『MISSING CHILD 〜NEVER−NEVER LAND〜 scene1-2』 ... ジャンル:アクション リアル・現代
作者:緑豆                

     あらすじ・作品紹介
 20歳未満の少年少女にしか発症しない病、JMBS。罹患が発覚した者は皆、永野森島へ強制送還される。 JMBSであることがバレた主人公、相川玲人の永野森島での物語。

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「率直にお聞きしますが、JMBSとは何なのですか?」
「要はピーター・パンの亜種なのさ。ネバー・ランドに迷い込んだ彼らは、永遠の少年となった。つまり―――」


                                        〜ヘンリー・オーウェン氏インタビューより抜粋〜

 ※
             

 その時オレが何故そんなことをしたのかと聞かれたら、答えには簡潔且つ応用のきくこの言葉を使っただろう。
『ムカついたから』。
 このクソ共にムカついたから。あるいはクソな人生にムカついたからでもいい。ああ、何て便利な言葉だろう。誰かに質問されたら、是非とも使ってみたい言葉だ。取調室の中で、というのは御免だが。
「それはともかく、これからどうすっかな……」
 スラム街の劣化コピーみたいな真夜中の裏路地。積み上げられたブロックの上に座って、オレは眼前の光景を見下ろす。
 そこには、潰れたカエルよろしく地べたに這いつくばっている馬鹿共がいた。人に絡んできて返り討ちにされた、筋金入りの馬鹿共の成れの果てだ。
 どうもこいつらは、視力があるくせにしっかりと物事を見ないめ■ら未満らしい。しょっちゅう弱い奴を見つけては金をむしり取っているだろうに、そういう奴と違うものの区別すら出来なかった。
 そうして地べたに転がっている無能なハイエナ。自分でやっておいて何だが、オレなら自殺してるね。こんな無様な姿、見てられない。
『それ』の一人が、口を開こうとする。
「クソが……何な」
「うっせえな、呼吸すンなよ」
 ごがん。言葉が文章になる前に、『それ』を足で蹴り潰す。『それ』はくぐもった呻きと共に動かなくなった。
 さっきもうるさいと言ったのに、まだ黙らないあたり頭も悪い。
「生命力だけはゴキブリ並みだな、アンタら。長生きできるよ、うらやましい。」
 ちっともそうは思ってなさそうな口調で言ってやって、立ち上がる。何気なく上に視線をやると、建物の隙間から月光が差し込んでいるのが見えた。こんな場所には似合わない光景だ。
 こんな時、少しでもボキャブラリーのある人間ならば、ましな表現を思いつくんだろうが、あいにくとここにいるのはオレだけだ。
「あー、とりあえずメシでも食うか……」
 せいぜいが、こんな言葉しか出てこない。
 だからというわけでもないが、とりあえずブラブラと歩くことにした。
 行くあては無い。が、明るい方角へ向かえばその内何処かには着くだろう。世界は馬鹿みたいに広くとも、人一人が生きていく場所は限りなく狭いのだから。
 深い藍色の空を見上げながら、オレは夜の街を往く。

 

MISSING CHILD 〜NEVER−NEVER LAND〜


Scene1
 
 1

 紅葉というものは最初こそ物珍しさで見ているだろうけれど、そればかりが続くと当然の様に飽きてくる。
 それが三時間以上ともなれば、尚更のことだろう。むしろ目が痛くなってくる。
秋も暮れきった十一月。僕はこの動く監獄のような車の中に、ずっとずっと揺られ続けていた。時間にすれば、計六時間程になるだろうか。
 海の上を渡って、それから山を渡って。ここが何処なのかはまるで分からないけれど。
「…………ふぅ」
 憂鬱さを思い出してしまい、ため息。あれだけ長いこと揺られていれば、ため息の一回や二回どころか、もう四十二回は出ている―――文法的にはおかしいかもしれないが、回数を数えるぐらいには暇だった。
 大体、本の持ち込みさえ許されないのはどうなのかと思う。最初に家を出たときに持ってきていた小説や漫画本は全部没収されたのだ。畜生、あの中には無人島に一つだけ持っていくのならと言える、とっておきの本があったというのに。
「このわからずやめ」
 あんまりに悔しいので、ガラス張りの向こうにいる運転手に文句を言ってやった。もっとも、このガラスは防音性らしく、僕の悪口は全く届いていないのだが。つまりは確信犯的な行為。
 ……それでも、悪態を付くときの僕の表情はバックミラーで見えている筈なのだから、察してもおかしくはない。
「ってことは、やっぱり無視されてるのか」
 呟いた言葉は、不満に満ち満ちていた。どうも自分は、悪口を聞かれるのが怖いくせに、いざ聞かれなかったから腹が立ったらしい。最低だった。陰口をわざと聞こえるか聞こえないかの範囲でいう奴か僕は。
「ああ、くそっ。別に暴れるわけじゃないんだから、腕ぐらい自由にさせて欲しいんだけどな」
 ぼやきながら下に向けた視線の先には―――無駄に厳つい手枷と足枷。しかも鍵は電子ロック。
「僕は凶悪犯か何かかよ……」
 事態は最悪だった。
 僕は、何でこんな事になったのかを回想する。
 そもそもの発端は、昨日だった。そう、ほんの一日前! 日常から手枷足枷をかけられるような事態に移るには、あまりにも短すぎる時間だ。多分、正確に時間を測ったなら、まだ二十四時間も経過していない事が分かるだろう。
 故に回想は手短に終わる。まあ僕は説明下手なので、案外長くなるかもしれないが。
 僕―――相川玲人(あいかわ れいじ)は、何処にでもいるような平凡な高校生で、人並み程度の生活を送っていた。
 本当に凡庸だったと思う。特に容姿が優れていたわけでもなく、成績だって中の上。友人の数もそれなりならば、両親との関係もそれなりだった。まあ、妹には嫌われていたようだけれども、それだって別段珍しいことじゃない。
 非行に走っていた訳でもなければ、善行を積んだ訳でもない。そんな一般市民Bぐらいの人間だったのだ。
 そんな特徴のないのが特徴である僕が、他人よりも大きく異なっていたところがあるとすれば一つだけ。
 性質の悪い病気を罹患していたことだろう。
 JMBS。三十年前に発見された、原因不明の症候群。
 二十歳未満の少年少女にしか発症しない非感染性のものだというのに、たったの三年で一万人もの発症者を出した曰く付きの病である。
 病状は肉体的なものから精神的なものまで様々なものがあるが、共通している事柄が一つだけある。
 それは―――
『218754番、もう十五分ほどで目的地に到着するので準備をしろ』
 唐突の声に、思考が中断される。それは、車の後部についていたスピーカーからの声だった。どうやら、運転手がマイクを使って呼びかけたらしい。
 ……何が準備をしろ、だ。こんな手足で準備も何もあったものではない。心の準備をしろとでも言いたいのか、こいつは。
 しかも番号呼ばわり。規則だか何なのか知らないが、仮にも患者を番号で呼ぶってのはどうなのか。
『返事はどうした、218754番』
 そんな僕の不満が分かるわけもなく、運転手は淡々と催促の言葉を紡ぐ。しかも今の発言は僕の言葉が聞こえてる、と暗に言っているものだった。
「何だよ、こっちの言葉はシカトしたくせにさ……」
『返事をしろ、218754番』
「…………」
 いっそこっちからもシカトしてやろうかとも思ったが、すぐに思い直した。十七にもなった高校生がやることにしてはあまりにもガキ過ぎるし、もし『返事をしろ、218754番』が延々と続けられたら、たまったものではない。
『返事をしろ、2』
「……わかりましたよ、運転手さん」
 言った言葉には、ものすごく疲れがにじんでいた気がする。何はともあれ、運転手の催促はそれでようやく止まった。
「はあ―――」
 本日、四十三回目のためいき。何だか疲れてきた。
 目をつむり、席に背中を預ける。眠るつもりはない。ただ……少しの間だけ何も考えていたくなかった。昨日一日の間に、多くのことがありすぎたから。
「これから、どうなるんだろうな……」
 もうじき、どこともしれぬ目的地に着く。そこで、僕はどうなるのだろう―――。


 ■


「兄貴、アンタJMBSにかかってたんだ」
 彼女の言葉は、ただ淡々としていた。それこそ、まるで今日の天気を語るように。
 まあ、そんな態度を取られるのも当然だろう。彼女は―――僕を嫌っているんだから。
「……うん、そうだよ」
 だから僕も出来るだけ淡々と答える。それに応えるように。
 けれど、失敗だったらしい。
「そのはっきりとしない態度。やめてって前にも言ったわよね、わたし」
 僅かな嫌悪感と共に、彼女は僕の言葉を斬り捨てた。
 ……どうにも嘘や社交辞令の類は苦手だ。いや、彼女自体が苦手なのかもしれないが。
 何にせよ、僕は本当に謝ろうとする。だが、
「ああ、ごめん。直そうとはしてるんだけど、ね」
「だから、わたしは! ……もういい。アンタに言ったわたしが悪かった」
 またも失敗。彼女は今度こそ嫌悪感を顕わにした。
「いつもいつもそうだった。アンタはわたしにそんな曖昧な態度ばかり取る」
「…………」
「別にいいんだけどね。兄貴がわたしの事を嫌っていたのは知っていたし」
「! それは、」
 違う、の言葉が出なかった。今まで曖昧な態度を取っていた僕がそんな言葉を言ったところで、信じでもらえる訳が無かったから。
 尚も彼女は僕を責め立てる。
「JMBS(その)ことだってわたし達には何も言わなかったしね。……通報されるとでも思ったの?」
 そんなことは思っていない。けれど今の彼女に何を言っても無駄だろう。僕に出来るのは押し黙ることだけだ。
 それを見てどう思ったのか。彼女は身を翻し、
「まあ、血の繋がってない家族なんかを信じる道理も無いわね。―――実の子だってあっさり捨てられる世の中だもの」
「…………」
 そう言い残して去っていった。
 家の廊下を曲がろうとして―――そこで何かを思い出したかのように振り向く。
「ああ、そういえばもう一つだけアンタに言いたいことがあったわ」
「……何」
「最低」



 


 ■


『目的地に到着したぞ、降りろ』
 機械じみたというより、本当に機械なんじゃないかと思わせる声が僕の意識を覚醒させた。
 どうも、いつの間にか眠っていたらしい。
「……あー、うー」
 ぼんやりとした頭を振り払う。到着するまでのほんの十分の間で夢を見ていたようだ。
「まさか、昨日の夢を見ることになるとは……」
 余程疲れていたんだろうか、僕は。だったらもう少し夢のある夢を見せて欲しかった。夢でまで現実を見せられたくないんだが。
『どうした。早く降りろ』
 淡々とした声。そもそも足枷嵌められてるんだから動けないだろうにと言いかけたところで、その足枷が外れているのに気がついた。電子ロックを解除したのか、足枷は綺麗に真っ二つに割れたかのような形で転がっている。腕のほうは、まだしっかりとロックされているようだが。
 僕はもう何かを言い返す気力も無かったので、大人しく降りる。
 ―――途端、目の前に冗談のような光景が広がってきた。
「……………………うわっ」
 まず分かったのは、ここがかなり高い位置にあるという事。後ろを振り返れば、今まで来た道を悠々と見渡すことが出来た。最初に渡った海さえも見通せる。
「あそこを、僕は通ってきたっていうのか……」
 疲れや諦めとは違うためいきが自然と出てきていた。
 そして、前を『見下ろしてみる』。
 見下ろす、という表現を使ったのは別にここが頂上で断崖絶壁のような状態になっているからというわけではない。まあある意味当たっているかもしれないのだが。
 僕の前方、ここが山なら木なり森なりそれらを含んだ傾斜がある筈の場所にあったのは、今まで僕が住んでいたのと変わらない都市だった。
「これ、って」
 意味のまとまらない言葉が口をついて出る。まさか、山の中に都市があるなんて思いもしなかった。
 イメージとしてはキウイだろうか。 真っ二つに割って出てきた山の中身という実をスプーンで掬い取ると、残るのは綺麗になった都市という底の皮。
 ……うまく説明出来ないが、きっとそんな感じだ。
「まずは入り口で入門検査を受ける。ついてこい」
 呆然としている僕の後ろから運転手の肉声がかかる。振り向くと、大柄のがっしりとした男が直立していた。これが、この男の素顔なのか。
 歳は三十台後半ぐらいに見える。身長は190に届きそうなぐらいで、角刈りにした頭に精悍な顔立ち。運転手というよりは、SPとかヤクザの方がまだ似合っていた。
とりあえず。
「この人に悪口を言うのはやめておこう……」
 小市民な自分だった。
 見かけの割には歩行速度が速い運転手の後を小走りでついていく。
 舗装された傾斜を下った先には、運転手の言った検問らしき施設が確かにあった。
「行くぞ」
 男はまた少しだけ速度を上げる。ほんの少しだが離れる距離。
 ―――僕は、一瞬だけこの場を逃げることを考える。今、踵を返して全力で走れば逃げ切れるかもしれないと。
 男は見かけによらず足が速そうだが、それでも僕の方が速いという絶対の自信があった。例え向こうが車に乗って追いかけてきたとしても、僕は森に潜るだけで相手を撒くことが出来る。ここは狭い島だ。真っ直ぐ下っていけば必ず島の端に辿り着けるだろう。
 だが、そこまでだ。島を出るには船が必要になってくる。僕にそれをどうこうする技術は無いし、例えどうにか出来る人間を脅して乗ったとしても、船は警備隊なり何なりに包囲されるだろう。
 要するに、これは無駄な思考だった。
「馬鹿らし……」
 ためいきをついて、男の後ろを追いかける。
 五分としない内に検問についた。そこには、今まで見た入り口のイメージを覆すような馬鹿でかい門が。
「本当に、ここは何処なんだろうか……」
 僕の頭を不安がよぎってゆく。船に乗った辺り、ここが日本ではないと言われても否定が出来ない。運転手が実は某国の特殊工作員ですって言ったら、信じてしまうかも知れない。それぐらいには不安だった。
 それで、その運転手はといえば、慣れた足取りで門の両脇にいる警備員の元へ歩いていく。男に気付いて駆け寄ってきた警備員といくつか言葉を交わし、時折僕を親指で指しながら、手続きを取る。
 やがて手続きが終わったのか、男が手招きしてきた。
 人を指差すなと言いたい所だが、言ったところで男は同じ動作を繰り返すか「218754番、来い」と言うだけだろう。
 転ぶと分かっている轍を踏むつもりは無い。僕は彼の元へ向かう。
 そこで、警備員に身体検査(車に乗せられる時もやったというのにだ)や身元確認、いくつかの質問を受け、ようやく通行が許可された。
 ギギ、と大きな音を立てて開く門。何となく昔社会見学で見た監獄を思い出した。あそこには閉じる門こそ無かったが、形は似ている。
「まあ、ここも似たようなものか」
 呟き、ぼんやりと開いていく門を眺める。
「…………ん?」
 と。門の向こうに人影が見えた。普通に考えれば、向こう側にいる警備人なのだろうが―――どうにもすぐ傍にいる警備員とはシルエットが違う気がする。
「あの、運転手さん」
(返答こそ期待していなかったが)一応聞いてみようと思ったところで、影のほうから声がかけられた。
「やぁやぁやぁ、やっと来たかい藤堂! あんまり待ちくたびれたんでこっちから迎えに行こうかと思ったぐらいだよ、ははははは!」
 ……何だか場違いなぐらいにやたらと陽気な男性の口調。さっきまで暗いとかいう以前に必要最低限のことしか喋らない人といたせいもあってか、もの凄く印象的だった。
「ん、そっちの彼は例の患者かな、えーと相川玲人くん?」
「……そうだ」
 陽気な男の声に、淡々とした声で答える運転手―――藤堂。知り合いらしいこの二人は、やはり対照的だと思う。
 門が開ききったところで、ようやく男の姿が見て取れた。
 年齢は二十台半ばといったところだろうか。……ビジュアル系バンドみたい金髪のロングに、白衣を着たそれなりの長身。そして機能重視のやぼったい眼鏡をかけた、秀麗な容貌。
「……………………」
 うーん。これは……
 僕が彼を見つめていると、気になったのか向こうから話し掛けてきた。
「む、どうしたのかな? 僕の顔に何かついてるかい?」
「いや……その、何というか」
 何というか、変だった。ちぐはぐだった。交差点でうっかり会おうものなら、全力で目を背けたくなるような感じの。なまじ容姿がいいだけに、余計にちぐはぐ感が気になってくる。
「個性的なファッションですね」
 勿論口には出さないけれど。
「あはは、ありがとう。そう言ってくれたのは君ぐらいなんだよ。大学でもここでもみんな、『お前の格好は変だ』って言ってくるんだ、酷い話だよなァ」
 変です、と言いそうになるのを堪えて相槌を打つ。
「まあ、それは置いておいてだ。僕がここに来たのは君のようなJMBS患者を案内する為でね。君をここまで案内するのが藤堂の役目。ここからが僕の番って訳さ」
 そう彼が言うと、藤堂が踵を返した。
「あれ、もう行くのかい藤堂? 僕の発言に合わせて帰ることはないのにさ」
「必要以上に入り込むと内部の連中がうるさいのでな。それに、次の仕事もある」
「へぇ……てことはまた来るのかな」
 藤堂の言葉に彼は興味があるようだったが、僕の方は少しだけ憂鬱だった。
 彼は、また僕のような人間を連れてくるのだろうか?
 ……それを考えると気が重い。
 結局、最後まで寡黙だった男は、僕に何を言うでもなく去っていった。
「…………」
 感慨は無い。ただ、何となく彼とはまた会うような気がしていた。
「さて、それじゃあ行こうか、玲人君?」
「あ、はい」
 門から歩き出した白衣の男の呼びかけに答えて、僕も後をついていく。
 男は、僕がついてきたのを見計らったかのように振り向いた。
「ああ、そうそう。自己紹介が遅れたね。僕の名前は、諏訪 緋澄(すわ ひすみ)。ここでJMBS患者の担当をしている医師だ。よろしくね」
「ど、どうも」
 にっこりと笑顔の挨拶。僕は少しだけ呆気に取られた声で、返答する。
 この人、医者だったのか……年からいって、てっきり誰かの助手なのかと思っていたけれど。少しだけ意外だった。
 諏訪は大仰に手を広げて、おどけた様に挨拶する。

「そしてようこそ、永野森島へ。このネバー・ランドは、君たちJMBS患者を歓迎するよ」




 ※


 ここはまるで牢獄だ、と少年は思った。
 灯りの無い部屋だった。
 狭い室内、窓の無い壁、冷たい床。部屋を構成する要素は、いずれもが徹底的なまでに牢獄を模している。
 鉄の扉に鍵は無い。牢獄を模すならば、外からしか開けられないのは自明の理であるが故に。
よって、この部屋は真実牢獄であった。
「糞…………」
 少年は焦点の合わない濁った瞳で、宙を見つめる。
 この部屋に『投獄』されて何週間が過ぎたのだろう―――? 彼はそのことばかりを考えていた。
 実際には一週間を超えてもいないのだが、暗闇の中に一人いた彼にそれを理解するのは無理な話だろう。寧ろそれだけの期間を独りで過ごし、正気を失わなかった彼の精神力を褒め称えるべきだ。
 そもそもの発端は六日前だった。
 彼は学生として当たり前の生活を送っていた。毎日学校に通い、たまにサボって友人と馬鹿なことに興じる。そんな誰もが通るかもしれない道。
 彼はそれを物足りないと感じていたが、それなりに気に入ってはいたし、自分は死ぬまでそういった平凡なレールを歩むのだとも思っていた。
 ―――だが。彼自身が、当たり前の何処にでもいる人間では無かった。
 少年は、JMBS罹患者である。
 そして彼には、何処にでもいる学生が決して持っていてはいけない悪癖があった。同時に、それは間違いなく人のルールから外れたものだったのだ。
 ……そうして今に至る。
 手足には枷をかけられ、光の無い牢獄に閉じ込められ、二回の食事と投薬時以外には独りきり。暇を紛らわすものも無ければ、寒さを凌ぐものも無い。
「畜生が……何で、何でなんだよ……」
 少年は、自分に降りかかった悪夢じみた現実を嘆く。
 何故自分だけがこんな目にあうのか。自分と同じような境遇の人間は山ほどいるというのに。何故、何故、何故何故何故自分だけがこんな目に。
 自分はただ、人を焼いただけなのに――――――!
 まっとうな人間が聞けば例外無く正気を疑う言葉を、彼は何度も何度も繰り返す。それこそ病的に偏執的に。
「くそ、くそ、くそくそクソ糞ォッ! ここから出せよヤブ医者共がァ! どいつもこいつも気に食わねェッ!! 殺す、焼き殺す! ここから出たら、貴様ら焼き殺してやるッ!出せよクソがぁぁぁぁぁああああああああッ!」 
 何度も何度も手枷で扉を叩くが、鋼鉄で出来た扉も、特殊な金属で出来た枷も壊せるわけも無い。しかも打たれた薬の効果なのか、身体には力が入らないのだから、尚更のことだった。
「がああああああぁぁぁぁぁあああああァァアあああああッ!」
 それでも少年は叩くことをやめない。手枷の内側の皮膚が剥がれ変色しようとも、自傷行為にも似た凶行を何度も何度も繰り返す。
 叩く、叩く、叩く。
 叩く、叩く、叩く叩く叩く叩く叩く―――――!
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…………!」
 喉が傷つき血を吐いて、両の腕が使い物にならなくなる寸前までいっても、彼は目の前の扉(しょうがい)を殴り続けた。
 そうしてそれが何時間過ぎたころだろうか、あるいは数分も経たなかった内なのか。
「―――――、ぇ?」
 唐突に。何の前触れも無く扉が開いた。
「……え、ぁ…?」
 扉は少年の手枷によって砕かれたわけでも、こじ開けられたわけでもない。
 まるで彼が外へ出ることを歓迎するかのように、自然に開いたのだ。
 暗闇に差し込んでくる、淡い光。
「っ……!」
 それを、太陽でも見たかのように目を細める。数日振りの光は、それこそ砂漠で見つけたオアシスの様だった。
「……は、はは」
 彼のかすれ切った喉から、呼吸のような笑い声が漏れる。
 助かった。自分はこの牢獄から抜け出せるのだ。
 理由は知らないが―――別に知ったことではない。
 重要なのは、この忌々しい手枷と足枷を外して、一刻も早く逃げることだ。
 そうして、そうして、そうして……
「そうして……?」
 それから、どうするのか。
 それを考えようとした瞬間、
「―――う、動くなッ!」
 目の前に、解答が現れた。
 彼は、現れた者に上から下へゆっくりと目を向ける。
 群青の制服に身を包んだ、中年の男。いかにもな警備員である。
 まっとうな警備員との違いがあるとすれば、その手にショットガンが握られてる事か。
 鈍く光る、黒のフォルム。
「一体どうやって、扉を開けやがったんだ……くそ、そこを動くなよ……!」
 だがあの中に篭められているのが、敵を殺す為の実弾ではなく鎮圧する為のゴム弾である事は分かっている。実際に、一度と言わず何度も撃たれたのだから、間違いないだろう。
 男は銃口をこちらに向けようとするが、銃口はガクガクと揺れるばかりでロクに定まらない。
 その男がその銃に慣れていないのは、明白だった。
「…………ははっ、」
 自然と、少年の口から二度目の笑いが漏れる。
 あまりにも無様な男への―――嘲笑だった。
「! このガキ……!」
 それに気付いた男は、憤怒の表情で引き金に指をかける。
「ハハハっ!」
 今度こそ彼は、明確に笑う。声を出すたびに喉が焼けたように痛むが、それでもこれが笑えずにいられるか、とでも言うように。
 男の行動は理由こそ問題があるが、それ自体は限りなく正しいものだった。
 だから男が愚かであるとすれば、一つだけ。
 男の行動は、あまりにも遅すぎた。
 引き金が引かれる、瞬間。
 少年は動き出した。
 瞬時に身体を屈め横に跳躍、射線から外れる。ダイビングするのではなく、獣のように四肢を使って着地。
 弾が発射されあらぬ方向へ飛んでいくのと同時に方向転換、男へ飛び掛る……!
「ッ!?」
 男は少年の接近に気付きながらも、撃った直後の反動で動けない。そもそも、男の身体能力では、撃つと同時に回避するという芸当こそが無理な話だった。
 狙いは目、彼は男の愕然とした顔へ向けて繋がれた両腕を突き出す。
「ひッ―――」
 そうして捕獲。彼の手は獣の牙のように男の顔に喰らいつく。
「動くな。動けばアンタの目を潰す」
 警告。抑えた口調は、ただでさえかすれていた声を更に聞き取りづらくしたが、それでも男にその意思は届いたようだった。
「あ、あ、あ……分かった。分かったからやめろ、やめろ、殺さないでくれ」
 それでも、震える声は止まらないようだが。
 苛立ったように彼は口を開く。
「だったら黙れ。次に余計な事を喋ったら日の光とはサヨウナラだ。分かったか? 分かったならおれの言葉には必ず返事をしろ。はいかいいえだ」
「は、はい」
 よし、と彼は呟き、次の言葉を紡ぐ。
「まずは銃を捨てろ。出来るだけ遠くにだ」
 はい、と返事が返ってくる。その後すぐに銃の転がる音がした。
「おれの手枷、それを外す鍵は持ってるか?」
 はい、と返事が返ってくる。
「よし、だったら両方外せ。今すぐにだ」
 ……、沈黙。
「どうした? アンタがこのまま黙ってるのなら残念な結果になる。いいえと言っても同じだけどな」
 少しだけ軽い口調で少年は問いかける。
 それは、男の考えていることを理解している上での言葉だった。
 男は、自分を解放することをあらゆる意味で恐れている。もし自分を解放すれば己が殺されるかもしれないことも、仮に助かったとしても己の処遇がロクな事にならないことも。
 馬鹿げた話だ、と少年は鼻で笑う。
 そんな『絶対に存在しない』未来を考える意味はないというのに。
「これで最後だ。こっちとしては次の奴を探すだけだから、アンタが頑張る意味は無いと思うけどな」
 もう一度だけ少年は男に尋ねる。
 ……返事は無い。
 はぁ、とため息をついて少年は指に力を篭めて、
「……仕方ないな。それじゃあ死」
「ま、待ってくれ! 分かった、開ける! 開けるから命だけは助けてくれ」
 ようやく。男は肯定の意を示した。
「最初からそう言えばいいんだよ、早く外せ。少しでも妙な動きをすれば、お約束の結果が待っている。アンタだってこんな冷たい場所で死にたくはないだろ?」
「…………」
 少年の言葉に、男は黙って手枷を外し始める。
『ポケットから鍵を出すときはゆっくり出せ』との少年の命令に渋々従いながら、左右に一つずつ付いているらしい鍵を外していく。
 右腕、左腕、右足の順番に鍵は外れていく。
 そうして最後。左足の鍵が外れて、今度こそ真の自由を勝ち取った少年はゆっくりと足を開く閉じるの行為を繰り返した後、
「いや、アンタのおかげで助かったよ。もっとも、これでアンタは只の邪魔者になった訳だけど」
 ―――眼球に指を突き入れた。
「あ―――――!? あぁぁぁああああアアアアア!!?」
 絶叫が上がる。聞くに堪えない、悲鳴同然の叫喚。
 叫ぶという行動よりは、膝を叩けば足が上がるといった反応の様だと彼は思った。そうして笑いながらも指を押し込んでいく。
「まあ、これもお約束の結末の一つだろう? こういう役柄としてはさ」
 ズブズブとくい込んでいく指。何かの漫画で眼球に指を突き入れるとあったかいなんて言葉があったが、どうやら本当らしい。
「ま、あきらめてくれよ。―――最期に、面白いコトやってやるからさ」 
 少年はそう囁くと、既に窪んでしまった眼窩から指を離し力を篭める。
 直後。その指に炎が生まれた。
 蝋燭に灯る程度の大きさ。丁度自身の指を蝋燭に見立てたかのように火はぼう、ゆらゆら揺れる。
 そうして少年は、その蝋燭(ゆび)を再び眼窩に押し込んだ。
「――――――!」
 再び上がる絶叫、断末魔。可聴域を超えるのではないかと思わせる声を聞きながら、少年は悦に入る。
「は、ははは、あははははははは! ヒハハハハハハァ!! 初めてやってみたけど、面白いなあ、これ! 顔を掴んで焼くよりもよっぽどイイね、病み付きになるゥ! ヒャハハハハハハ!」
 狂ったようにというより最早狂っている笑いとも叫びともつかない声で、少年は男を焼き続ける。
 そうして、数にすれば十分に満たない時間の後。
 最早輪郭も分からなくなった元男の塊に目もくれず、少年は伸びをして部屋の外に出た。
 広がった世界を前に、少年は感嘆のためいきを付く。
「さて、どうしようかな―――」
 そうは言ったものの、やることは既に決まっていた。
「とりあえず、焼いてから考えよう」


 ※


2005/11/07(Mon)03:55:40 公開 / 緑豆
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■作者からのメッセージ
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