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『記憶から見出す生きる希望』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:恋羽
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――記憶の裂け目を右往左往する
記憶の向こう側、遠い記憶の中で幼い自分が泣き叫んでいる。ぎゃあぎゃあ、幼い兄の足が自分の背中を蹴りつける度に俺は悲鳴を上げている。そんなに痛かったのだろうか。不思議とその記憶が無い。
十二月二十五日。クリスマス。俺は両親が居ない寒いリビングの真ん中で兄に背中を蹴られている。ぎゃあぎゃあと叫びながら、五歳の細い声で叫んでいる。幾ら叫んでも誰も助けにはこない。誰も助けてはくれない。規則的に蹴りつける兄を、あの頃の俺は一体どんな目で見ていたのだろう。何も覚えてはいない。あの頃の思考、あの頃の人格は一体どう考えていたのだろう。
きっと痛かっただろう。帰ってきた看護婦の母親に即病院に連れて行かれた。病院に行ってもの凄く痛い注射を打たれて、バナナの匂いのする麻酔を吸って、記憶が途切れた。不思議と注射の痛みははっきり覚えている。記憶がリスタートする辺りで母親が「内臓破裂の寸前だって」と言った。五歳の俺には何が何やらわからなかった。
――あの頃、もう既に自分が存在してはいけない生き物なのだと気付いていた気がする。
古いアルバムのページを繰る。姉が、兄が、父が、母が、それぞれに複雑な表情を浮かべている。そこに俺はいない。いや、少なくとも現在の俺は存在しない。俺が生まれてすぐ、アルバムのページは少なくなっている。そして僕が小学生に上がる頃には完全に途絶えてしまっている。
それを今の俺は何故だろう、と考えて、ふと結論に至ってしまった。
――ああ、俺が悪いんだ。俺が生まれてきたから、家族はばらばらになったんだ。
幸せな四人家族。それを引き裂いたのはきっと俺という悪魔なのだと、はっきり感じることが出来た。そう思った時、泣くよりも笑ってしまった。
両親の離婚、父の暴力、兄の不良化、姉の離反、その全てが俺に起因している。あらゆる疑問がそのたった一つの結論によってすっきりとした一筋のラインになる。それが嬉しかった。
「死ね」
首筋に蘇る圧迫感。痛みよりも早く脳へ送られる圧迫感。紅潮していく自分自身の顔が脳裏に浮かぶ。ああ、死ぬんだな、そんなことを考えていた。それもいいな、殺してくれるなんて、幸せだな。そう心の中から思えた。
そうすれば俺の存在が、せめてたった一人、目の前で僕を絞め殺そうとしている自分の父親の中に刻まれていくのだから。それはきっと幸せなのだと感じた。
首を締める指が緩められた。それが残念に感じた。死んでしまいたかった。殺してほしかった。殺されるべきなのに殺されない理不尽を呪った。咽びながら、目の前の中途半端な人間を心から憎んだ。
殺すならば殺してくれ。その代わり包丁はやめてくれ。出来ることなら血が出ない殺し方にしてくれ。俺は血が嫌いなんだ。
「お前は本当になんなんだ!?」
知らない。そんなこと知らない。そんなことどうでもいい。殺すなら殺してくれ。刃物でなく、お前自身の手で殺してくれ。悪事を叱るのはやめてくれ。お前が俺をこの世に発生させたこと自体が既に悪なのだといい加減気付いてくれ。そして殺すならさっさと殺してくれ。お前の美学や誇りや、守ってきた人としての道、そんなものは俺にとってどうでもいいんだ。さあ、殺してくれ。お前がこの世界に描き始めた俺という軌跡を、お前の手で終わらせてくれ。
……俺は死ななかった。だから今、こうしてここにいる。
憎い。全てが憎らしい。滅ぼしてしまいたくなるほど憎い。
だが俺の手には何も無い。悪を滅ぼすヒーローの超能力も、死すべき自分を殺す力も。
自分がわからない。どこにいて何に向かっているのかも。美しい何かを手探りで追い求め、しかしそれが本当に美しいかどうかも知らないで、そうやって生きている自分が嫌いだ。汚らしい自分に気付いていながら無視する自分が嫌いだ。人生を浅はかな自慰みたいに過ごしている自分が嫌いだ。知りもしないのに知った気でいる自分が嫌いだ。首筋にしばらく残されたままだった青痣を指でなぞって、「痛かったね、苦しかったね」と自分に同情している自分が嫌いだ。汚らしくて、吐き気がして、嫌いだった。
首など折れてしまえ、不必要な足や腕などもげてしまえ。そして、誰にも助けられないまま死んでしまえ。
自分が嫌いだ。自分が嫌いで、殺してしまいたい。どうしようもなく大嫌いだ。
眠りに落ちる度に、代わる代わる記憶が、本能が俺を慰撫する。吐き気のする賛美の言葉を交えて、やさしく。傷つけられた心を直そうと懸命に傷口を舐める。
眠りに落ちる度、俺はそれらのやさしい言葉と語らう。
「あなたは美しい心を持っているんですよ。間違っているのはこの世界の方なんです。もっと自分に自信を持ちなさい」
大抵そういう言葉が聞こえてくるのは、俺が意識の表層を漂っている時だ。灰色の海の中で俺は裸で海面を見上げている。そうすると聞こえてくる。そして尋ねるのだ。
「美しい? 何故だ」
「あなたの純粋さはこの世界にはそぐわない。だからあなたの心は疲れてしまうんです。美しい心はこの世界では生きられない」
そう言われる度、僕は問い返す。
「何故そんなことがお前に言える? お前は誰だ?」
「私はあなた。傷つき疲れているあなた自身です」
そして、俺は自分を慰めようとする自分自身に吐き気を催す。意識である俺が無意識である「私」に癒されゆく構図を思い、心の底からの苛立ちを感じる。
「死んでしまえ」
そんな甘い自分自身にそう言う。それ以上、自分とは何も語らない。何を言われてもそれ以上答えようとしない。もう心の傷などどうでもいいのだ。
「私」よ、甘さよ、死んでしまえ。
姉の親友の家へ連れ込まれた。そして彼女の昔の服を着せられ、「かわいい」という言葉を連呼された。枯葉に似た色になってしまった記憶の中の日差し、窓から降り注ぐ日差し。
かわいい、そう呼ばれる度、当時中学生ほどだった少女は、少女の格好をした俺との距離を縮めた。咽帰るような安い香水の匂い。俺自身の記憶の中で、最も妖艶と呼ぶのに相応しい綺麗な顔立ちが、不気味に俺に詰め寄ってくる。
しばらく記憶が飛んで、次に思い浮かぶものは不気味な生き物。薄桃色の肉の色。少女が俺の眼前に広げた粘膜。生臭いイキモノの臭い。そして自分自身の陰部に感じる違和感。頭の位置を逆にして、妙にスプリングの利いたベッドに仰向けに寝転ぶ俺の上に覆い被さった、少女。
そしてまた記憶が飛び、俺は自宅の食卓でテレビを見て笑っていた。
あれはきっと、俺がこの世に生を受けた為に下された幾度目かの罰なのだと思う。
次の罰の生き物は醜悪だった。
小学校からの帰り道。上り坂の向こうから駆けてくる男。
「今僕はかくれんぼをしているんだ、だから隠れるのを手伝って」
そう言い物陰へ連れ込んだのは、家畜の様に無様に太り、秋の寒い風の中には不必要なほどの汗をかき、表情など何も見えてこない奇怪な生き物。それは既に自分と同種の生物とは考えられなかった。
車の陰、少しでも声を上げれば打ち破られる物陰。
ジトリ。汗で湿った白いシャツが俺の体に触れた。仰向けに寝かされた俺に、その生物はのしかかった。股関節を無理に開かれた俺は何一つ抵抗など出来ないまま、男の顔を見つめていた。
しゅっしゅっしゅ。布の擦れる音が聞こえてくる。記憶がはっきりしているのはきっと、その時間が短く、そして大した衝撃が無かったからだろう。体重が百キロを超えた醜い男が、布越しに俺の股間にペニスを擦り付けている。ただそれだけのことだったからだ。だが、男がどの瞬間に果てたのかは定かではない。男が残した言葉だけが、今も記憶の片隅に存在している。
「ごめんね」
あの頃の俺は何も答えず泣いていた。
……いいんだよ。これは俺に下された罰なのだから。今の俺ならそう答えるだろう。
ただ、これからもしお前が罪も無い少年少女を手に掛けるのから、俺はお前に唾を吐きかける。
――記憶の裂け目から我に帰る
そして叫びそうになる。――もう罪はさんざんな罰によって購われたではないか!? これ以上俺に何を望む!?
だが俺の手は未だ、自分を殺しはしない。手首を切り刻もうとはしない。首を吊る縄を用意しようとはしない。
だから多分俺の罪はひたすらに重いのだろうと考えている。底が知れぬほど重いのだろうと思う。だから生きなければならないのだと。
もしかしたらそれは、生きる希望というのに似ているのかもしれない。
完
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2005/10/17(Mon)07:32:32 公開 / 恋羽
■この作品の著作権は恋羽さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
ミステリ作品を書こう書こうと思っていたのですが、ふと記憶が浮かんできたので載せさせて頂きました。あまり、完成度は高くありませんが、その方がよりはっきりと見せることが出来るかと思いましたので。これが事実であるか虚実であるか、という質問は残念ながらお答えできません。
それではお読み頂きありがとうございました。出来ましたら感想等お聞かせ願えたら幸いです。
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