『錯乱排球女と妄想吹奏男についての覚書(続)』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:狂都大学文学部                

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小さな楽しみが出来た。彼女の手紙だ。あの弾けるような笑顔と、熱い舌の感触
が、その手紙を読むたびに僕の中に翻る。勿論僕が手紙を書く時も楽しい。今日
は何を書くとしよう。





お手紙ありがとうございました。妹尾です。あ!報告です!この間の手紙で騒いで
た僕の留年についてですが、期末で数学がなんとか平均点を越したので、今の所
大丈夫そうです。あと、代表に選ばれたんですか!!すごいですね…でもこれから
双方忙しくなりますね。僕は八月の大会に向けて部活が忙しくなります。初めて
ですよ木琴!てかマリンバって言うんですけど。ちなみにあなたにプレゼントした
のはビブラフォンです。また毎回のように文が支離滅裂ですみません…では。あ
なたが好きです。


妹尾



ファックスに紙を入れる瞬間が一番緊張する。もし失敗したらどうしよう。セイ
は心配症なのだ。三日置きに来る手紙の周期が一回でもズレたら彼女は錯乱して
しまうかもしれない。それが一番恐い。彼女を壊してしまうのが一番恐いのだ。
ファックスを送信しながら、僕はまたいつか二人で会えないかなと思っていた。
無理そうだった。彼女は世界大会に向けて強化合宿とかわけわかんないことにな
りそうだし、僕も夏休みとはいえ塾や部活で予定が埋まる。僕は会いたくてしょ
うがなくなった。ああ。でもやはり無理だ。明日も部活なんだから。

僕は夏の夕日を目に染み込ませながら溜息を着いた。それは見るには眩し過ぎ照
らすには暗過ぎた。これから僕だって戦わなければならない。『ベル・エレーヌ
』と。僕は自室のミニコンポに『ベル・エレーヌ』のカセットを入れて再生した
。軽快な近世パリの音楽だ。僕は想像していた。この曲に合わせて、一人のバレ
リーナが踊るのだ。やたらと長身で、筋肉質で、でも笑顔は幼子の様に清い。客
席はその目にも留まらぬ回転に拍手喝采だが、彼女はキョトンとして喜びもしな
い。そして仕舞いにはこう言うのだ
『私のボールはどこ?』


作楠学院吹奏楽部は部員十五名、毎回地区大会止まりの弱小部だが、みなサボっ
ているわけでもなく、雰囲気よい。僕はたった一人の打楽器奏者、そしてたった
一人の男子生徒としてきょうも勢いよく音楽室の扉を空けた。
「おはよう!せの!」

僕より一つ年下であるトロンボーンの早川美代が僕の頭を楽譜で叩きながら出迎
えた。こうも人数が少ないと先輩後輩同士の上下関係はほぼ消滅しているし、特
に僕と早川に至っては幼なじみで常に殴る蹴る等の暴行を繰り返して来たからい
までは親友のような状態になってしまったのだ。早川は僕の消えてしまった「妹
」にそっくりだった。だからといって僕が早川に恋愛感情を覚えるのかと聞かれ
たら絶対に「NO」だ。彼女は僕の姉であり母だ。それ以前にいじめっ子なのだ

「せの、今日午後から合奏。オーライ?」

「オーライオーライ。」

僕は生返事をしながら基礎練習に取り掛かった。木琴を叩く前に、小太鼓の撥で
メトロノームに合わせて机を叩く。一人だからつまらないが、これをやらないと
技量が付かない(らしい)。「せの、ズレてるよ。」
後ろでロングトーンをしていた早川が罵る。
「ズレてるかな。」

「十六分音譜に入ったところ、たっかたっかしてる。」

早川はピアノを何年も習っていたせいで、リズムや音程に詳しい。彼女は先輩
であるはずの僕を正々堂々注意した、でも気にしない。素直にそれに従えばいい
のだ。
「わかった」

「あんた、そんなんじゃコンクール金賞取れないよ〜」

早川が笑った。いやな笑いだ。だけど受け止めなければいけないし受け止めるの
は辛くない。僕は黙って練習を続けた。僕が吹奏楽部に入ったのはそこにすんば
らしい先輩がいたからである。彼はすごかった。だけど今此処で話す必要はない
ので流しておく。僕は基礎練習を終えて、鞄の中から『ベル・エレーヌ』の楽譜
を取り出し、木琴の前に立てられた譜面台に置いた。そして木琴の上に置いてあ
る『Play Wood』のマレット(木琴の撥)を左に二本右に二本合計四本握り、木琴に
向かって、僕は目を閉じた。そして僕はもう一度目を開けて、目にも留まらぬわ
けではないがかなりの早さで叩き続ける。
「はい、そこ違う。」
「がああ!うるさい」
早川の破裂するようなフラッターがやんだと思ったら、すぐに冷静な駄目出しが
飛んでくる。僕はたまらず叫んだ。
「もちっとあせらずに練習なさい。」
「はい。」

僕はもう従うほかななかった。十五人という少人数に於いては、マリンバの小さ
い音でさえ目立つ。目立ちまくる。間違えたときには直ぐに審査員の敏耳に届き
、それで点数が削がれてしまう。結果的には金賞を取れなくなり、どうなるかと
いうと、「私に殺される。(早川談)」だから僕は間違えないように練習しなけれ
ばならない。夏の日差しから隔絶された筈の音楽室に、眩しい光りが充ち溢れて
いる。音で。クーラーで冷やされている筈のこの部屋に、熱気が篭っている。音
で。僕たち吹奏楽部員は過ごしていた。一生に一度しか来ない高校生活を。外に
は森がざわめき風が飛び、潮騒が響き渡っている。僕は木琴を叩き続けた。彼女
のことを思いながら。歌いながら。

だから、僕が次の瞬間、野獣のようにいきり立ったセイに飛び掛かられ、首を思
いっきり締められることを想像できただろうか。



雷鳴が轟くような音を立てて、音楽室の扉が壊れた。


そこにはセイがいた。皆の譜面台が衝撃で倒れた。


「この浮気野郎が!!」

物凄い形相と滴る汗で周りを圧倒させながら、彼女はのしのしと僕に歩み寄った
。僕は息が停まったままだった。だから生きていたのだろうとしか考えられない
。彼女は無言で僕を平手打ちにし、次の瞬間僕の首を一思いに締めた。なぜ此処
まで冷静に僕が状況を書けるのかというと、実はその時僕はすでに失神しており
、早川がその様子を克明に記していたからだった。だから僕は彼女に平手打ちを
食わされてから彼女が涙ながらに謝りながら僕を揺すっているときまでの記憶が
ない。此処からの記述は早川に聞いたことである。…セイは錯乱しながら僕をひ
っぱたき続けたらしい。日頃バレーで鍛えている腕で力加減なく叩かれ続けた僕
の体が心配だ。そして早川を見つけるとこう罵ったらしいのだ。
『私の可愛い鉄琴を奪いやがってこの泥棒猫。あんたが大好きなこの子を殺され
たくなかったら今すぐ死んできなさいよ。あはははは!あたしは見たんだから!!あ
んたが妹尾と手繋いで帰ってたの!死ね!死にやがれこの野郎!』
しかし早川も早川で彼女得意の詭弁と修辞を振るってセイに詰め寄ったらしい。
『あんたが噂に聞いた妹尾の彼女ですか。図体でかくて狂人で収拾付きませんね
。あんたそんなことするなんて妹尾を愛してないんでしょ?信じればこそ愛はうま
れるのよ。あなたよくそれでスポーツマンやってられるわね、今すぐそんな事や
めなさい!』

その言葉を聞いてセイは顔面蒼白となった。暫く動かなくなった後、大粒の涙を
零した『…わたしにバレーを止めてと。』

それを聞いて面倒臭そうにいらう早川。

『あ…あんたにバレー止めろなんて言ってないわよ、いきなり叫びながら教室に
乱入するのをやめなさいっといってるのさ。あなたちょっと落ち着きなさい。は
い深呼吸。』
早川の指示で、何故か音楽室にいた全員が深呼吸しはじめる。
『あたし馬鹿?』

『大馬鹿。ばかばか。』

セイは相当反省したらしくその場で泣き続けた。そしてまだ意識が戻っていない
僕を揺すり続け、涙ながらに謝っていた。周りの生徒たちは何が起こったかまだ
解らない状況だったが、僕の意識が戻りセイが冷静になるにつれだんだんわかっ
てきたらしい。僕が目覚めて初めて聞いた言葉は野次である。
「ひゅ〜。あのせの君に彼女がいるなんて〜。」
僕は思った。部活の女子の意地悪さに比べたらセイなんて可愛いものである。よ
く運動部の男子にハーレムとか誤解されるが、こいつらはちがう。僕を男として
見ていない。特に早川。さて錯乱したセイはだいぶ落ち着いたものの、どうして
も京大研に帰ろうとしない。話を聞くとこの女は排球部でも何かをやらかしたら
しく、帰る場所がないのだと。
「あすから代表の合宿で、私ともう二人先輩が行くんだけど、私なんか行きたく
なくなっちゃって。それ愚痴ったら叱られてさ。」
僕は彼女を音楽室の椅子に座らせ、見学させることにした。
「だめですよ、あなたは行きたくないとか簡単に言えるけど、ほかの行けなかっ
た人はどうするんですか。」
彼女は早川に暇潰しにと渡された『ベル・エレーヌ』の総譜を見ていた。
「だって、私音楽のほうが好きなのさ。バレーより。」

そう言って彼女は総譜を持って指揮台の前に立った。すると貧弱なばらばらに練
習していた部員たちが、セイのゆらりと高い長身と睨むような目に怯えて音を止
めた。僕にも準備をするように命じて、彼女はその鍛え上げられた右腕を上げた


「まずはチューニング、トゥッティでB♭出して。」


僕は思い出した。




僕の中で時計が何万回も逆回しになった。


ああ

それは




丘の上に立っていた。海風を受けて眩しそうに目を閉じていた。真っ黒い髪を背
中まで垂らして、青白い顔をした、黒い喪服みたいなベストを着た、見上げるよ
うな長身の女がいた。目は描いたかのような切れ長の目で、唇はきつく噛まれて
いた。その女は僕を見下ろしていた。そして真っ白い頬に玉の涙が流れていた。





セイが指揮を振り始めた。あの巨躯がうなり、鞭のような傷だらけの指先が空を
切っていた。僕が度肝を抜かしたのは、彼女があの時聞かせたテープと寸分狂い
無いテンポで『ベル・エレーヌ』の指揮を振っていたからだ。僕は着いてゆくの
に精一杯だった。10分近くの大曲を、彼女は一瞬も気を抜かずに振り切ってい
る。最初の軽快なギャロップも、編制の関係でクラリネットの貞岡のソロになっ
てしまったワルツも、梶山と早川のつんざくようなフラッターも、僕と菱田の息
も着かせぬパッセージも、全てがこの女の人差し指に支配されていた。指揮者と
いうのは支配者階級だ。全てが彼に支配され、意のままに動かされる。ばらばら
だったそれぞれの『楽器』が大きな『オルケストラ』となるには彼の存在が不可
欠なのだ。それにしても彼女は何物なのだろうか。僕は休みの小節の間困惑して
いた。もしかしてあの時の人だったら。僕は降って湧いた疑問に参っていった。

曲が終わった。彼女は落ち着いたらしくにこっと僕に向かって微笑んだ後、ぱた
ぱたとどこかに行ってしまった。帰ったのだろうか。僕たち以外の吹奏楽部員は
しばし言葉を失って、その後すぐに彼女の力量について喋り合い始めた。だが早
川と僕は黙ったままで、彼女のいなくなった指揮台を見ていた。
僕は思い返していた。セイの顔はあの、雨の中で見た少女の表情になっていた。
少し暗く、そして不思議と冷たい。僕を見下ろす吸い込まれそうな曇った目と、
噛まれたくちびる。僕は思った。もしこの情景が太古の僕に刻まれた物と同じ物
だったら、僕はなんて運のいい男なのだろうか。そして同様に、本当に本当にそ
うだとしたら、唐沢星という女はなんて才能に恵まれている女なのだろう。僕は
頭の中で必死に計算をしていた。簡単な年数の計算なのに、いやにあせって混乱
してしまった。ここで僕が数学を出来ない理由が解ってくる。僕は数学に意味が
無いと感じるからできないのではなく、数学という単なる学問に末恐ろしいほど
巨大な意味を求めているからだ。それはこの難解な数学という獣を手なずければ
、全てが上手くいくと信じ込んでいて、でも余り意味が無いということが薄々解
ってきて、その希望と絶望の間でヤキモキしている自分に前に進む力などないの
と同じだ。僕は数学が嫌いなんじゃない。僕は彼に期待しすぎていたのだ。



唐沢様へ。


そんなに僕の事を心配してくれた、というのがとても嬉しかったです。でも僕の
体はあなたと違ってとてももろいので、死んじゃうような事はやめてくださると
嬉しいです。そりゃあ僕はあなたに殺されるのが本望でないわけではないけど、
お母さんが泣くので…とにかく叩くのはやめてくださるとほんとに嬉しいです。
あと、部活が空いてる日、下に書いておきます。会える日あいましょう。そっち
は恐いので、こっちで。なんか今日は怖がってばっかりでごめんなさい。死ぬほ
どあなたが好きです。愛しています。

(以下略)

妹尾








2004/07/25(Sun)20:08:25 公開 / 狂都大学文学部
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■作者からのメッセージ
続編です。少しおちゃらけてきましたね。そして私の部活がばれそうです。キョウダイ文学の正体がこの小説でわかるはずです

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