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『猿の森(読み切り)』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ささら
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猿の森
たかが学校の裏の森とはいっても、『森』と銘打っている以上、その面積は大概にして広く、その杉の木々の丈は驚くほどに長い。
しばらく歩いてみると、ところどころで、切り株や、木の根などの複雑な自然の障害物が、友作達の行く手を阻んだ。友作のすでに少年とは呼べない大きな体がその障害物を何とか交わすたびに、裏の森に入るということは、案外の大探索であることに気づかされ、森に入って、三十分も経つ頃には、すでに友作はひどく疲弊していた。
太陽は南天に昇り、それでも聳え立つ木々の枝が邪魔をして、太陽の光は林の中にはほとんど差し込まない。まとわりつく湿気による汗と、暑くも寒くもない、やるせないような微妙な空気が、友作により疲労感を感じさせた。それとは対照的に、友作の少し先を歩く明石は、全く獣道が苦ではないように見え、軽快なステップで、小さな体はどんどん森の奥へと進んでいく。
鬱葱と茂る杉の木の群を掻き分けて、友作達は少し開けた場所に出た。中央の切り株を中心に円形に草の剥げた平地。地面に広がる、人が踏み荒らしたような跡を見ると、この森に林業に来ている人たちが、休憩所のように使っている場所なのだろう。ここを過ぎても、森はまだまだ続いていそうで、ここから先は、より深く、より濃くなっているようだった。
明石は、若干息を乱しながら、
「兄ちゃん。この先に猿がいるの?」
興奮した声で、友作に尋ねる。
気の利いた返事をすればいいのだが、とっさに言い訳を思い浮かばず、友作はもごもごと返事に困ってしまい、ごまかすように苦笑を浮かべる。
――あんなこと言わなければよかった。
友作は、期待と希望に満ちた明石の無邪気な視線を受けながら、一昨日の自分の軽率な発言を思い出し、後悔する。
「小学校の裏の森には猿がいるんだ」
つい調子に乗って口から出てしまったでまかせ話だが、まさかこんな事態に陥るとは思わなかった。いまさら、嘘でした、などといったら明石はどんな顔をするだろうか。
いくら小学校が比較的高地に立地しているといっても、日光などの観光地ならともかく、人の生活の匂いが濃い、単なる学校の裏の森にはとうてい野生の猿などいるはずもない。微かな期待を込めて、念のため、昨日の夜父親に尋ねたら一笑に付された。
「ねえ、猿って何を食べるのかなぁ。僕、一応バナナを持ってきたんだけど」
「さあ。何でも食べるんじゃないの、雑食だし」
などと明石に笑顔を向けながら適当に答えながらも、友作は、明石に見えないほうの手で、こっそりポケットの中の携帯電話を操作していた。この先で待ち構えているはずの健介に、この平地まできたら、こちらがやってきた事を知らせる手はずになっていた。ボタンを一度押すだけで、健介につながるように準備しておいた。
着信ボタンを押して、手をポケットから出す。
「ねえ、明石に先に言っておかないといけないことがあるんだ」
友作は平静を装い、それでいて、視線を明石に合わせないで口を開く。
「野生の猿はね、警戒心がとても強いから、近づきすぎると逃げちゃうんだ。だから、もし見つけても絶対に近づいちゃいけないよ。遠くから見て、写真を撮るだけだよ。いいね?」
「バナナはあげられないの?」
「ああ、バナナはその場においておけばいいんじゃないかな。たぶん、僕達が帰った後に食べるよ。いいね。今回の僕達の目的は、あくまでも猿に会って写真を撮ることなんだから」
不満そうな顔をしながらも、明石は、しぶしぶ頷く。
明石は、手渡しで、猿にバナナを食べさせたかったのだろうが、もし、バナナをあげるために猿に近づきすぎたら、偽者であるとばれてしまう。
ちぇ、と友作に拗ねて見せて、明石は、『アイアイ』を唄いながら足をさらに森の奥へと踏み出した。
――健介、頼むぞ……。
友作は、心臓が高鳴るのを感じながら、『計画』が成功することを半ば自虐気味に、一心に祈っていた。
そろそろかなと、ふと、健介が携帯電話のディスプレイを見たちょうどその時に、電話の着信をを知らせるグラフィックが表示された。携帯電話はサイレンとモードにしておいたので音は鳴らない。
発信者を見ると、やはり友作からだった。『電源』ボタンを押して、着信をきる。
「いよいよか……」
健介は、緊張した面持ちで、友作たちがこれから来るであろう、森の先を見つめる。
森の入り口から大分深くで、健介は息を潜めていた。
健介が背中に背負っているナップザックの中には猿の形をした、やけにリアルな等身大の人形が入っている。わざわざ、この日のために友作と健介でお金を半分ずつ出し合って、人形の専門店で買ったものだった。始めは、何とかして、本物の猿を調達しようとしたが、そんな事は出来るはずがない馬鹿な考えであるという事は、少しの調べで理解できた。
健介は、多少ならずとも、自分の不用意な発言に責任を感じていた。それが、明石を騙すためではなかったとしても、結果的に、友作の注意不足が原因だったとしても、やはり、自分が、友作に言ったことが全ての引き金となったことには相違なかった。
健介は、この辺りで、一番横幅が大きく、なおかつもっとも日が当たらない木を選んで、その影に身を隠していた。
友作達が来たら、この木の陰から、背中に背負った猿の人形をまるで本物であるかのように動かし、そして、明石がその人形の写真を撮る。森であるが故の薄暗い環境を利用して、また、ちょうど、猿にそっくりな人形が見つかったことのための単純な作戦だった。実際、健介自身が、カーテンを閉めて部屋を薄暗くし、少し離れたところからこの猿の人形を見たところ、隙間光でぼんやりと浮かび上がる人形猿のシルエットは、本物のそれと区別がつかなかった。明石をまた騙すことになる訳だが、この際手段は選んでいられなかった。
――あとはどうやって、生きているかのようにみせるかだが……。
本物の猿が、このような状況――つまり、人間の姿をその視界に捉えたとき、どのような動きをするか、そんな事は、健介にはおよそ想像がつかない。ただ、友作と話し合った中では、とりあえず、明石が写真をとるまでは不自然にならない程度に適当に動かしておいてくれ、ということだった。
健介は、ナップザックから人形を取り出した。その場で、人形の背を持って、ゆらゆらと動かしてみる。頭部は固定されているため動かないが、両手両足は、かくかくと揺れる。
本物に見えなくもない。第一、明石だって、本物の猿など動物園で一度や二度見た程度だから、よほどおかしな動きをしないかぎりばれないはずだ、そう自分に言い聞かせて、健介はもうすぐ来るであろう友作達を待つために、木の陰に腰を深く落とした。
「あ、猿だ!!」
明石が歓喜の声を上げたとき、友作は明石の大分後方にいた。運動不足がたかって、足腰がおぼつかなくなっていた友作は、何とか明石の後ろに食らい付いていた。痺れる足に鞭を撃ち、明石の側へと駆け寄る。
恍惚とした表情で、明石は森の先の一点を見つめていた。
「兄ちゃん、猿だ!! 本当に猿がいるよ!!」
興奮した声で、友作に、猿がいるという、森の一点を指し示す。
言われた方向に、友作が目を凝らすと、確かに、茶色い小さな影が木々の緑色を背景に蠢いている。遠いので、顔はよく確認できないが、シルエットはどうやら猿のもののようだ。どうやって動かしているのだろうか、およそ、どうみても本物と見分けのつかない見事な動きで、木の陰から、顔を出したり引っ込めたりしている。
健介がうまくやってくれているようだと、友作は心の中で健介に感謝した。
そして、友作は、思い出したように、
「明石、そうだ、写真を撮らないと」
と明石に呼びかける。
明石は、まだ興奮したまま頷き、持ってきたポラロイドカメラを、猿に向かって構える。そして、猿にレンズの狙いを定めたまま、
「やっぱり、兄ちゃんは嘘つきじゃなかったんだ!!」
嬉しそうな声で叫ぶ。
友作は、良心の呵責を感じずに入られなかったが、それでも、これなら大丈夫だろう、という安堵感の方が大きかった。これで、明石は、明日、学校でこの写真を見せて、信用を取り戻すことが出来るだろう。
ところが、明石が、まさにシャッターを押そうか、否かといったまさにその時、猿の動きが不意に変わった。
――何だ? 動きが変だぞ?
猿は、一瞬、その姿の全体を友作たちに現したかとおもうと、今度は友作たちに背を向け、森の奥へと歩き出す。その動きはなんとも本物のようで、尻尾をゆらゆら揺らしている。
――駄目だ健介!! まだ、明石が写真を撮っていない!!
友作は、心の中で叫ぶが、それが健介に届くはずもなく、猿は友作をあざ笑うかのように、ゆっくりと友作達から遠ざかっていく。友作がどうしていいか分からないでいると、
「待てっ!!」
突然、明石が走り出した。去っていく猿を追いかけたのだ。
「よせ!! 明石!!」
とっさの友作の制止の声も虚しく、明石は猿の元へと駆けていく。
明石の足の方が、猿よりも速いように見えた。徐々に、明石と去るとの距離が縮まっていく。それは、すなわち、猿が偽者だとばれるカウントダウンを表しているのだ。健介はいったい何をしているのか、苛立ち、焦る友作を尻目に、明石はさらに猿へと近づいていく。
明石が、猿にあと一メートルと近づいたというところで、薄暗い闇の中を、一瞬の閃光が舞った。そして、そのフラッシュに追い立てられるように、ようやく猿は走り出し、やがて姿を消した。明石は、一瞬ポラロイドカメラを構えたまま固まっているように見えた。その表情は窺い知ることは出来ない。
――駄目だ、絶対にばれた……。畜生、健介の馬鹿、何をやっているんだ。
苦虫を噛んだような渋い表情で、友作は明石が戻ってくるのを待った。全ての非難を受けるつもりでいた。
やがて、明石が、カメラを持って、友作の元へ戻ってきた。
「あのな、兄ちゃん、お前を騙すつもりじゃなくてだな……」
友作は、もごもごと言い訳にもならない説明をしようとするが、すぐに思い直して、
「ごめん!! 兄ちゃんが全部悪いんだ!!」
頭を下げて、素直に謝った。
友作は明石の反応を待つと、
「騙すって何のこと?」
明石は、輝くような笑みを浮かべていた。
「やった、兄ちゃん撮ったよ!! 僕、猿を写真に取った!!」
明石は、ポラロイドカメラから出た、まだ、映像がなく、黒ずんでいる写真を友作に見えるように高く掲げる。
――何だ? どういう事だ? ばれていないのか? いや、そんなはずは……。あんなに近くで見たんだ。明石は視力もいいし、見間違えるはずはない……。だとしたら、明石は全てを察して俺を気遣っているのか? いや、明石にそんな気遣いの心はないはずだし。
訳が分からないまま、友作の頭の中を、いくつもの疑問がぐるぐると渦を作る。
ふと、突然、森の中から、土と枯葉にまみれた健介がひどく消耗した様子で飛び出してきた。息も絶え絶えで、その顔にはいくつもの擦り傷が見える。
友作は、あまりのことに一瞬声をなくしてしまった。何で健介がここにいるのか、さっき、森の奥へと走って言ったはずではなかったのか。友作が驚愕し、口を開けないでいると、健介はひどく狼狽した声で、
「や、やっと見つけた。俺、道に迷っちゃってさぁ」
そして健介は、頑張ったんだ、だけどいつまでたっても友作はこないし、場所を間違ったかと思って捜し歩いたけど、自分がどこにいるかも分からなくなっちゃって、本当に申し訳ない、と半泣きで訴える。
「じゃあ、さっきのは……」
「兄ちゃん。僕、野性の猿って初めて見たよ!!」
歓喜と興奮に息を弾ませる明石と、恐怖に顔を引きつらせる健介とは対照的に、友作は、その生き物が消えた森の奥深くを、なんともいえない表情で見つめる。
「本当に猿がいたんんだ……」
友作は誰にともなくつぶやく。
視線の先には、もう、何も動くものはない。再び、森の中は静寂に包まれている。
ただ、少し経って、どこか、ここから遠い場所で、野犬の遠吠えが聞こえた気がした。
友作は、明石にようやく絵になったポラロイドカメラの写真をみせてもらうと、そこには、ただの茶色い影が、ピンボケ気味に写っているだけだった。
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2004/11/07(Sun)18:50:54 公開 / ささら
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです(?)ささらです。
今回はオチと呼べるようなオチもない少しホラー(?)な話です。何だか始まりが、模擬試験の現代文のようになってしまいました。
CAT'SLIFEの感想場所では、受験勉強のため小説書き中断と偉そうなことをほざいていましたが、今日、『永遠の仔(上下)』を読んだところ、無性に小説を書きたいという衝動に駆られ、パソコンを押入れから引っ張り出し、書いてしまいました。あんた駄目じゃない、と自己嫌悪に陥りつつ、やっぱり土日だけはパソコンを開放しようと勝手に楽観的な方法を取り、こうして投稿した始末であります。それでも、CATSLIFEの方は、続きを考えていると、本当に勉強に手がつかないのでシャットダウンします。(まあ、たぶん期待している人はおらんでしょうが……)
御意見、御感想、下されば嬉しいです。
あと、もし、『永遠の仔」のテレビドラマ版を見た方がいましたら、その感想を書いていただければ嬉しいです。面白そうだったら、レンタルビデオ屋で借りようと思っていますので。それでは。
指摘を受けて、修正しました。オチも変更。ホラーではなくなりました。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。