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『The Bond of Spell. いちからよんっ!』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:はるいち
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『それ』が地に剣を突き立てると、世界は変わった。
その様は、まるで燎原の如く、
あるいは、静謐な湖面に巨大な波紋を広げるが如く。
そうして変わった。
銀色に輝く、双の翼を持った『それ』は、
銀色の戦火の中で、
銀色の戦禍の中で、
少し、笑った。
◇Preface◇
夕方、学校の屋上で寝転んで、草薙一途(くさなぎ いちと)はオレンジから紫にグラデーションをつくりあげている空を見ていた。
なりは学生。制服の詰襟をゆるく開けて着、そこからは青色のシャツがのぞいていた。左手首には、生徒会の腕章のような銀製のバングルがはめられ、その頂上ではダイヤ形の小さな透き通った宝石が、夕日を反射して橙(だいだい)色に輝いていた。
傍らには皮製の、彼の足先から肩ほどまである細長い袋に入った何かが寝かせてある。その口は、白い飾り玉のついた紐で蝶々結びに結わえられていた。
開けっ放しのドアが、風に揺られてギシギシと鳴る。町並みに沈んで行く太陽の上を、ねぐらへ帰るらしい烏が数羽一緒に飛んで、羽ばたく度に、かあ、と鳴いた。屋上には彼以外に誰もいない。ただ、誰かの昼食の亡骸らしき調理パンの袋が、夕日を反射しながら風に吹かれて舞っていた。
彼はドアの前に立って伸びをし、沈み行く太陽と向かいあった。まぶしさに目を細める。
そして、
半円になった太陽の中に、何かがあるのを彼は見た。網膜に光と熱を焼きつかせながら、それを注視する。
沈んでいく様子が目に見えてわかる巨大な橙の光の中で、それはじょじょに大きくなっていく。黒い点から、野球ボールくらいに。野球ボールからハンドボールへ、そしてバスケットボール大にそれが膨らみ、それが『ホウキにまたがって』いるのを確認出来た時、
「姉さ――!」
「止め――!」
ドカン!
――飛んで来た黒い塊に轢かれて彼は吹き飛び、その塊もろとも校舎内へ通じるドアの中へ転がり込んだ。ホウキはそれを尻目に、まるで意思を持っているかのようにドアへ突っ込む直前に空中で弧を描いて彼をかわし、柄の方を上にしてドアの前に滞空する。
屋上の出入り口の側に所狭しと積んであった机や椅子、その他用具類の山に突っ込み、それを轟音と共に盛大に崩し、彼とその塊は沈黙した。机が一つ、階下へ通じる階段を転がり落ちて踊り場で分解する。
大量の埃が舞って、しばしの沈黙。
そして、
「…どういうご用件でしょうか? セラピアお姉様」
彼は瓦礫の中で腰をさすりながらも、しっかりと抱きとめていた黒布の塊に話しかけた。
すると黒布は、
「えへへ、来ちゃった。――とでも言ってほしいのか、一途?」
やけに居丈高な口調で、しかしそれには不釣合いな幼い子供の声で返してきた。
「……。少なくとも、きりもみ回転してるホウキでは来て欲しくない。――運転下手すぎ」
それを聞いた黒布がわなわなと震えて、ばさりと払いのけて現れたのは、
「うるさいうるさい! ホウキというのはな、長い年月使い込むと自我を持って主人の命令を聞きづらくなるものなのだ!」
切れ長のつり眼をさらにつり上げ、激昂している少女の顔だった。
なりは小学生ほど。黒いTシャツ、黒いジーンズの上に、その体にはどう見ても不釣合いな、これまた黒い巨大なマントを羽織っていた。彼女が立ち上がったら、おそらく裾を引きずるだろう。
眼は、妖しい緑色の虹彩をしていた。瞳孔は獣の物のように縦に長く、今にも彼を食い殺さんばかりに獰猛に光っている。
肌は蒼白。ぬけるような、血管が透けそうな――どの形容もあてはまらない、死者の如き白さ。
そして、髪は長い、洗練された剣のような白。ヘアーバンドのように黒いリボンでまとめられ、瓦礫の隙間から細く差し込む夕日を反射していた。その様は、銀色の川に血を流した所のように見えた。
それから八重歯。…人間のものとは思えない、その血色の悪い小さな唇からはみ出そうなほど大きな八重歯を持っていて、今にも一途の首筋を襲わんばかり。
最後に、
「耳、出てる」
「む…!」
彼女の耳は地面と平行に横に伸び、先は鋭く尖っていた。セラピアは慌てて両耳を押し下げるようにして、髪の中へ収納した。
目、髪、肌、――そして耳。表情や背格好はただの子供だったが、少女――セラピアの持つそれ等は、人外のもの。
「吸血鬼って、つくづく不便だな…」
「仕方ないだろう。精神(こころ)の若い、人間の社会で生活する為にはな。これは吸血鬼に限らず、他の亜人種にも言えることだ」
そして、自分達を埋めた古い机達を見回して、
「出るか。…――黴(かび)の匂いは、嫌いではないが」
「…壊すなよ。学校の備品なんだから」
「いや、どいてもらうだけだ。――バラバラになってな」
彼女の眼の色と同じ緑色の光が、机の足の隙間から無数に漏れたかと思うと、再び、
ドカン!
机が爆砕、宣言通りバラバラになり、セラピアと一途を中心として放射状に瓦礫が飛散した。木製の天板が真っ二つに折れて、ドアを抜けて外へ飛び、そこに『いた』ホウキに直撃して沈黙した。ある椅子の鉄製の足はひしゃげて壁にめり込む。がらん、と階段に反響して落ちた椅子の背もたれの板には、ちろちろと火がついていた。
眠っていた備品達は無残に焼かれ、砕かれ、折られ、飛び散りして、緑の閃光を放った少女の周りから、全てどいた。
「これで、良し」
「あーあ…」
埃や、細かい木屑の舞う中で、一途は頭を抱えた。
ここは日本。
あの、まとまった宗教を持とうとしない特殊な――もとい、他国から見ればポリシーのないことこの上ない国である。
数十年前、そんな国に、ある一つの提案が持ちかけられた。
それは国民、いや、全ての人間が潜在的に持つ、『ある力』の開放の是非。
『ある力』は、その提案が日本に持ちかけられた数年前に「ヨーロッパのどこかの国」で発見された。
その発見は、ただ偶然としか言いようが無かった。発見したのは科学者でもなんでもなく、一人の心理学者。細かい経緯は仔細あって記述がないのでわからないが、カウンセリングをしている患者から光が発せられ、その周りの中空から金の粒が落ちたのだという。その患者を手を尽くして調べた所、脳の通常活動していない部分が活動をしていた――らしい。
その心理学者も、検査に立ち会った学者達も、心底驚いたのは間違いない。そしてもっと驚愕したのは、『ある力』そのものを調べた研究員達だった。
何故か。
『ある力』はとても有益なエネルギーとなることがわかったからだ。それこそ、石油や電気に取って代われるほどの。人間から発生するエネルギーを燃料にするのは非人道的だし、突飛だとは思ったが、その意見を押しつぶしてしまうほどの威力が、『その力』にはあった。
しかし研究員達は、驚くのと同時に畏怖した。これほどの力を使う権利が、果たして人間にあるのか、と。
それから調べが進むに連れ、『ある力』には人によって固有色があることがわかった。また性質として、最初に『力』が発現した患者のように、虚空から金属を作り出す種類のもの、手を触れずに物体を動かすことの出来るもの、物体の性質を変えるもの、そしてごく稀に、大気や雷等の自然現象に干渉するもの、何処か別の場所から物体や生物を召還するもの等があったという。
それはまるで、大昔の記述にあるような魔法に相違なかった。よって彼ら発見者達は、この力を『魔力』と名づけたのである。
そして研究員達の心配をよそに、「ヨーロッパのどこかの国」は政府主導で『魔力エネルギー革命』を断行した。勿論、国内でひと悶着あったのは言うまでもないことだが、結局『魔力』の魅力に人間の好奇心が勝てなかった。
「ヨーロッパのどこかの国」は、数年でこの革命を終えた。諦めたのではない。終了したから終わらせたのである。突飛な話だが、これは小学校の教科書にすら乗っている史実である。
革命の内容は、
・全てのエネルギーを魔力に変換する。
・死霊――ファントム――を生きた意志として扱い、魔力を提供することにより契約、使役出来ること。
・人狼族、エルフ族、そして吸血鬼族に対する差別的な決め事を全て廃止する。
ということであった。
エルフ? 吸血鬼? ――実際にはいないだろう、と思うかも知れないが、彼らは社会の裏側できちんと生きて来たのである。殊に、『魔力』の発見されたヨーロッパではこれら亜人種が多かった。
人間よりも優れた身体能力、知力、精神性、そして魔力。それらを持ちながらも、ただ人外の異形だからという理由で、今までは国家ぐるみで社会的に抹殺されていたのだ。だが、そんな迫害を受けても彼らは反発しなかった。勿論、人間等より遥かに精神性があったからである。言い方を変えれば、「相手にしていない」ということ。
自国の革命中、「ヨーロッパのどこかの国」は他のヨーロッパ諸国に持ちかけた。あなたの国も、魔力に変えちゃいませんか、と。
勿論、魔力の有益性を自らの目で確かめた訳ではない国々は大いに反発した。
『人の生体エネルギーを燃料とするとは、常軌を逸している』
それでも「ヨーロッパのどこかの国」は、無理に革命を勧めた。革命を推す――実際とんでもない行為だ。しかしそれだけ、その国が『魔力』の魅力に取り付かれてしまった、ということなのである。まさに『魔力』と言うに相応しい力だった。
数年、論争は止まらなかった。結局そのいさかいは、「ヨーロッパのどこかの国」対ヨーロッパ諸国、の戦争にまで転じてしまう。
そして、ヨーロッパという地域は、地図上から抹消されてしまうのである。
存在が、とかいうのではない。物理的に、その戦争で消し飛んでしまった。
世界地図や航空写真、人工衛星から送られてくる画像を見ると。丸く穴が開いてしまっている。地中海と大西洋の区別がつかなくなって、ロシアの領土を少し削り、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、北欧三国の北半分だけが残った。
それが起こったのは、日本時間で1999年の9月9日、午前0時4分。
その時全世界の人々は、銀の光を見た。
夜が銀色の昼間になった、と口を揃えた。原因はわからなかった。
そして、戦争に勝利したのは「ヨーロッパのどこかの国」。――そう、その国は、敵国もろとも自国の領土を失いながら生き残り、戦争に勝利したのである。
ヨーロッパは事実上なくなったが、その国は(国家として成り立っているかどうかも怪しいが)ロシアに新たなヨーロッパを建設したのである。――勿論、武力ならぬ魔力で制圧、という形で。
ヨーロッパは消えた。出所がわからない。――「ヨーロッパのどこかの国」と呼ばれている理由がここにある。
この国には従っておかんとマズい。
他の先進国は当然のようにそう考えた。生き残る為の知恵、いや、本能でそう感じ取った。
日本にも、勿論この考えの波が襲う訳で、当時の和泉首相がこれを受けた。――持ちかけられたと発表したが、これは欺瞞である。
賛否両論紆余曲折。色々と国内で起こったが、詰まらないので詳細は省く。
かくして国民や野党の反発を受けながらも、国自体が消滅しては困るので、和泉総理は黒船来航時の老中よろしくな状態になりながら善処した。
そして日本は今、魔法1:科学1という形に落ち着いた。これでも他の国に比べれば、頑張った方である。某米国などは完全に魔力一色になってしまった。
結局魔力は、そしてそれを応用した『魔法』は、全世界に浸透していったのである。日本では今1:1の体勢が造られ終わり、『魔法』は学校教育は勿論、スポーツ競技などにも取り入れられ『魔法剣』や『錬金術』等の、新しい分野が広がった。
和泉総理が行方不明になったのは、それから半年後の事。
自宅に辞職届けがあるのを、別居中だったけど帰ってきちゃったー、な妻が見つけ、発表した。
辞職届けには、こう一言。
『魔力エネルギー省によろしく。それからわたしがいない間、プロジェクトXを録画しておいてくれると嬉しい。それじゃあ。――グラデーションは、いつか同じ色となる』
――最後の言葉は、人の持つ魔力色になぞらえて言った『世界中の人は皆家族』という意味の、世界共通の慣用語である。彼が何故そんな言葉を引用したのかは、誰にもわからなかった。
魔力色は、個人が持つアクセサリーにつく宝石の色でわかる。生まれた時に未使用の宝石を持たされ、魔力色を判別するのだ。魔力色は一生変わることがなく、亜人種の場合には光彩に色種が現れるので、識別する為のアクセサリーがいらない。
そして魔力の使用には、これまた世界共通の制限がかけられていた。個々のアクセサリーに付く宝石の色が、透明になってからは使ってはいけない。というもの。これを超えて使用すると、体に負荷がかかってしまうのだという。これを超えて使うと、魔法使用禁止1095日間の命が下される。
魔力色認識アクセサリーの着用と、魔法使用の制限。この二つの取り決めは、「ヨーロッパのどこかの国」――再度の魔力の暴走を恐れた、新・イタリアが取り決めたものだった。
そうした長い長い経緯を経て、日本国民の魔力解放はなされた。
――これが、草薙一途と、その仲間の住む日本である。
物語は夕方、学校の屋上から始まるらしい。
数年前の会話
雪が舞う路地。
毛皮の、厚手のローブを来た女性が、スーツを着た男性に呼び止められている。
その男の話を聞き終わった女性は、イタリア語で吐き捨てる。
「――今更、虫のいいことだな」
「ですが、あなたしかおられないのです。休眠中とはいえ、彼の力を抑えることの出来る魔術師は。――引き受けてくださいませんか、“衛護の万緑”」
女性は緑の眼を細めて、皮肉めいた笑いをさらに深める。
が、
「いいだろう」
彼女は受諾したのである。
人という、精神の若いまま死んでいく生物への哀れみか、
はたまた、その若さをあざ笑ってやる為なのか。
真意は誰にもわからなかった。
◇Patience◇
「どうして、ここにピンポイントで突っ込んで来た?」
かろうじて壊れなかったドアの上の貯水タンクの脇に座り、足をぶらぶらさせているセラピアに向かって、一途は尋ねた。
「ひ、飛行訓練だ」
「……。ホウキ、変えれば」
一途が横目に、今は動かないホウキを見る。そして、
「それとも、オレの剣使うとか」
と、飾り玉のついた紐で口を結わえてある、あの細長い皮袋を持ち上げて見せた。
ホウキ、杖、剣。飛行に使う道具は、自分の乗れる大きさで魔力を伝導させることの出来るものなら、なんでも大丈夫なのだ。魔力の扱いに長けた人ならば、紙に乗ることすらできる。
だが、彼女は弟の提案を拒んだ。
「駄目だ。それはお前が持っていろ」
「…どうして? いつもそう言うけど、オレが持っていても使えないんだよ。それにこれ――」
革袋から、鞘つきの両刃の剣を取り出して見せる。
「――形が変だ」
その剣は、長剣だった。一途はいつだか忘れているが、それは昔、セラピアに渡されたものである。
鍔はない。
長い刀心に、術式の書かれた細い布が幾重にも巻かれて握りとし、その先端には、革袋についているものと同じ意匠の飾り玉が紐でぶらさがっている。
刀身は黒い鞘に納められ、その中心、刃筋の部分には一筋、白いラインが描かれていた。
全てが白と黒で構成された、他に見ない妙なつくり。
「持っていろ。いいから」
「…………。はい…」
一途は小さな姉の眼力に負けて、剣を革袋に納めた。
日は沈んでしまった。夕闇の中、セラピアはタンクの横から3メートルほどの高さを飛び降りて、一途の前に音も無く着地した。白髪が一瞬光跡を引いて、銀の川を流す。そして問う。
「ところで、貴様はどうしてここにいたのだ? とうに授業は終わっているだろう」
「……。――時間潰し」
彼の態度は、あからさまに不自然だった。
しかし、彼の姉は追及や詮索が嫌いだった。――いや、嫌いということにしていた。
それは、ある後ろめたさから来るものであったが、一途はその理由を知らない。
そして、いつものようにさりげなく気遣いを交えて、彼女は言う。
「まあいい。適当な時刻に帰って来い。――気をつけてな」
「…ああ、わかった」
小学生の言うことに、素直に従う高校生――。客観的には、そういう風にしか見えない。だが、これが草薙家(姉と弟のみ)の平生の会話の姿で、当人達からすれば、実に何という事の無いやり取りなのである。
なぜなら二人は、500歳ほど年が離れているからだ。
吸血鬼に限らず、亜人の寿命は気が遠くなるほど長い。それに伴って、人間からすれば身体的な成長も馬鹿に遅い。
だが、一途の腹ほどしか身長のない彼女は、紛れも無く彼にとっての姉であったし、逆もまた然り。勿論血は繋がっていないし、お互いに口に出した事もなかったが、二人の間には一応、姉弟の絆というものがあるらしかった。
セラピアはマントの裾を引きずりながらも翻し、地に倒れ伏しているホウキを取り上げ、その上に横座りし、浮き上がった。先刻机の天板が直撃したためか、ホウキは今は言うことを聞くようだった。
「行け」
セラピアがそう命じると、地面の埃が円形の波紋をつくりあげて舞い、ホウキがフェンスを越えて飛び立った。
彼女は振り返ろうとはせず、そのままスピードを上げようとした――
が、
「耳」
「…む!」
一途は姉を見送ってから剣を取り、溜息をもらして構内へ入った。
淡々と階段を下りる。飾り玉が、ステップを降りる度に、ちゃり、と鳴る。
二階まで降りて右へ曲がり、「2−I」のがらんとした教室に入った。
そこで一途は自分のカバンを取り、窓の外を見やった。夕日の反対、東側の空は濃い灰色。曇天だった。家が学校から遠い彼は、雨天を考慮して、教室を出る時に傘立てからビニール傘を一本失敬する。――もう、いつから置いてあるのかわからないものである。
急ぐ必要はなかった。約束の時刻まで、まだ15分ほどある。それまでに中庭のあの『樹』の所まで行けばいい。
昇降口へ向かおうと、階段の所まで来た時、
「ん、草薙。もう閉めてまうでー」
背後からかけられた声は、関西弁。男性のもの。
一途はその声を良く知っていた。彼は弱冠嫌そうに振り返って、しかしそれを声に出さないようにつとめた。
「あ、ええ。今出ますから」
一途は向き直ってさっさと階段を降りようとすると、その男性は神速、一途の前へ回り込んで、そして捕まえた。
嫌悪感を、ストレートに顔に出す一途は無視して、男は言う。
「ちょう待て待て。草薙、お前もしかして、今からあの『樹』んとこ行こ思てるか?」
彼はそれを一旦、聞き流す。
「耳、出てます」
言われた彼は慌てて、三角形の犬のような耳を長髪の中にしまった。
「ん、危な。…おおきに」
男は狼――ではなく、人狼族だった。
名を、殺陣師 秋人(たてし あきと)と言う。この、私立富士見高等学校の教員にして、一途の担任である。因みに、教えている教科は魔法史。年齢不詳。――ただ、身体の成長の度合いからして、1000歳を超えていることは間違いなかった。
なりは青年。一つに束ねられた、青白い輝きを持つ長髪をしていた。
獣のように、縦に長い瞳孔。その周りの光彩には、髪と同じ青白い光が宿っていた。
顔立ちは、鼻筋が通っていて凛々しく見えたが、その眼の大きさに対してレンズの小さすぎる、下がり気味にかけられた丸メガネは、どこか軽薄なオーラを、いや魔力を感じさせる。
裾をだらしなくズボンの外に出し、ボタンを三つも開けたよれよれのワイシャツの襟首に血色のネクタイをゆるく結んでいて、ズボンの折り目は消えかけていた。
ただガタイは良かった。服の上から目に見えて逆三角形、という訳ではないが、しっかりとした首筋と見え隠れする胸板から推察出来た。
「で、行くんやろ?」
その表情に浮かぶ好奇心を隠そうともせず、秋人は続けた。
一途は淡白に、吐き捨てるように返す。
「ええ、行きますよ? それが、何か」
そこで一途は、鳩尾に衝撃を感じた。
大阪人(真偽は不明)の神速の突っ込みが、否、肘鉄が食らわされたのである。
せき込む一途を尻目に、やや怒り気味に似非大阪人は続ける。
「『それが、何か』やと?…――気取ってるんちゃうぞ、草薙ぃぃ」
「だから、なにが――」
一途は、胸倉を掴まれた。
「だから! あの『樹』んとこに、女子がいんのは何でかって聞いとんねん! 彼女か! 告りか!? どっちかハッキリせえ!!」
別に優柔不断な態度を取ったつもりはない、と一途は心の中で反撃してから、うめく。
「こ、『告り』です…。向こうから…」
一途は秋人が苦手だった。
今のように、彼は詮索が大好きなのである。好奇心の塊と言い換えてもいい。彼の人生の半分(憶測だが)ほどしか生きていない、子供の容姿をしたセラピアの方が、よほどと言うには生易しいくらい大人に思えた。
「そうか…、そうだったんか…。つまりそれは、俺への裏切り行為やんな?」
一途を開放して、秋人は静かに口を開いた。その表情は、長い前髪に隠れて見えない。
が、一途は動じない。相手にしてられるか、とばかりに、何が裏切りなんだか、とばかりに、
「あの、もうすぐその時間なんですけど」
ちゃちゃっと終わらせて早く帰りたい、とは言わなかった。
「…まあええわ、行ってき。ただ、な」
右肩を思い切り掴まれた。人狼特有の鋭い爪が食い込んで、制服に穴が開きそうだった。
「なんですか?」
「上手くいったら、俺、応援したるさかい」
態度が一転、一途は一瞬戸惑うが、
「じゃあ、そういうことで。さようなら」
すげなく肩の手を払って、さっさと歩きだす。
背後から、「頑張りや!」との声援。
だが彼は、全く「頑張る」気などなかった。第一、頑張る立場にあるのは向こうである。
「――だるい」
『樹』、正式名称『絆の樹』は、私立富士見高等学校の創設50年以来、ずっとこの中庭にそびえている。
種類は桜。正式名称シダレザクラである。
校舎の三階とほぼ同じ高さまで枝が伸びる。春になると、それは静止した桃色の滝のように見え、圧巻である。恒例行事は、全校生徒べランダに出てのお花見である。因みにアンオフィシャルで、飲酒は禁止。――授業そっちのけで見入ってしまう美しさなのだ。
誰が植えたのか、由来は、この高校では一番古株の教頭ですら知らない。
そして、告白スポットである。校舎に面している為、プライバシーなどあったものではないのだが、それでもスポット。そのため、告白する時刻が遅い組が多々。
一途とその相手の場合も、例に漏れずそうであった。
携帯のサブディスプレイ見ると、時刻は六時半。六月の今、日は長くなりつつあったが、先刻の雲がこちらにのして来たことも手伝って、夕方と言うには少し暗すぎるシチュエーションである。
空は、鮮やかな黒から群青へのグラデーション。――で彩られているはずだが、今は鼠色の雲により見えない。
一途は昇降口を抜けて、校舎を回りこむ。
緊張は、ない。
何故だか、ない。
ただ、告白される。
別段興味はないけれど、
無視しては可愛そうだから、
断った後の顔を見るのが辛い、
それでも無視するのよりはいい、
オレといると、面倒が多くなる。
そんな気持ちで、校舎を歩いて回りこむ。
ただ淡々と。
浮く事の無い、足取り。
鳴ることのない、心臓。
それらを持って、ただ『その場へ行く』。
行って、ふる。
ごめんなさい。
でも、興味ない。
そういうことに、しておく。
中庭。
大樹の梢を見上げる、少女が一人。
髪が背中の中ほどまで伸び、肩幅が狭く、華奢。背は、おそらく一途の顎くらい。
(知らない、背中だ)
彼は少々、安堵の溜息を漏らした。知らない人間なら、この後断っても支障をきたさない。
彼女はずっと樹を見上げている。通学鞄は根元に立てかけられていて、セーラー服の青色の襟が、やや強い風にはためいていた。
長い髪が風に乱れないように、片手でおさえている。
一途は事務的な口調で、声を張った。
「あの」
びくり、とセーラー服の肩が震えて、
「ぇあ、はっ、はい!」
必要以上に大きな返事。そして、ぎくしゃくと振り返る。
「来て、くれたんですね…?」
いきなり、涙目になって微笑んだ。いや、一途にとって『なられた』、『微笑まれた』。
彼女の第二声が、その仕草が、いちいち一途のこれからしようとしていることを責めたてる。
少女は、可愛らしかった。
顔が? それもそうだ。
体形が? …それも。
いや、一番そう感じたのは、
オーラが、魔力が。
それが可愛らしかった。
この感情をなんと言い表していいのか、彼は困った。
口に出す必要性は、ないはずなのに。
数年前の一方的な会話。
黴の臭いがきつい、古びた洋館の一室。
窓の外は、全て白。
かろうじてわかるのは、古い町並み。
黒いノースリーブのワンピース、それに、やたらと白いフリルをあしらったものを着、肘掛のある豪奢な木製の椅子に優雅に腰掛けた女性が、イタリア語で話す。
「よし、貴様の名は、日本名でイチト・クサナギだ」
「……」
「草薙は、ニホンの神話云々から。イチトは、ニホン語で読み替えて一途という意味だ」
「……」
「――だからどうだと言う訳ではないが…。貴様、見た目はアジア系のようだからな。韓国でも中国でも良かったが、一度も行ったことのない日本に住むことに、今、決めたぞ」
「……」
暖炉の前に立ち尽くして黙っていた少年は一度、くしゃみをした。
それを見た白髪の女性は、冷笑を浮かべる。血色の悪い薄い唇が持ち上がって、巨大な八重歯が露出する。
「なんだ、寒いのか」
人差し指に、緑色の炎を灯す。そして、
「ならこれで、暖まれ」
人差し指を、優雅に一振り。灯した魔力の火を、彼に投げかけた。
彼はそれに動じず、受ける。
炎は彼の腹に、ひたり、と触れて、燃え上がった。
彼は、悲鳴を上げずに燃える。
室内の豪奢な家具を焼き払い、荒れ狂う炎の様を彼女は肘をついて見ている。
だが、
彼は死ななかった。
火傷すらない。ただ、衣服と屋根は燃え落ちて、彼の裸身を雪景色にさらす。
「……っくしゅ!」
◇Fizzle◇
「ええんか?」
「何がだ」
「せやから、あいつ等をあないに近づけてや」
問われた少女は、不機嫌そうに問題の二人へ向き直って、吐き捨てる。
「心配はいらんぞ。あれはあれなりに、人の心を持ちつつある」
「やのうて――」
質問した狼は、言いにくげに耳の後ろを掻いた。
「あいつが、他の奴と一緒におるんが許せないんちゃうかな、と」
少女は間悪く、鼻で笑う。
「は、はっ、愚物め。私は奴の保護者だ。奴に対して、そんな感情を抱くはずがないだろう」
語尾が上ずるその言葉を聞いた瞬間、狼はにやりと笑った。
「俺が言っとんのは、『保護者として』っちゅう意味やねんけど?」
「――っ!」
真っ赤になった少女に、狼はさらに笑みを深める。
「やっぱなぁ…。怪しいとは思っててんけど、やっぱなぁ…」
「……」
黙る少女に、呆れる狼。
「年の差いくつやっちゅうねん。ショタコンも甚だしすぎんで、ほんまに」
「……………うるさい」
緑の閃光による、肯定。
ズドン、と上方から空気の揺れが伝わって来て、一途ともう一人は屋上の方を見上げた。―― 一途はそのまま、彼女は恐る恐る、といった形で。
「…誰かが暴発させたかな」
思わず耳を塞いでいた手を離して、彼女は答える。
「さ、さぁ…」
怪訝な顔つきで校舎を見上げる一途の横顔を、彼女はまじまじと見た。
淡白な表情だった。
動じていないというか、感じていないような、そんな表情。
彼女は、一途のこれ以外の表情を見たことがなかった。いつも眠たそうな、そんな表情だけ。
正直、これのどこが好きなのだろうと思ったこともある。覇気のない印象。運動が出来るという話も聞いたことがなかったし、何より頼りにならなそうだった。
それに、何より、
彼には魔力がないはずだ。
はずだ、というのは、噂や伝聞からの情報なので、自信がないからつけたものだが。
今の日本で魔力を持っていない、即ち、魔法が使えないというのは、モテる上で、否、最低限の生活を送る上で、致命的な事だった。
だけど、それでも、
彼女には、今ははっきりと、
(草薙君が、好き)
そう、言うことが出来た。
心の中では。
彼のことを、好きな理由。
それを見つけるのに、彼女は困った。
これから口に出して、それを言いたいと思ったから。
だから、昨日一晩、いや、その前日もそのまた前日もそのことを考え抜いて、今日に至る。
彼のことを好きな理由。
それは、
雰囲気だった。
オーラ、もしくは、魔力。
廊下ですれ違う度、校庭で見かける度、自然と彼の方へ意識が向く。
だが、彼には魔力はないはずだった。
それなら何故?
――それはおそらく、『内に秘めたる何か』。
女性の直感として、彼女はそれを確信した。
くすぶっているのか、閉じ込めているのか、それとも眠っているのか――
皆目見当もつかなかったが、彼女は、今まで一度も見たことの無い彼のそれを、
見たいと、
そして共有したいと、
そう、一途に思ったのだ。
「あ、あのっ…!」
「うん」
淡々。しかし彼女はひるまない。
「私、2−Eの、桜坂沙良々【さくらざか さらら】って言います」
「うん、始めてだよね。話すの」
「ぇあ、は、はい…」
完全にペースに飲まれている。
胸に添えた左手が、必要以上に振動を伝える。
(これから、私が何て言うのか、知ってるはずなのに)
身構えてすらいにないように見える彼。
自分の告白は、彼にとってそんなにちっぽけな出来事なのか。
そう思えて来て――
(――ううん、違う)
彼女は、目頭にたまりつつあった熱いものを振り切ると、必死に言葉を紡ぐ。
「は、始めまして、です…」
ぺこりとお辞儀。
「うん、始めまして」
ぺこりと、お辞儀。
最早、告白の場の空気ではない。
意義も方向性も見失われつつあり、お役御免とばかりに消えようとしたそれを、
「あ、あの、」
彼女が必死に繋ぎとめる。
「こ、このこ、いえ呼び出しの、本題なんですけど…」
緊張の為か、言い回しがややおかしい。一途は、まるで気弱な不良番長に呼び出されたみたいだ、と呑気に思う。
「うん」
だが彼は、先刻のように、面倒くさいなどとは少しも思わなかった。
彼女の小さくなっている姿を見ていると、彼女には悪いと思ったが、心が温かくなる気がする。
「本題、は……」
「うん」
彼は勿論その『本題』が何か知っていたが、当然、彼女を促す。
「わぅ、えと、く、草薙君の、中のこと、です」
「……はぁ」
一途は怪訝な顔つきになり、沙良々は涙を一滴、こぼしながらも続ける。
「中っていうのは、草薙君の心の中っていうか、眠ってる何かのことで…」
「――…うん」
一途は一瞬、絶句していた。
彼女は、自分と同じ、自分の見の内にある『何か』を感じている。
「私、それが何なのか全然わからないんですけど、それでも、なんだか――」
息を継ぐ。
「――なんだか、すごい力を隠し持ってるみたいで、カッコいいと思ったんです」
「……」
一途はもう何も言えなかった。
何故、今まで一度も接した事の無い彼女が――。その思いに囚われて。
一途の思考とは裏腹に、彼女は精一杯続ける。
「だから、私、あなたのことが――――」
「……――うん」
すっ、と、息を、彼女は整えて、そして言った。
「何故だか、好きなんです」
ざわ、と『絆の樹』が揺れて、二人は静止した。
あたりはすっかり暗くなっていて、一途は、沙良々の表情が良くわからなかった。
しかし、
こちらを真っ直ぐに向いている。
それだけはわかった。
だからこそ、言う。
自分の空虚な心の一部を、共有してくれたから。
だからこそ、言う。
確証はなかったが、これが、彼女の為になることなら。
「ごめん」
「――――っ!!」
息を飲む音が聞こえて、
「ごめん、なさい」
嗚咽に混じった声が聞こえて、
暗闇の中を、涙が光跡を残して、彼女が振り返らず走り去って行く、空気の流れがわかった。
一途は、樹の幹の方を向いたまま、動かなかった。
そうして十数秒。
足音の後、
葉ずれの音の後、
鈍い、絶望の音が聞こえた。
数年前の会話。
日本の住居は狭すぎる、と少女は思った。
彼女の身長は130cmほどであろうが、それでも西洋の家屋に住み慣れた彼女にとっては、息苦しさを感じずにはいられなかった。
“お偉いさん方”からあてがわれた二人の家は、古いアパートの一室だったのだから、尚のこと。
せみの五月蝿い夏空のもと、少女は弟に命を下す。
「一途、荷物を入れろ」
一途と呼ばれた高校生くらいのなりの少年は、無表情なりに反論する。
「……。ほとんど姉さんのだろ?」
「この体では持ち上がらん。魔法を使うのも億劫だ。――わかったらやれ」
「……はい」
命じられた彼は、荷物を腕で持ち上げる。
◇Saber◇
校門の方から、鈍い、尋常ならざる音を聞き、セラピアはそちらを振り向いた。
彼女の緑の双眼は暗がりの中で、注視せずともその光景をとらえる。
「その光景」をそうあるものだと理解し、それがこれから呼び起こすはずの事象を推察、瞬時に確信して、彼女はつぶやく。
「面倒なことになったな」
傍らで焦げ、倒れている狼は無視し、魔力の風を纏う。そして、校舎の屋上、フェンスの上から飛び立った。
白い、身体が幼いが故に柔らかな彼女の頬を、生暖かい初夏の雨が一打ちした。
雨足は、急速に早まった。
それは、一途の目の前に広がる「その光景」をも強く叩き始める。
彼はあの音を聞き、校門へ走った。そして、立ち尽くした。
彼の眼前、雨に打たれて独特の臭いを放つアスファルトの車道には、よくわからないいくつかのものが並ぶ。
まず、荷台の扉を観音開きにするタイプの、大型のトラック。何故かバンパーがひしゃげていて、そこに塗ってあった紅色の液体が、今、雨で洗い流されようとしている。
次に、強烈に濃いタイヤ痕。どうしてこんな所で、急ブレーキを踏む必要があったのか。
次に、怯えきった表情の、そのトラックの運転手。さっきまでは「嘘だろ」、その後「やっちまった」、そして今は「どうしよう」をそれぞれ連呼した。
最後に、紅い塊。その塊の他の箇所に、別の色でも塗られていたなら別であろうが、とにかくそれは全てが赤く、形はよくわからなかった。それが、トラックの正面の車道の上、家屋に換算すると7、8軒先の方に転がっていた。
そして、追って来たはずの少女はいなかった。
あのまま走って、帰ってしまったのだろうか。
これほど強い雨に降られて、風邪でもひきはしないだろうか。――とは、一途は思わなかった。
やがて人が、周辺の住宅街から、または移動の足を止めて、傘をさして集まって来た。
その様々な色の八角形のは、まるで霊柩車を送り出す葬列のように、道路を挟んで両脇の歩道へいびつに並んだ。
その人々のする会話は、一途には聞こえなかった。雨音がうるさいからか、それとも。
ただ、彼の色のない瞳に映るのは、雨になぶられる紅の塊。
周囲の状況を、音を、匂いを、全て無視して、その紅と繋がる。
「あそこにあんなものはあっただろうか」
一途が思った直後、いや、ほぼ同時。その時に、
『これは現実なんだ』
全く不意をついて、まるでエラーを起こしたかのように、ポッ、とその言葉が脳裏に浮かんだ。
何が、現実なのか。
今の言葉は、―― 一途がそう紡いだはずのその言葉は、まるで現実から目を背けている人間にかけるような意味を持つ「語り」に思えた。
一途は、自分が逃げているつもりはない。その証拠に、自分が何から逃げているかすらわからなかった。
オレが何から逃げているのか、言ってみろ。そう、自分の“奥”へ語りかけたその時、
『逃げているという事実にすら気付いていない』
返答。そしてそれは、続ける。
『もう少し潜ろう』
言葉がいちいち断片的すぎた。苛立つ一途は、身のうちに巣食う『それ』と対峙するために、言われた通りに潜った。
一途が『潜る』と、そこは肌色、いや橙だろうか。そんな水の中だった。
初め彼は、夕日かと思って窓の外に目をやったが、その向こうはどこまでも白く、虚無だった。
液体の中にあるのは、ちゃぶ台と座布団、そして小さなテレビ――。セラピアと暮らす、自宅(古いアパートである)の光景だった。
小さな箪笥の上にあるシャープペンシルは浮かばず、金魚鉢の中には別の空間があった。
そして、ちゃぶ台に肘を突いてあぐらをかく、少年が一人。彼はテレビ、――野球中継をやっていた――を消して、こちらを向いた。
そして、こちらを真っ直ぐと見つめたそれは、
「やあ、こんにちは」
色の違う、一途だった。
髪と目が、年季の入ったリングのように、鈍く輝いている。
「またあんたか」
一途は無表情に、いつかもそうしたように言う。
それを受ける“銀色の一途”は少し淋しげに笑みをつくる。
「急に呼んでごめんね。でも、来てくれて嬉しく思うよ。歓迎する」
「用件を話してくれ」
謝意を簡単に断ち切られた“銀色”は、仕方なさそうに首を振り、しかし無駄とわかっている抵抗をする。
「…やれやれだ。もしかすると、これでお別れかもしれないのに、いつもつれないよ、君は」
「早く」
「……。段々、あの吸血鬼に似てきたかい?」
「早く」
“銀色”は本当に淋しそうに、一度嘆息した。そして、
「君はわかっているはずだ」
一途はそれを聞いても、黙っている。ただ、目で先を促した。
「――ありがとう。…さっき僕は、お別れかもしれないって言ったよね?」
「ああ」
これにはあいづちをうつ一途。まるで、今すぐ出て行けと言わんばかりの態度である。
が、それを気にせず“銀色”は続ける。
「それを選択するのは任意――、君の、自由なんだよ」
一途は黙って聞く。
「銀を選ぶか、はたまた別の色か。彼女を救うか救わないかも、君の自由なんだ。――個人的にはその判断材料の中に、僕という存在の有無も入れて欲しい所なんだけれど」
「…………」
「――この話が終わったら、この僕の存在に気付いてくれたあの子が、どんな姿になっていても絶対に目を反らさないでほしい」
“銀色の一途”は、顔を伏せる。
「じゃあ、今度また、いつ会えるかわからないし、君が僕を消す選択を選んで欲しいから言うよ。『さよなら』。――それから、こんなにいい場所をあてがってくれて『ありがとう』」
彼は手を振って、この空間を閉じようとした。
部屋の角が分解して消え始め、真っ白な虚空へ溶けていく――
が、
それが、ビデオテープを巻き戻すように再生していった。
失われかけた箪笥が、金魚鉢が形を取り戻していき、野球中継が再開した。阪神対巨人、6回ウラ阪神の攻撃。
そう、それは、主人格の干渉。この架空の空間内で絶対の力を持つ、“草薙一途”の干渉によるものだった。
そして主人格は、楽な姿勢で座ったまま、驚くべき提案を口にする。
「あんたが表に出ればいいんじゃないのか」
“銀色”は一瞬、ぽかんと口を開けたが、やがて、
「っはは!」
声を上げて、短く高らかに笑った。
しかしそれは、嘲笑ではない。一途の「心が少ない」が故の、合理的すぎる物言いに、失笑してしまったのである。
ひとしきり笑ってから、“銀色”は続ける。
「君は本当にいい奴だ。たた器に入れられた、代わりのものとは思えない」
一途はにこりともせず、その賛辞の言葉を叩き斬る。
「オレはただ、あんたが表に出て、あの子に治癒呪文なりなんなりかけてやればいいと思っただけだ。あんたほどの魔力があれば、あれくらいのケガでもどうにかなるだろう」
“銀色”は笑みを消して、頬杖をつくのをやめる。
「やっと事実が把握出来たみたいだね。でも――」
「でも?」
「僕の魔力には、残念ながら人を癒す力はないんだよ。あるのは他人を壊すか、自分を癒す力だけさ」
一途は黙って彼の意思を察し、やはり先を促す。
「――そんな僕の魔力が、他の人を救う術に変わるんだから、これは本当に素晴らしいことさ」
一途は、その言葉の中に疑問を見出す。そして、そのまま口に出す。
「…さっきからあんたがそれを前提として話してる、『他の人を救う術』っていうのは、何なんだ?」
“銀色”は「ああそうか」、後、「説明が足りなかったね」と、表情豊かに補足する。
「それは、さっきから言っているように、僕の存在を君の中から消し去ってしまう――、つまり、僕という魔力そのものを彼女の身体に移して、生きる糧にしてもらおうっていうことなんだ」
『中』という表現を誰かも使ったなと思いながら、一途は訊く。
「そんなことが?」
「――かなりの荒療治だけど、それ以外に方法はない気がするよ。世界初の魔力移植だと思えば大変そうだけれど、ファントムと契約して、ヴェレット化させるものだと思えば簡単さ。彼女は――こんな言い方は嫌だけど――、死にかけているし。ただ普通と違うのは、僕という存在、魔力の器そのものを渡す所に困難な点があると思う。――力が大きすぎて、彼女が受け止め切れない場合もあるし、君が魔力を失って、命を落とす可能性もあるからね」
彼は、自分のケースについて何も言わなかった。
彼が消えてしまうかもしれない、ケースについて。
それは、魔力の受け渡しが失敗した場合である。
魔力はなんらかの意思を込められないまま体外に出てしまうと、一瞬の光を放った後に、霧散してしまうのである。――後に残るのは、かすかな、それぞれ違った成分を持つ匂いだけ。
一途はそれを、当然のことながら知っていた。勿論その、『挙げなかった』ことに対しての見解は何も無いが、ただ思う。そして言う。
自分すら生命の危機にさらされることを、状況に流されている訳でもなく、気に出来ずに。
「怖くないのか?」
「怖いよ」
即答だった。
しかし、彼は恐怖を表に出さず、
「でもね」
彼は続ける。
「でも勿論、彼女の為になら消えてもいいかと思う」
一度窓の外の、虚空を眺めてから、
「でも、そんな自己満足で終わらせる気もないよ」
一途は少し姿勢を変えて座り直し、“銀色”をじっと見つめた。
相変わらず柔和な笑みを浮かべているが、その奥には、恐るべき意思が秘められて『いるように見えた』。――いや、『いた』。一途はそう確信する。
それは当事者以外で、自分の存在に初めて気付いてくれた者への、強烈な感謝の気持ち。それと少しの、暖かな何か。
そしてそれを受けて、一途は言う。
「…不公平だな」
「そうでもないさ」
“銀色”は「何が」とは問わずに即答し、言う。
「そう思うのは君が、自分の存在に後ろめたさのようなものを感じているだろうけど――、でもね、そんな風に君が思い悩む必要はないんだよ? 何故なら君には――」
そこで少し言い直して、
「いや、君にだって“色”はあるんだから」
「…………。そうか」
「そうだよ」
一途は強い“笑み”を、“銀色”は穏やかな笑みを浮かべて見つめあい、数秒黙る。
そして、
「さあ、ここを閉じる時間だ。あの子が君と僕を呼んでいるからね」
「ああ」
ブツリ、
と、その空間は黒く消滅した。
銀色の笑顔の残滓を残して。
そして次の瞬間、彼の感覚を支配したものは、
「くさなぎ、…くん」
雨音の中で確たる音として響く、一つの想い。
一途は走り出した。
邪魔な八角形群を貫いて、猛進する。
葬列の中へ飛び出して、送られようとする少女の元へ、辿り着く。
少女は何故か、いや、血液で真っ赤になっていた。
(この話が終わったら)
雨の湿ったものに打ち勝つ、ひどい匂いもする。
(この僕の存在に気付いてくれたあの子が)
四肢は、左腕を残して、全てが奇妙な角度に折れ曲がっている。
(どんな姿になっていても)
先刻まで清潔に保たれていた制服も、今はボロボロに裂け、血と泥の双方によりどす黒く汚れている。
(絶対に)
腹部から、いびつな形のチューブが出ている。
(目を反らさないで欲しい)
最後に表情を見ると、その顔は半分赤く染まりながら小刻みに震え、しかし幸せそうに微笑んでいた。
その表情と銀の意思を受けて、一途は想う。
(ああ、反らさないよ)
そして、目の前に“少女”として在るそれを、強く抱きしめて、言う。
「あいつとオレが、きっと君を助けるから」
一途の上半身は、雨で洗い流されかけた鮮血に染まって、真紅に変わる。
流れるそばから溶ける血は、温かかった。
強く抱き、触れ合った頬は、冷たかった。
そして、アスファルトという名の黒いパレットに広がった、彼女の残り少ない“紅色”を雨が削るように奪って行く。
それを護る、一枚の落葉。広葉樹。
しかしその色は、妖しくも若々しい、緑。
一途はその庇護下、弟という立場を捨てて、頼む。
「頼む、セラピア」
血だらけになって雨に打たれる二人を護ったのは、“衛護の万緑”(エゴのばんりょく)の少女の描く魔方陣だった。
その外から、少女はあくまで保護者として呼びかける。
「名で呼ぶな。――…話はついたのか」
一途は沙良々を抱いたまま、緑の鋭い双眼を見つめて、頷く。
セラピアは交差させた両腕で陣を維持しながら、弟のその表情に満足げに薄く笑って、そして言う。
「では、行くぞ」
一途は頷く。セラピアは瞳を閉じて、静かに詠唱を開始する。
「『血の絆と、』」
一途の左後方、陣の円周上に、
「『銀の意思と、』」
今度は右後方に、
「『そして人形の心変わりのもと、』」
最後に正面、セラピアと一途の間に、それぞれ火が灯る。そして、
「『紅き少女を、もう一度色彩の流れの中に』」
少女が腕を振りぬいた瞬間、強烈な光が。
しかしそれは、緑ではない。
光沢を持ち、流れから外れたそれは、
砲金の如く、鈍く輝くそれは、
銀色だった。
緑の殻を打ち破った銀は、翼を成していく。
やがて出来上がったその羽根は、六枚。
その大きさは四階建ての校舎を越し、
一枚一枚が、両刃の剣で出来ていた。
その光量に、周囲の全てのものは輪郭を失い、掻き消えた。
剣の羽根は伸び、鼠色の曇天を貫き、紅い宝石が割れて散る。
-
2004/06/11(Fri)18:25:06 公開 / はるいち
■この作品の著作権ははるいちさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
らずるだずるっ☆(弥七郎ファン
エテナさん神夜さん、そして他の方々も感想どーもどうもっ!
世界観説明をちょこっと短くしちゃったり、要りもしないわかりやすい伏線をちょこっと追加しちゃったり、小賢しいことばかりやってますです。
あ、でも話的には見せ場とかなんとか。もう一人の春一さんが言うとったけえねっ!(くわっ!
人格OS交代に際して、題名とかハンドルとか微妙に変えちゃったり!あざといー!小賢しいー!処刑ー!ばかばか!
でもでも題名はプライドが変えさせなかったんだって!ぷっ、安!
でもでも題名とかくだりでしか読み手を引きつけられないような能無しにはならないよって言い張ってる!ばかばか!無理とは言わないけどねっ!
じゃっ!ここまで読んでくれたみんな、ありがとーっ☆
春一の馬鹿が忙殺且つ精神衰弱状態だから、週一くらいでしか更新出来ないかもって!ダメダメ!
では、来週のこの時間も、チェキ!してくださいですっ!(くわっっ!!
(注・本物です。春一です。小説の方読めばわかると思いますけど/笑 マジに佳境に入って来たようです。すたでぃもこちらも。では、頑張りますので、初めての方もそうでない方も、宜しくお願いします)
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。