『裏山さ、雪女さ』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:トマト伯爵                

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『いいかぇ? 吹雪いてきた時、表ぇ出ちゃなんね。雪女さ出て謀るかんね』

 十という年齢になるまで、純はその言葉を実家の祖母さんに言われ続けてきた。
 純は都会っ子だ。癖っ気の無いさらさらとした栗毛に、くりくりっ、とした大きな瞳。
 深い夜色をした瞳には少年らしい輝きがあって、また好奇心に満ち満ちていた。
 実家は山の中程という結構不便な場所に立っている。だけど、純の祖母さんはまだ50代の若さ。坂なんて物の苦労を知らず、毎日元気に裏庭の畑さ耕している。
 家は安いからか広い。今時珍しい大黒柱がどっしりと家の中央に聳(そび)えている。
 純は祖母さんの事が好きだった。訪れる度に美味しい料理が出てくるし、物はよく知っていたし、寝る前に聞かせてくれる話が巧かったから。特に、怪談話になると鬼気迫る臨場感があった。もっと幼い頃はせがむだけせがんで最後には泣き出すこともあった。
 その度に祖母さんは優しく背中をさすって「大丈夫だぁ」と慰めた。
 純の祖母さんは、憧れだった。少し口調が古臭くて芝居がかってなければもっと憧れていただろう。もしかしたら真似していたかもしれない。
 そんな純も、怪談話のような、雪女の話は信じていなかった。やはり都会っ子なのだ。テレビが有りビデオが有り、ゲームが有る時代にお化けなんて出るものか。そうタカを括っていた。
 だから、その日も純は気にすること無く、祖母さんに出かける事を伝えた。
「祖母ちゃん。俺、ちょっと散歩してくるよ」
「いいかぇ、純。風が湿ってきたら気をつけるんだぇ? 直ぐに吹雪いて前さ見えなくなるけん」
「大丈夫、大丈夫。近くまでしか行かないから」
 そう言って純は門をくぐった。
 家に一人残った祖母さんは少し寂しそうに笑った後、窓から外を眺めた。
 上空では雲が随分と早く流れている。もしかしたら――今日は吹雪くかもしれない。



 祖母さんの予感は当たった。そして純の楽観は砕かれた。
 見るもの見るものが目新しい純は、ついつい奥へ奥へと進んで行き、一年に一・二度しか来ないから帰り道も分からない状態にまでなった。
 分厚い毛皮を着ていたが、吹き付ける雪が当たるたびに少しずつ冷えていっているようだった。
 こちらも分厚い手袋を擦り、純は鼻を啜り涙目になりながら辺りを見回した。

――ビュォォォォォオオ…………

 四方全てが雪に包まれていて、とてもでは無いが何も見えない。
 積もる雪は厚く、どちらが上でどちらが下かも分からない状態だった。
 迫りくる寒さ、場所の分からない不安、一人という孤独感、そして四方が見えない圧迫感で、今度こそ純は涙した。
 静かに頬を伝う涙も、最初こそ温かかったが、直ぐさま風に冷やされた。ともすれば凍ってしまいそうになり、純は仕方なく泣くことを止めた。
 淋しかった。お腹も空いていた。とりあえず一方に歩いていけば頂上か麓に降りれるだろう。そう思って歩き続けた純の視界の前に、半ば埋もれている足跡が見つかった。
 この後を追っていけば! そう思った純は慌てて駆け寄り、そこで違和感を感じた。足跡の大きさが自分の足のサイズと全く同じだったのだ。知らぬ間に同じ場所へと戻ってきていた。その事に気付いた時、純は泣いた。大きな声で、慟哭した。
 あー、あー、と泣き叫ぶ声は赤子のそれにも劣ることない。だが、どういう訳か雪の間を駆け抜けるにつれて声は弱くなり、十メートルも行かぬ内に消えていくのだ。
 その事にも気付かず、純は思うがまま、本能に従うがまま歩き続ける。
 長い間歩き続けていたせいで風をまともに浴び、いつしか体は冷え切っていた。
 泣くことと必死に歩くことで体が汗を掻き、出てきた水分を風が冷やしていくという悪循環だった。
 さらに歩くこと十分ほど。純は体に力が入ってこなくなり始め、そして昔から祖母さんに聞かされていた言葉を思い出した。

『吹雪いてきた時、表ぇ出ちゃなんね。雪女さ出て謀るかんね』

 怖かった。
 自分はもしかして、雪女に騙されているのだろうか? 明日にも死体になって凍えてしまっているのだろうか? 嫌だ。死にたくない。寒いのは嫌いだ。
 助けて……助けて……!
 その思いが届いたのだろうか。殆んど見通しの効かない純の視界に、ほのかな光が見えた。月の光でもなければ蛍でもない。それは紛れもない電気の光であるか薪の放つ炎の光であった。
 純は再び涙した。
 これで助かるのだ。そう思うと急に体には力が湧きあがり、内心歓喜して叫びを上げんばかりに走った。先程まで足に纏わりついて重かった雪の重みも知ったことではなかった。
 急いで走るも疲れがあった為か、直ぐには家に辿り着けなかった。息が切れて疲れきった時、やっとのこと玄関に辿り着く事ができた。
 純は恥も外見も無く門を強く叩いた。それだけが今の希望だったのだ。
 返事は無い。もしかして無人なのか。鍵が掛かっているのか。そう思うとさぁっと顔が青褪めていく。その時、純は明かりの意味する事さえ忘れていた。
 慌ててドアノブを回すも、予想通りに鍵が掛かっていた。
 ずるずると足に力が抜けて身体をずり落ちていく。
 もう駄目だ……助からない。
 そう覚悟したとき、ガチャリという鍵が開く音がした。
 開いた扉が体にぶつかって止まった。慌てて飛びのく。
「こんな吹雪の中、どうかしましたか?」
 中からは恐ろしいほどに美しい女性が現れた。大きな瞳、薄幸そうな薄い唇。着ている真っ白な着物。そして長く艶やかな髪の毛。
 純は一瞬寒さも忘れて呆けた。暫くして思考が戻っていくにつれて漠然と、これは神だ……と思った。
 それはもしかしたら、先程までの不安から開放された感謝や安堵という絶妙なタイミングが招いた誤解だったのかもしれないが、それでも純にはそう思えた。そして彼自身にしてみたらそれ以外に考えられなかったのだ。
「とりあえず中にお入り」
「はい」
 女性は訪れた珍客が子供だと知ると柔らかな笑みを浮かべて招き入れた。純も言われた通り中に入る。
 玄関は外の冷気が今ほど入ってきたばかりだったが、それでも格段に暖かかった。知らず、服が緩んだ気や、心までが落ち着いてような気がした。
 中に入ってみて分かったのだが流石に蝋燭を灯しているような事は無かった。ボイラーか何かがあって、そこから電気を引いているらしく、中は結構明るかった。
「さあ、まずはお風呂にお入り? 体冷えてるでしょうに」
「ありがとうございます」
 女性はまず風呂を勧めた。体も冷え切った所、何の疑いも何もなく、言われるがままに風呂に入る。
 風呂は予め用意されていたかのように、一杯に湯が張ってあった。
 女性がちょっと意地悪そうに微笑み、「一緒に入る?」と言い、純はあわてて首を横に振る。
 大分前から母親とも風呂に入るのを止めていたというのに、こんな綺麗な人に……そう思うと恥ずかしくて仕方が無かった。
 女性は小さく笑いをこぼすとごゆっくり、と言って扉を閉めた。



 一人脱衣所に残されるとやっとのこと理性とか思考力が戻ってきた。とりあえずと服を全て脱ぎ捨て、そのまま風呂場へと入った。中はさらに暖かく、湯気に包まれていた。
「うっわぁ……」
 風呂場は広かった。全体として見れば祖母さんの家と大差ないかもしれないが、何と言っても湯船が広い。そして檜の木が純には格好よく映った。
 純は行儀よくかかり湯をしてから湯に浸かった。本当に極楽で、先程吹雪の中で泣いていたときの淋しさも、怖さも、全てを忘れていた。

 カラララ、と音を立てて風呂場のドアが開く。
 ざばりと頭から湯に浸かったが、実は脱衣所の扉が開いただけだった。そうっと鼻まで出して様子を見ると、服を畳まれていた。勘違いした自分がちょっと恥ずかしくて、純はもう一度湯に頭まで使った。ゴポゴポと泡が吹き出る。



 風呂を上がると女性は料理を作ってくれていた。名前を聞くと冬子と教えてくれた。いっそ冷たい感じがする位の美貌を持つこの人なら、その名前も頷ける。そんな事を考えながら純は料理を口にした。
 一体何の肉か。とにかく料理は美味かった。
 冬子はその後も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。だから、ついつい純も心を許し、家族の事やどうして実家に来ているのか。今日はどうして遭難したのかなど全てを話してしまった。
 橙子は薄く笑う。ガラス細工のように精密な出来の顔は、嗤うと酷薄に見えた。
「……冬子さん?」
「どうかしたの?」
「ううん。なんでもない」
 次の瞬間には優しい、暖かな笑み。きっと見間違えたのだ、疲れているのかもしれないと純は思い直した。自分にとって女神のような存在が、そんな笑い方をして欲しくなかった。
「外……まだ吹雪いてるわね」
「うん……」
「今日はここで泊まっていきましょ? どうせ電話は使えないし、今ここで外に出たら危険よ?」
「うん、そうだけど……」
「何か有るの?」
「祖母ちゃんが心配してるだろうなって」
「そう……じゃあ、吹雪が弱くなってきたら、一緒に行きましょう。私もあんまり詳しくはないけど、純君よりはマシよ?」
「ありがとう!」
 やっぱり冬子さんは女神だ。
 今度こそ純は疑うこと無く、一切合切を信じた。



 時刻は既に夜。だが、外の吹雪は未だ止むことも無く、月明かりさえ地に届かない。一部の立て付けの悪い窓はがたがたと揺れ続けていて、暖かい筈の寝室をも冷えさせているような気がした。
 冬子は一人暮らしらしく、布団はひとつしか無かった。今、純と冬子は同じ布団を共にしている。
 恥ずかしかった。とても強く。きっと顔は真っ赤になっているに違いないと思った。
 冬子の体は優しさに反してひんやりと冷たかった。その事を言うと寂しそうに、冷え性だからね、と答えた。
 その笑みを見て純の心が痛む。もしかして、聞いてはいけない事だったのではないだろうか、と。だが、冬子は結局その事についてそれ以上言おうとしなかった。
 頭を撫でられ続けているうちに、だんだんと眠気が襲ってきた。冷たいと思っていた冬子の体もいつしかぽかぽかと暖かい。
「おやすみ……ゆっくりと夢を見るのよ」
「おや……」
 おやすみ、と答えようと思って、結局言い切ることができなかった。純はそのまま深い深い眠りに就いたのだった。




 純が完全に寝入ったのを見て、冬子の顔が優しく笑う。
 だが、純から目を話して暫く、冬子はふっと笑う。それは余りに行過ぎて人生に疲れたような――そんな力ない笑みだった。
 だが、冬子の視線が再び純に戻った時は優しげな、本当に優しげな笑みを浮かべている。
 そうね、と冬子は心の中だけで呟いた。
 子供は殺さないし惑わさない。それが雪女の持つ矜持って奴だもの、と。
 だが、久々に現れた人。それも無垢で、純真で、可愛らしい子供。出来ればこのまま世界から切り離してしまいたいような誘惑に駆られる。
 それを無理やり抑えつけて、やはり冬子は寂しげに笑った。
 もう少し大人になって、その時にもしも会うときが来たら。



 その時には帰さないから――――。






 純は祖母さんの家の前で突如目が覚めた。
 そして、その時には吹雪が止んで太陽が燦燦と輝いていた。そんな時刻になっていたのだ。
 まるで、冬子との出会いの、全てが夢のようだった――。

 それから10年の月日が流れて。
 少年は立派な青年になって、再び実家へと訪れた。
 毎年訪れる実家に、祖母は変わること無く存在し続けた。
 いや、確かに顔の皺などは増えているが、変わらず元気だった。曾孫を見るまでは死ねないねぇ、と笑った。

 季節は冬。
 空はどんよりと。
 上空では雲が随分と早く流れている。もしかしたら――今日は吹雪くかもしれない。
「祖母ちゃん。俺、ちょっと散歩してくるよ」
 そう言って純は門をくぐって外に出た。



     『いいかぇ? 吹雪いてきた時、表ぇ出ちゃなんね。雪女さ出て謀るかんね』



2004/09/21(Tue)18:58:17 公開 / トマト伯爵
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■作者からのメッセージ
どうも皆さんこん○○は。
今回は不思議忌憚系に挑戦してみました。若干祖母さんの喋り方とかおかしかったとして、勘弁して下さい。
これから精進していきたいと思います。

ところでこれ、中寄せのタグとか使えるんでしょうかね? 知ってる方お願いしますー。

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