-
『コンビニ・フルムーン』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:もろQ
-
123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
何の予兆もなく、夜中に突然起きることがある。時計の針が月の光に触れて鋭く輝いている。3時56分。職業病という奴だろうか。深夜でも叩き出されることがよくあるし、きっとその癖が体についてしまったのだろう。
「……クソ…………」
和輝は悪態をついて、起こした上半身を再びベッドに倒した。枕に顔を埋めて目を閉じる。部屋の静寂に、風が窓を叩く音が響く。今日は風が強い。ガタガタガタ。絶えず響く。うるさい。………………うるさいって、五月の蠅って書くんだよな。ガタガタガタガタ。結構常識だと思ってたけど、意外とみんな知らないんだな……………………。ガタガタガタガタガタ。
「眠れねえ!!」
上半身を思いきり起こした。今すぐその窓を殴り割ってやろうか? 叶わぬ夢想が寝ぼけた脳内でうごめいている。成す術なく、布団から抜け出してみた。
目も半開きのまま、数分間リビングをうろついた。眠れないだけで、夜はこんなにも退屈な時間らしい。時の流れはいつになくゆっくりと進む。テレビ番組も、ここまで遅い時間帯ではちっとも面白くない。リモコンを床において、和輝はのっそり立ち上がった。
「うわー………」
冷蔵庫の青い光は、まっさらなプラスチックの棚を照らしてなんとも幻想的だ。すっからかん。食品類も何ひとつないことには驚いたが、その状態になるまでちっとも気付いていなかった自分の神経も負けず劣らず驚異的だ。
何もないと思うと無性に腹が減る。よく考えたら、ここ数日ろくに飯も食っていない。働きすぎだ、少年。和輝は自分に言った。こんな夜は、どこか外へ出て暇を潰すしかないか。
ドアを開けたとたん、ものすごい突風と寒気に襲われた。こんな真冬に加えて風か、最悪のコンディションだ。羽織っただけのコートが今にも飛びそうで、和輝は急いで鍵をポケットに戻した。こんなコンディションの中外出しようっていう俺も、どうかしてるけどな。口元で笑った。
よく見ると、今宵の月は満月だ。ずいぶん小さいが、それは傷ひとつなく、夜町を照らす金の球体となっている。こんな時間では電気のついている窓はほとんど見えない。まさに、闇に沈んだ世界を柔らかく包む光の集体だ、と思った。
「はは」
柄にもねえ。なんちゅう例えだ。思いながらも行く道で何度もその言葉を思い浮かべた。歩く速さに合わせて、月も闇の中を進んでいく。そして立ち止まった先、箱形の建物にライトブルーの屋根。自動ドアの向こうから何ともやる気のない蛍光灯の光がお出迎えしている。コンビニエンスストア。あ、略さないで言ったの久しぶりだ。
店内に入ると、聞こえてくるはずの声がない。はて、と思ってレジに立つ人影に目をやる。少し長めの前髪は両目の周りに暗い影を落とし、口はきゅっと閉じ、肩はだらしなく垂らして、そこに立っている青年がいる。自分より若そうだが、現在の状況を見る限りその若々しさは微塵もない。
「挨拶がないぞぉ少年。さてはバイトのにーちゃんだなぁ。よいか、挨拶というものは人間と人間が出会った際の最初のコミュニッケーションだ。だから大事にせねばならん。よし、一緒に言ってみよう。さんはい、『いらっしゃいませー!』」
などと指摘しようかとも思ったが、黙っておいた。分かっている。現在深夜の4時16分。この時間帯に夜勤をやらされる店員のテンションは相当ヤバい。睡魔にハッパをかけられてストレスが溜まりまくっているんだ。触らぬ神に祟りなし。おもむろに雑誌コーナーへ向かう。相変わらず青年は、レジの後ろで立ち尽くし、まっすぐどこかを見ている。
あああぁ、眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い。眠い。バイト暦3か月になる山田侍郎の頭の中は、ずっとその言葉だけが巡り巡っていた。当然そんな状態では1分前に客が来たことなどもつゆ知らず、侍郎は夢と現実の境目をゆらゆらふらふら彷徨っていた。近頃は家に2人でいても悩みが増えるだけで、奴と同じ部屋で寝るくらいならコンビニで仕事をしていた方がまだマシだ、と思うようになっていた。しかし実際は、こっちもこっちで、辛い…………。あああぁ、眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い。眠い。
こうして見るとここにはいろんなものがある。酒類、パン、おにぎり、弁当、コピー機、ATM、文房具、果ては女性のストッキングまで。大したものだ。こんな画期的なシステムを考え出した奴の顔が見てみたいな。和輝はコンビニの素晴らしさに改めて感動しながら、店内をうろついた。しばらくして和輝は、あの冷蔵庫の惨澹たる状況を思い出し、ガムの棚へ向かう足を半回転させ、食品コーナーに引き返した。
明太子、高菜、牛カルビ、いくら、ネギとろ…………。ふーん。パン、パンねぇ、ミルク蒸しパン、チョコデニッシュ、ツナマヨサンド。あ、俺マヨネーズ駄目だわ。あの甘酸っぱさはないなあ。野菜に付けるモンじゃないって、絶対。それこそカレーとかプリンとかにかけるなんてもっての他だね。マヨラーって言うんだっけ、ああいうの。お、焼きうどんかあ……。いいなぁ。このタイプなら店であっためなくてもいいし、いいかもねー。
レジに戻ってくる頃には、和輝の持つカゴはそれなりの重さになっていた。焼うどん、缶ビール2本、麦茶の2リットルペット1本、魚肉ソーセージ、あんぱんなどなど。レジを挟んでさっきの青年と向き直った。相変わらずボーッと立ち尽くしている青年の顔にはまるで生気が感じられない。
「すみません」
「…………」
無反応だ。動かない。こいつは俺の存在に気付いていないのだろうか。少し声を大きくしてもう一度言った。
「すみません」
「…………」
まさかとは思うが、こいつはマネキンか何かなのか? 誰がこんなとこにマネキン置いたんだ? ドッキリだろうか。
怪訝そうに覗き込む男の顔は、先ほどから侍郎のまぶたとまぶたの隙間をうろうろしている。なんだこいつは? 俺に何か用か? 男の口元が何かを伝えている。……イ…ハ…………ライ……。記憶の波とともにその声が明瞭に聞こえてくる。
「あの、支払いを………」
ああ、客か。侍郎は相手を軽く睨んだ後、目線を落としてカゴの中の品物を見る。チッ、いろいろ買いやがって。静まり返った店内に、バーコードリーダーの音がいやに響く。時が凍っている、和輝は思った。少なくとも、レジからこっち側の空間は。自分は完全に孤立している。
「2730円です」
ほとんど動かない唇が値段を告げた。普通なら、こんなボソッと言った言葉は到底聴き取れないだろうが、この静寂の中ではそれもはっきりと認識できた。3000と30円を抜き出す。青年はやはり黙ってそれを引き取り、かわりに100円玉を3枚、レジ代の手前側に置いた。
「お釣り、300円です。ご確認下さい」
相変わらずボソボソと言う。和輝は戸惑いつつ、300円を自分の手で拾う。その前に、お前はちゃんと確認したのか? 思いながらも黙って店を出た。
「なんだアイツは………いくらなんでもあれはないだろう」
袋の中身をのぞきながら、和輝は店員のテンションにも「上には上がいる」ということを改めて実感した。夜空に浮かぶ満月は、驚いたことにさっきに比べて少しも動いていなかった。相当時間が長く感じた。いや、凍っていたのだ。驚いてもおかしくない。
「ん………あれ?」
和輝はあるものの存在の欠如に気付き、右手で袋を持ち上げ、左手で中を漁った。月の光が視界を心なしか照らしてくれている。
「ない……割り箸が……」
なんと、店員は和輝が最初にいたときと全く同じ格好で立っていた。両目は前髪で隠れており、口は横にまっすぐ閉じている。レジ台の後ろに直立するマネキン。唯一違うことは、台の上に先ほど和輝が払った3030円がそのままにしてあることくらいだ。
「あ……」
声をかけようとしたが、思いとどまった。先刻触るどころか撫で回してしまった神の偶像に、再びちょっかいを出すとは、なんて危険な行為なんだろう。さっきはどうにか無事だったが、今度はどんな祟りが降るかわからない。しかし、割り箸…………。欲しい………………。しかし、声をかけるわけには……………。
侍郎のまぶたとまぶたの隙間にいたのは、またしてもさっきの男だった。さっきと同じ困惑したような顔をしている。なんでまたいるんだ? 今度は何の用だ? すると、男の右手がゆっくりと動作を始めた。何か触れてはいけないものを触れるように右手はこちらへ近付けているのに、上半身は後ろ気味に傾いて、なかなかそれを手に取ることができていない。それでもしばらくして右手は、侍郎のほぼ真下まで伸びていく。こいつは、何を欲しているんだ? 視線だけずらして見たその時、突然右手は素早く上半身に戻っていき、気付くと男の姿も消えて、代わりに外の闇の中に、走って逃げていく人影が見えた。逃げられた理由が分からず、侍郎は男が取って行ったものを知るべく目線を真下に戻すと、そこには割り箸の缶ケースがあった。なんだ、割り箸か……………。なんで逃げてったんだろう…………………………。
割り箸? 割り箸?! ちょっと待て、あいつ、万引きしやがった!! 割り箸盗みやがった!! そうか、だから盗ってすぐ逃げたんだな!!!
「待てええええぇえええぇぇぇぇぇ!!! 泥棒ーーーーーーーー!!!!」
店員は叫びながら、恐ろしいスピードで夜の街に溶けていった。改めて言うが、深夜の店員のテンションはヤバい。さらに彼ほどになると神経も麻痺して、「割り箸にも値段がある」なんていうあり得ない常識が生まれたりするのだ。
○つづき
店長・冴島隆明が大汗をかきながら店内に戻ってきたのは、午前4時42分。レジの裏に回り、奥のドアに向かう。開いた目の前に白い丸テーブルと3個の椅子。奥に6つのロッカー。椅子のひとつには、茶色の革製の財布が乗っている。
「あった」
弾む腹を抱えて歩み寄り、汗ばんだ手のひらでそれを掲げる。つい中身を見る。ひーふーみーよー、大丈夫、ちゃんとある。
安心した面持ちで部屋を出ると、店長はある異変に気付いた。店の中を見回す。なんで誰もいないんだ? 棚の後ろに隠れている様子もない。何より、店内を包む静寂が人間の気配の皆無を意味していた。店長は眉間にしわを寄せ、夜勤係の日付けをチェックする。今日は…………1月25日。えーと、山田、侍郎。……………………山田。…………………………山田ぁ!!?
「クソっ、駄目だった。もっと俺の反応が早けりゃ捕まえられたのに…………」
ブツブツ独り言を呟き、侍郎は弱々しい足取りで仕事場に帰ってきた。思いきり走ったせいで、余計に眠くなってきた。侍郎はうつむいてレジの裏へ回る。ちょうど立ち止まって目を閉じようとしたとき、侍郎は突然何かに接触し、ゴムボールのような弾力を受けてレジの反対側に弾き返された。
「わっ」
侍郎は床にしりもちをつき、驚いて自分を弾き飛ばした物体に目をやった。そこには、真っ赤にした顔から鼻息を噴出させ、大きな腹の上に腕を組んで仁王立ちしている店長、冴島隆明がいた。
「て、店長!」
「なあぁーにをやっとるかああぁーーー!!」
その爆発音のように激しく響く怒号を受けて、侍郎は再び弾き飛ばされた。
「仕事もせんと、ど〜こほっつき歩いてたかーーーーーーーーーーー!!!」
「いや、実は訳があって………」
「い〜いわけは、するなーーーーーーーーーー!!!」
「あの、泥棒が、割り箸が」
「前から駄目な奴だと思っていたんだ! ろくに仕事もしないでチャラチャラしやがって、わしにはお前と同じくらいの年の息子がいるが、お前とは雲泥の差だ! 今の息子じゃなくてお前みたいな奴が生まれたりしたら、わしは即捨て子にしてやったわ! なんであの時採用したんだか……」
今まで黙っていた侍郎も、この時ばかりは堪忍袋の緒が切れた。目を強く見開いて、侍郎は突如立ち上がった。
「おい、捨て子とか言うんじゃねーよ。俺がその境遇抱えてどれだけ辛い思いしたか分かってて言ってんのかよ。あ? 人の気も知らねーで、体脂肪ばっかつけやがってよ!」
侍郎の拳が店長の大きな腹を叩く。
「このチビデブ! はっ、俺は実の親父も嫌いだけどよ、仮にお前みたいなデブ野郎が親父だったら、見た瞬間殺してるぞ!!」
店長の怒りも爆裂した。
「何だと?! もういっぺん言ってみろ!!」
「死ねクソデブ!! デブ!! デブ!! デブ!! デブ!! デブ!! デブ!! デブ!! デブ!! いっぺんどころか10回も言ったぜ! このチビデブクソ野郎!!」
「クビだあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
侍郎は店長の言葉を聞いて我に返った。目の前の怪物はもはや膨らむだけ膨らんで、間もなく破裂しそうだ。クビ……………? 俺が? まさか…………。
「………………そ、それだけは勘弁して下さい。思わずすごい失礼な事言ってしまいました。自分が愚かだったのはよく分かってます。ですから……」
「聞こえなかったか? クビだ!! お前なんかもう雇ってられん!! さっさと出ろ!! さあ! さあ!!」
その大きな両手が侍郎の胸ぐらをつかみ、勢いをつけてレジの外へ押しやった。
「待って下さい! 俺、ちょっとでも仕事の隙間あけたら、アイツの借金とか払えません! どうしたらいいんですか! あ……」
背中に固い地面があたり、侍郎は咳き込んだ。気付くと侍郎は既に店の外に寝かされ、目の前には店内の光を背に受けて、真っ黒な影になった巨大な人間が立っていた。
「助けて下さい! やめさせないで下さい!!」
侍郎は哀願した。しかしその声は相手には全く聞こえていない。
「クビだ!!!」
その低く重い声は地の底まで響くかと思った。侍郎は震え上がった。やがて黒い怪物はそこに横たわる人間に背を向け、店の中に戻っていく。自動ドアが動いて、目の前でぴしゃりと閉じた。
「……なんだよ」
不思議な事に侍郎の感情は、途方もない絶望感ではなく、自分を追い出した人間への怒りと恨みへと変わっていた。
「なんだよ! またのけ者かよ!」
気付くと侍郎は店の向こうに叫んでいた。
「なんで俺だけこんな目に遭わなきゃなんねえんだよ!! マジウゼエんだよお前ら!!」
自分を捨てた両親、自分を裏切った恋人、自分をクビにした店長、そして自分を憎み、蔑み、孤独にさせた全ての人間に、叫んでいた。
「見てろよ………。俺はこの世で一番ツエエ奴になってやる。犯罪も目一杯起こして、世界をこの手で潰してやる……………!!」
侍郎は立ち上がって、右手を強く握った。その顔は醜悪の念に満ちている。
「まずはお前からだ……………………。冴島隆明」
闇の空に紛れて、月はなぜか笑っていた。
和輝はソファに横になり、つい先ほど食した焼うどんの食感を思い出していた。現在午前5時1分。風はいつの間にか止んだようで、窓を叩く騒がしい音はもう聞こえない。静かだ。
ふとテーブルを見ると、プラスチック容器とかつお節のビニール袋、そして割り箸が無造作に置いてある。つい先ほどのコンビニ騒動が頭に蘇った。あの時の俺の右手の素早さといったらなかったなあ。より速く、より正確に箸を取りつつ、缶そのものを倒さないよう手のスナップを巧みに効かせて1本だけを抜き取る。我ながら見事なテクニックだ。……やれやれ。しかしあの店員、恐かったー。
携帯電話の着信音に気付き、和輝はソファから跳ね起きた。この番号は……玉置?
「もしもし?」
「お前んちの近所で窃盗事件だ。とりあえず行け。俺もすぐ行く」
「なんでそんな偉そうなんだよ?」
「いいから。ほら場所言うぞ……」
紙袋を被った男は、レジの前で悪態をつきながら立っている。右手には銃。店長は少し開いたドアから目を見張っている。決して詳しいわけではないが、あの拳銃、どうも偽物くさい。しかもどうやらあの男、犯罪に手を染めるは今回が初めてらしい。動きがどうもぎこちない。そして何より、わしに110番をかけさせる十分な隙を与えてしまった時点で犯行慣れしているとは思えん。大きな黒い鞄を持って、店長は覗き見をやめて部屋の中に戻った。
白いテーブルと3個の椅子を横切り、奥の6つのロッカーの前まで歩く。右から一番端、「冴島」と書かれたネームプレートを確認し、ズボンのポケットから鍵を取り出す。右回りに回し、取っ手をつかんで手前に引くと、独特の黴臭い匂いの中に、鉄製の黒い大きめの箱が置いてある。店長は見下ろして、小さくため息をついた。底面はロッカーの床と釘で打ち合わせていて、完全に接着している。重い腹を両膝と胸で挟み込み、店長はしゃがみ込む。扉にはグレーの小さなダイヤルが5つ付いていて、その周りにはそれぞれ0から9の数字が並んでいる。ダイヤルに付いている矢印をどれかひとつの数字に合わせ、その数字が5つとも正確に合わせられれば扉が開く、という仕組みだ。すぐさま店長の右手が一番上のダイヤルを握る。0を指す矢印を左に2回動かす。……8。続いてふたつ目のダイヤル。0から今度は右に2回。……2。みっつ目は……5。……2。…………4。
「おせえぞ!」
「……すみません。これ、全部です」
と言って中身を見せる。紙袋に開けられた2つの小さな穴から、男は鞄の中を覗く。
「渡せ」
男は右手のひらを向け、催促するように振った。「はい」小さく返事をして、店長は鞄のチャックを閉め、男の手に渡した。男はそれを強くひったくり、店長に背を向けて店を出ようとする。店長はぐらぐら揺れる頭の紙袋をにらんで考えていた。そのまま逃がしはしない。自動ドアが開いた瞬間に、レジを跨いで飛び越し、そのまま頭からぶつかって前のめりに倒す。相手が素人と分かった以上、もはや躊躇はしない。紙袋が、少しずつ遠くなる。黒い鞄が揺れる。歩いていく。外の、夜明けを待つ空の光に男の後ろ姿が溶け込む。消えていく。ガッ。透明のドアが。ウイイイイイ。男の前で、両側に割れる。今だ。イイイイイン。誰かの人影? 今だ。
「うりゃああああああ!!」
ドガッッ。
「ぐあああっ!!」
紙袋の男は、店長が飛びつくよりも早く声を上げた。なぜかこちら側に向かって倒れる男。その向こうにもう一人、男の影。店長は紙袋の背中と連なって後ろに倒れる。揺らぐ店内。スローモーションのように世界は傾き、やがて背中には床の、腹には倒れる男のぶつかる衝撃が走った。
「おらあああ!!! 大人しくしろ!!」
影の怒号が店内に鋭く響いた。店長は訳が分からず、腹の上に乗っている強盗の姿を見た。強盗はうつぶせになって、後ろ手を影に押さえつけられていた。紙袋は無我夢中でがさがさ暴れている。わしの腹の上で。突然影は、男の紙袋をつかみ、思いきり引きはがした。その顔を見て、店長はハッとした。
「最近、ウチのかみさん一日中酒飲んでて……」
「そうなのか。そりゃあ、大変だなあ」
「しかも、詳しいことはわかんないんすけど、なんかアイツどっかで借金作ってるらしいんですよ」
それは2週間ほど前、山田侍郎が話していた内容だった。
「もう、俺アイツの世話するだけで精いっぱいですよ。ホントに勘弁してほしいです」
その笑った顔には、心なしか悲しみが滲み出ていた。こんな時に思い出すなんて。そんな状況下で追い出された山田は、どんな思いだっただろうか。店長を恨んだだろうか。あの時店から追い出さなければ、山田はこんな非行に走ることなどなかったのに。
「山田……」
「店長…………」
侍郎は体を起こし、店長も続いて起き上がった。侍郎は、主人を失った犬のように寂しい顔をしていた。
「首だなんて…………嘘だよ」
「すみません………俺、ホントに馬鹿でした」
店長の大きな指が、侍郎の精悍な顔の輪郭を撫でた。やがて、その指に飼い犬の涙が落ちて、指を伝い、手の甲まで流れ落ちた。迎えに来たぞ。もうどこへも行くんじゃない。
「なんとか落ち着いているみたいですね」
声がして、侍郎は振り返った。
「あっ! さっきの泥棒!」
影は言葉を返す。
「あっ! さっきの店員! ていうかばか! お前が泥棒だろ!」
店長も振り返った。
「あっ! 和輝!」
影は言葉を返す。
「あっ! 親父! ていうか親父の仕事場ココ?!」
「ええ?! 店長の言ってた『俺と同じくらいの年の息子』って、コイツなんすか?!」
「そうだよ、わしの息子だ」
「どーも、冴島和輝でーす。警察やってまーす」
「いやあ和輝、しばらく帰ってこないと思ってたら、ずいぶん背が伸びたなあ」
「うふふ、親父も。ずいぶん腹が出てきちゃって」
「あれ、侍郎何してんの?」
呼ばれて侍郎は振り返った。そこにはたった今店に入ってきたらしい中年の女性が立っていた。
「あっ! 和美! 何してんだよ!」
店長も振り返った。
「あっ! 和美! 何してるんだ!」
和輝も振り返った。
「あっ! お袋! 久しぶり!」
女性は店長を見たとたん驚いて叫んだ。
「あなた! うっ、マズいわね……」
「おいお前! なんでうちの店員の名前を知ってるんだ!」
「それは……」
侍郎も驚いて叫んだ。
「えっ! お袋?! てことは店長は和美の旦那?!」
「おい山田! うちの和美とどういう関係だ!」
「それは……」
「あっ、もしかして…山田! お前が言ってた『かみさん』って、和美の事なのか?!」
「それは……………はい」
「和美!!! 最近よく出かけてると思ったら、山田に会いに行っていたのか?! えっ、しかも一日中酒のんで? どこかで借金作ってる?!!」
「えっ、ちょっと待って。じゃあこの店員、お袋の不倫相手?! ていうかお前、お袋と付き合ってたって、フケ専かお前」
「フケ専言うな!! …………なんて言うか、一緒にいると、母親の温もりが伝わってくるっていうか、居心地良かったんだよ。ほら、俺小さい頃親に捨てられたじゃんか」
「じゃんかって、知らねえよ俺は」
訳の分からない人のために整理しよう。和輝は、店長の自慢の息子。店長の雇っている侍郎は和輝に逮捕された。侍郎は店長の夫、和輝の母である和美と交際関係。侍郎は店長と恋敵にあるのだ。
時間はすでに午前5時22分。空は、淡い紺色、薄紫、薄いピンク、鮮やかなオレンジと、様々に色を変えて和輝の目を楽しませる。暗いビルの谷間から、朝日が昇っており、その対極の青い空には、未だに白い満月がぼんやりと浮かんでいる。和輝はコンビニの前に立ち、早朝の爽やかな空気を吸い込むと、体の中を一陣の風が吹いたような、清々しい気分にさせた。和輝は、遠くに霞む月を見上げながら悟った。満月には、人を惑わす奇妙な力があるという。もしかしたら、昨夜自分達は、あの満月の不思議な力によって導かれたと言ったら間違いだろうか…………。間違いかな。口元を少し緩ませて、和輝は歩き出すのだった。
-
-
■作者からのメッセージ
終わりました。
これを壮絶なラストと思っていただければうれしいですが。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。