『若き天才の愛』 ... ジャンル:お笑い お笑い
作者:恋羽                

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 愛情っていうのは不思議な物だ。何がきっかけでそれが芽生えるかわからないし、きっかけのきっかけも存在していてそのきっかけもまた存在している。人間というのはきっかけの網に囲まれて生きているのかもしれない。
 そして俺の中に芽生えた杉沢香夏子に対する愛情は深く深く、俺という生命の根源に根差した物だった。
 このお話は、俺、坂田真也の真の愛の顛末……。




          『若き天才の愛』




 中学校の教室。この騒がしさの中でよくもまあ授業を進められるものだ、と俺は黒板の前のメガネ老人に尊敬の念を抱く。……まあ、この状況が授業中と呼べるかは別問題。
 ある男子生徒は机の上に立ち上がってストリップショーを始めているし、その周りの女子はその男子のパツンパツンのラメ入りパンツにチップを挟んでいる。まあ子供銀行券の一億円なのだが。
 教室の後ろの方では悪魔を呼び出す儀式が行われていた。四人の女子生徒が手を握り合い、生け贄の蛙を見つめている。これからどうなるのかが見物だ。
 廊下側ではストリートミュージシャンがよく使う五ワットのアンプを通して、軽快なギターサウンドが聞こえてくる。誰が持ち込んだのか、子供用のドラムセットとコンガだかボンゴだかがさんざん叩かれて不揃いな演奏が為されていた。
 何より不気味なのが、こんな状況で黒板付近に陣取り教師に質問を投げかける黒ぶちメガネの集団だった。……その勉強への意欲にはちょっと感心する。
 で。
 俺は教室中が乱れまくる中、冷静に一人教室の中心で本を読む。本、それも何となく、六法全書を読みたい気分なのだ。そういう時ってあるだろ? そして春の柔かな日差しに照らされ、その幹の所々から生えた枝を揺らす校庭のポプラの木を見つめてくつろいでいる。
 クラス中を埋め尽くしている妙な統一感から俺は外れていた。
 だがどのノリにもついていける。何故なら俺は学級委員長坂田真也だからだ。
「ハイハイハイハイ!! じゃあ特別ゲストに登場願おうかぁ!! 坂田ぁぁぁーー……、真也ぁぁぁぁぁーー!!」
 早速お呼びが掛かる。ストリッパー山口が俺を呼んだ。
「……うおっしゃーー!!」
 俺は六法全書を床に叩き付けると、教室の机をつなげて作られた仮設ストリップステージに勢いよく飛び乗った。山口は俺の邪魔にならぬようにステージを降りる。
 それと同時に周りに集まったうら若きベイビィ達が一気に沸き立つ。黄色い悲鳴が轟いた。
 男性的セクシーさをアピールしつつ、決して手を抜かないダンス。リズミカルに腰を回し、肩をニヒルに揺らめかす。
 俺が着ている制服が一枚、また一枚と脱がれる度に会場は色めき立った。タンクトップを脱ぐ時など、鳥肌ものの歓声だ。
 そして、最後の一枚。ズボンに手を掛ける。
「さぁ、いつものお楽しみぃぃぃーー!! 坂田のパンツは何色なのかぁぁぁ!!」
 山口が勢いのついたコールをかます。これがあってこそのステージだ。
 ベイビィ達の胸の鼓動が聞こえてくる。ドクンドクン。脈打つ心臓が、俺に勇気を与えてくれる。
 そしてそのリズムに乗せて、俺は一気にズボンを引き下げる。
 その途端、女子生徒の歓声は最高潮に達した。
「なななぁぁんとぉぉぉ!! レモンイエローのブリーフだぁぁぁ!!」
「一体どこで買ったのか、その事の方が気になりますねぇ」
 いつの間にか山口の横に、……杉沢香夏子がいた。解説者口調で俺のパンツについて語っている。
 俺は構わず踊り続ける。朝に軽くオイルを塗っておいてよかった、俺は心から安堵した。
 首の後ろに両手をまわし、しゃがんでパンツを客席に向けて押し出す。
 すると女子生徒達は俺のパンツのゴムの所にチップを大量に挟む。ほとんど札束状態で。
「ありがとうございましたぁぁぁぁーー!! ゲストの坂田真也でした、皆様盛大な拍手をぉぉぉぉぉ!!」
 文字通り盛大な拍手が巻き起こる。そして俺は後ろ髪を引かれつつもステージを降りた。もちろん服を着てだ。
 山口の方を見ると、杉沢香夏子はいなかった。教室中を見まわすと、教卓の付近に集う優等生の集団の中に彼女の姿を見つける。
 俺は首を傾げる。……いつもながら、あの女のことは全く意味がわからない。
「ちょっと……、坂田くん空いてるかしら?」
 その黒い声に振りかえると、そこには長良川政子がいた。ほとんど改造され尽くした制服は、金持ちの娘じゃなかったら停学ものだ。黒いレース地のフードや赤く毒々しい装飾は、逆にどこかこの教室になじんでいた。わざわざ血色が悪く見える様に施されているメイクも校則違反だろう。
「……ハウレスを呼び出したいのだけれど、お願いできるかしら」
「わかった」
 ハウレスとはまた……。ずいぶんと彼女の癇に障る人間がいたようだ。
 公爵ハウレスは、術者が望む相手に火による災いを及ぼす悪魔である。ということは彼女はそれほどまでに誰かに恨みを抱いているのだろう。しかも彼女自身もそれなりに悪魔を呼ぶ技術があるというのに、俺に頼むということは、だ。
「謝礼はこれでね」
 彼女はそう言うと俺に向けて指を一本伸ばして見せた。一万、か。
 俺は早速儀式の準備を始めた。しかし俺は降霊術まがいの集団催眠系悪魔儀式は行わない。
 俺が使うのは、水を満たしたボール。それだけだ。暗い部屋も生け贄も、まして協力者もいらない。
 俺は呪文を唱え始める。
「我は汝、精霊ハウレスを呼び起こさん。至高の名にかけて我汝に命ず。あらゆる物の造り主、その下にあらゆる生が跪く方の名にかけて、万物の主の威光にかけて!」
 俺は精神を集中し呪文を唱え続ける。神の名を静かに告げ続けると、閉じた目の中にハウレスの、巨豹の姿が浮かぶ。巨大なその姿は俺をあわよくば食い殺そうという殺意に満ちていた。
「長良川。ターゲットは?」
「イニシャルT・M。男よ」
「オーケー」
 俺はそれだけ聞くと目を見開き、水の中にハウレスの姿が浮かんだ。
 ハウレスの姿を睨み付ける。
 そして口を開く。
「汝、ハウレスよ。天地を揺るがし海をも沸かせるおそるべき神の名にかけて、我汝に命ず。長良川政子が敵、イニシャルT・Mの男に汝が炎の災厄を為せ!」
 俺のイメージの中でハウレスは頷くと一瞬いなくなり、そしてまた水の満ちたボールに戻ってきた。ハウレスはおそらくイニシャルT・Mの男を焼いてきたのだろう。
 それを確認して、俺はハウレスに退去の命令を下す。
「おお、汝、悪魔ハウレスよ。我、汝に神が永遠に定めたる混沌の世界への退去を許可するものなり……」
 長い呪文を述べ終えると、俺は小さく溜め息をついて長良川に目を向ける。
「終わった」
「ありがとう。謝礼は口座の方に振り込んでおくわ」
 妙に高い声で彼女は笑い、そして去っていった。
 俺が席を立つと、杉沢香夏子が僕の用意した水のボウルに向けて念を送っているのが目に付く。
「……何やってんだ?」
「悪魔召喚の練習中だよぉ」
「そう……」
 俺は首を傾げつつ、自分の席に戻ろうとした。
 が、今度はごちゃごちゃな演奏をさっきから続けているバンドの連中が俺に声をかける。
「おーい、坂田ぁ。『歩く犬』やろうぜ?」
 気の抜けた声をかけたのはボーカルでリーダーの畑だ。中学生だというのに獣と見まごうほどの髭面だ。
「いいよ」
 俺はそう言うとポケットからブルースハープを取り出して彼等の近くへ行く。
 早速俺は『歩き回る犬の悲哀』の最初のハーモニカソロのフレーズを吹き始める。
 単音と重複音の吹き分け、テンポ、そして気まぐれなアドリブ。何一つとっても俺以外には吹き得ない。
 憧れ、羨望。そんな物が俺の全身に突き刺さった。
 テンポ八十での三十二分音符は俺以外には吹けるはずがないのだ。
 そしてボーカルが歌い始めて、赤道直下っぽい打楽器が複雑怪奇は音楽を奏で始める。俺はその難解な音楽に声やハープでハモリを入れた。
 飛び散る汗。ボーカルの口からあふれ出るシャウト。呑気なリズムをコンガだかボンゴだかがキープ。音の幅を持たせる俺のハープ。
 会場は熱狂の渦と化した。
 そして歌詞の中で紡がれていく犬の何とも言えない哀感。それが皆の胸に浮かんでいた。
 演奏は続く。
 ようやく終わりの部分。俺のハープに神が宿り、最高の音楽をここに降臨させる。
 ソロパート。そのゆったりとした部分を情感たっぷりに吹き終えると、割れんばかりの歓声がメンバー全員の体にぶつけられた。
 そんな中、畑は俺に握手を求める。俺は勢い良く差し出された手を握ると、上下に動かした。
 そして俺の目は……、また杉沢香夏子に奪われる。
 彼女は観客の最前列で牛の頭骨を利用した何とかという楽器を鳴らしていた。有名な演歌歌手の曲に使われている、あれだ。カラカラと音が鳴る。
「……よぉさぁぁぁくはぁ、きぃぃぃをぉぉぉぉ」
 そう……、その曲。俺は杉沢香夏子の歌に内心で合槌を打つ。
 俺は頭を抱えながら席に戻る。……一体何なんだ? 本当に。
「へいへいほぉぉぉおおおぉぉぉぉ……」
 しつこくビブラートが効き過ぎた声が聞こえる。
 俺は席につくと杉沢香夏子について考えた。
 薄いオレンジ色に脱色、染色された髪色。短いスカート。白い肌に派手な化粧。そしてその上で黒ぶち丸メガネをかけるセンス。……只者じゃないのは重々理解している。
 だがアイツはなんでまた俺に付きまとってくるのだろう。
 この関係性は小学生高学年位からずっと続いてきた。今更気にするのも変な話だが、しかし今日ふと気になったのだ。
 アイツは、もしかしてもしかすると。そう思うと急に俺の胸が高鳴り始めた。
 まさか。……だがもしかして!
 俺は音を立てて席を立つと香夏子を探す為に教室の中を見まわした。
 すると彼女は……、いなかった。
 どこを探しても見当たらない。教室の中の、どこにも。
 俺は彼女が見つからない事が妙に不安に感じられた。
「先生! 杉沢香夏子、どこにいったんですか?」
 相変わらずオドオドと授業を続けていた教師に、俺は少し苛立ちながら尋ねた
 その瞬間、教室に溢れていた幾多の雑音が掻き消えた。
「あぁ……、いや。あの、だねぇ」
 だが急な質問に老人教師は戸惑っている様子だ。その様子から、職員室で若手教師に苛められているのだろうな、などと勝手な想像をして同情してしまった。きっと上履きに画鋲が入れられていたり、お茶を雑巾を絞った水で入れられるなど慣れっこだろう。
 だがそんな事はどうでもいい。どうでもいいって事も無いが、職員室の大改革を行うのはとりあえず後回しだ。
「杉沢なら、さっきセンセェに熱っぽいから保健室に行くって言ってたぞ」
 ストリッパー山口が平常時の口調で俺にそう言った。
「いつもの事だろ。あいつ頭おかしいんだよ」
 獣人畑は冷めた口調で言い放つ。
「……あの方が教室にいると、陰気でたまりませんわ」
 長良川がいつも通り、強気に言う。
「わかるわかる、大体同じクラスにいるのにオレなんかしゃべった事もねぇもん」
 相撲取り顔負けの巨体をゆすり、高橋が無愛想に口に出した。
「うん。急に髪染めてきたりしてさぁ、何考えてるかわかんないんだよね」
 最近グレートデンを飼い始めた秋田は髪を弄りながら呟いた。
「あいつ絶対変人だよ。占い師の僕にはわかるね」
 タロットカードを机に並べた脇で、水晶玉を覗きながら松村が笑った。
「……うるせぇ」
「ああいう奴が一人でもいると教室の和が害されるなぁ」
 外車のプラモデルを製作中の山川は薬品くさい臭いを放ちながら発言する。
 そして教室中がざわめいた。そのどれもが杉沢香夏子を罵倒する言葉だらけだった。
 俺の額の血管がピクピクする。……我慢の限界がとうとう訪れた。
「うるせぇっつってんだろうがぁ!!」
 また教室がシンと静まり返る。どの顔も俺の方を向き固まっていた。
「テメエら本人がいねぇからっていい気になりやがって! 偉そうに陰口叩いてんじゃねぇぞコラ!」
 俺はそう言いながら机を思いきり殴りつけた。机は真っ二つにへし折れる。
 しかしその程度では俺の怒りはおさまらない。
「オラ、杉沢香夏子に文句がある奴はかかってこいやぁ!!」
 俺は教室の真ん中で指をこれでもかというぐらい鳴らした。この世のものとは思えないその音に、教室中の生徒が悲鳴をあげて壁際に逃げる。
「どうしたコラァ! どいつもこいつも根性の無ぇ腑抜けかぁ!」
 その言葉に腹を立てたのか、獣人畑とストリッパー山口が殴りかかってくる。畑は黒板側、そして山口は反対からだ。
 俺は……、畑の顔にまず拳を叩きこむ。そしてその反動で山口に中段蹴りを見舞った。
 二人はうめき、タイルの床に倒れこんだ。
「おらおらどうしたぁ!? テメエらは仲間が倒されても黙ってるような臆病もんの集まりかぁ?」
 その言葉が、……教室中の闘争心に火をつけた。男も女も、同時に一斉に俺に向かってくる。
 モップの柄を持っている奴、モップの毛の方を持ってくる奴、目潰しに黒板消しを持ってくる奴。それぐらいならまだかわいいもんだ。中には消火器を持ってくる奴や、理科室の保管庫から濃硫酸を盗んでくる奴、何を思ったか鞭と蝋燭を持ってくる奴、もっとひどいのになれば警官の父のもとから拳銃を奪ってくる奴まで現れた。三十七人がそれぞれの手に武器を持って襲ってくる。
 しかし俺の拳はそんな物には負けない。空手、テコンドー、ムエタイ、呪術、魔術、社交術、柔道、合気道、華道、茶道、おいしいコーヒーの煎れ方まで、あらゆる技術を駆使し俺は向かって来る敵を死なない程度にボコボコに叩きのめした。厳しい山篭りの甲斐があったという物だ。
 最後に残ったのは、俺と老人教師だけだった。彼はわなわなと震えている。
 俺は倒れたクラスメイト達を教室の隅に追いやると、上着を脱ぐ。全身傷だらけで、ところどころ血が出ていた。右肩にはどす黒い痣も出来ている。激しい痛みは脳内のホルモンがなんとか抑えてくれているようだ。
「……お前が、黒幕だったのか」
 とりあえず俺は、言ってみる。何となくバトルにはこういう台詞がかかせないような気がした。
 俺の言葉に合わせるように、老人は「ふふ」と鼻を鳴らした。……少なくとも俺の目の中の老人は悪者らしく悪そうな笑顔を浮かべていた。
「な、な、な」
「お前が俺と杉沢香夏子を孤立させる為にクラスメイトを洗脳し、そして俺を罠に嵌めたんだな……!!」
 映画の主人公になったつもりで言ってみた。俺の目には老人教師の冷ややかな微笑が映っている。
「俺はお前を許さない……!!」
 怒りに任せてそう言い放つと、俺は老人に殴りかかった。
「や、やめ」
 俺は問答無用で老人のテンプルにフックを見舞うと、何事も無かったように彼から目をそらして後ろを向く。
「……杉沢香夏子の痛みを思い知れ……!!」
 俺が言い終わると、老人教師は鈍い呻き声をあげて床に倒れ伏した。
 教室に立っているのは俺だけになった。悪人の謀略に嵌められ、闘わずにはいられなかったクラスメイトを見ると、目に涙が込み上げてくる。
 俺は涙を手首で拭うと、窓の外を見た。外にはうららかな春が立ちこめていて、どこかから花のいい香りが匂ってきた。
 はっと我に返る。
 俺は何をしてるんだ!? 早く杉沢香夏子に伝えないと!
 ストリッパー山口を踏み越えて教室の外に出る。
 階段をほとんど一歩で飛び降り、俺は保健室を目指す。
 俺の足音に気付いたのか男性教師が数人出てきて俺の進行を妨げようとする。どれも屈強な男ばかりだ。
 だが俺はそのタックルを引きずりながら走り続け、そして保健室のドアを開けた。
「松沢先生! 杉沢香夏子は!?」
 俺がそう聞くと、うろたえた雰囲気で松沢先生は何も言わない。
 男性教師を引きずりながら保健室の奥へ進むと、俺は松沢先生と一メートルも離れていない位置で叫んだ。
「杉沢香夏子は!?」
 それでようやく松沢先生は口を開く。
「あ、あの、具合が悪いって言って、帰った、です」
「なんだって!?」
 すれ違ってしまったか。俺は運命の悪戯に狂ってしまいそうだった。
「いつ?」
「つい、さっきですぅ」
 若い女性である松沢先生は泣きそうな顔だ。
 松沢先生のその言葉が俺の中に再び炎を宿した。……まだ間に合う!
 俺は立ち上がって、今度こそ俺の突進を妨害しようとしている男達を拳の嵐でぶちのめし、保健室を出た。そしてその足で玄関に向かう。
 だんだんと体の節々が痛み始めた。傷だらけの体が痛む。
 だが俺の精神力はその程度の痛みには負けなかった。いや、負けられなかった。杉沢香夏子に会って、そして自分の想いを伝えるまでは……。
 玄関を出て、校門をくぐると俺は右左を見回した。
 その時。右からものすごいスピードのトラックが校門めがけて突っ込んできた。黒い閃光が俺に迫る。
 だが俺はそのトラックを走り高跳びの要領で飛び越えると、その先を目指した。後ろから激しい衝突音が聞こえてくるが気にしない。
 確か、杉沢香夏子の家はこの方向だったはずだ。俺は埃を被った記憶を手繰り寄せながら道を走った。
 当然信号など無視だ。よく言うだろう、「青信号余裕、黄色信号上等、赤信号気合」と。
 俺の後ろからは常にと言っていいほど衝突音か急ブレーキの音が聞こえてくる。最近のドライバーは下手な奴が多いんだな、と苦笑いしながら走り続ける。
 そして……、俺は見つけた。
 オレンジがかった金髪。ウチの学校の灰色の制服。そのスカートが短いのもポイントだ。
「杉沢香夏子!!」
 俺がそう叫ぶと、
「何?」
と杉沢香夏子は呑気に振り向いた。その素振りからはとても病人とは思えない。
 俺は膝に手を当てて肩で息をする。いくら俺でもさすがに走り過ぎだ。
 汗と血が滴る。それが黒いアスファルトに落ちて妙な跡になった。
「どうしたのぉ?」
 杉沢香夏子が俺の方を見て微笑む。……言わなくては。そうしないと、俺は一生後悔する事になる。
「……杉沢香夏子」
「はい? 委員長」
 彼女の笑顔を見ていると、俺がこれから口にする言葉によって今のこの関係が壊れてしまう気がして、怖くて仕方なかった。だから俺はしばらく彼女の顔を見つめるだけだった。
 春の強めの風が、俺と彼女の間を吹きぬけていった。彼女は両手でスカートを押さえている。
 俺は、……覚悟を決めた。
「杉沢香夏子!!」
「なんですかぁ!!」
 彼女は俺に合わせてくる。
「俺は」
「はい」
 俺は、最後の言葉を告げる。
「俺はお前のお兄ちゃんだ」
「……はぁ?」
 杉沢香夏子は呆気に取られている。
 俺はもうこれ以上感動を押し殺しておく事が出来ずに、彼女を抱きしめた。そして強く強く自分の腕の中に捕まえる。もう二度と腹違いの妹と離れ離れにならないように。
「まさかこんなに近くにいたなんて。……お兄ちゃんはお前を探す為に技能を生かして金を稼いだり、色々したんだぞぉ」
 俺は自分の声が震えているのに気付いた。だが、血の繋がり合った妹を相手に気取る必要など無い。
「は? え? 何言ってるんですかぁ?」
 杉沢香夏子は未だに信じられずにいるようだ。それほどまでに精神的に歪んでしまったのだろう。妹の哀れさを思うと俺の目からは自然と涙が溢れ出していた。
「いいか。君の母親と俺の父親は昔、……関係を持った。しかし俺の父にはもうすでに妻がいて、妻の胎内には俺がいたんだ。そうした悲恋の果てに、俺と君は生まれたんだ」
 俺は涙ながらに語った。かつて父が俺にそうして語ったように。
 俺の腕の中の杉沢香夏子は、いやもう香夏子と呼ぼう、香夏子はまだ俺の言葉を信じられない様子だった。だが俺は彼女を離しはしなかった。彼女が落ち着いて、俺の話を信じてくれるまでずっと一緒にいるつもりだ。
「ちょっと、離してくださいよぉ! 私はそんな話知らないですよぉ! 大体なんでそれが私だってわかるんですか!」
「直感」
 俺は実に簡潔明瞭に理由を述べた。その言葉に香夏子は何故か固まった。
 そしてその直後、だった。
 彼女の膝蹴りが俺の股間を痛打し、俺が気を失うのは……。



     完

2005/04/02(Sat)17:21:34 公開 / 恋羽
■この作品の著作権は恋羽さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 いっそ暴走キャラクターを書いてやろう、と思い立ち、書いてみたらとんでもない事に……(苦笑 灰汁が強すぎてちょっと読むのが辛いかな、と思いながらも一発で書いてやりました。
 これ、これコメディでいいんだよな、とか思いつつ……皆様のご感想をお待ちしています。それでは稚文にお付き合い頂きありがとうございました。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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