『人間さがし 1−13』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:棗                

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1 大日本帝国
「いつまで寝てるの!全くしょうがない子だねっ」
威勢の良い声が、少年の耳に直に響き渡った。少年は耳を押さえてベッドから起き上がると、その声の主から遠ざかるようにして布団に包まり、怯えたように見上げた。
「ね、姉ちゃん…」
「ホレ時間見てみろや!アンタって子はほんとにのんきなんだから!だから昨日夜更かしするなって言ったの!」
少年の姉・りくは、ベッドの脇に山積みされている本を軽々と持ち上げると、巨大な山を用意されていた段ボール箱にぶち込んだ。
「あぁあ!何て事してくれんだよ姉ちゃん!」
「昨日の夜言った筈でしょ!またあの本を読んで夜更かしして、朝起きられなくて学校に遅刻したらすぐに捨てます!」
少年はうっと言葉に詰まる。そう、確かに姉は、昨日の夜、少年が部屋に上がっていく前、念を押すようにその台詞を何回も言っていた。
しかしながらあまり頭の良くない少年は、気付かれまいと必死に本を読み漁ってしまったのだ。
もちろんその本が、この国の歴史や誇りになる内容なら誰も文句は言わなかっただろう。しかし、少年の読みたがる本は、空想世界で繰り広げられるファンタジーばかりだった。
箒に乗って空を飛ぶ魔女、森の中で忙しそうに働く小人達、空から舞い降りてくる妖精や精霊、雲の上からそっと現世を見守る天使、そして地下深くの悪の世界でずる賢い考えを巡らせる悪魔。
全てが少年を解放してくれる、安心させてくれる、想像力をかきたててくれる小道具だった。
「…何でなんだろう」
「…」
姉は、寂しそうに顔を曇らせる少年を見下ろし、少し哀れみを含んだ声で言った。
「掟に反するからよ。現実を見つめなさい」

ここは、とてもとても小さな島国でした。
気候が四季折々に変化したり、自然を少しずつ壊したり、何回も同じような政治の主張を繰り返したり、子供達は毎日決められたように学校に行ったり、大人は皆くるくると忙しく働いたりしなければならない国でした。
出る杭は打たれるし、打たなければならない国でした。

「下らない」少年はいつもそう感じていた。ここは、毎日毎日同じ事を続け、同じ事に喜び、同じ事に苦しめられる事を幸せだと思う人々の住む国であり、思わされる人々の住む国だ。少年はどちらかといえば、後者だった。
それでいて、ここ最近は「この国を誇りに思え」「現実に目を向けて共に闘おう」という、クソみたいな事を言う大人が増えた。
最近は貿易がうまくいかず、仮鎖国の体勢を取っているからなのかも知れない。他国のモノが多いファンタジーは、「改訂・国の掟」――自給自足をしなければいけないという事が延々と綴られている物――によって、売買、または所持していた場合は強制回収し、十万円以下の罰金を命ぜられると記されていた。
しかし少年は、ファンタジー小説を集める為、たくさんの闇ルートも使っていた。
姉はその努力を知っていたので、なかなか捨てさせる事が出来なかったのだが、今度ばかりは仕方ない。
「大改訂・国の掟」により、その類の物は売買、または所持していた場合、強制回収、及び十万円以上二十万円以下の罰金、又は五年以上、十五年以下の懲役と記されていた。
姉のりくと、親戚からの雀の涙のような金で成り立つこの家庭に、そこまでの罰金を払う余裕は無い。
かといって、弟が刑罰を受けると知れば、例え雀の涙でも頼りにしている親戚からの金は、がっくりと減るだろう。姉までもが『非国民』のレッテルを貼られる羽目になる。
この最新版の掟は、つい一昨日発表された。あまり弟にショックを与えずに本を捨てる方法として、姉はこれを選んだのだ。

「何でなのかしら」
りくは呟いた。段ボールの中にぎっしり詰め込まれた本の山。表紙には所狭しと不思議な世界が描かれ、中の人物は活き活きとした表情を浮かべていた。入手方法のせいもあってか、薄汚れて色あせてしまっている本なのに、何故か、まだ不思議な魅力は残っているような気がした。
しかし、りくが言いたかったのはそんな疑問ではない。
「何で…こんなに」
現世の人々より、色あせた小人達の方に魅力を感じるのだろう?

「あーあ、全く姉ちゃんはつれねーなぁ!あのクソババ!こう、何ていうかなぁ、ファンタジーの魅力って物を感じないんだなぁあのババア!下らないっ」
もう口癖になってしまったそれを何回も繰り返しながら、少年は朝の支度をした。姉のお下がりの(さすがにズボンは買ったが)制服を着ると、これまたお下がりの真っ赤なランドセルを背負う。義務教育が九年間、通しで行われる「国民学校」で、少年は今七年生。確か昔は、小学校と中学校とかいうのに分かれていたって、歴史の時間に勉強した。

この国は、決められた狭い狭い小さな枠の中で人々が暮らす、小さくて卑屈な国。
一時期はそれ相応の名前になったらしいけど、今はまた昔の呼び名に戻ってしまった。少年のランドセルに掛かった、帝国民である事を示す、でかでかと太陽の描かれた国旗を象ったキーホルダーが揺れる。

「行って来ます」

この国の名は、『大日本帝国』。小さい人々が小さく暮らす、小さく暮らさせられる、そんな国。


2 アフリカ大国
一面が、砂で覆われていた。
目の前に映るのは、歪んだ太陽と空気、そして巻き上げられる黄土色の風、その隙間から僅かに見える、青空。
その中を、少年は一人、馬に乗って走っていた。目的は唯一つ。水を手に入れることだ。
「…なかなか見えてこないな」
自分の腰に巻きつけられた鞄から一枚の黄ばんだ紙を取り出し、念入りに指で、曖昧な道筋をなぞる。自分の出てきた小さな集落から、西へ西へと進んでいけば、必ず水は見つかるはずなのに。自分の腕に紐で巻きつけた方位磁石は、少年の進む方向は西であると示している。
最早馬の方も疲れきっていた。少年は自分の為の水を与えていたのだが、もう残りは僅か。
「もう少しだ。頑張れ」
少年は馬の頭をぽんぽんと叩くと、手綱を引いた。馬が、ゆっくりとした足取りで前へと進み始める。
燃えるような暑さが、じりじりと迫ってくる。少年の着ている長くて重い民族衣装は、体に日光が当たらないようにと村中の知恵を集めて作られた服だったのだが、ここまで暑くてはどうにもならない。かといって、脱ぐのは命取りだ。額に滲んできた汗を袖で拭い、ただ前だけを見つめ続ける。
集落の水が足りなくなった。早く見つけないと、みんなの命に関わる。汗と涙を、また同じ袖で拭った。

ここの集落は、昔とても大きな国でした。たくさんの祭りが行われ、陽気な人々が集まり、自然と共に歩んでいる、明るい国でした。
けれど、そんな民族を嫌う者たちが居ました。
それは肌の白い民族で、少年のように黒く焼けた肌の民族を汚く思ったらしいのです。
白い肌の民族はある時、この国に攻めてきました。見たことも無い、大きな機械をたくさん集めて、無防備な大国に攻撃しました。当然、少年の住んでいた大国は滅んでしまいました。
捕虜になった人々を火の中でもっと真っ黒に焦がして、白い肌の民族は堂々と勝利を飾ったのです。

そして、処刑が終わる頃には、栄えていた街は砂に埋もれ、青々とした森は跡形も無く消え去り、辺りは一面砂漠になってしまった。
それは未だに、少年が幼かった頃の記憶の中に鮮明に残っている。
毎日上空から落ちてくる火の玉。家を追われ、家族を失い、見知らぬ人に導かれるままに戦火の無い方へ、砂漠の方へと走っていった記憶。
思ったのは、“なんで”という疑問。自分は何もしていない。自分はここにいただけだ。肌の色が違うだけだ。それなのに、なんで?
壊れていく街を振り返りながら、少年は走っていたのを、よく覚えている。

あのとき街に残ることを選んだ人は、一人残らず燃えてしまった。少年のように、砂漠へ向かったわずかな人間だけが、このような最低の形ではあっても、生き残る事が出来た。

この集落で最も力のある若者として水探しに出かける前、少年は長老にこの話を聞いた。
長老は長く、真っ白な顎鬚を撫でながら、少年の事を真摯に見つめて、話していた。全て話し終わった後に、水を入れるための大きな甕、それと僅かな飲み水の入った小さな瓶、代々乗り継がれているという名馬を渡してくれた。そして一言、「頑張れ」と言って、少年の事を抱き締めた。
その表情には強さと、優しさと、少しの不安が浮かんでいた。
幼い頃の自分から見れば、怖いほど大きかった祖父は、昔よりずっと小さくなっていた。自分も大きくなったし、相手も年老いたのだ。
祖父の顔が当たっている肩が、僅かに湿ったような気がした。
「…気をつけて、帰って来い」
「わかっています」
民族衣装を身にまとい、少年は微笑んだ。

「アフリカ大国の名は、絶対に汚しません!」
遠ざかる集落に向かって、少年は元気良く叫んだ。馬の巻き上げた砂が、すぐにその姿を覆い隠した。


3 グレートブリテン共和国
神々しい朝の光が、街に夜明けを知らせた。
街中のあちこちにある煌びやかな建物のひとつひとつが、朝日と対になって美しいコントラストを醸し出す。噴水からは絶える事無く水が流れ、広場の真ん中にたたずむ銅像は優しい微笑を称えて佇んでいる。花々がゆっくりと開いていき、花壇が色鮮やかに彩られる。
ガラン、ガランという鐘の音と共に、側で眠っていた鳥たちが羽ばたいていく音がした。

「神よ、今日も私にご加護がありますように」
「またお祈りか?信心深いねえ」
その美しい街の一角にある教会で、十字架の元に少女が跪き、胸の前で両手を組み合わせていた。少女の後ろには、一人の若い青年が立っている。
「だって、私が今日も元気に、健康に過ごせるのは神様のお陰よ。全知全能の神が、私の事を護って下さっているの。素敵だと思わない?」
振り返った少女は、片手に花がたくさん詰まった籠を抱えている、花売り娘だ。
「はいはい。そこまで神様を信用しすぎると、あとで裏切られたときのショックが強いよ?」
「それが牧師の言う台詞かしら。第一そういう事は、私達に神が与える試練じゃないのかしら」
さっきまで活き活きと語っていた少女はむくれて、青年を睨んだ。青年はあははと笑い、「神は割と好んで試練をお与えになるからね。それも神のご加護だと思えばいいと思うよ」とフォローをした。
途端に少女は顔じゅうに笑みを浮かべ、青年に向かって一本花を差し出す。
「ありがとう、牧師さん。お礼にお花を一本」
「こりゃどうも」
その花は黄色い、幾重にも花びらが重なっている花だ。あまり美しいとは言いがたいが、素直な魅力がある。
「何ていう花…あれ?」
牧師が花の種類を尋ねようとする頃には、少女はもう教会から風のように消えてしまっていた。そう、これから仕事の時間なのだ。花売り娘は、花が萎れない内に花を売らなければならない。それほどのんびりしていられないのだ。

神の周りで、にこやかに飛び回っている天使のデザインが施された噴水の下で、少女は歌いながら花を売っていた。
「例の宗教かぶれの花売りか?それ抜きなら歌声も顔も綺麗だな…花、買ってやろうか?」
「結構です。神のご加護を信じない者に渡す花はありません」
少女の売り方は当然目を引き、充分な客寄せにはなるのだが、この調子なので一向に花は減らない。

と、唐突に広場がしんと静まり返った。その静寂を静かに切り裂くのは、ぺた、ぺたっという足音。少女はごくりと唾を飲み、手に持った花を握り締める。
さあっと人々が左右に割れ、その足音の主を露にした。
その人は長い布を乱雑に縫いあわせた服を全身に被り、布の隙間でぎらぎらと光る目を少女に向けている。この国では最も虐げられている、真っ黒な肌をした、浮浪の民と呼ばれる人種だ。
「お嬢さん」
低くしわがれた声で、話しかけられ、少女はびくりと反応する。
「…はい」
「一本、お花くれるかい?」

「いいえ、神の御心のもとに生きていない人にあげるお花は、ありません」

浮浪の民は俯き、「そうかい」と呟いて、またもとの道を引き返していった。

―――グレートブリテン共和国。
一部の人間が、一部の人間を卑下して栄えていく国。


4 楽園
ジャリジャリジャリン、という乱暴な音色で起床を促す時計を、男は壊れかねないほどの勢いで力いっぱい叩いて止めた。
「もう朝か…」
手入れがされていない、ぼさぼさで伸ばしっ放しの髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回すと、不機嫌そうに言う。
男の部屋は狭く、中にはモニターがぎっしりと詰まっている。
モニターの中に映っているのは、世界各地の映像。景色最高の観光地から、スーパーのレジの脇まで、様々な場所が映し出されているのだ。
その真ん中には卓袱台がひとつ、そして今まで男が寝ていた布団がひとつ、強いて言えば目覚まし時計がひとつあるだけだ。
「それにしてもこの部屋は狭いなあ…」
男はモニターをどかし、立て付けの悪い窓をガタガタ言わせながら、やっとの思いで開いた。
窓が開くと、その向こう側には真青な世界が広がっている。下を見れば、白い雲が薄っすらと浮かび、その更に下で真っ黒な渦が渦巻いていた。
黄ばんだレースのカーテンが不規則に揺れ、部屋の中に虚ろな光を導く。
男はカーテンのレールに掛かったよれよれのスーツを手に取り、あくびをしながらゆっくりと袖を通した。パジャマの代わりに着ていた白いシャツの上にスーツを着たが、逆に余計みっともない姿だ。
下のズボンも着っぱなしだったので、ベルトを巻く。仕上げに、ほうぼうへ好き勝手に伸びた髪の毛を抑える役割の帽子を深く被った。

「おう、グレートブリテンの方は相変わらず信心深いもんだ。ご苦労さん」
モニターの中に映った少女を見て、男は吐き捨てるように言った。
「アフリカ大国はどうしたもんかね…雨のひとつでも降らさんと、この子も可哀想だが…、もう今年分の雨は降らせてしまったからな」
別のモニターの中で、必死に前を見つめて進んでいく少年を見て、男は哀れみを含んだ口調で言った。
「大日本帝国、か。アフリカの子に比べれば軽いもんだが、国民性は流石に変えるわけにいくまい」
隅の小さなモニターで、眠そうな目を擦りながら朝の町を歩く少年にも言った。
男は足元に置いてあったスイッチを思い切り踏むと、モニターの画面を一気に消した。ブツン、という音を上げて、部屋の中の青みがかった明かりが消える。
男はふらふらと洗面所へ向かい、ボロ布を被った鏡の側へ近寄った。
布を取り払うと、そこに自分の顔がぼんやりと浮かぶ。
しかし。
「…そろそろ、限界のようだな」
男の顔は半透明に消えかかり、背後の荒れた壁が薄っすらと透けて見えていた。
「神の代わりを人間がするなど、限界があることはわかっていたんだが…」
男はまだ多少若い雰囲気だが、顔じゅうに疲労が浮かんでしまっていることは一目瞭然だ。
「まさかこんなにも早く、これを使う日が来るとはな」
鏡に布を被せ直し、奇妙な黄色い布を被った四角い物体に手を伸ばす。布が引っ張られると、そこに数百個のキーと、大きな紅いボタンがついた機械が表れた。

「…三大神…」
機械の隅についた小さなモニターの中に、薄っすらと紫色に輝く水晶があった。
謎めいたその光を暫く眺めた後、男は激しく苦しみ始めた。
誰もいない小さな空間に、肺から漏れる激しい息遣いと、妙な機械音だけが響く。
「楽園…か。あともう少しぐらい…俺だけで済むなら、平和な、世界が…続いて欲しかった、もんだよ」
苦痛に顔を歪めながら、キーを睨みつける。紅いボタンを押すと、モニターの中に打たれたキーと、それに対応した文字が映し出された。
ガチャガチャという激しい音をあげながら、モニターの中が文字で埋め尽くされていく。

そして、男は苦痛の中で、にやりと笑い、最後の5文字を入力した。
「今更…アホらしい」
カチャン、カチャンと、その5つのキーだけが軽い音で入力される。

“P E A C E”

紅いボタンをもう一度押すと、モニターは消え、やがて男の部屋全体が揺れ始めた。

「頼んだぞ」
地上の人々すべてが夢見る神の楽園が、崩れ始めた。


5 崩壊
ごっ、という大きな音を上げて、空が揺れた。
「何だ?」
少年だけは自分の机につっぷしていたが、教室の中のクラスメイトたちは次々に窓際へ集まる。
空が、ミシミシと音をたてて、揺れ続けているのだ。まるで、巨大な蒼い天井のように。
「空がなくなる日が来たんだよ」
少年は、ぽつりと呟く。
「英世くん、教鞭を使われたいんですか?」
教師がメガネを上げ、少年のもとへつかつかと歩み寄る。しかし、少年の方は空を見据えたまま、うわごとのような言葉を続けた。
「やっと、この下らない世界が終わってくれるんだ。前、読んだことがあるんだよ。たしか…三大神の童話、だったかな…?
…空がね、崩れた天井みたいに落ちてきて、その上にあった楽園が地上を支配するお話だった。
人はみんな、空の下で生きるんだ。みんな楽園の下で、無給で死ぬまで働き続けるんだよ」
教室中の不安が、一気に高まった。
にこにこと、嬉しそうに微笑む少年を除いて。

ごっ、という大きな音を上げて、空が揺れた。
「これは…?」
少年は目の上に手をかざし、空を見上げた。
蜃気楼なのか、過労による錯覚なのか―――そろそろ俺は死ぬのか。
少年の頭の中を、暗い考えが過ぎる。

『逃げて!』
追憶。
『私達の事は忘れて!』『お前は逃げろ!』『早く!』
自分の家族が、家の柱の下でもがき苦しみながら、自分に叫んでいる。
わなわなと恐怖に震える少年を真っ直ぐに見据えて―――
『私達の分まで…』
―――苦し紛れに父親が言った最期の言葉は、炎に飲み込まれていった。

そこで少年はショックで気絶し、そのまま両親と共に死ぬはずだった。しかし、運命の悪戯というやつか、少年はいまこうして生きている。

空が揺れる。音まで聞こえる。とうとう死ぬのか。
「…長老…みんな…」
そもそも、ここまで生きられたのも幸運な話だったのだ。あんなに自分以外の人間が惨い死に方をしたというのに、自分だけこうして民族の誇りなどと気取ったものを背負って生きていること自体、あまりにも幸運すぎる話だったのだ。
ごめんよ、と呟くと、少年は瓶を捨てた。
ほんの数分前まで、わずかながら飲み水が入っていた瓶だった。

ごっ、という大きな音を上げて、空が揺れた。
広場中が喧騒に包まれる。
「なんだこりゃ?!」
「何の騒ぎだ!」
広場にいた人間が、どよめき始める。
『静かにして』
ざわめく広場を切り裂いたのは、よく通る少女の声。
「うるさい花売り!これが静かにしていられるか!」
「いいえ。今日は、神話でも示されていた運命の日ではないかしら。今日こそ、我らの神が降臨なされる日なのよ」
少女は晴れやかな表情で、心底嬉しそうに空を見つめる。そして、噴水の上で跪くと、胸の前で両手を組み、祈りを捧げ始めた。降臨する神を、迎える為の儀式だ。
広場のどよめきが、だんだんと静まっていく。
やがて、人々は皆、少女に向かって頭を下げ、祈りを捧げ始めた。

ごっ、という大きな音を上げて、空が揺れた。
「ひえー、こりゃぁヒデェ」
薄汚れたテントの中から男が空を見上げて、怯えた表情で言った。
「三大神の日か。御伽噺じゃないんだな」
浮浪の民と呼ばれて蔑まれ、それでもなお街の片隅で生き続けていた男が、深く刻まれた皺の中に埋もれた目を細める。
「伝説が本当なら、これ以上生きるほど苦しいこたぁねえな」
ごそごそとテントの中に入り、少ない荷物を探り、小柄ながらも鋭く尖ったナイフを取り出した。
しばらくすると、テントの中から小さな呻き声が聞こえ―――地面に赤い華が咲いた。

ごっ、という大きな音を上げて、空が揺れた。
狭い部屋が、ガタガタと激しく揺れる。
モニターがひとつずつ消え、自分のを映す鏡は割れ、破片となって、部屋中に好き放題、自らを散らばせていった。
男はその部屋の真ん中で、ただ機械にしがみつき、破片やゴミや、壊れて飛んでくるモニターをやり過ごしていた。
「俺の代だけで…下らない事は終わったと思ったのに…!」
やがて、しがみついていた機械は分解した。中に複雑に組み込まれていた部品が、一斉に空へ放たれる。
「あぁ…本当に助かった、マルコ」
分解された部品の上に、水滴がぱたりと落ちる。
部屋中が、激しく荒れていく。何かの衝撃に反応したのか、目覚まし時計のけたたましいベルの音が断続的に鳴り響く。
轟音を立てて、ついに男の部屋は崩れ落ちた。
ジリリン、ジリリン、と絶え間なく鳴り響く目覚まし時計を、上空から落ちてきた男の手が塞ぐ。
男の息は既になかった。

ごっ、という大きな音を上げて、空が揺れた。


6  はじまりの世界
それは、本当に一瞬の出来事だった。
クラスメイトたちが窓際で空を見上げていたら、窓が左端から順番に、目にも追えない物凄い速度で割れていった。
クラスメイトたちはいなくなった。
逃げ出そうとした先生は、廊下のドアを開けたら、斜めになってしまった廊下からなだれのように走ってきた人間に、まるでサンドイッチみたいに挟まれて、いなくなった。
それを見て逃げ出そうとしたわずかなクラスメイトはベランダに逃げたけど、そこはすぐに崩れ落ちて、いなくなった。
何一つ身動きせずに、その光景を見つめていた、少年だけが生きていた。
別に、地震が起きたわけではない。ただ、一瞬猛烈な圧力がかかっただけだ。それしきのことでうろたえていられない。僕が身を置くべきなのは、もっと壮大な冒険の世界なのだから。
壁に亀裂が走り、自分の教室が崩れ始めた。ガタガタと、ロッカーに積まれた鞄が落ちる。
それでも自分は死なないだろう。まるで根拠のない自信が沸いて来る。
自信を持てるのはなんでかな―――空想家だから?
これから僕はどうなるんだろう。真っ白に、最初に戻った世界の中で―――
下らない世界。
今までと変わらない色の空の下。
もう本無しでもいい。現実がこんなに素晴らしい世界になった。再び、僕が楽しめるときが来るんだ。

馬が死んだ。
信じられない死に方だった。
体中の血が爆発したかのように、辺り一面を血で真っ赤にしてバラバラになって、死んだ。少年はただ呆然と、馬から投げ出されて砂漠の上に座り込むしかなかった。
砂漠中の砂が、波打ってどこかへ流れていく。
少年の下から灼熱の大地は消え、代わりに茶色く湿った土が現れた。
あまりの事に、体中を血と砂でベトベトにしながらも、少年は目をぱちくりさせていた。
自分の目をこする。そして、重苦しい、何重にも重なった民族衣装を一枚脱ぐ。
…なんともない。
空を見上げると、今までの真っ白い、眩しい色は消えうせ、そこには替わりに夢見ていた真青な色が広がっていた。
茶色と、青の世界の中にいるのは、少年と馬の死体だけ。その他のものは何一つ無くなっている。
方位磁石を見たが、今までと違い、針がぐるぐると絶え間無く回り続けているだけだ。
俺は―――死んだのか?
回り続ける磁石に、問う。答えるはずも無く、ただ行き場を失くしたように回っている。
―――すみませんでした、長老。俺は仕事をまっとう出来ませんでした。
―――ごめんよ、みんな。俺は、みんなに水を運べない。
本当に、ごめん―――
ぱたりと零した涙が、磁石の表面で弾かれ、水の玉になる。
茶色い大地の上で、少年はしばらく眠りについた。

神様、これが貴方の思し召しですか?
広場で、少女の周りに集まって祈りを捧げていた人々が、次々に倒れていった。
美しいバランスを保っていた建築物は一つ残らず崩れていく。
突然の出来事に呆然とはしたものの、少女はぐっと自分の気持ちをこらえて、教会に向かって走り出した。わき目も振らず、ただひたすらに、真っ直ぐ。
―――私の中で、教会は全てのものの回る中心。教会に行けば、この出来事に整理が出来るはずだわ。
そう信じて、ただひたすらに走る事を選んだのだ。
投げ出された籠から、石床の上に花が飛び散った。

今までの少女の世界では、こんなことはありえない事だった。何故かと言えば、ここは全能の神のいる場所で、その神と繋がる者のいる地だったからだ。
その地である教会の屋根は崩れ落ち、清らかな音を響かせていた鐘は投げ出され―――
大きな十字架の下に、ついさっきまで微笑んでいた神父が倒れていた。重すぎる十字架を背負うその姿は、少女にとってあまりにも残酷なものだった。
「アルス!よかった、生きていたのか…早く逃げるんだ!出来る限り遠くへ!」
神父が大きく目を見開き、苦し紛れに伝える。
「でも、神のご降臨は…」
「…アルス。…私は、君が信じる神話のほかに、もう一つの神話を知っている…」
「…え?」
十字架の下敷きになりながら、苦々しげに神父の言った言葉に驚き、思わず聞き返してしまう。
「その神話は…“三大神の神話”…大昔は世界中の主流だった聖書でね…。この世界に、三つの神が降臨し…その後の出来事にあまりにも似ている…」
「何ですか?その…三大神の神話?」
アルスの問いかけに対し、神父が答えようと口を開いた瞬間、僅かに残っていた教会の残骸が崩れ落ちてきた。
「神父様…神父様!!」
瓦礫に埋もれた十字架は、最早一切の神聖さと建前を失った、ただのガラクタと化していた。神父の返事はもう無かった。ある筈も無い。
「神父様…?大丈夫ですか?お怪我は…」
近づき、瓦礫の中からはみ出た神父の腕を握る。途端に、瓦礫の下から紅い血が流れ出てきた。
初めて少女の信じた、唯一の人間。
初めて少女の愛した、唯一の人間。
最早、十字架の下で、彼は押し潰され―――
「あぁ…あぁあああぁああ!!!」
人の形を失くしていた。
ここに降りて来る筈だった神のことを、初めて少女は憎んだ。もう愛せるものは、神以外に無くなってしまったというのに。

空が、大きく渦巻いた。青い空は消えた。真っ赤な雲が、それを支配した。
太陽は消えた。緑色の月が、全てを支配した。
その下の世界で今、三人の人間に、新しい世界が委ねられたのだ。


7 遺産
崩れ落ちた楽園の中に、まだ生きているモニターがひとつあった。
そのモニターの画面は、何も揺れる事無く、機械的な水色に光り続けている。
『カ…ル、私だ……コだ』
ザーザーという砂嵐の音に掻き消されながら、電子的な響きの混じった低い声が僅かにモニターから流れてくる。
『聴こえ…なら、約束…キー…して、くれ』
キーボードなどとうに無くなっている。モニターが一瞬静まり返ったが、やがて砂嵐が戻ってきた。画面がちかちかと、不安定に光り始めている。
『そうか…三…神の復…、か…ありがとう…最期に、私を…呼ん…れて』
モニターは更に大きく砂嵐を響かせた後、ブツンという大きな音を立て、消えた。
再び声が聴こえる事は無かった。
もう死んでいたはずの男の顔は一瞬だけほころんだよう―――だが、結局約束のキーは押さなかった。

「あー、楽しかった!」
崩れ落ちた教室の中心で、英世は思いっきり喜びを叫んだ。
瓦礫の中からはみ出した人々の残骸がムードを邪魔してはいるものの、紛れもなくこれは英世の想像した冒険の世界そのものだ。
「この次に出てくるのは、僕の予想だとちょっと謎めいた案内人とかかな?あは、期待しすぎかなぁ」
「大当たりです、さすがに素晴らしいですね、知識の神」
一人だけの世界を突然他人に邪魔された衝撃で、むっとして振り返ると、そこには眼鏡を掛けた長髪の男がひとり、かしこまって立っていた。
「…ダレ?」
「マルコ・カルレーと申します。以後しばらく貴方様のご案内を務めさせていただきますので、どうぞお見知りおきを」
マルコと名乗る男はにこっと微笑み、英世に向かって右手を差し出してきたのだが、英世にはその意味がわからなかった。
「…なにすんの?」
「握手ですよ。もしかして知らないんですか?」
「握手?シェイクハンド?」
英世の顔がぱあっと明るく輝いた。握手。小説の世界の中でしか見たことの無い、お互いが信頼しあっている事を確かめ合う行為だ。
「すごい…握手って、こうやるんだよね」
おそるおそる左手を差し出すと、マルコの方からぎゅっと強く握られ、ますます気分が高揚した。
「以後、よろしくお願い致します」
「うん、よろしく!」
あまりにも嬉しかったのだろう、英世は握った手をぶんぶん上下に振ったので、マルコは多少肩を痛めた。

目を開けることが出来たのは、まさに奇跡だ。
茶色い大地と青い空を再び目にしたアーガスは、自分の周りを見回し、ぺたぺたと土を触って温度を確かめると、心の中にふつふつと複雑な感情が湧かせながら思った。
馬の死体すら消えうせた此処は、まさに静寂の世界。
「ここは何処だ…?」
「うんとな、おそらく、俺的にはアフリカ大陸辺りだったと」
背後から聞きなれない声がし、アーガスは条件反射で懐から短刀を取り出してかまえた。相手はその反応に驚いたらしく、両手を上に上げてひゅうっと軽く口笛を吹いている。
ほうぼうにぼさぼさの髪の毛が伸びきった不潔そうな男は、にっと笑ってアーガスに話しかけた。
「まあまあ、そうカッカしなさんな。俺はカルル。お前、これからひとりぼっちじゃ生きていけないだろ?しばらく案内してやるから感謝しろ」
なんだこの男は、エラそうだ、と思いながら、アーガスは肌の色に着目した。
「お前…肌の色が黄色いな?どこの民族だ?」
「ん、一応黄色人種だからなー。そんなに気にすんなよ。どーせ人口が減っちまったんだ。仲良くやろうぜ、戦いの神」
あっはっはと笑いながらぽんぽん背中を馴れ馴れしく叩いてくるこの妙な男に、アーガスはかなり警戒心を覚えてはいたものの、状況が状況だけに信じてやることにした。

崩れ落ちた神聖な街の中で、少女が一人、静かに泣いていた。
重なり合うようにして崩れ落ちている瓦礫と十字架の隙間から覗く神父の右手の掌だけが、彼女を支えていた。
「私…これからどうすれば…」
右手に話しかけても、何も返事は返ってこない。遠くの方で、次々に建物が崩れていく音がするだけだ。
アルスはその場から立ち上がり、せめて神父の供養をしようと、ガラクタをどける作業に入った。
やがて神父の姿が露になってきたのだが、どうも左手に何か持っているらしい事がわかってくる。
気になったのでそっと中身を確かめてみると、そこには今朝神父に渡したタンポポの花が握られていた。
「神父様…」
「神父様、もういない。これから、貴方が聖母になるの」
久しぶりに聞いた人間の声に、思わずアルスはすがろうとして振り返った。
浅黒い肌。黒い髪の毛。体中を包み込んでいる分厚い布。裸足。そこには、今まで自分がさんざん罵り、蔑んできた、浮浪の民の女が立っていた。
「…」
「私の事、浮浪の民とか呼んでいる国だったわ、ここ。あなた、だから神のご加護、肝心な時に受けられないのね」
その女は、吐き捨てるような調子で、アルスにむかって諭した。
その態度にむっとしたアルスは、きっとして反論しようとしたが、すぐに口を塞がれてしまった。
「…!」
「よく喋る口。今ならダレも見ていない。だからさっさと貴方を殺してしまいたい。けれど、それも無理な話。私、人を幸せにしない死、嫌いなの。
申し遅れたわ、私はネリア。暫くのあいだよろしくね、死の神」


8 3vs3
「ねーねーマルコ」
「何でしょうか?」
「僕達コレどこに向かってんの?」
瓦礫の上をずんずん前進していくマルコを追いかけながら、英世が訪ねると、マルコはにっこりと微笑んだ。
「他の人間に会うためです。この磁石の向きに歩けば会えるんですよ。私の発明なんです」
「ふぅん」
それはそれでなんだかつまらないな、と英世は思った。てっきりこの先に秘密の王国があって、そこを支配している意地悪な王様を懲らしめに行くのかと思っていたからだ。
「ねえ、何か面白いこと無いの?今僕、すごく面白くっていい気分なんだけど」
マルコは英世の台詞に少々驚きながらも、その問いにも答えた。
「残念ながら…あまり私はそういった方面に明るくないので…。
 …そうですね、では貴方のことについて少々教えましょう。三大神の神話を知っていますか?」

「三大神?」
「お、その顔とその声は全く知らないと見た。学がないやつは困っちゃうね〜」
「うるさい。いつでも俺はお前を殺せる」
ナイフを向けられ、ヒー怖い怖いと言いながらも、おどけた調子で笑っている男に、アーガスの調子は狂いっぱなしだった。
「だから…大人しく教えろっつの!三大神ってなんだよ!」
「あら、近頃の若者はキレやす…だからそうやってすぐに物騒なモノ持ち出さないでくんねーかな、話す気が失せるなぁ」
「だったら大人しく教えろって!」
ぎゃんぎゃんアーガスが喚くと、男は仕方ないというように溜息をついて話し始めた。
「三大神の神話ってのは…まあ要するに、昔話だ。

 むかしむかし、あるところに、小さな岩がありました。それを見つけた神様は、岩を三つに割りました。

 一番大きかった欠片は戦いの神に、一番美しかった欠片は死の神に、そして一番鋭かった欠片は知識の神になりました。

 その三大神を生み出した後、神様は亡くなりましたが、その子供たちは三人で協力して、一生懸命新しい世界を築き上げました。

 けれど、その世界はすぐに崩れてしまいました。なぜならその新しい世界は、人間に優しすぎたからです。

 傲慢で臆病な人間達は、全てのものを恐れるがゆえに、三大神の力を無理やり押さえ込ました。

 そしてついに、世界を支えてくれていた三大神を壊してしまいました。

 やがて、壊れて何もなくなった世界には、ひとつの岩だけが残りました。
 
 その岩を、空の上にいた沢山の死人たちが3つに分けました。そして再び、世界ははじまりましたとさ」

「ここまでは都合のいい御伽噺。ここから先、大事なの」
高飛車な口調のまま、ネリアはアルスにずっと三大神の神話について説いていた。
神様は絶対に一人だと信じきっていたアルスにとってこの話は苦痛だったが、我慢して聞くことにしていた。

「死人たちの力は足りず、三つに分かれた岩、力を吹き込むことが出来なかった。

 そこで死人たち、消えかけていた元の三大神の力を少し借りて、自分達の住んでいる空から、人間達を攻撃することにしたのよ。

 焦り戸惑う人間達、次々に死に、死人たちの仲間入りをしていった。死人たち、強靭になった自分達の力で、岩に思いっきり大きな力を吹き込んだわ。

 でもね、それ、裏目に出たの。

 所詮死人の力、新しく生まれた三大神たちは、新しい世界の中、自分の力を使い、どんどん全てを壊していってしまった。

 やがて世界は全て消え失せ、世界、またはじまりに戻ってしまった。というのが、この神話の、結末」

「そんなの神話じゃないわ。神の弱さばかりを主張しているもの」
「だから私がいるんじゃない」
きっとして反論しているアルスに、ネリアはあっさりと言い切った。
「あなた、神の力を使って妙な真似をしないように。まだ生き残り、いる。けれど、そういった生き残りに対して何もしないように、強いて言えば監視ね」
その言葉に対して、様々な疑問が浮かんだものの、自分から進んで浮浪の民と話すことは、彼女にとって難しかった。


9 人間さがし 開始
手を上に伸ばせば届きそうなほど、空は低い位置に落ちてきている。それなのに平然と前を進んでいくこの男は、自分勝手極まりないやつだった。
「…おい」
「ほんとに親近感ないやつだなぁ。仲良くしようぜ〜」
「うるさい黙れ。これ、どこに行ってんだよ?」
一面に広がる湿った大地の上を、アーガスは慣れない足取りで歩いていた。
湿った大地は、予想以上に自分の足を支えてくれる。逆にいい迷惑だった。
「他の人間に会いに行くんだ。オレサマ的超ハイテクレーダーだと、こっちの方向に人間がいるってことになってるからな」
そう言いながら、カルルと名乗った男は懐から方位磁石のようなものを取り出した。それの針は、まっすぐ進行方向を指し示している。
「…いんちきくせぇ」
「なんか言ったか?これは俺の大親友・マルコの発明品だぞ」
「よかったな」
湿った風が少年の頬を撫でる。いまだにこの現実が信じられなかった。自分が生きている。こうして進んでいる。
水を持たずに。自分の故郷とは逆方向に。
「…」
「ん?気分でも悪いか?」
「悪くねえよ。それ以前にお前に心配される筋合いはない」
いまいち噛みあわない会話をしながら、二人はその方向に向かって大地を進んでいった。

大日本帝国政府も、それほど捨てたものではなかった。崩れた街の中にぽつんと、何の変化もない、無事な建物がひとつあったのだ。
その建物は崩れ落ちた街の中で、どっしりと構えている。すかさずマルコが質問をした。
「無知で申し訳ありません、ヒデヨ様。あれは何の建造物ですか?」
「多分、精神病院だと思うよ。国立の。税金を25%以上納めている人のみが使えるんだ。いわばエリート専用の病院かな」
その建物は真っ白なペンキで塗りたくられており、でかでかと真青な十字架が描かれている。真青な十字架が真青な空によく映えている光景に数秒見とれてから、英世は尋ねた。
「中にいる人間は生きてるか、わかる?」
「…わかりません。とりあえず、この方位磁石はこちらの方向を指し示しているのですが」
マルコが懐から取り出した磁石の針は、確かにまっすぐ病院の方向を示している。
「行ってみようか」
「はい」
2人は病院の方へ、瓦礫と屍を乗り越えながら進んでいった。

「絶望的」
唐突にネリアが言い放った。
アルスがこっそりネリアの手元にあるものを覗き込むと、そこに握られた方位磁石が、その中でぐるぐるとあてどもなく針が回っていたのだ。
「ごちゃごちゃと妙なもの、たくさん造るからね。きっとみんなそれに潰されて、死んだのよ」
「死…?」
「そ。この近辺に生きてる人、ひとりもいないわ」
アルスは背筋に寒気が走るのを感じながら周囲を見回したが、3秒もしない内にその行為をやめた。
無表情のまま、ネリアはさっと方向転換した。慌ててアルスもその後ろについた。
「仕方ない。海岸、行くわよ。そこから船を借りて、ちょっと近所の大陸まで行く」
ちょっと近所の大陸、という言い回しが妙に気になりはしたものの、アルスは恐怖心から素直に頷き、早足でネリアの後をついていった。

10 にんげん(1)
悲惨な状況が、少年の目に直接飛び込んできた。
病院の中は、まさに生き地獄と言う奴だ。精神がおかしくなった人間があちらこちらで呻き、喚き散らしている。
自分に差し込まれていた点滴を、狂ったように何度も腕に抜き差しする者。壁に爪を立てながら、獣のような呻きを上げる者。
薬か何かの効果が切れてしまったのだろうか、痛みに耐え切れず、床の上で悶え苦しむ者。
精神病院のはずなのに、べっとりと周囲に張り付いた血のりが凄惨な状況を物語っていた。
殺してくれ、助けてくれという声が、院内に響き渡る。
「凄まじい場所ですね。これが精神病院というものですか?」
「う…ううん…どうだろう…。普段はもう少し落ち着いてるとこだと思うんだけど」
2人の会話は、喧騒の中に半分埋もれてしまっている。
「誰かまともな人はいないのですか?」
「えーと…あー…」
英世のような人間には、病院などという機関の使用権利が無い。というか、お金がかかるので行けないのだ。いまいち病院のシステムがわからない。
しかし、勉強家の英世は、だいたいの病院イメージはつかんでいた。
「そうだ!看護婦とか医者がいるよ!ナースステーションってとこにいっぱい人がいるはずだよ!」
「ナースステーション?…わかりました、探してみましょう」
マルコは苦い顔をしながら、生ける屍と化した人々を掻き分けて前に進んでいった。英世もそのあとをひょこひょこついていく。
すると、突然前方から目を見開いた男が飛び掛ってきた。飛び掛った勢いで周囲の人間を踏みつけ、グロテスクな効果音が鳴る。
「殺してやる…殺してやる…殺してやる…!」
血走った目のその男は、マルコに噛み付き、粗い息遣いでずっとこの言葉を繰り返している。マルコは表情一つ変えずに、英世に尋ねた。
「…申し訳ありません、”ころしてやる”とはどういった意味合いを持つ言葉ですか?」
「え、変な所ほんとに知らないよね。えーと、”死ね”とか…そんな感じ」
「ほう」
そう答えた次の瞬間、男はマルコの腕から口を離した。というより、男が後ろに倒れたのだ。
男は白目をむき、ひくひくと痙攣している。マルコは噛み付かれていた場所に残っている腕の傷をさすりながら、軽く息をついた。
「え?何したの!?」
「いや、大分前になりますが、少しばかり東方の医学を勉強いたしまして。その際に知ったヒコウとやらを突いてみました」
「突いてみました…って。初めて?」
「はい。一応勉強しましたので」
英世は口をあんぐりと開いて、妙な男をまじまじと眺めてしまった。自分も変わっていると言われ続けていたが、この男の方がよっぽど変わっている。
この反応をまったく無視したまま、マルコは方位磁石を眺めながらずんずん前進した。
慌ててついていくと、壁に張り付いた「←ナースステーション」の看板が英世の目に入った。
「マ…マルコ!これこれ。こっちに行くとあるって」
「ほう、この字はナースステーションと読むのですか?」
マルコは興味深げに眺めていたが、英世が歩き始めると、それにあわせてついて来た。

そしてナースステーションの中を見て、2人は絶望にぶち当たった。
患者達の方がまだいい。この中にいる、本来「正常」なはずの人間までも慌てふためき、混乱していたのだ。
今や何の意味も成さなくなった資料や書類が床の上を飛び回り、電話のボタンをカチャカチャとやかましく弄る音が絶えない。職員達が懸命に「応急処置」を施しているようだった。
それでも諦めないマルコは、ナースステーションの中に向かって大声で叫んだ。
「すみません!!私達は生きている、正常な人間を探しに来ました。お話をお聞きしたいのですが!」
マルコの声はよく通っていたが、中にいる人間はひとりも反応しない。気が狂った顔のまま、しっちゃかめっちゃかに室内をかき乱しているだけだ。
さすがのマルコも、諦めたようだった。
「…帰りましょう、ヒデヨ様。この建物の中には、役立つ人材がいない」
「うん、そうだね…」
さっき変わっていると評したはずの男は、初めて人間らしく、悲しそうな、申し訳無さそうな表情を見せた。慌ててフォローに回る。
「で、でも楽しかった!僕、ひさしぶりにこんなにワクワクしたよ!」
英世はにこにこしながら、マルコの顔を覗き込む。確かにこれは本心から出た言葉だ。
少しだけマルコの表情がやわらいだ。
「…こういうことをするのを、ワクワクするというのですか?」
「うん、まあそんなもんだよ。未来が希望で満ち溢れてるって感じかな?」
英世としてはうまい具合に比喩を持ち込んだつもりだったのだが、マルコは哀しげに笑っただけで、出口の方へ方向転換した。


11 にんげん(2)
「なぁ」
「ん?」
「俺…ちょっと疲れた」
「何?砂漠のハードな生活を耐え抜いてきた強靭な体はど」
「うるせー!!…ちょっとだって言ってんだろー…」
悪態をつくものの、勢いに欠ける。カルルは苦笑すると、一番近場にあった木の日陰の中に入ることにした。

「はぁ〜…」
一息大きな溜息をついたかと思うと、少年は一瞬にして眠りの世界へ落ちてしまう。
カルルはそこに近づき、アーガスの顔を半分位覆っている大きな帽子をそっとはがす。それに気付いて起きられない辺りがまだまだ未熟だ。
陽射しも通常になった今、逆にこの巻きついた大量の布は邪魔だろう。しかし、彼はたぶん、どんなに暑くてもこの布を外さない。この布は、彼の理性そのものなのだ。それをわかっているから、カルルはあえてこの衣装に突っ込まなかった。
「こうして見るとただのガキなんだがなぁ…まぁ色々と背負ってたんだろうよ。お疲れさん」
帽子を持ち上げ、深く被る。自分のぼさぼさの髪の毛がうまい具合に収納され、これは便利だなぁと思った。
そっとアーガスの背中をぽんぽんと叩く。叩いた場所から、うっすらと砂煙が浮かび上がった。
と。
「はぁっ、はぁっ、はぁ…!や、やっと、いた。人間…だ!」
小さな女の子の声。カルルがそちらに目をやると、そこには予想通り、ごってりとした布を体中に巻いた娘が立っていた。かなり小柄な背丈に不釣合いなその布もまた、アーガスと同じく、彼女の理性を保つ役割をしているのではないか、と何となく予想を立てた。
「は、はじめまして…隣の村から来た、カ、カレラと、いいますっ、あの、人を探してて…!」
「まずは落ち着くことかな。お嬢さん、隣の村から来たんだよな?単刀直入で悪いんだが、その村に水はあるか?」
一瞬カレラはきょとんとした表情をしたが、少しすると思いっきりぶんぶんと首を縦に振った。
「あります!さっき空が揺れた時に、私の村の地底から水が湧き出したんです。今なら余るほど水があります」
「よし。ここに病人が一人いるんだ。こいつに水を恵んでくれねえか?」
カルルが眠りについているアーガスを指差すと、カレラはこくんとまた首を縦に振った。
「どうぞどうぞ。じゃあ、私の後についてきてくださいね」
ぴょこぴょこと跳ねるように歩くカレラの後を、カルルはアーガスを背負ってついていった。

彼女の村は、まさに奇跡的に残っていた。
何軒か潰れてしまったテントもあるようだが、大抵のテントはそのまま綺麗に残っている。しかし不思議なことに、どのテントにも人の姿は無かった。
「いやー、素晴らしい場所に産まれたねえ、お嬢さん。まさに神のご加護ってやつかねえ?」
にやりとカルルが笑って見せたが、カレラはそれに見向きもせず、カルルの前を懸命に早足で先導していった。
「こっちに水があります!」
「…ご親切にどうも」
再び、笑った。

「ええと、ここから先はお2人でどうぞ。私は水の湧いている場所でお待ちしておりますので。道は一本道ですので、すぐわかると思います」
「あいよ」
全速力でカレラが走り去った後、カルルは背中に負った少年をもう一回背負いなおし、懐から方位磁石をとりだした。針はまっすぐ前を向いている。どうやら、少なくとも一本道を行けば人間に出会えるということは嘘ではないようだった。
「アーガス。起きろ」
「とっくに起きてる。…あまり信用するなよ。あと俺の帽子を返せ」
「わかってるさ。カレラちゃんがどれだけ”大物”かによるけどな」
「…帽子を返せ」
快くその言葉を無視し、カルルは一本道を進んだ。

「ようこそいらっしゃいました!!いや、我々以外に生き残りはいないかと思いましたよ!」
水の周りには、カレラの代わりに、長と思われる人物が立っており、2人を出迎えた。その頃にはアーガスも背中から降りていたが、警戒心丸出しで、ずっと懐の中に手を突っ込んでいる。対してカルルは全くもって無防備に、長と握手をしていた。
「こちらこそ。水がなけりゃ生きていけないところだったからな。ほれアーガス、お前も」
”気に入らない”という表情を満面に思いっきり浮かべながら、アーガスも軽く頭を下げた。
「はは、そんなにかしこまらんでも。さあさあ、水なら今余るほどあるのです。お好きなだけお取りになってください」
長の影から、いつの間にかいたらしいカレラが、おそるおそる大きな瓶を2本差し出してきた。
「この瓶で足りなかったらカレラにお申し付け下さい。瓶なら他にも何本かご用意して御座います」
カルルはそれを受け取ると、湧き出している泉のそばにしゃがみこみ、まず手ですくって水を味見した。
味自体は普通だ。毒が入っている気配も無い。その旨をアーガスに伝え、半信半疑の彼にも手伝ってもらいながら、瓶を満杯にするだけの水をすくった。
蓋をきつく閉めると、瓶を懐に入れる。それを確かめるように見届けた後、長が言った。
「この状況では泊まることも出来ないでしょう。どうです、きょう一晩、我々の集落に泊まっていきませんか?」
「いや、それは」
断ろうとするアーガスを静止し、カルルは喜んで、と受け答えした。信じられない、という痛い視線を感じる。
長は優しく微笑み、2人を集落の方へと案内した。


12 にんげん(2):2
「ふっざけんなよ!?何で好き好んで敵陣に乗り込むんだ!」
「泊まる場所が無いのは事実だろ」
「だからってなぁ…俺、野宿する方が…」
どうやらこの少年は、子供らしい性質を持っているようだった。さっきからもぞもぞと落ち着きが無い。
「あれ?もしかして人見知りとかかな〜?」
「だ…誰が!!」
「お洋服をお持ちしました」
カレラが入ってくると、アーガスはすっかり縮こまり、口をきつく閉じてしまった。カルルは洋服を受け取ると、さり気なく探りを入れる。
「よく親切にしてくれるんだな、お嬢さんたちは。そんなに親切にして、何かいいことでも?」
一瞬考えるような表情をしたものの、何も答えずにテントから出て行ってしまう。
「完全に怪しいじゃねえか。お前ほんとに何考えてんだよ?」
「まぁ落ち着け。カレラちゃんがこのひもじい僕らにお洋服を与えてくれたんだからな」
畳まれていた服を広げると、その服は割と軽めの、洋風のデザインだった。上着は深緑色のシャツ、ズボンはこげ茶色、七部丈ぐらいの長さだ。
色違いで小さいサイズのほうをアーガスに投げる。
「着替えなさい」
「…めんどくせえ」
「いいから。そんな汗が染み付いたようなきったねー服よりはましだと思うけど。布とかは持ってりゃいいんだし」
割と悩んだ様子だが、アーガスは服を手に取ると、ごそごそ着替え始めた。ご丁寧に下着まであったが、さすがにそこまで堂々と着替えられない。
彼が着替え終わると、カルルが尋ねた。
「アーガス。お前結構人見知りするよな?なんで俺は平気なん?」
着替える手を止め、アーガスは多少考えたようだが、いたって簡素に答えた。
「わからん」
「へえ〜?」
愉しむ様な響きの混じった声色が癪に触った様子で、それ以降は何を聞いても答えてくれなかった。

夜。
テントの中に寝息が響いている。忍び足で近づき、入口から入った。
「待ってたぞ」
しかし、一番標的にちょうどよかったはずの男が、だらしない笑みを浮かべたまま迎え入れてきたのだ。寝息をたてているのは、要注意と思われていた少年の方だった。
「夜までサービスしてくれんのか?全く、お人よしにも程があるな。でもお生憎様、俺に男色趣味は無いんでね」
男はにやにや笑いをしたまま小声でそう言うと、鳩尾を強く突いた。しかし、こちらにも考えがある。集落中の人間がテントを取り囲んでいるのだ。
とにかく相手を驚かせる事が重要なので、女子供も皆武器を持っている。殆ど暗闇に包まれた真夜中の世界で、その影は不気味に光を帯びていた。
逃げられまい。しかし、一向に男がテントから出る様子はなかった。

「アーガス」
「起きてる」
「よし、じゃあいくぞ」
2人は水と自分達の荷物を出来る限りまとめて持つと、カルルは棍棒、アーガスはナイフを持ち、テントから出た。
しかし、手にナイフを握り、暗闇の中で手ごたえを感じながらアーガスは思った。
一番の敵は、神でもない、空でもない、この惑星でもない。
人間なのだと。


13 にんげん(3)
延々と瓦礫の上を歩くのは、なかなか疲れる上に、かなりやるせない作業だった。崩れ落ちた鐘楼や銅像は、見るに耐えないほど残酷なモチーフとなっている。
「疲れても休む暇、ないわ。せいぜい歩く事ね」
「…」
アルスはぐったりとうなだれながら、ぐるぐる回る方位磁石の針を見つめていた。この近辺の港までは、人力車でも45分は軽く掛かる。その上、今はこの状態だ。どれぐらい時間が掛かるのかわかったものではない。
「目標は、今日中につくこと。生きてる船なかったら、私達も、死ぬのを待つ」
「そんな…」
言いかけて、やめた。いっそ死んだ方が楽かもしれない。あんな風に人が無力に死ぬのをまざまざと見せ付けられ、周りに信用できるものが一人もいない環境ならば、いっそのこと本当の神の元へ召されてしまった方がいいのかもしれない。
そんな考えがよぎった時、ネリアの足が止まった。
「人間って、弱い生き物だと思わない?」
「え…」
「何かつらいことがあると、すぐ死に逃げようとする。死ぬ事で、救われたがる。情けをかけられたがる。死、楽するための道具じゃない」
まるで自分の考えを見抜いたかのようなその言葉は、深く突き刺さった。そう、心のどこかで救われたがっているのだ。自分も。そう考えて、アルスは再び自己嫌悪に陥った。
ネリアは足を止めたまま、ある方向を指差した。その方向に目をやる。人間が何人も固まって死んでいるのがわかった。
「あれ、さっきので死んだ人たちじゃないわ。絶望して、一緒に死んだ人たち。そうやって死んだ人、いっぱい。インディア、みんなそうやって死んだと思うわ」
インディアというのは、浮浪の民の正式名称だ。本来はアメリカ大国(世界の半分の面積を占める大国。約100種類以上の人種が共存する)を居住地としていたが、ある戦争を境にグレートブリテンへと流れてきた。アルスはその単語を聞くだけで身の毛がよだつ思いだったが、おそるおそる目をやった。
その人間達の肌は真っ黒に焼けていることが分かった。そして、一人一人の背中からナイフが突き出していることも。
「あの人たち、何もしなければ生きられた。生きて、新しい世界、出会えた。でも嫌だったのよ。これ以上死より大きな苦しみ、味わいたくなかったのよ」
周りに信用できる人物が一人もいない環境。いっそのこと神の元へ。
「…」
「でもね、その辺りではあなた、凄いと思う。人間なのに、こうして死なずに生きているもの」
一瞬言われた言葉の意味が解らなかったが、やがて理解した。ネリアは自分の事を褒めてくれているのだ。
褒めるなら褒めるで、もう少し愛想良くしてもいいのにと思ったが、アルスは黙って感謝の意を示そうと、自分の顔の前で手を合わせた。
それを見たネリアがなんとも不思議そうな表情をする。
「何、それ?」
「私の種族ではこのポーズが感謝の意味になるのよ。つまり、褒めてくれてありがとうってこと」
笑顔で説明してやると、ネリアはふうんと頷いて、再び話し始めた。
「でも、生きようとするのは本来生物の本能。人間、本能死んでしまっているわ。本能のままに生きてはいけない。けれど、本能、捨ててしまえばそれも生きていけない」
言っていることが難しすぎて、アルスにはいまいち理解出来なかったが、とりあえずネリアのお説教であることはわかった。
「生きること、義務。権利。あなた、どっちだと思うの?」
突然聞かれ、答が思いつかなかったが、アルスは暗い表情で答えた。
「…義務じゃないかしら」
「なるほどね。あなた、そういう人なのね。私、そういう人になら、死、与えてもいいと思う。でも、あなたに死なれると沢山の人、困るの。
 だから死、与えないわ」
全て言い終わると、ネリアはぐっと固すぎるほどに口をぎゅっと結ぶ。
何となく、難しかった説明が理解できたような気がした。
そう、生きることは義務なのだ。沢山の人に支えられ、必要とされ、傷つけられてやっと達成できる義務。その義務を達成しなければ、ネリアの言うとおり、沢山の人が困る。
人間は脆くて弱い。だから挫ける。簡単に死ねる。しかし、自分の存在は簡単に消せないのだ。
たぶん、ネリアは沢山の死を見てきた人なのだろうと、アルスは憶測を立てた。だから、ここまで達観しているのだと。
浮浪の民を馬鹿にする気持ちはあまり揺らいでいなかったが、自分には無い、悲愴なようでどこか夢見ているような彼女の価値観は、不思議なものだった。
「行く」
「あ、うん…」
気付けばネリアが先を歩き始めている。慌ててついていく。これぐらいのペースが丁度良いな、とアルスは思った。

2005/06/26(Sun)18:59:31 公開 /
■この作品の著作権は棗さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
棗です。ご無沙汰しておりました。ご無沙汰ついでに長めの更新です(読むの疲れると思います…すいません)
人間さがしはこんな感じでながーく続きます。今の所自分でもクライマックスの見当はついていないので、どうなるかは本気で不明です。

ではレス返し
羽堕様>三大神の神話ってのは実は実在するんです(話は全くのフィクションですが)とてもマイナーですが調べれば色々と謎がわかるかと…あ、やっぱりやめた方が(どっち)
京雅様>やったー京雅様のコーヒーブレイクになったー!(どんな喜び方だ)
物語の本質は掴まなくても大丈夫だと思います。うっすらと表面を読んでもらえると有難い…です。

レス有難うゴザイマシタ。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。