『魔物と踊る【完結】』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:村越
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「わたしは、貴方を殺します。だって、貴方を愛しているから……」
【序】
誰かが、泣いていた。
誰が泣いているのか。
何故泣いているのか。
男にとって、そんなことはどうでもよかった。
《ひとりで、子どもが、泣いている》
その事実だけが、男を突き動かす唯一の衝動。
だから、男は静かに歩み寄り、ただただ手を伸ばす。
「儂に、ついてくるがいい」
泣きじゃくっていた顔が、上を見る。
その瞳に写るは、絶望。
確かに子どもは男を視線では見てはいるが、決して彼に“向いて”などいなかった。
子どもの“向いて”いる先――その、足元に転がる肉塊。おそらくは、ついさっきまでは“母”と呼ばれていたであろう存在。瞳孔の開いた目で、天空をただ眺める、虚無という名の視線。
おそらくは、“奴ら”に殺されたのであろう。証拠に、左胸にぽっかりと大きな穴が開いている。紅い噴水が未だ健在なところを見ると、この世のものではなくなったのは本当に今しがたといったところか。
男は言う。
「泣いて何もせずはある種の勇気だろう。だが、決して勇敢とは異なるものと知れ」
子どもは、嗚咽を止めることなく相変わらず光りのない瞳で男を見る。しかし、やはり子どもは、足元を“向いた”ままだった。
男の、やれやれと呟く声が聞こえた。
そして何を思うか、男は腰に携えた刀をスラリと抜き放つ。
一体何をしようというのか。
数瞬の後、昼間の荒地に、一筋の月が閃いた。
ずぐっ、っと鈍い音。
――肉を、裂く音。
ぱきゃっ、っと乾いた音。
――脳天を、割る音。
そして、絶叫。
男が切り裂くは、足元の肉塊。醜い旋律と、淡い鮮血が、場を支配した。
叫ぶは、子どもの、“母”を思う慟哭。
男の胸元に、小さな反逆者の一撃。だが、彼は軽く体をいなすと、子どもの体は彼をすり抜けるかのように無残に荒地に転がる。
男は、鞘に刃を納めながら、静かに口を開いた。
「お前の“母”を殺したのは儂だ。ゆえに、恨むなら儂を恨むがいい。儂を憎み、仇を討つを望むならば、いくらでも殺しにくるがいい」
転んだ弾みで額でも切ったのであろう。顔面に血を滲ませながら、子どもは、黙って彼を睨めつける。その瞳に写るは憎悪。
子どもが見るは、男。そして、向く先も、男。
男は何が可笑しいのかその口に僅かな笑みをつくると、やがて緩慢な動きで踵を返した。そのまま、子どもとの距離は、ゆっくりと開いていく。
しばらく男の後ろ姿を睨んでいた子どもは、こちらもまた緩慢な動きで立ち上がり、そして――
【1】旅人
誰も年代など数えなくなった。
誰も年代など分からなくなった。
誰も年代など気にしなくなった。
――そんな時代。
いつ“奴ら”に殺されるか、そうでなくとも、いつふとしたことで自分が死んでしまうかも分からない。
――そんな時代。
“奴ら”とは。
突如大地に現れ、人を喰らうようになった、おぞましい生物、“魔物”。
喰らうはおおよそ十六、七より上の人間の心臓。見逃さるるは、齢の少ない子どものみ。贅沢といえば贅沢だが、多くの人間には脅威としかならない存在。
しかして、“奴ら”を見て、生きていた人間はいない。そう言われるほどの脅威。
誰もその存在を見たことがない。しかし、確実に人間を脅かす、“無形の恐怖”
そんな恐怖の中、人間は確実に数を減らすも、未だ滅びることはなかった。
人間の心臓しか喰らえない魔物は、人間の絶対数が減るに連れて徐々に飢餓していき、かと言って人間の絶対数も反動的に上がることもない。
時代は、生物は疲弊し、やがて互いの数の減少が引き起こした危ういバランスの上で均衡を保つようになる。まさに“絶妙”という名の均衡を持って。
それでも、ボクらは生きていく。
たとえここが、生きることと地獄を行くことが大差ない世界だとしても――
「ねえねえシズっ。今度はあっちに行ってみようよ」
荒野には似つかわしくない明るい声が蒼天を駆ける。
別れ道、左の方へと駆け出す少女。
声の主は、言うなれば元気が取り柄といった感じだ。年のころは多く見積もっても二十には届かないといったところか。動きやすそうな軽装に、うなじのあたりで縛った黒いつやのある髪が日の光を綺麗に反射させる。
「そう、慌てなくてもいいだろう」
やれやれといった感じで、シズと呼ばれた男はけれど慌てることもなく緩慢に少女の後を追う。
対する男のほうは、少女とは対照的になにやら人生にくたびれたといった風貌で、白髪に猫背。まさに老人といったところであるが、肌のつや具合からするに実は五十もいってないのではないか、といった感じを受けなくもない。
はてさて、二人は一体親子か何かか。正直知る由もないが、良く見ると、二人はともに腰に“物騒なもの”を携え、さらには背負い荷物をしている。少なくとも言えることは、おそらく旅人であろうということ。
しかし、よくこのご時世で旅などするものだ。いつ“奴ら”の餌になろうも分からないというのに。
「だってだって、こんなにも空は快晴。風はさわやか。邪魔するものは何もない。そして何よりシズはじじい。もうはしゃがない手はないってもんじゃない?」
振り向きながら、笑顔。そのままシズに向かいながら器用に後ろ向きにてくてく歩く。
「最後の理由はどうかと思うが、お前もまあ若いってことだな」
「どうかと思うじゃないじゃないのぉ。“まあ若い”なんて台詞、じじいと言わずになんと言いますか」
「ふう。いつの間にやら、言うもんになったもんだ」
「あーら、誰のお陰かしらね」
うひひ、と笑う少女。
「ところでアヤメ。お前は目がよかったな?」
どうやら、少女の名はアヤメというらしい。
「今さらそういうこと、確認取るまでもないでしょ〜? なーんか信用されてない感じがしていやだなぁ」
と、半眼でシズを見やる。
「そういうつもりではないんだが、もう少し前を向いて歩いたらどうだ?」
「ん? 前? ……あ」
アヤメが振り向いた先には、何かが見えるが、しかし、よく分からない。あえて言うなら、地表に何かの影がへばりついているような感じだろうか。その何かを、少女は見てとれるというのか。
「おそらくは街か何かだとは思うが」
「ええと……そう、だねえ。でも、多分廃墟だよ」
「まあ同然だな、この時代にまともな街が残っているとも思えんしな」
「じゃあ、今日はあそこで野営だねっ。いやたー、久々に屋根のあるところで寝れるかも。今からわくわくが止まらないよ。ねえねえシズぅ。急ごうよ〜」
「おいおい。今日はまだ半分をすぎたばかりだぞ。野営するには早すぎる」
「えええ〜。そんな殺生な〜」
「急ぐ旅なんかでもないが、そんなにだらだらする気もないんでな。儂の命もいつ尽きるか分からんしな」
「むうう。じゃあ、ゆっくり行こうっ。夕方くらいに着くなら文句ないでしょ? それに、シズもゆっくり進めばいいじゃないの。じじいみたいなこと言わないっ」
「やれやれ、さっきまでじじい扱いしていたのは誰なんだか」
「もうそんなんどうだっていいの。さあ、ゆっくり行くよ。いいの!?」
アヤメの剣幕に、ため息をつくシズ。そしてこう告げる。
「……はいはい。構わんさ。押し問答でお前に勝つ気力なんてすでに枯れ果てたわ」
「いやたっ。ありがとねじじい。さあ〜はりきってゆっくり行こう〜」
どうにも矛盾な感じのフレーズに違和感を覚えないでもないが、果たして二人は“ゆっくり”と進みだす。
しかし、本当にコロコロ表情を変える少女だ。ふくれたり、目を輝かせたり、ため息をついたり、見ていて正直飽きさせない何かを持っている。
が、特に挙げるはその笑顔。例えるなら、澄んだ青空とでも言おうか、いや、雲ひとつ無い快晴と言ったほうがいい気がする。
曇るとこともなければ、疑うことすらも知らないような、そんな少女だった。
しかし、それゆえに逆に“怖い”と思ってしまうのは気のせいか。
この、“負”ばかりしか存在しない世界に咲く、あまりにも淀みのない花。それが、逆に異質感を――不協和音となるかも知れないと思えてしまうのは杞憂であると信じたい。
【2】夕闇
二人の着いた先は、例の廃墟。
街……というよりは町といった方が正しいか。しかし村というほど質素でもない、その程度の廃墟群。
「しかし……」
シズが、呟くように言う。その視線は、なんとなくと言ったふうに中空を彷徨っている。
空は赤く染まり始め、もうすぐ夜の帳が落ちるのを待つのみとなる。ただ、夜を迎えることが必ずしも闇を迎えることとなるわけでもないことを、皆は知っている。それゆえに、人は夜を恐れる。
シズの声を耳ざとく聞いたアヤメは、ん? と振り向いた。
「本当に午後いっぱいを使って到着するとはな。ある種、これは才能といっても過言じゃないんじゃないか?」
「うひひ。寄り道の達人をなめちゃだめってことだね」
嫌らしく笑うアヤメに、シズはやれやれとため息をつく。
「何が達人か。どうすれば何もない地面にしゃがみこんで小一時間も土いじりなんぞができるのか、正直言って理解不能だ」
「むうう。シズもじじいなんだから、そろそろ土いじりでも覚えたら?」
「だからな、儂をじじいと呼ぶな。むしろ土いじりなんぞを趣味にできるお前がじじいじゃないかと最近思い始めている」
「ああ〜、その土いじりを馬鹿にした口、なんかむっかーだね。ただの土だと思ったら大間違いなんだよ。色んなところには色んな土があって、そして色んなものが生きてるんだよ」
「興味ないな」
「そうだよね〜、じじいだもんね〜、シズだもんね〜」
「ねーねーうるさいぞ、まったく」
もう一度、ため息。
「さあ、折角要望の“屋根のある寝床”に着いたんだ。夜が来る前にさっさといい場所を探すぞ」
「うい〜」
歩き出すシズのあとを、てくてくとアヤメが着いていく。
「――でもさあ、」
路地を二つほど進んだあたりか、アヤメが不意に声を上げた。
「なんか、変な感じがするねこの町」
「そうか? 儂にはとんと違和感なんぞ感じないが」
「だって、シズもうすれっからしだもんね。“感覚”なんて確かもうないんでしょう? わたしは感じるんだよね〜」
「ふむ。しかしその“感覚”は確かなのか?」
「だから〜、シズはなんかわたしのこと信用してないよね?」
「信用していないんじゃない、信頼していないんだ」
「むいい。ええと、それって屁理屈?」
「――戯言だ」
そう言いながら、シズはひとつの建物の前で立ち止まる。一軒家……というよりも、宿屋といった感じだ。
「ここはどうだ? 見たところ老朽も大したことなさそうだし、町のおおよそ中心。何かあったときの対処もしやすい。そして何より、かつての宿屋のようだしな」
「シズがそういうんならいいよ、どこでも」
「む、今回は随分聞き分けがいいな」
「うひひ。だって、わたしはシズのこと“信頼”してるから〜」
どうやら、少女の『うひひ』は皮肉じみたことを言うときに出る癖らしい。そして、
「やれやれ。まあいい。取りあえずは入るぞ」
男の『やれやれ』もまた、癖のようだ。
屋内は、外見通りといったところか。入った途端に正面に見えるカウンターに、その脇にある長椅子。その光景は、果たしてやはり宿屋であった。そんなに綺麗というほどでもないが、せいぜい埃を全体的にかぶっている程度で、崩壊の恐れも特にはなさそうなくらいにしっかりしているのが見て取れる。
ただ、奥にある階段のほうまでは流石に夕日の光は届いていなく、薄暗がりが妙に恐怖を掻き立てるのは気のせいか。
「シズの言った通り、宿屋みたいだね」
「なんだ、“信頼”してくれてたんじゃないのか?」
「あはは、していないってわけでもないんだけどね〜」
「ふ、まあどうでもいいさ。さて、部屋でも探すか」
「同感〜」
そして、二人は歩みだす。薄暗い室内の奥へ。
やがて、階段らしき空間へと到達する。上を見てみるも、暗くてよく見えないのは否めない。まあおそらくは、シズとアヤメもろくに見えてはいないだろう。
――と。
「アヤメっ、離れろっ!!」
突然のシズの叫び。しかして、アヤメは見事にその呼びかけに反応し、後方へ飛び退るあたり、正直大したものだ。
対するシズは、一歩分だけ後退しながら腰の刃を一気に引き抜く。薄暗がりに映える一筋の閃き。
――次いで。
だんっ……キンッ!!
シズの前に突如現れるひとつの影――おそらくは階段を一気に降りてきたのだろう。
そして絡みあう二つの閃光。相対する刃は、ギチギチと室内にくぐもった悲鳴を轟かせる。
こう光が少なくては、どうにも刃の反射光しか見えない。シズを襲ったは何者か。二人の戦況は如何程か。そして、アヤメは何処にいるか。
――ギィンっ、キン、キキンっ!!
物事を考える暇もなく闇に響く刃の共鳴音。飛び散る火花。見えざる意思と意志とのぶつかり合い。
長々と、二つの刃の二重奏が響き渡るが、しかして、永遠などこの世には存在しないと認識する。
――キィィィィン
澄んだ、綺麗な旋律。
そして、からん、と床に転がる無機質な反響音。
「シズっ!!」
薄闇に響く、少女の澄んだ声。そして、
「大丈夫だ」
シズの、落ち着いた音。どうやら勝者は彼のようだ。しかし息を切らしているふうもないのは、正直驚きだが。
「奇襲とは言え、儂がそうそう負けるわけがなかろうて。なあ奇襲のプロ?」
どうやらその呼びかけは、ぶうと膨れる声が聞こえてくるあたり、アヤメに向けられたものらしい。しかし、“奇襲のプロ”とはどういうことか。
「どうせわたしは未熟ですよ〜」
膨れた声を上げるアヤメの方にやれやれと残しながら、シズは今度は、
「さて。で、本当に奇襲をかけてきた貴様。一体何が目的だ?」
ちゃり、と唾鳴りが響く。どうやら“奇襲者”の首筋にでも当てているのだろう。ごくり、とその先から咽喉鳴りが聞こえた。
「あんたらが……魔物かと思ったんだ……」
擦れるような声で、言う。どうやら男らしい。
「ほう、このあたりには魔物が出る。そういうことか」
「いいや……そんなことは、ない」
「えええ〜、だったらなんでいきなり襲ってくるのさぁ。ありえない話だけど、でももしもシズがあんなんで死んじゃってたらどうしてくれたのよぅ」
膨れて、しかしどうにも真剣味の無い声。
やれやれ、と相変わらずの呟きが聞こえる。
「お前は少し黙っていろ。話がややこしくなるだけだ」
ううう、と唸る声が耳に届くが、それ以降は彼女の口からは音が生まれることはなかった。
「で、魔物が出るわけでもないのに儂らを魔物だと言ったな。ということは、貴様は魔物に無条件に怯える理由がある、ということになる」
男は、もう一度ごくりと咽喉を鳴らした。
「ああそうさ。俺は、怯えている。魔物が怖いさ、心底」
「しかし、貴様はそれでも儂に襲い掛かってきた」
ああ、と頷く声。
「たとえそれが、見たことがない脅威だとしてもな。貴様は事実、確認をとることもなく儂に襲い掛かってきたが、それは、本当に魔物だったと“分かっていても”同じ行動を取ったか?」
“魔物”を見て生きていたものはいない。荒野の原則とも言える言い伝え。それゆえに、シズは男に問うのだろう。襲い掛かってきた時点で、男の絶命はおそらく絶対になるだろうことを、問う。
しかし、やはり男は、
「ああ、そのとおりだ」
曇りの無い一言。
「そう、か」
ちゃり……
唾鳴り、それは果たして納刀の音。
「守るものでもあるのだろう。ならば仕方あるまいて」
「えええっ!? シズ許しちゃうのっ!?」
反論と、驚愕が入り混じった声。
「ああ。儂が魔物ではないと知った以上、こやつももう儂らを殺す気にもならんだろうて。それに、こっちとしても殺す理由もない。お前も考えてみるがいいさ。もし、俺が負傷していたとして、訳の分からない輩がやってきた。さあどうする?」
「うううう。多分……殺す」
随分さらりと物騒なことを言う。
「だろうて。おそらくはこやつも似た状況なのだろう。ならば見逃すも人心という奴だ。まあ、言いえて妙ではあるが」
くっく、とシズは薄く笑う。それが意味するのは一体何か。
「で、守るべくはなんだ? 女か?」
一瞬の間、しかし、その後に聞こえてくる声。
「ああ」
「そうか……」
シズが呟くと、次いで、まるで謀ったかのように、
「あなた……」
階段の方から、澄んだ音色が聞こえてきた。男の、守ろうとして、結果として守れたものが――
【3】邂逅
夕方が終わり、夕日が沈み、夜の帳が落ちてくる。
やがて、世界は赤く染まる。
赤き満月を迎え入れて――
「では、あんたらの状況を改めて少し聞いておこうか」
シズの発言に、向かい合う男が黙って頷く。
見たところの年は二十と少しといったところか。少々やつれ気味ではあるが、服の上からでも鍛えられた筋肉がうっすらと浮き出ている。なるほど、おそらく彼が先ほどシズとのチャンバラ劇を演じた人物か。
その隣には、男の“女”がしっとりと座っている。雰囲気からして夫婦ではあろうが、こちらもまた、暗がりでも分かるくらいにやつれているというのが見て取れる。失礼だが、あえて言うなら“幸が薄い”そういう印象を強く受ける。
今彼らがいるのは、宿屋の二階の広間。窓はあるが、夕日に背を向ける位置にあるため、相変わらず薄暗い。
「多分、あなた方も旅人だろう? その風貌を見れば分かる」
「ふむ。儂らを捕まえて旅人以外の何かと言われれば困惑もしようものだろうが、あんたらに対してのその発言はおかしいな。“も”というのは間違いだろうて。あんただけならまだいいが、そこの夫人はどう見ても旅をできるとは思いがたいくらいに華奢。旅など、もって一週間くらいだろう」
シズがそう言うと、女性は済まなそうにうつむき加減になる。
「あれえ、シズ。あんまり女の人いじめちゃだめだよ。結構きっついよ、その一言。まったく本当にじじいなんだから」
「思うことを言ったまでだ。こっちは一応殺されかけたわけだし、言いたいことを言うのに問題などなかろう」
むううと唸るアヤメ。そこに苦笑しながら男が割って入る。
「……お見通しというわけか。そうさ、俺らは旅人ではない。旅人“だった”。この町にくるまでは……」
「ほう。この町が旅の終着だったとな? しかしやはり疑問を覚えるな。こんな偏狭の廃墟群、桃源郷とは言いがたい気がするが」
「えええ〜、でもでも住めば都って言うかも知れないじゃん。意外と捨てたもんじゃないかもよ」
「いきなり割って入ってくるな。お前はあれだろう、会話に絡みたいだけだろうて。後で相手でもなんでもしてやるから少し黙っておれというに」
やれやれ、と言う。アヤメはというと、じじぃとか言いながらそれでも黙る。こうしてみると、怠惰な飼い主と、できの悪い放し飼いの飼い犬のように見えなくも無い。飼い主からはあまり絡まないが、飼い犬はその周りをぐるぐる回り、たまにちょっかいを出してくる。そんな関係。
「で、だ――むう。その前に名前くらいは確認しあおうか。少々不便だ。儂はシズ、そしてこいつはアヤメ」
少女の頭をぐりぐりと撫で付けながら、言う。すると、正直少し予想外の声が上がった。その主は、今しがたまで俯いて会話に入ってこなかった女。
「……申し遅れましたけれど、私の名前はハクナ。そして彼が夫のモリトです。少し無礼なところとかありますけれど、根は優しい人なんです。でも不器用な人なんです。許してあげてください」
「いえいえ、うちのシズこそ無礼っていうかじじいで申し訳ない」
「だからお前は黙ってろというに――で、話を戻そうかの。あんたらこの町で旅は終わりと言っていたな。その理由は――正直ハクナ、あんたか? 多分そうなのだろうが、しかしそれだけでもない気がするて」
「……何が言いたい?」
警戒するようなモリトの台詞。まあそれも仕方のないことか。先ほどからシズの物言いは真実を捉えていたにしてもぶしつけ過ぎる。
「要するに、だ。お荷物がもうひとつ――子どもか何かがいるのではないか、とな」
それを聞いたハクナは、目を見開いて驚愕の表情を作る。
「あなた……本当に何者だ?」
半眼で軽くシズを睨むモリト。警戒が、完全なる懐疑に変わったと見て取れる。となると、シズの言うことは正解ということか。が、当のシズは、やれやれ、と言いながら、
「アヤメから言わせるとただのじじいさ。あんたらよりも少し永くこの世にいて、少し世の中を知っている。それだけの旅人だ」
さらりと交わす。
「別に疑うなら疑えばよかろう。どうせ今日明日限りの知人だ、痛くも痒くもない。ただ言えることは、儂はあんたらをどうこうしようという気はないということさ」
確かにそれはそうだ。どうこうする気が本当にあればモリトはもうこの世にいまい。
しかし、モリトは渋い顔を中々崩さない。ハクナの言った“不器用”とはあながち嘘ではないのであろう。
そして、当のハクナも何を言えばいいのか困惑したようにおろおろとしている。
なにやら、場に深刻な雰囲気が――
「えええっ、なになに!? 子どもがいるのっ? 見たい見たい話したいっ」
ぶち壊された。
一瞬の沈黙の後、――やれやれ。
「儂も悪かったな。黙って聞けばいいものを、こっちから色々と突っ込みすぎた。やれやれだ。いかんな、どうにも口が過ぎるのは」
――「じじいってことだね」「だまれ」
「では改めてきちんと話してもらおうか」
「これは――」
シズは、室内に入った途端に絶句した。
ベッドに苦しそうに横たわる子ども。意識はないようだ。その証拠に、唸るばかりでまぶたは開いていない。
いつの間に“月”が出てきたのであろうか、室内は赤く、赤く染まっていた。
一見すると、血の色にも見えてくるから決して気分のいい光景ではない。
室内を染める赤い光。夜であるのにこの異様な明るさは、外の、天に登る丸い月が原因だった。いつの頃からか、月は、赤く大地を照らすようになったのであるが、果たして誰もその始まりを知らない。
「いつも、こういう状況なのか?」
こういう、とはおそらく意識が無い状況のことだろう。シズの静かな言葉に、後ろからついてきたハクナが答える。
「日中はまだ意識があることが多いのですが、夜になると、このように昏睡状態になることが多いです……」
「そうか……」
生返事。そして、むうと唸る。
「ひとつ忠告だが、この子ども――ミツキと言ったか――は、ずっとこの部屋で寝せているのだったな?」
無言で頷くハクナ。
それを見てシズは、やはり、やれやれと言い放つ。
ここで状況を整理すると、
二人の話によると、モリトとハクナは元々普通の村人だった。その中で、子どもを身ごもり、やがてミツキと言う名でこの世に生を持つことになったらしい。
幸せな家庭を、築くはずであった。しかし、それはあくまで、ミツキが“話せるくらい”の歳になるまでの話だったと。
しかして、ミツキは一向に言葉を覚えなかった。それどころか、まったく口から音を出すことができない。
――忌み子。
やがてミツキは、そう呼ばれる。そして、忌み子の運命は、
――理不尽な、死。
モリトとハクナは逃げた。ミツキを連れて。
しかし、齢の低い子どもに、か弱い女性。どうなるかは明らかだった。
妻の疲弊と、子どもの行き倒れ。そして現在。
現状は子どもの状況が見てみたいとシズが言ったので、ハクナが案内人として着いてくることになったのだが、無論アヤメも着いてくると言い出すに決まっていた。
そこはどうせ話せないだろうという状況を諭すと、しぶしぶ諦めたようだった。
そういうわけだ。
「この部屋のベッドが一番まともな状況だったので……」
シズの質問に、あくまで穏やかにハクナは答える。
「ベッドなどの問題では決してなく、すぐにでもこの部屋はやめたほうがいい。窓が大きすぎるし方角も悪い。できれば小さい北窓の部屋がいい」
シズの意図するところはなんなのか。北窓といえば、最も日当たりの少ない格下の条件ではないか。
ハクナもそれを感じたのか、困惑した表情を作る。
「そう警戒するな。さっきも言ったが、別にとって喰おうってわけでもない。言うとおりにしたければすればよい。したくなければしなければよい。これは“忠告”だ。“命令”ではない」
シズにしてはおそらく大分柔らかく言ったつもりだったのだろう。が、ハクナはまだ表情を崩さない。
「ええと、私だけの一存ではモリトに悪いですから……少し、話し合わせていただけますか?」
「……まあ、好きにすればいいさ」
やれやれ――は出なかった。
ぐぐぐうウうううぅぅうぅおおおおおおおおぅぅぅぅぅぅ――
地の底から響くような、叫び。
しかし、それは決して地の底からなど響いてきたわけではなく、明らかに窓の外から聞こえてきたものだった。
「シズっ!!」
広間に戻った途端の出来事に、アヤメがシズの名を呼ぶ。その表情は、さすがに少々心配そう――
「なんかなんか、叫び声が聞こえたよ。しかもあれ絶対近いって。狩る? 狩る?」
――なものなど微塵も無い。むしろ嬉々としているように思えるのは気のせいか。
しかし、対するモリトは、
「まさか……魔物?」
緊張した面持ちで、呟く。その声を聞いたハクナは、怯えたような表情でモリトを見やった。その視線にモリトは引きつった笑顔で、大丈夫だと言うが、怯えた表情は裏には隠しきれない。
「殺るなら手伝うが?」
突然のシズの発言に、目を見開くモリト。脇でやったー狩りだーとか言うアヤメを無視しながら、続ける。
「儂らに襲いかかってきたくらいだ。当然今回も行くのだろう? ならば共闘のひとつでもしたほうがよかろうて」
「あなたほどに強い人の手助けなら正直ありがたいが、本当に……いいのか――」
おそらく、口に出さない最後の一言は『相手は魔物かもしれないんだぞ?』。しかしシズは動じることなく、
「ふん。こちとら久々に赤い光から逃れた寝床を確保できたんだ。せめて安眠くらいさせてもらいたいのでな」
「そうそう、じじいって言ってもシズは強いし、それにわたしだって――」
「お前は留守番だ」
「えええええっ。何それ、横暴横暴っ!! いい加減にわたしにも活躍させろー。じじいばっかり活躍したって誰も喜ばないって。ほら、モニターの君もそう思うよね?」
読者を味方につける気らしい。
「妙なことを言うな。ちゃんと役割は与えるさ」
「ぶうう。つまらない役割だったら本当にきれるかんね」
「そういうことはまさに裸でなんかカタカタやっているモニターの前の奴に言え」
創造主に喧嘩を売っているらしい。
「まあそんなことはどうでもいい。お前はハクナとミツキを見ててやってくれ。絶対下には来ないようにな」
むううと膨れっ面で唸りながらも、アヤメは承諾したようだ。
「で、結局お前はどうするのだ? 別に来なくても儂はいくぞ」
「……無論、行くさ」
少々震えたような声で、モリト。
「助太刀どころか、お守りまでしてもらえるとは……素直に、感謝する」
「ふ、礼のひとつも言えるではないか」
「褒め言葉と受け取っとくよ。でもどうする? どう攻める?」
「さっきのお前のような奇襲はよろしくないな。こっちは折角の二人なんだ狭い区域で戦うのはもってのほかだな。もっと有効な手で行くのがいいだろうて。例えば――」
宿屋から躍り出るひとつの影。その人は、モリト。
目の前にいるは、人の三倍はあろうかというほどの巨体。
全身に隙間なく生えた硬そうな体毛。
地面についた四本の足の先には、鉄板をも切り裂くであろう、刃のごとき爪。
大きく裂けた口からは、鋭利な牙、見るからに獰猛そうに涎などを垂らしていた。
言うなれば、一回り大きな熊といったところか。
赤い月に照らされた“それ”は、より一層威圧感をかもし出しているような錯覚を覚える。いや、錯覚などではないのではないか。
しかし、幸か不幸か、モリトにはまだ気づいていないらしい。のそのそと歩きながら、たまにグルルと唸るさまが、逆に恐ろしさを掻き立てるものだ。
「魔物っ!!」
モリトが、叫びながら剣を抜く。
“そいつ”は、果たして振り向いた――
【4】絆
「むうう……ヒマぁ」
シズとモリトのいなくなった広間。ちょっとした机に腰掛け、足をぶらぶらながらブウたれる一人の少女、アヤメ。しかし、どうにも背格好と発言がいまいちイメージと一致しない気がするのは気のせいか。
それにしても飽きやすい少女だ。シズとモリトが広間から消えてからものの二分ほどしか経っていないというのに。
対する大人な女性、ハクナはというと、なにやらおろおろと広間の端を行ったり来たりとしている。
「ねえねえ、ハクナ〜ヒマじゃない?」
えっ、と言いながらアヤメのほうに振りむく。それはそうだ。心配にヒマがない彼女を捕まえて何がヒマか。
しかし、少女にはヒマ=平和という図式が存在しないのか。
「するよぅ。けど、私はその平和って奴がいまいち好きじゃないんだよね。退屈はわたしにとって絶対悪ってやつ」
うひひと笑う。
ということらしい。――って、突っ込まれた!?
「だからさあ、なんか話しようよ。わたしはあんな、すれっからじいっと違って一日二日しかない知り合いだって話とかしたいんだよね。まあ、話した内容なんてすぐ忘れちゃうんだろうけどね、うひひ」
ヒマが潰せればいい、そういうことか。
「ああ、あとそんなにおろおろしなくても大丈夫だよ。モリトはともかく、シズがまけるわけ無いからね。きっとすぐに帰ってくるよ。だから、話しよっ」
にんまり笑うアヤメに、ハクナは少し困ったように笑いながら、それでも、
「確かに……アヤメさんの言うとおりですね。心配していても仕様がないと言えばそうですもの」
「でしょでしょ? ……でもさあ、ハクナは本当にモリトのことが好きなんだね。そんなに心配するくらいなんだから」
それと、息子さんもだよね。と付け加える。
対するハクナはなんの迷いもなく、
「ええ、それはもちろんです。大事な人と……大事は我が子ですもの。そういうアヤメさんこそ、シズさんのこと随分慕っているのですね。そんなに信頼しているくらいですもの」
「うひひ、そりゃあね。だってじじいだからね」
相変わらず“じじい”は外せないらしい。
「でも、少し気になっていたのですが、アヤメさんはシズさんの娘さんかお孫さんなんでしょうか?」
「ふぁいなるあんさ?」
「?」
「ざーんねん」
よく分からないのりだが、どうやら違うらしい。
「どういう関係か、知りたい? っていうか、話したい。いいかな?」
「……ええ。もちろん構いませんよ」
「やたー。じゃじゃじゃん。じゃあ話すよぅ。ええと、衝撃的事実の第一弾っ。シズはわたしのお母さんを殺した」
「!!」
このハイテンションで一体何を言い出すのか。正直驚きを禁じえない。それはハクナも同じらしく、目を見開いてただただアヤメを見つめている。
しかし、アヤメはそれを気にする風もなく言葉を紡いでいく。
「そして第二弾っ。わたしはシズの命を狙っている」
「…………」
少女の口から紡がれた“それ”は、果たして真実なのか、正直疑わしいものがあった。アヤメは、確かにシズを慕っていて、けれど親の仇で、それゆえアヤメはシズの命を狙っている。そういうことを言ったのだ、彼女は。あの、親しそうに話す二人は嘘だったというのか。
「正直、私は話がよく――」
「あ、ゴメン。狙っているっていうの、嘘」
「〜〜〜〜」
「でも、“狙って”はいたんだよね。言葉ってむつかしいー。ゴメンね、わたしあんまり口うまくないからさあ」
うひひと笑うアヤメに、苦笑しながらいいえいいですよ、とハクナが答えた。本当にいいですよと思っているかは謎だが。
しかし、過去形にせよ、現在形にせよ物騒なことには変わりない。一体、彼女の言わんとするところはなんなのか。
「わたしとお母さん、昔二人で旅してたわけ。で、物語はいきなり急転直下!! シズがでてきてさあ大変。そいで、目の前でお母さん殺しちゃってさ。もちろん許せるわけないでしょ? で、はじめは仇を討つんだっていっつもシズの背中を追いかけながら奇襲ばっかりかけてたんだ。でも、さすがはじじいだよね、伊達に長年旅してないって話で、いっつもわたしは返り討ち。そのくせ全然反撃してこないしさあ、挙句の果てに飢えて餓えて仕方が無いときに、食料まで与えてくれたりで……まあ、始めは食べようとはしなかったけど……でも、うひひ。ほらねえ、“人はパンのみにて生くるにあらず”って言うじゃん」
その言葉は意味が違う。
「でさあ、食べたりとかしたんだけれど、いつだったかなあ、ふと知っちゃったんだよね。っていうか、気づいたっていうか……。なんでシズがわたしに“そういう”態度を取るのかって。そしたら……へへ、一気に好きになっちゃった」
まあシズがわたしを好きかは分かんないんだけどねーと言いながら、珍しく、少し照れた様子のアヤメ。それほどまでにシズを慕っているというあらわれか。
しかし、仇をいきなり好きになってします原因とは一体何なのか。余程大きいことを隠しているような物言い。
黙って聞いていたハクナは、目を細めながら、
「いいですね、そういうの……。でも、“なんで”っていうのは、どういうことだったんです?」
「うひひ。それは秘密だよ。って言うか、知らない方がいいことだと思う。シズも、同じこと思っていると思うし。だから、シズは“そういうこと”あんまり二人に話してないんだよ、きっと」
正直、言いたいことが分からない。暗がりに真実を隠しすぎているせいだろうが、それにしても漠然としすぎている。もちろんハクナも同じような状況なのか、少し困ったように視線をもてあそんだりしている。
「ええと……どういう反応をすればいいのか分からないですけれど……。でもはっきり言えるのは、シズさんはきっとアヤメさんのこと、ちゃんと大切に思ってくれていると思います」
「そう……かなあ? だってじじいだし」
「年の差ってことですか? そういうのって、関係ないと思いますよ。だって、アヤメさんはこんなにもシズさんのことを想っていて、シズさんはアヤメさんと旅をしているじゃないですか」
「――罪滅ぼし」
「え?」
「ん、いややん。なんでもないっすよ、アネサン。ととと、わたしも実は聞きたいことがあったり」
「? なんですか?」
「息子さん――ミツキ君だよね――、本当に愛されてる?」
ハクナは一瞬目を見開くが、けれど、
「愛してますよ、もちろん」
笑顔。しかし取り繕った、という感じは見受けられない。先ほどの表情は一体なんだったのか。
「むふふう。ちゃんと質問に答えてくださいな。わたしは“愛しているか”と聞いたんじゃなくて、“愛されているか”って聞いたの? 分かるかな〜?」
もう一度、驚愕の表情を作る女。
――沈黙。
――ため息。
「分かって……しまうのですね……」
「うひひ。わたしを舐めてもらっちゃ困ります。伊達に土いじりの名人をやっているわけではないのである」
「…………」
「あれれ、ほらハクナ。ここつっこむとこ、つっこむとこ」
「え?」
キョトンとする、ハクナ。
対するアヤメは、むいいいと唸り、「やっぱりシズがいないと駄目だぁ」とか呟いている。しかし彼女は逞しかった。何故か一発頬を張る。
「じじいがいなくたってへっちゃらだい。だからわたしは話を進めるよ、いいね?」
「あ、はい、どうぞ」
相槌を打つハクナは、深刻な話をしているはずなのに、もはやアヤメに振り回されっぱなしである。この会話の脈絡の無いペースはアヤメ以外ではキツイだろう。それだけやはりシズの存在が歯止めとして大きいということか。
「はっきり言ちゃうと、モリトはミツキのこと愛してないでしょ?」
さらりと、本当にさらりと言う。そして、無言で頷くハクナ。それを見たアヤメはえへんと胸を張った。
「やっぱりねー。だってさあ、ミツキのこと話すときのモリト、なんか機嫌悪そうだったし、それにシズとハクナがいないとき、ずっとハクナの心配ばっかしてたんだよ」
息子を愛していない父親。
しかしそれでも見捨てずにこの町で二人を守っているというモリトは、それほどまでにハクナを愛しているということか。
ふと、アヤメの表情が、憂いものへと変わる。
「望まれない子ども……か。悲しいよね、それ。とっても」
いきなりのその言葉には、一体どのような意味が含まれているのか……。
そのとき。
グゲアアアぐがガガガァァァァああぁぁああああア――!!!!
聞き覚えのある、絶叫。
ハクナがアヤメを見やる。
視線に気づいたアヤメは、笑顔で、
「多分、仕留めたんじゃないかな。だいじょ――」
言葉の途中で、表情が豹変する。見たことのない、緊張を一杯に広げたアヤメ。
それを見て、唾を飲むハクナ。
そして、少女は呟く。
「ミツキ、は部屋だよね?」
「はい、そうですけど……」
「シズに、なんか言われた?」
「え?」
「様子とかでもいいし、部屋のこととかでもいいし、なんだっていいから」
「あ……はい。言われました。確か……『北向きの小さな窓の部屋に変えろ』と」
「!! ……それで、変えた?」
「いいえ……モリトに一応相談してからという話になりまして……」
「変えてないんだね?」
「……はい。そういうことに――」
「なんで愛してもいない人に相談なんかしようとしたんだっ!!」
広間に、絶叫にも近い叫びが轟く。その表情は、人をも殺してしまいそうなそれ。
ハクナは、ただただ驚愕を作ることしかできなかった。
「手遅れになってからじゃ遅いんだっ!!」
叫びながら、アヤメはもう走り出していた。
一瞬呆けるハクナだったが、母は強しか、すぐにはっとしてアヤメの後を追いながら、
「あ、案内しま――」
「いらないっ、“感じて”るからっ!!」
足音を残した広間に、やがて静寂が訪れた。
アヤメが部屋を空けた瞬間、視界には“あか”という色彩しか入ってこなかった。それほどまでに、今宵の月は“強”かった。
あか、あか、あか。
ひび割れた床も、ホコリっぽい机も、無人のベッドも、そして――
「……ミツキ」
アヤメの背後から、母の声。
窓枠に食いつき、食い入るように目下の光景に身を乗り出す少年も。
「ミツキっ!!」
叫びながら、アヤメを押しのけ、息子に駆け寄り、窓から引き剥がし、そして抱く。始めはきつく、徐々に優しく。
アヤメは、ゆっくりと窓へと歩み寄り、そして、下を見る。
あか、あか、あか。
宿屋の壁も、ところどころ剥げた石畳も、二人の男も、そして――
違う、あか。
首を切り落とされた――
“生命”と言う名の、あか。
けものの、血も――
びくっ、と、アヤメが震えた。
身の毛もよだつ。そういう震え方だった。
即座に振り向き、叫ぶ。
「はなれてっ!!」
しかし、おそらくその叫びは、遅かった。無駄だった。意味を持たなかった。
背を向けた母。
その影で、見えない息子。
抱き合う親子。
その色は赤。
ほほえましい光景。
けれど、それを打ち壊すひとつの違和感。
母親の背中から――
「うあああああああああああああああああああっ!!!!」
少女の絶叫。
――手が、生えていた。
【5】魔物
手が、震える。
ガタガタと、情けなく震える。
握る刃が、震える。
カタカタと、狙いを定めることなく、震える。
足が、震える。
けれども、大地への執着を解くことなど決してなく、震える。
視界が、震える。
恐怖が原因だろうか、視点が巧く定まらず、どこを見ればいいのか分からず、震える。
全身が、震える。
目の前に広がる光景、俺自身の状況、そして、対峙する“それ”から逃げ出したいと説に思い、震える。
激しい鼓動。
でも、その音も俺自身の荒々しい呼吸音で聞こえない。
分かるのは、心臓が俺の胸から飛び出してしまうほどに暴れまわっているということだけだった。
眼前にはおぞましい異形が、涎を垂れ流し、俺を今にも襲わんとしている光景が広がっている。
まるで他人事だ。
――何を馬鹿な。
これは現実。
目の前のケモノが、俺を殺そうと、二足で立ち上がり、右腕を振り上げ、その刃のようなツメが赤い月光を反射しているという、現実。
――はっとする。
ブゥゥゥオンンっ
風が、頭上を薙いでいった。
今更ながら、戦慄が走る。
一瞬。ほんの一瞬屈むのが遅かったら――
「ぼーっとするなっ、後ろへ跳べっ!!」
頭上。はるか頭上から、声。
それに導かれるがままに後方に飛び退る。
――石畳の床が、まるで爆発するかのように弾け飛んだ。数瞬前まで地面と呼ばれていたものたちが、花火のように宙を爆ぜていく。
その中心に、黒い……けれど月光に赤く染まる影が、いた。
ぞくり、という感覚と、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
二撃。この一瞬の二撃で、へたをすれば俺は二度、死んでいた。
一撃目は頭をはねられて。
二撃目は頭ごと潰されて。
頭上からの声――あの旅人――に感謝する。
改めて間合いを取り、剣を中段に構える。そして一回、深呼吸。
今の一連のことで今更ながらに実感した。一瞬の気の迷いですら“死”という結末に直結するということに。
「忘れるな……今、俺は魔物と対峙しているということを……。気を、入れろ」
――死にたくなければ。
――妻を守りたければ。
「くっそう、一体いつまでこんなこと続ければいいんだよっ!!」
毒づきながら、何度目かの横っ飛び。次いで、今まで俺のいた場所に現れる黒い侵略者。そして、飽きずにグルル、と唸る。
何度この必殺の一撃をかわしたことか。
――そんなことはどうでもいい。
確かなのは、この一撃一撃でいつ俺の命がなくなるのか分からないこと。そして、いつになっても“援護”が来ないこと。
再び間合いを取りながら、これまた何度目かの構えを取る。
あいつ――シズという旅人は、魔物を見るや否や、確かに俺にこう言った。
『むう……厄介な相手だな。さて、じゃあ少しの間、一人で時間を稼いで……というか奴の気を引いてくれ。隙を見て儂が上から奇襲をかける。そうだな――あれだ。あの窓の周辺から離れすぎないように頼む』
そう言って再び宿屋の中に消えていったのだ。そして、その“あの窓”はちょうど今の俺の立ち位置の真上にあたる。
しかし、そこに人影なんざ見えやしない。
――くそったれ。
魔物が、再び俺に向き直る。
「ちぃっ」
体を緊張させ、襲撃に備える。これまでで分かったこと。この魔物の“利き腕”みたいなものが左腕であること。大振りはまちがいなくと言っていいほどに左の一撃。だから、体勢は俺は常に右側を意識する。
そして、大振りが来ると左に向かって飛び退る。
今回もそうするはずだった。しかし――
ぐっ、と力を入れた右足が、ぐらりと揺らぐ。
「!!」
瓦礫を、踏んだ。
体勢が、揺らぐ。
体が、地面に転がった。
顔を上げる。
――ギイイイイィィィィン……
刃と刃がぶつかり合う。ギチギチと悲鳴を上げる愛刀。
さっきも同じようなつばぜり合いをしたが、今回は相手の力が段違いだ。片手を柄に、もう片手を刃の端を支える形で、俺はただただ耐える格好になっていた。しかし、こんなこともいつまで続けられるか。刃が折れるのが先か、俺が耐えられなくなるのが先か。
――状況は最悪。
しりもちをついた体勢で逃げることなんざできっこない。さらに、俺は両腕がふさがっている。一体この状況で何ができるっていうんだよ!!
ふと、気づく。
――魔物は、左腕しか使っていない。
何故気づいたかって?
魔物が、
「グウルルルルゥゥゥ」
左腕に体重を乗せたまま、
「ち、ちくしょう……!!」
右腕を振り上げたからだ。
――ズドムっ
“何か”が切り裂ける音。地面を転がる俺の体。
「がああっ!!」
そして、激痛。
左肩から、失われていく、俺の命……。
「…………」
しかし、いつまで経っても“死”という幕は下りてこない。
何故か。
確かに切り裂かれてはいる。だが、浅い。袈裟がけに一気に切り裂かれたと思っていた傷は、胸のあたりで止まっている。それに、痛みはするが左腕はなんとか動く。
「ぼーっとするなっ!!」
――声。さっきと同じ、声。
はっとする。
反射的に俺は起き上がった。
目の前に広がる光景。白髪の剣士と、異形の巨体。
そこに繰り広げられる映像に、完全に魔物を翻弄する俊敏な動きに、思わず見入る。間合いが詰まったかと思えば、一筋の閃きを残して、また離れていく。魔物はその動きに追いつこうと腕を振るが、捕らえるのは空気のみ。
いつしか、彼に振り回された魔物は足をもつれさせ、地面にずずん、と倒れこんだ。そして俺のもとへと駆けてくる旅人。
「おい、貴様。やる気がないのか」
開口一番の、皮肉。
「……あ、ええ、いや、そんなことはねえよ」
ずきん、と痛む左腕を無視しながら、剣を持った手で言い訳染みたことを言ってみる。
「ていうか、あなた一人でもなんとかなったじゃないか」
俺がそういうと、シズはやれやれ、と、
「どこを見ている。まだ仕留めてなどおらん。足をもつれさせて転んだだけだ」
「……あ」
確かにそうだった。男の背中越しに、もぞもぞ動く影が見えた。
「まったく、貴様を助けてなんぞいなければ今頃は完全に仕留めていただろうに」
やれやれというシズに俺は、
「助けた? ……よく言うね。いつまで経っても援護に来なかったあなたに言われたくない」
「ふんっ、誰が“援護”をすると言った? 儂は“奇襲をかける”と言ったはずだ。必殺の奇襲をな。それが、貴様のおかげで右腕を持っていくだけで終わってしまった」
「なに……?」
気づく。
俺が、こんなにも軽傷で済んでいる理由。
首を切り落とすための“奇襲”が、魔物の一撃を鈍らせるための“援護”で終わってしまったということか。
「理解したか。でだ、奴の息の根を止めるには、首を切り離すのが最も手っ取り早い。しかし奴らは頚骨が恐ろしく頑丈で太くてな。通常の剣戟などでは困難だ。だから重力を借りて切り離そうと思ったというに……」
「また、登るか?」
「まったくやれやれだ。貴様はその腕で一人でまた奴の相手が出来ると言い張るか?」
「……はは、無理だな」
「だろうて。出来ないことを口にするは愚か以外の何物でもないと知れ」
「痛い言葉だね。だがそれならどうするっていうんだ?」
「ふむ。だから貴様の手を借りたいと言っている。いや、借りるのは手などではないがな」
「――?」
「まあいい。説明などする暇はない。黙って俺の指示に従え。見ろ、奴がようやっと起き上がった」
シズの肩越しを見やると、なるほどのそりと起き上がる異形が見えた。何故これほどに時間がかかるものかと疑問に思ったが、すぐに謎は解ける。なぜなら、奴は“援護”の際に右腕を使えなくなっているから。
「さあ、いくぞ」
シズが、低い声で唸った。
――ついて来い。
シズはそう言って駆け出した。
だから、俺は後をついて走り出す。
ドスドスと、鈍く、けれど決して遅くはない足音が背後をつけてくる。
角を曲がる。宿屋の角を。
一層強い、月明かりが視界に飛び込んでくる。一瞬目が眩む。
「振り返れっ!! そしてしっかりと踏ん張れ!!」
――声。
考える間もなく、反応は出来た。
軽く目が慣れたと思った瞬間、目の前に迫る異形。一瞬ぎょっとするが、奴も瞬間的に目が眩んだらしい、焦点定まっていないように見えた。
そのとき、背中に衝撃。まるで蹴り飛ばされたかのような――いや、実際蹴り飛ばされていた。そして、蹴り飛ばした本人は、天高く、舞い上がっていた。
なるほど、そうして重力を得るというわけか。
「ぼーっとするなっ!! 奴のガードを払えっ!!」
はっとする。
確かに、視界を取り戻した魔物は動く左腕で頭上からの奇襲に気づき頭部を覆っていた。
「があああああああああああっ!!!!」
痛みを振り切り、叫ぶ。両手で魔物の左腕を、下段から、
ずぐっ!!
“刎(は)ね”た。
そして、
グゲアアアぐがガガガァァァァああぁぁああああア――!!!!
絶叫。
ドンッ!!
飛ぶ、首。
迸る、鮮血。
世界は、果てしなく、あかく、染まった。
「やっと……終わった……」
首を失っても未だビクビクと震える巨体に息を吐きながら、俺は地面にへたり込んだ。
対するシズも、宿屋の壁に背を預けて座り込んでいる。何も言ってはこないが、二度もあの高度から落下したのだ。意外と体に響いているのではないか。
「しかし、まさか魔物相手に生きていられるとは、正直思わなかったな」
痛む左肩をさすりながら言うと、シズのやれやれ、という声が聞こえてくる。
「一つ、言っておきたいのだが」
「ん? なんだ?」
「こいつ――」
魔物の首を、顎で示す。
「魔物などではない」
「!! ……はあ?」
「グリズリーという、熊の変種だ。本来熊は雑食の種族だが、こいつは変種で肉を主に好む。厄介な相手ではあるが、それだけだ。おそらく、今日の赤い月で興奮でもして彷徨っていたのだろうな」
「ちょ、ちょっと待て、あんた、こいつを魔物だって――」
「言った覚えはない。勝手に貴様が“魔物”と呼んでいただけだろうて。確かに否定はしなかったが、決して肯定もしなかったはずだ」
「な、しかし、それにしても――」
「納得がいかないなら、今一度魔物の伝承を思い出してみるがいい」
伝承。荒野に伝わる、おぞましい魔物の、噂。
「……見て、生きていたものはいない」
「そこではない。何をするか、を思い出せ」
“何”か?
人が、“奴ら”を恐れる理由。
「心臓を、喰らう」
「そう、それだ。で、どうだ? “こいつ”は心臓を狙ってなどこなかったろうて」
「……確かに」
常に、異形は俺の“絶命”のみを狙っていた。主に、部位をあえていうなら、頭部。
「なら、魔物ってのはいったい……」
「知る必要もあるまいて。いや、知らないほうがいい。知ったら、貴様は――」
何だと言うのか。
しかし、期待した“何か”は目の前の男から発せられることはなかった。
「――いや、これもなしだ。やれやれ、年は取りたくないもんだな。どうにも口数が増えがちだ。まったく、アヤメの言うとおりに本当にもうじじいかも知れんな」
「おい、そこまで言いかけてそれはないだ――」
――うああああああああああああああああっ!!!!
絶叫が、響いた。
その音源は、頭上。宿屋の二階。
「一体何が――」
大きな舌打ちが、耳に届く。それは、シズの舌打ち。
「しまった……まさか、あの部屋の真下だったとは……」
はっとする。
あの部屋は、ミツキの部屋。
今の絶叫は、女性の声。
頭の中で、“何か”が弾けた。
俺は、考えるよりも先に駆け出していた。
背後で何かを叫ぶ声が聞こえた気がしたが、よく覚えていない。
くちゃ、くちゃ、くちゃ……
目の前に広がる、信じられない映像。
くちゃ、くちゃ、くちゃ……
部屋の隅で、膝を抱えてガタガタ震える少女。
くちゃ、くちゃ、くちゃ……
“何か”を、貪る少年。
くちゃ、くちゃ、くちゃ……
一番初めに気づいて、けれど、自分の中のどこかできっと違うと、そう信じたかった事実。
くちゃ、くちゃ、くちゃ……
仰向けで、瞳に、光の無い妻。
くちゃ、くちゃ、くちゃ……
胸に、穴を開け、赤い世界に、けれど異彩の赤を広げていく、守りたかったもの。
くちゃ、くちゃ、くちゃ……
『魔物が喰らうは、人の心臓』
くちゃ、くちゃ、くちゃ……
少年――息子の喰らうもの、それは、大切な人の――
「ハクナああぁぁぁぁっ!!」
【6】アイノカタチ
我が子らよ。
この永劫にして、儚き世界を行くものたちよ。
生きていくことが地獄と知りつつも、立ち止まることを知らない、愚かで、しかし美しき生命よ。
もう、ボクは無粋な真似はしない。自分らの思うがままに、何にもとらわれることなく生きろ。
だから、ボクは傍観者になろう。
あるがままの結末を、見届けよう。
だから、せめて思うがままに、生きろ。
ボクらが、一体どこへ行こうというのか、その道しるべになってくれることを、切に願う。
それが、ボクの“アイ”だ。
体が、震えた。
震えが、止まらなかった。
なんでだろうと思うけれど、そんなのは明白なんだ。
だって、さっきまで、一緒に話していた――
くちゃ、くちゃ、くちゃ……
母親が、もう、この世にいないのだから。
だから、震えは止まらない。
――なんで、殺したの?
愛しているから?
愛されていなかったから?
月に……魅入られたから?
――なんで、殺されたの?
愛していたから?
愛してあげられなかったから?
親、だから?
いたい、あたまが、いたい。
愛しい人が、殺される。
愛しい人に、殺される。
――なんだろう。
どこかに、どこかで置いてきたような感覚。
……どこでもいい。きっと、いらないものだったから置いてきた。もういらない。
でも、なんか、すごく悲しい。
愛しい息子を抱きしめた。
愛しい親を、手にかけた。
酷く、切ない。
愛しい人?
誰の?
わたしの?
――じじい。
――シズ。
愛しい人が、殺される?
――嫌だ。
愛しい人が、殺される?
――絶対に、嫌だ。
一体誰に、殺される?
――嫌だって言ってるの!!
じゃあ、わたしはどうするの?
「くっ、そ。いい加減年は取りたくないもんだな……」
壁に体重をもたれさせながら、階段を一段一段、昇る。
まったくもって、老体がこんなところで役立たずとは思いもよらなんだ。
「あんな衝撃の一つや二つでガタが来るとは、いやはや皮肉なもんだ」
自身に、毒づく。
いや、これは戯言か。
“あんな”などという衝撃ではない。常人なら足の骨の一本でも持っていかれてもおかしくない。それほどのものだった。
儂自身が、急がなければいけない状況で、こんな急ぎ方しかできない。それに対する皮肉だというのだ。
「まったくやれやれだ」
思考も本当にじじいになってしまっているらしい。皮肉のひとつでも思うくらいなら前に進むことに労力を使えというに。
いや、これも、戯言だ。
冷静さを欠いてどうするか。
おそらくは……いや、確実に、階上には“魔物”がいる。
遠い記憶が、儂の“何か”を刺激する。
まったく、自分の甘さに、嫌気が指すだけだ。
――何故ミツキを無理矢理にでも移動させなかった?
――何故ろくに場所を確認すらせずに、グリズリーを仕留めた?
――何故アヤメを目から放すような場所に置いてきた?
襲撃など、予想すらしなかったから。
咄嗟のことで、頭を回す余裕などなかったから。
赤い世界の中で、刀を握らせたくなかったから。
言い訳はいくらでもできる。
しかし、それはどんなものであろうと所詮徒労だ。事実は無慈悲に目の前に広がり、そして、無感動に流れていくのみ。
だから、儂はせめて、今できるだけのことを、する。
階上から、狂ったような叫び声が聞こえてきた。
そして、一人の女性を、ひたすらに、一途に、呼び続ける、声。
息子の名くらい……呼んでやれ、阿呆。
――戯言だ。
“魔物”。
月がいつしか赤く染まり始めた頃から現れ始めた存在。
“奴ら”は人の心臓を喰らう。
狙わるるは、ある程度齢を重ねた者たち。
子どもは、対象外。
何故か?
部屋についた儂は、その光景を呆然と見やった。
相変わらず、世界はあか一色。
月明かりのあか、そして――
窓際で、膝を抱えてガタガタ震える少女。
なんとか無事のようだ。“何事もない”というわけではなさそうだが、今何とかするべくは――
視線を、もっと自分よりの方へ移す。
「“また”――間に合わなかった、か……」
無感動に、呟く。いや、無感動を装っただけだ。
視線の先――地面に伏す、二つの肉塊。“何か”を喰らう、一つの子ども。
――子どもが、“魔物”になるから。
何故、“魔物”になるのか
あか――血の色、月の色。
生命を脈動させる、興奮させる、色彩。
あかい血に、あかい月に、魅入られるから。
だから、子どもは“魔物”になる。
愛する人を欲するため、愛されない人を憎むため。
何故、心臓を喰らうか。
それが、人間の“核”だから。全てだから。“アイ”だから。
だから、“奴ら”は親という心臓を喰らう。
そして、喰らったのちは――
ゆらり、と立ち上がる魔物――ミツキ。
その手には、いつの間に拾ったのか、モリトのものだったと思わせる権が握られていた。
緩慢な動きで、視線を宙に彷徨わせ――儂を、見る。
――違う“アイ”を、求める。
儂は、内心ほっとしていた。
奴の注意がアヤメではなく自分に向いたから。
おそらくは儂のほうが、親に近い感じがしたからであろうが。
――足にガタが来ているからといっても、目覚めたばかりの“魔物”なぞに負けはせんよ。
「しかしまあ、骨が折れるには違いないが」
やれやれ、と刀を構える。
殺しはしない。それをせずとも、救うことはできるから。アヤメも、その一人だったから。
魔物は心臓を喰らう。しかし、心臓しか喰らわない。
もし、心臓を喰らえなければどうなるのか?
人間に、戻る。
一時的な興奮状態が、いわゆる“魔物”の形態。それを押さえ込めば、魔物は、死ぬ。
「だから、儂は魔物を殺す。それが、儂の生きる意味。断罪……いや、贖罪の、旅だ。ミツキ……お前を、止める」
――ギイイイィィィィン
あとどれくらい、いつまで、どこまで、なんかい、こういうことを繰り返していけばいいのだろうか。
――分からない。
“魔物”に関して気をつけるべくは、一つにして、最大の武器、腕力。
ギチギチと悲鳴を上げる刃。
しかし、所詮腕力だけ。体が小さい分、グリズリーの方がまだ性質が悪いというものだ。
キイイイィィィ――
向こうの刃を滑らせ、そのまま刃の横っ腹を蹴り飛ばす。
ミツキの剣は、乾いた音を響かせてあかい壁に激突した。
魔物は、その軌跡を目線でゆっくり追い――
ぞぐぶっ
不思議な音がした。
何の音か。
――肉が、裂ける音。
人が、死ぬ音。
少年の体が、二つに分かれる音。
声を上げることなく、少年は絶命する。そして、崩れ落ちる。自分が喰らった、両親の上に覆いかぶさるように。
「あ、やめ……?」
そこには、少女が立っていた。
顔面を、返り血に染めて。全身を、月光で染めて。愛刀を、命で染めて。
「なんで――」
次の句が告げられない。
痛かったから。
全てが。
その瞳は、どこか虚ろだった。
「しずは、ころさせないよ」
ぞくり、と背筋に嫌な感覚。
どこかで見た光景。どこかで聞いたような声。
どこか?
いつか?
だれか?
「だれにも、ころさせない」
聞いたことのある台詞。
「でも、しずもしんじゃうんでしょう? ころされちゃうんでしょう?」
同じ状況、同じ会話、同じ表情、同じ心境。だから分かる、次に何を彼女が言うか。
「そんなのいやなんだ。いやなんだよ……。だって、わたしはしずがすきだから。アイしているから」
いたい。全てが痛い。
何も言い返せない。アヤメが思うことが分かるから。
「だから、だれにもころさせない。だから――」
アヤメは――
「わたしはあなたをころします。だって、あなたをアイしているから……」
かつての自分だから――
本当の、贖罪の時がやってきた。
儂は、黙って刀を構えた。
それが、儂の“アイ”だから。
【了】
あかい、本当にあかい世界。
誰かが、泣いていた。
誰が泣いているのか。
何故泣いているのか。
見て分かることは、
《こどもが、一人で、泣いている》
ということだけなんだけれど、でもわたしには分かっていた。
なんで泣いているのか。
――親が、目の前で親でなくなったから。
胸に風穴を開けた死体が、未だ地面をあかく染めていっている。
そして、気づいてないだろうけれど、親に手をかけたのは――
「ねえ、わたしと一緒に来ない?」
にんまりとした笑顔を作って、手を差し出す。
けれど、子どもは顔を上げてもちっともわたしを見てくれない。
わたしは、むううと唸る。
『泣いて何もせずはある種の勇気だろう。だが、決して勇敢とは異なるものと知れ』
じじいならそういうこと言うんだろうけど、子どもにそんなの分かるわけないじゃん。ていうかわたしもよく分かんないし。
だから、こう言う。
「うひひ。わたしとエンドレス鬼ごっこをしようじゃないか」
子どもは、嗚咽を止めることなく相変わらず光りのない瞳でわたしを見る。しかし、やはり子どもは、足元を“向いた”ままだった。
むい。ちょっと難しかったかな?
ええと、この後わたし、何されたっけ?
「…………」
あ。
思い出した。
「――いやいやいや、それはだめっしょ。そういうの誰も求めてないからっ」
そして、誰も答えてくれないのだけれど。
ううむ。どうしようかなあ……。
あ。
思いつく。
「ねえねえ君」
しゃがみながら、無理矢理、子どもの右腕を掴む。
そして、わたしは、その腕を、胸に当てる。
子どもが、びくりと反応した。
瞬間――
わたしは後ろにぴょいんと跳ぶ。
うひひ、ヒヤッとした?
「どうだった?」
笑いながら、子どもに聞く。
何も答えてはこなかったけれど、子どもは、もう下を“向いて”いなかった。わたしを“向いて”いた。
「うひひ。美味しそう? いやいや絶対おいしいよ〜。だから、わたしを捕まえてみなさいなっ」
言いながら、わたしは駆け出した。
多分、後ろは振り返る必要はないだろう。
わたしたちは、ずっと歩いていく。生きていく。
たとえ生きていくこと自体が地獄を行くことと変わりなくても。
それが、わたしの“アイ”だから。
わたしをわたしにしてくれたあのじじいを、アイしているから――
2004/07/09(Fri)10:28:49 公開 /
村越
■この作品の著作権は
村越さん
にあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
で、ようやっと完結なわけです。
一応リク作品だったわけですが、いやあ、リクしてくれた方が制限受けちゃったみたいで、一体誰のために書いてんだって話ですが、ええ自分のためですとも(汗。
しかしなんだ……本当に泣けるのか、これ? というか……作品としてものすごく駄じゃないのか? 書いててどんどん堕ちていく自分って奴を感じた気がします。でも男に二言はありません。完走だけはさせていただきましたっ。
しかし、お前さあ……ぼかしすぎだろ、色々。しかも展開急すぎだろ。モリトあっけなすぎだろ。どうしようもないだろ、これ?
ごもっとも。ごもっともであります。すみません。ここまで読んでいただいた方々、本当に申し訳ありません。でも、本当にありがとうございましたっ!!
ちなみに、最終話とエピのつなぎは、読者の方におまかせします(おいおい。
特に、毎回感想をその日のうちにいっつもくれた、バニラダヌキさん、卍丸さん、森山貴之さんには感謝してもし足りないくらいに感謝しています。連載の難しさと共に、感想がいかに力になるかをまざまざと感じた今作でした。
以上、村越の愚かな独白でした。
しかし謎多すぎ。バッシング覚悟で数日後にネタバレをコメントに書き込んでアップでもしようかと目論む村越だったり。
意見、感想は好き放題やっちゃってくれてかまいません。
ただ、批判系は村越にだけに向くようお願いします。サイト利用者の方々に不快感を与える内容だけは正直避けて欲しいです。
あと、すっごいわがままなのですが、点数については、『作品として面白いと評価していただいて+1』『泣けたら+1』という形で加点いただけると幸いです。
まあ、飽くまで希望なのですが……(汗
作品の感想については、
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