『[僕]−right−』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:hiko                

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『どうやら全ての物体という物は、どういう状況においても常に存在しているらしい』         当時、僕五才。


風のない寒空の下、
広い校庭の隅に置いてある青いベンチ。
そこに、毎月そうしているように僕と白雲 京子(シラクモ キョウコ)が座っていた。
学校が終わり、「紙くずのような」生徒が校庭から消えてくれたので僕はなんとなく月が見たくなった。
僕のわがままだ。
僕たち二人は何を話すわけでもなく、
特に何かする訳でもなく、
ただ座っていた。
そして、ただただ座っている。
それにしても、今日はよく晴れた夜だ。
僕は自然と空を見る。
小さな雲の塊がまったく動かずにそこに二つある。
満月ではないが、丸い月が僕の真正面の位置に綺麗に出ている。
こんな状況、隣に座っている女の子が白雲さんじゃなければ、
僕でもロマンチックな気分になんてなるのかもしれない。
自分自身の新しい一面が見ることができなくて、少し残念に思う。
まあ、どうでもいい。
しかし、今日は静かだ。
僕の耳に聞くつもりはない音が入ってくる、
いや、聞かないなんてそんな器用なこと耳にはできないか。
どうなのだろう、いつもながらこれは音なのだろうか。
しんと耳を刺激するような、
音がないからこそ聞こえる音とでもいうか。
ふと古典の授業で出てきた話を思い出した。
矛と盾だな。
聞くともなく聞いているうちに僕はその音が気になり、
なんとなく落ち着かなくなってしまった。
白雲さんに話しかけてみた。

「今日は月がきれいですね、風もなくて気持がいいや」

しばらくしんとしていた精か、声帯の調子が悪く、
少し声が裏返ってしまった。
カッコ悪い。

「……ええ」

静かに、透き通るような綺麗な声。
やけに時間がかかった。
しかも、そのわりにとても短い返事を返してきたな。
そう思う。
どうしたのかと彼女を見る。
いつものやさしい作り笑いだったが、
少し困ったようにも見えた。
違和感。
僕はやっと気づいた。
ああ、要するに僕はいつものようにまた何か見失ったわけだ。
もう相手の顔と声で分かる、白雲さんじゃなければ、
「は?何を言っているの?」と軽蔑の目で見られているところだろう。
僕は幾度もなくそんなこと体験してきた。
そういうことをなくすために白雲さんがいつも側にいるのだが。
今更ながらありがたいと思う。
まだ、白雲さんがいなかった頃、それはひどい物だった。
そういっても、ほんの一年ちょっと前の話か。
少し昔の事を思い出し、気が重くなった。
表情に出ていたのか、白雲さんはすまなそうに僕を見ている。
これはまずい、僕の精で話しづらくしてしまった。
会話が途切れた。
当然の沈黙。
ああ、めんどくさい。
今、話を切り出すと僕自身、会話にまとまりがつかなくなってしまいそうなので、
何か話すためにも、僕が「なくしたもの」が何か考えてみることにした。
捜索いや、僕の場合検索か。



目をつむっていつもそうしているように自分の世界に入って行く。
さて、まず「状況」。
今僕が見ていたのは月。
話した言葉は「今日は月がきれいですね、風もなくて気持がいい」だっけか。
それに対してしばらく時間をおいてから「ええ」
とりあえず、状況は把握した。
さっきの会話より前はここに来るまで白雲さんと一言も話していないと思う。
やはり、なくしたのは今ということだ。
これは、「いつ」にあたり「どこ」にもあてはまる。
では、「何か」
僕の発言を見ていくことにしよう。
「今日は月がきれいですね、風もなくて気持ちがいい」の中の
「今日は」
この単語は間違いようがない。
僕が知る限り、「今日」は「今日」であって「今日」でしかないと思う。
次に、「月がきれい」
これに関しては自信がない、人の感じ方なんてさまざまだ。
ましてや、僕の見ている物と白雲さんの見ている物。
よっぽどでない限り、絶対同じではないだろう。
まずは容疑者一つか。
次、「風もなくて」
さっき、風は吹いていなかった。
間違いないから削除。
「気持ちがいい」きれいと同じ意味で自信がない。
しかし、僕がなくす物と言ったら視覚上の物しかありえない。
したがって、感触的である風ではない。
残ったのはやはり月に関すること。
結果。
状況として、
「いつ」さっきの会話で。
「どこで」校庭の隅の青いベンチにて。
「何を」は容疑者として「月に関すること」であることが分かった。
つまるところ、白雲さんは月を見て、僕の言葉がおかしいと思ったわけだ。



いきなり何を始めたのかと思ったかもしれない。
いや、思っただろう。
そこで説明をしなくてはいけない。
僕、「所沢 康彦」は生まれた時から目に障害を持っている。
どういうものか、今はそんなことはどうでもいい。
障害をもつということは例え軽い障害にしろ、重いにしろ、変わらないのだから。
どんなものでも、障害は障害であって障害でしかないのだ。
これは持論。
まあ、どうでもいい。
その障害は、視覚的にしろ、ないにしろその障害者の心を蝕み、必ず闇を落とす。
見えないということがどういうものか、
普通の人が一生目隠しした、なんてものでもこの気持は分からないと思う。
それはそれで違うつらさが出てくるかもしれないが、そこには特に触れる気はない。
まあ、例え目隠しして盲目の人の気持が分かったとしても、僕の目の感覚は分からないと思う。
僕は「盲目」というわけでない。
人の顔だって見えるし、学校の黒板だって見える。
目の見る方向だって定まっているし、
下手をしたら視力検査では学校中の誰にも負けないかもしれない。
視力には自信がある。
ん、これも矛盾か。
さて、いい加減僕の障害を言おうと思う。
言いたいのだが一つ問題がある。
僕の持つ障害は、まだ名前がないとういうこと。
一億人に何人いるかいないか、担当医はそう言っていた。
そんな人数のことどうでもいいが、説明するには名前がほしい。
ここで僕はあえて名前を付ける。
あえて言えば「視覚的運動物体失感症」とでも言っておこうか。
つまり簡単に言うと、文字道理に視力において、「動く物」を写さない目ということ。
知っているとは思うが、視覚というのは眼球に入ってくる光を集めてその写った光の色を脳で判別、判断する。
しかし僕の場合、その眼球が光の収集率が悪く、動いているとその物の光がうまく集まらずに呆ける。
または、まったく見えない。
例えるならば、カメラのレンズの絞りを最大限にしぼったものと同じだ。
ここまでだとだだの視力低下と同じだろう。
だが、僕は不思議なことに「動いていない物」は健常者と同じようにちゃんと見える。
これは、「動いていない」分にその物の光が集まりやすいためらしい。
さらに、問題なのがここからだ、
「視覚的運動物体失感症」
「失感症」というところに僕の余計さが出ている。
僕は弊害して脳みその認識能力の調子もおかしい。
この変わった目で認識されなかった物は、脳が不要と判断し、映像から排除してしまう。
それが「失」ということ。
映像の排除された所には空白ができる。
そこに脳は記憶から想像上の新しい画が挿入される。
つまり、そこには「異物」はなくなる。
大体こんなところだ。
主に生活面の障害は平衡感覚の低下、
視界に入ってくる物はすべて停止している物であることなど。
世界中的に見て例外なこの障害、当然実例がまったくないらしい。
まだ謎が多いので僕自身、担当医共にこんな事しか分かっていない。
これ以上、説明することもないし、あるとしても無意味だろうと思う。
どうせ当事者は僕であって、現段階で世界中あと何人いるか分からないような病気を知っていてもしょうがない。
今風にあらわすとトリビアにしかならない、とでも言うのか。

「へぇ」

我ながら苦笑。



というわけで、僕は障害をもっている。
だから、ひとりで平素な生活もできやしない。
そこで、白雲 京子の登場だ。
白雲さんはいつも僕の側にいて生活の手助けをしてくれる。
年は僕より二つ上の十九歳。
かなり遠い親戚らしい。
多分、犬の嗅覚でも分からないくらいにその血は薄いだろう。
どこか他県のお嬢様学校に通っていたらしいが、看護について学ぶためにまず、
親戚の障害者いるということで、僕のお世話をしにわざわざ、ここ東京まできたらしい。
ご苦労様だ。
実験代かといい気持はしないが、いてくれると助かっているので問題は今のところない。
しかし、なんともお世話好きな人なのだろうか。
始めの内、僕は白雲さんに好意を持たなかった。
ずっと作り笑いでいて、何を考えているか分からなかった。
まあまず、僕は健常者が許せなかったんだが。
しかし、もし僕が健常者であっても恐らく僕の世話など決してやらないだろう。
本当にご苦労様だ。
年上というのもあるが、そういう経緯で僕は白雲さんに頭が上がらないでいる。



さて、長くなってしまった。
さっきの推測の続きだが、
ここからは勘だ。
ここまで理屈で固めてきたが、最後にはやはり経験と勘、これが大事だと僕は思う。
その勘とは。
白雲さんには月が見えていない、そう推測する。
説明したとおり、僕は動いている物を消してしまう。
いや、よくいうと消すことができる。
もちろん、視覚的なことで、さらに僕の中だけだが。
だから、白雲さんは「動いている」雲が邪魔をして月が見えない。
しかし、僕は雲が「動いている」ので削除され、その向うにあるはずの月が見えてしまっているのだろう。
そして、これはさらに推測だが、僕の今見ている月はきっと先月出ていた月だということ。
先月も確か同じように月見をしていた。
あの時も同じような綺麗な月だったと思う。
「先月の月」が僕の風景に挿入されたわけだ。
とそう考えが行き付いてしまった。
だとすると残念だ。
ああ、こんなに綺麗な月なのに………。
先月も同じ事を言っていたのだろうな。

「はぁ」

僕はついため息をついてしまった。
しまったな。
白雲さんの方を窺う。

「月は綺麗に出ているらしいですね。」

気をつかってか、白雲さんが話しかけてくれた。
やはり、月は出ていなかったらしい。
健常者の白雲さんが言うのだから間違いがないだろう。
障害者の僕は答える。

「そうですね、きれいですよ」

いつものことなので少しも悲しくはない。
すると、少し風が出てきたようだ。
僕は隣に置いてある折り畳み式の杖を持ちゆっくり立った。
いい加減帰らないとまずいと思ったのだ。
家まで徒歩三十分。
僕の足でも白雲さんがいるから四十分くらいか。
少し、急ごうと思う。



人は人同士で同じ物を見ているのに違って見えてしまうことがある。
それは、個人差があるが、誰にでもあることである。
僕はそれを少し多めに日常繰り返しているわけだ。
それだけのこと。
そうやって、だましだましの考えで僕はやってきた。
そうでなければやっていけない。
周りの「紙くず」が僕をどう思うかなんて知らない。
だが、僕はそれでこの年までやってきた。
これからもこのスタイルは変えるつもりなんてないし、
多分、変わらないような気もする。

「どうでもいい、か」

目をつむってバランスをとりながら、僕は白雲さんにも聞こえないような声で呟いた。
立つときに貸してくれた白雲さんの手は冷えきっていた。
また、すまないという気持になってしまった。
月の見えない空の下、僕たちは広い校庭の隅に置いてある青いベンチを後にした。


PM七時半。


                                                                    【Next to】

2004/10/10(Sun)12:02:19 公開 / hiko
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■作者からのメッセージ
「僕」シリーズ第一段。
シリーズではないですが、前作「りんご」と感じはそのまま。
でも内容はぜんぜん違う物になったと思います。
日常から非日常へ、もっともっと書いてまともな物にしていきますっ!

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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