『あの頃の缶コーヒー』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:由貴皐月                

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 あの頃、下らない悩みが多かった。例えば、今回のテストで赤点があったとか。最近、友達の短所ばかりに目がいってしまうとか。今考えれば、どれも大した事のない他愛ない悩みばかり。それでもその頃の俺は、そんなバカみたいな事を真剣に悩んで、そして誰かにも同じ様に悩んで欲しかった。例え上辺だけでも、適当な相槌だけでも。
 あいつは、いつもの無表情で、何にも興味を持てませんって顔で隣に居て。俺がちゃんと聞いてたのかと怒ると、小さく溜息を吐いてポンポンと俺の頭を叩く。そこで俺はいつもみたいに、子供扱いすんなって又怒って。そんな俺を宥めるみたいに、あいつは自販機で110円の缶コーヒーを買ってくる。仕方ないなって許してやって、缶コーヒーを飲む。そして、あいつはあいつなりの言葉をくれる。その頃には、いつのまにか、一時悩んでる事を忘れていて。きっとこの缶コーヒーには、よく分からないけど、そういう成分が入ってるに違いないと。あいつの言葉は、きっと何か不思議な力があるのだろうと。本気で勘ぐっていた。


「成沢、何ぼーっとしてんだ。もっと飲めば?」
 意識がどこかにトリップしていた。どこかっていうか…まぁ中学時代な訳だけど。
 こんなに周りが騒がしかったのかと今気付く。ここの所、残業続きだ。年末だから仕方ない。学生の時は、早く社会人になりたくてたまらなかった。俺の中で、義務教育は高校までな気がしていて。将来の事を深く考えず、とりあえず自分のレベルに合ったそれなりの高校に入る。みんなそうだし、中学と何が違うのか分からなかった。高校受験は、何故か今考えると楽しそうにすら感じる。当時は毎日鬱々と過ごし、真の教育とは何かとか、そんな事をよく友達と力説し合った。終わりのないゴール。課題のように、どこまでやればゴールとかがなくて。うん、かなり辛かった。三年になると周りがやけにテストに過敏になって、次々と志望校を決めていく。俺は一人、何も考えてなかったのだろうかと不安だったっけ。何でみんな、そう自然に大人になろうと出来るのか。俺には分からなかったんだ。大人になりたいなんて願いは、結局本気ではなかった。


「成沢ぁ?」
 酔ってるな、こいつ。こういう締りのない顔。あいつは一度も見せなかった。いつも無表情で、なまじ顔が良いからよく告られていたけど。そんな時も無表情だった。
「俺、今日はこの辺で」
「おいお〜い、成沢ぁ」
 背中に届く声を振り切り、会計を済ませる。店のドアを開けた途端、冬の冷たい風が流れ込む。こんな寒い時、いつも思う。缶コーヒーが飲みたいと。だけど俺は、高校を卒業してから一度も缶コーヒーを飲んだ事はない。理由は、単に買う気が起きないから。缶コーヒーを飲んでいる俺は、もう一介の社会人。そして隣にあいつは居ない。あんなに早く流れろと願っていた時間は、俺が願わなくても勝手に流れていった。
 あの頃、時間は遅かった。どこか、永遠に中学生だと勘違いしていた気もする。今の26歳の自分なんて、まるで想像していなかった。進路の話になっても、とても自分が高校生になるんだという実感は起きず。自分が小学生だった時、高校生はとても大人に見えたし、きっと泣いたりもしないのだろうと。
 
「…あいつも、中学生だったんだよな」
 俺にはとても大人に見えた。だけど、中学生だったのか。その頃自分は、大人だと思っていたけど。きっと世間では子供だからと、安心感みたいなものがあった。あいつにも、そんな都合のいい安心感があったのだろうか。
 
 
 ――

「あ〜あ、大人は良いよな。あんま悩みなさそうで」
 子供の方が、絶対悩みが多いに違いない。俺はいつもそう思っていた。大人になっても悩みは尽きない事を、その時は理解していなかった。…いや、多分そう思いたかったんだ。大人になれば、きっと楽になれるのだと。
「…俺から見たら、大人の方が厄介そうだけど」
「え〜!何でだよ。大人はテストもないし、自由そうだし、たるい授業受けなくていいし」
「子供は楽だよ。背負う責任感が軽いから」
 こいつは、やけに大人な意見だった。愚痴を並べて、将来への不安を解消しようとする事もなかったし。次々と、夢が現実へと引き戻される恐怖も感じてはいなかったようだし。
「うーん…。確かに、やっぱ大人って嫌かもな。だってさ、大人って絶対今の俺らの頃のこと、忘れてる。親とか教師見てたら思うんだけどさー。俺らの悩みなんて大した事ない、自分達の方が大変なんだって感じじゃん。むかつくよなぁ。大した事あるっつーの」
「時間が経つと、悩みの内容とかは覚えてても、その時の苦しみとかまで記憶してないんだよ。だから、時間が経つと大した事ないって思っちゃうんだろ。同じ悩みでも、人にとって苦しみは違うって事に気付いてないんだよ」
 ほんと、こいつって中学生とは思えない。
「え、じゃあさ。大人になると、違う奴になっちゃうの?」
「それに近い、かもな」
 それを聞いた時、やだなと思ったのを覚えている。今の自分ではなく、只の大人の自分になってしまうのだろうかという不安。という事は、今の俺は別人なんだろうか。
「ふーん…。じゃあさ、お前も別人になっちゃうのか?」
「さぁな」
「だったら俺、大人になりたくない。そんで、お前もなるな」
 むちゃくちゃだ。その時の俺も、自覚はあった。
「なんだよ、それ。んなの無理だろ」
「…どうやったら、無理じゃなくなるんだよ。ネバーランドとか、あればいいのに」
 その時俺は、一瞬だけ大人になる事が何なのか、分かった気がした。きっと、大人になるという事は忘れてしまうという事なのだと。大人になりたくないと考えている今の気持ちも、自分にしか見せないこいつの苦笑も、今日がものすごく寒くて、缶コーヒーが飲みたいと考えている事も。きっと全て忘れてしまうのだと。
「……」
 いつも通り、俺の頭をポンポンと叩き子供扱いをする。だけど今は、子供扱いして欲しかった。
 この時、涙腺が緩んで仕方なかった事や。それが何故なのか、必死で考えていた事だけは。大人になっても絶対に忘れはしないと強く思った。
「ちょっと待ってろ」
 缶コーヒーだ。それを飲めば、今まで味わった事のないような、この大きな不安も消えてくれるだろう。

 俺は、缶コーヒーを持つあいつを待っている数秒が好きだ。いつもは他人に無関心のあいつが、俺のために使ってくれる時間が、俺は好きだった。


 ――

「…うん、結構覚えてるじゃん」
 
 誰も居ない夜の公園。ベンチに座り何気なく空を見上げると、相変わらず星と月があった。

 多分。大人になるって事は、忘れるって事じゃない。確かにあの頃の全てを覚えてはいないけど。自分ですら否定していたあいつへの感情を、俺は昨日の事のように覚えてる。ポンポンと頭を叩くあいつの手や、缶コーヒーを手渡してくれた時の『ほら、飲め』という素っ気無い声。大人になっても、俺はちゃんと覚えているじゃないか。

 とりあえず、来月同窓会がある。卒業して、高校で別れて、みんな大人になったけど。まぁ結局、あの頃があったから、みんな大人になれるんだろう。

 
 きっと。大人になるって事は、知るって事だ。

 
 あいつが同窓会に来るかは分からないけど。もし又逢えたら、とりあえず缶コーヒーを買って来てもらう事にしよう。

 

2005/02/27(Sun)17:27:38 公開 / 由貴皐月
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