『右と左』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:恋羽                

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142





 

『右と左どっちでしょう? なおこの問いには三十分以内にお答えください。間違えた場合、もしくは時間超過の場合、この金庫は爆破閉鎖されます』


 黄白色の土壁に覆われた部屋。機械的な無表情と作った人間の不快なユーモアが入り混じった声が、目の前のごつごつした古臭い鋼鉄製の扉から聞こえてくる。爆破閉鎖って……、なんだか随分過激なことだってのはわかるけどね。
「どうするの? 二分の一の確率でどうやら死んじゃうみたいだけど、あたしたち」
 背が僕の肩ぐらいまでしか無いリアティは、いつもの様に冷たい言葉を言い放つ。
「縁起でも無いこと言うなよ、チビ」
 それに子供染みた言葉を返したのは、松明に照らされ緑の髪が眩しいルオンだ。
 そこからあーでもないこーでもないと言い争いが始まる。……あんたら、今の状況わかってるよね?
「ジャウはどう思うの!? どっちの味方なの!?」
 ヒステリー気味にリアティが今度は僕に詰め寄る。
「俺に決まってんだろ! 男同士の仲だぞ?」
 意味のわからない道理で僕を同意させようとするルオン。
「……僕はぁ、……正義の味方さぁ……」
 僕は、どうでもいいや、と適当に答えておいた。
 ……僕まで緊張感を無くしている場合じゃないだろ。仕事仕事。
 どうやら適当な答えに不満がたらたらなようで、彼らは右か左かという議題について話し合ってくれる気配が無い。質問の意味すらもわかってないというのに、どうしたらいいのさ、僕。
「ねえリアティ」
 僕が呼んでも返事をしてくれない。褐色に焼けた頬を膨らませて、僕を無視してる。
「……ルオン」
 ルオンも同様。こちらは日に焼いたことがあるのかって位色が白く、緑の、目にかかるほどの髪の毛といい、何か妙な趣味にはまってしまった女の子みたいだ。なんなのかは知らないけどね。
 ただでさえこの三日、狭くてジメジメしたこの洞穴で過ごしてるってのに。お宝目の前にして何だってこいつら……。お前らが一流ガード名乗るなんてふざけてるよ本当に。トレジャーハンターの付き人、つまりガードとしての技術は確かに最高レベルなのだけれど。
 古代文明が残したという伝説の金庫、この「パーパメニュム」を探して探して死ぬほど探して、遂に洞穴の場所を突き止めてさ、それで見つけたぁ、とか思ってたらこれかよ……。気分は最悪。
 ……もういいやぁ。なんか、もうどうでもいいやぁ。口喧嘩を聞いてたら、なんかものすごいやる気なくなってきたよ、僕。
「帰ろうかぁ、お二人さん」
「はぁ? なんで?」
 リアティが聞いてきた。……だって、お前らやる気無いじゃん。
 ルオンは空気が篭って仕方ないってのに煙草に火をつける。そうしてから、僕の方に向かって歩み寄る。細いけれど筋肉で引き締まった体つきは威圧感があった。
「……ジャウ。お前そんなことでいいのか?」
 溜息混じりの言葉を掛けられると、なんだか僕が悪いことを言ってるみたいじゃないか。
「三人で助け合って、三日間も頑張ってきたわけだろ? 今時珍しいくらいの獣や怪物にやられながらさ。それを今更諦めるってのか?」
「だって、お前らやる気無いだろ。完全に」
 僕のその言葉にリアティは少し反応を示した。
 リアティはその低身長とは少しそぐわないセクシーさを持っている。ファッションセンスも大人の女性らしさがあふれていた。……本当はいくつなんだろう?
「……あんた、本当にあたしたちがただ口喧嘩をしてたと思ってたの? あたしたちはプロのガードだよ? こういう切羽詰った状況でも、トレジャーハンターのあんたが緊張して判断を誤らないように……」
「違う違う、俺が言ってるのはそういうことじゃなくてだな。三日も掛かってここに向かってきたのに、もったいないだろってことで……」
「はぁ? 何それ、違うんだって。言ってるでしょ? ちょっと黙って聞いてなさいよ!」
「お前こそ……」
 ……
 ……
 残り時間、十五分。


           *


「落ち着いた? お二人さん」
 僕がそう声をかけても、反応は無い。二人して背中を向け合っている。膝を抱えた姿がなんとなく可愛い。だがここは残念なことに、怪物に殺された人達の白骨死体が転がっているような、そんな場所なのだ。
 僕は再び溜息をつきながらも、腕にはめた安い時計を見た。
 ……どう見ても、あと十五分。
 もう何度目かの溜息を吐き出し、僕は自分に冷静さを取り戻そうとした。
 ……さっきも思ったが、三日も掛けていくつもの仕掛けを打破して進んできたこの洞窟を、果たして三十分や十五分で抜けられるのだろうか。しかも地中深くに存在しているこの場所だから、きっと爆風は僕達が必死に通ってきた細い穴をうまいこと古代人の狙い通りに盗掘者を追いかけて進んでくるんだろう。果たして古代人が仕掛けた爆弾はどの程度のものなのだろうか。
「ねぇ。もう今更言うまでも無いと思うんだけどさ。このまんまだと僕ら死ぬよ?」
 ……なんで雇い主の僕が気を使わなきゃいけないんだろう。お前らは本当にプロなのか?
 とりあえず僕は、この二人と心中するつもりはさらさら無いし、なんとかここを生きて抜け出す方法を考えることにした。当然、お宝を無視してでも、……という結論にはなかなか至らない。それはトレジャーハンターとしての性である。
 しかし右か左か……。どういう意味かすらわからない。今のところわかっているのは鋼鉄製の扉を挟むようにして、リアティが座っている向こう側にある三角形で左向きを表現したボタンと、そしてルオンが座っている方にある右を指した三角形がそれぞれ「右」と「左」を意味しているのだろう、ということぐらいだ。
 ……どっちでしょう、じゃないよ。ホントに。下らないことに命賭けさせるなよなぁ。
 僕はなんとなく二人同時に話し掛けることは無理だろうということで、リアティから話を聞いていこうと考えた。そして彼女に歩み寄っていく。
 リアティに近づいていくと、余り近付いてほしくないらしい仕草をする。それは何故だろうと考えてみて、よく考えたらこの三日間ずっと体を洗っていないんだよなぁ、と気付く。襲い掛かってくる鋭い牙を持った大型の怪物をも素手の一撃で叩き伏せてしまう彼女のイメージとは似つかわしくないが、しかし可愛いな、と少し笑ってしまった。
「なぁ、リアティ。ちょっと考えてほしいんだけど」
「……何よ」
 不機嫌だ。街で初めて声を掛けた時も、ガードとして雇ってほしいなどという雰囲気は少しも持っていなかったことが思い出される。凛とした彼女の醸す何かが周囲の空気を切り裂いてしまうようだ。どことなくそんな研ぎ澄まされたものが彼女にはあった。……そんな態度にそそられて、そして夜に見せる表情とのギャップに興奮して、それで今回一緒に来てもらうことになったのだけれど。
「右と左。どっちだと思う?」
 たったそれだけのことを聞いても、彼女からはきっとまともな答えは帰ってはこないだろう。そんな事はわかっている。だが、何もせずに命を捨てることを彼女が望んでいるとは思えないし、こういう時こそ女の勘とやらを見せてもらうべきだろう。
「それなんだけど……。あたしもそれなりに考えてみたけどさ。古代神話でね、『エリピオルの橋』っていうのがあるんだよね。その話の中で同じようなことが出てきてさ。二人の人間が神様の宝物を盗んだ時に、神様がその人間達に『私の右手と左手、どちらかを選び触れよ。その選択のよってはお前達にそれを与えよう』みたいなことを言って……」
「ああ、なんか聞いたことあるよ。確か苦しんで今にも死んでしまいそうな妻達を救う為に、どんな病気も治すと言われてた神具を盗むために神様の住居に忍び込んだんだよな。それでどちらかが死んでも、二人の妻を救えるように二人は片方ずつ触れたんだよ」
 僕が話を全部言ってしまったから、リアティはまた不機嫌そうな顔をした。
 僕はそんな子供のような彼女を可愛いと思い、その頬に軽くキスをする。すると彼女の表情は複雑そうにゆがんだ。
「……だからさ、この場合ね。右と左のボタンを同時に押せばいいんじゃない? 協力し合ってますよ、みたいな感じでさ。そしたらあの話みたいに『本当に神様が病気を治してくれる』んじゃない?」
 うーん、と僕は唸って、ありがとうを言いながら彼女から離れた。
 ……どうなんだろう。確かにあの話の結末は、見せ掛けの道具ではなく、本当にどんな病気をも治す力を持っていた神様自身が妻達の病気を治す、というものだったけれど。
 なんとも言えないな。今までのこの洞窟の中の仕掛けで、そういうテーマがあったならそれが正解なんだろうけど、そんな雰囲気は微塵も感じられなかったわけだし。とてもじゃないけど、こんな非人道的な仕掛けが溢れていたり、奇妙な動物達がウヨウヨいる洞穴で神話じゃ、説得力が無いような気がする。
 僕は次にルオンに近付いて行く。
「どうした? 俺の素晴らしい見解が聞きたいか?」
 随分と自分が好きなルオンは、自分の考えを聞きにきた雇い主にそう言った。彼にとっては、金で彼を動かしている雇い主の僕ですら、彼の信者の一人に過ぎないのだろう。そういう無茶苦茶な所がリアティの癇に障るらしい。僕としては結構好きなところでもあるんだが。彼の使いこなす短剣の技術も尊敬に値するものだし。
「右と左、どっちなんだろうね」
 僕は多少謙った感じで聞いてみた。……自分を情けないなぁ、と思いつつも。
「うん、それじゃ教えてやろうか。この場合ね、この洞窟に対する作成者の取り組み姿勢から読み解かなきゃならないと俺は思うわけよ。だからさぁ、つまりはこの洞窟のコンセプトだよね、メインになるのは。……本来さぁ、こういう場所に必要とされるのは、要するに盗掘者の手から守るべき物を守って、何年何十年後にここを作らせた人間が物を取りに来た時、スムーズに物を取り出せることが基本なわけだろ?」
「そりゃわかるんだけどね。だから何?」
 僕が聞き返すと、ルオンは得意げな表情になった。……トレジャーハンター連中にはこういう態度が嫌われてなかなか雇われないらしい。仮に彼の言葉が正しかったとしても、それに従うような人間ならばトレジャーハンターなんかにはならないのだろう。しかし僕のような人間にとっては彼は非常に利用価値があり、今回の探検にも参加してもらったわけだ。
「多分ね。俺が思うに、最初のあの条件提示があるだろ? あれがもうすでに事実であるかが疑わしいと思うんだ。要するに、あれが全て嘘だったとしたら……、どうなる? 例えば時間超過。これをやったら爆発するというが、一体誰が確かめたんだ? おそらくはこの方法を試そうとする人間はそういないだろう? そこが盲点さ」
「つまり、この場合は三十分を待ち続けることが一番だってこと……?」
 僕は腕時計をちらりと見ながら、問い返す。残り七分。……早くしてくれよ、時間無いんだからさ。
「うん、それが一番早いだろうね。もちろん間違いだったとしたらそれはそれじゃないか? そこに真実が待っているんだしね」
 ……結論として、どうにでもなれってことだな……。そう彼の言わんとしている事を理解し、僕は再び天井の高いフロアの入り口をうろうろする。
 残り時間が少なくなってきている。あと五分。瀬戸際に立たされていることを痛感せざるを得ない。
 ……二人どちらも微妙に説得力があり、しかしそれでいて極論だ。そして何よりも浅い考えに基づいている。これはもはや「右と左」という結論の域を出ているのだから、もしどちらかを選ぶのならそれはすなわち、一人間として二人の根底に流れるものを選ぶ、そう考えるしかない。
 どっちだ? そう自分に問いかけながら、リアティの横顔に目を向ける。……彼女とのプライベートな関係はできることならば今後も続けていきたい。それに彼女は単純に仕事上のパートナーとしても有能であり、女性で彼女以上の戦闘能力と危険予知能力に優れた者はいない。いや、およそこの周辺には男であっても彼女以上の力を持った人間を探し出すのは困難だ。
 その目を少し右に向け、ルオンを見る。……彼とは親密な友人だと思っている。そしてなにより、ガードとしては大陸随一といっても過言ではない。ルオンのことをライバルのトレジャーハンターが『奴の両手に短剣が握られたなら、標的の運命は決定される』と言っていたのを聞いた記憶がある。それほどに、彼の存在は驚異的なのだ。
 そんなルオンが、僕の様な大して有名でも有能でもない駆け出しのハンターと共にこうして遺跡と化した洞窟に忍び込んでいるかといえば、勿論僕の腕によるのではなく、彼自身の何事も軽く考える性質にあると僕は思っている。おそらくそれほど事実と食い違ってはいないだろう。だが彼と共にいれば、余程のことが無い限り命が危険にさらされることは無い。
 ……二人を天秤にかけている自分に気づく。
 なんだか、そんなに真面目に考える事でもないのかもしれないけどなぁ。いや、確実に人生に危険が迫っているんだけど、なんかこの二人といるとどうにでもなるんじゃない、と思ってしまうのだ。爆発の恐怖すらも掻き消してしまうほどに、彼らは僕にとって絶対的存在だった。
 ……残り三分。恐怖とは違うが、苛立ってしまうような感情が僕の中に溢れているのは紛れもない事実である。
 さんざん考えて、なんだか再びどうでもいいような気がしてくる。あぁあ、今から逃げようかなぁ、なんて。
 その時、その瞬間。リアティが発した言葉が僕達にこの薄暗くじめじめした洞穴から抜け出す方法を教えてくれた。
「ねぇ、あそこに『地上直通階段』って書いてあるよ?」
 彼女が松明を差し向けた先の壁面に、確かに白い文字で『こちら、地上直通階段』と書いてある。
 僕は思わずにんまりして、その僕から見て左手の壁へ向かって走り出そうとした。……よかった、とりあえず、風呂入りたい……なんていう正直な願望が僕を突き動かす。
 だが。ルオンもまた、もう一つの選択肢を与えてくれる。彼は僕から見て右手の壁面を照らし、僕の背後から声をかけた。
「あのさぁ、そこに『右を押せ! ノーティア』って書いてあるんだけど」
 ノーティア。その言葉を聞いた瞬間、僕はそちらを振り返らざるを得なかった。
 ノーティア=フレウマッド。この金庫が銀行の中できちんと機能していた頃の、支配人を勤めていた男。その名が確かに、乾燥して白くなった土壁に血文字で記されていた。黒くなった血文字は、その下の白骨につながっている。
 僕はその骨に近付いて行って、資料として残されていた肖像画の顔の記憶とその白骨を比較しようとしたが、やはりそこから肉のある顔を見出すのは無理だった。
 フレウマッド氏は確かにこの金庫に物を取りに行ってそのまま帰らなかったという記録もあることだし、信憑性が無いとは言えない。また彼は随分と実直な性質を持った人ということも記録に残っていたし、死ぬ前に嘘を残していくとも考え難い。
 しかし……。僕はまた考えてしまう。だっておかしいじゃないか。
 この防御システムが作られた時に、当然将来銀行関係者の誰かが中身を取りに来ることも計算されていたはずだ。それが何故、しかも支配人ともあろうものがこうしてここで力尽きているのだろう。怪物や獣達はシステムの計算に入っていなかったのか? それにしても……。
「ねぇ、もう時間無いでしょ? とりあえず逃げようよ」
 リアティはいつのまにか開いた非常口から顔を出し、僕を呼んでいた。その出口からは、確かな外の空気が舞い込んできている。
「でも、ここで逃げたら男が廃るよなぁ、ジャウ」
 ルオンはそう言いながら、ニヤニヤ笑って右側のスイッチの前に立った。
 僕はどちらを選んだらいいんだろう。確実な生と、真実かどうかすら疑わしい輝く金塊と。
 そして二人の内どちらを選んだらいいんだろう。綺麗なリアティと、自信家のルオンと。
 残り時間は、多分あと一分ほど。
 恋愛、友情。未来に望みを繋ぐ事、手に入るかわからない一攫千金。この選択は様々な事柄を選ぶ岐路。
 そして僕はそこに佇む、弱々しい子犬……。











 *さあ、マルチエンディングとわざわざ面倒な展開を書くことにしてしまった馬鹿作者ですが、小説というジャンルを逸脱しないかが非常に心配であります。しかし書き出した以上後には引けない中途半端な男気を見せ、選択肢を設けておきます。最初から全てお読みになる(作者としては小説と言い張れるのでそちらの方が助かる(汗))のも、自分の選んだ選択肢で命を賭けてみるのも貴方次第でございます。それでは二つじゃなくて五つつだった選択肢プラス二つ、合計七つの中からお好きなものをお選びください*




 ・右のスイッチを押す
 ・左のスイッチを押す
 ・両方のスイッチを押す
 ・どちらのスイッチにも触れずに待つ
 ・地上直通階段で逃げる

 ・呆けてみる
 ・ニュルリ、と蠢く物が彼らの前に姿をあらわす












『右のスイッチを押す』この選択肢を選んだ貴方へ……。




 僕は迫り来る時間の中、考える。
 目の前にある宝を無視することは出来ない。しかし……、それらと共に心中というのもいただけない。
 どうしたらいい……? 僕は何かヒントは無いかと辺りを見回すばかりだ。もちろんこの部屋に足を踏み入れた時点で、全てを見たはずではあったのだけれど。しかしその観察は二人が見つけた文字などのことを考えると十分だったとは言えないようである。 
 ……? 僕の中で何かが引っかかった。壁の文字……。
「ねぇ、本当にもう間に合わなくなっちゃうよ」
 リアティが悲鳴染みた声をこちらに浴びせかける。しかし彼女にはやはり僕達二人を置き去りにして逃げる気は無いらしい。
 僕は彼女の気遣いを無にしないためにも考え、一つの結論に至った。それは一種の賭けに近かった。しかし、たとえ賭けであってもこのまま待っているよりは少しは望みが持てる。
 僕は声を発した。
「ルオン、右のスイッチを押してくれ」
 その言葉にリアティは絶句した様子だった。しかし今から走って逃げたとしても生き残れる望みは薄い。そして何より……。
「よしきた」
 ルオンには彼自身の出した結論が無視されたことを気にする様子も、ましてその一指が三人の運命を握っていることに臆する様子もない。それ以上に自らの発見を評価されたことを内心で喜んでいるのだろう。嬉しそうにスイッチを押した。
 僕は自分の考えが正しかったのかを疑問に思いながら、しかしもう引き返せないという現実を前に、唇を噛みながらただ強く両の手を握り合わせた。
 ……、音。高く、鳥の鳴くような、しかしどこも生物の気配を感じさせない、そんな音。それが一体何であるのか、僕達にはわからない。繰り返し鳴り響く音は、一体何を意味しているのだろう。
 それを教えてくれたのは……、男の声だった。

『……おめでとう、探求者よ。君は私の問いに答えられたようだ……』
 
 爆発は起きなかった。
 爆音の変わりに聞こえてきた声は掠れていて、男の、それもおそらく老人であろう彼の長年の苦労を思わせた。
「……やったぁ、生き残ったよ、あたしたち」
 僕の方へへろへろと歩いてきたリアティは、小さな声を漏らす。……これほどまでに恐怖していたのに、決して僕達を置いて逃げようとはしなかった彼女を、僕は心から愛しく思った。
「当たったな、俺のおかげだよな?」
 ルオンはいつもの様に極めてリラックスした様子で、死を目の前にしたということが非現実的に見えるほどの余裕が感じられた。彼の現実を超越してしまったようなところが頼もしく思える。
 一つ溜息をついて、僕は手のひらの冷や汗を服で拭き取った。
 僕は自分の考えが正しかったことに密やかな喜びを感じていた。あの血文字は、やはりノーティア自身が書き残した文字だったのだ。それに気付いたのは、あの前提条件の提示と血文字の存在を掛け合わせたからだった。
 あの、金庫を前にした時に提示された条件。右か左かを選ぶこと、そして間違いがあった場合には『爆破閉鎖』されるということ。
 その『爆破閉鎖』という言葉の意味を考えた上で、あの血文字を残した人間が間違ったスイッチを押し、『爆破閉鎖』に巻き込まれて息絶えたとは考えられない。何故なら僕達がこの金庫を目の前にした時、確かに金庫は機能していたのだから。そして傷ついて倒れただけの人間が、最後に残していく言葉が「右を押せ」だとか他人の名を騙ることだとも思えない。
 つまり、あの血文字はノーティア自身が書き残したものだと信じるより他無かったのだ。彼自身が何らかの要因により扉を開く前に力尽き、そして後に続く者に宝を託したのだと。だからこそ扉は閉じたままで、『爆破閉鎖』とやらの影響も受けずに僕達を迎えたのだろう。
 ……だが僕の中で、何かが引っ掛かっている。それがどうもうまく飲み込めない。

『……君は私が求めてやまなかった、あのトレジャーハンターに違いない。いや、たとえ君が私の知る男で無かったとしても、私の声が時を越えた未来の若き君に届いていることを喜ばしく思うよ……』

 その声が奇妙に響き渡った。僕の全身の肌に、不快な鳥肌がざわめく。
「……どういうこと? ジャウ、この声知ってるの?」
「なんだよ、知り合いなら早く言ってくれよ。そしたら悩む必要なんか無かったのに」
 ……僕は話し掛ける二人の言葉に答える余裕も無く、ただその場に立ち尽くし、そして目で鋼鉄製の扉をにらみつけている。僕の中にあった引っ掛かりが全て取り払われたような気がした。
「リアティ、ルオン、逃げよう」
 僕が辛うじて声に出来たのはそれだけだった。

『……この部屋に備えてあった物の全ては、プログラムでしかなかったんだよ。わかるだろう? ハクルル……』
 
 ……ソルテグレ。クレルバイン=ソルテグレ。。
「誰なんだ? このおっさんの声。おい、宝を置き去りにしていく気か?」
 僕が出口に向けて手を引くのを振り切り、ルオンは扉の方へ振り返った。僕はその手をもう一度掴み直す。時間が無いのだ。
「頼むから早く付いてきてくれ。僕はもう、あいつの為に誰も失いたくない」
 僕の言葉の意味が彼に伝わったらしく、ルオンはそれ以上後ろを振り返ろうとはしなかった。
 地上へと繋がる階段。石で頑強に作られていて、走りやすい。しかしここにも何らかの仕掛けが施されている可能性もある。おそるおそる、しかし呑気に時間を無駄にしている余裕は無かった。
 遠くから、あのいけ好かない老人の声が届いてきた。

『……逃がすわけは無いだろう。宿敵を容易く逃してはソルテグレの名が泣く……』

 もうあと少し、というところで僕は再度地下に向き直り二人の手を再び引く。
「ちょっと、どっちに行きたいの。少しは落ち着いて説明しなさいよ」
 リアティの言葉すらも無視し、ただ地下に向かって走る。下りの段が膝に響いてきた。
 その時。階段の上から重く響くような音が聞こえてくる。それは残酷で過ぎる時間よりも早く僕達に迫ってくる。……石段が上から崩れ始める音だ。
 僕が手を引いていたのに、今度は二人が僕を持って走るように階段を駆け下りていた。
 そして三人が金庫の間の前に着いた時、ガラガラと崩れた石は僕達をかすめて地面に崩れたのだ。

『……間一髪、といったところか。いや、君がハクルルで無いならば、今のトラップで死んでしまったかな……』

 声は、やはりクレルバインの声だった。ということは……。
 当然僕達の目の前で、ここに辿り着くために通ってきた道が岩によって塞がれた。岩が崩れたことによって巻き起こった土煙にリアティは咽ぶ。
「なんなの!? 一体」
 どうやら八方塞のようだ。僕は溜息をつきながら、もう説明するより他無いだろうと思い、地面に腰を下ろした。
「……さっきのあの声。クレルバイン=ソルテグレの声だよ。知ってるだろ、ソルテグレだよ」
「誰、それ」
「チビは黙ってろ」
 僕の言葉に、ルオンは初めて眉に皺を刻み僕の隣に座る。……そうか、ガード歴が短いリアティにはわからなかったか。リアティは不機嫌そうにルオンを見下ろして、口を噤んだ。
「あの、お前の親父さんが殺した、ソルテグレか?」
 彼の言葉に、明らかに困惑が浮かんでいる。それもその筈だ、十年前に確かにソルテグレ博士は死んでいるのだから。僕は彼の困惑を理解しつつも、頷くしかなかった。
 クレルバイン=ソルテグレ。古代の文明について生涯研究を続け、そしてトレジャーハンターを非難し続けた、そのうえ彼らに対しての妨害をやめなかった、異常者である。その彼が特に目をつけていたのが、有能なハンターであった僕の父、ハクルルだったのだ。
 しかし、古代遺跡においての両者の戦いは、父の戦友達の死と、ソルテグレの死によって終幕を迎えたのだ。それは間違いの無いことだった。幼い頃の僕が確かに彼の亡骸を見たのだから、間違いの訳が無い。
「じゃあ……」
「そうだよ。この遺跡の存在自体が、彼の作った大きなトラップだったんだ。もう五年前に病気で死んでしまった父を殺すための、ね。彼が死んだ後も、このトラップだけが生き続けていた……」
 そして、そのトラップにたまたま捕まったのがハクルルの息子、つまり僕であったという皮肉を、僕は心から憎らしく思った。なんていう運命の悪戯だろう。父が残した古文書や「パーパメニュム」を探すための手がかりも、全てはあの異常者に作られたトラップだったのだ。もしかしたら父は病に倒れるのではなく、このトラップに嵌って力尽きていたのかもしれないのだ。
 ……、しかし、僕はこんな所で死ぬ訳にはいかない。絶対に。
 僕は二人に目を向ける。
「……生きて抜け出すんだ」
 たったそれだけの言葉で、二人は納得したように頷いてくれた。
「当たり前、あたしがこんなちゃちな墓に入ると思う?」
「お前はチビだから入るだろうけど、俺はとてもじゃないがスケールが小さす」
 リアティの正拳がルオンのわき腹を突いた。
 僕はその二人の姿を見ていて思う。絶対に諦めたりしないのだ、と。諦めること自体が馬鹿らしく思えてくる。
 そう、この二人と一緒なら大丈夫だ。何も心配無い。



 父の戦友達よりも力強く、遥かに深い友情に結ばれた僕達は、決して一人も欠ける事無く地上に辿り着くのだ。





 岩を散々叩き割った血塗れの拳をだらんと垂らしながら、リアティは僕の左肩に寄りかかった。
 右の肩には、自慢の短剣で岩を砕いた為にぼろぼろにしてしまったルオンが凭れ掛かる。
 二人が砕いた岩を地下に運び続けた僕はその二人を支えながら、朝焼けに映える草原を歩いている。
 そして、岩を僕は言う。
「ありがとうな、リアティ、ルオン」
 この二人とならどんな困難にも耐えられる、僕は心から確信した。
「……今回のお金、いつもの倍ね」
 力無く、しかししっかりと銭勘定だけは働いているらしいリアティは言った。
「……俺は三倍で、な」
 いつもは金のことなど少しも気にしないルオンですら、弱々しく呟いた。
 ……今回、お宝ゼロだったんだよね。



 僕はとりあえず街についたら風呂に入ろう、それだけをただひたすらに頭の中で繰り返していた。



                   右、終











 『左のスイッチを押す』この選択肢を選んだ貴方へ……。




 僕はただしばらく思案に暮れていた。
「ねぇ、まずいよ。本当に死んじゃうよ!」
 リアティが僕に向けて叫ぶ。……そんなことはわかっている。わかってはいるが、慌てても時間を無駄にするだけだ。落ち着いて右か左かを判断しなければ。もちろん僕の中で、逃げることはすでに選択肢に入っていなかった。時間的に考えてもまず無理だろうからだ。
 僕はさりげなく時計を見る。残り三十秒ほど。
 ……考えろ、考えるんだ。
 その時、唐突に僕の脳裏を何かがよぎった。―――そうか……。
 僕はその閃きを否定する要素が無い事を確認し、厳かに声を発する。
「ルオン、左だ。左のスイッチを押してくれ」
 僕のその言葉に、ルオンは僕を振り返った。その表情に、驚きのようなものが浮かんでいる。
「……なんだって? 今、左って言ったのか?」
「ああ、説明している時間が無い。早く押してくれ」
 彼はしぶしぶ僕の言葉に頷き、左のスイッチに近づいていく。そしてそのスイッチを右の人差し指で押した。
 僕はその動作を見つめながら、静かに考えをめぐらせる。……大丈夫だ、間違い無いはずだ。
 ……、低く、重い音が、僕やルオンの腹に響いた。
「な、なんだ? なんだよこれ」
 ルオンの声を聞きながら、しかし僕は落ち着いてその音を聞いていた。
「なんで左を選んだんだ? 本当に合ってるのか?」
 僕はルオンの声に頷きながら直通階段の方を見た。リアティの姿はもうすでに無い。逃げてしまったようだ。……逃げる必要など無いというのに。
 そうさ、これは正解なんだ。この音は警報音等ではなくて、正解を知らせる合図なのだ。そうに違いない。
「……教えてやるよ、ルオン」
 その時だった。鋼鉄製の扉が赤く歪み、徐々に形を変え始めたのは。
 突如噴出す炎の中で、僕は思い返していた。



 ……あれ? 僕、左利きなのに……。



               左、終。











 『両方のスイッチを押す』を選んだ貴方へ……。




 しかし僕は少しも悩まず、瞬時に声を発した。
「ルオン、僕に合わせて右のスイッチを押してくれ」
 そう言いながら、僕は左のスイッチに近づいていく。その目に、リアティの姿が映った。僕は眼光にラブコールを込めてみる。……愛してるよ、信じてるよ。そんなメッセージを伝える為に。
 なんだかんだで、僕は自分で考えるのが大嫌いなのだ。だって、こういう場面で自分の考えを貫いて間違ってたら嫌じゃん。それにリアティの考えが僕としては一番しっくり来たのだ。だから、それでいいんじゃない? そう思うのだ。ルオンの意見もまぁわからないではないが、しかし余りにも投げやり過ぎる気がした。もうちょっと積極的にいこうや、そんな感じである。
「いくよ? せーの」
 僕とルオンはほぼ同時にスイッチを押す。リアティは目を瞑って、天に祈るような仕草を見せた。
 ……何も起こらない。
 鋼鉄の扉は開く気配がない。そればかりか、部屋中の一切の物が死んだように静まり返った。静寂が辺りを埋め尽くし、何もかもが息を潜めているように思える。
「ルオン、大丈夫か」
 僕はルオンの方を見て……、自らの目を疑った。
「ルオン……!」
 そこにいたのは。
 いや、あった、そう表現する方が正しいだろう。
 ……そこにあったのは、人型をした実物大のルオンの石像だった。その姿は、まるで生きているようでありながら、しかし肌の色は彼とは似ても似つかない。灰色の、誰の目にも明らかな、石。
 僕は、その姿に目を背けそうになったが、もっと恐ろしいことが自分の後ろで起こっているのではないか、そう思った。
 リアティは無事なのか。
 すぐに確かめたい気持ちがあったが、しかし体は裏腹に振り向くことを拒んでいた。自然僕は目を瞑らざるを得ない。
 僕の体は視覚という重要な要素を封じ、背後に意識を集中させた。……息遣いが伝わってきたなら、すぐにでも振り返るつもりで。
 ……しかし残酷にもその息遣いは、僕の暗闇に研ぎ澄まされた耳に届いては来なかった……。
 僕は……、しばらくの間何も出来ず、何も考えられず、ただ何もかもをそのままに佇んでいるしかない。それ以上、僕に出来ることなどあるわけが無いのだ。何故なら、僕は自分の考えを貫くことなど出来はしないのだから。
 僕は目を閉ざしたまま、土の床の上にただ立ち尽くし、在りし頃の二人を思い浮かべるばかりだった……。



 何故二人が石と化したのか、その事実について考えることすらも出来ずに……。





                 両方、終










 『どちらのスイッチにも触れずに待つ』を選んだ貴方へ……。




 ……、僕は考えた。ずいぶんと考えた。が、未だに良くわからない。
「ねえ、ルオン。どうしたらいい?」
 ……実際僕が一番頼りにしているのは、本当はなかなか頭の切れるルオンなのだ。リアティも確かに頼りにはなるが、しかし勘に頼るのは正直怖い。いくらこの二人が強いとは言っても、爆発の威力がどの程度かわからない以上、不用意な行動は避けなければいけないのだ。
 ルオンはふふんと鼻を鳴らした。
「ようやく素直になってきたな、ジャウ。……お前がもし」
 言いながらルオンは壁際の白骨を指差した。そして言葉を続ける。
「あのガイコツを信じるなら、右を押すべきなんじゃあないか? だが、死人に口無しだからな、今までいくつも修羅場を潜り抜けて、それでも今こうして生きている俺を信じるなら、このまま待つべきだろうね」
 自信たっぷりにそう言って、ルオンは地べたに座り込んだ。
 僕は……。
「こうなったら、どうにでもなれ」
 そう呟きながら、彼と同じように座り込む。こうなったら一蓮托生というやつだ。
「馬鹿じゃないの、付き合ってらんない」
 そう言い残し、リアティは階段を駆け上がっていった。……残り何十秒か。その時間内に彼女が地上の安全な場所に辿り着くことは、多分不可能だろうと思う。しかし彼女を引き止める必要は無かった。爆発は起こらないのだから。


 ……時間は確かに過ぎた。


「ほらな、何も起こらないだろ?」
 そうルオンが口にした瞬間、だった。あの不気味な、無機質な声が僕の鼓膜を振るわせたのは。
『……右か左か。お選びください』
 ……? 僕は首を傾げてしまった。同じ動きをルオンが見せる。
『どちらかのボタンをお選びください』
 段々と強くなっていく声。言葉に苛立ちが混じっている。僕は奇妙な感覚を覚えてしまう。
 そこでルオンはしたたかそうな笑顔を浮かべる。……彼には何が起こっているのかがわかったらしい。
「いやだね。俺は指図を受けるのが嫌いなんだ」
 その言葉を聞いた時、僕は思わず自分の耳を疑った。何を言ってるんだ? 機械に声をかけてどうする?
 しかし僕の考えを否定するように、機械は彼の言葉に答えたのだ。
『……いや、そういう問題じゃないでしょう。爆発するんですってば』
「いーやーだ! 何回言わせる気だよ。大体ね、頼み方ってもんがあるんじゃないか? こういう場合」
 ……なんでこいつはこんなに強気なんだろう。そして何故機械は答えているのだろう。僕は頭の中がおかしくなり始めていることを確かに実感していた。多分凡人の僕程度には計り知れないことなんだろうな。
『いやいや、あなたね、中身を引き出そうとしてるのはあなたでしょう? 三十分も猶予与えてるのに、なんで結論を出そうとしないんですか』
 もっともだ。限りなくもっともな意見だ。普通はもう少し何かまともなことを考えるのではないだろうか。
「君ね、それがお客様に対する態度なのかい? この銀行はそういう所なのかい、へぇー……。支配人がどうしても使ってくれって言うから使ってやってるのにねぇ、三億ジェラルも預けてる人間に対する態度がこれかい、へぇー……」
 ……詐欺だ。誰がどう考えてもこれは詐欺だ。それ以上でもそれ以下でもない。盗人猛々しいとはこのことだ。しかしこれでルオンがどうやって中身を取り出そうとしているのか、そして最初のあの条件提示がどのような意味合いを持っていたのか、愚鈍な僕にも理解することが出来た。
 要するにあれは、一種の脅しだったのだろう。そしてこの金庫の作成者は、どうやらリアルタイムで金庫を訪れる人間に音声で対応する機能を付けていたらしい。もし右か左かを選ばなかった場合、爆破閉鎖を行ってしまってはせっかくの宝物が取り出せなくなってしまうことを案じて、しかし盗賊などに奪われることが無いように考えて、この音声システムを採用したのだろう。それに気付いた今となっては爆破閉鎖というのが本当に行えるのか、それすらも怪しい。
『いやいやいやいや、お客様、それは困ります。右か左かを選んでいただくということが当銀行のルールになっておりますので……』
「だからね!? そのルールだってお客がいないんじゃ用を成さない訳だろ? それじゃ意味が無いじゃないか。まず客を第一に考えるのが客商売の基本だろ」
『そう申されましても』
「あのねぇ、こっちだって時間を持て余しているわけじゃないんだよ。時は金なりってよく言うじゃないか。ここじゃあ客の大事な時間をつぶしたことに対する賠償についてはどういうルールになってるんだ? 教えてもらいたいものだなぁ」
 ……詐欺師だ。この男は詐欺師だ。
 僕は付き合いきれないものを感じそろりと立ち上がると、扉と向かい合ってひたすらに論争を繰り広げるルオンに気付かれないよう、忍び足で階段を上り始めた。
『お客様、そういったことは私には理解しかねます。お近くの係員にお申し付けください』
「逃げるのか! そうやって他人に責任を押し付けて逃げようとするのか! そういう態度を子供が真似したら、あんたは責任を取ってくれるのか? 俺はあんたに扉を開けてくれって頼ん…だ……」
 ルオンの声が遠ざかっていく。その声がほとんど聞こえなくなると、僕は走るようにその場を後にした。
 やがて地上に辿り着くと、少し離れたところにリアティが立って待っていた。
「あれ、ジャウ。一人? ルオンは?」
「……下で機械と口喧嘩してる」
 僕はそれだけ言うと、外の新鮮な空気を深く吸い込んだ。
 ……まだやってんだろうな。
 朝焼けが綺麗な草むらを染めている。
 僕は何だか考えるのが心から下らなく思えてきて、リアティの肩に手をやると朝の目覚めた大地をとぼとぼと歩き始めた。リアティは深く考えることも無くついてきてくれる。
 ……ほっとこう。面倒臭い。
 



 何年か後。たまたま仕事で同じ地方を通りかかった時、僕と妻のリアティは地下から聞こえてくる男の声の怪談話を風の噂で知った。それが果たしてルオンなのかは、扉だけが知っている事実……。





                   押さない、終











 『地上直通階段で逃げる』を選んだ貴方へ……。




 ……考えている時間は無い。目の前にあるお宝を置いていくのはハンターとしてあるまじき行為だが、何事も命有っての物種なのだ。
「ルオン、逃げるんだ! 早く、走って!」
 僕はルオンに向かって叫びながら、階段へ走り出した。ルオンは金庫の宝を名残惜しそうに見つめていたが、僕の言葉に従ってくれたらしく続いてくる。
 果てしなく思える石の階段。僕の目の前を俊足の足を持つリアティが走る。背の低いリアティの行く先に、遥か遠く地上の光が見えていた。
 狭い空洞に入り混じる足音、呼吸音、そして僕の中で高鳴る心音。それらが複雑に絡み合い、奇妙なメロディを奏でている。しかしその音に耳を傾ける余裕は、当然のことながら無い。ただ離れ始めたリアティの背中を追うことで精一杯なのだ。
「早く行けよ、ジャウ!」
 後ろからルオンが余裕そうに、苛立たしげに叫ぶ。狭いこの直通階段には、ルオンを先に行かせるだけのスペースすらない。僕は心臓が破れるほど必死に走るしかなかった。
 リアティが、遠く地上の光の向こうに姿を消した時、だった。
 その時、背後から起こったのは、紛れも無く爆発音。
 あと三段。僕は懸命に走る。
 しかし後ろからルオンが僕にぶつかってきた。もう爆風はそこまでやってきているのだ。
 あと一段。僕の背中が揺らぐ。そして同時に足が石段から離れていた。

 僕とルオンは、共に宙を舞った……。

 階段から離れた刹那、ルオンは僕の体を片手で触れ、少し離れた場所に生えていた木に逆の手で短剣を突き刺していた。その動きは余りにも正確で、そしてその腕は強靭に二人分の体重を支える。僕とルオンはぶらぶらと背の高い木の腹にぶら下がっていた。
「馬鹿じゃないの!?」
 リアティが木の下で笑い声交じりに僕とルオンを指差している。……大きなお世話だ。
 ルオンはリアティの姿を確認して、僕の体を離した。それをリアティが下で受け止める。僕は一体どういう扱いを受けているのだろう。
「おかえり、トレジャーハンターさん」
 小柄な少女は僕を両腕に抱きながら、優しくそう言った……。





 軽く痛めた体を引きずり、僕達は――といっても二人は物足りなさそうな顔をしていたが――街に辿り着いたのだった。
 そこで僕達が見つけたのは……。
 燃え盛る炎に包まれ、悲鳴や怒号が交錯する、変わり果てた街の姿だった。門をくぐった僕は、真っ先に僕の横を通りすがった若い女に声をかける。
「一体何があったんだ?」
 しかし女は答える気力も無さそうに、項垂れながら僕を無視して通りすぎていった。
「……何だよ、何があったんだ」
 燃え盛る街を見つめながら、僕は考え、そして少し後に一つの結論に至ったのだ。
 ……あ、やべぇ。この街にあの洞窟のもう一つの入り口があったんだっけ……。
 僕は三日前にこの街から直接洞窟に潜入したことを思い出しながら、今来た道をそっと引き返す。



 だって、僕等は正義の味方じゃないでしょ?





                  地上直通階段、終













 『呆けてみる』を選んだやる気の無い貴方へ……。




 僕は考えた。……考えに考えを重ねた。とにかく考えた。今まで生きてきた中での全ての出来事に思いを巡らし、そして全てについてヒントになる事柄が無いか瞬時に選び出し、全てのヒントを並べ尽くして頭の中で組み合わせていった。それも一瞬で。




 そして――、頭が飛んだ。



 なんか、どうでもいいんじゃねぇ。考えるの面倒くさいしぃ。死のうが生きようがどうでもよくねぇ?
「お、おい、ジャウ。どうした?」
 なんかルオンとかいう奴が変な顔でこっちを見てるが、どうでもいいんじゃねぇ。だって、こいつは言わばきびだんごで釣られて付いてきた犬、いやあ、髪が緑色だからキジ程度の子よ? どうでもいいんじゃねぇ。雇われてるくせに偉そうにし過ぎなんだよね。
「ねぇ、ジャウ! 早く逃げないと!」
 なんかリアティとかいう奴がこっち見てるけど。どうでもいいんじゃねぇ。だってこいつはサルよ、ほんとに。キィキィうるせんだっつの。
 ……あぁ、寝よ。だりぃ。
「……おい」
「……おい」
 ……? まぁ、僕には関係無いんじゃねぇ。ルオンが短剣取り出してるとか、リアティが殴る構えをしてるとか。どうでもいいんじゃねぇ。好きにやらしとけばいいんじゃねぇ。
「お前が一番やる気ないんじゃん」
「……あんた主役のくせに、ちゃんと台本通りにやんなさいよ」
「……主役とか、どうでもいいんじゃねぇ」



 その直後、
 僕の胸に短剣が突き刺さり、
 股間に拳がめり込んだのは、
 ちょっとした誤算だったけど、
 ……まぁいいんじゃねぇ。




           
              呆けてみる、……どうでもいいんじゃねぇ。













 『ニュルリ、と蠢く物が彼らの前に姿をあらわす』を選んだ物好きな貴方へ……。




 僕は悩む。右、左。それとも逃げるべきなのか……? しかし答えは容易には出てこない。
 部屋中を見回していると、ふと僕の中に一つの考えが浮かんだ。
 ……あの血文字。あれが意味しているのは……?
 もう一度僕はその目を血文字に向けた、その時だった。


 ニュルリ。音も無く、しかしニュルリという音が最も適当に思えるその存在は僕の前にその姿を晒したのだ。


 ……黒く変色した血文字に思えていたものは、黒く細長い生物だったのだ。その見たことの無い細長く表皮に粘液質の液体を張り付かせた生き物は、めり込んだ土壁から這い出し、地面に落ちた。
「……なに、あれ」
「蛇、じゃないかな」
 リアティとルオンは二人で、時間のことなどすっかり忘れてしまったまま腕を組んでその生物を見つめる。……二人の息遣いが聞こえてくるほどに部屋は静まり返り、黒の生物がのたくる音だけが僕の耳に届いてきた。
「……あれは蛇じゃない」
 僕は自信満々にそう言った。その言葉に二人は僕の方へ目を向ける。
「じゃあ、何あれ」
 リアティが聞くよりも先に、僕はその生物を両の手で捕まえようと試みていた。
 が。粘液質のその表皮が、僕の手のひらの圧迫から巧みにその生物を逃してしまう。僕は思わず舌打ちをしてしまった。
 そうだ。これは、傍目にはわかり難いけれど……。
「だから、それ何?」
 僕はふふん、と鼻を鳴らして二人を見る。
「これは、鍵だよ」
 そう、自分の考えを自慢気に声に出した、その時だった。
 突然四方八方から飛び出したのは、僕達を食らい尽くそうとする赤い炎。その炎はどこからともなく僕達を包み、包んでなお余りあるように猛り狂う。
 そんな現実的な死に直面しながら、僕は考える。



 鍵穴、付いてねぇし……。





                  ニュルリ、……ニュルリ。


2005/06/30(Thu)18:59:16 公開 / 恋羽
■この作品の著作権は恋羽さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ

 うん、ネットワークがうまくいかず、泣く泣く漫画喫茶から更新でございます、恋羽です。

 さて、そんなどうでもいいことは置いときまして、一応書いては見たものの……全体的に薄いなぁと。無理に選択肢を広げすぎた感がありますね。しかしまぁ、この子ら書きやすい。ジャウ、リアティ、ルオンのトリオで本格的にファンタジー物を書くときが訪れたらいいな、とか考えながら、鬱系小説を執筆する恋羽なのでした。
 それでは、お読み頂いた方、もしよろしければご感想などお聞かせ願えたなら幸いです。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。