『たかちゃんはなび (補填版)』 ... ジャンル:お笑い サスペンス
作者:バニラダヌキ                

     あらすじ・作品紹介
「なーんにもかんがえてない」ぴかぴかのいちねんせい・たかちゃんと、そのおともだちのくにこちゃんとゆうこちゃん、そしてちょんがーのろりおやじ・かばうまさんなどがくりひろげる、なんだかよくわからないメタ・フィクションです。去年から続いているシリーズの一環です。

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  Act.1【ぽっ】


 はーい、よいこのみなさん、たのしいなつやすみ、いかがおすごしですか?
 あらまあ、あそびほうけてまるでク●ンボさんのようにまっくろになったよいこのかた、おそとはあかるいひざしでめいっぱいかがやいているというのにひきこもってげーむやびでおざんまいのよいこのかた、うつろに宙をながめむなしくただ時の流れを墓場に向かって流れているだけのあおじろいよいこのかた、いずれにせよお休み明けには楽しい宿題の提出が待っておりますので、よろしくおねがいいたしますね。
 きょういくねっしんなせんせいがくばってさしあげたあの大量のプリントは、もしかしたらまだなかみをあらためもせず、ふん、そんなのさいごのいっしゅうかんでらくしょー、そんなふうにナメていらっしゃるよいこも多いでしょうが、うふふふふふふ、よのなかというものは、そんなにあまいものではありませんよ。すでにおきづきの勤勉なかわいくねーよいこのかたもいらっしゃるでしょうが、あれはきちんと、いちにちはちじかんまいにちまいにちこなしていかないと、ぜったい終わらないようにけいさんしてあります。
 なつやすみというのは、みなさんのようなおこさんにとってはたいせつなしゃかいべんきょうののぞめる時期ですので、みなさんのお父さんがたのような、とるにたりないまったんのろうどうしゃのげんじつを知るいいきかいでもあります。ほんとうは、ざんぎょうなどもしこたまりあるに課してあげたかったのですが、こううんにも定時で解放されるのは、楽しい夏休みだからこそのせんせいのやさしさなんだなあと、こころの底からかんしゃしてくださいね。なお、いちにちでもていしゅつの遅れたよいこのかたは、ていねんまで続くとってもたのしいきゅうじつしゅっきんの嵐がまちうけておりますので、もう手おくれのかたは、じゅーじつした人生のはかばをごきたいくださいね。

 こほん。
 はい、それでは夏の終戦きねんとくべつばんぐみ、えどがわのうりょうだいはなびたいかいきゃぴきゃぴれぽーと、なつだおぼんだきょうふのかいだんたいかいさんぼんだて、『たかちゃんはなび』のはじまりでーす。――タイトル以外、全部ウソですけど。

    ★          ★

 カジムの妹は、五歳の新年を待たずに、ある朝息絶えた。
 まだ十歳に満たなかったカジムは、すでに自分が息絶えないだけのために生きていたので、家屋といっても廃材と錆びた釘の集合にすぎない小屋の中、なんの劇性もなく静かに呼吸を止める骨のような妹を見下ろしながら、また裏の固い土を掘らなければ、そう力なく吐息するだけだった。
 輝かしい新世紀を迎えるべく、この地上の各地でお祭り騒ぎが繰り広げられている事など、なんの外的情報にも繋がっていないカジムには、想像もつかなかった。吐息できる己はまだ生きているらしい、そんなことを僅かに自覚できるだけで、彼の生存本能は微かな喜びさえ覚えた。
 灼熱の太陽の下でだらだらと穴を掘っていると、荒野の彼方、岩山の裾を走る街道から爆発音が響いた。妹と同じ骨のような自分の体が共振するほど、激しい響きだった。続いて断続的な銃撃戦の、母親が昔炒ってくれた豆が爆ぜるような軽やかな音も、乾いた風に乗って流れてくる。
 その母親は、今掘っている穴の横、いくつかの土盛りのひとつに眠っている。父や最後に残った長兄は、二週間前街に出たきり戻ってこない。いつか食べ物を持って帰ってくるかも知れないし、もう幾つかにバラけて腐っているのかもしれない。いずれにせよ、今妹の墓穴を掘るのは自分しかいない。
 次兄の穴の時よりもずっと体が辛いのに、ずいぶん入念に掘ってしまったのは、やっぱり妹は一度も自分を殴らなかったからか、などとも思う。生きるために殴っているのだと感じていたから、けして次兄を怨んでいた訳ではないのだが。
 妹の針金細工のような体を穴の底に抱えおろし、「まだこんなに重くても人の息は絶えるのだ」とも思う。もうひとつ穴を掘り、自分もその中で寝ていたほうがいいだろうか。こんなに細い自分の腕も、もう持ち上げるのがやっとなほど重いのだし。いや、ここで妹と並んで寝てしまったほうが、手間がかからない。でも、それだと土をかけるのは――カジムは、初めて、自分に土をかけてくれる家族は、もういないのだと思い当たった。でも、それはそれで仕方がない。そんなに先のことを考えるほど、カジムの体には血が流れていなかった。自分の息の止まるのが今日の午後であれ、明日の朝であれ。 
 今度は家の表で銃声が響いた。
 だらだらと掘り続けている間に近付いていたのか、整った軍服の男たちが、わらわらと裏手に逃れてくる。ひと月前、街で次兄を撃った男たちと、同じ軍服だった。
 自分も撃たれるのか――朦朧とそう思いながら、カジムはただ力なく妹の横にしゃがみこんで、穴から半身をのりだしていた。それなら、ちょうどいいかもしれない。うっかり撃ってしまった相手に土くらいかけてくれる程度には、あの外国人たちも親切なのだ。
 しかし、その軍服たちは、いつか遠い昔に家族たちと街で見たマリオネットのように、揃って奇妙な踊りを踊った。顔に飛んできた生暖かいものを、カジムの舌は無意識に嘗めた。脳髄はなにも思っていない。舌だけが、それに含まれる塩や鉄や豊かなカロリーを欲していた。
 やがて地面に横たわるマリオネットたちを蹴散らしながら、汚い山着の男が、ごつい機関銃を抱えて現れた。それに続く数人の男たちが、マリオネットたちにまとわりついて、身ぐるみを剥ぎはじめるのが見えた。
 男は穴に座っているカジムに気づくと、獅子のような足取りで近付き、カジムの顔と穴の底を、交互に見比べた。太陽が男の顔の真後ろにあるので、どんな顔をしているのか、カジムには判らない。
「……すまん。もうちょっと早けりゃな」
 その声は大昔に地雷で粉々になった祖父のように優しかった。
「でも、悲しむこたあない。その子も神の国に、ちゃんと行ってるさ」
 男はなにか小さな袋のようなものをポケットから取り出し、噛みちぎり、それからカジムに差し出した。
 それはカジムも一度見たことがある、あの外国人たちの食物らしかった。
 豆か肉か乳か――いずれにせよ、カジムはなにも思わないまま、ただそれを貪った。
 その男がまた何か言ったような気もしたが、今はただ食物を口中に満たし嚥下する、そのほうが先だった。
 夢のような味であり、夢のような喉越しだった。
 ぺしゃんこだった腹が、数日ぶりの仕事にわななく。
 尽きかけていたエナジーが血を巡り、カジムの脳のシナプスが、朝からずっと堰き止められていた熱く膨大な情報を、一気に心まで伝えた。
 サラはすばらしくかわいい妹だったのだ。
 ほんとうにすなおで、優しい娘だったのだ。
 誰よりもカジムを愛してくれた。
 そして、カジム自身も――。
 乾ききっていた目から滝のように涙を流し、がつがつと異国の携帯食料を貪り続けるカジムの耳に、頭上からまた声が聞こえた。
 今度は、しっかりと耳から脳に直結した。
「――お前も、神の国に行きたいか」
 その声は飢えた獅子のように優しかった。

    ★          ★
 
 ……こほん。
 けしてせんせいがだいほんをまちがえたのでもなければ、おぼんだというのにろくにぶつだんをおがみもしないみなさんのばちあたりなありさまに怒った見えないごせんぞさまが、こっそり『戻る』や『進む』をくりっくしたのでもありませんよ、ねんのため。
 また、せんせいがこの暑さにさくらんしてしょくばをほうきし校庭のプールにとびこんでしまい、おとこのシブい声優さんがきゅうきょ穴埋めにかりだされた、そんなのでもありません。せんせいはなないろの虹の声を駆使できるみらいのじつりょくは声優ですので、おはなしのひとののうみそが暑さでトロけてさくらんしているとしても、きちんとその異常なだいほんに書かれたシークェンスにさえ、そくざにたいおうできるのです。
 そのしょうこに、ほうら、いっしゅん後には、モウコンナニカワユイタカチャン声ニナッチャイマース。

    ★          ★

「……あついよう」
 かばうまさんのおなかをまくらにして、たかちゃんはぱたぱたとトトロの団扇を使っています。 
 かばうまさんは、たおるけっともふとんからほうりだし、あせだくでみにくい寝姿をさらしています。
「いや、これは、あづううい、だな」
 くにこちゃんもはんたいがわのおなかをまくらにして、ぱたぱたとちょっとアブない団扇を使っています。
 かばうまさんは、じぶんいがい無人のはずの部屋に聞き慣れたろり声を聞き、ぎく、などと飛び起きます。そしてころんところがったくにこちゃんの手にしている団扇に気づき、あわててひったくります。
「なんだよ」
 くにこちゃんがぼやきます。
「かえせよ、まじょっこうちわ」
 またかばうまさんの手からひったくりかえし、
「なんでまじょっこ、こんなにでかいおっぱい、まるだしなんだ? てれびじゃ、おれとおんなし、ぺたんこだぞ。へんしんしたのか?」
 このまえのやすみに、かばうまさんがいい歳こいてアキバで買ってきた、エロ同人誌のおまけの団扇だったのですね。
 いまさらそのばをとりつくろってもておくれなのですが、かばうまさんはぶなんなようかいだいせんそう団扇をどこかからひっぱりだして、くにこちゃんにあたえます。
「ほい、子泣き爺だぞ」
「よし」
 くにこちゃんもこっちのほうがこのみです。
 かばうまさんは、ねぼすけ顔に、ふと不審の色を浮かべます。
「……どこから入った?」
 夏休みに入ったとたん、かばうまさんのアパートをあそびのきょてんのひとつにせっていしてしまい、たまの公休日にもゆっくりだみんを貪らせてくれない三人組に、さすがのろりやろうも音を上げて、今日はしっかり玄関に鍵を掛けておいたはずなのです。
「まどだ」
 くにこちゃんは、とーぜんのように答えます。
「げんかんがあかなきゃ、まどしかない」
 かばうまさんがとびおきたとき、ななめはすかいにころがってしまったたかちゃんも、ななめはすかいにころがったまんまでぱたぱた団扇を振りながら、こくこくとうなずきます。
 どうやら裏の駐車場のフェンス→アパートの塀→二階の窓、そんな侵入経路のようです。
 まるでのらねこのように、せいめいりょくにみちあふれたたかちゃんたちです。おさんぽコースやなわばりにこしつする性質なども、のらねこに似ていますね。
 かばうまさんはたまの無せいげんすいみんもあきらめ、ちからなく流し場で顔をあらいはじめます。
 瞬間湯沸かし器さえ備わっていない安アパートでも、夏場はきちんと蛇口からお湯が出ます。
 せめて朝一の水分補給は冷たくて美味い水を――しかし錆だらけの冷蔵庫を開けてみると、ミネラル・ウォーターのみならず、だいえっとこーらの残りまで、すでにたかちゃんたちによって飲み尽くされています。トマトもグレープ・フルーツも、ひとつのこらず姿を消しています。
 かばうまさんはやけになって、朝から缶ビールをあおります。
 やけになりながらも、とことんろりやろうのかばうまさんは、今朝はなぜたかちゃんトリオでなくたかちゃんコンビなのか、ちょっと気になりました。たりないろりは、ほねのずいからお嬢様なので、はしたなくフェンスや塀を乗り越えられなかったのではないか、そう心配になったのですね。なかまはずれになってげんかんのおそとに立っていたりしたら、とってもふびんです。
「ゆうこちゃん、どうした?」
「あいつは、びょういんだ。きのう、ぷーるでたおれた」
 いっしゅんこうちょくするかばうまさんの手から、くにこちゃんは当然のように缶ビールをうばいとり、くんくん、などと匂いをかいでから、ぐび、などとのんでみたりします。それから「んべ」顔になって、たかちゃんにパスします。たかちゃんもくんくん、ぐび、そして「んべ」です。
 我に返ったかばうまさんは、あわててビールをとりもどし、
「そりゃ大変じゃないか。病気か?」
 三さいいじょう十四さいいかのろりのせいめいかつどうにかんしては、とことん気になる性質《たち》なのですね。
「だいじょぶだ。ひっく。あいつは、いつも、なつになるとばてる。ひっく」
 たかちゃんも、なんだかいいきもちになって、しんぱいそうなかばうまさんを、いいこいいこしてあげます。
「すずしくなると、ひっく、ちゃんとおきるよ、ゆうこちゃん。ひっく」




  Act.2【ちろちろ】


 青梅しみんぷーるにむりやりらちされて、ごぜんちゅうをたかちゃんたちのおもちゃとしてすごしたかばうまさんは、おひるごはんにこうきゅうちゅうかりょうりてんに連れ込まれ、それはもう異常に高価なひやしちゅうかやでざーとをちからいっぱいおごらされた後、みんなでゆうこちゃんの入院した病院におみまいにいきます。
「やっほー!」
「いきてるか?」
 いかなるときにも緊張感とは無縁のたかちゃんやくにこちゃんのごあいさつに、とくべつこしつでちょっとさびしい一夜をすごしたゆうこちゃんは、にこにことごへんじします。
「やっほ。いきてるよう」
 たまがわのかわらがみおろせるさいじょうかいのこしつは、びょういんというより、こうきゅうホテルのスイートなみです。
 そこで白いレースのふりふりぱじゃまでねているゆうこちゃんの、お姫さまのように甘美なほほえみに、かばうまさんは心底胸を撫で下ろします。
「よかった。元気そうだ」
 ゆうこちゃんのあいらしいくるくるまきげを汚らわしいぶっとい指で撫でながら、付き添いにきていたお手伝いの恵子さんに、馴れ馴れしく笑いかけます。
「驚いたよ。店に連絡くれれば良かったのに」
「でも、お盆はずっと忙しいんでしょ? たまのお休みくらいは、ゆっくりしたいでしょうし」
 恵子さんもなんだかあやしいふんいきまですすんでいるような、びみょうにいろっぽいまなざしをかえします。
 まあ、なんといってもさんじゅうちかいばついちさんと、よんじゅうすぎのみさかいなく飢えたちょんがーですから、あれから三ヶ月もあれば、この全年齢対象の場ではくわしくごせつめいできないあんなことやそんなことも、ちょっぴり、いえ、しこたまあったりするのかもしれません。
 こどもたちはかってにきゃあきゃあやってるようなので、ふたりきりでちょっと廊下に出たりもします。
「毎年入院するって邦子ちゃんが言ってたけど――優子ちゃん、どこか悪いの?」
「ううん。病気じゃないんだけど、ちょっと夏には弱いの。でも、今年はずいぶん元気なほうなのよ」
 恵子さんは、ちょっと隙間を開けたままのドアからベッドのゆうこちゃんを窺い、憂いを帯びた瞳でつぶやきます。
「生まれた時から、未熟児だったし――ほんとはね、小学校に上がるまで育ってくれるかどうか、そんな話もあったの」
 かばうまさんは驚いて、三人組のほうを振り返ります。
「でも、もう大丈夫だろうって。幼稚園に入った頃から、どんどん育ってるし」
 恵子さんは憂いを振り切るように、無邪気な笑い声の響く病室を見つめます。
「たぶん、貴ちゃんたちの元気をもらってるんだわ。だから奥さんや旦那様さんも、優子ちゃんだけは、同じ学区の公立校に上げたのよ、きっと」
 かばうまさんは、しまりのないお顔にめずらしくきりりとした笑顔を浮かべ、恵子さんのとしのわりにはろりっぽいふぜいと、こねこのようにベッドでもつれあうほんもののろりたちを、やさしくみくらべます。
「……うん。きっと、そうだね」

    ★          ★

 おそとのろうかでは、そんないちぶしびあなかいわがかわされるいっぽう、ベッドのゆうこちゃんはたかちゃんにおあしのうらこちょこちょこうげきをキメられ、
「きゃははははははは」
 こきゅうこんなんにおちいり、悶死のいっぽてまえをさまよっています。
 くにこちゃんはおみまいにあきてしまい、かばうまさんに買わせたおみやげのフルーツ・バスケットを、ひたすらたべあさっています。
「しゃぷしゃぷ。うん、めろん、うまいうまい。ほっぺたが、おちそうだ」
 ふときづくと、バスケットはもうおびただしいくだものさんの皮だけになっています。
「…………」
 これはさすがにちょっとちがうのではないか、そんなたかちゃんとゆうこちゃんの視線に、
「……きにするな」
 くにこちゃんは、こわいかおをしてそのばをごまかします。
「おまえんちはかねもちだから、だいじょぶだ、きっと」
 たかちゃんはとってもかしこいおこさんなので、ないしん「なにか論点が意図的に曖昧なのではないか」と、ちょっぴりうたがわしげなまなざしですが、ゆうこちゃんはおうちにかえればそんなせこくて小さいうそんこメロンではなくほんもののメロンをいくらでもたべられるので、すなおにこくこくとうなずきます。
 たかちゃんのぎわくのしせんと、うたがうことをしらないゆうこちゃんのしせんに、なおいたたまれなくなってしまったくにこちゃんは、さらにそのばをごまかすため、ととととととお窓にかけよります。
「いやー、いいながめだ」
 たかちゃんは小栗鼠のようにいっしゅんまえのぎもんも忘れて、ととととととお窓にならびます。
 たまがわのかわらは、めいっぱいなつのひざしです。
 みんみんみんみんと、せみさんたちも、いっしょけんめいないています。
「おう。みんな、ありんこみたい」
 よかった、これはごまかせそうだ――くにこちゃんも、すかさずあたらしいわだいをふります。
「はなびたいかい、みえるかな」
 こんや、きんじょのかわらで、大はなびたいかいがあるのです。
「……だめみたい」
 ゆうこちゃんが、ちょっぴりさびしそうにつぶやきます。
「おとだけなら、きこえるって」
 ほんとうはみんないっしょに、かぞくそろってでかけるはずだったのですね。
 あう、ますますこのばがくらくなってしまった――くにこちゃんはないしんこまってしまいますが、
「らいねん、いこう」
 たかちゃんはあっけらかんと、ゆうこちゃんに笑いかけます。
「らいねんのらいねんもあるよ、はなび。ずうっと、あるもん」
 ゆうこちゃんもむじゃきにこくこくします。
「うん! らいねん、いっしょにね」
 ――このつかえるぼけむすめと、とろいかねもちむすめだけは、しょうがい泣かすまい。
 そう男らしくこころにちかう、くにこちゃんでした。
 おんなのこなんですけどね。

    ★          ★

 山形県吹浦の無人の入り江に日の出前泳ぎ着いたカジムは、沖を引き返してゆく漁船――一見漁船に見える船影を見送った後、岩陰に隠れて、バック・パックの乾いた衣類に着替えた。
 衣類、洗面具、当座の日本円とパスポート、アメックス・カード――ワイオミング大学在学中の中東系アメリカ人青年が、夏の休暇に日本を回ろうとしている。当然、銃器などは携帯できない。
 現在最もチェックが甘いと分析されたコースを辿り、そのまま酒田から新庄駅に向かう。日本語は「コニチワ」「アリガトゴザマス」程度しか覚えていないが、肝要なのは、絶対に中東や南米や東南アジア色のない流暢なアメリカン・イングリッシュと、ヤンキー特有の浅薄で明るい表情である。それさえ誇示できればカジムの顔立ちでも、この国で怪しまれることはない。
 山形新幹線のホームで、予定通り同胞の留学生と落ち合う。その同胞はカジムよりも十歳は上のはずだったが、一般の東洋人や西洋人には、その差を見出すのが困難だ。事実、その初対面の同胞が一瞬不安な表情を垣間見せたほどまだ若いカジム――現在十五歳の少年がここまでに接触した日本人たちは、誰も彼がアメリカの大学生であることを疑わなかった。その中には、酒田駅までの道を訊ねた警察官も含まれる。
 初めて乗る流線型の超特急列車は、軍用機を除けばカジムの知る限り、この一年故郷の山間で操縦訓練を続けていたセスナと同等の速度で、地表を疾走しているように思われた。車や列車という地上輸送機関には付き物のはずの、腰の歪んでしまうような振動も、まるで夢の中のように感じない。
 数ヶ月ぶりに精神の弛緩を覚えたカジムは、窓外の景色を眺めながら、そしてここまでの経路を思いながら、心中で嘆息した。この国にはなぜ乾ききった砂漠や礫漠がないのか。なぜどこもかしこもみずみずしい緑に覆われているのか。そして乞食までが肥えているのはなぜか。彼には車窓を流れる美しい自然の山々すらが、漠然と、『不当に自分たちから奪われた物』であるかのように思われた。そう、故国の資源と同様に。
「少々準備が遅れているんだ。なにせペルシャの赤ん坊がもらえると思ったら、スコッティッシュフォールドだって言うんだからな」
 同胞はノート・パソコンをネットに繋ぎながら言った。
 やがてブラウザに現れたペット愛好者のホーム・ページは、総てが暗号化された彼らの拠点だった。無論、テキストや画像にイレギュラーな信号が織り込まれている訳ではない。構成自体が二重三重の意味を秘めて組まれており、さらに日替わりの暗号パターンなども存在する。事実その掲示板やチャットに参加する訪問者の九割は、単なる犬好き猫好きの唾棄すべき異教徒であって、たった今掲示板に書き込まれた愛猫自慢の中のペルシャ猫が調布飛行場であり、シャムが東京都庁であることなどは知る由もない。
「地図さえ書いてもらえば、どこにだって行くよ」
 カジムははるか年長の同胞にそんな物言いをするのを心苦しく思いながら、崩れた若者米語で答えた。
 チョウフがナガノのどこかに変更になろうが、トチョウがロッポンギヒルズに変更になろうが、この呆れるほど細い国の東西方向ならば、セスナの航続距離に問題はない。軍用機の迎撃でも受けない限り、神の国への道は確実に開けるはずだった。自分の操縦技術は、飛行担当最年少であるにも関わらず、誰よりも巧みなのだから。
 もうすぐ胸を張って妹に会える――カジムはそう信じていた。

    ★          ★

「おい、かばうま。あれを、かえ」
 かえりみちのしょうてんがいで、くにこちゃんはかばうまさんのシャツのすそを引っぱります。
 おもちゃやさんのウインドーに、きれいな花火の詰め合わせが、たくさん並んでいます。
「ゆうこがたいいんしたら、いっしょにやるんだ」
 かばうまさんも、異議なしでお店にはいります。
 さきをあらそってかけこんだくにこちゃんとたかちゃんは、たちまちのうちに両手にいっぱいの花火を抱え、かばうまさんのお買い物かごに放りこもうとします。
 たかちゃんがかかえてきたのは、おもにいろとりどりの、なんだかよくわからないけれどとってもおもしろそう、そんなはなびばかりです。いっぽうくにこちゃんがかかえてきたのは、とにかくでかくてけいきがよくてできればおうちの一軒くらいはこなごなにふきとばせそうなやつ、そんなきぼうによる、おおものばかりです。かばうまさんはそのせんたくのわかりやすさにちょっぴりあきれながら、ふたりのぶーいんぐを制しつつ、適宜げんじつてきな量の花火を選り分け、レジにはこびます。古色豊かな線香花火なども、おやじなので加えます。
 それからまた、しょうてんがいをあるいていると、
「ねえねえ、あれかって」
 こんどはたかちゃんがすそを引きます。
 そろそろ喉でも乾いたかな、そう思いながらかばうまさんが振り向くと、電器屋さんの店先に、『まだ夏はこれからだ!!』とはではでのPOPで飾られた、単なるうれのこりのエアコンが並んでいます。
「ゆうこちゃんがたいいんしたら、かばうまさんのおへやも、ひゃっこくするの」
 ほんとうは九わりがた、たかちゃんじしんのよくぼうによるおねだりなんですけどね。
 ちなみにかばうまさんは、禁エアコン主義者です。ろりおたなどにありがちな、ぶよんとしてしまりのない、おおでぶであせっかきのくさいからだをもてあましているのに、自分の部屋に限って冷房を入れないのは、むかしファンだったおないどしのかがみ♪あきらさんという、やっぱりおおでぶでおたくで、しかしとてもすぐれたSFせんすと美少女きゃらの融合世界を展開していたまんがかさんが、じゃっかん二十六歳のなつ、ふろあがりにはんぶんはだかのまんまエアコンつけっぱなしで寝込んでしまったため体熱を奪われ凍死してしまった、そんなできごとがあったからです。その前から過労で風邪気味で衰弱していたという話もありますが、かばうまさんなどまんせいてきに過労で衰弱しておりますし、風呂上がりにビールをしこたまかっくらってそのままぶたのように翌朝まで寝てしまう、そんなのもしょっちゅうです。かがみ♪あきらさんのようないだいなさいのうもなく、ほとんどいきているかちのないただのうすぎたないろりおやじのかばうまさんでも、なまいきに死ぬのだけは恐いのですね。
「うーん、エアコンはなあ――」
 躊躇するかばうまさんを、たかちゃんはきらきらときたいにあふれたおめめで見上げます。
 たかちゃんは、きほんてきに、むてきのファニー・フェイスです。ゆうこちゃんのような西洋人形っぽい甘さや、くにこちゃんの青鹿のような伸びやかさとはまたちがった、おこったときはほんとにぷんぷん、ないたときはほんとにえーんえーん、そして笑ったときにはもうどこからみてもこころのそこからにっこしそのもの、そんなろりおやじごろしの豊かでいたいけなひょうじょうを、むいしきのうちにくしできます。
 とうぜん、かばうまさんのやすげっきゅうのうちのなんまんえんかを、よくぼうのおもむくがままそくざに吸い上げるくらい、わけはありません。
 きらきらきらきら。
 わくわくわくわく。
「――そうだな、買っとくか」
 こうなると、もはやえんじょこうさいよりもたかくつきかねない、あくしつなやらずぶったくりですね。




  Act.3【ちりちりちり】


 みーんみんみん、みーんみんみん。
 たまがわの土手には、せみさんたちの声が、あいかわらずやけくそのようにふりそそいでいます。
 並木の幹や枝にとりすがってやるせなくみもだえしているのは、おもに男のせみです。
 なにしろたったいっしゅうかんしかナンパできないからだなのに、まだハクいナオンがオチてくれないので、「ああもうどんなへちゃむくれのスケでもいいから死ぬまでパツイチやらせてくれい」――ほんとうにみもこころもギリギリなのですね。
 さいわいそうしたおとこのみにくいよくぼうなどは、せみのことばなので、たかちゃんたちにはわかりません。
「いっぱつめ、いくぞ」
 くにこちゃんのことばも、「パツイチ」とは、きちんと意味がちがいます。
「どどーん!!」
 くにこちゃんのかけごえに合わせ、たかちゃんは、しゅぱ、などとおもいっきし両手をひろげ、びょんびょんとあっちこっちにつっぱらかします。
「よし、にはつめだ。ずぱぱあああんん!!」
 たかちゃんはからだごととびあがり、うぎょぎょぎょぎょ、などと両手両足をしほうはっぽうにけいれんさせます。
「……ちょっと、ちがうな」
 くにこちゃんはれいせいにちぇっくを入れます。
「ゆびのさきを、こうしたらどうだ」
 ぱぱぱぱぱ。ぱぱ。
「おう、なるほど」
「もういっぺんいくぞ。ずぱぱあああんん!!」
 うぎょぎょぎょぎょ、ぱぱぱぱぱ。ぱぱ。
「よし、かんぺきだ」
 ちゃくちしたたかちゃんは、ぶい、としょうりのさいんを出します。
 たかちゃんたちがなにをれんしゅうしているのか、よいこのみなさん、もうおわかりですね? ここまでびょうしゃしてもおわかりでないよいこのかたは、もはやせんせいのきょーいくぎじゅつをもってしてもすでに手おくれですので、お盆がえりのごせんぞさまとなかよく手をつなぎ、送り火の薄煙とともに、はかなくお空にのぼってくださいね。とうろうながしに乗って海にながれさるのもよいことです。
 はい、たかちゃんたちが、びょういんに向かう土手の道、けなげにそしてふかかいに展開しているのは、きのうのよるのはなびたいかいの、『人力あなろぐ再現ビデオ』です。いっぱつげい、といったほうがてきかくかもしれません。
 ほんとうはたかちゃんのパパが撮影したでじたるびでおをゆうこちゃんに見せてあげるはずだったのですが、たかちゃんのパパはげんざいこそふつうのかいしゃにかよっているものの、じつは過去かばうまさん同様なんじゃくでツブシのきかないこみけ系おたくだったので、ここぞ、というときにはたいていことをしくじります。あんのじょう、さいあいのつまや、なんだかよくわからないがとってもたのしめるむすめなど、きんきょりのひしゃたいはしっかり映っていたのですが、かんじんのはなびはぜんぶぴんぼけでした。
 したがって、そのはなびたいかいの、華麗かつ一抹の哀感を湛えた散華の祭典をその場にいなかったゆうこちゃんに伝えるには、極めて高度な話芸や体技がようきゅうされます。れんぱつものは、ふたりいっしょにとびあがって、うしゃしゃしゃしゃ、などとオーバーラップしたりしながら、ふたりはびょういんにむかって、かたつむりのようにすみやかに前進しています。
 どてみちをさんぽしているすでににんげんとしてのやくわりをおえたおじいさんやおばあさんや、おっとにきせいして日々をただ怠惰な消費かつどうについやしているおくさまがたは、そんなふたりをほほえましげにみまもります。じぶんはそれなりにこうふくなのだとじぶんをいつわりつつ、しかしなおこころのかたすみにわだかまるなにかばくぜんとしたふあんをいっときでもわすれさせてくれる『ただ生きる事に忠実な』幼児を慈しみながら、よべどかえりきたらぬおのれのなつかしきひびなど、むなしくおもいえがいているのかもしれません。
 さて――。
 そんな平和な眼差しの中から、ある一対の憑かれたような視線が、たかちゃんのちょんちょん頭と、天真爛漫な笑顔を特定します。
 土手に座ってひまわりの群落を眺めていたそのTシャツ姿の若い男は、それまでの幾重にも糊塗された無難な表情操作を忘れたかのように呆然と目を見開いて、ふらふらとたかちゃんたちに近付きます。
「?」
 たかちゃんは、はてな顔です。
 いつもなら知らないひとでもとりあえず「やっほ」か「どどんぱ」なのですが、あんましまじまじとみつめられてしまったので、かえってはんのうに窮してしまったのですね。
「――これは、がいじんだ」
 いっぱんじょうしきにうといたかちゃんのために、くにこちゃんがせつめいしてあげます。
「はながたかくて、いろがちょっとくろい。きっと、あらじんの、がいじんだ」
 たかちゃんもこくこくとうなずきます。どうやらそらとぶじゅーたんにのったり、らんぷの精をよんだりするひとのようです。
「やっほー!」
 あらためてげんきにごあいさつしますが、がいじんさんはただ薄い褐色の瞳をたかちゃんのお顔に釘付けにしているばかりで、はんのうはありません。
「どどぱどどどん?」
 どどんぱ語ならつうじるかもしれない、そうおもっていちばんていねいなあいさつをしてみても、やっぱしはんのうがありません。
 みかねたくにこちゃんが、がいこく語でたすけぶねをだします。
「へろー。でぃす、いず、あ、ぺん」
 がいじんさんが、横のたかちゃんをみつめたまんまで、つぶやきます。
「……サラ」
「おう、つうじた、つうじた」
 ぱちぱちと手をたたくかたちゃんに、くにこちゃんはえっへんと胸をはります。
 どうやら、『お皿』というのがあらびあんないとのごあいさつらしいので、
「さら!」
 たかちゃんも元気にごあいさつします。
 でも、がいじんさんは、ますますどんぐりのようにおめめを開くばかりです。
 たかちゃんはいっぱんじょーしきこそ欠落していても、かんじゅせいだけはひといちばいゆたかなおこさんです。ですからその異邦人の底知れず深い瞳の奥に、湧然と溢れた『希求』『切望』『哀訴』といった概念を、なにがなし読み取ります。
「……おなか、すいたの?」
 くにこちゃんも、なんだかおなかを空かしたのらねこみたいなかんじだと思ったので、
「なんか、やってみろ」
「うん」
 たかちゃんはぽっけからさくまのいちごみるくきゃんでいーをとりだし、がいじんさんに、いっこわけてあげます。
「はーい」
 がいじんさんは、たかちゃんのちっちゃなてのひらにのったかわいいびにーるぶくろを、ふしぎそうにながめています。
「いっこじゃ、たりないみたいだぞ」
「むー」
 ぽっけにはもうよんこしかのこっていなかったので、ちょっともったいないなあとは思ったのですが、そんなにおなかがすいているのなら、しかたありません。
「はい。はんぶんこ」
 ふ、とがいじんさんのお目々が、あたりに逸れます。
 いつのまにか、ほかのおさんぽ中のひとたちが、ちょっと心配そうに、たかちゃんたちの様子を窺っていたのですね。
 がいじんさんのお顔が、きゅうに、からりと晴れ渡ります。
「Aha! Very cute! Nice kids!」
 たかちゃんやくにこちゃんの頭をいいこいいこしたあと、さっそくいちごみるくをひとつお口に入れてご満悦の笑顔は、まるでやまがた弁でしゃべるだにえる・かーるさんのように素朴でした。
「コニチワ、ミナサマ」
 まわりのひとたちは、ほっとして笑顔を返します。
 たかちゃんたちも、にこにこです。
「でぃす、いず、あ、ぶっく!」
「さら!」
 がいじんさんのひとみのおくが、またいっしゅん、わななきます。

 しかしカジムの心に数年ぶりに蘇っていた根源的な激情は、長い過酷な訓練を経て習得した『無害な笑顔』に隠蔽され、今度こそその幼女にも、そしてその場の誰にも見抜く事が出来なかった。

    ★          ★

「……面会謝絶?」
 アコーディオン・カーテンで仕切られた、一畳もないバックルームの中で、かばうまさんは眉を顰めます。
『うん。昨日の夜から、ちょっと喘息が出ちゃって』
 携帯から漏れる恵子さんの声にも、元気がありません。
「そんなに悪いの?」
『ううん、大丈夫。薬ですぐに治まったんだけど、今日明日は念のためね。でも、貴ちゃんたち、すごくがっかりしちゃってたから。――もし明日もあなたの部屋に行ったら、慰めてあげてね』
「うん、了解」
 駅ビルのテナント・エリアにあるなんかのお店は、月に一度の全館定休日を除けば、公休はシフト制です。たかちゃんたちは、もうなつやすみまえからかばうまさんのシフトをはあくして、おへやにらんにゅうしもてあそぶよていを、きっちり組んでいるのですね。
 でも、なぜ、かばうまさんのシフト表を恵子さんまで諳んじているのでしょう。
 カーテンのお外から、「店長! ネットプリントの端末、また固まっちゃってまーす!」、そんな舌足らずのきゃぴきゃぴ声が掛かります。
「ごめん、行かなきゃ。また電話する。――来週、大丈夫?」
『うん。寮で待ってる。お弁当、リクエスト考えといてね』
 なんだか、とってもあやしいふたりです。

    ★          ★

「……めんかい、しゃぜつ」
 とぼとぼと土手の道をひきかえしながら、たかちゃんがつぶやきます。
「どーゆー、いみ?」
 ぜんぜんわかっていなかったのですね。
「めんかいが、しゃぜつなのだ」
 くにこちゃんが、きっぱりとこたえます。
 やっぱり、ほとんどわかっていません。
 でも、しばらくゆうこちゃんにあえないことだけはたしかみたいなので、がっかしです。おれがあのうまいめろんをぜんぶくってしまったからか、そんな悔悟の念もあったりします。
「きょねん、うちのばーさんが、めんかいしゃぜつになった」
 くにこちゃんが、下を向いたまんまでつぶやきます。
「うん」
 たかちゃんも、その冬のことはおぼえています。
「なつになったら、はなびが、みたいといってた」
「ふーん」
 くにこちゃんは、お顔をあげて、かわらの上のお空、にゅーどーぐものてっぺんあたりをゆびさします。
「でも、あっちにひっこした」
 たかちゃんも、にゅーどーぐもを見上げます。
 おひっこししたらきもちがよさそうにふわふわしていますが、たかちゃんがとびあがったくらいでは、とても届きそうにありません。くにこちゃんの強じんな脚りょくをもってしても、ちょっとむりっぽい高度みたいです。
「……ゆうこちゃんも、おひっこし?」
「――わからん」
「おひっこし、やだ」
 あしもとのいしころを、ぽーんとけってみたりする、たかちゃんです。
 そのはずみに、白とおれんじのどれみのお子様しゅーずも、ぽーんと河原の草叢まで、飛んで行ってしまったりします。
「ありゃりゃ」
「ありゃ」
 あわててけんけんしたりさぽーとしたりしながら、たかちゃんとくにこちゃんはくさむらに下りて、どれみのそうさくかつどうをかいしします。
「おう!」
 くにこちゃんがよろこびの声をあげます。
「あった?」
「でっけーかまきり、みっけ」
「……ちがうよう」
 またそうさくをさいかいします。
「おう!」
 こんどはたかちゃんが、よろこびの声をあげます。
「あったか?」
「みてみて。こーんなおっきい、ばった」
「おう、すげー」
 すでにそうさくたいしょうが、あいまいになっています。
 それからさんじゅっぷんほども、ばったやきりぎりすやなんだかよくわからないけどおもしろいむしさんなどをうりうりといたぶったのち、
「おーい、あったぞー」
 くにこちゃんの元気な声に、「こんどはぷくぷくいもむし?」などとまとはずれな期待をいだいてたかちゃんがかけよりますと――どれみのうんどうぐつは、なにかおっきな段ボール箱の横に、ちょこんと転がっています。
 そしてその段ボール箱のむこうには、なんだかおっきな鉄の筒みたいなものが、いくつも転がったりしています。
「おう」
 いっぺん、てれびのうんちくばんぐみで見たことがある、おおづつみたいです。
「あれ、たまや?」
 たーまやー、とか、かーぎやー、とか、そんなうんちくばんぐみだったはずです。
 くにこちゃんも、きたいのまなざしでこくこくします。
 そらからふたりで箱の中をごそごそしたり、つつの中にお顔をつっこんだりして、
「……すげーぜ」
「ほんこの、はなび」
 ふたりは、がしっ、とガッツ・ポーズの腕をからませ、青空にむかって叫びます。
「どどんぱっ!!」




  Act.4【しゅぱしゅぱ】


「うんしょ、うんしょ」
 よくあさ、かばうまさんのアパートのかいだんをのぼるたかちゃんは、なんだか大きなりゅっくをしょって、あせびっしょりです。
「あうあう」
 ときどきつんのめってりゅっくのしたじきになりそうになったり、
「うひー」
 そっくりかえってうしろにころがったりしそうになるのを、あとにつづくくにこちゃんがさぽーとしてあげます。
「とーちゃんのたーめなーら♪ えーんやこーら♪」
 くにこちゃんは縄でくくった自分の背丈よりも長い鉄の大筒をしょって、ほとんど、はたらくどかたのあのうたじょーたいです。
「もひとつおまけーに♪ えーんやこーらー♪」
 いったい、いつのうまれのふたりなのでしょう。

    ★          ★

 さて、にぶくてとろいよいこのみなさんでも、ひとなみののうみそをお持ちのかたはうすうす感じていらっしゃると思いますが、いまのにっぽんは、とってもへんです。
 けいさつのひとがどろぼうしたりするのは、おなじにんげんなのでまあそんなもんだとしても、おなかまのけいさつのひとは、そのけいさつのどろぼうさんにしっかりたいしょくきんをあげたりします。
 また、ちょっとまえにはげんしりょくはつでんしょのひとがばけつでほうしゃせいぶっしつをかきまぜたり、じどうしゃをつくるおじさんたちがいーかげんにずめんをひいたり、ひこうきをとばすひとたちが、うっかりとばしかたをてきとーこいたりしてしまいます。
 さらにでんしゃのなかにどくをまいてひとごろしをしたぶよんとしてしまりのないくそきょーそや、みさかいなくしょーじょをどくがにかけたくそしんぷを、いまだにありがたくおがんでいるあたまのおかしいしゅうぐが、おおでをふってみちをあるいています。
 やみきんやふりこめさぎ、りふぉーむさぎなどにうつつをぬかし外車をのりまわすうんこやろう、そのうんこやろうからかねをすいあげてえらいつもりのはくちおやじやていのうじじい――。
 しゃかいの『たが』が、はずれてしまっているのですね。
 おろかな『ばびろん・しすてむ』の中でまもうしていく『ひとがひととしてみんなで生きるためのあたりまえのこころ』、そしてその『ばびろん・しすてむ』を喝破したれげぇのいじんボブ・マーレィさんの心などまったく鑑みもせず亜流のラップやヒップ・ホップもどきでただ日々の愚痴を垂れ流すだけの日本の飽食した若者たち――そんな『箍』を失った社会では、およそ人が人であった昔には考えられなかった事物が、『なんでもあり』として、それはもうパンドラの箱から逃げ出す『なんかいろいろ』のように、ぞろぞろと社会に蔓延していきます。
 たとえば、はなびたいかいのあとにものほんのはなびがかわらにのこっているなど、たとえそれが本来トラックから下ろされないはずの予備だったとしても、つうじょうありえないことです。火工会社の現場責任者に大会中「息子さんが熱中症で倒れた」という連絡が入り、後を副責任者に任せて中座してしまったとしても、その副責任者が妻との離婚調停のズブドロでなかば鬱病に陥っていたとしても、末端の会場バイト君たちがビール片手に後始末をしていたとしても、バブル以前の日本ならば、必ずどこかでチェックに引っかかったはずなのです。
 さらに、計画の変更で一昼夜を青梅の留学生のアパートに潜伏した少年が、翌朝中央自動車道を仲間の車で向かいつつある長野某所の民間飛行場、そこに待機するセスナに積載能力限界までTNT火薬が仕込まれている事など、警視庁公安や各地警察が昔日の捜査能力・警備機能を保っていれば、絶対に有り得ないはずなのです。
 でも、しかし――。

    ★          ★

「きょーもきこーえるー♪ よいとまけーのうーたー♪」
 きみょうな労働歌を聞きつけてドアを開いたかばうまさんは、
「……なんじゃ、そりゃ」
 ぜっくして三和土にたちすくみます。
「ほいっ」
 たかちゃんがりゅっくをかばうまさんにあずけて、せせこましいおへやにかけこみます。
「うひゃー、ひゃっこい」
 すいてい八キロほどもあるかと思われるりゅっくをいきなりあずけられたかばうまさんは、
「うげ」
 ぎっくりいきそうな腰をひっしにふんばります。
「おらよ」
 くにこちゃんもすいてい数十キロはあると思われる大筒をかばうまさんにほうりなげて、せこいエアコンにかけよります。
「ぐえ」
 かばうまさんは大筒の下敷きになり、ないぞう破裂すんぜんのダメージを受けます。
 今朝もろりたちがきたら、昨日の一件で気を落としているだろうから、せめて部屋は涼しくしておいてやろう――そう思ってきのう夜間配達してもらった窓用エアコンを、朝から自力で設置していたのですが、そんなろりおやじの偽善的優しさも、ほんのうに生きるろりたちにはつうようしません。
 たかちゃんたちはエアコンの前に陣取り、れいぞうこからもちだしたぴーちのふぁんたを、ごうかいにまわしのみします。
「ぷはー」
「ごくらく、ごくらく」
 もはや、しんしんともに、ひとしごと終えてひやざけをあおるにくたいろーどーしゃです。
 ほうふな皮下しぼうによって即死をまぬがれたかばうまさんは、三和土に転がったきみょうな鉄管を、しげしげと検めます。
「……打上筒?」
 さらにりゅっくをのぞき、ぼーぜんとつぶやきます。
「……尺玉……発射火薬……」
 かばうまさんは、おおむかしのびんぼうがくせいじだい、すみだがわはなびたいかいのげんばせつえいで、ばいとしたことがあります。また、むかしからせつなせつなのよくぼうにみをまかせ人生を誤るタイプですので、ぱっと咲きぱっと散る日本の打ち上げ花火が大好きです。ですからはなびのしみゅれーしょん・げーむや、花火師さんたちの書いた専門書なども、おたくらしくじゅくちじゅくどくしています。
 あたふたとふたりにかけより、
「ど、どーした、あんなもの!」
 たかちゃんは、やはりかってにれいぞうこからもちだしたいちごのふらっぺをむさぼりながら、
「しゃくしゃく。かわらに」
 くにこちゃんもおぐらあずきのふらっぺをかきこみながら、
「おちてたのだ。しゃくしゃく」
 河原に落ちてた――有り得ないとは思いつつ、かばうまさんもおそまつとはいえ長くおとなをやっていますから、もはやこの国の社会は誰が何を見失っても不思議ではない、そんな現実を、日々の万引き補導やクレーム処理を通して、身に染みて悟っています。
「落とし物は、交番!」
 せめてろりだけはしっかり育って欲しい――惰弱なおたくの自分を棚に上げて、もっともらしく諫めます。
 たかちゃんはどうどうとむねをはり、ちっちゃな両のてのひらを、かばうまさんにひろげてみせます。
「じゅっこ、おちてたの」
 くにこちゃんもこくこくとうなずきます。
「いちわり、もらっていいのだ」
 かばうまさんは、ふたりのあたまを、いちどにこっつんこします。
「あいた」
「なんだよ」
 かばうまさんは、ねんれいそうおうの、せっきょうおやじと化します。
「一割もらえるのは、ちゃんと全部交番にとどけて、落とし主がみつかってからだ。勝手に持ってくるのは、ただの泥棒だ」
 くにこちゃんが、こうぎします。
「ちゃんと、こうばんにも、でんわしたぞ。これは、じどうぎゃくたいだ」
「いや、これは愛の鞭だ」
 かばうまさんの言葉に、たかちゃんはなんとなく、きゅーしょく係のお姉さんのおたまのかんしょくを思い出したりします。――あいの、むちむち。
 でもくにこちゃんは、ほっぺたをふくらませて、なんだかちょっとしょんぼりしてしまいます。
「……かばうまなんか、きらいだ」
 ほんとうは、これはやっぱしどろぼうかもしんない、それくらいのことは、くにこちゃんにもうすうすわかっているのですね。
「……ゆうこに、みせてやるんだ。ほんこの、はなび」
 無敵の超強化ろりが、ちょっとうるうるしていたりするのを見て、かばうまさんのむねが、きゅううううん、とうずきます。
 たかちゃんが、かばうまさんのぱじゃまのすそをひっぱります。
「ねえねえ、ゆうこちゃん、やっぱり、おひっこし?」
 かばうまさんは、なんだかわからずきょとんとしています。
「くにこちゃんのおばあちゃん、きょねん、めんかいしゃぜつ、したの」
 たかちゃんは、ガラス窓のむこうの、お空を指さします。
「でね、てんごくに、おひっこししたの」
 そうだったのか――かばうまさんは思わず、両腕でふたりの頭を抱き寄せます。
「さわるな。きらいだ」
「おひっこし、やだ」
 かばうまさんは、うにうにとふたりを慈しみながら、
「大丈夫だよ。ゆうこちゃんは、お引っ越ししない」
 しかし、それは本当に断言できるのか――かばうまさんの心に、一抹の疑念が生じます。
 かつていつまでも自分と共に存在し続けると信じていたのに、小学校の夏休みに牛乳瓶の花と化してしまった同級生、故郷の陸橋をバイクで下る途中空き缶に乗り上げてトラックにダイブしてしまった高校のおたく仲間、インフルエンザごときで仲良く先立ってしまった両親、たった一本の社内メールで知らされる同期入社の店長仲間の突然死――。
 お窓の外では、あいかわらずせみさんたちの声が、己が生への渇望と次世代への輪廻の願いをこめて、駐車場の煤けた木々の枝を震わせています。

 みーんみんみんみん。
 みーんみんみんみん。

「……よし、待ってろ」
 かばうまさんは、たかちゃんたちの手に、フラッペを戻してあげます。
「食ってろ」
 それから机のパソコンを起ち上げ、あっちこっちにアクセスし始めます。
 種々の火工会社や花火関係のデータ・ベース。国土交通省の航空写真や、車もないのに好奇心で契約しているナビゲーション・ソフト会社の街路図・地形図――おたくらしく普段役に立たない知識は豊富でも、やっぱり確認は必要です。
 もう数年この地に住んで、夜間に航空機の低空飛行などはないと確信できますし、今時の業務用花火は高度さえ守れば火事の心配もありません。ただ、万一民家や車の屋根など汚してしまったら、洒落になりません。一〇号の尺玉の開花半径はどのくらいだったか、打上火薬の適正量は何百グラムだったか、あの病院の裏手の河原の地形は――。
 なんだかとつぜんおしごとみたいなのをはじめてしまったかばうまさんを、たかちゃんとくにこちゃんは、ふしぎそうにながめます。
 ふらっぺを手に立ち上がり、うしろからモニターをのぞきこんで、
「なになに? おう、はなびはなび。しゃくしゃく」
「ふん」
 まだちょっとごきげんななめっぽいくにこちゃんに、かばうまさんは街路図のウィンドーを前に出し、まうすをちょいちょいなどと、さーびすしてあげます。
「ほら、『長岡履物店』」
「おう、すげー。おれんち、ゆうめいだ。しゃくしゃく」
「さて、それ食い終わったら、下見に行こうか。それから、昼ご飯だ」
 かばうまさんはにっこしわらって、航空写真の河原を指さします。
「ここから上げれば、優子ちゃんにもきっと良く見えるぞ、花火」




  Act.5【しゅぱぱぱぱぱぱぱ】


 ごそごそ。
 ちらちら。
 まっくらなかわらのくさむらから、ちっちゃいあたまがふたつ、でたりひっこんだりしています。
 あられちゃんふうのちょんちょんあたまと、しょたっぽいしょーと頭みたいです。
 そだちすぎてすかすかになったすいかのようなまあるいあたまも、うしろからのぞきます。
「あちゃー、やっぱり、いたか」
 小声でぼやいたかばうまさんの視線の先には、なにやらぐだぐだと気合いの入らないちゅーぼーやらとっちゃんぼーややらしりのかるいすべたなどが、うんこずわりで無内容な会話を交わし、また無駄な食料消費に耽っています。夏なので焚き火をするわけにもいかず、ダイソーのランプなど点しているようです。
「あー」
「たりー」
 にんげんというものは、むだにいきればいきるほど、かったるくなります。もっとも、きちょうめんにはたらきすぎても、うつびょーですべてがかったるくなってかもいで首を吊りたくなったりするので、ほどほどがいちばんなんですけどね。
 さて、朝のかばうまさんのけいさんでは、かわらのたいがんにある廃ホテルの屋上が、もっともうちあげにてきしている、そんなけいさんになったのでした。ひるまに下見にきたときには、その計画でらくしょーと思われたのですが、はいきょと化したほてるのろびーには、たきびのあとやコンビニ袋に入ったゴミなども見受けられたので、いちまつのふあんもあったのです。
 まあ、むふんべつなことにおいてはじんごにおちないやんきーたち――あのカジムたちが装っている『ヤンキー』ではなく、あくまでもにっぽんでむだながきをいみする『やんきー』ですから、あんがいモノホンの花火を上げるなどと打ち明ければ喜んで協力してくれる可能性大ですが、なんといってもこんじょーのカケラもないがゆえにやんきーをしているお子さんたちなので、事後の秘密厳守などは、甚だ疑問が残ります。
「排除計画、発動」
 かばうまさんの指令に、たかちゃんとくにこちゃんはびしっとけいれいし、ととととととくさむらを遠まわりして、かねて調査済みの裏口に回ります。
 かばうまさんは、ころあいをみはからって、『しょーばいにんもーど』に移行します。
 といっても、たたきうりや店頭デモを始めるのではありませんよ、ねんのため。ちいきみっちゃくがたの小型てんぽでようきゅうされるのは、はでな口上よりも、いかに日常性の中に趣向を織り込むか、そんな呼吸です。
 かばうまさんは、ちょっと散歩に出た近所の旦那、そんなかんじでくさむらからあるきだします。
 その手には、なぜか赤いどれみのゴム鞠などを抱えています。
 そのまんま廃墟のろびーにぶらぶらとはいっていきます。
 やんきーにーちゃんたちは、いっしゅんぎくりと警戒しますが、やがて徒党を組めば対抗可能な弱者と判断すると、とたんにナメた視線に戻ります。
「なんだあ? おっさん」
 かばうまさんは、へらへらと人のよい笑顔を浮かべます。
「貴子を、見なかったかい?」
 やんきーたちは事情を量りかねて、そのあやしいおっさんを見つめます。
 かばうまさんは、焦点の定まらない目をあっちこっちにさまよわせながら、
「見なかったかい、貴子。一年生なんだ」
 迷子じゃねーの? そんな若くしてろりであることを放棄した声を掛けてくるやんきーねーちゃんを、かばうまさんは嬉しそうに見つめ、しかしふるふると首を横に振ります。
「迷子、じゃあない。お盆になると、いつも、ここに帰ってくる」
 しんから嬉しそうに頬笑みます。
「……十年前から、毎年、帰ってくる。貴子。一年生なんだ。ずうっと」
 これはちょっとアブないおっさんかもしんない、そんなかんじで腰を引いたり、頭を指でくるくるして不安げな視線を交わすやんきーたちに、
「いっしょに、さがしてくれないか? ……首がないから、すぐ、わかる」
 やんきーねーちゃんたちはすでに半泣きになっていますが、ふだんはだじゃくなにーちゃんたちは、おんながいるとあんがいふんばるようです。
 こりゃもう一押しだな、そう思ったかばうまさんは、しょーばいできたえたアドリブをかまします。
「……妻が、切ってしまったんだ、首。貴子の、首。とってもかわいい娘だったのに…………妻は、屋上から飛び降りた」
 にたにたと、横窓から暗い庭を指さしたりします。
「あそこに、落ちた」
 揃った腰の引け具合を見ると、にーちゃんたちにも、キマったようです。
 さて、クライマックス。
「あ、いたいた。貴子」
 逃げ出したくともそのきっかけがつかめないでいるやんきーたちの耳に、くらいはいきょのおくから、かすかなこどものすすりなきが聞こえてきます。
 しくしく、しくしく。
 見たくはないのにやんきーたちの首はぎくしゃくと動いてしまい――見たくはないものが、やっぱり、くらああいやみのおくに、ぼーっと浮かんでいたりします。
「……おとーちゃん」
「ああ、いたいた。貴子。ほうら、どれみの、鞠だよ」
 ぶきみなおっさんがぽーんと放った鞠は、ぽん、ぽん、ぽん、ぽん、と、よくあるホラー映画のように、子供靴の足元に転がって行きます。
 子供はしゃがみこんで、手探りでその鞠を拾おうとしますが――首がないので、うまく拾えません。
 しくしく、しくしく。
「ああ、ごめんよ、貴子」
 なぞのおっさんはふらふらと奥に歩み出して、ふと、いちばんオチそうなやんきーねーちゃんのあたりを振り返ります。
「いっしょに、遊ぼう?」
 声が裏返ったりしています。
「もうすぐ――」
 わん・ふれーずの間に、ボリュームをMAXまで上げたりします。
「妻も来るよ!!」
 きええええ、と、ぶるーす・りーの怪鳥音も負けそうな声が上がり、どどどどどという響きと共に、またたくまにホールは無人と化します。
 いえ、もちろん、奥でシャツから首を出したたかちゃんや、抱き合ってのたうちまわる照明および音声担当のくにこちゃん、そのふたりに駆け寄って口を塞ぎながら自分も大笑いを必死にこらえるかばうまさん、そんなのはちゃあんと残っているんですけどね。
 はい、これが去年の夏、子供会奥多摩キャンプの夜を恐怖のどん底に陥れた『きょーふのくびなししょーじょ』の、廃墟版りめいくです。
 後日、やくたいもない水晶玉を抱えた自称霊能生臭坊主や、つまみ枝豆さんや桜金造さんや、大御所・稲川淳二さんまでTVクルーを引き連れて押し寄せ、ただの放漫経営で倒産したホテル跡はエラい騒ぎになるのですが、それはまた別のお話です。

    ★          ★

 水杯《みずさかずき》、といった習慣・感覚は、カジムの故郷にない。
 それなりの悲壮感は同胞たちの胸の内にもあるのだろうが、彼らもカジムも自分たちの行動は神への忠誠に他ならないと信じているのだから、いずれ神の国での再会が約束されている。
 だから松本市内のただ一軒神に忠実なレストランで、極東での活動費には不相応なほど豪奢な夕食をふるまわれたのは、むしろ同胞たちからの祝福だったのだろう。
 食事前、そのレストランに集う何人かの外国人が、西に向かって礼拝を行った。それは神を信じる者が世界のどこに暮らしていても日に五回欠かすべからざる行為だが、カジムたちの一団は、ただ心の中でのみ聖地に向かって伏した。現在の彼らは、全員が不本意ながらアメリカ国籍のプロテスタントである。外面上は、ちょっとした好奇心と鷹揚な好意でそれを瞥見する大半の異教徒たち同様、日々の豊かな平穏にふやけた、無意味な笑いを浮かべる。
 豪勢な羊の肉を腹に詰め込みながら、カジムはふと、昨日あの河原で出会った幼女たちの笑顔を想った。
 この国に上陸してから見かけた数多の『小型の異教徒』よりもずいぶん陽に焼け、隣の幼女などは故国の子供たちと見紛うほど、褐色に輝いていた。そして、無邪気な癖っ毛をカラフルなゴム飾りで二つに縛ったあの幼女は――。
 遙かな過去、ひとりが生きるのにぎりぎりの僅かな肉片を、意地でも「半分こ」だと言い張って譲らなかったサラは、母親が違うためか、他の兄弟よりもいくぶん白い肌をしていた。そしてどこからか拾ってきた古い輪ゴムを、唯一の髪飾りとして宝物のように大事にしていた。
 その髪飾りは、今も小さな布袋に収まり、カジムの胸に下がっている。
 ――逡巡ではない。
 幼体であれ成体であれ、異教徒は所詮異教徒にすぎない。
 また、あのサラに生き写しの幼女が、今夜、非道な搾取の象徴である都心の高層ビルで、頽廃した享楽の宴を繰り広げているはずもないのだ。
 しかし、なぜ標的が当初の政治的施設から、その民間ビルに変わったのか。
 ――考えても仕方がない。それはカジムが関与する余地のない、高邁な師たちの判断である。警戒状況、戦略的効果、さらに神の宣託――師や神が絶対に誤るはずはない。使徒としてただその命に従うのが、神の国への確実な道である。
 それでもあまねき信仰と彼個人の情緒は、心の深奥でいつまでも拮抗していた。
 カジムの瞳になんらかの停滞を読み取ったのか、同胞の一人が、ポケットからサプリメントの小壜を取り出した。
「一人旅は大変だろう。ビタミンでも補充しとけよ」
 史上、暗殺者を意味する『アサシン』の語源となった『ハシーシ』、いわゆる大麻ではなかった。むしろ覚醒剤に近い成分である。
 カジムは陽気に礼を言って、いくつかのタブレットを飲み下した。

    ★          ★

「やっまおっとこっ♪ よっくきーけよー♪ むっすめさんっにゃ♪ ほーれーえるっなよー♪」
 鉄のかたまりのような打上筒をしょって、くらいかいだんをいっぽいっぽのぼりながら、もはや強力伝・小宮正作さんと化しているくにこちゃんです。
「はいほー♪ はいほー♪」
 たかちゃんはちゃっかりりゅっくごとかばうまさんにしょわれています。
 廃ほてるだけにもうえれべーたーはうごいていませんから、六階建てのてっぺんまで、じりきでのぼらなければなりません。かばうまさんもなんどもくにこちゃんをてつだおうと言ったのですが、くにこちゃんはききいれません。もともと自分の質量の一〇倍程度までは運搬能力がありますし、仰角を越えた一〇〇度の岩盤すら指と腕の力で這い上がるくにこちゃんです。ちゅーとはんぱな助力はかえって邪魔になります。
 まあ、ほんねをいえばちょっぴりきつかったのですけれど、やっぱしあのうまいめろんをたべられなかったからめんかいしゃぜつなのではないか、そんな負い目と贖罪の念があったりします。
 たかちゃんは、きほんてきにあまりふくざつな精神構造はそなえていません。
 いきもたえだえのかばうまさんに、むじひに鞭を入れます。
「はいよー! しるばー!」
 うんどうぶそくとひびのすとれす性かしょくで、かばうまさんのしんぞうが、いっしゅん停止したりします。
 でも、にんげんでもかばうまさんでも、いきものというものは、いきているかぎりあんがいしなないものです。たとえば、おおざけをかっくらって深夜がーがーといびきをかいているさいちゅうなど、おおでぶのしんぞうはしょっちゅう停止します。それでもちょっとするとまた動きだしたりする、そのあたりが『生と死』の賭博性です。そこには基本的に絶対者の意志など介在しません。運・不運といった概念も、ただの比較論に過ぎません。
 たとえば当人同士が一面識もないにしろ、なぜかそっくりのお顔とそっくりな魂を持ってほぼ同時にこの世での存在をチェンジしたサラ・サリームという荒野の少女と、片桐貴子という満ち足りた国の少女は、それを慕うカジムやかばうまさんがその生と死にどんな付加価値を幻想しようと、『死ぬまでは確かに生きていた』『生きている限り死んではいない』、つまり同じひとつの存在です。それが『輪廻』であるかどうかは、その現象を意図的に司る存在などない以上、みなさんの想像に委ねるしかありません。いずれにせよ、その当人たちの意識に『殺す』『殺される』といった後得的な不純物が入り込まない限り、誰が何を錯覚しようと――唯一神などという巨大な幻想が幻覚の中で何をもっともらしく吼えようと、同じ『生と死』の狭間を漂う、それ自体唯一の『存在』です。

    ★          ★

 アメリカの某映画プロダクションがロケハン用にチャーターしたセスナは、予定通りライト・アップされた松本城上空を周回した後、東南東に進路を取った。
 そのまま八ヶ岳中腹の夜間ロケ予定ホテルを上空からチェックし、明日の都内上空ロケハンに備えて、調布飛行場に下りるフライト・プランである。
 通信でエンジン不調を訴え消息を絶ったのは、奥多摩上空と思われた。
 その奥多摩の山肌を縫って飛行を続けながら、カジムはただ高揚していた。
 あの最後の晩餐の席で、生まれて初めてと言ってもよい美味な食事を続けながら、いかにも軽薄なヤンキー青年らしく、自分で飛ばしたジョークを思い出す。それはサプリメントが効き過ぎて、夜間息子の始末に困った男のジョークだった。
 同胞たちは、腹を抱えて笑い転げた。
 その笑いが表層のみのものであるのか、気の置けない仲間同士の猥談を心から楽しんでいるのか、周囲の異教徒たちのみならず、すでにカジム自身にも判別できなかった。
 ただ高揚が湧き上がっていた。
 今、操縦桿を握りながら、ひとりくつくつと思い出し笑いを浮かべる。
 その高揚はなんの曇りもなく持続し、むしろ時を追って高まる。
 ――そう、神の門は、すでにその高層ビルの真上に開かれているのだ。自分はただそこに向かって飛べばいい。そこに集っているのが政治家であれ軍人であれ民間人であれ、そして幼い子供であれ、異教徒の搾取者どもであることに変わりはない。偉大な神の前で、それらは無価値に等しい。むしろ聖戦の駒と成すことが、彼らにもまた救いとなるのだ。
 目には目を、歯には歯を――。
 しかしその概念を生みだした古代バビロニア自体が、搾取の上に築かれた砂上の楼閣であったことを、カジムは一度も教えられたことがない。
 そして自分の眼底で、まだ妹の笑顔と重なっているあの幼女の笑顔は、徒な高揚感の奔流により、すでに情緒の奥底に押しやられている。
 若いカジムに与えられたタブレットは、適量をやや越えていた。
 それでも彼の使命を果たすには、通常ならばなんの問題もなかったのだろうが――。
 やがて辿る飛行コースのほんの僅か南に、あの河原が位置している事も、カジムは知らない。

    ★          ★

「わくわく」
「わくわく」
 なんとかぶじにおくじょうまでたどりつき、そこいらの廃材で打上筒を固定するかばうまさんの横で、たかちゃんとくにこちゃんは、おもいっきしわくわくしています。
「わくわくわくわく」
 かばうまさんは、おうちで計ってきたかやくを、ようじんぶかく筒の底に入れます。
 さいきんのはなびは、玉のおしりにあらかじめはっしゃかやくもくっつけてあって、でんき着火するしくみのものが多いのですが、落ちていたのはまだそこまでじゅんびされていない玉だったようです。でも、かばうまさんのちしきももう二十ねんちかく前のきおくが主ですから、かえってこのほうがいいのかもしれません。
 花火玉のおしりを、ちょいちょい、などといじくって、それからてっぺんの竜頭に縄を掛けます。
「どっこいしょ」
「まて」
「ん?」
 くにこちゃんが、じぶんをゆびさして、おれおれ、と、じこしゅちょうしています。
 この重量だと自分の脂太りした弱腕よりも、鉄腕ろりのほうが確実かもしれない、そう思ったかばうまさんは、いったんくにこちゃんに縄を渡しますが、
「…………」
 筒の高さは約一五〇センチあります。
「…………」
 くにこちゃんの身長は一二〇センチ弱です。
「……どっこいしょ」
 けっきょく持ち上げる重量がなんばいにもなります。
「まっすぐ下ろせよ」
「まかっとけ」
 くにこちゃんは八キロ以上もある玉を、軽々と筒の底に下ろします。
「さて、準備完了」
 かばうまさんは、腕時計のライトを点けて、
「おう、ジャスト・タイム」
 お昼に恵子さんに電話を入れて、夜の九時ちょうどになったら、ゆうこちゃんと窓の外を見てくれないか、そんなお願いをしてあるのですね。
 もちろん詳しい事など説明したら、みかけはろりっぽい恵子さんでも精神年齢がきちんとかばうまさんよりも大人ですから、止められるのは判りきっています。あくまでも、お店で買ったナニをアソコあたりでどうのこうの、そんなあいまいなかわゆい期待だけ与えています。
 着火専用の落し火は拾ってこなかったようなので、大きめのマッチで代用することにします。
「ねえねえ」
 こんどはたかちゃんがじこしゅちょうします。
「入れたら、すぐに耳塞ぐんだぞ」
「こくこく」
 マッチ箱を抱え、おっきな筒の口まで持ち上げられたたかちゃんは、
「ごくり」
 たかちゃんを抱えたかばうまさんと、くにこちゃんは、そくざにものかげにたいひする体勢をとって――
「しゅぱっ!」

    ★          ★

 前方右手の夜空に出現した、その巨大な七色の光の花は、かつてカジムが見た何物にも似ていなかった。
 強いて言えば空爆の光、あるいは王宮の花火――いやしかし、そんな禍々しさとも、乱雑な華美さとも無縁だ。
 その光はほぼ真円に無数の燦めきを放射し、さらに周辺にちりちりと無数の小花を咲かせながら、最終的には直径三〇〇メートルを越す花を開いた。

 ――なんだ、神の国の門は、もう開いたのだ。

 それならば、何も無駄な飛行など続ける必要はない。
 カジムは正常な情緒を失いつつも、感覚的には限界まで鋭敏化していた。
 当然、自分の目視能力も信じていた。
 カジムは網膜に焼き付いた残像を追って、大きく南に旋回した。
 それは神の光なのだから、カジムにとってはあくまでもそこに在り続ける光である。
 
 光の中で、サラが笑っている。
 丸い柔らかそうな頬で、優しく笑っている。

 カジムは神の門を追い続けた。

    ★          ★

「……わあ」
 窓辺に佇むゆうこちゃんの瞳に、ぱあっ、と光の花が咲きます。
 お人形さんのようなきらきらおめめに、もっときらきらのお星様が飛び交います。
「きれい……」
 恵子さんも、想定のすうじゅうばいはあるモノホンのはなびに、ただ言葉を失っています。
 美しいことは天地神明にかけて美しいのですが、つうじょうおもちゃ屋さんでモノホンの花火は売っていない、じゃあなんなのだ、これはあるいみとってもヤバいのではないか、そんなおとなのはんだんがはたらきます。
 でも、すなおにきらきらしているゆうこちゃんの瞳を曇らせるような、野暮な恵子さんではありません。
 夜空のお花がすうっと消えるのに合わせて、やさしくお窓のカーテンを引きます。
「……さあ、おねんねしましょ。はやくげんきになったら、そのぶん、いっぱいみんなと遊べるわよ」
 花火は消えてしまっても、まだきらきらおめめのまんまで、こくりとうなずくゆうこちゃんでした。

    ★          ★

 かばうまさんは、ただぼーぜんとお口をはんびらきにして、夜空をみあげています。
「……おう」
 かばうまさんにかかえられたまんま、たかちゃんがつぶやきます。
「いっき、げきつい」
 かばうまさんは夜空を見上げたまんま、ぷるぷると首をふります。
「……当ててない」
 くにこちゃんも、ちょっとヤバげなお顔でかばうまさんの裾を引きます。
「だよな! おちてないよな!」
 うちあげせいこうのよろこびもわすれ、さんにんそろって、そのせすなを目でおいかけます。
 せすなはみなみから西にどんどんたーんしながら、よぞらのかなたにさって行きます。
「……当ててない」
 ああ俺の人生よまだ終わらんでくれい――そんな、かばうまさんの悲愴なねがいもむなしく、せすなは落ちなくても奥多摩丘陵のお山のほうで、せすなのゆくてに「あらよ」とせせりあがってきたりします。
 かばうまさんは、かくごをきめて、きりりとふたりをみつめます。
「よし!」
 それは、すべてのせきにんはおれにある、そんないっけんりりしいまなざしにも見えたのですが、
「逃げるぞ!」
 たかちゃんとくにこちゃんを小脇に抱え、あっさりすべてのせきにんをほうきし、明日への逃亡を開始するかばうまさんでした。

    ★          ★
 
 ――神はどこにもいらっしゃらないようだ。

 地平線まで続く草の海を、ただ風だけが渡っている。 
 柔らかい光の粒子に包まれながら、カジムは茫洋と緑の草原に佇んでいた。
 その掌を、小さな掌が引いた。
 温かい、柔らかい指だった。
 見下ろすと、サラの健やかな笑顔があった。
 カジムは呆然と目を見開いて、その栗色の瞳を見下ろし続けた。
 そんなカジムを見上げながら、サラは小首を傾げ、無邪気に頬笑んでいる。
 カジムは草原にひざまずき、その小さく柔らかな体を抱きしめ、頬をすり寄せた。
 くすぐったそうに身をよじらせるサラの髪は、草の匂いがした。
 カジムが胸の袋から輪ゴムの髪飾りを取り出し、その癖っ毛をふたつにまとめてやると、サラはあの岸辺のひまわりのように、きゃははと笑った。

 すべては夢なのだろう。
 その多層的時空にサラはすでにいないし、カジムもまたひとときそこに立ち寄っただけの、ただ空《くう》の中を繰り返し輪廻するひとつの魂に過ぎない。
 あるいは、限りなく無限に近いその時空――『法身仏』の胎内を漂っていた記憶の残像たちが、いっとき心を触れ合ったのか。
 いずれにせよ――。

 セスナがカジムの柩となって小河内ダムの暗い湖底に沈んでいく時、カジムは爽風の草原でサラを抱きしめながら、優しく頬笑んでいた。




  エピローグ【ぽとん】


「ねえねえ、しょーぼーしょって、まる? しかく? しゃくしゃく」
「おい、かばうま、じゅーろくとにじゅうにをたすと、いくつだ。しゃくしゃく」
「はつかの、おてんき。ちま、ちま」
 ゆうこちゃんもぶじにたいいんして、きょうはもう、なつやすみのさいごの日です。
 なかよしさんにんぐみは、またそろってかばうまさんのこうきゅうびを、きゃぴきゃぴと食いつぶそうとしています。
 でも、かばうまさんはぶたばこできそくただしいせいかつができたので、あんがいげんきです。けっとう値もさがったり、たいしぼうもへったりしたみたいです。
 まあなんかいろいろしこたまどたばたと夏が過ぎて、かばうまさんは、ぶたばこからなんとかしょくばにふっきしました。ちょーかいめんしょくも、なんとかまぬがれたみたいです。まあ、ほんしゃのほうは、とにかくおみせの経常利益さえ増えればもんくがないので、店長クラスの減俸処分で経費節減ができた上に、ある意味立派な看板化したかばうまさんを、あえて手放そうともしなかったのですね。
 さて、ゆうがた、ぎりちょんせーふで宿題を終えたたかちゃんたちに、
「みんな、家で夕ご飯食べてから、河原に集まらないか?」
 かばうまさんは、ずっとおしいれで眠っていた、あのおもちゃ屋さん花火を持ちだします。
「おう」
「きがきくぞ、かばうま」
「こくこく」
 たかちゃんが、みんなにしゅちょうします。
「ねえねえ、ゆかた」
 みんなそろっていけなかったはなびたいかいの、せつじょくせんです。
「ゆかた、きてこう」

    ★          ★

 ぽっ。
 さいごの線香花火をつまんだゆうこちゃんに、たかちゃんがマッチをすってあげます。
 いっけんじみでもじつはそらおそろしいほどこうかな藍染めの朝顔と、せいゆうのとくばいでもとってもげんきなあかいきんぎょが、蜜柑色の光にうかびます。
 ちろちろ。
 かわらの岸のさざなみに、線香花火のかすかな光の糸が揺れます。
 ちりちりちり。
 なぜか恵子さんなども、萌黄の浴衣でちょっといろっぽく、ちっちゃな光の滝をみつめています。
 しゅぱしゅぱ。
 はいごでビンボな作務衣のかばうまさんが、ぐんぱんまるだしのくにこちゃんをさかさにおさえつけたりしているのは、けしてついににんげんをやめたわけではなく、ろけっとはなびのちょくげきをさけるための、やむをえないぼうえいしゅだんです。くにこちゃんはどこで買ってもらったものやら風神雷神のゆかたをふりみだし、すでにかばうまさんのまえがみをやきつくしています。
 しゅぱぱぱぱぱぱぱ。
 か細い線香花火でも、いっとき、せいいっぱいの花をひらきます。
「……おう」
 たかちゃんがつぶやいて、そのしゅぱぱぱにお顔を近づけます。
 恵子さんがあわててそのおつむを引きもどし、
「めっ」
 慈しみの目で叱ります。 
「おんなしだよ」
 たかちゃんは、にっこし笑います。
「あっぷでみると、おっきーのと、おんなし」
 でも、尺玉も線香花火も、その華はつかのまの輝きです。
 しばらくさきっぽでちりちりしていた赤い玉も、やがて――
 ぽとん。
「……ありゃ」
 ちょっとがっかりの、たかちゃんです。
 りりっくなゆうこちゃんは、なんだかうるうるしてしまいます。
 恵子さんが、そのお肩を優しくなぐさめます。
 たかちゃんも、ぽんぽんしてあげます。
「らいねんも、はなび」
「うん」
 かばうまさんは、くにこちゃんをせなかにさかさにはりつけたまんま、あちこち焼けこげたおかおで、そんなみんなをしんみりとながめています。
 くにこちゃんはかばうまさんのおまたのあいだからかおをだし、こしたんたんとぎゃくしゅうのきかいをさぐっています。

 ――ものみなの饐《す》ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞ゆ――(斉藤茂吉)

 青梅の夏も、もうすぐ終わりです。






                                〈おしまい〉




(注1) 地名・地勢等は現実の地図を参考にしていますが、登場人物・建物等は架空のものです。また、青梅の花火大会も河原では開催されません。

(注2) やがてたかちゃんがおっきいおねえさんになったとき、おとなりにひっこしてきたカジムラくんというやんちゃぼーずにとことんなつかれてしまい、げんざいたかちゃんがかばうまさんをシャブり倒しているのと同様、なんかいろいろしこたまエラいめにあったりもするのですが、それはまた別のお話です。


2005/09/07(Wed)05:19:29 公開 / バニラダヌキ
■この作品の著作権はバニラダヌキさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ジャンル表示を見て「なにそれ」と思われた方も多いかと思われますが、今回はこんな趣向です。
ああ、花火の時期に先に打っておけば良かった――そんな過ぎゆく夏の叙情短編になる予定です(どこがや)。

まだ夏だよなあ。間に合った、間に合った。そうしとこう、うん。
発作的に怪談っぽいエピソードなどつっこんでしまいましたが、まあ夏の風物詩ということで(無責任)。最終的にカットしようかとも思うのですが――模索。
明日よりちょっと帰省しますので、また後日、よろしくです。

などといいつつ、その前に微修正。

無常の旅の思いをふと練り込んで、クドい修正。

そうか、こうしとこう――独言しつつ、この場での最終稿とさせていただきます。
なお、有栖川様のレスへのお返しで、『たかちゃんワールドは仏教の世界』などと書いてしまいましたが、正しくは『バニラダヌキの気ままな解釈による仏教っぽい世界』です。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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