『蒼い月編:第一話〜第五話』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:金森弥太郎
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蒼い月がぼんやりと浮かぶ秋の空.
さざ波は,少し肌寒くなった秋風とともに岸辺に打ちよせる.
ここは日本海に浮かぶ,名も無き小さな孤島.
かつてここには,五九四部隊という部隊の拠点があった.
実験のテーマは,各戦場で優れた力を発揮するための人為的な能力の作成.
実験体たちは獄死という扱いで,社会抹消された.
そして,その部隊を知る人々は部隊名とそれを皮肉り「獄死部隊」と呼んだ.
敗戦による相次ぐ部隊の解散,そして武装放棄.
それが実験体にもたらしたものは,永久の凍結,つまり封印であった.
棺桶の中に封じられた実験体たちは,いつ目覚めるのかを知らずただ眠り続けた.
終戦から早くも六十年の月日が過ぎ,この孤島にも秋が訪れた.
誰もいないはずの洞窟では,小石がこぼれ落ちるかすかな音が鳴り響いていた.
――カラカラ,コロコロ……
乱雑に並ぶ棺桶の中に,三つだけ中身が空になったものがあった.
空白の三つの棺桶は、わずかにさす蒼い光に照らされ不気味な様相を見せていた。
ここは遠く離れたところにある小さな島,千鳥が島.
ここには,数少ない島人たちが住み着き,漁などをしながら生計を立てていた.
一つの民家から,高校生ぐらいの女の子の元気な声が聞こえてきた.
「おじいちゃん,早く入らないと風引いちゃうよ!」
「もうちょっとだけじゃ.すぐに家の中にはいるから、待っておくれ」
高校生ぐらいのピンハネの女の子は,老人のそばに立ちながら言った.
「おじいちゃん、何やってるの?」
老人はにこりと微笑むと、孫らしき少女に優しい声で言った。
「空を見上げてごらん」
女の子が空を見上げると,そこには見慣れぬ蒼い月が浮かんでいた.
「え? 蒼い月? なんだか怖いね,おじいちゃん」
縁側に座る年老いた和服の老人は,にこりと笑い蒼月を眺めながら呟いた.
「そろそろお目覚めになられる頃なんだろう、あの方が」
そう言いながら,縦長の和紙に古い歌を書き連ねた。
蒼月や 人がめざめぬ 小波は いかにさびしき ものとかはしる
第一話:「蒼月」
「う、暗いな……。閉じ込められているのか、私は……」
顔の上にある固い感触から、どこか狭い所に閉じ込められていることが分かった。
手でその壁をさすると、なにやらひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
暗闇、視界の中はすべて暗闇の世界だった。
いつから、閉じ込められたままなのだろうか……。
背筋が思わずぞっとするのを感じながら、両手で壁を押してみた。
――カタカタ、コロコロ……
「お、動くぞ……。早くここから脱出しよう」
私はすべての力を出しきっても構わないという気持ちで、壁を渾身の力で押した。
――ギィー、ドスン!
鈍く重い音を立てながら、再び壁は閉ざしてしまった。
だが、天の助けか壁には六センチメートルぐらいの隙間ができた。
私はそこに指をかけ、横にずらすように力をこめた。
――ギィー、ズズゥン!
重たいものが落ちる音が、洞窟らしき室内に響き渡った。
私は小さく安堵のため息をつくと、あたりを見回した。
青い光がわずかにどこからか差し込んでくる。
私の足は、まるでその光に誘われるように進みだした。
外に出てはじめてその光が何であるかが分かった。
「蒼い……月」
蒼色の三日月が、ぼんやりと空に浮かんでいる。
ふと私は異世界に来てしまったのではないかと思い、不安になった。
小波は、私が聞いた覚えがある音と同じ音がする。
今の私にとっては、これだけしか私の不安をやわらげてくれるものはなかった。
私は再び恐くなった。
私は、孤独なんだ……。
死んだような世界から、ようやく脱しきれたと言うのに再び訪れる恐怖。
――孤独
以前の私なら耐えられたかもしれないが、今の私にとっては耐えられない恐怖だ。
私は身につけている軍服を脱ぎ捨て、さらしに巻かれただけの姿で泳ぎはじめた。
体力が残り少ないのは自分でもわかっている。
だけど、孤独のまま死ぬぐらいなら、少しでも希望をもちながら死にたい。
そう思ったからこその行動だった。
青い月が、まるで私をあざけ笑うかのごとく見つめてくる。
がむしゃらに泳ぐが、なかなか岸には近づけない。
次第に視界がぼんやりしだし、体が熱くなっていく。
……もう限界だ、と私は感じた。
そして、……。
また、まわり一面の暗闇か……。
結局、私はここに戻ってしまったのか……。
「おきて……」
暗闇の中で誰かの声がする。
私は、その声に問いかけた。
「つき、つきなのか?」
「え? ……うん、そうだよ」
私の目から涙がこぼれ出してくる。
つきにまた会えた……。
たとえ、つきが死出への案内人だとしても、私はそれで充分だ。
つきと旅立てるなら……。
そう涙にくれながら、思っているといきなり怒ったような声がした。
「もう、これでどう!?」
バッシャー!
思いっきり私の顔面に、大量の水が浴びせられた。
そして私の視界が、一瞬にして明るくなった。
「ぶへっ……、ごほごほ……。つき、ひどす……。……ここはどこだ?」
目の前には、見知らぬ少女がちょこんと座っていた。
そして、そのとなりには和服を着た老人がいた。
老人が軽く会釈してから、私に言った。
「あの失礼ですが、あなたのお名前は?」
「私の名前は、……? ……。私は、誰だ?」
老人はなにやらうなずきながら、私に言った。
「そうだと思いました。ではあなたの名前は、黒雨紀陽にしましょう」
……し、しましょうだって?
私は思わず怒鳴ってしまった。
「しましょうとは、どのような理由でだ。忘れたとは言え、私の名前はある!」
「いえ、あなたは黒雨大尉ですから。それでよいのです」
老人の話し方は妙に威厳があったので、私は思わず納得してしまった。
私はしかたなく次の質問をすることにした。
「それよりも、ここは?」
今度は少女が答えてくれた。
「ここは日本だよ。それにしても、黒雨さんて不思議な人だね」
「不思議?」
「うん。だって、そんなさらし姿で泳いで来るんだもん。まるで時代劇みたい」
そう言いながら、少女は小さく笑った。
私はそう言われてはじめて気がついた。
少女の着ている服が見たこともないものであること。
そして、部屋を照らす灯りが裸電球ではないことに。
私は思わず聞いてしまった。
「あの戦争は、もう終わったのか?」
少女は、びっくりしたような顔をしながら言った。
「せ、戦争!? 第二次世界大戦なら、もう六十年も前のことだよ!」
「ろ、六十年前!?」
老人は驚いている私に微笑みながら言った。
「そうです。黒雨大尉、六十年前にあの悲惨な戦争は終結しました」
私は、少しめまいを覚えた。
六十年前の話となった第二次世界大戦……。
圧倒的に不利な戦況を覆すために作り変えられた私の肉体……。
誰も私を起してはくれなかった、いやあまつさえ私は棄てられていたのだ。
「老人、すまないが銃を……。そして、介錯を頼む」
老人は涙を目に溜めている私の頬に、力強く平手打ちをした。
バチン!
「たわけたことを抜かすなぁ!」
私が頬を押さえていると、老人は私の蒲団にどしんと右足を乗せながら言った。
「死してなんになると言うのだ! せっかく生き長らえたというものを!」
「し、しかし……」
「しかしもかかしもない! 生きることを学んでからでも、遅くはなかろう!」
老人はそう言うと、すごい剣幕で外へと出て行ってしまった。
少女は驚いた顔をした後、軽く謝るように言った。
「ごめんなさい。おじいちゃん、戦争のことになるとああなってしまうの」
そう言った後で、少女は腰に手を当てながら言った。
「でも、黒雨さんも黒雨さんだよ。せっかく助けてあげたのに、死ぬなんて!」
私はうなだれながら、軽くうなずいた。
そして、小さな声で言った。
「頼む、一人にしてくれ……」
少女はうなずくと、舌をかんだりしちゃ駄目だよ、と言って出て行った
涙が静かにこぼれ落ちてくる。
悔しい、悔しすぎる……。
愛するつきと別れ、祖国のためと称され改造され、起きてみればもう終戦……。
六十年も経っていれば、当然つきはこの世にいない。
愛くるしく笑うつき、私を優しくしかってくれたつきも……。
そのつきが、もうこの世にはいないのだ。
私は思わず床をたたきながら、怒鳴ってしまった。
「なんのための、なんのための能力だ! 何の役にも立ちはしない!」
そう言いながら私は、声を出して泣きだしてしまった。
悔しくて、あまりにも悲しくて……。
その晩、私は泣きつづけた。
翌朝、枕の側に一枚の和紙が置いてあった。
そこには、こう書かれていた。
「元気を出してね、黒雨さん 黒雨月より」
私は思わず恥ずかしくなった。
私の泣く声が聞こえていたのだろう。
恥ずかしい反面、少し私は嬉しかった。
だから、私はしばらくの間この世界で生きてみようと思うことにした。
第二話:「日向」
「はい、朝ごはんですよ」
私の目の前に出されたのは、いつも食べなれているものばかりだった。
だし巻き卵に、白飯。それに、味噌汁とお漬物。
私は軽く手を合わせると、静かに「いただきます」と言って箸をつけはじめた。
ほのかに甘いだし巻き卵。
それに、戦時中はまともに食べることができなかった白飯。
多分私は食べながら、微笑んでいたのだろう。
少女は、私に微笑みながら言った。
「良かった。ちょっと口にあうか、心配だったんだ」
「そんなことはない。それに白飯もつけば、感謝せねばな」
私がそう言うと、少女はさらに白飯のお代わりをもりつけてくれた。
少しはねている髪の毛、そして元気いっぱいの笑顔。
昨日のことを思い出すと、なんだか見ているだけで幸せを感じてくる。
「ところで、あの手紙のことを聞いてもいいか?」
「うん。何?」
「あの名前、黒雨月って本名なのか?それとも、違うのか?」
少女はくすくすと小さく笑うと、本名だよと答えた。
月、か。
まさかあのつきとは何の関係もないよな。
そう思いながら、私は最後の味噌汁を口にした。
私は味噌汁を飲み干し、軽く会釈をした。
私が片付けを手伝おうと言うと、月は休んでてと言った。
私は歯ブラシとやらで歯を磨き、部屋に戻り着替えとして出された服を着てみることにした。
青いシャツとズボン、それに新型のパンツみたいな物か……。
私はさらしをとってから、それに着替えた。
パンツはズボンを短くしたようなやつで、以前のものよりもはきやすかった。
そして、青いシャツは暖かく、この季節にはもってこいのものだった。
着替え終わると、月よりも小さな子が入ってきた。
「おにいちゃん、おにいちゃんだー!」
そう言って私に飛びついてきた。
なんだかとても嬉しそうだ。
「おにいちゃん、いつ帰ってきたの?」
ここで夢を壊すのも悪いだろう。
そう思った私は、何も答えずに少女の頭をかるくなでた。
「はふ……」
少女は、気持ち良さそうに目を細めた。
――ドタドタドタドタ!
「こら、駄目! 黒雨さんから離れなさい!」
そう言って、少女にしかる月。
それに対して、少女は
「おねえちゃんのいじわる!」
と叫んで、来た時のスピードで去っていった。
月は恥ずかしそうにもじもじすると、すみませんと大きな声で謝った。
「いや、別に構いませんよ。それにしても、かわいい子ですね。名前は?」
「妹の日向です。お母さんがいないから、もう手のつけようがなくって」
「日向さんか。いい名前ですね」
月は優しく微笑みながら言った。
「はい。亡くなったお母さんの代わりに、私が名前をつけたんです」
しまった……、そう思った私は急いで謝るように言った。
「すまなかった。悲しい思い出を……」
「いえ、いいんです。三人で仲良くやってますから。気にしないでください」
そう言って、月はもと来た台所へと戻っていった。
そうか、通りで月の親御さんを見かけなかったわけか。
私はどさっと蒲団に身を投げた。
ぴとぴと……。
ひょこっと日向が顔をこちらにのぞかせると、小声で言った。
「ちがう」
そう言うと、ターっとどこかへ走っていってしまった。
多分顔以外の何かが日向の兄さんと似ていたのだろう。
私はふすまを背にして、横になった。
ぴとぴと……、ター!
ぴとぴと……、ター!
何度もくり返される足音。
私はそれに気にせず眠ることにした。
スーピース―ピー……。
ふと気づくと、隣で小さな寝息が聞こえた。
ん? 誰かそこで寝ているのか?
私が振り向くと、そこには日向が眠っていた。
私に抱きつくようにしながら、小さく丸まって眠っている。
「んー、おにいちゃん……。おにいちゃん」
多分兄さんのことを夢見ながら、眠りについているのだろう。
私はそっと立ち上がると、静かにその場を去った。
ふすまから外に出ると、昨日の老人が和服姿で竹刀を振り回していた。
「昨日はありがとうございました。では、これで」
老人はこちらに振り向かずに、私に答えた。
「どこぞへ行くおつもりか?」
軽快な音を立てながら、上げ下げされる竹刀。
「はい。いつまでも、あなた方にご迷惑をかけるわけには」
老人はブンッと竹刀の切っ先を私に向けると、怒鳴るように言った。
「迷惑になると思うなら、ここにいろ! 今去られる方が、余計に迷惑じゃ!」
「え?」
「だから、今去られる方が余計に迷惑なんじゃ! 何度も言わせるな!」
老人のすごい剣幕に押され、分かりました、と答えてしまった。
今去られる方が、余計に迷惑?
どういう意味だろうと、私が考えていると、日向の鳴き声がしてきた。
そして、泣く声と共にピタピタとこちらに歩いてくる音がする。
「あ、いた……」
私を発見すると、また部屋の中に入っていってしまった。
老人はこちらに振り向くと、小さくため息をついた。
たしかに、老人の言う通りかもしれない。
だが、……正直言って私は日向に好かれているのだろうか?
部屋に入るなりターッと逃げ出していき、またピタピタとやってくる。
私の顔をみては、逃げ出していく日向。
「月さん、聞いてもいいかな?」
「はい。何でしょう?」
「私は、あなたの妹さんに嫌われているのかな」
ひょこっと顔をのぞかせると、また日向は逃げていってしまった。
それを見ながら私がため息をついていると、月はくすくすと小さく笑った。
「いえ、好きなんですよ。だって、あの子、ほらまた見てますよ」
私が振り向くと、またターッと逃げ出していってしまった。
……うーん、好かれているのかなぁ?
私は首をかしげた。
「そうだ! ちょっと来てください」
そう言うと、月は私を居間のほうへ案内してくれた。
見慣れぬものが多すぎて、正直に言うと目がくらくらしそうだ。
私は軽く目を押さえてから、いすにもたれかかるように座った。
後で聞いたのだが、銀色の箱はテレビと言って常時映像を見れるものらしい。
私はそのテレビとやらに、いつのまにかくぎづけになっていた。
つんつん、つんつん……。
「うー……」
つんつん、つんつん……。
「ん? 何だ?」
私がふととなりを見ると、不機嫌そうな顔をした日向がこちらを見上げていた。
うー、とうなっている……。
「ごめんな、この機械に少し感動していたから」
「かんどー?」
「うん。見慣れぬものが、多すぎてね。ちょっと見入ってしまったんだ」
日向は首をかしげると、また不機嫌そうな顔に戻った。
「うー……」
「分かった。一緒に遊んであげるから」
そう答えると、なぜかプイッと顔をそらされた。
うーん、こういう子供はどうやって付き合えばいいのかな。
そうだ、つきがやっていたことを思い出してみよう。
しかし。いきなり赤いものが飛び散るような錯覚が頭の中を閃光みたくよぎった。
ひどい嫌悪感と吐き気から、私は意識を失いかけた。
消えかけている意識の中で、私は日向に言った。
「うっ……、ひ、日向ちゃん。そこをどいてくれ……」
私はばたりと体を倒してしまうと、そのまま意識を失ってしまった。
第三話:「催眠」
「う、うう……」
「あ、起きたよ。おじいちゃん」
ぼんやりとした視界に、月と日向の心配そうな顔が浮かんだ。
遠くのほうで、老人の声がした。
「そうか。では、しばらくの間外で待っていておくれ」
「はい」
そう言うと、月は日向を連れて外に出て行った。
頭がずきずきするのを感じながら、私はぼんやりと天井を見つめた。
どこからか、老人の深く問いかけるような声がした。
「何が見えた?」
「え?」
もう一度老人の深く問いかけるような声がした。
「何が見えた?」
まるで催眠術にでもかけられるように、私は立ち上がりながら言った。
「赤いものが……、まるで水のように……」
再び訪れる静寂。
また頭の中で、あの赤いものが飛び散る映像が甦ってきた。
「く、くぅ……」
まるで写真の閃光のごとく、赤い画面が視界に映し出されてくる。
どれもこれもが真っ赤に染まっている世界。
「う、うぐ……」
パンッ!
手をたたく音と共に、俺の視界は平常に戻った。
「はぁはぁはぁ……、こ、これは?」
老人の声が、今度ははっきりと聞こえた。
「大分記憶が頭の片隅に戻ってしまったのか。さては、ニュースで思い出したか?」
そう言えば、俺が気絶する前に見ていた番組はニュースだった。
ロシア大使館で起こった独立運動派テロリスト対特殊警察の銃撃戦。
あれを見ていたときに、ふっと赤い物が飛び散ったのだ。
「多分それが……」
「そうか……。だが、あのニュースでは血など映していないのだがな」
血……、まさかあの赤いものは?
そして、赤い世界の意味は?
がたがたと体の震えが止まらない。
「あ、赤い……視界が……」
パンッ!
再び手をたたく音が聞こえ、意識が元に戻った。
「くっ……、もう、やめてくれ……」
そう老人に頼むと、俺の目の前に老人がすっと現われた。
そして、にこりと微笑むと俺に言った。
「黒雨大尉、やはりこれではまだまだですな」
「頼む。……もう、やめてくれ」
「はい。もうやめにしましょう」
私はふらふらと力なくその場に、仰向けに倒れこんでしまった。
息が荒くなり、自分の鼓動が聞こえてくる。
私はしばらくそのまま動けなくなってしまった。
「あの……、大丈夫ですか?」
しばらくして、月が私に毛布をかけてくれた。
「ああ、大分楽になったよ」
月は優しく安堵のため息をついてから言った。
「良かった。一時は、どうなるかと思ったんだから」
「すまない、心配かけたりして」
月は静かに首をふると、笑顔で言った。
「夕飯を食べよ。そうすれば、きっと楽になるよ」
「……すまない。今は食べられそうにない」
「そう……。じゃあ、私食卓で待ってるからね」
そう言うと、月は食卓へと戻っていった。
私は静かに縁側に出た。
今日も蒼い月が空に浮かんでいた。
私は窓際に腰を下ろし、静かにその月を眺めた。
「やはり、記憶は失ったままでは生きられないか」
はっと後ろを振り返ると、そこには老人が立っていた。
老人は、私に薬を差し出しながら言った。
「すまなかったな。これは、単なる精神安定剤だ。飲むといい」
「ありがとう。一つだけ、聞いてもいいか?」
「なんじゃ?」
「あなたは、一体何者なんだ?」
老人は私に言った。
「ただのご老体、黒雨剛雷じゃよ。まぁ、この千鳥が島では権力者じゃがのう」
「剛……雷?」
どこかで聞いたことがある名前だが、今はそれを思い出すのが恐かった。
また、赤いものに狂わされると思ったからだ。
「そうか。権力者なのか」
剛雷は、笑いながら言った。
「そうじゃ、だから皆のために健康に気をつけておる。では、お休み」
そう言って、剛雷は自分の部屋へと帰っていった。
俺は渡された精神安定剤を飲む気にはなれず、再び蒼い月を眺めはじめた。
蒼い月、いつみても不思議な物だと俺はその時気軽な気持ちで考えていた。
第四話;「狩人」
虫の鳴き声が、ある男の殺気によって止められていた。
蒼く発光する瞳が、黒雨家を見つめていた。
男は軍服を着て、さらしを体に巻いた軍人のような格好をしている。
とがった顎は、男の顔をまるで野獣の如き様相に見せている。
猫背のように体を曲げ、髪は逆立ち、今にも襲いかかりそうな状態でつぶやいた。
「クロメ……」
その男を制止するかのように、女が言った。
「待て。今ここで、殺しては意味がない」
「……」
男の髪の毛がなでらかになるとともに、瞳の色も薄暗い灰色へと戻っていった。
ちぃっと吐きすてるようにいうと、男は黒雨家から遠ざかっていった。
その後ろ姿を見ながら、女はつぶやいた。
「そうさ、今ここで殺したら獲物を狩る面白みがないんだよ……」
そう言うと、女はまるで霧になったように姿を消し去ってしまった。
女が去ると、虫たちは安心したように歌いはじめた。
なにかを忘れているような気がする……。
私は、ふと思い出した。
「あ……、しまった!」
月が食卓で……。
食卓に行くと、月は机に手を乗せながら眠っていた。
「風引くよ、……月」
私はそっと毛布を月にかけてやり、その寝顔を見つめた。
かわいい寝顔だ。
つきもたしかこんな寝顔で、眠っていたんだよな。
ぴとぴと……。
目をこすりながら、こちらにやってくる日向。
「どうした、日向ちゃん?」
足にピタリと抱きつくと、こちらを見上げながら言った。
「おにいちゃんと一緒に寝るー」
「え?」
「寝るのー」
そう言いながら、ズボンの裾をふるふると揺らす日向。
その仕草がかわいくて、私は一緒に寝ることにした。
「おにいちゃん、こわい夢みた」
「どんな夢?」
布団の中で私を抱きしめながら、日向は言った。
「にひきのおおかみさんがいたの。虫さんたちが、こわいって言ってた」
「狼か……。大丈夫、私が君のことを守るよ。約束する」
日向は小さな小指を立てながら、私に言った。
「んー、やくそく」
日向は私とはりせんぼんの約束を交わすと、そのまま小さな寝息を立てはじめた。
私ももう夜が遅いので、そのまま眠りにつくことにした。
「朝ごはんですよ、……何でここにいるの、日向?」
「んー……、おにいちゃんとねたから」
「それぐらい分かるわよ。日向には、日向のおふとんがあるでしょ!」
「……おねえちゃんのいじわる!」
ター!とかけだして行く音が、早朝の廊下に響き渡った。
すでに起きていた私は、縁側でその様子を眺めていた。
その視線に気がついたのか、月は恥ずかしそうにもじもじしだした。
「おう、昨日はよく眠れたかのう、孫と一緒に」
私は何か悪いことがばれたような焦りを感じながら、後ろを振り返った。
「え゜……、な、なぜそのことを?」
剛雷はかかかと笑うと、誰の家だと思っておると言った。
「それにしても、あの孫がのう……。わしにすら、懐かんというにのう」
「そうなんですか?」
剛雷は深くうなずくと、縁側の池を見つめた。
しばらく見つめていると、剛雷は静かに話しはじめた。
「あの子はのう、虫や木の気持ちが分かるんじゃ。不思議な話じゃろ?」
虫や木の気持ちが分かる……。
ということは、あの悪い夢とやらは正夢なのか?
「いつの頃かのう。わしが盆栽の木を、枝切りしていたときじゃった」
日向が泣きながら、わしに言った。
「おじいちゃん、だめー」
「ん、何が駄目なんじゃ?」
「その木、ないてる」
木が泣いている……。
わしは、当然その言葉を単なる幼い子の優しい気持ちだと思った。
じゃが、数が重なるにつれ、わしは不思議な気持ちに襲われていった。
まさか本当に分かるのでは?
そう思いはじめ、わしは孫がいない間に盆栽の木の手入れをするようにした。
それが悪かったのかもしれない……。
次第に孫はわしに口を聞いてくれなくなった。
「のう、月。日向は、木や虫の気持ちが本当に分かるのかのう?」
月は考え込んでから、思い出したように言った。
「そう言えば、この前勝手に柿の実が落ちてきたことがあったよ」
「それは、偶然じゃろ?」
月はあごに手を当て、さらに深く考え込みながら言った。
「それと、たしか……大きな蜂の巣を持ち帰ってきたことが……」
「殺虫スプレーとかは、届かぬ所においてあったのか?」
月は腰に手を当て、わしをとがめるような口調で言った。
「おじいちゃん、そんなことばっかり言ってるから!」
わしは焦るように答えた。
「すまん。いかんのう、つい理屈っぽくなる。老いるとは、よくないのう」
月はくすくすと小さく笑うと、そばに隠れている日向を見ながら言った。
「おじいちゃん、本当はね日向もおじいちゃんのこと好きなんだよ……」
「そうか……、そうじゃといいんだが」
わしは、その時以来信じている。
日向が虫や木の気持ちが分かる子じゃと。
「しかし、それは苦痛となるのでは?」
私は日向のことが心配になった。
虫や木の気持ちが分かる……。
「そんな能力は、心に苦痛を生んでしまうんじゃないのか?」
「そうじゃ、じゃからわしは心理術を身につけたのだ」
「心理術?」
「昨日やったあれじゃ。学名では、『催眠』と呼ばれとる」
あんなものでどうやって、苦しみから解放するのだろうか?
それとも、あれは……。
「それよりも、一つだけ言いたい。今日中にあの山へ登ってくれないか?」
「あの山?」
遠くの方にある待月山。
月の話によると、そこには待月神社という小さな神社があるらしい。
私は軽くうなずくと、台所へと向かった。
そして、食事を済ませると、老人に渡されたものに着替えた。
迷彩色の軍服とナイフ、それに黒いブーツとバックパック。
まるで戦闘をするかのような格好に一瞬戸惑いを覚えたが、私はその姿ででかけることにした。
待月神社の境内につくと、そこには黒眼鏡の男が立っていた。
「ふんっ。あのじじいめ、早速俺の気配に気づいたと言うわけか」
そう荒々しく言うと、男の髪はどんどんと逆立っていった。
そして、眼鏡の奥からは、魂の炎のように瞳が青く光り輝きだしてきた。
「クロメ……、覚えてるか? 俺の名前を?」
そう言い放つと、男の姿が一瞬にして消え去った。
足元から来る砂嵐、そして……
「人違いではないのか? ぐふ……」
重たい蹴りが、私の脇腹を深く捕らえた。
しまった……。
男の蹴り一撃で、足元がガクガクと笑いはじめる。
「腕が鈍ったのかぁ、クロメさんよ?」
さらに激しく舞い始める砂埃、そして確実に私を狙ってくる攻撃。
あまりにも早すぎて、男の体が視界に捉えきれない。
「ぐっ、こ、このままでは……」
私はナイフを右手で逆手持ちにした。
がむしゃらにふりまわしても、隙ができるだけだ……。
なんとか意志を冷静に保ちながら、敵の攻撃の苦痛に耐えた。
男はまるで勝ち誇ったように言った。
「おいおい、それじゃぁまるで別人じゃねえか。クロメさんよ!」
「俺はクロメなどと言う名前じゃない。だが、攻撃はさせてもらう!」
男は一瞬立ち止まると、こちらに挑発をしながら言った。
「そうだ、それでこそ戦いだよ! 理由はないけど、戦うのが戦いなんだよ!」
再び猛烈な砂嵐が舞い起こる。
「ヒャハハハハ!」
その狂気が混じったような笑い声を聞いて、ある名前が俺の脳裏をよぎった。
「き、貴様……、斎藤!?」
砂塵の中で、男は笑い声を上げながらいった。
「そうさ、斎藤様だよ! あんたが、人食い狼と呼んだ斎藤様だよ!」
斎藤の蹴りが、私の腹部を掠める。
その瞬間を見計らい、私はナイフを押しつけた。
ブッ!
赤い噴水が、斎藤の足から噴出した。
そして、砂嵐がおさまった。
斎藤は、足から鮮血を流したまま満足そうな声で笑いながら言った。
「そうさ。これでこそクロメだよ! クロメなんだよ!」
そしてまたゴーッと凄まじい勢いで、風が集まりだしてきた。
来る!
そう思った瞬間、女の声がした。
「両者、そこまでだ!」
そう言われると、斎藤の髪は自然のままに戻っていった。
「またか、また貴様が邪魔をするのか!くそっ……」
私は、荒い息のまま女に尋ねた。
「お前は、誰だ?」
女がため息をつくと、周囲から深い霧が発生した。
霧の中で、女の声が静かに響き渡った。
「残念だよ、私の名を忘れるなんてね」
霧が晴れた頃には、すでに二人の姿はなかった。
私は腰を降ろし、すっかり上がってしまった息を整え始めた。
「はぁはぁ……。それにしてもなぜ、人食い狼と呼ばれた斎藤が……」
上を見上げると、待月神社の屋根にある小さな飾りが目に入った。
「蒼い…月」
まるで夜空に浮かんでいた月が、そのままここに収まっているようだ。
私は誰もいないことを確認してから、待月神社の中へと入った。
中には小さな女の人の像が置いてあった。
「つき……」
そう、これはつきだ。
そして、その近くには一枚の古い紙切れがおいてあった。
――つきは、いつまでも月衛のクロメ様を待ち続けております
この手紙を見て初めて、待月神社の名前の由来が分かった。
つきは、私を待ち続けていてくれたのだ。
私の目から静かに涙が零れ落ちた。
「すまない、つき……。私は、私は……」
どこからともなく、剛雷の声が聞こえてくる。
「狩人よ、それはもうとうの昔の話だ。そして、その話はもう終わったことだ」
後ろから剛雷の声がした。
私は後ろを振り向かずに聞き返した。
「そして、つき様の息子も生まれとる」
「え? そ、それは一体誰なんだ?」
剛雷は、にこりと微笑みながら言った。
「わしじゃよ、その息子とは」
あまりにも大きな衝撃を受け動揺している私に、剛雷は語りかけるように言った。
「そして、わしの本名はな……」
バッ!
「はぁはぁ……。ゆ、夢か……」
周りを見回すと、私は蒲団の中にいた。
月が私に優しく話しかけた。
「大丈夫? 結構うなされていたんだけど」
「なんで、私はここにいるんだ?」
私が混乱しているのを察してくれたのか、月はまた優しい声で言った。
「え? ずーっと寝てたんですよ」
寝てた?
いや、そんなはずはない。
げんに、体に青痰が……ない!
あんなに強くけられたはずなのに、あるべきものがそこにはなかった。
「なぜだ! なぜ無いんだ!」
月はくすくすと小さく笑いながら言った。
「きっと悪い夢を見ていたんですよ。それよりも、昼食にしませんか?」
そう言って、月は私に膳を持ってきた。
私は昼食を食べながら、このつじつまの合わない現象について考えた。
第五章(蒼い月編最終話):「訪れる紅い風」
ーーピンポーン
「はーい、今行きます」
月がどたばたと玄関へ行こうとした。
私の脳裏で、昨日の不思議な錯覚らしきものがよぎる。
「だめだ、私が行こう」
そう言って、月の代わりに私が玄関の扉を開けた。
「いよぅ、会いたかったでー」
見知らぬ大阪弁男が、玄関の前にいた。
私は、知らず知らずの内に構えを取っていたらしい。
「うわ。ひっどいねんなー、クロメはん。せっかく、わいが目覚めたゆうに」
「誰だ、お前は?」
大阪弁男はアチャーッという顔をしながら私に言った。
「さらにひどいねん。恨むで、クロメはん。わいを覚えてないんか?」
私がうなずくと、大阪弁男はため息まじりに言った。
「わいの名前は、水城や。クロメはんの親友やで」
「親友? 斎藤の味方じゃないのか?」
「ちゃうちゃう。わいは、あんたの味方や。ちょっと家ん中入ってええ?」
水城の問いかけに、月がどうぞ、と答えた。
水城は、どうもどうもとなれなれしく家に入ってきた。
そして、私の部屋にどかっと座ると、勝手に一人で話しはじめた。
「クロメはん、わいは見たんや。
蒼い月を見たんや。
あれはな、不吉な月なんやで。
どうして不吉か言うとな、あの月は存在してはいけない月やからや。
剛雷はんの話を覚えとるか?」
「待て! 今、剛雷と言ったな?」
水城はわけが分からないという顔で、私に聞いた。
「たしかに言うた。せやけど、それがどないしたん?」
「この家にも、剛雷という老人がいるんだ。気にならないか?」
「ふーん、ま、同姓同名っちゅうやつもおるやろ?」
「だといいんだが。話の腰を折って悪かったな。続けてくれ」
水城は月に出されたお茶を飲むと、再び話しはじめた。
「剛雷はんが言うにはや、月は基本的に二色なんやと。
紅い月と白い月。これは、太陽からの反射による物らしいで。
せやけどな、もう一色だけ色があるんや。
それが、『蒼』。すべての光を吸収し、自ら発光した色。
それが、『蒼』らしいで。
なんか難しゅうて、よう分からんかったんけどシリウス同様なんやと。
シリウスは、一つの星でなく三つの星が並んで一つに見えるらしいで。
なかでも白鳥座X−1とやらは、暗黒星と呼ばれるほど気づけないものなんやと。
ま、端的に言えば、『ありえない月』なんやっていう話や。
そろそろ、紅の風が吹き始める頃合いやで。
心してかからんとな」
「紅の風?」
「紅く血ぃみたいな色をしおった風や。
これは、斎藤はんが大好きなものや。
あの人は、強襲荒野戦特殊歩兵。
強襲型のあの人は、きっと今ごろ血が疼きはじめている頃やと思う。
……紅の風が吹いてしまった時、あの人を止められるのはクロメ。お前だけや。
そして、今さっき会ったあのかわいい嬢ちゃんを守れるのもな。
せや、わいは眠るで、おやすみな」
水城はそう言い残すと、のんきにもいびきをかいて寝始めてしまった。
紅の風……、紅い世界……。
頭の中で、自然と今までのことがつながり始めてきた。
だが、一つ納得がいかないことがある。
なぜ、月は私に嘘をつく必要があったのだろうか?
真実をありのままに言ってくれたほうが、ずっと納得がいく。
なのに、嘘をついたということは何らかの事情があるはずだ。
その事情を知りたいとは思いながらも、私には問いだすことができなかった。
その事情を知った時を想像するのが、とても恐ろしいことに思えたからだ。
とりあえず、今は水城というこの男を信じるしかない。
そう思い、久々に私はトレーニングをはじめた。
2004/12/19(Sun)15:16:29 公開 /
金森弥太郎
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■作者からのメッセージ
3chで「月のワルツ」という曲を聞いて、この話を思いつきました。
(水城の大阪弁に間違いがあれば、ご指摘の程をよろしくお願いします)
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