『2つの剣-前編-【1〜5】 』 ... ジャンル:ファンタジー 未分類
作者:雄矢                

     あらすじ・作品紹介
既に伝説という名前で風化した、魔王対戦時代。青年は、興味本位から魔王を倒したという勇者ラスフェルトを探しに出る。たどり着いた異空間。そこで見つけた勇者ラスフェルトの姿は、意外にも何処にでも居るような幼い少女であった。異空間で生活する青年と少女。そして、その少女が伝説になった全8部構成の長い長い物語。

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 【1】

 今から数万年の昔、魔王大戦と呼ばれる時代があった。
 人肉を主食とする魔物がはびこり、人間たちは食料として脅えながら日々を過ごす暗黒の時代。その時代にただ1人だけ、魔物の長である魔王を倒すべく戦った『勇者』が居た。名をラスフェルトと言う。勇者ラスフェルトは数千年にも及ぶ永き魔王大戦の末、見事魔王を倒し『伝説』となった。


「それから数千年経っちまったけど、魔王を倒したからって必ずしも人間達が平和になったってワケじゃないんだぜ?」
 幻の大聖堂に、荒っぽい青年の声が響き渡った。
 青年が話しかけている相手は、かの伝説の勇者ラスフェルトである。
「お前が居た時代は魔物が『悪い奴』って断定できたぶん、ある意味楽さ。俺らの時代じゃ人間にだって『悪い奴』が居るからな。善悪の押し付け合いやら貪欲にまみれた殺し合いやら。ついこの間、平和条約が結ばれるまでは、人間同士が殺し合うような時代だったぐらいさ」
「……殺し合い――」
 大理石の床に、惜しげもなく座りながら、勇者ラスフェルトは手ごろな彫刻の上にのせてある紅茶をすすっていた。ガラス玉のような繊細な声、ティーカップを持つ指も細く白い。白金色の絹糸を思わせるような髪から覗く顔は、端整とは言え『少女』の姿であった。身に纏う絹の法衣の細やかな刺繍を考えると、彼女の大雑把さが窺えるのと同時に、青年個人の意見として法衣が勿体無い。
 青年が『伝説の勇者ラスフェルト』に出会ったのは、ほんの数週間前の話だ。
 平和条約が結ばれ、戦争が終わった平和ボケでもしたのだろう、酒酔い気味の大臣に呼び出された青年は、傭兵時代の功績から『勇者の剣探索』の命を受けて面白半分と報奨金目当てで旅立ったつもりが、意外にも現在の状況に至らせているのである。
「……戦争、が――?」
「ああ、そうさ。俺はついこの間まで貪欲な権力者に頭ヘコヘコ下げながらザクザク人を殺す為に剣を握ってたのさ。当たり前だったんだよ『敵』といわれる人間殺さなきゃ、こっちが殺される。生きるために殺すだけさ。だから俺は……」
 どうしてこんな話をするのか、青年にも分からない。
「俺は金で人を殺せるような人殺しなんだ――」
「……――」
 どうして勇者ラスフェルトに出会った後も、この大聖堂を出て行かないのか、青年自身にも分からない。いつの間にか、こうして茶を飲み交わしながら雑談をするのが日課になっていた。
 伝説の勇者ラスフェルトは少女であるという意外性を抜けば、伝説に相応しい程の整った顔立ちをしていた。綺麗な剣で綺麗に『悪い奴』を倒した綺麗な勇者…青年は時折その姿に苛立ちすら感じていた。
(コイツに八つ当たりしても仕方ないんだけどなぁ…)
 ティーカップを彫刻の台に置いて黙る勇者ラスフェルトの前で、青年はさも偉そうにため息をついた。
 ぽた。
(ん?)
 ふと、少女の方から嫌な予感を漂わせる音がした。
 ぽたぽたぽた。
 それは間違いなく勇者ラスフェルトの大きな瞳から落ちる涙の音だった。
(またかよ…)
「おい…、泣くなって言ってるだろぉ……」
「う、ふぇ……――」
 彼女はか細い指で何度も目頭をこすっている。頑張ってこらえようとしているのは結構だが、青年から言わしてもらえれば、袖口が汚れて法衣が勿体無い。
 そもそも、伝説の勇者ラスフェルトの実在やその容姿の意外性には本当に驚かされたが、勇者ラスフェルトの意外性はそれだけではない。性格に少々厄介なところがあるのである。
「なんで泣くんだよ、全く…」
 更にため息をつこうとすると、勇者ラスフェルトはグスグス鼻を鳴らしながら少女独特の幼い声を出した。勇者として伝説となった者の姿としてはあまりにも情けない。
「だって……――」
「あぁ?なんだって?」
 口答えするから本当にタチが悪い。
「哀しい、お話しだったので……――」
「…………」
(だから何故そんな理由で泣く)
 子守唄代わりに伝説の勇者の話を聞かされている小さな子ども達が素直に憐れに思えた。こんな泣き虫が勇者だなんてとても言えない。
「……あ、嗚呼っお前っ!紅茶に涙溢すなってあれだけ言っただろうが!ちなみに、今日の紅茶は俺が淹れたんだぜコノヤロウ!掃除するから出て行け!」
「ふぇ…ごめんなさいぃ…――」
(頼むから、誰かコイツを倒してくれ……)
 青年は更に大きなため息をついた。

 幻の大聖堂は、その世界にあってないような空間に存在する為にその名前を与えられた屋敷のようなものである。次元の計算が容易にできない限りにはたどり着けない位置にありながら、同時に結構広い。
 勇者ラスフェルトは大聖堂の中庭の花壇に腰掛けると、はぁ…と息を漏らした。
「また、泣いちゃいましたね。怒られましたし、掃除させてしまいましたし……」
 カシャン、と無機質な音が左手の方から呼びかけるように聴こえた。彼女が常に装備している魔王大戦に使用した魔剣の音だった。
「大丈夫ですよ、寧ろ楽しいぐらいです。これだけ感情が豊かな日々が送れるのは」
 少女は魔剣に手を添えると、話しかけるように呟いた。否、話しかけているのである。
「あの青年は随分長い間、貧民街で暮らし差別を受けながら敢えて危険な軍隊入りを志願したそうですよ?とても繊細な紅茶を淹れてくださるので忘れがちですが、彼の指は幾度となく死線を乗り越えて来た剣士独特の空気を放っています」
 少女は魔剣に手を添えながら、ゆっくり空を見上げた。春が近いのであろう、晴れた空にはは穏やかな碧さが広がっている。
「優しい、子……なんですよ、きっと」
 魔剣から微かにシャラシャラと揺れる音が聞こえた。
「確かに人殺しの為に剣を握って、己の為に生きていると言いますが。彼がそこまでして剣を握りたい意志を抱かせたのは、きっと周囲の負の感情を拭いたい想いもあったのでしょう…『仕方ない』という言葉が容易にかけれない自分も情けない話なのですがね。どうも口下手で泣くのが精一杯なのです」
 少女の薄紅の唇が微かに微笑んだ。撫でるような柔らかな風が彼女の絹糸のような柔らかい髪を揺らしている。滑らかな右腕で揺れる髪を押さえながら彼女は続けた。
「人殺し、とは周囲が与えた結果であって、彼が剣を握ったのは己の『希望』の為です。彼は少々忘れがちになっているようですが、どんな結果であっても彼が最初に抱いた感情は、とても素晴らしく大切なものだと想うのですよ」
 ふいにクスクスと鈴を転がすように笑い声が漏れた。
「なかなか、そういう感情を伝えるのは難しいですね。ずっと貴方と2人だったので忘れてしまっていました」
 シャン…と消え入りそうな音を立てて、魔剣は静かになった。
「はい、気に入ってますよ。彼を…」
 おーい、と大聖堂の方角から青年の呼び声が聞こえた。少女は顔を上げると穏やかに微笑んだ。
「……私を『勇者』の名前で呼ばないで居てくれる方なんて数万年ぶりですから」
 トンっと花壇の縁から、軽やかな動きで少女は着地すると、いつものように穏やかな微笑みを浮かべたまま魔剣を握り締め、青年の居る大聖堂に向かった。

「そういえば――」
 ティータイムの次に軽食を用意した青年自慢のシナモンクッキーを唇に運びながら、ふいに少女は青年に話しかけた。食事の時間でさえ大聖堂の床に座るのは青年的にも耐えられないようなので、近々テーブルの準備を検討していた。
「お?お前から喋るとは珍しいなぁ?何だ?ちゃんと口の中のモン飲み込んでから喋れよ?」
「むぅ…――」
 少女は暫く頬を膨らませながらクッキーを頬張ると、再度唇を開いた。
「私は、未だ貴方のお名前を伺ってませんが、宜しければ教えていだだけますか――?」
「俺の…名前?」
 青年は一瞬ギクリとした表情で、オニオンスープを運ぶスプーンの手を止めた。
「えー…あー…、人にな名前ぇを聞くときはぁ…自分からまず…ってお前の名前は知ってるか……」
 青年はらしくもなくバツが悪そうに言葉を濁している。珍しい光景に少女は柔らかく微笑むと、僅かに首をかしげて青年の顔を覗き込んだ。
「では、私の名前から名乗りましょう――」
「だから、もう知ってるって……」
「それ、違うのです――」
「…え?」
 彼女はゆっくり唇を悪戯に動かした。僅かにだけ窺える、からかうような仕草である。
「だから『ラスフェルト』は私の本名ではありません。その名前は魔王大戦の終焉の時に国王から頂いた勇者としての二つ名なんですよ。だから私には別に本名があるんです――」
 少女はゆっくり指先のクッキーの粉を払うと、細い指を法衣の胸元にあてて静かに目を閉じた。
「私の本当の名前は、エルトリート。正式にはエルトリート・ウル・キグダム・シャトラス。魔王大戦時代の最高王朝シャトラス帝国第3皇女です――」
「第3…皇女?」
 少女…エルトリートは瞳を開けると、再び柔らかく微笑んだ。
「じゃ、お前…お姫さ」
 言い終える前に、青年の唇に細い指があてられた。
「それは、またのお話しの際に。ほら、貴方が名乗る番ですよ――?」
 青年の唇からはずした指を自分の唇に当てながら、エルトリートは嬉しそうに青年の顔を見つめた。
「…………分かったよ。俺も驚いたしな、お前も驚くなよ?」
「え――?」
 青年は大袈裟にため息をついた。
「俺の名前はラスフェルト・イドス。伝説の勇者の名前なんてアル中大臣から初めて聞いたんだ。立派な偶然だが、俺の名前はラスフェルトなんだよ!だから言いたくなかったんだ。くそ」
 青年…ラスフェルトは言い終えると、むくれた顔で食事を続けた。
「ラス、フェルト……――?」
「ああ!なんか文句あっかエルトリート!」
「……喋る時は口の中の物を飲み込んでからにして下さい――」
 ぶっ、と豪快にラスフェルトはスープを皿に噴いた。
「わぁ汚いですよ、ラス――」
 クスクス笑うエルトリートの前で、ラスフェルトは慌てて台を拭くと、傍目見にも分かるほど顔を赤らめながらエルトリートを睨みつけた。
「う、うるさい!…て、え?」
 エルトリートは未だ愉快そうに微笑んでいる。
「愛称です。ラスフェルト、なんて長いでしょう?これから貴方の事はラスと呼びます」
「勝手に決めんなよ。……エル」
「え?」
 今度はエルトリートの方が面食らった表情を見せてしまった。ラスは相変わらず、感情が高ぶると思いがけない事を叫び散らす癖があるようだった。
「お前が俺をラスと呼ぶなら、お前もこれからエルだエル!寧ろお前の方が長いじゃねぇか本名!いちいち呼んでられねぇよ!」
「そうですね、ラス――」
「……ああ、エル」
 珍しくその日の大聖堂には笑い声が響き渡った。

「ラスフェルト…ですか――」
 夜更け過ぎ『子どもは早く寝ろ』を最後に寝室へ去って行ったラスを見送ったまま、エルは1人大聖堂で魔剣に向かい合って居た。夜になると、大聖堂は天窓からの月明かりのみで照らされ、蒼く染まる広間は一層神秘的な世界を創り上げている。
「魔王大戦時代の言葉が、数万年も同じ…なわけは無いですよね?」
 エルは魔剣を見つめたまま、誰に問うわけでもなく呟いた。凛として囁くような声は、大聖堂に響く事なくエルの胸の内にだけ響いていた。エルは暫く考えるような仕草の後、くすり、と微笑んで呟いた。
「おやすみなさいませ、ラス――」
 明日からは2人の名前の生活が始まるのである。
 それはお互いの存在を認めながら生きる事だから。
 エルは僅かに心拍数のあがる胸元に触れると、微かに頬を染めて微笑みながら、久しぶりに小走りに自室へと帰っていった。


 ラスフェルト。
 それは魔王大戦時代で『傲慢』の意を持つ否定的単語であった。



 【2】

「お前は聞いたか?今、俺らの時代って『魔王大戦時代』って呼ばれてるらしいぜ?」

 パチパチと、焚き火の木の爆ぜる音が嫌に煩く聞こえる。負けじと言わんばかりに、大柄な男は大きな声を更に弾ませた。
「とうとう人間共も大人しく化け物の食料から脱出するつもりなんだな!聞いたか?シャトラス帝国の派遣した例の『勇者』の話!」
 焚き火を挟んで向かいに座る少女は男の語りに反応するわけでもなく、ただ黙って赤く燃える炎を見つめていた。まだ幼いようだが、全身を包まんばかりに覆われたローブから僅かに端整な容姿が窺える。頼りなげな小さな身体の横には細身の剣が2本、ローブの裾からのぞいていた。
「何と言っても魔物どころか『魔王』を倒すためだけに派遣されてるらしいぜ?流石、二つ名に相応しい『勇者』だよなぁ」
「二つ名?」
 ローブの隙間から、小さいながらも凛とした空気の声が漏れた。
「おお、漸くお前も喋る気になったか!」
 男は少女の反応に嬉しそうに身体を揺らすと、得意気に胸をはって続けた。
「シャトラス皇帝が与えたんだよ!魔王を倒す為に生きる勇者に送られた二つ名は……」

「ラスフェルト、傲慢ですね…」

 顔を上げて呟いた少女の頭から、するりとローブが落ちた。
 白金色の絹糸のような髪が、焚き火に照らされ黄金色に輝いていた。



「なぁ嬢ちゃん」
 夕刻が終わりを告げ、辺りが夜の帳を下ろしかける頃になっても黙り続ける少女に、男は耐えられずに再度声をかけた。森の中で偶然見かけたのを迷子だと勘違いして早数時間、少女は二言三言話すだけで、全く素性を現さない。
「俺さ!ヴォングってんだ。日雇い護衛剣士をやってる。この辺りも結構山賊やらで物騒だからな!意外に俺みたいなタイプには稼ぎ場なんだぜ!こう見えても上品な騎士様よりも腕は立つって言われてんだ!先月には10人の山賊を相手にしても……」
 無駄。
 そう言わんばかりに少女は沈黙を続け、パチパチと相変わらず焚き火だけが煩かった。ヴォングは諦めたようにため息をつくと、単刀直入に本題に入る事にした。
「嬢ちゃん、一体何者なんだ?」
 少なくとも迷子でないのはいい加減分かっていた。
「正直言って、俺は長年この森でカモ探しながら過ごしているが、お前さんみたいな奴は始めてだ。粗末な服装で誤魔化してるようだが、お前さんからは嫌でも上品な気配がする。かといって貴族のお忍びにしてはあまりにも物騒だし、連れも居なさそうだ。何より……」
 そこまで言ってヴォングは眉を顰めた。戦闘を生業にしている者として容易に口にできない程の事実が、少女の周囲には漂っている。正確には、少女が全く手から離さない2本の剣の事だ。
(両刀遣い…の使う剣じゃねぇな。使い込んでる割には血の臭いがしない。レイピアに近いと思うんだが、なんで2本も使うんだ…?まさか飾りじゃねぇだろうし……)
 焚き火を覗く少女の顔は、夜のせいか先刻より増して可憐に輝いて見えた。端整な美少女、美しい顔立ちだからこそ、ヴォングには不気味に思えた。あまりにも不釣合いすぎる。不気味な森に謎の美少女に正体不明の2本の剣。
 ふと、少女の大きな瞳が焚き火からヴォルスに向けられた。
「ヴォング、さん…でしたっけ?」
「え?…あ!おぅ!」
 突然の呼びかけに思わず声が上ずった。少女の声はガラス玉のように非の打ち所のない音を奏でていて、ヴォングには未だに聞き慣れる事ができないのだ。柄にもなくドギマギするヴォングの心の内を読んでか読んでいないのか、少女はゆっくりと穏やかな微笑みを浮かべた。
「……幽霊、見た事あります?」
「…………はぃ?」
 思いっきり声が裏返った。
「な、何を…?」
「だから幽霊」
「いや、それはちゃんと聞こえたが…」
「幽霊って、やはり怖いですか?」
 少女は予想外に素っ頓狂な発言を連発した。穏やかなゆっくりしたテンポだが、明らかに何かズレている。
「ほら、夜になると言うでしょう?すー…っと白い影が。ヴォングさんが長年この森に居るなら見た事あるんじゃないかなぁ…って」
「は、はぁ…」
「特に、こういう静か過ぎる夜には」
「静かって…」
 焚き火が煩いじゃないか、と続けようとしてヴォンスは漸く周囲の不自然さに気づいた。
「…………」
「ですから、幽霊が出てきそうな夜には」
 少女の唇の前にヴォングはゆっくり手をかざして発言を制した。同時にもう一方の手を左側に置いた大剣に近づける。眼光を一層強め、周囲の気配に集中した。
 5人、いや6人だろうか。
(動くなよ)
 小声で少女に言い終えるのと、周囲の木々が一気にざわめくのと、ほぼ同時であった。
 2人を囲むように黒い影が一斉に襲い掛かってきた。
「ちっ!」
 思ったより多い。
 ヴォングは少女を背中にかばうようにして、大きな自慢の愛剣に両方の手をかけた。
 最初は横に大きくなぎ払う。
 ザンッ、と風と同時に何かを切り裂く感触が伝わった。
(……?)
 その時、既にヴォングはその不自然さを感じ取っていた。考える間もなく今度は後ろから鋭い殺気が伝わる。間髪入れずにヴォングは大きな剣を持ち上げるように下から斜めに切り上げた。
(こいつら…山賊じゃねぇ!)
 ぞくり、と嫌な予感が走った。
 刹那に右肩に冷たい感触が走り抜ける。
「ぅああっっ」
 ざしゅ、と熱い液体が溢れ出る音がした。
(速い…)
 どうして気づかなかったのか、ヴォングは痛みで霞む視野に更に力を込めて影を睨みつけた。山賊の割りに気配の消し方が巧かった。これだけの大剣を振り回されて身じろぎもしない。完璧なまでに相手の隙を逃さない俊敏な攻撃。それは訓練された者独特の動きである。
「てめぇら!どこの国の刺客だ!?俺様は招待される覚えはあっても消される覚えはねぇぜ?!」
 利き手を封じられた肩を抑えながらヴォングは渾身の力で怒鳴り散らした。
(不利だ…)
 胸の奥から弱音が聞こえる。
「くそ…っ!」
 無理やり抑え込むように自分の後退する思いを無視して、ヴォングは左手のみで大剣を振り上げた。

「――止めなさい」

 凛、と響き渡る。
 それだけで、ヴォングはおろか周囲の影達も静まり返った。
 しゅる、とヴォングの陰で少女ローブをほどく音が聞こえた。立ち上がった少女は、2本の剣を下げているにも関わらず法衣を身に纏っていて、その姿からは『剣士』というより『学士』の方が近い。
「すみません」
 それはヴォングにしか聞き取れないであろう小さな小さな声だった。
 次の瞬間、小柄な身体はヴォングの横をすり抜けいていた。
 タンッ、という歯切れの良い身軽な音と共に少女は素早く宙に舞うと、左の腰に下げた2本の剣の1本にだけ手をかけた。
 木々の隙間からこぼれる月明かりを反射して、一筋の光が見えた。
 一瞬の事である。
 瞬きを、何回したのかヴォングは覚えていないが、視覚や聴覚で確認するよりも速く、少女の身体と細い光が走りぬけ、剣がぶつかり合う音と鈍い肉を裂く音が入り混じって、何かしらの言葉が形をなす前には、少女とヴォングの他に、その場に立つ者は誰も居なくなっていた。
 ぞくり、とヴォングは背中に鳥肌を感じた。
(強い……)
 剣士としての本能が、ヴォングの奥を熱く燃やしていた。迷いなく其処に立つ小柄な少女は、横にいる大柄な男よりも数倍も、遥かに強いのである。
「嬢ちゃん…」
 固唾を飲み込みながら、ヴォングは隣の少女に声をかけた。少女は剣に纏わりつく血糊を一振りで払いきると、躊躇いもなく小さな鞘に収めてから顔をあげた。さらり、と白金色の髪が肩まで流れ落ちるのをゆっくり整えながら、少女は先刻と同じように…否、少し哀しげに微笑んでいた。
「怪我、させてしまいましたね……」
「あ?ああ、このぐらい…。けど嬢ちゃん本当にアンタ一体…」
「幽霊かと思って油断してしまいました」
(まだ冗談を言うつもりか?)
 ヴォングは呆れた、言葉を発する前に再度固唾を飲む事になった。少女の表情が初めて、険しくなっていたのだ。形の良い眉の間にゆっくり皺が入っていく。

「次は、本当に幽霊のようです」

 言い終えるのが先か、少女が砂を踏みしめる音がした。ヴォングが気を集中するよりも速く、少女は剣に手をかけ、目を開いた時には剣を抜いていた。それは先刻抜いていた剣ではない、もう片方の剣であった。
 ガキイィイィィンッッ……
 不自然な金属とも言いがたい音が響き渡る。
 ヴォングには一瞬、何が起きたのか分からなかった。
 少女は、引き抜いた剣を、地面…先刻まで見ていた焚き火の中に突き立てていたのである。
「お、おい…?」
 全ての物事が、ヴォングの五感よりも速く過ぎ去っていく。少女に剣を突き立てられた炎は、まるで生きているかのように大きく形や色を変形させ、表現しがたい耳障りな音をさせていた。橙、紅蓮、青、白に近くなり光のような不気味な炎が、先ほど少女が叩き伏せた影達をも包み込もうとする。
 理解せずとも分かる。
 魔王大戦と呼ばれる所以となる、人間を主食とした最強の種族。
「まもの、か…?」
「主!ラスフェルトにおいて命ずる!」
 少女は白き魔物に剣を突き立てたまま、真の強い発音で言葉を紡いだ。今までの穏やかな声色とは違う透き通るような声は、突き抜けるように強く、ヴォングの知らない音を発していた。
「エリ、エリ、ルシフェラン!汝、剣を司りし神官グリフォードの下に降伏せよ!我、魔剣グレイスによって封印を誓わん!」
 まるで呪文のように羅列される言葉に従うかのように、少女の剣に囚われた魔物はみるみる内に剣に吸い込まれるように小さくなっていた。
「封魔!」
 バシュンッ!という消滅音が消える頃、漸くヴォングを襲った異世界が終結を迎えた。


 たった一晩の出来事である。
 しかしヴォングの頭に入れるにはあまりにも容量の大きい出来事だった。
――――勇者ラスフェルト、傲慢という名の勇者。
「嬢ちゃん…」
 そう、呼ぶのはもう相応しくないのかもしれない。
 静かになった一面に佇み、何も言わずに魔剣を仕舞う少女に、ヴォングは何を言ったら良いのか分からなかった。それはあまりにも理解するには短すぎる出来事であり、信じがたい光景であったというのもある。それより何より、口伝いにしか聞き及んで居なかった『勇者』が目の前に居るにも関わらず、今の姿は畏怖というより、あまりにも儚く哀しげに見えたからだ。
「ヴォングさん、口だけじゃなくて結構強い人なんですね…」
 少女、ラスフェルトは出会った時と変わらない、穏やかな声を発した。ゆっくり向けられた表情からは、今にも消えそうな微笑みが浮かんでいる。
「嬢ちゃ…いや、ラスフェルトさんよ、何言って?……っっ!!」
 淡い光のようなラスフェルトの存在に目を奪われすぎたのか、周囲の暗闇に目を凝らした瞬間に、もう無いと思っていた更なる衝撃にヴォングは叩きつけられた。

 2人の周囲には、無数の白骨死体が散らばっていたのである。

「う、嘘だろ…さっきまで…」
 ラスフェルトは微笑みを崩さない。いっそ微笑みという名の無表情に近い表情で、ラスフェルトはゆっくり屍を見下ろしながら呟いた。
「そうですね、まだ殺しておいた方が良かったです……」
「な」
 そのラスフェルトの発言に、一瞬ヴォングの頭の中は真っ白になった。
――――『殺しておいた方が良かった』?
「ふ…」
 自分でも自分の身体が震えているのが分かった。
 命をかけ一日一日生き延びる人間であるからこそ分かる、毎日毎日かすかな命の灯火に脅えながら生きるからこそ分かる「命」が、今まさにこうもあっさりと扱われてしまったのである。
 ヴォングの信念を爆発させるには充分であった。
「ふざけるなぁあっっ!!」
 気がつけば、今まで詰まっていた感情を爆発させたかのように、ヴォングは怒鳴りあげていた。
「テメェ!人の命をなんだと思ってんだ?!それでも『勇者』かよ?!魔王を倒せれば、その為に犠牲になる命はテメェ以下の価値なのか?!どんな事情であれテメェが殺してようが殺してなかろうが、だったらコイツらが死んだのはテメェの不手際じゃねぇか?!いいか!死んだ命は戻らねぇし、死んだ命をタレレバで語って良い奴なんて居ねぇんだよ!!ましてや人の命を救えなかった奴が綺麗な面して善人みてぇな事言ってんじゃねぇ!この……」
 これ以上ないぐらいまくしたてた、理論がなっているかなっていないか分からない罵声の最後であるかのように、ヴォングは叫び上げた。

「この『傲慢』野郎ーーっっ!!」

 ラスフェルトは何も言わなかった。ただ小さな声で「すみません」と発音したように思えた。暫くして、漸くヴォングが冷静さを取り戻し、自分の怒鳴った契機が、彼女なりの優しさだと気づく頃、ラスフェルトは既に走り去っており、自分の右肩の傷が癒えている事実だけが残っていた。


『相変わらず、クールなふりするから怒られる』
 ヴォングの居た森の出口付近の丘から、人ともつかない声が響いた。
「ふ…え、えっえっ……」
 ラスフェルトは丘の陰で、魔剣グレイスを抱きしめたまま、外見通りの子ども独特の嗚咽を漏らしていた。
『エル、食べるの遅いのボクだし。泣くな』
「いいもん、私…傲慢だもん。だから、父様もそんな二つ名にしたんだぁ……」
『またそんな理由。泣き虫エル』
 魔剣グレイスは、魔術を主とする神官グリフォードを中心に魔術や呪術をもってして創られた『魔物を主食とする』魔剣であるが、魔剣グレイス自体に意識は吹き込まれて居ない。元々空の剣が考え言葉をする能力を持ったのは、吸収されていった魔物達から吹き込まれているのである。
『エル、キミを襲うアイツら何?魔物の巣窟に居るエル襲うなんて、命知らずだと思うけど?』
 魔剣グレイスの知力や自意識は吸収量に比例して増している。カタカタと揺れる魔剣を抱きしめながら、ラスフェルトは未だにしゃくりあげていた。
「昔、から…だよ…。シャト、ラス軍の…兵士」
『軍?エルの部下?なんでソイツら最高幹部のエル襲うのさ?』
「軍全部が、部下じゃない…。中には反逆者から、暗殺ぐらい…命じられるんだよ」
『なにソレ。そんな娘に護衛つけずに魔王倒させようとしてんの?信じられないねエルの国!』
 ぐすっ、とラスフェルトは鼻をすすった。
「護衛は、居たんだけど。駄目なの。生命力が弱ければ魔物に食べられちゃうし、暗殺部隊に殺されちゃうし、逃げた人も居たけど、仕方ないもん」
『エル……』
 魔剣グレイスは暫く黙ると、僅かに剣を光らせた。
『エル、今、剣あったかくした』
 抱きつけと言わんばかりに魔剣グレイスは自らの光で熱を発してカタカタと揺れる。抱きつけといっているのだろう。
「グレイス……」
 その不器用な慰め方に漸くラスフェルトが泣き止んだ時だった。
「嬢ちゃん!お前、なーんて情けない恰好でメソメソしてんだー?」
「ひゃ」
 後ろからかけられた大きな声に、ラスフェルトは子どもらしい悲鳴をあげた。
「あ、ヴォングさ……」
「あー泣くな泣くな、怒鳴ったおじさんが悪かったからさ。ほーら、おじさんが飴玉あげるから元気出せ?」
 ヴォングは得意気な程満面の笑みで、どこから取り出したのか棒付の飴をラスフェルトに差し出した。明らかなな子ども扱いにラスフェルトは一瞬むっと頬をふくらます。
「んー?どうしたー?勇者なのにあっさり背中とられたからかー?それとも久しぶりに怒鳴られたからかー?大体子どもの癖に独りで旅しよーって根性が既に『傲慢』なんだよ!よーし、これからは俺様が保護者みてーに一緒にいてやるから有難く思えー!」
 ヴォングは自信たっぷりにベラベラと喋ると、問答無用にラスフェルトの身体を魔剣ごと持ち上げた。
「ひゃ、ひ、一人で歩けますよぅヴォングさん…」
「あー?この森は俺様の森なの!嬢ちゃんは黙って一緒に来い!あと俺様の事はこれから『ヴォン』で良し!なぁ『エル』?」
「え?あ、…名前」
 ラスフェルトがほんのり頬を赤らめたのを確認すると、ヴォングは嬉しそうに笑って歩き出した。
「因みに俺様の護衛料は後でたーっぷり王宮に請求させてもらうからなー?」
「うそぅ…」
 夜明けを迎え、光差す森の出口には、愉快な笑い声が響き渡っていた。
 それが孤独に幕を進めていた傲慢なる『勇者』の新たなる幕開けでもあった。


 ヴォングの記憶する限りの話。
 シャトラス帝国の皇帝は、勇者ラスフェルトを選抜する際に、敢えて国民からではなく自分の幼い娘を選んだという。
 名前をエルトリート・ウル・キグダム・シャトラス。シャトラス帝国第3皇女であり、シャトラス帝国軍事部総裁でもあった。
 皇女が選ばれた理由は未だ知られていないので、噂の範囲での話であるが。
 その昔、魔剣グレイスに誤って触れた皇女は、100人にも上る部下を全滅させたという。
 そんな昔の話である。



 【3】

 伝説の勇者と呼ばれる者がどれだけの者なのか、所詮は誰も何も言えないのである。

「勇者ラスフェルト様の凱旋だ!!」
「魔王を倒された!暗黒時代の終結だぞ!!」
「シャトラス帝国に栄光あれ!!」

 それは後に『魔王大戦時代』と呼ばれる最後の伝説の年。シャトラス帝国内に大きな歓声が響き渡っていた。今まで人肉を主食とする魔物に脅え暮らした者達が、鮮やかな色を散りばめ、華やかな音楽を奏で、それぞれが様々なパレードを行っている。
 その光景を、シャトラス帝国王宮の窓から、ヴォングは満足げに眺めていた。
「おぅおぅおぅおぅ華やかなモンだぜ。やぁーっと、これで平和な時代が来るってヤツか。これで俺様も、日雇いな剣士から伝説の騎士様ってなるワケだ」
 ふふん、と鼻高々な様子を隠そうともせず、ヴォングは大きな胸を更に大きくはった。
「俺らの努力もこれでやっと認められるんだぜ?良かったなぁエル?」
 エル、と呼ばれた少女は、ヴォングと同じく窓際に腰掛け、窓の外を眺めていた。細やかな刺繍の施されたローブに身を纏い、一見学士のような服装の後ろから細身の剣が2本覗いている。流れるように肩まで伸びた滑らかな白金色の髪から、僅かに白く端整な容姿が窺えた。
 エル、と呼ばれた少女は暫く黙って窓の外を眺めると、僅かにだけ俯き、ヴォングの方に顔をあげると、儚げに微笑んだ。
「そう、ですね…」
 彼女の名前は正式にはエルトリート・ウル・キグダム・シャトラスという。シャトラス帝国第3皇女であり、シャトラス帝国軍事部総裁でもある。そして、彼女こそが永き魔王大戦時代を終結させた、後に伝説となる勇者ラスフェルト本人であった。


「伝説の勇者、ねぇ……」
 豪奢なソファーに身を委ね、それを悪戯に揺らしながら、ヴォングは一人ボンヤリと呟いていた。エルは既に皇帝への謁見の為の準備に行くと言って立ち去っており、客間にはヴォング一人しか居なかった。宮廷なのだから呼べば誰か来るのであろうが、ヴォングはただ一人、唯一の勇者の同行者として色々と思索にふけっていた。
(結局、何も聞き出せなかったなぁ…)
 ヴォングは瞼を閉じて、エルとの長い旅を振り返っていた。初めて出会った頃は、噂に聞く勇者とエルとのギャップの激しさに少々戸惑ってはいたが、少しもしない内にエルとは気軽に話せるぐらいの仲にはなっていた。当然の話、同じ目的で戦う仲間であるのだから、仲が良くても何も不自然ではない。
(そう、本当に『普通』だったからなぁ…アイツは)
 将来的に伝説の称号を得るであろう勇者と呼ばれる少女の姿を思い起こす度に、ヴォングは逆にいたたまれない想いにかられていた。
 確かに、彼女は強い。長年戦闘のみを生業にしたヴォングでさえ、剣技に関してはエルに劣った。全ての戦闘技術においてエルの能力は想像を超えるものであり、彼女の所持する魔剣グレイスは、魔物を主食とするだけあって、正真正銘『無敵』に近かった。
「でもなぁ…」
 漸くため息まじりに呟いた途端、扉の方から僅かな足音が聞こえた。
 ぱたぱたぱたぱた。
「……?」
 ヴォングは耳まで届く間抜けな足音に眉を顰めた。何度も言うが、ここは宮廷であり、宮廷に属する者は全て高級官僚である。礼儀作法も一流であり、足音一つに至るまで寸分のぬかりもない。
(誰だ…?)
 ヴォングは僅かにマントの裾に潜ませた剣に手をかけた。足音は軽い。大柄な男のものではないだろう。だがエルの例もある、油断はできない。
 ヴォングがドアを睨みつけると同時に、ダスンと鈍い音が鳴り、小柄なものが転がり込んできた。
「うひゃあぁっ」
 素っ頓狂な声が客間に響き渡る。何度も言うがここは宮廷である。間抜けながらヴォングは唖然とその侵入者を眺めるしかなかった。
 転がり込んできたのは聖装に身を包んだ女性…といいきれない程度の若い女性であった。聖装と言えども彼女の纏う聖装から紫の総が見える。シャトラス帝国の最高位を示す色であり、聖官と言えば勿論聖職者である。
「ナニモンだ?あんた…」
 ドアを開けた途端に、客間の絨毯に豪快に突っ込んできた聖職者の隣に、ヴォングはのんびりと腰掛けて聞いた。いい加減このパターンには馴れてきている自分が恐ろしい。
「あ、あわわあわわ。申し訳御座いませんヴォング様!いや、その…あははあはは。公式な聖装なんて滅多に着ないものですから豪快に裾を踏んでしまいましたのです。いやぁね、誰でしょう?こんなデザイン考えたのはー」
 若き聖官は、ヴォングの呼びかけに聞かれもしない個人事情までベラベラまくしたてると、どっこいしょー、と思いっきり着慣れない様子で立ち上がって、聖装の埃を払っていた。エルより少し年上であろう。神秘的な美貌を持っていたエルとは違い、苦笑いを浮かべる顔は柔らかな優しい印象を与える朗らかさが窺えた。
(ここの美女ってどいつもこんな感じなのか?)
「あ!今、私とエルトリート様を比較して呆れたでしょう?!」
 ヴォングのため息と聖官の覇気の無い叫びが重なった。やや少し意表を衝かれ、目を丸くするヴォングの前で、聖官は偉そうに姿勢を正した。
「えと、私の名前はメイ・ルティア・グレイス。シャトラス帝国最高聖官を務める極めて怪しくない者です!エルトリート様とはとても仲良しさんであり、今回はヴォング様を王室に連行すべく参上つかまつりました!」
 偉そうな割には、言葉遣いの時点で立派な不審者である。
「だが、まぁエルと近しい者であるのは分かった」
「何ですか?最初のその逆説詞は?」
「深く追求すんな。じゃ、行こうか」
 上手くメイという名の間抜けた神官長を振り払って、扉の方に向かう途中、ヴォングは漸く重大な発言を聞き流した事に気がついた。
「……お前、名前を今何て言った?」
「はぅ?私の名前?メイちゃんで結構ですよ?」
「違う!フルネームの最後の方だ最後の方!!」
 ヴォングは、ただ間抜けな神官長を睨みつけながら背筋に生臭い闇を感じていた。
「メイ・ルティア・グレイスですが?」
「グレイス…、お前あいつの魔剣グレイスとなんか関係あんのか?」
「魔剣…?」
「魔剣グレイスの事だよ!エルが装備してる剣の事だ!」
「……っ!」
 メイ聖官長は暫く大きな目を更に丸くしていたが、僅かに眉を顰めた後、大きく項垂れた。
「そうですか…。姫様は、私の名前を……」
「おい、ブツブツ言ってねぇで俺にも話せ!」
 ヴォングはメイ聖官長の聖装を握り締めて、思わず声を荒げた。
「アイツは『本当は』何者なんだ――っっ!!」
 メイは複雑そうな表情を見せた。先刻の間抜けな態度とはうってかわった、複雑な表情。
 2人が黙り続けて、一体どのくらいの時間が経ったのか、メイは聖装の裾から銀色の懐中時計を取り出すと、小さくため息をついて、ゆっくり顔を上げた。
「分かりました、少しだけ時間があるようですし。お話ししましょう」
 
 伝説の勇者と呼ばれる者がどれだけの者なのか、所詮は誰も何も言えないのである。
 それは、シャトラス帝国内で起きた、悲劇とも言える話。
 エルトリート第3皇女の100人にも上る殺人事件の話であった。



【4】



「エルトリート様〜。エルトリートさまぁ〜」
 その日もメイは相変わらずのふざけた口調で、楽しげにエルトリートに話しかけていた。
「エルトリート様♪今日はすっごく良い天気ですのよー?今日こそメイと遊んで下さいまし?」
 私室で読書にふけるエルトリートの周囲を、メイは全くもっておかまいなしといった態度でウロチョロしている。時折鼻歌さえ交じっていた。
「え・る・と・りぃ・と・さ・まー?」
 エルトリートは暫く分厚い書物に目を通していたが、いい加減メイの態度にため息をつくと、バタンと書物を閉じた。
「グレイス卿……」
「いやですわエルトリート様、メイちゃんで良いって言ってるじゃないですかー?」
「グレイス卿」
 エルトリートはわざと大きくため息をついて、メイを見上げた。まだ10歳ぐらいであろう幼き皇女は、その外見にはあまりにも重過ぎるシャトラス帝国軍事部の総裁という肩書きを持っていた。その重さ故か性格からか、エルトリートは全くもって幼い雰囲気を微塵にも感じさせない無機質な態度を貫いている。それは、彼女自身の美しさ以上に、何人も寄せ付けない冷酷さを感じさせていたのである。
「グレイス卿。貴女は本当に不思議な方だな。聖官長の身分で軍事部に顔を出す事が何の得になるというのだ?寧ろ世間に知られれば立場が危うくなるのは貴女の方であろう?」
「いやですわエルトリート様〜。私は単純にエルトリート様と仲良くしたいだけなのにぃ」
 エルトリートはその日3回目のため息をついた。鬱陶しい、という感情が嫌でも伝わってくる。
「ところでエルトリート様。その本は何の本なんですか?」
「ああ、グレイス卿の苦手なグリフォード卿の著書だ」
「……ひぃっ」
 メイは数テンポ遅れて、両手を妙な角度に掲げながら驚きのポーズをとった。グリフォードとは剣を司る神官の名であり、同時に穏やかなメイとは珍しく仲が悪い事で有名な人物である。
「ふぇぇ…エルトリート様はメイの事はお嫌いですか?」
「いやいや、そういう問題ではなくてな……」
 エルトリートは先を続ける前に言葉を飲み込んだ。エルトリートにしては珍しく歯切れの悪い態度である。何度かエルトリートは透き通るように白く華奢な指先を口元にやり、何かを言いかけて黙る作業を暫く繰り返すと、俯いたまま小さく呟いた。
「貴女は…怖く、ないのか?」
「ふぇ?私はエルトリート様が大好きですよ?」
 不思議そうに目を丸くするメイの姿を見上げて、エルトリートは少し憂いを帯びた表情を見せると、先ほどまで読んでいた書物を持って立ち上がった。その仕草一つにすら全く無駄のない、完璧とまで言える態度である。
「悪いが、これから皇帝との謁見が待っているんだ。遊びはまたの機会に、失礼するよ」
「皇帝陛下が…?また、軍事部の会議でございましょうか?」
「そうだな……」
 エルトリートは書斎から数冊本を取り出しながら、背中越しに応答する。
「多少重要な軍事会議だ。私は『戦わない方が良い』総裁だからな」
「エルト……」
 メイが異論を唱える前に、エルトリートは数冊の本を抱えたまま、扉の方に歩いていった。シャトラス帝国の栄華を物語るような豪奢なドレスの裾を軽々しく扱いながら、去り際に一言だけ呟いた。
「私も、貴女の事は嫌いではないよ」
 メイとの扉を閉じる、最後の言葉であった。


「全く、気持ちの悪い皇女様やなぁ…そう思わへんか?グレイス卿?」
 エルトリートと別れ、宮廷の廊下をとぼとぼ歩くメイの耳に、含み笑い気味の声が響いた。
 メイは声を確認すると同時に眉を顰めた。穏やかに整った顔からは普段では想像もつかないほどの不機嫌な表情が浮かんでいる。声の主は、廊下の隅。剣の神官グリフォードのものであった。
「まぁーた、あの薄気味悪い皇女様んとこ行ってたんやろ?あんな可愛げのない皇女様に。物好きやなぁグレイス卿は。聖官長が軍事部と仲良うしてどうしたいんや?ん?まさか聖職者が軍事力を操って政権を握ろうなん…」
「グリフォード卿」
 凛とした声が廊下に響き渡った。その声色からは明らかな不快感が伴っている。
「私と皇女様が何を話そうが、貴女には関係ないでしょう。二言目には権力権力と馬鹿のうろ覚えのように繰り返す貴女に、汚職関係の指摘をされるほど自分の人格が衰えた覚えはありません」
 へぇ…と面白そうに唇の端を吊り上げると、グリフォードは廊下の端からメイのところまでゆっくり近づいてきた。訛りの激しい口調とあげあしをとるような態度を抜けば、グリフォードは、ある程度美しく見える女性である。メイのすぐ隣まで歩みよると、グリフォードはさも嬉しそうにメイの顔を覗きこんだ。綺麗に整った髪がメイの前に流れてくる。
「言うてくれるやないかグレイス聖官長。普段のおとぼけ具合しか見てへん連中が見よったら、さぞかし驚くやろうなぁ?」
 メイはグリフォードの口調に一切表情を変えない。少しでも動けば肌が触れそうなぐらいに近寄られているにも関わらず、メイは淡々とグリフォードを見つめた。
「はっ、相変わらずその『怖いものなし』な態度か。随分お高くとまってるもんやな。あの皇女様ですら怖ない言うつもりなんか?」
「エルトリート様は、ごく普通の皇女様です」
「普通ぅ?」
 グリフォードは目を丸くさせた後に、声を上げて笑い出した。
「ぁはは、あははははっ!!何言うてんねん!あの皇女様が普通やて?グレイス卿もたまにはおもろい事言うやんけ!」
 メイは一切動じない。それが彼女の貫き通している信念であった。幾度笑われ非難されようともメイは何一つ考えを変えるつもりはなかった。
 グリフォードは暫く笑い終えると、メイの前に指を1本差し出した。
「……エルトリート皇女はバケモンや」
「グリフォード卿!!」
 漸く初めてメイは声を荒げた。瞳の中に明らかな敵意が浮かんでいる。
「だってそうやろ?あんなキモい皇女様にマトモに会話してるんはグレイス卿ぐらいや。誰一人として『人間』として扱わへん。あの異常な学力と尋常やない剣の腕が無かったら、軍事部の総裁どころか早々に消されとるわ。しかも軍事部総裁になれるほどの腕前なんに戦には一切かりだされへん。当たり前やと思わへんか?」
「口を慎みなさいグリフォード卿!」
「だって、あの皇女様は…」
 メイが片手をあげるのと、グリフォードが楽しげに呟くのは殆ど同時であった。

「――――魔物を食べんと生きていけへんのやからな」


 気がついた時には、メイは走り出していたと思う。
 聞かれれば、何故エルトリートが『そういう体質』で生まれた理由には答えられない。
 ただ、魔物しか食べる事ができなかった。それだけではないか。
 そんな事だけで、皆がエルトリートを遠ざける理由は成立してしまうのか。
 自分が聖官長である事など、どうでも良かったのだ。
 偽善者と、何度罵られようとも。
「だって…、遊んでくれる…って、言ったじゃないですか…っ!」
 メイは聖装を脱ぎ捨て、私服に着替えながらも速度を緩める事なく『その場所』へ向かっていた。早足でかけぬける最中に何度か自分の臣下に呼び止められた気もするが、今となってはどうでも良い事である。
 何故、エルトリートに構うのか、聞かれても困る。
「……友人1人1人、理由がないと作れないのならばキリが無いじゃないですか」
 誰に言うでもなく、メイは呟いていた。
――貴女は…怖く、ないのか?
 エルトリートの僅かな呟きが、今では大きく頭の中に響いていた。
 怖くないわけ、ない。
 でも、怖いわけもない。
「そんな、の…誰とだって、当たり前の…感情でしょう…っ?」 
 普段の運動不足を呪うほど、既にメイの息は切れ始めていた。
――私も、貴女の事は嫌いではないよ。
 そう、きっと息切れのせいなのだろう。メイはそう思った。
 自分が今、泣きたいほど後悔している事なんて。

 本日をもって、エルトリート皇女が内密に処刑されるなんて。

「エルトリート様…っ」
 メイは聖官独特の装束を今一番鬱陶しく思いながら、宮廷を駆け抜けて行った。 
 エルトリートの処刑の話を伝えたのはグリフォードである。
 問い詰めたところ、処刑場を提案した者がまさにグリフォード自身であったのだ。
(だとしたら、処刑場はグリフォードの知識内の場所…)
 グリフォードは顔面蒼白で問い詰めるメイに、嬉しそうにヒントを与えていた。バケモノを殺すのに一番適切な場所がある、と。
 脳裏をよぎるのは、グリフォードの著書を読んでいたエルトリートの姿。
(知って、いらっしゃったのですか…っ?)
――私も、貴女の事は嫌いではないよ。
「現在形で、おっしゃいましたよね?過去形では…ないのでしょう…っ?」
 ヒントは、グリフォードが剣の神官である事。グリフォードの著書に関する事。
 それでいてメイは、宮廷内で読んでいない書物などないし、一度読んだ書物の内容は忘れる事ができない能力をもっていた。グリフォードの書物の中に、一つだけ、思い当たる場所がある。
『魔王の洞窟』
 剣の神官には珍しく、魔物の長の存在を肯定した著書であった。シャトラス帝国よりはずれに位置する洞窟に、何人たりとも出て来れない洞窟の存在。魔物に至るまで入れば出てこれず、夜な夜な人とも魔物とも知れない声が響き渡った事から、魔王が存在すると言われていた。その洞窟は、以前はグリフォードの作り上げた剣の廃棄場所であり、その剣の中にはグリフォードが法力を込めた剣も少なくない事から、一説に魔王の正体はグリフォードの廃棄した剣に込められた法力の反応であるとも言われている。
 バケモノを殺すのには適切な場所。
 確かにグリフォードはそう言ったのである。可能性は高いと言えるだろう。
(共を連れるのは危険すぎる、でも自力で行くには…)
「グレイス聖官長!」
 城門を越える位置までたどり着いた時、唐突に呼び止める声が聞こえた。
 聞きなれない声に振り返ると、城門に数名の騎士が並んでいた。シャトラス軍でも上層の騎士団を示す紋章が確認できる。彼らの表情を見る限り、多くを語る必要はなさそうだった。
「礼節を省く無礼をお許し下さい!グレイス聖官長はもしや、エルトリート閣下の居場所をご存知なのではないのですか?もしそうでしたら、どうか私達を…」
 メイは専らエルトリートの私室にしか赴かないので、シャトラス帝国軍の顔など覚えてはいないが、必死の形相を見せる数名の騎士達の身なりを見れば、ある程度の功績を残した者達である事は確認できた。
「……私が向かう場所は危険な場所です。いくら貴方達でも無事は保障できませんよ?」
「私達はっ、閣下に忠誠を誓い、閣下の為に生き、閣下によって生きる希望を与えられました。今、閣下のもとに行かずして、何の為の忠誠でしょうか?!もとより命を誓い、捨てる覚悟で日々を過ごす私達に何を躊躇えとおっしゃるのです?!」
 メイは城門に来る間に荒れた呼吸を整えながら、同じく息を荒らしてる騎士達を見つめた。
 時間が、無い。
 自分の選択肢の善悪を定義してる暇は無かった。

「……貴方達の、お名前を窺っておきます」

 それがメイの答えであった。



【5】

 聖職者として生きる事は、常につきまとう影と闘う事でもある。


 メイが聖官長になったのは、聖職売買により汚れた聖官を正すべく、圧倒的な支持を受けての事だった。最高位の紫の総を継ぎ、聖職者の長として日々聖堂で祈りを捧げながら、メイは常に感じる胸焼けを愚かに思っていた。自分の無力さを棚に上げ、神を憎む事すらあった。
 今、メイは聖職者ではなく、ただの人間として『魔王の洞窟』と呼ばれる洞窟の入口に立っていた。
戻って、来ないのである。
 メイと共にエルトリートを追った騎士達が、全員。
「……」
 騎士達は、武力にたける自分達に任せて、メイは残るように言った。
 何度目の後悔であろうか。
 何度目の選択肢になるのであろうか。
「神よ…貴方なら私が次にどうするか、分かるのですか…?」
 メイは両の手を組んで、静かに膝をついた。
「エリ、エリ、ルシフェラン…ルシフェル、ラスフェルト・イドス、サバクタニ…」
 小さく、しかし明瞭に、メイはある祝詞を呟いた。聖官のみが知る、古代用語を用て。
 それから、メイは迷いなく、洞窟の中に走り込んでいた。
「エルトリート様!」
「エルトリート様ぁっ!」
 絶望的な思いと深い暗闇の中に、ただひたすら呼び続ける声だけが反響する。
 無謀。
 でも本当にそうと言い切れるだろうか。
 メイは鬱陶しいげに聖官衣の裾を抱えながら、喉に痛みが走ってなお、皇女の名前を呼び続けた。
「エルトリー…あっ」
 ふいに足元が何かにぶつかり、思い切りバランスを崩す。重心が急激にずれたメイの身体は、素直に地面に叩きつけられた。
「痛…」
 鈍い衝撃で、幾分冷静さを取り戻したのだろうか。メイは上体を起こすと素早く暗闇の中に視線を凝らし、自分の足元に転がっていた「それ」を凝視した。洞窟内に繁殖していた僅かなヒカリゴケに反射して、微かに鈍い金属色が見えたからである。
(死体……?)
 意識して確認すれば、洞窟内のヒカリゴケは予想以上に光を放っている。
 更に目を凝らすと、金属色に紛れてシャトラス帝国軍の紋章を確認する事ができた。瞬時にメイの脳裏に城門で出会った騎士達の姿がよぎったが、その衝撃より更に大きな衝撃をメイは確認する事になった。
「これ、は……」
 自分の足にぶつかった甲冑が騎士のものであるか確認しようとした時、暗闇に慣れてきたメイの瞳に更に無数の金属色が映った。その数は、メイと一緒にいた騎士達の比ではない。簡単に数えても百を越えそうな勢いで、幾重にも折り重なるように死体が転がっていたのである。
 メイは確認すると同時に自分の口元を塞ごうとした。嫌でも襲うであろう死臭から身を守る為である。
「あ、あれ……?」
 死臭という単語の後に、メイは1つの疑問にたどり着いた。
 其処には、これだけの死体があるのにも関わらず、一切死臭がしなかったのだ。
 探るように、メイは自分の手を再度手元の死体の元に伸ばした。確かにシャトラス軍の甲冑の感触、そして…更に探る指先が、漸く人骨の感触を察知した。
 全ての死体が白骨化している。
「…………」
 メイの頭には嫌な予感しか残らなかった。
 死臭は相変わらず感じない。ならばこれらの死体は瞬時に白骨化されている可能性が高い。これほどの人数を瞬時に白骨化させる方法、否、させる存在に、メイは身に覚えがある。
 素早くメイは身を起こした。
 既に全身からは凄まじい勢いで警戒警報が発令されている。
(近くに、居る……?)
 お世辞に言ってもメイは聖官長であり、実戦には到底向いてはいない。それでも、聖職者の頂点に立つ者として自分の能力が長けているぐらいは自負しても良いだろう。
 メイはゆっくりと両の手を胸の前に組んだ。
「……――神の名のもとに、生きとし生きえる者に具現の理を命ず」
 ぐらり、とメイの言葉に従うように、洞窟内の壁が不自然に歪んだ。その歪みに意識を集中させながら、メイは足元の死体から、ゆっくり鋼色の剣を持ち上げた。
「すみません、お借りしますね?」
 僅かに微笑むと、メイは剣を抱えたまま洞窟の更に奥へと駆け出していた。
 瞬時に人を白骨化させる存在。
 それは人肉に宿る全てのエネルギーを瞬時に吸い上げる事を意味する。
 人間の生命力を糧にする種族。
 その種族の存在は、嫌という程思い知らされていた。
 そう、嫌という程。
(魔物……)
 ある程度走り抜けた先に、大きな咆哮が響いていた。獣の類のようにも聞こえるが、既にその咆哮が獣のものではない事はわかっている。
「一応、具現化の呪は効いているみたいですね……」
 メイは足を止めると、抱えていた重々しい剣に力を込めた。
 魔物の多くはその存在をカタチとして世界に留める事すら困難なほど不安定なものである。自分の持つ不釣合いな剣で対応しきれるか分からないが、最早これしか生きて外に出る手段はないように思えていた。
 数秒もせずに、メイの前に尋常の域を超えた大きさの獣が姿を現した。予想通りの魔物。
(エルトリート様……)
 その巨体を見上げながら、ふと自分の大切な皇女の名前を思い出していた矢先である。
「グレイス卿?!」
 まだ幼い、戸惑いも含めた声が響き渡った。
「え、エル……」
 メイが反応するよりも早く、目の前の魔物が大きな咆哮を響かせる。
 しかし、それは威嚇の為の咆哮ではなかった。
 メイの視野に、僅かに白金色の影が映り、次いで物理的に何かを切り裂く音が幾度か聞こえた。
 数分も経っていないだろう。
 意識を明瞭にする頃には、目の前に居た大きな獣を模った魔物は地面に倒れ伏していた。
 更に明瞭になった視野には、この絶望的な洞窟には本当に不釣合いなほど、美しくも幼い皇女が映っている。
「エルトリート様……」
 メイがその皇女の名前を呼び、駆け寄ろうとした時、ふいに足元に倒れていた魔物がぐにゃりとカタチを歪めた。
「え…?」
 具現化の呪はまだ解いてはない。驚いて凝視した先の魔物は大きくそのカタチを歪めると、力なく粒子のように粉々になり、エルトリートの元に、正確にはエルトリートの所持していた剣の中へと吸い込まれていった。
(魔物が剣に吸収されている……?)
 まだ日常の冷静さを取り戻せていない精神状態のまま、それでもメイはエルトリートの側へ駆け寄って行った。エルトリートは黙ったまま、ただ剣が魔物を吸収していく様子を見届けている。
「エルトリート様、あの……」
 エルトリートは何も答えずに、ただ無表情にメイを見据えていた。大きな瑠璃色の瞳。その瞳からはエルトリートの感情を読み取る事はできない。
「あの、えと……」
 絶望的な暗闇の中、絶望的な光景を繰り返し目の当たりにした後に立つ、美しくも儚い美少女。
 その姿は粗末な服を着てもなお美しく、寧ろ不可思議なほど異様な光を放っていた。
「エルトリート様……」
 メイは国中が恐れていたその美しさに、ある意味、胸を指される程の哀しさを感じた。
 哀しいほど、エルトリートは美しいのである。
 メイは何となく気まずい思いにかられ、重苦しく項垂れた。
「メイちゃん、エルトリート様がご無事で感激ですぅ…」
「…………」
 エルトリートは暫く面食らったような表情を見せ、僅かにだけ「貴女は相変わらずだ」と呟くと、突然メイに寄りかかって意識を失った。
「エルトリート様?!」
 メイは慌てて倒れ込んだエルトリートの小さな身体を受け止めたが、その身体は、本当に弱々しく、改めてエルトリートが未だ幼い少女なのだと思い知らされた。



 洞窟から這い出るように、メイがエルトリートを連れ出した頃には、日は既に沈み、再度東から姿を現していた。
「この剣は、グリフォード卿の廃棄した剣達のなれ果てだよ」
 漸く意識を取り戻したエルトリートは、疲れたような表情で淡々と述べた。実際、日の光の下で見るエルトリートは髪も衣服もすっかりボロボロになっており、洞窟内での魔物との闘いの重さを感じさせた。
「グリフォード卿は法力を持たない軍部への強化の為に、剣に直接法力を注ぎ込む研究をしていたんだ」
 エルトリートの手元には、先刻魔物を吸収していた剣が鈍くその細身を光らせていた。
 メイはその剣を不安そうに見つめている。
「法力の注入に失敗した剣だけが、この洞窟に廃棄されていた。様々な法力が無駄に散漫してぶつかり合った結果、このような剣を生み出してしまったのだよ」
 所謂、化学反応のようなものなのだろうか。メイは未だ怪訝そうな思いで剣を見つめる。霧散した法力の結合反応が、果たして魔物すら吸収できる剣を生み出せるものなのか、メイの知識の範囲では到底想像もつかない。
 そんなメイの疑問を感じ取ったのか、エルトリートは困ったように小さく笑って続けた。
「この洞窟に霧散するほど、注入された法力は、生命力の吸収と生命体の崩壊…ドレイン能力だ。当時グリフォード卿は剣にドレイン能力を注入する研究をしていたのだよ」
「……え?」
「その結果、この剣は触れた生命全ての生命力を吸収・崩壊する魔剣となったんだ。……魔物に至るまで、この剣には触れる事すら敵わない」
「あ、え……?」
 上手く頭が回らなかった。エルトリートの言っている言葉が理解できない。メイはエルトリートとエルトリートの持つ剣を交互に見た。
 もしその剣が生命吸収能力を持つ剣であるのならば、その剣は『魔物と同じ仕組み』をしている事になる。ならば、そのドレイン効果を利用してエルトリートの処刑を行おうとした経緯も容易に理解できるというものだ。
 しかし、その剣の効力はエルトリートの話を要約する限り、人間の生命吸収を行う魔物さえも吸収してしまうものであり、そして何より、今エルトリート自身がその剣を手にしているのだ。
 そう、魔物の生命吸収能力を持つエルトリート本人の手元に。
「つまり、その剣は……」
「そうだな、私と『殆ど同じ能力』だ」
 エルトリートは皮肉とも悲観ともつかない表情で手元で鈍く光る細身の剣を見つめた。
「この剣は、魔物の中でも『最強』といえる存在となっていた。吸収した能力は蓄積され、新たに魔物を呼び寄せる。要するに、この剣自身が『魔王』なのだよ」
 エルトリートはそこまで言い終えると、再度無表情にメイを見つめた。否、無表情というレベルではない。エルトリートの瑠璃色の瞳からは、光自身が殆ど消え失せていた。
 剣のドレイン能力で弱っているのかと、メイが心配そうに声をかける前に、エルトリートはその桜色に儚い唇を動かした。
「……グレイス卿」
 それは至極淡々とした声だった。

「――私は、何者なんだ?」

「…………え?」
 言い終えるが早いか、エルトリートはメイの聖官衣の裾を握り締めて顔を埋めていた。慌てて何か言いかけて、メイは何も言い出せなくなった。聖官衣を握る指が震えていたのだ。
「私は……っ」
 絞り出すように発せられた声は、初めて聞く声色だった。
「私は…怖い。怖いんだグレイス卿。父様も、国民も、全てが……私が私である事が怖い!!」
 聖官衣を掴む指に更に力がこめられた。
「私は……本当に父様や母様の子なのか?本当にシャトラス帝国の子なのか?!こんな能力……否、そんな事より……どうすれば?……どうすればこんな能力を持ってる私を私は受け止める事ができるんだ?!」
 小さく震えながら叫び散らすエルトリートの姿は、至極当然のようにメイには思えた。
 それは長い年月、自分の能力に脅え周囲に脅え、強いては自分の存在に脅える心さえも押し潰し続けた少女の嘆きなのだろうと思った。国中が脅える皇女であっても、やはりエルトリートは幼い少女にすぎないのである。
 エルトリートは一通り叫び散らすと、今度は妙に穏やかに呟いた。
「私は、この洞窟の剣の存在を知っていたよ……」
 やはりか、とメイは思った。メイは先刻より何も言わずにエルトリートを見つめている。彼女が実に聡明であり、この叫びがより深なる叫びだと理解できるぶん、余計な発言で叫びを中断させるのには抵抗があったのだ。寧ろ、そういう叫びを溜めておく方が危険だと感じるので、何も言わないように心がけた。
「この剣なら、私を殺してくれるんじゃないかと思った」
「エルトリート様」
「この剣に殺されていれば、せめて私は『魔物程度の存在』で自分を認める事ができたんだ!!」
 エルトリートは再び声を荒げた。
「この剣が『魔王』であるなら、この『魔王より強い』私はどんな生き物なんだ?!」
(……え?)
 メイは一瞬耳を疑った。
 てっきりエルトリートが剣を持っても無事なのは、魔剣のドレイン効果が効かない体質だったからだと楽観視していたのだ。
 今度は明瞭に、エルトリートは自分の恐怖を叫び散らした。

 エルトリートは内密に処刑される事も、処刑先がドレイン効果のある剣の元である事も理解した上で、敢えて大人しく拉致されたふりをして洞窟に現れたのだが、其処で自分を拉致した人間や洞窟内の魔物が次々に剣に吸収される姿を目撃し、剣の能力を初めて完全に理解したのだと言う。
 暫く悩んだが、恐らく自分も能力も吸収されると信じて、自殺覚悟に剣に触れた事。
 吸収されると疑わなかったのに、触れたときに起きたのは、剣に蓄積された能力を吸い取ろうとする自分の能力であった事。
 長時間、自分の能力制限で死闘を続けた後にできた事が、吸収をせめて剣内で留めて自分にまで能力が吸収されないことだけだった事……。
 エルトリートは自分自身に対する恐怖を含めて全てをメイの前に吐き出した。

「この剣は私が制限をかけない限り、今後も多くの魔物や人間を吸収し続けるだろう。ならこの剣を持ち続けながら、私はどうすれば良い?!この剣を持って、多くの部下を殺して、多くの魔物を殺して……どういう顔で帝国に戻ればいい?!」
「…………」
 メイは今度は言いたくても何も言えなくなっていた。
「結局、何者も私を殺す事ができない。魔物ですら殺せない自分を『正真正銘のバケモノ』だと疑わずに、どうやって生きれると言うのだ?!私は…」
 エルトリートは力なく項垂れた。
「私は何なのだ……?」
 目の前で深く項垂れる皇女を前に、メイは暫く言葉を捜して視線を彷徨わせた。
 こういう質問には何か答えねばならないと思った。
(何か、言わないと…エルトリート様が不安になりますし…)
「そうですねぇ……」
 困ったように言葉を泳がせるメイの視野に、ふと洞窟内で拾った騎士の剣が入ってきた。土壇場ついでに持って出てしまった騎士の剣の柄に僅かにシャトラス古代文字が刻まれているのが確認できた。何年も使い込まれた剣の柄に刻まれた文字は、確かに『イドス』と読み取る事ができた。
 それは、城門で声をかけてきた数人の騎士の内の1人の名前である。
「英雄…」
 メイは小さく呟いて、エルトリートの方に視線を戻した。
「なら、エルトリート様は魔王を倒した勇者様ですよ」
「勇、者……?」
「ええ」
 エルトリートは唐突なメイの発言に怪訝な表情を見せた。エルトリートの性格上、当然の反応だろうと思えた。エルトリートは無駄に美しい言語を嫌うし、勇者などという単語を与えられるぐらいなら、忌み嫌われる言語の方がマシだと怒るかもしれない。
(それでも……)
 メイは騎士イドスが残した剣を不恰好にエルトリートに差し出した。
「そっちの剣が魔王の剣なら、こっちの剣はきっと勇者の剣ですわ。魔王の剣のみでは不安だとおっしゃるなら、勇者の剣も一緒に持って行って、エルトリート様がお迷いになられたら、こっちの剣を思い出して下さいまし。この剣は、実はエルトリート様を最期まで愛し続けた者の全てが注がれてますの。きっとエルトリート様を迷いから導く事ができますわ」
 そう言うと、メイは洞窟の前で呟いた古代文字を繰り返し呟いた。
「エリ、エリ、ルシフェラン…ルシフェル、ラスフェルト・イドス、サバクタニ…」
 メイの祝詞に反応するように、イドスの剣は柔らかな光に包まれていった。
「それは……?」
「シャトラス帝国に伝わる、聖官のみが使う古代用語です。えぇと、意味は『神様でも英雄でも魔王でもいいから、自分が自分を見捨てる事がありませんように〜』みたいな?要するにお守りみたいなものです。有難い聖官長からの祝詞ですよ、きっと効果があります」
 はい、と言わんばかりにメイは騎士の剣をエルトリートに差し出した。
「お守りです。受け取って下さい」
 今度はエルトリートが騎士の剣とメイを交互に見比べた。
 いつものように満面の笑顔を絶やさないメイを暫く見つめると、エルトリートはゆっくりとメイの手元から騎士の剣を受け取った。
「…………ありがとう、グレイス卿」
「あら、だからいつも言ってるじゃないですか〜。私の事はメイちゃんって呼んで下さいな」
「それだけは嫌だ」
「そ、即答……」
 落ち込んだように、よろよろと崩れ落ちるメイを見つめた後、高い日差しの下で2人の笑い声が響いていた。



 その後、結局エルトリートが無事に帰国できる手段も思いつかず、エルトリートはシャトラス帝国を出る事にした。
 いずれこの洞窟も調査が入り、エルトリートは死亡が確認されないことが知られるだろう。そうなれば刺客が派遣されるだろうし、死亡が確認されない限り逃げられないという事も承知の上だった。
 メイは黙って、エルトリートの出国を見送った。
 幼き皇女の手には2本の剣が握られている。片方の魔王の剣が動く限り食料には困らないだろうし、片方の騎士の剣が動く限り自分の道には迷わない、とエルトリートは言い残して言った。
 道に迷わない限り、世界中の魔物を吸収して行くと。
「この世の全ての魔物を倒しきれたら、立派に本当の勇者ですね……」
 誰に言うわけでもなく呟いた声は、風にさらわれて誰の耳にも届く事はない。
 出国の前にエルトリートはメイに向かって「ずっと貴女のような人間になりたかった」と呟いた。何者にも恐れずに、迷わず洞窟内に飛び込むような強さが欲しい、と続けた。
 それがエルトリートとの別れ際の言葉であった。
「私は、強いわけではないのですよ」
 メイはエルトリートの去って行った方角から踵を返すと、シャトラス帝国に向かって進みだした。
 エルトリート皇女をいつか穏やかな日々に戻すために。
「私は、誰か居ないと…救える誰かが居ないと、生きても行けないのですよ……」
 誰も必要とせずに旅立つエルトリートより、自分が強いとは思えない。
 メイは特に確認せずに、とりあえず瞼を聖官衣で覆った。例え涙が流れていようがいまいが、そういう姿を見せるべき立場ではないように思えたのだ。
「早く…メイちゃんが死んでしまう前に帰ってきて下さいね……」
 春が近いのであろう新しい風は、2人の心とは裏腹に穏やかな空気を流していた。


 伝説の勇者が生み出されたのは、それから数年後のことであった。



2008/11/05(Wed)11:49:38 公開 / 雄矢
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです。やっと超過去編が終了です。4話の走りすぎた描写も訂正していないのに、急ぎUPして申し訳ありません;、雄矢です。
過去ログに収録されてもなお読んで下さって本当に有難う御座います。
正直、起承転結の「転」にあたるところにさしかかりながら、描写を注意せずに形作ったので、多分後から訂正が入るかと思われます。もう短編集ではないようです。
とりあえず最近はもう、この話のネタばかり暴走する毎日なのです。走りすぎ描写に注意して訂正を今度加えていきたいと思っております。のんびりやですみません、頑張ります。
ではでは

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