『ロックライフ』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:昼夜                

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 JACK

 もうあんたが見えなくなってきた。
 俺の中で絶対だったあんたは何処にいった?
 抜け殻に用は無いんだよ。


 _First.

 ジャックは今日、19になった。飲んだくれだった父親は失踪し、母親はすでに女で幾人もの男と夜を過ごしていた。
 そんな彼の誕生日を祝う人は両親ではなくいつもつるんでいる男たちだった。いつもの汚い裏路地にたむろして、ジャックは朽ちた石段に腰掛けていた。
「ハッピバ〜スディ、トゥユー」
 はずれた音でジャックの隣に座るイーサンは歌った。イーサンは黒い短髪にほんのり黒い肌を持つ、エキゾチックな顔立ちをしていて、父親を見たこともないのに東南アジア系のハンサムだと言い張って聞かない。確かにそんな血は流れていそうではあるが、父親はどうしようもない女好きで、今頃刺されて死んでるともっぱらの噂だ。イーサンの女癖を見ているとあながちデマでもないかもしれない。
 彼が体をリズムに合わせて揺らす度、その小柄な体に不釣合いな重そうなピアスが振り子のように揺れる。ジャックはイーサンの憎めない少しズレたセンスがなかなか気に行っていた。
「ああ、もう歌はいいよ。 めでたくもありゃしない」
「せっかく買って来てやったんだぜ?」
 そう言って呆れ顔のジャックの目の前に立つケヴィンは酒を突き出した。
 ケヴィンはラテン系の顔立ちをしていて、背も高く筋肉質で魅力的な男だ。その癖、女には奥手で今だにチェリーボーイである。ジャックはいつも、彼の魅力を半減させるものは女だとジョークを飛ばした。彼はこの土地では珍しく両親が揃っている。ただ、父親はとんでもないお人よしで、母親は重い病気を患っているのだが。そんな母を思いやり、働くケヴィンの姿がジャックの目には堪らなく輝いて見えた。
 ジャックの顔立ちは二人に比べるとやや薄い。色白でそばかすが少し、ブルーの瞳はその薄茶の髪によく似合っていた。ピアスは右に二つ、左に三つ。生まれた時に両耳にあったものを除いて、母親が自分以降に出来た子供を堕ろす度に空けた。特に深い意味合いはないが。
「歌よりこっちのほうが何倍もいい」
 ジャックは唇の端を吊り上げた。

 ここは荒れ果てた名も無き土地。ここに育つ少年たちのほとんど、窃盗やいわゆる犯罪に手を染める輩が少なくない。なぜなら、それが当たり前だったからだ。
 彼らはこう教えられる。

 ――人を信じるな。信じるものは仲間だけだ。仕返しは大事だ。ただし、その時には仕返しが返ってくることを忘れちゃならない。

 どんな家庭でも常に伝わってきたその意識は、無意識に彼らの脳を支配してゆき、彼らはここでしかまともに生きてゆけなくなるのだった。
 その“まとも”は他の場所じゃ“まとも”じゃないから。

「ケヴ、ほんとにこれ買ったのか?」
 ジャックは酒のビンをしげしげと眺め、ケヴィンに尋ねた。それは疑心でも何でもなくて、純粋にもの珍しいといったニュアンスで。
「ああ、“坊主のエルガー”の店でな」
「いつも盗ってるお詫びも兼ねて」
 笑いながらイーサンが付け加えた。彼が耳の重りを指ではじくのは癖だ。
 “坊主のエルガー”はその呼び名の通り坊主の男で、年は30半ば。小ぢんまりとした店で、悪ガキ共の相手をしつつ憎まれ口を叩き合うのが日課だ。体格がよく、そこそこ大きいケヴィンでも隣に立つと痩せてみえる程がっちりとしている。そんなエルガーの店で彼ら三人は毎日のようにちょっとしたものを盗み、エルガーとの追いかけっこを楽しんでいた。そして彼もまた、そんな悪ガキ三人を嫌ってはいなかった。
「今日くらい金を出してやってもいいかと思ったのさ。 でも、“坊主のエルガー”はむしろつまらなさそうだった」
 三人は声を上げて笑った。
「ああ、そうだった……これがヤツからのプレゼントだとよ」
 思い出したようにイーサンがだぼだぼしたズボンのポケットをまさぐって、手をジャックに突き出した。
 その手にはミルクキャンディーが一粒握られていた。
「ママの乳じゃなくて悪いが、牛の乳でガマンしてくれよ、ってさ」
「あいつ! 犬のフンでもぶっかけてやろうか」
 ジャックの誕生日はこんな他愛もない毎日の延長で進んだ。いつもの日常。

 だが、いつもの日常が一度崩れてしまうと、もう昔の日常には戻れないのだ。


 ――ジャック・ウェルバン、19歳のロック・ライフ――


 _second.

 何が物事のバランスを崩すかなんてわからないものだ。
 あえて未来から物を言うとすれば、ジャックの場合、十九歳の誕生日を迎えた翌日に出会ったあの男が要因だろう。

「おっさん、通りたいんだけど」
 夜中、いや、明け方。ジャックはやっとイーサンとケヴィンに別れを告げてのらりくらりと家路を歩いていた。誕生日だったからはしゃいだという訳でも何でもなく、毎日がほとんどこんな感じ。唯一違ったのは明日は月曜なのにケヴィンが明け方まで付き合ったことだ。あと数時間で彼は仕事が始まる。
 もしアイツが倒れたら代わりに働こう、なんて考えながら、潰れ掛けたライヴハウスが建つ細い路地を曲がった。もうここを真っ直ぐ行けばジャックの家は見える。見慣れたおんぼろのアパートが。
 しかし、彼は路地を通れなかった。なぜなら、肩くらいまでのくすんだブロンドは埃にまみれ、服はボロボロの、髪と同様ボサボサな髭を生やした男が狭い路地に丸まって横たわっていたのだ。前髪も後ろ髪も一緒くたで年なんかわからなかったが、とりあえずジャックは“おっさん”と呼んだ。只でさえ路地が狭い上に、男の体格がなかなかよかったのでまたぐ事もままならない。
「……迂回しな、クソガキ」
 呟きともとれる小さな声で男は悪態を吐いた。ハスキーな声と共に一気に大量のアルコール臭が鼻につく。酔っ払いは珍しくないが、ここまで酷いのは稀だった。
 だからといって、彼に関わる気は毛頭なかった。野垂れ死んだ人を今まで何人見たことだろうか。ここ、ルーインネームレスでは、その人たちが特別知り合いじゃなくても埋葬され、ちょっと通りがかった程度の人も花を手向けにくるのが習わしになっているくらいだ。住人は野垂れ死に程度じゃ騒げない感覚になってしまっている。
「はいそうですか、といいたいところだけど……悪いね、あっちの道じゃ遠まわりな上に嫌な連中がいるんでね」
 “嫌な連中”。アンディ・ハウゼンを筆頭に五人でつるむ性質の悪い奴らだ。ジャック達三人が悪ガキなら、彼ら五人は糞ガキとでもいったところだろう。ワルやケンカに憧れる傾向があって、マジメな奴をダサイと罵倒する。ジャックはアンディのでかい鼻とニキビづらの方が何百倍もダサイと二人に話す。顔を鉢合わせる度に、アンディはジャックに食ってかかり「インラン息子」と罵った。理由は解っている。母親がアンディの父親とも寝たからだろう。その矛先が自分にくるのも鬱陶しいが、悪いのは母親で自分は関係ないし、アンディも辛いのだろう、とジャックはいつも至極クールに対応した。
「逃げ腰のアマちゃんか」
 くくっ、と声を殺して男は哂う。
「面倒が嫌なだけだよ。ついでに言うと今もすごく面倒だ」
 肩をすくめてジャックは言う。こんな危ない男にそんな口を聞いて大丈夫か、と思う人もいるかもしれないが、よっぽどの憎悪や恨みがない限りここでは殺人なんて起こらない。みんな自分が生きるのに精一杯で人を殺す余裕もないのだ。それに、この土地に伝わる《仕返し》という報復も待っている。一度きりの突発的な殺人で執拗な報復から逃げ回る、というリスクを背負いたがる住人はここにはいなかった。

「なら、面倒ついでにこいつを貰ってやってくれないか?」

 男はのそりと上半身を起こすと、今までその体で隠れて見えなかった向こう側をジャックに見せた。そこには薄汚れたギターが転がっていた。
「なんだよ、それ」
「ギター、知らないのか? 綴りから言おうか? G、U、I、T――」
「そのゴミみたいなギターは何なんだって言ってんの」
 酔いのせいか、歌うように声を張り上げる男を制止してジャックは顔をしかめた。男はヴォーカルも務めているのだろうか。声がとても心地よかった。
「ノリのわりぃ坊主だぜ」
 チッ、と舌打ちして男はひび割れた壁にもたれかかった。声はまた小声に戻っていた。
「こいつは俺の相棒だ。こんなナリでもクソいい音だしやがる」
 男の汚れた指がギターをなぞる。恋人の背を撫でるように。
 もつれた髪の隙間から見える顔にジャックは見覚えがあった。
「あんた、レイヴ――レイヴァーか?」
 男の瞳がジャックの姿をとらえた。酔いが醒めたようにしっかりとした眼で。ただ、それは一瞬で、次の瞬間にはまた淀んだ瞳に戻ってそっぽを向いたけれど。
「俺も坊主みたいなアマちゃんにも知られるようになったか」
 にやり、といった笑みがレイヴァーと呼ばれる男の顔に浮かぶ。ごそごそとズボンをまさぐってシガーを取り出し、火をつけた。
「十七ん時、一度だけライブ見たことあるよ」
「へえ、どうだった」
「……クソみてぇでイカレてた」
 ジャックの言葉を聞いて、レイヴァーは声を立てて笑った。
「イカレてた、か! てめえ、そりゃ俺たちにゃ褒め言葉だな」
 ジャックは何だか癪なので『サイコーだった』の一言は飲み込んだ。
 あのライヴでレイヴァー率いる“クレイジーバレッツ”を見た時、総毛だった。きっとあの時目が輝いていただろう、とジャックは自分でも思う。ドラムの炸裂するリズム、その基盤の上で静かに激しく心臓に響くベース、惜しみない技量を誇示せず見せるギター。そして、何と言ってもヴォーカル・ギターであるレイヴァーの有り余る存在感。声もパフォーマンスもとにかくイカレてて、周りをノセるのが上手く、ジャックはサイコーにイカレてると感動した。
 そんな”クレイジーバレッツ”のレイヴァーがこんな所でこんなみすぼらしい姿になっているのには驚いた。正直、デビューでもして都会に出て行ったと思っていたジャックには信じられないことだった。全く雲泥の差、という奴である。
「そのレイヴが何してんのさ?」
 単純に心に浮かんだ疑問をぶつけた。
「人間堕ちるときゃ堕ちるのさ」
 レイヴァーはギターにキスをした。シガーの煙と酒の臭いをまとった生気のないギター。レイヴァーはまるでこのギターそのものだった。
「うちに来いよ」
 ジャックはレイヴァーの投げ出した足をまたいで言った。

 _third.

「――もう一度言うぞ、世話になるんじゃないからな」
「世話になってやる、だろ? もうさっきからそればっかりだ」
 アパートへ辿り着いた頃には酔っ払いとの繰り返しの会話にジャックはうんざりしていた。レイヴァーに肩を貸しているが、とにかく体重を乗せてくるので本当に重い。レイヴァーは痩せ型には分類されるものの、体が意外とがっしりしていて大きかった。その上喋る度によろけるわ、揺れるわでまともに歩くのが難しく、歩いて五分程の距離が十分もかかってしまった。
「神だからな」
 ジャックに回した右手で肩をポンポンと叩く。ごつごつした手だった。酒をよほど飲み続けているらしい、手が少しむくんでいる。
「……今の姿じゃ貧乏神にしか見えないよ」
 言葉を発しながら今にも外れそうなドアを開ける。
「……貧乏神、か。プライベートの俺は全くもってそうだ」
 ジャックはさっきから、レイヴァーがどうも自嘲気味に見えてならなかった。あえてつっこむ気はなかったが。
「だがな、ステージの上でだけは、俺が神なんだよ」
 ずるりと肩からレイヴァーの手が滑り落ち、彼は玄関から二歩程進んだところに倒れこんだ。
「はあ、もう手は貸さないからな」
 そう言ってジャックは奥の古びたベッドに腰掛けた。軋む音がベッドの劣化を物語る。
 レイヴァーはゆっくり顔をジャックに向けて目を細めた。
「借りてやったんだ」
 ジャックは「あー、ほんとにアンタは神だね」と呟いて、ベッドにそのまま仰向けに飛び込んだ。

 静かになった空間に隣の部屋の声が響く。
「ちょっとあんた、また浮気したね!」
「うるっせえな!」
 隣はパンクな格好をした二十代半ばの女の部屋。名前はミロングだかビロングだか、うろ覚えだが、ころころ男がよく変わる。この男とは一年程続いており、長いほうだな、とジャックは思っていた。最近は男を見かけず夜の営みが聞こえてこなかった。静かでいいが大丈夫だろうか、などと余計な心配をしていたらやはり男に浮気をされていたらしい。しかも初犯ではないようだ。安いボロアパートにプライバシーも羞恥心もないのだ。
「何で女は浮気にこだわるかね」
 ヒートアップする隣人の会話をよそに、レイヴァーが言った。
「そりゃあ、好きだから他の女にとられるのが嫌なんじゃ……」
「まだまだ坊主、らな」
 乾いた笑いと回らないろれつにむっとしてジャックは上半身を起こした。
「好きだから、なんてものは考えちゃいないさ。そんなもんは建前だ。奴らは芯のところ自分を見てくれてなきゃ落ち着かないんだよ」
 レイヴァーは誰にともなく話し続ける。
「所有権を裏でがっちり掴まなきゃ安心していられないのさ」
 仰向けになって右手を天井に向かって伸ばし、太いシルバーリングが食い込んだ中指をじっと見つめた。
「でも、男も女の浮気にこだわるじゃん」
 ジャックはベッドの上であぐらをかいた。
「それこそ、お前、さっき言ってたことだろうが」
 レイヴァーは目だけをジャックに向けた。
「好きだから他の男にとられるのが嫌?」
「ああ、男は馬鹿さ。表面にまんまと騙されちまう」
「よくわからないんだけど」
「女が浮気されて感じるのは疎外感、男が感じるのは恐怖感、ってこった」
「恐怖感?」
 シルバーリングを外そうと何回もリングを動かすが、むくんだ手からは一向に抜ける気配がない。レイヴァーは手を胸の上に下ろして諦めた。
「いつ、捨てられるか、ってな」
「その指輪なに?」
「まあ、一丸に皆がそうだ、とは言えねえけどよ」
「聞いてんの?」
「いつから女がこんなに強くなっちまったのかね……昔からか」
「聞いてんのか、って――」
「……………」
 ジャックは立ち上がってレイヴァーに近寄ろうとしたが、その足は止められた。レイヴァーの蒼い瞳から零れる涙によって。
 横たわっているせいで、その涙はくすんだブロンドの髪を濡らした。

「俺が殺した女がくれたモンだ」

 ジャックは動けなかった。
 隣の何とかロングさんが「あたしのことを好きじゃないならそう言いなさいよ」とがなり立てていた。

 _fourth.

「その母親は帰ってこねえのか?」
「ああ、ここ一週間はいないね。金だけは送ってくれるんだから文句は言えないな」
「息子は女どころか、こんな汚い男を連れ込んでるって知ったら気が狂うぜ」
「自分が汚いって自覚はあるんだ」
「あるさ。自分でも臭えよ。ま、ここに住んでりゃどうだってよくなることだが」
 レイヴァーは酔いが醒めてきたようで、ろれつが回ってきていた。ベッドに肘をかけて座る彼に対面したジャックは、自分のことを重点的に話した。
 さっきの言葉と涙は勿論気になっていたが、あの後レイヴァーの顔に無言でタオルを放り投げたままそのことには触れなかった。
 二年前ジャックの心に火を点けたこの男が静かに涙した。その出来事に触れられる程ジャックは強くもないし、無神経でもなかった。
「聞かねえのか」
 レイヴァーはいたって普通に聞いた。
「……別に、ここの人間には色々あるだろ」
 ジャックはレイヴァーから目を逸らし、足元を見た。気にならないかと聞かれれば気になる、と答えてしまうだろう。彼はこの質問に感謝した。まだ、そこまで踏み込みたくはなかったから。
「そんなことより、せめて顔を洗ってくれ。あんたがレイヴなんて信じたくなくなってくる」
 レイヴァーは納得したように頷きながら笑って、洗面所へと向かった。
 ジャックはちらりとギターを見た。
「お前も拭いてやろうか」

 ジャックの家に風呂はない。むしろルーインネームレスの風呂付の家に住む程金に余裕のあるやつはいない。みんな、余裕があればこの土地を出て都会へと行くのだ。たとえ別の土地に自分が合わなくても。月に多くて二度風呂屋がボランティアでタダにする日以外は洗面所で大体のことは済ませる。夏なら水浴びが外でも出来るが、今は冬だ。自然と洗う回数が減ってくるが、汚くもなんともなかった。
 しかし、あの身なり。レイヴァーはどのくらい洗っていなかったのだろうか。ジャックですら、ふと異臭を感じた。身なりに構えないほどの何かがあったんだろうか。
 そんなことを考えながら、ジャックはギターをさっきレイヴァーが涙を拭ったタオルで拭き続けた。すぐに拭いていた面が黒くなる。ジャックは汚れた面をつけないように、タオルの綺麗な面を捜しながら拭いていた。
 汚れを拭き取ってギターの生身の色がやっと解った。くすんだ赤茶に見えていたボディは真紅だった。そういえばあのライブの時にレイヴが持っていたギターは真っ赤だったっけ、とあの時を思い出して思わず口の端が上がる。
「坊主! タオルは何処だあ!」
「――洗面台の横のボックスに入ってるよ」
 いきなりの声に驚いた。腕時計を見ると十九分経っている。どうやら顔も、髪も洗い終えたらしい。ジャックは二十分近く無心でギターを磨いていた。
「久々だったからなかなか汚れが落ちなかったぜ」
 髪を拭きながらレイヴァーはジャックのいる部屋へ大きな足音を立ててやってきた。髪は綺麗なブロンドになり、髭は向こうにあった剃刀で剃ったのか、短くまとまっていた。裸の上半身を見て、ジャックの視線はその腹の傷跡に止まった。
「あ、ギター拭いてくれたのか、悪いな」
「いや……」
――弾痕?
「まあ、お前のモンだから好きにしてくれりゃいいんだけどよ」
 不自然な傷について問うより先に、レイヴァーの言葉が発される。
「――はあ?」
 さっきから気にするところが多すぎて置いてけ堀なジャックはレイヴァーを連れて来たことを少し後悔した。だが、この男自身に興味をそそられたのも大きな事実だった。興味は今もそそられ続けている。
「言っただろうが、坊主にやるって」
「あれ、冗談じゃなかったのかよ」
 ギターとレイヴァーを交互に見やってジャックは言う。
「俺が持ってるよりいいんだ」
「でも、弾けないし……アンタの相棒だろ?」
「世代交代ってやつもあるんだろうよ」
「でも――」
「俺が教えてやる」
 つくづく人の話を遮る男だ。ゴーイングマイウェイというか。だが、不思議と嫌な気持ちにさせてくれない奴だと思った。
 さっぱりした顔をちゃんと見ると、やはりレイヴァーだ。整った顔立ち、といっても優男とは全く反対で何かしでかしそうな、そんなワイルドな感じに溢れていた。ジャックとは一回り程年は違う筈なのに、魅力は衰えるどころか、どこか陰の雰囲気が漂う彼は魅力的だった。酒の臭いは石鹸と、そこに置いてあったコロンの香りに変わり、水で酒が抜けてしっかりした目になっている。さっき拭き終わって本当の色をとりもどしたギターのように。ジャックは中身も容姿も憎めないレイヴァーになんだか悔しくなった。
「……すぐに弾けるさ」
「ははっ、坊主にゃ無理かもな」
「さっきから坊主、坊主って。俺にはジャック、ジャック・ウェルバンって名前があるんだよ」
 レイヴァーがジャックの手からギターを受け取る。
「へえ。ジャカネイプス(jackanapes:生意気な子供)のお前にピッタリだ」
「クソ野郎」
「イカレ野郎にしてくれよ」
 笑いながらギターのストラップを首にかけて、レイヴァーの指が弦を押さえた。瞬間、蒼い瞳が愛おしい眼差しを『相棒』に向ける。
 弦とグリップが擦れる音がした。
「イカレ――」
 ジャックの言葉を遮って、ギターが激しいメロディで啼いた。エレキギターだから、アンプにつながないことには轟音にならない。それどころかピックも使っていないのでかなり小さい音だ。
 なのに、ジャックの耳には激しく聞こえた。レイヴァーの節の目立つ指が小刻みに移動する。真紅のギターは声にならない声で吠えていた。レイヴァーの叫びなのだろうか、とジャックは無意識の中で思った。
「――……神だろ?」
 ワンフレーズを弾き終わってレイヴァーはにやりとして言った。
「……イカレた神様に悪いんだけど、俺の母親の部屋を使ってくれる?」
 ジャックもにやりとして返した。腕に鳥肌が立ったのを見られずにすんだことを冬とパーカーに感謝しながら。



「ネイプス、お前の母親は自分のベッドに知らない男が寝ても平気か?」
 部屋に入る前、レイヴァーはそう尋ねた。
「ああ、いつも知らない男が寝てるさ」
「それは“お前の”知らない男だろ」
「ネイプスって呼ぶなよ」
「じゃあな、おやすみ」
 手だけを外に出してひらひらと振る。手が部屋の中に引き込まれた時、小さく「ネイプス」と聞こえた。
「え?」
「ありがとうよ」
 ジャックは何故だか顔が赤くなっていくのを感じた。
「――おやすみ、イカレ野郎」

 ジャックはベッドに倒れこみ、目を閉じて体重を硬いクッションに預ける。
 改めて礼を言われたのは初めてに近い。こんなに照れくさいもんなんだ、と無意識に上がる口元を右手でひっぱたいた。
『俺が殺した女』
 ふとジャックは目を開けた。レイヴァーの言葉、そして、弾痕が脳内を駆け巡る。彼は謎だ。本当に殺人を犯したのだろうか。しかし、彼から全く恐怖を感じないジャックはそれを信じることはできなかった。たとえ、数時間前のボロボロの彼であっても、恐怖は感じなかったからだ。
 感じたものは、どちらかと言えば“失望感”だった。
 聞きたいが、好奇心で聞いちゃいけないことだとジャックは感じていた。
 小さく溜め息を付いて寝返りをうつ。左を下にするとぼろいテーブルが見え、少し視線を下に向けるとさっきのレイヴァーの姿が見えた。それは一瞬で、瞬きをした後は紅いギターが静かに壁にもたれかかっていたが。
「オマエとレイヴはそっくりだな」
 そう言って目を閉じたジャックの耳には、さっきの音がまだ残っている気がした。


     ◆


 レイヴァーはベッドに腰掛けていた。
 虚ろな目で掌を眺めては、閉じる。その動作を繰り返していた。ゆっくりとその両手で顔を覆う。
「レイチェル……」
 ぼそりと呟く。泣いてはいなかった。ただ、服を身につけない背中はひどく疲れたようにうなだれていた。
「神よ、俺をどうしたい?」
 誰に向けるでもない言葉であった。


     ◆


 ギターは全てを知っていた。
 彼の真紅のボディにはレイヴァーの手垢がびっしりとこびりついていて、他人が触れたのは初めてなのも知っていた。
 細々と貼られたシールには悪趣味な絵柄が描かれ、傷も少なくない。その傷たちがいかに自分とレイヴァーの暴れてきた印であるかも知っていた。
 レイヴァーが自分と離れて寝たことがないのも知っていた。
 右下の一番デカいステッカーには『ガッデム』と写植され、そのステッカーの下には『眠れ、レイチェル』と彫られているのも知っていた。
 ギターは何も語らなかった。
 もし、語れたとしても、彼はきっと何も語らない。

 _fifth.

 翌日、ジャックの夢が終わりを告げると、レイヴァーのことは夢なのかと思った。
 すぐにそれは「よう」と胡坐を掻くレイヴァー自身に打ち消されたが。
「いたんだ」
「何だ、出て言ってほしいならそう言え」
 怒るでも何でもなく彼はそう言った。ジャックは上体を起こして、頭を掻いた。ぼさぼさの髪が更にくしゃくしゃになる。
「言ったら出ていくのかい?」
 レイヴァーはその質問ににっと笑って、埃被ったキッチンへ体を向けた。何だかいい匂いがする。
「俺が来て“やった”のに、何故お前に言われて出ていかなきゃならない? 出て行きたくなったら出て行くさ」
 ジャックは「だろうね」と肩をすくめ、ベッドから足を垂らして踵の潰れたシューズに突っ込んだ。
 寝起きで重い腰をゆっくりと上げ、キッチンに向かった。
「……料理、作ったの?」
「料理なんてモンじゃねえな――もうちょっとマシな材料がありゃ“料理”になったが」
 シガーをふかすレイヴァーの目の前ではフライパンの上で目玉焼きが焼ける音を発していた。
「もっとマシな材料が買えればね」
 ジャックは壁にもたれて笑った。
「トーストとこれでも食いながら、ギターを教えてやるよ」
「へえ、神様になれるかな」
「天使くらいにならなれんじゃねえか」
 汚い男に出会って、それが憧れた男で、今こうして同じ時間を共有している。そう考えるとジャックの口元は自然に緩んでいた。
 レイヴァーはシガーを口で器用に操って“運べ”と合図した。

 ジャックの部屋にテーブルと椅子はない。あるのは低いテーブルと色落ちしたクッション。
 彼らはそのままどかっとカーペットに腰をおろした。昔からの色々な染みが出来たカーペットだが汚いとは思わなかった。綺麗なものを探すほうが難しい所なのだから。
 レイヴァーは食べるよりも、ギターを触っていた。ジャックはその光景を見ながらトーストをかじった。
「……何だかあんたたちは恋人みたいだね」
 率直に感じたことを口にしてみた。レイヴァーは見向きもせず、昨日より幾分か細くなった指でギターの弦を軽くなぞっていた。
「恋人、っていうより愛人だな」
「愛人?」
「恋人にはなれねえから、肉体関係で繋がってる居場所みたいなもんだ」
 一番下の弦を弾く。その小さな高い音が微かに女の声に聞こえた。
「ライブは俺たちの寝室で、客どもはそれを見て興奮する。俺とこいつはそれで更に燃え上がる」
 確かに酷く興奮させられた、と彼の言葉にジャックは納得してしまった。
「――だからこそ、俺たちが淡白だと客もシラけちまう」
「淡白になったことないの?」
 ギターにちょっかいを出していた彼の指が止まる。瞳が一瞬どこか遠くを見た。
「淡白になったから終わったんだ」
 ――このまま話し続ければ彼の内側に足を踏み入れることになるかもしれない。
 ジャックは内心震えながらも、片足を上げた。
「――――」
「だが」
 ジャックよりも先に、またギターへと視線を戻して微笑むレイヴァーが言葉を発した。
「俺とこいつの歩いてきた道はハンパなくイカレてて悔いはねえ」
 きっかけを逃したジャックは目をせわしなく動かし「そう」と小さく首を縦に振った。
 目線をギターに移すと細かい傷がやたらと目についた。
「……この傷は勲章な訳?」
「そうだな、昔は多少無理しちまったからこいつにも痛い思いさせたぜ……」
 レイヴァーはその中でも亀裂のようになった箇所をなぞった。髪が綺麗になったせいで、慈しむような眼がはっきりと見えた。
「その――その腹の弾痕とは関係ある?」
 ちょっとジャックは体を前のめりにした。レイヴァーは特に気にした様子もなく遊び弾きをしていた。マイナー調のフレーズがやけに胸にささる。
「ああ、調子に乗りすぎて仕返しを喰らったのさ。まだネイプス、お前くらいの年だったから逆らっちゃいけない相手っつうのを解ってなかった」
「逆らっちゃいけない相手って何だよ」
「この辺を仕切ってる奴さ。といっても俺がもめたのはたまたま俺が居た場所を預けられただけの下っ端だったが、下っ端が一番やっかいだ。上が付いてるとやたら強気になって偉ぶる」
 この辺を仕切ってる、といえばジャックの頭には一人しか思いつかなかった。
 “機械仕掛けのラクス”と呼ばれるギャングのボスだ。機械仕掛け、というのは機械のように無機質で、感情を持たないからだと言われている。歩き方ですら気に入らなければズドンと弾を喰らわせると前に聞いたことがある。
「ラクス・ダグマーにやられたの?」
「あん? まあ、確かにダグマーにやられたっちゃあやられたが、悪いのは俺とあいつの下っ端だった」
 全く恨みも何もない、といった口ぶりにジャックは首をかしげた。その様子を察してか、レイヴァーはまたにやりと笑った。
「ダグマーは機械仕掛けじゃねえってことだよ。ただ、ギャングってもんをやってりゃ慈悲深い綺麗事ばかり並べてたんじゃすぐに死んじまう。“機械”に見せざるを得ない“人間”だ」
 確かにジャックはラクス・ダグマー自身のことは知らない。噂で聞いたラクス・ダグマーしか知らないのだ。
 たちの悪い下っ端ギャングは大勢居るが、いきがる下っ端はいつの間にか居なくなっていたのをジャックは思い出した。
「噂って怖いんだね」
「その噂にダグマーは救われてる部分もあるんだがな。怖がられないギャングはやっていけない」
「なるほど」
「ネイプス、無駄口叩きすぎちまったようだ」
 レイヴァーはそう言ってジャックにギターを渡した。ジャックのまだ聞きたかった、という表情を見てレイヴァーはシガーの煙を彼の顔に吹きかけた。ジャックの顔が歪む。
「俺の話はサイコーに楽しいが、自分の口で全て語るようなダセえ真似はしたくないんだよ」
「カッコつけ野郎」
 ジャックはむせながらギターのネックを握って言った。
「カッコいいんだから仕方ねえさ」
 レイヴァーが握った場所が暖かくて、そこに触れた時少し嬉しい自分にジャックは気付かないふりをした。

 _sixth.

 あの男に出会ったのも偶然だった。後にそれは必然だったかと聞かれても首をかしげてしまう程の偶然。
 ただ、ジャックはそれにとても感謝している。

 数日経ってもレイヴァーは何の変哲もなくジャックの家で暮らし、ギターを教え、シガーを咥えた。相変わらずジャックの母親は帰って来ないし、お金は小額ながらも届いた。隣の何とかロングさんは男と別れ、今度は新しい男との夜の営みが聞こえてくる。一人にはなかったことだが、その時たまにジャックとレイヴァーは大声で歌った。そして彼女達が中断するのを確認して笑った。
 何だかジャックの気持ちは充実していた。ロックを本気でやりたいと思うようになっていたのだ。レイヴァーへの気持ちは彼と話をする度、憧れから尊敬の念へと変わって行った。それを億尾にも出さなかったのは彼の意地だけど。
 勿論、イーサンとケヴィンともつるんで遊んだ。初めはレイヴァーのことを言わなかったが、ある日「最近、何があった?」、「生き生きしてるぞ」などと言われて話した。
 この地で“クレイジーバレッツ”を知らない若者は居ないに等しかった。だから、二人もその話に目を輝かせて飛び乗った。何回か家に来ては四人で話もした。ジャックは二人よりもあのレイヴと関わりの深いことに少しの優越感を感じて満足した。

 “あの男”に出会ったのは、“坊主のエルガー”の店で一週間ぶりの追いかけっこを済ませ、イーサンとケヴィンに別れを告げた後だった。
 店からアパートへ帰るには、寂れた公園を突っ切るのが近道であった。若い彼らには近道が大事で、そこが誰のシマであるとか、どんな奴が任されているかなんてことは知らなかったし、必要のないことだった。
 その日も普通に戦利品を眺めながら近道をしただけだった。今日は、キャンディーをごっそり盗った。その中の一つを口に含む。
「――いやあっ、やめ……っ、ああああっ」
 突如聞こえてきた女の悲鳴にジャックは飛び上がった。泣き叫ぶ声が公園の空気を揺らす。
 悲鳴の聞こえる方へジャックは足を速めた。正義感と好奇心がそうさせたのだろう。その公園の周りを取り囲む木々の間からそれは聞こえた。
「静かにしろよ、殺すぞ」
「ひいっ――うううっ」
 レイプ。ジャックが静かに木々の隙間から覗く、斜め後ろからでも明らかにそう見てとれる状況だった。彼女は喉元にナイフを当てられ、服は引き裂かれていた。男が震える女を殴る。まだ男が馬乗りになっているということは、これから始めようという所らしい。
 ジャックは自分の顔が引きつっているのが解った。胸に熱いものが広がる感覚に襲われ、顔が熱くなる。
「楽しませ――――」
 気付いた時には男に飛び掛っていた。
「きゃあああああああ」
 女はナイフが自分から離れた少しの安心感と恐怖で、初めよりも更に大きな声で叫び、逃げようと動いた。男がそれに少し驚いて隙を見せた。左手に持ったナイフを今なら奪える――そう確信してジャックは手を伸ばした。
「――糞餓鬼が……っ」
 それに気付いて男は我に返り、ジャックめがけてナイフを振り下ろした。目先にナイフが来る瞬間がやけにスローモーションに見える。
 ――もう、駄目だ。
 目を瞑ったジャックには弾けたような幾つもの轟音と共に、庇った右手の肉を引き裂かれたのを感じた。
 次の瞬間、男がそのまま全体重をかけて自分に覆いかぶさって来た。生暖かいものが顔にかかって、ジャックは目を開けた。
「――うわああっ」
 目を見開き、ゴポゴポと口から血が溢れ出している男の顔がジャックの目前にあった。慌てて力一杯男を突き飛ばして、尻を地面につけたまま後ずさった。顔にかかったものを両手で必死に拭う。手には脂汗と混じった生臭い血液がべっとりとついた。
「……あ、あ――」
 言葉にならず、混乱した脳は無意味な音を喉から出させる。男の体からはジャックの手についたのと同じ、赤黒い血が数十個開いた穴から湧き出ていた。

「坊主、無事か」

 声のした左側を見ると、瞬きも忘れた目が一人の男を捉えた。この地にはにつかわしくない高そうなスーツにコートを羽織ったサングラスの男を。
「女も無事なようだな」
「――っ」
 安心からかジャックの顎が歯と歯をガチガチと鳴らした。サングラスの男の後ろから二人のがっちりとした黒人が大またで歩いてくるのが見える。一人スーツを着る細身のこの男は何だか浮いて見えた。
「身の程知らずのガキだな」
 サングラスの男は馬鹿にする風でもなく言った。そして、隣に立つ二人の男に目配せをする。
 二人のうちのスキンヘッドの男は女に近づいた。男に怯える女は胸元を庇うようにして、首を横に振る。
「何もしやしない。うちの者がすまなかった」
 スキンヘッドの男は外見とは裏腹に、紳士にそう言った。女の怯えは消えなかったが、男に抱かれるのを拒むことはしなかった。
「こいつはどうします?」
 もう一人の胸元にタトゥーの入った黒人が問う。ジャックは少し落ち着いてきてはいたものの、やはり心音は激しいし、何より人を撃ち殺したこの男たちも怖かった。
「……この葛が迷惑をかけた。連れて行って血くらい落とさせてやろう」
 タトゥーの男は頷いてジャックの腕を引いた。どうやら腰は抜けていないらしく、立てた。だからと言って、快く行く気にもなれなかったが。
「安心しろ。お前みたいなガキを殺す程暇じゃない」
 無言のジャックにサングラスの男は薄ら笑いを浮かべて言った。
「――あんた、誰だ」
 やっとの言葉に男は軽く顔をしかめた。それに反応したタトゥーの男がジャックの腕を引く手に力を込める。
「貴様、口の聞き方を――」
「構わん」
 男は軽くタトゥーの男を制止した。ジャックの目の前に立って少し屈んで顔を見る。
「坊主、怖いか?」
 サングラスの向こうに見える瞳は何色か分からなかったが、突き刺すような視線だった。
「……ちびりそうだよ」
 ジャックの答えに男は薄ら笑いではなく、大声で笑った。体に似合わない豪快な笑い。
「まったく身の程知らずのガキめ」
 男はジャックに背を向けて歩き始めた。
「ラクス・ダグマーだ」
 ジャックはタトゥーの男の手を振り払った。
「ラクス――」
「二度言うのは好きじゃない。坊主、お前も名乗るべきだろう?」
 振り返らずに、ラクスは単調に話した。話し方こそ違うものの、ジャックは彼に恐怖以外の何かを感じていた。
「ジャ、ジャック・ウェルバン……」
「ジャカネイプスだな」
 “機械仕掛けじゃない”
 ジャックはレイヴァーの言葉を思い出した。

 _seventh.

「腕を見せろ」
 ラクスは三十代後半といったところだ。しかし、それよりももっと落ち着いた雰囲気が彼にはあった。小奇麗で神経質に見えるのは、彼の細身の体系と薄いブルーの瞳のせいだろう。
「…………」
 丸い小さなテーブルの上に置かれたサングラスを見つめ、ジャックは無言のまま突っ立っていた。座れと言われたにも関わらず、動くと撃たれる気がして。
 ラクスはそんな空気を確かに放っていた。
 彼は何も言わなかった。二度言う気はない、ということだろう。ジャックはゆっくりテーブルに近づき、座って葉巻に火をつけるラクスに右腕を差し出した。
 血はもうすっかり乾いて、深い傷を埋めるようにして固まっていた。
「深いな」
 ラクスはそう一言だけ言うと、立ち上がった。
 この部屋の中は古いバーのような作りになっている。ラクスの後ろにはカウンターがあり、その奥には所狭しと様々な酒が並べられていた。無論、バーテンなどは一人も見当たらなかったが。
 黒人の二人はジャックを廃墟のような小さなビルへと連れてきた。二階のこの部屋の前までジャックを案内し、中まで入って来なかったことを見ると、どうやらここは彼のプライベートルームであるようだ。
 ラクスはカウンターの中へ入り、タオルを水で濡らした。
 冷徹な雰囲気を持った彼が、袖をまくっている姿が何とも不釣合いでジャックは好感を覚えた。
「拭け」
「……ありがとう」
 肘をタオルで拭う。固まった血液が溶けてタオルに赤い色が付いた。
「痛いか?」
 ジャックの目線が肘からラクスに移る。
「――あんまり」
「その傷は縫わなきゃならんだろうな」
 ラクスは右腕の傷を見た。ジャックは肩をすくめる。
「そんな金はないよ」
「だったら放っておくか」
 入って左隅にあるさっきのテーブルへラクスは戻った。
「うん」
「坊主が治したいなら金は出してやるぞ」
「え? いいよ」
 ジャックは考える素振りも無く言った。ラクスが眉を顰める。それが何故だ、と理由を求める意味であるとジャックは数秒気付かなかった。
「ああ、だって……ラクス・ダグマーに借りを作るなんて恐いじゃないか」
 ラクスは顔を伏せて苦笑した。
「いいだろう。二つの意味で正しい選択だ」
 左手で顔を覆っているから目は見えなかったが、口元は大きく上がっていた。
「二つの意味?」
 ジャックの怯えはとうに消えていて、彼への興味が大きくなりつつあった。
「一つは、オマエの言うように俺に借りを作るなんて賢い選択じゃあない。俺は貸しを何倍にもして返してもらう」
 頬杖を付きながら彼は左手で“1”と示した。
「二つ目は?」
「治すと言えば俺はオマエを撃った。殺しはしないがな」
 “2”と示した彼の顔は笑みを浮かべているものの、それが本気であることは彼の冷たい目から充分伝わった。
「――何でさ」
 少し怯みながらジャックは問う。ラクスは葉巻を灰皿に置いた。
「てめえの勲章を消すもんじゃねえよ」
 ジャックは腕の傷を見た。
「坊主、オマエがあの女を助けたんだ」
「……でも、俺はあんたたちが来なきゃ死んでた」
 ラクスは立ち上がり、ジャックの前へと歩いた。ジャックは真直ぐラクスを見つめた。
「ああ、だからそれは俺の勲章でもある」
 彼の手がジャックの髪をくしゃくしゃにした。
「俺がオマエを気に入った証でもあるのさ」
 ジャックは至って真面目な顔で言った。
「それは、光栄に思うこと? それとも、恐怖を感じること?」
 ラクスは大声で笑った。
「決まってるだろう。ここに仕事や暗殺目的以外で入ったガキは俺が頭になって二人だけだ」

 _eighth.

 ジャックの目の前にはテキーラの入った小さなグラスが置かれている。
 彼らの座るテーブルから対角線に置かれたジュークボックスから『天国への階段』が繰り返し流れていた。
「レッド・ツェッペリン好きなの?」
「嫌いじゃない」
「ふうん」
 ジャックはまた目線をグラスに戻す。
「飲まないのか」
「あんまり酒は好きじゃないんだ」
 ラクスは口の片方だけを吊り上げて、音が聞こえるくらい葉巻を吸った。
「これもやらないのか」
 ラクスの口からは大量の煙が吐き出された。手に持った葉巻を振る。
「ああ。一度やってはみたけど、どうも俺の体には合わないみたいなんだ」
「いいことだ」
 ラクスはジャックの前にあるグラスを取って一口で飲み干した。
「ダサいって言われるけどね」
「確かにダサいが、みっともなくはない」
 膝の上に落ちた灰を軽く払う。
「ヤク中とアル中になるよりはひどくましだ」
「ねえ、ここに来た俺じゃない奴ってどんな奴?」
 役目を終えた葉巻がジュ、と灰皿の中で音を立てた。
「オマエよりは生意気で、オマエより肝が据わってた」
「レイヴみたいだな」
 思わず考えを口に出してしまったその言葉に、ラクスは微かに興味を示した。
「レイヴってクレイジー・バレッツのか?」
「うん、レイヴァー・ワトソンだよ」
「奴がもう一人のここに来たガキだ」
 ジャックはレイヴァーの腹の弾痕を思い出した。
「そういえば、レイヴはあんたと会ったって言ってた。撃たれたって」
 ラクスは笑いながら自分のグラスにテキーラを注いだ。
「ああ、そうだった。奴と初めて会った時もオマエのようなパターンだった」

     ◆

 レイヴァー・ワトソンが二十歳の頃だった。その日はライブが乱闘もなく、珍しく成功を収めた日だった。
 今まで十程のバンドを組んでは解散してきた彼が、やっと音楽をやっていく自信がついた日でもあった。まだクレイジー・バレッツではなかったが。
 「ただ、その場所は俺がまだ視察していない場所だった」とラクスは葉巻に火をつける。
 メンバーとは馴れ合いの関係を望まない彼は、常に帰りは一人だった。綺麗な真紅のギターを背負っている姿はブロンドの髪とやたらマッチして、女や客の目線が彼を追った。レイヴァーはシガーとライブの余韻を堪能しながら、そのライブハウスの裏路地を通って帰ろうとしていた。
「よう、イカレたヴォーカリストちゃん」
 狭い路地に体格のいい男が一人、その筋肉で道を塞ぐようにして立っていた。
「…………」
 明らかに好意的ではないことが分かった。しかし、引くなんて行動が一番みっともないものだと思っていたまだ若い彼は、無言でその男に睨みを返した。
「恐いねえ。全く誰にそんな態度してるか分かってんのかあ?」
 口をすぼめ、語尾をやたらと延ばす話し方が癇に障る。
「俺は今日すげえ気分がいいんだ。邪魔しないでくれるか」
 左手で“どけ”と合図する。男は露骨に苛立ちを表した。
「てめえみてえなガキが俺に指図するとは良い度胸じゃねえか。ちょっと調子に乗ってやがるようだから痛めつけてやろうと思ったが、変更だ」
 男はそう言って、ズボンの左ポケットからサバイバルナイフを出した。ナイフを右手に持ち替えて、レイヴァーに切っ先を向ける。
「――殺してやるぜ」
 レイヴァーに怯えた様子は全くなかった。むしろ、呆れたかのように溜め息を一つついただけだった。そして二言、三言呟く。その呟きは男に聞こえるように放たれたものだったが。
「うぜえな」
「もてねえ男だ」
 レイヴァーの挑発を聞いて男はじわじわと紅潮する。「チンカス野郎」の一言に男の足が地面を蹴った。叫びながら右手を突き出してレイヴァーの胸を狙う。
「こっちにはラクス・ダグマーがついてんだよ! 糞餓鬼があっ」
 成る程下っ端か、とレイヴァーはシガーを口から抜いて煙を吐いた。
 男との距離が縮まる。レイヴァーは逃げる素振りも見せなかった。
 一直線に突進してくる男の突き出した手をレイヴァーは思い切り蹴り上げた。男の手からナイフが抜け飛ぶ。そのまま、レイヴァーは男の懐に潜り込み、腹に右ストレートを喰らわせた。
「ぐぅっ……」
 男はうめき声を漏らす。レイヴァーは離れようと身を引いたが、右手を男に捕まれてそれは出来なかった。筋肉隆々なだけあって、レイヴァーが敵いそうにもない力だ。一瞬怯んだレイヴァーの隙をついて、男はギターと彼の背中を押して、路地の壁に思い切り叩きつけた。胸と顎に激痛が走る。
 レイヴァーはずるりと地面に膝をついた。狭い路地だっただけに、衝撃の全てが直撃したようだ。
「くそ野郎……」
 四つん這いで咳き込みながら悪態をつく。
「へへへ、ここは、俺のシマなんだよ、調子に乗るんじゃねえ」
 そう言って、男は拳銃を取り出した。
「調子に乗ってんのは、てめえだろうがっ……」
 痛みに耐え、男を振り返ってレイヴァーは言う。口の中に鉄の味が広がる。レイヴァーは唾とそれを一緒に吐いた。
 カチャ、と男の親指が冷たい音を響かせた。

「ダズ、何してる」

 冷ややかな声と共に、葉巻の苦い香りが一瞬にしてその場を包んだ。
「――ダ、ダグマーさん……」
 男の顔には脅威が見てとれた。レイヴァーは口元を袖で拭いながら現れた男を見ていた。スーツ姿でサングラスをかけた存在感のある男、ラクス・ダグマーを。
「答えないのか?」
 至って淡々と言葉を放つラクスは葉巻を捨て、男の傍に近寄った。男は小さく後ずさる。
「いや……このガキが、口の聞き方を知らねえもんで――ちょっとばかし、解らせてやろうかと思いまして」
 笑顔が引きつっている。額からも、脇からも、背中からも汗が大量に噴出していた。レイヴァーにも痛みの中でその緊張感は伝わってきた。
「それで、これか」
 ラクスは男の拳銃に触れた。過敏にその手がびくっと反応する。
「手……出すんじゃねえよ……」
 レイヴァーは軋む体を無理矢理動かし、立ち上がった。
「……確かに、身の程を知らないようだ」
 ラクスのサングラスにレイヴァーの姿が映る。レイヴァーの瞳にもラクスが映っていた。
 手をゆっくりとスーツの内側へと移動させ、現れた拳銃がレイヴァーにその銃口を向ける。
 サングラスをかけていても解る無表情な顔にレイヴァーは覚悟を決めた。生々しい光を放つ銃口を一瞥し、青年は目を閉じた。
「――こんな死に方もロックにゃお似合いだ」
 ラクスの指が引き金にかかった。
          
 _nineth.

 どん、と腹の左側に衝撃を受けた。
「が……っ」
 思わず開いた目で、腹部を見やる。血が大量に溢れ出していた。左手で傷を撫でると、赤黒い液体がその手をべっとりと濡らした。
 それを確認した瞬間、口の中の鉄の味が濃くなり、脂汗が彼を湿らせた。
 一先ず口の中に溜まった血液を吐き出すが、すぐにまた湧き上がってくるのがわかる。痛みよりも、クラクラする感覚にレイヴァーは襲われていた。
「……死にはしない」
 冷ややかな声色でラクスは拳銃の弾を補充した。
「へ、へへ」
 ダズと呼ばれた男は恐怖に怯えた瞳で脅威の対象をちらりと見て、レイヴァーに向かって間抜けな笑い声を発した。
「身の程を知らないガキにはこれくらいの仕置きで充分だ。世間から消すには早い」
 ラクスはそう言いながらダズへと向き直った。
 ダズは少し強気な面持ちで「ざまあねえ」と吐き捨てた。目線はレイヴァーだったからラクスが距離を詰めたことに気付かなかった。
「……しかし」
 ラクスの声とほぼ同時に、一発の銃声が響いた。
「――――」
「貴様のようなクズは消えろ」
 眼球が裏返ったダズにラクスは呟いた。銃口がくっ付けられたダズの左胸からは、硝煙が立ち昇る。ラクスはその銃先を軽く押した。
 ゆっくりと屍が仰け反って倒れて行くのを、彼は銃を胸元へしまいながらただ見つめていた。
「痛いか?」
 一瞥もくれず、ラクスは聞いた。
「――いいや……アドレナリン、のお陰だ」
 レイヴァーは息を荒げながら、乾いた笑いを浮かべる。その表情は苦悶というより、恍惚に近かった。呼吸に合わせたポンプのように、血液が静かに左脇腹と地面を赤く染めていく。その度、彼の顔からは血の気が失せた。
「危険だな」
 ラクスの声は感情を含まなかったが、レイヴァーに近寄ると少し荒っぽく体を引っ張り起こして、彼の右腕を自身の首に回した。
「殺さ、ねえのか……」
 朦朧とした意識でレイヴァーはラクスの悪評を思い出していた。
「誰が殺すと言った」
「…………」
「その腹を見る度、逆らっちゃいけないものがあるのを思い出して生きればいい」
 ラクスの細く見える体の何処に、いくら自分より少々背が低くあっても筋肉質な男を支える力があるのか、とレイヴァーは思った。
「みっとも、ねえ……」
「あのままクズに殺されるのはみっともなくないのか」
 レイヴァーは地面に滴り落ちた自分の血痕を見つめた。
「それはみっともないオマエが死んだ証だ」
 傷口を押さえた左手がぬるぬるして、やけに熱かった。今まで喧嘩も幾度かしてきたが、こんなに生々しく“死”を身近に感じたのは初めてだった。
「……あんた、意外と――良い奴、なんだな」
 靄がかかった思考でふと思ったことを口にする。ラクスの口元が少し笑みを示した。
「いや、悪い奴だろう」
 サングラスの端から、レイヴァーを見るグレーに近いブルーの瞳が覗いた。
「ガキを撃つなんざ、悪い奴のすることだ」
「――確かに、善人とまでは、いかねえな」

     ◆

 五杯目のテキーラを飲みながら「死に掛けてるってのに、口の減らないおかしな奴だった」とラクスは小さく笑った。今の彼の雰囲気には一種の穏やかさが宿っている。歳月が少し彼を丸くしたのだろう。
「生意気だったのはよく伝わったけど、肝が据わってたってのがイマイチ解らなかったんだけど」
 ジャックはテキーラの代わりに出されたオレンジジュースを一口飲む。背の高い少年と呼べる彼であったが、これを飲んでいると子供に戻ったような気持ちになった。
「奴は命乞いもせず、覚悟を決めた目をしたからな」
 ふと、彼の目が昔を思い出す瞳になる。それは葉巻の煙が彼の顔を隠した次には戻っていたが。
「俺もレイヴもアンタに助けられたってわけか」
「たまたま俺の嫌いな奴がそこ居たから撃っただけだ」
「善人とまではいかないね」
 ジャックは笑ってラクスを見た。ラクスの左口角が上がった。
「善人は赤ん坊だけで充分だ」
 葉巻を吸う彼の姿がやけにかっこよくて、本当は葉巻もシガーも吸った事がないジャックは葉巻を吸ってみようかと思った。きっと吸えないだろうけれど。


 _tenth.

 レイヴァーの生活ぶりやギターを教えてもらっていること、ネイプスと呼ばれていることなどを話して、ジャックが部屋を出る直前にラクスは言った。
「“もう一人のジャカネイプス”によろしく」
「レイヴは俺よりジャカネイプスだろ?」
 ジャックはにやりと歯を見せてノブを回した。機械仕掛けの男と呼ばれるラクス・ダグマーが唯一人間になれる場所なのだろうか、なんて考えながら。

「お、キャット。出てきたぜ」
 スキンヘッドの男がジャックの姿を確認して言った。見事に光るその頭を撫でるのは癖らしい。
「長かったじゃないか」
 キャットと呼ばれたのはタトゥーの男。彼はスキンヘッドの男より僅かに大きく、ヘアースタイルはきっちりとした短いドレッド。連れて来られた時に感じた威圧感はなく、少し丁寧な優しい男といった感じが強くなっていた。
 ただ、体は二人とも巨体で、そういった意味の威圧感はあるが。
「……何?」
 不安げにジャックは二人を見た。
「ああ、送って行ってやろうと思ってな」
 キャットは穏やかに言う。ジャックは近づくことも後ずさることもせずにただ聞いた。
「あんたたちは、そう言って俺を填(は)める気じゃないよね」
 二人の男は互いの目を合わせた。
「ぶわははは」
 豪快に笑う二人を見て、ジャックは馬鹿な質問をしたと少し後悔した。
「このガキャ、おもしれーじゃねえか。ん、警戒心はいいことだぜ」
「確かにそうだな」
「ごめん」
 謝るジャックにキャットは近づいた。目の前に立つと、その身長は2メーターを越えるように感じる。
「謝る勇気のある奴は好きだ。それに、ボスが認めた奴にどうこうする気はないよ」
 彼はその大きな手でジャックの肩をポンと叩いた。
「――認めた?」
 ジャックは手からキャットの顔へと目線を移す。
「あの部屋に入ったろ?」
 代わりにキャットの背後から声が聞こえた。
「え、うん」
「認められてるってことなのさ」
 彼が頭を撫でる度、その腕に着いたアクセサリーが金属音を鳴らした。
「イコール、俺とコイツも認めてるってことなんだぜえ」
 そう言いながら頭の上で作られたピースサインを、キャットは「邪魔だ」と言ったふうに払った。
「ま、ドッグの運転で死なないことだけ祈っておくといい」
「……犬と猫?」
 目を点にしてジャックは背を向けて出口に歩き出す二人に呟いた。
「ああ、ボスだけの犬と猫ってこった」
 ドッグは振り返って綺麗な二重の目を細めた。
「――ふうん」
 ジャックは二人の後を追いかけた。

 小さな車の中はとにかくちらかっていた。
 連れて来られた時のものとは大きさも、綺麗さも百八十度違う。話から察するに、この車はドッグのものであるらしかった。
「この土地で車に乗ってる奴なんてごく僅かだ。俺たちみたいなのが車に乗れるのはボスのお陰なんだよ」
 巨体が二つも乗っているせいで余計狭く見える車内。だが、彼らはとても嬉しそうな顔で話していた。
「感謝してもしきれねえよ、なあ、キャット。俺たちゃ黒人ってだけで損してきた」
 荒っぽくハンドルを操作しながらドッグは軽快に喋る。道の凸凹に合わせて車体が激しく上下した。
「お前は黙って運転してろ。本当に殺されかねない」
 ジョークだか、本気だか判らない面持ちで、キャットは助手席からドッグを制止した。「へえへえ」と彼は適当な返事を返す。運転の荒さに全く変化はないが。
「しかし、あの方には感謝している。生きる意味を与えてくれ、本来なら入ることも出来ないマフィアの幹部クラスにまでしてくれた」
 ジャックは相変わらず揺れる上下の振動を少し楽しみながら、黙って二人の話を聞いていた。
「初め合った時はもう殺されるって思ったぜ。背は充分に俺の方が大きかったし、キャットと比べりゃ体格も比にならねえ」
 キャットの制止を無視して話すドッグを、慣れたもの、といった風に彼は見つめていた。
「だがなあ、オーラはそんな俺たち二人よりも何十倍も、何百倍もデカかった。ソの気はねえが、一瞬にしてあの方の虜になっちまったんだよ」
「同感だ」
 二人の顔は後部座席のジャックからは見えなかった。だが、声色が過去を思い出し陶酔感に浸るものになっていたのが解った。ガクガクする揺れにも慣れた彼はやっと口を開いた。
「死ぬならラクス・ダグマーを守って死にたい?」
 唐突な質問に二人は驚いたように目を合わせた。それは一瞬だけで、すぐににやりと笑みを浮かべる。
「いいや、俺たちはあの時から決めてる」
「死ぬなら、あの方の手で死にてえ」
 ジャックは予想外の答えに少し戸惑った。
「……でも、ラクス・ダグマーはあんたたちを殺さないと思うけど」
「わかってら。“もし死ぬなら”だよ。だから、俺たちは死なねえようにするのさ。俺たちの幕はあの方にしか下ろさせねえ」
 この自信はどこからくるのだろう。いつ何処で誰にやられるかなんて判らないのに、ジャックはそんなことを口にしようとしたが、二人の様子を見て止めた。
 現実的かそうでないかは、彼らにとってどうでも良いことなんだと感じたから。“もし死ぬなら”、彼らはラクスの手で死にたいと純粋に思っているのだ。
「ドッグ、運転に集中しろよ」
 ジャックは現実的に「とりあえずここで死ぬのだけは嫌だね」と呟いた。

 _eleventh.

 ベッドで一つ、寝返りをうってジャックは目を開けた。
 誰もいない部屋には、昼をさした掛け時計、赤いギターとその弦に挟まった紙切れがあった。『練習しておけ』と汚い字で綴られている。
「……帰ってくるのかな」
 ジャックは何となくそう感じた。レイヴァーはふと消えてしまいそうな、そんな印象が付き纏っていたから。
「まあ、いいか」
 ジャックは紙切れをテーブルに放り投げ、ギターを手に取った。
 上から下へピックで弦を撫でる。マイナーコード。ジャックはこの切ない音色が何とも言えず好きだった。
 伊達にレイヴァーから教えを受けた訳じゃない。ある程度のコードは覚えたし、早弾きも自分で創作して弾けるまでになった。いつしかジャックはステージでこのギターをアンプにつなげて好きなだけ掻き鳴らせたらどんなにいいだろう、と思い描くようになっていた。
 今日の気分はメジャーだな、そう思うと、メジャー進行でソロを創作した。
 レイヴァーに会った。一、二弦間の低音部で激しく指を動かす。
 このギターと会った。六弦に飛んでスケール。
 ラクス・ダグマーに会った。少しテンポを抑えてブルース調に入る。
 そして――。
「……帰ったならそう言ってよ」
 ドアを見ずにそう呟いた。
「上手くなったじゃねえか。最後のとこなんかなかなか誉めてやれるぞ」
 ジャックは、彼が帰ってきたことに少し安堵している自分を開放音を一つ鳴らして打ち消した。くるりとドアの方を振り返って口を開く。
「どこ行ってたの?」
「お前は俺の母ちゃんか?」
「じゃあ別にいいよ」
 ギターに向き直り、またレイヴァーに背を向けた。レイヴァーの口にはいつものようにシガーが咥えられていた。
「ネイプス、箱でやりたくないか?」
「え? 箱って……ライブハウス?」
 そう言いながらまたレイヴァーを見て聞き返すジャックに、彼は“当たり前だろ”と言ったふうにしたり顔をした。
「話をつけてきた」
「つ、つけてきたって! 俺、まだ技術もないし……他のメンバーだってどうするのさ!?」
 ジャックは思わずギターのネックを持って立ち上がった。慌てているのが顔によく現れている。
「それも集まってるさ。俺の昔なじみだ。今回ばかりは俺もサポートしてやるよ」
 煙が立ち昇って広がる。
「今日、顔合わせだ」
 本当に何て勝手気ままな男だろう。きっと自分は今、凄く呆れた顔をしているに違いない、ジャックはそう思った。
「……ネイプス、お前は俺が思ってた以上に度胸があるみてえだな」
「は?」
 言葉の意味が判らなかった。こんなに慌てふためいていると言うのに。
「笑ってやがる」
 丁度右の壁にかかったヒビの入った鏡を見た。そこには、奮い立った笑みを浮かべる自分の顔があった。
「体は正直とはよく言ったもんだ」

     ◆

 ジャックはラクスに会ったことをレイヴァーにまだ言えずにいた。それはただタイミングを逃しただけであって、意図的ではないのだけど。
 初対面のメンバーに会いに行く途中、ジャックは切り出した。
「――ラクス・ダグマーがよろしく、だって」
 レイヴァーの顔が明らかな驚きを示した。
「ダグマーのおやじに会ったのか」
 ジャックに話す、と言うよりは独り言に近いニュアンスで彼は言った。ジャックは右腕の袖を捲って傷を見せた。
「助けられた」
「へえ。よく殺されなかったな」
 ジャックはちらりと隣のレイヴァーを一瞥する。
「殺すような人じゃないの知ってるくせに。ちなみにこれはラクス・ダグマーにやられたんじゃないからね」
「何か吹き込まれたな」
「事実しか聞いてないよ」
 そして彼は横を見てにっと笑った。
「レイヴァ−が俺なんかよりひどいジャカネイプスだったって事実」
「……あの野郎」
 初めて完全勝利を得たようで、ジャックは嬉しくなった。

 _twelveth.

 連れて来られたのは、ジャックの家から歩いて十分程の酒場。中へ入ると、レイヴァーは迷いもなく一つのテーブルへと向かった。
 その席には、二十代らしい男と女が座っていた。ひどく美人なその女に、ジャックの目線は釘付けになった。よくよく見てみると、周りの男共もちらちらと彼女を気にしている。
 肌は白く、線は細くそれでいてスタイルはいい。ヘソには銀のピアスが光った。髪は目が眩むような金の長髪で、そのスタイルに赤い唇が映えている。何と言っても惹きつけるのは彼女の瞳で、長い睫毛を生やした大きなブルーの瞳は魅力以外の何者でもなかった。だが、遠巻きに見られているだけなのは通った鼻筋と共に、無表情のその瞳が放つ冷たさのせいだろう。正直、ジャックの彼女に対する印象は『恐そう』が半分以上を占めていた。
 隣に座る男は、何とも中性的な顔立ちだった。肩幅と咽仏を確認してやっと男だと思った程に。ブラウンの髪が中性らしさを際立たせる。にこにこした表情をしていて、ジャックはこの人は牧師か何かじゃないのかと思った。
「待たせたな」
「僕もさっき来たから構わないよ」
 中性的な彼は優しげな声色で話した。ジャックと目が合うとにこりとした彼に、ジャックはどう返せばいいか判らずにひきつった笑顔を返した。
「……レイヴ、あんたが連れて来るって言ったのはこんなガキ?」
 挨拶もないままに女は仏頂面で吐き捨てるように言った。ジャックはカチンときたが、レイヴァーの様子を見ようと思った。だが、彼の心とは裏腹にレイヴァーの顔はにやついていた。
「へえ、よかったな、ネイプス」
「――何がだよ」
 ジャックは顔をしかめた。
「マルクは人の好き嫌いなんてハナからねえが、シェリーが帰らずにこんな悪態を吐くのは一先ず気に入ったってことだ」
「……訳が判らないんだけど」
「シェリーは捻くれ者なんだよ」
 笑顔で言うマルクをシェリーはぎろりと睨んだ。そして、その様子をジャックが見ているのに気付くと「見てんじゃないわよ、クソガキ」と口を歪めた。
 ジャックは小さく溜め息をついてシェリーを見据え、言った。
「アンタはやっぱり美人だね」
 シェリーは『何が』と言った様子でジャックを見返した。

「性格が悪い」

 この一言にレイヴァーとマルクは、周りが振り返る程大声で笑った。
「……あたしにそんな口を聞いたことをよく覚えておくんだね。チェリーボーイ」
 シェリーは半ば楽しんでいるように見えた。声色からすると勘違いかもしれないが。
「あいにく、チェリーじゃないんでね」
「あんたみたいなチキンと交尾する奴がいたんだ」
「……ねえ、いつもこの人こんな口悪い訳?」
 疲れたようにジャックはレイヴァーに尋ねた。何だかレイヴァーの顔は、またにやついていた。楽しくて仕方ない、と言ったふうに。
「あ? ああ、口を開きゃヘドロの垂れ流しみてえな奴だ」
「垂れ流しは酷いよ、吹き溜まりくらいじゃない?」
「ちょっと、調子に乗ってんじゃないわよ」
 シェリーはウエイターの運んできた水を指につけて、肩を小刻みに震わせるレイヴァーとマルクに飛ばした。
「――しかし、こいつのベースはサイコーだ」
 そう言えば彼女の座る後ろの壁に持たせ掛けているのはギターケースだ。誉められたことにけなしもせず、にっと笑ってみせるのは自信の表れだろう。
「マルク、さんは?」
 何だか、こういうタイプには気を使ってしまう。
「マルクで構わないよ。僕はドラマーなんだ」
「こいつらとはクレイジー・バレッツの前身の時につるんでた。結構認められて良かったんだが……ありゃあ、ボーカルが悪かったな」
 彼の言葉で思い出したように二人は含み笑いを浮かべた。
「レイヴがボーカルだったんじゃないの?」
「いや、それまではギター一本だった。だけどな、あのボーカルよりは俺の方が大分ましだったと気付いちまったんだ」
「酷かった」
 くすくすと笑うシェリーは少し可愛かった。また、見られているのに気付くと「あんたも下手そう」と悪態を吐いたが。
「あれは流石に駄目だったね。まあ、あの時の僕らもとやかく言える程じゃなかったよ」
 この三人の生き生きとした表情で、凄く音楽が好きなんだとジャックは痛感した。それと同時に湧き上がった疑問を彼は胸に秘めることが出来なかった。
「……でも、あんたたち何だってこんなとこでくすぶってんだよ?」
 一瞬止まった空気に、触れてはいけないことに触れてしまったと気付いた。だが、時既に遅し。
「くすぶりたくてくすぶってる馬鹿がいると思う?」
 シェリーの今までにない真剣な顔つきから放たれた言葉に、ジャックはただただ納得するしかなかった。
「必ずしも好きだから、上手いからやってゆけるって世界じゃないからね」
 マルクは水を一口飲んだ。
「こんな不味い水だって金をつけられて胃袋に入る。僕らはこの水より運が悪いんだ」
「全く、運が悪い」
 言葉を反復したレイヴァーの顔には、何かを、自分を卑下するような色が浮かんでいる。シェリーはわざとらしく大きな溜め息を吐いてテーブルを指で叩いた。
「ねえ、やめよう。あたしらがこの話で行き着く先はいつも同じなんだから」
「――ああ。俺は勘定してくるよ」
 レイヴァーはいつもの顔でそう言って立ち上がり、三人に背を向けた。
「行き着く先って?」
 きっとレイヴァーがいたら聞けなかっただろう。彼と距離が開いてから少し小声でジャックは尋ねた。二人の双眸が伏せられる。口を開いたのはシェリーだった。
「レイヴァー・ワトソンが愛した女よ」
「――シェリー」
 マルクが“それ以上は言うな”と言ったふうに彼女の名を呼んだ。
「ジャック、好奇心は時に悲しみも抉る。僕らは悲しみだけだけど、レイヴは苦しみも抱えてるんだ」
 それが『もう聞かないでくれ』という代名詞であるのに気付いた。
「ごめん」
「謝ることじゃないよ」
 マルクは温かい笑顔をジャックに見せた。本当に牧師じゃないかとジャックは思った。
「ほんと、ただあたしたちが引きずってるだけだから」
 シェリーは水を口に運ぶと「不味い」と呟いた。グラスをテーブルに静かに置いて、彼女は目の前のジャックに悲しげな顔で聞いた。
「弱いと思う?」
「……わかんないよ」
 唇を噛んで彼は間を置くと言葉を続けた。
「たださ、あんたたちは引きずって“いたい”んじゃないの」
 目前の二人が疑問の表情を浮かべる。
「だから、その女の人を過去にしたくないんじゃないのってこと」
 シェリーがにっと笑った。
「そうね。きっとそう。前に進みたくないの。彼女が居るのが当たり前だったもの。居ないなんてクソみたいな悪夢よ」
 彼女はジャックから目を逸らして左親指の爪を甘噛みした。目が潤んだように見える。
「あの子が居ない訳ない。今だって何処かに行っているだけなんだから」
 マルクは自分に言い聞かせるシェリーを哀しそうに一瞥して、立ち上がった。
「シェリー、僕らには変わらず音楽があるだろう? 彼に僕たちのやってきたことを見てもらおう」
 彼はジャックに微笑んだ。その顔は聖母の絵を思い出させた。シェリーは一度俯くと、唇の片方を吊り上げて頷いた。
 遠くのレジに目をやると、支払いを終えたレイヴァーが壁にもたれていつものようにシガーを咥えていた。
「人間って、かなしい」
 ジャックは立ち上がった二人の背中を見て、誰にともなく呟いた。


 _thirteenth.

 マルクのデニスチェンバースモデルのスティックがカウントをとる。瞬間、空気が震えた。古いこのスタジオの壁は実際に僅かに揺れている。
 まずはドラムの一人舞台のようだ。バスドラの低音がずれもなくエイトビートを刻んで、左手で小刻みに叩くハイハットシンバルは心地よいリズムを刻む。右手はそれこそ無茶苦茶じゃないのかと思う程にあちこち動き回っていた。スティックの揺れが見えにくいほどに。だが、それは調和を一切乱すことはなかった。
 右のスティックをくるくると回して一転――激しく揺れた空間がハイハットとバスドラ、スネアの静かな空間に変わった。
「見てな」
 シェリーがにやりと笑い、ネックを握る右手に力が込められる。左利き用に作りかえられたベースの黒いボディには、レッドとピンクを混ぜたような派手な色で“SHERRY”とラッカーで書かれていた。
 弦をスライドさせた音から始まった彼女の演奏は、とにかく『暴れ』ていた。ベースにも関わらずギターのような早引きをし、時にベースらしい重低音を上手くミックスさせることで技を魅せた。
 『暴れ』ているからと言って不快に思う代物ではなかった。むしろ、彼女のベースとドラムで一つといった印象を与える。
 マルクのドラムがシェリーのベースに合わせているのか、ドラムの一定さの中でベースが暴れているように見せているのかはわからないが。
 二人の息が合うのが見える。
 二人の手が同じ速度になる。
 二人の眼が一瞬合ったその時、マルクの手はシンバルを叩いていた。
 シンバルの余韻とベース四弦の余韻がその空間に響いていた。

「……これがこいつらだ」
 レイヴァーは一息ついて、煙と声を洩らす。
「――――」
 ジャックは言葉を失っていた。その意味は感動だとか、尊敬だとかそれもあったが、むしろ恐怖に近かった。
 手は汗ばんでいるし、動悸は激しかった。

 ――この中にレイヴァーのギターが入る。

「恐くなったかい? ボーイ」
 にやりとするシェリーをジャックは軽く睨んだ。
「全然。屁でもないね」
 彼女にだけは弱味を見せる訳にはいかないと思ったジャックはとっさにそう言っていた。本当は飲み込まれそうだったけど。
「ははっ、僕らもまだまだだね」
 マルクはスティックをくるくるまわしながら笑った。
「はったりでもかませるだけ充分だ」
 レイヴァーはちらりとジャックを見て口の端を上げる。
「俺は、歌えばいいの?」
 はったりってばれてた訳ね、とジャックは口を尖らせた。
「まだ俺みたいなギターは弾けねえだろ?」
 レイヴァーは終始楽しいといった風な口ぶりだった。

     ◆

 ジャックはマイクを握った。その手が何度も汗でびっしょりと濡れる度、何度もマイクを持ち替えて汗を拭う。
「ちょっと」
 右後ろからシェリーの声がする。少し振り返って彼女を見る。
「……何」
「そんなびびってちゃああたしのベースも萎えちまう」
 また悪態か、と憎まれ口を返そうとしたジャックに彼女はいたって真面目な顔で言った。
「あんたは自分の好きなように歌えばいいんだよ」
 拍子抜けした彼に、マルクが優しい声で言う。
「僕らは君の為にやるんだから」
「俺の、為――」
「君が歌いたいように歌えるステージを僕らが組み立てる。だから、思いっ切りやってくれればいい」
 スティックをジャックへ軽く向けてマルクは軽く頷いて続けた。
「もしステージから落ちそうになっても必ず落とさせやしないから」
「……わかった」
 ジャックの顔つきが少しきりっとしたものに変わった。
 それを見たレイヴァーはシガーをフィルターぎりぎりまで吸い終えて、スタジオの灰皿へ投げ入れた。
「落ちることなんてねえよな? ネイプス?」
「――あんたがなんでこんなに自信家なのかが解ったよ」
 仲間への絶大な信頼がそこにはあった。

「ほら、オマエのお手並み拝見と行こうか」

 曲はとりあえずローリングストーンズのジャンピンジャックフラッシュだ、とレイヴァーは言った。

 _fourteenth.

「もっと自信持て」
 演奏が終わった時にジャックのうなだれた肩に手をおいて、レイヴァーは言った。
「前のボーカルよりひどい」
 俯いて垂れたジャックの前髪を指で弾いて、シェリーは言った。
「まあ、まだステージじゃないからね」
 力の抜けた背中を軽く叩いて、マルクは言った。

『そいつは冗談、冗談、冗談』

 歌詞を思い出して、ほんとに冗談ならいいのに、とジャックはびびってか細い声しか出なかった自分にあきれ返った。
「ジャンピンジャックフラッシュ、オマエの名前が入ってんだぜ」
 レイヴァーは小動物のように縮こまったジャックに言った。
「ジャンピンジャックフラッシュ(稲妻野郎)にならなきゃ」
 マルクは相変わらずのハンサムな笑顔でジャックの頭を撫でる。
「……ほんと、ごめん」
 ジャックの一言にシェリーが立ち上がった。
「いてえっ」
 向こう脛をブーツのつま先で蹴られてジャックは呻く。結構勢いがついていたようだ。
「ヘコヘコ謝ってんじゃないよ。謝るのは本当に悪いことをした時だけにしな」
 唇を大きく歪ませたシェリーは今にもジャックに唾を吐きかける勢いだ。
 それを見ていたマルクはレイヴァーをちらりと見やると笑った。
「何よ」
「いや、本当に気に入ったみたいで良かったなあって」
「クソ野郎」
「まあとにかく。――ジャック、情けないと思うかい」
 シェリーの悪態をさらりと交わして、マルクは真直ぐジャックを見た。ジャックは曖昧にマルクを見る。
「……うん」
「そうかい。確かに情けないね」
 牧師のようなマルクの口から出た言葉に少しジャックは驚いた。そして同時にショックが大きいことを感じた。
「……うん」
 二度目の相槌にマルクは微笑む。
「でも僕らだって初めは酷かったんだから」
「あたしは初めからサイコーだったけどね」
「よく言うぜ。グダグダなリズム刻んでただろうが」
 さりげなく口を挟んだレイヴァーをシェリーがきっと睨んだ。
「弱味を僕らには見せても構わない。ただ、弱いだけじゃ僕らもお手上げだってこと」
 ジャックは初めて正面から彼の目を見た。綺麗なブルーをしていた。
「僕は君が嫌いじゃない。いつか本気で僕らなんか屁でもない、って思ってくれよ。はったりなんかじゃなく」
 その目にはいたずらな光が宿っていて、やっぱりマルクもこの二人の仲間なんだとジャックは思った。
「――きっと、俺にはオリジナルのほうが向いてる」
 ジャックのいたずらな笑みに三人は笑った。

     ◆

 てめえのケツはてめえで拭けよ。
 拭くティッシュくらいは渡してやる。
 俺に出来るのはそれだけ。俺に出来るのはそこまで。
 もし、それが出来ねえって言うんなら、もうその腕を切っちまいな。
 切る手伝いならいくらでもしてやるよ。
 俺に出来るのはそれだけ。俺に出来るのはそこまで。

     ◆

 レイヴァーが見せた紙切れにはそんな歌詞が書かれていた。
 彼らしい。ジャックは笑みを浮かべた。
「これは俺たちが昔やってた曲だ」
「なつかしいね」
 シェリーは想い出に浸るような眼でそのボロボロの紙切れを見つめた。
「一回しか歌わねえからちゃんと覚えろよ」
「……記憶力だけはいい方だと思うよ」
 レイヴァーの骨ばった手から紙切れを受け取ってジャックは彼を見上げる。大きかった。紙を手渡すと、レイヴァーは背を向け、マイクスタンドの調節に向かった。
「僕らが覚えてるかの方が心配だ」
 マルクは笑いながらドラムのほうへと歩く
「――ねえ、何で彼はあんたたちとつるんでるの?」
 小声でジャックはシェリーに尋ねた。
「あんた、あいつがまともだなんて思っちゃいないでしょうね」
 器用に右眉だけを上げる。
「え?」
「何でここに住んでる割に、あいつの身なりがいいと思う?」
「……さあ」
 シェリーの細い人差し指がジャックの頬をついた。
「女どもがあいつに貢いでるのさ」
 ジャックは面食らった顔でマルクを見た。話の内容を理解しない彼は穏やかな笑顔をジャックに返す。
「――なるほど」
「あの笑顔がタチ悪いんだ。やっかいな野郎だよ」
 シェリーの笑顔には半ば楽しんでいるような色が見えた。
「タチの悪いのはあんたたち三人ともいい勝負だと思うけど」
 ジャックはその言葉は飲み込むことにした。

                >>>                     

2005/04/24(Sun)00:14:12 公開 / 昼夜
■この作品の著作権は昼夜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 どうも、やっと更新昼夜です。

ゅぇ様--NEのノリ同調誠に有難う御座います(ペコペコ 結構左利きって不具合が多そうですが右利きの私は左利きの人を見ると「あっ」て反応してしまいます。チキンジョージ(笑 期待を持たせてストンズ描写がなくって御免なさいね(笑

バニラダヌキ様--うふふ、想像できなくてせいかーい、みたいな展開になってます。そう簡単には成功させないぜ!みたいな。(ぇ

影舞踊様--ほんと、震えるまでは行かなくてもかなりノリ切れない様子だったようです。だめだめ〜(笑 あんまり音楽描写のストックがないんですよねえ。困った困った。ライブはいつになるんだかなあ(マテ

甘木様--ほう、そんなバンドがあるとは。チェックしてみようかな。ぐいぐい引っ張って落としてみました。あはは。申し訳ない。まあここからジャック君の健闘ですよ!きっとね!お、レゲエいいっすね。シェリーに燃えるとか言うと彼女は本当に火をつけかねませんが(人体に 曲目は迷ったんですが、やっぱり名前ネタで……(笑

神夜様--見逃さず見て頂いて有難う御座います。うっふふ。突っ走らなくてすいません。いやいや、持続はしているのですけどね。音楽が毎回毎回続くと語彙が無くなる(ぶっちゃけるな そして、神夜様は熱いハートの持ち主だと勝手に信じてやまない昼夜です。

夜行地球様--シェリーカコイイ。いじめカコワルイ。何のスローガンだ。ここでマルクのキャラが濃くなってればいいな、って只のタラシやんけ。ってツッコミは置いといて。でもちょっと色はつきましたかね。

 ちゃんとジャンピングジャックフラッシュ聞きました(笑
 やっぱりマルクまともじゃなかったー!
 ああ、ほんとにあんまり更新遅いと皆様に忘れられんじゃないか。まあ細々とやりますが(笑

 それでは、ゅぇ様、バニラダヌキ様、影舞踊様、甘木様、神夜様、夜行地球様、有難う御座いました。
 批評・感想お待ちしております。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。