『霧の日』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ライ                

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 目が映す全ての映像は、必ずしも現実とは限らないのかもしれない。最近私はそんな下らない事をよく考える。何で下らないかって、私の両目が捉える世界が、私の全てなのだから。これは私に限った事ではなく、人間誰しもがそうなのだ。それなのに、それが100%現実じゃないといわれたら、一体何を現実として見ればいいのだろう?
 今日もそんな事を考えながら家を出た。やけに派手な色をした腕時計は、五時半を示している。まだまだ朝は早い。けど、私は家を出た。家は嫌いじゃないけど、どうにもこうにも目が覚めてしまったんだから仕方が無いのだ。母さんは低血圧だからまだ起きてない。一応置手紙をしておいた。『学校行ってるから。朝ご飯作っといたよ』――一体どちらが母親なのだろうか?
 外は濃霧だった。ここら辺は山に閉ざされた田舎だから、こんな霧は珍しくない。白いもやの中、私は学校へと足を進める。さく、さく、さく。霜を踏みつけながら歩くと、まるで私一人だけ異世界へ飛びたったような錯覚を覚えた。
 時間が経つにつれて、霧もどんどん深くなる。学校の門が見えた頃には、もう二メートル先のものはハッキリ見えないほどになっていた。当然の事だが門は閉まっている。その門を軽く飛び越えると、あちこちボロがきている、古ぼけた学校がうっすらと見えた。
「寒いなあ」
 白い息を見つめながら、駆け足で学校へ飛び込んだ。廊下は走るとギシギシ鳴る。廃校の噂がささやかれているこの学校は、創立以来100年分の思い出を抱えて、そこに建っているのも辛そうに見えた。
 ――何処へ行こうか
 教室の扉を開けると、重苦しい沈黙が私を出迎えてくれた。そこでずっと時間を潰すのも嫌だったから、私の足は自然と屋上へ向かう。
「寒いのに、屋上行くの?」
 私は私の足に問いかけた。でも足は何も答えず、ただ屋上へと向かう階段を上ってゆく。この寒いのに?――階段は一段上る度、ミシリと悲鳴を上げた。ちょっと罪悪感を感じたりする。

 屋上の壊れかけた扉を開けると、北風が一気に私を襲った。

「びゅわ!!」
 その風に耐え切れず、私は奇声を発した。一瞬戻ろうかとも考えたけど、足はどうしても屋上に行きたいらしい。とりあえず、私は己の足に従った。だって足のおかげで私は立っていられるんだからね。たまには我侭を聞いてあげなくちゃ、怒ってしまうかもしれないし。
「・・・・・・さーむいなーあ!!」
 けどやっぱり寒くて、それを紛らわすために私は叫んだ。声を大にして、思いっきり。その声は近くの山に当たって、微かに戻ってきた。ちょっと嬉しかった。
 その時、戻ってきた声と同じくらい微かに、声が聞こえた。

「楽しいの?」

「びゅわ!!」
 思いがけない声に、私は大きく身をそらした。心臓がバクバク鳴り、あまりに驚きすぎて目がチカチカした。
 そんな私の過剰反応に慌てたように、声は言う。
「あ、ごめん、驚かせた?霧がすごいから見えなかったのかな」
 高いけど、男の子の声だった。精一杯深呼吸をして、私は白い霞の中目をこらす。すると、前の方から一人の男の子が見えてきた。――ああ、吃驚した。まだ心臓はバクバク鳴りっぱなしになっている。
「えーと、君は、確か」
 姿を現した男の子は、少し長い髪でちょっと鋭い目をしていた。この学校は生徒数が少ないから、私は全校生徒の名前を覚えている。けど、この男の子の名前はいくら考えても出てこなかった。あれ?誰だったっけ――。
「・・・・・・きのう転校してきた、霜崎信也(しもざきしんや)だよ」
 そんな私の心の中を見透かしたように、男の子は言った。
「あ、そっか。霜崎クンだったよね、ごめん」
「別にいいよ、慣れてるから」
「そう?」
 ならいいや――って、え?
「慣れてる?」
「うん、慣れてるから。僕の名前、覚えてくれてた人、今まで一人もいないんだ」
 ――え?
 霜崎クンはちょっと笑っていたけど、目までは笑ってなかった。むしろ、悲しそうにも見えた。私が今まで見てきた笑顔の中で、一番寂しい笑顔だった。見ているのが辛くて、何故か私は目を伏せた。
 霧が霜崎クンと私の間をどんよりと通る。まるで、私達を分けるかのように。霧は手で掴めないハズなのに、この霧は硬い堅い壁のように見えた。変なの。
「――霜崎クンの通ってた前の小学校って、どんなのだったの?」
 何となく会話が途切れたから、仕方無く私が口を開く。霜崎クンは少し考えてから、「変なヤツばっかりいたよ」と答えた。・・・・・・変なヤツ?
「変なヤツって、どんな?」
「説明しきれないけど、とにかく変なヤツ」
「へえ」
 霜崎クンはあまりこのことについて触れてほしくないようだった。だから私はそれ以上聞かない事にする。ちなみに、この時私の頭の中には色んな『変なヤツ』が生み出されていた。例えば、目からビームが出たり口から火をふいたり、そんな『変なヤツ』。
 
 ――寒いなあ

 霧は相変わらず濃かった。そして、私達の間の霧も相変わらずどんよりとしていた。
「君は?」
「へ?」
「名前」
「あ、私は桂裕奈(かつらゆうな)っていうの」
「そう、桂さん」
 そう言った霜崎クンの瞳は私を映していなかった、気がする。もっと別の世界を見てた、そんな気がする。私には見えない凄く遠くの世界。唐突に、霜崎クンが前の学校で何を見てきたのか気になった。気になってしょうがなくなった。
「ねえ」
 聞いちゃいけないような気がする。でも、聞きたいのだからしょうがない。11歳の少女の、心の葛藤。聞こうか聞くまいか、その結論が出ないうちに私の口は声を発していた。

「前の学校で、霜崎クンはどんなものを見てきたの?」



「寒いね」
 霜崎クンは私の質問には答えずに、ただ手をすり合わせて呟いた。その瞳はやっぱり私を映していなくて。やっぱり他の世界を見ていた。霜崎クンだけの世界。私には見えないその世界は、どんなものがあるのだろう。
「しもざ」
「桂さん」
 私の呼びかけを最後まで聞かず、霜崎クンは言った。視線はそのままで、口元だけ優しく緩める。傍から見ればそれは柔和な微笑みだった、そして私も最初はそう感じた。ああなんて優しく微笑むんだろうこの人はっ、て。
 でも、違った。 
「僕はね、前の学校で色んな『変なヤツ』を見てきたよ」
  
 間違いだった。 

「でもね、桂さんほど『変なヤツ』はいなかった」

 ああなんて――寂しく笑うんだろうこの人は。
 
「霜崎く、」
 こんなに悲しい瞳をして笑う人を、私は今まで見たことがなかった。ただその霜崎クンの言葉に成す術なく、突っ立っていることしか出来なかった。所詮無理だったのだ。霜崎クンは別の世界を見ていた。私もまた霜崎クンとは別の世界を見つめていた。違う世界を見る者同士が分かり合えるハズが無かったのだ。
「――ねえ」
「え?」
「霜、――晴れてきたね」
 霜崎クンの言葉に導かれるように、私は我に返る。気づくと、確かに霧は薄くなっていた。私と霜崎クンの間に流れていたどんよりした霧の壁も、少しずつ無くなっていく。さっきより、霜崎クンの姿がハッキリ見えた。


 ――目が映す全ての映像は、必ずしも現実とは限らないのかもしれない。


 私はまた、考えていた。
「桂さん?」
 霜崎クンの見ている世界は少なくとも現実じゃなかった。その世界は霜崎クンの理想で作られたいわば『理想郷』であって、一種の気休めに他ならなかった。
「桂さん、教室に帰らない?」
 けれど霜崎クンはその世界でしか生きることができないようだった。気休めのハズが休みすぎて、いつしかその『理想郷』自体が霜崎クンの生きる世界になってしまっているようだった。


「霜崎クン」
「何?桂さん」

 ――霜崎クンの世界の中で、私はどんな役回り?

 霜崎クンは微笑んだ。その笑みはやっぱり寂しそうではあったけど、さっきよりは挑戦的で楽しそうに見えた。
「愚問だね」
「グモン?グモンってどういう意味?」
「おろかな質問、ってことだよ」
「・・・・・・へえ。で?」

「決まってるじゃないか。僕の世界を荒らす、とっても『変なヤツ』さ」


 ひゅうひゅう北風が吹いてきた。その風と一緒に、校長のバイクがグラウンドを走る音が空しく響いてきた。
――霧は、どんよりと晴れていく。 



2004/12/29(Wed)08:42:39 公開 / ライ
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■作者からのメッセージ
ライです。先ずこんな小学生はいませんね(汗)私の世界の小学生はこんな感じです・・・・・・。やはり最後がこじつけっぽくなってしまいました。伝えたい事をちゃんと伝えられるように書きたいものです。精進せねば。あと、前作で感想を下さった皆様、ありがとうございました。

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