『夢中』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:森 ふづき                

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「澤村―っ!!」
俺を呼ぶ声がする。白いふわふわとした世界の中で、うっすらと霧がかかったように周りの光景ははっきりとはしない。辺りをきょろきょろと見渡すと、霧の向こうに小さな人影が見える。彼女は大きく手を振り、自分の居場所を示している。ふと霧はきれいに晴れる。彼女は笑っていた。思わずこちらの口元もほころんでしまう。
「澤村!いくぞ!」
「へ?」
彼女は大きく足を振り上げる。訳も分からず立ち尽くしていると、サッカーボールらしき球体はすぐ目の前まで迫っていた。
「うわああ!」

目を開けると、真っ白な天井が見えた。そっと顔に触れてみるが、痛くもなんともない。鼻血も出ていないようだ。
「・・・夢か。」
いつもの散らかった自分の部屋のベットの上。時計を見ると、針は七時半を巡っている。
「やべえ!遅刻する!」
急いで着替え、朝飯もそこそこに家を飛び出る。息を切らし走ったおかげで、始業直前には教室の中に飛び込むことができた。教室の後ろの入り口のすぐ近くにある自分の席に座り込む。ほとんどのクラスメイトは、余裕の表情で席に座っていた。ふと、窓側の前から二番目の席に目を移した。相変わらず、その席には誰も座っていない。入学してからかれこれ三ヶ月もその席の主はろくに学校へと来ていない。その理由を知るのは少し前にさかのぼる。そしてその時から、俺は毎日その席へ目を向ける習慣ができた。

「へえ。荒川君、今日も寝てて先生に怒られたんだ。」
大口を開けて彼女はからからと笑う。
「そうそう、でその時あいつ何て言ったと思う?先生に怒られる夢を見ていました、だってさ。」
さらに彼女は大声を上げて笑った。
「あー、おっかしい。あ、ねえねえ。サッカーしようよ。最近上手く蹴れるようになったんだよ。」
彼女の足元にはサッカーボールが転がっている。今朝の苦々しい記憶が蘇る。
「・・・・・」
「ごめんて。まさか、顔面に一直線で行くとは思わなかったの。ま、どうせ当たっても怪我はしないんだからいいじゃない。」
「怪我はしなくても、痛さは感じるんだよ。」
「それは気持ちの問題。痛いと思えば痛いし、温かいと思えば温かくなるのよ。この世界はね。」
「まあ、確かにそうだけど・・・・」
「じゃ、決まり!行くよー!!」
蹴り上げたボールは、彼女の細い体のどこからそんな力が出てくるのか、勢い良く俺の頭上の上を飛んでいく。
「へったくそ。」
「何よーっ!!ちょっとした失敗じゃない!」
広がる光景はいつの間にか、どこかの芝生の上になっていた。この世界、夢の世界では何でも望むがまま再現されるのだ。

彼女を知ったのはつい半月前のことだ。始めてあったのは夢の中。見知らぬ女の子が突如夢の中に現れてきた。彼女はずっとこちらを見ている。何も言わずに、ただ眺めているだけ。夢から覚めた俺は、その日たいそう驚く事になる。学校へ行くと、入学の時からいつも空席になっていた席に誰か座っていた。髪の毛の長い、やけに白い肌をした女の子。
「おい、あの子ってもしかして長谷?」
隣の席の奴に尋ねる。
「ああ、良く覚えてるな。あいつずっと休んでるのに。俺、初めて顔見たけど、結構可愛い子だったぜ。」
いつもぽっかりと空いている席の主。なんてことはない。いつも、出席を取る度に彼女だけが名前を呼ばれても返事がなかった。だから覚えていただけにすぎない。だから、顔さえ見たことはなかった。
「へえ。」
後ろの席からは彼女の顔は見えなかった。可愛いという言葉に刺激された俺は教室の前の方へと何気なく歩いていく。そして黒板の前でそっと振り返る。
「ああっ!!」
思わず大声を上げてしまった。彼女もその声に驚きこちらを見ている。その顔はまさに今朝夢の中でみた女の子と瓜二つだった。こんな偶然があるのだろうか。唖然と彼女を見つめていたが、彼女は何も言わずにさっと目を逸らした。その日、いきなり大声を上げたせいで、クラスメイトから馬鹿にされたのは言うまでもない。夜、俺はまた彼女に会った。彼女は腹立だし気に俺を睨んでいる。
「ちょっと、いきなりあんな大声上げないでよ。皆にばれたらどうすんのよ。」
「・・・・これは夢?」
こんなに現実とシンクロした夢があるだろうか。
「夢よ。だけど、現実。ここはもう一つの現実なの。」
「は?」
「もう、理解が遅いわね。それで良くこの世界に気付いたものね。」
「あの・・・・言っている意味が良く分からないんだけど・・」
彼女は溜息をついた後、こう説明してくれた。
人は夢を見る。見る夢は人それぞれ。そして大概の人間はそれは夢だと認識している。現実とは違うものだと。だけどそうではないと彼女は言う。夢はもう一つの現実であり、皆それに気付いていないだけなのだと。肉体と精神が同時に現実と呼ばれる世界に存在するならば、この夢というもう一つの現実世界では、精神だけが存在する。目に見える姿や、光景は記憶をもとに再現されただけに過ぎないらしい。そしてたまにもう一つの現実世界に気付く人がいる。それが長谷、そして俺らしい。
「・・・というわけ。分かった?」
「分かったような、分からないような・・」
「もう、はっきりとしなさいよ。澤村!」
「へ?何で俺の名前知ってるの?」
「・・・・・知ってるわよ。クラスメイトの名前なら全員ね。」
彼女は口を尖らす。
「学校休みがちなのに良く覚えてるなあ。長谷さん。」
「・・・・・私の名前、知ってるの?」
「まあ、クラスメイトだからね。顔は知らなかったけど。」
「そうね・・・・でも、私は澤村君の顔知ってたわ。」
「え・・・」
意味深な言葉に合わせ長谷が微笑むので、顔が熱くなっていくのが分かった。
「澤村君、前図書館で泣いてたでしょ。」
「な、何で知って・・・」
「偶然見ちゃったのよね。本を見ながら、はらはら涙を流している澤村君の姿を。」
確かにその通りだ。ふらりと図書館に立ち寄って手に取った本があまりにも切ない話だったから思わず涙がこぼれてしまったんだ。それに気付いたとき慌てて周りを確かめたら誰もいなくて一安心だと思ったのに・・・・
「・・・忘れてくれ。」
「あら、忘れないよ。私もあの本読んで泣いたもん。同じ気持ちの人がいて嬉しかった。」
「変な奴・・」
「失礼ね。ねえ、澤村君てあの作家好きなの?」
「いや、適当に手にとったから作家の名前なんて知らないよ。」
「じゃあ、同じ作家の『はじまりの夜』って本も読んで見て。やっぱりいい本だから。」
「あ、ああ。」
長谷の楽しそうな笑顔に押されて頷いてしまった。

次の日、図書館で彼女の言っていた本は見つからなかった。そして、長谷の姿は教室になかった。
「図書館になかったよ。長谷の言っていた本。」
夢で再び会った長谷に伝える。
「本当に?あんないい本が置いてないなんて、学校も品揃えが悪いわね。」
「そんなに、いい内容なのか?」
「当たり前じゃない。私も持ってるわ。大好きな本なの。」
「何だ。持ってるんだ。良かったら貸してよ。そこまで言うなら読んでみたいかも。」
さっと長谷の表情が曇った。
「あ、ごめん。ずうずうしかったかな。」
「ううん・・・違うの。私、学校に行けないからさ。本貸す機会がないのよ。」
「そういや、今日は学校来てなかったよな。」
「私、今病院にいるの。ちょっとした疾患があってね。毎日は学校行けないのよ。昨日はたまたま調子が良かったから久しぶりに学校へ行ってみただけ。」
確かに教室であった長谷は抜けるほどの白い肌をしていた。でも、夢の中ではこんなに元気そうなのに。
「ここでは、精神だけだから問題はないのよ。」
にっこりと笑う。
「・・・知らなかった。」
「皆には教えないようにしてたの。そんなふうな顔されたくないからね。」
「あ、ごめん。」
「私は平気。ここだったら、何でも出来るもの。走り回ったり、ボール蹴ってはしゃいだりあっちの世界じゃ出来ないことがなんでも出来るわ。だけど、驚いた。まさか澤村君もこの世界に気付くなんて。驚いて声もでなかったわ。君とは違って。」
長谷はいたずらっぽく笑う。

それから、俺たちは度々夢の中で遊んだ。彼女の言った通り、こっちの世界では病気なのが嘘のように長谷は元気だった。走りまわったり、大声を上げて笑ったりする。彼女は学校のことを色々と聞きたがった。自分では行けない世界の話を俺は話してあげる。そして、お返しに彼女は色々な本の話をしてくれる。泣ける本、笑える本、彼女の本に関する情報は膨大だった。「ベットの上じゃ他にすることがないのよ。」と彼女は笑った。そして、俺は図書館に通う習慣が付くようになった。そして、彼女の姿は今日もない。

「ええ、市立図書館にもないの?しょうがないのかなあ。あの本、絶版になったって話聞くし。」
「本屋も巡ってみたけど、駄目だった。あー、どうしても読みたいんだよな。長谷の絶賛するその本。」
「私が貸してあげれればいいんだろうけど・・・」
「あ、じゃあ、見舞いに行くからさ。その時に貸して・・・」
「だめっ!!」
大声で遮られた。
「・・・あ、ごめん。迷惑だってことじゃないの・・・・ただ、最近私の体急激に細くなっちゃったのよ。もう、がりがり。」
彼女はばつ悪そうに笑う。
「だから、あんまり見られたくないの。」
「・・・・分かった。じゃあ、長谷が学校に来る時まで楽しみに待ってるよ。」
「へ?」
「だから、早く元気になってその本貸してくれよ。」
彼女はにっこりと頷いた。


現実の世界ともう一つの現実世界の夢。二つの世界は繋がっている。長谷と会うたび、それを実感した。長谷と会える世界はやはり現実の世界だ。

「皆に知らせなければいけないことがある。」
ある日の朝、担任は神妙な顔つきでHRを切り出した。
「クラスメイトの長谷が、今朝方亡くなった。」
教室がざわりと騒ぐ。たちの悪い冗談だと思った。確かに昨日も笑いながら俺は長谷と話していた。死んだなんてそんなことがあるはずがない。
「本人から口止めされてたんだが、長谷はずっと病気で入退院を繰り返していたんだ。最近は症状も重くなっていたらしい。」
嘘だ。長谷はずっと笑っていた。俺は彼女と話をしていた。
「明後日、お通夜がある。皆、長谷に最後に会いに行ってやって欲しい。」
もう、何も聞こえない。何も聞きたくない。

「よっ。」
長谷は手を上げて笑う。やっぱり、あれはたちの悪い嘘だったんだ。こうして今夜も長谷は俺の前に姿を現している。
「・・・よう。」
長谷の隣に腰を下ろす。なんだか、彼女の顔が見れなかった。
「私の体、今朝死んだんだ。」
彼女は悲しそうに笑った。
「実感ないよね。今もこうして澤村と会ってるし。」
「・・・・・・」
「もともと、この世界は精神だけが存在するから実感できないんだろうけどね。体は死んでも、精神は死なないから。」
「・・・俺たち、これからもこうして会えるんだよな?」
長谷は笑う。
「当たり前じゃん。」
「・・そっか。」
「あのさ・・・皆多分私のお通夜とか来るんだろうけど、澤村は行かないで欲しいの。やっぱり、みっともない姿見られたくないからさ。」
「・・・・分かった。」

約束通り、俺はお通夜にも葬式にも行かなかった。行ってしまったら、彼女が死んだと認めなくちゃいけない。認めるわけにはいかなかった。俺たちはこうして夢の中で会い続けていられるのだから。長谷の体が死んで以来、俺の睡眠時間はぐっと増えた。家でも、学校でもひたすら眠り続けた。もう一つの現実、夢では彼女にいつでも会える。

「でさあ、荒川の奴、起きたときに「先生に怒られる夢を見ていました」だって。」
「・・・前に聞いたよ。」
長谷は笑わなかった。
「最近ずっと、前に聞いた話しかしなくなったね。」
「・・・・」
新しい話はできなかった。俺は学校でもずっと寝てばかりいる。あっちの世界で過ごす時間は少なくなっていた。だから話てあげたくとも、出来なかった。
「ずっと、澤村こっちの世界にいる。だめだよ。この世界にのめりこんじゃ・・・」
長谷は悲しそうな表情をしている。最近彼女は笑ってはくれない。俺はなんだか無性に腹が立っていた。
「お前に会いに来てることがそんなに悪いことかよ。」
「そんな事言ってるんじゃない。澤村には、もう一つの世界があるから、こっちにばかり来ちゃ行けないんだよ。」
「俺がこっちに来たいんだから、それでいいじゃないか!」
彼女は寂しげに目を逸らす。俺はそんな彼女の姿が見たいわけじゃない。あの、抜けるような笑顔を見せて欲しい。
「笑ってくれよ・・・笑って・・長谷・・・」
だけれど、長谷は笑ってはくれなかった。そして彼女は、そのまま俺の目の前からすうっと霧のように消えてしまった。

長谷は夢の中には現れなくなった。何度も何度も眠りについても、俺自身も夢を見れなくなっていた。三日、四日と時は過ぎていくのに、俺は現実の世界のように、長谷に会うことはできなくなってしまった。無性に彼女に会いたかった。

一週間が過ぎた頃、教室の机にもたれうとうととしていた時、久しぶりに夢を見た。真っ白な霧に包まれていた。
「・・澤村」
懐かしい声だった。途端に霧は晴れ、教室の風景へと変わる。現実の世界かと思った。あの空白の席には、長谷が座ってこちらを見ている。
「長谷・・・・俺、ずっとお前の事待ってた。」
「・・・・ごめんね。」
彼女はやはり笑ってはくれない。
「でも、こうして又会えた。」
「・・・最後だから、最後にもう一度だけ、澤村に会いたかった。」
「最後だなんて、そんな事いうなよ。俺はいつだって会いに行くから。」
長谷は悲しそうに俺の目を見つめる。
「どうして、この世界に気付く人が少ないと思う?」
「え?」
「人は体は死んだとしても、精神だけは永遠にこの世界で生き続けるの。だから、現実の世界で会えなくなった人でもここでは会える。」
知っている。だから、俺たちはこうして会うことができるんだ。
「だけど、死んだ人にいつでも会える世界は、現実の世界の人には必要ないのよ。」
「そんな事はない。」
彼女は悲しく笑う。
「命はいつかは尽きるものだから・・・現実で生きる人たちがこっちの世界に溺れちゃったら、二つの世界はめちゃくちゃになってしまう。だから、あなたにもこの世界は必要はないの。」
「でも、そうなったら君に会えなくなってしまう。」
「会ったわ。私たちは現実でも何度も会ってた。教室でも、図書館でも、廊下でも。話はできなかったけど、それでも私たちは確かに現実で繋がっていた。」
始めて長谷を見た教室。俺を見ていた図書館。知らぬ間にすれ違っていた廊下。
「だから、もうあなたにこの世界はいらないわ。」
「長谷・・・・・」
長谷はそっと俺の手に触れる。その小さな手は暖かかった。
「痛いと思えば痛いし、温かいと思えば温かいのよ。」
いつか長谷の言った言葉を思い出す。
「また、いつか会えるわ。それはずっと先にはなるだろうけど、その時にはまた色々な話を聞かせてね。」
彼女は笑った。ずっと見たかった笑顔だった。そして彼女の笑顔は霧の中に包まれていった。

気付くと、教室の中には誰もいなかった。夕陽が窓から差し込んでくる。手にはほのかに温かさが残っている。俺は長谷の席へと近づいていった。現実の出来事のようだった。ふと、からっぽのはずの長谷の机の中に何かが入っていることに気付いた。取り出してみると、それは一冊の本だった。茶色の装丁の古びた本の表紙には『はじまりの夜』と書いてある。長谷の席に座り、そっとその本を開く。本にぽたりと涙が落ちた。
「・・・本当だ。俺たちは現実で繋がっている・・」

あれ以来、俺は夢何度か夢を見る。そこには長谷の姿はなかった。そんな朝はちりりと胸が焼ける気がしたが、俺はいつものように学校へと向かう。友達と馬鹿な話をしたり、授業を聞いたり、少しだが勉強もしてみたり。俺には二つの習慣が残っている。一つは、朝自分の席に着いた時、今は違う人間の座っている窓側の前から二番目の席を眺めること。もう一つは、図書館に通っては色々な本を読むこと。いつかまた長谷に会ったとき、話しきれないほどの話題を持っていなければならない。そして彼女は、俺の話を聞きながら満面の笑みを浮かべて笑うのだろう。

2004/05/01(Sat)04:17:31 公開 / 森 ふづき
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■作者からのメッセージ
短編です。夢の世界はもう一つの現実世界。そこで二人は出会った・・・・

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