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『CATS'LIFE(本編)第一話1/2/』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ささら
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CATS'LIFE 〜猫の気持ちになって考えてみよう〜
第一話
―――1―――
4月15日(木) 波東高校
昼休み。
俺――藤沢隆美は、空を眺めていた。
校舎の屋上のそのまた上に突き出した給水塔のってっぺんに寝そべると、遮るものがないもないせいか、空の上にでも浮かんでいるような感じがした。
サイコーの快感だった。
この町は海が近いこともあって、風に混ざる潮の香りが眠気を誘ってくる。
カセットウォークマンに繋がった、耳元のヘッドホンからは大好きな『THE BLUE HEARTS』の曲が流れている。
今ちょうど、アップテンポな曲であるリンダリンダが終わり、次の曲のイントロが流れ始める。リンダリンダの激しいサビから一転するので、余計に落ち着いた歌い出しに感じられる。
――お……。
「♪役立たずと罵られてー最低と人に言われてー♪」
俺は思わず鼻歌を口ずさむ。
『ロクデナシ』
俺の一番好きな曲だ。
「♪全ては僕のようなロクデナシのためにー♪」
カラオケに行くと俺は必ず最後はこの曲でしめる。だからもう百回ぐらい歌った曲。
「♪劣等生で十分だー♪」
空の上から拍手と歓声が聞こえてくるような……気がした。
屋上に聞こえるのは、外でたぶんサッカーをやっているであろう男子生徒たちの声と、いつも昼休みにも練習しているブラスバンドの何故か眠気を誘う楽器演奏の音だけ。
流れる雲をぼんやりと眺めながら、物思いに耽る。
今年度は中々ハードなスケジュールになりそうですか、と雲に聞いてみる。当然返事は返ってこない。
「……だよなぁ」
と卑屈に笑う。
――俺がマジで学級委員かよ。柄でもねえのに。
これからの一年間を想像すると思わず出るため息。
遠足。文化祭。体育祭。頭の中を面倒くさい行事がぐるぐると回る。
――何で、引き受けちゃったんだろうな。
俺は始業式の日を思い起こす。
俺が学級委員となった六日前の始業式。春にもかかわらず、やけに肌寒い日だった。
「静かにしてください!!」
ざわめく二年四組の教壇で、二年四組担任九条麻衣が手を叩きながら声を張り上げた。
九条の鶴の一声で大体教室静かになったが、それでも、後ろの方の席の連中はヒソヒソ話を止めようとしない。
「しーずーかーにっ!!」
九条の甲高い声が、また響き渡った。
それは、後ろの連中に向けられた声なのだろうが、教室の中間に座っている俺などは煩くて耳をふさぎたくなるような大声だ。
それで、ようやく教室が静かになる。
「えー、それではっ時間ですので学級委員を決めたいと思います!! さあ、立候補でも推薦でもかまいませんよぉ!!」
九条の掛け声と共に、教室内が再びざわめきに包まれた。
――学級委員。
それは例えるなら奴隷。普通ならやらなくてもいい仕事をどしどしと押し付けられ、余計な責任感を与えられ、義務を全うすることを求められる。しかも悲しきかなその見返りは全くない。小学校なら、勉強好きのがり勉君が私立中学校入学の内申点のために進んで引き受けてくれたものだが。
しかも今年は文化祭というヘビーな行事もあるわけで、いくら一学期といえども、いつもより忙しくなることは目に見えている。当然、好んでやる奴などいやしないだろう。
「それでは、まず立候補したい人はいますかぁ!!」
――いや、いないだろ。
俺の予想通り、教室内はさきほどとは打って変わって静まり返っている。
俺は、それを他人事のように眺めている。
ところが、少し経って、誰かが挙手をした。
「先生、私、学級委員長やります」
――小川香奈。そういえば、あいつも一緒のクラスか。
クラス中の視線が小川に集まる。俺も小川を見る。
クラスの連中も小川=学級委員みたいなイメージを持っているようで、特に驚いてはいない。
「はい、それでは小川さんよろしくね」
「はい、頑張ります」
前もって小川が立候補することを知っていたのだろうか、特に驚くこともなく、九条は淡々と小川の名前を黒板の学級委員長の欄に書いた。
礼儀正しく礼をして小川は笑顔で着席した。
その後は立候補するものは誰もいなかったので、学級委員決めは推薦に移った。
「それでは、誰かを推薦したい人はいますかぁ!!」
九条は再び声を張り上げる。どうでもいいが、この九条という先生は余計なぐらい声のボリュームが大きい。
このときばかりは、普段うるさい連中も存在感を消そうとしている。
大抵こういう決め事は、無意味に存在感のでかい奴だけが馬鹿な目を見ることになると相場は決まっているのだ。よって、いかに自分を目立たなくすることが勝敗の鍵となる。
まあ、俺みたいに、あまり存在感のない奴には関係ない話だが。
ふと、突然俺の後ろの席の奴が、俺のことを指でつついてきた。
「俺も隆美のこと推薦しないから、嫌がらせでも俺のことを推薦するなよ」
古川瓶。出席番号順で、俺の一つ後ろの席に座っている。去年も、中学校時代も、さらに小学校時代も同じクラスだった。十年間同じクラス。確率にして、一万分の一ぐらいだろうか。いい加減嫌になってくるほどの腐れ縁なのだ。
―――念を押さなくても分かってるよ。俺はそこまで嫌な奴じゃない。
と親指を上げてOKの合図をする。
その時だった。
「先生」
俺の斜め後ろから、もう一度小川香奈が挙手をした。
もう一度、クラス中の視線が小川に集まる。俺も小川に視線を運ぶ。
俺と目が合うと、何故か小川は微笑み返してきた。俺の脳裏をちらりといやな予感が駆け巡る。
――今の笑顔はどういう意味だ……?
「はい、小川さん」
九条が小川を指す。
――ま、まさか。
「はい。私は藤沢君がいいと思います」
――ば、馬鹿!! 何でだよ!!
俺は軽いめまいを覚える。
そして九条は、小川の名前の隣に、俺の名前を黒板に連ねた。
――思えば、あの時にきっぱりと断っておけば良かったんだよなぁ。
今になって後悔するけれども、既にしっかりと、俺の名前は学級委員名簿に記載されてしまっているだろう。
学級委員・会計・藤沢隆美。凄く背中がむずがゆくなりそうな肩書きだ。
――何で小川は俺を推薦したのかな?
理由はまったく見当もつかない。小川は無邪気な顔で、藤沢君なら適任だと思うわ、と言っていたが。
俺はおだてられて悪い気がしなかったのかもしれない。
その後、黒板に名前を書かれたもの。小川を除く、俺以外に推薦された七人が教室の隅に集められた。投票なんて、面倒で野暮なことはせずに話し合いで残り三人を決めることになったのだ。
『隆美君は、確か部活動にも入っていなかったわよね』
このバッドステータスが決め手となった。
『学級委員になると、必然、放課後も色々と忙しくなるんですよね。でも僕たちは部活動があるんです』と、現在部活動に入っているほとんど面白半分に推薦された連中は、すんでのところで不幸を間逃れていった。運悪く俺と同じく部活動に入っていない、高梨恵と柊康太を残して……。
――何で俺、サッカー部入らなかったんだっけか。
親父が見せてくれた古いサッカーの試合のビデオ、その中で一際輝いていた、アルゼンチンが生んだ二十世紀最大のスーパースター、ディエゴ・アルマンド・マラドーナの背中に憧れて、小学校の頃から始めたサッカー。休日は、毎週日が暮れるまで練習していた。
――そうか、思い出した。
中学生最後の大会。地区予選の準決勝で、俺は大事なPKを外した。だからといって、俺の後の二人がきっちり決め、キーパーが二本華麗なるセーブで相手のシュートを止めたから、試合には勝った。しかし、あの時俺は悟ってしまったのだ。自分はマラドーナにはなれないのだと。
――なぁんか、やる気なくしちまったんだよなぁ。
テープはいよいよ最後の曲に入る。
TRAIN‐TRAIN。
希望に満ち溢れた、まさに『THE BLUE HEARTS』の代名詞ともいえる曲。
『♪TRAIN TRAIN 走っていけー。TRAINTRAIN どこまでも♪』
――俺の列車は間違っても栄光に向かっては走ってくれないんだろうな。
などとネガティブな思いに耽りながら、今日何度目になるか分からないため息を空に向かって吐き出した。
―――2―――
4月15日(木) 波東中学 昼休み
授業終了のチャイムと共に、教室内に喧騒が広がった。
今日は午前中に終わりなので、給食は出ない。各自弁当を持参している。
「昨日の夜、『DOMAP』からうちに小包が届いたんだ」
やっと、黒板に書かれた長々とした数学の方程式を写し終えて、昼食の弁当を食べようとした広瀬哲也の下に、同じく弁当を持った目高謙一やってきた
「何が?」
一瞬、謙一が何を言わんとしているか理解できなかった哲也は、弁当箱のふたを開ける。
――おわっ。
「またお好み焼やないか。昨日の夕飯も、一昨日の夕飯も、その前の夕飯もそうや。おかん、何考えてんねん。一週間全部お好み焼にする気かい!!」
こら、ある意味犯罪やねん、と悲痛な表情を浮かべながら訴える。
そんな哲也の怒った様子など気にも留めず、謙一は嬉々として話す。
「忘れたの? ほら『C'LIFE』だよ」
お好み焼を、苛立たしげに口に運びながら、
――ああー………ああ!!
哲也は思い出してぽんっとてを叩く。その表拍子にお好み焼が口からこぼれる。
それは、五日前の土曜日の休日の事だった。
「これがインターネットってやつかぁ」
「最近のは凄く高速なんだよ」
「ほんま最近は色んなもんがあるよなぁ。あかん、わい完全に時代に乗り遅れているわ」
哲也はそう言って、コップの底に残っていたオレンジジュースを飲み干した。
駅前にある、インターネットカフェ『ブルーコスモス』。
インターネットカフェとは、平たく言えばパソコンが置いてあるカフェテリアのことだ。
「凄いでしょ。ITだよIT」
「はあ、ITねえ」
作り笑いをしながら哲也は思った。
――何やねんITって。いんきんたむしか?
だとしたら、なんだか皮膚が痒くなってきそうな名前だ。
――いやいや。そんなわけ、あるはずないねん。馬鹿かわいは。
自分自身に突っ込む。
筋金入りの機械音痴である哲也は今までパソコンなど触ったことはなかったし、正直、別にやりたいとも思わなかった。パソコンとワープロの区別すら曖昧であるほどだ。今時の子供には珍しく、基本的にデジタルなものには興味はなく、テレビはほとんどナイター野球しかみない。テレビゲームなども友達の家でたまにやる程度。遊ぶといえば真っ先に思い浮かぶのが家の近くの空き地で野球をすること。それが哲也の日常だった。
それなのに、何故哲也が始業式開けの休日にこんな場所にいるのか。
そこには当然訳があった。
大阪から引っ越してきたばかりで友達がまだいない哲也君は、休日は寂しいだろうからと、二年三組学級委員――目高謙一が哲也を遊びに誘ったのだ。というより、哲也は、友情交流の名の下、半ば強制的に連れ去られたのだが。そこには、もう一人の学級委員山口美雪も一緒にいた。
そして、楽しいお店があるから、と怪しげな誘い文句で連れてこられたのがこの『ブルーコスモス』だった。
ここは、謙一のおじさんが経営している所である。本当ならば規則で高校生以上しか入店できないところを、親戚サービスで特別に中学生である謙一達をただで入れてくれるのだと謙一は自慢げに語った。
誘ってくれる親切心は嬉しかったが、本当は、家でゆっくりと巨人―阪神戦(もちろん阪神が勝つ)のビデオを見ていたかった。しかし、わざわざ自分のことを心配して家まで訪ねてきてくれたクラスメイトを、哲也は断りきれなかったのだ。
――ああ、今岡。すまんな。帰ったらちゃんと応援してやるさかい。堪忍してや。
後ろ髪惹かれるおもいで、哲也は家を後にした。
「ほら、気に入ったサイトは登録しておくことが出来るんだ。『ブックマーク』っていうんだよ」
そんな哲也の気など知ることもなく、教える謙一はかなり得意げである。自分の得意分野であるパソコンを教えるのがとても嬉しいようだ。
「ここから先は哲也君がやってみてよ」
そう言って、謙一は哲也に席を譲る。
哲也は謙一が座っていた席に座り直し、
「ここを、押せばいいんやな」
「うん。マウスの左側をクリックするんだよ」
言われたとおり、哲也はマウスの左側を押してみる。
画面がすばやく切り替わる。明るい白い背景だ。
「あら、白い画面が出てしもうた。これでいいんか?」
「えと、『更新』ボタン押してみて」
隣で謙一が画面の上部を指差す。
哲也は謙一の方を向き、
「さっきから聞かな聞かな思ってたんやけど、中々タイミングがつかめんねんかったんや。せやから思い切って聞くわ。わいは君を眼鏡君と呼べばええのかな?」
哲也はおずおずと尋ねる。昨日クラスメート達が謙一のことをそう呼んでいるのが聞こえた。しかし、会ったばかりの人がいきなり眼鏡君などと呼ぶのはさすがに躊躇われた。
――確かに、この顔見たら眼鏡君としか思いつかんよな。
謙一の顔をしみじみと見て哲平は思う。
「いいよ、昔からずっとそう呼ばれてきたし」
「はは。君、その眼鏡よう似合っとるよ」
一応フォローを入れておく。
「眼鏡君なんてあだ名馬鹿みたいでしょ。どっかのバスケ漫画のキャラクターと被ってるし。こいつ、それ自分で認めちゃってんだもん」
ドリンクバーで二杯目のオレンジジュースを注いできた美雪が口を挟む。
「委員長はいちいち五月蝿いんだよ。眼鏡君。結構じゃないか。いわば、これは天才の証さ。あのアインシュタインだって眼鏡をかけていたんだ」
「だから、あたしを委員長と呼ぶのは止めてくれないかしら。あたし、今学期は『書記』なんですけど」
と美雪。
「昔から口煩いのは委員長って相場が決まってるんだよ!!」
と訳のわからない主張をする謙一。
そんな二人の果てしないやり取りを見ながら、哲也は思った。
――ああ、やっぱり野球みてた方がよかったわ。井川、お前がほんまに恋しいわ。
「お二人さん。熱いのはそのくらいにしとき。他のお客さんに迷惑やぞ」
「馬鹿! あたしたち別にそんなんじゃ!!」
「て、哲也君、失礼じゃないか。僕はもっと知的な女性が……」
――子供やなぁ。
自分だってまだ中学生であるのだが、何故かしみじみと哲也はそう感じた。
大阪に住んでいた頃は、気性が荒いというが、貪欲であるというか、そういう環境のせいもあって、そこに住んでいる子供たちも必然大雑把でたくましい子供が多かった。
東京の子供はなよなよしている。最初に哲也が感じた印象がこれだった。
昨日大阪弁で自己紹介したときも、大阪弁の迫力にクラスの何人かは少し引いていた気がした。
肌が合わないというのだろうか、それとも暮らしているうちに慣れてくるものだろうか。
――どうでもいいけど、ここ、エアコン効きすぎやて。
ぶるっと、体を震わせる。
哲也は空になったコップを音を立ててテーブルに置き、『更新』をクリックする。
今度は色鮮やかな画面が写しだされる。
「眼鏡君。これでええんか?」
哲也は、場所を変えて、店の隅で美雪と口論をしている謙一に呼びかける。
少し経って謙一が早足で近づいてきた。
どうやら、美雪に口論で打ち負かされたようだ。
悲しげな顔で鼻息をふかしている。
――眼鏡くんおもろいキャラしとるなぁ……。
謙一は哲也が表示させた画面を見て、
「おお、さすが哲也君。飲み込みが早いね!!」
何がさすがなのかは横に置いておいて、とりあえず哲也は画面に目を戻す。
『DOMAP』
と中央にでっかく表示されている。
「なんやのコレ?」
「インターネットオークションだよ」
「おーくしょん?」
謙一は哲也の問いかけに、まっていましたとばかりに説明する。
謙一の話を簡単にまとめるとこういうことだった。
――インターネットオークション。
出品された商品の値段を吊り上げていき参加者の中で最終的に最高値をつけた人が落札する。
誰でも気楽に参加でき、出品される商品も、安価なもの希少品・限定品・地域商品や非売品などの掘り出し物・マニア物まで揃っている。仮想空間の巨大競市場である。
競という言葉に、反射的に哲也の中の大阪人商売魂が熱くなる。
「僕も、出品しているんだよ」
そう言って、謙一は慣れた手つきでパソコンを操作していく。まもなく、画面に謙一が出品したという商品の写真と、その説明が表示された。
「はあ、カードゲームねえ。大阪でも流行っとったよ」
「現在価格、三百円か。全然上がってないや」
画面には商品写真と商品の説明以外にもいろいろな情報が表示されているようだ。
「この、『残り時間五七分』てなんやの?」
「これは、競売の制限時間。この時間が無くなったときにもっとも高い入札価格を提示した人が商品を買う権利を得るんだ」
「ふーん」
――やっぱりこれじゃあ全然まけられへんよなあ。やっぱり、コンピュータはコンピュータや。
哲也は何となくがっかりする。競売といえども、これでは値段交渉の駆け引きをする余地がない。
「どうしたの? 哲也君渋い顔して」
「大阪人の血がちょい萎んでしもうただけや。気にせんといて。それよか眼鏡君こそさっきから股もじもじさせて小便行きたいのとちゃうんか」
謙一は恥ずかしげにうつむいて、実はそうなんだ、と小さな声でつぶやく。
「何で我慢してんねん。そら体に毒やで。待ってるから行ってきいな」
うん、と頷いて、去り際に『こういうのって切り出しにくいよね』と小さくつぶやいてから恥ずかしそうにトイレへと走っていった。
――あかん。やっぱり眼鏡君ようわからんわ。謎男や。
店の奥へと消えていく謙一を見ながら哲也はつくづく思った。
長時間(とはいっても、三十分程度だが)画面を見ていると、眼が疲れてたまらない。少し充血した目をこすりながら哲也は店内を改めて見回す。
休日であるにもかかわらず、店内はまばらだった。
――あんまり繁盛してへんのやろか。
まあ、だからこそ中学生である謙一たちをパソコンを遊ばせておくのはもったいないということで、ただで入れてくれるのだろう。
遠くには漫画コーナーで少女漫画を黙々と読む美雪の姿が見える。
さっきから美雪は哲平にほとんど話しかけないので、あやうく哲也は美雪の存在を忘れてしまいそうだった。
哲也は美雪に近づいてみる。
「なあ、美雪ちゃん?」
恐る恐る声をかける。
美雪は読んでいたマンガ本から、丸い大きな瞳を覗かせる。
「あら、呼び捨てでいいわよ。そのかわり、私も哲也って呼ぶけどね」
「ほなら、美雪」
「すまんな。わいばかり楽しませてしもうて。見てるだけやさかいつまらんやろ」
「そんなことないわよ」
と美雪は笑顔を作る。
「こっちの子はみんなこういうとこで遊ぶん? 大阪では、わいは休日といえば野球ばっかやってたねんけど」
「謙一が特別なのよ。あいつ、コンピューターおたくだから。テレビゲームとか特に大好きだしね」
「本音いうとな、ここだけの話、眼鏡君今まで付き合ったことないタイプやさかい。少し疲れるわ。まあ、おもろいねんけどな」
「分かるわ。しかも、哲也っていかにも体育会系って感じだもんね」
「体育会系? それはあかん。何か体育会系って馬鹿っぽいねん。せめて知的体育会系とでも言ってくれや」
哲平と美雪は顔を見合わせて笑い合う。
「君は、眼鏡君とは長い付き合いなんか?」
「そうね。幼馴染ってやつだからね。家が隣同士だから、私達の親が買物なんかに行くときは、よく二人で遊ばされたわ」
「はあ、ええなあ。わい、そういうのおらへんから。羨ましいわ」
「だから、あたしは謙一のことは何でも知ってるわよ。恥ずかしいことも色々ね」
と美雪は意地悪そうに笑う。
「あいつ、小学校の五年生までお母さんとお風呂に入っていたんだから」
――そら、かなり痛いわ……。
色々と話していると、後ろから謙一が走ってくる。眼鏡が半分ずり落ちているのはよっぽど急いできたからだろう。哲也たちの姿を見つけて近づいてきた。
「息、落ち着けな。見ているこっちが苦しくなるわ」
哲也はドリンクバーで飲み物を取ってきて、謙一に手渡す。
「あ、ありがとう。ああ、ジンジャーエール。これって凄くおいしいよね。炭酸具合が最高だよ。あ、でもジュース飲んじゃったからまたトイレ行きたくなるかもしれない。その時はよろしくね」
――よろしくされてしもうた。
哲也は力なく笑う。
謙一は嬉しそうに受け取ったジンジャーエールを一気飲みをして、ぷはぁ、と息を吐く。
「眼鏡君。おもろいエピソード聞かせてもろたで。おかんとお風呂は小学校低学年までしときぃや」
「委員長!! 僕の秘密をばらしたなぁ!! 誰にも言わないっていったのにぃ!!」
と泣きそうな顔で訴える。
哲也は、また口論し始める二人を見ながら、
――この二人中々おもろいわ。関東でも退屈せんですみそうやな。
などと思っていた。
また黙々と少女漫画の続きを読み始めた美雪をおいて、哲也と謙一は席に座りなおしパソコンを弄りはじめる。
しばらく、いろんな商品を見回って、食品の欄を見ていたとき、ふと、ある商品に目が留まった。
『C'LIFE』
それだけしか書いていない。名前だけでは、どんな商品なのだか全く分からない。
――しーずらいふ?
それは、商品の名簿の一番下。つまり、もっとも最近登録された商品だった。
何となく興味を持った哲也は、詳細情報をクリックする。
画面に、青い色をした缶箱の画像が表示される。
「『C'LIFE』……しかかいてあらへん。商品の説明はまるでなしや」
希望落札価格 なし
開始価格 200円
現在価格 200円
――なんや、コンビニ菓子と値段は変わらんやないか。
画面には、残り時間十分と表示されていた。
開始時間は四月十一日十三時と書かれている。
哲也が腕時計を見ると、長針は一短針は四を指している。
――登録されたんは三十分前?
「さっき登録されて、もう時間切れなんか。こんな事ってあるの?」
「へんだな。普通は最低三日は取らないといけないはずなんだけど、バグかな……」
と謙一は首をかしげる。
――バグ?
しばらく、謙一は何かを考えているようだった。
その間、
――ほんま、ここ寒いわ。もう一枚着てくればよかったわ。
などと考えて哲也は身震いする。
「……哲也君。僕これ買ってみようかな」
しばらく眺めていた謙一が突然口を開いた。
「何だか、凄い気になるんだ。物凄い、レアものな気がする……」
そういう謙一の目はとても真剣だった。
――何を言い出すんやこの眼鏡君は……。
「噂を聞いたことがあるんだ」
「噂って」
「『LIFEシリーズ』の話って知ってる?」
――LIFEシリーズ?
哲也は心の中で反芻する。
――知らんわ、そんなもん。
「マニアの間では結構話題になっててね。ほら、数年前、東北の方で神隠し事件っていうのがあっただろ?」
そう言われて、哲也は考える。そして、そういえば、昔そんなもんがあったなぁと思い出す。
――東北神隠し事件。
昔、ある一人の連続強盗殺人犯が、東北の山村のとある民家でついに追い詰められた。警察は民家の周辺を完全包囲し、もう犯人に逃げる術わないと思われた。部屋には鍵がかかっていて、窓も警察が見張っていたから、民家の中はほとんど完全な密室になっていた。もちろん、古い木製の家屋には地下通路なんて高級なものなど存在しない。警察は、逮捕を確信して、民家の中に踏み込んだ。
……しかし、
「しかし、そこには犯人の姿はなく、あったのはそこに住んでいたおばはんの死体と、何故か犯人の衣服のみっちゅうやつやろ?」
「そう、いるはずの人間が消えていた。だから『神隠し』なんだ」
――確か、仰山特別番組とかやってたよなぁ。『密室のトリック!! 犯人はどこに消えた!!』みたいなの。
「警察はその威信にかけて、犯人がその民家から抜けだしたトリックを解明しようとしたけど」
「出来へんかったわけやな」
謙一は頷いて、
「うん。警察はマスコミに散々叩かれ、そのときの刑事部長は責任を追及された。最悪の結果だよ」
「それで、事件は終わりとちゃうんかい。それと『LIFEシリーズ』とかいうもんとどういう関係があるの?」
哲也は首を傾げる。
「うん、事件が迷宮入りとなってしばらく経った頃、当時現場にいた警察官から不可解な証言が出たんだ」
――不可解?
「私は、窓から飛び出す一羽の黒いカラスを見たって」
哲也は、ぽかん、と口を開けた。
「それがどないしたん。たまたま、その家の中に入っとんたんとちゃうんかい?」
――別にカラスぐらいそこらの街中にもおるしなぁ。
「後にその警察官の証言の下、そのカラスについて調査されたんだ。これは、捜査とは全く関係がないところでね。その警察官はどうしてもそのカラスが気になって仕方がなかったんだ」
――はー、そのおっちゃんも長生きしそうもない性格しているなぁ。
「それで大学の研究所で、警察官が述べた特徴をもとにそのカラスの種類を調べたんだ」
――カラスって一種類やないのか? わい、あのど黒くて、汚いのしか知らんけど。
「その結果分かったのは、どうやらそのカラスは『ワタリガラス』だったという事」
「ワタリガラス?」
当然聞いたこともない種類のカラスだ。
「そう、このカラスはね……」
――ワタリガラス
全てのカラスの中で、最大のカラス。北半球の北部と北アフリカに分布する。日本ではまれな冬鳥であったが、最近、北海道では珍しくなくなった。大型ほ乳類の死体が主な食べ物であるため、エゾシカの狩猟が盛んになったことが、ワタリガラスを引き寄せたと考えられている。カポン、カポンと鳴く。
「そう、つまりこのカラス北海道に、しかも冬にしか訪れない……あの事件は何月に起こったか覚えてる?」
――えと、確かあれは……、
「八月や!! わい、そん時、夏の野球大会で人差し指骨折してん。間違いないわ」
そう言って、哲也は人差し指を折り曲げる。
「そう、八月。八月に、しかも東北にこのカラスが現れるのはほほとんどありえないんだ」
――そうかもしれんが、それがなんやっていうんや? 実際いたんだからしゃあないやろ。
「いるはずのものがなく。いないはずのものがいる。哲也君はこれが何を示していると思う?」
「さあな。何を示してるん?」
「ある一人の学者が大胆な仮説を提案したんだ」
神妙な顔で言う。
「仮説?」
謙一は頷く。
「うん、犯人は、カラスになって、窓から逃げたって」
哲也は飲んでいたオレンジジュースをあやうく噴出しそうになった。
――何やねんそれ!? 小学生でもしない発想やぞ。
謙一はいたってまじめな顔で話を続ける。
「少し話はそれるんだけど、この事件が起こるさらに前、ある掲示板に匿名で不可思議な文章が投稿されたんだ」
「不可思議?」
――掲示板って教室の後ろにあるあれか?
画鋲が刺さっているコルク製の板を思い浮かべる。
――まあ、違うやろうが。
哲也は一人苦笑する。
「『人の遺伝子をそれとはまったく別の物に組み替える薬、『LIFEシリーズ』がついに完成した。これをもっとも必要とする者に譲る』って一文が投稿されたんだ。しかも、それはかなり昔の古い英語で書かれていて、ほとんどの人は読むことすらできなかったかった。もちろん、これは、始めはただの『荒らし行為』としかとられなかったし、この投稿記事はすぐに削除された」
――『荒らし行為』? 『投稿記事削除』? 何やねんそれ。
「けど、一部の人間がそれに興味を持って、必死にその文章のソースを探ろうとしたんだ。しかし、結局誰も見つけられなかった」
――ソース? お好み焼かい?
哲也にとって異次元空間の単語が飛び交う。
「それからしばらくして、また匿名の英語の書き込みがあった。もちろん、その間には、その匿名者の名を騙った色んなデマ記事が飛び交ったんだけど、その書き込みだけはやけに信憑性があったんだ」
「何て書いてあったん?」
「……『私は、『B'LIFE』を本当に必要としていた人間に譲った。もうすぐ『それ』は動き始めるだろう』って」
「『B'LIFE』?」
「そう、『B'LIFE』。もしこのBが英語のBIRDだとしたら……」
「犯人はその『B'LIFE』でカラスに変身して窓から逃げたっちゅうことか?」
謙一はまじめな顔で一度頷く。
「時期としては一致するよ」
「んな、阿呆な」
哲也は、ありえへん、と首を振る。
「そう、これは少し考えればあり得ない事なんだ。今の地球の科学技術で、遺伝子を瞬間的に組み替える薬なんて出来るはずなしないし。もしできたとしても、その過程で遺伝子崩壊が起こるはずなんだ」
「なんかようわからんが、結局はそれは夢物語だったっちゅーことやろ?」
「うん。僕もそう思ってた」
謙一があっけなく認めたので、哲也は拍子抜けした。
――せやったら、この話はこれでおしまいやないか。
「じゃあ、ここにある『C'LIFE』も偽者っちゅうことやろ?」
「いや、僕はこれを本物かもしれないと思っているんだ」
――はあ?言っていることが支離滅裂やん。
「もし、その『神隠し事件』の犯人が本当に『B'LIFE』を手にしたとしたら、いったい犯人はどうやって『B'LIFE』を手に入れたのか。匿名者はこっちから連絡を取ろうとしても、絶対に捕まえられない。そのプログラム能力は全国のハッカー達を凌駕していたんだ」
――プログラム? ハッカー? ハッカ? 飴かい?
「だとしたら、向こうからの連絡を待つしかない」
謙一は意味深に哲也の方を見る。
――相手を待つ。相手が貰ってくださいとでも言ってくるんかいな……そうか!?
哲也はふと一つの考えに辿り着く
「インターネットオークションか!!」
哲也は思わず叫んだ。
謙一は頷く。
「そう、当時、もっとも有力な考えが『インターネットオークション』。つまり、『もっとも必要とする者』っていうのは言い換えれば『もっとも必要だからお金を出した者』とも捉えられる」
「でも、そう考えてる奴多いんなら、これも『LIFEシリーズ』を欲しい奴を騙す偽者やとも考えられるやろ?」
「うん。その可能性は、ひじょーーーーーーーーーーーに高い」
――強調しすぎやねん。
「だけどこれは、そういった物の中でも――そう、かなり本物である可能性が高い」
「何でや?」
哲也は首をかしげる。
「登録時間三十分というありえない制限時間設定さ」
謙一は画面を指差す。
「これは明らかに、バグ表示か――もしくは誰かがプログラムを書き換えてる。三十分で時間切れになるように」
「プログラムの書き換え?」
哲也は、訳の分からない単語を聞くことにも少し慣れてきた。冷静に尋ねる。
「うん。大抵こういうお金が動くような大きなサイトでは、二重三重にプロテクトがかけられているんだ。だから、そもそも、『絶対法』ともいえる制限時間を弄ることなんて絶対に不可能なんだ。――常人ならね」
哲也は考えた。
――常人ならば、か。せやったら、匿名者ならば……。
謙一も哲也と同じ考えで、
「匿名者は、全国の、もしかしたら全世界のプログラマーを凌駕した技術を持っているかもしれない。本物ならば、日本の、しかも制限時間をちょっと弄くることぐらい造作もないことなんだ!!」
謙一は興奮した声で力説する。
「逆に言えば、こんな事を、しかもわざわざする人間は匿名者である可能性が高い。まあ、それでも10%ぐらいだけど……」
――それでも、10%か。シビアな数字やの……。
ふと、謙一は哲也の方を見て、
「哲也君。もう一度、更新をしてみて」
――更新? ああ、さっきのか。
言われた通り、哲也はカーソルを『更新』のところまで持ってきて、マウスを一度クリックする。
画面が一度白くなって、しかしすぐに同じ画面が現れた。
「何にも変わらへんよ?」
「いや、残り時間はあと『五分』になってる。しかし現在価格だけは――変わらない!!」
謙一は叫ぶ。
「……どういうことだ。もしこれが全国ネットなら、目ざといユーザーがとっくに高値を提示しているはずだ。それなのに数字は変わらない。匿名者のオークションに参加できるのは極少数? 限られた地域に住むものだけなのか? ……もしかしたら、何故か今回は偶然僕達の町だけが選ばれたのか……? でも何で?」
謙一は、顔を伏せてなにやらぶつぶつと独り言を始める。
――大丈夫何かい眼鏡君は。興奮のあまり、おかしくなってもうたんとちゃうやろな?
やがて、覚悟を決めたかのように謙一は顔を上げる。
「……Cは、たぶん英語のCATのC。もしこれが、本物だとすれば、これは猫になれる薬だ。本物だったら凄いものだよ」
謙一がそんな事を言っていたのが五日前の事だ。
今、その『LIFEシリーズ』の一つであるかもしれないものが謙一の手の中にある。
もしこの『C'LIFE』が『CATS'LIFE』で、本当に猫になれる薬だとしたら……。
――そんな訳あらへんやん。
哲也はその自分の馬鹿な考えを振り払うように首を振り、そして、冷めてほとんど熱を感じない、まずいお好み焼を、不機嫌な顔をしながら口に放り込んだ。
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2004/10/31(Sun)11:25:39 公開 / ささら
■この作品の著作権はささらさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
ささらです。
初めにお詫びしなければならないのは、
『新規投稿』することにしました。
申し訳ありません!!
理由としては、
一つ、更新が出来なくなった(パスワードエラーと表示されてしまう。たぶん前回更新時に間違ったパスワード、自分で思っていたパスワードと違う数字を入れてしまったものと思われます。)
二つ、本編と前説は別物であると判断、
(前説を読むと話は分かりやすくなるが、 別に読まなくても差し支えない)
しましたので今回こういう形を取らさせていただきました。
今まで批評を下さった、
夜行地球様
ベル様
卍丸様
九邪様
エテナ様
メイルマン様
ニラ様
神夜様
バニラダヌキ様
7.com様
本当に、本当に申し訳ありません。
もう一度、深く心からお詫び申し上げます。
そして、これからも、不器用な私に感想などをいただけたなら嬉しいです。
さて、ようやく本編が始まりました。
今回は第一話の1.2をアップさせていただきました。
文章の形式も変わっております。
気分を一新して書きました。
例のごとく稚拙な文章ですが、お読みいただき、感想、御意見いただけたら嬉しいです。
今朝見たら、下の方が消えていたので、名前を戻しました。
管理人様、忙しいところ削除していただきありがとうございます。並びに、皆様、お騒がせして申し訳ありません。それでは。
10月31日11時25分
微修正しました。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。