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『透明人間』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:かお丸
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昔 俺は 事故 で死んだ。
でも まだ 心は生きている。何故か ここにいるんだ。
生き ているうちにやりたかった こと 沢山あったのに。
後悔、後悔だ。
後 悔だ……
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有原佳代、高1。
その辺によくいるいたって普通の女子高生だ。多分。オシャレとかはあんまり上手じゃないけど、見た目的にはまあまあである。成績はあまり良くない。部活もこれといってやってない。
得意なことと言えば、絵を書くこと。
1年前くらいから妙にハマってしまっている。美大生が書くような芸術的作品だ(自分的には)。是非みんなに見せてあげたい。
友達はハッキリ言ってそんなに多い方ではない。今流行りの『キレる』の現象により、佳代もその傾向にあるのだ。
友達が少しでも気に障ることを言うと、すぐ「はぁっ?」と睨んでしまう。そのせいで何人か友達が減った。悪口も言われた。『多い方ではない』というか、ぶっちゃけ言っていないのだ。
佳代の学校は元男子校である。だから友達ができなくても当然だろ、と本人は納得しているのだが。男子に対してもキレが激しい性格なので、クラスでも結構浮いている佳代だが、唯一楽しみなことがあった。
それは、週一度、従兄弟の家のベランダを使わせてもらって絵を描くこと。
ログハウスなのでベランダもいい雰囲気… 画家気分を味わうにはもってこいの環境だ。
今日は水曜日。アトリエ気分に浸れる日だ。
学校が終わった後にルンルンで下校通路を歩いた。佳代は普段は電車通だが、従兄弟の家は高校から近いのでそのまま行く。大きな道路を2つ渡ったところの住宅街だ。
その交差点、青信号の横断歩道を渡ろうとしたときだった。
急に、足が動かなくなった。
「うおっ!」
佳代はびっくりして思わず大声をあげてしまった。道行く人が白い目で見る。
「は、なんなのよコレ…」
まるで誰かに足を抑えつけられているような気分だ。前に進めそうで進めない。青い信号が点滅し始める。
「あぁ、渡りたい!」
そのときだった。
大型トラックが一台、信号無視して突っ込んできたのだ。そのトラックは猛スピードで右折して消えていったが、その右折するときのタイヤが擦れる音は凄まじかった。
「あっ…あぶねぇ…」
佳代は唖然とした。街の人々も「誰かが渡ってなくてよかったね」と口にしている。
一体どういうことだ。
「あ、足…」
気づくともう既に足はなんともなかった。いつもと変わらない、自分の足だ。
「もしあの時止まってなかったら…」
考えただけでもゾッとした。
従兄弟の家についてこの事を話すと、「たまたま足が痙攣かなんか起こして動かなくなったんだろ」と伯父さんが爆笑した。
「いくらなんでもそんな偶然ってある?」
佳代は目を見開いて伯父に問い詰めた。
「だってあたしあのとき、足が地面に張り付いて離れなかったって感じだったんよ。それに足に重りさえ感じた」
「そこはまぁ説明できないけどなぁ。まぁ・またこんなコトがあったとしたらそれこそ事件だな」
「人事だと思ってー」
「まぁまぁ」
助かったのは良かったが、なんとも気味の悪い事件だった。後味が悪いというか、なんというか。
少し心のモヤモヤ感を抱えたまま、佳代は大きなスケッチブックを取り出した。パレットと筆を置いて、バケツに水をくんで来る。まるで小学生が図工の時間にでもやるような作業だが、この木造ベランダの効果は抜群だ。こんなあたしでもアーティストになったような気分になれる。
バケツの水に筆をバシャバシャ漬けて、今日はこの夕焼け空を描こう・と決めた、そのときだった。
36色の絵の具セットの中から、朱色の絵の具が独りでに浮き上がったのだ。
「はっ?」
佳代はなんだかもう訳が分からなくてポカンとしていた。
キュッ、キュッ
いつも先っちょが固まっていて開きにくい絵の具チューブが音をたてて簡単に開き、パレットに大量の朱色絵の具が放出されていく。
「…ちょ!出しすぎ!」
佳代が叫んだとき、その動きが一瞬にして止まった。
「…まさか」
佳代はホンキで思った。コレはあれだ、オバケだ。どどどうしよう、オバケなんて今まで遭遇したことなんて無い。伯父さんたちはリビングでくつろいでるし、従兄弟は学校から帰ってすぐ遊びに行ったらしい。住宅街とはいえ何故か人通りは少ないし、こういうときに限ってカラス一匹いない。
「そんなこと言ってる場合じゃない、ナンマンダブツ、ナンマンダ…」
「… おっ! お経はダメじゃ!お経だけは!」
「…はいっ?」
佳代は辺りを見回した。誰もいない。気配すら無い。「……。あの、誰かいますか?」佳代はおそるおそる声を出した。
「スマンの、驚かせて。今俺、キミの目の前にいるんだけど」
静かな住宅街に、佳代の叫び声がこだました。
伯父さんがびっくりして走ってきた。
「ど、どうしたの佳代ちゃん?」
「い、今、いまいま…」
「え? 何?」
「オバケが、幽霊が…」
佳代は涙目になって必死に訴えかけたが、無駄だった。
「…また? も〜佳代ちゃん最近そーゆー漫画読んだだろー」
「ちがっ! ちが、今、いまココ…」
恐怖と興奮のあまりうまく言葉が出てこない。
「またぁ。怖い本ばっか読んでるから、オバケも面白がって来るんだよ」
伯父さんは自分で「うまいこと言った!」と言わんばかりに大爆笑して去っていった。
「は、は…」
佳代は力が抜けてしまった。
「なぁ、驚かないでくれってば。俺は悪いことはしない。それに、幽霊じゃない」
「うわあっ!また喋った!」
「頼む、聞いてほしいんじゃ!姿は見えなくても声は届いてるじゃろ。なぁ、少しだけでいいから聞いてくれ」
その声は少し若そうな男の声だ。あまりに真剣になって佳代に頼んでくるので、佳代の興奮も少しだけ冷めた。
「あ、あんたは誰なの…?」
「…。俺の名前は、多分だけど片山淳平。 大体あんたと同い年の16歳から17歳くらい。だと思う」
「だと思うっていうのは…」
まさか、と思った。あたしは怖々とこの質問をする。
「死んでから結構時間が経ってるもんでのう」
「やっぱ幽霊じゃないか!」
佳代は腕を大きく振りかざした。すると、ドンっと何かにぶつかったのだ。
「痛っ」
片山淳平は、10年くらい前に、大型トラックにはねられて死亡したのだという。
享年が、佳代と同じ16歳だった。
その日は結局ひとつも絵を描かなかった。というか描けなかったのだが。
佳代は家に帰るべく駅で次の電車を待っていた。もちろん、あの透明男も一緒に。
「片山淳平くん。きみは本当に幽霊じゃないんだね」
「多分幽霊では無いと思う。だってホラ、この世のものに触れるし」
そう言って淳平は佳代の肩を叩いた。
「触るな!」
端から見たら明らかに独り言を連発する変な女子高生である。が、夜遅いので周りには残業帰りのサラリーマンくらいしかいなかった。
「だからホラ、壁抜けとかも出来ないしね。あはは」
「へぇ」
佳代は素っ気無く返事をしたが、突然不安になった。淳平がいるのは分かるけど、どういう姿なのかとか、今、どういう格好なのかとか、全然分からない。と、言うことはコイツは見えない限り何でも出来るわけだ。
「あの、変なことしないでね」
「なにが」
「…」
分かってないんなら言う必要はなかった。
電車に乗っている間は、なるべく人に変に思われないように黙ってた。と言ってもひとつの車両に5人くらいしか乗ってないのであんまり変わりないのだが。
5つの駅を越えて、佳代は電車を降りた。
「はぁ。淳平くん、ココからちょっと歩くよ。キミはあたしの家まで着いてくる気なの?」
佳代の家は駅から10分くらい歩いたところにある。一応確認のために淳平に言った。
「…。おーい? 淳平くん?」
返事がない。
「…もしかして、電車乗ったまま?!」
佳代は振り向いた。電車は既に出発し、次の駅へ走り出してしまっていた。
「あ〜ぁ…。まぁ、仕方ないっか。別にあたしの所有物じゃないし」
「そういえば、なんか聞いてほしいことがあるとか言ってたな」
少し気になってキョロキョロしてみるが、やはり透明なだけあってどこにいるかなんてわからない。
「やっぱあの電車に乗ったまんまだな」
佳代は諦めて駅を出ようとした。
「あー!ちょっちょっ!ただいま」
「うわっ?!」
イキナリ淳平の声が近くでして、佳代は数センチ飛んだ。
「ど、どうしたのアンタ?今どこ行ってた?」
「え、便所」
「…は」
「いやーごめん。電車開いた瞬間に走っていっちゃったんじゃ」
「あぁそう…」
佳代はなんだかもうどうでもよくなって、足早に歩き出した。
駅から家への道のりの中に、「空坂」という名称の坂がある。名前のとおり、空に届くんじゃないかと思うくらい長く急な坂だ。
佳代は小さい頃から毎日毎日この坂を行ったり来たりしてきたのでもうなんとも無いのだが、初めて通る人ならばきっとカナリ辛い。
「淳平くん。大丈夫?」
「あぁあ、こりゃぁ辛いのぉ…」
淳平は少し息切れしたような声で言う。
「…なんか部活とかやってなかったの?」
「やってたような気もする。もう忘れたよ、10年前のことだし」
「10年前か…。ん?てことはさ、アンタはあたしよりも10歳年上?今26歳?」
「死んだ子の年を数えるなんて…きみも酷いのぉ」
「え」
「ていうか、きみの名前聞いてなかった。名前なんていうんじゃぃ?」
突然そんな事を聞かれたのでなんだか調子抜けた。
「…有原。佳代」
「有原かよー?」
「それ言うなっ!」
一番言われたくないギャグをかまされて、佳代は思いっきり走り出した。
「うお!待てよ!この坂キツイ!」
「知らんわー!」
「入ってもいいけど、ゼッタイ騒がないでね。あと、家族の前では絶対喋らないで。あと夜になったら出てってもらうからね」
「あいよ」
佳代は家の玄関の前まで来て淳平に念入りに言い続けた。
「あ!あとアタシ弟がいるんだけど、ソイツにだけはまず100%気づかれないようにして!」
「あいさ」
「本当に分かってんの?」
「あいあい」
「…」
「ただいまー」
「佳代、おかえり。今日も伯父さんとこ行ってたの?」
母がスリッパをパタパタさせてやって来た。
「うん。そう」
「先にお風呂入ってきなさい。ご飯すぐ用意するから」
「はーい」
佳代は階段を駆け上った。淳平の足音もした。
「ん?」
母が不思議に思ったのか、一瞬こっちに振り向いたが気のせいか、とすぐに向きなおした。
「あぁ、あせった…」
「俺もあせった」
「アンタが走るからでしょ!」
「シー!」
淳平が佳代の口を抑えた。佳代は目を丸くする。
「弟にバレるとまずぃんじゃろ」
小声で、佳代にささやいた。佳代は大きく首を縦に振った。
「じゃぁ、あたしお風呂入ってくるから。ココにいて」
「え、俺も入っていい?」
「アホか!」
佳代は思わず大声をあげてしまった。
「ねーちゃん、なんか言ったー?」
遠くから弟の声がする。
「…今電話中なのー!静かにしてー」
弟の返事を聞いてから佳代は胸を撫で下ろした。
「家族に嘘つくのって辛くない?」
「仕方ないでしょ、この場合は」
「だって冗談にそんな反応するから悪いんろ」
「冗談だったのかよっ」
「あはは」
佳代は本気で恥ずかしくなった。コイツ、この恩知らずめ。と思った。
「それで?」
佳代は見えもしない淳平の顔をまじまじと見るように言った。
「それで?って?」
佳代は風呂も夕食も終わり、淳平を待たせていた部屋に戻ってきたところだ。
「それで?って?じゃないっつーの。アンタなんか最初に【聞いてほしいことがある】って言ってたでしょ。それ話しなさいよ。聞くから」
「あぁ。そんなこと覚えてたんかいな」
「それが無かったらココまで連れてこねぇよ!」
「まあまあ」
佳代は一度ため息をつく。
「…。信じられないのは確かだけどさ。あんたの声はちゃんとあたしに届いてるんだもん。聞いてあげるしかないような気がする」
「うん。あんがとう」
「で?聞いてほしいことって?」
「あぁ。――実は、僕、すんごく後悔していることがあるのです」
「後悔」
「うん。いわゆる未練ってやつですよ。オバケが成仏できない原因みたいな」
「どんな?」
「俺の人生ってさぁ、まだまだ長かったはずだよな。やりたいこといーぺぇあったんじゃけど。でも、もうそれも出来なくなってしまった」
「うん」
「だからまずは、俺の家に帰りたい」
「…はぁ」
「いや、まだまだ色々た〜っくさん聞いてほしいことはあるんだけど、それは俺の家に行ってからじゃないと分かりにくいと思うんじゃ」
「淳平くん家どこなの?」
「…それも忘れてしまった」
寂しそうな声を聞いて、佳代は少ししんみりしてしまった。
「なんか少しでもいいから覚えてないの?柿の木があっただとか、大きな池があるとか」
「うーん…」
「家の形とか!屋根が赤いとか、煙突があるとか…」
淳平は黙り込む。しかしすぐに何かひらめいたように言った。
「あぁ、確か広いベランダがあった」
「広いベランダ…」
「うん。今日佳代がいたあそこの家みたいに、でっかいベランダがあったはずじゃ。よくそこで遊んだり、佳代みたいに絵描いたりしてた」
この言葉に佳代は驚いた。
「えっ? 淳平くんも絵、描くの?」
「うん。描いてたような気がする。今日、佳代を見つけたとき少しだけ思い出したんじゃ。自分はなにかこんな風に絵を描いたことがなかっただろうか。みたいな」
「…見てみたい! ねぇ、見せて!」
「いやいや、そんなこと言われても作品は家にあるし。もう描けはしないよ」
「家に行けばあるんでしょ?じゃぁ探せばいいじゃん。あんなでかいベランダがある家なんて滅多にないよ。すぐ見つかるよきっと」
「……」
「あんたの場合は未練がなくなっても成仏できるかどうかわかんないけどさ、とりあえずこんな中途半端なのなんて嫌でしょ? なんかの縁でとりつかれちゃったみたいだしさぁ。あたしが協力してあげる」
「いいんか?」
「どうせヒマだし」
「あぁ、なるほど」
「納得するな」
その日から佳代は、淳平の家を探すことになった。
10年前… そのくらいなら覚えてると思ったのだが、やっぱり事故のせいで少し記憶が飛んでたりするんだろう。
その微かな記憶から少しずつ少しずつ割り出して、いつか家にたどり着けばいい。言わないけど、きっとお母さんや家族にも会いたいんだと思う。
事故ってことは、突然の別れだったはずだから。
「ねぇ、淳平くんってさぁ…」
「あ、あのさ、おれの事別に呼び捨てでいいよ。どうせ同い年だし」
「え、でも一応今は10歳上…」
「だーから死んだ子の年を数えるなっちゃー!」
「あぁそう。じゃぁ、淳平で。」
「うん」
顔は見えないけど、淳平は満足そうだ。 見てみたい。彼は一体どんな顔をしているのだろう。
「淳平っていつから透明人間になったの?」
「…。 まぁ〜た 突拍子もない質問を…」
淳平の家探しを始めてから1週間近く経とうとしていた。淳平は佳代の学校にもついていってる。でも誰にも見えてないから気づかれることはまずない。
透明人間というのは、想像通り便利なものだ、と感心してしまった。
でも、淳平の家については未だに全くもって分からない。
「いや、よくよく考えてみるとさぁ、事故で死んでからずーっと今まで透明人間やってきたってことなのかなぁって思って」
「違う。自分がこの世に【存在してる】ってことに気づいたのは今から大体2年前」
「え? じゃぁその8年間は何してたの」
「ワカンナイ」
淳平は拍子抜けした事を言う。
「あぁそう…。なに、イキナリ自分が透明人間だってことに気づいたわけ?」
「いや、ていうか自分が透明だってことは最近知った」
「はぁ?」
「うーんと、自分では自分のこと見えるんだよ。この手とか、足とか。まぁ、顔は全く見えないんじゃけど。鏡に写らないからね。だから1年くらいは自分は生き返ったもんだと思ってた」
「でも 記憶はなかったの」
「そうそう」
「…。なんて言ったらいいか分かんないね」
「でしょ」
「家族のこととか、覚えてないの?」
この質問をした時、淳平の雰囲気が変わったのが分かった。
「…。あ、ごめん。聞いちゃいけなかったかな」
「いや、……家族はさ、いたはずなんだ」
「うん」
「母親と、兄がいた。確か妹もいた」
「お父さんは?」
「覚えてない。いなかったような気もする」
「家族の名前は?苗字が片山だって分かってるから名前が分かれば見つかるかも!」
「うわっ…」
突然、淳平が苦しそうな声をあげた。
「え? ど、どしたの?」
淳平はしばらく黙っていた。黙っていたというよりも、苦しさで声が出せないといった感じだ。
「…家族のことを思い出そうとすると、こうなんじゃ。急に頭が痛くなる…」
「からだが思い出さないようにしてるのかもね」
「そうかもしれん」
「…でもさ、家族に見せてあげたいね。こんな姿になった淳平を」
佳代は淳平をなんとか元気づけようとしたのだが、こんな言葉しか出てこなかった。
「冗談じゃないろ!」
「ふふっ…ははは、うん、冗談」
そして佳代は淳平に触れた。
「見えないけど、分かるよ。あんたは生きてる。きっと神様があんたを殺しきれなかったんだろうね。淳平にはまだやらなきゃいけないことがあるんだよ」
淳平が、佳代の手を握った。
「まずは、家に帰って家族に会うことじゃな。俺も頑張って思い出すから。佳代に協力してもらってるからにはちゃんと解決したい」
なんにも見えてはいないけど、佳代は確かに淳平の手の温もりを感じた。
佳代は10年ほど前に息子を事故で亡くした片山さんという人を探した。淳平は事故にあった場所や家の所在地なんかもほとんど思い出せないという。地域レベルの話ならまだしも、都道府県規模となるとちょっと不安だ。
「でもむやみに調べすぎると家族の皆さんも嫌だろうしね…。どうしたらいいんだろう」
「あ…あー、あぁー」
「ん? 淳平、どうしたん?」
「やっぱりダメだ。思い出そうにも頭が痛くなってダメじゃ」
「無理に思い出さなくてもいいよ。もしかしたらひょんなことですぐに思い出しちゃうかもしれないし」
「んー…」
「うちの親が新聞を捨てないのがココまで役にたったのは初めてだわ。まさか10年前の新聞まで残してあるなんて思わなかったけど…」
佳代の母親が残していた古新聞をあさりながら呟いた。丁度今から10年前の新聞だけを引っ張り出して、16歳の少年が亡くなったという事件を探す。
「でもこんなにたくさんの記事の中から探すなんて無謀じゃのぅ」
「うるさいっ!とにかく淳平も探しなさいよ」
「でもさぁ、もし俺が住んでたところがこの辺じゃなかったら、こんな地方新聞には載ってないだろうな。たかが高校生の交通事故なんか全国的に報道する意味ないもんな」
「バカ、そんなコト言ってないでよ」
「ん」
淳平がなにかを見つけた。
「ん?」
「これ、なんでコレだけ広島新聞?」
「広島?」
確かに何故かその一部だけ広島の新聞が混ざっていた。
「ああ!」
「ああ?」
二人は同時に声をあげる。
「ちょ!ちょ、これこれこれ!」
テレビ欄の裏の小さな記事に、地元の高校生、交通事故死 とあった。
その詳細を読んだが事故死した少年の名前は出ていなかった。しかしそれに淳平は思い切り食らい付いた。
「これ… 俺のような気がするんじゃけど…」
「本当に?」
佳代は疑うこともなくその新聞に飛びつく。
「広島県廿日市市…。でもさよくよく考えるとアンタちょっと広島っぽい訛りあるもんね」
「広島っぽい訛り?」
「うん。よくわかんないけど」
「…。広島か…」
淳平がため息をついた。佳代は、できもしないようなことを思いついてしまった。
「行こう。広島」
なにも無計画でココまで突っ走ることはなかったのかもしれない。けど、あたしたち二人は来てしまった。
祝日を含めた週末の3連休を使い、新幹線に乗って電車を乗り継いで、広島県廿日市市を目指した。
もちろん、この交通費は親に借金したのだが。
淳平は人に見えないのでタダ乗りしてしまっている。
自動改札で引っかかったとき、一瞬ドキッとしてしまったが、機械の故障だとしか思われずに済んだ。
端から見れば少女の一人旅。佳代は、もうここから帰るときには淳平とは一緒にいられない、ということを感じていた。
そして、電車に揺られながら淳平にずっと聞きたかったことを聞いてみた。
「ねぇ淳平、何であのときあたしを助けたの?」
「え」
「ホラ、あの交差点。あたしあのまま歩いて行ってたらきっと即死だったよ」
「……俺と」
ささやくような、小さな声は電車の騒音でよく聞こえない。
「え?」
「俺と 同じ目に合いそうな人がいたらいつもそうしてきたから。」
「…淳平はトラックにはねられて死んだの?」
「うん」
佳代は言葉に詰まった。「死んだの?」なんて軽々しく言わなかったほうがよかったのかもしれない。言い終わってから後悔した。
「その後さぁ、佳代の後をついていったら広いベランダで絵ぇ描く準備始めたから。おれとおんなじじゃ。って思って」
「それで声かけたんだ」
「うん。まぁ理由はそれだけじゃないけど」
「他に理由あるの?」
「タイプだったから」
「…バカ」
佳代は淳平の頬を引っ叩いてやった。周りの乗客は佳代を変な目で見るけど、もうそんなことどうでもよかった。
もし…淳平の家が見つかったら、淳平の未練が晴れたら、この人はどこへ行ってしまうだろう。そんなことを考えた。自分の傍にいるということはまず無い。そう思った。
廿日市市の駅についたとき、急に淳平が佳代の手を握った。
「どした?また頭痛くなった?」
「いや、なんていうか…。緊張してきた」
微かだけど声が震えている。佳代はぎゅっと手を握り返した。 言葉で言い表さなくても、二人は何かで通じ合っていた。大丈夫。もう辛い思いなんてさせない。
近くにあった警察署に立ち寄り、10年前の記事を見せてこの家族に会いたい、と事情を上手いことはぐらかしながら説明した。
「10年前の事件かぁ…。ちょっと待ってね、調べてあげるから」
平和な毎日で警察もヒマだったのだろうか、嫌な顔ひとつせず調べあげてくれた。
30分くらい待たされてから、さっきの警察官が出てきた。
「その当時のご家族の住所だけど…もう引越ししてるかもしれないよ」
そう言って住所と電話番号が書かれた紙を渡してくれた。
「ありがとうございます!あの、これココから近いですか?あたしここらへんの事分からないんで…」
「あぁ、じゃぁ地図あげるよ。きみ、遠くから一人で来たの?」
警察官のこの質問に、佳代は笑顔で答えた。
「いえ、一人じゃないです」
地図と住所を頼りに淳平の家を目指す。
「この地図から言うと… 片山恭子さん。コレお母さんの名前?」
「…わからない」
「きっとそうだよ。良かった。ココに行けばきっと会える」
目指していたものが見つかって、凄く嬉しいはずなのに。佳代と淳平の間の会話が少しずつ途切れていた。
バスの中で、佳代はバッグに入っていたネックレスを淳平に渡した。ネックレスというよりも首飾り、といった方が正しいようなアンティークものなのだが。
「これ、首から提げておいて。目印になるように」
淳平が首から提げると、まるで首飾りの空中浮遊だ。佳代は思わず笑ってしまった。
「これですぐ居場所分かるね。なんで今まで気づかなかったんだろ」
「あはは。まぁ、ありがと」
「ここからはもう歩いていけるね」
バスを降りてから地図を見ると、もうここから歩いて数分で着けそうな距離だ。やっと希望が明確になってきた。もうちょっとで淳平の望みが叶うのだ。佳代はこのとき心から喜びを感じた。
「…佳代」
「なに?また緊張してきたってー? もうここは期待するだけして…」
「やっぱりやめよう」
「は?」
佳代は目を丸くした。
「行っても…どうしようもないじゃろ。俺は人間には見えないんだから」
「何言ってんの、いまさら」
「家族に会ったって何も変わらない気がしてきた」
「…。まずは家に帰りたいって言ってたじゃん。未練があるけど、家に行ってからじゃないと分からないって言ってたじゃない」
「でも俺は…人間とは違うんじゃ。透明人間なんだ」
今更になって弱音を言い出す淳平に、佳代は怒りを覚えた。こんな優柔不断な奴だったなんて思いもしなかったからである。
「関係ないでしょ?何も変わらないなんて訳ない。絶対にあんたは安心して天国に行けるようになるんだから!バカなコト言わないで。ここで諦めたら何にもならないじゃん」
「佳代ごめん。俺なんにもならないままでいい」
佳代にはどうして淳平がこんな事を言うのか全く理解できなかった。したくもなかった。
「ふざけんじゃねえこのスケスケ野郎ー!」
佳代の中で何かがキレてしまった。頭の中がむしゃくしゃになる。淳平、こんなヤツだったなんて知らなかった。
気の弱いヤツ。 嫌なんだったら最初から家に帰りたいだなんて言うなっつーの。
佳代が走り出したのと同時に、淳平の首から提げられた飾りが反対方向に動き出した。佳代はそれを振り返って見た。
片山恭子。間違いなく淳平のお母さんの名前だ。
その片山家の近くに公園があったので、そのベンチに座った。近くに、佳代のおじさんの家のような大きなベランダのある家が見えた。
「あれだ。淳平の家」
確か淳平は以前家にもあんなベランダがあったということを話していた。
でも、なんかおかしい。
「なんだろ…人気がないっていうか。人住んでるのかなぁ」
近づいて行ってみると、妙に静かだ。人が住んでいる気配がない。草木は生えっぱなしで、車も一台も置いていない。まるで空き家だ。
丁度、隣の家から犬を連れた主婦が出てきた。
「あっ、あのスイマセン、ここって片山さんのお宅ですよね?」
「え、あぁ。そうだけど」
「片山さんは住んでますか?」
「…結構前にお母さんが亡くなられて。息子さんはもう結婚してどこかで暮らしてるらしいんだけど、娘さんは分からないわねぇ…。どっかで一人暮らししてるんじゃないかしら?」
「え…」
衝撃の事実だった。信じたくない佳代はもう一度聞く。
「お母さん、亡くなられたんですか」
「もう随分前のことだけどねぇ。もう一人息子さんがいたんだけど、事故でなくしちゃって。よっぽどショックだったんだろうねぇ。それ以来ずっと寝たきりだったみたいだし」
「そんな…」
佳代は愕然とする。ここまで来て、どうして最後まで上手くいかないんだろう。淳平は逃げ出すし、お母さんはもう存在しないなんて…
「あんたどこの子?あんまり人ん家の事情聴くのはよくないわよ」
そういうと主婦は犬と共に去っていった。
人ん家の事情をペラペラ話すのもよくないですよ、と言いたかったが、佳代には今より大きなショックが伸し掛かっていた。
「お母さん…死んじゃったんだ…」
片山家の表札には、確かに淳平の名前もしっかりと刻まれていた。
『 片山 恭子
良平
淳平
由里 』
それを見ると佳代は目に涙があふれた。
なんてかわいそうなんだろう。 お母さんは、きっと向こうの世界でも淳平に会えなかったんだ。
淳平はまだこっちにいます。そう伝えられたらどんなに良かっただろう。
ベランダ… あのベランダに行ってみたい。淳平が絵を描いた、あのベランダに。
玄関に立ってドアを引っ張ると、なんの違和感もなく開いた。佳代は「おじゃまします」と小声で呟いてから家に入った。
家に入って、まず最初に目に飛び込んできたものがあった。
「家族写真…」
どこだかは分からないが、家族4人が写っている写真があった。
お母さんと、お兄さん。そして淳平。妹さん。
淳平の顔… 初めて見た。
小さい頃の写真だが、とても可愛い男の子だ。とても楽しそうに笑っている。
「4人とも写ってるってことは、写真撮ったのはお父さんかなぁ」
そんなことを口にした時、隣にあった制服姿の男子中学生が3人写った写真に目がいった。
卒業式だろうか。教室で3人でピースしている写真だ。その3人の中の、どれが淳平か佳代には一瞬で分かった。
「あはは… 雰囲気がそのままだ。想像通りだ。10年も前の写真なのに…なんで分かるんだろう」
佳代はぼろぼろに泣いてしまっていた。こんな純粋に笑っているたった一人の少年が、これから大事故に見舞われて命を落とすなんて。そして、透明人間としてこの世に再び現れてしまうなんて。
「でも、良かったよ。淳平が透明人間になったおかげで、あたしとあんたは出会えたんだから」
あふれる涙を拭いながら、佳代は階段を上った。階段を登ると、すぐにベランダ続く廊下を見つけた。
ベランダに出た。すごく気持ちのいい場所だ。
「あ…」
佳代は、すぐ近くにさっきの首飾りが浮いているのを見つけた。
「淳平?」
「あれっ? あ〜あ、これ付けてたの忘れてた。これ付けてたら一瞬で見つかるんじゃな」
淳平の声が少し枯れている。きっと、さっきの隣の主婦との会話も全部聞いていたのだろう。全てを悟った淳平は、先回りしてベランダに出ていたのだろう。
「淳平。泣きな」
佳代のこの一言で、淳平の我慢していた紐が解けた。
彼は、思い切り泣いた。
二人の間の時間は止まっていた。だけど、空はどんどん色を変えていく。一体どれくらいの時が過ぎたのだろう。
「ねぇ、淳平の描いた絵見せてよ。見てみたい」
佳代は不意に思い出した。一番見たかったものだ。
「…あぁ、うん。ベランダの、そっちの方にまとめて置いておいた気がする」
淳平が指した所を探すと、少し紙が痛んではいるが5、6枚の絵画がまとめて置かれていた。
風景画から、デザイン画。そして、先程玄関で見た家族写真が絵画によって蘇っていた。
「上手じゃん」
「まぁね」
「ねぇ、これコンクールに出してみない?高校生の絵画コンテストがあったはず」
佳代はその絵から目を反らさずに言った。
「え。でもそれ10年前に描いた絵だよ? 今更そんな」
「関係ないでしょ。あんたが描いたんだから」
「…はは」
力が抜けたように笑う淳平の声がする。そのとき佳代の目には、笑顔の淳平の姿が微かに見えたような気がした。
「そうだ。ここであたし少し描いてもいい?しばらく絵、描いてなかったから。鈍っちゃったかもだけど」
「いいよ。何描くん」
「人物画。淳平モデルになって」
佳代は笑顔で言った。もう何の迷いもない。
「え」
「いいから。そこに立っててくれればいいから。早く」
淳平は少し困っているようだったが、もう慣れっこだ。ハイハイ、と返事してベランダの壁に寄りかかった。
佳代は描いた。 瞳をとじても描けるような気がした。 夕日を浴びて、少し照れくさそうに笑った淳平を。
「普通、逆じゃろ」
「じゃあ今度は淳平があたし描いてね」
「あっはは、おっけー」
二人の笑い声は夕方の空に響いて、淳平のお母さんの所まで届いていった。
その一枚の絵は、芸術作品とは言い難い少し雑な筆遣いだったけど。
片山淳平が描いた絵がコンクールに入賞したという知らせが届いたのは、それから約3ヶ月後のことだった。
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2005/09/09(Fri)21:47:45 公開 / かお丸
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■作者からのメッセージ
こんばんは。結構前に書いたものを手直ししてみました。
今、考えることは… 今日みたいな気温と天気の日がずっと続けばいいのになあ、くらいです。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。