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『蒼く幼き日の夏 2部』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:日本戦士
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「やりゃ出来るじゃねえか、おぅ、有難うな」
「格好いいじゃねえか、おい」
「気持ちが良い大人になりな、俺みたいになっちゃいけねぇ」
「お前等には聴こえねえのか?こいつの叫び声よ」
「てめえよりよっぽどあいつの方が筋が通ってらぁ」
「じゃあな、太郎」
* * * * * *
1部、絵の人
本当に暑い日だった。
額に汗を溜めながら交差点を往来する人々の熱気、雲一つ無い空から燦々とアスファルトを照らす殺人的な日射し、涼しい顔をした運転手が乗る自動車の排気ガス、ゆらゆらと陽炎効果で揺れる遠くのビル郡、
街に不似合いの青々とした並木から聴こえる蝉時雨。
そんな炎天下の中、日射しで燗々に熱くなった屋外のパイプ椅子に、温くなった缶ジュースを両手で持った小さな子供が1人、足をぶらつかせてぽつんと座っていた。汗で色褪せた藍色のTシャツ、膝を出したカーキ色のハーフパンツ、少し茶気かかった髪。男の子で、歳はまだ5つか6つ位だろう、必死に掌で額を流れる汗を拭っている。心配そうな顔で何人ものおばさんやお姉さんが声をかけてきた。今日もそう、
品が良いとは言い難いフリルの付いた服で身を包んだおばさんが、日傘を差したまま子供に話掛けた。
「僕、こんな暑い日に何をしてるの?汗もびっしょりかいちゃって、ママはどうしたの?」
子供は一度俯いた後、笑顔で顔をあげる。
「大丈夫です、お母さんと、此処で待ち合わせしてるんです」
おばさんはブルドックの様な顔を紅くさせていた。
「待ち合わせって言ったってこんな暑い所で、一体最近の母親は何を考えているのかしら、僕、アイスを御馳走してあげるからおばちゃんと一緒に来なさい。少しくらいなら大丈夫でしょ?」
太郎はアイスと言う言葉に一瞬ぐらついたが、頭をぶんぶんと横に振った後、丁寧にお辞儀をした。
「食べている間に来ちゃうかもしれません。有難うございます」
「そう…、じゃあ責めて冷たいものでも飲みなさいな、熱射病になっちゃうわよ」
そう言っておばさんはサーモンピンクのセカンドバッグから分厚い財布を取り出し、2000円を子供に手渡した。小さく手を振って離れていくおばさんに子供は笑顔でお辞儀をし、早足で目の前の自動販売機からオレンジジュースを買ってまたパイプ椅子に座った。これで、また少し長く居られる。
子供の名前は太郎、母親に捨てられた子供だった。
太郎の母親はまだ現役の大学生だった。高校生最期の夏、仲が良かった不良の先輩と一夜を共にし、運悪くその日一回の出来事で妊娠をしてしまった。妊娠が発覚した時には先輩はもう街から姿を消しており、厳格な両親に相談が出来る筈も無く、彼女は妊娠を黙ったまま臨月を迎えてしまう。時既に遅く、両親にバレて中絶手術をするには、もう手後れになってしまっていた。
家からは勘当され、追い出されてしまったが母親だけは彼女を見捨てず、彼女が高校に行っている間、子供の世話をして彼女が帰ってきたら彼女が世話をした。その生活も数年が過ぎると、彼女は大学3年になり、重度の育児ノイローゼに陥ってしまっていた。太郎を虐待する事は無かった、そんな事をしたら自分がこの子の母親と認めてしまう事になる。彼女は、太郎を育てる事を拒んだのだ。
両親にも話さず、成人となった彼女は太郎を施設に入れる手続きを自分だけで済ませた。母親が家を留守にしていた時、太郎が住んでいたアパートに施設の所員が迎えに来て、太郎はそのまま施設の子として迎えられる様になった。それから半年、太郎は一度も母親に逢ってはいない。
太郎があの男に出会ったのはその日から2日後の事だった。
連日の猛暑の中、太郎はまたも汗を流しながらパイプ椅子に座っていた。駅前の薬局で配っていた新商品のスポーツドリンクが入った紙コップはふやけ、太郎の手からポタポタと雫が落ちていった。いつもと変わらない、そう思っていた太郎の横で、突然携帯電話に向かって怒鳴っている大声が聴こえた。
「だからよ、さっさと奪ってくりゃいいだろうがっっ!!!」
突然の大声に驚いた太郎は椅子から一瞬跳ね、恐る恐る隣を見た。大きい、信じられない位大きな男が、太郎の視界全体に、殴り込んできたのだ。
鬼の角の様に釣り上がった眉にそれに合った鋭い眼。眉間の皺がこめかみの青筋と繋がり、異様な面相になってしまっている。黒い短髪を無理矢理オールバックにさせ、顎を覆う薄い不精ヒゲが、口元で突然切れていた。顎から唇にかけて刃物で切れた様な鋭い傷が、太郎の視界を奪う。次に身体中を構成する荒縄を何重にもぎちぎちに絞めた様な筋肉が、太郎の小さく細い身体を強ばらせ、はだけたYシャツから極太の金ネックレスが日射しで光り、本鰐革のベルトとシルク地のサマースーツが男の足回りを引き締めた。
周りの人々は既にその男から数メートルも離れ、太郎と男の周りには誰一人近寄ろうともしなかった。太郎はその現状を不思議に思ったが、そんな考えよりも、何よりも太郎の意識を奪ったものがあった。
汗で透けたYシャツの中からうっすらと見える様々な模様、男が少し前に屈むと背中の筋肉が盛上がり、べったりとYシャツが張り付いてその模様の全形が姿を現した。
其処には、鬼が、龍が、虎が、鳥が、中心の観音像を取り囲む様に彩られていた。怖かった、だが、それ以上の感動が太郎の身体を包んだ。あまり自分の気持ちを表に出す子供では無かった。だが、太郎はその男の背の絵に心が奪われてしまったのだ。
「綺麗…ですね」
太郎の小さく、掠れた声など電話をしている大男には全く耳にも入らなかった。
太郎は膝の上の手を強く握り、再度大男に向かって顔を向ける。
「あ、あのっ!!」
太郎の渾身の大声に、電話を耳から離さずに大男は振り向いた。一度辺りをきょろきょろ見回した後、自分の眼下に小さな子供がいるのを確認した。眉間に皺を寄せ、大人でさえも震え、怯える程の剣幕で太郎を見つめる。分かってはいるが、怖い、太郎の浮いた足はがたがたと震えていた。
「今俺を呼んだのはお前か?」
アニメに出て来る悪者のボスの様なドスの効いた声が太郎の頭上を貫いた。涙が出る、汗が止まる、そんな身体の反応とは別に、太郎は口からもう一度、先程の言葉を呟いた。
「あの、…背中の絵、綺麗ですね…」
大男は再度携帯電話に怒鳴った後、電話を乱暴に切ると太郎の俯いた頭を見下ろす。
「何だって?小っさくても男ならちゃんと話せや」
「背中の絵綺麗ですねっっ!!」
太郎は突然大声を上げ、涙目で大男を見上げた。大男の顔から先程の鬼の顔は消え、はにかんだ顔で太郎の頭を鷲掴み、頭を撫で上げる。
「やりゃ出来るじゃねえか、おぅ、有難うな」
それがこの街のヤクザ、丹波鉄生との出会いだった。
「ほら、喰え」
鉄生は近くのコンビニからソフトクリームを2つ買い、1つを太郎の前に出した。太郎は鉄生の思い掛けない行為に驚き、ソフトクリームと鉄生を交互に見返した。鉄生は自分の分を食べながらイラついた声を出して太郎を驚かす。
「おら、早く持たねえと溶けちまうだろうが」
「あっはいっ」
太郎はすかさず鉄生からソフトクリームを手渡されると、小さな口から小さな舌を出し、舐め始めた。鉄生は溜息をついて太郎の隣によっこらせと声を出して座る。
「お前、こんな糞暑い所で何やってんだ?」
太郎はソフトクリームを舐めながら俯き、浮いた足をぶらぶらと揺らせた。
「お母さんと、待ち合わせをしてるんです」
「そうか、こんな糞暑いのに大変だなあ」
鉄生は素っ気無く答え、コーン部分を音を立てて食べていた。太郎はちらちらと鉄生の顔を見上げる。コーンも食べ終わった鉄生は太郎を目線に気付き、太郎の目をジッ見ながら大きな口を開いた。
「何だよ?」
「あの、どうして背中に絵が描いてあるんですか?」
鉄生は太郎の問いに困った顔を浮かべ、頭をがりがりと掻いた。
「お前、今幾つよ?」
「今年小学1年生になりました、6歳です」
「俺がそんくらいの時はもっと何も考えて無くて、馬鹿みたいに遊んでばっかで、ただの鼻垂れたガキだったけどなぁ。お前、絵が好きなのか?」
その鉄生の問いに今度は太郎が困った顔を浮かべた。鉄生と同じ様に頭を掻き、溶けかけたソフトクリームを口に放り投げ、端に付いたクリームを拭う。
「好きってわけじゃないです。けど、えっと」
「あぁ、鉄生ってんだ」
「鉄生さんの背中の絵は、凄く怖かったけど、凄く綺麗だなって思いました」
太郎はそう言ってもう一度鉄生の背を覗いた。Yシャツの下からは変わらず派手な柄が浮かんでいる。
「丹波さん、遅くなってすいません!」
その時、突然雑踏の中から1人の男が2人の前に現れた。頭は炎のラインが入った坊主で耳には複数のピアス、タンクトップに白いだぼだぼのパンツを穿いた今時の悪そうな若者という風貌をした男だった。太郎はタンクトップから伸びる腕に刻まれたタトゥ−を見た。トライバルパターンの龍が肩から手首まで入り、凶悪そうな雰囲気を更に引き立たせる。だが、太郎は鉄生の背中に見た感動をこの腕に感じる事は無かった。鉄生とは違う、そう感じた途端、急に震えがしだした。
「丹波さん、どうしたんすかこのガキ?」
坊主頭は目線を太郎にあわせる。太郎は目を反らして鉄生のシャツを握った。太郎の異変に気付いた鉄生は坊主頭に向かって大きな拳を振り下ろす。
「こんなガキにまで顔突けてんじゃねえよ」
「痛ってえ、何すか?丹波さんの子すか?聞いてませんよー」
「馬鹿言ってねぇで車のエアコン最強にしてこい」
坊主頭はぶつぶつと言いながら雑踏の中に姿を消した。鉄生は太郎の手を優しく払うと、片膝をつき太郎の紅くなった目から流れる涙を太い親指で拭った。
「おら、男なら泣いてんじゃねぇよ」
「……はい…」
「あいつの腕の龍は感動しなかったか?」
「……はい…」
鉄生は太郎の小さい言葉に顔を歪めて笑い、片膝を大きな掌でばんばんと叩いた。
「っそうか、じゃあ俺の背中の連中をしっかり焼き付けておけよ、また明日顔出してやっから」
そう言って鉄生は立ち上がり、背中の筋肉をわざと盛り上げ太郎の前を歩いていった。まるでモーゼの力で裂けた海の様に、鉄生の周りには人が集まる事が無かった。太郎はその背を鉄生が見えなくなるまでじ
っと見つめた。目の涙はもう、鉄生との約束通り流れてはいなかった。
* * * * * *
2部、年齢差30の親友
それから毎日昼過ぎ、鉄生はアイスクリームやかき氷を持参して太郎の元に出向いた。ヒートアイランド現象を伴い、気温40度に匹敵するような暑さの中、10分程度たわいも無い会話をして、去って行く。だが、太郎は次第に鉄生が逢いに来てくれるのを心待ちするようになっていた。今日の鉄生の土産は水ようかん。太郎は小倉、鉄生はうぐいす餡のようかんを小さなプラスチックのスプーンで掬い、口に運んでいった。温い甘さが口に広がっていく。
「鉄生さんは不思議な大人です」
突然太郎はようかんを突つきながら言った。鉄生は既にようかんを食べ終えている。
「何がだ?」
「僕の事を全然聞きません」
「言わねぇからだろう」
「言わなくても普通の大人の人は皆聞いて来ます。何してる、何処からきた、お母さんは、お父さんは、
暑くないのか、帰らないのか、…大人をからかっているのか」
太郎はそう言った後、目に涙が溜まってきた。俯き、汗と一緒に腕で顔を拭う。
「僕はお昼前から夕方くらいまで、此処に座っています。僕を何度も見かけて、話しかけてくれた人も、声をかけなくなっていきました。遠くから、あの目で、言うんです、おかしいって」
太郎の持ったようかんに涙と鼻水が交じった液体が、ぽたぽたと落ちていった。真直ぐ降り注ぐ太陽の光でようかんの表面が瑞々しく光っている。
その時、突然太郎と鉄生の前に3つの影が現れ、鉄生が顔をあげるとそこには3人の警察官が鉄生を睨んでいた。頬に火傷の様な傷を負った警官が、笑いながら鉄生の靴を踏み付ける。
「此処でヤクザが小学生を誘拐しようとしてるって匿名で通報があってね、来てみたらあの丹波鉄生じゃないか?こりゃあ驚いたよ」
鉄生は辺りを鋭い目つきで見回した。他のパイプ椅子には誰も座っておらず、辺りの人々は遠目で5人を見つめている。確かに、小学校低学年の子供と屈強なヤクザが語り合う光景は回りを行き交いする人々からすれば異様な光景に見えたのだろう。太郎自身も、結構な目で見られていた筈だった。
「さて、安藤組の狂犬がこんな所で何をしようとしていたのか、もっと涼しくて快適な取調室でじっくりと教えてくれないか?」
鉄生は微笑し、上目で傷のある警官を睨む。
「小学生誘拐の容疑でか?馬鹿馬鹿しい、だからお前は出世出来ねえんだよ新倉ぁ」
新倉と呼ばれた傷のある警官は、突然顔を紅くさせて鉄生の頭を拳で殴った。両隣りの警官が驚き、羽交い締めでそれを制止する。
「新倉さん!こんな場所で不味いですってっっ」
「落ち着いて下さいっっ落ち着いて!」
「丹波!てめえ!!必ずぶち込んでやるからな!!!」
「お前等、この小僧を放っておいていいのか?」
鉄生は新倉の叫び声を無視して太郎の頭を撫でながら、羽交い締めをしている警官に問い掛けた。警官は侮蔑の目つきで鉄生に振り返り、答える。
「その子は夕方に施設から迎えが来るんだ」
「施設?こいつは…」
警官はそれだけを言うと新倉を掴んだままパトカーの中に戻っていった。人々はその一部始終を見終えると、ひそひそと喋りながら付近から蜘蛛の子の様に散っていった。鉄生は黙ったまま太郎を見つめると、太郎がようかんを持って無い事に気付いた。
「お前、ようかんどうした?」
太郎は鉄生の言葉に気付き、ようかんを持っていた筈の小さな手を人さし指を出して銃の形に変え、パトカーがあった場所を指差した。
「さっき鉄生さんを悪い人って言ったお巡りさんのポケットに入れちゃいました。ようかん無駄にして、ご免なさい」
そう言って太郎は鉄生に向かって頭を下げた。その瞬間、鉄生は腹を抱えて大笑いを始めた。街の雑音をも掻き消す様な大笑いは数分止む事なく、太郎も釣られて笑い始めた。鉄生は涙目で腰を下ろし、太郎の頭を鷲掴みで撫であげる。
「格好いいじゃねえか、おい」
「格好いい?」
「そうだ、男ならそれくらいやんちゃじゃなくちゃな」
鉄生が笑いながら太郎の背中を叩いていると、尻のポケットに入った携帯電話が鳴り出した。着信音は少し古いサザンオールスターズの“TUNAMI”。太郎から手を離し、立ち上がって携帯を耳に当てる。
「はい、…いえそんな事、…わかりました、今向かいます」
携帯を切ると鉄生は足下にいる太郎に振り返る事無く、雑踏の中に姿を消した。鉄生の背には、あの色鮮やかな模様が、うっすらと浮かんでいた。
「迎えにきたよ、太郎君」
その日の夕方5時過ぎ、“白い家”と書かれた青いエプロンをした青年が、パイプ椅子に座る太郎に笑いかけた。太郎の手を引き、同じ文字が書かれたワゴン車の中に戻っていく。助手席に座り、シートベルトを掛けられ、運転席に座った青年は太郎に向かって笑顔で口を開いた。
「今日の夕御飯はカレーだよ、太郎君カレー好きだったね」
「はい」
「今日も絵の人と逢ったのかい?」
「はい」
「それ以外に誰かと逢ったりはしなかったのかな?」
「いえ、そんなには」
「…」
いつもの車内での会話だった。
車は施設に付き、太郎は青年と共に食堂に入っていった。川の字になったテーブルには既に大小様々な子供達と施設の所員が集まり食事を始めていた。太郎は青年と別れて一番隅の席に座り、肉が殆ど無くなったカレー鍋からカレーを掬い、テーブルの上で冷たくなったゴハンにかけ、黙々と食べ始めた。途中、隣の席でふざけあっている子供の手がカレーに入るが誰もお咎めをいう者はいない。太郎は少し考えたが、再びそのカレーを食べ始めた。夏の暑さでいつ倒れるか分からない。体力をつける為、食べられる物は食べておいた方が良かったのだ。食事を終え、シャワーを早々に済ませて、太郎は大部屋の押し入れの中に潜っていった。まだこの時間では幼年部や同学年の子供が騒ぐ時間だ、眠る事は出来ない。ティッシュを千切って耳に詰め、そっと目を閉じ、静かに寝息を立て始めた。
いつもの施設での生活だった。
大人でも、子供でも、太郎と真剣に話をしようとする人はいなかった。暴れたり、迷惑をかけたりなどはしなかったが、太郎は施設でも問題児として扱われていた。
最初の頃、太郎に問題は無かった。施設の所員が家まで迎えに行った時も、太郎は泣き喚く事なく施設に入り、その日も他の子供と一緒に寝ていた。成績も優秀で、小学校初めての通知表には全ての教科に大きな花丸の判子が押されていた。ただ、担任の言葉という欄に、少し気になる一行が記されていた。
『多少、友達と離れて行動する所があります』
その担任の言葉通り、太郎は夏休み初日の昼前、姿を消した。施設の所員は必死になって辺りを探したが見つからず、夜7時を迎える時に警察から保護したという連絡が入った。太郎は施設からバスで30分程の街中で、缶ジュースを握ってパイプ椅子に座っていたのを巡回中の警官に保護されたらしかった。施設の所員や園長は太郎を注意したが、太郎が毎日定期的な時間に施設を抜け出す事に変わりはなく、施設の所員は街の警察と話した結果、夕方に太郎を迎えに行くという事で話がついたのだった。街に向かう太郎を見送る所員はいなく、その大人達の態度が子供達にも現れ、太郎はますます施設から孤立していった。
これが、今の太郎の現状である。
「鉄生、てめぇ、新倉の野郎と一触あったらしいな」
鉄生は都内にあるマンションの一室で、男とテーブルを挟んで顔を突き出していた。角刈りに紺色のスーツを着たその男は、鉄生の顔に目掛けてガラス製の大きな灰皿で殴りつけた。微動だにしなかった鉄生の眉部分に灰皿は当り、一筋の血が滴り流れる。
「奴は俺等が仕切ってる地下賭博の真相にかなり近付いてっから警戒しろっつったばっかだろうが!!!なのにてめえは何だ?新倉怒らせて何になるんだ?ああ?聞いてんのかてめぇっっ!!?」
「聞いてますよ叔父貴、それで、新倉の糞野郎は何て言ってきたんですか?」
叔父貴と呼ばれた男、近藤は背広からタバコを取り出し、火をつけて溜息と共に煙を吐き出す。
「あの野郎、ねつ造してでも証拠を上げて攻め込んで来るなんて脅しをかけてきやがった。そんな事されたら来週ある本家の会合にも出席出来ねぇ。てめぇ、新倉に何しやがったんだ?」
今度は煙をわざと鉄生に向かって吐き出した。鉄生は煙を払う事なく煙の中から答える。
「ちょっと街で出くわしましてね、そんなふざけた事では無いんですけど」
「嘘ついてんじゃねぇよ、てめぇ、最近妙なガキとたむろってるらしいじゃねぇか?」
近藤の言葉に鉄生の眉がぴくんと動いた。傷口から血がまたじくじくと滲んでいく。
「てめぇ、ガキなんかの事で俺等に迷惑かけたら分かってんだろうな?そのガキ諸共殺っちまうぞ?」
その瞬間、鉄生の目の奥から、全身から、地獄で燃え盛る邪悪な炎の様なモノが込み上がってきた。その炎は部屋中を囲み、テーブル、棚、カーテン、全てを燃やしていく。炎は鉄生の前にいる近藤をも包み、髪を、目玉を、身体を、焼き殺していった。近藤は簡単に燃え、塵となって消えていった。
近藤はその鉄生から湧き出る空想の炎に気付き、こめかみから一滴の冷汗を流す。
「よく注意します、御迷惑をお掛けしました。失礼します」
鉄生はそう言ってお辞儀をして立ち上がると、ドア付近に立っていた坊主頭に一言声をかけて部屋を出ていった。坊主頭も近藤にお辞儀をして部屋のドアを閉める。1人、部屋に残った近藤は袖で汗を拭って立ち上がると、窓のサッシを少し上げて眼下の道路を覗いた。鉄生が乗り込んだ白いクラウンは坊主頭を運転席に乗せてゆっくりと大通りに向かって走っていった。近藤はもう一度タバコをくわえ直す。
「あの野郎、“殺気”が尋常じゃねえ…」
近藤の唇はまだ微かに震え、くわえたタバコは足下に落ちていった。
これが、今の鉄生の現状である。
次の日、太郎の元に鉄生はまたやってきた。今日は涼しい所に行こうと無理矢理太郎を誘い出し、近くのファミレスに入っていく。禁煙席の奥で向い合って座り、メニューを覗いていった。
「何だよ、もっとマシなメニューは無いのか?」
太郎は大きなメニューを立て、その横から少し顔を出して鉄生の額を見た。
「あの、鉄生さん…その、傷は?」
鉄生の眉には白い大きなカットバンが貼ってあった。結構傷は深かったらしく、縫う事は無くてもテープで止める事くらいは必要だった。
「あぁ、対した事ねえよ。それより早く選べ、俺は海老フライ御膳に決めたぞ」
「…もう、逢うのやめま、せんか…?」
鉄生は眉間に皺を寄せ、口を一線に紡んでいる。
「僕のせいで、鉄生さんが、傷つくなんて、嫌なんです…だから、もう…」
太郎の顔はメニューで見えなくなっているがきっとまた泣いているんだろう。鉄生は頭を掻きながら太郎のメニューを勢い良く弾き飛ばした。案の定、そこには泣き顔で驚いている太郎の姿がある。
「俺の腕を見ろ、肘の所だ」
鉄生はそう言って太郎の前に巨木の様な太い左腕を構えた。太郎は目を擦りながら腕をじっと見つめる。肘の所には変色したコブの様な痣が出来ていた。触ると石みたいにごつごつしている。
「昔、ある糞野郎にハンマーでぐしゃぐしゃに折られた時の痣だ」
太郎の触る手がぴたりと止まり、鉄生は続いて右腕の袖をめくった。背中に描かれた龍の尾が、山の様な肩から太い二の腕に絡み付いている。力コブが出る部分に指を這わせていくと、そこにはうっすらとだが細長い切傷の様なものが見えた。
「出入りの時、そこの糞野郎にポン刀で斬られた時の傷だ。後数ミリで腱が切れていたらしい」
そう言うと鉄生は自分のメニューを太郎に手渡し、置かれた水を一気に空にした。
「いいか、俺はお前が生まれる前から傷を作って生きている。それでも俺が生きてるのは俺が鉄の様な男だからだ。鉄にとってこんな傷は蚊に刺された様なもんなんだよ」
そう言って鉄生は額についたカットバンを剥がした。血はもう止まり、線の様な瘡蓋が出来ている。
「それにな、俺は俺のミスでこうなったんだ。お前は関係ねぇよ」
「じゃあ、何で僕をこんな良くしてくれるんですか?ただ、街で逢っただけなのに」
太郎の言葉に鉄生は天井を向いて考えた。特に子供が好きというわけでもない、まして面倒見がいいというわけでもない。太郎の問いに、ある意味で驚かされたのは鉄生自身だった。何故、俺はこんなになってしまったんだろう。この泣き虫のガキに何故俺は肩入れをしているんだろう。
「そりゃ、お前がもう少し大きくなったら分かるだろうよ」
「そんな、普通の大人みたいな事言わないで下さい」
「五月蝿ぇ!さっさと頼め!決めないならこの特大ステーキ定食にしちまうからなっっ」
「そんなの食べれませんよ」
いつの間にか太郎の顔は笑顔に戻っていた。鉄生はその太郎の顔を見て小さく笑う。自分は太郎を自分の子供の様に見てはいない、なら何故こんなに面倒良く見てあげるのだろう。その時、その答えが鉄生には少し分かった様な気がした。太郎は、小さい頃の自分に似ているのだ。あの、寂しかった頃の自分に。
「気持ちが良い大人になりな、俺みたいになっちゃいけねぇ」
「えっ何か言いました?」
太郎がそう答えると鉄生は何も言わずに店員を呼出していた。店員を呼ぶベルの事を教える太郎とそれに戸惑う鉄生のやり取りは、まるで親友同士がふざけあっているかの様に見えた。
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2005/08/12(Fri)15:11:22 公開 / 日本戦士
■この作品の著作権は日本戦士さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
3部構成で書いていこうと思います。
こういう雰囲気の話を書くのは初めてなんで
不器用な出来になりましたけど
感想の方、宜しくお願いします〜
1部あと書き
いつも出始めの書き方を自分は迷います。
この話の主人公は太郎なんですが裏主人公の鉄生の存在力が強い事をまず皆さんに伝えたかったのであえて鉄生の今後の名?セリフを複数入れてみました。
太郎と鉄生の出会い、これは自分の尊敬する先輩との出会いを少し着色した形になっています。あれ、クサい?
(管は缶に直しました笑)
2部あと書き
太郎と鉄生の現在の状況を書いてみました。
太郎の心はまだ書いてません、それは明日か明後日に書きます。新倉と近藤をもっと悪くしたいんです、でも自分の表現力が未熟なもので…。ちなみに坊主頭に名前はありません(笑)
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。