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『CATS'LIFE 0・0.5(前・後)』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ささら
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CATS'LIFE 〜猫の気持ちになって考えてみよう〜
第0話 物語が始まる前に
これは、俺――藤沢 隆美(ふじさわ たかみ)が大の猫嫌いになったきっかけの話。思えば、この一年間は、俺にとって、もっとも思い出したくない一年間だったのかもしれない。まだ俺が少しは可愛げのある小学校四年生だった年、『あまり好きではない』が『大嫌い』に変わった一年間。
当時、俺の家には一匹の猫がいた。今思い出しても忌々しい、体の毛色が 白、茶色、黒の三色に見事に分かれている三毛猫。関取顔負けの豊満な体格に、ドスの利いた低い鳴き声を持っていた。多分、子供が初めてその声を聞いたら、怖くて、泣き出すか逃げ出すかするだろう。夢にさえ出てきそうな、そのぐらいインパクトのある鳴き声だった。
この猫は、俺にとっては本当に『いた』だけだった。別に俺が世話をしていたわけでもなく、特に愛情をもって接していたわけではない。たまたま、その時期に、一つ屋根の下に俺と猫が暮らしていたという事実があるだけ。ただそれだけなのだ。
この猫は、ある穏やかな春の一日、二つ年下の妹、琴美(ことみ)に連れ添ってやって来た。
その日、琴美が少し遅めに小学校から帰ってきたとき、琴美の後ろに何とも貫禄のある巨大な体躯をした三毛猫がついて来たときには、俺と母親は少なからず驚いたものだ。
唖然とする俺や母親に、琴美は『学校からの帰り道を歩いていたら、何故かついてきた。たぶん野良猫だと思う。汚れているし、首輪もしていないから』と説明した。琴美が恐ろしくもこの猫を家で飼いたいと主張し始めたとき、当時、あまり猫が好きではなかった俺や母親は当然反対した。やがて父親が帰ってきて、この問題はついに家族会議にまで発展したが、琴美の『あなたたち、それでも人間なの!』とドラマの子役さながらの涙の決め台詞で、結局、俺と両親は折れてしまった。
そして、この猫はその日から家族の一員となった。
さっそく、この猫は琴美に『ミケ』と名付けられた。単純に、三毛猫だからと琴美がそう名付けたのだが、俺はその琴美の単純さに呆れたものだ。俺は、内心『大仏』という名が似合っているのではないかと思っていた。何しろ、ミケの体は野良猫だったとは思えないほど丸々と太っていて、かなりの年齢を思わせる貫禄のある表情は、まさに、大仏のように何かを悟っているように見えたからだ。それに、いちいち動作は鈍いし、ミケが一匹でいるのを見かけたときは、大抵、日が当たる縁側で眠っていた。
琴美は、それはミケを可愛がっていた。溺愛していた。それは、行き過ぎた愛だったのかもしれない。何をするにも琴美とミケは一緒だった。夕方、学校から帰ってきて、朝、家を出て行くまで。食事をするときも、お風呂に入るときも、夜、ベッドで眠るときさえも。
琴美のミケと戯れる時の本当に幸せそうな顔を見ながら、俺は不思議に思っていたものだ。何故、あんなデブ猫がいいのかと。デブだし、変な声だし、お世辞にもミケは可愛いとは言えなかった。それでも、琴美にはミケの声など聞こえていないようだった。
一度、ついに我慢しきれなくなって琴美に尋ねたことがあった。『俺と猫とどっちが大事?』と。今にして思えば、かなり意地悪な質問だったのかもしれない。しかし、琴美が間髪いれず『ミケ』と答えたときは、俺は少なからずショックを受けた。理由を聞くと、『ミケは私のことを全部分かってくれるから』と琴美は何とも大人びた事を言った。この時、何だかデブ猫が俺を見ながら、勝ち誇っているような気がして、激しくむかついたのを今でも覚えている。まあ、それは多分俺の思い過ごしなのだろうけれども。
やがて春は終わり、夏が終わり、秋が終わり、冬となった。
相変わらず、琴美とミケはいっしょにいた。
しかし、いよいよ冬も本番に入ろうとした頃、琴美のミケとの共同生活は突然終わることになる。
琴美が、一時期、本当の笑顔を失ってしまったあの冬の日。
ある土曜日の夕方、俺がサッカーのクラブ活動の練習試合から帰ると、耳に飛び込んできたのは出迎えの言葉ではなく琴美の激しく泣きじゃくる声だった。俺にとって大切な妹である琴美。その妹がもしかしたら今、危機にさらされているのか。俺は驚き、持っていたサッカーボールをその場に投げ捨てて琴美のもとへと駆け寄った。琴美は、廊下にあるミケの餌場の前でそれはもう激しく泣いていた。
涙で声が震えてる琴美の代わりに、共にいた母親に訳を聞くと、ミケが夕方になっても散歩に出かけたまままだ家に帰ってこないのだという。きっともうすぐ帰ってくるよ、と母親は琴美を必死で慰めていた。琴美は、それはもう見ていて心苦しいぐらいに心配していたのだが、とりあえず母親の明日の朝までは待ってみようという提案で、結局その日は様子を見た。しかし、ついに、翌朝になってもミケは帰ってこなかった。
次の日曜日、俺たちは一日中ミケを探した。ミケの行きそうなところを中心に、町内中を駆け回った。もしかしたら、交通事故にあっているのかもしれないと考え警察に行き、また、保健所にも電話をした。それでもミケは見つからなかった。琴美は、小学校さえ欠席し、三日三晩泣き続けた。
俺は正直、あのデブ猫がどうなろうと知ったことではなかったし、むしろ、いなくなってくれて清々していたのかもしれない。始めはそれだけだった。だけど、夜、布団に包まって嗚咽を漏らす琴美の姿を見た時、突然俺の中にどうしようもない怒りが沸々と込み上げてきた。
俺にとってはただの猫でも、琴美にとってはそうではないのだ。琴美にとってあのデブ猫は何にも代えられない、本当にかけがえのないものだった。俺はただ、あのデブ猫が琴美を泣かせたことに腹が立った。琴美に、心の傷を作ったことが許せなかった。琴美は本当にあのデブ猫を愛していた。子供の気まぐれなんかじゃなく、本物の愛だった。そして、あいつは、あのデブ猫はそれをあっけなく踏みにじった。
ミケがいなくなって一ヶ月。琴美は一見立ち直ったように見えた。普通に生活し、普通に学校に行き、普通にご飯を食べ、普通に眠った。ただ、琴美はあの日以来心から笑わなくなった気がした。もちろん、俺が夕飯の場で面白いことを言ったら、それに合わせて笑うし、道端で友達と楽しそうに話しているのを良く見かけた。だけど、俺にはその笑顔は、仕方無しに作られた偽者の笑顔のように感じられた。俺は琴美の本当の笑顔を知っていた。ミケと触れ合っていたあの頃、琴美は本当に心から笑っていた。
全ては、あのデブ猫のせいだった。琴美にあんなに愛情を与えられ、トイレの世話までしてもらっておきながら、突然風のように去っていった。琴美の愛情を踏み倒して逃げた。手口は結婚詐欺師と同じだ。猫とはなんと自分勝手な生き物なのだろう。人間の気持ちなど微塵も分かりはしない。きっと、寝床と食べ物さえ与えられればどこでもいいのだ。うちよりもっと裕福で、より環境のいい家に行ったに違いない。そう思うと、俺は腸が煮えくり返る思いだった。俺は、猫が大嫌いになった。むしろ、憎悪さえ抱いた。
あれから七年。俺は高校二年生。琴美は、中学三年生となった。あの時以来、家では猫の話はタブーとなったし、琴美もミケの事はほとんど吹っ切れたようだ。今では、多分心から笑えているのだと思う。時の流れが、琴美を癒してくれた。所詮、ミケなど過去の産物に過ぎない。
しかし、何故俺が七年も経って、突然こんな嫌な話を思い出してしまったのか。
俺だって思い出したくなんかなかった。けど、思い出さざるをえなかった。
憎悪の対象である猫。本当ならば、姿さえ見たくない。だけど、俺はもう一度、この猫という生き物と深く付き合わなければならない事態に陥った。それは、俺に降りかかった、とんでもない災難。
口にすることさえ恐ろしい、ありえない現実。
ある日、俺は猫になってしまったのだ。
第0.5話 物語が始まる一日前 前編
春、県立波東高等学校、入学式。
司会の先生に呼ばれた一人の女子生徒が、一枚の紙切れを持って体育館の台上へと上がっていく。この紙切れは原稿。彼女は、これから代表として、入学に対しての心構えを語る新入生。静寂な体育館に響く、体育館シューズの乾いた足音の余韻を残し、彼女は壇の前で静止した。彼女にとっての晴れの舞台。当然彼女の親も見に来ているはずで、きっと、心の中は不安と緊張で一杯なのだろう、彼女の両手、両足は、少しぎこちない。それは、やりすぎと思えるほどきっちりと揃えられている。
その彼女の少し滑稽な様子を、俺――藤沢隆美は、台から大分離れた、保護者達の席の前にある二年生の席で眺めている。
司会の先生の『礼』の指示のもと、彼女は、これでもか、というぐらいに腰を曲げる。俺もわずかに首を曲げる。彼女が、若干、緊張のせいかボリュームが大きい声ではきはきと話し始める。原稿を持つ手は震えているように見える。
俺はひどく初々しく感じられるその女子入学生に、ぼんやりと視線を向けながら、何だか、訳もなく落ち込んでいる。つかみどころのない葛藤。何故だろうか、別に落ち込む理由など何一つないのに、俺は今、ひどく鬱な気持ちに耽っているのだ。
高校生活の三年間は、あっけなく過ぎ去ってしまうとよく言われるが、本当にその通りだと思う。
まさに馳せ馬のごとく過ぎ去った最初の一年間。それは部活動に入っていない俺ならなおさらであるといえる。
『焦燥の念』
もしも、今、俺が部活動に入っていれば、こんな不安な気持ちにはならないのだろう。もっと、時の流れを穏やかに感じられているだろう。それに、去年は三年周期の文化祭もなかったし、波東高校には体育祭もないから、それも時が早く感じられる原因になっているのかもしれない、などと色々と言い訳をしてしまう自分がいる。
そして、俺は、明日の始業式で中堅学年である二年生になる。
『捉えきれない不安感』
もちろん、高校一年生の一年間は、けしてつまらなかったというわけではなく、俺にとって不満があったといえば、まったくそんな事はない。むしろ逆で、凄く充実していたように思える。気の合う友人にも恵まれ、春、秋、夏、冬、全ての季節が本当に楽しかったし、少し考えれば、それだけでたくさんの思い出が蘇ってくる。それなのに、時々、不思議と何か物足りない気がしていた。教室で友人と笑って話している間も、休日に皆でどこかに遊びに行った時も、大抵、俺の心は満たされているのだが、時々、本当に時々だが、胸の片隅に、ぽっかり穴が開いていて、それがひどく痛むときがある。この痛みはいったい何なのだろうか。
そんな事を考えていると、それはそれで、なんだか自分が後ろ向きの人間に感じられて、ひどく年老いた気持ちになり、よりいっそう鬱になる。考えるのをやめようとしても、そういう時に限って、それは余計に深く影を落とす。
俺の目の前では、今、女子入学生が、緊張した面持ちのまま、入学に対しての心構えを一生懸命読み上げ続ける。親は、安定しない娘の様子をはらはらしながら見守っていることだろう。俺は他の大勢の生徒や保護者と共に、その様子をぼんやりと見つめていながら、『入学式のスピーチをする人はどうやって選ばれるのだろう』なんてどうでもいい事を、気分が落ち込んでいるはずなのに、ふと考えてしまう自分が何だかひどく滑稽な気がする。
現実を直視するのも何故か若干ためらわれる。心の準備がまだなのに、時間だけが一方通行で、早急に進んでいくような気がしてならない。
自分にとって、まだ中学校を卒業したのがついこの間のように感じられて、新しく入学してきた若々しい一年生達を見ていると、何だか後ろからせかされているような気がしてひどく落ち着かない。そうこうしているうちに、来年の今頃は、人生において、節目の年の一つである受験生になってしまう。きっと、今のこの欝な気持ちなど忘れてひたすらに勉強に明け暮れることになるだろう。そして、運がよければ、俺に実力があれば、その次の年には大学生になっている。俺の人生は俺以外の誰とも変わらない、ありきたりな人生なのだろうか、それすらも判断しかねる。時の流されるまま、いったい、俺はどこに流れ着くのだろう、と何だか詩人のようなことを考えてしまったりもする。
彼女のスピーチが終わり、最後に、彼女は深くお辞儀をする。体育館が盛大な拍手に包まれる。それに合わせて俺も弱々しく拍手する。話は半分も聞いてはいなかったけれども。
その後も式は滞りなく進み、そして閉会した。入学生やその保護者達を残し、俺達二年生や、三年生は、このまま帰宅する。腕時計を見ると、時刻は一時を回っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「君は絶対に恋愛をするべきだよ、隆美君」
――はい?
古川瓶(ふるかわ へい)は、まるで俺にそれしか道は残されていないかのような口調で答えた。
こいつはいきなり何を言い出すんだ。
入学式からの帰り道。俺と瓶は片手にコンビニ弁当をぶら下げている。
瓶の家は俺の隣で、しかも、小中高とずっと学校が一緒であるから、登校時も下校時も大抵一緒である。付き合いも長い訳だし、もしかしたら、と淡い期待を持ちつつ、俺は自分のひどく落ち着かない気分を、さりげなく瓶に打ち明けてみた。
瓶が三秒ほど考えて出した答えがこれだ。
「はい?」
俺は心の中の声と全く同じ答えを返す。
「だから、君のハートに欠けている物。それすなわち恋愛。イッツアラブ!!」
何だか、今日の瓶はいつもより――普段もテンションが高いが――さらにハイテンションだ。
「そうかあ?」
俺は、何となく疑わしげに眉根を寄せる。俺の心の痛みの原因は恋? 確かに恋をすると胸が痛くなるという話は良く聞くが、恋をしないと胸が痛くなるという話は聞いたこともない。
「お前、真剣で人を好きになったことってないもんなあ」
瓶は呆れ顔でつぶやく。
何だか馬鹿にされている気がして、そして、それが間違いではないので否定できず、俺は少し不機嫌な顔になる。何か言い返す言葉はないかと、思案する。
確かに瓶のいう通りなのだ。今まで、十七年間生きてきて、何故か俺は異性を好きになるという感情を持ったことはない。好きになるとは定義が難しいが、少なくとも、特定の女子を見ていて、心がときめく、といった経験は確かになかった。だからといって、別に、それが危ない人の兆候だとか、例えば心の病気である、などと自分を否定的に思ったことはほとんどない。まあ、少しはあるが。しかし、そういう人間、つまり、俺みたいな人間がたまにいるとしても、それは別におかしいな事ではないと思う。俺は自分の事を、他人に対してあまり関心を持てない人間だと認識している。人より、恋をしにくい、不器用な人間なのだと思っている。だからこそ、いざ恋愛をしたときは大恋愛になるに違いない、などと、いつも勝手に自分に思い込ませている。俺の言い訳に似た企み。恋は一発勝負。そう、きっとそれは壮絶な大恋愛になるはずなのだ。
「そういうのって、何だかひどく疲れそうだろ? それで、もし振られでもしたらもっと最悪だ」
俺の少し照れくさい密かな企みを隠すように、瓶に対してはあえてこうつぶやいておく。
「情けないねえ。そこが、恋愛の醍醐味だろうが。結果よりも過程。まあ、結果も大切だが……とにかく、その恋が終わった時、そいつは一回り大きくなっているのだ!!」
瓶は声を大にし、何だか曖昧に恋について主張する。
俺は、瓶が今までの学生生活で何度も恋をし、そしてその度に玉砕しているのを知っている。その光景をずっと横で見てきた。俺から見たところ――こいつは全く成長してはいない。うん。やっぱり、恋は一発勝負なのだ。
「まあ、お前の気持ちも分からないではない。そりゃあ、いつも家で琴美ちゃんぐらい可愛い子を見てれば、誰だって比較しちゃうよなあ」
瓶はだらしなく緩んだ表情でつぶやく。
俺は、瓶の頭を軽く一発叩く。
「痛いよ!!」
「琴美は関係ないだろうが」
「馬鹿、殴ることないだろうが。ったく、お前は琴実ちゃんの事を口に出すとすぐむきになるよな」
「ふん、言っていろ」
琴美。藤沢琴美は俺の二つ年下の妹だ。
何故か、瓶が琴美の事を口にすると、俺はいらいらしてしまう。
俺は少し歩調を意識的に早める。俺の不機嫌な様子を全く気にもせず、瓶はなおも喰らいついてくる。
「でも、本当に琴美ちゃん綺麗になったよな」
俺はもう一発瓶の頭を叩く。
「痛いって。何だよ、てめえはさっきからポカポカと!!」
「お前が、琴実、琴実ってうるさいからだよ」
そういえば、あろう事か、こいつは昔、ずっと昔だが、その他大勢と同じように、琴美にも告白したことがあるのだ。もっとも、それは、昔俺たちの間で流行っていた『告白ゲーム』というマセガキの遊びの告白だったのだが。そして、瓶はあっけなく振られた。何故か頬にビンタの跡が残っていた。悲しい道化師の末路だ。
瓶は、ははーん、と意味深な視線を俺に向ける。
「お前近親相姦はまずいだろ」
「死ね!!」
俺の三発目のげんこつが瓶の頭に直撃する。今までよりも大分強めに。瓶は頭全体を刈り上げているので、ひどく殴やすい。瓶も三度目の『痛いってば』を今度は本当に痛そうに口にする。
「いくら、俺達の血が繋がってないからって、俺は一度も琴美を兄妹以外に思ったことはねえよ」
俺と琴美は血が繋がっていない。そんな事は、俺も琴美も、この瓶だって知っている。俺がまだ二本足で歩けないほど幼かった頃、俺の生みの母親が死んで、代わりに同じく父親を失った琴美の生みの母親、つまり今のお袋が俺たち二人の母親となった。別に、だからどうだという訳ではない。他の普通の兄弟より、俺たちは二年間ほど共に過ごした記憶が無い訳で、しかもあいにく俺は昔の母親のことなど全く覚えてはいない。今の家族が俺の本当の家族なのだ。
「さもなければシスコンだ。どっちにしろ、いい加減、琴美ちゃんから離れられないとお前やばいぜ。この前も琴美ちゃんがラブレターもらった相手に会いに行ったんだろ。琴美ちゃんが呆れてたぜ」
何だか、今日はひどく瓶が絡んでくる。少し鬱陶しくなってきた。
「琴美にそいつの顔写真見せてもらったら、凄いちゃらい奴だったからだよ。それに琴美も乗り気じゃなかったみたいだしな。俺はただ、琴美が下らない男に遊ばれて傷けられるのを見たくないだけだ――ちなみに、下らない男には、瓶、お前も入っているんだからな」
俺は、不覚にも瓶と琴美が手をつないで歩いている様子を想像してしまい身震いする。
「そしたら、もし琴美ちゃんが誰かを好きになったらどうすんだよ」
俺はドキッとする。
琴美が誰かを好きになったら? それは……、
「お前は、琴美ちゃんの事を素直に応援できるって言えるか?」
琴美が誰かを好きになる。琴美は今、十五。琴美は俺から見ればまだまだ子供だ。けれども、実際、琴美に好意を寄せる男はたくさんいる。だが、それに、琴美が興味がないように見えるのは俺の気のせいか。いや、どっちにしろ俺は琴美のただの兄貴に過ぎない。琴美の気持ちにとやかく口を出すのは間違っている。
「んなの、当たり前だろ。もし、いればの話だけどな」
「琴美ちゃんももう中三だろ。今まで、つらい恋の経験の一つや二つはあるはずだぜ」
「俺は聞いたことはないけどな」
「馬鹿、んなこといちいち兄貴に話すかよ。しかも、恋愛経験なしの駄目兄貴に」
駄目兄貴、という言葉がずしりと圧し掛かる。俺は、動揺を隠しながら、表情を繕う。
「は。いずれにしろお前みたいな坊主頭だけは好きになることはありえないさ。琴美はキムタクのファンなんだ」
無理におどけてみせる。
それでも、瓶は少しショックを受けたようだった。『言っていろ』と少し上ずった声で最後につぶやき、それでこの話題は終わった。結局俺の悩みは解決しないままどこかへ行ってしまったようだった。
その後共通の趣味である、サッカーの話――ベッカムがどうだの、フィーゴがどうだの、話しながら、ようやく俺の家までの道の最後の曲がり角、タバコ屋の前までやってきた。
そのタバコ屋を曲がったところで……、
――あ!!
俺は突然立ち止まる。
「っだよ。急に立ち止まるな!!」
突然立ち止まった俺の背中に思い切りぶつかった瓶が呻く。
俺は、激しく動揺しながら、道路の先の小さな影を指差す。その影は、とことこ、と俺たちのほうへと歩いてきていた。それは黒い小さな悪魔。
「ね、ネコだ。ネコがいるんだよ!!」
俺の視線は一匹の猫を捕らえていた。ただの猫。黒毛で、その大きさからほとんど子猫のように見える。普通の人間なら、無視するか、可愛い、などと歓喜の声を上げ、近づいていくものなのだろうが。しかし、俺の場合は、
ぶつぶつぶつ。
瞬間、俺の背中を鳥肌が襲う。禁断症状。幼き日のトラウマなどといえば聞こえはいいが、俺が何年間も猫という種族を心から拒み続けてきた結果、俺の体は何故か極端な猫恐怖症になってしまった。それがどんな猫であれ、猫が近づくと、視界に入ると、軽い眩暈と共に体中に鳥肌が浮かび上がってくる。
俺は、多分、今物凄く情けない顔をしながら、じりじりと後退している。
「こ、こら、どっか行けクソ猫!!」
俺は、腰が引けたまま足を伸ばして子猫を追い払おうとするが、何故かこの黒猫はまったく臆しもせず、じわじわと人間である俺達のほうに歩みを進める。どこかで飼われている猫のようで、迷惑にも大分人に慣れているようだ。迫り来る絶望。俺は、叫びたくなるのをぐっとこらえる。
瓶が大胆にも子猫の方へ近づいていく。そして、ほい、と子猫を抱き上げる。
「何でこんなに可愛いのにお兄ちゃんは君を嫌うんでちゅかねー」
猫を抱きかかえながら、俺のほうに視線を送る。
「は、早くどっかにやってくれ!!」
俺は、必死に懇願する。
瓶は意地悪そうな眼で俺を見る。頭をよぎる、とてつもなく嫌な予感。
「ほれ!!」
「近づけんな!!!!」
感嘆符四つ。男としてのプライドが、何とか、俺の腰の最後の筋肉を支えていた。
「俺を三回も殴ったお返しだ」
「ぎゃ!!!!!!」
感嘆符六つ。やばい、最後のプライドが折れそうだ。
「ほーら、怖いお兄ちゃんがいるからあっちへ行きな」
俺が腰を抜かすぎりぎりのところで、瓶は満足したようだ。小走りで、猫を抱えながら、タバコ屋の角を曲がり、戻ってきたときにはその手に子猫はいなかった。
俺は、ほっと胸をなでおろす。
「殺すぞてめえ!!」
俺は、瓶を思いっきりぶん殴ってやりたかったが、そんな気力はすでに残されていなかった。
両手に力が入らない。足もひどく重い。
瓶は、さすがに長年も付き合っているだけあって、そんな事はお見通しのようだった。
ひどく悔しい。
「お前の猫嫌いも何とかしないとな」
「俺は一生猫を嫌いなまま死んでやるさ」
そうとも、猫なんか嫌いだって、俺の人生にそんなに影響があるわけじゃない、わざわざ……、
「おい、もう行こうぜ」
「ああ」
瓶が俺を促す。俺は返事をしつつも、しかし猫が去っていった方を、鳥肌が収まるまで、眼が離せなかった。何だか、角から突然さっきの猫が飛び出してきそうで気が気ではなかった。
俺の不安の原因はそういえば、というか当然ここにもあったのだ。
曲がり角から眼を離す。
ひどく憔悴した表情で俺は再び歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あ、お兄ちゃん、瓶ちゃん、今帰り?」
家の前で、ちょうど外に出かけようとしていた琴実と偶然出くわした。
「見りゃわかんだろうが」
俺は、先ほどの猫恐怖の余韻が残っていたため。何となく声が震えてしまう。
「何でお兄ちゃん不機嫌なの?」
「ああ、さっき俺たち道端で猫に会っちゃってさ」
(馬鹿瓶!!)俺は心の中で叫ぶ。
昔、俺と同様猫のことでひどく嫌な思いをしたはずの琴美は――
「嘘!! 子猫!? 私も見たかったなあ」
実は、てんで普通なのである。
そうなのだ。心を深く傷つけられた――はずの琴美は実は猫に対しての態度はほとんど変わっていない。変わったのは……、
「あ、猫だ!!」
琴美が叫ぶ。
「うお!!」
俺は、背筋をしゃきっと跳ね上げる。
「はは、嘘だよー」
俺は琴美を睨み付ける。
「てめえ、琴美」
琴美は楽しそうにくすくす笑っている。そんな琴美に情けないことに俺は強く出られない。
仕方無しに、俺はため息をつくしかないのだ。
「琴美出かけるのか?」
「うん。今日もお母さんが遅くなるから、今から夕飯の材料買いに行くの」
「手伝わなくて平気か? 荷物重いだろ」
「私そこまで非力じゃないよ」
瓶が横で琴美に見えないように、俺のことをつついてくる。俺は無視する。どうせまた、過保護だろ、などと言おうとしているのだろう。そんな事は分かっているのだが、何故か小さな体の琴美を見ていると不安になってしまうのだ。
「お兄ちゃん、今日はカレー作るつもりなんだから、昼御飯食べたら、その後は何も食べちゃ駄目だからね」
俺はああ、と頷く。
「お、カレーかよ!! 琴美ちゃんそれなら俺も……つっ」
俺は瓶の尻の皮を思い切りつねる。瓶は声にならない叫びを上げる。
「ん? 瓶ちゃん何?」
俺はさらに強くねじる。
「な、何でもないです……」
「瓶ちゃん変なの」
じゃあね、と琴実は俺達と別れて、とことこと軽い足取りで一キロ先のスーパーへ向かって歩いていく。
琴美が角を曲がるのを確認してから、俺は瓶の尻から手を放す。
「さっきのお返しだから、これで帳消しな」
念のため先に言っておく。この事を根にもたれて、また仕返しでもされたら堂々巡りだ。
「隆美の馬鹿やろう。せっかっくの琴実ちゃんの手料理が食えるチャンスを台無しにしやがって」
瓶は尻をさすりながら、涙目で抗議する。
「お前に琴実の手料理はもったいなくて食わせらんねえよ」
「覚えてろよ」
強気な捨て台詞で、それでもかなり残念そうな顔で、瓶は俺の家の隣にある自分の家へと帰っていった。
瓶を見送った後、してやったり顔で、俺も自分の家へと帰る。
もやもやとした気分は少しは晴れていた。
0.5話 後編
遊びたいときに遊び。食べたいときに食べ。眠りたいときに眠る。
誇り高き精神と、常に孤独を身に纏い、道なき道を走る。
それが、野良猫って奴の生き方らしい。
まあ、俺は野良猫じゃないから、そんな生き方は好きじゃないがね。
孤独なんて今時流行らないよ。
猫だって一匹じゃ生きていけないのさ。
俺は、一緒にいたい奴といるだけでいいのよ。
これ以上に楽しい事はないぜ。まったく。
俺がゴミ場をあさっていると、後ろから人間が近づく足音が聞こえる。
俺は即座に身構える。
「お、やっときたか」
そいつの姿を捉えて、俺は警戒を解く。
人間の女。俺のご主人さんじゃねえか。
待っていたよ。首を長くしてよぉ。
「クロカゲ!! 何であなたこんなところにいるの!!」
女が驚きの声を上げる。その顔は呆然としている。
クロカゲ。俺の名だ。孤独な野良猫には誰かに呼ばれる名前なんぞ必要ないが、俺の体が黒いからと、こいつは俺のことを黒い影、クロカゲと呼ぶ。
「よう、姉ちゃん。元気だったかい?」
俺は人間の言葉が分かるが、人間は俺たちの言葉が分からないらしい。
俺が愛想良く挨拶をしてやったというのに、こいつはてんで聞こえやしない。
「あなた。てっきり、誰かに拾われているとばっかり……」
何を言っているのか分からねえが、おいおい、そりゃねえぜ。
実際、こっちはあんたのために遠路はるばるこの町に来てやったんだぜ?
「よう。俺を忘れていくとはひどいんじゃねえか? また一緒に楽しく暮らそうぜ」
呆然としている女に、俺は近づいていく。
さあ、許してやるから、俺を抱き上げてくれよ。今度は前みたいには嫌がったりしないからよ。
俺は女の足元まで近づく。
「ほれ、準備万端だ。いつでもいいぜ」
この日のために、わざわざ冷たい川で体を洗っておいたんだぜ。ったく風引いたらどう責任とってくれるんだよ。
乾いた地面に雫が滴り始める。
「ほれ、どうしたんだい? ん? おいおい、泣いているのか。ったくしゃあねえな」
俺は、女の古ぼけたジーンズに体を近づける。涙を受け止めようと思ったのだ。
「ほれ、泣くんじゃねえよ。美人に涙は似合わないぜ」
俺の背中に水滴が落ちてくる。
「つ、冷たえじゃないか。おいおい、これじゃあまた体を乾かさなくちゃなんねえ。ったく、乾かすのにも苦労するんだぜ。一日中からだをぺろぺろだ。まあ、それが男の身だしなみってもんだがよ」
なおも、俺の背中に水滴が滴り続ける。
「さあ、そろそろ新しい家へ行こうじゃねえか。ドライヤーっていったか。あれがあれば俺の小さな体なんて一瞬で乾くだろうよ」
俺は、頭で女の足を押す。女は動かない。
「ちくしょう、また太ったんじゃねえか? まあ、俺の小さな体で、お前さんを動かせるなんて思っちゃいないけどよ」
俺はなおも頭で押し続ける。女は動かない。
「いい加減疲れてきたぜ。頼むからもう行こうぜ。第一俺は腹ペコだ。一週間ぐらい前からろくなもん食ってねえんだぜ。ったく成長期だって言うのによぉ」
頭がひりひりしてきた。
「クロカゲ」
女はつぶやく。
「おう!! なんだい姉ちゃん!!」
ようやく動く気になったって訳かい。全く世話の焼ける人間だ。
「クロカゲ。今私が住んでいるところは、ペットを飼ってはいけないの。前みたいに大きい家じゃないし」
だから、何言っている分らねえって。そういえば前もそんな事言ってたな。 安心しろよ、俺はあんたのペットじゃねえから。だって俺たちは親友だろ。
恥ずかしいが、俺はお前といるときが一番楽しいんだ。
「なあ、相談だったら、前みたいにちゃんと新しい家で聞いてやるからよ。早く行こうって」
「私、今度結婚するの」
おお、結婚だって? 何だか分からねえが、まあ頑張れよ。
「それでね。彼、猫苦手だから、猫と一緒に暮らすんなら、結婚はできないって」
俺は背中に滴る雨に思わず身震いする。
おう、分かってるって、ったく猫苦手なんて狂気の沙汰だぜ。そんな男ほっとけよ。
「だから、ね」
「だから、なんだい姉ちゃん。ったく、はっきりしねえのは相変わらずだな」
女は一度小さくしゃくりあげる。
俺のほうを見つめる。
「クロカゲとは一緒に暮らせないの」
そう言って、女は小さく息を吐いた。
はあ。おいおい、姉ちゃん。いくら温厚な俺でもいい加減怒るぜ。冗談もほどほどにしてくれよ。
「なあ、分かったって。いいから行こうぜ」
「クロカゲはもともと野良猫だったから、一人で生きて行けるよね?」
おいおい。だ・か・ら、何を言ってるんだって。俺が野良猫? 馬鹿いっちゃいけねえ。野良猫なんてもんは半年ほど前に捨てちまったぜ。お前と出会ったあの日によう。
「ごめんね」
何、言ってんのよ。ああ、俺を忘れていったことか? もう気にしてねえって。俺は心が広いからよ。
それに、人間は味方だって教えてくれたのはお前さんじゃねえか。だから、俺は人間のことも信じてやっているのよ。
女は、後ろを振り向き、歩き始める。
「お、ようやくレッツゴー、って訳かい」
俺と女は道を歩き始める。しばらく歩いて女は立ち止まった。
「ついてきちゃ駄目!!」
はい?
おいおい、びびるじゃねえか。冗談にしても言っていいことと悪いことがあんぜ。
女は再び歩き始める。
俺もついていく。
女は立ち止まる。
「ついてくるな!!」
だから、何だって。姉ちゃん何がしたいのよあなたは。
女は、持っていた傘を振り上げる。
え、おいおいそんなモンもって何する気だ?
「来るな!! あんたと一緒だと、私は幸せになれないんだよ!!」
はあ、訳わかんないって。あんた、ずっと前、俺と一緒に居て幸せだって言ってたよなあ。
おい、止めろよ。何ではたこうとするんだよ。そんなモンに当たったら、いくら俺でも死んじまうじゃねえかよ。
「消えろ!!」
おい、止めろ、止めてくれよ、おい!!
「どっかい行けって!! どっか行け!!」
……おいおい、ソンなまじな顔すんなよ。何だか泣けてくるじゃねえか。
傘の先が、俺の体をかする。
「おいおい。止めろって。おい……止めろよ!!!!!」
女が退く。俺のあまりの声に気圧されたようだ。
「……それでいい。あんたも私と一緒じゃ幸せになれないんだよ……」
「はあ、意味分らないって。俺の幸せはあんたと一緒にいることなんだよ!!」
俺は叫ぶ。
「そうさ、そうやって、あんたは私を憎むといい」
はあ、何言ってるの? ああ、俺が大声出してるからあんたを驚かしてると思ってんのかい?
女は走り出す。
「おいおい、本当に俺を置いていく気かよ!!」
女は角を曲がる、そこにちょうど一台のタクシーが止まっている。
「おい、まさか……」
女はそのタクシーに乗り込む。
「おい、ちょっと待て。俺がまだ乗ってねえって。なあ、待っててくれるんだろ!!」
女は扉を閉める。
「ったく、せっかちだぜ。ちょいまち。すぐにそこまでいくからよ。はは、馬鹿みたいだが、あんたを追いかけてずっとここまで歩いてきたから足がへとへとでうまく動かないんだよ!!」
タクシーが走り出した。
「おい、まてよ。お前、俺に信じていいって行ったよなあ!! あれは全部嘘だったのかよ!!」
タクシーが遠ざかっていく。俺は追いかける、追いかけているつもりだった。
「はは、そりゃねえぜ。マジかよ。笑えねえ」
足が止まる。タクシーはもう見えない。
「……もう笑えねえって」
俺が立ち止まったのを見計らって、柱のカゲから一匹の白い猫が俺に近づいてくる。
俺をこの場所まで導いてくれた案内人。前の町の仲間。
「よお、フーファ」
俺は笑いかける。ひどくおかしかった。
「やっぱ、あんたの言うとおりだったよ。どうやら、俺は本当に捨てられていたらしい」
「クロカゲ……」
フ−ファは俺のすぐ側まで近づいてくる。
「俺をクロカゲと呼ぶな!!!」
フーファがビクッと身を縮める。
「っは、馬鹿みたいだ。本当に俺は馬鹿だ。一人で勝手に信じて、一人で勝手に裏切られて。失っちまったよ帰る場所を。俺は野良に逆戻りだって訳だ」
「クロカゲ帰ろう。私たちの町へ」
俺はフーファを睨み付ける。
そして無言で歩き出す。
「クロカゲどこに行く気?」
俺は答えない。ただ歩き続ける。あてもなく、ひたすら。
フーファはついてきていないようだった。
「そうかよ」
俺はつぶやく。
しばらく歩いて、曲がり角までやってきた。
俺は角を曲がろうとする、そこに、
「人間……」
俺は小さくうなる。
二人組、片方は俺を見てひどく驚いている。
「ああ、なんだ、俺はみせモンじゃねえぞコラ!!」
俺は臆せもせず近づいていく。
「ね、ネコだ。ネコがいるんだよ!!」
人間の一人が、なにか恐ろしいものでも見たような表情で俺を指差す。
「何だよ、いちいち指差すな!! 俺は歩いてるんだからよ。そこどきな」
俺はなおも歩き続ける。
「こ、こら、どっか行けクソ猫!!」
人間は俺に向かって足を伸ばす。
どうやら、俺に向かって威嚇しているようだ。
「あんたも俺を嫌うのかい?」
俺は無視して歩き続ける。
人間の一人が、近づいて、俺の体を持ち上げる。
「おいおい、俺をどうしようっていうんだ」
俺は別に抵抗はしない。もはや体に力は入らないのだ。
「何でこんなに可愛いのにお兄ちゃんは君を嫌うんでちゅかねー」
俺に向かって言ってるのか?いくら体が小さいっていったって、俺はもう二歳過ぎてんぞ?
人間は俺の体を大きく揺さぶる。
「は、早くどっかにやってくれ!!」
もう一人の人間が、懇願している。
「ほら人間。頼まれてんぞ。安心しろ、言われなくても、どっかに行ってやるよ。ほら、おろしてくんな」
しかし、
「ほれ!!」
「近づけんな!!!!」
俺の体は宙を泳ぐ。
「俺を三回も殴ったお返しだ」
「ぎゃ!!!!!!」
もう一度。
それは滑稽だった。滑稽すぎだった。俺が弄ばれている。
人間は楽しそうに俺を揺らす。
俺の体はゆらゆら揺れる。人間の手で。ゆらゆらゆら。
「ほーら、怖いお兄ちゃんがいるからあっちへ行きな」
やがて、俺は、角を曲がった少し先のところで下ろされた。弄ばれて。弄ばれて。
ふと、涙がこぼれた。
止まらない。
「猫の涙は、人間さんには見えないのかね。さっきからずっと泣いていたんですがね」
ずっと泣いていたんだよ。雨の日も風の日も、今も、昨日も、あなたと別れたあの日から。
「すっげえおっかしいや」
そしてまた俺は歩き始める。
影を、出来るだけ影を通るんだ。
俺はクロカゲ。
俺は、影へと消えていく。
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2004/10/28(Thu)01:11:41 公開 / ささら
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■作者からのメッセージ
ささらの中編続(以下省略)すみません。
皆様、御意見、御感想、深く深く感謝します。返答(?)できなくてすみません。
0.5話後編。これは前編と裏?見たいな話になっています。
もう話をグダグダ続けていても仕方がないので、一気に進めてしまいます。ですから、多分、というかかなり雑になってしまうと思いますが、読見苦しかったらすみません。更新はかなり遅くなると思います。
今更ながら、このままだと、本当に受験に落ちるという危機感をいだきつつ。
ちょびちょび、更新させますので、どうかよろしくお願いします。それでは。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。