『「SORROWFUL・KILLER」 第一章〜第三章』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:DARKEST                

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第一章「KILLER」


依頼者


闇が全てを支配する夜。紫色の月が輝き、エレルの街の灯りも、闇夜を微かに照らしていた。しかし、この街の一角に佇む、古めかしい小屋だけは、闇を吸い込んでいるかのように、重く暗い空気を放っていた。
そんな、人を拒絶しているような小屋に、一人の男が歩み寄って来た。まるで闇から切り出したように真黒なマントとローブで体を包み、指や首には、闇の中でもその光沢を失わない宝石が幾つも散りばめられている。顔には、長い人生を生き抜いた者だけが刻まれる皺が目立っていた。男は小屋の前に立つと、躊躇う事無くその扉に手を掛けた。扉が開く時の軋んだ音が、辺りの静寂を切り裂いた。小屋の中は外よりも真暗で、まるで大口を開けて待ち構える地獄の入り口の様だ。しかし男は、やはり躊躇う素振りすら見せず、ゆっくりと小屋の中に入って行った。小屋に入った男は、濃く充満する暗闇に目が慣れるまで、入り口の近くに立ち止まった。
「人のうちに勝手に上がり込むとは、礼儀知らずだな…」
不意に暗闇の中から声が聞こえた。しかし男は驚きもせず、やっと暗闇に慣れ始めた目で、声のした方に向き直った。
部屋の隅に置かれた、小さく円い木製のテーブル。そしてその脇に置かれた、テーブルとは不釣合いな少し大きな椅子に、確かに誰か座っている。テーブルに置いてあるワインボトルの横にコトリと言う音と共にグラスを置くと、その顔は男の方に向いた。礼儀知らずな訪問者は何も言わずにその人物を見つめていたが、やがて口を開け、低くしわがれた声で言った。
「君が裏世界最強と名高い殺し屋、エンジュ・バラドス君だね?」
「…クライアントか?」
エンジュと呼ばれたその人物は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、男へと歩み寄った。次第に月明かりに照らされ、闇に包まれていた彼の姿がはっきりとして来た。男の物とは比べ物にならない程の濃い黒の衣服が隙間なく体を覆い、両手首には銀色に輝く腕輪が光り、腰にはボウガンのような銃器が二丁収められている。眼光には、殺し屋らしい冷徹な雰囲気が秘められており、額に鮮やかな黒い椿のタトゥーが彫られていた。
「この男を、殺って貰いたい」
そう言って、男は一枚の写真をエンジュに手渡した。太り気味で、豪華な身形をした初老の男性が、黄ばんだ歯を見せ付けながら、底意地悪くエンジュに笑いかけている。
「アルバート・バリキシアン…、最近力を付けて来ている貿易商人か。居場所は?」
「エルマニ島の別荘で休暇中らしい」
男が答えると、エンジュはフンと鼻を鳴らした。
「ここからそう遠くないな。三時間で帰って来よう」
そう言うとエンジュは、机の上の上着を羽織った。
「それと、もう一つ依頼がある」
男が突然言った。その声はさっきと違って、微妙に慌てている。エンジュは上着の袖を通すのをぴたりと止めたが、男は続けた。
「私の大切な愛娘が、アルバートに捕われている…。助けてはくれないか?」
「殺しの依頼は受けてやるが、人助けの依頼は飲めかねるな」
エンジュが袖を通しながら冷たく言った。すると男は突然床に額を擦り付けた。
「頼む!あの子は私の大事な…大事な…」
男の惨めな姿を冷たく見据えた後、エンジュは小屋の扉に手をかけた。
「報酬は高くつくぞ」
エンジュは外に出て行った。そして小屋の脇に停めてあった、黒いバイクに跨り、闇夜の道を走り去った。その後男が、底意地の悪い微笑を浮かべた事に気付かぬまま…。


仕事


エルマニ島は、本土沖2qの地点に位置する小さな島だ。数多くの原生林が小さな島の大半を締め、岬からの景色は、トゥバス大陸一の美しさを誇る。そんな自然の美しさに惹かれてか、富豪達の別荘が建ち並ぶ人気のリゾート地となっている。そんな富豪達の豪華な別荘の中でも、岬に腰を据える一際豪華で巨大な屋敷の前に、エンジュの乗るバイクが停まった。エンジュは颯爽とバイクから降り、屋敷の巨大な鉄柵状の正門の前に立った。門の両側の支柱に、監視カメラが目を光らせている。
「ゲーム・スタートだ」
エンジュは口元に不適な笑みを浮かべながら言うと、右腕に嵌めてある腕輪に手を伸ばした。月明かりを浴びて美しく輝く腕輪には、四桁のダイヤルが施されている。エンジュはそれをゆっくり合わせて行った。そしてダイヤルを合わせ終えると、突然腕輪が青白く発光し始め、それと同時に、支柱の上の監視カメラが、二台とも爆音を立てて吹き飛んだ。エンジュはカメラが完全に壊れている事を確認すると、巨大な門をその驚くべき跳躍力で飛び越えた。
敷地内には、さっきの爆音を聞き付けた警備員達が、マシンガンを握り締めてうろついていた。エンジュは植え込みに隠れていたが、突然何を思ったか、自分の足元に転がっている枯れ枝を力一杯踏み付けた。バキッと言う大きな音が辺りに木霊し、警備員の視線が一斉にエンジュを捕らえた。
「侵入者だ!」
警備員達が一斉にエンジュ目掛けて突進して来る。エンジュはそれをするりとかわすと、向こうの方に見える屋敷に向かって走り出した。しかし何故か、眼前に現れる警備員達の横目をすり抜け、時折所々に設置されている監視カメラに映る様に走っていた。まるで「自分を捕まえてみろ」と言わんばかりに。
やがて、いよいよ警備員の数も軍隊のようになり、逃走が困難になって来ると、エンジュは屋敷の玄関のすぐ前で急に止まった。すると大勢の警備員達が、エンジュの周囲を素早く取り囲んだ。
「もう逃げられないぞ、小僧…」
一人の面長で、不精髭を生やした警備員が得意げに言った。しかしエンジュは、全く動じていなかった。そればかりか、彼等を嘲る様な微笑を浮かべている。
「そうだな。もう遊びは終わりだ」
「ふざけやがって…、死ね!」
面長の警備員がが叫ぶと、全員が一斉に手に持っていたマシンガンを構えた。するとエンジュは、彼等の武器が火を吹く前に、素早く左腕の腕輪に手を伸ばし、右手の腕輪と同様に施されているダイヤルを合わせた。カチッと言う音と共に、腕輪が小刻みに振動し始め、高く鋭い音を発し出した。するとマシンガンを構えた警備員達は、突然糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。全員完全に事切れている。
エンジュは少しダイヤルをずらして警備員達を一瞬で葬り去った高周波を止め、警備員の死体の山を踏み越えた。


侵入


やがてエンジュは、豪華な屋敷の玄関口へと辿り着いた。さっきの警備員大量殺害の為か、何の障害も無く辿り着けたが、エンジュはそれがいかにも不満らしく、何処か退屈そうな表情を浮かべていた。
エンジュはしばらく、玄関の巨大な扉をじっと見つめていたが、その扉をぶっ飛ばして中に入る、等と言う事はしなかった。エンジュは視線を扉からその真上の窓へと逸らした。するとエンジュは、腰に収めてあった銃器を抜き、窓に向かって構えた。ハンドガンに弓を取り付けたような形―――平たく言うとボウガンのような銃で、鉄の矢の代わりに、ぐるぐる巻きにしたワイヤーを取り付けている。エンジュはその奇妙なボウガンで、その窓の縁の部分を狙い、撃った。パシュッと言う静かな発射音が微かに静寂を切り裂き、続いて窓枠の煉瓦がワイヤーに貫かれる破壊音が響いた。エンジュは慣れた手つきでボウガンから残ったワイヤーを取り外し、それを二度引っ張って、ワイヤーがしっかり煉瓦に食い込んでいるか確かめた。そして、まるで切立った崖を登る様に、垂直な壁を素早く歩き出した。そして、約6mの石壁を、約三分と言う短時間で登ったエンジュは、力尽くで煉瓦に食い込んだワイヤーを抜き取り、それをボウガンに戻して腰に収めると、今度は輝く紫色の月を映す、綺麗な窓ガラスに向き直った。するとエンジュは、ピッタリと閉じられた窓に手を掛け、それを上下左右にガタガタと動かし始めた。左に動かしては上に突き上げ、右に動かしては下に押し下げる、と言った具合だ。そして、その操作を十分程繰り返していると、窓は枠からガタリと外れ、エンジュの大きな手中に収まった。
まるでプロの空き巣だなと、エンジュは夜風に美しく靡く黒髪を弄びながら思った。しかし、これから自分が奪うのは、金品ではない、人の命だ。エンジュはそう自分に言い聞かせて、自分の自尊心を慰めながら、たった今外した窓を音がしない様にそっと足元に置くと、さっきまで窓が嵌っていた四角い穴をくぐった。
屋敷の中は、光の届かない深海さながらに真暗で、ターゲットはおろか、何処に何があるのかさえ分からない空間だった。するとエンジュが額に付けていたバントの円いマークに触れると、そのマークがライトの様に光り、暗かった視野を明るく照らした。エンジュはそのまま、ターゲット捜しに取り掛かろうと歩き出すと、不意に後ろで足音がした。
「ひっ!」
高く臆病な悲鳴が暗闇に木霊した。それと同時に、エンジュはさっきのワイヤーボウガンとは反対の方に収められたボウガンを抜き、ほぼ間髪を入れずに後方目掛けて撃った。今度はドンと言う発射音が響き、続いて誰かが倒れるドサリと言う音が聞こえた。西部劇に出て来るガンマン顔負けの早撃ちだった。エンジュは、たった今仕留めた、うつ伏せに倒れている死体に近付くと、蹴って仰向けに反転させた。まだ若さが残る顔に、恐怖の色を色濃く浮かべている使用人風の男だ。顔の下部分、ちょうど喉の辺りに、銀色の鉄の矢が三本生えていた。そしてふとエンジュが、死体の腕部分に視線を落とすと、クシャクシャに握り締められた紙が目に止まった。エンジュはそれを、破らない様に慎重に取り上げた。どうやらそれは、この屋敷の地図の様だった。屋敷内部全体が書き記されている詳細な地図で、今エンジュがいる階の、ちょうど中心部に位置する大きな部屋に、「アルバート様の寝室」と走り書きされている。エンジュは、「都合が良いな」と言わんばかりに、不敵ににやっと笑うと、地図を握り締め、歩き出した。
屋敷内は、迷路の様に入り組んでいて、きっと地図無しでは確実に迷っていただろう。しかし、幸運にも手に入れた地図の御陰で、ターゲットの寝室はすぐに見つかった。巨大で豪華な扉が構え、その横に掛けてある灰色のプレートに、「主人の寝室」と書かれていた。そして扉の前には、警備員大量殺害の影響の為か、警備員が二人倒れている。しかしエンジュは警備員の亡骸になど目もくれず、巨大な扉をそっと開いた。


殺害


部屋の内装は、「豪華」をそのまま実現したような部屋だった。部屋全体が美しい白の高級感溢れる家具で統一され、小さなテーブルの上には、もうすっかり冷めた紅茶が佇んでいる。そして窓際にある、一際豪華なベッドに、小太りの男が横たわり、巨大な鼾をかいている。エンジュはゆっくりと男に歩み寄った。そしてあと数歩の所まで迫ったが、再び一歩を踏み出した瞬間、床が大きく軋んだ音を出した。エンジュは驚いて、咄嗟に後ろに飛び退いたが、男はその音を聞いて目を覚ましてしまった。そして寝惚け眼で、闇に潜む暗殺者を見つけると、その眼から眠気こそ消え去ったが、新たに恐怖が芽生えた。
「だ、誰だ貴様!どうやってここに入った!?」
小太りの富豪アルバートは、恐怖を一杯に含んだ声でエンジュを怒鳴り付けた。その顔は、多少恐怖に歪んではいるが、まさにクライアントの男が見せた写真の男だった。ターゲットを確認したエンジュは、恐怖に震えるアルバートに、冷たい眼光を向けると、口元を歪めて笑った。途端にアルバートの体がぶるっと震えた。
「アルバート・バルキシアン…。貴公の命を貰い受けに参上致しました」
この台詞は、ターゲットを消す前に、エンジュが必ず言う決め台詞だ。大抵の人間は、この台詞を聞いただけで動揺する。アルバートも例外ではなかった。異常な程広い額に、脂汗が幾つも雫になっている。顔に描かれた恐怖も、さっきよりも濃くなっている。
「ふ、ふざけるな!け、警備!」
アルバートは、自分のすぐ横にあった受話器に手を伸ばした。しかし、すかさずエンジュのボウガンの矢が、受話器の通話部分を粉々に破壊した。壊された部分から垂れるコードが、何が起きているのかも分かっていない様子のアルバートの手中で揺れていた。
「一対一(サシ)で勝負しましょう、ミスター・アルバート」
アルバートは、歪みに歪み切った表情を更に歪ませ、弱々しく窓際に後ずさった。もうその表情は、今にも泣き出しそうな不細工な赤子の様だ。そんな哀れを誘う表情の富豪は、まるで死に掛けの魚のように口をパクパクさせて、掠れた声で途切れ途切れにこう言った。
「た…、助けて…。い、いい命だけは…」
情け無く命乞いを始めたアルバートを、エンジュは冷たく見据えていたが、やがて手に持っていたボウガンを腰に収めた。すると途端に、アルバートの目がきらりと光った。
「かかったなぁぁ!!」
何時の間にかアルバートの手には、小型の銃が握られていた。アルバートはエンジュに銃口を合わすと、躊躇う事無く引き金を引いた。けたたましい銃声と、火薬の匂いが空間を貫いた。銃弾はエンジュを突き抜け、後ろの壁に突き刺さっていた。アルバートの顔が、勝利を確信するかのように意地悪く歪んだ。それは、もう先程の汚く歪んだ赤子の泣きっ面ではなかった。そして、見事暗殺者を返り討ちにした富豪の笑い声が辺りに響いた。
しかし彼は、喜びに酔い痴れ過ぎ、驚くべき事を見落としていた。エンジュの体は、銃弾に貫かれたにも関わらず、まるで何事も無かったかのようにその場に立ち続け、貫かれたと思われる箇所にも、傷らしき傷は出来ていなかったのだ。そればかりか、エンジュの体が、突然風に吹かれた煙の様に掻き消えてしまった。
「な、何ぃ!」
これには、高笑いをしていたアルバートも驚いた。そして消えた暗殺者を見つけようと、まるでここが何処かも分からない迷い人の様に、自分の周囲をきょろきょろを見渡した。
しかしアルバートは、背後を振り返るまで気がつかなかった。銃弾をかわし、残像だけを残して消えた暗殺者が、後ろで自分の背中をずっと見据えていた事に。
「貴公に殺れるのは…、俺の残像が関の山だ」
アルバートは、再び恐怖に歪んだ口元から悲鳴を上げる隙も与えられず、エンジュの手に握り締められた、椿の刻印が彫られた黒い刃の双つの「相棒」によってバラバラになった。凄まじい量の返り血が、エンジュの黒いマントにすっかり吸い取られてしまうと、エンジュは血塗れの「相棒」を、帯で両脇に固定してある鞘に収め、今まで以上に冷徹な声でこう言った。
「…GOOD・NIGHT」






第二章「HELP」

任務完了
エンジュはしばらく、嘗ての貿易商アルバート・バルキシアンの変わり果てた姿を見下ろしていたが、やがて鮮血で真っ赤に染まった部屋を後にした。
「…ちっ」
突然エンジュが、胸を抑えながらその場に屈み込んだ。
(まただ)
エンジュは思った。まるで幾千もの槍で刺し貫かれたような胸の痛みと、締めつけられるような苦しみ。仕事を終えた後、必ず襲って来るものだ。さすがのエンジュも、この痛みにだけは逆らう事は出来なかった。そのせいで、エンジュはこの痛みが襲って来る度に苛立った。その苛立ちのせいか、部屋の扉を閉める力加減も雑になっていた。
エンジュは帰路に着く為、再び額に明かりを灯し、先程入る為にくぐった窓を目指した。しかし、地図がアルバートの返り血でただの黒い紙切れになってしまった為、迷路のような屋敷内を徘徊する事を余儀なくされてしまった。
それから十分程経った。エンジュが六つ目の廊下の突き当りを曲がると、警備員が二人、何やら話し込んでいた。エンジュは慌てて彼等の死角に入り、耳を傍立てた。
「馬鹿野郎!どうして取り逃がしたりした!?」
年配の警備員が、部下であろう若い警備員を、物凄い形相と語勢で怒鳴りつけた。
「も、申し訳御座いません!しょ、食事を与えようと鍵を外したら、その隙に…」
若輩者はすっかり怯えて、何度も言葉を何度も詰まらせていた。しかし、先輩の怒りの炎は、その位では弱まらなかった。
「言い訳はいい!さっさと見つけ出せ!私はアルバート様に報告しに行く!」
年配警備員はそう言うと、踵を返し、足早に去っていった。一人残された若い警備員は、深い溜息を漏らすと、年配警備員とは逆の方へと走って行った。
「今の…、あの少女の事を…?」
エンジュはクライアントの男から哀願された、もう一つの依頼を思い出した。今まで何人もの人間達の血を見て来たエンジュにとっては、少女一人の命などどうでも良かったが、少女を放っておくと言う事は、男が支払う高額の報酬を投げると言う事に等しい。「これも仕事の内」と、諦めるしかなかった。

救出
エンジュは逃げ出した少女を捜す為、一歩を踏み出した。すると、エンジュは突然立ち止まり、自分の足元を凝視した。
そこにあったのは、床に染み込んだ微量の血痕の点だった。大分時間が経った後らしく、すでにどすのきいた黒に変色している。しかもそれは、廊下に点々と落ちていて、廊下の向こうの方までずっと続いていた。エンジュはフッと笑みを漏らすと、そのどす黒い陰気な印を辿って進んだ。血痕は、エンジュを誘い込んでいるように、何処までも落ちており、エンジュが永久に血痕が続いているのかと思う程だった。
血痕を追い続けて、更に十分程経過しただろうか…。遂に、エンジュの密かに求めていたものが、目の前に姿を現した。そう、血痕の終着点にやっと辿り着いたのだ。その陰気な黒点は、エンジュの目の前で半開きになっている、地味な灰色のドアの中に続いている。エンジュはそのドアをゆっくりと開け、中に入ると、誰も入って来ないようにドアを閉め、鍵をかけた。
部屋の中には、埃っぽい匂いが充満しており、山の様に積まれたダンボールが、部屋のあちらこちらにあった。エンジュがその中の開いていた一つを覗き見ると、物騒な銃や兵器が放り込まれていた。エンジュはすぐに、ここが武器庫であると察した。そして、部屋の様子を一通り見渡したエンジュは、すぐにこの部屋の中に隠れているであろう、血痕の主を探した。ドアの所から続く血痕を、額からの光に翳しながらゆっくりと辿って行くと、血痕は、ダンボールの山と山の間に続いていた。そしてその僅かなスペースに、小さな誰かが身を隠して、すすり泣きの嗚咽を必死に防いでいた。エンジュが光を当てると、小さな影はその姿をはっきりと晒された。するとそれは、素早く俯いていた顔を上げた。
その影の正体は、まだ幼い感じの少女だった。表情は涙に濡れ、怯えと悲しみに満ち溢れていた。美しい金色の髪も、恐らく走って逃げた為に乱れていた。少女はエンジュの姿を見るや否や、微かな悲鳴を上げて見を引いた。それに伴い、血で黒く染まった右肩を庇う左手の力も強くなった。
「やめて…、こ…来ないで…」
少女が、すっかり怯えた声でエンジュに言った。エンジュは、冷たい視線を少女から離す事無く、こう答えた。
「…心配ない。君を助けに来た」
それを聞いた少女の顔から、みるみる内に怯えがひいて行った。エンジュは懐から黒いハンカチを取り出し、それを、ケガをした少女の右肩に巻き付けた。

見知らぬ門番
「どうして、私を助けに…?」
少女が、不意にエンジュに聞いた。もうその声には、先程までの怯えは全く感じられなかった。エンジュはダンボールの山に凭れ掛かり、一服する為に持って来た煙管(きせる)を咥え、火をつけた。
「君のお父さんに頼まれた」
エンジュが煙を吐き出しながら、さらりと言った。しかし少女は、エンジュの予想とは正反対の反応を示した。少女の表情に、再び恐れと不安が現われ出した。普通の「誘拐された子供」の反応を予想していたエンジュは、それを見て目を丸くした。
「お父さんの所には…帰りたくない!」
少女が恐怖の多く入り混じった声で叫んだ。今の声で警備員が素っ飛んで来るかも知れなかったが、エンジュはそんな事を気にしている余裕はなかった。エンジュは顔に出た驚きを隠し、冷静に息を荒げている少女を見つめた。
「仕事なんだ。悪いが、我が侭に付き合う気はない」
しかし少女は、怯えた表情を更に強め、両手で頭を抑えながらこう言った。
「あいつの所に戻ったら…、私、殺されちゃう…」
エンジュはいよいよ分からなくなって来た。この少女は何を言っているんだ?父親に暴力を受けているにしては、体には肩のケガを除いては痣一つ付いていなかった。混乱したエンジュは、やがて一つの結論に行き着いた。
エンジュは怯える少女に、哀れみ混じりの視線を浴びせた。少女は震える視線をエンジュに向けると、突然驚いた様に一瞬目を見開き、エンジュの膝の上に倒れ込んだ。その後ろには、たった今少女の意識を奪ったエンジュの手刀があった。
「すまないな…」
エンジュは少し、今の自分の言動に驚いた。今の今まで、殆どの人々に冷たく接して来て、何時の間にか「氷の仮面」なんてあまりいいとは思えない通り名まで付けられた自分に、こんな感情があったと分かったからだ。
(過去の記憶と共に失ったんだ、こんな感情なんて…)
エンジュはそう自分に何度も言い聞かせて、ぐったりとした少女を肩に担いだ。そして部屋の中をもう一度ぐるりと見渡し、月明かりの唯一の入り口である小さい窓から外に出た。
外は、屋敷の主が惨殺されたにも関わらず、静寂を保っていた。夜風が庭に植えられた木々を優しく撫でる音が、時たまエンジュの耳に入り、彼の心を和ませた。エンジュは窓から屋根に飛び降り、更にそこから庭に降り立った。そして少女を担ぎ直し、広い庭を歩き出した。
しかし、歩いていても、目に入るものは入る時に殺した警備員の死体の山くらいで、先程と何ら変わった所は無かった。エンジュは抵抗のない帰路に、何処かつまらなさそうな顔をしながら、無人の庭を入って来た正門を目指して歩き続けた。
そして、やっと正門の鉄格子のシルエットを確認できる所まで着いた。エンジュにして見たら、獲物のいない島をうろつく獅子のような気分をやっと拭い去れると、何だか嬉しく思った。と、突然エンジュの歩みが止まった。すると周囲の空気が、彼の放つ殺気に満ちて行った。門の所に、誰かがいる。エンジュはにやりと笑った。やっと獲物を見つけた獅子さながらの、妖しい笑みだった。
「こんちはっ!殺し屋さん!」
その人影は、軽快で明るい口調でエンジュに挨拶した。しかし、エンジュは表情を崩さず、何も言わずに鞘から『相棒』を抜き払って構えた。
「貴様…、『ボールドーの用心棒』か…」
「そうさ。僕等の事をご存知なんて…、光栄だな」
人影は誇らしそうに言うと、自ら月明かりの中に進んで来た。
人影の正体は、エンジュよりも少し小柄な少年だった。赤い髪が夜風に靡き、殺気に満ちた鋭い目付きで、エンジュを見据えている。さらに手には、身の丈ほどもある巨大な剣を装備していた。
「その凄腕の用心棒集団と名高い組織の一員様が、俺に何か用か?」
エンジュが肩に担いでいた少女を、庭の草原にゆっくりと降ろしながら皮肉っぽく言うと、少年はボリボリと頭を掻いた。
「うー…ん、実は僕、貴方がさっき殺ったアルバートさんの用心棒してたんだ」
「じゃあ何だ?仕事をするには、ちょっとばかり鈍間だったようだな」
エンジュが冷たく言った。すると少年は、いきなり可笑しそうに笑った。
「あはは!別に僕は、あんな子豚さんを守る為にこの仕事を引き受けたんじゃないよ!」
「じゃあ、何故引き受けた?」
すると、突然少年の目が鋭く光った。
「…あの子豚を狩りに来る自信満々の殺し屋さんを、僕が殺してしまおうと思って…ね」
少年の声は、さっきまでとはまるで違っていた。声量、音量は変わってはいないが、明かに殺意の濃度が比べ物になっていない。少年は、手に持っている大剣を月明かりに煌かせ、一直線にエンジュに襲い掛かって来た。少年の剣が空を斬り、エンジュの『相棒』と組み合った。甲高い金属音が、辺りの静寂を切り裂いた。
「へぇ!防いだか!ならこれは避け切れるかな!」
少年は、空いているもう一方の手を懐に突っ込んだ。そして、取り出した時には、その手中に黒い銃が握られていた。そして次の瞬間、少年はエンジュの顔に鉛玉をぶち込もうと引き金を引いた。エンジュは体を後ろに仰け反らせてそれをかわし、バック転して後ろに下がった。
「一応名前を聞いておこうか。俺はエンジュ・バラドスだ…」
「ボクはサディア・ランボウド。『ボールドー』の副統領補佐…つまりNO.3さ」
少年は得意げに言った。しかしエンジュはそれを聞いてクスクスと笑った。少年はそれを見て不服そうに顔をしかめた。
「何が可笑しい?」
「いや…、今頃は『ボールドー』も大変だと思ってな」
少年が不思議そうな顔をすると、エンジュは嘲る様に再び笑った。
「新しいNO.3を決めなくてはならないからな….今ここで、現職がいなくなるのだから…」
サディアはそれを聞いた途端、トマトの様に怒りに顔を赤らめ、エンジュに斬りかかった。さっきよりも素早い動きだった。
「死ね!」
サディアの刃が、エンジュの首を斬り飛ばした。しかし血は出ない。切り離された筈の首も、きちんと体に座っている。
「残像か…。それならほとんどの場合術者は…」
と、突然目にも止まらぬ速さで、サディアは自分の背後に突きを食らわせた。
「後ろにいるっ!」
ざくっと言う、肉が刺された音が聞こえた。手応えもあった。そして、サディアの抱いた達成感も、本物だった。
どさっと言う、人が倒れた音が、それから間も無くしてから聞こえた。サディアはすぐには振り返らず、後ろの遺体に背を向けたままこう言った。
「愚かだねぇ…。僕に盾突いた報いと思うことだよ」
悪魔のような薄笑いを口元に浮かべながら、サディアは振り返った。すると、それまでニヤニヤしていたサディアの顔が、みるみる内に真っ青になっていった。
「な…、何だと…!」
サディアの目の前にあったのは、残虐な殺し屋の変わり果てた姿ではなく、その殺し屋に殺されていた警備員だった。サディアは狂った様に辺りを見渡し、大剣を力の限り振り回した。
「何処にいるんだ!出て来い!」
突然ドツッと言う、鈍い衝突音が辺りに響いた。サディアの頭に衝撃が走り、用心棒の少年は、庭の草原に倒れ込んだ。少年の背後には、エンジュの黒い姿が佇んでいた。
「命までは取っていない。少し眠って貰っただけだ。無駄な殺生は醜いからな」
エンジュは傍らで眠っている少女を再び肩に担ぐと、ゆったりした足取りで屋敷を後にした。

帰宅
エンジュは黒いバイクに乗り、クライアントの待つ自宅に向かって長く続く道路を走らせていた。ふと時計に目をやると、針は午前二時十分を指していた。クライアントとの約束の時刻まで、あと十分しかない。エンジュはどちらかと言うと、時間には几帳面な方だった。それゆえ、彼のバイクが風を切る強さも、だんだん大きくなっていった。
クライアントの男は、小屋の古びた戸に凭れ掛かって、さっきから何度も時計に目をやっていた。あと十分だと言うのに、一向にエンジュの姿が見えない。失敗したのではないかと、男の心に不安が重くのしかかった。すると、今まで殺風景だった闇夜に、一筋の明かりが灯り、次第に大きくなっていった。それに伴って、バイクのエンジン音も聞こえ、姿もはっきりとして来た。そして、黒いバイクの姿となったそれは、男の目の前に急停車した。
「待たせたな」
エンジュがバイクから降りながら言った。そして、彼の腕の中で、相変わらず静かな寝息を立てている少女を、男の腕の中に押し付けた。男の暗かった表情は、少女を見た途端輝いた。
「有難う!エンジュ君!…それで、アルバートは?」
エンジュは、もう固まりかけた血がついた『相棒』を男に見せた。男は不敵な笑みをこぼしながら頷き、改めてエンジュに一礼すると、そこに待たせておいた高級感漂う外車に乗って帰って行った。





第三章「LOVER」


侵入者


暗闇に一人取り残されたエンジュは、夜の黒い空間に疲労混じりの溜息を一つ吐き出すと、小屋の戸に手を掛けた。しかし、突然彼の目付きが、まるで敵の気配を感じたかの様になり、手は掛けた戸を引くのを止めた。誰もいない筈の小屋の中から、人の気配がするからだ。エンジュは、もう固まったターゲットの返り血で、更に黒く染まった『相棒』を鞘から抜き払い、一呼吸おいて、ゆっくりと戸を引いた。
戸を引くと、侵入者の姿はすぐエンジュの目に飛び込んで来た。月明かりの逆光に隠され、その姿をはっきりと見る事は出来なかったが、腰まで伸びた長く綺麗な髪と、その腰に収められた一丁の小銃が確認出来た。
「誰だ?」
エンジュはぶっきらぼうにそう言うと、腰を低く屈め、攻撃の態勢を作った。すると、目の前の侵入者は、まるでエンジュをからかう様に、長い髪を後ろに靡かせた。
「あら?しばらく留守にしたからって、それは酷いんじゃない?」
エンジュは驚いた。なんと、今、侵入者が確かに発したであろうその声は、まさに女性の声だったからだ。髪の長さでそれらしくは見えていたが、まさか本当に女性だったとは、エンジュは思ってはいなかった。しかし、エンジュの感じている驚きは、それだけが原因ではない事を、彼の表情が物語っていた。エンジュは自分の目と耳を疑いながら、驚きに満ちた声で、こう言った。
「…リヴァ…なのか…?」
すると、リヴァと呼ばれた侵入者は、もったいぶる様にゆっくりと振り返り、こちらに顔を向けた。それは確かに女性だった。活動的な服装を見事に着こなし、街を歩けば、その美しさに誰もが振り返るだろう。そして、口元に浮かべている、優しく包み込むような微笑みが、彼女の美しさをより強調していた。こんな女性が傍にいるだけで、大概の男性は嬉しさに舞い上がるだろう。
「ただいま!」
リヴァはそう言ってエンジュに抱き付き、父親に甘える子供の様にエンジュの首にぶら下がった。


企み


「いつ帰って来たんだ?」
エンジュは、やっとの事でリヴァを首から引き離し、両手に握っていた『相棒』を鞘に収めた。そして身体に装備していた重苦しい装備品を外すと、それらをしまう為に、壁際に置いてある、古惚けたクローゼットに歩み寄って行った。
「…久し振りに帰って来た彼女に、「お帰り」の一言もなし?」
エンジュの背後から、リヴァの拗ねたような声が追い掛けて来た。エンジュはぴたりと歩みを止め、仕方なさそうに頭を掻いた後、「…お帰り」と呟く様に言った。しかし、仕方なさそうに言ったその言葉には、何処となく暖かさが感じられた。冷徹な殺し屋が、初めて見せた人間の顔だった。リヴァはそれを聞いて、まだ幼さの残る顔に満面の笑みをたたえ、テーブルに不釣合いな大きな椅子に腰掛けた。
「何処に行ってたの?」
「仕事さ」
エンジュが、マントの下に着ていた、爬虫類の皮膚を思わせるザラザラした服を、クローゼットに押し込みながら、背後の椅子にチョコンを座る、最愛の女性の質問に答えた。すると、途端にリヴァの表情が、さっきまでとはまるで違う、真剣なものとなった。
「…あの男の依頼を…受けたの?」
エンジュの漆黒のマントをクローゼットにしまう手がぴたりと止まった。エンジュはリヴァの方を見ようとはせずに、前を向いたまま、横目で彼女をじろりと冷たく見据えた。そして、出来るだけ平然を装いながらこう言った。
「クライアントだからな。断る理由は何処にもないさ」
「あの男が誰なのか、知らないとは言わせないわ」
リヴァの語勢さえも、さっきとは全く違い、口論しているかのように強いものになっていた。しかしエンジュは顔色一つ変えずに、マントをクローゼットに丁寧にしまい終えると、机の傍に置いてあった、もう一つの椅子に座った。そして、懐から煙管を取り出すと、口に銜えて火を点けた。
「…アルフ・レックィート。表向きはヴィリヴ共和国政府御用達の兵器開発会社の社長だが、目的の為なら殺しや諜報等、合法非合法どんな方法にでも手を染めるって、裏社会でも名の通った奴だ…」
エンジュが煙を吐き出しながら言うと、リヴァが椅子を倒してしまう程勢い良く立ち上がった。
「それが分かっていながら、そんな男に協力したと言うの!?貴方らしくないわ!」
リヴァは落胆に任せて言ったが、エンジュは相変わらず眉一つ動かさず、冷めた口調でこう返した。
「これが今の俺の仕事、『ゾルド』なんだよ…」
リヴァはしばらく荒い息をしていたが、すぐに落ち着くと、何処か哀しそうな表情になった。そんなリヴァを見兼ねて、エンジュが眉間に皺を寄せた。
「…何があったんだ?アルフは何をしようとしている?」
エンジュは、優しく宥める様にリヴァに聞いた。リヴァは俯いたまま、今にも泣き出しそうな声でこう答えた。
「数日前に知り合いから聞いた話なんだけど…、アルフは最近、巨額の費用を注ぎ込んで、「人間兵器」の開発実験をしているらしいの…」
その言葉を聞いた途端、エンジュの脳裏を不安が過った。それは、この世で最も愛すべき存在である父親の所へ帰りたがらない、不思議な少女の事だった。エンジュは注意深く、続くリヴァの証言に耳を傾けた。
「しかもあいつは…、自分の娘を被験者に使っているらしいわ。未完成の子供の体に植えつけて、その成長過程を観察するって…」
エンジュは、まるで胃袋に大量の氷水を掛けられたような感覚に襲われた。これであの少女が、父親の元へ帰りたがらなかったのか納得がいった。これであの少女が、父親の元に帰りたがらなかったのか納得がいった。しかし、エンジュの口から出たのは、全く意外な返答だった。
「俺達には関係ないな。その生体兵器が完成しようが、その娘がどうなろうが…な」
本当は、こんな事など少しも思ってはいなかったが、それを敢えて表情に出さず、エンジュは冷静に言った。それと言うのも、今自分が『相棒』を握れば、必ずリヴァも武器を取るだろう。そんな正義感溢れる彼女の性格は、長く付き合って来たエンジュが一番良く知っている。愛しい女性を危険に晒してまで仕事をする程、エンジュは冷酷な男ではない。しかし、エンジュと長く付き合って来たリヴァも、そんな事は百も承知だった。
「ホントにそう思ってる?」
リヴァの核心を突く発言に、エンジュはギクリとした。そしてなるべく動揺を表情に現さぬ様尽力しながら、煙管からの煙を深く吸い込んだ。
「お前なら判っている筈だ。俺は人の命なんて荒んだ物、何とも思っちゃいない。『ジジィ』が死んだ時、そう決心したんだ」
するとリヴァは、まるでエンジュの心中を見透かしているかのように意味ありげに微笑み、次の瞬間とんでもない事を言った。
「ふーん…、じゃあ私が助けに行く!」
エンジュはその言葉を聞いた途端、体温が一気に下がったような気がした。誰が見ても判るくらいに顔面蒼白になり、そして次の瞬間勢い良く立ち上がり、凄まじい剣幕で怒鳴った。
「だめだ!お前を危険に晒すわけにはいかない!」
空間が一瞬沈黙に包まれた。エンジュはしまったと思い、思わず口を手で覆ったが、隣ではしてやったりと言わんばかりにニコニコと満面の笑みをたたえるリヴァの顔があった。
「ね、エンジュはホントは優しいんだよ」
エンジュは悔しそうに項垂れたまま、先程の己の迂闊な言動を呪った。心の中で、何度も何度も悪態をついた。しかし、やがて後悔の波もすっかり引いた頃、エンジュはふうと溜息をついた。
「…リヴァ、君には敵わないよ」
エンジュはそう言うと、クローゼットを勢い良く開け放ち、先程入れた装備品を再び身につけた。そして外に飛び出し、すぐにバイクを走らせようと跨ったが、肝心のエンジンキーが、どこを探しても見つからなかった。ポケットを引っ繰り返して見るものの、やはりない。
「探し物は、これかしら?」
振り向くと、そこではリヴァがキーリングを指先でくるくると回しながら、開け放たれた戸に凭れ掛かって立っていた。
「…やはり、付いて来るんだな」
エンジュが困り果てた様子で、と言うよりも呆れ果てた様子で言うと、リヴァの表情が鬱に曇った。
「足手纏い?」
するとエンジュはフンと鼻を鳴らすと、リヴァがら受け取った鍵を鍵穴に挿し込んだ。
「関係ないな。俺が守ってやるんだからな」


思い出


エンジュとリヴァを乗せたバイクは、次々に向かってくる風を全て断ち切りながら、アルフ・レックィートの屋敷を目指していた。もう既に月が高く昇り、景色の間を、風の様に通り過ぎて行く彼等を優しく照らしていた。
「ねぇ、憶えてる?」
何の前触れもなく、リヴァが言った。
「何だ?」
エンジュがストレートに聞き返す。リヴァはまるで、遥か昔に忘れてしまった、遠い記憶を見据える様な穏やかな目をして、まるで夢を見ているかの様に優しい声で言った。
「私達が初めて出会った時の事よ」
エンジュはそれを聞いて、少し考える様に一時沈黙保つと、やがて思い出した様に首を縦にゆっくりと振った。
「あぁ、確かどっかの金持ちの家に盗みに入ったお前が、いきなり道路に飛び出して来たんだったな。しかも見ず知らずの俺に『私を乗せて逃げて!』だぜ?だからあのまま俺も逃げるはめになっちまった」
二人は、殆ど同じタイミングで笑った。特にリヴァの笑顔は、申し訳なさそうなのに、とても可笑しそうなものだった。
「それから行く宛てのなかったお前は、俺達と同居する事になったんだったな。あのクソジジィ、俺が幾ら言っても『貴様の連れて来る女なんぞ、ろくな奴じゃないわい』の一点張りだったのに、美人だと分かったら、途端に掌返しやがって…」
二人はまた笑った。まるで、同窓会で再会した友人と、楽しかった頃を思い出しているような、そんな笑いだった。
「幸せだったね…。あの時は…」
不意にリヴァが、悲しそうに俯きながら呟いた。
「そうだ。誰にも…、人の幸せを奪う権利なんかないんだ…」
エンジュはそう呟くと、バイクのアクセルを捻り、一気にスピードを上げた。


幸せ


エンジュとリヴァがバイクから降りると、そこには視界全体を埋めてしまう程の、巨大な屋敷が聳えていた。その巨大さは、今は亡き貿易商人アルバートの屋敷とは比べ物にならない程だった。
エンジュとリヴァは、その文化遺産レベルの屋敷の、これもまた屋敷に相応しい巨大な鉄の正門の前に立ち、その大き過ぎる門を、何かを考えながら見つめていた。「どうやって侵入するの?」
リヴァがそっけなく聞くと、エンジュは懐から、小さな水筒のような物を取り出した。そこからはピンのような物が一本、意味ありげにはみ出ている。
「こいつを使ってな」
エンジュはそう言うと、水筒のピンをひっこ抜き、門に向かって思いっきり投げ付けた。その水筒は、鈍い金属音を立てて門に激突すると、その瞬間物凄い轟音を立てて爆発した。その凄まじい爆発は、巨大な鉄門をまるで汚いアルミ板のように軽々とふっ飛ばしてしまった。するとすぐに屋敷中に警報音がけたたましく鳴り響き、タイプライターを撃つような音と共に、大量の鉛の塊が勢い良くエンジュ達に襲い掛かって来た。
「ゲーム・スタートだな」
エンジュは、まだ爆発の時に生じた煙の立ち込める正門跡に向かって走った。『相棒』を抜いて構え、煙の向こうでマシンガンを構えている警備員達を次々に血祭りにあげて行く。当の警備員達は何が起こったのかも分からず、その黒い刃の餌食になっていった。
「野郎ッ!」
エンジュの存在に気付いた警備員が、エンジュに標準を合わせてマシンガンを構え、引き金に指をかける。続いてぱんと言った発砲音が辺りに響いた。しかし警備員のマシンガンからは、弾は放たれてはいない。もう既に彼等の命は、リヴァの放った弾丸に掠め取られていたのだから。
こうして、僅か数十秒の間に、アルフ邸の警備員達の命は、堕天使の如くこの地に舞い降りた二人の暗殺者の手によって、もう誰の手も届かない場所へと導かれてしまった。

「ね、エンジュ」
不意にリヴァが、先に進もうとするエンジュを呼び止めた。
「何だ?」
エンジュがぶっきらぼうに尋ね返す。リヴァは頬を赤らめ、はにかみながらこう言った。
「キスしようよ。『ここから先、死なない様に』って」
エンジュは一瞬驚いた様に目を見開き、しばらくじっとリヴァの紅潮した顔を見つめていたが、やがてリヴァに近付き、耳打ちする様にそっと言った。
「無事に帰ったら、祝杯代わりにしてやるよ」
エンジュはそう言って踵を返し、まだ騒ぎの収まらない屋敷に向かって走り出した。
その後を追いながら、リヴァは寂しそうに微笑みながら呟いた。
「…いっつもそう言って、してくれない癖に…」

2004/05/22(Sat)13:09:37 公開 / DARKEST
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■作者からのメッセージ
再投稿です。またもへヴォい作品ですが、見てやって下さいwそして、「ここおかしいぞ?」とか思ったら、ご指導なんぞをくれてやって下さいww

ちなみにこれのイメージソングは、ALI PROJECTと言うアーティストの「コッペリアの柩」だと思いますんで、もし良かったら聞きながらお楽しみ下さいw

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