『どこか遠くで、なき声が』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:片瀬
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つつうっと汗が流れた。容赦なく背中を照りつける太陽と、せめて涼しいものが吹いてもいいじゃないか、と思うくらいの生ぬるい風。夏である。
夏休みに入った私と、今年やっと小学校に入学した弟の勇太は、今年は初めておじさんの家に遊びに来た。おじさんの家は、海に近いから涼しいものだと思っていたのに、まったく裏切られた気分だ。
この日、私は勇太をつれて、神社にカブトムシを取りに来ていた――もちろん、私が提案したのではなくて、近所の子どもたちにカブトムシを自慢された勇太にせがまれたのだ――。片田舎であるせいか、勇太は虫取りくらいしか楽しみを見出していないみたいだ。ここに来て二週間になるが、さすがに私も飽きてきた。まあ、あと三日ほどすれば、迎えが来てしまうのだが。
勇太は一心不乱に、届きそうにもない木の周辺に網を泳がせている。取れっこないだろうな、と私は石段に腰を下ろした。あとどれぐらいこうしてなければいけないだろう。時計を見ると、まだ十時にもならない。まあ、お昼までには帰れるだろう。今日は私と勇太しかいないから、私が作って食べなければ。しかし、この暑さはどうにかならないだろうか――。
もちろん、こんな場所では学校の課題ができるはずもなく、そして暑さのせいで、本を読むほどの集中力もなく、私は遠くに見える、海をぼんやりと眺めていた。
そんな、ちょっとだけうとうととし始めたときだった。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」
興奮した声が後ろから聞こえた。やれやれ、と思って後ろを振り向くと、虫かごにカブトムシ(と呼ぶには少し気の毒なくらい小さい、オスであった)を一匹だけ入れて、大事そうに抱えた勇太が立っていた。
「本物のカブトムシだよ、かっこいいでしょ」
「あんた、自分でとったの?」
「ううん、あのお兄ちゃんがとってくれた」
勇太が指差した先には、私と歳が変わらないくらいの男の子が立っていた。日に焼けた肌と、短めにそろえられ、でも豊かな髪の毛。地元の高校生なんだろうか。
「どうも、ありがとうございます」
「いや。すごく欲しそうだったから」
男の子はにっこり笑うと、少しだけ色あせたズボンのほこりを払った。勇太はまだ嬉しそうにカブトムシを眺めている。こんこん、と虫かごを叩くと、カブトムシが指のほうへ寄ってきた。
「もっと、いないのかな、カブトムシ」
勇太はもごもごと言い、遠慮がちに男の子を見上げた。
「もういいでしょ、かわいいカブトムシ、とってもらったでしょう。
それに、昨日蝉も、家にいるでしょう」
昨日、家のなかに蝉が迷い込んできてしまったのだ。窓にぶつかったときにつけたのか、羽が傷ついて飛べないらしかった。
私が嗜めると、勇太は口を尖らせて何か言いかけたが、やはり何も言わずに怖い目をした。言い出したら、どんなに意地をはってでもそれを成し遂げてしまうのは、この子のいいところでもあり、悪いところでもある。きっと、仲間がいなくてかわいそうだ、とか言うのだろう。
男の子は手招きをした。勇太は顔を輝かせて駆けていく。
「まだいるよ。神社の裏に行こうか」
どうしましょう、と尋ねた気に男の子は視線を寄越す。
ここで反対したら、勇太が泣き出すことは目に見えているので、私は頭を下げた。
今度こそ暇だ。勇太を見ていることもないし。神社の遠くのほうでは、勇太のはしゃぐ声が聞こえた。お兄ちゃん、頑張ってーっ。とれるのーっ。とれたーっ。
そんな声とともに、蝉の鳴き声が境内にこだました。一生懸命鳴いているなあ、と悠長に考えていると、とうとう眠りに落ちてしまった。
「……し、もしもし」
目を覚ますと、目の前に、男の子がいた。後ろに勇太を負ぶって、手には虫かごと網を持っている。
「あ……す、すみません。勇太、」
「いいだ。疲れちゃったみたいだから」
起こそうとすると、声は遮られた。私はもう一度謝って、でも、と話しかけた。
「私、負ぶっていけないし。歩かせますから」
男の子は、何も言わずに笑って、歩き出した。振り返らずに、私に声をかけた。
「家、どこかな?送っていくよ」
後ろで追いかけながら、優しい声だと思った。私はやっと追いついて、男の子の手から虫かご――カブトムシが、十数匹入っていて、少しグロテスクだ――と、網を受け取って横を歩いた。
「えっと、この道をまっすぐで、二つ目の角で右に曲がるとうちの家です」
男の子は、それに一度頷いたまま、黙々と歩いた。私の視線を時々感じると、少し照れたように微笑んだ。
「……ここらへんの、高校に通ってるんですか?」
問うと、ううん、といううなり声だけが返ってきた。そして思いついたように、敬語じゃなくていいよ、という笑いを含んだ声と答えが返ってきた。
「行ってない」
俺、最近外に出るようになったばっかりでさ。それで、出てからはずっと出歩いてるけど。だから、こんなに焼けちゃったんだ。元々は色白なんだけどな。
「そ、そっか」
何だか、私は何か訊いてはいけないものを訊いてしまったようで、一生懸命に言葉を探した。しかし、それを察したように言葉が降ってきた。
「あまり、俺は気にしてないから。気にしなくていいよ」
その言葉を聴いたときには、もう二つ目の角を曲がっていた。とうとう家の前に着くと、汗ばみながら眠る勇太をそっと私に抱かせ、じゃ、と会釈をした。
「あの!お礼と言っては何なんだけど、ごはん食べていかない?」
言ってしまった自分でもびっくりした。でも、そうしなければと思った。放っておけない雰囲気があったのだ。
「……いいの?」
じゃ、お言葉に甘えて、と男の子は私から勇太を受け取った。勇太は心地良さそうに寝息を立てている。
茶の間で二人を待たせると、私は台所へ急いだ。何がいいだろう。そうだ、暑いし、今朝おばさんが置いていってくれた、そうめんを茹でよう。おつゆは冷蔵庫に入っていたはずだし。
すばやく用意して居間にむかうと、二人は腕相撲をしていた。勇太に合わせるように、少し力を緩めているらしい。勇太は楽しそうに声を上げる。
「今日はそうめんなんだけど……大丈夫かな」
「うん。基本的に好き嫌いないから、平気」
いただきます、と几帳面に手をそろえて、男の子は一緒に出された麦茶を口に含んだ。
「冷たくておいしいなあ」
勇太はうまくそうめんがつかめないのか、つゆの前で悪戦苦闘している。男の子は、一口そうめんをすすって、また、冷たくておいしいなあ、としみじみ言った。
ちりん、と風鈴が鳴った。
「あ、スイカもあったんだ」
冷蔵庫に冷えていたスイカを思い出す。
「スイカ食べたい!」
勇太が手を上げる。カブトムシも、スイカ食べるかな。隣の家のひーくんが、カブトムシにスイカあげてるんだよ、と箸を空中に泳がせる。隣に座っていた男の子は、勇太の頭を撫でた。
「お前は優しいなあ」
台所へ行き、スイカを切り分ける。触るとひんやりとしていて、熱い体に嬉しい。あの男の子の名前はなんていうんだろう。携帯は持ってるかな。持ってたら、メールアドレス教えて欲しいな、なんて思いながら、さくりさくりとスイカに刃を入れていく。知らず知らずに自分の頬が緩んでいるのがわかって、恥ずかしくなる。
「スイカ切ってきたよ」
茶の間の戸を開けると、そこには勇太しかいなかった。
「お兄ちゃん、帰っちゃった」
「え?」
「ありがとう、って言ってた」
今なら、まだ間に合うだろうか。
急いで玄関に向かうと、廊下の途中で蝉が死んでいた。昨日、うちに迷い込んだ蝉が、虫かごから出てきてしまったらしい。少しだけ、色あせた羽。私は、しゃがみこんで呆然とそれを見ていた。
「お姉ちゃん?」
遠くのほうで、蝉の鳴き声は激しさを増している。
ちりん、と風鈴が鳴った。
2005/08/06(Sat)17:22:23 公開 /
片瀬
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