『ネガイ』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:Φ                

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 憂鬱な朝。
 どんよりとした雲が出ていて、その上蒸し暑い。
 こんな日は学校に行くのも嫌になる。

 駅のホームへの階段を、憂だるそうな顔で上る少女が一人。

 『まもなく、二番線に電車が参ります。危ないので、白線より内側に……』
 ホームのアナウンスが、少女、琉璃の身体に、まとわり付くように流れていく。
 どんより、とした今日の朝のように濁った心内に、一層雲がかかるような気がする。
――こんなに混んでちゃ内側も何もないっての。
 確かに、八時少し前の駅のホームといえば、初詣の神社並に人がいるわけで、そんな中で白線がどうのと言われても無理なものは無理。
 見も知らぬ人に押し出されて、線路に放り出されない様にするのが精一杯といったとこ。
 そんなことを、ぼやけた頭の片隅で考えていた時。
 ドンッ
 「あ、すいませ……」
 押し出されないように、とか何とか考えている真っ最中だったのに。
 ちょっと強めに後ろの人が――多分そのまた後ろの人が押したのだろう――琉璃の身体にぶつかった。
 ホームのぎりぎりに立っていた琉璃は、あっけなくバランスを崩した。
――えっ!?
 ぐらり

 気が付いたら、琉璃を押した人――二十代後半くらいの男の人だった――がしきりに謝っていた。
 ――?
 大事はなかったらしい。
 よくわからなかったが、「大丈夫ですから」とその男の人に言って、とりあえずその人を解放した。
――まぁ、何ともなかったみたいだし。
 しかし、そんなちょっと奇妙な気分はすぐに吹き飛んでしまった。
 「落ちた?」
 「自殺か?」
――落ちた? 自殺?
 よく見ると、目の前の電車が中途半端な位置で止まっている。
 琉璃のいる場所は、いつもなら前から五番目の車両のはずなのに、前には1つしか車両がない。
――またか。
 よくあることといえばあることだ。何故そんなにも人生が哀しくなってしまったのか。
 生きていれば良いことだって必ずあるのに。
 「飛び込んだ瞬間に電車が突っ込んで、ちょうどはねられた形になったらしいよ」
 「頭部強打で意識不明だってさ」
 「駅のホームに頭をぶつけて……」
 もしかしたら、自分だったかもなぁ、とうっすら琉璃は思った。
 一瞬であれなんであれ、身体が揺らいだことに間違いはなかった。
――危ない、危ない。気をつけなきゃ。
 『乗客の皆様にはお騒がせしております。只今、当駅内にて人身事故が……』

 やっと動き出した電車に乗り、完全に遅刻となってしまった学校へと急ぐ。出席日数は余裕とはいえ、授業にはあまり遅れたくない。
 と、その時、近くでこの頃よく聞くポップスの着信メロディが流れた。
――電車の中はマナーにしなってば。
 声にならない文句を言いながら、その女子高生の方を、ぼうっと眺めていた。
――理奈も、よくああいう人に対して文句言ってたよなぁ。
 先日、喧嘩別れした親友の顔がチラリ、と浮かんだ。
 『変わったのは琉璃でしょう? 何かあったの?』
 完璧怒ってしまった琉璃にそう言った彼女。
 優しく、諭すような言葉に、いつもなら落ち着くはずだったけど、今回ばかりはかえって頭に血が上った。
――だけど……。
 答えは決まっていた。
 「やっぱ謝らなきゃ、か」
 自分に言い聞かすように、琉璃は呟いた。

 「よく聞いておけよ。ここの式は……」
 真剣に授業をする数学教師の髪を、窓から入ってきた風が巻き上げる。そんなのをぼおっと見ながら、手は黒板の内容をノートにせっせと書き写す。
 琉璃の席は窓際、一番後ろ。クラス中でも競争率が高いその席からは、校庭端の大きな桜の木がよく見える。 
――桜か。
 『絵は下手とか、上手いとかの問題じゃないんだよ。一筆一筆、丁寧に【想い】をこめてやるんだ。そうすれば俺みたいな稚拙極まりない絵でも、【輝く】事が出来る』
 笑って言った彼は、美術部部長にして、先生にも評判が良い、いわゆる「模範生徒」で、そして琉璃が想いを寄せてる人でもあった。
――【絵】出来たのかな。
 ちらり
 また、桜を見やる。
 春に桃色の花びらを散らしていたその枝には、今や青々とした葉が生い茂っている。
――後で見に行こう。
 まだ散り始めた頃の桜の木。花びら舞い散る、通る者の足を止まらせるほど見事だったその様子。
 彼、隼人は、それを描いていた。
 技術的にその絵を見るなら、それは取り立てて上手いわけではなかったけれど、その言葉の通り、その絵は【輝いて】見えた。
 『それに、輝いて見えるのは、生きてるって証なんだよ。どんな人でも、どんな生き物でも、どんな植物でも、限りある時間を精一杯生きているものは輝いて見える。』
 恥ずかしげもなく、そう言ってのけた隼人が、琉璃には一番輝いて見えた。

 キーンコーンカーンコーン……
 「琉璃〜。食堂行こ〜〜」
 「ごめん。今日はパス」
 「あそ。なら気変わったらおいでよね〜」
 いつも昼食を一緒に取るクラスメートに別れを告げて、琉璃は屋上に上がった。
 そこには、もう昼食を食べ終わっているらしい者たち――おそらく、授業と授業との合間に食べる、いわゆる【早弁】をしたのだろう――が、ボールを蹴り合ったり、友達とじゃれあったりしていた。
 購買で買ってきたパンを取り出して一人、もくもくと食べる。
 『ごめん、映画行く約束してた日あったじゃん。他の日に、出来ないかな?』
 『え? どうしたの?』
 『彼氏が、その日ちょっと用事あるって』
 『ふーん。理奈は、私との約束、反故にしても彼氏取るんだ?』
 『そんなわけじゃないけど。でも、いつも私から誘ってて、初めて誘われて……』
 真面目で、人に煩わされるのが嫌いな理奈。
 その理奈が何故? 何があった? その彼氏のせい?
 『理奈は変わったよ』
 『え?』
 『理奈は変わった! そんなに彼氏との約束、優先するなら、もういいよ!』
 『私は変わったつもりなんかないよ。それに、琉璃との約束も他の日に出来ないかなって』
 いつもなら絶対に約束を違えたりしない。
 だからこそ、悲しかった。
 『もういい! その日以外ならいい!』
 「すいません!ボール取って下さーい!」
 一年生らしい女の子に声をかけられて、初めて足元に転がっているボールに気が付いた。
 少し空気の抜けたバレー用のボールを放ってやる。「ありがとうございましたっ。」と元気な声を出してその女の子は戻って行った。
――で、理奈に落ち着けって言われて、それでまたキレて、か。サイアクじゃん、私。
 パンの袋をゴミ箱に捨て、立ち上がる。
――謝りに行こう。
 親友を彼氏に取られたようで嫌だった、なんて言えるかどうかわからないけど。
 屋上の階段を、下った。

 「え? 理奈先輩ですか? 今日は来てないですよ」
 図書館脇の図書準備室。
 そこは、理奈が入っている文芸部の部室になっていて、大抵理奈は――部長ということもあり――昼休みにはそこにいる。
 だが、珍しいことに、今日はいないらしい。
 「生徒会室行ってみては? 理奈先輩、役員ですよね」
 「あ、はい、どうも」
 生返事をして、図書準備室から出る。
 ――生徒会室か。
 あの場所はあんまり好きではない。
 隼人も理奈も、生徒会所属だったから、行くことはあったけど、部外者は拒絶されている感じがして、好きになれなかった。
 ――いいか。どうせ今日、私も美術部あるし。
 部活がある日は、三人で帰るのをお決まりとしていたから、そのときに、と思ったのだ。
 ちらり、と時計を見やる。
 ――まだ早いか。
 教室に帰るには早い。琉璃は、図書館の一角においてあるソファーに腰掛けた。

 乳白色のもやの中、美術室の戸を開けた。
 窓際で隼人が黙々と【絵】を描いている。
 なんとなく声を掛けられなくて、立っていると、必ず隼人は琉璃に気付く。
 そして、邪魔だろうに、それには何も触れず、相手をしてくれる。
 話しているうちに現れる理奈。
 隼人の邪魔をしていることへの軽い叱咤をして、絵への冷静な批評をして。
 そしてみんなで笑いあう。
 冗談を言い合い、色んな話題に花を咲かせ、下校時間には三人一緒に帰る。
――この関係を……。
 幸せの絶頂。
 時など、このまま止まってしまえば良い。
――崩したくない。
 刹那――!
 闇へと落とされる。
 美術室の扉。桜。叱咤。隼人? 理奈!
 落ちる、落とされる、何処へ、何処かへ。
 何も無い。何がある? 何処にある?
 浮いてる? 沈んでる? それとも落ちている? わからない、何がある?
 泣いて、わめいて、叫んで……。
 絶望の闇の中、思う。
――何故あの時がいつまでも続くと思っていたの? 時間は有限。時間は瞬き。知っていたはずなのに。泣いても、わめいても、戻ってこないのに。あの時、あの時間、あの瞬間は――!

 ハッ
 全身汗だくで琉璃は目覚めた。
 ぼやけた目に、板張りの天上が映っている。
――寝ちゃったって?
 苦笑しながら、時計を見る。
――放課後じゃん。
 ため息をついて、まだ高鳴っている鼓動を静めるため、深呼吸を繰り返す。
 どくん どくん どくん……
 動悸が静まったのを確認して、琉璃は教室に戻った。
 「あれ。琉璃! 今まで何処いたの?」
 「図書館で昼寝」
 「もう、あんたってやつは!」
 「はいはい、ごめんごめん」
 ひょい、と通学鞄を肩にかけて、教室から出ようとする。
――そういえば、この子も生徒会だっけ。
 「ねぇ、今日の昼休み、生徒会室に理奈と隼人いた?」
 「生徒会室? 先生に用があって行ったけど、いなかったよ。鍵かかってたし」
 「ふーん。ありがと。じゃね。」
――理奈だけに留まらず隼人まで? 珍しいこともあるものね。
 琉璃は、何となく足早に美術室へ向かった。

 やはり、美術室には誰もいなかった。
 活動日なのにも関わらず、これだ。大半がユーレイと化してる。まともに来るのは隼人と琉璃くらいのものだ。
――隼人も理奈もどうしたんだろう。
 窓際の席に腰掛ける。
 そこはいつも隼人が使っている席で、窓をあければ、例の桜が見えるはずだった。
 開けようとして【桜の木】の絵の隣に、白いものを見つけた。
 何も描かれていない、キャンバスだった。
 ほとんど無意識に、それを取り上げ、木炭を手に取り、真っ白なそれに押し付けた。
 ガラッ
 窓を開ける。
 涼しい風が、琉璃の髪を揺らす。
 時は夕方。いつもなら瑞々しい緑色に輝いている桜も、今はオレンジ色に輝いていた。
 「あ」
 その瞬間、電流に打たれたような衝撃が走った。
 「……!」
 『輝いて見えるのは、生きてるって証なんだよ。どんな人でも、どんな生き物でも、どんな植物でも、限りある時間を精一杯生きているものは輝いて見える。』
 隼人の言葉が何度も耳の奥でエコーする。
 どくん どくん どくん どくん……。
 心臓が早鐘を打つ。
 「え、あ……!」
 理奈の笑い顔が現れては消え、別れた時の悲しそうな顔が浮かんでは沈み、三人の笑いあった時間が鮮明に描かれた。
 「な、何……?」
 たまらなくなってひざをつく。
 隼人の顔が見え隠れし、理奈との喧嘩の、節々が、何度も何度も行き来した。
 「ああっ――!」
 桜、桜、桜の木。描いてるあなたが好きだった。
 理奈、ごめんね、ごめんなさい。謝りたかった、大好きな理奈。
 居なくちゃならない場所を放棄しても、二人を探したかった。
 限りある時間の中で、やりたいことを、精一杯、やりたかった。
 ほんの一瞬だけでも輝きたかった。
 限りある時間。
 いつ足元に穴が空くかなんてわからない。
 いつでも、精一杯、悔いることの無いように生きていかなきゃならなかったのに。
 逃げてた。
 永遠に続くようなこの時間に、甘えてた。

 やりたかったこと。
 サイゴになるかもしれない自分のネガイ。
 謝りたかった。
 せめて好きだと伝えたかった。


 「……璃。……琉璃」
 何処かで琉璃を呼ぶ声が聞こえた。
 頭が痛くて、わからない。だけど、忘れるはずの無い声。
 眼を、薄く、開いた。
 「琉璃!」
 ぼんやりと、二つの影が見える。輪郭しかわからなかったけど、それでも琉璃は嬉しくて泣きそうになった。
 間違えるはずがない。
 「りな。……はやと」
 舌が上手く回らない。
 ここは何処だろう。そう薄く思うと同時に、琉璃は心の奥深くで納得した。
――あんなに探しても、いなかったはずだよ。
 「琉璃、わかる!? ここ病院だよ。琉璃、電車にはねられたんだよ」
――ああ、そうか。朝のあれは私のことだったんだ。
 何の疑いもなく、琉璃はそう思った。
 「大丈夫――ってここでかける言葉じゃないか」
 理奈が琉璃の手を強く握りながら、その手に顔を伏せている。
 隼人も笑いで隠してるけど、その眼には涙が溜まってる。
 「ごめんね」
 瞼が重くなって、なんだか安心したのもあって、我慢できなくなって、眼を閉じた。
 眠りに落ちる間際、医師らしい人の声が耳に届いた。
 「峠は越しましたよ」


 「隼人!」
 全快にはまだ遠かったけれど、話すことはもう普通に出来るようになった。
――これも、二人のおかげだよね。
 毎日、交代で理奈も隼人も来てくれる。
――言葉なんて必要なかったんだなぁ。
 喧嘩していても、学校サボるなんてもっての他である理奈は無断欠席していたし、何を言わなくても、隼人はこの場にいる。
 「ん? どうした?」
 「桜の絵、描き終わった?」
 「そうか、まだ言ってなかったっけ。ああ、ついこの間描き終わったよ」
 今度持ってきてあげるよ、我ながら傑作だから。と、隼人は付け足した。
 「もしもだよ。窓際の、いつも隼人が座ってる席の辺りに――」

 ちょうどその頃。
 病院で退屈している琉璃に、絵の具でも持って行ってやろうと、理奈は美術室にいた。
 「あれ、何? これ」
 桜の木がよく見える窓際。
 机と机の間に落ちていた白いキャンバス。
 そこには絵ではなく、文字が刻まれていた。

――いつ「突然」が起こるかなんて 分からないけれど
――「普通」の毎日が いつかは切れるものだって気付いていたら
――もっと色んなことができたんだろう
――でも 信じてこれたのが 二人であって よかった
――きっと 最後には笑えるよ

 「次の絵のためにって張ってあったヤツか。そういえばあれ何処だろ?」
 「あ、無いならいい。見つからなくて」
 「何だよ、変な奴だな」
 笑いながら、隼人は言う。
 その顔を、愛しいと琉璃は思う。
 もし、言ったら、この関係は崩れてしまうかもしれない。
――だけど。
 琉璃は唇を噛み締めた。
――時間は永遠じゃないから。
 この瞬間に精一杯出来ることをしなくちゃ、後の自分が後悔するから。
――言わなきゃ。
 「あのね、隼人……」

-The end-

2004/08/29(Sun)23:34:09 公開 / Φ
■この作品の著作権はΦさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めまして、Φです。以後お見知りおきを。

こういうの書いたの初めてなのですが、皆様の批評が凄く聞きたいです。
「辛口批評」お待ちしております☆
とゆーより、何かレスして下さったらそれだけで天地がひっくり返るほど(用法違)喜びます♪
どうかよろしくお願いいたしますm()m

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