『クリスマス・カンパニーズ 〜Old friend〜 』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:rathi
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十二月二日(木) 【Shopping】
ティリスとルークは子供達に配るプレゼントを買うために、<気球乗り場>へと向かっていた。
「まさか、二年連続でルークと一緒に降りるハメになるとはね…」
肩を落とし、ティリスはげんなりとした様子で言った。
「そりゃこっちの台詞だよ。お前が運転免許持ってないから、俺が運転しなきゃならないだろうが」
「別にそのくらい良いじゃない。運転するって言っても、大した距離じゃないんだし」
「下のごみごみした感じが嫌なんだよ。それに、交通量も半端じゃないしな」
「全く、ただ単に面倒なだけでしょうが。この自堕落男が」
「うるせー」
互いに憎まれ口をたたき合いながらも、石畳の上をゆっくりと歩いていく。
<ヒメヒマワリ>から十分ほど歩いた所に、<気球乗り場>の案内図と、気球のイラストが描かれている大きな看板が掲げてあった。それを二人並んで見上げる。
・気球乗り場
営業時間 八時〜十七時まで
定休日 火曜日のみ
料金 お一人様五百円 (※十二月一日〜五日までは無料です)
「これってケチ臭いよなぁー。どうせなら全日無料にすれば良いのにさー」
見上げたまま、ルークが看板に大して文句を言った。
「生活が掛かってるんでしょ。五百円ぐらいなら文句言わないの」
「だって知ってるか? あいつら、この料金の他にキチンと給料を貰ってるんだぞ? 俺達より低いからって勝手に料金を決めたらしいぜ」
ティリスはその事実に驚き、
「嘘!? …それはちょっと許せないわね…」
と、あこぎなやり方に怒りを込めて言った。
「だろ? 俺が毎回払いを渋るのにも納得いったか?」
不承不承といった様子で頷くティリス。
「まっ、もう定着しちまったからこの料金が正当なモンになってるけどな。払わなかったら、逆に俺達が冷たい視線を受けるハメになるからな」
「う〜ん…。確かにそうなんだけど、なんだかなぁ…」
堂々と悪事が行われている事に納得がいかないのか、料金を払わせられる事に納得がいかないのか、口を「へ」の字に曲げて首を傾げる。
「世の中の理なんぞこんなモンさ。定着してしまえば、それが正当になるんだからな。ほれ、さっさと行くぞ」
歩き出したルークに続き、ティリスも首を傾げたまま歩き出す。
数分程歩くと、今度は小さな看板で<気球乗り場>と書かれており、その近くに料金所が設置してあった。奥には広い原っぱがあり、その中心辺りに萎んだ状態の『気球』があった。
ルークは料金所のベルを鳴らし、奥でコーヒーを飲んでいた『気球』の管理人を呼ぶ。
「とと、悪いね。休憩中だったんだ」
中肉中背の男が、奥からコーヒー片手に歩いてきた。
「客が居ない間はずっと休憩中か? ご大層な身分だな、リーオ」
「またお前か、ルーク。はぁ、乗客拒否って権利がオレ達にあったら良かったのになぁ…」
コーヒーを飲みながら、リーオはしみじみと語った。ルークの後ろに居たティリスに気づき、途端にリーオは笑顔へと様変わりする。
「あ、ティリスさんは大歓迎ですから大丈夫ですよ。ええ、何度でも乗って下さいな」
先程の話を引きずっているのか、ティリスは少し眉を寄せて言う。
「でも、無料期間が過ぎたら料金は取るんでしょう?」
「そりゃ勿論。それがオレの仕事ですから。それで、乗るんですか?」
リーオは手続きの為の書類を準備しながら、ティリスに聞いた。
ティリスは書類を受け取り、社名と自分達の名前を書きながら答える。
「ええ、じゃなきゃここに来た意味がないしね」
書き終わった書類をリーオに渡す。リーオは書類を確かめるが、文面に間違いはなく、勢いよく認可のスタンプを押した。
「宜しい。乗船を許可致します」
「お仕事、ご苦労様」
ティリスは手をひらひらとさせ、奥の原っぱに向かって歩き出す。
リーオはティリスを見送った後、コーヒー片手にすぐさま奥に引っ込んでいった。そんなリーオの背中に向かって、
「そしてまた休憩時間が始まる、か」
と、ルークはせせら笑うようにして言った。その後、彼も原っぱに向かって歩き出す。
『気球』の側には少し丸く太った男がおり、歩いてくるティリス達に向かって大きく手を振っていた。
「どうも、ティリスさん。今回もルークさんと一緒で?」
「ええ、生憎ね」
後ろに居るルークを親指で指しながら、ティリスはため息混じりに言った。
「はは、相変わらずですね」
「褒め言葉として受け取っておきますよ。バドさん、直ぐに飛べますか?」
「あ、『気球』が膨らむのには少し時間が掛かると思いますので、ちょっとだけ待ってて下さい」
そう言って、バドは『気球』のエンジンであるバナーを調整し始める。ガスが抜ける音の後、軽い爆発音と共に真っ赤な炎が燃え上がった。コックを回し、火力を調整する。すると、萎んでいた球皮と呼ばれる部分がまるで風船のように膨らんでいき、数十秒後には今にも飛び立ちそうな気球の姿に変わっていった。
正式名称は『上下運搬風船』と言い、通称は見た目通り『気球』と呼ばれている。原理は通常の気球と同じで、球皮に熱を送って膨らまし、浮力を得る設計となっている。装置によって方向、速さ、高度などが調整可能だが、外見は気球そのものだ。これは、日中空を浮いていても違和感がないモノ、という理由でこの『気球』が作られた為だった。球皮の部分には<ソリ>を引いている<トナカイ>と、<サンタクロース>が描かれており、センスが良いと本物の気球愛好会にも人気がある。
「どうぞ、お乗り下さい」
促されるように、ティリスとルークは一度足を掛け、フェンスを乗り越えるようにして乗り場であるバスケットに入った。
「では、飛びますよ!」
かけ声と共に、バドは支えであるロープを外し、彼自身もその体格に見合わない素早さでバスケットに乗り込んだ。
枷から放たれた『気球』は、徐々に地面から離れていき、やがて大空へと舞い始めた。
「出発、進行!」
進路方向に向かって指を指し、バドは意気揚々と言った。それから装置を操作し、『気球』は悠々と進み始める。
「やっぱり、三人だと速度が違いますね。昨日の<オールファーム>の時なんか大変でしたよ。プレゼントの買う量が多いからって、一遍に五人も乗り込んでくるですよ」
「相変わらず落ち着きのないヤツらだな。せっかくこうして遊覧飛行が出来るってのに、なぁ?」
ルークの意見に大いに賛成し、バドは大きく頷く。
「そうですよね。やっぱり、気球というのはこうしてゆっくりと、のんびりと大空を漂いながら進んでいくのが醍醐味なんですよね」
「全くだ」
今度はルークが大きく頷いた。
そんな二人を横目にティリスは立ち上がり、髪をなびかせながら遠くの雲を見つめた。
遠くの雲達はこの<バイナフトマン>を隠すためにあり、いわば隠れ蓑の役割を担っている。
『気球』はどんどん進んでいき、その雲達はティリスの目前まで迫り、そして包まれていった。真っ白で何も見えない中、彼女は胸一杯に空気を吸い込んだ。それからまるでワインでも味わうかのように、ティリスはその空気を口の中で転がし、飲み込んだ。
「……うん。やっぱり一味違うね」
満足したのか、ティリスは感懐深く頷く。普通では味わえないこの空気を吸うことが、彼女にとって『気球』に乗る上で最も楽しみなことだった。
やがて『気球』は隠れ蓑の雲達を抜け、澄んだ青空がティリス達の目前に現れた。
※
目的地であるオモチャ屋にたどり着き、ルークはレンタカーを駐車場に停車させた。
「金は持ってきたか?」
ルークの問いに、ティリスは財布を見せながら答える。
「勿論」
「良し、んじゃ行くか」
車の鍵を閉め、小さな横断歩道を渡り、ティリスとルークはオモチャ屋の中に入っていく。
店内に入ると、そこでは一足早いクリスマスが始まっていた。
もみの木には星や天使の飾りと電飾が付けられ、サンタの服を着た人が店内を闊歩し、『赤鼻のトカナイ』が軽快に流れていた。
数歩進み、ティリスは軽く店内を見渡した。
「この時期に下に降りるとさ、こっちの方がクリスマスらしい雰囲気を出してるな、って毎回思うんだけれど…」
ルークも軽く店内を見渡し、
「……まっ、確かにな。でもそれを言ったらウチが形無しになるから、あんまり言うな」
「なんだかなぁ…。<サンタクロース>達が<サンタクロース>達によるクリスマスをやらなくてどうするのよ? みんな、一番忙しい日、ってしか思ってないのかなぁ…」
ルークは肩をすくめ、
「かもな」
と、素っ気ない答えを返した。
「ほれ、とっとと買い物を済ますぞ。社長の愚痴なんぞ聞きたくもないからな」
近くにあったカートを取り、ルークは店内の奥へと歩いていく。ティリスもカートを取り、押しながらルークの後に続こうとした。
「……あ、『サンタクロースが町にやってきた』だ…」
『赤鼻のトナカイ』が終わり、新たに流れ始めた曲名をティリスはぽつりと呟いた。
「あなたから、メリークリスマス。私から、メリークリスマス。サンタ・クロース、イズ、カミング、トゥー、タウン…」
カートを押しながら、小さな声で歌い始めた。
「聞こえて、来るでしょ。鈴の音がすぐそこに。サンタ・クロース、イズ、カミング、トゥー、タウン…」
指でリズムを取り、鼻歌で間奏を演奏し、ノリながらルークの後を付いていく。
「待ちきれないで。おやすみした子に。きっとすばらしい…」
歌っている途中で、ティリスは何故かこの歌と自分が重なっているように思えた。
クリスマスの日、ティリスはすばらしいプレゼントを確かに貰った。
クリスマスの日、ティリスは“お休み”しかけた時に、<サンタクロース>は確かにやって来た。
そう、空耳かと思えた鈴の音を鳴らしながら――。
「あなたから、メリークリスマス。私から、メリークリスマス。サンタ・クロース、イズ、カミング、トゥー、タウン…」
先程よりも小さく、静かに歌いながら、
(もしかしたらこの歌は、私を表した歌なのかもね…)
と、ティリスは思った。
(誰かから貰ったメリークリスマスを、私から誰かにあげる。それが、私の仕事でもあって、私の願い…)
去年の事を思い出し、少しだけ感傷に浸る。その後、ルークに追いつくためにティリスは少し早めに歩き出した。
※
手に持ったリストを見ながら、ティリスはプレゼントをカートに積んでいく。
「えーっと…これとこれと…。あと、こっちにある等身大チワワのぬいぐるみと…あれ? ちょっとルーク! みんなして頼んでた『ぷわり人形』は? リストにないんだけど…」
文字通り山と積まれたプレゼントの横から、ルークはひょっこりと顔出す。
「ああ、アレか。流行りの所為か、二百人近くアレを頼んでいたからな。社長が直々に棚卸しの業者に掛け合うそうだ。そっちの方が楽だし、何よりも安く済むからな。それに、どこの店も在庫切れらしいしな」
「そっか。なら別に良いんだけどね」
そう言いながら、ティリスは近くにあった『ぷわり人形』のサンプルを手に持つ。残っている人形はこれだけで、販売用の物は完売したらしく、横に赤文字で“入荷待ちです”と書かれてあった。
『ぷわり』とは、今地上で最も流行っているアニメ、『魔術師アップル』の登場キャラクターの一匹だ。主人公『アップル』(ほっぺたが丸く赤い所から、そう名付けられたらしい)は魔法学校に通う、おちこぼれの魔法少女。ある時、亡くなった父親の書斎の鍵を見つけ、興味本位で忍び込む事に。そこで偶然見つけた魔法書に、この『ぷわり』が封じ込まれており、解放してあげるところから物語は始まる――という設定だ。
他にも登場キャラクターは沢山居るのだが、中でも一番人気なのがこの『ぷわり』だ。兎を連想させる垂れた大きな耳と、縦に細長い瞳、そして短い手足。外見もさることながら、主人公を常に応援し続けるその健気な性格も人気の一つとなっている。
(確かにかわいいけど…私は『もうる』の方が好きだなぁ…)
ぐにゅぐにゅと『ぷわり人形』を揉みながら、ティリスは少し横に設置してあるコーナーに視線を移す。
『ぷわり人形』とは違い、少しも減ることなく棚一杯に押し積まれている『もうる人形』達が、そこにひっそりとあった。畳み掛けるように、クリスマス間近にも関わらず“値引き二十%”の札が張られている。
「酷い扱い…」
『もうる人形』に同情しながら、今度はこちらのサンプルを手に取る。しばらくの間誰も触っていなかったのか、頭と羽の部分に埃が被っていた。ティリスはそれをそっと払う。
『もうる』とは、同じく『魔術師アップル』に登場するキャラクターの一匹で、外見はほどんと梟そのものだ。特徴といえば、頭に細長く垂れ下がった鶏冠のようなモノがあるぐらいだろう。役目としては、『ぷわり』とはまさに正反対の位置で、『アップル』に試練を与えるのがこの『もうる』の役目だ。別名『書目の梟』と呼ばれるが、子供達の間では『いじわるフクロウ』と呼ばれ、忌み嫌われている。
(分かってないなぁ…。壁があるからこそ、人は成長するの。『もうる』は嫌われている事を覚悟で試練を与えているっていうのに…)
ティリスは、そんな『もうる』の献身的な性格が好きだった。『もうる人形』をそっと抱きかかえ、ギミックの一つである羽根を最大限にまで広げてみる。雄々しいその姿も、アニメではもう見ることもない。なぜなら、『アップル』の為に散っていったからだった。
「『例えこの身が裂かれようとも、例えこの羽根が千切れようとも、儂は諦めぬ』…か」
ティリスは、呟くように一番好きなシーンの台詞を暗唱した。
『もうる』が出した試練の途中、『アップル』は怪我をし、それが原因で病気に掛かる。それを直すためには、遠く離れた山に棲む魔女の薬が必要だった。そこで『もうる』が誰にも言わず、ただ一人でその薬と取りに飛び立つ。場面は変わり、猛吹雪の中、『もうる』は休むこともなく飛んでいた。そして、『もうる』はその台詞を自分に言い聞かせるように言った。だが、ここから先は何故か『もうる』は一切映らず、薬もいつの間にか『アップル』が好きな『オレンジ』という男の子の手に渡っており、『アップル』が『オレンジ』に涙ながらに感謝する、というシーンでその話は終わっていた。
その回以降、ティリスはそのアニメを見るのを止めた。あまりに報われない『もうる』の為の、ささやかな抵抗だった。
(大丈夫。私は『もうる』が一番好きだから…)
ティリスは細長い鶏冠を梳くように撫でた後、羽根を広げた状態で元の位置に戻した。
「さてと、次は…」
一ページ目のプレゼントは全て買い終わり、二ページ目へと移る。
「えーっと…」
上から下へ、流すようにして見ていくと、下から二番目の所で金縛りにあったようにぴたり、と止まり、ティリスは一瞬我が眼を疑った。
「……ん? あれ?」
眼を擦ってもう一度見るが、そこには『もうる人形×1』という文字がハッキリとあった。嬉しさのあまり、ティリスは人目も気にせず大きくガッツポーズをとる。
すぐさま振り返って『もうる人形』のコーナーへ行き、一番状態の良さそうな物を手にとる。去り際にサンプルの『もうる人形』の頭を梳くように撫でながら、
(分かってくれる人には分かってるみたいね。『もうる』)
※
――ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ…………。
ティリス達がカートに積んだプレゼントを、オモチャ屋の従業員が総出で会計していく。その様子を、ティリス達は近くのベンチに座って見ていた。
このオモチャ屋には全部でレジが三つあるのだが、プレゼントを一旦半分分けをし、店員達は二つをレジを使って効率よくバーコードをスキャンしていく。
――が、やはり量が量なだけに、かれこれ十分が経過していた。
「お、終わりました…!」
片方のレジの店員が、息も絶え絶えな声で会計が済んだ事を報告した。次いで、
「こ、こちらも完了しました…!」
隣のレジも終わり、ようやく全てのプレゼントがレジを通され、合計が算出された。
「ティリス、支払いを頼む」
「はーい」
ティリスは立ち上がり、ポケットから財布を取り出しながらレジへと向かう。
「え、えーと…。現在クリスマスキャンペーンでして、合計から十%値引きさせてもらいます…はい」
疲れ切った笑顔を見せながらも、店員はキャンペーンについて説明した。
「あら、そう? 悪いわね」
そのことを知っていて、この店に買いに来たティリスだったが、額が額なので敢えて知らんぷりをした。
「あ、領収書もお願いします。会社名は<ヒメヒマワリ>で。それと、これを全て<スルーア・シー>って会社に送って下さい」
「全て…ですか? 運搬料金が掛かりますが、よろしいですか?」
「はい、お願いします」
そうティリスが言うと、店員は運搬に必要な書類を彼女に渡した。
<スルーア・シー>とは、<サンタクロース>専用のプレゼント包装専門会社だ。ここで働いている(主な業務員は、十二月からクリスマスの日まで、という契約で臨時に雇われる)人達は、ほとんどが一般人であり、ティリス達のような<サンタクロース>達を知らない。つまり、彼らは何の為にプレゼントを包装しているのかは、一切知らされていなかった。だが、時給が良いということで、誰一人そのことを疑問に思っていない。
必要事項を全て書き終わり、店員に書類を渡す。
「はい、大丈夫です。本日は誠にありがとうございました」
一人の店員が疲れた笑顔を見せながら頭を下ろすと、それに続いて従業員全員が「ありがとうございました」と疲れた笑顔を見せながら頭を下ろした。
「んじゃ行くか」
ルークはベンチから立ち上がり、足早に出口へと向かう。ティリスもその後に続いた。
出口付近まで来たとき、
「あっ! スタンプ貰ってくるのを忘れた…」
「千円で一つ、ってあれか。そのくらい別にいいだろうが。それに、また店員さんに過労働をさせる気か? 次は多分死ぬぞ」
「でも、次に使えば結構な値引きになると思うよ。カミルさんも喜ぶだろうし」
ルークは腕を組んで唸りながら考え、大きく頷いた後で、
「分かったよ。行ってこい。俺は先に車へ行っているぞ」
「うん。ちょっと時間が掛かると思うから、のんびりと待っててね」
「へーいへい」
手をひらひらとさせながら、ルークは店を出て行った。それを見送ったティリスは急いでレジへと向かう。
「すみません!」
「はい。……え!? あ、確かティリス様でしたね」
店員がティリスの姿を確認した瞬間、顔を引きつらせた。
「そ、それで何かまだ用なのでしょうか?」
ティリスはポケットに仕舞ってあったリストを取りだし、品名と数を確認しながら店員に向かって言う。
「『ゲーム・フレンド』っていうゲーム機を四十個ください!」
「よ、四十個ですか…!? 生憎、当店ではそこまで在庫は御座いませんが…」
「今すぐじゃなくてもいいんです。五日までにさっきの会社に届けてもらえればそれで構いませんので、お願いします」
『ゲーム・フレンド』というのは、通称『GF』と略され、子供達の間で最も人気のあるゲーム機だ。友達と一緒に遊ぶゲームが多いことから、この名前が付けられたらしい。通常価格は一万二千八百円で、お年玉などで買われることが多い。
店員は少し悩んだ後、
「少々お待ちください」
と言って奥へと引っ込んでいった。
ティリスは、ホッと胸を撫で下ろす。
(何とかルークにはバレずに済んだ…)
安心した矢先、ティリスは、ぐいっ、と誰かに襟を掴まれる。
「……え?」
ティリスは振り向こうとするが、襟を掴まれて振り向くに振り向けなかった。
「ティリス様、お待たせしました。何とかこちらの方で都合をつけるそうなので…」
戻ってきた店員は丁寧に説明するが、
「悪いけど、それは取り消しでお願いします。では」
「え? あ、お客様!?」
一方的に断りを入れ、ティリスの襟を掴んだまま、ずかずかと出口へ向かって歩き出す。
「ちょっと! あんたルークでしょう! 離しなさいよ!!」
声で判断の付いたティリスはルークに抗議するが、一向に無視され、引きずられたままオモチャ屋を出る。
ティリス達の車に付くと、そこでようやく手を離した。
「ルーク! あんたは…!!」
「黙れ」
ティリスの声を遮るように、ルークは怒りの籠もった静かな声で言った。その迫力に、ティリスは声を呑んだ。
「ティリス、カミルは言ったハズだ。四千円以下だった場合は希望の順位を下げろ、と。『ゲーム・フレンド』は明らかに四千円以上だろ? 違うか?」
ルークは、いつも眠そうな目つきから鋭い眼光に変化し、ティリスを責め立てる。
「いいか? 子供達の笑顔を見たいのは判る。だがな、足りない分を自腹で払うのは止めろ。いいな?」
いつもとは違うルークに圧倒されながらも、ティリスは反論する。
「別に…いいじゃない。会社のお金をくすねている訳じゃないし、まして悪いことをしている訳でもないんだよ? 私が稼いだお金から出しているんだから、何の問題も…」
再びティリスの声を遮るように、苛立った様子で頭を掻きながらルークは大きなため息をはいた。
「それが問題なんだよ。お前はお金持ちでもなければ、小金持ちでもない。至って普通の金しか持ってない人なんだよ。その服、去年も着ていたろ?」
そっぽを向きながら、ティリスは答える。
「気に入っているから着ているだけです!」
「二年前から? 気に入っているから、この時期になると毎日のように着るのか?」
「うっ…」
ルークの責め立てるような質問に、ティリスは声を詰まらせた。
「それみたことか。他人の為には骨身を削って、自分は我慢する、か? 自分の為に働かないでどうする? 自分の為に生きないでどうする? 報われなくて、お前の人生は満足か? 他人に尽くして尽くして、それで死んでも満足か? どうなんだ?」
ルークの質問に答えられず、そっぽを向いたままティリスは俯く。
手をぎゅっ、と握りしめ、過去のことを思いながら絞るような声で、
「…私は、私は昔、<サンタクロース>に蒸発したお父さんを連れてきてもらったことがあった。嬉しかった。だから、私も<サンタクロース>になろうと思った。みんなの希望を叶えるような、笑顔を与えるような<サンタクロース>に…」
涙声になりながらも、ティリスは続ける。
「その時の<サンタクロース>も、罰せられる事を覚悟で私のお父さんを連れてきたんだと思う。報われないのを覚悟で、自分に何の得もないって知ってても、あの<サンタクロース>は私の希望を叶えてくれた。恩返しって訳じゃないけど、私もそうなりたい、って思った。だから…だから…!」
ティリスは涙目のまま、ルークを喧嘩腰に睨みつけ、
「私はこれで満足よ! 子供達の為だったら、喜んで骨身を削ってやるわ! 文句ある!?」
彼女を突き動かしているモノ――それは、幼いときに彼女自身が<サンタクロース>に助けてもらったことに他ならない。父親を連れてきただけなのだが、それは、間接的ながらも彼女の命を救ったことになった。なぜなら、結局孤児院は一ヶ月どころか一年先まで空く予定はなく、父親が帰ってこなければ彼女は間違いなく凍死、もしくは餓死していた筈だからだ。
昨今、周りの事件に関与する事を嫌い、マンション等などの住民達は自閉する事が多い。ティリスが住んでいたアパートもその例に漏れず、彼女が死ぬまで、騒動に駆け付けたマスコミが来るまで彼女に関与することはなかっただろう。
それを聞いたルークは、ばつが悪そうに頭を掻く。
(…参った。そっくりなんて領域じゃない、これじゃ、あいつそのものだ…)
ルークはティリスと初めてあったときから今までずっと、昔近所に住んでいた年上の女の子とティリスを重ねて見ていた。それは、性格や雰囲気も似ていることから自然とそうなってしまったのだが、今のティリスの啖呵の切る様が、その女の子とダブって見えた。それと同時に、奥底にしまってあった悲しい記憶も蘇り、彼の脳裏を過ぎる。
「あー…くそ、判ったよ。もう好きにしろ。骨身を削りすぎて折れてしまっても、俺は知らん」
「…本当?」
「本当だよ。金輪際止めたりしねぇよ」
それを聞いたティリスは嬉しそうに、
「やった! それじゃ、改めてゲーム機を買ってくるね!」
小さく飛び跳ねてから、再びオモチャ屋へ向かおうとする。
――が、
「待てって」
走っていこうとしたティリスの襟を、ルークが掴んだ。
「ぐえっ」
ティリスは潰れた蛙のような声を出し、勢い余って足が宙に浮く。
「あ、悪い…。つい、な…」
ルークが襟から手を離すと、ティリスは咽せながら剣幕な表情でまくし立てる。
「ゲホッ、ゲホッ! ちょ、ちょっとあんたなんて事すんのよ! 金輪際止めないって、ついさっき言ったばかりでしょうが!!」
「違う違う。あんな店で買うよりも、安く済む方法があるんだよ」
ティリスは訝しげにルークを見る。
「本当に…? 中古とかは駄目よ?」
「まあ、あくまで可能性がある、って話だがな。少し待ってろ」
そう言った後、ルークはポケットから少し型の古い携帯電話を取りだし、数回プッシュしてから耳にあてた。
――プルルー…プルルー…。
「もしもし。ああそうだ、ルークだよ。…嫌そうな声を出すな。実はな、ゲーム機を安く売ってくれる店かルートを教えて欲しい。…なに? 嫌だ、だって? ほう、俺にそんな偉そうな態度を取っていいとでも?」
ルークはチラリ、とティリス方を見た。
「今、俺の横にはティリスが居るぞ」
そう言った途端、電話越しにも関わらず「マジでーーー!」という男の声が辺りに響き渡った。
ルークはキンキンなる耳を押さえながら、
「大声出すな、うるせぇ! …ああ、そうだ。今からそっちに向かってやろうかと思うんだが…。嫌ならしょうがないか。…ふん、始めっからそう言え。じゃな」
電話を切り、ポケットに仕舞う。代わりに、車の鍵を取り出し、ロックを開けた。
「ほれ、乗り込め」
「え? どこへ行くのよ?」
乗りながらティリスは尋ねた。その質問にルークはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、
「世にも奇妙な場所にさ」
答えると同時にエンジンを掛け、ルークは車を発進させた。
※
車を走らせること十数分、少し古ぼけた鉄筋コンクリート性のアパートの前で、ルークは車を止めた。
ティリスは車から降り、六階建てのアパートを見上げる。すると、三階辺りに塗装の剥げたこの建物の名前と思われる文字が掲げてあった。
「フニックス梶間…?」
妙な名前だな、と思いながらもティリスは声を出して読み上げた。
「フニックスじゃねえよ、フェニックスだ。『ェ』の部分が台風で壊れて、そのままなんだとさ」
「あ、なるほどね」
文字を見上げたまま、ティリスは小さく頷いた。
「ほれ、こっちだ」
そんなティリスを余所に、少し急な階段をルークが昇り始める。追うように、ティリスも階段を昇り始めた。
四階に辿り着き、ルークは部屋番号を横目で見ながら奥へと歩いていく。そして、『506』号室の前で止まった。
「ここだ」
ルークは表札の上にある呼び鈴を押そうとした時、自分の靴ひもが解けているのに気づく。伸ばした手を下ろし、結ぶために屈もうとした。
――が、
「やーやー、いらっしゃいませー!」
やけに上機嫌な声と共に、扉がガチャリ、と開けられる。
ゴン、という重みのある鈍い音がした後、
「ぐぁっ!」
喘ぐように声を出し、ルークは倒れるようにしてその場にしゃがみ込んだ。そして、小刻みに震えたまま、激痛の走る頭の天辺を必死に押さえていた。
「う、うわぁ…。痛そう…。だ、大丈夫…?」
心配そうにティリスが声を掛けるが、ルークは静かに顔を横に振る。
部屋から出て来た男はそんなことなど気にも留めず、恭しく御辞儀をしながら、
「やーやー、どうも初めまして。私は雅隆(まさたか)と申します。以後お見知りおきを」
「あ、ご丁寧にありがとうございます。私はティリスって言います。どうぞ宜しくお願い致します」
つられるように、ティリスも御辞儀をした。
ルークの知り合いだからどんな変人が現れるのか、と不安だったティリスだったが、少々暴走気味ながらも、外見は笑顔の似合う好青年だったので、彼女は安心して胸を撫で下ろした。
「さーさー、どうぞどうぞ。中にお入りくださいな」
雅隆はティリスの背後に回り、部屋の中に入れようと背中をぐいぐいと押す。
「ちょ、ちょっと…!?」
あまりの強引さに、為す術もなく部屋の中に入れられていく。途中、助けを求めるようにルークの方へ視線を向けるが、依然としてダンゴムシのように丸まったままだった。
半ば諦めに近いため息をはき、
「それじゃ、ご招待に与ります」
押されるのを避けるように一歩前へ進み、靴を脱いで中に入る。更にもう数歩進み、部屋を見渡せる所まで来ると、彼女はあんぐりと口を開けたまま呆然と立ちつくした。
十畳一間のその部屋に所狭しと並べてあるのは、パソコン。右も左も、そして目の前にも、まるで敷き詰めるようにして本体だけのパソコンが壁に沿うように何十個も並べてあった。
「は…はは…」
この異様な光景に、頬を引きつらせ、ティリスは乾いた声で笑った。ふと、ルークの言葉が彼女の頭を過ぎる。『世にも奇妙な場所さ』、そう彼が言ったように、ここはティリスにとっては『奇妙な場所』以外の何物でもなかった。
雅隆はティリスに近づき、鼻息を荒くしながら自慢気に、
「どう? 凄いでしょ? これね、二つに分けて全部並列化してあるんだ。仕事用、趣味用って具合にね。ハードディスクもかなり増設してあって、余裕でT(テラ)を越してるし、CPUも全部合わせれば100G(ギガ)くらいあるかも。趣味用の方の画面は、特注品の液晶24インチ。仕事用は普通の17インチだけどね。勿論回線は光で、回線速度を上げるためにケーブルを極端に短くしてあるんだ。後は……」
雅隆はティリスの横で饒舌に喋るが、彼女の耳には入っていない。知らない専門用語が含まれている、というのもあったが、今彼女の頭の大部分を占めているのは、
(これ、全部揃えるのに一体幾らぐらい掛かったんだろう…?)
という考えだった。
「おい、マサ。ティリスにそんなヲタク話をしても無意味だぞ」
痛そうに顔を歪め、頭の天辺を押さえたまま、ルークも部屋の中へと入ってきた。
雅隆は振り返り、
「お、生きてたか」
「あぁ、マジで三途の川が見えそうになったがな…。それよりも――」
ルークが用件を伝える前に、雅隆は携帯番号と何処かの地図を描いた紙を、ルークに見せびらかすように目の前でピラピラと揺らす。
「これ…だろ?」
「さすがは現役の<コロボックル>、と言ったところか。情報戦はお手の物で」
<コロボックル>とは、情報収集、並びに調査などを行う人達の事を指す。主な仕事は子供達が欲しいプレゼントの調査で、学校、並びに街頭アンケートなどを利用してリストを作成している。他にも、家の警備体制、子供部屋の位置などを調査する事もある。探偵を止めてこちらへ流れてくることもしばしばあるが、中には探偵と<コロボックル>を両立させている強者も居たりする。
「勘違いすんなよ。これはオレ個人の知り合いだ」
雅隆の言葉を聞いたルークは、意外そうな顔をする。
「珍しいな。ヲタクなお前にそういう知り合いが居るとは」
「たまたま仕事で知り合っただけさ。それと、その言い方は止めろって言ってるだろうが」
ヲタク、と呼ばれるのが嫌いなのか、雅隆は酷く不快そうに顔を歪める。それを知ってか知らずか、ルークは戯けた様子で、
「わーたわーた。今度からはマニア、って呼ぶことにするよ。んじゃ、有り難くもらうぞ」
そう言って、ルークは雅隆から紙を取ろうするが、雅隆は先程よりも高い位置――頭上に掲げてその手を躱した。
「なあ、ルークよ。まさかタダでこれを渡すとは、よもや思ってもいないだろうなぁ?」
雅隆は口の端を歪め、ルークを見下すように嘲笑した。
「…確かにな」
その言葉に納得したルークは、小さく頷く。それからティリスの方を見た後、
「ほれティリス。お礼を言っておけ」
と、言ってから、顎で雅隆を指す。何のお礼なのか把握出来てないティリスだったが、指示されるがままに雅隆と向き合って深く御辞儀をする。
「ええっと、ありがとうございました」
それにつられ、雅隆も御辞儀仕返す。
「え、いや、こちらこそ役に立てて嬉しい――って、違う!」
勢いよく頭を上げ、ルークを睨み付ける。
「これはこれで嬉しけど、オレが求めてるのはもうちょっとランクが上なんだよ!」
ルークは呆れた様子でため息をはき、やれやれ、と言った様子で肩をすくめる。
「それじゃ、お前は何がご所望なんだよ? でもな、キスとかはぐはぐとかって言ったら、ただじゃおかねぇからな」
一瞬にして鋭い目つきに豹変し、雅隆を睨み返す。その迫力に圧倒されながらも、ややモジモジとした様子で雅隆はポツリと呟く。
「…一緒に写真を取って欲しいんだ。その……ティリスさん、と」
雅隆は恥ずかしそうに視線をティリスに向けた。
「え? 私とですか?」
ティリスは自分を指差しながら、意外、といった様子で素っ頓狂な声をあげた。
「そりゃお前、当たり前だろう。男二人で写真なんぞ撮ってもムサいだけだからな。しっかし、要求がそれとはな…」
ルークは呆れた様子でため息をはきながら、顔を横に振る。
「それすらも駄目なのか?」
「いや、マサのピュアっぷりに呆れてただけだ。普通デートぐらいは要求するもんだろうが…」
そう言われた雅隆は、しまった、と小さく口の中で呟き、眉を寄せた。
「……なぁ」
「男に二言は許されんよ。さっ、ご自慢のデジカメを寄越しな。せめてもの情けで、綺麗に撮ってやるよ」
雅隆は手を強く握って振り上げ、ルークに何か訴えようとするが、深いため息と共に脱力して腕を下ろす。
「……ほらよ」
パソコンに接続してあったデジカメのケーブルを外し、渋々ルークに手渡す。受け取ったルークは電源を入れ、ファインダー越しに雅隆を見ながら、
「ティリス、雅隆の横に並んでくれ」
指示されたティリスは、少しばかり納得がいかない様子で首を傾げる。
「私、なんか流されっぱなしのような気がするんだけど…」
そう愚痴りながらも、ティリスは雅隆の真横に並ぶ。
「おっし、んじゃ撮るぞー」
ルークは微妙に角度を調整してから、シャッターボタンに手を乗せた。
(あ〜くそっ、並んで撮っただけじゃ誰にも自慢出来やしないじゃないか…)
雅隆は、ただ二人並んで撮ることに納得していなかった。
出来る限り合いたくもないルークに会ってまで彼がしたかったことは、仲間内に自慢できることをすること、だった。
仲間、それは彼と同じようにティリスが好きな人が集まって出来た団体、つまるところティリスのファンクラブだ。<コロボックル>のメンバーのみで構成されており、現在は彼を含めて二十人ほど居る。
勿論ティリスと知り合いになりたいという気持ちも強いが、それ以上に欲しいのは仲間達から羨ましがられるモノ――彼女と仲良くなったという確固たる証拠だった。
二人並んで撮るだけなど、気の優しい彼女に相談すれば簡単に出来てしまうだろう。それを踏まえた上で、彼はもう一ランク高いモノを手に入れたかったのだ。
そう、例えば――
(肩に手を乗せて撮れば、なんか出来たてホヤホヤのカップルみたいで良いかも…)
シャッターボタンを押し込もうとしたとき、ルークは雅隆の不穏な動きに気づいた。右手がスリでもするかのようにそろりそろりと動き、ティリスの肩に近づいていく。
雅隆が何をしようとしているのかに気づき、ルークはファインダーから静かに目を離す。そして雅隆に、全てを射殺すような鋭い視線と、それを行えばここにあるパソコンを全て破壊した後で撲殺するぞ、という殺気を送った。
その視線に気づいた雅隆は、恐怖で凍り、背中に冷や汗が伝うのを感じた。冗談だよ、とでも言うように渇いた笑顔をルークに見せ、ティリスに気づかれないようにゆっくりと手を下ろす。
(あの眼は、やばい時の眼だ…)
小学校から付き合いのある雅隆には、その殺気が本物であることは十二分に身に染みていた。彼は過去何度かルークの逆鱗に触れることをしており、その度にパソコンを破壊、もしくは顔面を殴られ、奥歯の何本かが差し歯になっていた。
よろしい、とでも言うようにルークは小さく頷き、再びファインダーを覗き込んだ。
「んじゃ撮るぞ」
ピッ、という電子音と共に、渇いた笑顔の雅隆と、微笑を浮かべたティリスの二人並んだ写真がデジカメに収められた。
※
車に乗り込み、ルークは紙に書かれた電話番号に掛け、三十分後に会う約束を取り付けて電話を切った。
エンジンを掛け、ルークは目的地に向かって車を走らせる。
十分程走行した後、助手席でナビゲーターをしていたティリスが不満そうにルークに尋ねる。
「ねぇ、お願いだからどこへ行って、何をするのか教えてよ。ルークが何をしたいのかサッパリ…っと、そこを右よ」
ルークはハンドルを曲げ、右折を終えてから、
「今からオモチャ専門の卸問屋に行って、宗方(むなかた)って人に商談を持ち込む」
その答えに、ティリスは首を傾げた。
「商談? …もしかして、ゲーム・フレンドを買うために行くの?」
「それ以外にあるのか?」
赤信号に引っかかり、車を停止させる為、ルークはギアの段階を下げながら言った。停止線ギリギリで、車は完全に止まる。
「私の為に、雅隆さんの所へ会いに行ったの?」
覗き込むようにして見てくるティリスを躱すように、ルークは窓の外を見ながら、
「…まぁな」
と、小さな声で答えた。
「なんで?」
「……は?」
ティリスは率直に聞いたつもりだったが、質問の意味がルークには理解できなかった。
「なんで私の為にそこまでしてくれるの、って言ってるの。さっきはあんなに怒っていたくせに…」
「なんでって、そりゃお前…」
昔近所に住んでいた女の子と似ているから、そう言いかけてルークは言葉を飲み込んだ。昔の誰かと、今のティリスを重ねて見ていると思われるのは、何となく嫌だからだった。
「…答えなさいよ。どうしてなの?」
中途半端に言葉を句切り、沈黙しているルークに痺れを切らし、ティリスはもう一度、そして強い口調で尋ねた。
遠くに見える、立ち並ぶビル群の中でも一際大きな、三十階はありそうな巨大なビルを窓越しに見つめながら、
「…俺が、単なるお節介焼きだからさ」
その答えを聞いたティリスは、呆れたようにため息をはき、
「ごまかすのが下手くそなのはどっちなのよ…全く」
と、憮然とした様子で言った。
「…でも、ありがとね」
「どう致しまして」
赤から青へと変わる。ルークはギアを入れ、車をゆっくりと発進させた。
※
アパートを出てから二十分程で、ティリス達は赤丸で標された場所に着いた。目の前には、倉庫と工場が入り交じったような古びた建物があり、その近くでは人やフォークリフトが忙しなく右往左往している。
「ここ…なのか?」
ルークの疑問に答えるように、ティリスは紙に書かれている社名と、フェンスに取り付けてある看板に書かれてある社名を見比べる。
「そうみたいだね。あそこに<森田流通センター>って書いてあるよ」
「ふーむ…。約束の時間までは少しあるが、待ってるのも暇だから降りるか」
「そうだね」
近くの駐車場に車を止め、ティリス達は<森田流通センター>の門を潜る。
「危ねぇぞ!」
敷地内に入った途端、怒声に近い野太い声が聞こえてきた。それに反応する前に、段ボールを山積みにしたフォークリフトがティリス達の目の前をギリギリで通っていく。
「うおッ! 危ねぇのはどっちなんだよ…ったく」
愚痴りながらもルークは辺りを見渡す。車の中からではよく分からなかったが、フォークリフトが十トントラックに我先にと荷物を運んでいくのに気づく。
「どうやら一番忙しい時間帯に来ちまったみたいだな…。君子危うきに近寄らず、って事でそっちの花壇に行くぞ」
ルークが右側の方を指差す。そこには、フェンスに沿うようにして小さな花壇と、木と鉄パイプを組み合わせて作ったベンチが二つ程あった。辺りに吸い殻や、空き缶が散らばっている所から、恐らく、この会社の休憩場なのだろう。
ティリス達がそこに向かって歩き出すと、その近くにあった建物から細めで背の高い男が一人出て来て、ベンチにどっかりと腰掛ける。懐から煙草を取りだし、マッチを擦って火を点け、傍目に見ても分かるほど大きく吸い込んだ。
それを横目に見ながら、二人はもう一つのベンチ座る。
男はもう一度吸い、葉巻のように煙草を口にくわえたまま、顎髭を撫でながらティリス達に向かって話しかける。
「あんたら見ない顔だが、ここに何の用だ?」
ルークは訝しげな顔で男を見たが、ティリスは何の警戒も無く答える。
「ここで人に会う約束をしてるんですよ」
それを聞いた男は、意味深に笑みを浮かべる。
「ほう? どんな人に会うんだ?」
「えっと…」
助けを求めるように、ティリスはルークに視線を送る。ルークはちらりと男を見た後、肩が上下するほど大きなため息をはき、
「体格は細く、背は俺より少しだけ高くて、歳は四十手前ぐらい、それと、やや濃い顎髭が生えている人物です。付け加えるなら、初対面の人に性悪な質問をしたりする人でもありますね」
ルークの言葉に、男はくわえた煙草が落ちるのも構わず、膝を叩いて大きく声を立てて笑う。
「なかなかセンスのある答えだな。嫌いじゃないぞ、そういうのは」
「そりゃどうも」
ティリスは不思議な会話を交わす二人を交互に忙しなく見る。一体何の事なのか、しばし理解出来なかった彼女だったが、ルークが言った外見の特徴がそのままこの男に当てはまることから、ある結論に辿り着く。
「あーっ! もしかしてあなたが宗方さん何ですか!?」
大きな声をあげながら、ティリスは男を指差した。
男は小さな拍手をティリスに送る。
「当たりだ。そっちのあんたはともかくとして、嬢ちゃんはもう少し警戒心を持った方が良さそうだな」
先程地面に落ちた煙草の火を踵で踏み消し、懐から再び煙草を取り出してマッチで火を点す。煙を吐きながら、
「ここの第二ブロックの商品管理を任されている、宗方 弘(むなかた ひろし)だ。よろしく」
自己紹介しながら、男はティリスに向かって握手を求める手を差し出した。怖ず怖ずとしながらも、ティリスはそれを握る。続いてルークにも手を差し出し、ルークは特に何も思わずにそれを握った。
「では、こちらの自己紹介もさせてもらいます。私がティリス・ターコイズ。こっちのがルーク・サンストーンです」
そう言った後、ティリスは恭しく御辞儀をする。後に続くように、ルークも少しだけ身体を傾けた。
顎髭を撫でながら、宗方は眉をひそめる。
「随分と変わった名前だな、芸名か?」
「えっと、本名ではなく、会社に定められた名前を使うのが私達の務めている会社の一環なんです」
宗方は顎を上げ、空に向かって煙を吐き、指の代わりに煙草でティリス達を指した。
「あんたらもしかして、<クリスマス・カンパニーズ>の社員か?」
そう言われたティリス達は、驚愕の表情を浮かべる。
「な、なんで分かったんですか…!?」
「理由は至極簡単さ。俺も昔、そこに務めていたからな」
「えッ!?」
ティリスは更に驚き、目玉が飛び出しそうなくらい大きく見開く。ルークは疑心と驚きが入り混じったような声で、
「本当かよ…」
と、小さく呟いた。
「何なら日本支部局長の名前でもあげてやろうか? もしかしたらオレが居ない間に代替わりしたかも知れんがな」
「…いえ、信じます」
宗方は短くなった煙草を地面に捨て、踵で踏み消す。それからまた煙草を取りだし、マッチで火を点した。
「そうか、ならいい」
ティリスは何度も大きく深呼吸をして、何とか平静を取り戻す。
「すみません、取り乱してしまって…。元<サンタクロース>の人と会うのは、これが初めてだったんです」
「はは、まぁそうだろうな。あそこを辞める奴は、かなり少ないからな」
「あの、失礼を承知で聞きますけど、何で辞めたんですか? いや、確かに人によって理由は様々だとは思うんですけど、ちょっと気になったんで…」
宗方は空を見上げ、煙をはいた。霧散していくそれを感慨深く見つめながら、
「…辞めたんじゃなくて、辞めさせられたんだ。禁忌事項に触れてな……」
それを聞いたティリス達はまたしても驚き、今度は言葉を失った。
<クリスマス・カンパニーズ>に於いて、いくつかの禁忌事項というモノが存在する。禁忌事項は大きく分けて三つあり、
・我が社の技術を持ち出し、地上の会社に提供すること。
・我が社の意向を無視して、私利私欲に走ること。
・我が社の道具を使用して、利己的な行動をとること。
これらのいずれかを犯せば、軽い処罰であれば降格、最も重い罪であれば<サンタクロース>を辞めさせられ、更に業務に関する事、並びにそこで知り合った人達の記憶を全て消されてしまう場合がある。例外なのが殺人で、これを行った場合は問答無用で警察に届けられることとなる。
宗方は再び煙草を大きく吸い、空に向かってはいた。散っていくことなく、そのまま上昇していって雲になればいいのに。そんな幻想染みた事を思い、宗方は自分を笑う。
「オレは…人一人を助ける為に勝手な行動を取り続け、道具を無断で使用した…。無論、クビになる事ぐらいは覚悟していたさ。最悪、記憶を消されることも覚悟していた。だがそれでも、あいつを助けたかったんだ…。本当に、自分がどうなったとしても……」
宗方は自嘲気味笑い、
「こんなオレは、馬鹿だと思うか?」
ティリスは俯き、静かに首を振る。彼女は頷くわけにはいかなかった。頷いてしまったら、去年行った自分の行為すら否定してしまうからだ。
「あの…」
彼女はふと、どうしてこの人がそんな事をしたのかを聞きたくなった。それは、去年行った事が本当に正しかったのかどうかを知りたくなったのだ。禁忌事項に触れても、周りに迷惑が掛かると分かり切っていて尚、人一人の願いを叶えるのが正しいのかどうかを。
「聞かせてもらえませんか? どうして、そんな事をしたのかを…」
ティリスの質問をせせら笑いながら、
「聞いても何の面白みもないぞ。そんじょそこらの余田話を聞いた方がよっぽど楽しいし、タメになる」
それでもティリスは、ベンチに座ったままティリスは頭を下げ、頑とした様子で答える。
「お願いします」
宗方はため息の代わりに煙をはく。
「…どうしても、か?」
ティリスは頭を上げ、真っ直ぐ宗方を見つめる。
「はい」
何の躊躇いもなく、澄んだ声で答えた。
ティリスの眼はあまりにも真っ直ぐで、迷いがない為、宗方は思わず苦笑する。
「…分かった。長くなると思うが、話してやるよ」
短くなった煙草を地面に捨て、踵で踏み消す。ベンチに座ったまま前屈みになり、手を組んだ。
「そうだな。やっぱり、出会いから話すべきなんだろうな…」
それから宗方は空を見つめ、ゆっくりと話し始めた――。
→
十二月二十四日 【Gentle lie】
それは、今から十四年前のクリスマス・イブの出来事――。
宗方は今、プレゼントを届けるために病院へと<ソリ>を走らせていた。
長期入院により、クリスマスを病院で向かえる子供は少なくない。それ故、病院へプレゼントを配達するケースも決して珍しくはなかった。
<ソリ>を運転しながら、彼は子供のプロフィールを見る。
「これは、酷いな…」
その経歴の酷さに、彼は同情心を抱かずには要られなかった。彼は何度か病院に長期入院している子供を受け持ったことがあるが、ここまで悲惨な境遇に居る子供は見たことがなかった。
子供の名前は浅川 千歳(あさがわ ちとせ)、現在十二歳。十歳の時に交通事故に遭い、両目を失明する。それからずっと、今の病院に入院し続けていた。そこまでは不幸な事故に遭った少女に過ぎないが、問題は親族にあった。
去年の八月、千歳の両親は何も言わず、少女を病院に残して蒸発してしまう。
それからの治療費は母親の父――千歳の父の両親は既に病気で死に、母の方もまた、病気で死んでいた――支払っていたが、今年の七月に心筋梗塞を起こし、そのまま帰らぬ人となった。少女がまだ入院できているのは、その死んだ母の父親の保険金があるからだ。
少女は僅か十二歳にして、血が繋がっている人を全て亡くしたのだ。
そうこうしている内に病院へ付き、宗方は仕事に取りかかる。そして、室内に侵入した。
一番手前のベットに、千歳が静かな寝息をたてて寝ていた。その他のベットは全て空いており、部屋の中は何ともうら悲しい様子だった。
こっそりと忍びより、ベットの側で宗方はプレゼントを取り出す。
出て来た物は、『お喋りグウム』。人工知能が備わっており、こちらから話しかけた言葉を理解し、様々な対応をみせる人形だ。
この人形を見たとき、宗方はどうしようもない悲しみに包まれた。
これが希望第一位のプレゼントかどうかは宗方には分からなかったが、何故千歳がこれを欲しがったのかは容易に想像が付いた。
それは、話し相手が欲しかったのだ。看護婦さんではなく、気軽に話せるような、友達のような存在の話し相手が。
両親は蒸発し、頼る者もなく、そして眼も見えない。少女は、暗闇の中で独りぼっちだ。そう思えば思うほど、悲しみが募っていくだけだった。
仕事中だと自分に言い聞かせ、溢れ出そうな涙を抑えながらも、宗方は千歳の枕元にプレゼントをそっと置いた。
「…ごめんな。オレにはこれぐらいしか出来ないんだ…」
小さく呟きながら、髪を梳くように千歳の頭を撫でる。そして、後ろ髪引かれる思いでその場を立ち去ろうとする。
宗方が窓に向かって一歩踏みだそうとすると、服に妙な抵抗感があるのを感じた。何かに引っかかったのだろうか、そう思い、彼は振り返る。
すると、先程まで仰向けになって寝ていた千歳が光の無い眼で宗方をじっと見つめ、腰の辺りの服を掴んでいた。
(しまった…!)
内心、彼は強く舌打ちをする。
失明しているとはいえ、誰かがここに来たというのを他の誰かに知られると、後々厄介なる。その為、ヘルメット型の記憶操作装置、『海馬代読補筆装置』を使用して今あったことを全て消去しなければならない。これも仕事の内であり、絶対に行わなくてはならない処理の一つなのだ。
宗方は『時計』の三番を押し、『小袋』に手を入れようとする。
「お父さん…?」
小さな、今にも消えてしまいそうなか細い声で、千歳は宗方に向かってそう言った。
宗方は、『小袋』に手を入れる直前で止まる。
「ねぇ、お父さんなんでしょう?」
引き寄せるように服を強く握り、もう一度宗方に問うようにして言った。
『小袋』に手を入れ、道具で記憶を消すべきか。「そうだよ」、と答えるべきか。宗方は悩み倦む。
「お父さん…」
涙ぐんだ声で呟き、千歳は宗方の腰の辺りの服を掴んだまま、そろりそろりとベット降りる。少女にとって今掴んでいるモノは、暗闇の中ようやく見つけた小さな希望の光。離してしまえば、二度と掴めないような気がしていたのだ。
立ち上がり、残った手を使い、危なっかしい様子で周りを探る。そうして、千歳は宗方の脇の辺りを掴み、今まで腰の辺りの服を掴んでいた方の手も、脇の辺りを掴んだ。
「やっぱり、サンタクロースさんは居たんだね。お父さんが言った通りだったよ。こうして、私の希望を叶えてくれたんだもの…」
もう何処へも行かないように、千歳は非力な力でぎゅっ、と宗方を抱きしめる。
「……そうだよ」
宗方には、「違う」と答えることなど出来なかった。ましてや、千歳を振り払って記憶を消去するなど、彼のクビが掛かっていたとしても出来はしないだろう。
「ごめんな、仕事が忙しくて今まで来られなかったんだ」
彼は地面に膝を付け、優しく包むようにして千歳を抱きしめる。
「…ただいま」
「お帰りなさい、お父さん」
空しい嘘だとしても、いつかバレる嘘だとしても、宗方はこの嘘を突き通そうと心に誓っていた。
規則を破り、クビになったとしても、彼は千歳の父親を演じたくなったのだ。この瞬間だけではなく、今後ずっと。少女の眼が見えるようになるまで――。
※
それから十日後、仕事の後処理も終わり、宗方は再び病院を訪れた。
勿論部屋は知っているので、受付で聞くことなく、そのまま三階にある千歳の病室を尋ねる。
病室に入っても、千歳はこちらを向くことなく、上体を起こして窓の方を見つめていた。ベットの近くにある椅子に座ったところで、ようやく宗方に気づいたようだった。
「お父さん?」
千歳は恐る恐る宗方に尋ねる。
「そうだよ」
そう彼が答えると、千歳は花開くように笑顔に変わっていく。そんな笑顔を見ていると、彼もまた笑顔になっていった。
「ごめんな、また仕事が忙しくてさ」
「ううん、別に良いよ。ちょっと寂しかったけど、こうしてお父さんが来てくれるって信じていたから」
ズキリ、と宗方は胸が痛むのを感じた。
嘘をついてまで千歳の父親を演じるのは本当に良かったことなのか。浮いてきた疑惑を振り払うように、頭を振るう。
「ねぇ、お父さん」
「なんだい?」
千歳はペコリ、と小さく頭を下げる。
「あけまして、おめでとうございます」
一瞬、何のことだか分からなかった宗方だったが、すぐに新年の挨拶だと気づき、慌てて頭を下げる。
「こちらこそ、明けましておめでとう御座います」
※
そして次の日も、宗方はお昼頃に千歳の病室を尋ねた。
「今日はな、おみあげを持ってきたんだ」
「本当に? 何なのかなー?」
宗方は持ってきた紙袋から、ラッピングされたケーキの箱を取り出した。
「じゃじゃん、ショートケーキ!」
そう言いながら、宗方は大きめにカットされたケーキを箱から取りだし、皿の上に置いた。
「やったぁ! ……あれ? でも今日は誕生日でもないのに…」
「今まで祝ってやれなかったからな。今日は特別さ」
「やったぁ! お父さん大好き!!」
大好き、と言われたことを嬉しく思いながら、宗方はフォークでケーキを取り、千歳の口へ運ぶ。
「ほれ、あ〜ん」
つられるように、
「あ〜ん」
と、言いながら千歳は大きく口を開ける。宗方は舌の上にケーキを乗せ、
「はい、パックン」
そう宗方が言うと、素直に千歳は口を閉じ、それからフォークを引っこ抜く。
もぐもぐと口を動かし、ごくんと宗方にも分かるぐらい大きな音をたてて飲み込んだ。
「…おいし〜」
千歳は幸せそうなため息をはき、うっとりとした表情になる。
(そんな表所されるんなら、苦労して買ってきた甲斐があるってもんだな…)
宗方が買ってきたケーキは、今最も美味しいと評判のあるケーキ店で、店が開く四時間前――早朝五時から並ばないと買えないという、一日限定三十個しか作られない希少価値のあるショートケーキだった。
「もっともっと!」
宗方が準備する前から、既に千歳は大きく口を開け、パタパタと手を振ってねだっている。
「分かった分かった」
何だかヒナに餌をやっているみたいだな、そんな事を思いながらも、宗方はケーキを口へ運んでやる。
「うん、おいしー!」
再びうっとりとした表情になる。そんな千歳を見て、宗方は微笑む。
ケーキが無くなるまで、そのやり取りは続いた。
※
それから宗方は怪しまれないようにと、一日置きに、もしくは二日置きに千歳の病室を訪ねた。
おみあげを持っていったり、昔の話をしたり、仕事(擬装として、運送業をやっている事になっている)の話をしたり……。
特別な事もなく、他愛のない話をして千歳と日々過ごしていると、宗方はまるで本当の親子になったような錯覚すら覚えていた。
だが、そんな幸せな日々も長くは続かなかった――。
※
仕事の都合で面会時間ギリギリになり、宗方は慌てた様子で千歳の病室へ向かっていた。だがその途中、彼よりも少し若く、おっとりとした顔つきの看護婦に呼び止められる。
「あの、千歳ちゃんの血縁関係の方ですか…?」
思わず、宗方は苦笑いした。この質問を受けたのはもう十数回にもなる。
「いえ、父親の方の知り合いでして。こう言うのも何ですが、千歳ちゃんを哀れに思い、こうしてお見舞いに来ているんですよ」
看護婦は納得した様子で大きく頷く。
「なるほど、そうなんですか――なんて、納得できると思いますか?」
唐突に豹変し、看護婦は厳しい目つきで宗方を見る。
「既に宗方さんの血縁関係、友人関係は洗い済みです。これが何を意味しているか、お分かりですね?」
看護婦の正体に気づいた宗方は後ずさり、身構えた。
「…<コロボックル>か。まさか看護婦にコスプレとは、思ってもみなかったよ」
「醜いアヒルの子の逆パターンですよ。恰好さえ同じであれば、注意深い人でなければ分かりませんから」
「それで、何の用だ?」
宗方は背中に冷や汗が伝うのを感じながらも、依然として強気な姿勢をみせる。
「私がここに来た理由は、貴方が一番理解しているのでは?」
看護婦に化けた<コロボックル>が言うように、宗方には既に分かっていた。
個人的な理由で地上の人に会うのは別に構わないが、<サンタクロース>がバレた時の記憶を消去せず、尚かつ今も接触を続けているというのであれば話は別だ。
「千歳は<サンタクロース>なんてモノは知らない。クリスマスの日に来たオレを父親だと信じ、慕っているに過ぎないんだ」
「いえ、寧ろそれが問題なのです。貴方は一体、どこから侵入しましたか?」
宗方はそこで、ハッ、となった。
千歳の病室は三階にある。しかも泥棒の侵入を防ぐため、ベランダのような足がかりとなるような物はない。従って侵入するには、屋上からロープで下りてくるか、或いは彼らが使っている空飛ぶ<ソリ>を使う他ないのだ。
「今、水面下ではありますが、看護婦達がそのことを疑問に思っています。治療中、あの少女が口にした『クリスマスの日、お父さんが窓の外からやって来た』、という台詞を」
<コロボックル>は更に続けた。
「勿論、それだけでは動きません。一介の社長である貴方が定期的にここを訪れていれば、誰だって気になります。そこで私に調査依頼され、こうして居る訳なんです」
「いつだ?」
「いつ、と申されますと?」
<コロボックル>はとぼけた様子で首を傾げる。そんな態度に苛立った宗方は、
「<ボガート>共が来る日だよ!」
と、怒声に近い大きな声を出した。
<コロボックル>は人差し指を唇の前に置く。病院なので静かに、そう言っているように見えた。
「そのような隠語を使うのは止めて下さい。彼らは<ブラウニー>です。お間違いのないように」
<ブラウニー>というのは、不測の事態が起きたときに動く部隊の事だ。主に、禁忌事項に触れている者を確保する時に動くが、こうして<サンタクロース>が知られているのにも関わらず、記憶が消されなかった時などにも動いたりする。私情を挟まず、冷徹なまでに判断を下すところから、性悪な妖精という事で<ボガート>という隠語が付いた。
少し悩むような素振りを見せた後、
「…三日後です」
その数字の少なさに、宗方は絶望した。
「たった三日だけなのか…? 千歳と一緒に居られる時間は、もうそんなに少ないのか…?」
全身の力が抜け、膝から崩れ落ちる。今まで培ってきた千歳との幸せな日々が、彼の中で音をたてて崩れていく。
彼は、いつかこうなることは予想していた筈だった。けれど、心の何処かでは永遠に続くような気もしたのだ。例え、彼の嘘で作られた親子ごっこだとしても。
宗方と千歳が親子ごっこを始めてから六ヶ月足らず。子を持ったことの無かった彼にとってそれは、幸せに満たされた日々だった。
「貴方は…」
そう<コロボックル>は口にしたが、一瞬躊躇い、言葉を句切る。だが、
「……貴方を監視し続けて一ヶ月、ずっと疑問に思っていた事があります。貴方は何故、あの少女の為にそこまで想う事が出来るのですか? 血縁でもなく、救っても何も得られる訳でもないのに、自分の身を危険に晒してまで側に居ようとするのですか?」
宗方は力無く立ち上がり、<コロボックル>の質問に答えることなく、お化けのようにゆらゆらと揺れながら歩き始める。
「答えて下さい」
宗方が横を通り過ぎようとした時、<コロボックル>は強い口調で言った。
真横で立ち止まり、力の無い声で彼は呟く。
「…一緒に居たい。オレも千歳も、そう願っているからさ…」
それは、理由としてはあまりにも単純で、彼にとっては心からの本心だった。
「たった…たったそれだけですか? そんな理由だけで、貴方は今の地位を捨てでも一緒に居ようとしたのですか!?」
納得いかない、といった様子で<コロボックル>は声を荒立てた。
「あんたの名前は?」
警戒しながらも、<コロボックル>は呟くようにして答える。
「…ミリク」
「ミリク。あんたも子を持てば、オレの気持ちが分かる筈さ」
自分を嘲笑うかのように、
「…まっ、オレのは本当の子供じゃないけどな」
と言って、ミリクの肩を軽く叩き、宗方は再び歩き出す。
「…何処へ行くのですか?」
「決まっているだろ、千歳の病室だ」
ふらふらとした足取りながらも、宗方はしっかりと床を踏みしめ、病室へ向かって歩いていく。
ミリクは手を強く握りしめ、振り返り、彼の背中に向かって言った。
「…六日後です。貴方にはもう三日、猶予を与えます。…私が貴方にしてあげられるのは、これだけです…」
宗方は立ち止まることなく、手を挙げ、左右にひらひらと動かす。それで充分だよ、そう言っているように見えた。
※
日も落ち、病室の中は暗闇に包まれていた。この病室には千歳しか居ないので、電気を付けるも付けないも彼女次第だ。だが、日が落ちていなくとも、電気を付けても、彼女の視界は変わらない。
宗方は部屋に入って直ぐにある蛍光灯のスイッチに手を触れたが、窓の方を見つめ、月明かりに照らされている千歳を見て止めた。
足下に気を付けながらベットに近づき、もはや定位置となっている椅子に腰掛ける。
「千歳はいつも窓の方を見ているな…」
「うん。だって、待ち遠しいんだもの」
「待ち遠しい?」
「お母さん。今年のサンタクロースさんにお願いしたんだ。今度はお母さんをお願いします、って」
「…そうか。叶うと良いな」
「絶対に叶うよ。お父さんだって来てくれたんだもの」
「そうだな。きっと、叶うだろうな」
「うん!」
宗方は少し悩み、それから言葉を紡いだ。
「なぁ、他に欲しい物はあるのかい?」
「他に?」
「そうだ。何だって良いぞ。父さんがサンタクロースさんに直接お願いしてあげるからさ」
千歳は唸りながら悩み、それから答えた。
「あのね、お父さんの顔を見てみたい」
「父さんの…かい?」
「うん! お父さんがどんな顔だったのか、もう忘れちゃったから…」
そんな千歳の答えを聞き、宗方は嬉しさと、悲しさが同時に湧いてきた。
「それは、眼が見えるようになりたい、って事かい?」
やや躊躇いがちに、小さく頷きながら、
「…うん。お父さんと一緒に、お外にも行ってみたいから…」
「そうか。父さんも千歳と一緒に外を歩いてみたいな…」
「うん! じゃあ約束だよ!」
千歳は小指を立てて右手を挙げる。宗方も小指を立てて右手を挙げ、小指同士を絡め合う。
「♪ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった!」
――だが結局、その約束は果たされることはなかった。
※
宗方は今、プレゼントを用意する為に<ソリ>を走らせていた。
季節は初夏、オーストラリアでもなければ、こんな時期に<サンタクロース>の出番など無い。全ては宗方の独断によるもので、禁忌事項の一つ、『我が社の道具を使用して、利己的な行動をとること』に該当する行為だ。
それは、懲罰を受けることも、クビになることも、<サンタクロース>に関する記憶を全て消されることも覚悟した上での行動だった。
「待ってろよ…。願いはちゃんと叶えてやるからな…」
自分自身に言い聞かせるように、宗方は呟いた。
願い、というのは勿論、千歳の眼を治す事に他ならない。だが、それには絶対に必要なモノがある。それは、『お金』だ。
どんなに博愛があろうと、どんなに慈愛があろうと、お金が無ければ千歳を助けることなど出来はしない。それが現実で、それが世の中の理。
彼が今向かっているのは、悪徳高利貸しの一つである、『プライマス』の社長宅だ。
――そう、彼は千歳を助けるために泥棒紛いの事をしようとしていたのだ。汚名を受けようが、罵倒されようが、千歳の為ならばそれもいとわない。それが、『お父さん』として彼が出来る、せめてものプレゼントだった。
社長である飯田 武(いいだ たけし)の部屋は既に暗く、物音もしないところから、もう床に着いているのだろう。宗方は窓ガラスを『手袋』で開け、部屋の中に忍び込む。
すぐさまベットに近寄り、スプレーでより深い眠りへと誘わせた。
それから宗方は三番の『海馬代読補筆装置』を取り出し、飯田の頭に被せた。
スイッチを入れると、ブゥン、という音の後、空中に半透明なテレビ画面とキーボードが現れる。『キーワードを入力して下さい』という文字が現れると同時に、宗方はタイピングを始める。
『ニコラス・セント』、そう打ち込み、そして実行させた。
すると、『貴方は高らかに口笛を吹いた。さぁ、トナカイ達の名前を呼ぼう』という文字が表示された。
宗方は満足げに小さく頷き、今度はメモ帳を見ながらタイピングを始めた。
『ダッシャー』、『ダンサー』、『プランサー』、『ヴィクセン』、『コメット』、『キューピッド』、『ダンダー』、そして『ブリクセム』。計八匹の名前を打ち込み、実行させる。
ピー、という小さな電子音の後に、赤い色の文字が一文字一文字ゆっくりと画面に表示されていく。
・警告! 最上監理者の許可無くこのモードを使用してはいけません。許可無く使用した場合は、禁忌事項に触れたとみなし、厳重に罰せられます。
厳重に罰せられる、そんな文字を見て宗方は思わず嘲笑う。既に禁忌事項を犯している自分にこれを見せたとしても、もはや何の意味も成さないな。そう思ったからだった。
『海馬代読補筆装置』、見たまんまの通り、『ヘルメット』と呼ばれている。記憶を司る『海馬』を操作し、特定の記憶を『削除』する。それが、これ本来の機能だ。だが、本当の機能――別名『裏モード』と呼ばれるモードに切り替えると、『削除』ではなく、『補筆』。つまるとこ、記憶の書き込みが出来るようになるのだ。
そもそも人が物事を忘れるというのは、情報を伝達する為にある『ニューロン』が目的地(思い出そうとしているモノ)までの道程が途切れてしまっているからだ、と言われている。それを応用し、消去したい目的地、またはそれに関するモノに大量の情報を一瞬にして送りつける。すると、許容量を超し、オーバーフロー――つまり、豆電球に高い電圧を送り、破裂させるような事が起こるのだ。目的地が無くなってしまえば、自ずと『ニューロン』も無くなっていく。そうすれば、何かの拍子があってもそのことを思い出すことはない、というのがこの装置の原理だ。
このようなモードが存在するのは、調整用の為であって、記憶を改竄する為に付いている訳ではない。その為、このモードを知っているのはごく一部、ギリアムのような工場長のみに口伝される。
しかし、宗方はそれを知っていた。それは――
(忘年会の時、出来上がったギリアムのおっさんが言っていた『裏モード』って台詞を聴き逃さなくて良かったよ…)
更に、ギリアムはこんな風にも言っていた。この『ヘルメット』の『裏モード』に入ると、使い方もまた異なってくる、と。その為、宗方は昨日の夜にギリアムを酔い潰し、このモード専用のマニュアル本をこっそりと熟読してきていたのだった。
後は、千歳を救うために考えてきたシナリオを、ここに打ち込んでいくだけだった。震える指を押さえるため、何度か大きく深呼吸をする。
そして彼は、思いのままに打ち込んでいった。
※
翌日、宗方は日本支部局長の元を直接訪ね、記憶を改竄した以外の事を全て話した。
自首したことや、情に流されて行ったことなどを考慮され、宗方は<クリスマス・カンパニーズ>をクビだけで済み、それと同時に今の仕事先を紹介される事となった。
それから三日後、ミリクが地上に引っ越した宗方のアパートを訪ね、事の顛末を報告した。
二日前、<ブラウニー>達が動き、病院は『元通り』になった。それだけを言うと、ミリクは他に何も言わず去っていった。
だが、宗方はそれで満足していた。千歳とずっと一緒に居るという自分の願いは叶わなかったが、千歳の願いは叶えられそうだったからだ。
宗方は懐から煙草を取りだし、口にくわえた。彼は千歳と会う前は毎日のように吸っていたが、彼女が煙草の匂いを嫌っていたので、今まで禁煙していたのだ。
マッチを擦り、火を点す。そして大きく吸い込み、部屋の中が曇るほどの煙をはいた。
「…煙草の味って、こんなんだったかな…」
※
記憶を『元通り』にされてから一ヶ月後、千歳の元に一人の初老の男が訪ねてきた。
「誰?」
千歳がそう訪ねると、男は難しい顔をして答える。
「アンタの『お父さん』の知り合い…ってことになるんだろうか。いや、どちらかというと恩師と言うべきだろうな。随分と前、金に困っていた時に助けてくれてな」
どっこいしょ、と言いながら、重そうな腰をベットの近くにある椅子に降ろす。
「その恩師とも言うべき人が、先日儂の家に来て、土下座して頼み事をしていったんだ」
「頼み事?」
「そう。アンタの手術費を出してくれってな」
――それから五ヶ月後、様々なリハビリを重ね、千歳は眼が見えるようになった。奇しくもその日は、クリスマス当日だった――。
※
「…これで、オレの昔話は終わりだ」
長い昔話を終えた宗方は、懐から煙草を取りだし、火を点した。そして、ため息の代わりに煙をはく。
辺りは既に日が暮れ、あれだけ忙しく動いていたフォークリフト達は静まり、十トントラックは荷物を運ぶために何処かへと出発していった。
「千歳の眼が治ったというのはミリクから聞いたが、直接会って、直っているかどうかを見たことはなくてな。会社の方から、千歳に会ってはいけないという通達もあったし、何より、オレの覚えていない千歳に会いに行っても、虚しいだけだしな」
自分の昔話の感想を求めようと、宗方がティリス達の方を向いたとき、彼は思わずぎょっ、となった。
「…泣いているのか?」
ティリスは、呆けた様子でほろほろと涙を流していた。
「……え?」
宗方に言われ、そこで初めて自分が泣いている事に気が付いたのか、ティリスは恥ずかしさのあまり赤面になり、急いで涙を袖で拭う。
「あはは…。すいません、昔からそういった話には弱くて…」
面目ない、といった様子で赤くなったまま頬をぽりぽりと掻く。
「それで、そこら辺に転がっている余田話よりも面白かったか?」
少し躊躇いがちに、ティリスは頷く。
「はい。あ、面白かったというより、参考になりました」
ティリスの答えに、宗方は首を傾げた。
「参考になった?」
「あ、いえ。何でもないです」
何かをごまかすために、両手を胸の前で必死に振る。
「そっちの兄ちゃんは?」
ルークは顎に手をあて、少し考えた後、
「んじゃ俺も参考になったという事で」
そう答えると、今度はティリスと宗方の二人が首を傾げる。
「それって私のマネ?」
ティリスの質問に、ルークは肩をすくめ、
「さぁ?」
と、戯けた様子で言った。
唐突に、電信柱に掲げてあるスピーカーから何処かで聴いたことのあるような音楽が流れ、現在の時刻――四時丁度であるのと、暗くなってきたので小、中学生達は帰るようにと促す放送が流れた。
ルークはポケットから急いで携帯電話を取りだし、時刻を確認した。放送された通りの四時だった。
「げっ、マズイ! ティリス! 早く『気球乗り場』へ戻らねぇと、今日帰れなくなるぞ!」
『気球乗り場』は五時で閉店となる。暗くなると危険性が増すのと、夜に気球を飛ばすのは少々不自然だからだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 肝心の商談がまだ済んでないじゃないの!」
「先に車に行ってエンジン掛けてるからな! 商談が済んだからすぐに来い! 終わらなくても、あと十分経ったら打ち切って車に来いよ!」
ルークは後ろ向きで走りながら、早口でティリスに伝えた。伝え終わると、前を向き、車に向かって全力疾走していく。
「全く…いざって時に頼りにならないんだから…!」
愚痴をこぼしながらも、ティリスは個数を確かめるために急いでメモ帳を取りだし、
「えっと、宗方さん。『ゲーム・フレンド』を四十個売っていただきたいんですけど…宜しいですか?」
「そりゃこっちとしても有り難い話だが…。『G・F』の卸値は八千円だぞ? 一人あたりのプレゼント予算って、そんなに増えたのか?」
ティリスは気まずそうに顔を振る。
「ちなみに今年の予算は?」
「…四千円です」
それを聞いた宗方は、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「随分と予算が減ったもんだな…。オレの時は六千円だったというのに…」
宗方はそこで妙な矛盾に気づく。
「…ちょっと待てよ。四千円しかないのに、『G・F』を買おうとしたのか?」
何も言わず、ティリスはばつが悪そうに頷く。
「オレの所だったら卸値が四千円だと思ったのか? それとも――」
その分の差額を自分で受け持つのか、そう聞こうとして宗方は止めた。確信はないが、多分そうなのだろう、と思ったからだ。
宗方は思わずにやける。こんな所にも、他人の為に自分を犠牲にする大馬鹿野郎が居たんだな。感慨深く、そう思った。
「…いや、間違った。『G・F』の卸値は四千円だった」
「……え?」
「だから、オレの勘違いだったんだよ。今在庫がたっぷりあるから、その分割安になっているんだ」
そう言って、宗方は親指で倉庫の方を指差した。
「いや、でもそんな…」
「言ったろ? ここの商品管理を任されているって。こういった客に値段を取り決めるのも、オレの仕事の一つなんだよ」
にやり、と宗方は煙草をくわえたまま笑う。
ティリスは感謝の言葉を言おうとするが、うまく言葉がまとまらず、代わりに腰よりも低く頭を下げ、これ以上ないくらい深い御辞儀をした。
「連れが車の中で待ってるぞ。早く行ってやれ」
「本当に、ありがとうございました…!」
もう一度深い御辞儀をしてから、ティリスは車に向かって走り出した。
走り去っていくティリスの背中を、宗方はどこか懐かしい眼で見つめていた。
「なんか、雰囲気とか行動があいつに似てたな…。献身的で、涙もろくて、どこか危うい感じなんかそっくりだ…」
煙をはきながら、宗方は一人呟いた。宗方は会社に居た頃を思い出し、少しだけ感傷に浸る。
(あいつとは、かれこれ十四年間も会ってないんだな…)
会社を首になって以来、彼は元部下達と一切会っていない。別に会社からそういった通達が会ったわけではなく、迷惑を掛けたという後ろめたさがあって、会うことを避けていたのだった。
「さて…」
ベンチから立ち上がり、短くなった煙草を地面に落とし、踵で踏み消す。
建物の中に帰ろうとした時、宗方は重要な事に気が付く。
「…会社の名前、聞いてなかったな…」
<スルーア・シー>に送れば包装はしてくれるが、本人の名前が分かっていても会社の名前が分からない以上、住所不定扱いとなり、結局届かなくなる。
(あの野郎に調べてもらえば、多分何とかなるだろう)
そう自分に言い聞かせ、納得したように何度か小さく頷く。
建物の扉を開け、中に入る。雑貨入れの引き出しを開け、電卓を取り出した。
『G・F』の卸値――八千円と打ち込む。それから個数分を掛けると、三十二万円となった。半分の値段で提供したので、損益は十六万円にもなる。宗方は、思わず苦笑いした。
この損益分は勿論、商談をした宗方の責任になるので、
「…銀行から金降ろしてこなきゃな…」
→
十二月六日(月) 【Old friend】
ティリスは首を左右に振り、バキバキと小気味良い音を鳴らす。社内にはティリスとカミルしか居ないので、やけにその音が響いた。
「あ〜…疲れた」
ウォルズから頼まれていた書類が終わり、ティリスは疲れた身体を癒すために机の上に置いてあったチョコレートを一欠片食べる。
疲れた身体には糖分が効く、という大した根拠のない民間療法だが、ティリスにとっては本当に疲れが取れているような気がしていた。
「ティリス、ボスが出来上がり次第直ぐにこちらへ寄越してくれ、と言っていたわ」
ティリスの向かい側に居るカミルは、ティリスが終わったことに気づき、ウォルズから伝えられていた事をそのまま言った。
「当の本人は?」
「外へ出掛けたわ。九番の<イェソド・ムーン>に用があるらしくて」
<イェソド・ムーン>の従業員数は全部で十人居り、<ヒメヒマワリ>の次に最も社員数が少ない会社だ。業績の似たり寄ったりなのだが、何故か日本支部で最も社員数の少ない<ヒメヒマワリ>の方が若干上だった。つまるとこ、日本支部に於いて最も業績の低い会社だ。
カミルは時計をちらりと見る。針は午後二時三十分を指していた。
「あと三十分もすれば帰ってくると思うけど、直接届けに行った方が良いかも知れないわね」
「そうだね。もしかしたら、そこで使うかも知れないし」
ティリスは立ち上がり、そのついでに両手を高く上げて背伸びをした。それから書類を手に取り、玄関に向かった。
ドアノブに手を掛けたとき、ただならぬ殺気を感じ、思わずその手を引っ込めた。
「どうかしたの?」
「えっと、その…」
どう言ったら良いのか分からず、しどろもどろになりながらも、ティリスはノアノブを指差す。
ティリスの様子を不審思い、カミルも立ち上がり、玄関に向かって行く。玄関まであと一メートルというところでカミルもその殺気を感じ、思わず身構えた。
「なに…? この異様な殺気は…?」
滅多なことでは表情を崩さないカミルだったが、彼女は無意識の内に眉をひそめていた。
「これは…どうやら私達に向けてではなさそうね…」
カミルは、その殺気の発生源と思われる玄関の向こうを見つめる。
殺気に脅えたままのティリスに代わり、カミルがドアノブに手を掛け、そして警戒しながらゆっくりと開けた。
玄関を開け放つと、より一層濃い殺気がカミルの肌にひしひしと感じられた。ティリスは脅え、後ずさっていくが、カミルは原因を探るべく歩を進めた。
外に出ると、殺気は右手の方向――西側から来ていることに気づく。西側、それは中央広場からだった。
殺気の正体に気づいたカミルは、直ぐさま中に戻り、玄関を閉める。
カミルの行動で何となく察しの付いたティリスは、真っ青な顔で、そうではないことを願いつつ、
「もしかして…社長とセルスさん?」
その問いに、カミルは項垂れるようにして頷いた。
「どうやら鉢合ってしまったみたいね…。ティリスを責めるわけではないけど、去年の事があるから、今までの比にならないほどの啀み合いとなっていると思うわ…」
※
中央広場には大きな噴水と、その中心に大きなもみの木がある。もう一週間もすれば、もみの木に飾り付けされ、クリスマスらしい雰囲気を出すことだろう。大きな噴水の周りにはベンチが何個か設置しており、お昼休憩に座る人も居れば、読書の為に何時間も座る人も居る。
現在の時刻は午後二時三十分。忙しい時間帯なのにも関わらず、辺りには人っ子一人居ない。つい先程までベンチで書類整理していた男は逃げるようにして居なくなり、うたた寝をしていた女性もそれに気づいた瞬間、近くの建物に向かって走っていった。
原因は、噴水の前でもう五分近くも睨み合い続けている二人の女性が、ただならぬ殺気を撒き散らしているからだった。
西に居るのが<オールファーム・ビナー>の社長、セルス・アンダリューサイト。
東に居るのが<ティファレト・ヒメヒマワリ>の社長、ウォルズ・ペリドット。
かつては同じ会社に勤めていたが、とある事件を期に仲違いになり、互いに社長となった後でもこうした啀み合いは続いていた。
「ご機嫌よう、ウォルズ社長」
長い沈黙を破ったのは、セルスだった。うっすらと微笑みを浮かべているが、それは様々な事を噛み含んだ笑みだった。
「そちらは随分とお元気なようで、セルス社長」
ウォルズもうっすらと微笑んでいるが、どちらかというとそれは薄ら笑いに近かった。
「新入社員も新しく入ったみたいで、益々のご盛況のようね」
「そいつはどうもありがとう。そちらのお誘いを蹴ってまで来た新入社員だからな。丁重にお持てなしをしないと」
ぴくり、とセルスの目蓋が動く。
「そうね。同じ穴のムジナ同士、仲良くやって欲しいと願っているわ」
やれやれ、といった様子でセルスは肩をすくめ、顔を振る。
「類は友を呼ぶとは言うけれど、そこまで上手く集まると、いっそ賛美を送りたくなるわね」
今度はウォルズの目蓋が、ぴくり、と動く。
「ほう? それはどういった意味なんでしょうかね?」
挑発的な口調でウォルズが言うと、セルスは当たり前のように、
「不良の集まりのように、問題児達は集まりやすいということね」
ひくついた笑顔のまま、ウォルズは納得したように何度か頷く。
「確かに。烏合の衆のように、能力もない人達が山ほど集まるのも、類は友を呼んでいるからなんでしょうな」
ウォルズの言葉で、セルスの笑顔は完全に凍り付いた。
水面下だった二人の争いも、抑えられていた怒りが爆発するように、唐突に、そして猛烈な勢いで戦いの火蓋が切って落とされた。
「業績ランキングを下から数えた方が早い会社になんかに言われたくないわ!」
「相変わらず業績にのみ拘るヤツだな! いいか、私達は<サンタクロース>なんだよ! 分かっているのか!?」
「勿論、身に染みるほどね! 貴女こそ分かってないんじゃないかしら? <サンタクロース>である前に、私達はあくまで雇われの身だってことに!」
「またその議論か? ねちっこいのは嫌われるのが世の常だぞ。だからマカライト先輩にも――」
いつもは冷然とした表情をしているセルスが、珍しく頬を赤らめ、ウォルズの言葉を遮るように、
「そ、それは関係ないでしょうが! だったら貴女も同じでしょう!?」
「私よりもご執心だったのはあんただろうが。昔、酔っぱらった時に散々のろけ話を聞かされたんだ。今更違うとは言わないよな?」
ずい、とセルスに向かってウォルズは一歩身を乗り出す。それに反発されるように、セルスは後ずさった。
何かに気が付いたのか、セルスは、はっとなり、場を直すように大きな咳払いをする。
いつの間にかウォルズのペースに巻き込まれたのを少々悔やみながらも、セルスはお返しと言わんばかりに、
「それで、あのお嬢さんは?」
「お嬢さん?」
ウォルズは首を傾げた。
「惚けないで欲しいわ。ティリスの事を言っているのは、分かっているのでしょう? 去年の事もあるのだから、今年は謹慎させるべきだわ」
「なんでセルスがそれを決める? 会社の物事は、その会社の社長が決めるべきだと私は思っているんだけれど?」
「あれだけの事をして、降格だけってのは処分が甘すぎるわ。飴だけでは人は育たない。鞭を打つことによって、そこで初めて育む事が出来るのよ」
「だから、ティリスは今年謹慎させて、以後こういったことの無いように教育的指導をしろ――と?」
満足したように、セルスは大きく頷く。
「ええ。さすがに今年は分かってくれたみたいね。彼女がまた何か問題を起こして、あの会社を畳むことになったら、貴女にとっても、マカライト先輩にとっても辛いことだから…」
「確かに…ね」
ウォルズは力無く頷いた。
辺りに撒き散らしていた殺気は既に無く、寧ろ大切な人を亡くしてしまったような、そんな哀愁が漂っていた。
「あの会社を引き継いだ以上、貴女はあの会社潰さないように全力を尽くさなくてはならないわ。それが社長としての務めで、志を受け継いだことにもなるわ」
「…先輩の志?」
「そうよ。子供達の為にプレゼントを配り、夢を叶えるためにクリスマス・イブの夜空を駆けめぐる。それが先輩の志――」
セルスがマカライトの志について語っている途中、ウォルズは押し殺したようにして笑う。やがて、辺りに響き渡るほどの大声で笑い始めた。
「それがあんたの言う『マカライト先輩の志』なのかい? 何処かの運送会社のキャッチコピーみたいな台詞が、先輩の目指したモノなのかい? 笑えてくるよ。やっぱり、あんたは何にも分かっていない!」
憧れだった先輩の事を何にも知らない、そう言われて癪に触ったのか、セルスは声を荒立てる。
「何もかもを分かっているような口を利かないで! ウォルズやティリスのように問題を起こすことが、マカライト先輩の志とでも言うの!?」
「そんな風に言っていること自体、何も知らないことを露呈しているようなもんなんだよ! どうして先輩がセルスじゃなく、私に会社を受け継げって言ったその理由が、まだ分かってないようだね?」
セルスはウォルズから顔をそらし、吐き捨てるように、
「そんなの、分かりたくもないわ…!」
雌雄を決したのか、セルスは身を翻し、すぐ近くにある自分の会社に向かって歩き出した。
「ティリスには今年もプレゼント配りをやらせる。これは、既にカミルと話し合って決定したことだ」
その言葉を聞き、セルスは立ち止まる。ウォルズに背を向けたまま、
「どうぞ御勝手に。…ただし、今度何かをしでかしたら、あの会社は無くなると思いなさい」
首だけ振り向き、セルスと長い付き合いのあるウォルズでも見たことがない、冷たくて、ナイフのように鋭い視線を送った。そして、<オールファーム>の中に入っていった。
セルスが去った後、ウォルズは深いため息をはき、近くのベンチに腰掛けた。
(あの会社が無くなる――か…)
遠くに見える、<ヒメヒマワリ>の屋根を見つめたまま、ウォルズはもう一度深いため息をはいた。
ウォルズにとって<ヒメヒマワリ>とは、学校のような存在だった。そこで<サンタクロース>というモノを学び、そして、<サンタクロース>として育ってきた。様々な出会いがあり、様々な別れがあり、喜び、哀しみ、怒り、それら全てが<ヒメヒマワリ>に詰まっていた。
その母校ともいうべき存在が無くなるということは、彼女にとってそれは故郷を失うに等しい。
セルスが言ったように、もう一度ティリスが何かをすれば、今度こそセルスが<ヒメヒマワリ>を潰しに掛かってくるだろう。セルスの性格を知るウォルズには、それは良く分かっていた。
会社が無くなってしまうという危険性を孕んでいるにも関わらず、ウォルズは今年もティリスにプレゼント配りをさせようと、本気で思っていた。もう一度何かをする可能性は強い。それも、ウォルズは十分承知していた。
ここまでしてティリスに<サンタクロース>をやらせようとしているのは、ウォルズがマカライトの志を受け継ぎ、守っているに他ならない。
マカライトの志、それは――。
2005/02/24(Thu)00:39:26 公開 /
rathi
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■作者からのメッセージ
ども、結構更新が遅れてしまったrathiです。
引っ越しだとか、会社の云々などか、様々なことが折り重なって遅れてしまった次第であります。
【近況報告】
ケツメイシ、さくら発売中。
良い曲です。特に、カップリングの新生活ってヤツがグットです。
まさに今の私にピッタリな曲ですし。
ではでは〜
作品の感想については、
登竜門:通常版(横書き)
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。