『未来が見える 1〜10(完結)』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ゆうき                

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〜1〜
私には不思議な能力がある。
これから自分の未来に起こる事が分かってしまう能力だ。
いわゆる『予知』というやつかな。
これは、物心がついた時から今まで、ずっと続いている。
どうして起こるのかわからないけど、とりあえずこんな風にボケーッとしていると、突然頭の中に浮かんでくるんだ。
あっ……今、頭に横切ったわ。
横切るというのは、予知が働いたということね。
……うーんっと、なんだこれ? 『6xー4』って……
「梶谷優さん、この問題を微分してください」
はっと我に返った。すると数学の木田先生がこっちを訝しげに見ている。
「えっ……私?」
我ながら間抜けな声が出たんだと思う。
周りからクスクスと微笑がこぼれた。
木田先生は「お前以外に梶谷はいないだろう」という風に目を見開いている。
仕方なく私は起立した。
「6xー4……でいいんですよね?」
何の問題を訊いてるのか分からなかったので、さっき頭に浮かんだ数字をそのまま言った。
木田先生はじーっと私を苦い顔で私を見ていたが、やがてくるりと背を向けて黒板に『6xー4』と書き込んだ。







「……優、やっぱすごいねー! なんであんなにボケーッとしているのにいつも答えがわかるのー?」
学校からの帰り道に、親友の多田雪絵が長い髪を揺らして、瞳をくりくりとさせながら訊いてきた。
「あんなにボケーッて、私そんなにボケーッとしてたかな?」
私は微妙に話をずらした。
実を言うと予知能力のことは、誰にも話していないのだ。
「うん、してたよー。なんか頬杖をついたまま口をあんぐりと開けて、明後日を見ていたね」
「えっ、私そんな顔してたの!?」
あまりの恥ずかしさに耳たぶがカーッと熱くなった。
そんな表情を他の人に見られたのか……
「冗談よ、冗談。口を開けていたのは本当だけど」
「私はそれが恥ずかしいのよ!」
そう言って私は雪絵を軽く突き飛ばした。
雪絵はケラケラと笑っている。こういう事は日常茶飯事だ。
「でも、本当に雪絵が羨ましいなー。頭良いし、運動できるし、美人だしねー」
雪絵がいやらしい目つきで私を見てきた。
「そんなことないよ。雪絵だって、頭も運動も私と同じくらいだし。それに雪絵の方が可愛いよ」
「おっ、優姉様にそう言われると世辞でも嬉しいですねー」
「姉様ってあんたも私と同じ17歳でしょ!」
二人で声をそろえて笑った。
こういう風に雪絵と笑いあっていると、私ってとても幸せなんだろうと思う。
帰るべき場所があって、私の帰りを待っている人がいる。
暇な時間を共有する友達もいる。
さらにこれ以上の幸せを望むことは、不謹慎な事だと思う。
でも、私は少し退屈していた。
平和で、平凡な毎日に……
何か刺激のあることでもあればなぁとちょっぴり願ってる。
このままじゃ、すぐに老け込んでしまいそうだし……
私は悩みのなさそうな雪絵の顔を見た。
その時、頭の中を何かが横切った。
『前』
「前?」
私は思わず口に出して、足を止めた。
「んっ、どうしたの?」
雪絵が不思議そうな顔をして私を見つめているのを感じた。
目の前にはいつもと変わらない帰り道がある。
私から見て、右手側に小さな公園があり、左手側には住宅の塀が並んでいる。
人影はない。
さっきの予知は何だろうと思っていると、いきなり塀の内側から黒いマントが飛び出し、私たちの前に立った。
身長が185センチはあろうかという男だ。
癖毛らしい髪がチリチリとカールしており、顎には無精髭がぼうぼうと生えている。
目は窪んでおり、瞳には怪しい光があった。
私の体中のセンサーが危険と叫びだした。
雪絵も相手の尋常ではない雰囲気を感じ取ったようだ。
私の横顔に不安げな視線を送っている。
男が右頬を吊り上げた。どうやら笑っているらしい。
「お前が予知能力者の梶谷優だな」
男が語尾を上げることなく言った。
その言葉に私の身体がビクッと反応した。
嘘……? 誰にも言っていないのに……なんで知っているの……?
「悪いが上からの命令でな」
そう言うと男は黒いマントの下から日本刀を取り出した。
「逃げるよ、雪絵!!」
私は雪絵の腕を掴んだ。雪絵が泣きそうな顔になりながらうんと頷いた。
『伏せろ』
頭の中を横切った。
私は雪絵の腕を掴んだまま、前のめりに倒れた。
私は受身をとったが、雪絵は私がいきなり倒れたのでとれなかったようだ。
雪絵が足をもつらせながら倒れた。
その二人の上を刀がすさまじいスピードで通過する。
男が目を大きく見開いた。男の動きが一瞬が止まる。
その隙を逃さず、私は立ち上がって走り出した。
雪絵も私に引きずられるようになりながら走り出す。
意味がわからなかった。いきなり何者かもわからない男に命を狙われて。
とにかく今は、人のいる大通りに出なくては……
『止まれ』
私は思いっきり急ブレーキした。
私の後ろを走っていた雪絵が背中に激突する。
「どうしたの!? 早く逃げないと……」
雪絵の言葉が途切れた。
なぜなら、十メートル程前方に、見覚えのある日本刀が凄まじい音と共に突き刺さったからだ。
二人が呆然としていると、男が屋根をつたって刀の傍に降りてきた。
男はコンクリートに突き刺さった刀を難なく抜くと、こちらに聞こえるほどの舌打ちをした。
「予知能力は厄介だな。岡田以蔵の能力をもってしてでも、仕留められないとは……」
男が一回刀をビュンと振ってこちらを見た。
「だが、もう終わりだ」
男がゆっくり近づいてくる。
もう、無理だわ……
一瞬にして屋根に上り、刀を二十メートル以上も投げる奴から逃げられるわけがない……
「どうした、逃げないのか?」
男が目に狂気を浮かべたまま、刀を舌でペロリと舐めた。
そして約一メートル地点で止まる。
私は雪絵の顔を見た。雪絵の顔は恐怖に覆われている。
私もそうだった。
もう恐怖で震える以外にできることはない。
予知能力も働かない。男が刀を高々と掲げた。
……誰か、誰か……助けて……
硬く目を閉じながら祈った。
一呼吸おいて、風を切る音が聞こえた。
それとほぼ同時に鈍い金属音が耳に響き渡った。
……痛みはない。もしかして雪絵が先に斬られたのかと思ったが、握り締めた雪絵の手には力が感じられる。
私は恐る恐る目を開けた。
するとそこには、見知らぬ青年が男の刀を自分の刀で防いでいる姿があった。
「誰だっ、貴様!?」
男が怒り狂った声で言った。
「俺か?」
青年が涼しげな声で答える。
「俺の名は上田浩一。能力は沖田総司」

〜2〜
男の目が大きく見開かれた。
「沖田……総司。まさかここで出会うとはな……」
男が刀を打ち払い、二メートル程後ろにジャンプした。
青年が刀を刀を持ったまま休めの体勢をする。
「俺が来たからには、もう安心だぜ。お姫様方」
上田という青年が背を向けたまま言った。
上田は黒のトレーナーに青いジーンズというシンプルな格好をしている。
見た目より、動きを重視した服装に見えた。
「あなたは……」
私が声をかけた瞬間、男が刀を上段に構えながら襲ってきた。
二合、三合と打ち合う。
八合目に男は後ろに跳躍すると加速をつけて袈裟に切り下ろしてきた。
上田はその太刀筋を力で受けるのではなく、風に揺れる柳の葉のように受け流した。
男の上体のバランスが大きく崩れる。
無防備となった男の左肩に上田の刀が一閃した。
風を切る音と共に、視界に鮮血が舞った。
そして上田は間を置くことなく、右足を半歩後ろにずらし、脇をしめて刀を引き寄せるとそのまま突きを繰り出した。
男は左肩の傷を気にすることなく、その上田の突きを弾いた。
だが次の瞬間には、弾かれたはずの刀がまた突きを繰り出していた。
私は思わず目を疑った。
まさに、刹那の速さだった。
上田の二段目の突きが男の右肩を貫く。
男が呻き声を上げて、刀を地面に落とした。
慌てて拾おうとしたが、その喉元に上田の刀が突きつけられた。
「チェック・メイトってやつかな」
上田の無邪気な声が辺りに響いた。
男が、がくりと肩を落とした。
私と雪絵は互いに手を握り合いながら、その様子を見守った。
「殺せ」
男が低い声で言った。
「俺が決めることじゃないな」
そう言うと上田が、初めてこちらに振り向いた。
私は思わず「えっ」と声を出していた。
なぜなら、そこにいた上田という男は、私や雪絵と同じ高校生ぐらいの人だったからだ。
雪絵も私と同じ気持ちらしく、ポカーンと口を開けている。
そんな二人がおかしいのか、上田という男がニコリと微笑んだ。
身長は百七十五センチくらい、わりと長めの髪で、目にかかるくらいだ。
その髪の隙間から見える瞳はとても綺麗で、汚れを知らないように透き通っている。
なぜだかわからないけど、頬がカーッと熱くなっていくのを感じた。
「どうしますか、お姫様方?」
上田が目を細めた。私たちを試しているように見える。
「えっ……。あっ、あの、私たちをもう二度と襲わないのなら、放していいと思い……ます」
私は率直に思ったことを言った。
上田がおやおやというように肩をすくめた。
だが決して嫌味な態度をとっているようには感じられない。
「お姫様方の命を狙ったというのに。……本当にいいのかい?」
「はい……。だって狙われたからといって、私たちがその狙った人の命をとる権利なんてないのだし……。もしあったとしても、それは間違ったことだと思う……」
私がそう答えると、上田はクスクスと笑って男を見た。
「だとよ、アンタ」
上田が男に向かって優しい口調で言った。
「ちっ……」
男が首を横に振った。
『右上――火』
突然、頭の中を横切った。
「その場から、離れて!!」
私はそう叫んで雪絵の手を握り、走り出した。
背後を見ると、上田と男も私の声に反応してそれぞれにその場からジャンプしていた。
だがその時、男の身体が空中で弾かれるようにのけぞった。
そして次の瞬間、男の身体が炎に包まれた。
空中で上田がその様子を見て取ると、刀を上段に構え、下に斬り落とした。
何かが擦れる音共に、上田の斜め後ろの家に火がついた。
私はその光景を見て思わず足を止めた。
いや、正確には腰が抜けて走れなくなっていた。
横の雪絵が涙声で「何、何」と叫んでいる。
私も雪絵の言葉と同じ気持ちだった。
何なの? いったい?
やがて男が、いや男だったものが火達磨になって落ちてきた。
もうまったく動いていない。空中ですでに死亡したようだ。
遅れて上田も落ちてきた。こちらはしっかりと着地する。
「念力放火能力か……やっかいだな」という声が聞こえた。
『前方』
私は横切った言葉の通り、前方を見つめた。
すると二十代半ばの金髪の女性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
さっき燃えた男と同じように、全身黒色の服装をしている。
肩ぐらいまでの髪と、空色の青い目を瞳をもっていた。
ぱっと見た感じでは、ヨーロッパからの留学生という印象を受けた。
ただ、その冷たい微笑みを除いて。
「よくかわしたわね」
英語でも喋るのかと思っていたら、予想外に流暢な日本語を使ってきた。
「私はレイン・ケルビッシュ。能力は見ての通りよ」
そう言うとレインという女性は、自分の指先に小さな炎の出した。
「仲間を何のためらいもなく殺すのは相変わらずだね。君の組織は」
正眼に刀を構えながら、上田が吐き捨てるように言った。
「邪魔者は捨てるに限るわ。それに私の場合は『灰』にして捨てるからエコロジーだしね」
レインが手を唇にあてて微笑んだ。
「ここで戦う気か?」
上田がレインの言ったことを無視するように話す。
「私はあんなクズのようにどこでもかんでも戦うわけではないの。今の私の任務はクズを処分するだけ」
レインが足元の石を蹴飛ばした。それは、空しい音を辺りに響かせながら、端の溝に落ちていった。
どうやら、あの男を消した事を表現したらしい。
「あの男を処分するだけと言いながら、俺にも攻撃してきたじゃないか」
怒気を強める上田に、レインがふてぶてしく対応する。
「ああ、それはミスよ、ミ・ス。ごめんなさいねぇ。時々あるのよ」
レインが声を出して笑った。
「ふん、ミスで殺されちゃあ、たまらないな」
上田が一歩前に出た。
しかしレインに気にする素振りはない。
「まぁ、いいじゃない。無事にかわせたのだし。それにお姫様方に怪我はないし」
レインが私の方を見た。
青い瞳が私の全てを飲み込んでしまいそうな気がする。
私は怖くなって顔をそむけた。
「あらあら……。私、嫌われちゃったみたい。残念だな−。あなたみたいな綺麗な人と友達になりたかったのに」
喋った内容のわりに、顔は全然残念そうではない。
「よく言うぜ。命令されたなら、子供でも容赦なく殺すくせに」
「あのお方の命令は絶対だもの。私たちを正しい方向に導いてくれる。それに……」
レインは急に言葉を切って、左手を真横にかざした。
レインのかざした先には、いつのまにか赤いバンダナを着けた男が槍を持って立っていた。
バンダナを着けた男が驚いたというように口笛を吹いた。
場違いな事ながらも、軟派な人だなぁという感じを私は受けた。
「気配は隠してたんやけどなぁ」
バンダナの男が残念そうに顔をしかめた。
それに応えるようにレインが冷たく微笑んだ。
「さようなら」
レインの左手が一瞬凄まじい光を放った。
塀に大穴が開き、激しく燃え出したが、バンダナの男の姿は消えていた。
私は辺りを見回した。だがどこにも姿はない。
「危ないな−。もう少しで尻に火がつくところだったやないか」
ギョッとして後ろに振り向くと、バンダナの男が立っていた。
いつ後ろに立ったのかまったくわからない。
「……あなたね。私の側をコソコソと嗅ぎまわってたのは」
レインが汚いものを見るような目をしながら言った。
「コソコソとは心外やな。ワイは堂々と嗅ぎまわってたで」
バンダナの男が上田の横に行き、槍を構えた。
上田もバンダナの男を一瞥して、下段に構え直す。
レインがやれやれというように肩をすくめた。
「さっきも言ったでしょ。ここでは戦わないって」
レインが両手を水平に構えた。
まるで十字架に張り付けられたキリストのように。
すると、レインを覆うように炎が上がった。
あまりの熱気に上田とバンダナの男が後退する。
「三丁目にあるR&Cデパートに来なさい。そこのストーカーが知ってるはずだから。そこで相手をしてあげるわ。そして、真実を見せてあげる……」
妖しく微笑みながらレインの姿が炎の中へと消えていった。

〜3〜
「誰がストーカーやねん」
消えていく炎を見つめながら、バンダナの男が憤然とした態度で槍を下ろした
「R&Cデパートねぇ……。近いのか?」
上田が刀を鞘に納めながら訊いた。
「ここから歩いて十分というところやな」
バンダナの男が肩をトントンと叩く。そしてこちらへ振り向いた。
「やっぱごっつぅ美人な姫様方やなぁ。……てか俺らが護衛するのって、そっちの梶谷優ちゃんじゃなかったっけ?」
いきなり名指しされたので、ビクッと反応してしまった。何で名字まで知っているのだろう。
バンダナの男が声を上げて笑う。
「そんなビクつくことないでぇ。別にとって食おうとしているわけやないし。俺らはただ優ちゃんを守りに来ただけや」
今のところはなと付け足して、上田の苦笑を誘った。
バンダナの男は、えらく馴れ馴れしい人というのが私の第一印象だ。
「あんたたち誰?」
唐突に雪絵が言った。
バンダナの男がいきなりの質問に面食らったようだが、持ち直して、答えだした。
「俺の名は真田渡(さなだわたる)や。能力は馬超孟起で、槍を使ってるんで、よろしく」
そう言って、真田という男が槍を振った。
「あらためて、俺の名前は上田浩一。能力は沖田総司。刀を使ってる」
上田が腰に差している刀を指差した。そして、次は君だよというように雪絵を見つめだした。
「私の名前は多田雪絵。優の友達。ところで、その能力って何なの?なんか優にもあるみたいだけど……」
雪絵が腕を組んで私を見つめた。思わず目をそらす。
私としては、この事は誰にも言っていないし、言いたくないことなのだ。
「『能力』っていうのは、その名の通り、特殊な超能力のことだ。能力には大きく分けて二種類あって、一つは俺の能力のような新撰組の沖田総司、真田の能力の、蜀の五虎大将の一人、馬超孟起といった『武将方』という能力と、梶谷さんの予知能力やさっきのレインの念力放火能力といった『念力方』に分けられる」
上田がさらさらと述べた。とても慣れている口調だった。
最初は聴きながら言わないでと思う気持ちが強かったが、やがてなぜ彼らが誰にも話していない、私の能力について知っているのかと怖くなってきた。
「なっ、なんで……知ってるの? 私、誰にも予知のこと言っていないのに……」
恐怖で悪寒が背中を走った。まるで心の中を全て見透かされて気分がして、吐き気がしててくる。
そんな私を見て、上田と真田がひそひそと話し出した。
やがて結論がでたのか、話すのを止め、私と向き合った。
「実を言うと、俺らの組織、『シュヴァルツ』に手紙が送られてきたんだ。『予知能力者である梶谷優を天罰として殺す』とね……」
上田が苦い顔をしている。真田も同様だ。
だが、きっと私は上田以上にもっと苦くて、青ざめた顔になっていただろう。
何で私が殺されなければいけないのか……
私がいつ、どこで、天罰を受けるようなことをしたというのか……
疑問は尽きない。
「まぁ、そういうわけで、俺らがあんたを守るためにやってきたわけや。
もしかしたら狂言かもしれんとも思ったんやけどな、送り主が『ナイト・ブレード』というちょっとやばい組織やったからな。念のためにきたわけや」
真田が「来て正解やったな」と息をついた。
「ナイト・ブレードという組織は、天罰と称して、たくさんの人を殺してるんだ」
上田が吐き捨てるように言った。相当嫌に思っていることが窺える。
「あの……私たちはこれからどうすれば……。やはりレインという人の言うとおりに、そのナイトブレードのいる所に行かなくちゃいけませんか?」
泣きたいのを我慢しながら訊いた。
あんなレインのような人たちがいるところに行ったら、殺されるに違いない。
上田はしばらく間を置いてから頷いた。
「本当は俺たちだけで行きたいんだけど、奴らの狙いが梶谷さん……君だからね。俺らの側を離れると危ないから、来たほうがいいだろう」
覚悟はしていたが、はっきりと言われるとかなりつらかった。
「あなたたちの、そのシュヴァルツという組織の他の人に守ってもらえないの? そしたら、行かなくてすむでしょ?」
雪絵が私の考えなかったことを尋ねた。
そうだ、それなら……私の心に希望が灯った。
だが、上田はその希望を打ち消すようにゆっくりと首を振った。
「今ちょうど、組織の者が出払っているんだ。俺らもそうしたかったんだけどね……」
上田が俯きながら言った。が、意を決したように真っ直ぐ私を見た。
「だけど、何も心配することはない。俺らが命に換えても守るから、絶対に……」
力強い口調だった。今まで見てきた男の人の中でも、こんなに力強く物事を言える人を私は知らない。
髪の隙間から見える上田の透き通る瞳に、私の恐怖感が消えていくようだった。
上田の側にもっといたい……。私はいつしかそう思うようになっていた。
「わかりました、よろしくお願いします」
私は上田と真田に向かって深々と頭を下げた。
上田が「とんでもない」と言って、私の側により、肩を優しく掴んで引き起こしてくれた

上田と目が合って、頬が赤く染まっていくのが自分でもわかった。頭がポーッとして、熱があるみたいだ。
「上田はなー、優ちゃんの写真を見た時に、今の優ちゃんのように頬を真っ赤に染めて、『絶対俺が守る』って呪文のように言ってたんやで」
真田がいたずら小僧のような顔をしながら言った。
「いや、それは」と言いながら、上田が慌てふためきだした。どこかその格好が滑稽でおもしろい。
「なっ、何だよ、真田!? お前だって、さっきから多田さんの顔ばかり見てるだろう!!」
「だって可愛いやんか−。見れるときに見とかな、損やで−」
真田が憎たらしく笑いながら、サラリと上田の反撃をかわした。
上田は次の言葉が見つからないようで、口をパクパクと金魚のように動かしている。
雪絵がクスクスと笑い出した。いつしか私も笑っていた。
これから先、こんな風に笑えるのか分からないから、今のうちにたくさん笑っておこうと思ったんだ。

〜4〜
「では、敵の本拠地へと乗り込むか」
上田がその場の雰囲気を正すようにせきをした。一同の視線が上田へと集まる。
「どうせ俺らの動きは、あちらに筒抜けだろうから、正面から行こう。下手に小細工をすると、余計に危ないからな」
上田の言葉に同意するように、真田が頷いた。
「ねぇ、あの男の遺体はどこかへと消えてしまったけど、さっきの戦いで開いた塀の穴とか、どうするの? 今は運良く、誰も気づいてないみたいだけど」
雪絵がはっと思い出したように言った。確かに、ほおっておくというのは、ちょっと嫌な感じがする。
だが上田と真田は無言で見詰めあった後、首を横に振った。私は言葉を発しようと口を開けたが、その表情をみて口を噤んだ。
二人の表情はどこか悲しげだったからだ。
「……まぁ、気づいてないのなら、わざわざ知らせることもないやろう。俺らには、俺らのすることがある。そっちを先にすまそうや」
真田が、穏やかだが、有無を言わせない口調で言った。雪絵が何か言おうとしたが、私が目で制した。
予知が働いたわけではないけど、訊かないほうがいいという気がしたからだ。





無表情な顔つきで、堅苦しい背広を着たサラリーマンが歩いていく。また、その表情とはまったく逆の、遊び呆けてる若者の姿も見える。バックに流れる音楽は、雑踏と車のクラクション。
大通りはいつもと変わらない風景だ。たくさんの人で溢れている。
私たちが目指すR&Cデパートは、全国チェーン店の大企業だ。二丁目にあるのは、三階建てで比較的大きめの広さを擁している。私も休日には、友達や親と買い物に行く。この辺では一番のデパートといえるだろう。
それにしても、彼ら、ナイトブレードという組織は、そのデパートで何をしようとしているのだろうか。
わざわざ人目につくような場所で……。
それとも何か目的があって、その場所を選んだのだろうか……。
私はちらりと横で楽しそうにお喋りをしている真田と雪絵を見た。
百八十センチ近くある真田と百六十センチくらいしかない雪絵が並ぶと、変な感じを覚える。
それにしても、下手したら命を落とすかもしれないという場所に向かっているというのに、二人に気にする様子はまったくない。
雪絵の神経の図太さと、真田の能天気さに、私は呆れと同時に憧憬を抱いた。
さっきみたいに、戦いに行く前の休息の時に笑うのならともかく、これからという時に……。
「そんな思い詰めた顔しないで。後がもたないよ」
上田が優しい声で話しかけてきた。上田の声は本当に私の心を落ち着けてくれる。
心臓はドッキドキになるけど。
「あの二人の神経は、特別みたいだからさ。仕方ない」
そう言って上田が笑った。どこか、現代人が忘れたあどけなさを彷彿させるような笑みだ。そんな上田の顔を見ていると、疑問が浮かんできた。
「そういえば上田さんは、いつから能力が出てきたのですか?」
上田が右手の親指を顎の下に付けて、首を少し傾けた。上田の考える時の癖らしい。
「俺はー、物心ついた時からかな」
私と同じだ。
「それで、その能力をいかして剣道をしていたら、組織にスカウトされたわけ。その時に、シュヴァルツの長が、俺に沖田の力が宿っていると教えてくれたんだ」
「へぇー、組織の社長さんが。いつ頃なんですか?」
「十四の時だね」
十四かー……って、上田っていったい何歳なんだ?
「あのー、上田さんは何歳なんですか?」
「俺は十七の高校二年。君らといっしょさ。ちなみに真田もね。でもまぁ、君らほど頭の構造はよくないけど―――」
突然、上田の目つきがするどくなった。とっさのことに緊張が走る。上田は険しい顔をしたまま、真田を見た。
真田もいつのまにか雪絵との話を止めていて、上田の視線を真正面から受け止めた。
真田の方が、上田よりも早く気づいていたらしい。
「真田……。捕まえれるか?」
真田がにっと白い歯を見せて笑みを浮かべた。
「任せときぃ。馬超の力の見せ所や」
そう言うと、真田が三十メートルほど離れた場所にある森林公園へと走り出した。
槍の穂先にかけてある布を取り、三秒とかからないうちに、草むらの中へと跳躍する。
その真田の、あまりの行動の速さに、私と雪絵はしばし呆然としていた。気がつくと上田も走り出していて、草むらへと駆け込んでいった。
遅れてはいけないと、慌てて私たちも後を追う。
「何かあったの、優?」
走りながら、雪絵が訊いてきた。
「知らない。どうしてかわからないけど、いきなり上田さんが険しい顔になって……」
二人でクエスチョンマークを出し合いながら、大都会の中にポツンとある『佐伯森林』へと入った。
ここは、『都市の緑を増やす』という市のスローガンに沿って作られた、人口森林だ。
確か、空から見ると綺麗な円の形をしているはず。桜の木を中心に植えてあるので、春にはピンク一色に染まるのだ。季節はまだ三月の初めなので、森林は青々としていた。
そのままさらに走っていくと、上田がこちらに背を向けて立っているのが見えた。
真田がその奥で槍を構えている。どうやら上田と真田で、誰かを囲んでいるようだ。やっと追いついた。
上田は私たちを一瞥すると、「見ろよ」というように顎をしゃくった。恐る恐る上田の前に出る。そこで私はあっと叫んだ。
そこにいたのは、さっき燃やされたはずの男だった。
「……何でわかった?」
男がボソボソとした声で言った。物怖じした様子はまったくない。
「お前が、いやお前の身代わりが燃やされた時から」
上田が腕を組んだ。男は胡坐をかいて座り込んでいるので、私たちが見下ろす形だ。
「なぜ?」
大して驚いた表情もせず、男が尋ねた。上田が組んだ腕の片方の指を振る。
「あっけなすぎると思ったんだ。それに、お前の太刀筋を見た時から、岡田以蔵の能力ではないとわかっていた。あの俊敏な動きからして、忍者の類ではないかと睨んでいたら、案の定ね……」
首筋に突きつけられた真田の槍を気にすることなく、男が笑った。
「そんなことで分かるとはな。上田とかいったな、あんた。きっと探偵になれるぜ」
上田が組んでいた腕を外し、パイプを吸うような真似をした。どっかの小説の探偵のようだ。
「天職を間違えたかな……。さて、本題に入ろうか」
上田がだらりと手を下ろした。上田の語気が変わったのを感じてか、男の笑みが消えた。
「まず、あんたのことを聞きたい」
「わかってるよ……。それよりもいいかげん、槍を下げてくれないか。息苦しくて嫌なんだ」
真田が槍を構えたまま、上田を見た。上田はしばらく思案していたが、やがて仕方ないというように肩をすくめた。
真田が「虎の縄は緩めるべきではないんやけどな」と言いながら、槍を下げた。
「俺の名前は、野木拓郎。能力はお前の言ったとおり、忍者の風魔小太郎だ」
「何で、能力を偽る必要がある?」
今度は野木という男が肩をすくめた。
「忍者ほど、信用されない職業はないのだぜ。雇い主はすぐに、誰かの息がかかっているのではないかと、疑ってくる。偽るに限るさ」
なるほどと私は心の中で頷いた。
「それと言っとくが、俺は金で雇われた傭兵だ。奴らとはまったく関係ないし、何も知らない」
野木が槍を突きつけられた場所を、まるで汚いものを拭き取るかのように、撫でながら言った。

〜5〜
「関係ない…、本当にそうなのか? あの惨劇は、お前がやったんじゃないのか?」
上田の目が、真偽を確かめるように細くなった。
野木は撫でていた手を休め、上田の目に臆することなく、真正面から受け止めた。
「俺じゃない。俺はずっと、そこの梶谷を見張っていた。俺はレインが指示した場所で、襲っただけだ」
「惨劇……?」
私は首をひねった。どうやら、私を襲ったことを言っているわけではないらしい。
この野木という男は、他に何かしたのだろうか……
そんなことを考えていると、真田があまり表情のない顔をしながら、こちらへと来た。
「おかしいと思わんやったか? あれだけドンチャン騒ぎを起こしといて、住人の誰一人、出てきたり、通報したりしなかったのを」
真田が唇を噛み締めながら言った。その言葉に、私の背中に冷たいものが流れるのを感じた。雪絵もはっとしたように、口元に手をあてる。
もしかして、すでに住民は……
「まさか……」
雪絵の肩が小刻みに震えだす。たぶん、雪絵の「まさか」の後につくはずの言葉は、私の考えていることと同じだろう。だが、その言葉を遮るように真田が右手を私たちの前に出した。
「俺らの鼻は、常人の人よりもいいからな。俺と上田はそんなことしたことないが、あの匂いは組織におればよく嗅ぐんや」
そう言って、真田は私たちから背を向けて、野木と向かい合った。声をかけたかったが、真田の背中は全てを拒絶しているようだった。
「……じゃあ、なんで俺らの跡をつけた?」
上田の話は、まだ続いている。
「単純なことさ。奴らが俺らを殺そうとしたから、今度は俺が殺そうと思ったまでよ。お前らについていけば、奴らと戦う。相手が弱ったところを討ち取ろうというところだ」
悪びれる様子もなく、野木が答えた。上田が何かを思案するように、腕を組みなおす。
「奴らが、あんたを殺そうとしたのは、罪を全てあんたに押し付けるためか……」
上田は独り言のように呟く。
「だろうな。大量殺人犯、自ら火をつけて自殺。レインが好みそうなシナリオだ」
野木が唾を吐き出した。きっと、奴らへの憎しみも混じっているのだろう。
「ちなみにあんたは、レイン以外に誰か他の人はしっているのか?」
上田が唐突に話題を変えた。野木はそれに戸惑うことなく、かぶりを振って答える。
「いや、知らない。俺への指示は、全てレインがやっていたからな」
上田が「そうか」と呟いて、目を閉じた。
しばしの沈黙。風が吹いてるのか、木々がざわざわと揺れていた。まるで、二人の話に、木々までも緊張しているかのように。
上田が目を開いた。
「……とりあえず、あんたと俺らは同じ目的だよな。どうだ、俺らといっしょに来るか?」
沈黙を破る上田のその一言は、私と雪絵を呆気に取らせるには、十分だった。
しかし、野木も呆気に取られたのか、目を丸くしている。真田だけはニヤニヤと笑っている。
「おい、上田だったかな。あんた、話が滅茶苦茶だぞ。命を狙ってきた相手を仲間に入れるか、普通」
野木が私を一瞥した。思わず、私は顔を背けた。目を合わせるのが嫌というわけではないのだが、自然と反応してしまったのだ。
「奴らとはもう縁切れだろ? 裏切った主人の言うことをまだ守るというのなら別だが、それもないだろう。むしろ、新しい雇い主を見つけたようなものだ。違うか?」
上田が言葉を切ると、私と雪絵を交互に見比べた。上田の目が、いかがでしょうか、お姫様というように確かな光を放っている。反論を試みようとしたらしい雪絵だが、口を半分開けたところで、すぐに閉じた。上田の言葉に感じるものがあったらしい。私としては仲間は一人でもいたほうがいいと思うから、上田の考えには同意だった。
命を狙われたことは置いといて。
「どうだ、あんた。お前の当初の、俺らの後を付けて、返り討ちという目論見は、俺たちに見つかったことでパァになった。今更一人で挑んでも、返り討ち百パーセントだし、下手したら俺らと戦うことになるかもしれん。でも今なら、金も貰えて、仲間も増えて、一石二鳥だぜ」
上田の話の後に、金はシュヴァルツにつけといてなと真田がつけたした。野木はその人相の悪い顔をさらに歪めて、困惑している。野木も、こんな展開を予測していなかったらしい。だが、やがて口を開けた。
「……金がもらえるのなら、従おう……。雇い主の命令は絶対だ」
野木が口を尖らせながら横を向いた。その様子を見て、上田と真田が笑顔でタッチを交わす。私と雪絵は、その光景を腰に手を当てて、見守るだけだ。






……五分後。
私たちはR&Cデパートに来ていた。が、不思議なことに、私にはその場所がどうしても、R&Cデパートがあるように見えなかった。確かに地理的関係からいっても、ここがR&Cデパートであることには間違いない。しかし、ふと息を抜くと、まったく違う建物に見えるのだ。そして、身体の中の何かが行くなと呼びかけている。
「……『結界』だな……」
上田が感慨深げに言った。真田が一度、口笛を吹いて、答える。
「そうみたいやな。これだったら、普通の人は絶対近寄らな、いや近づけへん」
語尾にえらい強くアクセントがついた。二人が互いに顔を見て、納得したように頷きあう。
「結界って……」
私は尋ねた。二人で納得されても、こっちには何のことだかさっぱりわからない。
「なんて言えばいいかな。まぁ、簡単に言えば、魔法というやつかな。特定のものを近寄らせないために、作るバリアーみたいなものだ。だから、ほら、そこにあるものが、まったく違うものに見えたり、行きたくないって感じがするだろう」
上田がデパートを指差した。デパートは、さっきと変わらず、妖しく近づきがたい雰囲気をかもしだしている。「なるほど」と私は返した。
「カラクリさえ見抜けば、後はどうってことはない。あの結界には、人の心を惑わす以外に、副作用はないようだし。では行こう。各自、離れずに一箇所に固まっていく」
上田を先頭に、野木と真田の間に私と雪絵が入るという形でデパートの入り口へと歩き出した。






「遅かったじゃない」
自動ドアをくぐった瞬間に声をかけられた。声がした方へと視線を走らせると、二階に通じる階段に座り込んでいるレインの姿があった。彼金髪の髪をいじりながら、暇そうにしている。私は相手がどんな対応をしてきても、油断しないようにと、心で囁いた。
「逃げ出したのかと思っちゃったよ。でも、まぁ、来てくれたからよかったわ。あと少しで、そこらへんを歩いている人たちに八つ当たりするところだったし」
レインがふふっと笑った。今さっき心で誓ったばっかりなのに、なぜか拍子抜けしてしまう。だけど、前の三人は動じることなく前に出る。レインがこちらに視線を移して、少し目を見開いた。
「あら、生きてたの」
無感動な声でレインが言った。肌に鳥肌が立つような冷たい声だ。拍子抜けた心に、喝を入れる。
「そう簡単に殺されてたまるか」
野木がくぐもった声で答えた。レインの顔に冷笑が広がっていく。
「そう……。じゃあ、今ここで簡単に殺してあげるわ」
レインが立ち上がり、右手をこちらにゆっくりと向けた。
「固まるな、散れ!!」
上田が叫ぶと同時に、皆が行動した。少し遅れて、レインの右手が激しく光った。さっきまで皆が立っていた場所で爆炎が上がる。私はその様子を横目で見ながら、服がかけてある棚の後ろへと隠れた。幸い、ここはデパート。いろいろな品物が置いてあるので、たくさん隠れる場所はある。相手は階段に陣取っているので、近づくと見つかってしまうが、遠く離れている分には大丈夫だろう。と私が安堵した途端、
『火』
突然、頭の中を横切った。私は慌てて、隣の棚へと走りだす。二秒ほど遅れて、私がさっき立っていた場所で炎が上がる。私は唖然とその光景を見つめた。
……なんで? いくら高い所にあるからって、この距離では見えないはずなのに……
そんな私の心を見通すように、レインが子どもをあやすような声で言った。
「言い忘れてたけど、私の使う能力は、『炎』。熱を発生させることができるわ。そして、どこに火が上がっているかのかも分かる。つまり、熱を感知することも出来るの。……もちろん、あなた方の体温もね」
また、レインの冷たい笑いが上がった。頭から氷水をかけられた様に、私の身体から血の気が引いていく。
ってことは、どこにいても駄目ってこと……? それじゃあ、いったいどこに行けば……
『火』
横切ると同時に、隣の棚へと飛び込んだ。一呼吸置いて、また爆炎が上がる。
「ほらほら、ぼーっとしていると、死ぬわよ」
明るいレインの声がやたらと私の頭に響き渡る。普通なら、かなりイライラするのだろうけど、あいにくレインはその余裕さえくれない。
……それにしても、他の人はどうしているのだろう?
上田や、真田はともかく、何の能力もない雪絵は、一番危険だ。私は棚と棚の隙間からそっと辺りを窺った。すると一列向こうに、雪絵が伏せている姿が見えた。そして、レインの右手が雪絵の方へ向けられているのも。雪絵に気づいた様子はまったくない。
私は駆け出していた。雪絵を突き飛ばすのと、視界の端が眩く光ったのは、同時だった。

〜6〜
鼓膜を突き破るような炸裂音が響き渡った。その途端、左手に表現しきれないほどの激痛が走る。叫びたいのを必死に我慢しながら、私は左手を見た。
――それは真っ赤に燃えていた。
手首の辺りから肘に向かって。服の焦げる異臭が、私の鼻をついた。だが、不思議と、左手が燃えているのに恐怖心はなかった。痛みと自分の手であって自分の手でははないという感覚がするだけだ。
「くそっ!! 全部払いきれなかった!!」
上田の悲鳴に似た声が聞こえた。気づくと、いつのまにか刀を抜いた上田が私の側に立っていた。どうやら、上田がある程度防いでくれたらしい。見上げると、上田が私を青ざめた表情で見つめていた。上田にこれ以上心配をかけるわけにはいかない。私は「大丈夫」と声を出そうとした。
しかし、不意に視界が真っ白い物に包まれた。何度も何度もその白い物がはためく。よく見てみると、雪絵がシーツで私の左手の火を消そうとしているのだった。その様子を見てか、上田も手伝い始める。だけど、火はなかなか消えない。
「健気だね……。でも、もうそんな慌てる必要はないわ。全て終わらせてあげる……」
レインの声が嘲笑と共に聞こえた。身体から血の気が引いていく。
「二人とも、早くここから逃げて!!」
私は力の限り叫んだ。敵の標的は私なのだ。二人を巻き込むわけにはいかない。だが、二人はまったく逃げようとしなかった。むしろ、はためく布にさらに力が入っていくようだった。
「助けてくれた人を、優を放って逃げるわけにはいかないよ!!」
雪絵がはたきながら言った。上田も雪絵に同意するように頷いている。私は言葉が出なかった。必死に涙腺を止めなければ、泣いていたに違いない。
――レインが右手をこちらに向けた。
「させるか!!」
その時、声と同時に、真田がレインから見て死角になっている真横から跳躍するのが見えた。真田の槍がレインを襲う。レインは一瞬驚愕の表情を見せたが、すぐに口元を引き締め、上体をうまく反らし、真田の槍を避けた。そして右手を、着地したばかりで無防備になっている真田の背に向ける。
レインの右手が光を放った。
だが、真田は慌てる様子もなく、背を向けたまま槍を後ろに振り払った。何かが擦れる音と共に、真田の背の手前で炎が上がる。真田は弾いた余韻を味わうかのように、ゆっくりとレインに向かい合った。
「……梶谷!!」
いきなり名前を呼ばれた。思わず、ギョッとする。私は左手が燃えていることを忘れて、二人の攻防に見入っていたのだ。慌てて振り向くと、野木が消火器を持って立っていた。
「悪い、探すのに手間取った」
そう言うと、私の左手に向けて噴射した。さっき以上に激しい痛みが左手を走ったが、唇を噛んで何とか堪えた。白い液体が、きな臭いを飲み込んでいく。噴射が終わると、左手の炎は消えていた。傷の程度は分からないが、動かすことはできる。
どうやら、制服がある程度防いでくれたらしい。
「大丈夫!? 優!!」
雪絵が抱きついてきた。その衝撃でかなり痛かったのだが、雪絵の気持ちを考慮し、黙っておいた。
「うん……何とかね」
私がそう言うと、上田が私の左手を取った。こんな状況にも関わらず、ついドキッと反応してしまう。そんな自分が少し恥ずかしい。
「……よかった。意外に軽く済んでる」
上田がほっと胸を撫で下ろした。もっと掴んでいてほしいという思いが沸いたが、状況を考えろと、心を叱咤する。それから、野木がどこからか包帯を出し、私の左手に巻き始めた。
「この包帯はよく効く。俺が受けた傷もすぐに癒えたからな」
そう言い添えて、包帯をギュッと固く結んだ。確かに心なしか、痛みが引いたような気がする。
「あっちもクライマックスのようだな」
上田が静かに言った。はっとして見てみると、二人は先ほどの体勢のまま膠着している。今まで、まったく動きがなかったようだ。
「……勝負は一瞬だな」
そう言うと、野木が目を細めた。







「調子に乗りすぎたわ。まさか、ここまで近づかれるとはね……」
レインが舌打ちをした。こちらに聞こえるほどの大きさだ。
「ここまでやな。接近戦でこの馬超に勝てるわけないやろ」
真田が槍を伸縮自在の棒のように動かした。そんな真田に興味のない視線を投げかけながら、レインがやれやれと肩をすくめる。
「あんただって真実を知ったら、絶対にこちら側の人間になってたんだけどね。梶谷優を殺すために……」
小さいが、よく通る声で言った。今日何度目かの寒気が私の背に走る。真田がかぶりを振った。
「真実なんてどうでもいい。俺は今をいかに生きるかだけや」
「私もかつてそうだった。でもね、変わるの。あの方は、あなたたちを最初から敵とみなしていたようだけどね……」
レインがゆっくりと右手を真田に向けた。真田がピタリと動きを止める。
一時の静謐。
やがてそれを破り、、真田が踏み込んで槍を繰り出した。応じるようにレインの右手が今までにないほどの光を放つ。
そして事は起きた。レインが炎に包まれた。真田が槍を繰り出した状態のまま固まっている。槍はレインを逸れて、虚空を彷徨っていた。
「ちっ、違う!! 私は……こ……んな……」
レインの悲痛な声が炎の中から聞こえた。私はその光景に唖然としていた。明らかに、自殺を図ったのではないということは分かる。レインは炎の中でもがき、苦しみ回っている。私たちは急いで真田とレインがいる階段へと向かった。
私たちが駆けつけた時、レインはすでに事切れていた。うつ伏せの状態で、まるで真田に助けを求めるように右手を伸ばしたまま。真田が信じられないと言うように立ち尽くしている。私は吐き気を堪えるので精一杯だった。人が死んだという現実。決して戻らない時計の針。そして、何より不可解な死。
「……一瞬、何か光る物が俺の横を通過した気はしたんやけど」
真田が沈んだ声で言った。その声は、砂に染み込む水のように、私の心に響いた。
「俺も見た。たぶん、それがレインの炎の発射口である右手の掌に刺さったことで、暴発が起きたのだろう」
上田が独り言のように言った。いや、独り言というよりも、自分に言い聞かせてるといった方が合ってるかもしれない。
「……消されたのか。それにしても、レインほどの能力者を葬り去るとは……」
野木の言葉に、皆が無言になった。レインであって、レインで無くなった者から、私たちに何かを訴えかけるように、煙が上がっていた。


〜7〜
私たちはレインの亡骸に黙祷をし、二階へと上がっていった。先頭は上田、真田、野木の三人だ。私と雪絵が後方についていく陣形である。まぁ、陣形といっても、大した戦力にならない、人が後ろにいるだけだけど。
不意に前の三人が立ち止まった。ちょうど二階雑貨エリアに足を踏み入れたところだ。どうしたのだろうと三人の顔を覗いて見ると、一様にその表情は凍りついていた。私が訝しげな視線で見つめているのに、気づいていないようだ。私はそっと上田と真田の隙間から二階の様子を窺ってみた。その瞬間、奥から凄まじい気配、……殺気が肌を打ち付けるのを感じた。視線を走らせると、奥の三階へ通じる階段の前に、仁王立ちしている大男がいた。ちなみにここのデパートは変わっていて、上の階と下の階に通じる各階段は、双方が面するようにつけてあるのだ。つまり、この二階への入り口から、三階へ行く階段に行くには、二階を横切らなければならない。
――大男がこちらの視線に気づいてか、睨み返してきた。
どうやら、この殺気はあの男が発しているようだ。手には、槍と斧を合体させたような武器を持っていた。
「……真田、あの武器を持っているという事は、あいつはもしかして……」
真田が言葉を遮るようにふぅと息をついて、肩をすくめた。
「お前があれこれ推理せんでも、あってから言うてくれるやろ。まぁ、方天戟を持っている奴といったら、一人しかおらんけどな」
三人が進み出た。私と雪絵も慌ててそれに従う。周りの陶器や、生活雑貨を見ながら、ぼんやりと思考をしていた。さっきの方天戟という言葉が引っかかっている。
方天戟……、どこかで聞いたことあるのだけど……。歩きながら考えてみたが、思い出せなかった。二階の真ん中ぐらいまで行くと、大男がゆっくりとこちらへ歩みだした。その動きを見て、三人が足を止める。自然と私と雪絵も歩を止めた。大男は私たちから十メートル程離れた位置で静止する。改めて近くで見てみると、思ったよりもさらに大きいことが分かった。二メートルはありそうだ。戟の長さは三メートルというところか。もっとあるのかもしれない。大男と左右の棚の幅は、五メートル程あるのだが、彼一人で道を埋め尽くしていた。また黒いゆったりとした服を着ているが、その服の上からでも盛り上がっている筋肉が見えた。太い眉毛の下にある瞳は、憎しみで満たされているようで、激しい光を蓄えている。精悍な顔立ちだ。
「レインを殺したのか」
大男が言った。低くて渋い声だ。周りの陶器の棚の灰色にピッタリだなと何となく思った。
「俺らは殺していない、が、死んだ。見たところ、あんたの仲間が殺したようだが?」
上田が刀の柄に手を当てながら答えた。
「……そうか。あいつはもともと調子に乗りすぎるところがあったからな。あのお方じきじきに手を下したのか」
大男が方天戟とかいう武器を振り回した。方天戟は、槍の穂先の横に斧がついているのかと思っていたが、こうして見ると、穂先の横についているのは、三日月のような形をしたものだった。大男は、二十キロは余裕で超しそうなそれを軽々と扱っている。
「あのお方って、いったい誰や?」
「俺がお前らに言うとでも思ったか?」
大男が方天戟をこちらへ向けた。そのあまりの迫力に、まるで首に直接戟を突きつけられているような感覚に襲われた。
「知りたければ、俺を倒せ。あのお方はこの上の階におられる」
真田が舌打ちをした。その顔には幾筋もの汗が流れている。よく見てみると、上田や野木も同様に汗を流していた。
「まとめて相手をしてやろう。かかってくるがよい。この呂布奉先を倒してみよ!!」
大男の気迫が空気を振動させた。周りの陶器の入った棚が、勢いよく倒れる。だが私はそれよりも、呂布という名に恐怖を覚えていた。
そうだ。方天戟は、呂布の武器ではないか。中国史の中でも最強と言われる猛将の。
自らを呂布と名乗る大男が一歩一歩を確かめるように歩き出した。その表情は、飢えた虎のようだ。呂布が飢えているのは、戦いのようだが。
……勝てるわけがない。いくら沖田や馬超、風魔の能力でも。あの劉備、関羽、張飛が同時に挑んでも勝てなかった相手だ。
「梶谷さん、多田さん、ここから離れて!!」
上田が私たちに背を向けたまま叫んだ。呂布は五メートル程の所まで近づいている。このままここにいても、足手まといにしかならないのは明白だ。私は雪絵を連れて、二階から一階へ通じる階段の入り口まで走った。ここならいざという時に逃げられるからだ。
だが、私には逃げるつもりなど毛頭なかった。
たとえ、あの三人がやられたとしても……。







三人が同時に斬りかかった。
私から見て、正面が真田、左が上田、右を野木が攻めるという形だ。凄まじい金属音と共に、互いの武器が激突する。
空白の時間。私は目を疑った。大男……呂布は、三人の武器を同時に受け止めていた。呂布が何ともないというように笑みを浮かべる。まさに神業としかいいようがない。二人の刀はともかく、真田の槍を面積の小さい方天戟の柄で受け止めたのだ。
「ぬるいな……。もっと俺の血を熱くさせよ!!」
呂布が一喝と共に、その三メートルに達するであろう戟を、まるで木の枝のように振った。上田と真田は少し弾かれるだけですんだが、戟の穂先にいた野木は、私から見て左手側に吹き飛ばされた。棚を勢いよく十列ほど薙ぎ倒して、やっと止まる。野木の右肘には、生々しい傷跡が真一文字に刻まれていた。腕が半分千切れかけている。
「ほう……。避けるのはうまいようだな。そこの忍びの奴は、胴体を切断したと思ったが」
呂布が肩を怒らせながら、上田と真田のもとへ歩き出した。二人はまだ衝撃から回復しきれていないのか、片膝を立てたまま、立ち上がれないでいる。
このままでは三人が殺されてしまう……。私は何かないかと、辺りを探した。手あたりしだい棚を探っていると、鈍い金属の光沢を放つライターが目に付いた。その時、一つの考えが頭に浮かんだ。でも、うまくいくかはわからない。だが、何もしないよりは遥かにましだ。私は決心すると、雪絵を見つめた。
「雪絵、そこらへんにスプレーか何かない?」
唐突な私の質問に、雪絵は目をぱちくりさせた。
「えっ……? 虫除けのスプレーなら、そこの棚に置いてあるけど……」
「それ貸して!! 早く!!」
私は雪絵が差し出した虫除けのスプレーを受け取ると、紐で火を出したまま固定したライターに結びつけた。これで簡易爆弾の完成だ。発火装置は呂布の行動。
「くらえ、呂布!!」
私は遠投の要領で、思いっきり投げつけた。







それは綺麗な弧を描いた。呂布がはっとしたようにその飛来物を見上げる。次に私を一瞥して、低い笑いを上げた。私のささやかな反抗と思ったのだろう。ろくに確認もせずに、呂布は戟を下から上へ斬り上げた。
戟の刃がそれを捉えた瞬間、炎のシャワーが呂布に降り注いだ。
私は心の中でガッツポーズをする。呂布があの簡易爆弾を斬るかは賭けだったのだ。斬らなければ、中のスプレーが漏れず、爆発は起きない。かと言って、最初からスプレーを開けておくと、ライターの火に引火して、私の手元で爆発してしまうのだ。
視線を横に移すと、雪絵が手を叩いて喜んでいた。
「これなら、いくらあの大男でもかなりのダメージよね。さすがは優――」
雪絵の言葉が途切れた。その表情に、恐怖が張り付けられていく。私は視線を戻した。
信じられなかった。
呂布が炎の中から、私たち二人を悪鬼のような目で睨みつけていたのだ。


〜8〜
「……なるほど。甘く見ていると、レインのようにやられるわけだ」
 呂布が炎の中で、方天戟を振るった。刹那の突風と共に、燃え盛っていた炎が一瞬にして消える。呂布の身体には傷一つ付いていない。
 その光景はまさに悪夢としかいいようがなかった。
「だがこれまでだ。俺にはもう油断や慢心などはない――このようにだっ」
 急に呂布は言葉を切ると、私たちに背を向けて、右手に持った方天戟を空中へと突き出した。その延長上には野木がいた。方天戟は深々と腹の辺りを貫通している。野木の顔に苦悶の表情が浮かんだ。
「その千切れそうな腕のまま、よく気配を隠してここまで来れたな。並みの者なら、やられただろうが、相手が悪かったな」
 呂布が低い声で笑った。野木は死んだように俯いて動かない――が、突然顔を上げた。
「相手が悪いのはそっちだぜ、呂布」
 野木が血を吐きながら、笑い返した。はっと私が呂布の左わき腹の方に目をやると、今まさに突きを繰り出そうとしている上田の姿があった。
「小癪な、俺に三段突きなど効かぬ!!」
 呂布は一喝すると、上半身を俊敏に動かして、初段の突きをかわした。だが、すぐに二段目の突きが放たれる。二段目の突きも、紙一重でかわした。呂布は戟を使って打ち払いたいようだが、野木が腹に刺さった槍を掴んで放さないようだ。
 三段目の突きが放たれた。おそらく三段全て放つのに、一秒の半分もかかっていないと思う。だけど呂布は、左肘に少し傷を負いながらも、その突きをかわした。呂布に勝利を確信した笑みが浮かぶ。これで皆終わりなのかと、私は腰から落ちそうになった。
 しかしその時、呂布の身体がぐらりと揺れた。呂布が驚きの表情で、視線を動かす。私も呂布の視線を追った。すると、上田と対極に位置する、レジカウンターの壁から、一本の槍が突き出ていた。その突き出た槍は、呂布の右わき腹を貫いていた。
「馬鹿な……。囮が二人……?」
 呂布が信じられないという様子で、大きく目を見開いている。
「いや、三人や。優ちゃんたちが、火炎瓶を投げつけてくれたおかげで、お前の意識が一瞬俺らから外れたからな」
 真田がレジカウンターからひょっこりと顔を出して、答えた。
「…………」
 呂布は首を横に振ると、戟を叩きつけた。戟に貫かれていた野木が、地面に激しく激突する。戟を引き抜いた。
「お前!!」
 上田が感情を出して、叫んだ。呂布は無表情になっている。
「俺の力は、お前らの個々の力と同じになっただけだ。俺は倒れるわけにはいかない。梶谷優を八つ裂きにするまで」
 呂布が私に戟を向けた。首に突きつけられたような気がして、私は思わず首を引いた。
「梶谷さんが、いったい何をしたというんだ?」
 上田が呂布と距離を取りながら訊いた。その問いに、呂布が顔を伏せる。
「十五年前、俺の妻子が殺された」
 顔を上げた時、呂布の目つきが今までと比べ物にならないくらい、するどくなっていた。レインの瞳を氷と例えるなら、呂布の瞳は紅蓮の炎だ。それが真っ直ぐ私だけを見つめている。私は怯えながらも、呂布の言葉について思考を走らせた。
 十五年前といえば、私はまだ二歳じゃない……。
 二歳の私が殺したの……? 私の思考はまったくといっていいほど、まとまらない。
「おい、お前は本気で二歳児が人を殺した犯人というつもりか?」
 真田が心底驚いたという表情をした。呂布はそんな真田の様子を気にしない。
「いや、妻子を殺した犯人は見つかった。二十歳の若者だった」
「それなら、関係ないだろう」と上田。
「ところがある。梶谷優本人は気づいていないようだが、あのお方は知っておられる」
「誰なんや、あのお方っていったい?」
 真田が訝しむように言った。私は何も言えず、じっと黙っている。隣の雪絵の呼吸が、やけに大きく聞こえた。
「さっきも言っただろう。俺を倒せば、じきわかる」
 呂布がわき腹に刺さった槍の柄を握った。上田が小さく息をつく。
「殺し合うしかないか……」
「もとより覚悟の上」
 呂布がわき腹に刺さった槍を引き抜いた。そしてそのまま槍を真田に投げ返す。両手で戟を持ち直し、地面と平行に構えた。わき腹を貫かれたはずなのに、先程以上の闘気が呂布の身体に漲っている。戟の先から、呂布の闘気が滲み出ているようだ。
 上田は左足を一歩前に出し、脇を閉めて、腰を深く沈め、相手に向けて水平に構えた。三段突きの構えだ。
「一つ訊く」
 上田が静かに言った。さほど大きい声でもないのに、二階中に反響した。
「何だ?」
「その動機、梶谷さんを殺すというのは、俺が聞いても、やはり梶谷さんを悪く思ってしまうのか?」
 呂布は答えなかった。上田が悲しそうに目を細めたのを私は見た。こちらの心がなぜだかズキッと痛んだ。
 先制したのは呂布だった。その巨体にそぐわぬ速さで戟を突き出す。上田は戟が当たる瞬間に、身体を回転させ、呂布の懐へと入り込んだ。上田が突きを繰り出すのと、呂布が戟を引いたのは、同時だった。
 初段の突きは、戟の柄で止められた。だが間髪入れず、二段目を繰り出す。呂布は戟を反転させ、二段目も弾いた。
 そして三段目。刀は呂布の戟を握っている右手の甲に突き刺さった。しかし呂布はまったく怯まない。左手に戟を持ち替え、大きく振りかぶった。上田の頭に向けて戟が振り落とされる。私は思わず目を両手で覆った。
 しばしの時が流れた。だが、物音一つしない。私は恐る恐る手を下ろした。そこで私はあっと声を出した。
 そこには、上田の頭に直撃する寸前で止まった呂布の戟と、呂布の身体を貫いた上田の刀があった。
「……見事。まさか、四段突きとは……な」
 呂布の巨体が大の字に倒れた。上田が刀を杖代わりにして、ゼイゼイと息を吐いている。私はへなへなとその場に腰から落ちた。






「俺は上の階に行けそうにないな。腹と腕の傷が深すぎる」
野木が壁に寄りかかりながら言った。顔色もかなり悪い。腕が千切れかけているのだ。
「そうか……。すまなかったな、身代わりみたいにしてしまって」
上田が心底すまなそうに言った。野木が口元に笑みを浮かべながら、傷を負っていない方の手を振る。
「傭兵うってつけの場面だ。ああでもしなきゃ勝てなかっただろうし」
そう言うと、野木は三階へ通じる階段を指差した。一同が階段に目をやる。
「三階に全ての元凶がある。早く片付けて来い」
上田と真田が同時に頷く。私と雪絵も同様に頷いた。
そして、「呂布の怪我は任せとけ」という声を背に受けながら、私たちは階段を上り始めた。





 三階は食品売り場だった。いたる所に乱雑に食品が置かれている。私は階段の入り口から、『あのお方』らしき人物を探してみたが、人っ子一人見当たらなかった。
「おらへんな……。まさか逃げたか?」
 真田が息を殺しながら呟いた。
「いや、気配を隠して、こちらを窺っているのかもしれん」
 上田が注意深く視線を動かした。私もそれに倣って、辺りを窺った。とその時、「逃げもしないし、隠れもしないわ。私はここにいる」と、突然私の横から声が上がった。
 振り向こうとした途端、お腹に激痛が走った。あまりの痛みに耐え切れず、座り込む。
押さえた手の隙間から血が零れ落ちた。はっとして他の人の様子を見てみると、上田が背中に、真田が両足に深い傷を負っていた。その三人をナイフを両手に持って、冷徹な表情をしながら見つめている人物がいる。
――雪絵だった。

〜9〜
「ゆっ、雪絵……?」
 信じられなかった。いや、信じたくなかった。
 雪絵が氷のように冷たい瞳を私に向けた。レイン以上に冷たさに満ち溢れた目だ。雪絵は私の側に来ると、いきなり右足を一歩後ろに下げた。何をしてるのかと思っていると、突然私のお腹に蹴りを入れた。雪絵の靴が私の傷をえぐる様に突き上げていく。息が出来なくなるほどの痛みが身体中を暴れまわった。
「気安く呼ばないでよ。私とあんたじゃ位が違うの」
 雪絵が足で私の頭をぐりぐりと押さえつける。地面のコンクリートがやたら冷たく感じられた。今現在、現実かと思いたくなるような、光景だ。
「多田さん、君はいったい……」
 上田の絞り出すような声で言った。雪絵はちらりと上田を見ると、私の頭から足をどけた。人を見下すような目つきで上田を見据えた。まるで氷でできた月が、夜空に聳えて、人々を見下ろしているようだ。
「訊かれなかったから言わなかったけど、私は能力者にして、ナイトブレードの親玉。能力は、『全知』。この手で触れたものの全てを知る能力なの。そしてレインを殺したのは私。調子に乗りすぎてたから、処分してあげたわ」
 まるで人をゴミのように喩えている。私は雪絵を見上げた。口元に笑みを浮かべているが、目はまったく笑っていない。感情が感じられなかった。きっと地球にいる全ての人を殺しても、何とも思わないのだろう。身の毛が逆立つような、寒気が身体を駆け抜けた。
「じゃあ、何でさっさと優ちゃんを殺さなかったんや? その全知全能の能力があれば、容易いことやろう。わざわざこんな回りくどいことをしなくても……」
 真田が苦痛に顔を歪ませながら言った。雪絵は「分かってないわね」と冷たく笑う。その冷笑でも、恐怖を十分に与えたのだが、次の言葉は、さらに恐怖を与える一言だった。
「それじゃつまらないでしょう」
 散歩にでも言ってくるというような、素っ気ない口調だ。雪絵が真田の側へと歩み寄った。膝をついて、真田の視線の高さに合わせる。
「困難で挫けそうになっても、仲間といっしょに頑張ってクリアしていく。そんな中で、一番信頼していた人が、最後の最後で裏切る。悲観の中であえなく死亡。これほど素敵で、素晴らしいシナリオはないでしょう。レインがやり過ぎたのは、予想外だったけどね。」
 雪絵が同意を求めるように、真田の頬を指先でなぞった。真田は返事の代わりだというように、雪絵のそのなぞる手に唾をかけた。雪絵の目がすっと細くなる。真田の槍を奪い取った。おもむろに槍の穂先を真田に向ける。
「残念だわ。お気に召さないなんて」
 そう言うと、雪絵は真田の膝に槍を突き立てた。真田の絶叫と共に、骨の砕け散る音が響き渡る。
 私は耐え切れなくて、思わず顔を背けた。お腹の傷が、真田の絶叫に同調するように、痛みを増した。
「何顔を背けてるの? 全てはあなたのせいなのよ」
 雪絵が私の顎を掴んだ。無理やり私の顔を、真田の方に向けさせる。コンクリート以上に冷たい手だった。
「あなたね、私はか弱い被害者という顔をしているけど、本当に被害者はあなた以外の人なのよ」
 雪絵が顔を近づけながら語る。私の頭の中では雪絵の言葉が反響していた。雪絵は……いったい何をいいたいのだろう。私以外の全ての人が被害者? じゃあ、私は加害者って言うの? 
 私の表情を読んだのか、雪絵が説明するように続けた。
「気づいてないみたいだから、教えてあげる。あんたの本当の能力は、創造の具現化。予知なんて、オマケみたいなものよ」
 雪絵が上田と真田の反応を確かめるように、二人を交互に見た。二人はえっという表情をしている。私にも、意味が分からない。創造の具現化? つまり、想った事をそのまま現実にするということ? 
 そう心で呟いた瞬間、あることが頭の中に引っかかった。まさかという気持ちが沸くと同時に、身体から血の気が引いていく。
 雪絵はその反応に薄く笑みを浮かべた。
「信じられないでしょうね。でも本当なのよ。あんた学校の帰り道に『スリルが、刺激がほしい』とか思ったでしょう?」
 雪絵が子どもをあやす様に言った。私は雪絵の言葉に、さらに身体から血の気が引いていくのを感じた。そうだ。私は確かに願った、想ったのだ。あの時、雪絵との帰り道に、『何か刺激のあることでもあればなぁとちょっぴり願ってる』と……。
「その希望を具現化したのが、この世界よ。能力者といわれる人たちがたくさんいて、戦いをしている。確かにスリル満点よね」
私の心を見透かしたように、言った。返す言葉が出なかった。本当は嘘だと叫びたかったのだが、雪絵の氷でできた月のように人を見下ろす表情が、それを許してくれなかった。
「でもね、そのせいでね、不幸になった人もいるの。あんたの能力の憎い所はね、過去までも都合よく変えてしまうことよ。神島……、いや呂布はね、あんたと敵対するようになるために、妻子を殺されたのよ。レインだって、目の前でマフィアに親を殺されたのよ。全てはあなたのスリルのため」
 雪絵が顎を握る力を強め、グイッと引き寄せた。
「分かってるの、あんた? あんたのために、どれだけの人が被害を受けているのか。私だってねぇ、この能力のせいで、小さい頃から知りたくもない人の裏の顔を見てしまうことになったのよ、分かる、このつらさ? そして、その元凶が私のすぐ側にいるあんたと知った時の憎しみ。私の存在は、あんたのふざけた願いによって生み出された駒でしかないこと」
 いきなり頬にするどい痛みが走った。ビンタをされたのだと気づくまで、しばらくかかった。頬がじーんと熱くなる。
「いつまでも被害者面(づら)してるんじゃないよ、このクズ!!」
 このクズ……雪絵の罵声が私の心に深く突き刺さった。
 スベテ、ワタシノセイナノ?
 ワタシガイキテルカラ、ツゴウノイイコトヲネガウカラ、ミンナガクルシムノ?
 もう訳が分からなかった。……私には死んで償うという道しかないのだろうか。
――雪絵が左手のナイフを私に差し出した。
「やっと分かったようね。そう、あんたが生きてるから、駄目なの。ほら、このナイフを使いなさい」
 恐ろしいほど冷たくて、無垢な雪絵の声。私は黙ってそのナイフを受け取った。そのナイフは、赤い血で薄く染まっている。刃渡り十五センチ程のナイフが、私を誘惑するよう光沢を放った。持っている手が、私の意志に関わらず、ぶるぶると震える。
「何を迷ってるの? 早く終わらせなさい」
 冷たい雪絵の声。
「さぁ」
 イツモ側にいてくれた雪絵の声。
「さぁ」
 ナンデモソウダンニ乗ってくれた雪絵の声。
「さぁ」
 ムカシカラノシンユウノ……
「やめろ!!」
 その空気を破るかのような声。上田だった。
「梶谷さんのせいで皆が不幸だなんて、嘘だ。なぜなら」
 上田が自分を指差した。
「梶谷さんと出会えて、幸せになった人間がいる」
 上田の言葉に雪絵は憤慨したようだ。私を壁にぶつけると、上田の側へと寄った。その拍子に、ナイフを落とした。誘惑から解き放たれる。私は呆然とした気持ちで、地面に落ちたナイフを見つめた。
「自分勝手な意見じゃない!!」
 雪絵が先程とは別人のように声を荒げた。血走った目が、雪絵の感情の動悸の激しさを表しているようだ。
「多田さん、あなたのも自分勝手な意見だろう。それに……君だって梶谷さんに本当は死んでほしくないと思ってるんだろう」
 上田の冷静な返答。語尾を上げることなく、断定するように言った。その上田の態度が、さらに雪絵を葛藤させたようだ。
「うるさい!! うるさい!!」
「梶谷さんが左手を燃やされた時も、一生懸命助けようとしていたじゃないか。俺には、あれが演技だとは思えない」
 雪絵がナイフを地面に叩きつけた。そして上田の腰から刀を抜き出す。
「演技よ!! ラストに最高の結末を持っていくための!!」
「なら、なぜそこまで強く否定する? 本当に違うなら、鼻先であしらうだけでいいことだろう」
「違う、違う、違う!! 私は……」
 するどい目つきで怒鳴り散らしていたが、そこでふっと静かになった。どうしたのかと思っていると、急に嘲笑し始めた。腕を振りかぶると、刀を放り投げる。乾いた金属の音が、三階にこだました。一瞬、狂ったのかと思ったけど、雪絵の瞳は先程の冷酷さを取り戻していた。
「なるほどね。こうして私を自暴自棄に追い込んで、自滅を狙っていたのね。でも、残念ね。私には全知という能力があるもの」
 雪絵の笑いは止まらない。「無知な奴ら」と身をよじらせて笑っている。上田は俯くと、小さく息をついた。顔には、悲しみが浮かんでいる。
「多田さん……」
 その時突然、何かが雪絵の胸の辺りを突き抜けた。

〜10〜最終話
 突然の出来事に、私は理解できなかった。
 一本の槍が雪絵の身体を貫いている。雪絵が表情を凍てつかせ、ナイフを落とし、口からごぼりと血を吐き出した。流れる血の馨りが、こちらにまで漂ってくる。
――雪絵の胸を貫いたのは、真田の槍だった。
「う……嘘……?」
 信じられないという様子で、雪絵が呟いた。胸から突き出た槍を虚ろな視線で見つめている。その後ろでは、壁に寄りかかった真田が、槍を繰り出した状態のまま固まっていた。真田の表情も苦しそうだ。膝からは鮮血が途切れることなく、流れ落ちている。膝を貫いた槍を、麻酔なしで抜き取ったのだから、その痛みは想像を絶するであろう。
「真田……」
 上田がじっと真田を見つめだした。その瞳には悲しみ以上の何かが窺える。真田ががっくりと肩を落とした。まるで、責任というものが、具現化して肩に乗っかったように。
「今しか……なかったんや」
 真田が暗い表情で答える。その頬に幾筋もの涙が流れていた。
 真田が手から槍を放した。まるでスローモーションのように、ゆっくりと雪絵が膝を折り、うつ伏せに倒れる。雪絵から流れ出た真っ赤な血が、コンクリートの床に大きな水溜りを作り出した。雪絵はそれを生気の薄れた目で見つめた後、私に視線を移した。
「……優」
 雪絵の力のない、声。そこに先程の、ナイトブレードの親玉であった、雪絵の姿は見られない。そこにいるのは、私の大好きな、親友の雪絵だ。
「痛いよ……まだ、死にたくないよ……」
 雪絵が涙を流しながら、私の方へと手を伸ばした。私も、お腹の痛みを堪えながら、雪絵の側へと這うように、寄っていく。ほんの五メートル程の距離なのに、何キロも離れているように感じられた。雪絵の手を、両手で握った。その手は、とても冷たかった。傷口が開いたのか、私のお腹から血が出てきたが、構わなかった。
「寒いよ……どうして……こんなことになったの……助けて……」
 不意に視界が霞んだ。血が出過ぎたからではない。涙が、私の瞳に溢れて……止まらないのだ。雪絵に責任はまったくない。むしろ被害者なのだ。私が創り出した『具現』という名の。
「優……わ……私……」
 言葉が途切れると同時に、私を見つめていた雪絵の瞳が光を失った。私が両手で握っていた雪絵の手も、力を失う。音もなく冷たい地面に落ちた。それっきり二度と動かない。言葉が出なかった。悲しみとはまた違う感情が、私を覆いつくしていく。それは、『涙』というものに具現化して流れ落ちた。
「梶谷さん」
 上田の静かで、優しい声。私を呼ぶ声が、砂漠に落ちた一滴の水のように、染み込んでいく。上田の方へと振り向いた。
「全て終わった……。俺たちにできることは、ここまでだ。でも、君にはまだやることがある」
 上田がはっきりとした口調で言った。私は心の中で首を傾げる。
……今の私に何をしろというのだろう? 
「この世界を、具現化されたこの世界を……壊すんだ」
 心を読まれたようだ。私は上田を見つめた。上田の瞳が、真っ直ぐ見つめ返す。
「……壊す?」
 うまく言葉になったのか自分では分からなかった。耳に届いたのは、不協和音のような呂律の回らない音だ。でも、ちゃんと通じたらしく、上田が頷いた。
「元を言えば、この世界は存在しないはずなんだ。梶谷さんの想ったことが、具現化された世界だからな。元に戻すのが筋だろう」
「元に戻す……。でもどうやって……?」
 私の問いに、真田が口を挟んだ。
「簡単なことや。こんな世界なんていらない、元の世界に戻りたいと心の底から想えば、きっとできる」
 そう言うと、真田がにこりと笑った。私は上田と真田の言ったことを心の中で反芻してみた。だいたい二人のいいたいことは分かった。
――この世界を、拒否する。
 やることはそれだ。それなら今の私にでも出来るだろう。だけど、それじゃあ……
「上田さんや、真田さんはどうなるの?」
 私の言葉に二人が顔を合わせる。不安が頭の中をよぎった。やがて、二人は口元に笑みを浮かべた。今までで一番自然な、素敵な笑みだ。しかし、逆にそれが私の心に嫌な予感を抱かせた。
 真田が口を開いた。
「きっと……消えてしまうやろうな」
 そんなと私が口に出そうとした瞬間、上田がばっと左手を突き出した。思わず口を噤む。どうも上田が手を前に出した時は、口を閉じるという暗黙の了解が出来てしまっているらしい。
「それが正しいんだ。それに消えるといっても、完全に消えるわけじゃない。元の世界には、ちゃんと俺もいるんだ」
 そう言うと、上田は微笑んだ。汚れを知らない、その瞳が私を見つめる。息絶える前の、雪絵の瞳の色によく似ていた。
「それに、こういう形じゃなくても、俺や真田、梶谷さん、それに多田さんとは出会えたような気がするんだ、必ずね」
 上田の言葉に、私は頷いた。その点は同感だ……でも。
「でも、今目の前にいる上田さんと、元の世界にいる上田さんは、違うのですよね……」
 それが嫌だった。いくら外見が同じでも、私の知っている上田じゃないんだなて……。
「そんなことはないさ。だって」
 上田が自分を指差した。
「俺は俺だからさ。俺は変わらないよ。この命に懸けて約束する」
 力強く、それでいて優しさに溢れた声。その言葉は、私の心に暖かい太陽の光のように、届いた。上田や真田は変わらない、私は確信した。迷いは、太陽の出現と同時に消え去った。私は二人の顔をしっかりと見た後、言った。
「ありがとう。きっとまた逢えるよね」
 二人が頷くのを見て、私は目を閉じた。そして真田の言ったことを心の中で叫び出す。 元の世界へ戻して。平和なあの世界へ。何度も何度も叫んだ。その時、何かがひび割れるような音が聞こえた。念じれば、念じるほど、より深く、修復できないくらい割れていくのが分かる。私の創りあげた世界が悲鳴を上げているのを感じた。そして、世界が破片となって崩れだした。雷鳴のような、滝のような音が鳴り響く。目を開けてみた。目の前の真っ黒な空間には、透き通る白い花びらのようなものが舞っている。上下も左右もない世界。いつのまにか、私は見惚れていた。
『     』
 何かが横切った。だが私は読み取ることができなかった。こんなことは初めてだ。今までに一度もない。
――でも、もういいのだ。
 私はこの世界に身を委ねた。やがて、眠りに落ちるように、意識が遠ざかっていった。





……梶谷。
 誰? 誰が読んでるの?
「梶谷!!」
 はっと私は顔を上げた。そこにはいつも通りの授業風景が広がっている。視線を教卓へと移すと、数学の木田先生が私を睨みつけていた。これはまずいと反射的に立ち上がる。
「6Xー4……ですか?」
 分からないけど、私はとりあえず言った。が、その途端、クラスで爆笑が上がった。私がクエスチョンマークを頭にいっぱいつけながら、周りを見渡していると、木田先生が呆れたように言った。
「俺はただ、授業中に寝るなと言っただけだ。6x−4はさっきお前自身が答えただろうが」
 恥ずかしさのあまり、顔がカーッと熱くなった。





「さっすが優!! 勉強や運動だけでなく、笑いを取らせても、ダントツ一番だね!!」
 帰り道、雪絵が憎たらしいくらい、微笑みながら言った。こうして元気な雪絵を見ていると、さっきまでの戦いがまるで嘘のように感じられる。お腹の傷は無くなっているし、何よりも目の前で死んだはずの雪絵が生きているのだし。
「もう、止めてよ。あれは一生の不覚なんだから」
 プイッと私は横を向いた。あれは今思い出しても、かなり恥ずかしい。だけど、私が横を向いたのは、狙いがあるからだ。
「あっ、ごめんごめん。そんな機嫌悪くしないでよー。ほら、そこのコンビニで、アイス奢ってあげるからさー」
 よっしゃ、引っかかった。
「よし、許す」
「あっ、引っ掛けやがったなー。今月小遣いピンチなのにー、ずるいぞー」
「まぁまぁ。女は二言を言わない」
 私は雪絵の両肩を掴み、コンビニへと向かった。雪絵が何かぶつぶつ言っているが、私の耳は今お休み中だ。自動ドアをくぐった。アイスのコーナーに行こうとして、私は不意に、ギョッとして立ち止まった。
 なぜなら、目の前にあの呂布が立っていたからだ。あまりの衝撃に、言葉が出ない。雪絵も突然の二メートルの大男の出現に、ビックリしている。
「店長、そないなとこに立っていたら、客が驚いて逃げてしまいまっせ」
 聞き慣れた関西弁が私の耳に届いた。視線をレジに移すと、真田が頬杖をついたままにっこり微笑んでいる。頭に巻いてある赤いバンダナは見間違えようがなかった。
「それもそうかな。失礼しました。いらっしゃいませ」
 そう言うと、呂布は端に寄った。胸のネームプレートには、『店長 神島隆平』と書いてある。もちろん、殺気などは微塵も感じられない。
「すみませんねぇ。驚かせちゃって」
 今度は背後から、また聞いたことのある声が聞こえた。振り向くと、レインと野木が立っていた。二人とも店員の服を着ている。レインの金髪の髪と、コンビニの店員の服は、なかなか趣き深い印象を与えてくれた。あえて、野木は述べない。
「どうした、また店長の姿に誰か腰を抜かしたのか?」
 私の一番望んでいた声が、レジの奥の部屋から聞こえた。レジと部屋の間には、暖簾のようなものがかかっており、その声の主はすっとそれをくぐり、姿を現した。
――上田だった。
 私は思わず釘付けになる。心の中のものが、溢れてきそうだった。上田が私の方を向いた。視線が重なり、突然上田が目を見開いた。
「どうしたんや、一目惚れか?」
 真田が笑いながら言った。上田は真面目な顔つきで私を見つめている。
「いや……さっき昼寝してた時に出てきた女性と瓜二つだからさ」
 上田が私の前に走ってきた。上から下まで、確認するように視線を移していく。
「君は……」
 上田が何かを言おうとした。しかし、その時「動くな!!」という声と共に、ヘルメットを被った二人組がナイフをそれぞれ片手に持って、入ってきた。私と雪絵、それに上田を突き飛ばして、レジにいる真田にナイフを突きつける。「金を早く出せ」と喚くように言った。私は唖然とその光景を見つめる。
「ここに強盗に来るとは、度胸のある奴らやなぁ。ここは馬超の強さの見せ所やで」
 真田が臆することなく言った。馬超? 私は小さく呟いた。
「燃やしていいかしら」
 というレインの声。レインが人差し指から小さな炎を出した。これはどういうこと?
「この風魔に任せてくれれば、すぐに終わるぜ」
 と野木の声。不敵に笑っている。私は「えっえっ」と混乱しながら、その様子を見ていた。 
 これはもしかして……
「下郎めが。この呂布じきじきにやってやろう」
 店長……ではなく、呂布の低く威圧感の備わった声がした。戟を持っていないのに、その闘気が空気を圧迫する。強盗の二人は目を点にして、キョロキョロと見回していた。
 そして、目の前にいる上田がどこからか持ってきた掃除のモップを正眼に構えながら、言った。
「いやいや、この沖田総司が相手だ!!」
 上田の言葉と同時に、全員が一斉に攻撃を開始した。
 その時、さっき横切った読み取れなかった言葉が、何であったかが分かったような気がした。








                〜完〜





2005/04/15(Fri)23:21:58 公開 / ゆうき
■この作品の著作権はゆうきさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
終わりました。10話にわたって書いていた話も、これにて終わりです。最後まで書くことができたのも、皆様のするどい指摘、励ましの言葉があったからです。心の底から感謝したいと思います。あと、この話、第二部の構想もあるのですが、もしかしたらまた書くことになるかもしれません。それでは、読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。


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