『Lost Heaven [序章完結・暫定版]』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:覆面レスラー                

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1
 
 規則的に枕木を挟み込まれたレールの上を走る列車が継ぎ目を踏む度に、思い出したように揺れる。それは、いとも簡単に眠りへと誘われてしまいそうな断続的な波。そんな波に揺られながら座席に沈み込む僕が、車窓から覗いた景色は、空の青だけを映して燦然と輝いている。
 列車が地下バイパスに潜り込んでしまうまで、数分足らずの初夏の景色。僕はその全てを目に焼き付けておきたかった。この壊れていく世界が、こんなに美しい光景をまだ残してたなんて、信じられなかったから。
 タキが小さく開けた上下スライド式の窓から生温い潮風が車内に浸透して、薄手のシャツをじっとりと汗が滲んだ肌に張り付かせる。そんな暑さの中、磁器のように白い肌に汗一つかいていない、タキは涼しげな顔で手すりの革に掴まって、僕を見下ろしていた。
 僕らはそのまま見詰め合っていた。
 一分――
 二分――
 やがて、沈黙に痺れを切らしたタキが、桜色の唇が僅かに開いた。
「逃げるの?」
 逃げる、か。
それはまた、言い得て妙だな。
 僕は無言のまま顔をあさっての方向に向けると小さく頷いた。
長椅子のクッションの毛が、直射日光を浴びて白く光っていた。
「殺すのは、もう嫌?」
 タキが、言葉を繋げる。
 それは僕の心の底に秘めた想いを掠め取ろうとする、タキなりの策であり、タキの狙い通り、僕はその言葉に少なからず動揺し、逸らした視線をタキに引き戻してしまう。
 そこには小首を傾げて、僕に答えを促す一人の少女があった。
 殺すのが嫌、か。
 まだあどけなさを残したタキの外見には不釣合いな言葉だ。
 まるで、わからない事象を誰かに問いかけるような幼さで。
 なんて殺伐とした言葉を吐くのだろう。
 僕らの壊れ具合が良く分かる。
 僕は内心で溜息を吐きながら、タキの問いに問いで返した。
「タキは、自分と同じカタチをしたものを殺すことに耐えれるのか?」
 肯定も否定も前提にしていない。
 タキは、顎に細い指先を当てながら少し上を見上げた。
「私は――平気かな。物心ついたときから、みんな壊れそうだったから」
「だから、壊すのは平気?」
「変な質問。蜘蛛の巣に罅割れて粉々に砕けそうなガラス。羽根が?げて飛べなくなった蝶。剥き出しの紙に描かれた綺麗な絵。そんなものの前に立つと自然、『壊したい』って衝動が浮かぶでしょう? 私にとっては、私と同じカタチをしたモノも同じ。外殻だけがあって、中身は何も無くて――人差し指で突いてあげるだけでボロボロ崩れだしそうだから、簡単に壊れちゃいそうだから――壊すの」
「罪悪感は?」
「無いよ。なんで? 必要なの?」
「……いや」
 僕は薄く生え揃った顎鬚を掌で弄りながら、またタキから目を逸らす。外には、果てしなく水平線が続いていた。海猫の鳴き声が僅かに開いた窓越しから漏れる。
 
――僕には、その感覚がまったく理解できない。
 
そう言えば、タキは『なんで?』と聞き返してくるだろう。
 タキだけじゃない。
レンもサクラもライもエンゲもジンゴも、団長も。
言葉こそ違えど、根本的には同じ解答をくれる筈だ。
 自分と同じモノを殺すことに何の躊躇いも無いから。あっけなく殺すから。
 自分以外の幾多のそれらに残された明日にも、辿ってきた昨日にも積み重ねられるべきものに、とんと無頓着な彼らだから。
 そんな感覚を、僕はおかしいと思う。
 いや、おかしいだけでなく、壊れているとも思う。
 けれども壊している彼らの方が壊れている癖に、彼らは壊れない。
 じゃあ、壊れているのはなんだ? 
 
 誰だ?
 
 列車がガタタン、と一際大きな音を立てる。僕の左側からゆっくりと影が迫ってくる。初夏の光線は、列車の後方に吸い取られるように消えていく。地下トンネルに滑り込む車体に合わせて、天井に備え付けられた照明が数回点滅しながら灯る。
 前方から追い駆けて来るサーチライトの白が、一瞬真っ黒なコンクリートの壁面を眩しく反射し、照らし、消えた。
 やがて、完全に地下に沈み込んだ列車は、暗い闇を外の世界に漂わせながら走り続ける。窓からは、こもった埃の匂いが流れ込んで外の空気で溢れていた車内の空気を汚した。
 トントン。
 様々な情報が交錯する中で、タキが床に爪先を当ててサンダルを履きなおす音が一際高く響いた。サンダルの紐が解けていないか確認するために俯きながらタキは言った。
「――で、結局ミライは逃げるんだよね」
 どうだろう。
 僕自身は僕に答えを出せないかもしれない。
「僕は、逃げてるのかな」
 その声は自分でも以外な程大きく響き、まるで自分自身に罪を突きつけているかのような気分になる。
 殺す事から逃げる事は、罪なのだろうか。
「自分のすべきことをどういうカタチであれ放棄するのは、逃げてるってことじゃないの?」
「でも、団長に従って殺しを続ける事は、正しいことじゃない」
「正しいとか、正しくないとかどうでもいいの。ただ今与えられた役割をこなさないことは、正しくないと思う」
「……正直、僕はついていけないんだ」
 困惑。
 それだけが、ある。
 君達は間違っているとは、到底言えなかった。
 僕は顔を掌で覆って俯く。
 僕如きに正誤を判断できるだけの度量も人格も無い。それもある。
 だけど、僕は自ら望んで『蝿の王』に身を委ねた。
 『蝿の王』が殺戮集団だと知っていて、我が身を預けた。
 それが、何も知らない子供の児戯で、単なる淡い憧れや、浅い己の自尊心
を満たしたいがための行動でしかなかったとしても、僕は選んだ。
 殺して、生きることを。
 列車に横向きのGが掛かる。
 車輪が湾曲したレールの錆をこそぎ落としながら通過する耳障りな金切音がけたたましく車内に轟いた。
 その音に覆い隠した顔を顰めながら、僕はもう一度、同じ事を言う。
「壊して、生きてなんて、僕には駄目なんだ。僕は、違うんだ。ついていけないんだよ。僕は――」
「そんなことは、全然ないわ」
 僕の言葉を遮るように、タキがぽつりと呟く。
「壊し方は、ミライが一番上手よ」
「――――」
 知っている。
「きっと、私にもミライだけは壊せない。ミライは私を壊せるたった一人の存在」
 それも、知っている。だからこそ――
「僕は……」
「団長は私達が『喪失された技術に愛されし少年少女(ロスト・チルドレン)』だから、手元に置いているの。ミライはそれも知っている」
「…………」
「ロスト・チルドレンには必ず、『喪失された技術を司る部位(ロスト・ワード)』がある。その中でも、壊すことに特化したのが、私達」
「……そうだね」
 淡々と語るタキ。
「産まれたのなら、生きなければならない。与えられたのなら、拒むことは出来ない。そういった類のモノに縛られる。それが、私達のセオリー。壊す力が与えられたのなら、壊すしかないの。いつか、何処かで壊れてしまうまで」
 タキの小さな掌が、僕の頭の上に置かれる柔らかな感触。
 彼女はその掌で、数え切れないぐらいに殺してきた。
 だけど、その掌は、僕にはとても優しくて温かかった。
「逃げても、同じよ。私たちは」 
 僕の肩は、僕の意図に反して刻むように震えた。
「僕らは何処まで行けるのかな」
「一つも壊すものが無くなれば、きっと辿り着ける場所まで」
 列車の速度が緩やかに落ち始める。俯いていた顔を上げる。
 そこにはタキの極上のバターを蕩けさせるような微笑みがあった。 
 
 僕らは、また?
 いや、違う。
 僕は、また。
 逃げ出せずに、殺し続ける。
 見えない糸に操られるように。
 
 長く長く尾を引くブレーキ音に合わせて、僕は静かに目を閉じる。
 閉じた先には暗闇。
 微かな眩しさは微塵も無い。
 全ては無為。視界は零。
 この暗闇と同じように、僕らは無限で、空虚だ。
 そう考えれば、少しは――少しは、楽になるのだろうか。彼女らと同じような境地に僕も辿り着けるのだろうか。
 壊せるから、壊すしかなくて、生きているから、生きるしかない。
 それだけのために存在できるようになれるのだろうか。
 ブレーキ音が止む。
 圧縮された空気が吐き出される。
 風が巻き起こる。
 音だけがする。
 ぐわん、ぐわん、と銅鑼が激しく叩き鳴らされる音。
 怒声。
 悲鳴。
 阿鼻叫喚。
 目を開く。
 プラットホームには夥しい数の死体が転がっていた。
 死体の群れの中央には、返り血を思う存分に浴びたタキが佇んでいて、その横顔は何処か寂しそうに見えた。
 僕の感傷かもしれない。
 でも、タキが本当に悲しいのだとしたら――
 僕の視線に気づいたタキが、こっちに顔を向ける。
 微笑んでいた。さっきと同じぐらい、蕩けそうな笑みで。
 激しく警笛アラームが鳴り渡っていた。
 ホーム全体が赤く明滅していた。
 僕らの侵入を許してしまった危険を告げる信号。幾度も聞いた。
 もっと警備が厳重な場所でも、僕らは皆殺して容易く浸透した。
 
 こうやって僕らロスト・チルドレンは、この力さえあれば何処へでもいけるのかもしれない。けど、それは、何処かに辿り着くことしかできない無力感を、僕らにくれるだけだ。
 殺しても、殺しても。
「それは逃げても、一緒……か」
 僕も、ロスト・ワードを覚醒させながらプラットホームに降り立った。
 血の匂いと、汗ばむほどの熱気が漂っている。気が触れた様に歪なこの狭い世界に、タキのロスト・ワードの余韻で空間の至る所に極彩色の歪みが発生していて、それがまるで陽炎のように見える。
 夏の風物詩に見えない事も無い。
 
 これが、僕が『蝿の王』で初めて迎える初夏の始まりだった。

2

 久しぶりに訪れた港街には、雪が降っていた。
 太陽は消え、白一色で染め上げた曇り空から止む事の無く振り続ける、灰色の雪。
 全てを覆い尽くすように、深々と積もりゆく。そのせいか去年の今日、此処に訪れた時よりもほんの少し肌寒さを覚えた。
 それにしても、この街はいつまでたっても変わらない。
 街の中央にある政府公認施設の巨大な門に繋がる大通りを行き交う疎らな影達。それらの服装も、季節違いの厚着で着膨れ、皆一様に俯き加減で傘を差しながら、足早に何処かへと歩み去る姿も。
 僕は、白いカーネーションの花束を片手に携えながら、それらとすれ違う。アズサの元へと向かう途中だった。
 睫毛に掛かった灰雪を手で払った時、ふと、電気屋のショーウィンドウの軒先から漏れる雑音に気づき、歩みを止めた。
 チープな拡声ノイズに、赤みがかったカラー画面を備えたそれは、生産台数が年間百台と普及度が極めて低い電化製品――テレビだった。
「どうした?」
 レンガ造りの歩道を、僕より二、三歩進んで歩いていたサクラが背後の僕の足音が止まったことに気づいたのか、紺絣の着物の裾を翻しながら振り返った。
 サクラの視線を受け止めて、ショーウィンドウに飾られた小振りなサイズの街頭テレビに流す。
「いや……テレビなんて珍しくてさ――それで、ちょっと気になるニュース、やってたから」
「なんだ?」
「『蝿の王』について――」
 画面には、夕刻過ぎの政府ニュースが、黒色の煙を上げて燃え盛る瓦礫の山を映し出している。それは、昨日、タキと僕が破壊した施設。じっとりと掌が汗ばむ。
 映像によって昨日の感触や記憶が喚起され、心が揺さぶられる。思わず花束を滑り落としそうになって、失いそうになっていた心を取り戻す。一つ深呼吸をし、空いている手に花束を持ち替えると、取っ手を握りなおした。
 『生存者ゼロ、確定!』のテロップが、画面の隅で印象的に踊っていた。
 ――間違いなく、『蝿の王』に関するニュースだった。

『昨日未明、非政府組織『蝿の王』によってユーゴ議長自治区ポイントP-07地点に建設されていた『<神の卵>孵化施設』が破壊されました。偶然にも、<神の卵>は別施設に運搬済みのため無事でしたが、警備員、研究員、及び視察に訪れていたグラム上院議員一行のMIA(生死不明者リスト)入りが確定されました。先刻、捜索隊は生存者の捜査を打ち切り、『蝿の王』に関する痕跡が残されていないか、調査に移る模様です。現場の状況は――』

 ザザとノイズが混じるアナウンサーの声に、サクラの声が割って入る。
「そういえば、昨日タキが言っていたな。あそこだったのか」
 いつの間にか、サクラが腰に手を当てながら、僕の隣に並んで同じ画面を眺めていた。
「タキ、なんか言ってた?」
 サクラは大袈裟に肩を竦めると、首を振る。
「折角敵陣のど真ん中に乗り込んでいったのに、成果はゼロ、まるっきり骨折り損だったと、な。あと、敵陣に乗り込むまで根暗な我侭に手を焼かされっぱなしでうんざりだった、とも言っていたな。散々愚痴を聞かされたよ」
「…………」 
 溜息を吐く僕を見て、にぃ、とサクラが嫌な感じで微笑んだ。
 片目に垂直に刻まれた刀傷を眼帯で隠すサクラに、その笑顔は凄惨で良く似合っていた。
「まぁ、そう不貞腐れるな。タキの感覚にも、お前の感覚にもそれぞれに事情があるだろう? お前にはお前なりの理屈があるように、タキにもタキなりの理屈があるのさ」
 僕を、優しく諭すサクラ。
 彼女は『蝿の王』の団員の中では、団長の次に年長だから、その分、不幸な時代を僕よりも多く抱えていて、言葉に妙な説得力があった。
「私だって、時には殺す事が嫌になる日もあるさ。――お前は……そうだな、割と淡白な方だから、決着の着かない戦いに諦観している、のか?」
 それもある。
 終わりの無い日々に、僕は疲れている。
 けれど――
「違うんだ、多分……そんな複雑な感情じゃないんだ」
 そう。僕が抱えるこの感情に、複雑はなく、答えは一つしかない。
 その癖、一つしかない答えを一言に纏めることなんてできやしない。
 答えがある。
 解決法も当然ある。
 だけど、選びたくない。
 いつまでもこうして、終わらない日々に縋っていたい。
  
 誰かを殺し続けても良いから、何処までも生きていたい。
 そう考える自分も確かに存在する。

 生温い風が軒下を吹き晒す。地面に積もった灰色の雪がふわりと舞い上がって、はらはらと舞い落ちる。
 季節は夏。
 冬はまだ、遠い。

『――続いては、新たなる<核実験>についてのニュースです』

 僕らに関するニュースが終わり、アナウンサーが手元の書類を捲り上げながら顔をあげた。サクラは、指先で前髪摘み上げると、指先で塵を弾きながら、顰め面でぼやく。
「核自体が無害に処理できる方法論が為ったとは言え、こう『曇りのち灰の雪』の天気が続いては民衆の不満は溜まる一方だろう。何を考えてるんだ、上の奴らは」
「――決戦兵器<神の卵>が僕らに通じなかった時の事後策、対抗策だよ。<神の卵>は政府が取りえる最高の手段だけど、それだって絶対じゃない。それだけ、彼等は『僕らの事(蝿の王)』を警戒している。――だから、絶対的な安心を得るために、心の拠り所となる保険を事前に用意する必要があるんだろう。そのための<核実験>だと知らされているから、政府に従う彼等も我慢できる」
 街頭テレビから視線を外すと、ウィンドウ越しに電気屋の店主と目が合った。彼はレジの前で新聞紙を広げながら、時折僕らに煙たげな視線を送った。
「だからと言って、ポイントG-04はないだろう。この街の直ぐ隣のエリアだ。貴重な食料源タンパク質の収穫場を潰す気か?」
「余計なコストは削減する。少ない材質で、多大な成果を上げようと必死なんだ。その姿勢は、運搬コスト、実験コストの削減に現れてる。我が首を多少なり締め付けても、彼等にとってそれは現時点において、些末な小事でしかない。――まぁ、深海で爆破させて実験コストを削減する手は彼等にしては考えた方かな。こうむる影響や被害も少ないしね」
 そこまで言って、左手の花束に重たさを覚える。いつのまにか重みを感じるほどに、花束の包装に灰が積もっていた。
 数回振って、それを払う。
 気づけば、サクラの着物にも、僕の肩にも灰は降り積もっていた。

『――暫く曇り、ないし降雪の日が続きますが、放射能レベルは許容量を遥かに下回り、周辺地域に被害がでることは無いでしょう』

 ニュースが終わる。
 ノイズが、ザザ……と残響を残して消える。
 同時に、中央の政府施設から、鐘の音が街全体に響き渡る。
 永く、激しく、どこまでも遠く、誰にでも聞こえるように。
 五回鳴ると鐘は止み、テレビ放送は再開され、政府公認のドラマが始まっていた。
 ブラウン管の中に閉じ込められた少年が笑って僕を見る。
 傍に立つ大人も笑って、僕を見る。
 僕は、こちらの世界を見渡す。
 通りを行き交う影に、あいかわらず感情の起伏は見られず、無表情を装う。活気の無い街。支配される者で溢れた街は何処か偽物めいた寂寥感を漂わせる。
 それは、巨大なアーチを描く門に続く枯れた銀杏の並木道や、この降り続く灰色の雪に似ていて――
「さ、油を売りにきたわけじゃないんだ」
 踵を返したサクラの、束ねられた長い後ろ髪(ポニーテール)が鼻先でふわりと流れる。
 そこから、ローズマリーの匂いがして――
 
 それらが折り重なり合って、僕の胸を少しだけ痛ませた。
 生まれ故郷の景色。
 懐かしい香り。
 僕の産まれ育った街。
 アズサがつけていたオーデコロンと同じ甘ったるく、昼下がりのように気だるげな匂い。 
 否が応でも、今日という毎年訪れる日を想わずにいられない。
 僕の二、三歩前をゆくサクラの後姿をぼんやりと眺めながら、僕も歩き出す。向かう先は、街全体が見下ろせる小高い崖の上に作られた共同墓地。

 僕等はアズサの元に向かっている。
今日はアズサの命日だ。

 深い森の奥に切り取られた、草原の丘。
 鉄柵で囲まれて作られた共同墓地に、誰かが居る気配は無い。
 苔むした墓石、生え放題の雑草、絨毯のように敷き詰められた枯葉が、老婆めいた醜い姿を晒していて、此処に訪れる者の少なさを窺がわせた。
 ここは、アズサが最後に辿り着いた場所だ。
 落ち葉を踏み鳴らしながら、墓地の奥へと進むと、一つだけ丁寧に掃除が行き届いた墓標がある。少年が一人、その墓標の前で蹲っていた。
「ジンゴじゃないか。来てたのか」
 しゃがみ込み、俯いていた少年が、サクラの声でこちらに気づいて顔を上げた。ジンゴが祈りを捧げていた墓標に止まっていた一羽の小鳥が慌てて飛び去った。
「サクラにミライ――か。……なんだか良く分からない組み合わせだな」
「はは」
 僕は薄く笑って、右手に携えた花束を顔辺りに掲げる。プラスチックの無機質な匂いがした。この、白いカーネーションの花束は造花だ。街の花屋にある花は、もうこれしか残っていなかったから。
「生花は品薄で売ってないんだってね」
「――みたいだな」
 僕らよりも先に、ジンゴが墓標の傍らに備えたのだろうか――白い薔薇と霞草で出来た花束。それも、造花だった。花も葉も一目で模造品と分かるほどチープな造りだった。遠めには分かりづらいが近くでみれば直ぐに分かる。
 でも、アズサが居る場所は、きっととても遠い場所だから分からない。
「……この街にこの先数十年、花が咲くことはないらしいな」
 団長がそう言っていたと、寂しげに目を細めたジンゴが腰を重たそうにゆっくりと持ち上げた。
「さて、俺はもう行くとする。アズサは賑やかなの、得意な方じゃなかったからな」
 掌の先まで隠れてしまうほどオーバーサイズのロングコートに身を包んだジンゴが背を向け、一人で墓標を後にする。ロンクコートの背中に未だ刻まれたままの血の十字架に、僕は一人の少年がひと時とは言え、同じ時間を過ごした仲間の死に心を痛めている様を見る。僕の隣で墓標に向かってしゃがみ込み、両掌を俯いた顔の辺りで組み合わせ黙祷を捧げるサクラにも、今日だけは、感傷という感情が垣間見える。
 
 僕らよりもずっと早く壊れきってしまったアズサ。
 彼女は死の間際に何を思ったのだろう。
 自分の弟ぐらいに幼い少年を、事故から守って死んだ彼女は、守った筈の少年も、すぐ死んでしまった事を知らない。
 彼女は無駄死にだった。
 それでも、僕は、彼女を愚かだとは思わない。
 彼女はいつだって孤高で優しい少女だった。
 だから、誰よりも早く壊れてしまうことを許されたに違いないと――僕は、そう思う。
 
 造花の花束から一輪をそっと抜き取る。
 無機質の匂いしかしない。
 それでさえも、死を悼む人間にとって僅かながらも救いとなる。
 そして、この墓標の下にアズサの肉体が埋葬されていなくとも、僕らが祈る行為は、慰霊となる。
 今日と言う日。
 二度と巡りはしない日。
 灰色の雪が昨日も、今日も、きっと明日も降り止むことは無い、冷夏。
 僕は、祈りも捧げずに、パーカーのポケットに手を突っ込みながら水平線の果てまで広がる曇り空を眺めながら、ぼんやりと思いついた疑問を口が開くに任せて聞いた。 
「サクラは殺すのは、平気?」
「平気だ。殺すという行為は、つまりは愛だからな」
 黙祷を捧げる姿勢のままで、サクラは澱みなく、そう答えた。
「殺すのが、愛?」
 殺すのは、愛?
「そうだ。人は誰かを殺すときに愛無くして殺せない。愛している仲間のため、家族のため、自分のために何かを殺せるだけの力を振るい、振るうことのできた力を愛し、その力を与えてくれた全ての存在を愛し、それらのために、また殺す。私が此処に生きている理由は何かを愛するために、そして愛が故に何かを殺すため。だから平気だ。平気で無ければ、私が生きていられる理由が無い」
 生きるが故に愛する――
 愛が故に殺す――
「愛なんて所詮、生きる事の付属でしかないんじゃないの?」
「そういう考え方もあるだろう。それはそれで、お前らしくていいんじゃないか?」
 墓標には、また静かに羽ばたきながら小鳥が舞い降り、空が無い事を訝しがる様に小首を傾げる。  
 僕、らしさ――ね。
 なら僕は、サクラよりも愛する事が、苦手なのかもしれない。
 
 木枯らしに似た色の風が、落ち葉を巻き上げながら吹く。
 でも、それは初夏の風。
 空からは、灰色の雪が振り続ける。
 でも、それは初夏の雪。

 僕らのために、少しづつ壊れていく世界。
 そんな場所に存在する全てを、僕は到底、愛せそうに無いと思った過ぎ去りし初夏の日。
 <神の卵>は静かにどこかで確かな脈動を繰り返していた。

3

 <F-line>と呼称されるF地区全体を貫く地下通路は、錆び付いた配管が剥き出しにされたまま長い年月放置されているようだった。少なくとも、ここ十数年整備された気配が全く無い。そんな無人通路を逃走経路として選択した彼――政府軍から派遣された対『蝿の王』暗殺部隊員<インヴィジブル>――の策は、中々の良策だったと言える。
 おそらく、無人で人目に付かず適度な仄暗さを保ったこの通路は、彼自身の<特殊能力>と照らし合わせても、最適の状況だったのだ。つい先刻、逃走するというシチュエーションに置いて、絶対的な解決策が表層化するまでは。
 その策とは、此処が一本通路であるが故に可能な策――両側の壁をぶち壊して、人為的な袋小路を造りだすという単純で無茶苦茶な策ではあったものの――実現できる可能性と、実現させられる人材さえ揃っていればあとはタイミング次第の至極簡単な策でしかなかった。
 そしてその策は、追跡チームを組んだ僕とサクラの手によって、実行され、彼にとって致命的な仇となった。
 
 袋小路に追い詰められたインヴィジブルは、健闘していた――と思う。
 サクラと一対一で切り結びながらも、常に僕の殺気や気配を観測し、僅かな隙から逃走の経路を見出そうとする意図が感じられた。普通、サクラと殺り合えば、そこまで気を回す暇も無く、大体二分で片を付けられてしまう。
 サクラには容赦が無いからだ。
 サクラは殺すことを愛だと言った。
 なら、どうしてその<本能(愛)>から逃れることができるだろう。
 断続的に響く金属の残響が百を越え、五分が経過した頃――
 ふと、彼の殺気が唐突に途絶える。
 そして、彼は透明化していたその姿を仄暗い闇から這い出させ、赤い非常灯の元に晒すと、楽しそうに喉を鳴らして嗤った。
 全身に深すぎる刀傷を負い、アーミージャケットをたっぷりと血液で濡らしながら――断続的なスタッカートをパイプの雨垂れに木霊させ、ひび割れた天井から滴り落ちる水滴を震わせた。
 それはまるで絶体絶命の窮地でさえも、自分にとっては絶好の好機でしかないと言いたげな、物憂げで病んだ嗤いだった。
 なんのことは無い――それは幾度と無く聞いた事がある嗤い声だった。僕らが生きるために殺し、幾重にも積み重ねてきた屍達が命の灯火が消えかける寸前になって叫ぶ、断末魔の嗤い――それそのものだった。
 絶対的な諦観。
 相対的な諦観。
 此れ以上どうしようもない、万策尽きた状況下で、初めてあげることのできる嗤い。健闘を見せた彼だったが――最早勝ち目など無く、戦い続けるだけの生き地獄に、精神が耐え切れず、死を希求する側に回ってしまったのだろう。

 それに応えるように僕らは――
 また一つ、殺す――

 前衛に立つサクラが、重傷のタキを背負った後衛の僕を背中で守りながら、彼と対峙し、攻撃の射線を遮るが如く斜めに大太刀を構える。
 体中を切り刻まれ、至る箇所から流血するインヴィジブルに最早その隙を突く術などなく、<ロスト・ワード>を発動させたサクラには元より隙など無い。
 それでも、なおインヴィジブルは低く嗤った。
「……くく」
 それが、僕にとって決定打となった。
 僕の心の葛藤に決着が着く。
 望むのなら望みに答えよう。殺す決心は固まった。
 インヴィジブルの全身を纏うジャケットが彼自身の嗤い声によって小刻みに震える。彼が手にした楔形のナイフもその震えに連動し、等間隔で壁に灯った非常灯の赤いランプを無機質に乱反射した。やがて、インヴィジウルの姿が彼の名が示す通りの特殊能力<インヴィジブル(透明化)>によって、非常灯の仄かな光すら届かない闇の奥に溶け消える。
 僕には見えなくなる。
 誰の目にも見えなくなる。
 サクラを除いては――
 サクラには見えるのだ。
 サクラには迷彩化され、見えなくなってしまった筈の彼の姿が捉えられる。それは、サクラの<ロスト・ポイント>――眼帯を取り外され、不気味に、赤く輝く猫のような縦割れの瞳を持つ<右目>――が周囲を取り巻く情報を幾分も余すところなく彼女に伝達するからだ。残留思念、形相概念など、本来あるべきはずのないものでさえ捉えてしまうその右目が、人工的に透明化されたモノを捉えられないはずがない。
 視線だけを壁に沿わせて探るように、空に睨んでいる様に見えて、その実、彼女は真実に一番近い景色を見つめている。
 例え<インヴィジブル>が、姿を消すタイプの殺戮人形だとしても、サクラにとっては児戯にも等しい。
 やがて壁を這っていたサクラの視線が、瞬間――中空の一点に集中する。サクラは足場を固定さえたまま腰を捻り上げ、同心円ベクトルによる反動と膂力、その二つのみで10Kgの白刃を軽々振り上げると、自らの右斜め後ろの空間に煌かせ、当ても無く薙いだ。
 鈍く、鋭すぎる一閃が何もない空間に、火花と金属音が同時に飛び散らせ――ダン、と床コンクリートが激しく踏み抜かれる音がする。サクラは体を斜め後ろに傾がせているものの、一歩として動いては居ない。
 その音を立てたのは、サクラが繰り出した一撃に、床板を踏んで衝撃を殺したインヴィジブル――それだけで、居場所は見えなくとも、気配が濃厚に現れてしまう。
 サクラが視線が追う先とその具現化した気配によって、僕からも大体の位置が計測可能になり、彼らの戦闘に、僕が介入する隙が出来る。
「ロスト・ワード――<精神錯乱>」
 タキを背負ったまま肉体は動かすことなく、精神思念による<ロスト・ワード>によってインヴィジブルの擬骸(ハード)が外界に触れている末端器官から介入を仕掛ける。それは上手くいったようで、サクラが何も無い空(くう)を追う速度が明らかに落ちた。僕が<ロスト・ワード>を発動させたのを見て取ったサクラが腰を落とし、刀を一旦鞘に収め、柄を逆手に持つと、居抜き――所謂<ため>の構えを取る。それだけで、この行き止まり――通路の先端で狭窄した空間全体に、頭痛を引き起こすレベルの悪寒が走る。
 その呼吸さえ苦しくなるほど、密度を増した空間で、サクラが刀鍔をチャキ、と微かに――それでいて良く通る心地よい、心底身を委ねてしまいそうな音色で鳴らし、足を包む草鞋に、じりと地を掴ませ軋みを上げさせた。
 サクラ独特の抜刀剣術――『零抜き』の体勢。
 僕が見てきた限り、サクラの『零貫き』から生き延びた奴は居ない。
 
 ――あぁ、終わりだ
 
 僕がそう、心の中で呟くのと同時に、サクラの姿が文字通り消えた。
 否、僕の目では捉えられない速度で、姿の見えない敵を一文字に切り裂いた――
 見えずとも、解る。
 これまでずっと、そうだった。
 例外は、在り得ない。
 サクラの影が先程の空間より三寸先に進んだ空間に、まるで瞬間移動でもしたかのように現れる。サクラの足元を包む草鞋からは、急激な摩擦による砂埃のような煙が立ち昇っていた。遅れて、鼓膜を破りそうに凶悪な破砕音が僕にまで届く。

 ――真空に風が突き刺さる音
 ――鋼鉄のハウリング
 
 それより更に遅れて――苦しげな嗤い声。
「くく……く――ありえねぇ……」
 ――サクラが無言のまま抜き身の刀を振ると、血脂が跳ねて床や壁に斑点状に飛び散った。
「――……ありえねぇ……よ。剣術使い――」
 そこは何も無い空間でしか――なかった。
 サクラが消えた地点と現れた地点を結ぶだけの通路でしかなかった。けれど、そこからはぼんやりと影が姿を取り始め――それが床に力無く崩れる。丁度サクラが、刀の刃渡りを着物の袖に鞘走らせ血糊を拭うと、鞘に納めたところだった。
「躱し――きれるかよ……あんな、馬鹿げた一撃……――くそ……俺もここまでか……」
 影の正体は、インヴィジブル。
 通路の床に、仰向けに身を委ねたまま、逃走する気力も余命も無く、ぶつぶつと呟く彼の腹部から流出した血はぶくぶくと大きな血溜まりを作り上げていく。彼が手にしたナイフは中央から折れていた。あの鋼鉄のハウリングはインヴィジブルのナイフが一刀両断された音だと知る。――そして、彼の身体が上下で真っ二つにされなかったのは、ナイフで衝撃を殺したから、か――だが、この出血量。致命傷に変わりはない。
「まぁ……いい。俺の役目もこれで……終わりだ」
 袖下に仕舞いこんだ眼帯を取り出し<右目(ロスト・ポイント)>を隠したサクラが彼の傍に歩み寄ると、胸倉を掴んで引き上げた。
「まだ終りじゃないよ。『零貫き』で死なないとは、運が良かった――お前にとっても、アタシにとっても、な。さ、死ぬ前にとっとと吐け。エンゲは何処へやった」
「……は、知らないほうが良い」
「どうせ、お前の脳内データは徹底的に現れるんだぜ。遅かれ早かれ一緒だ」
「――なら、一つだけ教えてやる」
 インヴィジブルは静かに目を閉じると、ごぼり、と口から血溜まりを噴出した。胸倉を掴んだサクラの細長く白い指先が真っ赤な吐瀉物で、染まる。
「……お前等は全員、売られているよ。そう、遠くない……確実に全滅だ……」
「…………」
 サクラが、俯いて指を解く。
 どさりと重力に従って地面に落下する肉体。それにはもう魂が宿っている気配は無かった。
 暫し――沈黙の空気が漂う。
 全滅という響きか、それとも売られているという言葉か。
 この空気を齎している原因はなんなのだろう。
 胸の奥が妙にざわめく感触に、居心地が悪さを覚えた僕は、背負ったタキの華奢な身体がまだ魂を宿しているかどうか確認するように、背負いなおした。首に回されたタキの細い腕が、僅かに震える。
 遠くで排気口ダクトのファンが回る音だけが聞こえていた。
 
 ――先に沈黙を破ったのは僕の方だった。
「エンゲは――どうする?」
 サクラがはっとしたように、俯いていた顔を上げた。
「あぁ、そうだな……コイツが何処に運んだのか突き止めなければ……いや――そうじゃない……タキは重傷だし……それに、そんなお荷物を背負ったお前じゃ、これから先何かあれば足手まといだ。一旦<ホーム>に帰って団長に報告、それから、この<F-line>を探索地に指定する。捜索は、コイツの擬骸(ハード)に残ったデータを検証後、ジンゴと一緒にチームを組んで当たる。エンゲには悪いが――救出は後回しだ」
「オーケー」
 僕は、現座標を確認するため、手首に埋め込まれた衛星ナビゲーターで位置を確認する。座標はF-04を示していた。ホームから丁度3エリア程東に入ったトコロだった。
「結構、手間取ったね」
 サクラは床に転がされていたインヴィジブルの擬骸を乱暴に掴むと、肩に乗せた。
「死にたがっていた節を匂わせていた割には、逃げるのが妙に上手い奴だったな――最初は罠でも仕掛けてあるのかと思ったが――いや、罠に誘い込むまでに辿り着くまでに殺られただけか? お前の<ロスト・ワード>が無ければ、あと2エリアは逃走できたはずだ――」
 僕も、サクラ同様に亡き者の語れない真実に思いを馳せかけるが、意識の外に振り払う。
「死んだ人間の思考を推測したって、意味ないよ」
 いつだって大切なのは、過去でも未来でもなく、必ず手元にある現在だけだ。だから、インヴィジブルを撃破した今は、背中に負ったタキを救うことだけ考えるべきなのだ。
「タキの身体、少しずつだけど末端から冷たくなってきてる。――急ごう。肉体(ハード)は持つと思うけど、感覚(ソフト)が停止するかもしれない」
「了解」
 サクラは頷くと、一度剣を抜き放ち、また仕舞う。
 それだけで、僕の身長の2倍ほどの位置にある天井の、地上排気口ダクトに繋がる鉄格子は多角形に切り抜かれた。
 遠くに白い円形の光が見える――
 サクラは顎で、その光を指し示した。
「上から、帰ろう。行きに通ってきた下は、落盤の危険がある。誰かさんが状況判断無しに<ロスト・ワード>を撃ちまくったせいでな。時間は多少かかっても、余計なリスクを抱えるよりは良いだろう……急がば回れって奴だ」
 インヴィジブルの擬骸を小脇に抱えて排気口ダクトの壁に飛び移りながら、サクラは小さく笑って、僕に背負われたタキを見た。
「タキはもうちょっと力のセーブを覚えるべきなんだよ」
 僕も笑ってそう言うと、
「お前はもうちょっと力を使う努力をしような」
 サクラが僕のコトも茶化した。
 鳶色の勝気な瞳で。
 殺した存在の事は、もう忘れ去ってしまった瞳で。
 それは僕も同じで、忘れかけている。
 インヴィジブルは政府軍が放った強力な刺客だった。
 単独行動をしていたとは言え『蝿の王』戦闘部門担当のエンゲを浚い、手傷を負いながらも<破壊の女王><底無し沼>の二つ名を有し、純粋な戦闘能力のみとしてなら『蝿の王』最強のタキを瀕死に追いやり、僕とサクラの二人がかりでやっと、殺されるに至った。ここまで僕らに被害を与えた敵は、これまでに数えるぐらいしかいない。
 それでも――
 それでも尚、心に刻まれるには到底足りないのだ。
 だから、死に際にあんな台詞を吐いたのか――
 死者の思考を推測するだけ無駄なのに、憶測は止まらない。
「……僕らって売られてるらしいね」
 排気口ダクトの壁から突き出したパイプの梯子を上りながら、上のサクラに話しかける。音が反響して、予想以上に声は響いた。
「あー……そういや、さっきの奴が言ってたな……。真剣な話、売られているのは、ちょっと信憑性がありそうだな。でなきゃ、あのランクの強さでココまでやれる筈が無い。ココまでやるには、アイツらで組んだ一個小隊――同じぐらいの手練があと三人は要るだろうよ」
「――へぇ」
 相手の力量との相互関係はおおよそ一対一の計算か。
とまで考えてはた、と思い直す。
 いや、違う――一対四、一対四ときて二対四の三連戦で互角。
 若干こちらの個体戦力が上――
「もし、データが流出していたと仮定しての話――アタシが楽に勝てたのは、タキが先に手傷を負わせていたのもあるが――アタシの<ロスト・ワード>に関するデータ自体、流出しても左程意味が無いものだったからだと思う。お前も知ってる通り、アタシは<ロスト・ワード>を戦闘補助道具としてしか使わない。戦闘に用いるのは主に剣術だ――が、タキにエンゲは――」
「ああ、タキもエンゲも<ロスト・ワード>が無ければ、戦闘能力が皆無だからね」
「そういうこった。特にエンゲの<ロスト・ワード>は遠距離支援向きだ。近距離でぶっ放すと自分まで巻き込みかねないから、懐に入り込まれた時点で攻撃する術が無く、簡単に決着が着く。タキは――」
「なるほど。3エリアに渡る長距離逃走は図ったのはそういう理由か」
 インヴィジブルとタキを追跡している時、逃走経路を知らせるように、地下通路の壁、床、天井、至る所を抉り穿った破壊と奈落の穴を思い出しながら、僕は横目で背負ったタキの顔色を窺がった。
「大体、お前の想像する通りだ。タキの力は威力がデカイ分、燃費が悪いからな。<ロスト・ワード>を数十発も無駄撃ちさせりゃ、作戦成功だ。ガス欠にさせりゃ、勝負は決まる」
「残ったのが、僕とサクラで良かったよ」
「ま、アタシ一人でもやれたけどな」
「追いつけばの話、だけどね」
「まぁな」
 時折汗で滑り落ちそうになるタキの身体を背負いなおす。
「それにしても『全滅』――ね」
「くだらねぇ、冗談だ。『蝿の王』が売られたぐらいで全滅するかよ」
 サクラは憤りを包み隠さず、露にする。
「政府の犬が何匹群れたって一緒だ。この壊れた世界に軍事兵器を造りだすぐらいでしか抵抗できねぇ癖に。口先だけは一人前だよ。あいつ等は――」

 汗ばんだ掌に、ひんやりと熱を伝える梯子の鉄パイプを握り締めながら、僕は思う。
 サクラの言う、壊れた世界とは――
 核の大穴が幾つも幾つも地表を穿った、失うことしか知らない世界の事なのだろうか。それとも、生産する度に虐殺され、消費しか知らない世界のことなのだろうか。
 共に的を得ていて、共に検討外れのような気もする。
 壊れた世界というのは――希望には遠すぎて、失望には足りない未来しか持つことが出来ない自分が生きている、そんな世界を指しているんじゃないか――僕は、そうであればいいと願った。
 
 長い長い排気口ダクトの出口――入り口の金網を下から押し上げ、地上に這い上がる。
 明けない夜の様に暗く、空を覆いつくす曇り空。
 核の放射能で焼かれ、二度と生命を芽吹かせることの無い大地。
 無意味に隆起、陥没を繰り返す大地。
 街から一歩でも出てしまえば、まるで、地獄の世界が地平線まで延々と繰り返されていた。
 耳を澄ませば、遠くで焼け爆ぜる音が鳴り続け、鼻を嗅げば、生き物が焼けるタンパク質と脂肪の匂いが今にも漂ってくるようだ。計測できないほどの戦略核が世界を壊した、第二次有核世界大戦から二十七年が経過した今でも。
 思わず、握り締める、首から回されたタキの両手。
 僕が握ると――
「……たくない、たくないよぉ」
 僕の耳元でタキが、か細く想いを伝えた。
「なんか言った?」
 サクラは振り返るが、僕はいいや、何も――と首を振って、静かに目を閉じた。目蓋の裏側に広がる暗闇の世界では、僕の背中に触れたタキの小さな心臓が必死で足掻いている音だけが支配していた。不規則な振動音を奏でている、それ――は、タキの
「……死にたくない……」
 その想いだけを、訴えていた。
 

2004/12/14(Tue)11:33:17 公開 / 覆面レスラー
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ミスで削除してしまったので、また新規です。最近は自分自身、何を書きたいのか良く分からず、迷走しております。出口は未だ遠く――

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