『椅子の話。』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:Rom                

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○最愛の妻
「おい、堀田。飲みに行かないか。」
「結構です。家で妻が待っているので。」
「け、お熱いこったねぇ……。」
上司はそう言って舌打ちをしたが、彼は目もくれずに家路を急いだ。

 彼は四十一歳。そろそろ妻との性格の不一致を感じだす年頃なのに、彼は毎日遅くならずに家へ帰った。それほど妻を愛していたのである。
 電車を三本乗り継ぎ、堀田は田園調布の一軒家に帰宅した。
「ただいま。」
堀田は靴をきちんとそろえて家に上がった。
「ちゃんと元気にしてたか?」
堀田は洗面台で顔を洗いながら妻に話しかけた。
「聞いてくれよ。うちの上司、ひどいんだぜ……。」
彼は妻の膝に座り、グチをこぼし始めた。妻は亭主を優しく見守りながら黙って話を聞いている。
「おまえのような良い妻はいないよ……。」
堀田は妻の膝枕に頭を乗せた。
「愛している。俺はおまえを誰にも渡さない。」
そのとき呼び鈴が鳴った。
「はい、なんでしょう。」
「粗大ゴミありませんか?自転車やテレビ、机や椅子などを……。」
「ふざけるな!さっさと帰れ!」
堀田はインターフォンに向かって怒鳴り散らした。ドアの向こうの老人は驚いて帰っていった。
「あいつのせいでムードがぶちこわしだ。……もう今日は寝るか。」
堀田は電気を消して毛布にくるまり、再び妻の膝に乗った。
「あのヤロウめ。こともあろうにおまえのことをゴミだ
と。くれぐれも気にするなよ。おまえは最高の妻だ。」
堀田は最愛の妻と体を重ねた。

 時計が0時を告げた。堀田は椅子に座って夢を見ていた……。

○天職
 俺は蒲田秀治。穴空商事入社三年目だ。毎日がミスの連続で、上司の罵声を浴びている。OLにまで笑われる始末だ。この仕事は向いてないのかなぁと思う。いったい、いつ、どこで選択を誤ってしまったんだろう……。
 俺は子供の頃から、人を支える人間になりたいと思っていた。他人のためになら自分を捨てようと。そしてより自分に向いた職業を考え、努力した。しかし行き着いた先はしがないサラリーマン。現在二十六歳だが、早くも「人生ってそんなもんだよな」と酒を煽る日々を迎えていた。
 何で俺が、偉大なるこの俺が雑務なんかをやらなきゃならんのだ。もっと俺にぴったりの、あふれる正義感を精一杯発揮できる、やりがいのある仕事はないものか……。

 小鳥のさえずりが聞こえる。朝だ。俺は体を起こそうとした。すると――。起きないのだ。おかしい。何が起こったんだろう。辺りを見回すと、ここが寝室でないことが分かった。しかしどこかで見た風景だ。そうか、会社だ。会社の仕事部屋だ。
 しばらくして正面にある鏡を見た俺は、危うく失神しそうになった。頭はどこにもなく、胴体も足も消えていた。変わりに映っていた物は、赤い古ぼけた椅子だったのだ。(いったい何が起こったっていうんだ)声に出そうとしたが、口が無いんだから出るはずがない。
 
 朝七時になって、やっと人々がやってきた。やがて俺を散々いじめた亀島という上司がずかずかと歩み寄ってきて、俺に座った。
(痛い!……やめろ!)
俺は目を白黒させた。亀島の尻が俺の上にある。もしかして、これから何時間もずっと俺に乗っているんだろうか……。しばらくの間歯を食いしばって耐えていると、ようやく亀島が立ち上がった。だが、ほっとしたのもつかの間、会社一のデブとして有名な中年男がドカリと座り込んだ。
(このヤロウ。どけぇ。俺が壊れる……。)
しかしそのデブはどきそうもない。だんだん俺がミシミシいってくる。ただでさえ重くて死にそうなのに、クラリネットが出来損なったような音と鼻がもげそうな臭いがプラスした。
(うっ。ど、どけぇ……。)
頭がぐらぐらする――。
「部長、ちょっと……。」
OLに呼ばれて、そのデブはよっこらしょっと立ち上がる。深呼吸している俺を、奴は尻で押した。うめき声をあげて(もちろん声には出ない)倒れる俺。五分ほどして俺を救ってくれたのは、あこがれの女性だった。彼女は俺を掴んで元に戻すと、俺に座った。俺は彼女を見まいとして目を背けた。
(早く、ど、ど、どいて下さい……。)
重いけど、まぁ悪くないな……。
 彼女はしばらく座った後で、こう呟いた。
「もうダメねぇ、この椅子。軋んでいるわ…。」
彼女は俺をかつぐと、会社の倉庫へ向かった。
(そ、そんな。俺を捨てる気か……。)
彼女は俺の必死の訴えにも気づかず、容赦なく倉庫へ投げ入れた。そして黙って新しい椅子を取り、鍵をかけてから立ち去った……。
 
 夜も更けた。灯りの無い会社の倉庫の片隅に、俺は居た。
(どうしてなんだ、神様。どうして俺を椅子なんかにしたんだ!)
俺が心の中でそう叫ぶと、どこからか声が聞こえてきた。
(それをお前が望んだでしょう。だから、お前は一生椅子として、人を支えて行くのです。)
(そんな!)
俺は哀願した。
(頼む!サラリーマンでいいから!頼むから元に戻してくれぇ。)
しかし、その声は二度と聞こえてはこなかった……。

2004/06/05(Sat)11:37:12 公開 / Rom
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