『Rivaibal』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:WAJU                

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 ――俺はこの街が嫌いだ。年がら年中うるさく、それが一向に止む気配も見れない。ガキの頃から、ずっと。好きになった事なんてないし、これからもこの街は好きになる事なんてないだろう――

 一定のリズムを持たずに、人々は節操なく路上を踏みしめる。それぞれ決まった目的を持ち、各々が特有の道を歩む。それが街の風景を作り出す物となっていく。その数が減れば、また増える。増えれば、また減る。それぞれが持つ声が、路上に響く。それが街の表情を作り出す物となっていく。数多く佇む高層ビルや様々なジャンルを持つ店舗は骨格にしか過ぎない。人がそこを歩いてこそ、初めて街となるのだ。つまり、全ての物事に当てはまる様に、人が基となり全ての物事は成り立つのである。
「エミ! こっちこっち!」
「ちょ、ハナ待ってよ!」
 不思議と、人はそれが不自然だとは思わない。もし、誰もいなければここはどうなってしまうのか、など中々考えない物だ。それが当然のように暮らしているのだから。”慣れ”と同様に”当然”という感覚が染み付くと、それは剥がれずにこびりついていく。感覚神経から、骨の髄まで。もし、今自分の置かれている環境の中から、自分が大事だと思っている物が、無くなったとすれば貴方はどうするだろう。

 立ち並ぶビル群。派手な格好をした人達。金髪に茶髪。女の人は露出も多いし、化粧も濃い。信号が青になる度に周りに立ち止まってた人皆が一斉に動き出してる。凄い、間に合わなくても構わずに進んでるよ。こんな事なら信号長くすれば良いのに。
「……そんな中で明らかに浮いてるあたし……」
 河合江美。今年で中学を卒業して、今は高校生。休みを利用して、友達の御坂華っていうのとこの街まで来たんだけど……あたしこんなに大きい街になんて生まれてから来たことないよ〜。おかげで華とははぐれちゃう始末。だからこういう所は行きたくないって言ったのに……。どうすればいいんだろう、これから……。
「と、とにかく今どこにいるかくらいメールで伝えなくちゃ……」
少し力を入れれば折れてしまいそうな細身の体で、精一杯人ごみを掻い潜りながら江美は落ち着ける場所に行こうと、長い髪をなびかせながら必死に人を避けながら歩いていた。もう少し、もう少しすれば人ごみを抜けられる。江美は少しだけ安堵の溜息を吐いた。だがその瞬間、江美の視界が暗くなり、前方から強い力を受け、ドンッという音と共に両者が地面に投げ出された。
「イッツツ……だ、大丈夫ですか!?」
江美がすかさず、自分の事も気にせず相手の心配をした。いささか、怖がっているような表情をしている気もするのだが。
「いや、俺はなんとも……むしろ君は?」
男の方も優しく手を差し伸べる。相当の期間を経て伸ばしたと分かる長さで、黄金色と漆黒の二つの色を使って、およそ5:5の割合で染め抜き、ストレートパーマを掛けたような真っ直ぐ整った頭髪。二重で適度な大きさを持つ瞳、整った輪郭をして、まるでドラマの主役にでも出てきそうな風貌。黒い生地に、白い刺繍で英文がギッシリ載せられているTシャツを纏い、青を基調として、若干色の剥げたジーンズ。恐らくそういうデザインなのだろう。手にはギターケースを携え、派手なデザインをした指輪やブレスレットを付け、如何にも自分とは掛け離れている都会慣れした男に、江美は戸惑いつつ差し伸べられた手を握る。
「どっから来たの? 見たところ中学生っぽいけど」
 中学生、という単語を発せられ江美はショックを受けた。しかし、まだ幼さが残る顔付きと体付きを見ればそう間違われるのも仕方は無い、と少し心の中で溜息を付いた。
「あの、私高校生なんですけど」
 とはいえ、間違われるのも嫌だし、ハッキリするべきところはハッキリさせようと江美も切り返す。
「え? マジ!? ゴ、ゴメン」
 思いも寄らなかった切り返しに、男は申し訳なさそうに言葉を発する。だが、まだ信じられないように視線を下に上に動かし、江美を見つめる。150cmに満たないかそこらの身長、膨らみが小さい未発達さが伺える胸、可細い腕と足、膝が若干隠れる程度のパンツをはき、フリルの付いたノースリーブ、そしてスニーカー。格好が幼さを目立たせている気がして、男は余計疑った目線で江美を見ていた。
「それはいいとして、何で一人なの?」
 まだ疑いつつも、男は話を逸らす。その問いかけに、江美は自分のするべき事を改めて思い出した。そして事の成り行きを全て男に話す。
「あ! あ、あの、友達とはぐれちゃたんですよ……それでメールしようと思ったんですけど、この人ごみだし中々出来なくて、抜け出そうと思ってた所に……」
なるほど、という顔をして男はもう一度江美に手を差し出す。
「じゃあ俺についてきなよ。待ち合わせに分かりやすい場所連れてってあげるし、こういうトコで君みたいな子が一人で歩いてたら危ないし、ボディガード代わりって事で」
 ほら、と一声掛けて手を握るように誘う。江美はまた戸惑った。見知らぬ男に優しく接されたからとはいえ、どこまで信じていいのか。もしかして、こういう事になるように仕組まれたんじゃないのか、と疑心暗鬼になった。
「あれ? もしかして俺が危ない人って思われてたり……?」
 その一言に雑念を振り払って、江美は必死に否定した。
「い、いや、違います!」
「それじゃ、はい」
否定された事に安心して微笑みながら、男は江美の手を離さないようにしっかりと握った。

 引っ切り無しに街は騒ぎ続ける。どうやら今日は機嫌が良いらしい。朝からずっとこの調子である。真夏だというのに、随分と元気なものだ。少しは休むという事を考えないのだろうか。しかし、そうとなれば今日の夜も相当うるさくなるだろう。またこの街が嫌いになっていく。結局、そんな物か。
「神奈川から来たんだ」
江美がメールを打ち終わった後、缶ジュースを片手に二人は広大な敷地を最大限に活かし、緑が生い茂り都会の喧騒とは掛け離れた公園にいた。
「ええ、でも横浜にもそんなに行った事ないし、ましてや東京なんて……」
「なるほど、そりゃはぐれるわけだ」
からかうように笑いながら言う男に対して、江美は多少憤りを感じたが中学生といわれたときと同様、素直に認めるしかなかった。
「デパートとかで迷子放送されたタイプでしょ?」
これも認めざるを得ない。言い返す言葉もないため、それによって掘り返された記憶を思い出しつつ、うつむきながら携帯の液晶画面を見つめる。
「カワイ……コウ、ミ?」
「へ?」
不意に、男の口から人の名前と思しき単語が発せられた。
「いや、ストラップに刺繍してあるから……」
男に指摘されたストラップを確かめて、江美は何を言われているか理解した。
「あ、これエミって読むんです。間違いやすいんですよね、アハハハ」
 一瞬、江美はしめた、と思った。やられっぱなしでは気が済まないとでも言わんばかりに、男に愛想笑いを振りまいた。
「あ、そうなんだ、そうか〜エミか〜。」
軽く流された気がする。慣れない事をすると、逆に悪い事がおきてしまうのかと、多少悔しくなった。
「あれ、あの子君の友達?」
「え?」
 男が指差すほうに目を向けた。見れば息を切らして公園に入ってくる女。明らかに見覚えがある。間違いない。華だ。
「華ー! こっちこっち!!」
声を掛けて気付かせようとする。こっちの方を振り向いた。どうやら気付いたようだ。しかし、気付かせなかったほうが良かったか、と思うほど、正に鬼の形相でこっちを見ていた。
「ったく、本当に心配したんだから!!」
怒声が響く。まるでミサイルが打ち込まれたかのように、江美の心には重くのしかかった。そして更に容赦せず、今度はマシンガンが打ち込まれていく。
「だから手繋ごう、って言ったじゃん、江美は昔からはぐれやすかったんだから」
「この人が優しかったからいいものの、もし変な事考えてる人だったらどうなってたと思う?」
「………………!!」
まるで親が子供を叱りつけるようだ。そんな華が浴びせてくる一言一言に、謝罪の念を持ってゴメン、と縮まってる江美が可哀相に見えてくる。二人のやり取りを傍目から見兼ねた男が助け舟を出す。
「まあまあ、結局なにも無かったんだから別にそれくらいにして。ほら、江美ちゃんも謝ってる事だし」
マシンガンがその一言で止まった。発射する対象を見失ったように、戸惑っている。もしくは、弾切れでもしたかのように。
「と、とにかくありがとうございました。この子本当に迷子になりやすくて……」
 別に構わない、とでも言うかのように男はまた微笑んだ。江美も続けて礼を言った時、ふと、ジーンズのポケットから電子音が鳴る。
「あい、もしもし。おお、タクじゃん……うん、うん……あ、俺が行けばいいわけね……そうか。わかった、すぐ行くわ。それじゃ」
親指でボタンを押して、会話を止めると置いていたギターケースを担ぎなおし、二人に一声掛ける。
「それじゃあね。こういう所に来るのは別に構わないけど、くれぐれも気をつけて」
その場を立ち去ろうとする男に、江美も一声掛けた。
「あの! お名前は!?」
歩き始めた途端に、声を掛けられたものだから、多少反応が遅れた。後ろを振り返って、男は再び微笑んだ。
「ササキユウキ。ササキは横浜の佐々木と同じで、ユウは優しい、キは輝く。佐々木優輝。それじゃあまた会う事があれば」

「カッコ良かったね〜」
「え?」
不安定なバランスを何とか保って、走行する電車の中で心も体も疲弊しきったというのが見て取れる人と、何かに対して存分に楽しんだというのが見て取れる人が隣同士に座って会話している。二人の後ろの窓越しに見える太陽は既に赤みが掛かっていて沈みかけている。そろそろ暗くなる頃であろう。
「優輝さんよ、優輝さん。」
早くも名前呼びかよ、と突っ込みつつ返答。
「うん、確かにカッコ良かった。それに優しかったし。でも……」
「でも?」
 期待していた通りの答えを貰った後、少し言葉を詰まらせるのに疑問を抱く。
「ちょっとイジワル」
 予想が付かなかった答えに少々驚いた。そこで
「なんかされたの?」
 敢えて深く追求。
「ううん、別に」
 ……何かがあったのだろうか……。とりあえず話題を逸らしてみる。
「そういえば、ギターケース持ってたけど……なんか聞いた?」
そういえば何も聞いてなかった。単純に他愛もない話をしていただけで、自分の事だけしか言っていない。というかそもそもは華が早く到着しすぎたのが悪かったんだ、と無意味に責めつつ返答。
「ううん、別に」
いけない、さっきと返答の仕方が同じだ。これではまずい。
「ホントにぃ〜?」
……案の定。
「ほ、ホントに何も聞いてないって」
……ますます怪しい。
「でも、あそこに住んでるって事は聞いた」
疑われっぱなしでも悪いため、とりあえず分かる限りの事を言ってみた。
「ってことは、またあそこにいけば会えるかも知れないんだ」
 予想外に食いついてきた。
「うん、そうなるね……でもまたはぐれるのは勘弁」
 一番ネックになる事を言った。これには華も少し、考え直さなくてはいけなくなった。今度はぐれれば、本当にとんでもない事になってしまうかも、とネガティブな思考になってしまった。
「せめてメルアドだけでも聞いておけば良かったのに」
「そんなぁ、見ず知らずの人にいきなり、“メルアド教えてください”なんて流石に出来ないよ〜」
 少し心の中で舌打ち。江美は昔からこういう性格だ。思い起こせば、中学二年生。陸上部の同級生に恋心をよせ、その同級生もまんざらでもないといったご様子。これは幼馴染として成就させねばいかんだろう、ということで仲間を集め必死にその時を演出してやったというのに、告白を断りやがった。理由が何とまあ
『だって……不釣合いだもん……』
と来たもんだ。ルックスは決して悪くない所か、むしろ良い方。小学校の頃、いや幼稚園の頃からモテモテ路線を歩んでいたのに、未だ彼氏経験0。異常だ、異常すぎる。だからこそこうやって街に繰り出して改造してやろうと思ってんのにこの有様。……少し長くなったわね……まあ今日は仕方ないか……。
「次は○○〜○○〜」
聞きなれた口調で、駅への到着を表す声が車内に響いた。二人は座席の下に置いていた荷物を持ち直す。

空は若干ご機嫌ナナメのようだ。雲に紛れて多少青い空が覗ける程度。比率で言えば6:4といったところだろうか。太陽も見えたと思えば雲に隠れたり。だから、光と影が交互に来る。そのくせに暑い。影が来てもすぐに光が差し込むものだから余計である。ヒートアイランド現象なんて騒いでいるが、どうやら自然環境は人間様が嫌いなようで、ここ最近はずっと過ごし辛い事ばかりが、自然環境が原因で起こっている。いや、嫌いとかそういう次元ではなく、居なくなってもらったほうがよっぽど楽なのだろうか。
「はぁ〜……」
ユウウツだぁ。なにもかもがユウウツだ。そもそも学校なんてなんであるんだろうか。嫌になってくる。毎日毎日将来の役に立つのか立たないのか、全く分からない授業受けさせられて、それでマジメにしてなければ怒られる。やってらんない。彼氏でもいれば違うんだろうけどなあ〜。……華の言う通りメルアド聞けば良かったなあ……。どうして昔からこんななんだろう。自分で自覚はしてるけどね……いいわけしても無駄だし、変わらなきゃ、とは思うんだけど……。いや、気があるわけではないけど、あのルックスは捨てがたい……。
ポケットの中から振動が伝わってきた。まだ授業中であるが、教師の目を盗み机の中に携帯を潜ませ、メールに勤しむのが基本である。液晶画面を開き、中央にある目立つボタンを親指で押しつつ、顔をうつむきメールの内容を確認する。
メルアド聞いておけば、今頃こうやって佐々木さんと楽しくメールしてたのかもしれないのになあ……でもそんな事あるわけ……
『7/20水 11:25
 アドレス・○○○.△△△@×××.ne.jp
件名・やっほ!(^o^)
佐々木優輝です、覚えてるかなぁ? もし覚えてるなら返信下さい。授業中にメールしたならゴメンね』
 あった……ええ!? ええ!? ちょ、待った待った!!
 不意に送られてきたメールに、まだ授業中であるという事を一瞬忘れそうになりながら、困惑しつつ江美は目をこすった。間違いはない。自分のアドレス帳にも登録していない文字が並ぶし、アドレス変更だとしても随分手の込んだイタズラである。間違っても華はそんな事はしない。そもそも機種が違う。気を落ち着かせつつ、ゆっくりとボタンを押して文字を入力していく。
『な、なんであたしのアドレス知ってるんですか?』
 送信した後、とにかく気が気でないため授業どころの問題ではない。早く返信が来い、と無意味とは分かりつつも液晶画面に向かって急かす。画面が変わる、見慣れた受信の画像である。瞬時に親指が反応する。
『柳田翔子ってわかる? 君の先輩だって言う子なんだけど。その子から教えてもらっちゃいました。……あ、迷惑だったり……?』
(柳田……ぁ、中学のときの先輩だ。そうだそうだ、一個上でバスケ部の先輩だった人だ。そうか、東京の高校に行ったんだっけ……てゆーかそれよりも! いけない、いけない! 早く誤解解くメールしないと!)
最早授業の内容など、耳に入らない。恐ろしいまでに手馴れた手つきで親指が動き続ける。限りなく本能に裏づけされた行動である。
『いえ、全然全然! むしろ嬉しいくらいです、はい!』
『ホント? それなら良かったぁ。 ちょくちょくメール送るかもしれないけど、良いかな?』
『構わないです! OKです、はい!』
『そっか、それじゃ授業頑張ってね。またメールするから』
 ……事が上手く行き過ぎているような気がする……。てゆーか奇跡に限りなく近い。ありえない、地球が割れてもありえない。てゆーか、なんであたし? それがとてつもない謎だ。……とにかくこのメルアドは一生消せないかもしれない……この河合江美に神が与えたセンザイイチグウのチャンスかも知れない……。
 教師が教壇を離れる。気が付けば周りは次の授業への準備をしているではないか。相当、夢中になっていたらしい。気が付けば、空も曇がまばらになって、太陽が覗いてくるようになったではないか。

『トウ……サン……?』
 何かが降りてきたように、天井からすっと伸びる一本の線のような影。幅を利かせて、部屋を大きく陣取っている。夕日は、影を更に大きくさせ、小さな体を覆うように影は大きくなっていた。目は開いているのに、視線を感じない。動く気配すら見せず、天井が重みにより、ギシギシと鈍い音を立てている――
珍しく静かな街並みだ。今日は差し詰め、外には出たくない、といった不機嫌なのだろうか。とはいえ、その内気分が変わって外に出て行く事になるだろう。繊細なくせに、意外と単純。掴み所が見当たらない街だ。
「待、って、るよ……っと」
「おやぁ〜? ユーキ君、最近メールする頻度が多いですな〜。もしかしなくても、これは女の子かな? 嫌だなあ、イケメン君はこれだから困るよ。たまにはオレにも分けてくれないものかねえ」
 ブラウンに染めた髪を若干立たせて、耳には透き通った青のピアス。ヘラヘラと調子の良さそうな笑みを浮かべて茶らけた雰囲気の男が画面を覗く。明らかに興味津々、といった顔つきである。
「うっせえな……別に俺が誰とどんなメールをどんな頻度でやろうが、俺の勝手だろうが」
 からかわれるような態度には突き放して対応する。基本とでも言うかのような、口調で優輝は返答した。
「いやあね、しばらくぶりに見たからさ。お前が楽しそうにメール打ってるのは。よっぽど可愛いコなんだろうなぁ。本当にイケメン君が羨ましくて恨みたくるよ。」
優しく言われているのか、それともからかわれているのか、もうどちらでも良いから無視する事にした。
「ほら、タク! ユーキ君からかってる暇があったら、店の手伝いしなさい。じゃないと時給また減らすわよ」
「それは勘弁です、店長」
だったら早くテーブルを拭く、と一喝。ニコッと綺麗に笑う割には、厳しいセリフを吐いた。恐らく扱い方が分かっているのだろう。素直に尊敬したくなる、と優輝は心の中で呟いた。しかし、この人まで余計な事を聞いてくるから厄介である。
「で? そのコとはどこまでイっちゃったの?」
 ウンザリしながらも、対面する女性に対してはしっかりとした返答をする。
「……まだ会ったばかりですよ。しかも年下ですし」
 そこで絡んでくるのが、コイツである。
「あや! いけませんよ! ユーキ君! 成年と未成年のエッチは刑法違反なのです! 下手すればブタバコ行きですよ、悪いこと言わないから早い所撤退しなさい! そしてボクに譲ってくださいな♪」
「アナタは黙ってテーブルを拭く。それにユーキ君もまだ未成年です」
 鶴の一声が掛かったように、うるさかった男が大人しくテーブルを重ね重ね磨いている。とことん扱いに慣れているのだな、と再確認した。
「で、そのコは君の事はどう思ってるの?」
……こちらが一番気にしている事を容赦なく聞いてきたものだ。さて、ここはポジティブな思考で回答するか、ネガティブな思考で回答するか、優輝は一瞬迷った。
「……多分まだそこまでは」
 とりあえず無難な回答で、その場を凌ぐ事にした。迷ったら無難に回答するのが一番なのである、とでも言わんばかりだ。
「でも……本当にタクの言う通りね。ユーキ君、久しぶりに楽しそうにメールしてる。そんなに良いコなのね」
先ほどタクから言われた半ば冗談とも思えたからかいの言葉ではあるが、対面する女性に言われたら、優輝は少々気に掛かった。本人の意思とは別に、そう見えるのかもしれない。とにかく答えようが見つからないため、そうっすか?というまた無難な回答で逃げた。しかしまたうるさいのが、絡んでくる。
「まあ〜ユーキは元々根暗だしねえ。そのコに性格直してもらえればいいんじゃない?そうすればもっと良いギター弾けるかもよ?」
 それに対し、また同じ事がリプレイするかのように繰り返される。
「テーブルが拭き終わったなら次はグラスを磨く」
「厳しいですよ〜店長〜」
「給料減らされてもいいの?」
 そしてここでまたお決まりの一喝。セリフと共に見られる笑みに怖さが垣間見られるのは気のせいだよな、と自分に言い聞かせる。しかしタクは明らかに怖がっている。そしてトボトボと肩をすくめながら、グラスの並んだ席へと腰を掛けた。
「で、今度のライブはいつになるの?」
 そんな事は構わず、女性は優輝に質問を続ける。無色透明の液体が入ったグラスに口付け、その液体を喉へと流し込んで一呼吸おいた後、
「土曜日です」
そう答えると、女性は意外な返答だったのか、多少驚きの表情を見せた。恐らく、彼の行動パターンを知り尽くした上の驚きの表情であろう。
「そいつが見に来るんです。俺と違って、学校もあるし、部活もあるし、結局そんなこんなで、行ける日がそこしかないってことで。だから珍しく、土曜日に」
 女性は優輝から全てを聞くと、納得した表情で次の質問に移る。
「ということは、彼女にはストリートやってる、っていうのは教えてあるんだ」
 前提条件を元にした質問。しかし、また彼女は、返答でその前提条件を見事に裏切られる。
「まだです。なんていうか……教えないほうが良いと思いまして……。ほら、今時仕事にも就かないで、なにやってんだ、とか言われそうですし。やってることは結局バレるんですがそう言うのなら、見てから言ってくれ、って言うことにしたいんです」
 これにも納得した表情。だが、今度は彼女の意見付きで、彼の理由に少し反論するような口調をした。
「あら、そうかしら。あくまで私の意見ではあるけど、今の女の子は夢見る人には惹かれるものなのよ。勿論、例外はあるけど、その夢が大きければ大きいほど、惹かれると思うわ」
 だと良いんですけどね、と返答をすると、優輝はもう一度グラスの液体を喉へと流し込んだ。不安は勿論ある。それがその意見によって緩和されたわけでもない。そこでまた余計なのが口を出してくる。
「大丈夫だって〜、そんなのユーキの昔の話に比べればどうってことないじゃん。その話聞かされた方が――」
余計な事を発する口が一瞬、止まった。まるで言ってはいけない事でも言ったかのように、茶らけた男だけでなく、そこにいた全ての人の表情が一気に曇った。空気が淀む。そこで、お決まりの一声。
「タク、自給百円カット」
「そそそそ、それだけは勘弁してくだせえ〜! 私が悪うござんした〜、ですからそれだけは〜」
 精一杯の謝罪のつもりなのではあろうが、謝り方が全くなってないため、無効果である事は誰の目にも明らかであった。淀んだ空気を流し去るかのように、優輝はグラスを逆さにして、無色透明の液体をグラスから消し去って、自分の体内に入れた。
「それじゃ、ありがとう店長。土曜日、来れそうなら来てください」
グラスをテーブルに置いて、カウンターを立ち上がりながら、用が済んだように一言掛ける。ドアの横に置いてあったギターケースを担ぎ直し、扉を開けると、優輝は若干ながら静かな街へと身を戻した。二人は敢えて何も声を掛けなかった。
「ねぇ店長。もし、そのコがさユーキの昔の事聞いたら……どう思うかな」
少し沈黙が流れた後、様子を見てタクが問いかけた。優輝が飲み終えたグラスを手に取り、洗い場に持ち込みながら、それに対して答える。
「さあ……どうかしらね。そのコ次第だと思うわ。でも一ついえるのは、それが事実だという事は揺ぎの無い事実。どんなにユーキ君がその事を隠していようと、いつか絶対に表に出る時が来る。それは確かな事よ。それに……それによってこれまでユーキ君がどれだけ苦しんできたか、それを分かってくれるかは、一番大事な事。ユーキ君がそのコにどこまで信頼を置いているかは、私たちには分からないわ」
街の表情に比例するかのように、雲模様も悪くなってきた。一雨降るかもしれない。それも、にわか雨ではなく、夜まで降り続きそうな――
『ウルセェダマッテロ!!!!!』
ゴスッという、何かを壊しているかのように響く鈍い音。勢いを付けて、肉体が壁に打ち付けられ、部屋中に響く音。止めを刺しにでも行くかのように、一歩ずつ、その肉体へ歩み寄る一つの影。
『ナ、ナニヲヤッテイルンダ!!!』
 何かが後ろで喚いている。どうやら、こちらへ向けた物らしい。それを片付けてやってからでもいいが、こちらのほうが先決である。足を上げ、肉体を潰すように振り下げる。ドゴッという音を立て、更に後ろから喚き声が聞こえた。足りない、まだ足りない。タリナインダ。
『テメエモコウナリテエノカ?』

 日差しが万遍なく差し込んできた。先日から続いた雨もどこへやら。夏らしい照り付ける太陽が戻ってきた。そして人々も街に多く繰り出し、空の表情だけでなく、街の表情もいつのまにか元通りになったようだ。
「どこだろぉ……こないだと同じ公園だってことは聞いたんだけど……」
 広大な公園の中でポツッと佇んでいる一人の少女。……いや、そう形容するのは本人に失礼だろうか。作者の私情にはなるが、高校生に対して少女と形容するか、それとも女と形容するか。それで多少迷う時がある。高校生ともなれば、それなりの年頃ではあるし、ただ未成年ではある。それよりも下になれば少女と形容できるが、設定次第にもよるのではあろうが……多少話がズレた。辺りを見回して、何かを待っているかのようにその場をウロウロとしている。
「……とりあえずメールしてみよう……」
ポケットから携帯を取り出した時の事である。江美の耳にどこからか、小気味の良いリズムに乗せた歌声が聞こえてきた。音の主を探そうと、再び辺りを見回す。すると、若干人だかりが出来ているのが見えた。自然に公園に居る人々もその人だかりに向かっている。江美も、無意識に向かっていた。人ごみの中に出来ている隙間から覗くと、地面に座ってフォークギターを弾きながら歌声を放つ一人の男がいた。
「――明け方まで君と二人で語り合う事が出来たなら――」
 休みなく左手の四本の指を節操なく動かし、人差し指と親指で摘むようにして持った漆黒のピックで弦を震わせて、自由自在に様々な音色をかもし出している。男性としては比較的高い声で、高いオクターブもしっかりと歌いこなせている。今までに聞き覚えの無い音階や、曲調、そして歌詞。恐らく自作の曲であろう。江美はある程度音楽には精通しているため、その曲がどれだけ長い期間を掛けて弾き続けてきたかは、大体分かった。
「――行ってみようよその先まで僕が案内してあげるから……」
 曲が終わったようだ。聴衆はそれを確認すると、それぞれの両手を繰り返し鳴らして、称賛を送る。男はピックを弦の間に留めて、喉を潤すためにペットボトルに入った水を流し込んだ後、その賞賛に応える。
「どうもどうも。いや〜お休みで外出の中、足を止めてくださってありがとうございます。常連の方もいますかね?」
男は慣れたような口調で聴衆に対する話を始めた。
「え〜と、じゃあ後ろの人も見辛いでしょうし、前にいる方はお手数ですが、お座りになってくださいな」
気付けば50人近くはこの一帯に集まっていた。そんな聴衆に、気を遣ってか男は希望を口にする。それに呼応して、前に陣取っていた人々はコンクリートで出来た地面に腰を下ろし、丁度江美の目の前にいた女性も座ったものだから、江美にも男の顔が見えるようになった。
「あ〜!!」
 黄金と漆黒で色分けされた長い髪、二重で適度な大きさを持つ瞳、整った輪郭、まるでドラマにでも出てきそうな風貌。そして、一度だけ見覚えのある一瞬見せる微笑みの顔――。
「あれ、江美ちゃん?」
突然後ろから声が聞こえてきた。自分の名前が呼ばれている。思わず、反応してしまった。
「へ?」
「やっぱり! 久しぶり〜元気だった?」
江美が後ろを向くと、自分よりも年上に見える女性が立っていた。江美にとっては、見覚えがある所か、少し前までは毎日のように見ていた顔がそこにはあった。
「柳田先輩! ど、どうしてここに?」
江美よりも10センチ近く高い背。ヒールを履いているから余計それが際立つ。江美よりもしっかり発達したのが見て取れる体型、後ろに紐を使って束ねた伸びた髪。少し、最後に見たときよりも変わったと江美は気付いた。
「あれ、ユーキのヤツ教えなかった? 江美ちゃんのアド教えたのあたしだって」
少し黙った後、再確認。そうだ、そうだった、と自分の中で納得した。
「あ、あの、佐々木さんはなんで……」
 疑問を解こうとしていたときだった。弦音がすぐ聞こえてくる。振り返れば、トークも終わり、次の曲に移ろうとしているではないか。聴衆は先ほどの称賛とは違って期待を込めての拍手を送った。それに紛れて翔子は疑問に答えていった。
「う〜んとね、彼と初めて会ったのは去年だったけど、その頃からこことか、駅前でギター弾いて歌ってた。自分で詩も曲も作ってね。それで聞いてみると、中学生の頃からやってたんだって。プロ目指して」
歌声と共に耳に入ってくる質問の返答を聞いても、まだ江美は何が起きているか、錯乱状態の中に有った。確かに何も詳しい事は伝えないで単純に公園に来いといわれ、来てみればその男がこうして座って大勢の聴衆を前に、歌っている。ある程度驚くのも無理は無い。
「あれ、君がユーキの彼女? 可愛いね〜」
今度は右方から声が聞こえてくる。茶らけた雰囲気で、どこにでも居そうな青年。
「い、いや、あの彼女とかそーゆーんじゃないんで……」
「なんだ、残念。あ、俺は高崎拓海。タクって呼んでね、よろしく♪」
次から次へと訪れる意外な出来事に、江美は混乱してなにがなんだか分からなくなってきた。とても、優輝の歌を聞いている場合ではない。状況が飲み込めないまま、いつのまにか二曲目も終わり、また称賛の拍手が鳴り続けていた。

「ハンバーガーセット二つと、チーズバーガーセット二つ、それとナゲット五個入り二つで」
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「全部ウーロン茶で」
「かしこまりました」
 街の喧騒を一角に留めた風景。ゆうに、三十人はいるだろう順番待ちを待って並んでいる人々。それを三つのレジで女の店員が作り物の笑顔で対応し、奥では多くの店員が客に出す食物を手際良く作っている。忙殺、とは正にこの事を言うのであろう。ファーストフードとはその名の通り早く食べられる物。それを店員の手間の悪さで、遅れようものなら少しの暇も与えられていない人間からすれば、イライラする。難しい仕事だ。
「あの、佐々木さんって、何やってる人なんですか?」
「何ってことは仕事かな?」
「あ、はい」
 限られたスペースの中に敷き詰められるように、置かれた複数のテーブル。その一つのテーブルを占拠している三人の男女がいた。
「コンビニでバイトやってるってさ。その前は工事現場の交通整理、その前は引越し屋のバイト、その前は……」
タクの口から次々と出てくる色々な過去。少し困惑して、江美はその流れを止めた。
「え、えっと、定職には就いて……」
「ないよ、あいつまだ十七歳だし」
 十七歳、という単語が出た途端江美の困惑は仰天に変わった。
「ええ!? あ、あたしの一つ上!?」
 あまりにも大きな声を出したものだから、周りにいた客が少しこっちのほうを冷たい目線で見る。その目線を全身に受け、江美は恥ずかしさから下をうつむいて縮こまった。
「中学の時から一緒にいるんだよね、アンタ達」
 そんな江美の様子も気にせず、翔子は話題を続ける。
「うん、三年前かな。オレもストリートやってたんだけど、駅前で会ったんだ、ユーキとは。あ、オレはもうストリートは引退してるけどね。」
 視線も次第に無くなってきたところで、江美は上を向いて会話に参加する。
「そんなに前からギターやってたんですか?」
「うん、ユーキはね、ギターの申し子。ホントに上手いんだよ! 難しいコードだって簡単に弾いちゃうし、アイツに弾けない曲なんてない。オレが初めて会った時から詩も曲も自分で作って歌ってたし、譜面見て二時間くらい練習したら、その曲を……なんていうのかな、自分の物にするっていうのかな、ホントそんな感じ。プロからも声掛かったんだよ! でも……」
 それまで、自分の事のように楽しそうに、優輝の事を話していたタクの口が止まった。その瞬間、翔子の表情も曇った。言ってはいけない、または思い出してはいけない事でも口走ったかのように。江美がそんな様子に首を傾げながら、突っ込んで話を聞こうとした時だった。
「……何やってんだ、タク」
トレイ一杯にたくさんのハンバーガーやらポテトやらを両手に携えて、三人の座っているテーブルに優輝が帰ってきた。明らかに様子がおかしい事に気付いている。
「いや〜何でもないよ。ただ江美ちゃんが可愛いな〜ってね」
 それを表に出そうともせず、タクの表情が茶らけた雰囲気に戻った。気付けば翔子の表情も元に戻っている。どうやら、相当なことがあったようだ、と江美は感づきあえてそれ以上の事は聞かなかった。
「そりゃ翔子が悪いって!絶対!」
自然と時間は過ぎていき、テーブルを埋め尽くすポテトやナゲットなどのファーストフードを手を伸ばし頬張りながら、四人は様々な話に花を咲かせていた。いや、実質は三人かもしれない。
「どしたの?江美ちゃん、どっか具合悪い?」
「い、いえ、なんともありません!」
キョドる。流石にほぼ初対面の男が二人、頼れる先輩も一年ぶりに顔を見る人。性格も災いし、そんな状況では会話に上手く加われるはずもない。思えば高校の入学式の時も、わざわざ隣のクラスの華や中学時代の友達とばっかり喋って、自分のクラスでは何も出来なかった。
(なんか……雰囲気違うなぁ……)
 とりあえず頼りになるのは隣にいる翔子だけ。二人に聞こえないように、耳元でささやいてみた。
「あの、佐々木さんって、普段からこういう人なんですか?」
「ん? ちょっとイメージと違ったの?」
「えと……初めて会った時凄く優しくしてくれたから……」
「ああ〜それは年下だからだわ、絶対に。コイツ昔から年下にしか興味示さないから」
冗談めかして、江美の素朴ともいえる疑問に答えている翔子にどうやらタクが気付いたようだ。
「なぁ〜に、どうしたの? 俺達おいてけぼりにして二人で内緒話?」
「女同士しか分からない話! アンタにはわからないわよ♪」
 やっぱり付いていけない……。

気が付けば辺りも暗くなり、街も光で彩られていた。人も余計に増えて、若者だけでなく、会社帰りのサラリーマンと思しき中高年の姿も見られるようになってきた。これから、もう一騒ぎがあるだろう。昼よりも夜を好む人間のほうが、この街には多い。
「じゃあ江美ちゃんはあたしが送ってくから、ご安心を」
「ん、それじゃまた明日な」
「じゃあね〜江美ちゃん♪」
「はい、それじゃあ」
 ファーストフード店を出た後、四人は三つに分かれた。タクはバイトへ、優輝は自宅へ、そして江美と翔子は神奈川へと。駅で切符を買った後、車内で江美はずっと引っかかっていた事を翔子に勇気を出して聞いてみた。
「あの……佐々木さんって、昔どんなことが有ったんですか……?」
 様子を見るように、隣に座っている翔子に話しかけた。翔子は江美の方を向いたかと思えば、何かを考えるようにまた前の窓越しに見える光と影が半分になっている夜の街の風景を見た。つられて江美も顔の方向を変えて窓の方を見た。やっぱり、悪いことだったのかな、と思いつつ。しかし、
「プロからスカウトが掛かったんだけどね。デビュー直前になって、ご破談になっちゃったの。ユーキは」
 表情一つ変えず、依然として前を向きながら質問に答えた。不意に言われたものだから、少し戸惑った。翔子は気にせず話を続ける。
「公園でストリートやってたユーキの所にね、一人の男の人が来たの。その人は名刺をユーキに渡して、そこには“シミズミュージック”って書いてあった。江美ちゃん、音楽好きだったから、分かるよね?」
 シミズミュージック、という言葉で、すぐにそれが何であるかは分かった。大手音楽事務所。数多くの大物アーティストを送り出して、ストリートミュージシャンにも精力的にスカウトを掛けている人材発掘の得意な事務所。そんな認識が江美の中にはあった。自分の中でのイメージを整理しているうちに話は続いていた。
「でね、ユーキの曲聞いたその人は、凄く褒めてた。もっと、もっと聞かせてくれ、って言って、凄く感動してたみたい。ユーキもプロになるのは、一番の夢だったし、二つ返事でそれをOKしたの。それで、ユーキはその事務所に行ったんだけど……落ちちゃったんだよね。なんでかは分からない。本人も何も言ってこないから……」
少し言葉を詰まらせた後、こちらが予想していた事通りに、真実を言った。江美は何を言っていいか分からず、うつむいてしまった。本当ならば、もっと聞くべき事はあるはずなのだが。江美が何も聞いてこなかったものだから、翔子もこれ以上の事は言わなかった。電車はずっと揺れたまま、一定のスピードを保ち、徐々に夜の街を離れていく。

(あたしに分かるのはこれくらい。これ以上の事は何もいえないや。だからさ、何があったか知りたければ、ユーキ本人に聞くのが一番いいと思う。タクは知ってるらしいけど、何にも教えてくれないしさ。多分、本人から口止めされてるんだと思う。あたしにも言ってないことだから、必ずその事が聞きだせるか、って言えば、絶対、って言えないけど……でも江美ちゃんになら話すかもしれないよ。ユーキが、自分でメルアドあたしに聞いてきたくらいだから……)
帰り際、翔子に掛けられた言葉が、頭に引っかかったまま江美は携帯の液晶画面を見つめていた。画面には『宛先・佐々木さん』の文字。
「メールで聞いて良いのかなぁ〜こういうのって……」
 机に肘を付いて頬杖を作ったまま、ずっと画面を見つめていた。適当に文字を打っては、消し、打っては消しを繰り返しながら無駄に時間が過ぎていく。
「ええい、ダメで元々!!」
 思い立ったが吉日、とでも言わんばかりに江美はメールを打つ。
『佐々木さんって、昔プロから声かかったんですよね?なんで落ちちゃったんですか?』
「ダメだ……あまりにも率直過ぎるよぉ……」
次から次へとボタンを押し、色々なパターンの文章を打ち続けるものの、どれも決め手を欠くものばかり。結局、打つのを止めて、画面を閉じようと思っていたその時だった。聞きなれた音と共に液晶が、メールの受信を知らせる画面に切り替わった。そこには『佐々木さん』の文字。
『や! 今暇? 俺横浜に来てんだ。もう少ししたら江美ちゃんが住んでるところにいけると思う。横浜に遊びに行かない?』
 噂をすればなんとやら、ではないが、こんなにも偶然と呼べる事が起きるだろうか。錯乱状態になったまま、江美はメールを返す。
『そんな手間かけなくていいですよ! あたしが横浜に行きます』
 すぐにジャージ姿でいた格好を整える。そうこうしている間にまたメールが送られてきた。送り主は先ほどと同じ。
『いや、もしもの事があったら大変じゃん。今電車乗ってるからさ、あと十分くらいしたら着くと思うから、待っててね』
 着替えのピッチは早まる。まるで火事の連絡を受けた消防局員のように、素早く格好を整え、髪に乱れがないか確かめる。ポーチを携えて玄関に向かうと、母親が待ち受けていた。
「お母さん、ちょっと出かけてくるね!」
「ちょっと江美! 今日は夕飯までには帰ってくるの!?」
「わかんない!!」
一瞬で煙に巻き、スニーカーを履いてドアを開ける。後ろから声が聞こえるが、気にしている暇などない。駅まで約十分。飛ばせば縮める事くらい出来る。体力にはそこそこ自信が有る。
 息を切らして駅に着くと、踏み切りを越えて電車が着いていた。ギリギリセーフ。ポーチの中にある手鏡で顔をチェック。問題なし。
「や! ゴメンね、急に来ちゃって!」
「い、いえ、全然!」
 初めて会った時と同じ笑顔と同じ口調。どうやら、相手によって変わるらしい。
「あと十分くらい待たなきゃいけないみたいだし、そこのコンビニでなんか買う?」
「あ、はい!」
(デ、デートっていうのかな、それとも単なる友達としての付き合いかな。どっちでもいいけど、でも……)
「ん、どしたの?」
黙りこくってうつむいていた江美を様子がおかしいと思ったのか、コンビニに向かおうとしていた足を止めて、振り返った。
「い、いえ、なんでもありません……」
「そっか」

あの街に比べれば、ここはまだ静かだ。それでも、比較で少し劣るだけであり、結局うるさい事には変わりがないのだが。だけど、決して嫌いにはならない。淀んだ空気も、濁った街並みも、あらゆる点で似ているのに、嫌いにはならない。街の作りは、結局何処の都会と呼ばれる街でも、変わらないが、根本的な面から見れば若干違う。では、この街と、あの街の違いは何なのだろう。
「江美ちゃん、どこ行く? まず買い物する?」
 多くの人々。これも、あそことは大して違いが見られない。同じくらいの人数の人々が歩き、減っても増えるし、増えても減っていく。
「佐々木さんが、行きたい所で良いですよ」
 下手すれば、人々の波に埋もれてしまうのではないか、というほどこのコは小さい。自分にも、こんな時期があった。街にも決して慣れなかった。だが、時は人を成長させてくれる。恐らく、気後れしているこのコも、いつか街の風景に溶け込むだろう。その頃、自分は何をしている?
「あのさ、佐々木さんってちょっと他人行儀じゃん? だからさ、ユーキでいーよ、ユーキで。」
「は、はい。じゃあユーキさん」
「……ハァ……」
 もし、自分があの街を出たらどうなるのだろう。嫌いだと思っていた心も、少し和らぐのだろうか。それとも、余計増大するのだろうか。そんな先の事を考えていても仕方がない?ならば、自分はどこを向いていればいいのだろうか。後ろを振り返れば、思い出したくない事があり、結局は美化した過去だけ。前を向けば、どうなるともしれない、漠然とした未来がある。
「……あ、そうだ、今日は新曲の発売日だっけ。悪いけど、付き合ってくれない?」
「いいですよ、佐々木さん」
「……もういいや……」
 埋もれてしまわないように、しっかりとか細い手を握って、前へ進む。それしか出来ない、今出来る事は、それしか。恐らく、その内選択肢も序々に増えていくだろう。そこまで、今は前に進むしかないのだ。時折、後ろを振り返りながら。
「あのさ、翔子から、何か聞いた?」
「へ?い、いや何にも」
惚けないで欲しい。出来るだけ、しっかりとこっちを向いていて欲しい。
「そっか……ねぇ、シミズミュージックって、知ってるよね。」
向いていてくれていないのならば、こちらから向かせるしかない。無理矢理、といえばそれまでだが。
「あそこの、オーディションみたいなの、落ちたって言うのは、タクとか、翔子から、聞いてると思うけど、理由は知ってる?……俺ね、契約寸前まで行ったんだけど、履歴書見られて、一発でアウトされたんだ。高校中退っていう、履歴見られて――」
これで、こっちをしっかり見てくれるだろうか。それとも、目を背けてしまうのだろうか。
「…………」
 見てくれているけど、目は虚ろ、と言った所だろうか――
『コウコウチュウタイ?』
手に持った書類を持って見た瞬間、目の前にいる恰幅の良い男は呟いた。
『ハイ、コウコウチュウタイデス』
『ダメダナ、ウチハコウコウチュウタイナンテイウ、トンデモナイケイレキハウケイレン。ダイガクチュウタイナラマダシモ……』
本当の事を言ったまでだったのに、何故、こんな目にあわなければいけないのだろうか。反論に反論を続けたが、受け入れてはくれなかった。後ろにいる男を睨み付ける。見た瞬間に、目を背けてしまった。アンタまで、そうなのかよ。俺の夢を潰すのか。なんでそうなんだよ、世の中。ナンデ、ソウナンダヨ……。

 2歳の時に、母親が病気で他界。5歳の時に、父親が再婚したが、半年もしない内に、浮気をされ、離婚。その上に会社をリストラされ、なにもかも嫌になった父親は、幼稚園から優輝が帰ってくる五分前に首を吊って自殺。身寄り先にも見放され、施設に入ったが、小学校では、親がいない事でイジメを受け、一時期不登校の時期が続いた。不登校は二年生の時に止まって、夏休みまでは順調に通っていたが、二学期から仲良くしてくれた友達が転校し、イジメはエスカレート。その年が終わると、今住んでいる街の学校に転校し、施設の友達も助けてくれたため、無事卒業。四年生の頃にギターと出会い、施設に帰ってからは毎日のようにギターに触れて、五年生になるころには、何曲も弾けるようになっていたという。しかし、行った先の中学校の部活で顧問と衝突、その顧問は転勤したが、部活はやめ、また半ば不登校を繰り返した。その頃にストリートを始めたという。中学校は校長の厚意も有って、卒業できたが、高校に入学して、そこで性質の悪い教師を暴行、病院送りにし、止めに入った教師も通院が必要なほどの怪我を負わせ、いうまでもなく退学。施設も申し訳ないように、離れ、ストリートを続けてバイトで生計を立てていた時に、シミズミュージックからのスカウト。しかし契約寸前になって、頓挫。今に至る。
 全て、聞く事が出来た。気になってはいた。それを知る事によって、何が得られるか、そんな事はどうでも良かった。単なる、好奇心から来る検索であった。その好奇心が、間違いであった事を思い知らされた――思った以上に壮絶で、予想以上に辛い過去だった。何と、言葉をかけて良いか分からず、歩きながらうつむいてしまっていた。
「江美ちゃん、買いたい物とか有る? 俺が買ってあげる」
変わらぬ態度で優しく声を掛けてくれるが、対応に困ったまま、首を振ってしまっていた。それが正しい対応の仕方だとは、思っていない。だけど、そうするしか事しか出来なかった。
「お腹減ったね、どこ行く?」
彼も、そんな状況を察してくれているのか、必要以上の事は話し掛けてくれなかった。それが、どんなに気まずい状況であったか。江美自身、しっかりと気付いていた。
「あの……なんで、そんなに笑っていられるんですか……? 普通、そういう事が有ったなら、あたしなら、少なくともまともに暮らしていられない。人前にも出られないし、ギターだって、やめてるかも……」
正直な気持ちだった。久しぶりにまともに口を開いた気がする。この疑問に、この人は答えてくれるのだろうか。そう思っていると、少し考えた後、また同じような微笑みで答えてくれた。
「わかんない。なんで、今こんなに笑ってられるかなんて俺にもわかんないや。人にこの事話すといつも言われるけどね。でも、一ついえるのは、イチイチそんな事気にしてても、しょうがない、って事かな。多分、心の中でそう思ってるから、こうして笑ってられるんだと思う。俺にとっては、母親が病気で死んだり、父親が自殺したり、イジメうけたり、不登校になったり、部活やめたり、教師殴ったり、蹴ったりした事も、もう過去でしかないんだ。振り返っててもしょうがない。時々、振り返ることはあるけどさ、前向かなければ、そこで終わりじゃん」
全て、何かにしがらみついていた物が解けた気がした。彼は、自分が思っていた以上に、強い人間だったのだ。自分の何倍も、何十倍も。今まで、人の不幸はいくらでも聞いてきた。ただ、それは、自分には関係のない世界だとずっと思っていた。今日、この日まで。その不幸を知った事により、自分には何も影響をもたらさないと、思っていた。
「江美ちゃん、ご飯食べたらさ、公園行かない? 江美ちゃんにやりたいことあるから。」
 この人は、誰より這い上がる事が、得意な人なんだ。

 失ったなら、失った分だけ継ぎ足していけば良い。無くしたなら、無くした分だけ補っていけば良い。笑う事が出来なくなったなら、笑う事が出来ない分泣けば良い。嘆く事が出来なくなったなら、嘆く事が出来ない分喜べば良い。転げ落ちたなら、もう一度、転げ落ちた分登っていけば良い。崩れたなら、崩れた分作っていけば良い。ずっと、そうやって生きて来た。これからもずっと、そうやって生きていく。果てるまで、この世界から無くなるまで。その頃になれば、あの街も好きになれるだろうか。そんなことは分からないけど、笑って暮らしていくしかないのだ。今の自分には。泣き言を言ったら、今度こそ堕落して行ってしまう。
「実はね、新曲出来たんだ。昨日。江美ちゃんに誰よりも早く聞いて欲しくて」
 これから、何回このギターを弾いて歌う事が出来るのだろうか。もしかしたら、一回も弾けないかもしれない。飽きるくらい、何百回も弾けるかもしれない。まだ、夢は諦めていない。こうやって、ギターを弾いていけば、もう一度見た事もないオッサンが来て、こういうはずだ。
『ウチの事務所で働かないか』
って。その度に、自分の過去を悔やむかもしれない。そして、堕落していくかもしれない。だが、そこから這い上がっていく事が出来たなら、自分はもっとギターが好きになれるかもしれない。挫折をプラスの力に変えてこそ、人生。
「――そう 同じ分だけ笑って 怒って 泣いて その全てがボクとキミの思い出だった――」
もしかしたら、このコが自分を裏切る日が来るとも限らない。それだけでなく、全ての人間が。その時が来ても、こうやって、俺は歌っていけるのだろうか。街は、俺を見放すだろうか。
「――振り返ってる暇はない 過去だけを引きずったまま生きていく なんてカッコ悪い事はもうやめた――」
 その時は、その時か。
「――蘇生する(生き返る)ように ボクはキミのことを忘れよう さあ進もう明日へ……」
今日も、街は引っ切り無しに騒いでいる。朝も、昼も、夜も。ここにいるからこその、自分だと気付く事が出来た。二度と、過去を思い出さないことなんて出来ないし、ずっと、まとわりついて来るんだ。この街の喧騒のように。だけど、引き返したら、負けなんだと思う。


                   完

2005/08/12(Fri)17:43:20 公開 / WAJU
■この作品の著作権はWAJUさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
どうも、初めまして。ちょこちょこ別サイドでは小説を書いていたのですが、ここで書くのは初めてですね。
え〜とこの作品ではございますが、最初は悩みがちで、人見知りが激しい女の子が、過去に障害を持つ男に出会い何かが変わる、と言うお話だったわけですけども、だんだんと暗い方向へ…(汗)まあ、個人的には上手く行かなかったところが多かったので、精進が必要です。
それでは、これからよろしくお願いします。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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