『みかんのたいき 【読みきり】』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:影舞踊                

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――酸っぱくて、苦くて、時々渋い
――洒落たつもりの
――合言葉




       「みかんのたいき」





 夕暮れ空に霞む夕日が赤く映えて、みかん畑を切なげに照らす。実際切ないことなんて何もないのだけど、そんな感慨を抱いてしまう。緑の葉っぱにまだ黄緑色のみかんの実。僕はそれを見つめながら、軟らかい地面に腰を下ろした。頬を撫でる秋の風にほのかな甘酸っぱい香りが漂う。
 目の前にずんずんと並ぶみかんの木々はどれも小さく、可愛らしい。僕はそのどれもを愛していて、そのどれもと友達だ。みかん農家で生まれた僕は、物心がついたときからここに足を運んでいた。特に用がなくてもここに足を運び、みかんの木を眺める。みかんの木は好きじゃなかったけど、みかんの匂いは好きだった。ある時は一日中ずっとそうしていて寝てしまい、軽い騒動になったことがるぐらいだ。
 心が落ち着く場所っていうのは誰にもあって、僕にとってはそれがここであり、言葉では表すことできない真実なのだ。涼やかな風がざわざわとみかんの葉を鳴らす。空の雲はどんどん形を変えてゆく。
 父さんが死んで、僕と母さんが二人でこのみかん畑を手入れするようになってもう随分経つ。最初の頃は流石に父さんみたいにとは行かなかったが、今では十分、父さんと同じどころかそれ以上にうまくやっている。それほど大きくない畑だから二人でも十分に手が行き届くのだが、収穫の時期となると流石にそう楽ではない。まぁ、もう慣れたものだが。
 ごつごつしたいびつなみかん。野生のままに、甘やかして育てるのではなく自然の中に強く育てる。父さんが死んでから色々と改良を加えた。何か一つのことに打ち込んで結果を出す。小さなみかん畑でも、大きな注目を集められるような、そんなものを作り上げたい。父さんに教えられた思い出の中で、僕が導いた答えはそれだった。
 目の前にある小さなみかんの木々とは対照的に、僕の背後に数少なく立っている大きなみかんの古木。切り倒せば収入も増えて、まずいみかんも食べなくてよくなる。組合からもやかましく切れ切れと言われることもない。しかしそれらも小さなみかんの木々と同じく僕の守るべきものであり、同じ愛すべきみかんの木々なのである。父さんの言葉がふと頭をよぎる。

――トシ、お前はこんな風になれよ
――この木みたいにってこと?
――そうだ。でっかい大味のまずいみかん。人に嫌われることなど恐れるな。本当に怖いのは人を嫌ってしまうことなんだ。お前はまだまだ未来のある未完の大器だ
――……親父ギャグ?
――笑えよ……うまいだろ?

 細かった腕も随分逞しくなり、白さはそのままだけどそれもどこか年季が入ってきた。
 ふんわりと風に乗る若い香りはまだ強い。今年はいいみかんができそうだ。





 みかんの木はそれほど大きくない。僕の身長よりもちょっと高いだけのそれからは全然木という感じを受けない。僕は昔から大きいものが好きで、テレビや本で見る鯨や恐竜、屋久島の杉の木なんかにものすごく心を留めていた。
 だからなのか、僕はあんまりみかんの木が好きじゃない。木登りもできないし、華奢な枝はちょっと力を込めるとすぐに折れてしまいそうだった。夕暮れの光が目に焼きつくぐらい眩しい。風がみかんの甘酸っぱい香りを乗せて吹くみかん畑。やわらかい土の上で、そんな弱弱しい枝を見て、細い幹を見て、僕の腕を見る。
 白くて細い僕の腕。
 力がなくて、白いそれは女の子の腕のようにも見える。毎日外で遊んで、仕事を手伝ってもいるのに白い僕の腕。否、腕だけじゃない。僕は顔も体も全部白くて、かなり不気味。もちろん周りの友達がそんなことを言うはずはないし、両親がそんなことを言うはずもない。なかなか逞しくならない体が嫌いで、さらに色が白いことが嫌だった。それほど気に留めるべきことでもないのに、僕の中ではコンプレックスとなっていた。
 僕の肌が色白なのは母さんからの遺伝で、父さんは小麦色の肌の、いかにも逞しい農家の男だった。いつも豪快に笑って、厳しい父さん。うちは大きな農家じゃなかったけど、父さんはそんな性格のおかげか、なぜか組合の中で会長として信頼されてた。
「陣さんのみかんはおいしいからねぇ。もっとたくさん作ったらどうなんだい?」
「陣さん、あの大きな古木切って新しい品種の育ててみなよ」
「陣さんは変わっとるのぉ。今時そんな古い木世話しても何の役にも立たんぞい」
 父さんが組合員の人とよくそんな会話をしているのを聞いた事がある。話の中心となっているのは利益を上げるために、新しい品種のみかんを作ってみないのか。もっと畑を大きくしてみないのか。古いみかんの木は切ればいいいんだよ、というもの。
 古いみかんの木。うちの畑に大きくて、でも余り実を付けないみかんの木がある。だからと言って味が抜群によくて、高く売れるというわけではない。むしろ大味で、あまりおいしくない。毎年、売れないことがわかっているから、うちの家や近所の家の腹に納まるのだ。最近じゃそれも不評で、風の噂で広まる迷惑みかんの話は父さんの耳にも入って、僕らの家は毎年手が黄色くなるぐらい大味みかんを食べていた。
 おいしくないんだから食べなきゃいいじゃん。そんなことは口が裂けても言えない。そんなことを言うと、父さんに張り倒されるのが目に見えている。父さんはあまり実を付けないその木達にも、他の木と同じように接していたから。
 そんなわけで、まずいみかんを食べなくて済むようになるんだから、僕も古いみかんの木を切るのは大賛成だった。でも、父さんは頑なにそれを拒否して、毎年古い大きなみかんの木は大味の、色が悪くてでこぼこの実を数少なく実らせていた。心の内では、みかんばっかり食べてるから筋肉がつかなくて、細いままなんだと思っている自分もいた。

 学校から帰ったら宿題をやって、家の手伝いもやる。時々遊びに行く時も必要以上のお金はねだらない。僕は父さんと母さんに文句なんて言わず、言っても冗談。そんな良き子供だ。だから、今僕がいるこの場所ではきっと父さん母さんに顔を向けて話すことができない。
 学校では、僕はそれとは正反対の、嫌な奴、だった……。
 クラスの内で僕の言うことを聞かない奴はいない。何というかリーダーというよりはボス的存在だった。別に誰かをパシらせたりしてたわけじゃない。ただ、取り巻きというか、仲間が多くて、時々暴走してやっちゃいけないことをやってしまっていた。
 細身で色白のいかにも弱そうな僕が、どうしてそんな風に振舞えたのかはわからない。僕より大きな体をした奴はいたし、怖い顔をした奴はいた。僕が彼らよりも凶暴で、力が強くて、けんかには絶対負けなさそうな、そんな雰囲気を出していたとは思えない。なぜそうだったのか? 父さんの力? もしかしたらそれもあったのかもしれない。でもたぶん、僕自身の問題がそんな学校での僕を形成していたんだと思う。
 初めて学校に入った時だった。けんかをした。それが全ての原因とも言えるかもしれないけんかだ。よく覚えてる。

「気持ちわりぃ〜」
 次の瞬間、僕はそいつを殴っていた。子供のけんかはむちゃくちゃだ。僕もすぐに殴り返され、二人とも泣いて殴りあった。机ががたがたと音を立てて倒れ、周りで僕らを囲むように円陣ができる。取っ組み合いのけんかで教室中の机にぶち当たりながら、床に転げた。相手の服を引っ張って、相手の髪の毛を引っ張って、服が汚れるのも気にせず暴れまわる。暫く転げまわった後、ついに僕はそいつに馬乗りになって一方的に殴る形をとっていた。僕がそいつの顔に向けて渾身のパンチを、
 とそこでストップ。休み時間の中盤から始まったたった5分の大乱闘は、担任の先生の介入によってあっけなく終わる。何があったのかを尋問され、僕ら二人はその後の授業を潰した。他のみんなは喜んでいたみたいだが、僕は大嫌いな算数の問題を百問やらされているほうがマシだった。
 保健室に僕と先生とそいつが三人。けんかの理由を聞かれるが、僕は何も言わずに黙り込む。そいつも同じく何も言わなかった。先生だけが一方的に話して、とにかく暴力はいけないことなんだと諭す。何度も聞かれるケンカの理由を僕もそいつも答えようとせず一時間経って、先生も言いたい事を言えて納得したのか、理由を話さなかった僕らをしぶしぶ解放した。
 怖かった。
 けんかの理由は言わずもがな。僕のコンプレックスをつついたから。何気ない気持ちだったんだと思う。冗談のような会話の中での言葉だった。悪意はなく、それでもそんな風に思われてると思った瞬間、怖気が走った。
――みんなにも? 僕は気持ち悪い? 僕は、違う?
 仲間はずれになるのが怖かった。いじめられるのが怖かった。僕は僕で、僕を守りたい。だから僕は群れを成した。僕のことを傷つけないようにして、僕は仮面をかぶったんだ。
「お〜いトシ、帰ろうぜ」
 でも別に集団で悪戯をしたりしていたわけじゃない。取り巻きというか、友達は大勢いたが、彼らと共に一緒に遊んでいただけ。そう、遊んでいただけ。今日、この時まではそれで通用していて、これからもそうであるはずだった。

「気持ちわりぃなぁ。なんだよそれ、ちょっと貸せって」
 胸がちくりと痛む反面、その裏側でほっとする。友達……の言葉は僕に向けられたものではない。目の前で僕たちに詰め寄られているそいつは、いつもそんな風だった。
「やめてよ。これはこの前おかあさんが買ってくれたんだから」
 ざーざーと雨が降るグラウンドに目をやり、それを訴えるそいつは浜名浩太。小柄で少し飛び出た目が印象的なやつで、いつも同じような服を着てる。
「うるさいわ。貸せって」
 取り上げ浜名の傘をばさりと開く。オレンジ色の、みかんの絵が描かれた傘だった。
「趣味わりぃ〜、何だこれ」
 その言葉に、ははははと盛大に笑うのは僕。また少し旨の内側に亀裂が入る。
「やめてよ、返して」
 ばさばさと、僕の友達……は傘を開いたまま野球のスイングを始める。ばさばさと、新品の傘の匂いが鼻をかすめた。やめてよと繰り返す浜名を無視して一人終わると次という感じで、順番に僕の近くにいたやつがスイングを繰り返す。5人目に差し掛かった時、それまで頑丈に耐えていた傘も、乱暴な扱いに音を上げる。バキッという嫌な音を立てて、その傘は見事にひっくり返り、骨が折れていた。
「ああっ、ああああっ!」
 僕の手元にはその傘があった。握られた部分からまっすぐに伝わってきた嫌な感触。冷たい汗が背中を伝う。ひっくり返った傘の模様はぐしゃぐしゃで、みかんの柄はつぶれていた。周りの友達……は依然として笑いながら「あ〜あ」と言う声を出す。そして何も言わない浜名は、
 泣いていた。
「ごめん」口から出そうになった言葉は凍りつき、僕は笑い声を上げる。手でグシグシと無理やりひっくり返った傘を戻しても、折れた骨は元に戻らない。無理やりくるんで、浜名に突き出す。軽い口調で「ごめんごめん」と言いながら出した手を、浜名は勢いよくはたいた。
 同時に傘も地面に吹っ飛ぶ。「ああああっ!」と言う声を出して、そしてそのまま雨の降るグラウンドへ駆け出した浜名を僕は、僕は見ていた……、
 ……笑った顔で。

 その夜、僕が部屋でその事を考えていた時だった。父さんが僕の部屋の扉をバタンと開け、すごく怖い表情で立っていた。「来い」とだけ言われて、僕は部屋を出る。黙って父さんについて歩き、居間に入る。父さんが座ったので、僕もそこに腰を下ろした。
 瞬間。平手打ちが僕の頬を思いっきり引っぱたいていた。痛さのあまり目から涙が溢れ出す。父さんの顔に目を向けることができなかった。僕はなんで叩かれたのか、思い当たる節があまりにも目に焼きついていたから。
「さっき電話があった……」
 そう言って、父さんは話し始めた。今まで僕が言っていなかったこと、学校で浜名をいじめていたこと。父さんは終始厳しい口調で、僕の俯いた耳に言葉を投げかけた。痛いはずの頬は、なぜか何も感じない。
「いつからやってたんだ」「なんでそんなことをした」「恥ずかしいと思わないのか」「反論してみろ」
 僕には反論する勇気も、それをごまかす必要も感じなかった。
 今までやってきたことを遊びと認識してやってました。僕は悪いって気持ちはなかったから。浜名君も笑って付き合ってくれてたし。そんなことを言えば言うだけ、僕が薄れていく。紛れもなく最低の人間だと、父さんを目の前にしてそう思った。
「お前が、そんなことをするなんて……。思ってなかったわ」
 小さくボソリとそう言い終わった時の父さんの声は、僕がどんなに悪辣なことをしたのかをもう一度考えろと言っているようだった。僕は俯いた目を少し上げる。言い終わって立ち上がり、居間を出て行く父さんが、「しっかり謝れ」と言ってくれたのを聞いて、僕はぶり返した頬の痛みに目から涙をこぼした。

 次の日、直した傘を手に僕は学校が終わってから浜名の家に行った。浜名は学校を休んでたから。
 震える指でチャイムを鳴らし、手に持った傘を握り締める。汗ばんだ掌が気持ち悪かった。ガチャリという音がして、ドアノブが動く。ゆっくりと開くドアから半歩下がり、そこに立つ人を見る。小柄で、出目金の、出てきたのは浜名だった。
「あれ? お父さんとお母さんは?」
「仕事」
 ばつが悪そうにそう言う浜名は、ジロリと僕を睨みつける。そして、僕が握っていた傘へと視線を移した。驚いたというよりも、訝しげな顔をして僕の様子を見る。はははと、乾いた笑みで頬を引きつらせ僕は声を振り絞った。
「あの、……これ」
 手に持っていたオレンジ色の傘を浜名に突き出す。訝しがっていた浜名の眉がつりあがり、眉間にしわを寄せる。何を考えているのか。また僕を馬鹿にしにきたのか。そんなことを考えているのが手に取るようにわかった。
「……もういいよ」
 浜名は呆れたように、諦めたように、そして悲しそうにそう言った。僕は慌てて言葉を続ける。
「いや、でも。一応直したんだ。本当、折れた骨の部分も、ひっくり返ったのも……ほら」
 傘を開いてみせてどこもおかしいところがないのを示す。
「もういいって!」
 強い口調で、浜名はそう言い切った。ドアを閉めようとする浜名、焦る僕。思うことを素直に口に出せないもどかしさが、喉の奥で燻ぶいた。
「―――――っ!」
 時が止まった気がした。でまかせでもなんでもなく、僕の口からは勝手に言葉が出た。心から相手にすまないと思った時、自分が悪いことをしたのだと思った時、その相手へと送る言葉。
「―――――ぃ……」
 気づいたら、涙も出ていた。





 みかん畑に涼しいというよりは寒い風が吹く。先日まであったオレンジ色の果実は綺麗に収穫され残るは緑の小さな木々だけである。慌しいみかんの収穫が終わって一週間立った頃、郵便受けに一通の封筒が入っていた。それは市からの推薦状で、みかんの優良品種開発のことに対してあなたを名誉市民に推薦したいというものだった。
 送られてきた相手が市長なだけに、そんなことにもなれていなかった僕は手紙を読んで、すぐに筆を執った。手紙など書いたことはほとんどないが、書かずにはいられなかった。そんな大層なことをした覚えも、したつもりもない。まだまだ、僕はそんなものを貰うわけにはいかなかった。

「今回の御推薦、真に有難く思います。
 しかし、実際のところ私がしたことなど取るに足りない出来事であり、それで名誉市民などという有難いもの授与するのは返って気が引けてしまいます。
 ですので、真に遺憾ながら今回の名誉市民授与は辞退させて頂きたく思います。もしも、可能であるのならば、既に死去した我が父親「山草陣」に与えていただければと思います。身勝手な返事をお許し下さい。
       山草利英」

 僕は書き終えた手紙を読んで、謝り方がうまくなったことに苦笑する。僕もそれだけ成長したということか、直接会ってないからか。小さい時の記憶はふっと蘇り、色あせた思い出は少し彩を取り戻す。頭の片隅ですぐに消えていくそれは、何かを僕に感じさせこそばゆかった。
 古い大きな木のみかんと、小さく可愛い木のみかん。交配して出来たみかんはとてもおいしいもので、今回の推薦に一役買ったようであった。手紙を封筒に入れて、僕は完成したみかんじゃなくて、いつもの古木のごつごつしたみかんを口の中にほうり込む。
――自分だけが大事?
 口の中に入れたみかんが酸っぱい。
――それにイエスと答えてしまったら、
 徐々に酸っぱさが消え、苦さがだけが口の中に残る。
――僕は何も進歩していないことになってしまうから
 飲み込んで喉で味わうそれはとても渋かった。

――残ったままの蜜柑の大樹は、やっぱりこれからも残ったままで。そこから取れる、ごく少数のまずい蜜柑は、やっぱり僕の口に入ってきて。みかんのたいきは、いつまでたってもみかんのたいきのままそこにあり続ける。
 完成形より、しぶとく強く。


――って、やっぱりこのみかんまずっ

 一人思い出し笑いをする僕。
 随分親父になってしまったもんだ。






2005/04/05(Tue)23:57:28 公開 / 影舞踊
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■作者からのメッセージ
あぁ長かったですね。粗茶をどうぞ。
すいません。どうも、もう謝るのが挨拶になりつつある影舞踊です。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。書きたいことは親父さんの洒落なわけでして(マテ 纏まっているかどうか非常に不安。場面転換というか、時間軸(?)が二つあるので、無理なく描けていればいいのですが……(汗
感想、批評等頂ければ幸いです。

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