか迷っていた。
今、自分は、猫の手も借りたい状況に在る。
だが、一般人に助けを請うのは躊躇われる。
そして、こうしている間にも、時間は刻々と過ぎているのだ。
「取り敢えず、名前を教えてくれないかな? 私、白鳥小雪」
「俺は赤松拓郎だ」
進退窮まっている少女に、小雪が助け船を出す。
「わ、私は、サン・タクロス社新入社員、識別番号H-7203のナツミです。不束者ですが、何卒よろしくお願いしますです」
丁寧に自己紹介をし、ナツミは頭を下げた。
話の切っ掛けを掴んだナツミは、更に続ける。
「私は、日本D-51地区での配達の為に、ここへ来ました。今晩中に、全ての配達を終わらせなければならないですよ」
「今晩中に全て……か。大変そうだな」
赤松は、尊敬の念を込めて言った。
見た感じ、年齢は自分とそれ程変わらないのに、聖夜の過ごし方がこうも違うのだ。
どこかに勤める以上、当然かも知れないが……。
「まあ、憧れで始めた仕事ですから」
赤松の言葉に、ナツミは笑顔で返す。
自分の望んだ仕事をしている者の、眩しい程の笑顔だった。
「良いなぁ、夢が叶っただなんて……」
小雪が、言葉通り羨ましそうに呟く。
漫画を描いている者として、当然それで生活する事を望んでいるが、現実は、自分の思った通りに動いてはくれないのだ。
「はい。サン・タクロスを心待ちにしている子供達に、プレゼントを届ける……子供の頃から、ずっと、ずっと夢見ていたですよ♪」
ナツミは、幸せそうな、弾んだ声で応えた。
「……ちょっと待てよ」
赤松が、そこで何かに気付く。
ナツミと小雪が、同時に赤松の方を向いた。
「サン・タクロス社だよな?」
「は、はい。そうですけど……」
赤松の確認に、ナツミは怪訝な表情で答える。
小雪も、赤松の意を理解出来ない様だ。
「何が言いたいの、赤松君?」
「『・』を抜いて言えば解る」
赤松の言葉に、小雪は首を傾げたまま、
「サンタクロス……サンタクロス……」
同じ言葉を何度も繰り返す。
「サンタクロス……サンタクロス……!」
七度目でようやく気付き、小雪は驚愕の表情を浮かべた。
ナツミも理解したらしく、
「あぁ、日本では『サンタクロース』って発音しますね。すみません。日本語の発音って、なかなか慣れないもので……」
思い出した様に言う。
赤松の予想は、的中した。
「……白鳥さん、クリスマスでも病院って開いてるかな?」
「う、嘘じゃないですよ〜!」
赤松の意を悟ったナツミは、目を潤ませて訴える。
「赤松君、頭ごなしに否定するのは可哀相だよ」
「そう言われても……」
小雪にまで咎められ、赤松は言葉を詰まらせた。
だが、いくら何でもこれは無しだろう。
てっきり宅配の仕事か何かだと思っていたのだが、一気に台無しになってしまった。
――一応、『宅配』ではあるが。
しかし、小雪がナツミ寄りだとすると、具合が悪い。
数が全ての民主主義において、これは余りにも痛い。
「信じて下さい〜! ここで疑われたら、話が進まないじゃないですか〜!」
ナツミは半泣きになりながら、赤松の胸座を両手で掴み、前後に激しく揺らした。
流石にここまでされると、赤松も苦しくなってくる。
「判った、判ったよ。話は聞いてやるから」
「本当ですか! 有り難うございます!」
赤松が仕方無く折れると、ナツミの表情にパッと灯が灯った。
そして、話を続ける。
「……で、配達をしていたんですけど……荷物をうっかり落としてしまいまして……。迂闊に人前に出る訳にはいかないので、これを使ったのですよ」
そう言って、ナツミが白い袋から取り出したのは、掌サイズの磁石の様な物体だった。
「……何これ?」
「サン・タクロス社の秘密アイテムです! これはですね……」
ナツミは、白い袋から、プレゼントの箱を一つ取り出し、赤松に手渡した。
そして、何メートルか離れて貰う。
「こんな風に、落としてしまったプレゼントを……」
ナツミが磁石の様な物体を掲げると、赤松の手に在ったプレゼント箱が、吸い寄せられる様に浮かび上がり、ナツミの前で停止した。
それを手に取ると、ナツミはすぐに袋の中に戻す。
「ずいぶんな手品だな……」
「こんな感じで、呼び戻してくれるのです! ……で、それにお二人が連いてきた訳です」
赤松の呟きは、ナツミには聞こえなかったらしい。
「……さて、本題はここからなんですけど……」
急に、ナツミの声のトーンが下がる。
「その……新人なので、そうでなくても作業が遅い上に、
荷物を無くし、お二方一般人に見られた所為で、配達が間に合いそうにないんですよ」
「……それで?」
赤松に促され、ナツミは少し躊躇う。
暫く言葉を濁らせた後、
「こうして見られてしまったのも何かの縁ですし……配達を……その……手伝って……頂ければ……嬉しい……です……」
指をモジモジさせながら、どうにか最後まで言い切った。
「さて、そろそろ行こうか白鳥さん」
「はう〜! 見捨てないで下さい〜!」
無視しようとした赤松に、ナツミは涙目で縋り付く。
「そんな事言われて、信じる方がおかしいだろ」
溜め息を吐きながら、赤松は言った。
流石にこの歳になって、サンタクロースを信じる事なんて出来ない。
第一、彼女は、一般的なそれのイメージと余りにも懸け離れている。
年齢も、性別も……強いて言えば、似ているのは服装くらいであろうか。
しかし、それでは只のコスプレイヤーだ。
「お願いしますよ〜! でないと私、とても間に合いませんよ〜! もし間に合わなかったら、クビになってしまいますよ〜! ……それに、このままでは、プレゼントを待って下さっている子供達が……」
それでも、ナツミは赤松に懇願を続ける。
ナツミの言動は、少なくとも、真摯なものであることは間違い無いだろう。
そんなナツミの態度に、赤松の気持ちが揺らいでいく。
サンタクロース云々はともかく、ここまで真っ直ぐに懇請されて無下に断るのは、流石に躊躇われる。
「……私、手伝うよ」
「ほ、本当ですか!? 嬉しいです〜! ありがとうございます!」
小雪の承諾に、ナツミは言葉通り嬉しそうに頭を下げた。
恐らく、ナツミの純粋な態度に感化されたのだろう。
――どうやら、俺の負けだな……。
「白鳥さんがそう言うなら、俺も付き合ってやるかな……」
「はう〜、ありがとうございます〜!」
「勘違いするなよ。一人じゃ暇だからな。
やる気が無くなったら、すぐに帰らせて貰うぞ」
赤松も、とうとう折れる事になった。
こうして、二人にとって最も忙しい聖夜が幕を開ける。
「さて、まずはその服ですね。そんな厚着してたら、動き難いですから。私と同じ、サン・タクロス社の制服を着て貰います」
早速、ナツミは準備を始める。
何となく新人を教育している気分になり、少しくすぐったい。
先輩には、本当に色々と教えられた。
実践的な練習にも付き合って貰ったし、マニュアルに無い、現場に居るから判る事を、たくさん聞かせてくれた。
今、ここでは、自分が『先輩』だ。
実戦経験こそ皆無だが、この日の為に一生懸命勉強した。
それを、この二人に急いで教えなければ。
「服って言われても……なぁ……」
赤松は、ナツミの制服を見ながら言った。
赤い円錐型の帽子は、頭に乗っているだけで、耳が隠れていない。
手袋はしているが、そもそも服がノースリーブだ。
服自体は、ふわふわな毛布の様で暖かそうなワンピースだが、スカートがやや短く、赤いニーソックスとの間の絶対領域は、素肌を完全に露出している。
一言で言えば、この季節には寒そうな制服だ。
こんな服装で冬の夜に放り出されたら、堪ったものではない。
「でも、可愛い……漫画で使おうかな……」
小雪は、すっかり見入っていた。
自分がこれを着る時の事は、殆ど頭に入っていない様だ。
「心配なさらなくても大丈夫です。サン・タクロス社の技術により、軽量と防寒の両立を実現した特別製ですから。無駄な部分を可愛くカットしたデザインと、冷え性対策万全な靴と手袋が、女性社員にはもちろん、男性社員にも好評なんですよ♪」
そう言いながら、ナツミは白い袋から二人分の制服を取り出した。
そして、それを二人に渡す。
「はい、こっちが男性用、こっちが女性用です」
「……で、どこで着替えれば良いんだ?」
赤松が、率直な質問をぶつけた。
ここは、冬の屋外だ。着替えるには余りにも寒い。
それ以前に、男女が同じ場所で着替えるのは不味いだろう。
「あ、そうですよね。すみませんでした」
ナツミもようやく気付いたらしく、再び袋の中に手を入れた。
その時、強い寒風が吹き付け、赤松と小雪は目も開けられなくなる。
次に目を開けた時には、二人の眼前に、電話ボックス程の大きさの簡易更衣室が聳えていた。
「ここで着替えて下さい。一つしか無いので、交代でお願いしますね」
「……どっから出した?」
当然の疑問を、赤松はナツミに投げかける。
「はぇ? この袋ですけど……」
当のナツミは、頭に『?』を浮かべた。
「いや、普通に考えておかしいだろ。その袋がこれに入るくらいだぞ」
「何を言うですか! この袋はサン・タクロス社の技術の結晶です! この袋は四次元バッグと言いまして、四次元空間と」
「やっぱ良い……聞きたくなくなった……」
「じゃ、私は荷物の準備をしておきますね。着替えた服は、この袋に入れておいて下さい」
ナツミは、荷物を積んでいる橇へと向かった。
どちらが先に着替えるかで少し迷ったが、
「御目汚しは、先に済ませる方が良いだろ?」
赤松が先に更衣室に入った。
それ程掛からずに、更衣室の扉が開く。
「男の制服が個性乏しいのは、どこも一緒だな……」
自嘲気味に呟きながら、赤松は更衣室から出てきた。
赤と白の長ズボンに長袖。
オーソドックスなサンタルックである。
「次は私だね……サイズ大丈夫かな……?」
小雪が、少しドキドキしながら更衣室に入る。
ちゃんとドアを閉めた事を確認すると、着替えを足元に置いた。
まずは、マフラーや手袋、イヤーマフラーを外す。
「白鳥さーん、聞こえるー?」
「えっ!? う、うんっ!」
ドアの向こうから、突然赤松の声が聞こえ、小雪は動転した声で応えた。
「ごめんごめん。驚かせたか?」
「ううん、気にしないで。……何か用?」
平静を取り戻すと、小雪は応対しながら厚着を一枚ずつ脱いでいく。
今日はとても冷えるので、かなり着込んできてしまったのだ。
「今のうちに、何でナツミを手伝おうと思ったのか、聞いておこうと思ってな」
「……子供達の夢を守りたいから。一緒にクリスマスを過ごす人が居る幸せな子供には、最後まで幸せであって欲しいから。言ったでしょ? 『帰っても誰も居ない』って。私の家は、毎年そうだから。今までずっと、そうだったから」
赤松の問いに、小雪は自嘲気味に答える。
上着を一通り脱ぎ終えたところで、ひとまずそれらを畳んだ。
重ねて積み上げ、その上にマフラーや手袋やイヤーマフラーを置く。
「……子供の頃は、皆がスゴく羨ましかった。親と一緒にケーキ作ったり、友達同士でパーティーしたり……そんな話を聞くと、皆がスゴく羨ましかった。そう言うのが、私にとっては『フィクションの世界の話』だったから。親からプレゼントこそ貰ってたけど……私が欲しかったのは、もっと違う物だった。……解ってたんだよ? 親が多忙なのは理解してたつもりだし、
漫画オタクのネクラには、到底手が届かない幸せだって事も……ちゃんと……」
ずっと、そうだった。
誰かのクリスマスの楽しい話を聞く一方で、自分には何の思い出も無かった。
そして、そんな輪に加わる為の一言も、自分には発する事が出来なかったのだ。
お小遣いの殆どを、漫画に費やす漫画オタク。
そんな自分には、漫画以外の方法で、既存の輪に加わる術など無かったからだ。
「そんな私も、今では『子供と大人の間』って呼ばれる世代。だから……大人になって、子供の気持ちが解らなくなる前に、子供にとっての『本当の幸せ』を守ってあげたいなぁ……って。もし、心待ちにしていたプレゼントが、無事に届かなかったら……。期待や信頼を粉々にされるのが、子供にとって一番不幸な事でしょ?」
少し沈んだ声で、淡々と小雪は言った。
やり場の無い虚無感に襲われて、気が付けば、脱いだ服を縋る様に抱きしめていた。
多分、自分は、これからも独りで生きていくのだろう。
これまでずっと、そうだったのだから。
自分には、今更誰かに寄り掛かる勇気など無いのだから。
だから、せめて、幸せになるべき人には、幸せになって貰いたい。
自分以外の、なるべく多くの人に、笑っていて欲しい。
他の全員が笑ってさえいれば、自分一人くらい、大した問題ではない。
「確かにな。子供じゃなくても、そうかも知れない」
赤松がドア越しに同意し、更に続ける。
「でも……まだ、幸せには手が届くんじゃないのか? 諦めるには、ちょっと早いんじゃないか? 自分の事ネクラとか言ってるけど、俺とは結構普通に話せてるぞ?」
「それは、赤松君が、私の趣味を理解出来る人だから……」
「理解して貰えなかった事は……あるのか?」
「えっ……?」
赤松の一言が、小雪の胸に響き渡った。
言われてみれば、自分では何もした事が無い。
漫画に耽り始めた頃から、少しずつ人を遠ざけて、今に至る。
遠退いていったのではなく、遠ざけていったのだ。
「多分、オタクって言うのは、自分でも知らないうちに人を遠ざけてしまうんだろうな。俺もそんな時期があったから、よく解る。でも、人間として出来ていれば、オタクなんて差ほど関係ないんだよな。……それでも毛嫌いする奴が居るから、困ってる訳だけど。オープンになれとまでは言わないけど……独りで生きるには、人生は長いと思うぞ」
「……うん」
ドアの向こうの赤松に、どうにか聞こえるくらいの声で、小雪は頷いた。
「ま、少なくとも俺は理解出来ているつもりだし……もう少し『自分』を主張しても、失う物は無いんじゃないか?」
「そうだね……」
赤松の言葉の一つ一つが、心に染み渡って、温かい気持ちになれる。
手を引いて走り出してくれる様な、後ろから押してくれる様な、そんな優しさが感じられた。
――初めての『友達』が、赤松君で良かった……。
そんな事を思いながら、ワンピースになっているサンタ服を着て、赤いニーソックスを穿いた。
「さて、まずはナツミの手伝いを、気が変わる前に終わらせないとな。
クリスマスに独り身だった者同士、それなりに頑張ってみるか」
「うん!」
今度は、ハッキリと聞こえる声だった。
服を畳み、帽子を被り、手袋を填め、鏡で一通り確認してから、小雪はドアを開ける。
「ど、どうかな?」
「うん。結構良い感じじゃないか?」
「そ、そう?」
赤松の言葉に、何故か身体の奧が熱くなる感覚を覚えた。
この服の、防寒効果が効き始めているのだろうか。
小雪は、その場で一回転し、捲れそうになったスカートを手で押さえる。
「ナツミちゃんは、元々可愛いから似合うけど、私はちょっと……」
「謙遜するなって。自分に自信持たないと、『自分』は主張出来ないぞ」
「……そうだね。ありがと、赤松君」
赤松の言葉に、小雪は微笑みで応え、赤松も笑顔で返す。
「準備出来ましたかー!?」
ナツミの声が、橇の方から聞こえた。
「予備の橇を用意しましたので、二手に分かれましょう。荷物の配分は3:2です。……もちろん、私が『3』です」
人気の無い広場に、同じ橇が二台並んでいる。
そのどちらもがトナカイに繋がっていて、主人の命令をじっと待っていた。
「本物を間近で見るのって、初めてだね……」
小雪は、トナカイに興味津々の眼差しを向ける。
――これが本当に、空を飛ぶのだろうか。
そんな期待と不安の混じった眼差しだった。
当のトナカイは、全く意に介さない様だ。
「漫画の参考に……」
自分の探求心を合理化しつつ、小雪はトナカイに接近し、
赤松やナツミが気付く前に、その身体に触れた。
「ひゃっ!?」
小雪が声を上げて、赤松とナツミは彼女の方を向く。
「どうしたんだ、白鳥さん?」
「こ……このコ、冷たい……!」
小雪は真っ青になって、震える声で言った。
当のトナカイは、やはり身動き一つしない。
試しに赤松も触れてみるが、
「……冷たい」
確かに冷たかった。
「あぁ、このコは、トナカイであって、トナカイではないんです」
だが、主人であるナツミは、涼しい顔で言う。
ナツミの言葉に、二人は怪訝な表情を浮かべた。
「このコは、トナカイに似せた機械なんですよ」
「えぇ!? でも、これ……」
小雪は驚愕の声を上げ、信じられないと言った眼差しを、トナカイ――の様な物体――に向ける。
素人目には、どこからどう見ても普通のトナカイだ。
これが機械だなんて、とても信じられない。
だが、体温は明らかに、哺乳類のそれではなかった。
「無理も無いです。私も、最初はスゴく驚きましたから。話によると、本物のトナカイを飼育するのは色々と負担が掛かるので、今では完全に機械化されたそうですよ。とは言っても、外見や動き方は、本物と殆ど変わりませんけどね」
「何か……夢を壊された気分だな」
身動きしないトナカイに、赤松が呟く。
『赤鼻のトナカイ』を筆頭としたクリスマスソングも台無しだ。
そう思えば、自然とそんな言葉が出てきてしまう。
「仕方無いですよ。私達の仕事は『夢を見せる事』であって、夢を見る事ではありませんから」
そんな赤松に、ナツミは微笑みながら言った。
「では、残りの詳しい事は、四次元バッグの中のマニュアルを読んで下さい。トナカイはオートで目的地まで行ってくれますし、命令すれば聞いてくれます。何かあったら、無線で私に連絡して下さい。周波数は弄らないで下さいね」
急いで残りの説明を済ませると、ナツミは橇に乗り込んだ。
ナツミの号令で、トナカイがゆっくりと動き出す。
「健闘を祈りますです〜!」
ナツミは、橇から身を乗り出して手を振った。
トナカイが空中を走り、橇も後を追って浮かび上がる。
そしてそのまま、冬の夜空へと消えていった。
「いよいよだね……緊張するよ……」
橇を見送った後、小雪が少し不安げに言う。
こんな体験は初めてなのだから、当然だろう。
「取り敢えず、やるだけやってみるか。さっさと行こうぜ」
赤松は橇に乗り込み、小雪を促した。
橇は、一人で乗るには十分なのだが、
二人で乗るには少々狭く、二人は密着せざるを得ない。
「ちょっと……狭いね……」
服の保温が良い為か、小雪の頬が少し紅く染まる。
「ま……仕様が無いだろ」
赤松も、少し落ち着かない様だ。
そんな二人を乗せて、橇はトナカイに引っ張られていった。
「た……高い……」
空を行く橇の上から街を見下ろし、小雪は声を震わせた。
その顔は血の気が無く、真っ青になっている。
「下は、あんまり見ない方が良いな」
赤松は、やはり今更なアドバイスをした。
身体の内側から迫り来る様な恐怖に耐えられず、小雪は赤松に抱き付く。
周囲が目に入らないように、顔を彼の服に埋めた。
「お、おい……」
赤松は拒もうとしたが、小雪の身体が小さく震えている事に気付く。
「ま……良いか」
「……ありがと」
赤松の気遣いに、小雪は小さく礼を言う。
顔が紅潮する感覚を覚えたが、幸い顔は見えない。
「さて、マニュアル読んでおくか……」
赤松は、後ろの白い袋からマニュアルを取り出し、読み始めた。
ワープロで書かれた文字と、手書きの文字が入り交じっていて、
持ち主が如何に熱心に勉強していたかが良く解る。
暫くの間、橇の上は沈黙した。
赤松は文字で埋められたマニュアルを読み、小雪は赤松に抱き付いたままだった。
「……何なら、今から降りても良いんだぞ?」
暫くの後、沈黙が赤松の言葉で破られる。
ずっと抱き付いたままなので、流石に心配になってきたのだ。
移動の基本が空飛ぶ橇なのに、これでは話にならない。
怖い思いをし続けるのも、酷な話だろう。
「私が言いだしたから……大丈夫だから……」
小雪は、小さな声で決意表明をした。
赤松は溜め息を吐いて、
「下じゃなくて、上を見たらどうだ? 『落ちそう』じゃなくて、『飛んでいる』って思えば良いんじゃないか?」
諭す様に言った。
「上……」
赤松に言われるまま、小雪は空を見上げる。
黒一色に染められた空に、真っ白な月が輝いていた。
月光が夜を照らす様な、夜闇が月を飲み込む様な、不思議な光景だった。
「ちょっとは……大丈夫になるかも」
それから少し経って、最初の目的地が見えてくる。
街から少し離れた、閑静な住宅街。
一戸建ての二階の窓に、橇が横付けされた。
「何かしらの方法で部屋に進入し、プレゼントを置いて帰るのが、俺達の仕事だ。ただし、怪我人や破損物は出さない事。……ま、大体イメージ通りだな」
そう言って、赤松は窓を確認しようとしたが、既に窓は開いていた。
少し戸惑いながら、赤松は部屋の様子を見る。
豆球が、ベッドで眠っている子供の顔を照らしていた。
サンタが来るのを待ったまま寝てしまったらしく、かなり変な寝相だ。
その枕元には、赤い靴下が置いてある。
あの中に、プレゼントを入れて欲しいのだろう。
「よくもまあ、こんな季節に窓を……」
「私達を、ずっと待ってたんだね、きっと」
赤松は心底呆れ、小雪はクスクスと笑った。
「さて……二人入っても足音が大きくなるだけだし、俺が行くか」
赤松が袋からプレゼントを取り出し、窓の枠に足を置いた時。
「待って!」
小雪が、突然赤松を呼び止めた。
赤松の心臓が、一気に跳ね上がる。
「ご、ごめん……」
赤松が何か言う前に、小雪は小さな声で謝った。
これ以上怒る訳にもいかず、赤松は溜め息を吐く。
「どうしたんだ?」
「え……えっと……」
小雪は少し躊躇して、
「一人に……しないで……」
赤松の耳に囁いた。
赤松は再び溜め息を吐いて、
「……判った」
溜め息混じりに了承した。
赤松が先に窓から入り、小雪の手を引いて中に入れる。
そろそろと爪先で歩き、枕元の靴下にプレゼントを入れた。
ホッと一息吐くと、二人は踵を返し、橇に乗り込む。
「メリークリスマス」
二人は小さく呟いた。
言われた当の本人は、すやすやと寝息を立てていた。
「ごめん、我儘言って……」
空を走る橇の上。
小雪は、さっきの事を謝っていた。
赤松に言われた通り、ずっと上を向いていて、まるで空に話しかけている様だ。
「ま、外は暗いからな……一人じゃ怖いだろ。折角二人でやるなら、役割分担するべきだな。一人がプレゼントを置いて、一人が見張る。これなら良いだろ?」
「うん!」
赤松の提案に、小雪は迷わず頷いた。
差ほど掛からずに、次の目的地が見えてくる。
庭の木やベランダにライトを点けて、ツリーの様にしている一戸建てだ。
街のイルミネーションと違い、周囲が真っ暗なので、一際輝いて見える。
「わぁ〜、綺麗……」
小雪は、それをウットリと眺めていた。
円らな瞳に、色とりどりの煌めきが映る。
「こう言うのって、電気代無駄にしてるよな……」
赤松が、小雪に聞こえないように呟いた。
橇が、二階の窓に横付けされる。
窓は閉まっていて、部屋の中は真っ暗だ。
「やっぱり閉まってるね……」
小雪が、結露で真っ白になった窓に掌を付ける。
手を離すと、手形が付いていた。
少し考えてから、今度は両手を付ける。
離すと、やはり二つの手形が出来ていた。
何だか楽しくなってきて、再び窓に手を付ける。
「…………」
「……魔が差したの」
赤松の視線に、小雪はしぶしぶ手を離した。
「さて、こう言う時は……」
白い袋から、直径一メートル程の輪を出すと、赤松はそれを窓に張り付ける。
すると、輪の内側に空洞が出来、部屋の中が見えた。
「これで進入するんだそうだ」
「ねえ、これって……」
小雪が、何か言いたそうにしている。
赤松はマニュアルを見て、
「名前は、通り抜け……フ……」
途中で言葉を詰まらせた。
「ねえ、あれってやっぱり……」
「もう止めよう。議論するだけ無駄だ」
二人がさっきの事を話し合っている時、急に橇が止まった。
「うわっ!」
「きゃっ!」
二人は驚いて周囲を確認する。
トナカイが止まったのが原因の様だ。
今度は、何故トナカイが止まったのかを確認する。
双眼鏡で見ると、少し遠くの方に、まだ灯が点いている一軒家が在る。
その窓から、子供が顔を覗かせていた。
恐らく、サンタが来るのを、粘り強く待っていたのだろう。
「参ったな……」
赤松は、言葉通り困った表情を浮かべながら、マニュアルを見る。
「これかな……」
そして、白い袋から、種の付いたタンポポの様な物を取り出した。
それに息を吹きかけると、一つの綿毛が風に乗り、問題の家の、問題の部屋に入っていく。
少し経って、子供が窓から離れ、その部屋の電気が消えた。
「わ、スゴい」
小雪は、言葉通り驚いてその様子を見ていた。
「何か、泥棒の七つ道具みたいで嫌だな……」
次の家も、『例の輪』で難無く進入した。
ベッドでは、人形に囲まれた少女がすやすやと眠っている。
部屋も、全体的に女の子らしい雰囲気が漂っていた。
赤松は、枕元を埋めている人形に苦心しつつも、どうにかプレゼントを置く。
「あ、赤松君!」
突如、小雪が――声を潜めて――赤松を呼ぶ。
「どうした!?」
その声が切羽詰まっていたので、「まさか」と思いつつ、赤松は小雪の方を向く。
「この漫画の初回限定版……私持ってないのに……」
小雪は、本棚の前で、少女の本を物色していた。
相当羨ましいらしく、半泣きの顔が豆球で照らされる。
赤松の肩から、穴の空いた風船の様に力が抜けていった。
「……それで?」
それでも、赤松は続きを促す。
「えっと……その……ギブアンド……テイク……」
小雪の言わんとする事を理解し、己の行動を後悔した。
流石に堪忍しかねて、赤松は小雪の額を小突いた。
「……ん……う〜ん……」
その時、少女のものと思われる声が聞こえ、二人は石の様に固まる。
「ふわぁ……」
少女はゆっくりと状態を起こし、大きく欠伸をした。
二人は、身動きこそ出来なかったが、脳内では様々な感情が暴れ回っていた。
頭から血の気が引いていく感覚を覚え、全身から嫌や汗が噴き出す。
「お兄ちゃん……おはよう……ふわあぁ……」
どうやら半分以上眠っているらしく、寝ぼけ眼を擦りながら、居ない人に挨拶をした。
赤松は色々と考えた末、他に打つ手が無い事を悟ると、
「こらこら。まだ子供は寝ている時間だぞ」
様々な感情を内側に抑え、優しい声で少女に話しかけた。
小雪は色々とツッコみたかったが、それが出来る雰囲気ではない。
「あれ……そうなの……?」
どうやら、少女は真相に気付いていないらしい。
「ああ。だから、もう少し寝てろ」
果たして、彼の内側では如何様な感情が巡っているのだろうか。
「は〜い……」
少女は返事をすると、そのままベッドに横たわった。
赤松が、丁寧に毛布を掛け直し、髪を梳かす様に頭を撫でた。
「お兄ちゃん……サンタさん……来てくれるかな……」
「来るよ。必ず」
赤松が答えると、安心したのか、少女はすやすやと寝息を立てていた。
全ての力を使い果たした赤松は、大きく息を吐く。
掌や額は、ビッショリと汗をかいていた。
「赤松君……」
そんな赤松を、小雪は可哀相な者を見る目で見つめている。
「いや、俺は最後の手段として仕方無く……」
「…………」
「そもそも、白鳥さんが人の家の漫画を……」
「…………」
「『お兄ちゃん』なんて呼ばれたら、漢として……」
「…………」
「俺の家、男兄弟だから……憧れてたんだよ……」
とうとう本音が漏れてしまった。
その後も、二人は次々とプレゼントを配っていった。
危ない状況も少なからずあったが、知と勇でどうにか回避した。
深夜の作業なので、何度も睡魔に襲われ、
その度に、白い袋の中に入っていた、目覚まし用のガムを噛んだ。
ある程度場数を踏むと、作業にもある程度慣れてくる。
「最近テレビに出てるメイドカフェは、メイドの何たるかをイマイチ解ってない気がするんだよな」
「あ、解る解る。ちょっとやり過ぎだよね」
「日本特有の女中道的精神を、西洋のロングドレスとエプロンとヘッドドレスで飾ったのが、日本オリジナルの『メイド』なのに、あそこまでしゃしゃり出るとな……」
次第に二人の間の氷も溶けてきて、橇での移動時間を世間話で潰すようになった。
次の場所へ向かう途中、
「赤松さーん、白鳥さーん、聞こえますかー!?」
白い袋の中から、ナツミの声が聞こえた。
少し驚いて、袋の中から無線機を取り出す。
「聞こえるよ」
「調子はどうですか?」
「ああ。どうにか」
「良かった〜……」
赤松の言葉に、言葉通り安心したナツミの声が聞こえる。
「……で、あといくつ残っていますか?」
「え〜と……」
袋の中のプレゼントを数え、ナツミに伝えると、
「えぇ!? そんなに残っているんですか?!」
予想外のリアクションに、二人は面食らった。
「ちょっとマズいですよ……間に合わないかも知れないですよ……」
声だけでも、ナツミが焦っている事が伺える。
彼女の焦りが、二人にも伝染し、二人は息を呑んだ。
「こっちはもうすぐ終わりますので、なるべく急いで下さい。すぐ援護に向かいます!」
「判った」
連絡を終えると、 二人はすぐに準備に取りかかった。
次の目的地に着くと、二人はすぐに室内に進入する。
同時に、子供と同じ部屋で寝ている親の姿を見付け、二人の心臓が跳ね上がった。
幸い、誰も起きる気配は無さそうだ。
――焦り過ぎたな……。
赤松は、心の中で自分を咎めた。
入る前に室内を確認しておけば、危なげ無く入れた筈だ。
こう言う状況だからこそ、焦ってはいけない。
焦燥は、常々自分自身の敵だ。
無闇に急ぐと、必ずどこかで失敗して、余計時間が掛かってしまう。
焦らない程度に急ぐのが最も良いのだが、その力加減はなかなか難しい。
もっと、冷静にならなければ。
「白鳥さんは、親の様子を見といて」
「判った」
小声で指示を出すと、赤松は子供の枕元へ移動する。
子供が眠っている事を確認すると、赤松はその場にしゃがみ込み、そっとプレゼントを置いた。
作業が無事に終わり、赤松は息を吐く。
赤松の方を見ていた小雪も、ホッと安堵した。
その時、右脚の絶対領域に、何かが伝う感覚を覚える。
小雪は気になって、その辺りを確認した。
豆球で照らされているだけなので、少々判り難いが、直径一センチにも満たない蜘蛛が、
小雪の脚を這い回っているのが確認出来る。
ニーソックスを履いているので、ここまで到達するまで気付かなかったのだろう。
一通りの状況を認識すると、小雪の顔が見る見る青ざめていく。
「きゃあああああああぁぁぁぁっ!!!!!」
小雪の悲鳴が、部屋中に響き渡った。
突然の大声に、赤松の心臓が跳ね上がる。
混乱する頭を抑えながら、状況を確認しようとするが、暗い部屋ではそれもかなわない。
少しして、部屋の電気が点き、夜目が利いていた赤松は目を覆う。
どうにか慣れて見ると、子供の親と思われる、三十代の男女が、二人を見ていた。
蜘蛛を追い払った小雪は、ようやく自らが犯した過ちに気付き、真っ青になる。
子供は、それでも未だ何事も無いかの様に眠っていた。
――終わった……。
赤松が、何もかも諦めたその時。
「そうか。今年は君達が……。いや、驚かせて悪かった」
男性が、特に驚く事も無く、ばつの悪そうな顔で謝った。
予想外の反応に、二人は戸惑う。
「ごめんなさいね。うちは、蜘蛛を見付けても放っておくようにしてるの。気持ち悪いから殺すなんて理不尽な発想だし……ほら、害虫とか食べてくれるでしょ?」
壁を這う蜘蛛を見て、女性も謝った。
訳が解らず、赤松と小雪は顔を見合わせる。
「大丈夫。うちの息子は、ちょっとやそっとじゃ起きないよ。毎年済まないね。去年のプレゼント、息子が大変喜んでたって伝えておいてくれ」
「あ、あの……」
赤松が色々と尋ねようとした時。
「ナツミと連絡が取れないと思ったら……こう言う事ね」
窓の方から、柔らかい印象を受ける声が聞こえ、四人はその方を向く。
そこに立っていたのは、二十代前半と思われる女性。
身長は百七十程と思われ、脚はスラリと長く、ウエストは締まっており、出るべき部分は出ている。
透き通った碧眼と、雪の様に真っ白なロングヘアが特徴的だ。
ナツミや小雪と同じ、サン・タクロス社の制服を着ている。
ナツミを『垢抜けていない、元気な少女』とするならば、彼女は『落ち着いた、優しいお姉さん』と言う印象だ。
「もしかして、貴女は……!」
男性と女性が、とても嬉しそうに言う。
「はい。サン・タクロス社社員、識別番号F-0469のシルクです。……あの時は、本当にありがとうございました」
シルクは自己紹介をして、深々と頭を下げた。
「やっぱり! いや〜、何年ぶりだろう! 息子が生まれる前だから……ずいぶん経つんだな」
彼女がシルクである事が確定して、男性は嬉々として言った。
「そうですね。正直、もう会える事は無いと思っていましたから、再び会えて、とても嬉しいです」
シルクも、笑顔で応対する。
「あ、あの……?」
状況が飲み込めず、赤松はシルクに声を掛けた。
そこでようやく、シルクは本来すべき事を思い出す。
「ゆっくりと話をしたいのですが、生憎、仕事がまだ残っています。もし会える機会があれば、その時にまた」
「そう……残念だわ」
シルクの言葉に、女性は言葉通り残念そうに言った。
シルクに促され、赤松と小雪は橇に乗る。
「……メリークリスマス」
シルクが口惜しそうに言い、
「メリークリスマス。お仕事頑張れよ」
男性と女性は笑顔で見送った。
橇が、トナカイに引っ張られ、家からぐんぐん離れていく。
赤松達が乗った橇は、明らかにナツミから借りたそれではなかった。
ナツミの橇よりも大きく、空いている荷物入れに、二人が余裕で乗る事が出来る。
シルクは前の席に座っていて、その隣には、残りの荷物を入れた袋が置かれていた。
その橇は、二匹のトナカイに繋がれている。
ナツミのトナカイよりも圧倒的に速く走っており、風圧が身体を押し続けていた。
「……あの」
「何?」
暫く沈黙を守っていた赤松が、シルクに声を掛ける。
「貴女は一体……?」
「そっか。未だ説明してなかったわね。
私はシルク。サン・タクロス社社員。ナツミの先輩よ」
赤松の問いに、シルクは改めて自己紹介した。
「何で、あの夫婦は私達を……?」
小雪の質問に、シルクはクスッと笑い、
「あの二人は……未来の貴方達かも知れないわね」
答えになっていない答えを提示した。
小雪は、頭に『?』の字を浮かべる。
赤松が、先にその意味を悟った。
「もしかして、貴女も……」
「さて……残りのプレゼント、早く届けてしまいましょうか」
「はふ〜、ようやく終わりました……」
最後の一件を済ませたナツミは、急いで橇に乗り、無線機を取り出した。
あの二人の作業が遅れているのは、何の関係も無い人を巻き込んだ所為だ。
全部、自分の所為だ。
だから、何としても、自分が最後まで責任をとらなければならない。
――あれから、どれくらい終わったでしょうか……?
少し不安になりつつも、ナツミは無線機の電源を点けた。
「赤松さーん、白鳥さーん、聞こえますかー!?」
少し経って、
「聞こえるよ」
赤松の返事が返ってくる。
「あれから、どれくらい配れましたか!?」
「え〜と……」
暫く向こうは沈黙して、
「……残りはゼロ。終わった」
信じられない答えが返ってくる。
「えぇ!? どう言う事ですか!?」
そんな馬鹿な。
さっきの連絡で、あんなにプレゼントが残っていたのに……。
どう考えても、これ程のスピードアップは考えられない。
「どう言う事って……そう言う事だ。詳しい事は、あの広場にもう一度集まってからにしよう」
「えっ、ちょっ……赤松さん!? 赤松さん!?」
一方的に、連絡が途絶えてしまった。
――とにかく、二人と合流しないと。
そう判断したナツミは、急いで広場へ向かった。
「よう、遅かったな」
「ナツミちゃん、お疲れさま〜♪」
ナツミが広場に着くと、既に赤松と白鳥が居た。
ナツミとは対照的に、至って涼しい表情をしている。
状況が飲み込めないナツミの目に、トナカイと橇が映る。
――え?
あの橇は、明らかに自分の物ではない。
あんなに大きな橇を貸した覚えは無い。
そして、貸したトナカイも一匹だ。
なのに何故、二匹も居るのだろう。
トナカイの数が多ければ多い程、速度は速くなる。
荷物の配達が間に合ったのは、この為と考えて間違い無い。
取り敢えず、最初の疑問は解決出来た。
だが、それ以上に難解な疑問が、次々と浮かんでくる。
それらについて考えると、否応無しに辿り着く一つの答え。
「まさか……」
そして、その答えは当たった。
赤松と小雪の後ろに居るのは……。
「し……ししし、シルク先輩!?」
およそ最悪の事態が起きてしまった。
一般人に見られた挙げ句、手伝って貰っただなんて知られたら、無事に済む訳が無い。
配達は、他でもない自分の仕事なのだ。
自分のすべき事を、他人に手伝って貰うなんて、言語道断だ。
だが、仕方が無かったのだ。
こうしなければ、とても間に合わなかったのは、紛れもない事実だ。
……もちろん、そんな事情が通用する訳が無いが。
「あ、あの……何故にここへ……?」
「無線に出ないから、ちょっと心配になって」
ナツミの質問に答えると、シルクはナツミにゆっくりと歩み寄る。
ナツミは数歩後退り、その場にへなへなと座り込んだ。
移動を止めると、シルクとの距離が、確実に縮まっていく。
それに比例するかの様に、ナツミの顔から血の気が引いていった。
そして、シルクがナツミの目の前に立つ。
ナツミは頭を抱え、その場に縮こまった。
「す、済みませんでした! この二人に見られたのは、全部私のミスです! この二人に手伝って貰ったのも、私の勝手な判断です! ……でも、仕方無かったんです。他に手が無かったんです。配達を間に合わせようと思ったら、これ以外には……。自分を正当化するつもりは無いです! 本当です!」
必死に謝るナツミの身体は、小さく震えている。
そんな彼女が受けたのは、叱責でも殴打でもなく、
「お疲れ様、ナツミちゃん」
優しい労いの言葉だった。
「……はぇ?」
予想外の出来事に、ナツミは戸惑いを隠せない。
「あ、あの……」
「……? どうしたの?」
当のシルクは、至って涼しい顔をしていた。
「……その……怒らないんですか?」
思い切って、ナツミは尋ねてみる。
「どうして?」
「だって……私‥…」
怖々と尋ねるナツミに、シルクはフッと微笑んだ。
そして、ナツミの頭にそっと手を置く。
ナツミはビクッと身体を震わせ、上目遣いでシルクの顔を見る。
シルクは、温かい笑顔でナツミの頭を撫でた。
「そう言う所が、貴女の直すべき点ね。一人で全部頑張ろうとして、一人で全部背負い込もうとして……。熱意は評価するけど、行き過ぎは考え物ね」
「でも、私は新人として、一日も早く先輩の様な」
反論しようとしたナツミの顔を、シルクは緩く小突いた。
「一人で先走っても、誰も連いて来ないわよ。頑張るのは結構だけど、自分の技量に見合う範囲で。貴女は、一人なんかじゃないんだから。色んな人が支えてくれるから、貴女が在るのよ」
シルクは、ナツミに諭す様に言った。
ナツミは黙って話を聞き、小さく頷く。
「……でも、一般人を手伝わせてしまった事は……」
「それなら、気にしなくても良いわ」
不安げに言うナツミに、対照的な表情でシルクは答える。
「大抵の新人さんは……もちろん私も、最初はそうだったから」
「……え?」
さらりと衝撃的な事を言われ、ナツミは己の耳を疑った。
シルクは、相変わらず笑顔に翳りが無い。
「赤松さんと白鳥さん……だったわね?さっきの質問の答えでもあるから、よく聞いてて」
「は、はい……」
さっきからずっと見ていた二人も合わせ、シルクの聴衆が三人になる。「新人が定刻通りに荷物を全て届けるのは、正直言って無理。どんなに頑張っても、本物の現場は戸惑う事だらけだから」
まず、ナツミが一人でプレゼントを届けられなかったのは、必然である事を話した。
一息吐いて、更にシルクは続ける。
「サン・タクロス社が新人に求めるのは、どうにもならない状況をどうにか出来る力。他の何よりも、子供達にプレゼントを届ける事を優先する心。そして、会社の構成員である以上、無くてはならない協調性。それらを身を以て教える為に、一般人に頼らざるを得ない状況に身を置かせるの。だから、貴女がした事は、何一つ間違っていないの」
そう言って、シルクはナツミの頭を再び愛撫する。
その仕草は、先輩から後輩へと言うよりは、姉から妹へと言った感じだった。
「私も、貴女と同じ新人だった頃、同じ様な体験をしたのよ。どうしてもプレゼントの配達が間に合いそうになくて、困っていた時に、若い夫婦に声を掛けられて……藁にも縋る思いで、必死に頼み込んだの。そうしたら、『子供の頃のお礼だ』って、快く承諾してくれたわ。さっき、会う機会があったんだけど……仲睦まじそうで良かったわ」
ここでようやく、小雪はさっきの質問の答えを悟った。
更にシルクは続ける。
「プレゼントを貰った子供達は、夢の有る素敵な大人になって、次代の為に新人達を手伝ってくれるの。私達は皆に夢を配り、皆は私達を育ててくれる。
こうして、ずっと、ずっと子供達の夢は守られていくのよ。……さて、もう納得してくれたかしら? 兎に角、三人共お疲れ様」
シルクが、再び労を労う。
それと同時に、ナツミの瞳から涙が溢れ、頬を伝い、ポロポロと流れ落ちた。
「あ、あれ……何で……?」
当の本人が一番驚いているらしく、何度も涙を拭うが、その都度涙が溢れてきた。
理由は、良く判らない。
只、シルクの言葉で緊張が解け、全て終わったのだと安心した途端、目頭が熱くなったのは確かだ。
「あらあら。仕様が無いんだから……」
シルクは微笑んで、ナツミをそっと抱き留める。
暫くの間、ナツミはシルクの胸の中で、嗚咽を漏らし続けていた。
「さて、仕事も終わったし、そろそろ帰りましょうか。皆が、打ち上げの準備をして待ってるわよ」
「はい!」
ようやく泣き止んだナツミが、軽快に答える。
橇に乗り込もうとして、何かを思い出し、橇に積んであった白い袋から、赤松と小雪の服を取り出す。
「二人共、本当にありがとうございました。服を返しておきますね」
ナツミが頭を下げて服を差し出し、二人はそれを受け取った。
「ところで、この制服は……」
「せめてものお礼です。貰って下さい」
こうして、二人はサン・タクロス社の制服を貰った。
サンタルックで街を歩いて帰らなければならない事は、未だ頭に無い。
ナツミとシルクが会釈して、橇に乗り込もうとした時。
「あ、あの!」
小雪が突然呼び止めた。
「何?」
それでも、シルクは嫌な顔一つせずに振り返る。
小雪は少し間を置いて、
「私‥…子供の頃に、貴女達から何かを貰った覚えがありません。クリスマスプレゼントは、全部両親が買ってきた物でした。今更何かを貰おうなんて思っていませんけど、理由だけでも教えて貰えませんか?……すみません。最後の最後にこんな……」
最後の疑問を尋ねた。
「そう言えば、俺も貰った覚えが無いな。家族がアンチキリストだから、当たり前かも知れないけど」
赤松も、それに便乗する。
シルクは少し考えて、
「……ちょっと待って。貴方達の名前、確か聞いた覚えが……」
何かを思い出そうとした。
暫くの沈黙の後、シルクはポンと手を叩く。
「思い出したわ。社内で耳にした話なんだけど……」
そう言って、シルクは再び話を始めた。
「日本のある所に、一人の女の子が居たの。その子は、両親が忙しい所為で、ずっと独りぼっちだったわ。親の愛情を知らずに育ったから、友達も出来ず、いつまで経っても独りだった。その娘の唯一の楽しみが漫画だったから、尚更孤立していった……。そんな女の子のクリスマスの願いは、『自分を受け入れてくれる友達』。サン・タクロス社も、流石にこれには困ったそうよ」
恐らく、小雪の事だろう。
更にシルクは続ける。
「日本のある所に、一人の男の子が居たの。その子は、家族が宗教に厳しい所為で、クリスマスをまともに楽しんだ事が無かった。そんな男の子のクリスマスの密かな願いは、『クリスマスを楽しむ事』。これもまた、サン・タクロス社を困らせたのよ」
恐らく、赤松の事なのだろう。
「私達は、何年も悩んだわ。どちらも『物』じゃなかったから。……そして、つい最近、ようやく一つの結論に辿り着いたわ。この二人を巡り合わせれば、両方の願いを叶える事が出来る、と。女の子は、趣味の合う男の子に受け入れて貰える。男の子は、初めての友達に喜ぶ女の子とクリスマスを過ごせる。これが、私達の出した答えだったの」
「えっ……それってつまり……」
赤松と小雪が、驚いて顔を見合わせる。
「そう。『二人が出会う切っ掛け』が、サン・タクロス社からのプレゼントなの。……さて、そろそろ帰らないと、打ち上げに間に合わないわ。いつまでもお幸せにね、二人共」
そう言うと、シルクとナツミは橇に乗り込んだ。
赤松と小雪は、驚きで声も出ない。
二匹のトナカイが、空へと動き出した。
「赤松さーん! 白鳥さーん! 本当にありがとうございました〜! 絶対……絶対、この御恩は忘れませんからね〜!」
ナツミが、橇から乗り出して、二人に向かって手を振る。
橇が宙に浮かび、二人からぐんぐん離れていった。
最後までナツミは手を振り続け、橇から落ちかけ、シルクに救われる。
どんどん橇は小さくなって、とうとう夜空へと消えていった。
「…………」
「…………」
二人が去った後も、赤松と小雪は立ち尽くしていた。
同時にお互いの方を向き、目が合い、思わず顔を逸らす。
顔が紅潮し、心臓が高鳴っている感覚が感じられる。
さっきまで普通に遣り取りしていたのが、まるで嘘の様だ。
「……赤松君が……」
小雪が、沈黙を破る。
「赤松君が……私へのプレゼントなんだね……」
「白鳥さんが……俺のプレゼントなんだな……」
自分で言って、かなり恥ずかしくなってくる。
二人同時に横目で見て、目が合って、目を逸らして……それを三回繰り返した。
「ま、まあ……悪い気はしないな」
「結構……嬉しい……かな」
思った事が、口で湾曲して放たれる。
そんな自分に、再び恥ずかしくなった。
「……帰るか」
「う、うん」
ぎこちない遣り取りの後、二人は早朝の街を歩き出す。
赤松は少し考えて、かなり躊躇して、どうにか覚悟を決めたあと、小雪の手を握った。
驚いて、小雪は赤松の方を向く。
何か言おうとしたが、
「何も言うな」
すぐに赤松に止められた。
暫く歩いた後、三番目の信号待ちの途中で、小雪が赤松に寄り掛かる。
「し、白鳥さん?」
「……眠い」
「ここで寝たら不味いって。家まで送ってやるから頑張ってくれ」
「……お前の血は……何……い……」
「…………」
どうやら、夢の世界へと旅立ってしまったらしい。
赤松は溜め息を吐いて――それでも表情は曇る事無く――
「世話の焼けるプレゼントだな……」
小雪を起こさないように呟いた。
雲一つ無い空は、太陽が顔を覗かせる時を待つばかりだ。
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2005/12/25(Sun)18:12:31 公開 / 月明 光
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■作者からのメッセージ
クリスマスに間に合わせたいが為に、一日中パソコンに向かっていました。
もう限界です。夢幻花 彩さんの返信にも応える余力が無
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