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『部屋の隅で』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:もろQ
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光が、カーテンの刺繍の間を縫って鈍く入り込む。しかし、それはまだ部屋全体を満たさないので、俺の視界は暗闇しか捉えていない。
この部屋で唯一時間を知らせてくれる目覚まし時計は、三日ほど前から針の動きを止めていた。身体はだるく微動もできないが、脳ははっきりと朝の訪れを察知している。ひざを抱えて、部屋の隅で座る肉塊。それ以外に、俺を表現する言葉はない。
今思えば、あの日の俺はどれだけ頭が悪かったんだろう。金欲しさに、他校の生徒の顔を潰した。その辺のホームレスを連れてきて袋叩きにした。ヤク絡みでヤクザの下についた事もあった。高校時代の俺は悪(ワル)の象徴のようなものであり、最高に糞な人間だった。
半年ぶりに帰宅した日は、太陽がアスファルトをじりじりと焼いていた。原付を石塀に寄りかからせ、額の汗を拭いながら玄関に上がる。屋外と違って、フローリング床はひんやりとしていた。誰もいないのか、腰からつないだ鎖のじゃらじゃらという音以外は何も聞こえない。リビングはカーテンが閉め切られ、生地の淡いオレンジが空間を染めていた。黙り込んだテレビ。ホコリひとつない床。遠くに聴こえる車の音。静かな部屋。生暖かい空気。テーブルの上に、一枚の紙。
「私達は、お前を育てることに疲れた。自分の力で好きに生きてくれ。
父・忠男」
「親が逃げた」
深夜の公園は必要以上に静かで、自販機だけが低い寝息を立てている。無機質な明かりがぼう、と闇を照らす。
「マジで?」
自販機の向こうから声がした。俺は少し笑いながら「ああ」とだけ言った。小さな笑いが返ってくる。
「そっか、お前ももう親のスネかじってられねえってこった」
ベンチの背もたれでギッと音を立て、春樹はうんうんと頷いた。
「は? んな事してねえよ」
「そうか? 誰でも心の底ではパパママの事ちゃんと考えてんのよ」
春樹は諭すように俺に言う。
「黙れよ」
空の暗いグレーに、遠くの木々が黒い影を象っている。風はない。俺は幾度となくこの公園で夜を過ごしたが、二人で黙っているとこんなにも静かであることを知った。時の遅さが空気を通じて解った。
俺は地面に座って、もう一度声をかけた。
「なあ」
「……ん?」
「この前、山城さんに付いて取り引きの現場行ったろ?」
唐突な話に一瞬戸惑ったか、春樹はひとつ間をおいてから答えた。
「ああ、すごかったな。あっという間に十人半殺しだもんな」
「なんか、そん時思ったんだ。俺達より何十歳も年上なのに、やってる事は子供のケンカと同じ。……俺、あんな大人にはなりたくねえなー、って」
その後の静けさも手伝って、不安が一気に込み上がる気がした。暗い景色が増して暗く見える。春樹は、しばらくしてやっと口を開いた。
「ナニ、お前ヤンキーやめたいの?」
「いや、やめたいっつーか………」
「いいんじゃね?」
あけすけな返事に、俺は思わず声を漏らした。春樹は砂の音を散らして立ち上がった。蛍光灯の光が立ち上がる人の影を造る。
「俺もね、実はそう思ってたよ。このままじゃいけないってね。もっと大人になんなきゃいけないって」
目の前の人影が、自販機に小銭を食わせていく。いつもヘラヘラしている春樹が、こんな真面目な考えを持っていたことに少し驚いた。ボタンを押すと、足下でガコンという音がした。
「人には大人になる時期ってのがあると思うのよ。人間として一歩進まなきゃなんない時期。それが多分、今くらいだと思う」
もう一度小銭を入れ、ボタンを押す。ガコン。影は身を屈めて取り出し口に手を突っ込む。俺は黙ってその様子を見ていた。
「な」
春樹の右手が缶ビールを差し出す。
「俺と一緒に、抜け出さねえ?」
その口元は、いたずらっぽく笑った。
太陽の光は、いつの間にか暖かい黄色を帯び、床の上の凹凸をくっきりと浮かび上がらせていた。汗のしみ込んだシーツ、着古して破れたシャツ、散乱したカップ麺、吸い殻を詰め込んだ空き缶。全てが俺の生涯に見えた。ボロボロになって擦り切れた心。縮んで崩れた脳ミソ。死んだ肉体。崩壊した精神。肉塊は黙って向こうの壁を見たままだ。
俺は、今となってはほとんど人の顔を覚えていない。父の顔も母の顔も遊び仲間の顔もヤクザの顔も何ひとつ、忘れてしまった。しかしそのかわり、俺は春樹を覚えている。笑った顔、怒った顔、悔しげな顔、あの夜俺を、外の世界に誘ってくれた顔、そして……………血だらけになって、それでもわずかな願いを俺に託してくれた、安堵の顔。
不良仲間の情報伝達は速い。俺と春樹が逃げ出す噂を聞いて、数人が現れたのはその夜から二日経った頃だった。奴らは言った。行く前にケジメをつけろと。身支度を調えてやると。特に春樹はケンカが強くて、一度やられたケリを付けるために集団でやってきたらしい。
「俺らはもうやめたんだ。お前らみたいに馬鹿やるのは」
春樹は俺の隣で言い放った。しかしそれも今度の相手には通じなかった。
「誰も許可してねえ。お前らは死ぬまで俺たちの仲間だ」
「黙れ」
我に返ると、俺は戦線の外にいた。目の前には、土ぼこりに巻かれる不良たち。せわしなく動く集団の足。肉と肉がぶつかって跳ね返る。鈍い音。彼等の足下には、ボロボロにされて横たわる人間の姿。春樹! 俺は不良たちを押しのけて春樹のそばに駆け寄った。肩を抱いて起こしてやると、顔はもう以前の面影を残していなかった。
「春樹!!」
「……………怪我は、ないな……」
呟く唇から、血がゆっくりと顎を伝っていく。
「春樹!! もう、何も言うなよ!」
春樹の眼から光が消えていく。抱いている肩の温度が逃げていく。周りで立ちすくむ男たち。俺のせいだ。なんで逃げたんだ。なんで助けてやらなかったんだ。後悔が涙となって溢れ出した。
「春樹…………本当に、ゴメン」
「……行けよ………お前だけでも、大人になれよ…」
最期の瞬間まで、春樹の目は最後まで俺を見ていた。どこか安らいだようだった。
まるで夢の断片のようにおぼろげな生涯。それでも、その日のことは今でも鮮明に記憶に残っている。俺は泣いた。友の死と、自らの過ちに泣いた。泣けば、悲しみは忘れられると思った。
しかし、無理だった。いつまでも悲しいままだった。やがて、俺は孤独を欲した。俺はこの部屋の隅に、束縛された。俺は、何が恐かったんだろう。
日は落ちきって、暗い闇が再び部屋中を満たす。仄かに差し込むカーテンの光のおかげで、床に雑踏の影が生まれている。ふと、グレーの空に木々が黒い影を象る情景が過った。何が俺を閉じ込めているんだろう。何が恐かったんだろう。蛍光灯の光が目に浮かんだ。親が子を放棄したこと、土ぼこりに巻かれる不良軍団、春樹の死。そんな物はもう恐くはない。春樹は死ぬかわりに俺に託してくれた。だったら早く行かなければ。俺が大人にならなきゃ行けなかったのはあの日じゃない。今だ。春樹は教えてくれた。どれほど深い悲しみも、どれほど惨めな過ちも、全て乗り越えてゆくことこそが、本当の「大人になる」ということであると。今すぐ俺は、この部屋を飛び出して、星になった春樹に応えてやらなければならないんだ。「俺は大人になった」と。
俺は玄関に立って、部屋中を見渡した。淡い光が数多の暗い起伏に輪郭線をつけ、まるで巨大な化け物が部屋いっぱいに寝そべっているようだ。しかしなぜか、美しいと思った。
ずっと動かなかったせいか、一瞬立ちくらみがした。壁に手を置いて踏みとどまり、頭を振るとなんだか気持ちがよかった。光を受けて微かに見える目覚まし時計は、未だ止まったままだ。いや、俺は動き出すんだ。過去の時間にすがってはいけないんだ。俺は窮屈なスニーカーを見下ろしてドアに向き直った。
「そこに春樹がいるなら」
外は、思ったよりも明るかった。
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■作者からのメッセージ
人が部屋に引きこもって黙ってる姿を書きたかっただけなのに、いつの間にか主人公は不良になってしまいました
私用があって内容など大きく変更して再UPさせて頂きました。感想に主人公が死んだの死んでないなど書かれた方がいらっしゃいますが、それと内容が合わないのはこちらの都合で変えさせて頂いた次第でございますので、その辺はご了承くださいませ。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。