『アリシア・スタイル その一〜その二』 ... ジャンル:ファンタジー ファンタジー
作者:夜行地球
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『その一』
純白のウェディングドレスを着て、ヴァージンロードを歩く私。
隣には厳粛な顔をしたお爺様。
立ち上がった参列者の皆から送られる祝福の拍手。
一歩一歩進むたびに緊張の糸が張り詰めていく。
自分がこんなに早く結婚するなんて思いもしなかった。
しかも、相手がアイツだなんて。
「アリシア、ワシはここまでだ」
その声を聞いて、私はお爺様の腕から手を離した。
そして、待ち構えていた新郎の横にそっと並ぶ。
新郎はいつも通りの頼りない顔をして、そわそわと落ち着きが無い。
そんな様子を見ていると、ライラ魔術学園にいた頃から何も変わっていないな、と思ってしまう。
ピンと折り目のついた真っ白なタキシードが似合わない事この上無い。
「いつも以上に綺麗だよ、アリシア」
普段はそんな事言わない癖に、何で皆の見ている前でそんな事を言うのだろう。
顔がかあっと熱くなる。妙に恥ずかしくて目を合わせることが出来なくなった。
コホン、と年老いた祭司が咳払いをする。
「それでは、お二人の意思を確認します」
祭司は新郎の顔を見つめる。
「新郎、シェード・アーレン。汝は新婦に対する永遠の愛を誓いますか?」
シェードはいつも見せない位に真剣な表情で答えた。
「誓います」
祭司が私の顔を見つめる。
「新婦、アリシア・ローケンフェルト。汝は新郎に対する永遠の愛を誓いますか?」
私は震えそうになる声を抑えながら答えた。
「誓います」
祭司は満足したように軽く頷くと、儀礼用のロッドを私達の頭上で静かに動かし、その先で祝福の印を空中に描いた。
「愛の女神サリアよ。若き二人に祝福を与え、見守り給え」
祭司は簡単な祝福をした後、ロッドをしまう。
「それでは、誓いのキスを」
ゆっくりと時間をかけて私はシェードと向き合った。
「愛してるよ、アリシア」
シェードがそっと囁き、私は静かに目を閉じた。
そして、二人の唇が触れ合おうとした直前。
「ちょっと、待ったぁ!」
バン、という激しい音を立てて教会の扉が開いた。
そこに立っているのは精悍な顔つきの赤髪の女性。
真紅のタキシードを着こなしているために男性のように見えるが。
「ト、トリニティ……」
シェードが呆然とした顔で、その女性の名前を呼ぶ。
何処か嬉しさを込めた口調で。
それを聞いた私の心には何かが沸々と沸きあがる。
トリニティ。
シェードの召喚魔術『ギミック』によって召喚されしモノ。
「ヒトの望みを叶える」というその本来の使命を果たさずに、現世に存在し続けている規格外の存在。
そして、私の目の前でシェードの唇を奪った女。
この前、ヒトを深く知る為の旅とやらに出かけたんじゃなかったのかしら。
だからこそ、今の内に結婚式を挙げておこうと思っていたのに。
トリニティはずかずかと私達に近づき、シェードの手を取った。
「お前を奪いに来たぜ、マスターさん」
オロオロとうろたえるシェードの衣装は何時の間にか純白のウェディングドレスに変わっている。
「オレと一緒に来いよ。その方が絶対に楽しいぜ」
嫌らしい笑いを浮かべてシェードを誘惑するトリニティ。
「ちょっと、トリニティさん! 今は私達の結婚式の最中です! 私のシェードから手を離してくださいっ!」
私が声を荒げると、参列者の一人が立ち上がってトリニティに近づいた。
「そうですよ、姉御。これはシェードとアリシアの結婚式なんですから邪魔しないで下さい。姉御には俺っていう男がいるじゃないですか!」
大きな身振りに連動して体中のアクセサリーがチャラチャラと音を立てる。
全身が装飾品で固められた、この金髪男性の名前はテルミス・カスケード。
シェードと同じく、ライラ魔術学園での同期生だ。
何故だか知らないが、トリニティの事を熱烈に慕っている。
「黙ってろ、テルミス。オレは五月蝿い男は嫌いだ」
その一言で、テルミスは大人しく引き下がっていく。
男ならもうちょっと頑張りなさいよ。
「シェード、オレの事は嫌いか?」
トリニティがシェードの目を見て問いかける。
シェードはただ顔を赤くするだけだった。
「何をしているのっ! 嫌いって言えばいいでしょ!」
私は思わず大声で叫んでいた。
「そうか、嫌いじゃないか。なら、話は早いな」
トリニティはシェードをお姫様だっこで抱えあげた。
「それじゃあ、あばよ」
呆気に取られている参列者を横目に教会の扉に向かって駆け出すトリニティ。
私はなりふりを構わず全力で追いかける。
テルミスも慌てて飛び出して来た。
「ちょっと、お待ちなさいっ!」
「待って下さい、姉御っ!」
◇◇◇
「止まりなさいっ!」
自分の声に驚いて目が覚めた。
目に映ったのはベッドの天蓋。
数秒だけ思考をフリーズして、現状を把握する。
「なんだ、夢か……」
ぼおっとしている頭を振り、ベッドからゆっくりと身を起こした。
コン、コン……
部屋の扉がノックされた。私の部屋を訪れるのは彼女しかいない。
「お入りなさい」
私は乱れた髪を軽く整えながら答えた。
「失礼します」
音を立てずに扉を開けたのは、予想通りメイドのニーナだった。
「先程、大きなお声を上げていらっしゃったようですが、どうかなされましたか?」
目が覚めるほどの大声だ。ニーナが不審に思うのも無理は無い。
「いえ、大した事ではありません。少し夢見が悪くて、つい声を上げてしまったみたい」
「そうですか……それで、どのような夢を御覧になられたのですか?」
その問いかけに、顔が赤くなるのが自分でも分かる。
「どうでも良い夢です。ニーナに教えるまでもありません」
「いけませんよ、お嬢様。もしも、お嬢様が御覧になった夢が不吉な物であったりしたら、今すぐ占い師に相談しなくてはなりませんから」
ニーナはてこでも動かないという感じだ。私が夢の内容を話さない限り、何度もしつこく聞いてくるだろう。その上、ニーナには嘘が通じない。幼い頃からの付き合いというのは、時に面倒なものだ。
「分かったわ。恥を忍んで教えてあげる」
私は、夢の内容をかいつまんで説明した。もちろん、新郎の名前や新郎を攫いに来た方の名前は伏せたが。
「へえ、お嬢様がそんな夢を……」
ニーナが実に意外そうな顔をする。
「ふん、笑いたいなら笑うが良いわ」
「いいえ、滅相も無い。お嬢様が好意を寄せるような素敵な男性がライラ魔術学園にいるなんて想像していなかったもので」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
私は慌ててニーナの誤解を解くことにした。
「私は別にシェードの事なんて好きでもなんともないわ。それに、あの男の何処をとっても『素敵』なんて形容詞は付けようがありません! 顔は十人並みだし、背は低いし、気は弱いし、力も弱いし、助平だし、良いところなんて全然無いんだから!」
ニーナがクスクスと笑う。
「その男性はシェードさんというお名前なのですね」
「あっ……」
失言だった。名前だけは漏らさないようにしようと思っていたはずなのに。
「それに、本当にその方を好いていらっしゃるようで」
「さっきの台詞のどこをどう聞いたらそうなるのよ」
ニーナは悪戯っぽく笑って答えた。
「その男性の事を悪く言っている時のお嬢様のお顔。何だかとっても楽しそうでしたから。お嬢様のそのようなお顔を拝見するのは、実に久しぶりです」
ぽうっと顔が熱くなる。
「もう、お黙りなさい」
「はい、分かりました。お食事の用意は出来ておりますので、お着替えが済み次第、食卓のほうへお越し下さい」
ニーナはお辞儀をしてからドアのノブに手をかけた。
「あ、ニーナに聞いておきたい事があるのだけれど」
「何でしょうか?」
「お爺様は昨日の晩にお戻りになられたのかしら?」
「いいえ、ギルバート様はまだ戻られておりません。フェルディナンド公爵のお屋敷にお泊りになったのではないでしょうか」
「そう、分かったわ」
あの不良老人また無断外泊か、と心の中で毒づく。
「それでは、食卓にてお待ちしております」
ニーナは再度お辞儀をして部屋を出て行った。
一人になって、さっきの夢をもう一度思い返してみる。
「……」
ああ、なんて恥ずかしい夢を見たんだろう。
何でよりにもよってシェードが新郎で、尚且つウェディングドレス姿でトリニティに攫われるのよ。
「お爺様のせいね」
あの不良老人がここ数日「早く結婚しろ」を連発するから、きっと頭が洗脳されていたに違いない。
確かに十八歳にもなれば十分適齢期だし、家庭を築くのも悪くは無いと思う。
「だけど、まだちょっと早すぎるのよ」
ライラ魔術学園を卒業してから三ヶ月。
ミネルバ王国の新人宮廷魔術師としてスタートを切ったばかり。
新人研修が終わっただけなので正式にはまだ宮廷魔術師とは言えない。
本格的な仕事が出来るのはこれからだ。
せめて何か大きな仕事を成し遂げるまでは、結婚は勘弁して欲しい。
三年間もかけて魔術学園で鍛えた魔術を、ミネルバ王国の為に使ってみたい。
それは美しい愛国心なんかじゃなくて、ただの自己満足なのだろうけど。
◇◇◇
身支度を整えて食卓に向かうと、豪華な朝食が準備されていた。
クリームシチュー、ロールキャベツ、サラダ クロワッサン、デザートの果物類。
私一人では絶対に食べ切れない程の量だ。
そもそも、料理長は私が朝食を全部食べきるなんて想定していない。
どれか一つでも口に運んで貰えれば良い、というのが彼の口癖だから。
ライラ魔術学園に行くまでは、こういう朝食が当たり前だと思っていた。
食堂で出された朝食を一口ずつ食べて残した入寮初日。
私はポポおばさんに叱られた。
『出された料理は全部食べる。それが此処でのルールだよ』
ポポおばさんの言葉からは、自分の仕事に対するプライドが感じ取れた。
それが私には心地良かった。
クスリと思い出し笑いをすると、後ろに立っていたニーナが不思議そうな顔をして首を傾げる。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「いえ、ちょっと前の事を思い出しただけ」
あ、ポポおばさんの事を思い出したら、無性に食堂の三文の得セットが食べたくなってきた。
肉汁が滴る肉饅頭に焼きたての黄金麦のパンと特製の野菜スープ。
早起きした少数の為の特別メニューだっただけに、あれが食べられた日は凄く気分の良い一日が過ごせたものだった。
あの味を説明して何とか料理長に三文の得セットを再現して貰えないものか、と考えながら朝食を食べていると、あっと言う間にお腹いっぱいになってしまった。
「ご馳走さまでした。今日も美味しかったわ」
私が椅子から立ち上がると、ニーナが皿を下げ始める。
これも当たり前の光景なのだけれど、少し違和感を感じる自分がいる。
『自分の皿は自分で下げな』というポポおばさんの声が聞こえる気がして。
三年間そういう生活をしていたのだから、仕方が無いのかも知れないけれど。
皿を片付け終わったニーナが私の前に立つ。
「お嬢様に一つ確認することを忘れていました」
「あら、何かしら?」
「お嬢様はいつまでお屋敷にお泊りになる事が出来るのでしょうか?」
そんな肝心な事を言ってなかったなんて、私としたことが迂闊だった。
「正式な人事が城内で発表されるのが二十日後だから……ここから城までの移動日数を考えたら、あと十五日ってところかしら」
答えを聞いて、ニーナは少し寂しそうな顔をした。
「そうですか、十五日しか残っていないのですね……」
「なんで、もう会えないみたいな言い方をしてるのよ」
「ですが、宮廷魔術師としての配属先が正式に決定したら、お屋敷に戻って来るのは難しいのでしょう?」
ニーナは泣く一歩手前の顔をする。私はこの表情に弱い。
「確かに、そう頻繁には帰ってこれなくなりそうね。でも、長期の休みが取れたら絶対に戻ってくるから。安心しなさい」
「……そうですね。すみません、またお嬢様と会えなくなるかと思うと、何だか寂しさが込み上げてしまって」
ニーナはそう言って顔を両手で隠した。
ああ、本当に可愛い。思わず抱きしめたくなる。
場所が食卓だけに自制したけれど。
「ねえ、ニーナ。今日は普段の仕事は中止して、私と話をしましょう。この三年間に何があったか。お互いに一つずつ教えあうの。良いと思わない?」
「お言葉は嬉しいのですが、他の者に示しが……」
そう言って周りを気にする。この子の悪い癖だ。
「これは命令よ。拒むことは許しません」
笑いながらそう言うと、ニーナはかすかに笑った。
「分かりました、お嬢様。一生懸命お相手をさせていただきます」
その笑顔を見て、私は思う。
やっぱりニーナには笑顔が似合う、と。
『その二』
「それで、コック長が叫んだんですよ、『俺はいつまでカエルの真似をしてれば良いんだっ!』って」
「あら、あのコック長が叫んだの? それは相当怒ってたのね」
「それからですね……」
ニーナとのお喋りは昼食を挟んで夜まで続いた。
とは言っても、話しているのは基本的にニーナ。
話し始めてすぐに気がついたのは、私の学園生活から勉強を抜いたら何も残っていない、という事実。
つまるところ、勉強以外の話題がほとんど無いのだ。
『実在空間上で魔力を変質させずに停滞させる為には如何なる魔方陣を組んだら良いか』なんていう話題を持ち出しても、魔術を本格的に習った事の無いニーナには理解出来ないだろう。
自分が話をしようと言い出したのに情け無い。
ライラ魔術学園で効率の良い掃除の為の魔方陣の書き方でも教えてくれていればニーナに教えてあげられるのに、と言い訳じみた事まで考えてしまう。
ライラ魔術学園は、新興国で伝統的な魔術師一族がいないミネルバ王国が必要に迫られて作った、宮廷魔術師養成学校だ。満十五歳の国民全員に対して行われる適正診断で魔術の才能を見つけられ、心身ともに問題の無いと判断された者のみがライラ魔術学園に入学出来る。
それから三年間、全寮制のライラ魔術学園で魔術を習った後、卒業生はミネルバ王国に仕えることになる。ちなみに、その間の学費は無料だ。
国の資金で魔術のスキルアップをさせてもらっていたのだから、遊ぶなんて問題外だ。
そんな当然の事実に気付かない同期生が多すぎた。
はっきり言って、そんな人達とは話をするのも嫌だった。
だから、私の周りには誰もいなかった。ほんの数人を除けば。
寂しい三年間だなんて、私は思ったりしない。
私が知りたかったのは、圧倒的な魔力の制御方法。
それだけだったのだから……
ふと気がつくと、ニーナが喋るのを止めて私の顔を黙って見つめていた。
「御免なさい、私ったら考え事をしちゃって」
頭を下げる私に対して、ニーナはそっと首を振った。
「私などに頭を下げないで下さい。お嬢様はいつも通り高飛車でいらっしゃれば良いのです」
何気無く失礼な事を言われた気がするが、敢えて突っ込みはしない。
「そう、それなら良いわ。私の顔をじっと見ているから、文句を言いたいのかと思ったの」
私の言葉を聞いて、ニーナは軽く頬を赤らめた。
「すみません、つい見惚れてしまって……」
「私の顔なんて昔から見慣れているでしょう?」
ニーナはぶんぶんと首を振る。
「いいえ。確かに、お嬢様は昔からお美しかったですが、今は格別です。まるで、愛の女神サリアのようで……」
そこまで褒められて悪い気はしない。私はティーカップに口をつけた。
「やっぱり、恋は乙女を美しくするのですね。ああ、お嬢様が思いを寄せるシェード様って、どんなに素敵な方なのかしら?」
ぶっ、と思わず口に含んだお茶を噴き出してしまった。
「あら、お行儀が悪いですよ。お嬢様」
澄ました顔で注意するニーナを軽く睨みつける。
「ニーナ、良く聞きなさい。私はシェードの事なんて何とも思っていないし、むしろ嫌いな位です。私があの男の事を好きだなんて、冗談でも二度と言わない事。良いわね?」
「はい、分かりました」
ニーナは満面の笑みを浮かべながら頷いた。
本心は分かってますよ、とでも言いたげなオーラが滲み出ている。
これだからニーナは苦手だ。
ボーン、ボーン、ボーン……
柱時計が七時を告げる。
「そろそろ、ディナーの時間ですね」
ニーナが少し心配そうな顔をしながら言った。
確かに、さっきからお肉の焼ける良い匂いが漂ってきている。
ニーナが心配しているのは、今夜のディナーには当主が現れるのか、という事だろう。
「そうね、お爺様は今日も戻られないのかしら?」
いくら不良老人といえども、二日連続で無断外泊とは許せない。
あの不良老人が帰って来たらどんな嫌味を言ってやろうかと考えていると、チリンという来客を告げるベルが鳴った。
「ギルバート様でしょうか?」
ニーナは席を立って、リビングのドアをそっと開けた。
待つこと数秒。
ドアから現れたのは妙に体格の良い白髪の老人だった。
その老人の名はギルバート・ローケンフェルト。私の祖父だ。
「いや、遅くなってしまったな」
お爺様は悪びれもせずにそう言うと、口ひげを軽くつまんで見せた。
「ちょっと、お爺様っ! 何度無断外泊をすれば気が済むのですかっ!」
詰め寄る私の肩を軽く抑えて、不良老人は苦笑する。
「寂しい思いをさせてしまって悪かった、アリシア。実はフェルディナンド公爵とのポックスの勝負が思いのほか白熱してしまってな。今日になって、ようやく決着が着いたのだよ」
「誰も寂しい思いなどしていません! ただ使用人に無用な心配をかけないで欲しいのです。当主は当主らしく、どっしりと構えて貰わないと、私も安心して家を離れていられませんから」
お爺様はタキシードの襟を直しながら笑って答えた。
「そうか、安心して家を離れられないか。ならば、ワシはあちこちふらついていた方が良いみたいだな。そうすれば、愛しい孫娘がワシの手元を離れずに済む」
「真剣に聞いて下さい、お爺様っ!」
私が睨むと、お爺様は肩をすくめてみせた。
「冗談だ、そう怒るな。お前に良いニュースを聞かせてやるから、それで機嫌を直してくれ」
ニヤニヤと笑いを口元に浮かべて、私の顔を覗き込む。
「良いニュース、ですか?」
悪い予感がする。お爺様のあの笑いは何か悪ふざけを思いついた時に浮かぶものだ。
「ああ、心して聞け。なんと、お前の婚約相手が決まったのだ!」
「……え?」
私は耳がおかしくなったのだろうか?
今、婚約相手が決まった、というように聞こえたのだけれど。
「ギルバート様っ! それはどういう事ですか?」
今まで黙っていたニーナが私の代わりにお爺様に問う。
「いや、フェルディナンド公爵の館でのポックス大会の途中でな、前途有望な青年を見つけたのだよ。あの男なら間違いない。安心して孫娘を任せられる。ローケンフェルト家も更なる繁栄を謳歌するであろう」
実に満足そうな顔で語るお爺様と唖然とする私とニーナ。
「謳歌するであろう、じゃないですよ! お嬢様のお気持ちも考えずに勝手に決めないで下さいっ!」
「そうですわ、お爺様! あまりにも横暴すぎます!」
「二人とも、そう興奮するな。彼を一緒に連れてきたから、二人で話だけでもしてみなさい」
お爺様はそう言うと、パンパンと手を鳴らした。
廊下の陰から、使用人に連れられて一人の男性が姿を現す。
下を向いてとぼとぼと歩いている様子は、どう見ても前途有望な青年には見えない。
彼は私達の目の前に到着した後も顔を上げようとしなかった。
「ギルバートさん、思いなおしてくれませんか? 僕には荷が重過ぎますよ。こんな豪邸に住んでいるお嬢様と婚約するなんて」
弱弱しい口調でぼそぼそと喋るその姿は、情け無いを通り越して滑稽であった。
はっきり言って、こんな男と婚約するなんて真っ平御免だ。
「まあ、そんな事を言うな。顔を上げなさい。ワシの可愛い孫娘の顔を見たら、きっとそんな事は言えなくなるはずだから」
お爺様に言われて、男が顔を上げる。
どんな美形が現れても絶対に心を動かされたりしないぞ、と思って睨みつける先に予想外の顔が現れた。
それは、三年間見慣れた顔だった。
「何だ、シェードじゃない」
気弱そうなこの顔、見間違えるはずが無い。顔を見る前に気付いても良さそうなものだったが、まさかコイツが現れるとは思ってもいなかったのだから仕方が無いだろう。
シェード・アーレン。私の夢にも出てきた、ライラ魔術学園の同期生だ。
「ア、アリシア……何で此処にいるんだよ?」
慌てるシェードを見ている内に、次第に自分の心が落ち着いてくるのが分かる。
「何故って、此処は私の家ですもの。居て当然でしょう?」
「えっ……てことは、ここのお嬢様っていうのはアリシアなのか? そうか、なら安心した。どんなお嬢様が出てくるかとビクビクしてたからさ」
オーバーなリアクションで胸を撫で下ろしてみせるシェード。
「あら、何で私が出てきたら安心するのかしら?」
「だってさ、アリシアなら僕との婚約なんて認めるはずが無いもの。どれだけ嫌われてるかは、この三年間でよーく知ってるしね」
嫌われている、か。
その返答に少し気落ちしている自分がいる事に戸惑う。
「確かに、その通りね。貴方と婚約するくらいなら、お爺様の孫娘であることを放棄するわ」
二人のやりとりを見ていたお爺様が、意外そうな声を上げた。
「なんだ、二人とも知り合いだったのか。それなら話が早い。婚約の日取りはいつにする?」
「あの、お爺様? 今の会話を聞いていたら、二人が婚約を望んでいない事は明白ですわよね?」
「いやいや、実に和気藹々と楽しそうではないか。ワシには似合いのカップルに見えるぞ。なあ、ニーナもそう思わんか?」
同意を求められたニーナは、少しだけ首を傾げてから答えた。
「ええ、そう見えなくもありません」
「だろう? やっぱりワシの目に狂いは無かった」
ニーナはしげしげとシェードを見つめて言った。
「お嬢様がお話になられていたシェード様とは、この御方の事だったのですね? なるほど、なるほど」
ふむふむと一人で納得するニーナ。
「何、アリシアがシェード君の事をニーナに話していたのか? それは完全に脈ありだな」
満足そうな表情をするお爺様、六十四歳。
「もう、お爺様っ! いい加減にして下さいっ!」
そう言った瞬間。
ぐるるるるー……
何処かで獣の鳴き声のような音が鳴る。いや、とぼけるのは止めよう。音源は私のお腹だ。
かあっと顔に血が上るのが分かる。
「あ、急いでディナーの用意をして来ます」
ニーナが駆けていった。
「おお、もうそんな時間か。どれ、シェード君も一緒に食べていきなさい」
「ありがとうございます。僕もお腹がペコペコだったんですよね」
お爺様もシェードもわざとらしく私から目を逸らしている。
気を使っているつもりなのだろうけど、それが逆に恥ずかしさを煽る。
もう、さっきから良い匂いがしてるのが悪いのよ。
心の中でコック長に八つ当たりをしながら、私は食卓に向かった。
◇◇◇
「それで、シェードは何故フェルディナンド公爵の館に居たりしたの?」
ヘイヨウ牛のステーキをナイフで切りながら尋ねた。
シェードはシチューを飲むのを中断して答える。
「旅の途中で旅費が底をつきかけてさ。この近くの賭場でお金を増やそうと思ったのが一昨日の事だね。その賭場でポックスをやっていたら、フェルディナンド公爵に声をかけられたんだよ。『我が屋敷で行われるポックス大会に参加しないか?』ってね。破格のギャラ付きで」
ポックスというのは、手札を使って相手より早く役を作り、その役の難易度に応じた点数を相手から奪い取るというカードゲームだ。
ミネルバ国内でよく知られたゲームで、賭場でも良く行われている。
「賭場でお金を増やすって、シェードってそんなにポックスが上手いのかしら?」
私の疑問に祖父が誇らしげに答える。
「ああ、彼は上手いぞ。何しろ、このワシを打ち負かせる程の実力だからな」
祖父は自分のポックスの腕が凄い、と暗に言いたいようだ。
「いや、ギルバートさんに勝てたのは単なるマグレですよ。もう一度やったら、ボロボロに負けるに決まってます」
シェードも暗に自分の腕をアピールしている。
「それで、肝心の旅費は増えたの?」
「んっと、賭場で勝った分とフェルディナンド公爵から貰ったギャラをあわせれば、そこそこ良い金額になってるはずだよ」
シェードはごそごそと自分の財布の中身を確認し、何度か頷いた。
「ま、これだけあれば足りるんじゃないかな」
「それにしても意外ね。シェードみたいなタイプは勝負事に弱そうなのに」
私がそう言うと、シェードは軽く頭をかきながら答えた。
「僕は元々大して上手くなかったんだけどさ。勝負の鉄則をトリニティに叩き込まれてから、結構勝てるようになってきたんだよ」
トリニティさんに教えて貰って、か。何だか面白く無い。
「ほう、そのトリニティという人物はそんなに上手いのかね?」
お爺様が目を輝かせて喰いつく。
「ええ、アイツは凄いですよ。次々と手札に役が揃っていく様子は、それこそ正に魔法みたいなんですから」
「ワシも見てみたいものだな。そのトリニティとやらは今どこにいるのかね?」
お爺様の質問にシェードは首を傾げる。
「トリニティがいま何処にいるのかは僕にも分からないんですよ。十日前から別行動をとっているので。旅の目的地で合流することにはしているのですけれど」
お爺様は一目で分かるほど落胆した表情を浮かべた。
「そうか、それは残念だな。旅が終わった後に、時間があったら此処に寄ってくれないかね。そのトリニティとやらとポックスの手合わせをしたいのだよ」
「はい、分かりました」
笑顔で答えるシェードをお爺様が楽しそうに見ている。
まるで本当の孫を見るような顔で。
「ところで、シェード君。今日泊まる宿は決まっているのかね?」
「いえ、今から空いてる宿屋でも探そうと思っているんですけど」
「そうか、ならばこの屋敷に泊まっていくが良い。今から探すのでは時間と労力と金の無駄遣いだよ。なに、部屋なら腐るほど余っている」
確かにこの屋敷には無駄な空き部屋が多すぎる。誰も使う事の無い部屋を一生懸命掃除しているニーナ達を見ていると、全ての空き部屋の扉に板を打ち付けて二度と開けられないようにしてあげたくなる。そうすれば、彼女達の仕事量は半分以下になるだろうから。
とはいえ、パーティの時や急な来客があった時などには使用するので、あまり軽率な事は出来はしない。
「いいんですか? 有難うございます」
即答するシェードを見て、軽く溜め息を吐く。
この男には遠慮という概念が無いに違いない。
「礼を言うほどではないぞ。シェード君は孫娘の将来の婿になる相手だからな」
お爺様は何やら不吉なことを言って、ガハハと大きく笑った。
シェードがふと何かを思い出したような顔で私の事を見る。
「シェード、何か言いたいの?」
「うん……あのさ、アリシアの部屋ってどこにあるのかな? 後で話したい事があるんだ」
私の部屋ですって?
一体何を話すつもりなのだろう?
困惑する私の代わりにお爺様が口を開いた。
「アリシアの部屋なら二階の南側の部屋だ。食事の後にじっくりと話すが良い。ただな、シェード君……」
「はい、何でしょうか?」
お爺様はウインクをしながら言った。
「婚前交渉はしてはならんぞ。婚約するとはいえ、まだまだ時期が早すぎる」
「お爺様っ!」
まったく、この色惚け老人は何を言い出すのだろうか。
私とシェードがそんな事をするなんて有り得ないのに。
「分かってます。そんな事はしませんよ、絶対に」
照れたように頭を掻きながら答えるシェード。
「ふむ……そう断言されると、アリシアが全く魅力の無い女性として見られているようで、少し複雑な気分だな。そう思わんか、アリシア?」
「知りませんっ!!」
この二人の相手を続けていたら、怒りのあまりテーブルをひっくり返しかねない。
私はそそくさと食事を終えて、自分の部屋へと戻っていった。
<続く>
2005/03/19(Sat)16:21:05 公開 /
夜行地球
■この作品の著作権は
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■作者からのメッセージ
この作品は、作品集その8にある『シェードと愉快な仲間達』の続編にあたる作品です。主人公は変わっていますが(笑)
前作を読んで無くても楽しめるように努力するつもりなので、どうぞ宜しくお願いします。
その二を更新しました。皆さんのコメントを見て「あ、回想形式という手があったか」と気付きました(笑) 何も考えずにこのような進行になった事をお詫びいたします。前回よりもプロットがいい加減なもので(汗)
影舞踊さん、ベルさん、走る耳さん、ゅぇさん、神夜さん、バニラダヌキさん、ご感想ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
作品の感想については、
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。