『still blue』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:トンボ                

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蝉の声が異常に喧しかった。
頬を流れ落ちる汗の量も半端じゃなく、
僕は何度も白いTシャツでそれを拭った。

どうやら今日は、

一年で一番暑い日。



どこか木陰に入ろうと思った矢先、
目の端に木陰にうずくまる人陰を見た。

人陰は一瞬、僕の方を見た。女の子だった。

まるで猫のような鋭い眼に、僕はひるみ、
そして、何かに引きつけられるような感じを受けた。

彼女は道路に背を向けてしゃがみ込んでいた。
後ろからちょっとのぞき込んでみると、
鈴の音のようなか細く、高い声が耳に聞こえた。

「何をしているの。」

聞きたいのは僕の方だ。
そう言いたいのを堪えて、僕はその場から去ることにした。
何となく、関わってはいけないような気がした。

…本当はただ注目を浴びたくなかっただけ。

「…何故みんな」

彼女が呟く声が聞こえた。

「真実を隠そうとするのかしらね。」

振り返った。
彼女は少し翳りのある目をしていた。

「優しい嘘だけが、人を幸せにするのかしら。」

僕にはその意味が、よくわからなかった。



それから三日。
僕は次第に彼女のことばかり考えるようになっていった。
何かを訴えるように、彼女が呟いた言葉を、僕は忘れられなかった。

更に一週間が経って、僕は再び彼女を見つけた。

彼女はまた、あの場所でしゃがみ込んでいた。
僕のことを覚えているだろうか。覚えていて、ほしいな。
今日は話しかけてみよう。そう、決心した。
好奇心と密かな想いを胸に、僕は彼女に声をかけた。

「こんにちは。」

彼女は僕を見上げた。
あの日と同じ鋭い眼で、あの日と同じように僕を見上げた。
目が合うとすぐに、顔を伏せた。

「あなたは、私を恐れないのね。」
「え?」
「眼。」
「ああ、格好いいじゃないか。君の眼。」
「あなたは」

人の話を聞いているのか聞いていないのか、
彼女は顔を伏せたまま、僕に語りかける。

「あなたは、生まれ変わりを信じるかしら?」
「…そうだなあー。」
「私は、信じないわ。」
「…僕、まだ答えてないんだけど。」
「私は、そんなモノ信じないの。」

意味深げにそう言って、彼女は空を仰いだ。

「どうして、信じないの?」
「神様が人間を信じてくれないから。」

彼女はそう吐くと、プッと吹きだして1人で笑い始めた。
周りの人がじろじろとこちらを見る。
僕は居心地が悪くなって、彼女を置いて去ることにした。

僕の背中に、彼女の笑い声がこびりついた。



「ねえ。」

次にあったとき、初めて彼女が僕に声をかけてくれた。
僕のことを覚えていてくれたことが、とても嬉しかった。

「や、やあ。」

だけど、あまりに唐突だったために、
僕は食べかけのアイスを落としそうになった。

「神様はいると思う?」
「…またそう言う話?」
「ねえってば。」
「またどうせ僕の話なんか聞いちゃくれないんだろ?」

呆れ半分にそう言い放つと、
彼女は、悲しげな顔をして見せた。
そして、ゆっくりと、反対側の道路へと、横断歩道を渡っていった。

僕の瞳に、彼女の悲しげな顔がこびりついた。



長すぎる休みにうんざりし始めた頃。
病院の駐車場で、彼女を見かけた。
小さな子どもたちと一緒に、楽しそうに絵を描いていた。

「やあ。」

声をかけた僕を、彼女は無視した。
それでもめげずに、声をかけた。

「何描いてるの?」
「あなたには教えない。」
「やーい、ふられてやんのー!」
「だせーっ!!」

子どもたちがいっせいに笑い出す。
僕はなんだかもう惨めな気分になって、

彼女に関わるのをやめることにした。



「おじいちゃん、女心を僕に教えて下さいっ。」
「そりゃあ、お前。自分で調べるこったな。」
「…意地悪。」

僕にはとても仲のいい祖父がいる。
僕は、僕の全てを、彼と共有していた。
夏休みは祖父の元で過ごし、花火大会に一緒に行く。
それは、毎年恒例だった。
だが、今年は祖父が体調を崩してしまい、
白い病院の中で微妙な心境で花火を見つめていた。

祖父は僕にとって、とても大切な人だった。
もし、このまま彼が亡くなってしまったら。
僕は恐ろしくなって、そうしたら、彼女の顔が頭に浮かんだ。
彼女も、僕の中で、大切な人になりかけていた。
だけど僕は、彼女に何もしてあげられない。
臆病だから、彼女に近づくことを、心のどこかで拒んでいる。



それから数ヶ月。祖父の病状は、悪化する一方だった。
通い慣れた病院へ行くと、そこに彼女がいた。
赤いカーディガンを羽織って、寒そうに背中を丸めていた。

しばらく見つめていると、目があった。
僕はすぐに目をそらし、祖父の病室へと走った。
途中で立ち止まって振り返ると、彼女がまだこっちを見ていた。



「じいちゃん。」
「ん?」

祖父は僕に優しい。
小さいときから、とてもとても。

「僕にとって、ね、きっとあの子は大切な人だと思うんです。」
「ほー。」
「でも、笑われたり拒絶されるのが恐くて、いつも逃げてばっかりいるんです。」
「そうかそうか。」

すっかり痩せこけてしまった老人はハッハと笑って。

「若いっていいよなあ。」

そうこぼした。

「しかしお前はちょっと、臆病すぎるな。本当にオレの孫か?」
「そうですよー。ホントーに百戦錬磨の素敵なグランパの孫ですよ。」
「それじゃあそんなジジイからお孫様へ素敵な助言をしてやるか。」
「へ?」
「いいか?一度しか言わねえから、よーく聞きやがれ。」

僕は思わず生唾を飲み込んだ。
そして彼の両手の中に耳を置いた。
思い切り息を吸う音が聞こえる。年寄りのにおいがした。

そして。

「わっ!!!」
「わーっ!!」

祖父は、やはり一枚上手で。

「な、何するんですかっ!!」
「臆病だなー。お孫様は。」

そんなことをしているうちに、面会時間は終わってしまって。
結局、その日はそのまま帰ることにした。

「それじゃあ、また来ます。」
「なあ。」

祖父が口を開いた。
声の調子から、どんなに彼が真剣か、伝わってくる。

「後悔ってもんはな、消えることがないんだ。」
「うん。」
「いくらあっても足りねえ。でも、だからってそれに負けちゃあいけねえんだ。」
「うん。」
「後悔なんかスッ飛ばしちまうぐらい、…いい人生を生きろ。」
「…ありがとう、じいちゃん。」

それが祖父の最後だった。



祖父が僕の元から、いなくなってすぐ。
僕は彼女を探した。どうしても、彼女に会いたかった。
祖父の死は、僕の中に大きな痛みを落とした。
彼女は、彼女ならばその痛みから僕を救ってくれる気がした。
彼女は、僕のもう1人の大切な人だから。
逃げちゃいけないと、そう思った。

いつものようにあの場所に着いた。
案の定彼女は、いつものようにしゃがみ込んでいる。

「ねえ。」
「ん?」
「あの人はあなたのお爺さんだったのね。」
「素敵なお祖父様だっただろう?」
「ねえ。」

本当に彼女は、人の話を聞いているのかいないのか。

「神様って、信じる?」

僕は、気付いた。
彼女の肩が、小刻みに震えていることを。
それは決して寒さからではなく、必死で何かと戦っている証拠で。
僕は彼女の、力になりたいと思った。

「じいちゃんはね、若い頃、ろくでもない人間だったらしいんだ。」
「え?」
「やんちゃで、悪くて。でも、そんな爺ちゃんにも勝てないモノがあったんだって。」
「それは、何?」
「ねえ。君は僕に神様って信じるって聞いたけど、」

いつの間にか、僕の中に彼女が息づいていた。
だって僕は、彼女の声なんか聞こえていない。

僕は彼女の目の高さに、自分の目の高さを合わせた。

「信じなければいけないのは、神様じゃなくて、君自身だと思うよ。」

夕焼けが、空を染め始め、電灯に、光がともる。
そこで僕は、ようやく気付く。
僕は、僕自身にこの言葉を贈りたかったんだということに。
人から逃げてばかりで、臆病だった自分に。
いつか何とかなると、調子のいいことばかりほざいていた自分に。

「これから幾度となく君をおそううだろう、後悔に勝つために。」
「…それが、あなたの答えなのね。」
「いや。実はこれ、じいさんがくれた答えなんだ。」
「お爺さんは、後悔に負けてしまったの?」
「わからない。でも、きっと彼のことだから、引き分けってところじゃない?」

別れ際に、彼女が僕の名前を呼んだ。
最初で最後のその響きは、とても、心地よかった。

「でも、貴方はさっきお爺さんの答えだなんて笑っていたけれど、」

彼女は一度だけ、優しく微笑んだ。

「私にとっては、あなたの答えだったわ。」



その後。
僕は、彼女があの病院の長期滞在患者だと言うことを知った。
彼女は体がとても悪く、病気が治る見込みも薄いらしい。
外出は危険だという医者の再三の注意にも負けず、
小さい頃から何度も脱出と帰還を繰り返しているそうだ。
彼女が病院からでられないのが分かっているから、
医者も、看護婦も、もう誰も彼女の脱走を気に止めるモノはいない。

いきなり、大切な人を二人も失ってしまったけれど、
僕に残っているのは、寂しさや悲しさだけじゃなかった。
思い出すだけで暖かくて、思わず笑みが零れてくるような、
確かな何かが、僕の中に生まれていた。



“優しい嘘だけが、人を幸せにするのかしら。”

たまに彼女の言葉が脳裏をよぎる。
彼女は必死に探し求めていた。
どうすれば、自分を幸せにすることが出来るのか。
その答えを、探し求めていたんだ。
ずっと、1人で。

彼女は、強く生きてくれるだろうか?
残りの人生を、後悔に負けない人生に変えてくれるだろうか?

そして僕は…



空を仰ぐ。
真夏の青空は、とても美しかった。

2004/08/11(Wed)17:50:22 公開 / トンボ
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■作者からのメッセージ
長ったらしい作品ですが、
思ってることを全て書き出せました。
未熟者の自分ですが、
コメントいただけると幸いです。

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