『SMILE 〜キミノ笑顔ヲ〜 T‐U』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ユズキ
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「どんな状況でも笑えるヤツになれ。強く、それでいて弱いヤツになれ」
柔らかな笑顔をつくって言ったその不器用な言葉は、
彼の最後の言葉だった――。
お願い…………。お願いだから……、おいてか、ないで。
T‐T
「困りましたね……」
人っ子一人いない辺りを見回し、天月 澪(あまづき みお)はため息をついた。
人っ子一人いない、まぁ、それは当然のことだろう。今は平日の午前、ここは学校。そして普通の生徒は授業中なのだから。
本来なら澪も今頃は転入して初めての授業を受けているはずだった。
「転校初日から遅刻は拙(まず)いですよねぇ」
教師などに早くも目をつけられそうですね。今回の目的状、あまり目立つのは得策じゃないのですが……。
ただでさえ転校生というものは目立つものだ。時期外れとなればことさらだろう。
澪は静かな廊下を一人トボトボと歩きながらまたひとつため息をついた。
拙いのは判っている。判っているのだが、いかんせん職員室の場所も教室の場所さえも判らない。つまりは迷子だ。
澪が転入してきた「天凌学園高等学部」(てんりょうがくえんこうとうがくぶ)は紳士淑女を育てるという、いわゆる金持ち校だった。広さや施設については先に資料なども見ていたので知っていたのだが、何と言うか想像以上だった。
4階建ての学園の中にはまず、ホテルなどのレストランのような広い食堂にそれとは別にカフェテラスがあり、そして専門のところ並の器具が揃ったスポーツ施設などがあった。その他、その広い校舎内を回るためのエレベーターなど移動手段の完備に始まり、敷地内には教会だと思われるところなど今の今まで澪が彷徨い回ってきただけでそれだけのものがあった。
それだけの施設にきれいな環境と、恵まれすぎているぐらいなのだろうが、澪のような少しだけ(本人曰く)方向音痴な生徒には苦しいつくりだ。
すでに澪が学園内に入ってから早三十分は過ぎていた。もちろん学園内に入るまでにも敷地内でさんざん迷った訳だが。
迎えを断るんじゃなかった。と澪は本気で後悔した。
「あと二十分ぐらい待てば授業も終るでしょうし、誰か廊下を通った人に訊ねればいいんですが……」
今、自分がいるのは二階。残り二階に職員室があるのだろうか。
「ふぅ、とりあえず終るまでは自力で探しますか」
澪はこの学園内のどこかにある職員室を目指し歩き出した。
−そして数分後−
澪はきれいな青空を見上げた。やわらかな春の風が澪の短くも長くもない髪を揺らす。
「ここは……」
間違いなく屋上だろう。スズメのチュンチュンと鳴く声が聞こえてくる。
鉢に植えられた色とりどりの花達が目に鮮やかだった。そのまわりを何匹かの白い蝶がひらりひらりと舞っている。
あまりにのどかな風景に一瞬現実逃避しそうになり、澪は首をフルフルと振る。
何でこんなところにいるのか。それは簡単なこと。今だに迷子だからだ。四階まで全ての部屋をくまなく探したはずなのにも関わらず、職員室も普通の教室もそして勉強している生徒の姿も見かけなかったからだ。
ひょっとすると今日は学校は休みなのだろうか? いや、だとしても教師やそれに部活動などで生徒もかならずいるはずだ。
ただ、判ることはこのままでいくと授業が終ったところで人には会えないのではないか? そしてそのまま誰にも会えず学校で遭難。
「……さすがにそれは父に合わす顔がありませんね」
新聞に載る自分を想像し、澪は肩を落とした。
「誰だ? 珍しいな。俺以外でこんなところにくるヤツなんざ」
とりあえずもう一度回り直そうと屋上から出ようとしたとき、どこからともなく人の声が聞こえ澪はゆっくりと振り返った。声のした方を見上げるとここから更に梯子で登った先にある貯水タンクのある一段上になったところにこの学園の制服を着た男がいかにもダルげにタンクにもたれ立っていた。
パッと見ただけで均整のとれた顔と体なのが判る、格好いい部類に入るのであろうその男の口にはタバコがあった。
不良? 安直なイメージだが第一印象だった。
銜えたタバコにだらしなく気崩した制服。それ以外は髪も特に脱色もしていないきれいな茶色ぎみた髪、アクセサリーの類もつけていなく特に他に目立ったところはなかったのだが、それだけでここの学園では浮いているように感じた。とは言ってもまだ他の生徒を見ていないので、それは偏見かもしれないが。
「見ない顔だな?」
「今日転入してきましたから」
澪が答えると男は「ふーん」と声をもらすと澪の顔を一瞥し、それから特に無関心というように空へと視線を移した。
そうして空を見上げる表情はどこか寂しげで曇りがみられた。しかし、それに気付いたからといってこの男と澪には何の接点もない。澪は知らないフリをして一番今聞かなくてはならない事を訊ねた。
「あの、職員室の場所を教えて頂きたいのですが……」
「? 職員室ならA棟の三階だ。ここはB棟、渡り廊下を通れば行ける」
一瞬男は驚いた表情をしたが、特に詮索もせずにそれだけ答えた。
別にそれはこちらとしては有難いのだが。それにしても校舎が2つあることになぜ気が付かなかったのか。
くまなく探していたのだから渡り廊下だって見つけていてもおかしくはないのだが。
考えれば考えるほど、回りに言われ続けていた極度の方向音痴説が裏付けられるようで澪は途中で考えるのを止めた。
澪はとりあえず教えてもらったことに礼を言おうと頭を下げた。その時、
ダンッ!!
大きな音をたて屋上の大きな扉が開かれた。
その音に扉の方を見やると、制服を着ているのでこの高等学校の生徒なのだろうが、小さめな――といっても平均身長より低い澪よりは約十センチばかり大きいようだが――見た目十四、五ぐらいの男の子が大の字で腰に手を当て立っていた。また、彼が着ている制服というのもパンツが七ぶ丈だったり、シャツからネクタイまで普通なら紺色なのが水色で柄があったりと、とても可愛らしいものだった。横髪が少し長くえりあしの短い染めているのか金色がかった髪とあいまっていた。
資料のパンフレットなどには制服改造が許されているなどとの記載はなかったので、この少年もまた不良の類なのだろうか?
「コーチャン。また授業サボったね?」
少年が〔コーチャン〕と呼んだ人物――貯水タンクにもたれうざったそうにしている男――に彼は軽く睨みつけながら訊ねた。その声もソプラノに近く可愛らしさを感じる。
「うるせぇな……。今ここにいるって事はお前もそうだろうが」
「ボクはいいの! それより昨日もあれほど言ったのに委員会サボって…………」
少年がひとつ文句を言う度に、男が何事かめんどくさそうに返す。またそれに少年が変な理由をつけて返し、また文句を言う。
澪はそんな2人の様子をぽーっと交互に見やった。
2人のその戦いはしばらく続き、遂に授業の終わりのチャイムがなった。しかし、それに気付いていないのかはたまた気にしてないのか――多分後者だろう――まだ言い合いは続けられる。
「今日は転校生が来るらしいから、それの会議だからね!」
この場は去った方が賢明だろうと澪は校舎へと入ろうとしたが、
「転校生ならそこにいるヤツがそうだと思うが?」
男が澪を指差した。少年が指の先を辿り、その大きな瞳に澪を見つけた。澪もまた後ろを振り返り少年と目がしっかりと合わさる。
「キミが転校生?」
駆け寄ってきた少年に澪は「はい」と答えた。
「ボクとしたコトが人が他にいたのに気付かなかったなー。こんなところに来るのなんて物好きのコーチャンぐらいしかいないと思ってたし。ふむー、それにしてもコレは写真以上、かな? ほぼ決定、決定と」
少年は顎に手を当て、澪を上から下まで果ては後ろからや斜め上や下からまでじっと見回すと、何やらつぶやきながらどこからか取り出した「極秘手帳」と書かれたこれまた可愛らしいネコや犬などのにくきゅう柄のメモ帳に何かメモをとった。
「……おい、怪しまれてるぞ」
男が澪の怪訝そうな表情に気付いたらしくそう告げる。
「ん? ああ、ゴメン。えっと天月澪チャンだったかな? それじゃあ行こっか」
澪は手を握られ、前へと引っ張られた為、前に少しつんのめる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
そう澪が言っても聞く耳を持たずニコニコとしながら少年は前へと進み校舎へと入っていってしまった。
当然手をつながれている澪も一緒に。
「あの、私職員室に行かなくては」
「それなら別にいいよー。ボクが先生達に言っておいたし」
今度はきちんと返答があったが全くもって聞きたい返答ではなかった。というよりも意味が判らなかった。
「何をですか? それとどこに今向かってるんですか?」
「教室〜」
「あ、連れていってくれるんですか? それはありがとうございます」
澪は歩きながらも礼儀正しく礼をした。
「いえいえ、どういたしまして」
笑ってそれに答える少年。どこか抜けている事に気付かず、
「お名前、聞いてもよろしいですか?」
「うん、蘇芳 皐月(すおう さつき)。さっちゃんって呼んでね♪ A組で澪ちゃんと同じクラスだよ」
「同じクラス……? 同学年だったんですか?」
「よく驚かれるよー」
などとマイペースな二人がニコニコと笑いながら話していると、澪がさきほどまでずっと迷い続けていたとは思えないほど教室には早く着いた。
「ここがA組だよ。とりあえずここだけは覚えといてね」
皐月はすっかり澪のコトを方向音痴――それも極度の――だと思ったらしくそう注意する。やはり不本意なのか澪の返した笑いは少し硬かった。
クラスの扉を開くと皐月は「どうぞ」というように手を前にだした。澪は教室へとゆっくり入る。そのあとに皐月が続いた。
教室に入ると教室中の視線と驚いた顔が澪に向けられた。
やはり自分の事は噂になっているのだろうか。
珍獣でも見るような教室中の視線に澪はそう思った。しかし、皆の驚きはそれについてではなかった。
静まり返っている生徒達は澪の顔と皐月の顔を交互に見やる、それを何度も繰り返していた。そして、
「……だれだよ、あの女!? あの、≪裏≫会長と一緒にいるぞ!?〕
裏? 会長?
一人が叫んだ途端、教室全体が糸が切れたようにざわめきだした。皆、澪と皐月を横目で見ながら憶測で話し合っている。
「何なんでしょう、あの方は転校生?」
「なっ!? 初日から、まさか……!?」
「ねぇ、あの≪裏≫会長が手をつないでるよっ!?」
「マジだっ!! 可愛いコなのにあのコ可哀想」
「馬鹿、可愛いからに決まってるでしょう!」
今度は哀れみのこもった眼が澪に集中した。皐月はそんな中、状況がサッパリ理解できず、キョロキョロとしていた澪の手を引っ張り「こっちきて」と無理矢理奥へと連れ込んでいった。
教室の中を進んでいくと集まっていた生徒達は静かになり、道を開けるように端へと人が割れた。その中には何故か体を自分で抱きしめながらも何かに怯えるようにガタガタと震えている者も何人か目に入った。
「ココがボクの席」
そう言って指差した教室の一番うしろの真ん中の席は、他のものと違いとてもフワフワとした高そうなソファに、机もそれに見合った高価なものだった。他に気になったのがここの列はこの席の他にもうひとつ席があるだけで、更にひとつ前の席との間がかなりあり広々としていたが、前の方の席がとてもせばまっているのがパッと見ただけで判る。
「そんで、澪ちゃんの席はボクの隣ねー」
皐月が可愛らしく澪に話しかけた途端に、震えていたうちの一人がいきなり教室からまさに飛び出ていき、すごい速さで帰ってきた。その手には一組の机と椅子があった。
「少しの間はコレで我慢してね。すぐに変えてもらうから」
机と椅子とが皐月の席の隣に置かれると皐月は満足そうに澪に優しく微笑みかけた。
持ってきてくれた生徒はまるで軍人のようにピキピキと手を振り足をあげ、皆のもとへと、後半小走りになりながら帰っていった。
「ところで澪チャンって寮に入るの?」
一連の流れを呆然と見届け、今だ呆然としながらも澪はその問いにコクリと頷いた。
ここ、天凌学園は本人の希望で寮に入る事ができる。全体的にみるとほとんどの生徒が寮生らしく、澪もまた寮に入るつもりだった。
「そっかー。それじゃあ先生達に話をつけとかなきゃなー。てことでさっそく行ってきます! またあとでね!」
皐月は一人で何か結論を出すと、澪に向かって笑顔で敬礼し、嵐のように教室から消えた。
「こんなところに一人、おいていかれても……」
正確にはこんな雰囲気のままおいていかれても、だ。澪が皐月の出ていった扉の方から生徒達の方へと視線を向けると、澪と同じように固まっていた生徒達は彼女を無視するように彼女と皐月がくる前と同じようにグループ同士で話始めた。
気になるものの、さわらぬ神にたたりなし。と言ったような状況である。
澪はため息をつき、ひとまず落ち着こうと先ほど用意された椅子に座ろうと手をかけた。
「おい」
後ろから声をかけられ振り向く、そこには屋上であった男がいた。
「あなたは……」
「おい、あの方とも話してるぜ」
「相模 倖佑(さがみ こうすけ)とも……。あの転校生ある意味凄いな」
名を聞こうとしたが、皐月と一緒にいたときほどではないがザワついている生徒達から教えられる。
「えっと、相模さん。とりあえず少し廊下に出ませんか?」
「ああ……」
澪の意見に同意し、二人共にザワつく教室からは出たのだが、いつのまにか教室の外には他のクラス、果ては他の学年の生徒までがA組の廊下に集まっていた。その集団は澪と倖佑の姿を見つけ、騒ぎだした。
二人して目が点になり、それからガックリと肩を下ろす。
「ちっ、しょうがねぇな。少し、歩くか。行くぞ」
「相模さん、何でここに?」
倖佑を追い、着いたところはB棟の屋上だった。穏やかな春の暖かさを肌で感じる。とても清々しく、気持ちの良いものなのに、初めに来たとき――もっともそのときは授業中のせいもあったが――と同じく人は澪と倖佑だけで他に人は誰もいなかった。
こんなところに来るのなんて物好きのコーチャンぐらいしかいないと思ってたし。澪は皐月の言葉を思い出す。
こんなところ……。あまり人は近寄らないのだろうか?
勿体ないと澪は思った。
「悪い。他に静かなところは思いつかなかった」
答えると倖佑はフェンスに寄り掛かり空を見上げた。デジャヴを感じる悲しげな表情で。
銜えられたタバコから白い煙が立ち、空気中、空へと融(と)けて、雲と同化する。
空を見上げ立っているだけなのに、その光景はひとつの絵になっていた。
澪は彼の表情を見つめた。どこか遠くを、それでいて何も映っていない、映していないような彼の瞳に惹かれるように。
「校舎案内、蘇芳から頼まれたんだが……」
倖佑の視線が澪へと移った。澪を真っ直ぐに見つめる瞳や表情にはすでに憂いのようなものはなくなっていた。だからといって笑顔でいたりとかではなく、何もなかった。無表情ともちがう。ただ、何もない。
ゾクリというような背筋に走った寒気を澪は気付かないフリをして、冷静を装った。表情を作るのには慣れている彼女の顔には一欠片のミスもなかった。その寒気も一瞬だけのものだったが。
「今からとなると、授業は完璧にサボリになるが。どうする?」
「私は平気ですけど。あなたは?」
問われ、そう答えたが、意外と思ったのか倖佑は驚いたような顔をしていた。
「そうか、なら」
倖佑が言いかけたとき、
『ピンポンパンポン!』
明らかに人の声で始まった放送が入った。
「この声は……」倖佑が聞こえるか聞こえないぐらいの声で呟き、ため息をついた。
一度話を中断し、放送に耳を傾ける。
『テステス。ん、オーケーっと。コーチャン? コーチャンいる? いるんだったら至急ボクのところまで来てねー!』
『誰ですッ! 一般の生徒の使用は』
『委員長! その方は皐月様ですからっ!』
『なっ!? そうとは知らず無礼な事を! す、すみませ』
プツン。放送が切れた。皐月の声と放送委員であろう人、数名の声。
「ったく、人に案内頼んどいていきなり呼ぶなよ……」
はぁ、とため息をつき、コーチャンこと倖佑は呟いた。
謎の放送に澪的には驚く自体なのだが、倖佑的には慣れているようで慌てるそぶりは全くなかった。
「悪い、そういう事で行ってくる。案内はまた次に。……、お前教室まで一人で行けるか?」
扉の方まで向かってから、ユーターンしてきた倖佑が至って真面目な顔で聞く。
「大丈夫です」
意地のようなものもあったのだろうが、澪は即答した。しかし、倖佑は尚も心配なようで、しばらくしぶってから「どうしても駄目そうだったら、ここにいろよ」と残し去って行った。
「さすがに私もそこまで方向音痴じゃないのですが」
澪は倖佑に対する印象を改めながらも、一人苦笑した。
確かに初めこそは教室まで辿り着けなかったが、今回は初めに皐月と一緒にここから教室まで一緒に行ったのと、今倖佑と一緒にここまで来たのとで、屋上と教室の行き来は完璧。な、ハズだった。しかし……。
澪は見ていてあまり気持ちのよいものではないホルマリン漬けの並ぶ棚を眺め、本日何度目かのため息をつき、部屋を出た。
部屋の扉の上に理科第一準備室と書かれた札があった。
「どうしたものでしょうか」
廊下を一人歩き、そうもらす。やはりというか澪は校舎内を彷徨っていた。A棟の三階というところまで知っていてここまで迷えるのは、もはやある種の才能だろう。
大丈夫とキッパリ宣言した以上、屋上には戻りにくい。というよりも、もはやここから屋上までの道も怪しいものだった。
今はすでに授業も始まったようで――先ほど鐘の音も聞いたのだから間違いない――やはり、人はいなかった。
「警備員ぐらいはいてもいいでしょうに……」
こんなに広いのに危ない。と嘆いたところでいないものはしょうがない。それに澪は警備員は校舎内にいない事は下調べの内に知っていた。警備員がいるのは、校舎の玄関前と大きな門と監視室――こういうと聞こえが悪いが、要は学園内に付けられているカメラの映像の確認場所――にしかいなく、それ以外の警備は全て機械の方でやっている。校舎内を警備員が見回るなんて事は、よっぽどのとき以外はほとんどない。
澪は思い出し、人に頼ることは諦めた。
もっとも人がいたところで、教えて貰えるとは限らないのだが。教室の生徒達の様子を見た限りでは、難しそうに思えるが。
澪のことを遠巻きに見ていた彼ら。その理由はあの二人。〔蘇芳皐月〕と〔相模倖佑〕。特に皐月の方だ。
一体〔蘇芳皐月〕とはこの学校において、どんな立場・存在なのだろうか?
「裏会長」と一人の生徒が言っていた。会長とは学校という中で考えれば、普通生徒会長だろう。では裏、とは?そして、彼に付き従うようにしていた者。体を震わせ怯えるようにしていたもの。まるで絶対にしてはいけなかった事をしてしまったように慌て、謝っていた者。
教室、放送での事を思い出し、疑問が生まれる。が、澪はとりあえずそれについては置いておくことにした。
それについては後々本人や倖佑にでも、誰かに聞けばいい。そんな考えても判らないことよりも、考えなくてはいけない、しなくてはいけないことはたくさんあるのだ。
そのためにも今はとにかく教室に戻るのが先決だった。
澪は一度立ち止まり、気合を入れなおすように手をグッと握りしめ、前をしっかりと見据えた。
しかし、その瞳には目の前にある扉の上にかかっている、3−Aという札は映っていなかった。
T‐U
「さすがにいないか……」
屋上にて倖佑は一人呟く間も屋上を見渡し、壁の隅の方を見遣り、そして更には鉢の下を覗いていた。
彼が探しているのはもちろんのこと澪だ。しかし、幾ら彼女の身長が小さいといってもそんなほんの数ミリの隙間に人間はいないだろう。というよりももしそんなところに人がいたら怖い。
……彼はどうやら見た感じと違いどこか抜けている、というよりもどこか人と違うようだ。鉢を持ち上げ、その下を見る彼の目は真剣そのものだった。
澪を彼はワラジムシか何かと勘違いでもしているのだろうか? しかし、彼はしばらくそういった謎の場所を一生懸命に探し続けていた。が、やがて諦めたのかふうと一息つきフェンスへと凭れかかった。
皐月に突然呼び出され――またその理由もフザけたものだったのだが今はカット――澪と別れてからすでに小一時間。
どうやら一人で教室まで戻ったようだ。と、変なところを調べ満足したのか、倖佑は安心し新しいタバコを一本取り出し、火をつけた。
しかし彼の思いとは裏腹に、その頃、澪は未だ校舎内をくるくると彷徨っていた。
目の前に教室があったのに気付かず素通りしてきてから二十分超。そこから二階、一階と下り、また上り、彼女は今、A棟の二階にいた。
一度玄関まで出て、一から回り始めたのでさすがに自分のいる階数だけは判っていた澪は、とりあえず三階を一直線に目指していた。本当ならばエレベーターを使えば良いのだろうが、その肝心のエレベーターを探して更に彷徨うよりも階段を使った方が早いと考えての事だった。
体力もそれなりに鍛えられている澪は一気に階段を駆け上った。そして遂に三階。
階段を上りきって、すぐの角のところでの事だった。
急ぎ足だった――むしろ走っていた――澪の前に、突然人影が飛び出てきた。
ぶつかる!?
すぐに気付き澪は咄嗟に避けようとしたのだが、さすがに距離もなかった為間に合わず、
「うわっ!?」
ドンっと良い音を立ててぶつかってしまった。
澪はその直後軽々と受身をとり立ち上がったが、もう一人の方――かなり長身の男子生徒のようだ――はそうはいかず、ぶつかった反動により豪快に転がっていた。
「すみません! 大丈夫ですか!?」
彼の側に急いで駆け寄り澪は声をかけた。彼は片手で頭を抑えゆっくりと状態を起こし手でずり落ちた眼鏡をかけ直しているところだった。
「いえ、こちらも前方不注意でしたから。それよりアナタの方こそ……」
澪に答えたその言葉はそこでフッと途切れた。彼は澪が差し出した手を取ったままそこで静止していた。
見上げる状態で澪を映しているその瞳は大きく見開かれていた。口も言葉が途切れたときのままポカンと少し開いている。
「あ、あの、本当に大丈夫ですか?」
突然静止してしまった男に心配になった澪が声をかけるが、返答は全くナシ。男の耳にはその声などこれっぽっちも届いてはいなかった。それほどに彼は澪に目、どころではなく全神経を奪われていたのだった。
キレイ、だ……。
大きな窓から差し込む光が澪を照らし出していた。ブロンドに近い黄色がかった髪が光に反射してキラキラと輝いて見える。
彼はまるで天使、はたまた悪魔でも見たかのように声もなく、ただ澪に見惚れていた。彼の漆黒の瞳には「澪」というその姿だけがまるでそこだけがくりぬかれたようにハッキリと映っていた。その反面彼女の背景にある煌びやかな電飾等の飾りは彼にとっては全て形がぼやけて見えていた。
当然ぶつかった衝撃で眼鏡が壊れている訳でもないし、例え眼鏡がなかったとしても日常生活に異常が有るほどまで彼の視力は悪くはない。
「やはりどこか具合が悪いのでは?」
心配そうに揺れるエメラルドグリーンの瞳が一向に動きのない男の顔を覗きこんだ。彼の目と鼻の先に澪の顔。
……………………思考停止。
男の意識はそれを確認後、プツリと途絶えた。ガゴンと思い切り頭を打ちつけ彼は倒れた。
「……え? し、しっかりして下さい!!」
呼びかけ身体を揺するが男は気を失っており、揺らしても揺らしても頭が右に左に後ろに前に、ガクンガクンと揺れるだけで全く反応はナシ。
頭を打ったときはあまり動かしてはいけない。――そんだけ揺らしておいて言う事か――とりあえず保健室に……。
そこで気付く。そう、教室の位置さえも定かではない澪には保健室の位置も当然の事に判らない。
どうしましょう? このまま放っておく訳にはいかない。
澪は男の身体を何とか起き上がらせて、引き摺るようにして何とか歩を進めるが、なんと言っても気を失っているうえ、成人にもうほとんど近い男性だ。彼女は少ししてすぐに力尽きてしまった。
さすがに助けを呼びたくなるものの、助けを請うにも人がいなくてはしょうがない。
そうしてまた男を担ぎ、歩き出そうとした時だった。
ガチャリという音を立て、すぐ後ろの扉が開いた。
その音に澪が振り返るとそこには白衣を着た女性が一人立っていた。キレイな、いわゆるモデル体型といった感じのスレンダーな人だ。
「先ほどから、何やら騒がしいと思ったら……」
そこで一度区切り、彼女は澪とその担がれている男を一瞥すると、何やら妖艶な笑みを浮かべ続けた。
「とりあえず、中に入りたまえ」
「本当に助かりました、ありがとうございます。その上お茶まで出してもらって」
そう言った澪の前には湯飲みに入った温かい日本茶と饅頭のお茶菓子。それらの乗った小さめのテーブルを挟み向こうにある一人掛けのソファには先ほどの女性が足を組み腰掛けていた。タイトのスカートから覗くスラッとした足が艶めかしい。
彼女は澪の言葉に、いや、丁度暇を持て余していたところだ。丁度良かったよ。と凛としたアルトがかった声で答えた。ニッコリと笑う彼女に澪もまたニッコリと笑い返す。
二人がいるのは保健室。澪の目の前にいる女性、彼女は白衣を着ているところからも判るようにこの学校の保健医だ。
あれから先ほど状態と経緯を説明し終え、彼女達は優雅なティータイムを送っていた。
澪はお茶を一口すすると、改めてこの部屋――保健室――を見回した。まず、保健医のそのうしろには棚に並ぶすごい量の薬瓶。それに澪は目を向ける。が、どうしても彼女の視線はその棚の横にある身長計。ではなく、更にもう一つ隣のこれはお約束(?)なのかの人体模型に向かってしまっていた。というのも、その人体模型は何と! ……笑って、いたのだ…………。ニカッと。爽やかに。歯茎がキラリと光ったように見え、澪は慌てて目を擦り急ぐように自分の後ろへと目を向けた。
その先にあるのは並ぶ五台のベッド。そのうちの一台はカーテンで他のものと仕切られていた。こちらから中の様子は窺えない。
澪の視線を悟り保健医は、
「大丈夫。彼はただの貧血だ。そう気にするな」
と告げた。それに応じるように澪の表情は幾分か和らいだ。それを確認して彼女もまた澪に優しく微笑みかける。
話に出た彼、それはもちろん「初対面でいきなりじっと澪のことを見つめ、硬直し、最後には気を失い倒れた。端から見れば立派な変人の彼」のことだ。今はここのベッドの上で静かに寝息を立てていることだろう。
「それにしても、校舎内で迷子になるとはな」
経緯を話す事によってそこについてまで説明してしまったらしく、保健医は思い出したようにポツリと呟いた。
「まぁ、これだけ広いからな。そういった奴もいるが。だ、だが……。そこまで彷徨ってた奴はお前が初めてだっ……」
初めはさすがに笑いをこらえていたようだが、一語一語話す度にキリッとした表情が歪み、最後には耐え切れなくなったのか腹を押さえ、しまいには手を叩き、彼女は大爆笑していた。
澪はその光景をポカンと眺め、最後には心の中でこっそりと「詐欺だ」と呟いていた。
「フッ、フフ。ああ、悪い。ま、まぁ、その内慣れるさ。気にするな」
笑い上戸なのか、涙で滲んだ目を手で押さえながらも笑いを何とか止めていた彼女には、初めに感じた大人の女性といったクールな印象はすでにそこにはなかった。
冷静にそんな彼女の様子を観察していた澪の表情は恥ずかしいというよりもむしろ後悔しているようで少し顔色が悪かった。
しかし、さすがに居たたまれなくなったのか彼女はスクッとイスから立ち上がり、すみませんけど、そろそろ行かないといけないので。と、この場から立ち去ろうとした。それに対して、
「なんだ、もう行くのか? ちなみに教室はここから左にすぐだからな」
「知ってます!」
茶化しの入った声に、澪は知っていた訳もないのだが、珍しく頬を少し赤くしムキになって答え、そのまま扉を開け出て行った。お決まりの「失礼しました」は忘れずに。
その彼女の少し大きくなっている足音もしだいに遠ざかり、束の間の沈黙。そして……。
「あのコが噂の転校生チャンかー。あの蘇芳皐月に転校初日にして気に入られたなんていうからどんなコかと思えば。今回のコも面白いコでないの」
澪に向けてヒラヒラと振っていた手を下ろし、誰に話すでもなく自分に確認するかのように女は呟いた。楽しみが一つ増えた。と本当に楽しそうに妖艶な笑みを浮かべながら。
「先生? すみません、途中からよく覚えてないんですけど。もう体調も良くなったみたいなんで、ってアンタかよ? で、また何してんですか?」
カーテンをシャッと開けた音と共に出てきた男がうんざりと言った感じで、メガネの位置を指で直しながら、そう吐き捨てた。男とはもちろん「初対面でいきなり(以下略)」
「あら、ショーゴクン。アンタだなんて、保健医だって先生なんだから 先生って呼・ん・で(ハート)」
わざとらしく声を高くし、自らがショーゴと呼んだ彼に返した。腰に手を当てくねらせて。
もしここで、そこらへんの何も知らない男を連れてくれば迷わず「先生……」と呟くか、細く悩ましいその腰に飛びついていただろう。だがそのショーゴという男子生徒はというと、
「……気持ち悪いですよ」
の一言でザックリと切り捨ててしまった。
女の表情がその一言でガックリと項垂れたものになる。
「気持ち悪いって、ひでぇなぁ。ていうか気持ち悪いってキモイって言われるよりヒドイと思わん?」
「イヤ、そんなの知らないですよ。そんなことよりアンタは一体ヅラまで被って何してんですか?」
「そんなのとは、こりゃまた。あーあ、他のヤツらは「マジに姉ちゃんに似てるー!」って言ってくれんのにさ」
そう言いながら彼女はツヤツヤとした髪の中に手を滑り込ませる。その手が髪の中を動き回る度に、ボタンの外れるような音がプツン、プツン、と静かな部屋に響いていた。そして、幾つかの音が響き終わった後、ズルリと……髪が、とれた…………。
「蔵澤(くらさわ)先輩はどうしてそんなコトしてんですか? 暑苦しくありませんか。第一アンタは、」
「そんなん、男だろうと似合うんだからいいじゃん。ね、ジョニー?」
《彼》 は先ほどまで自身が被っていたカツラをクルクルと指で回すとそれを、彼曰く「ジョニー」というらしい素敵な笑顔を浮かべる人体模型に被せた。
あまりにも堂々とした発言に、ショーゴはそれから少し間を空けて深く大きなため息をついた。
「先生は?」
ショーゴは首を振り、コイツはこんなヤツ、こんなヤツ。と、唱えてから顔を上げ訊ねた。睫が長く、ツリ目ぎみの目と少し厚めの唇が印象的な、キレイな顔をしたツヤツヤ黒髪ショートの、スカートを履いている、 見えなくても間違いなく男に。
「今日は風邪でダウン。変わりに俺が執務をこなしてるのさ。自主的に。エライべ?」
ニッコニッコして聞いてくる彼にショーゴは「そう」とだけ返した。
「冷てー」蔵澤は口を三角にし、「このメガネ!」「鬼!」などと次々によく思いつくな、と言うくらい並べたてる。が、ショーゴはそんな事気にも止めず、扉の方を黄昏(たそがれ)るように見つめていた。
「なぁ、 さっきの……。あの人は?」
「さっきのあの人って、天月澪チャンのことか?」
「あまづき、みお……」
「そ。 そういえば何でもオマエあのコの顔見てぶっ倒れたって? 何? まさかその反応ってホ・レ・た? 何、 何!? オマエってば実は年上好き!? あのコ三年生だよ? イヤ、でも澪チャンはあんまりお姉さまタイプじゃないか。でも判るよ。うんうん。あのコ本当可愛いよなぁ。顔は可愛いってかどっちかってーとキレイ系なんだけどさ。でも校舎内で何時間も迷子だよ! それに」
彼の話は終わりなどないようにまだまだ続くが、ショーゴにはそんなものとうに聞こえてはおらず。
ただ、澪の去っていった扉を焦がれるように見つめていた。そんな彼の頬は少し赤みを帯びている。
ドキドキと鼓動が高く鳴り響く。
「天月先輩……」
すでに暦の上では夏も始まろうとしているのに彼には少し遅い春が到来したようだった。
‐to be continued‐
‐オマケ‐
しかし、当の澪はそんなコトに気付くワケもなく。
「あ。そういえば、あの先生の名前を聞くの忘れてましたね」
などとどうでも良い事を考えていたのだった。
2005/07/25(Mon)14:42:15 公開 /
ユズキ
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■作者からのメッセージ
初めましての方も、知ってる方もこんにちは。ちょっとばかしスランプ気味のユズキです。
この作品の目標
(1)キャラを活かす
(2)普段は明るめに
(3)女の子を書きたい(目標?)
と前のときにここに書いたのですが…。1にてキャラを活かして、活かして、今のところまだあまり関わりのないキャラにばかり力を入れすぎました(グフッ 次こそは澪のキャラの固定頑張ります。そういえば未だ澪の「ハーフ」という設定T‐Tの方に入れられてません(汗 が、頑張ります。
それでは読んで下さった方、ありがとうございました! 感想の方も書き込んでくださる方はよろしくおねがい致します。辛口、ときどき甘めで(笑 誤字、脱字も一応チェックはしていますが見つけましたらばお知らせ下さいませ。キャラのことに関しても聞かせて頂けると幸いです。
それでは今回も引き続き、問題です。澪の天凌学園へときた目的は何でしょうか!? 当たった方には・・・、おめでとうコールと自分めの愛を差し上げます。(いらねぇ コレだっ!と思ったものがあったらば書き込んでやってくださいませ。
追記:T‐Uの後半の後半修正かけました。申し訳ないです。
作品の感想については、
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等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で
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MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。