-
『好きよ、』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:藤崎
-
123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
あの人の音は、今でも変わらず、皆の、そしてあたしの心の奥に。
◇ ◇ ◇
楽しい時には明るい音を。
嬉しい時には暖かな音を。
悲しい時には冷たい音を。
切ない時には透明な音を。
ねぇそれは、あたしがいたから出せた音なの?
何度、訊こうとしたか知れない。
だけどいつも、怖くて訊けなかった。
そうじゃない、って。言われるのが怖くて。
あたしはきっとあなたがいなくちゃ、何もできないわ。
◇ ◇ ◇
ガコン――
鈍い音をたてて、缶ビールが落ちてきた。
叶(きょう)はそっとしゃがみ、自販の取り出し口に手を伸ばす。
「あ〜あ。今日は満月なのになぁ。全然見えない」
あたしは両手を頭の後ろで組ませ、彼の後ろ姿に恨めしく呟く。
「でもいいじゃねぇか。昨日まで大雨だったんだから。それに、月が見えないのは俺のせいか?」
苦笑交じりの叶の声が、ひどく静かで冷たい空気の中に華のように咲く。
「そうよ、叶のせい! こんな街で電車降りるからでしょ?」
その見えない華に重ねるようにして、あたしは声を上げる。
あたし達が住んでいた町からなら、夜空は澄んで見えるというのに。
夜空どころか、年が明けようとするこの季節なら、星空満開だ。
「あたしはね、あの町で過ごそうって言ったのよ? だのにその提案押し切ってさ、こんなトコまでつれてきたの、誰だと思ってるの?」
多少のとげを含めて恨み言を呟く。
空は、雨でも降りそうな奇妙な色合い。街のネオンが造り出した異色。
あたしは、好きじゃない。
都会は確かに便利だけれど、でも嫌い。
叶はしゃがんだまま、あたしを見上げていた。
「…………」
人工灯に照らされた、青白い叶の顔。
そこにあるのは、あたしとは正反対の優しい表情。
いつになっても、あたしにはこの表情をまねすることができない。
叶のこの顔には、彼特有の感性が現れている。
そしてあたしは、叶のこの顔が一番スキだ。
「俺だよ。だけど、どこだか分からない場所で一年の最後を過ごすもの、悪くないだろ? ヘタに未練は残らないんだし」
「あんたねぇ……」
叶の言葉に、いつも通りの変に遠まわしな言い方を感じる。
あたしは、最後だからあの町で過ごしたかったのに。
「もう」
ふてくされて、あたしもしゃがみこむ。
『適当な電車に乗って、適当な街で降りよう』。そんな提案が初めてあたし達の間で挙がったのは、中三の時だった気がする。
それを皮切りに、あたし達はしばしばどことも知らぬ街へ出かけた。
「じゃぁさ、ホラ、これで決めようぜ」
「ん〜?」
眉根を寄せて反応するあたしに、叶はポケットからコインを出した。
「なに?」
「これ投げてさ、表だったらこのままこの街、裏だったらすぐに引き上げ、あの町へ。古典的だけどさ、どう?」
叶の掌の上で光るコイン。
表が出ればこの街で。裏が出ればあの町へ。
裏が、出れば……。
「……いいよ、のった!」
ニヤリと、二人で笑みを交わす。
あたしは、そんな瞬間が好きだ。
キィ――――ン――
遠くで聞こえる街の喧騒。
銀に光るコインが、叶の手から弧を描き、宙に上る。
視線が追う。
高く、高く、もっと高く。
叶はスッと立ち上がる。
あたしも、つられて。
落ちてくるコイン。
視線が追う。
さぁ、どっちだ――?
パシッ
叶の右手の上に、左手が重なる。だけど……。
チャリ――ン――
視線は、湿った地面に落ちた。
「…………あ」
「…………」
落ちたコインが、アスファルトを転がる。
「…………」
「……なんで……」
地面――コイン――からゆっくりと視線をそらし、同時に顔も上げるあたし。
目の前にあるはずの叶の顔を見ようとした瞬間、ヤツはあたしにキスをした。
小さく軽い、ついばむようなキス。
「なんで……」
叶はそのまま背を見せ……。
「なんで落とすのよっ!!」
キスには構わず、あたしは声を上げた。
「だって俺、ここ気に入ったんだもん!」
販売機を蹴飛ばして、笑いながら走り出す叶。
「待ちなさいよ! ずるいじゃない!!」
わめきながら、あたしも走り始める。
「叶!!」
手を伸ばせば届きそうな位置にある、彼の背中。
「叶!!!」
声に、彼は振り返る。
満面の笑みで。
「来いよ響(ひびき)! 楽しもうぜ!」
そして大きく片手を振った。
思わず吹き出したあたしを待って、二人して走る。
コートのポケットに入れたビールが揺れていた。
あたしたちは今日この街で、二人きりの、――最後の時間を過ごす。
◇ ◇ ◇
風を伐る感触なんて、ずっともう忘れていた。
こんなに必死になって目的もなく走るのは、一体いつ以来だろう。いや、もしかすると、初めてのことかもしれない。
生まれた時からずっと、何かを目的とすることが当たり前だったあたしだから。
だけど今こうして、大切な人と目的を持たずに走っていられる。
何もない瞬間を一緒に過ごせる。
なんて、贅沢な人なんだろう。
どこまでも駆けて行きたい。
指を絡ませながら思った。
今頃になってあたしは、その人の存在の大きさに気付く。
自由で陽気な恋人。
いつまでも一緒に、笑い転げていたい。
だけどもうすぐ、叶はあたしの隣からいなくなってしまう。
考えるだけで、ぽっかり心に穴が開いたよう。
泣きそうになるあたしの頭に、ポツリと何かが落ちる。
「冷たいっ」
思わず足を止める。
真夜中の街路樹。
昨日の雫が、あたしの頭をなでたのだ。
「なにやってんだよ」
笑いを含んだ叶の声。
「だって雫が……」
「ばーか」
「なによっ!」
「だってホントだろ? とろいんだよ、響は」
「ちがうっ!」
……以前にも、こんな会話をした。
いつだったかな。
「前にもさ、こんな会話しなかったっけ?」
叶も気付いたらしく、あたしを見る。
「入学式の帰りでしょ?」
ニヤリと、またもや笑みを交わす。
そうだ。入学式の日だ。
相川響に、相沢叶。
同じクラスになったあたし達は、もちろん出席番号も隣だった。
叶は初めから、あたしの近くにいたのだ。
「あの時の原因は何だったか覚えてる?」
歩道のガードレールに腰掛けて、夜空を仰ぐ叶に、あたしはいたずらっぽく問いかけた。
「覚えてる」
にやりと笑う。
あたし達の間では、それが何かの合図のような意味合いを持っているのかもしれない。
いかにも遊んでますといった風貌の叶を、最初は誰もが恐れた。
確かに強面だったし、ガラも口も態度も悪くて、先生の手を焼かせるであろうは確信していた。
ところが、叶ほど見た目と中身が一致しない人間を知らない。
勉強はできるし、兄貴分、リーダー性まで兼ね揃え、授業はしょっ中サボっていたものの、友達からの信頼を得るのもそう長くはかからなかった。
同時に女子からの人気も上昇。そんな叶と友達でいることに、あたしは少しだけ周りに対する優越感を覚えていた。
「行こう、叶!」
「あぁ」
立ち上がる叶。
あたしは、何度この姿を見ただろう。
時には当たり前のことように、時にはわけの分からない焦燥と切なさに包まれながら。
二人は、いつだって一緒だったわけじゃない。
叶には彼女がいたこともあったし、あたしにだって、まぁ人並みに。
初めて互いを異性として意識したのは、中二の時。
皮肉にもあたしが、他のクラスの子に告白された時だった。相手の立場が、周りから違うものに変えられなかったら、きっとずっとあのままだったかもしれない。
あたしは叶に相談した。
黙って、不機嫌そうな顔をして聞いていた叶。叶に彼女ができたのは、それから一週間もたっていなかった。
「あの時はヤキモチ焼いてたの?」
隣を歩く叶に訊ねてみる。
脈絡は一切、ない。
だけど叶は理解したらしい。
チラッとあたしに視線を落とし、そしてまた前を向く。
「まぁ……気に食わなかったのは認めるけど」
そっぽを向いた叶の耳に、さっと赤みが走ったのを、あたしは見逃さなかった。
「ふ〜ん?」
からかうつもりで彼の顔を覗き込む。
それからも何度か、互いの恋人を意識した。
だけどある日、その関係が崩れた。
二人とも、同じ理由で恋人がいなくなった時だった。
確か、中三。
広い教室で、叶はあたしの顔を覗き込んで言った。
『俺ら、お互い好きなんじゃねぇ?』
は? と、訊き返した時には、叶が唇を塞いでいた。
そしてそのままそれを受け入れたのは、きっとあたしはそうなることを望み、また予感していたからかもしれない。
因みに、二人が恋人と別れた理由は、相手に言われた一言が原因。
“他に、好きな人、いるんでしょ?”
気付かなかったあたし達はバカだ。
自分達で認めてしまうのだから、きっと本物なのだろう。
だけど、叶とならバカでもアホでもいいと思う。
ただ、いつも一緒に。
いつでも一緒にいようと、暗黙の了解のうちに誓った。
◇ ◇ ◇
立て札を乗り越えて、階段を上る。
冷え込んだ屋上。見知らぬビルから、夜明けを待とうと決めた。
「ホントに、行っちゃうの?」
言いたくなかった言葉だけれど。
薄らいでゆく空に何かが音をたてて崩れて行くのを感じてしまいそうだった。
これ以上、思い出話をしても仕方ないことは分かっていた。
いくら望んでも、あの時は戻ってきやしない。
過去は、過ぎ去ったから過去なのだ。
「行くよ。言ったろ? 俺は、ピアノをやりたい」
「…………」
行かないで。
そうひとこと言えば、叶は行かないだろう。
それはあたしも、叶も知っていたことだった。
「俺は行くよ。行って、どこまでやれるか試してみたいから」
でも、言えないのも、二人とも知っていた。
あたし達が望んだのは、束縛のない自由な関係。
応援する気持ちだってあるのだから、あたしは自己犠牲を主張するつもりはない。
だけど。
いつも、隣に居て欲しい。
ただ、それだけ。
初めて叶の音を聞いたのは、……叶のお父さんが死んだ時。
葬儀で、叶はピアノを触った。
そこに居た誰もが、叶の音に飲み込まれた。
知らず知らずのうちに噂は広まり、あんな田舎にまで、音楽関係者がやって来るようになったのは、ほんのニ、三年前だ。
そしてその人たちが、あたしから叶を取った。
まったく。
あなたたちがいなければ、あたしはずっと叶と一緒にいられたのに。
余計なことを言うから、叶はあたしから離れて行ってしまう。
なんど、愚痴をこぼしに行ったか。
だけど、どこかで、それを喜んでいるあたしがいるのも感じていた。
叶が、皆に認められる。
人間なんて、所詮矛盾しているのだ。
人間なんて、そんなものなのだ。
薄らいでゆく、見知らぬ街の、見知らぬビルからの景色。
徐々に徐々に広まってゆく、暁。
消えてゆく、あたしと叶の二人きりの時間。
形を顕にしていく、叶の未来。
きっと、上手くいく未来。
そして、叶のいない世界。
あたしはきっと、何もできずにいるんだわ。
あぁ、夜があける。
「響、乾杯しようぜ!!」
言って、自分のコートから缶ビールを出す。
あたしも、無言で。
「…………」
カチッ
ぷしゅ――――
ポケットで揺れていたことを忘れられた缶ビールは、勢いよくしぶきを上げた。
「…………」
「…………」
二人してアルコールにまみれたまま、お互いの顔を凝視していた。
そして。
「ぷっ……――」
「ふ……」
吹き出した。
「Happy New Year!!」
「あけましておめでとぉ!!」
今年初の、朝日。
気持ちいい。
なんて、心地いい。
大好きな人が笑うと、何故こんなにも嬉しくなるのだろう。
ずっと、こうしていたかった。
いつまでもいつまでも、ずっとこうしていたかった。
ずっとずっと、ずっと…………。
「つめてぇ!!」
叶は金色の髪をかきあげて、笑う。
あたしはこの人のこと、ほんとにホントに好きなんだ。大好きなんだ。
だから嬉しくなる。楽しくなる。
叶の未来に、祝福を。
「叶」
まだ笑みと雫のこぼれる叶を見て。
叶の目を、はっきりと見据えて。
「いってらっしゃい」
意外にも、はっきりとした声が出て、驚いたと同時にホッとする。
「いってらっしゃい。あたし、遠くから応援してるよ。叶の音、忘れない。叶のこと、わすれない。ずっと、待ってるから」
「…………」
あたし以上に驚いたらしい叶の顔。
初めて叶を驚かすことができたみたい。
「いってらっしゃい、叶!!」
それがあなたのゆめならば。
あたしの夢でもあるんだよ。
叶の夢はあたしのゆめ。
大切な人の望むことだから、あたしの望み。
どうか、叶の夢が叶いますように。
ホントは行かないで欲しいのかもしれない。
だけど今は、そんなこと思わない。
自信を持って、飾りのない手であなたの背中を押せるよ。
「いってらっしゃい。ずっと、待って……」
言い終わらないうちに、叶はあたしを抱きしめた。
心地いいね。
あったかい。
冷えた心と身体が、とけていく。
何も言わない。
言葉なんて必要ない。
お互いの気持ちなんて、絶対にわかりっこないんだから。
だけど今だけは、叶の気持ちが流れ込んでくるみたいだ。
肩に頬を寄せて、遠く目を凝らした。
光る町並み。
この先に、叶の世界がある。
「叶」
「ん?」
「あたし、やっぱ待たないわ」
「……は?」
顔をしかめる。
その反応が、嬉しい。
「あたし、やっぱ待たない。待てないもん。だからさ、そのうちそっち行くわ」
「…………」
ニヤリと、笑ってやる。
そうだ、これがあたしだ。
飾りのない、理解のない、あたしだ。
あたしは、待てない。だから、会いに行ってやるわ。
それが、あたしの望みだもの。
だから、叶もそれを望んで?
ねぇ、叶?
「分かったよ。……それでこそ、響だな」
叶の、ニヤリという笑い。
好き。
大好き。
もぉ、叶以外何もいらないくらいに、好き。
「ねぇ叶」
「ん?」
小首を傾げて。
あたしは彼を見上げて、たった一言。
「好きよ、叶」
-
2004/08/02(Mon)20:40:40 公開 / 藤崎
■この作品の著作権は藤崎さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
ありえないくらい久しぶりです。一体何ヶ月ぶりでしょうか。おそらく藤崎のことは、記憶の片隅にもないでしょう(苦笑)
ですので、初めまして。藤崎と申します、未熟者です。本当に久しぶりに小説を書きました。感覚が鈍っているせいか、なんとなく藤崎らしくないような気がしないでもありません。これからまた、ちょくちょく顔を出させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。