『闇の向こうで…』 ... ジャンル:サスペンス サスペンス
作者:(笑)の人                

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
――……・・うっ。

…なんだ、ここ。――どこ?

わからない…・・覚えてない?

白いシーツ…・ベッド?

僕は裸……・・なんで?

どこ…どこなの?

僕の横に女の人…・・裸。

知らない人…・・なんでここに?

だれ…どこ…なんで…
だれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんでだれどこなんで…・。


気が付いたら、僕はその人の首を握りつぶしていた―――。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
闇の向こうで
>>>>>第一章:眠りと目覚め
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 200X年・夏。
 東京警視庁・強行犯課の真下司は、早朝に鳴った自宅の電話に起こされた。強行犯課の緊急召集。午前六時を過ぎた頃の出来事だった。
 急いで着替えながら歯を磨き、顔を洗う。朝食はこの際抜きだ、時間が無い。脱ぎ捨てた寝間着を横目に、革靴を履いて家を飛び出す。玄関に止めてあるバイクのエンジンをかけるのに時間はかからなかった。制限速度ぎりぎりでバイクをとばし、警視庁への道を急ぐ。
 このような流れで通勤し、強行犯課の扉の前についた。
「おはようございます。真下司巡査、ただ今出頭いたしました」
 早朝の眠気を吹き飛ばすように挨拶をする。あいにくさま、強行犯課にはまだ一人しか出勤していなかった。しかもその人物は、司にとって最も苦手な人物だった。
「ああ!司おそ〜い」
「…・・なんだ秋奈だけかよ」
 そこにいたのは同僚の深津秋奈。警察学校時代の同期であり、さかのぼれば幼稚園・小学校・中学校・高校・大学とすべて同じ学校だ。この気味悪いくらいの組み合わせを呪わない日は無かった。その理由は、秋奈の性格にあった。
「今四十五分だよ。電話がきたの、五分くらいだったでしょ」
「俺はお前と違って警視庁の近くに住んでない。これでもとばして来たんだよ」
「また言い訳するぅ!男らしくな〜い」
 でた。これが司が秋奈を嫌う理由だ。少しでも言い訳するとすぐこれだ。しかもたちが悪いことに、生まれた日にちが3ヶ月違うだけで妙に年上ぶるのだ。何かあればすぐ、「私に出来ないから、あんたには無理」「偉そうに言わない」「男らしくない」の言葉がでてくる。どれだけ拳を握り締めたか覚えてない。
「私と司は新入りなのよ?先輩より早く来ないでどうするの?」
「んなこと言ったってなぁ…・」
「ああ!また言い訳する。そんなんじゃ…」
 秋奈が次の台詞を言おうとした時、横から仲裁が入った。
「おうおう、若夫婦が朝っぱらから喧嘩か?」
 ドア付近から死角になっていたソファから、むくっと起き上がって言う。首を二・三回慣らし、こちらを向く。ネクタイをはずしていたが、ワイシャツは着ていた。
「残念だな、深津。俺は泊り込みだからお前たちよりずっと前から居たんだ。まあ、夫婦喧嘩に起こされちまったがな、ハハハ」
「なんだ、藤さんか。脅かさないでくださいよ」
「そうですよ。だいたい、私はこんなやつと夫婦になった覚えはありません!」
 秋奈が最後の部分だけ強く主張する。それがしゃくにさわり、またも口論になる。そして、それを見て大笑いしている藤さん。
 藤さんは、本名:藤村貴文。強行犯課のベテランで、俺たち新人の面倒を一番見てくれる優しい人だ。50を超える年配ながら、今でもここ・強行犯課の最前線で日夜凶暴な犯人と闘っている。司の憧れの刑事だ。
「喧嘩するほど何とやら、てな。まあ、もうすぐみんな来るだろうから、そしたらミーティングな」
「はい!」
 司と秋奈が声を合わせて敬礼した。それから三人で、インスタントラーメンの朝食を摂った。午前七時を回った所だった。


道路を歩く。東京では考えられない程、車の往来の少ない道路の端を。僕は歩く。
服は着た。無意識の内に体が服を着ようとしていた。いや、もともと意識があったかも分からない。
虚ろな目、どこを見つめるわけでもない。
ただ歩く。目的などは無かった…・・


 午前七時半。強行犯課の刑事全員が集まった。個々の談笑も程々に、強行犯課・課長の話が始まった。
「――皆、疑問に思っているだろう。なぜ、強行犯課が緊急召集を受けたか…・まだ事件も起きてないのに、な。今回は強行犯というより、強行犯事件に陥る危険性がある、と言ったほうがいいだろう」
 この言葉に、課の人間全員がざわめいた。本来強行犯課は、その犯人が実際に事件を起こしてから呼び出される。しかし、今回は犯人が強行に出てはいなかったのだ。
「予告文か何かですか?課長。――なんにせよ、我々は強行犯にしか対応しません。そういう仕事は、刑事課に廻されるはずでしょう?」
「普通はそうだ。しかし、今の刑事課は先月に起きた監禁殺害事件の犯人を追っていて、人手が無いんだ。それに、事件現場に行ってみたんだが、確かに強行事件になりえるかもしれん、そう思う。それを踏まえて、上のほうから直々に命令が出た」
 またも全員がざわめいた。よほどのことが無い限り、強行犯課は刑事課の持て余したり、犯人をとり逃がしたりした事件に対応する。それが今回は直に強行犯課に廻ってきたのだ。それにはちゃんとした理由があるのだろう。
 全員のざわめきが止み、ふと藤さんが口を開いた。
「いいじゃねぇか。刑事課でもできねぇ仕事だ、俺たち以外に誰が解決するんだ?」
 藤さんの一言で全員の顔が明るくなり、かちりと思考が一致した。
「そうだ!俺たち以外にゃあ、解決できる奴はいねぇ」
「やってやりましょう!」
 全員が口々に気合いの言葉を述べた。そして、困惑の場を一瞬で活気付かせた藤さんの言葉に、何より感銘を受けたのは司だった。その脅威の影響力に、さらに司は尊敬の念が強くなった。司がぐっと拳を握り締めた時、ふいに肩に手を置かれた。
「ね、司。やってやろ?私たちだって、強行犯課の刑事でしょ?」
「…ああ、やってやるぞ。俺たちも」
 司と秋奈は互いに向き合い、右手同士でハイタッチをした。なんだかんだ言って、この二人は何かとウマが合った。普段コミュニケーション(?)をとっているだけあって、一度団結すると誰よりも強い二人だった。
 二人が決意を新たにしていると、二人を取り巻く全方位から視線を感じた。
「若夫婦よ……仲良くするのはいいが、人目ははばかってくれよ」
 藤さんの一言。その場がどっと笑いに包まれた。二人は顔を真っ赤にして、慌ててそっぽを向く。事件調査前とは思えない、それほど平和な空気だった。

この時は誰も思ってはいなかった。この事件が強行犯課や大勢の人たちの、忘れられない事件になるとは。

「ミーティングは以上だ。全員、現場に向かってくれ!」
「はいっ!」
 全員わき見も振らずに出て行った。我先にと警視庁の建物を走りぬけた。午前八時半・五分前の出来事だった。



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――ここは…・・どこ?

……随分……にぎやかな所…みたい…・

ただ…・歩いていただけ……・

…・目の前の人たちは…・・一体・・?

「おいっ!聞いてんのか?てめぇ!」
「肩ぶつかっといて謝りもなし!少し無礼なんじゃないの?なぁ」

何なんだろう…・・僕を睨みつけてくる…・彼らは…・・だれ?

知らない……・・知らない――
知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない……・知らない

「とりあえず、路地裏こいや。オハナシしようや?」

……腕をつかまれてる………連れて行かれてる…・・どこへ?

…………暗い所へ…連れて行かれた…・・


また、気づいたら二人は倒れてた。辺りに鉄のような匂いが充満してた―――。



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>>>>>第二章:笑顔と震撼
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 東京都内・某所。高層マンションの一室の前には、強行犯課が刑事課から借りてきた(KEEP OUT)と印刷された通行止め用のテープが張り巡らされ、室内や部屋のドアの辺りには強行犯課の刑事が数人、たった一人の刑事課所属の鑑識の指示のもと、室内の指紋の採取や各部屋の写真を撮っていた。人手が足りなく、刑事課の方でも検討してよこしたのがたった一人だった。慣れない作業に戸惑い、指紋採取用のアルミニウム紛をこぼした。
 午前八時五分という時間にそぐわず、人でごった返していた。その理由は、今朝早くに人が死んでいると通報があったからだ。
 強行犯課の藤さんは、現場の寝室を見渡して苦悶の表情を浮かべていた。
「う〜ん…この仏さんはおかしいな…・」
 いつになく暗い表情でぶつぶつと唸っていると、別の部屋から声がした。
「藤さん、分かりましたよ。被害者の身元が分かりました」
「ん?おお、真下。んで、誰なんだ?」
 寝室に入ってきたのは、今年強行犯課に配属された真下司巡査だった。部屋に入ってくるまではよかったが、その部屋のベッドが目に入った瞬間、司は目をそむけた。
「う、うわぁ!ひ、被害者…裸じゃないですか」
 司は少し動揺した。いくら死人とはいえ、その被害者はまだ若く、シーツがはだけて上半身があらわになっていたのだ。突然目に入ってきた光景の刺激の強さと、司の男としての理性が目をそむけさせた。顔が少し赤い。
「ああ…・・情けねぇな、真下。それに仏さんに失礼だ」
「あ、す、すいません。…被害者の身元が分かったんですよ」
「ああ、教えてくれ」
 そう言われると、司は胸ポケットから茶色の手帳を取り出し、事細かに文が書かれたページを開いた。
「え〜、被害者の名前は三村美久、16歳。ここの住人ではなく、随分離れた所に実家があるそうです。被害者は三ヶ月前に父親と口論になり、家出。それからはこの町の繁華街で、度々無関係な男と金を引き換えに売春していたようです。おそらく、ここの住人もこの被害者と売春していたのでは?」
「…・つまり、一緒に寝たはいいが口論か何かになり、それでここの住人が勢いあまって殺した。お前が言いたいのは、こういうことか?」
 司の話を聞くなり、藤さんは司に冷たい目を向けて問い掛けた。その目にも驚いたが、自分の推理をぴしゃりと見透かされたことに動揺が隠せず、司はどもってしまった。
「……別にお前を責めてるわけじゃない。ただ、安直な考えでこの事件を片付ける気なら、その考えは捨てとけ。――なんとなく、この事件は嫌な予感がする」
 被害者の方を向き、黙り込む藤さんに司は少しおののいた。自分も被害者の方を見る。しかし、その際には視野を狭めて顔以外は映らないよう心がける。
「…・・ぱっと見の死因は首を締められての絞殺、のように見えるがな。被害者の首、よく見てみろ」
 藤さんが被害者の首の辺りを指差す。それを見て、司がゆっくりと被害者の顔から首にかけて覗き込む。しかしすぐにその異様さに気付き、ぱっと顔を離す。そして、藤さんと顔を見合わせる。
「藤さん……これって…」
「ああ、締められたんじゃねぇ。握りつぶされてるんだ。ぱっと見じゃあ気付かんだろうが、よく見れば首が少しおかしな方に歪んでるのが分かる。……だいたい、一番おかしいのは死因じゃねぇ、これが人間によってできるか、てことだ」
 確かに、被害者の首には手の形のアザがあった。出血もないし、凶器も見当たらない。明らかに絞殺死に見えるが、その首は手の形のアザに沿って歪んでおり、骨が砕けてずれているのか、首の皮膚がごつごつと凹凸をつくっていた。
「こんなの…・どんな怪力の持ち主でも、人間にできるもんじゃありませんよ!――じゃあ、一体?」
 二人とも、この事件の異様さに黙り込んでしまった。まだ情報が少なすぎて、何も見えてこない。一末の不安にかられる。
「強行犯の事件でもそうだ。犯人が殺しちまった仏さんには、必ず犯人の意志が表れる。怨恨・性欲からのトリップ・制御できない恐怖・その場の怒り、どんな感情でも表れるもんだ。だが…・・この仏さんからは、犯人の意志が伝わってこねぇ」
 藤さんの力説を一語一句聞き逃さないように聞く司。その藤さんの言葉や表情からも聞き取れるのは、困惑という状況だった。
 数分間たったくらいか、思案を巡らせていた二人の空間に甲高い声が響いた。
「藤先輩!分かりました、ここの住人のこ…と・・」
 その声の持ち主は秋奈だった。秋奈もまた、この部屋の光景に圧倒されて、出かかった言葉を飲み込んでしまった。
「おう、深津。聞こうか?」
「あ…・はい。ここの住人の名前は高橋幸児、18歳。都内の公立高校に通う高校3年生です。この部屋は5年前に高橋幸児の母・香苗が購入して引っ越してきたそうです。元は普通の御家庭だったらしく、高橋と父親と母親、付近の中学校に通っていた妹さんがいたそうです。でも、今年の夏初旬に父親が痴漢容疑で逮捕されて会社をクビにされ、母親はパートの疲労とそのことのショックで倒れて入院。その直後、父親が警察の取調べ中に舌を噛み自殺、妹さんがトラックとの正面衝突事故で死亡。さらにそのショックからか、母親が心不全で死亡。これらの出来事が三週間前までに立て続けに起こっていて、今は一人暮らしをしているそうです」
 説明の後半のほうは、まるで連鎖反応のように家族が亡くなる出来事ばかりだった。あまりに悲惨な身上に、司は言葉を失った。しかし、藤さんは一回うなずき、
「ああ、わかった。んで、その高橋幸児は今どこへ?」
「それが、母親が死んだ三週間前から学校にも行っていないみたいで、連絡も取れなくなってます。ただ、数回この部屋を出入りしていたのを近所の人が目撃しています」
「はあ…ん。よし、深津も真下もありがとな。あとは臨時の鑑識が結果を出すまで、さらに聞き込みで情報を集めてくれ。俺も近辺をあたってみる」
「はいっ!」
 司と秋奈は揃えて敬礼した。しかし、司の内心は平静さを失っていた。あの凄惨な内容を、冷静な表情でさらさらと言う秋奈と、それを眉一つ動かさず聞いている藤さん。その二人と、その内容を聞いているだけで冷静さを欠き、必死に感情を押さえている自分の心の弱さを比較すると、自分が情けなくなってきたのだ。
 ゆっくりと敬礼の手を降ろすと、藤さんが秋奈に声をかけた。
「ご苦労だったな、深津。あれだけ悲惨な内容を、よく我慢して説明してくれた。お前たちは少し休んでいいぞ。初めての現場は少し堪えたろう?精神を落ち着かせとけよ」
「あ…はい、ありがとうございます。先輩」
「………・」
 自分は気付かなかった。秋奈は冷静な表情を装っていたが、実は聞き込みの時点で相当まいっていたのだ。それでも我慢して、俺たちに伝えてくれた。藤さんは、そんな秋奈の精神的な負担を察し、優しく声をかけてくれた。
 ますます自分が情けなくなってきた。司は自虐的になりながらも、藤さんの洞察力と心遣いに尊敬と感謝の念を強くした。もっと強くあろうと、心に刻み込んだ。
「…・ねえ、司。あの被害者の娘って、高橋の知り合い?」
「いや、違う。こことは離れた所に住んでたみたいだ。家出して、ここらへんで売春して金を稼いでいたらしい。おそらく、高橋とも…・」
 秋奈はそれを聞いて顔をしかめた。少し唸った後、顔を上げて司に言った。
「ねえ、外部の人間の犯行じゃない?高橋がここ最近出入りしてた、ていう証言は無いの。もし外部犯なら、高橋とその娘が…・その……寝てたら、外部犯が押し入ってきて高橋とその娘を殺害。高橋の遺体をどこかへ運んで遺棄して…」
「いや、無理だ。第一に高橋とその娘が寝てた、ていう証拠は解剖しなきゃ分からんし、証明できても外部犯じゃ範囲が広すぎる。断定できないだろ?」
 秋奈の意見を、司はすっぱり否定した。秋奈の意見は機転はよかったが、証明のしにくさと突飛な発想が意見の力を弱めていた。そして何より、あの光景が司を悩ませていたのだ。
「……・被害者の首、見てみろ。おかしい点があるだろ?」
「え?…・・ちょ、ちょっとこれ。首が曲がってない?」
「それだけじゃない。首が締められても、折られてもない、握りつぶされてるんだ。そんな芸当ができる人間がいるか?」
 秋奈はまたも顔をしかめた。しかし、すぐに顔を上げて、
「外部犯は怪力の持ち主だった!」
「……・・まじめに考えろよ」
 自信たっぷりで秋奈は言った。だが、その自信がかえってその突飛な発想をさらにあおり、ふざけているのかと思わせてしまっている。もちろん、本人は大真面目に言ったのだ。それを聞いた司は、一瞬言葉が出なかった。
「う〜ん…じゃあ!」
「もういい!お前の意見はあてにならん」
「な、なによ〜。これでも真面目に言ってるのよ」
 司は秋奈の話を中断した。もうこれ以上聞きたくなくなった。秋奈はぷうっと頬を膨らませ、司に愚痴をこぼしている。
「さて、これ以上休んでたら藤さんに悪い。俺たちもいくぜ?」
「うん。さあて、頑張らなくちゃ!」
 そう言い、司が右手を軽く上げた。それを見て秋奈も右手を上げ、ハイタッチをした。互いに向き合い、にっこりと微笑む。
 そして二人とも寝室を後にした。午前九時四十分へ差しかかろうとしていた時だった。


――…・また、歩き出した……どこへ?

分からない………・分からない…………

…・体じゅうに…・・鉄の匂いがする……

……・体が………・ぬるぬるする……・・

…・・あの二人は…・だれ?

分からない…・・分からない……



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――……・まだ……・歩いてた…………どこへ?

………分からない……・・ないのかも…知れない……・

……ぬるぬるが…・・固まった………みたい…・・ぱりぱりに……・・なった……・

……………気持ち悪い……なんで?

………分からない………でも…気持ち悪い……・・

……・にぎやかな所……はなれたみたい…・・静かに…・なった……・・

……横を…・くるまが………・走ってる………なんで?

…………・分からない…・・少し…・・うるさい………・

…でも…………・・歩く…………・・歩く………・・


僕の意識は、だんだん無くなってきたのかもしれない。僕の中で、何かが唸っていた。

僕はどこに行くのだろう……・これが僕の、最後の叫びにならないことを願う。



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第三章:曇り・後・晴れ
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 東京都、本日の天気・曇り。ただでさえ暑いのに、曇りで湿度が上がり、東京都民を燻製にしようとしていた。サラリーマンは手持ちのハンカチで汗をぬぐい、絶えず東京中を歩き廻っている。そんな苦労にもかかわらず、多くの人たちは建物内へ逃げ込み、人口の涼しさを堪能していた。何とも罪悪感をくすぐられる情景だ。
 警視庁・強行犯課もまた、倒れそうな暑さの中、必死に事件の調査をしていた。死体を調べる前に、自分たちが死体になりそうだった。正午三十分前にもなると、気温も湿度もピ−クに達する時間帯だ。全員、気力だけで暑さに耐えていた。
 強行犯課の真下司も、うだるような暑さに体力を削られていった。近くの自動販売機で買ったコーラを片手に、聞き込みで廻った家の件数を数えていた。
「あ゛〜!結局、高橋幸児の情報は何も手に入らなかったし、聞くのはいい評判ばかりじゃないか!こんなんじゃ何の解決にもつながらねぇ…・」



 秋奈と別れ、司は高橋幸児の評判や情報を集める事にした。やはり、聞くならば一番近くの住人が最適と思い、高橋の右隣の部屋に直行した。
 流石に知らない人の家をいきなり訪ねる経験が無かったため、少し緊張した。ひとまず、手持ちのハンカチで汗をぬぐい、一度深呼吸してからチャイムを押す。
「――すみません。警察の者ですが、少しお聞きしたい事が…・」
 司が言い切る前に、ドアが開いた。開いたドアからひょっこりと顔をだした女性は、外の様子を見渡した後、司を凝視して言った。
「お隣の幸児君のこと?何かあったの?」
「えっ、ああ、その…・高橋幸児さんについて、何かお知りになりませんか?」
 そう聞くと、少し眉をしかめて左隣の部屋を見つめる。すでにその部屋は強行犯課の人間に検挙された状態で、ドアの前には大量の(KEEP OUT)のテープが張り巡らされていた。
「…・・あの子は本当に苦労人よ。短い間に親御さんや仲の良かった妹さんも亡くされてねぇ…・・かわいそうに。それでも笑顔で挨拶してくれるんですよ、こんにちは・って。本当に……神様は酷な事するわよねぇ」
 話を聞く限り、悪い評判はないようだ。しかし話の後半から、半ば涙声で話していた。それを聞いて、何かいたたまれない気持ちにかられた。司が声を掛けようとしたが、その女性は涙をぬぐいながら話を続けた。
「あの子、近頃はアルバイトしてたみたいよ。親戚の人も、誰一人幸児君を引き取ろうとしなかったのよ。ひどいわよねぇ…・・それでも、アルバイトして暮らしていきます・って………笑顔で……言って………・・」
「…………・・」
 ついには泣き出してしまった。司は掛ける言葉もなかった。まるで自分が泣かせてしまったみたいで、さらにいたたまれない気持ちに取り巻かれた。暑さのせいの汗と、妙な冷や汗が同時に噴き出してきた。
「あ……・あと、高橋幸児が近頃どこで寝泊まりしてたか分かりますか?」
「……・・ぐすっ……あ、ごめんなさいね。ええっと、近頃は見かけてないわねぇ。朝も学校に行ってるのは見てないし、夜も近頃は電気がついてなかったわねぇ。いつも私が主人を仕事に送り出す時間と幸児君が学校に行く時間が一緒でね、前は元気に挨拶してくれたのよ。でも近頃は見てないわねぇ…」
 司はその話を、要点をまとめて手帳に書きながら聞いた。しかし、この情報から得られるのは、高橋幸児があの部屋に帰ってきていないという情報だけだった。しかもこれは、先ほど秋奈が集めてきた情報の中にもあったので、あまり意味はなかった。結局得たのは、高橋幸児のとても良い評判だけだった。
「…・・はい、ありがとうございまし…」
「あ、ちょっと待って。もし幸児君に何かあったなら、あの子を助けてあげて!あの子は救われるべきなのよ、お願いしますね」
「あ…はい、必ず。捜査にご協力いただき、ありがとうございました」
 女性の必死の頼みに、司は力強くうなずいた。そして、暑さを吹き飛ばすように敬礼した。
 ドアを閉める直前も、女性はさらに念押ししてきた。その行動や先ほどの証言から、高橋幸児はよほど良い人だったらしい。司は敬礼を解いた直後に、手帳にまとめた証言を見た。
「…・待てよ、これって何か収穫あったか?」
 司はしばらくその場に立ち尽くした。話の途中から溜まっていた汗が一編に出てきたようだった。



 こうして、結局何の情報もないまま17件近所の部屋を廻った。得たのは相変わらず高橋幸児の良い評判ばかり。マンションの一階のベンチに座り、暑さで急激にぬるくなったコーラを飲み干す。
 高橋幸児の部屋は6階の12部屋の内の一番左端の部屋番号601。11部屋すべてを廻るのはそれなりの労働だった。しかも聞くたびにいつもの好評が出てくるので、後半になってやめようかと思ったりした。しかし、それよりショックだったのは、(警察の者ですが)の単語を出したにもかかわらず、新聞の勧誘やら借金取りやらに間違われることだった。
 思わず深いため息を吐き、持っていたコーラの空き缶をぺこんとへこました。これでは藤さんや秋奈に合わせる顔がない。きっとあの二人の事だ、重要な手がかりを手に入れていることに違いない。後ろめたいこと、この上ない。
 そんなことを考えている時、司の携帯のバイブレーションがポケットの中で低重音を発した。マナーモードにしては結構な低重音で、あまり意味がないようにも思える。司はポケットから携帯を取り出し、手首のスナップで開いた。画面の表示は、メールではなく着信だった。番号を見るなり、慌てて通話ボタンを押す。
「あ、すいません藤さん。取り出すのに手間取りました」
 電話の相手は藤さんだった。とっさに応答に遅れた嘘をつく。
「ああ、気にするな。それより真下、今空いてるか?」
「はい、聞き込みもひと段落つきましたけど…・何か?」
「じゃあ急いでマンションの下まで行ってくれ。駐車場にいる深津と合流して、マンションから南に向かった商店街に来てくれ。事件が起こった」
 司は目を見開いた。この付近での連続した事件の勃発、電話先の藤さんの焦り様から、その事件が普通の事件ではないことが想像ついた。携帯を握る手に力がこもる。
「はい!分かりました、すぐ向かいます」
 言い切ってすぐ通話を切った。携帯をポケットにしまうと、猛ダッシュで外の駐車場に走っていった。
 司は走りながら、自分の心の中で不安が膨れ上がるのを感じた。藤さんが言った通り、この事件は何かがあるようだ。しかし今はそんなことを考えている場合ではなかった。必死に膨れ上がる不安を抑え込み、走った。正午ジャストでの出来事だった。



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今、俺がいるこの状況は異常だった。それ以外に言葉が見つからない。

よくテレビ番組とかで「惨殺事件――」とかは聞いたことがある。でも、これは惨殺とか・そういう言葉で片付けるなんてできなかった。

場所は商店街の端にある立体駐車場のB1の空間。たくさんの車が止まっている中の、入り口に近い場所の軽自動車用のスペース。俺と秋奈が駆けつけたときにはもうすでに、例の(KEEP OUT)のテープが張り巡らされて、強行犯課の人間が選挙してた。

真っ先に俺は口と鼻を手で塞いだ。鉄に近い匂いが俺の鼻を貫通するように脳髄まで届いた。激しい吐き気が俺を襲い、腹に入れたコーラがのど元まで戻ってきた。秋奈は口に手を当てて、固まっている。

俺たち二人はテープをくぐれずに、テープの前でその凄惨な光景を見つめていた。それほどに、俺たち新米には刺激が強すぎた。

何も聞こえず、周りの先輩たちさえ目に入らなかった。ただ、その光景だけ見つめていた。



そこは、大量の血で染め上げられた三台分の駐車スペース

もはやスペースとは言えないまでに、血が天井にまで飛び散り、別の空間を作っていた

床は一点を中心に血が広がり、壁も大半が血で染まっていた

その一点には、体のすべてがぐしゃぐしゃに潰れ、人間としての原形をとどめていない赤に染まった肉塊が二つあった



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>>>>>第四章:叫び
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 俺は目を覚ました。しかし、目の前が真っ暗だった。それもそのはず、目を開けていないから光は伝わらない。この場合は、気がついた・と言うべきだろうか。石のように動かないまぶたを、無理矢理気力でこじ開ける。少し眩しさで目をすぼめるが、それでも開けようとした。目を開けた瞬間、そこは自分の部屋でもない、見知らぬ天井が広がった。
 体中がだるい。それでもベッドの上で上体を起こす。俺に掛けられていたシーツが剥がれ落ち、しわが刻まれたワイシャツとネクタイがあらわになる。ジャケットがないことには気付いたが、なぜかそれほど焦りはしなかった。ゆっくりと首を振り、周りを見渡してみる。
 白いシーツとマットのベッド、アイボリーカラーに塗られた骨組み。周りにはカーテンが掛かっており、どこか分からない。ベッドのすぐ横にある椅子には、司が着ていたスーツのジャケットが背もたれの部分に掛けられていた。
 頭が鉛のように重い。まさにこれのことだ、と思ったのは高校時代に発症したインフルエンザの時以来だった。あの時は、本当に死ぬのかと思うくらい苦しかった記憶がある。
 頭を振る。記憶をたどって、なぜここにいるかを思い出そうとする。
「…確か、事件があって…・マンションでの事件だ……・高橋…幸児……藤さんから電話があって……そうだ!商店街の事件だ…うっ」
 急激なめまいが襲った。先ほどまでベッドで寝ていたせいで、急な運動に脳と体がついていかない。頭を押さえて倒れそうになるのを堪える。一瞬だけ、高校時代の笑っていた自分が見えたことに恐怖する。どうやら相当まいっているらしい。渇いた苦笑いが出てきた。
 そんなことを考えていた、その時。不意に目の前の白いカーテンが開き、人が入ってきた。頭を押さえたまま、その方向を向く。
「おお、真下。目、覚めたか?……いきなり深津とお前が現場で倒れるから心配したぞ。年寄りの寿命は、縮めるもんじゃないぞ。ハハハ」
 現れたのは藤さんだった。藤さんは俺を気遣いながら、横にあった俺のジャケットの掛けてある椅子に座った。
「――すみません、藤さん。……迷惑をおかけして、本当…………」
 俺はとっさに下を向いた。自分への情けなさと、藤さんの優しさに涙が出てきたからだ。ぐっとシーツを握り締め、涙を堪えた。すると、藤さんが俺の肩を優しくさすって言った。
「すまないな、真下。俺も、あの光景はお前たちには見てほしくなかったんだ。俺でも失神しそうになったんだ、真下・ましてや深津なんかに見せたら倒れちまうんじゃないか、そう思ったんだがな……。人手が足りなくて、どうしてもお前たちに力を貸してほしかった。本当にすまなかった……」
 藤さんはそう、俺に優しく言った。それを聞いた瞬間、堪えていたものが一気に溢れ出して、俺の目頭を熱くした。ぽつぽつと、目から溢れる涙がシーツに染みを作っていく。俺は歯をかみ締めて、声が出ないようにした。それでも、涙は止まらなかった。自分の情けなさに、不甲斐なさに、これほど悔しい思いをしたことはなかった。心が震えるほど、自分の弱さを痛感した。と同時に、藤さんの言葉が俺の体中を駆け巡り、その言葉を刻んでいった。
「……………」
「まあ、ゆっくり休め。課長には俺から言って、少し休みをもらっといてやるから。一週間くらい、休んどけ」
 そう言って俺の肩をさするのを止め、椅子から立ち上がった。最後まで俺を気遣いながら、カーテンの方へ歩いていった。
 普段の俺ならば、(いえ、俺もすぐに行きます!)と言っている所だろう。しかし、今の俺ではただの足手まといもいい所だ。迷惑を掛けるのが怖かった。だから反論しなかった。それでも、自分の無力さをただ平然と見送ることも怖かった。そして、力がほしいと強く願った。藤さんに顔向けできる、恥じないほどの力がほしかった。
「……もう一度、もう一度だけ――」
 少し考えた。しかし、すぐに答えと決意は出た。
「すいません、藤さん。お言葉に甘えて、少し時間をいただきます。でも必ず……必ず強くなって戻ってきます。だから、少しだけ我がままをしてきます………」
 そう唱え、椅子に掛けてあったジャケットを手にとった。ベッドから立ち上がり、決意とともにジャケットを着た。靴を履き、カーテンに向かって歩く。今気付いたが、ここは警視庁内の保健室だった。幸い、誰もいない。きっと俺の我がままを言ったら、力づくでも止められるだろうから。
 ゆっくり出口に向かって歩いた。もう決意は固まっていた。ドアを開け、保健室を後にする。


「……バカ。何が、我がままをしてきます・よ。偉そうに………」
 保健室のドアが閉まるのを聞いて、ふと私は口を開いた。実は私は、司の隣のベッドにいたのだ。さっき先輩が来た時は寝たふりをしていたから、二人とも、私に気付かずに話していた。全部筒抜けなのに。
「…………いってらっしゃい、司」
 そう言って私は、先輩の言葉に甘えてもう少し眠らせてもらうことにした。


別々の道を歩き出した一つの意志。しかし、その意志だけはいつまでも一つだった。

午後五時四十三分、再び道が一つになるのは、今から十日後の出来事である………


2005/08/06(Sat)06:45:26 公開 / (笑)の人
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■作者からのメッセージ
どうも、お初の投稿です。HN:(笑)の人です(笑)
いきなり人が殺されるというショッキングな始まり方ですが、内容は濃密に書こうと思っております。どうか皆様、最初だけで見放さず、この未熟な若輩とこの作品を見守ってやってください。お願いします。
初投稿なので、まだまだ文章力も事足りません。皆様のアドバイス等もいただければ歓喜の極みです。どうぞよろしくお願いします。
クレーム等も、私は欲しいです。それが私のいけない所なのですから、それもバネに更なる精進をしていきたいです。
長々とすみません。それでは、執筆に戻ります。どうか楽しんでください(楽しむほどのページもありませんが…



更新いたしました。
ああ、早速感想をいただきました。ありがとうございます。歓喜の極みです。
しかもアドバイスまでいただいて…涙が溢れます、うぅ(涙)
これからもこの若輩、全身全霊で執筆していきます!どうかご期待ください(私が期待に押しつぶされない程度に…



再び更新しました。
喜びで昇天しそうです。見てくださった上に感想やアドバイスまでくださった方が四人も…(喜)
ありがとうございます!必ずや、ご期待に添えるよう頑張ります!この未熟な力を最大限に使って、皆様のアドバイスを活かしていきます(未熟ゆえ、もしも活かしきれていない時は私に喝を入れてください…

P、S:「…・」を三点通しなるものにする為には、どうすればよいのでしょうか?自分のパソコンでいくら変換してもこの点しか出てきません……どうしましょう(困)



更新しました。点の問題、解決いたしました。ありがとうございます。
皆様からいただいたアドバイスを活かすため、少し趣向を変えて、登場人物を主観において書いてみました。どうでしょう?うまく書けておりますか?
これから、あの殺人鬼の正体や、それに大きく関わった物語を書こうと思いっております。このスレは作り直しますが、「闇の向こうで…」は続けていくつもりです。皆様どうかこれからも見守っていてください。
では、執筆に戻ります。ごゆっくりと読み返していただければ、歓喜の極みです。

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等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。