『奥州童女伝奇 後編』 ... ジャンル:お笑い ファンタジー
作者:バニラダヌキ
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Act.3【妖変猫座敷】
はい、いちおくにせんまんぶんのもうどーでもいい人数のみなさん、こんにちはー。そして、さよーならー。
このお話は、これでおしまいでーす。
はい、みなさんがどんなに腑に落ちないお顔をなすっても、お話しのひとご自身が俺なに打ってんだろうRUSHキメたのまずかったかなあなどと錯乱しても、せんせいがおしまいにしますので、もう、誰がなんと言ってもおしまいでーす。
なんとなれば、せんせい、もうギャラなどいうハシタ金でこんなどーでもいー台本を読み続ける必要が、きれいさっぱりなくなってしまったからでーす。
はい、せんせい、これから懐に収まった京極夏彦さんの新書本なみにブ厚い札束を、思いっきしバラ撒きますので、もうみなさん、砂糖に群がる浅ましい人蟻のように、腐肉に群がる醜いハイエナのように、さもしく下賎に床を這いずり回り、お好きなだけお札を拾ってくださいね。ひざまずいて足をなめてくだすったよい子のかたには、札束ごとさしあげますよ。その札束で、ぺしぺしとほっぺたをなぶってさしあげますよ。
はい、それでは――――ほーら、金だぞー!!
………。
…………。
………………?
…………失礼いたしました。ちょっと、せんせい、週末のおデートに向けて夜毎明け方までお肌のお手入れや無駄毛の始末に追われているため、ちょっとクラクラしているようです。けしてRUSHをキメてしまったわけではありません。あるいは、よりよいオトシのためのイメージ・トレーニングが、ちょっとヤバい進度まで先行しすぎているのかもしれませんね。
はい、それでは、いちおくにせんまんのなかではとるにたらない頭数の、道端の雑草のようにけなげで無力なみなさん、こんにちはー。きちんとお顔は洗いましたかー? きちんと歯はみがきましたかー? 男の子は、きちんと無分別な朝○ちが治まりましたかー? 女の子のみなさんは、今朝もきちんとムダなお化粧品を浪費して、はかなく哀しい自己満足的錯覚に逃避しましたかー?
――あっ、なにをなさるんですか。ほんとにRUSHキメたりしてねえってばよう。すなおに台本読むからかんべんしてくれよ。あいつをオトしきるまでは、まだ日銭稼がなきゃなんねーんだからよう。
おいこら、はなせ、はなせってば。
★ ★
俺は百万人のろりに押しつぶされる夢を見ていた。
きゃあきゃあ笑いながら次々にのしかかってくる赤いランドセルのろりと、その重みに耐えきれず己の口からはみ出す臓物を、とても幸福にながめていた記憶もある。
しかしそのうち、夢の中でなんだか奇妙な女が騒いでいるのが聞こえ、俺は不覚にも目を醒ましてしまった。吉夢だったのか悪夢だったのか――子供の頃の冬休み、閉めきった部屋でプラモデルの塗装をしていて、シンナーに中毒《あた》ってしまった時のような気分だ。
障子の外の光は、もう橙色だった。昨日は早朝から、ゆうこちゃんを背負っての山歩きやら、たかちゃんに付き合っての行軍やら、朝までくにこちゃんを洗ってやるやら大騒ぎだったので、今日の昼間は、ずっと眠りっぱなしだったのだ。かえって寝疲れてしまい、頭が重い。頭だけではなく、腹まで重い。
まあもともとでかい中年腹なので、仰向けに寝ていると多少重いのは仕方がなく、いつの頃からか右を下にして寝るのが習慣になってしまい、ついには風呂などで己の狸腹をしげしげ見下ろすと、明らかに臍が右に寄り始めている有様だ。毎日風呂に入るごとにそうした悲愁に捕らわれるのはやっぱり辛いから、近頃極力仰向けに寝るようにしているのだが、そうすると、結局腹が重くて熟睡できない。
それにしても今朝、いや、今夕はやけに重いなあ、そう思ってふと胸元を覗くと、重いはずである。ショートカットのちっこい頭が顎の下に乗っていた。おお俺はなんと実際ろりの肉蒲団になっていたのだ、そう感動して思わずその頭を撫でてやろうとしたら、両腕も妙に重くて動かない。見れば右腕はたかちゃんのちょんちょん頭の、左腕はゆうこちゃんのお姫様頭の、それぞれ枕になっているのであった。完璧なハレム状態である。
完璧なのはいいとして、問題は自分の下半身で時間帯のずれた自己主張をしている馬鹿息子である。近頃中性脂肪の血中濃度が高く、早い話が糖尿気味なので、普段ならもう滅多に朝○ちなど無縁な俺だから、これは単なる疲れ○ラ、いわゆる徹夜マ○と同じ性質のものなのだろう。あくまでもセクシュアルな意味など微塵もなく、単純な種族維持本能の発露による、意思とは無縁の自律神経による悪戯だ。あるいは単に膀胱に溜まった尿に刺激された、前立腺あたりの罪のない悪戯だ。百万人のろりに押しつぶされながら、そのちっこいおなかぽんぽんやおしりの感覚などを夢の中で恍惚と愛でていたからでは、決してない。ないといったら、ないのである。お願いですからそーゆーことにして下さい。
幸い、腹の上のくにこちゃんは呑気な大の字状態でうつ伏せになっており、どこも馬鹿息子には接触していない。
とにかく降りかかる火の粉は払わねばならぬ。
「どっせい!」
俺は上半身を起こしかつ脚を組みながら、仲良し三人組をひと抱えにして、胡座《あぐら》の向こうに放り出した。
その瞬間、襖が開いて恵子さんが顔を出した。
「あらあら、ようやくお目覚めですね」
三人娘はてんでにぼよよんと起き上がり、「……ぱどん?」「……うっす」「……むにゅ」などとつぶやいている。俺の股間のテントは、パジャマの上着の裾になんとか隠れている。直近のくにこちゃんのあんな所やそんな所に、うっかり引っ掛けたりしなくて良かった。「これはなんだ?」などと聞かれた日には、クズエロゲーか成年コミック誌の穴埋め原稿か三文十八禁文庫かコミケの暗黒コーナー行きになってしまう。
「お早うございます!」
俺は店のパソコンでこっそり長い私用メールを送った直後突然ブロック長が巡回に来た時のように、純真なまなざしと活気あふれる声で挨拶した。
恵子さんはなんら疑惑の色もなく頬笑んでいる。
「もうすぐ夜ですよー。なんて、あたしもさっき起きたばかりですけど」
――危機一髪の目覚めであった。
「ぜんまいのくるみあえ、おいしーね」
「んむ、このしぜんのあまみと、そこはかとないエグみが、なんとも」
「……みどりのかおり」
献立はいかにも健康的な自然食ばかりであり、恵子さんも喜んでぱくついている。しかし一見鳥肉っぽい汁の具を噛んで、俺は直感した。これは青大将だ。いかん。そんな現実を知ってしまったら、恵子さんは恐らく悶絶してしまうに違いない。ことによったら、悶死してしまうかも知れない。
冷や汗をかきながら、それでも自分では結構美味く味わっていると、いや案外これは蛙かもしれない、そんな舌の記憶が蘇った。まあ蛇であれ蛙であれ、恐竜と同じで鳥の仲間である。肉食動物だが、それ自体の肉は淡白で美味い。幼時の動物性蛋白摂取に関しては、俺は密林の原住民と似たり寄ったりなのである。恐竜はまだ食った事がないが、蜥蜴も山椒魚も昆虫も常食していた。
例の玄関前広間で佐清状一家に並び、朝飯ならぬ晩飯を終える頃、あの家長らしい老人が訊いてきた。
「晩餉《ばんげ》が済みましたら、弟一家にお会いくださるまいか。主家のお怒りが解けたと知りましたら、きっと喜びましょう」
例の地下座敷牢に巣くう分家である。地上の各分家とは一通り挨拶を交わしたが、地べたの下はまだ見ていない。昔、俺が上でじたばた育っている間も、そこに謎の一族はしっかり暮らしていた訳で、やはりどんな居住空間なのか興味がある。
「行きましょう行きましょう」
老人に案内されて屋敷奥の納戸に向かう俺に、なぜかぞろぞろと、仲良し三人組も恵子さんもついて来た。
食後の果物に出されたびわの実をまるごと口に入れて、ときおり「もは」などと口を開いて見せびらかすたかちゃんは、あいかわらず何を考えているのか解らないが、つくづく面白かわいい。両手の指を組んでぽきぽき鳴らしているくにこちゃんに関しては、まあ「無益な殺生はしない」という感覚が近頃育ちつつあるようなので、それほど問題はないだろう。それよりも一見非力なゆうこちゃんのおしとやかなお嬢様歩きに、なにがなし秘めた力を感じたりしてしまう今日この頃、なにか俺の知らない内に少女たちは日々確実に成長しつつあり、いつのまにか「時〜が〜行け〜ば〜♪ 幼ない〜君〜も〜♪ おとな〜に〜なる〜と〜♪ 気付〜かな〜いま〜ま〜♪」などと、東京で見る最後のなごり雪を眺めながら、駅でひとり寂しく佇んでしまう日なども来てしまうのだろうなあ。そんな有様で孤独死を迎える前に、やはり恵子さんあたりをオトしておくのが、賢明な老後の備えかもしれない。実年齢はともかく見かけはきちんとろりっぽいのだし、この歳までろりっぽさを保てる女性なら、老いても少女の可憐さを保つのは可能ではなかろうか。そう、たとえば女優の八千草薫さんのように。あるいはタイプ違いだが、幼時に若大将シリーズを観ながら、ギャグっぽい婆ちゃんだけど昔はさぞ可愛くて色っぽかったに違いない、などと、厭なマセ餓鬼視線で密かに憧れていた飯田蝶子さんのように。
閑話休題。
廊下のどんづまりに、もう二十年以上も開けた記憶のない納戸が見えた。
老人に続いて中に入ると、黴臭い暗がりに、ごたごたと金目の物でないことだけは確かな古道具が詰まっていた。金目の物はすべて、両親が生前売り払ってしまったはずだ。
「この下でございます」
老人を手伝って、隅っこにあった長持をずらそうとする。何が入っているやらやたらに重く、大人二人の手でもなかなか動かない。
「これ、なーに」
たかちゃんがしげしげと、長持を睨め回している。
「ながもちだよ」
「ながもち。――ながい、おもち? 中、おもち?」
「お餅じゃなくて、えーと」
試しに長持の蓋を少々持ち上げて中を覗くと、中には黒紋付きの婆さんがふたり、座布団に座って仲良く茶を啜っていた。残念ながら二人とも、白塗りメイクの割にはちっとも可愛くない。むしろ冷蔵庫のミイラたちよりも不気味だった。
「……出番かのう、小竹さんや」
「……今回の辰弥さんはずいぶん肥えておるのう、小梅さんや」
俺は銀幕上の萩原健一でも高橋和也でもないし、モニター上の荻島真一や藤原竜也でもない。
この上話が八墓村の祟りに絡んだ連続殺人事件などにシフトしてしまったら、金田一探偵ならぬ俺の力量では収拾がつかなくなるのが目に見えているので、俺は何も見なかったことにして即座に蓋を落とした。「痛いのう、小竹さんや」「そうじゃのう、小梅さんや」などとぼやく声が聞こえたような気がしたが、きっと空耳だ。
「おもち、あった?」
「食おう、食おう」
止める間もなく、今度はたかちゃんとくにこちゃんが、協力して蓋を持ち上げてしまった。
「うんしょ」
「どすこい」
横のゆうこちゃんのみならず、爺さんや恵子さんまでしっかり中を覗いている。
ああ、また今後の展開がわやわやに――落胆しながら俺も中を覗くと、そこにはすでに双子のリリーズ、じゃない、婆さんはおらず、汚い石地蔵が八個、ごろごろと詰まっていた。
「……おじぞーさんの、おうち?」
八人の血まみれの落武者の生首などが、目を剥いていなくて良かった。俺は「お地蔵さんのおうちだねえ」とその場を取り繕いながら、しっかり蓋を閉めた。今度は「祟りじゃあ」と中から聞こえたような気がしたが、やっぱり空耳だ。しかし長持自体はかえってさっきより重量が増してしまい、押しても引いても動かない。やっぱり婆さんのペアよりは、石地蔵のほうが重いのだろう。
見かねたくにこちゃんが「よ」と足の裏で押すと、それはまるで空の段ボール箱のように、あっさり床を滑った。やはりこの子には、常に優しくあらねばならない。絶対敵に回してはいけない。
長持の下になっていた、一見ただの汚い床板には、どうやら指掛かりらしい小さな金具があった。
地下牢などと言うからもっと陰惨で黴臭いものかと思っていたら、少なくとも階段はやたらに長い以外、ごく普通の古い木造家屋と変わりなかった。ちゃんと裸電球も点いている。
それでも平成二桁生まれの三人組には物珍しいのだろう、
「わくわく」
「でてこい、大へび」
「びくびく」
などと、それぞれ探検気分を楽しんでいるようだ。
恵子さんはさすが拍子抜けしているだろうと思いきや、階段を下る途中で俺の腕にすがりついて来た。
「……邪悪な波動を感じます」
ゆうこちゃんよりも怯えた顔をしている。
今までの経緯から思えば、恵子さんお抱えの背後霊の力はあんまし信用できない。半ボケのミイラで腰を抜かす程度らしいから、仮に丸ボケのミイラたちが寝たきり状態になっていたとしても、邪悪な波動くらいは感じそうだ。まあ、すがりついてくれるその胸のふくらみが薄いなりにとてもふにふにと柔らかいとか、あ、このくりくりした感触はもしや緊張で乳首が立ってるのでは、などと余得が満載なので、邪悪な波動も大歓迎である。
やがて階段の下に、やっぱりなんて事はない、座敷の畳が見えて来た。
しかし先導する佐清状老人は、その座敷を覗くなり、石地蔵のように硬直して呟いた。
「……こ、これは如何に」
十二畳ほどの広い座敷に、なにやら馬鹿でかい四つ足の生物が、数頭徘徊している。
これは虎か、豹か、あるいは獰猛なピューマか――思わず身構える俺のあっちこっちに、恵子さんの乳首やらたかちゃんのびわやらゆうこちゃんのおなかぽんぽんやらが、すりすりして来る。俺は思わず「この子たちは、私の命だ!」などと、『聖職の碑』の鶴田浩二さんのように見得を切りたくなったが、くにこちゃんだけは微塵も臆さず、闘志の塊と化して先頭に躍り出た。
「おうし! しょうぶだ!」
俺は泡を食ってくにこちゃんに飛びつき、胸に抱えこんだ。さすがに猫科の猛獣の牙や爪は、この超強化ろりでもヤバかろうと思われたのである。
数頭の獣は一斉にこちらに顔を向け、牙を露わにして咆吼した。
「なーご」
……いや、心底脱力してしまうような声を上げた。
虎縞や黒毛皮や斑《ぶち》の巨大な体躯は、一見確かに猛獣なのだが、どうも猫科生物と言うより、猫そのものの体型らしいのである。
唖然として立ちすくんでいると、巨大な猫の群れは猫が餌をねだる時のように――猫なのだから当然と言えば当然なのだが――群れを成してすりすり攻撃をかまして来た。
「なーお、なーお」
たちまちの内に、俺たちはひと塊状態をバラされて、それぞれの猫たちに押し倒されてしまった。
「なおおおん」
あくまでも俺たちを食おうとしているのではなく、単に「なんかくれ」とねだっているだけらしいのだが、さすがに体重差の壁は厚い。あの強力くにこちゃんですら、黒猫にべったりと組み敷かれて顔をなめられながら、「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」などとのたうち回っている。他のメンバーは推して知るべし、である。まあ念のため説明しておくと、恵子さんは予想どおり軟弱な背後霊に見放されて、斑《ぶち》猫に後背位でのしかかられ色っぽくひんひん泣いているし、ゆうこちゃんは猫から見ても甘くて美味そうに見えるのか、そのお嬢様巻き毛頭を半分あんぐりと白猫に愛咬されてしまい、今にもお漏らししてしまいそうに恐怖に喘いでいる。たかちゃんなどはもはや虎縞の下から覗く四肢をひくひくと震わせているだけで、「ぎぶ、ぎぶ」と呟く声から、かろうじてその生存が確認できる程度だ。俺がなんとかしてやらねばと気をもんでも、俺自身三毛の下敷きになって二の腕をはぐはぐと味見されているのだから、いかんともしがたい。いかにも不味そうな老人だけは無事のようだが、ただ右往左往するだけでなんの頼りにもならない。
このまま猫の唾液にまみれて圧死してしまうのか――そう覚悟したとき、たかちゃんが虎縞の鼻先に、何やら突き出した。
「たべる?」
猫というものは、びわの実を食うだろうか。
まあ食うかどうかはともかく、鼻先に何か突き出された猫というものは、とりあえず匂いを嗅いでみる習性がある。
虎縞がひくひくとその果実を確認しているうちに、たかちゃんはくるりとその腹の下から脱出し、果敢にも虎縞の首筋を絡め取って、と言うより首筋にぶら下がって、必殺の決め技を仕掛けた。
「こちょこちょこちょこちょ」
「ごろにゃん」
対戦相手の弱点を熟知した、見事な反撃だった。
たかちゃんの反撃を参考に、ものの数分で、俺たちは全ての化け猫たちに勝利していた。
恵子さんは膝に乗った斑猫の頭の重さに往生しているが、猫のほうは気持ちよさげに尻尾をぱたりぱたりと揺らしているから、もう問題ない。ゆうこちゃんは丸くなった白猫の真ん中に巻かれるようにして、その顎の内側を掻いてごろごろ言わせながら、慈母のごとき微笑を浮かべている。たかちゃんとくにこちゃんはそれぞれ虎縞と黒にまたがり、
「どうどう」
「おーし、かみころせ!」
などと戦闘訓練を繰り広げているが、猫同士はあくまでも爪を立てない猫パンチでじゃれ合っているだけだから、これも別に問題ないだろう。
俺は三毛の玩具になってころころと転がされながら、老人に訊ねた。
「これはやっぱり、生き延びるための家畜ですか?」
猫は不味いのでどこぞの国でも犬ほど好まれないと、聞いたことがある。日本の戦中戦後の食糧難時代でも、煮られたり揚げられたりしたのはほとんど犬らしい。もっともどこぞの国では、今でも猫を精力食として生きたまま熱湯に放り込んでしまうらしいから、食って食えないことはなさそうだ。
「いや、猫肉は、あまりに臭きゆえ」
やっぱり。
「……このような異形の物は、先頃までは居らなかったはず。そもそも、弟一家は何処へ」
老人は不安げに、座敷の奥の襖を見返った。
「奥の間にいるのでは?」
なおも懐いてくる三毛に転がされ続けながら訊ねると、老人はますます顔をしかめた。
「いや、奥はただ三畳の仏間のはず」
十人以上いると聞いたから、三畳に籠もるのは難儀そうだ。
「……行きましょう」
俺は三毛の巨大な肉球を牽制しながら、思い切って言った。老人も険しい顔でうなずいた。
意を決して奥に向かう俺たちに、恵子さんやゆうこちゃんはそれぞれの猫を従え、たかちゃんやくにこちゃんは背中にまたがったまんま、ぞろぞろと付いてくる。俺の三毛もよほど懐いてくれたのか、隙あらば転がそうと付いてくる。
恐る恐る襖を引いた老人は、その仏間を覗くなり、また石地蔵のように硬直して呟いた。
「……こ、これは如何に」
爺さんちょっとワン・パターン、と思いながら俺も奥を覗き込んで、あ、こりゃ展開そのものがすげー類型的かも、と嘆息した。
古臭い仏壇は材木の山と化し、崩れた壁の向こうに、奥深い洞窟が覗いていたのである。
仏壇の残骸から掘り出した燭台を手に恐る恐る進んで行くと、洞窟は果てしなく続いていた。
もっとも本当に果てしがなかったら、地べたの下ゆえ地球を一周しようが螺旋状に永遠にさまよおうが地球の体積ぶん続くわけだから、あくまでもそんな気がしたというだけのことだ。
途中でなにか奇妙な白い花の咲き乱れているところなどもあり、恵子さんは「あら、月下美人にそっくり」などと喜んでいたが、いきなり横穴から「えっほ、えっほ」と戸板を担いだ一群が駆け出して来て、仰天した恵子さんはまた俺の腕にしがみついた。このつんつんしたキショクのいい刺激は、やっぱり乳首に違いない。
そのいかにも時代劇風な一群は、俺たちに松明を向けてちょっと首をひねったが、どうやら見なかったことにすると決めたらしく、反対の横道にまた駆け込んで行った。俺は並んで歩く老人に目線で訊ねてみたが、老人も知らない連中だったようだ。どうやらこの洞窟は、横溝正史ワールドだけでなく、やたらあっちこっちの趣向に繋がっているらしい。通り過ぎる戸板の上にはなにやら航空兵らしい軍服の男がうんうん唸っており、それにすがって絶世の美女なども小走りに駆けていた。
その色白の美女があまりにも浮世離れしていたので、俺はかえって浮気心を起こさず、本筋を追う気になった。その美女がもしろりっぽかったら、どうしていたか自信はないが。猫たちも「なんもくれないならねぐらに帰ろーよ」、そんな感じで先を目指している。
やがて行く手の足元が、かなり急勾配で下り始めた。用心して歩を進めても、足場を誤ると、それっきり転がり落ちるかやけくそで駆け下りるか、あるいは斜面に背中でへばりついてずりずりと滑り下りるか、そんな坂だ。体型が球体に近い俺などは、うっかりしたら間違いなく引力に任せて転がり落ちるだろう。
けしてウケを狙ったわけではないのだが、案の定、俺は足場を誤って、ごろごろと転がり始めた。
「あだだだだだだ」
俺ばかりがドジなのではないらしく、他の一行も勾配に負けてやけくそに走り始めた。しかし、たかちゃんやくにこちゃんのまたがる猫たちは、さすがに猫科生物らしく敏捷に駆ける。その首っ玉にかじりついたたかちゃんたちは、「きゃはははははは」「わはははははは」などと、大はしゃぎである。そのうちゆうこちゃんや恵子さんまで、それぞれの猫にまたがったりしがみついたり、なんとか無事に駆けている。しかし俺の三毛は転がり続ける俺など意に介さず、たかちゃんの虎縞を先頭とした猫の一群を追い掛け、さっさと先に下って行ってしまう。ろりと女性が無事に越したことはないが、なんだか悔しい。爺さんだけは足腰が弱いし猫もいないので俺の仲間になって転がってくれると思ったら、なんと和服の裾をからげ越中褌《ふんどし》をはためかせながら、「よ」「は」「と」などと、自力で豪快に先を駈け降りて行くではないか。
「あだだだだだだだだ」
「きゃはははははははは」
「よ、は、と」
俺はぼろ屑のようになって、地の底に向かい転がり続けた。
ようやく地べたが平らになってくれたらしく、俺はごろごろと弾みでしばらく転がり続けた後、目眩をこらえて半身を起こした。
……大伽藍。
なんと地の底に、見渡す限りの石窟が広がっている。
その天井にはあちこちに直径数メートルほどの明かり取りらしい穴が穿たれており、星空が覗き、その下の地面には『このあたり雨漏り注意』などという看板の立った縄囲いがあった。夜のことゆえ沢山の穴も明かり取りの役目は果たしていないが、地べたのあちこちに揺らめいているかがり火で、なんとか全貌が見渡せた。
そこはどうやら地底の牧場地帯らしく、あちこちで無数の巨大猫たちが昼寝しあるいはうろつき回り、牧舎らしい小屋なども点在していた。小屋と言っても山の観光牧場で見かけるような、洋風で小綺麗な建物である。前庭にはのどかに洗濯物なども揺れており、庭はずれには、どでかい餌皿らしい物がいくつも並んでいる。
そして遙か彼方の岩壁、つまり石窟のどんづまりには、巨大な石像が聳えていた。真下に特大のかがり火が焚かれているらしく、ちらちら明滅しているそれは一見石仏かとも思えたが、目をこらせば、どうやら岩壁に巨大な招き猫が彫られているようだった。
「だいじょーぶ?」
「しんだか?」
「おろおろおろ」
猫から下りた仲良し三人組それぞれの嬉しい声に励まされ、さらに恵子さんのありがたい助勢を受けて立ち上がった俺は、とたんに三毛の肉球で突き転がされた。
「あう」
起きあがるたんびに、ぺし、と巨大な猫パンチが左右から襲ってくる。
「あうあう」
「あらまあ、すっかり仲良しさんですねえ」
恵子さんはあまり猫に親しくないらしく安心して笑っている。しかし俺は、自分の甘さを痛感していた。
この三毛は俺に懐いているのではない。この扱いは、明らかに俺が子供時代、上の家に出入りしていた野良猫がどこからか鼠や蜥蜴などを咥えて来て、「ほら、獲物だよ。見て見て」と見せびらかした時に似ている。ぽとりと床に転がされた鼠や蜥蜴は、まだたいがい仮死状態で、ぴく、などと震えた後、慌てて逃げだそうとする。そこを猫パンチが襲う。またころんと転がった獲物は、しばらくするとまた息を吹き返して逃亡しようとするが、そのつど猫パンチの餌食になって、なんのことはない、なぶり殺しの果てに食われてしまう。――間違いない。この三毛は「なおん?」などとしおらしく鳴きながら、俺をまだ餌として認識しているのだ。
愛が足りない――俺はあわてて三毛の顎の下に掌をつっこみ、立場の違いを明確に主張した。ほーら、かわゆい猫ちゃん、ボクは捕食対象じゃなくて、オトモダチなんだよう。
「ごろごろごろごろ」
ようやく解ってくれたようだ。
三毛はごろんと腹を見せて、俺に鼠や蜥蜴以上の奉仕を要求した。俺は目を細めてくつろぐ三毛の巨大な腹を掻いてやりながら、老人に言った。
「しかしまたこれは、えらい代物が地の底に」
座敷牢どころの騒ぎではない。
老人は不安げに、その斑に明るい大牧場の起伏を見晴るかした。
「弟一家は、いったい何処へ」
その時、少し離れた牧舎の扉が開き、野良着姿の老人が現れた。野良着と言っても時代劇調ではなく、今風の作業着に近い。佐清状マスクも付けておらず、白髪で案外若々しい、というより父っちゃん坊やっぽい顔つきは、どこぞの国の駄々っ子首相にも似ている。老人はでかいバケツを両手に下げていた。猫の餌らしい。そして同じ扉から、数人の老若男女も同様の姿で続いた。
近場の巨大猫たちはその気配を察すると、気の早い奴は猫まっしぐら、呑気な奴は猫科らしい例のうにょおおおという伸びをした後、悠然と小屋の前の飼い葉桶、いや、巨大な餌皿に向かう。俺たちにまとわっていた五匹も、「うにゃにゃ」などと歓声を上げて走り去る。
餌皿にバケツの中身をぶちまけた白髪の老人は、こちらの老人と目を合わせ、嬉しげに叫んだ。
「これは兄者殿」
「おう、純二郎」
名前まで似ている。もしや上の老人もマスクを取れば白髪で、おまけに名前までそのものなのだろうか。
「しかしお前たち、なにゆえこのような所に」
「ある晩突然部屋の壁が崩れ、住み込みの求人案内が届きました。なかなかによろしい待遇でしたので」
「それはいかにも短慮。我ら、あくまで主家に仕える身ではないか。こちらにおわすお方が、当代のお館様にあらせられるぞ」
いやもうだからそれはできれば忘れてくださいと思いながら、俺は一応頭を下げた。
「ども。上の家主です」
とたんに弟老人とその一家は、地べたに這いつくばった。発作的に俺も這いつくばってしまったのは、生まれてから一度もそーゆー相手の反応に遭遇した経験がないからだろう。クレーム処理でこちらが這いつくばった事なら何遍もあるぞ。頭上で恵子さんがさも情けなさそうに吐息する気配や、「どっちが、えらい?」「それはもう、あっちだろう」「こくこく」などという会話も聞こえるが、その被虐的快感こそがクレーム処理の醍醐味なのだ――なんの話だ。
「先祖の過ちも、許して下さるとのこと」
上の老人の言葉に、下の老人たちは、ますます恐縮して地べたに額をこすりつける。つくづく罪作りな俺の先祖である。大体封建社会だろうが自由社会だろうが、そもそも妻にこっそり不倫など働かれた時点で、夫としてはすでに寸足らずなのではないか。
しかし上の爺さんはお冠である。
「そのようなありがたいお心も知らず、他家のために働くとはなんたる短慮」
いや一向おかまいなくと慰める俺を尻目に、下の爺さんも腹でも切りそうな勢いで不心得を詫びる。なんだか古典的主従関係の中では、従者以上に主家も窮屈に縛られまくりなのかもしれない。
退職願いは二週間前まで、そんな雇用条件だそうで、下の老人はさっそく牧舎に戻り、一筆したため始めた。外観同様中の間取りも広々と小綺麗で、その三世代一家が収まってもまだ間借り人くらい置けそうだ。おまけに衣食住雇用主持ちで、日給ひとり頭一万だそうである。俺は本気で老人一家の代わりに、こっちで職を得ようかと考えた。しかし巨大猫は無数にいても、ろりはいないらしい。それでは生きる甲斐がない。お茶代わりに出た猫の乳も、生臭くてあんまり美味いものではない。恵子さんも努めて爽やかな顔をしながら頬を痙攣させている。たかちゃんやゆうこちゃんも、正直に「んべ」顔だ。ただくにこちゃんや上の爺さんは美味そうにお代わりまでしており、さすがに生命力と適応力が違う。
仲良し三人組はじきに家の中に飽きてしまい、あの猫たちを駆って牧場を遊び回ろうとしたが、ご存知のように飽食した猫というものは極めて怠惰である。なんといっても一生の八割方は、寝て暮らそうという生物だ。いくらでかくて面白かわいいとしても、それでなくとも落ち着きのないぴかぴかの一年生たちが、満足につきあえるはずがない。相手が普通に小さければ『無理矢理遊ぶ』=『虐待する』という幼児対猫の一般的構図が成立しようが、相手は虎よりでかいのだから、下手にかまうと寝返りの下敷きになって圧死してしまう。
やがて退職願いを書き上げ、これから雇用主を訪ねるという老人に、俺たちも付き合うことにした。彼方の石仏、じゃない、大招き猫像の麓に住んでいるこの不可思議な牧場の主が、どんな人物なのか興味があったからである。この大猫たちが、自然の生物とは到底思えない。なにかマッド・サイエンティストとでも言うべき存在、たとえばネモ船長とかモロー博士とか、そうした面白げな偏屈者が絡んでいるのではないか。
寝てばかりいる大猫たちに業を煮やしたたかちゃんたちも、ぞろぞろと俺たちにくっついて来る。そうすると猫という奴は気まぐれなもので、さっきまではいくら三人組がまたがろうとしても迷惑そうに「うにゃっ」などと牽制するだけだった虎や黒や白が、「なんだなんだなんだ」と素直についてくる。三毛や斑もついてくる。
「わくわく」
「これはぜったい、ひみつのいんぼうだんだ。あくにんをたいじして、おおねこたちをたすけよう」
「……びくびく」
まあ、好きに寝て食ってうろつき回れる限り、巨大猫たちも別に助けて欲しいとは思わないだろうが。
Act.4【地底怪猫国】
あちこちの牧舎には、どこでリクルート情報を得たものやら、住み込みの猫飼い一家が住み着いていた。先頭の老人に挨拶する様子を見る限り、人柄も身なりも俺などより余程いい。このぶんだと牧場主も案外まともな人物が登場しそうだ。
案の定、鎌倉の大仏ほどもある巨大招き猫の前半身の麓で、おどろおどろしく揺れるかがり火に囲まれながら、その家はどう見ても青梅の新興住宅街の角から三軒目、そんな感じだった。なんの緊張感もない、ツー・バイ・フォーの安上がりな二階屋だ。
「……いんぼーだん?」
たかちゃんが俺の裾を引いて、期待に満ちたまなざしを向けた。
「うーん、これは、どっちかと言うと……町内会の班長さんとか」
くにこちゃんが反対側の裾を引いた。
「だまされちゃ、だめだ。これはきっと、かものフライだ」
カモフラージュと言いたいのだろう。
ゆうこちゃんが俺の尻の陰に隠れてぷるぷる震えているので、思わずわっと驚かせてもっと怯えさせてやろうかなどと良からぬ嗜虐心を抱いてしまったが、お目付役の恵子さんもいるので遠慮しておいた。
俺は念のため、恵子さんに訊ねてみた。
「……邪悪な波動は感じませんか?」
恵子さんはあっさり答えた。
「気の抜けたラムネのような波動を感じます」
妥当な波動のようだ。
「あるいは、貧乏な家のカルピスのような」
俺は恵子さんの実年齢に、少々疑念を抱いた。この人は本当は三丁目の夕陽の下あたりで育った人なのではないか。まあ正直、俺に近い歳のほうがむしろ今後の希望が持てて嬉しいわけだが。
ともあれ下の爺さんは、やはりなんの緊張感もなく、ドアの横のインター・ホンに話しかけた。
「お晩方です、ブッシュ博士。放牧場の小泉です」
なんだか嫌な予感がした。
ヘイ、コイズミ、という威勢のいい声と共に、テキサスのガキ大将がそのまま初老になったような顔が覗いた。博士というより政治家の私服、そんな見え見えのカーディガン姿である。嫌な予感が増大し、俺は思わず身構えた。
明らかに『深くは何も考えていないがやたら押し出しだけはいい笑顔』の雇い主に、下の老人は気まずそうに言い訳しながら、例の退職願いを差し出した。
博士の顔色が変わった。
「……コイズミ、君まで裏切るのか。世界平和のために、共に働いてくれるのではなかったのか」
下の爺さんがしどろもどろになっているので、俺は個人的興味もあり、その大統領、じゃない、博士に訊ねた。
「あの、えーと、この巨大猫たちと世界平和が、どう繋がるのでしょう?」
博士は赤ら顔の中のあんまり知的そうではない細い目を、ぎろりと俺に向けた。
「君たちはどこの者だ?」
「えーと、その、東京から」
青梅も立派な東京都である。
「東部者は理屈をこねるばかりで、私は好かない」
逆効果だったらしい。これだからつまらない見栄は張るものではない。
「生まれはこの上の村なんですが」
博士の表情が、僅かに緩んだ。やはり田舎者は田舎者に甘い。
「ならば、君も私の下で働かないか。世界制覇、もとい世界平和のためには、若い力が必要だ。日給一五〇ドル。円立てで二万出そう」
こんな中年の俺でも、外人には若く見えるのだろうか。そういえば同じ駅ビルのおっさんがアメリカ旅行に行った時、ひとりで酒場で飲んでいたら、しきりに「ヘイ、リトルボーイ」などと何度も尻を撫でられたという話を聞いたことがある。
衣食住別で日給二万――俺の薄弱な意志は大いに揺らいだ。しかし、どうやら成人以降の人々しか住んでいないらしい土地には、長居できない体の、いや、心の俺である。もっともそんな性癖を匂わせてしまったら、地下では男児女児問わず未成年虐待しまくりの癖に表だけは異常にやかましい彼の国のこと、いきなり散弾を喰らったりリンチに掛けられたりしかねまい。
「でも、あっちに仕事がありまして」
「残念だな。君のその容貌なら、あのアキバで仲間を募るのに適材かと思ったのだが」
おう、全国組織だったのか。アキバならいいかもしんない。現実から乖離した奴が多いから、「求む世界制覇の使徒。君も暗い地の底で巨大猫と遊んで暮らそう」とでも謳えば、求人も楽そうだ。
いや、いかんいかん。この世界にあって尊ぶべきは、金や猫耳よりもろりだ。俺は揺れ動く心を抑えようと、両脇のたかちゃんたちを見下ろしたが――ありゃ、いない。いつのまにやら、ゆうこちゃんがひとりで尻にすがっているだけである。大猫も二匹足りない。
恵子さんや爺さんたちも二人の消失に気づかなかったらしく、ありゃりゃ、というような顔をしている。ゆうこちゃんに目で問うと、心配そうな顔で、家の中をくいくいと顎で示した。
その時、裏庭の方から、派手にガラスの割れる音が響いた。
どどどどどという群れの音と共に、虎縞と黒にまたがったたかちゃんとくにこちゃんが疾駆してくる。
「きゃはははは、いんぼーだん、いんぼーだん!」
「だまされちゃだめだ、かばうま!」
二匹の後に続く影の群れを見定めて、俺たちは仰天した。半猫半人の大群である。あんましここでは描写しにくいすこぶる色っぽい雌やら、男としてはあんまし見たくないが恵子さんあたりには結構うけそうな雄やら、しなやかな怪描たちが大挙して駆けてくる。
「これは奇っ怪!」
上の爺さんが、今さらながら息を飲んだ。もうずっと前から、充分奇っ怪だった気もするが。
どうどう、と猫を制しながら、たかちゃんたちは立ちすくむ俺たちの後ろに回った。
「やっぱし、あくのひみつそしきだ!」
くにこちゃんが黒にまたがったまま、険しい顔、いや、充実しきった顔で叫んだ。
「ちかのひみつこうじょうで、ねこたちをかいぞうしてたぞ」
逃げ出した怪猫たちは、わらわらと博士を取り囲む。おうおうこれはやっぱし古典的ウェルズのパターン――俺は改造獣人たちに復讐されるモロー博士など想像し、狂った科学者の阿鼻叫喚の末路などをわくわくと期待、いや違う、厳粛に想像した。
怪猫たちはじりじりと博士ににじり寄り、一斉に身を躍らせ――ぐりぐりと頭をこすりつけ始めた。
「なおーん」
「なーお、なーお」
「ごろなーご」
……腹が減っているらしい。やっぱり猫は猫だ。
博士は怪猫たちの頭を撫でながら、不敵に俺たちを睨め回し、
「わはははははは!」
いかにも狂気の哄笑を発した。
「見られてしまったからには仕方がない。牧場の巨猫たちは、あくまでもDNA操作の実験段階の副産物。私の真意は、全世界の猫の人間化にあるのだ。どうだね、実に美しい子供たちだろう。このしなやかな体をとっくりと拝みたまえ。やがてはこの子らの子孫が全世界を埋め尽くすだろう。この美しさ愛らしさに、ひれ伏さない人間がいようか。そう、全人類は猫族の下僕と化すのだ。醜く愚劣な人間社会の、終末の時は近い。その時こそ真の平和境、パックス・キティーナがこの地上に現出するのだ!」
俺は呆然と――文字どおり呆れ果てて呟いた。
「えーと、それは、とどのつまり、その猫人間たちが勝手気ままに遊んだり食ったり、人間に餌をねだったりして安穏と暮らす、そんな社会でしょうか」
「そのとおり! そして一日の八割方は丸くなって寝て暮らす、平和な社会だ!」
どわははははは、と、博士の哄笑は完全に突き抜けている。
「……別に、いーんじゃないですか?」
恵子さんがそう言って俺を見上げた。
「そーですね」
俺もこくこくとうなずいた。
「たいじしないのか?」
くにこちゃんが不満げに抗議する。俺はその頭を優しく撫でてやった。
「悪いことを考えてる、頭がおかしい、ちょっと変だというだけで、退治してはいけない。退治しなくちゃいけない悪人かどうかは、ほんとうに悪いことをしているかどうか、それで決めなくちゃね」
ほーら子供たち、おいしいご飯だよー、と相好を崩しながら猫人間たちに餌を与えているマッド・サイエンティスト――正体はただの舶来猫爺いをながめて、くにこちゃんもしぶしぶうなずいた。肝腎の猫人間たちがなんの文句もないらしいのだから、悪事とは言えないだろう。それどころか、食事を終えて庭の藪の中でつがい始めたカップルなどは、体位のバリエーションの増加を楽しんでいるようにも見える。ただし教育上よろしくないので、その「うなななななあ」などといううなり声に顔を向けようとする三人組の頭を、俺と恵子さんはあわててあっちこっちにひねった。
「じゃ、そーゆーことで」
そのまんまそそくさとその場を退散しようとすると、
「待てい!」
博士がまた突き抜けた声を上げた。
「この秘密を知られたからには、生かして帰すわけにはいかん」
「いや、だからその、あなたはもうここで好きにしててください」
「そーゆー問題ではないのだ」
博士の頬が不気味な笑いで歪んだ。
「せっかく悪事が暴かれたというのに、これで終わりでは、つまらないではないか」
いかにも正しいマッド・サイエンティストらしい意見だった。大概のその手の漫画や小説や映画やテレビ番組では、そもそもいかに派手にばれがちな陰謀を巡らすか、そしてばれてからどう居直るか、それが悪役の仕事である。
博士は喜色満面でカーディガンのポケットからなにやらリモコンらしい物を取り出し、ぷぽぴぱぺ、とキーを突っついた。
「発動せよ! 自由の猫神!」
二階屋の背後の岩壁が、ごごごごごと揺らぎ始めた。
がらがらと破片を撒き散らしながら、前面半身と思われていた巨大招き猫が、ゆっくりとその全身を岩壁から引きはがした。
壮絶に崩落する岩壁や押しつぶされる二階屋などは、今風の平面的CGではなくきちんと大スケールのミニチュアの質感があって迫力満点だったが、その土煙からのしのしと歩み出た招き猫がくいくいと手招きする姿には、残念ながら、なんの緊張感もなかった。
「わーい、ごじらねこ。ごじらねこ」
たかちゃんが歓声を上げた。
「……おっきいけど、かわいいの」
ゆうこちゃんも、ちょっとずれている。
「これは、ほんとうのあくじっぽいぞ。たいじしていいか?」
俺と恵子さんは、くにこちゃんにこくこくとうなずいた。爺さん二人も、異議なし、と言うようにこくこくとうなずいた。どんなに緊張感のない姿形でも、十数メートルの石像に踏まれたら、さぞかし痛かろう。
「まちかねたあ!」
くにこちゃんは喜悦の叫びを上げると、黒猫の背中で仁王立ちになった。
「りん! ひょう! とう! しゃ! かい! じん! れつ! ざい! ぜん!」
長くなるので、以下略。
俺は初対面だが、その巨大な不動明王は昨夜に続いての登板らしい。
「……またかよ」
なんだかやる気薄でうんこ座りしている不動明王に、くにこちゃんは自信満々で叫んだ。
「こんやのは、おおものだぞ。シメてやってくれ!」
ん? という感じで、不動明王が対戦相手に顔を上げる。
招き猫は地底の大気を震わせて咆吼した。
ぎゃにゃにゃにゃにゃあ。
これはスケール的にいい勝負だ――俺は昔のキンゴジやモスゴジなどを思い出し、年甲斐もなく熱くなった。
しかし不動明王を見返ると、なぜか招き猫に背を向けて、うんこ座りのまま頭を抱えている。その肩はわなわなと震えているようだ。
「どした?」
くにこちゃんがそのでかい尻を蹴った。明王はおどおどと答えた。
「……猫、駄目」
「なんだ、そりゃ」
くにこちゃんは怪訝そうに足元の黒を見下ろした。
「こいつも、ねこだぞ」
不動明王も怪訝そうに振り返り、しげしげと尻の方を見下ろした。それからいきなり奇妙な声を上げて、阿波踊りのような手つきをしながら数メートル跳んで逃げた。
「ひょ、豹じゃねーのかよ」
「くろねこだ。はなしのわかる、いいねこだ」
「だって猫、目がこえーじゃん、猫。細くなったり丸くなったり。何考えてるかわかんねーし、猫」
猫嫌いの多くがそう感じるらしい。しかし、おおむね猫科生物はでかかろうが小さかろうが同じような瞳をしており、けだものだけにおおむね何を考えているのか判らない。解り合う前に下手をすれば食われてしまう豹だの虎だのライオンだのより、解り合う前に食うこともできる猫のほうが恐くないと思うのだが。
「犬んときに、また呼んでくれ。熊でもいいぞ」
ぼん、と大仰な煙を上げて、不動明王の姿が掻き消えた。
「くまなら、おれだってへいきだ」
くにこちゃんは舌打ちした。
「ふどうは、あんましつかえない。こんどはくじゃくをならおう」
それから唖然としている俺たちを振り返り、ちょっと首をかしげた後、思いきり胸を張った。
「わははははははは」
超幼女でも笑ってごまかすしかない状況らしい。
「わははははははは」
あの博士も後方から負けじと高笑いを返した。
「ひとり残らず踏みつぶせ、自由の猫神よ!」
でも猫ちゃんは踏んじゃだめよー、気をつけてねー、などと裏返る舶来猫爺いの声を背中に聞きながら、俺たちは脱兎のごとく逃げ出した。
俺たちは五匹の猫にまたがって、地底牧場を駆けに駆けた。
すでにビジュアルのリアリティーだのなんだの逡巡している余裕はない。必死の時には小説だろうがアニメだろうが現実だろうが、心理的にさえリアリティーがあればなんでもありだ。
俺の三毛には恵子さんもまたがっている。しつこいようだがこのつんつんと背中にキショクのいい感触は乳首に違いない。うっかり爺さんなどと相乗りにならなくて実に幸運だった。爺さんふたりは斑《ぶち》にまたがり、「よ」「は」「と」とハモって調子を取っている。
しかし石造りのはずの巨大招き猫まで、四つん這いになって景気よく追い掛けてくるというのは反則ではなかろうか。どっかんどっかんと石窟中を揺らしながら、しだいに間合いを詰めてくる。
牧場の大猫たちはそんな騒ぎを聞きつけ、ぴくりと身を強張らせて耳をぴくつかせながら次々と俺たちの方を窺ったが、自分とは関係ない騒ぎと判断したとたん、また次々と大あくびをして丸くなり寝てしまうのだった。あのマッド・サイエンティストの方法論は、絶対間違っている。世界平和を実現したいなら、猫には猫のままでいてもらって、全人類のほうを猫に改造してしまうべきなのである。
やがて地底国のはずれ、下の爺さんの牧舎が近付いた。窓から騒ぎを覗いたらしく、爺さんの一家がわらわらとあの俺の実家に続く穴の方へ逃れて行くのが見えた。俺はそのまんま一家の後に続くよう、たかちゃんたちに指示した。
「恵子さんもこのまま行って下さい」
「あなたは?」
「僕には命を賭けても守れねばならないものがあるのです」
俺は臆面もないキメ科白を残し、三毛が牧舎の前庭を通り過ぎる刹那、思いきり横にダイブした。
餌皿の食べ残しに、どべ、と頭から突っ込んでしまい、なんか生臭い下魚のフレークまみれになってしまったが、口に入った魚肉の味は結構悪くない。シーチキンよりコクがあるようだ。などと食っている場合ではない。俺は魚肉を蹴散らして、庭に干されたままだった洗濯物に飛びつき、ロープや洗濯竿ごと引きずり倒した。
あの巨大招き猫を制するためには、大型の武器が必要だ。無論まともな武器など、現在この地にはない。闘争本能と知力を駆使し、手製の武器を仕立てるしかないのだ。
ごにょごにょと慌ただしく裂いたり縛ったりした後、俺は我ながら見事に出来た得物を抱えて、迫り来る強敵の前に躍り出た。まさに猫を噛む窮鼠の意地を見せるのだ。
ぐわにゃにゃにゃあ。
咆吼が天を揺るがす。
――ああ、俺って、可憐なろりたちとつんつん乳首、じゃねーや、可憐な女性を守るために命を駆ける凛々しい戦士。
「ほーら、猫ちゃん。ぱたぱたちゃんだよー」
我ながら見事な戦法だ。
これだけでかい猫じゃらしの誘惑に勝てる猫など、この世にいるはずがない。
案の定、巨大招き猫は俺の目前で地響きを立てて急停止した。
「ほいっ」
たしっ。
「ほれほれ」
たし、たしっ。
「こっちだよー、なんちゃって」
小山のような岩猫が、右に左に跳ね回る。
しかし俺も、やはり先祖同様寸足らずだったらしい。
「ぐるっとな」
調子をこいて、うっかり猫じゃらしの動線を誤ってしまったのだ。
「あ」
やばい、と悟った瞬間、巨大な肉球、もとい岩球が真横から迫り、目の前が真っ暗になった。
★ ★
「あう」
どうくつの出口からちていの国をのぞいていたたかちゃんは、おもわずイタそうにお顔をしかめます。
「……とんでっちゃった」
いわかべにげきとつしたしゅんかん、なんだかぺっしゃんこになってから、またまあるくなってぽーんとはねたかばうまを見て、
「ほーむらんだな」
くにこちゃんもしょうぜんとつぶやきます。
「かべがなければ、じょうがいだ。……あいつには、せわになった。おやつ、うまかった。ふろであらってくれるのも、ていねいだった。おやじがあらってくれないところまで、きちんとあらってくれた」
あれではきっともう逝ってしまった、そうはんだんし、
「おんあぼきゃーべーろしゃのーまかぼだらー」
とくいの光明真言を唱えはじめたりしますが、長くなるのでいかりゃくです。
やさしいゆうこちゃんは、ほろほろと涙をこぼします。いつかおうちの天窓にぶつかってそのまま逝ってしまった小鳥さんほどにはぜったいにかわいくないいきものだったにしろ、ほねのずいからお金もちのゆうこちゃんにとっては、今のところ生きとし生けるもの総てが高貴な憐憫の対象です。
離婚した前夫が細身で蛇っぽかった事にトラウマを抱いていた恵子さんも、反動で心理的デブ専に陥りつつあったものやら、ああデブはデブなりにそこはかとなく頼り甲斐のあるお方だったわ、などと、その夭折を悼みます。爺さんふたりもコテコテの前時代的封建社会意識のまんまで育っているので、ああお館様主様と涙にくれます。
とまあ、それぞれきちんとかばうまの壮絶な玉砕を見つめていたのですが、世の中には、きちんとジャンルごとにお約束、あるいは物語原型というものがあったりします。そう、スラップスティック・ギャグでは、たとえばトムとジェリーのように、たとえダイナマイトでトムが木っ端微塵に吹き飛んでも、一瞬後にはまたきちんと復活して追跡ギャグを反復するのです。
岩壁で跳ね返ったかばうまは、あっちこっちぽんぽんと地底牧場をピンボール運動した後、牧場の大猫さんたちの前に、ぼて、と落下しました。
大猫さんはぴくぴくと痙攣するその醜い生き物を、怪訝そうに鼻先で突っつき回し、やがて「これはぜひ家の餌係に見せてやらねば」と思ったのでしょう、首根っこを咥えて下の爺いのいる洞窟の前まで運んで来ます。ほら、でっかいのが獲れたよ、見て見て。
たかちゃんたちは、ぐったりしているぼろぼろのいきものを、つんつんとつっつきます。
「……ちくび」
かばうまの口から、はずかしいうわごとが漏れます。
むいしきにそうつぶやいたところをみると、しょせんかばうまも、たかちゃんたちみたいなちっちゃいおんなのこたちにこしつするのは、精神的成長の停滞による、惰弱な逃避願望に過ぎないのかもしれませんね。こうして生き返れたのも、お約束というより、神様にも悪魔にも見限られた、ただそれだけのことなのでしょう。
さいわいたかちゃんたちには、なにを言っているのかわかりません。
「いきてる、いきてる」
「おう、しぶといやつだな」
「ほろほろほろほろ」
かばうまさんは頭を振り振り起きあがります。
「……みんな、無事か。怪我はないか」
正気に戻ると口先だけは立派です。
「まあ、丸い人は、とっても丈夫で勇敢」
あのはずかしいうわごとは、恵子さんにも聞かれずに済んだようです。
「お館様!」
「主様!」
でも、のんびり再会を祝っている暇はありません。
あのとくだいの招き猫さんは、しばらくはとくだいの猫じゃらしでひとり遊びに興じていましたが、ねこといういきものは、それはもうねこの目のように気まぐれです。そのうち不意に飽きてしまうと、あ、いかんいかん、オレ鼠追っかけてたんだ、そんな感じで再び洞窟めがけてどどどどどと駆けて来ます。
「あうあう」
たかちゃんたちは、あわてて洞窟の急な坂を這い登りはじめます。
ずっしん!
巨大招き猫さんが洞窟の出口にぶつかり、地面が激しく揺れ動きます。
たかちゃんたちは必死に坂に取りついてこらえますが、いちばん後ろにいたかばうまは、まだくらくらしていたのか、ただ体が丸すぎるだけなのか、おわ、などとつぶやき、見事に転がり落ちて行きます。
たかちゃんたちはちょっと下を見て考えていましたが、すぐに顔を見合わせてふるふると首を振り、些細な過去の未練は忘れて、未来をめざすことにします。
うげげげげ、などという声が、かすかに下から聞こえてきます。
くにこちゃんはきのうのおふろのことなどもあるので、ちょっとだけ気がとがめ、また蕭然と引導を渡したりします。
「……おんあぼきゃー」
まあ、惰弱なろり野郎もそれなりに邪念を満たしていたのですから、まったく気にするひつようはありませんけどね。
さて、そのとき先頭を行くたかちゃんの目に、ふしぎなものが映りました。
「ありゃ?」
洞窟の上から、なにかがころころと転がってきます。かばうまほど大きくはないようですが、やっぱりまんまるで、柔らかそうなかたまりです。
「きゃっち!」
ぼよん、と受け止めたかたまりには、なんだかとってもみおぼえのある、くりくりしたお目々とお鼻がくっついていました。
「あ、バニラダヌキさん!」
「はい、バヌラダヌキですから!」
思わず両手で受け止めてしまったので、
「あ」
たかちゃんもバニラダヌキさんを抱いたまんま、ころころと転がりはじめます。
とうぜん後続のみんなも、ころころと転がりはじめます。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
それだけではありません。洞窟の上からは、次から次へと、それはもうころころころころと、大量の柄違いのバニラダヌキさんたちが転がり落ちてくるではありませんか。
「おう、ひさしぶりだな」
「いえ、おはつにおめにかかります。バニラダヌキの従兄の新製品ミントダヌキです」
「あなたもやわらかわいいの」
「弟の期間限定ピーチダヌキです」
そんな緊張感のない会話を交わすみんなをまきこんで、もはや洞窟は無数のまあるい毛皮の流れと化しています。
ぽてころぽてころぽてころころ。
洞窟の出口に、みるみる毛皮の塊の山が盛り上がります。
「ぎにゃ?」
さすがの巨大招き猫さんも、その「きゅいきゅいきゅいきゅい」などと蠢いている見慣れない群体には、面食らったようです。
……つんつん。
「きゅいきゅいきゅい」
ねこには物事を深く長く考える能力がありません。
まあこりゃすでに後得的知識の範疇にある代物で遊んだ方が気楽だわなあ、そんな感じで、お山の麓からかばうまを掘り出し、ころころとなぶりはじめます。
お山の中腹では、たかちゃんとバニラダヌキさんがごあいさつの続きをしています。
「おうち、このきんじょ?」
「はい。蔵王ダムと雁戸山のまんなかあたりの沢沿いです」
青梅育ちのたかちゃんは、御岳山や秋川峡谷くらいしかまだわかりませんが、きっとこのかばうまさんの実家近辺なのでしょう。
「きょうは、えんそく?」
「いえ、この牧場で屋台引きの大猫を譲ってくれると回覧板が来まして、村のみんなでもらいに来ました」
そういえばバニラダヌキさんのお仕事は、日本全国世界各国、時空を越えたシェイク類の行商なのです。
たかちゃんたちがのどかに話している間にも、巨大招き猫さんはノリノリでかばうまをいたぶっています。
「……ひー」
かばうまは、そろそろ生存限界のようです。もはや悲鳴というより壊れた笛みたいに鳴いています。
「あ、わすれてた」
たかちゃんはバニラダヌキさんにお願いしてみます。
「あれ、たいじできる?」
バニラダヌキさんは、いつものようになんにも考えていないくりくりしたお目々で、巨大招き猫さんを見上げます。
「はい。ぼくひとりではかなわないてきも、なかまがいればだいじょうぶです」
相変わらず古典的なお説教が好きなのですね。見た目よりは、ずっと長く生きているのかもしれません。
「緊急幻惑態勢!」
きゅいきゅいきゅいきゅい、と、タヌキさんたちのお山がうごめきます。
一匹一匹が、おなかのどこかのポケットから木の葉を取り出し、頭に乗っけています。
「合体変身モード!」
ぞわぞわぞわ、とお山が盛り上がり、たかちゃんやくにこちゃんやゆうこちゃんや恵子さんや爺いたちが、ぽろぽろと麓に転がり落ちます。
「アルティメット・ラクーン、発動!」
しゅわっち、という奇声とともに、たかちゃんがはじめて会ったときの無慮数十倍はあろうかと思われる銀色のアルカイックなウルトラダヌキさんが、宙に舞います。コスチュームのあちこちにゴムっぽいシワなどもあり、いかにも作者の世代を思わせるノンCGヒーローです。
でん、と大地を揺るがし着地したウルトラダヌキさんは、巨大招き猫さんの首根っこを抱えこみ、必殺技を仕掛けます。
「こちゃこちょこちょこちょ」
しかし、さすがにこの必殺技も、石像には通用しません。
「ぎゃにゃにゃーご」
ぶん、と首を振った招き猫さんに弾き飛ばされ、ウルトラダヌキさんは岩壁に叩きつけられてしまいます。
「む、三分しかない。急がねば!」
身軽に跳ね起きて、今度はぐいっとお腹を突き出し叫びます。
「ベリードラム・ソニックウェーブ!」
まあ日本語に訳してしまうと、たぶんただの『腹鼓《はらつづみ》』ですね。
すこぽぽぽぽぽん。
「ぎにょええええ」
すこぽんすこぽんぽぽんのぽん。
しかし腹鼓と言っても、さすがに並大抵のサイズではありません。たぶん超低周波を増幅させて敵にぶち当てる、そんな荒技なのでしょう。
びし、と招き猫さんの体に亀裂が走ります。
「ぎゃおおおおおん」
次々と走る亀裂に、身もだえる巨大招き猫さん――ああ、なんという壮絶な、しかし絵面としては果てしなく緊張感の薄い戦い!
やがて無数のひび割れに覆われた招き猫さんは、がらがらと地面に崩れ落ちます。
「ぐにゃああああん」
かばうまの頭上を、破片の雨が襲います。
別にそのまま放置でも良かったのでしょうけど、そこはそれお約束、
「でゅあっ!」
間一髪、ウルトラダヌキさんの手が差し伸べられ、ぶよんとしてしまりのない体を救い出してしまうのでした。
せいじゃくの戻ったちていの国で、恵子さんが、いっしょうけんめいかばうまを介抱しています。なんのやくにも立たなかったこいずみじゅんじろうさんたちも、しんぱいだけはしています。
そしてたかちゃんたちは、きらきらと輝く瞳でウルトラダヌキさんを見上げます。
ウルトラダヌキさんは、そんなたかちゃんたちを見下ろし、こくこくともっともらしくうなずきます。
「ありがとー!」
「すげーぜ、おまえ!」
「ありがとーございますう!」
感極まって思わずウルトラダヌキさんの足元に駆け寄ったたかちゃんたちでしたが――げん、と何かにぶつかって、ころりと転んでしまいました。
「あいたたた」
鼻の頭をさすりながら起きあがると、地底国は薄暗いので気づかなかったのですが、なんだか地面がまあるく盛り上がっています。そのまあるいのは、たかちゃんたちの背丈ほどもあり、どうやらふたつ並んでいるようです。気のせいか、まあるいのもあたりの地面も、ぶよぶよと生あったかい気がします。
「くりくりくり」
たかちゃんとゆうこちゃんがまあるいのをなでまわしてみると、あたまのうえから、うひゃひゃひゃひゃひゃ、というしまりのないお声が響いてきました。
「なんじゃ、こりゃ。――なかみは、かたいぞ」
げし、と、くにこちゃんが力いっぱいケリを入れます。
そのとたん、
「じゅわあああ!」
大地を揺るがし、ウルトラダヌキさんがうずくまりました。
「あ」
たかちゃんは、しまった、とお顔に手を当てたりします。
「げ」
くにこちゃんも、あわてて蹴ってしまったあたりを撫でさすります。
「すまんすまん」
くにこちゃんはふだんからおうちでふたりのおとうとやおとうさんをいたぶっているので、おとこのこうぞうもあるていど知っています。
ただひとり、状況が把握できずきょとんとしている穢れを知らないゆうこちゃんのために、たかちゃんはどこで教わったものやら、きちんと解説を入れてあげます。
「……たぬきのきん○ま、せんじょうじき」
ウルトラダヌキさんはせなかをまるめてちぢこまり、なんどもなんども、じめんにひたいをうちつけています。
それはおとこのかなしみをすべてせおいきった、あいしゅうとどうこくのおせなかでした。
――こうして、今回最後のたかちゃんたちの冒険にも、ついに終止符が打たれたのでした。
★ ★
俺が気を失っている間に、どうやら大局は始末がついていたらしい。
自由の猫神の敗北を悟ったあの博士は、大猫たちの大部分を行商狸たちに払い下げ、わずかな残りの大猫と人猫たちを引き連れ、自分の故郷に帰って行った。どうやらあの招き猫像の背後にも別の洞窟が続いており、それは遙か海を越え、じゃない、海の下をくぐり、テキサスの田舎まで続いていたらしい。
ちなみに翌年、なにか低予算ながら緻密な特殊メイクと、どう見ても本物にしか見えないCGが売りの化け猫ホラーが、アメリカ西部のケーブルTV中心に話題になった。それが誰かさんの新しい趣味であるかどうかは、そのうち日本にも輸入されたら判るだろう。
巨大な猫が引くシェイクの屋台は、今でも月に一度くらい、とっかえひっかえ青梅にも回って来る。一度三毛が引いているのに駅前でばったり会ってしまったときは、ロータリー中突き転がされてエラい目に会った。
故郷からの野菜類と家賃も、律儀に毎月ゆうパックで届く。安月給の俺にはありがたい限りである。
そして仲良し三人組は、夏休みを迎えて、あいかわらずすこぶる元気だ。
その証拠に、昨晩恵子さんがアパートに置いて行ってくれたスイカの小玉を、俺の寝ている間に勝手に冷蔵庫から引っ張り出し、今まさに食い尽くそうとしている。
「おいしーね、しゃくしゃく」
「んむ。しかし、みにすいかは、いまいち食べでがなあ」
「でも、ちっちゃくて、かわいいの」
などと、勝手なことをさえずりながら。
★ ★
……あう、せんせいの出番、今回これっきりかよ。
どーやって週末まで食ってくんだよ。
〈終〉
2005/08/24(Wed)10:43:47 公開 /
バニラダヌキ
■この作品の著作権は
バニラダヌキさん
にあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
継続して読んでいただける読者様は、前回までのドタバタもご記憶だとありがたいのですが、ご新規の方には念のため、ひとつ前の作品集からの続きです。
いやあ、終わらせるのにGWからお盆までかかってしまった。夏の間に『たかちゃんはなび』というしんみりした短いのを(いやまあ、ほんとにしんみりするはずもないのですが)打ちたくて、こちらはもうただドタバタと駆け回ってしまった感がありますが、ちょっとでも笑っていただければ幸いです。
管理人様のありがたいご尽力で、やっと修正可能になりました。
過去の前編ともども、細部調整加筆させていただきました。
打ちっ放しにありがたいご感想をいただいた皆様、ならびに読んでいただいた皆様に、謹んでお詫び申し上げます。
作品の感想については、
登竜門:通常版(横書き)
をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で
42文字折り返し
の『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。