『運命のコンダクター 0〜12 』 ... ジャンル:ファンタジー ファンタジー
作者:Rikoris
あらすじ・作品紹介
『あなたは、運命を信じますか?』平和に日々を過ごす学生、飛彗星螺(ひすいせいら)の元にそのメールが届いたのは、あまりにも突然だった。意識を手放し、運命の国へと旅立つ星螺。運命の国、変えられない運命を変えるための世界。現実と運命の国が交錯し、星螺を時に惑わし、時に導く。果たして運命は存在するのか? 運命の国は、星螺をあらゆる手段で翻弄する。 現実は、星螺を否応なしに傷つける。星螺はどのような選択をし、どのように生きるのか――
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【プロローグ:新型ウイルス?】
『あなたは、運命を信じますか?』
もとよりメル友なるものなどいない私に、久々に届いたパソコンメールの題がそれだった。どうせ下らない宣伝か何かだろうと思ったが、せっかく久々に届いたのだから、と開けてみた。パッと、画面に文字が広がった。
『飛彗 星螺(ひすい せいら)様
ぶしつけなメールをお許しください。
あなたは、運命の存在を信じますか?
もし、信じているのならば、それを変えてみたいとは思いませんか?
少しでもそうお思いでしたら、添付ファイルをお開き下さい。お待ちしております。
運命のコンダクターより』
怪しいメールだ。妙に馬鹿丁寧な文面だし、何か臭う。添付ファイル、って事はウイルスメールか? それに……飛彗星螺とは紛れもなく私の本名。どこから、個人情報が漏れたというのだろう? 疑問と疑いは、積もりに積もって行く。
けれど不思議と、そのメールを消去する気にはなれなかった。私自身、何かそのメールに期待していたのかもしれない。
添付ファイル、それは1KBという軽いものだった。ウイルスじゃ、ない? 表示を見て私は思う。何度かウイルスの添付されたメールが入ってきた事があるが、どれも何十KBもあった。いや、新型という可能性も……
訝りつつも、その添付ファイルを開いてしまったのは何故だろう?
画面が、フッと黒くなった。しかし電源を切ったときとは違って、底光りしている……一体、何が?
一瞬、やられたと思った。……やはり、新型ウイルスだったというのか?
そう思ったのも、つかの間だった。次の瞬間にはもう、思えなくなっていた。
いきなり画面から強い黒い光が発せられて、私を飲み込んだのだ。感電した時のように体が動かなくなって――私は意識を手放した。
【1.運命の館】
「セイラ様、運命の国へようこそ!」
弾んだ声に、私は目を覚ました。……真っ暗だ。けれど、声をかけてきたものの姿ははっきりと見えた。
そいつは、闇の中に浮いていた。人じゃ、なかった。体は狼に似ているけれど、頭も尻尾も三つずつある。全身、紅の光に包まれて光っていた。動物、なのだろうか? 何かの神話に出てくる獣に、どことなく似ている。確か名は……
「アッシは、ケルベロスいいます。運命の館の門番です」
三つの頭が口を揃えて言って、頭を垂れた。一斉に言われると、ちょっと不気味だ。
そうだ、こいつはギリシャ神話に出てくる地獄の門番ケルベロスに良く似ているのだ。というか、そのもの?
「運命のコンダクター様、お待ちです。どうぞ」
三つの頭が、炎をいっせいに吐き出した。私に背を向けて、反対側へ――……
ギギギィ……
耳障りな音がして、門が開いた。いつの間に現れたのだろう? 西洋の城の門に似た、豪華な白い門だった。そこから、白い道がのびている。目で追っていくと、豆粒のように建物が見えた。
全て、闇の中に浮いている。ケルベロスと同じように、とてつもなくはっきりと――
……これは、夢なのだろうか? きっとそうだろう。少なくとも、現実であるはずがない……! もしかしたら、あのメールをもらった所から、夢は続いているのかも――
「どうしました、セイラ様? はやく館へ……」
いつの間にか門の右へ退いていたケルベロスが、小さく小さく見える建物を頭で示して言った。
あれが館……あそこに、運命のコンダクターが居る? 私は、あそこへ行かなきゃならないと言うの? そして、運命のコンダクターに会え、と?
ギュウッ、と頬を強くつねってみる。夢であって、という期待を込めて。けれど、痛かった……夢じゃ、ない?
悪寒が、全身を駆け抜けた。突然恐ろしくなってきて、だっと私は駆け出した――
気が付くと、目の前に建物があった。豆粒のように見えたアレだ。まるで、西洋の城そのものだ。尖った屋根に白い壁。例えるならば、シンデレラ城か。
「運命の館へ、ようこそ」
スウッと音もなく入り口の金扉が開いて、そんな声が飛んできた。暖かい響きの、しかし凛と響く声だ。聞いたことがあるような感じで、懐かしさを思わせた。現れた金髪は、にっこりと私に微笑んで言った。
「お入り下さい」
【2.変えなきゃいけない運命】
館の中は、外とは正反対に明るかった。それに前を歩く金髪の声のように暖かくて、いくらか私を安心させてくれた。
「こちらで、ゆっくりお話致しましょう」
私を案内していた金髪は、緑の扉の前で立ち止まった。
……ん? お話しましょう? 運命のコンダクターとやらが、待っているのではないのか?
「あぁ、申し遅れました。私が、運命のコンダクターです」
さも私の心を読んだかのように、絶妙なタイミングで金髪は振り向いて微笑んだ。へぇ、主さん自らお出ましとは。驚きと感嘆とで何も言えなかった。それにしても、この見るからに優しそうな青年が、私をあの妙なメールでここへと連れて来た張本人だとは! ただの案内人かとばかり思っていたから、なおさら驚いた。
「とにかく入りましょう、セイラさん」
緑の扉を開いて、金髪青年――運命のコンダクターさんは、私へ呼びかけた。中は落ち着いた緑で統一されていて、テーブルが中央に一つ、ソファがその両脇に一つずつあった。
中へ入ると、ソファを勧められた。素直に座ると、ふわふわしていて心地が良かった。
「まず……これを」
どこから取り出したのか、向かいのソファに座った運命のコンダクターさんは、私に一枚の紙を差し出した。それはB5版で、ずらずらと文字が連ねてあった。
『セイラ=コメット様
あなたに、この国への居住権を授けます。
運命を変えるために、あなたはここへいらしたのでしょう、これほどのチャンスはありません。是非ともこのチャンスを……』
「セイラ=コメット? 居住権? 何なのよ?」
冒頭の二行に、不信感を覚えた。私の名前は飛彗星螺だし(この人がどうして知ってるのか謎だけど)、居住権なんて欲しいなどと一言も言っていない。むしろ、こんな所からは直ぐにでも帰りたい。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、さらっと運命のコンダクターさんは答えた。
「セイラ=コメットというのは、あなたのこの国での名ですよ。私は、あなたにチャンスを差し上げようというのです。ここに留まらなければ、永久にあなたの運命は変わりませんよ?」
「運命を、変える?」
「ええ、この国はそのために存在しているのです」
運命を変える? そのために、この国は存在している? そもそも……
「運命って、何なのよ? 変えなきゃいけない程の、運命って? 私にはそんなもの……」
「いいえ、ありますよ」
ぴしゃりと、先ほどまでとは打って変わった厳しい口調で、運命のコンダクターさんは言い放った。
「変えなくてはならない運命……普通には避けられない運命を、全ての生物は持っているのです。それは……」
それは……?
「死、ですよ」
死。その一語が、私の脳内で木霊した。
【3.レクイエム】
物悲しい音楽が聞こえる。
頭蓋骨に心地良く響くその曲には、聞き覚えがあった。コーラスの美しいこの曲は、レクイエム。
それを聞いているのが誰かも、容易に想像出来た。
ゆっくりと、重い瞼を開く。右を向くと、その人はいた。小さな木造りの椅子に座って、突っ伏している。
部屋の片隅で、CDプレーヤーが、レクイエムを歌っている。
モーツァルトの、『涙の日』。突っ伏しているこの人は、この死者のための曲を、一人で聞くのが好きなのだ。多分、父さんが亡くなってから――
『アーメン』というコーラスが聴こえて、曲が終わった。それでもその人は、突っ伏したままだ。
曲を聴く邪魔をするようで、声をかけるのがためらわれていた。けれど曲は終わり、今、CDプレーヤは黙っている。
「母さん……」
おそるおそる、私はその人に声をかけた。バッとその人――母さんは顔を上げた。
「星螺……!」
母さんは、自らが死人にでもなったかのようにやつれてしまっていた。どうして――……私の、せい?
「良かった……星螺……!」
呟いて、母さんは両手で、寝台に寝かされていた私を抱きしめた。圧死するかと思う程、強く強く。でも、その温もりは私に戻ってきたんだと、生きているんだと実感させてくれた。
「気が付いたら、パソコンの前に倒れているんだもの……あの人の時と同じ……! 心配、かけるんじゃないわよ……」
叱るような事を言いつつも、その口調は弱々しく、声は震えていた。ポタリ、と私の頬に水が落ちる。――水?
ポタリ……ポタリ……
とめどなく、落ちてくる。――泣いている? 母さんが……
「凄く、心配したのよ……丸一日、眠っていたんだから、あなた。医者は眠っているだけと言うし……。もう……独りにしないでよ!!」
最後に一声叫んで、わんわんと声を上げて赤子のように母さんは泣き始めた。最後のは、本当に心からの一言――
私は、母さんの気の済むまで、そのままでいさせてあげることにした。ぼんやりと、今さっきの出来事を思い出していた。
「変えたくはありませんか? 死という、運命を」
いつそれが起こるか解らないのですよ、と運命のコンダクターさんは繰り返した。でも……!
「変えたくない、って事はないわ! 出来ることなら変えたい。だけど――」
「今は帰りたい、と?」
この人には、私の心が全てお見通しなんじゃないか、という気にさせられた。
「……そうです。わかっているのなら」
「わかりました。彼女も、あなたの事を心配しているでしょうし。そろそろ現実世界では、一日経ってしまいます。あなたはその間、意識がこちらにあるから、ずっと眠ったまま。――帰って、彼女や友人に、別れを告げるといいでしょう」
「彼女って……もしかして」
「ええ、あなたのお母様のことです」
この人は、私の家族構成まで知っているのか、と驚いた。父さんが数年前に原因不明の病気で亡くなって、数日前に双子の妹が事故でなくなった。そして今は、私と母さんの二人暮し。どうしてこんなにも、この人は知っているのだろう、私の事を。
「何で……? どうしてそんなに私の事を知っているの?」
とっさに、疑問が口をついで出ていた。どうしてか、運命のコンダクターさんは切なげに微笑んだ。
「――わかりませんか? まぁ、良いでしょう。きっと、いずれ思い出すでしょうから。帰り道を、ご案内しましょう」
運命のコンダクターさんは、さっさと先へ立って歩き始めた。私は仕方なしに、それに続いた。
延々と、複雑な道を辿った。迷宮のようで、どこをどう通ったかなんて覚えられるはずもないくらい複雑だった。これが館の中なのかと疑いがこみ上げてくる程。どんどん、地下へ向かっているようだった。
「ここです」
案内人は、白い扉の前で立ち止まった。
「この扉をくぐれば、帰れます。まだ、あなたなら。けれど……避けられない運命が、訪れても知りませんよ」
命の補償はしない、というわけで。だけど私は、扉をくぐった。帰れると信じて。母さんを安心させたくて。
そして、レクイエムは聴こえてきた。生者の訪れを祝うものではないけれど、私というものが、現実に受け入れられたように思った。
三十分くらいして、やっと母さんは泣き止んだ。というよりも、泣き疲れて寝入ってしまった。私は、寝台から起き上がって、代わりに母さんを寝台に寝かせた。
勝手にいじる気にはならなかったのだろうか。父さんの遺品とも言える古い箱型のパソコンが、部屋の隅に――CDプレーヤーがその上にある――置かれている。今は私のものとなっているそのパソコンの電源は、まだついていた。スクリーンセーバーが動いている。マウスを動かしてみると、あのメールが表示された。
何だか気味が悪くなって、メールを閉じてパソコンの電源を落とした。ふと、パソコン台に置かれた一枚の写真が目に留まった。
良く似た、金髪の少女が二人、並んで写っている。瞳は黒で、顔立ちは東洋風だ。彼女達は、いや、あの日の私と双子の妹一月(かつき)は、剣道着姿で笑顔を浮かべている。私の首には金の、一月の首には銀のメダルがかけられていた。それは私と一月の、最後の写真だった。
『運命って、あるのかなぁ……?』
あの時の一月の言葉が、忘れられない。あの日のことを思うと、何も出来なかった無力な自分が嫌になる。とてつもなく。
一月のことを想うと、頭の中に『涙の日』が流れ出す。父さんが亡くなって以来、何度となく聞かされたあのレクイエムが。
安らかに眠れ。なんと身勝手な言葉なのだろう。けれども私には、そう祈ることしか出来なかった。一月の魂が、天国へ迎え入れられるように――
【4.プリムラ】
一月十三日。今日は、一月(かつき)と私の誕生日だ。
去年までは、二人でプレゼントを交換し合ったりしていたっけ。だけど、もうそれは出来ないんだ――
「おっはよー星螺! なぁに、ムズカシー顔してんのぉ?」
今日は木曜日。まだ義務教育中の私は、中学へと向かっていた。その通学路で、右手から飛び出してきた少女に、私はドンッと突き飛ばされた。
予期せぬ攻撃に私が派手に転ぶと、少女は長い漆黒の髪を盛大に揺らし、慌てて駆け寄ってきた。
「あぁっ! ごめんね、大丈夫? まさか、全国大会優勝の剣道の達人があたしみたいなのに転ばされるなんて、思いもしなかったよぅー」
すまなそうに言って、少女は手を差し伸べてくる。
親友の、水埜終(みずのしゅう)だった。彼女は特に一月と仲が良かった。一月の友達、ということで紹介されて、私と彼女も仲が良くなったのだ。だからなのか、彼女を見ると一月の事を必ずと言っていい程、鮮明に思い出してしまう。
「ねぇ、ほんっとーに大丈夫?」
終の手を取って立ち上がると、私の顔を覗き込んで彼女は尋ねてきた。
「顔色悪いよーっ? それにらしくないっ! いつもはこう、バッシーンって絶妙な突込みが入ってくるのにぃー」
右手でものを叩く仕草をしながら、終はつまらなそうに言う。
自分でも、無理もないかな、と思ってしまった。終に右から突き飛ばされて、思い出してしまったのだ。あの日の……一月が事故にあった時の事を。
「――大丈夫……」
かろうじて、そう答えた。気持ち的に、大丈夫ではなかったのだが。とはいえ、体は全く大丈夫だ。日ごろ剣道で鍛えているお陰か、無傷だった。
「あっ、もしかして昨日の熱治ってないんじゃ? テストだからって、無理しちゃダメだよ?」
あんな言葉で、洞察力のある終が誤魔化せるはずがなかったらしい。終はなおも真相を知ろうとして来た。
熱、というのは母さんの作った口実だ。私が学校を休んだ事の。原因不明で眠り続けている、だなんて言える筈がなかったのだろう。この冬の時期なら、不自然ではなかったようだ。
っていうか、それより……
「テスト? そんなのあるの?」
不思議そうに私が尋ねると、終は大きな焦げ茶の瞳をさらに大きくした。
「ってえぇっ?! 知らなかったのぉ?! 今日と明日、実力テストだよ?!」
もともと高い声を、オペラで高音を歌おうとするソプラノ歌手さながらに高くして、終は叫んだ。本当に、心底驚いたらしい。これも、妙に真面目な所のある彼女ならでは。
「……忘れてた」
本当に、忘れていた。最近、色々ありすぎて。もともと一月の事で頭の容量が一杯なのに、一昨日の変なメールに運命の国やらコンダクターやらだ。テストなんて、それらに圧縮されてゴミ箱行きになっていた。
「忘れてた、って……。ある意味すごいねーっ。んっとね、今日は国語と英語と社会だよ。明日は理科と数学ね」
驚きの次は、呆れたらしい。それでも自ら教科を教えてくれるのが、終の良い所だ。
「ありがとう」
頼んだことではないが、一応礼を言っておく。
「どーって事ないよ。でも、今からで大丈夫? しかも、今日星螺の苦手な国語と社会あるんだよ? 何なら、出そーなトコ教えたげよーか?」
「良いの?」
「もっちろん」
願ってもない申し出だった。終は国語と社会のエキスパートだし、何より過去問を先輩達からかき集めて、テストに出るところの研究を行っていたりするのだ。彼女の情報なら、百パーセント的中することだろう。範囲のない実力テストも、今からでも赤点にならずにすむかもしれない。
けど、終の事だからきっと何かあるんだろうな……
「えと、教える代わり、と言っては何なのですが――」
ほら来た。
「今日帰り早いじゃないですか。一月のお墓参り、行きません?」
有無を言わせぬ彼女特有の“わざと丁寧語口調”と満面の笑み(私の中で、ブラックスマイルと命名されている)で、終は要求してくる。普段の彼女は真面目なところはあってもほのぼのとしていて癒し系なのだが、こういう時はとんでもなく怖い。傍から見ればさわやかなのだが、相手にされてる方から見ると、彼女の周りには黒いオーラが漂っている。触れたら串刺しにでもされてしまいそうだ。
「行きますよね? もうお花だって用意してあるんですよー」
ゴソゴソと学生鞄を探って、終は小さな花束を取り出す。白い花だった。
「プリムラ?」
答えの代わりに、そんな言葉が口から転がり出た。白い花の学名だ。一月は、この花が何でなのか好きだった。
「一月のお墓参りには欠かせないでしょう。大好きだったお花なのですから。で、行きますよね?」
だんだん、終の顔の笑みが、ブラックスマイルからダークスマイルに変わりつつある。早く答えを言わないと、どうなることか。全く、あのほのぼのが、どうしてこういう風になれるのだろう? はぁ、とため息が一つ漏れる。
「ため息ばっかりついてると、ただでさえ少ない幸せがどんどん逃げていってしまいますよ?」
さらに言うと、こういう時終は毒舌になる。二重人格じゃないかと疑う程、態度が変わるのだ。
「で、行くんですよね? お墓参り」
「もちろん。そういえば、まだ一度も行ってなかったし」
とにかく早く元に戻れ、と心の中で呟きつつ私は答えた。
「よかったぁー」
満足そうに、終はいつもの少し抜けた声で呟いた。そして、屈託のない笑みを浮かべる。さっきまでのブラックを通り越してダークがかったスマイルが、嘘のようだ。あの刺々しい黒いオーラも消えていた。
一月のお墓参りには、終に言われずとも近いうちに行こうと思っていた。行ったところで何が変わるわけでもないけれど、気休めくらいにはなるだろうから。それなのに直ぐに行けなかったのは、やっぱりどこかで一月の死を認めたくないからだと思う。でも、終の言葉で踏ん切りがついた。まあ、どうせ彼女は断っても、どうにかして私を連れて行こうとしただろうけど。
「はいっ、お誕生日プレゼント」
唐突に終は言って、綺麗なピンクの包装紙に包まれた小箱と、プリムラを鼻先に差し出した。
「あ、ありがと……」
毎年のことだったが、いきなりだったので戸惑った。両手に受け取って、何か物足りなさを感じた。そうだ、去年までは隣で一月が終の趣味の良いプレゼントを絶賛していたんだっけ。
「プリムラは、星螺からお墓にお供えしてあげて。その方が、一月も喜ぶと思うから。お誕生日だしね」
お節介と言うかなんと言うか。とはいえ、自分にはない彼女のそんな所に私は惹かれたのだろう。
プレゼント交換は出来なくなったけど、一月に贈る――といってもお供えとしてだけど――事は出来る。一月がどこに行ったかはわからないけれど(まあ、地獄には行っていないだろう)、気持ちだけでも届けば良い。
私は終からのプレゼントとプリムラ(特にこちらは潰れないように)を、そっと学生鞄にしまった。
【5.一月の存在】
ザワザワと話し声が、聞こえる。笑い声も、聞こえる。
自然に耳に入ってくるそれらが、いつものことなのに今日は嫌に気になった。
本当に、今日はテストの日なのか。
三年A組の教室内は、そんな疑いが頭をもたげる程、騒がしかった。
見回すと、ほとんどのクラスメイトが問題集や教科書を広げてはいる。それだけじゃなくて、いつも私がこの七時半という時間に来ても誰も居ないのに(ちなみに、始業は八時半)、今日はもうクラスメイトの半数以上が来ている。まぁ、テストには間違いないんだろう。何より、終は嘘を決してつかないし。……それにしても。
「にしても……五月蠅すぎ」
ボソッと呟くと、何やら隣で五、六枚のルーズリーフを見ている終が、その体勢のまま応えた。
「ま、実力だからねー。あたしみたいに出るポイントわかってないと、勉強したってムダって思っちゃうんじゃないー?」
言われてみれば、そうなんだろうな。
……て、そのポイントを教えてくれるのではなかったでしょうか、終サン?
「よっし、バッチシ」
終は突然言って、ルーズリーフから顔を上げた。そして、そのままそのルーズリーフを、私の机の上へ置く。
「お約束どーり、終姉さんお手製マル秘テスト対策大公開ー! これさえあれば、テストなんてゴミクズ同然だよっ」
えらい自信デスナ、終ネエサン?
ルーズリーフに目を向けると、終のカラフルな丸文字が笑いかけてきた。『終のマル秘テスト対策』と、大きく見出しで書かれている。その両横に一つずつ、彼女の好きなシュークリームの絵が描かれていた。しかも、ただのシュークリームではなかった。両手両足があり、ぽつぽつと黒いつぶらな目と、赤い口が点で描かれていたのだ。さらに左のシュークリームには青の帽子が、右のには赤のスカートが描かれている。名前まで、絵の下に書かれていた。左のはシューク、右のはリームというらしい。このシュークとリームが、解説をしてくれるそうな。
「……これ、ナニよ?」
やる気あるのか、と思いつつ、シュークとリームを指して、終へ問う。
「あぁ、この子達、カワユーィでしょー? あたしの自信作なんだぁ!」
瞳を輝かせて、私の思いとは裏腹に終は答える。
まぁ、確かに何かのマスコットじゃないかってくらい、絵は上手いんだけど。
「マジメェ〜にガリガリやるより、ちょーっ息抜きながらやったほーがいーんだよ? 少なくとも、あたしは。っとゆーワケで、あと約一時間、一枚十分弱でガンバ!」
早々とそう言って、終は自分のクラスへ帰って行こうとする。
「あっ、あたしそのルーズリーフの内容ぜーんぶ覚えちゃったから、好きにしていーよ! でも、ちゃーんと目は通してねーっ!」
教室の出入り口で思い出したように、終は私へ叫んだ。そして、隣のB組へと駆けて行く。
ふぅ、行った。何故だか、終といると妙に疲れる。今日は特に、その疲労度がダテじゃなかった。裏水埜終が現れたからだろうか。しかし、それだけではないような気もする。
少し考えをめぐらせると、すぐに本当の原因に思い当たった。一月だ。前までは彼女が仲介役のような事をしていてくれたけれど、それがなくなってしまった。それに、終を見ると一月を思い出してしまうから。
私の中で、一月の存在がこんなにも大きかったとは。我ながら、驚いた。
――おっと、今はそんなことを考えている場合ではない。今考えるべきなのは、テストの事だ。
終に言われた通り、彼女に渡されたルーズリーフへ目を通す。と、おちゃらけたキャラクターはいても、内容は至って真面目だった。私の苦手な社会では斬新な年号の語呂合わせとか覚え方などが事細かに、しかしポイントを絞られ簡潔に書かれている。終の発想には、ほとほと感心させられる。全教科において、ポイントがしっかりと抑えられてあった。私はそれらのポイントを、頭にたたき込んで行った。
一通り全ページに目を通し終わると、一時限目の国語をさらった。何度も脳内で反復して確認する。
キーン……コーン……
そうこうしているうちに、黒板横のスピーカーが鳴いた。その上の壁掛け時計を見ると、八時半。もう、始業だ。
担任が入ってきて、朝礼が始まる。それが終わると、さあ、テストだ。
【6.精神病院行き?】
緊張が高まり、教室内が静まり返る。テスト用紙の配られる音が、やけに耳に障った。
スピーカーが一声鳴いた。その始まりの合図と共に、一斉にテスト用紙が表になる。カカッ、と筆の走る音が静寂に響き渡り始める。私の目線の下でも、その音は軽やかに響いていた。
――不思議だった。魔法でも掛けられたかのように、シャープペンシルが紙の上を走る。それ自身が、意思を持っているかのように。しかし間違いなくそれを動かしているのは自分なのだ。
なんと、『終のマル秘テスト対策』に書かれていたポイントが、全て当たっていた。本当に、百パーセント的中。
今更ながら、終は凄いと思った。私に記憶力だけはあることは、自負しているけど。それを生かしてくれたのは、彼女だ。国語の記述も、彼女に教えてもらったポイントで、難なくクリア出来た。普段なら空欄がいくつもあるのに、今回はなかった。終の力様様だろう。
六回目にスピーカーがお決まりのフレーズを奏でた時、最後の教科が終わった。
今日は……お弁当有り? 普通に授業だと思っていたから、もちろん持っていたけれど。ということは、多分……
「星螺ぁー! 同席、オッケー?」
あ、やっぱり来た。今日の私のお助けウーマン、終だ。ファンシーな花柄のお弁当袋を持って、教室の前の出入り口から顔を覗かせている。
「どーぞ」
いつもいつもよく押し掛けて来るなぁ、と半ば感心し半ば呆れながら、出入り口を向いて一言。小さめの声だったような気がするけれど、口の動きを読んだのだろうか。終は、一番後ろの列の一番廊下側の私の席までやって来た。
「ここの人、いないよねー」
私の返事も聞かず、終は私の左隣の席へと座る。まぁ、確かにその人はいつも別のクラスでお弁当を食べているのだけど。どうして、他のクラスのこの人が知ってるかな? テストで普段と席が違うにもかかわらず、だ。
「あ、これ一応返す」
言って、私は今朝終に渡された『終のマル秘テスト対策』を差し出す。好きにしろ、と言われても困ったと言うのが実情。
「ふふっ、これお役に立ちましたでしょう?」
その口調に、私はゾゾッとした。ヤバイ、裏水埜終様のご登場だ。
「ええ、そりゃ、とても。ポイント的中だったし」
きっと、今私は引きつった笑みを浮かべていると思う。それに対して、終はニッコリ。
「では、これもどうぞ」
終は、お弁当袋から折り畳んだ一束のルーズリーフを取り出す。受け取りなさい。声に出さずとも、その笑顔が私を脅迫していた。
おそるおそる受け取って開く。『終のマル秘テスト対策〜理科・数学編』という丸文字が瞳に飛び込んで来た。また、あの妙なイラスト――シュークとリーム――付だ。
「私、もうそれ覚えてしまいましたから、渡しておきますね。理科は特に、生物を見ておくと良いですよ」
再び、ニッコリ。いやホント、それ怖いよ、終サン? テスト対策はありがたいんだけど。
「――じゃ、お弁当食べよぉ」
だから、どうしていきなり変わるんデスカ? あぁ、私には絶対に真似出来ない芸当。
終はそんな私の思いなどお構いなしに、私の差出したルーズリーフを受け取って、お弁当袋へとしまう。と、同時にそこからお弁当箱を取り出した。そして、それを机の上に置き、蓋を開ける。
「ん? ほら、星螺も食べなよ?」
終の言葉に、半ば放心状態だった私はハッとした。出しっぱなしだった筆記具と先ほど渡された『終のマル秘テスト対策〜理科・数学編』を、学生鞄にしまい、かわりにお弁当袋を取り出す。
それを机に置いて、お弁当箱を取り出しその蓋を開いた頃、終が口を開いた。
「で、どうして今日はいつにも増して暗いんでしょうか?」
ああ、またブラックになっている。そう言う終とて、今日は裏と表が頻繁に変わり過ぎてやしまセンカ? ……とは、恐ろしいので口に出すのはやめておこう。
「お誕生日なのに、テストだったからですか? 一月のお墓参りに行かなければならないからですか? ていうか本当、もっと明るくして下さいよ! 只でさえ暗いのに!」
うわ、本当の事かもしれないけど……そりゃ、傷つきますって、終サン? いくら私でも。本当に、毒舌になりますね、あなたは。
「ほんっと、尋常じゃありませんよ、今日のあなたの暗さ模様は。絶対、何か凄い理由があるのでしょう? 私のカンがそう言っています!」
終は、ニッコリ笑み、探るような視線を私に注ぐ。白状した方が身のためですよ? 笑みは、そう言っていた。って、そんなに暗いですか、今日の私は?
「――別に。特に理由なんて無いよ」
思い当たることが全く無かった訳ではない。けれど、終にあの事を言ったら、食らいついて来そうな気がして、何だか怖かった。
「ふぅん? そうですか。でも、理由が無いのはもっと問題ですね。そのうち鬱になって、精神病院行きになってしまいますよ」
「まさか。私、そんなヤワじゃないよ。暗いのは性格だし」
「わかってるなら、直しましょーねー」
私が言い返すと、ここぞとばかりに終は言って来る。いや、そんな簡単に正確直せたら苦労しませんて。それに、いきなり態度が変わるあなたの方が精神病院へ行った方が……
「ま、いーけどさっ。何かあったんなら、相談乗るよ? 何か星螺って、昔っから巻き込まれやすい気質みたいだしぃー」
やっぱり、鋭い終は誤魔化しきれないようで。それにしても、戻ってくれて一安心だ。
「ありがと。もしもの時は、そうさせてもらうかもね」
終が、あの変なメールとか運命の国とかの事を知ったら、周辺引っ掻き回されかねない。そう思ったのもあったけど、それ以上に彼女をなるべく巻き込みたくなくて、本当の事を言わないでおいた。それに、自分自身あのことはまだ良く解っていないし。
とはいえ、私が暗い訳はそれだけではないのだと思う。今日は、一月のことを妙に思い出してしまうのだ。こればかりは、相談したってどうしようもない。
「あっ、じゃーね、星螺」
教室の壁掛け時計を見やって、終は言った。そして、手早く荷物――といってもお弁当――をまとめる。まだ、終礼を始めると言われた時間の十分前だったのだが。しかし、十分前行動は、彼女の習性だ。
しかしながら、いつの間に食べ終えたのだろう? あんなに話してばかりいたのに、終のお弁当箱の中には米粒一つ無かった。どこまでも、謎な人だ。もう長い付き合いだけれど、彼女の謎は深まるばかり。
張本人は、それを知ってるのか、知らないのか。屈託の無い笑顔を浮かべて、お弁当袋を片手に手を振って来る。
「じゃぁね」
私は一言返して、彼女と同じように手を振った。それに満足してか、終は後ろの出入り口から教室を出て行った。
なんだか、妙に食欲がわかなかった。まだ半分も口に入れて無かったけれど、お弁当箱の蓋を閉めて、袋に突っ込み鞄にしまった。
何もやる気がおきず、ぼーっとしていると、間もなく担任が入ってきた。もう、終礼か。
【7.運命を開く】
終礼が終わると、直ぐに終が迎えに来――ると、思っていた。けれど、彼女は来なかった。おかしいな。
運悪く私は教室掃除で、十分程残されたけれど、それが終わってもまだ終は来なかった。やはり、おかしい。約束をした訳でもないのに、昼休みにいつもお弁当を一緒に食べるためだけに押し掛けてくるような人が、お墓参りに行くと約束させたにも関わらず迎えに来ないだなんて。
ひょっとして、廊下で待っているんじゃないか? そう思ってさっさと荷物をまとめて廊下へ出、見回してみた。……けれど、そこに終は居なかった。
まさか、終に限って約束を忘れたなどと言う事はあるまい。となると、まだ教室にいるのだろうか。B組は、とっくに終礼も掃除も終わっている。あの彼女が、そこでじっとしている何て事――
あった。いやはや、何と珍しい事だろう。
B組の教室を覗き見ると、その中央に終は居たのだった。何を、しているのだろう? ここからでは、彼女が廊下側に背を向けて、学生鞄を肩に掛けたままじっと突っ立っている事しかわからない。
普段違うクラスに滅多に入る事が無いので、少しばかり抵抗があったが、私はB組へと足を踏み入れた。
私の気配に気付いたのか、少し近付くと終は振り向いた。彼女の前には、中央に花瓶の置かれた机が一つあった。
「あ、星螺ごめんねーっ。掃除してる間に、と思ったんだけど、終わっちゃった?」
「そうだけど……何してたの?」
「黙祷。星螺もやってけば?」
その言葉と、机の上の花瓶――特にそこに活けられた白い花――で、全てを理解した。白い花は、きっと終が活けたのだろう。今朝私が渡された、プリムラだった。
つまりここは、現一月の席。そして、終は一月に黙祷を捧げていたのだ。
どうせお墓参りに行くけれど、せっかくだから、と私も一月へ黙祷を捧げた。目をつむり、合掌する。そうすると、何だか妙に心が落ち着いた。
どれくらい、そうしていただろう。
「さ、行こう、星螺?」
終に声を掛けられて、私はハッとして目を開けた。十二時五十分。下校鈴十分前だ。あぁ、成程。十分前行動ね。
「早く早くーっ!」
終は言って、教室の出入り口へと向かって行く。私は、半ば駆け足な彼女の後を追った。
一月のお墓がある墓地は、学校から歩いて十分程の所にある。学校から直接行くには持って来いだった。
飛彗家之墓。
その小さな墓石には、そう刻まれていた。飛彗家とは言っても、父は別の墓所で、ここには一月だけが眠っている。
初めて見る一月の墓石は、他と比べると余りに小さく、何だかやるせない。出来ることなら、もっと立派なものを作ってあげたかった。けれども、それは彼女の望みでもあったのだ。
「星螺、お花」
終が、お墓備え付けの花瓶を示して言って来た。そこには、誰が活けたものなのか、ピンクのしおれた花が数本あった。
「ああ」
呟いて、学生鞄から潰れないように大切にしまっておいたプリムラを取り出す。それは、終が木賃と水を含ませた脱脂綿を切り口に巻いておいてくれたからか、元気に美しい白の花を開かせていた。
私は、しおれた花を花瓶から取り出して水を変え、代わりに元気な花を活けた。灰色の真新しい墓石に、その白は良く映えた。
「うん、良い感じだねー」
桶に汲んできていた水を、ひしゃくで墓石にかけていた終が、ふと手を止め言った。終の花選びが良かったのか、その花の白が一月の清楚さを表している気がするからか、プリムラはお墓にとけこんでいた。
「……終、前にお墓参り来た事ある?」
花瓶から取り出した花を見せて、私は終へ尋ねた。何故なら、その花は……
「ん、今日が初めてだけど? ……プリムラ?」
そう、その花は色こそ違えど、一月の好きなプリムラだったのだ。家族か、終くらいしか一月がその花が好きだと、知らないはずなのに。
「じゃ、誰が来たんだろう?」
「星螺の、お母さんとか?」
確かに、それなら説明つくけど。
「そんな話、聞いた事ないよ」
私が言うと、終はんーっと顎に指を当て唸る。考え込む時の、彼女の癖だ。しかし、直ぐに彼女はその仕草を止めた。
「ま、良いんじゃない? 誰だって。害はないし。むしろ、あたし達以外にも、一月を想ってくれてる人がいるって事なんだから、ね?」
どうしてだか、終は嬉しそうだ。口笛でも吹き出しそうな顔をしている。
終の言う事も一理ある。けれど、私はどうも気になった。一昨日のメールのせいもあってか、何だか薄気味悪かった。……だけど、今の終に水を差すのは止めておこう。また裏水埜終になられでもしたら、たまらないし。
「それはそーと、星螺、メイン忘れちゃいけないよーっ?」
メイン? お墓参りで?
「ほら」
終は、両手をそっとあわせて見せる。そして、目をつむった。何か悟って、私も習う。
特に、願うことなどなかった。普通なら、家族の健康とか自分の将来の成功とかを、願うのだろうけど。ましてや一月に、叶えて欲しいことなどない。ただ、仏様というのがいるというのなら。一月を、成仏させてやって下さい――
ツッと、頬を冷たい何かが伝う感触がして、私は瞼を開いた。一瞬、涙かと思った。けれど、違った。それは、天から降り注いでいた。大粒の、雨だった。降りつける雨は、乾いた大地と空気に湿気を含ませて行っている。
「うゎ、いきなりだねー。通り雨かなぁ?」
何か一心に願っていた様子の終も、気が付いたらしい。かと思うと、彼女は自分の学生鞄をあさりだした。
「あった、あった! あー、持って来といて良かったぁーっ」
そんな独り言のような言葉とともに終の手に出現したのは、一本の折り畳み傘だった。なんとも、用意周到な事だ。
「じゃ、帰ろっか。……どうせ、星螺は持ってないんでしょー? 家まで、送ってってあげるよ」
折り畳み傘を開いて、終は言う。そして、ヒョイとそれを私の頭上へと被せて来た。
「どうも」
やっぱり終はお節介だな、と思いながらもそう言っておく。私の家には全速力で走れば十五分ほどで着くし、濡れる事などどうって事ないのだが。まあ、そんなお節介も、彼女ならでは。ありがたいことには、変わりない。
雨脚は、おさまる気配を見せなかった。通り雨のように激しかったけれど、通り雨ほどさっさと過ぎ去ってはくれないらしい。
「――そういえばさ。星螺、どうして一月がプリムラ好きなのか知ってる?」
そんな中、折り畳み傘に守られてゆっくりと歩いていると、終が唐突に尋ねてきた。やっと見つけた話題、という奴だったのだろう。
「いや、知らないけど? 終は知ってるの?」
一月は、良くプリムラを買ってきて眺めていた。けれど、彼女がそれを好きな理由は、仮にも姉だが、私は知らなかった。もとより、私は花には余り興味がなかったし、終のように詮索好きでもなかったからだ。
「一回、きいてみた事があるんだけどね。そしたら、『運命を開く』だって。その一言だけ答えてくれたんだ」
運命を開く?
「それって、何よ?」
「むーっ、模索中。星螺なら知ってるかと思ったんだけどなぁ」
また、終は顎に指を当てる仕草をする。それきり、彼女は黙り込んでしまった。
一月が隠し事なんて、珍しいこともあったものだ。私にでさえ、そんな事は一度だってなかったはずなのに。
少しばかり雨脚が増したような気が、した。
【8.死者からの手紙】
折り畳み傘を壊さんとばかりに、大粒の雨は降り続けている。
この時期に、突然こんな雨とは珍しい。一月なのに、台風でも近付いているというのか?
さっきからずっといつもはお喋りな終がだんまりで、雨音が頭に響きっぱなしだ。ああ、五月蠅いなぁ。終のお喋りが、マシに思えてくる。
分かれ道が見えて来た。真っ直ぐの道と、左にそれる道だ。終の家は、左にそれた方にある。私の家は、真っ直ぐ。普段はここで分かれるのだけれど、今日は二人して真っ直ぐの道を行く。
そういえば、一月が事故にあったのも、こんな時だったっけ。雨は降っていなかったけれど、真っ直ぐの道を行こうとしたら、左の道から車が――
「星螺。……鳴ってるよ?」
終の呼びかけに、現在へ帰された。――鳴ってる? 言われてみれば、右腕に振動が……
右肩に掛けていた学生鞄を左手に抱え、右手でそのチャックを開ける。奥を探ると、硬く冷たいものが指に触れた。それを掴んで、取り出す。
今の空に似た、お目当てのくすんだ銀のボディが顔を出した。カメラすら付いていない、かなり古い携帯電話だ。もう長いこと私が使っているけれど、元はと言えば父のものだった。パートに行ったりと忙しない母さんとの連絡用に、持ち歩いている。
もう、マナーモードのバイブレーションは静まっていた。小さな画面の片隅に、新着メールのマークを見つける。
「メール? お母さんから?」
「タブンね」
終の問いに空返事をしておき、新着メールを開く。
ん? 知らないアドレスだ。題名は……『おめでとう』?
カチカチと動きの悪いボタンを操作して、内容を読む。
『お姉ちゃんへ
お誕生日(@^.)\お☆め★で☆と★う/(.^@)
プリムラありがとうね〜(*^-°)v
知ってる?
プリムラの花言葉、「運命を開く」なんだよ。
何か、良いでしょ?(^‐^*)
じゃ、終にもヨロシクね(^^〃) Katsuki☆hisui♪』
最後の署名には、見覚えがあった。カツキヒスイ……そう、飛彗一月だ。顔文字の多い凝った文面も、死んだはずの彼女のものに似ていた。
手足が、セメントで固められたようにハタと止まる。恐れと期待に、心臓が高鳴っていた。
彼女が、生きている? 生きていて、お墓の傍に、いた?
そんなはずはない! 一月なはずがない……誰か見ていた人の、悪戯だろう! だって彼女は、ここで! ここで……ひかれたのだから――
一月九日。日曜日。晴天。
あの時の事は、今でも一瞬前のことのように鮮明に思い出せる。道場代表で出たむさ苦しい剣道全国大会の会場を後にし、華々しく優勝と準優勝を飾った私と一月は、家へと向かっていた。家では、優勝パーティの準備がされているはずだった。
私達は、談笑しながらゆっくり家へ歩んでいた。平和、だった。
そう、平和だった。いつまでも続いてほしいような、時間だった。それなのに!
一瞬の、出来事だった。
分かれ道に差し掛かった時。図ったように左から猛スピードで乗用車が飛び出してきて――左にいた、一月の身体を、跳ね上げたのだ……! 平和だった時間を破壊した車は、スピードもそのままに、私達が来た方へと、走り去って行った。全く、気付いていないみたいに。
夕暮れ時。只でさえ人の少ないこの細い通りに、私達以外に人はいなかった。どうしてあの時私は、何も行動出来なかったのだろう?
一月はまだ、息があった。だけど、重傷だった。全身、朱にまみれていた。雲なき空から差す斜陽が、そう見せているのではなかった。それは、一月自身の朱だった。即死の方が、楽だったかも知れない。
どうしてあの時私は、一月を助けられなかったのだろう? 彼女は私をとっさに突き飛ばして、助けてくれたと言うのに。人を呼べば、助かったかもしれないのに。
目の前の状況を、飲み込めなかった。ただ、呆然とするばかりで。突き飛ばされたまま、立ち上がることも出来なかった。
「――ねぇ、おねぇちゃん……。運命って、あるのかなぁ……?」
静寂の中で微かに、一月は呟いた。その声はそよ風にさえ、消し飛ばされてしまいそうなほどか細かった。
その問いに、私は答えることが出来なかった。思考回路が断線したようで、答えを考えることすら、出来なかった。消えかけた一月の声だけが、脳内で反響していた。
「ある、としたら……これも、なのかな? ……そう、だったら……いぃな……」
それきり、声が止まった。一月の唇も。その血の気のない唇は微かに、笑みを湛えていた。
電池の切れた携帯電話さながらに、頭は働かなかった。色々な気持ちが混同して、どうしたらいいのか、分からなかった。彼女が笑っていた理由も、何もかも、分からなかった。
「ら……いら……星螺っ!!」
耳元で自分の名を何度も叫ばれて、ギョッとした。また、何か起こったのかと思ったのだ。思いっきり不振そうな顔で声の主を見ると、お返しとばかりに彼女はあらかさまに心配そうな顔を返してきた。
「どうしたんです? 完全に固まっていましたよ? あっちの世界に行ってしまっていましたが?」
言って、ブラック終は私の顔を覗き込んで来る。あっちの世界って……そこまで言わなくても。ああ、理由を言えって? それで、ブラック……
「さっきのメール、何かあったんですか? 見せて下さい」
グイと、終は携帯電話を持っていた私の右手を目線の先に置く。見る見るうちに、彼女の表情が、こわばって行った。
「……悪戯でしょうか? だったら許せませんけれど……にしては、似すぎていますね。一月の文面に」
私は面倒だからとメールは連絡にしか使っていなかったが、終と一月は頻繁にやっていたようだった。その終が言うのだ。悪戯という可能性は低い。だとしたら……いるということ? 生きて、そしてあの場所に。
私は、駆け出していた。もと来た道を、ひきかえしていた。後ろで終が何か叫んでいたが、止まらない。気持ちがはやって、何も耳に入らなかった。
ずぶ濡れになっているのが分かったけれど、構わず走り続けた。後ろから軽快な足音が聞こえて来た。終が止めるのをあきらめて、着いて来たようだった。
【9.残酷なるお告げ】
息切れがどうしようもなくなって、私は立ち止まった。一月のお墓のある墓地の入り口までは、たどり着いていた。
どれくらい走っていたのだろう? 十分ちょっとしか経っていないはずなのに、二、三時間走り続けたんじゃないか、という気がした。体力には自信があったのに、疲労感と動悸が酷かった。
「星螺、どうしたんです? いきなり走り出して。とりあえず……雨に打たれっぱなしでは、身体に悪いですよ?」
背後から、“わざと丁寧語口調”。と同時に、頭や肩へ注がれていた水が止んだ。
振り向くと、吸い込まれそうなブラックホールさながらの黒い瞳が、間近だった。その吸引力に一歩後ずさりすると、それは終の顔になった。上に、折り畳み傘が被せられているのも分かった。
「ここに戻ってきたという事は、一月がここにいるとでも思ったんですか」
終から発せられた次の言葉は、疑問系ではなかった。言葉に、詰まる。
「図星、ですね。何も言わない事は、肯定と同じですよ」
終の厳しい瞳が、私を射った。何でか、いつもよりずっと迫力がある。
「まあ、いいでしょう。気持ちは分かります。私としても、確かめてみたい所ではありましたしね。もし悪戯だったとして、その犯人がいたら、とっちめてやりましょう」
ああ、そうか……だからいつにも増して、ブラックレベルが高いのか。
「行きましょう」
立場逆転。言って、終は先に立って歩き出した。私が傘から出ないようにか、速さはゆっくりだったが。背中からも、黒いオーラが放たれている。それに触発されて、慌てて私は後を追った。
滝のような雨に遮られて、視界がはっきりしない。しかし、一月のお墓を探し出すことは出来た。小さな墓石に映える白い花が、目印になってくれていた。
「誰か、居ますよ」
前を歩いていた終が、一月のお墓を見て、低く呟いた。
白にばかり目を取られていたけれど、視点を動かすと、その前に水色があった。傘の、ようだ。そういえば、一月は水色が好きだった。傘はいつも、水色で。……彼女、なのだろうか?
水びたしの大地を踏みしめ、終は水色の傘へと近付いて行く。着いて行く気が引ける程に、黒いオーラが刺々しさを増した。それでも、着いては行ったのだが。
ふいに、終は足を止めた。ぶつかりかけて、慌てて私は後ろ足に体重移動する。お墓の前まで、後数歩、という所だった。
何が起こったというのか。さっきまで痛いほど刺々しかった黒いオーラが嘘のように、消えていた。それすなわち、いつも物事を上手く受け流す彼女が、動揺しているという事。視界が悪くてよく見えないけれど、やっぱり、一月だというのか?
「どうしたのよ、終?」
石像のようになってしまった終へ、私はおそるおそる声を掛ける。こんなに彼女が動揺するとは、ただごとではないはずだ。
「……冴咲院(こさいん)先輩」
終の口から、聞きなれたようで聞きなれない単語が飛び出た。コサイン、といえば数学じゃ?
終の声に反応してか、水色の傘がその内側を見せた。それを握る者の姿が、あらわになる。
一月では、なかった。安堵と共に、裏切られたような気持ちが押し寄せてきた。
水色の傘を握る者は、左肩に皮製で薄茶の、形状から察するに学生鞄を担いでいた。髪は鞄に負けないくらいの色素の薄い茶で、肩辺りまで。私より長いその髪は、細く繊細だ。白い顔に浮かぶ目は鋭く、瞳は髪と同色で、全てを凍てつかせるような光を湛えている。見たことのあるような紺の男子学生服を、木賃と寸分の手抜きもなく身に纏っていた。その覆う肩の幅は広く、それでいてすらっとしている。
その右手に握られた花に、私の目は釘付けになった。ピンクの、プリムラだ。
「――久しぶりだな、水埜」
暫くして薄い唇から放たれた声は、雨音を貫いて、鼓膜へと響いてきた。少し冷たい響きの、どこかで聞いたことのある声だった。あれは、どこだったろうか。
「それに、飛彗星螺、だったか。一月の姉の」
終から私へ視線を動かし、少年は言って来た。名前を言い当てられても、さほど驚かなかった。どこかで、会った事があるような気がしているから。
「お花供えてくれていたの、先輩だったんですね」
気を取り直したのか、いつもの調子に戻った終が、彼女いわく先輩へ微笑んで言った。
「ああ。通夜も葬儀も行ってやれなかったから、せめてこれくらいは、とな」
「そうですか。いつ、戻ってらしたのですか?」
「ん、ほんの数日前だ。一月のことは戻って来てすぐ知った。教室に寄ってな」
何やら私には良く理解できない会話を交わして、先輩は一月の墓石の方に向き直った。終は、そんな先輩の様子を観察している。
先輩は、白のプリムラの周りに、品の良いピンクのプリムラを活けていた。どこか見覚えのある後姿だった。一体、どこで? 記憶を辿って、その後姿を探してみる。
瞬間、光線が頭を貫いて、旋律が脳内に響き始めた。物悲しい、旋律。あのモーツァルトのレクイエム、『涙の日』だ。その曲には間違いなかったけれど、コーラスのない、ピアノの旋律だった。それと共に、映像が浮かんでくる。
思い出した。広いフローリングの真っ只中に置かれたグランドピアノ。その鍵盤に細い指を滑らかに走らせる、今の私と同じか、一つ上くらいの少年。その後ろで演奏を聴く、喪服姿の終と一月と私。そう、あそこは、確か……
「冴咲院青鏡(はるみ)先輩だよ、音楽教室の。一度演奏聞かせてもらったことあるでしょ、星螺も。暫く留学されてたんだけど、戻って来られたみたい」
首を傾げていた私を見かねたのだろう。終が先輩の方を見つつも、囁いてきた。
隣町の、有名音楽教室。そこに、終は通っている。一月も、小さい頃からずっと通っていた。私は興味もセンスもなくて、入っていなかったけれど。冴咲院先輩は、一月達の一つ先輩だった。聞くところによると一月達が入った時には既に、教室一のピアニスト、の称号を受けていたらしい。
私が先輩の演奏を聴いたのは、父さんの葬儀の日だった。あの日コンクールか何かで葬儀に来られなかった先輩が、私達を呼んで、追悼のためにあの曲を弾いてくれたのだった。ピアノの旋律はどこか優しくて悲しくて、何ともいえない気持ちになったのを覚えている。
振動に、思い出から引き戻された。
それは右腕に、伝わってきている。携帯電話だ。そう、とっさに悟った。
最初はメールかと思った。けれど、振動は長い。電話?
学生鞄のチャックを開けて、振動し続けるくすんだ銀を取り出す。画面を見ると、普段とは違う。やはり、電話だった。
気が付くと終も先輩も、こちらを見ていた。誰から、と問いかけるような視線は取りづらくさせたけれど、意を決して通話ボタンを押して耳に当てた。
『飛彗星螺さんですか?』
鼓膜に飛び込んできたのは、聞いた覚えのないしわがれかけた女声。
「はい、そうですけど。どちら様です?」
おのずと、警戒のこもった刺々しい声が出てしまう。
『ああ、すみません。私、あなたのお母様が働いてらっしゃる会社の者です』
警戒は消えたけれど、不安がよぎった。
「母に、何かあったんですか……?」
『それが……職務中に突然倒れられて、目を覚まさないのです。冴咲院総合病院に運ばれたのですが……とにかく、病院へいらして下さい。早急にお願いします』
ブツ、と電話は切れた。
今の話は本当だろうか。そう思って履歴を確認してみると、電話は母さんの携帯からだった。電話帳に私の名前があったから、電話してきたのだろう。
「誰からだったんです? お母さんに何かあったのか、って?」
早速、終が尋ねてきた。
「母さんの、会社の人。母さんが倒れたから、早急に病院に来てくれって」
「大変! どこの病院?」
「冴咲院総合病院……」
口に出してみて、気付いた。先輩の方に、自然と目が行く。冴咲院、といえば先輩の苗字。こんな珍しい名前、関連がないはずがない。
「父の病院だ」
私の視線に観念したのか、ポツリと先輩は言った。
「冴咲院総合病院……参りましたね。あそこは隣町ですから、遠いですよ」
顎に指を当てる仕草をしながら、終は言う。
「タクシーを呼べば直ぐだ」
先輩は近付いてきて、私の携帯電話をサッとかすめた。
【10.避けられない運命が】
足元から振動が伝わってくる。小刻みなそれは、私の不安を掻き立てて行く。
冴咲院先輩の呼んだ、タクシーの中。右隣に終がいて、助手席には先輩がいる。運転席にいるのは、陽気なおじさん。ハンドルを巧みに操って、病院へと車を進ませている。
病院が近付くごとに、私の不安は大きく、確かなものになって行く。
母さんが、どうなってしまったのか。私には確信に近い、心当たりがあった。
あの世界に、運命の国へ、行ってしまったのではないか。私に誘いが来たのだから、母さんに来たとしても、何らおかしくはない。
恐怖が、頭の先から足の先まで稲妻のごとく駆け抜けた。そうだとしたら、母さんは戻ってこないかもしれない。運命を変える、という運命のコンダクターさんの口車に乗せられて。
「もうすぐ、着きますよー」
陽気な運転手の一言に、私は窓の外を見た。正面に、普通の病院の倍はありそうな、真っ白い病院が見えた。冴咲院総合病院と、入り口の上に金文字で大きく刻まれている。
その雄大な姿が、私の胸を締め付ける。ここへ入ってしまったら、嘘か真実か、真に知ってしまうことになる。そんな思いが頭をもたげ、不安に押しつぶされそうだった。
車が、スピードを落とした。
止まるんだ。着いて、しまったんだ。
そう思って覚悟した、矢先だった。
ドンッと、衝撃が起こった。前の座席に激突しそうになったのを、両手を伸ばしてギリギリ防いだ。横を見やると、終も隣で同じようにしている。
どうやら、突然車がスピードを上げたらしい。って、病院に突っ込んで行ってる?
「ちょっと、おじさん? どうしたんですか!」
終が運転手へ叫ぶが、返事はない。運転席まで視線を向けると、ハンドルから手を離しアクセルを踏んでいる運転手の姿が、瞳に飛び込んで来た。
「止めないと、突っ込んでしまいますよっ!」
今度は、終は私のほうへ叫んで来た。
「でも、どうすれば……」
言いかけたとき、突然車のスピードが遅くなった。建物に突っ込む寸前で、車はピタッと止まる。
窓をも覆い尽くすほどに、もうもうと砂煙が立ち込めた。
今度は、何?
「危なかったな」
声のした方を見ると、先輩が車のキーを握っていた。エンジンを止めたのだ。
「おじさーん? 大丈夫ですかー?」
終が運転席の方へ身を乗り出して、運転手を揺さぶる。
どう見ても、運転手は大丈夫そうではなかった。眠っているようにも見えるけれど、ぐったりしている。普通じゃない。
「おい、これ」
先輩が、運転手の力ない手から何かを取り上げる。
紺の、携帯電話。折りたたみ式のそれは開いたままで、メールの画面が表示されている。
嫌な予感と悪寒が、全身をつんざく。
「『あなたは、運命を信じますか?』……?」
終が、表示されてあったメールの題名を読み上げた。
『避けられない運命が、訪れても知りませんよ』
瞬間、運命のコンダクターさんの言葉が、脳に鮮明に、浮かび上がってきた。
あの言葉が、実行されたとでも言うのだろうか? そもそも、どうして運転手の携帯電話に、あのメールが?
疑問と不安は、募るばかりだった。
【11.運命の記憶】
激化しつつある雨が窓を、ぶち破ろうとするかのように強く打っている。
大きな音を立て、窓は激しく振動し続ける。それを取り囲む壁は純白で、やけに現実味がなかった。けれどこれは、確かに現実。そしてそこにある寝台で、母さんは寝ているのだ。
タクシーの運転手を、とりあえず病院内へ運んだ後。私は終と冴咲院先輩と、看護婦さんに案内してもらい、母さんの病室――ちなみに個室である――へとやって来ていた。
寝台に横たわる母さんは、あの運転手のように外傷はなく、ただぐったりとして眠っている。その様子は、あの世界へ行ってしまったであろうことを、まざまざと物語っていた。
「一体、どうしてしまったのでしょう? ただの過労、ではないですよねー。どこかあの運転手さんに、似ているような……」
先輩を意識してか、丁寧語口調で終は呟く。さすが、終の洞察力は侮れないな。
「確かに、似ているな。似すぎているほどだ」
目を細め寝台を凝視して、先輩が終の言葉に同調する。
「飛彗、何か知っているんだろう? 隠しているな?」
冷たい光を湛えた先輩の瞳が、私を射抜く。ビビッと、戦慄が駆け抜けた。ほぼ初対面だというのに、どういう洞察力をしているんだ、この人は。終と良い勝負だ。
「そういえば、星螺のお父さんが亡くなられた時も、こんなではなかったでしょうか?」
終も、私のほうを見て尋ねてきた。
瞬間、記憶の欠片が蘇ってきた。
苦しまないで済むようにと、押し込めていた記憶が。
思い出さないようにしていて、いつしか本当に忘れかけてしまっていた、嫌な思い出が。
最初に浮かび上がってきたのは、泣きじゃくる一月の姿。彼女は、病室の床に泣き崩れていた。
終は、その傍らで彼女を励ましていた。
私は状況が上手く飲み込めなくて、一月と終の後ろで、ただ茫然としていた。目の前のその個室の寝台を見て。
その白い寝台には、父が横たわっていた。呼吸器を取り付けられ、栄養剤の点滴を施されている状態で。ぐったりとしていて、ただ眠っていた。今の母さんと丁度同じように。
寝台の向こう側にいる母さんは何か泣き叫んでいたけど、その言葉も認識出来なかった。
「ご臨終です……」
泣き声の響く病室に、医者の無情な声が驚くほど凛と響いた。
医者は、以前から患っていたガンが酷くなったせいではと言っていた。だけど今思えば、それは間違え。あの時父さんは、あの世界へ行ってしまっていたのだ。
「いら……星螺!」
終に耳元で叫ばれて、私は我に帰った。記憶の中へ埋もれていた意識が、現実へと引き戻される。
「……ごめん」
そんな染み付いた一言が、知らぬ間に口をついで出ていた。何となく、そう言わなければいけないような気がしていた。そんな私へ、終は首を横に振った。
「謝らなきゃいけないのはこっちです。思い出させてしまったでしょう?」
気遣うような終の瞳に、私はただ頷くしかなかった。否定したとして、相手は終。先輩もいることだし、直ぐに見抜かれてしまうだけだっただろう。
「で、何か分かったのか?」
探るような目で、先輩は私を見て来た。私の心は渦を巻く。
言うべきなのだろうか? 私の知っていることを、あの世界のことを。言ったとして、何か変わるだろうか? ただ巻き込んでしまうことにはならないだろうか?
「迷ってますね、星螺? 言ってください、私だって力になりたいですから」
やはり、終にはかなわない。バレバレだったようだ。
終は私へ満面の笑みを向けて来た。そういう時の彼女は本気だと、長年の経験上了承している。そしてそういう時の彼女が、何を言っても聞かないということも。
私は心の葛藤に踏ん切りをつけた。それが出来たのは、終の笑みのお陰かもしれない。
心中で彼女に礼を言いつつ、私は話し始めた。運命の国のことを、私の経験したことを。
【12.ピンクの小悪魔】
雨脚がさらに増してきたようだ。絶えず窓が耳障りな音を立て、鼓膜を震わせる。白亜の病室に、雨音はもの悲しい旋律を届ける。
その旋律を遮って、声が響く。それは私の声。それなのに、やけに響き渡る声は、他人の語りみたいに聞こえる。現実味が感じられない。あの世界で運命のコンダクターさんが話していたことをそのままに語っているからだろうか。
突然届いた怪しいメールに“運命の国”へと私は導かれた。
その世界で、まずケルベロスという不思議な獣に出会った。その獣は私を“セイラ様”と呼んでいた。獣は炎を吐いて、門を開けた。そこから続いていた道の先にあったのは、西洋風の白い建物。私はそこへと駆けて行った。
西洋風の城に辿り着いたら、運命のコンダクターさんに迎えられた。ある一室に案内されて、私は運命のコンダクターさんに文字の連ねられた紙を手渡された。そこには、私へこの国の居住権を与えるということが書かれていた。“セイラ=コメット”という宛名書きで。運命を変えるために私はここへ来たのだから、このチャンスを活かせ、とも。疑問をぶつける私に、運命のコンダクターさんはさらっとこう言った。
『セイラ=コメットというのは、あなたのこの国での名ですよ。私は、あなたにチャンスを差し上げようというのです。ここに留まらなければ、永久にあなたの運命は変わりませんよ?』
『変えなくてはならない運命……普通には避けられない運命を、全ての生物は持っているのです。それは……死、ですよ。変えたくはありませんか? 死という、運命を。いつそれが起こるか解らないのですよ』
変えたくないという事はない。出来ることなら変えたい。
私はそう答えた。それは心からの言葉。一月や父さんが死んだのも運命なら、変えてやりたかった。変えることが出来るのなら。
だけど、私は運命のコンダクターさんの申し出を拒んだ。母さんの事があったから、母さんが心配だったから。私が“運命の国”に居たら、母さんは一人ぼっちになってしまうんじゃないかと思ったから。
『今は帰りたい、と?』
そんな気持ちも運命のコンダクターさんにはお見通しだったようで、向こうからそう持ちかけてきた。私の家族構成すら、この人にはお見通しだったみたいで。
どうしてそんなに私の事を知っているの。
思わず尋ねると、運命のコンダクターさんは切なげに微笑んで、いずれ思い出すでしょうと予言じみた調子で答えた。
運命のコンダクターさんは意外と親切で、帰り道を案内してくれた。迷宮のような城内を延々と進んで、地下の白い扉に辿り着いた。
『避けられない運命が訪れても知りませんよ』
運命のコンダクターさんは不吉な事を言ったけれど、私は扉をくぐった。帰れると信じて。母さんを安心させるために。
そして、私は現実へと帰ったのだった。
もの悲しい旋律が、遮るものを失って白亜の病室を支配する。
終と冴咲院先輩は、ただ黙って私の話に耳を傾けてくれた。私自身でも信じられない現実離れした話なのに、否定の言葉も冷やかしの言葉も紡がずに。それどころか、話したことについて考え込んでいるようだった。
「――どうして」
唐突に、終の言葉がもの悲しい旋律を貫いた。私に向けられた疑問詞に、反射的に身構えてしまう。
「どうして、もっと早く教えて下さらなかったんです?」
私の中で尋ねられたくない事ランキング一位になりそうな質問。自分でも、はっきりとは解っていない事だ。
現実離れしている事だから? 終に話すと、詮索されそうだったから?
どちらもあっているようで違う気がする。じゃあ、考えられるのは……
「水埜を、巻き込みたくなかったんだろう」
先輩の一言が、私の思考回路を断線した。その言葉は、肯定。言われてみれば、それが一番しっくりくる。私は頷いてしまう。
「水臭いじゃありませんか。仮にも、親友ですよ? 何でも話して下さいよ、巻き込まれるのは大歓迎ですからね。全く、星螺は他人に気を使い過ぎです、もっと自分を大切に保った方が世の中楽ですよ?」
満面の笑みを浮かべて、終は言ってくる。あぁ、毒舌ブラック終になってる。ちょっとグサッときた。でも……
「心配だったんだからね、あの星螺が熱出すわけないって思って。戻ってきてくれて、ホントよかったぁー」
瞬時に地へ戻った終の発言に、心に出来かけたキズは消えてしまったようだ。長い付き合い上、そういう時の彼女の言葉は完璧に本心だと心得ているから。あの星螺というのは少々気に障ったけど。いくら身体が丈夫でも、病気くらいはする。
「ごめんね、心配か――」
「ごめん、だなんて。謝らないで下さいよ、星螺は悪くないんですから。悪いのは運命のコンダクターさんです、他人が自分と同じ考えだとか思って勝手に他人を自分の国へ誘うなんて。言語道断ですよ。会えたらとっちめてやる所です!」
謝罪しようとしたら、終はブラックに戻ってしまった。しかし今度は笑っていない。本気で、運命のコンダクターへ怒っているらしい。これ程怒りをあらわにする彼女は、初めて見た気がする。いつだって黒いオーラこそ発しても、怒りの表情は作らなかったのに。
「会えたらというが、否応なしに会わねばなるかもしれんぞ。特に飛彗はな。再び、“運命の国”とやらに誘われるだろう」
予言じみた調子で、先輩は言う。何だか、自分だけ何もかも解っているような感じ。
「どうしてですか?」
疑問が、口をついで出た。どうしてそう思うのか、どうしてそんなことが言えるのか。
「少し考えてみれば、容易に想像出来る事だ。飛彗の話が細部まで本当だとすればだがな。飛彗がこちらへ帰る時、運命のコンダクターは“今は”と言ったのだろう?」
今度は、疑問系だ。多分、確かめのため。先程記憶を辿って話をしたばかりだったから、答えるのに時間はかからなかった。
『今は帰りたい、と?』
そう、運命のコンダクターさんは私へ問いかけたのだった。私の心を全て見透かしたように。
私は、先輩へ頷きかけ、
「“帰って母や友人に別れを告げると良い”とも……」
そう付け加える。
「間違いないな。運命のコンダクターは、飛彗を再び“運命の国”へ誘うつもりだ。じゃなきゃ、そんな事言わないだろう」
「さっすが先輩、すごい洞察力ですね」
淡々と語る先輩に、終が横手を打つ。彼の洞察力には、彼女も感心したらしい。私は彼女にすら敵わないが。
「でも、そうなると星螺のお母さんは何となーく分かるとして、どうしてあの運転手さんまで? ただのカモフラージュでしょうか? それに、運命のコンダクターさんって、何者なのでしょう? 人の意識を“運命の国”という所に呼ぶなんて」
圧縮ファイルを解凍するように、終は一気に疑問を口にした。それは、私の頭に浮かんだ疑問とほぼ同じだった。
「もっと大きな目的がある、とか?」
運転手さんが“運命の国”に誘われた理由についてた。何となしに、言ってみる。
「考えられるが……そればかりは議論しても無駄だろう。本人にしか、真には分からん事だ」
先輩はどこまでも冷静なようだ。
「そう言ってしまったらおしまいじゃないですか。推測してみる価値はあると思いますよ」
と、終は先輩に意義を述べる。運命のコンダクターさんの事だから、怒りが後押ししているのかもしれない。
「ほう……推測か。俺はそういうあいまいなものは好かんが、何か考えが?」
腕を組み、先輩は終を見据える。終は、コホン、と軽く咳払いをし、話し始めた。
「私の考えはですね、運命のコンダクターさんは世界を滅ぼそうとしているんじゃないかという事です」
唖然とした。あっさりした、ありがちな答えで。
「……それだけ?」
つい、尋ねてしまった。ただ腕組みをして黙っている先輩は、私へ咎めるようにその冷たい光をたたえた瞳を向けた。
「それだけといえばそれだけですが……ちゃんと、そう考えた理由はありますよ」
先輩の視線が、終へと戻る。私も終へ注意を払う。
「世界を、といっても実際には人類をでしょうね。人類がいなくなったら、世界を世界として認識する生命がいなくなる。結果、世界は滅ぶ」
人類みたいに世界という概念を持つ生命体が他に居ないだろうから、人類が滅びる事は“世界が滅びる”ことになるのだろう。
「だが、そんな事をして別の世界の住人である運命のコンダクターに何のメリットがある? 何の意味もないように思えるが」
確かに、何のメリットもない。それは私にも想像がついた。
「そこなんですよねぇ。私にもふに落ちなくて」
さすがの終も、そこまでは考えていなかったようだ。
「――滅ぼそうとして滅ぼしているんじゃないとしたら、どう?」
思い当たったことを口に出してみる。この二人みたいに洞察力はないけれど、想像力には自信があった。
「どういう事だ、飛彗」
先輩の厳しい視線が私へ注がれる。
「“運命の国”の住民を増やそうとしているだけだとしたら……人々を運命から救おうとしているのだとしたら、辻褄があうと思わない?」
思い切って、私の考えを言ってみた。なるほど、と終が声を上げた。
「救おうとしているのに、それが逆に現実の人間を死へおとしめる事になっている。その結果、世界が滅びてしまう。そういう事か」
先輩も納得したように呟いた。二人の同意を得て、私は確信を強める。
「きっと、運命のコンダクターさんは分かってないんだよ。自分がやっている事は救いなんだって思い込んでるんじゃないかな。わからせてあげないと」
あの人が悪者でなければ良い。そんな希望を抱いて提案してみる。いずれ思い出すって言っていたから、あの人は私の知っている人。今なら、誰だか分かったような気がする。
「希望的観測、だな。そもそも、接触してくる保障はないし、こちらから接触する事も出来ない。接触してくる可能性があるだけだ」
根本的な問題を、先輩は指摘した。……おっしゃる通り。何も言い返せなかった。
「大丈夫ですよ」
気まずい沈黙を、終の妙に明るい声が破った。
「運命のコンダクターさんは人類を救おうとしている。でしたら、向こうから接触して来ますよ。星螺だけじゃなくて、私達にも」
それは、無差別な接触が始まっているであろう事を意味していた。
「それに、確実に星螺には接触してくるでしょう。再び、“運命の国”へと誘うために。さっき、先輩も言っていたじゃありませんか」
終の言う事は、筋は通っている。そうなる保障は全くないけれど。
どちらの方が良いのだろう。行かずに素知らぬふりをしてこのまま時が経つのを待つのと、帰って来られるのかも分からぬまま行くのと。
「行けば、母さんは帰ってくるかな……?」
母さんはきっと、運命の国に囚われている。運命のコンダクターさんの甘い誘いに乗って。
「帰って来させるんですよ、星螺のお母さんも、他の“運命の国”に居る人も。帰ろうと強く思えば星螺のように帰って来れるんですから」
強く、終は言い切る。決意のこもった口調だった。何かを成そうとしている時の彼女の口調だと、直ぐに悟った。
「何をする気なの、終?」
頭の中を、良からぬ考えが過ぎる。信じたくない考えが。
――否定してくれれば良い。
「決まっているじゃないですか」
――願っていたのに、彼女は他人の意見を拒絶する満面の笑みを浮かべていて。
聞き覚えのある無機質な電子音が響き始めた。私の携帯ではない。電車内などで切り替えるのが面倒で常時マナーモードだから、それは確かだ。予期したとおり、終が私から顔を逸らし、動いた。
「“運命の国”へ行くんですよ」
終の手には、鞄から取り出した彼女の携帯電話が握られていた。少しの間逸らした顔を、再び私に向ける。
――その笑みは、“私に任せてくれ”と言っているようで、可愛い淡いピンクの携帯電話が、小悪魔のように見えた。
スムーズに二つ折りの携帯電話を開いて、終はボタンを押し始める。
「終、待って――」
思わず、私は叫んでいた。瞳の中で、ピンクの小悪魔が不気味な笑みを浮かべていた。
2006/07/25(Tue)16:39:00 公開 /
Rikoris
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■作者からのメッセージ
物凄く久しぶりの更新(爆)更新できてよかったなとほっとしているRikorisです。
なんだか表に出すのも気が引けたので、こちらで更新を続けます。バグら無いことを祈りつつ(ないとは思いますが……)。
12話を完成させました。
近々完結だけはさせる予定。
こんなものでも読んでくださった方有難うございます。感想・批評などいただけたら嬉しいですm(._.)m
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