『神様の宿るレストラン 1〜12(これにて完結!)』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:浪速の協力者                

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 それは、春のある晴れた日の事だった。中学を卒業し、高校生活という新たな道を迎えた俺は、入学式早々遅刻をするかしないかの一刻を争っていた。「新たな」と言っても、俺の学校は中学から高校へはエスカレーター式なので、特に何かが変わるということはない。だから、今まで通り遅刻するかしないかを争っているのだ。俺の名前を教えたいが、今はそんな事を言っているほど暇ではない。とりあえず、ニックネームが「ルー」であることだけ教えておこう。
 お、俺の中学・・・・いや、高校が見えてきた。

 

神様の宿るレストラン



「よーし、みんな席に着けよ〜。」

 無事に入学式を終え、これからクラスで点呼をするようだ。俺は何とか遅刻をせずに済んだが、そのおかげで朝っぱらからぐったりとしている。

「えらいぐったりとしてるわね。」

 小声でそう言ってきたのは隣の席に座っている黒川 栄子(くろかわ えいこ)だ。クラス内では明かしていないが、実は従妹なのである。なぜ明かさないかと言うと・・・・・めんどくさいからである。

「ああ、朝っぱらから抜き打ち1人マラソン大会が開催されたからな。」
「・・・・・大バカ。」
「何?!」
「おい、そこの男子!勝手に喋るな!!」

 何で俺だけなんだ。まあ、仕方ないかもしれない。栄子は入学当初から成績優秀で、スポーツ万能。加えて、自ら状況判断し、行動し、リーダーシップも発揮できるいわゆるクラスに必ず1人はいる「何でも出来る君」なのだ。よって、教師からすれば、非常に好都合な生徒なのだろう。俺はどうかって?ンなもん聞くな。
 ようやく担任の長々しい話が終わった。自己紹介もしたが、先程も言ったように、エスカレーター式なので、ほとんどが顔見知りである。俺が席を立つと、栄子が呼びかけてきた。

「ねえ、ルー。」

ヤバい。そう察した俺は、その声を無視して教室を出て行こうとした。が、後ろから襟首を鷲づかみしてきた。脱走計画、失敗。

「ちょっと、聞こえてんでしょ?!」

 正直、放してほしかった。しかし、捕まってしまったからには仕方がない。ここで抵抗したら、10倍になって返ってくるに違いない。

「何だよ?」
「今日、おじいさんが帰り道に店に寄ってくれって言ってたの。」
「じゃあ、1人で行けよ。」
「あんたも連れて来い、と。」

俺は溜め息を1つついた。

「店って、あの開店しそうでしない奇妙なファミレスのことか?」
「恐らくね。」
「そうか・・・・仕方がない。行くか。」

そのレストランは帰り道からはそう遠くもなかったが、行くとなると、ややめんどうな距離だった。はあ〜・・・・さっさと帰って眠りたい。




「がっはっは!よく来てくれた!!」

がらんとした店に入った瞬間、無意味に大笑いをしながら、そう言ってきた。相変わらず元気な野郎だ。これで現在72歳である。

「はあ・・・・。で、今日はどうしたんですか?」

と、栄子。

「おお、そうじゃった。君たちをここに呼んだのは他でもない。わしのこのレストランの事じゃ。」
「開店する前に閉店する、とか言い出すんじゃないだろうな?」

ぐほッ!
栄子のエルボーが俺の横っ腹に突き刺さっている。

「いや、お前たちにこのレストランをしばらく預けたいのじゃ。」
「え?」
「閉店を俺たちの責任にするつもりか?」

がはッ!
今度は裏拳が顔面に当たった。こいつ、やっぱ女じゃないな。

「そうではない。わしは今度、1年ほど海外に行くつもりなんじゃ。」
「じゃあ、俺たちなんかじゃなく、プロを雇えば良いじゃねえか。」
「金が無い。」

だったら最初からこんな店を建てるなよ。

「で、いつから出発するんですか?」
「3日後じゃ。」
「おい、そりゃあまりにも無責任だろ?!スタッフとか、材料とかはどうなってるんだ?!」
「あ、あと労働許可とか、そういう関連は?」

とうとう栄子も反論を開始した。しかし、

「労働許可、あと調理資格等はちょいと小細工をしとるから、まったく心配は無い。材料は年間契約で、定期的に配達してもらうようにしとるから心配は無い。まあ、それが原因で予算をはるかにオーバーしてしまったんじゃがな。」

じいさんは「へへへ。」と笑いながら言った。はっきり言って、笑い事ではない。

「で、肝心のスタッフは?」
「スタッフは・・・・そうじゃな。スタッフぐらいはお前さんらで何とかしてくれ。あ、鍵は栄子に渡しておこう。」

 無茶苦茶だ。金が無いのにどうやってまともなスタッフを用意することが出来るのというのだ。だいたい、調理資格とかを小細工で何とかするなんて、そんなに都合の良い話がある事自体がおかしい。もしこれが夢ならば、一刻も早く覚めてほしい。しかし、頬をつねっても、一向に自分の部屋の景色が変わらないことから、それは虚しい祈りだと分かった。
 結局、その日はそれで話が終わった。最後の「お前さんらで何とかしてくれ。」という一言が、一瞬にして俺たちの言い返す気力を消え失せさせた。何とかしろというのは、店がつぶれても良いと考えているということなのだろうか?もしそれで本当につぶれたとしても、俺は絶対に責任は取らねえぞ。
 翌日、学校が終わり、もう1度店を訪ねると、店の中には誰もいる様子が無かった。・・・・・いないだと?あのじじい、まさか・・・・・栄子は昨日受け取った鍵で店を開け、中に入った。すると、テーブルの上に置き手紙があった。それにはたった一言、『宜しくたのむ♪』と書いてあるだけだった。本当にこの店をつぶしてほしいらしい。
 はあ〜・・・・どうなることやら。




「さて、問題は、だ。」

放課後に教室に残って、栄子と向かい合っている俺は、そう話を切り出した。

「スタッフをどうするか、でしょ?」
「その通りだ。」
「さっきから1時間話してるけど、あんたそれしか言ってないじゃないの!!」

言われてみればそうだった。

「う〜む・・・・やっぱ、クラス内に呼びかけるか?」
「例えば?」
「・・・・杉山とかは?」
「やめて!!あいつだけは絶対に嫌!!」

 何とも激しい拒絶だ。杉山というのは、物理学上、俺の友人として存在している奴のことだ。ミステリー好きな奴で、いつも他人とはやや思考回路がずれている。にも関わらず、校内ではほぼ毎回、成績トップをキープしている。
 ただ、今述べたように、思考回路がずれているせいか、栄子とはよく意見が食い違う(大概、おかしいのは杉山である。)変わった奴だが、良い奴といえば良い奴だ。

「けど、あいつほど頭の回る奴も他にはいないぞ?」
「そりゃそうだけど・・・・」
「今、俺の事を呼んだかね?」

噂をすれば何とやら。いきなり教室に入ってきたのは、その杉山だった。

「はあ〜・・・・出たわね。」
「で、この俺をスタッフにするというのは?」
「お前。一体どこから聞いていたんだ?」
「約1時間前からだ。」

ということは、ほとんど全部ということになる。随分と暇な野郎だ。仕方なく、俺たちは事のあらすじを話した。

「ほほう、なかなか面白そうだな。」
「けど、もしこれであんたが入ったとしても、まだ3人。厨房のメンバーとかも考えなきゃね。」

栄子の言う事はもっともである。とてもではないが、俺たちが厨房のスタッフに入る事が出来るとは思えない。

「料理の腕の良い奴なら1人知っているぞ?」

と、杉山が言った。

「何?!」
「それも、この学校にいる奴だ。」
「その人、まだ学校に残ってる?」
「今日はもう帰っているだろうが、今週末にその店に来てもらうように言ってやろうか?」

栄子は「ありがとう!!」と言って、杉山の手を握った。杉山に感謝するところなんて、今後生涯見られないかもしれない。

「じゃあ、厨房はその人をリーダーにして、あと2人くらい付けましょ。」
「どうするんだ?」

そうそう簡単に見つかるはずはない。

「料理部から連れてくるわ。」
「ちょっと待て!!全員、学生にするつもりか?」

 さすがにそれはまずいと思った俺は言った。調理師免許も持っていないのに、調理師になって良い訳がない。しかし、多くの問題は、たった一言で解決されることになる。

「おじいさんが何とかしてくれるわ。」

 あの『おじいさん』がか?そんなこと、ありえるはずが無いが、この際もうそれにすがるしかない。

「しかし、たしかに調理師免許がないのは問題だろう?」

と、杉山。そう、それは犯罪になるはずなのだ。

「おじいさんが言うには、その店自体を特殊な法律で守ってあるから、その心配はないって。」
「なら、安心だな。」

何でそんな事でしっくりと納得が行くんだ。
 その後、料理部に足を運び、店に勧誘したところ、快く引き受けてくれた女子が2人いた。ところで、その日の帰り道にふと思ったことなのだが、店の名前は一体何にするのだろう?・・・・・『世にも奇妙なレストラン』なんてどうだろうか?




 その週末、俺は店に向かった。時間帯からして、栄子や他のメンバーはもう揃っているはずである。なぜなら、今日は午前9時に集合して、開店準備を進める、という予定のはずなのだが、現在の時刻は集合時間を30分以上過ぎている午前9時35分だからだ。
 はあ〜・・・・また脇腹にエルボーを喰らう覚悟をしとかねば。


 店に入った瞬間、案の定、栄子は俺に襲い掛かってきた。予想と違っていた事と言えば、仕掛けてきた攻撃がエルボーではなく、飛び膝蹴りだったという事ぐらいだ。

「あんたは、準備日初日から何してんのよ?!!」

 ここでもし、「寝坊した。」と言えば、今度はかかと落としを喰らうことになるだろう。ここは1つ、素直に謝るのが最善である。俺が、「すまん。」と言おうとした瞬間、厨房の方から悲鳴が聞こえてきた。

「何じゃこりゃああああ〜〜〜!!!」

どこかのドラマで聞いたことのある台詞だ。その声を聞き、杉山もどこからともなく、ひょっこりと出てきた。

「今の厨房からか?」

と、杉山。

「みたいだな。」

俺はそう静かに答えた。3人で厨房に行ってみると、

「どうしたんだ、ファン?」

杉山が問いかけたのは、この世の終わりというような絶望の表情をしている奴だった。

「ここの厨房、ジャーレン、ササラはおろか、中華鍋も中華包丁もあらへんぞ?!これじゃ、俺、何も出来へんで?!!」

誰だ、この関西弁を喋る中国人は。

「ちょっと、杉山。あんた、一体どういう人を連れてきたのよ?」

栄子はファンと呼ばれた人物に聞こえないように、小声で言った。

「いや、料理の上手い奴といったら、こいつが思い浮かんだんだ。」
「だからって、中華料理専門の人を呼んでくることないでしょ?!」
「じゃあ、この店は何が専門なんだ?」

そういえば、それすらも決まっていなかった。杉山にそう言われた栄子は、思わず「ぐっ。」と言葉に詰まった。

「まあ、心配するな。もともと料理の出来る奴だから、レシピさえ覚えたら特に問題はないと思うぞ。」

 杉山はそう言い残して、店の奥の方へと消えていった。心配するなと言っていたが、今の説明では何の解決にもなっていない。
 昼頃になったので、昼食を取ることになった。昼食は近くのコンビニで買ってきた弁当だった。席は店内のテーブルを使っている。

「さて、午前中にどっかの馬鹿のせいで出来なかった自己紹介をしましょう。」

栄子はスッと立ち上がって提案した。馬鹿と言うな、馬鹿と。

「私から時計回りに行きましょう。黒川 栄子、高1です。この店の所有者の孫です。現在、特に部活には所属していません。どうぞよろしく。」

とりあえず、ここで拍手をしておいた。どうやら、こういうのは暗黙の了解らしい。
 その次は俺なのだが、立ち上がって自己紹介をしようとしたら、栄子に、

「こいつが自己紹介をする時間を遅れさせた張本人です。私の従兄弟でニックネームは『ルー』。性格は・・・・初日から遅刻してくるような奴だから、大体の察しは付きますよね?」

 やや嫌味な眼つきでこちらを見てきた。何て奴だ。しかも、本名を紹介していない。もっとひどい事は、俺以外には誰もその事に気付いていない、と言うことである。ま、本名なんていつでも教えられるから構わないのだが。
次に立ち上がったのは、料理部の人だった。

「熊川 祐実(くまかわ ゆうみ)です。高2です。料理部に所属してます。よろしくお願いします。」

と、まるで転校してきた小学生のような可愛らしい自己紹介をし終え、深々とおじぎをした。何というか・・・・・とてもかわいい。
 次はもう1人の料理部員だ。

「門倉 瑠奈(かどくら るな)、高2よ。祐実と同じく料理部に所属中。よろしくね。」

えらくシャキシャキとした自己紹介だったな。非常にサバサバとして、明るそうな人だ。
 お次は、さっき厨房で絶叫していた人だ。

「ファン スイピン(黄 修平)、高1です。中国人で、杉山と同じクラスです。関西弁なんは、小学生の頃に日本に越してきたんが大阪やったからです。ってか、ここって中華料理店やったんとちゃうん?」
「う〜ん・・・・どんな料理を出すかはまだ決めてないけど、中華料理にはならないと思うわね。」

栄子はやや言い辛そうに答えた。
それを聞き、ファンは肩を落とした。

「ま、ええわ。一応、どんな料理でも作れる自信はあるし。」

何とも立ち直りの早い人だ。ちょっと変わっているような気もするが、実に人柄の良さそうな人に思えた。
 そして最後に立ち上がったのは・・・・

「杉山 秀人(すぎやま ひでと)、高1です。俺がこの店の臨時オーナーです!」

 杉山はそれだけ言って、席に座った。全員、いや栄子以外は呆然としている。栄子はというと・・・・・ああ、また1人、この野獣の餌食になる奴が出るな、と俺は思った。なぜなら、過去を振り返ってみると、栄子の怒りを買った奴は全員、本人に叩きのめされるという歴史が続いていたからだ。そして、怒りで満ちた拳を震わせて、栄子は、

「何、勝手にオーナーの座に座ろうとしてるのよ?!!!」

と、叫びながら、右ストレートを繰り出し、杉山の顎を捉えた・・・・かに見えた。だが、あろうことか、杉山は紙一重でそれをかわした。そして、

「ふっふっふ、俺を殴ろうなど100年早いぞ、黒川。」

と、余裕の笑みで言ったのだった。これには、俺ばかりか栄子も自分の目を疑った。その一方で、俺はひそかに期待をしてもいた。ついに、栄子の政権が終わる時が来たのだと・・・・・




 あれから2週間が経った。いよいよ開店3日前となり、全員が今か今かと、その日を待っていた(こんな俺でも多少は楽しみにしている。)いや・・・・1人だけ不服そうにしていた。そう、2週間前に必殺「怒りのコークスクリューパンチ(俺命名)」がものの見事にかわされた栄子だ。あれからというもの、ずっと機嫌が悪そうだ。このままでは、俺に八つ当たりをしてきかねないと思った俺は、なぜかオーナー室に居座っている杉山の所へ向かった。

「おい、杉山。」

オーナーが座るべき椅子にどっかりと座っている野郎に俺は声をかけた。

「何だ、ルー?」

 言い忘れていたが、俺はこの店でも「ルー」と呼ばれることになった。「ルー」だけならまだ良いかもしれないが、熊川さんは俺のことを「ルーさん」、門倉さんは「ルー君」、ファンに至っては「ルーやん」と呼び、誰1人として俺を本名で呼ぼうとしない。はあ〜・・・・話を戻そう。

「お前が栄子のパンチをかわしてから、あいつ、ずっと機嫌が悪そうだぞ?」
「ふむ。」
「『ふむ。』で済ませるな。お前はそれで良いかもしれんが、このままでは俺が八つ当たりの標的にされる。」
「で?」
「謝ったりしなくて良いから、とりあえずオーナーはあいつに任せてやってくれ。あいつはあれでも、この店を俺のじいさんが帰ってくるまで守らなければならないという責任感があるんだ。」

杉山は少し考え込んだ。すると、突然栄子が部屋に入ってきた。

「わっ!ど、どうした、栄子?」

 俺はここで戦争が始まるのではないかと思った。しかし、事態は思わぬ方向へと展開するのだった。

「杉山。私はね、別にあんたがオーナーをやったって構わないの。」
「・・・・・」

杉山は黙って話を聞いている。

「ただし、業績が下がりさえしなければね。」
「どういうことだ?」

俺はややためらいながら聞いた。

「毎週末に売り上げを計算するのよ。それで、もし下がり続けるようなことがあれば、問答無用であんたはその座から引き摺り下ろされる、というのはどう?」
「1つ聞くが、次期オーナーは誰になるんだ?」

自分でもなぜかは分からないが、俺は分かりきっている事を聞いた。

「勿論、私よ。」

だから、そう自信満々に言うな。一方、杉山はと言えば・・・・・

「ふむ。黒川にしては、なかなか面白い提案だ。」

 こっちもこっちで、余裕の笑みを浮かべている。栄子は一瞬、「『にしては』ってどういう事よ?!」と、言いたげな顔をしたが、グッと堪えた。

「良いだろう。その話、乗ろうではないか。そうだな・・・・4週間下がり続けたら、潔く身を退こう。ただし、俺がオーナーをやっている間は経営方針には文句は言わせないぞ?」
「よし、成立ね。会計係はルー、あんたに任せるわ!」
「何で俺が?!!」
「どうせ、他に出来ることが無いんだから、金額の計算ぐらいはあんたがやりなさい。」

 だから、嫌だったんだ。こういった、とばっちりを受けるのは絶対俺になるんだ。こうして、オーナーの座を賭けた世紀の対決(?)が開始されたのだった。・・・・・勘弁してくれ。

「ところで、この店の名前、一体どうするんだ?」

 恐らく、この2人ならもう思いついているだろう、と思ったのだ。ところが、2人の顔はただただ、ぽかーんとしているだけだった。まさか、開店を3日前にして、まだ思いついていなかったのか?

「あ、あんた、オーナーなんだから、考えているんでしょ?!」
「都合の悪くなった時だけ、オーナーを押し付けてくるな。」
「あら?私はさっきから、『あんたがオーナーをやったって構わない。』って言ったはずよ?」

杉山は、「ぐっ。」となり、言い返せなかった。一方の栄子は、その様子にご満悦のようだ。

「ぬう〜・・・・じゃ、『A Domani!(ア・ドマーニ!)』で。」
「どういう意味だ?」
「イタリア語で『また明日!』という意味だ。」
「何で『また明日!』なの?」
「お客様に親しみを持ってもらうためだよ。それくらいは、察しがつかないとな。」

 嫌味をたっぷりと込めて、杉山は栄子に返した。・・・・ん?今、どっかからブチって聞こえたような。おお!栄子の後ろで炎が上がっている。こんな面子で本当に店を1年間も経営できるのだろうか?はあ〜・・・・・腹いてえ。




 杉山が決めた名前が『A Domani!』というイタリア語になったことから、店は自然とイタリア料理店へとなっていった。そして、開店前夜・・・・

「皆さん、お疲れ様でした!」

と、栄子の掛け声で準備期間の打ち上げパーティーが店内で開かれようとしていた。

「いよいよ、明日からこの店がオープンします。最後にもう1度確認しておきましょう。特にルーはよく聞いときなさいよ。」

 100回ぐらい確認したことを今更確認しなくても別に良いではないか、とでも言おうものなら、痛い目に遭うので、「へいへい。」とだけ答えておいた。

「開店時間は、平日は学校が終わってからでも行けるように、PM6:30〜PM9:30。休日はAM11:00〜PM9:00。定休日は水曜日で、校内テスト2週間前から終了日までは全日休業、ってことで行きましょう。それでは、・・・・現在、一応、あくまで一応ですよ?一応、この店のオーナーである杉山から乾杯の音頭を頂きましょう。」

 栄子はどす黒いオーラを杉山に向けて発しているが、当の杉山はと言うと、全く気付かない振りをしていた。

「明日から開店しますが、恐らくここにいる全員がこういった、店で働くというのが初めてだと思います。分からないところなどはお互いに協力し、助け合いながらやっていきましょう。では、乾杯!」

 杉山に続いて、皆も声を揃えて「乾杯!」と言い、ついにパーティーが開かれた。俺がコップに入っているオレンジジュースをぐいっと飲み干した時だった。

「あ、そうそう。ルー。」

と、栄子が何やら思い出したように言った。

「明日までにって頼んどいた、あの書類に表記されている金額の計算、終わった?」
「へ?何の事だ?」
「あんた・・・・まさか、忘れてたんじゃないでしょうね?!」

俺はよ〜く自分の記憶を辿ってみた。

「・・・・あ。」
「『あ。』じゃないわよ!あれを明日までに提出しなきゃ、店が開けないのよ?!!」
「え〜と・・・・わりい。」

 俺は素直に謝った。しかし、栄子の信条には「ごめんで済んだら、警察はいらない!」というのがある。

「さっさと計算してきなさい!!!」

 鬼のような顔つきで言われた俺は、あっという間にパーティー会場から追い出されてしまったのだった。書類の置いてある地下の作業室に入って、電卓を手にし、計算に取り掛かろうとすると、俺は思わず絶句してしまった。重ねて置いてあるプリントの厚さが約2〜30センチもあるのだ。・・・・今夜中に終わるかな?
 パーティーはいつの間にかお開きになったようで、会場となっている部屋の方もシーンとしている。俺はと言うと、まだ4分の1も終わっておらず、時計を見ると、もうPM11:30を指している。明日は休日なので、学校に遅れる心配は無い。だが、そんな事はもはや関係ない。

「ああ、もう!!こんなの今日中なんかに終わらねえ!!!」

俺は1人で叫んで、椅子に踏ん反り返った。と、その時、

「頑張ってください。」

という声が後ろから突然聞こえた。俺は驚いて体を元の体勢に戻し、振り返って見ると、そこには熊川さんがいた。

「遅くまでお疲れ様です。」

と言って、すっと紅茶を出してくれた。一瞬、天使に、いや、女神にさえ見えた。

「あ、ありがとうございます!って、あれ?他の皆は?」
「30分程前に帰っちゃいました。」
「一緒に帰らなくて良かったんですか?」
「ええ。家はすぐ近くですし、一人暮らしですから。」
「あれ、そうだったんですか。」
「はい。・・・・あ、今なんかやらしい事考えませんでしたか?」
「め、滅相も無い!」

 しまった。うっかり顔に出してしまったか?いや、ちょっと待て!いつの間に俺はそういうキャラに変わったんだ?!

「うふふ。冗談です。」
「は、はあ。」

笑った顔がまた一層に可愛らしく見えた。

「・・・・熊川さん。」
「何ですか?」
「この店、何でこんな素人のメンバーが集まってしまったんでしょうね?」

何でこんな事を聞いているのだろうか?
 恐らく、この時疲れがピークに達していて、普段考えないような事を考えていたのだろう、と俺は推測している。

「う〜ん・・・・それって、運命っていうものじゃないですか?」
「運命?」
「はい。もっと言えば、神様がそう仕向けた、という事です。」

 運命に神様・・・・か。振り返ってみると、小学生を卒業して以来、そんな事を考えたことが無かった。熊川さんは続けた。

「例えば、この店。この店は、ルーさんのおじいさんが建てられたんですよね?なぜそうなったかと言うと、それは神様がおじいさんに、『この店を建てよう。』と考えさせたんです。」

 あのじいさんが、神様に縁があるとは思えないが・・・・。あるとすれば、そりゃあの世に逝った時だけだろう。

「このように、この世にある全ての物は、神様が宿っているんです。」
「神様が・・・・ですか?」
「はい。つまり、この店は『神様の宿るレストラン』なんです。」
「・・・・・。」
「あ!その顔は、信じてませんね?」
「い、いえ、信じてますよ!」
「そう?良かった。」

 この可愛い笑顔に、妙にプレッシャーを感じるのは気のせいだろうか?どんな人に、何を言っても肯かせる力を秘めているのか?

「じゃあ、私はこれで上がりますね。」
「あ、はい。お疲れ様でした。」
「風邪、ひかないようにしてくださいね。」

 最後の最後まで、気を使ってくれるなんて・・・・。栄子も少しは見習ってほしいものだ。俺は熊川さんに入れてもらった紅茶を一口含むと、急に体が温もった感じがした。

「・・・・さて、もう一頑張りしますかね。」

 俺は再び、作業に取り掛かったが、結局、残り5分の1ぐらいまで行ったところで、力尽きてしまった。よくは覚えていないが、最後に時計を見た時はもうAM4:30を指していた記憶が残っている。




翌朝、目を覚ました時、時刻はAM8:00を指していた。

「ああ・・・・あのまま寝ちまったのか。」

 むくっと体を起こすと、腹がなった。そういや、昨日のパーティーではほとんど何も口にすることなく、追い出されたんだった。・・・・腹減った。厨房にある物を食おう。
 俺は厨房に行くと、そこにある大きな冷蔵庫が目に付いたので、引き手を取って、ガバッという音と共に開いた。

「うわっ!!!」

俺は一瞬、自分の心臓が止まるかと思った。なぜなら、

「なかなか、ええ食材使とるな。」

と、言って出てきたのは、ファンだった。

「びっくりした〜。ってか、お前、いつからそこにいたんだよ?!」
「つい30分ほど前からや。」

と言うことは、こいつは30分間もこの冷蔵庫の中にいたのか?・・・・死んでないよな?

「ところで、そっちは昨日のあの書類の計算、終わったんか?」
「・・・・・いや、まだだ。と言っても、もうそんなに残ってないけどな。」
「はよ、終わらせといた方がええで。もうちょいしたら、黒川も来る思うし。」

 それもそうだ。俺は、ファンに促され、いそいそと作業室へと戻っていった。今日は休日だから、営業開始時刻がAM11:00だ。皆が来るのは、だいたいその1時間半前のAM9:30ごろだ。
・・・・やばし。


「終わった〜〜〜!!!」

 ついに、戦いが終わった。時刻を見ると、9時40分。何人かは来ているだろうが、まだ全員は揃っていないはずである。俺が気分良く、だがふらふらとした足取りで作業室を出ると、そこには栄子がいた。

「あら、ルーじゃない。どうしたの?」
「ふふふ。やっとあれが、終わったんだ。」
「え?!あれ、あんたもう終わったの?!!」

栄子はかなり驚いているようだ。

「あれ、今日の夕方まででも良かったのよ?」
「・・・・・。」

俺は体が凍り付いてしまった。

「栄子・・・・お前、そんなに僕のこと嫌い?」
「ま、まあ、早く提出するに越したことないし、よく頑張ったわ。お疲れ様。」

 栄子は膝を着いた俺の頭を撫でて、何とか慰めようとしてくれた。・・・・そんな事より、朝飯を食わせてくれ。


 その後、俺はオーナーである杉山に遅刻許可をもらって、一旦、家に帰ることにした。この時感じたことなのだが、朝帰りって、何か悲しいな・・・・。携帯を見ると、AM10:13と表示されている。
 さっさと店に戻らないと、また栄子にどやされる、とか考えていると、前方から人影が近づいてきた。熊川さんだった。

「あら、ルーさん。おはようございます。」
「おはようございます。」
「あれ、終わったんですか?」
「はい。おかげさまで何とか。」
「そうですか。それは良かったですね。」

 熊川さんはそう言って、にっこり笑った。ああ、癒される。おっと、こんなところで時間を潰していてはいけない。もう少し癒されていたいが、そういうわけにも行かない。

「じゃあ、また店で。」
「あ、はい。また後で。」

 俺は話を切り上げて、家へと向かっていった。家に帰っても、特に親には怒られなかった。親の話によると、栄子が電話で連絡していたらしい。
風呂に入り、朝飯を食った後、俺はいそいそとまた店に戻った。家で過ごした時間、たったの30分・・・・・
 店に戻ると、皆はもう仕事にかかる準備は出来ていたが、客は誰1人としていなかった。まあ、現在の時刻はAM11:15だから、朝飯には遅すぎるし、昼飯にはまだ早いので、仕方が無い。裏口から入ると、突然栄子に何かが入ったビニール袋を渡された。

「何だよ、これ?」
「ウェイターの服よ。」

当たり前のように言ってきやがった。因みに、栄子はもうウェイトレスの姿をしている。

「俺、ウェイターもすんのかよ?!」
「当たり前でしょ?!ただでさえ人手不足なんだから。」
「けど、俺、作法とか何も知らねえぞ?」
「大体の事は、そこに張ってある紙に書いてあるわ。門倉さんがこういう店でバイトをしていたことがあったから書いてくれたのよ。」

 昼飯ラッシュまで、あと1時間あるかないかだ。そのような短い時間で、壁に張ってある5枚のぎっしりと作法の心得を書いてある紙を覚えろと言うのか?・・・・考えていても仕方が無いので、とりあえず始めることにした。
 そして、あっという間に正午を過ぎ、そろそろ客が入り始める頃だ。はっきり言って、ほとんどがうろ覚えだ。頭を抱えていると、栄子が「皆、店の前に出て、私たちの初めてのお客様を迎えましょう。」と叫んだのが聞こえたので、店の外に出ることになった。

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」

 手を後ろにし、6人が横一列に並んで真正面を向くと言う姿勢を保ったまま、全員が黙って立っていた。時刻はPM12:30。そろそろ来るはずだ。

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・おい。」

 どうも様子がおかしい、と思った俺は、とうとう沈黙を破った。現在の時刻はPM1:00だ。いくら不況のご時世とはいえ、開店したばかりの店に誰も足を運ばないのは、あまりにもおかしいのではないだろうか。

「杉山。開店日は今日のはずだよな?」

俺は聞いた。勿論、先程と同じで横一列に並んで真正面を向いたままで、だ。それに対して杉山は、

「その通りだ。」
「開店時刻はAM11:00だったよな?」

俺は聞いた。これも、先程に続いて横一列に並んで真正面を向くと言う姿勢を保ったままで、だ。それに対して杉山は、

「その通りだ。」
「じゃあ、なぜ・・・・?」
「・・・・なあ、1つ思てんけど、言うてええ?」

と、ファン。無論、こいつも俺と同様の姿勢をとっている。

「今日、オープンすること知っている人って何人おるん?」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・盲点だったな。」

 杉山がポツリと呟いた。考えてみれば、この店自体、設立されてからかなり長い間に渡って放置されていたものである。一般市民にいきなり、「この店、今日からオープンです。」なんて言っても信じてくれる人はあまりいないだろう。俺たちは急いで店に戻り、それぞれの知人に電話をかけて、店に来るように言った。客が入っているところを見れば、それに釣られて来る人も増えるだろう。結果は予想通りだった。
 それからの1ヶ月間の売り上げには驚くばかりだった。恐らく、学生だけが経営しているという点が客に受けたのだろう。
 こうして、イタリア料理店『A Domani!』は、素人ばかりにしてはまずまずの滑り出しとなったのである。




開店してから1ヶ月経ったある日、売り上げグラフを描いていた俺は、ある事に気付いた。

「・・・・下がっている。」

俺が思わず呟いてしまった小声を、隣で別の作業をしていた栄子は聞き逃さなかった。

「今、『下がっている。』って言ったわよね?!!」

こちらの胸倉を掴み、右腕だけで、俺は栄子の飛びきりの笑顔を近づけられた。断っておくが、こいつは女である。

「あ、ああ。ほんのわずかだがな・・・・ってか、離せ!ぐるじ〜・・・・。」

だんだん意識が朦朧としてきた。このままでは本当に命を落とすと思った時になって、ようやく栄子は手を離した。断っておくが、こいつは女である。

「ついに、あいつの無能さが露(あらわ)になってきたのね!」
「ちょっと待て。下がったと言っても、急激に下がったわけじゃないし、まだ下がり始めて2週目・・・・。」

と、そこまで言ったとき、栄子は実に怪しげな笑みでこちらを睨み、

「何か言った?」

と、聞いてきた。最後にもう1度だけ言っておこう。断っておくが、こいつは女である。
 しかし、ほんのわずかとは言え、2週間下がり続けているのは事実である。考えてみれば、売れていた理由が「学生だけのスタッフが面白いから。」と言うものなのだから、1ヶ月も経てば飽きられてくるのも仕方が無い。そこまで気にする事ではないかもしれないが、一応、杉山に報告しておこうと思い、俺はオーナー室へと向かった。

「おい、杉山。入るぞ?」
「どうぞ。」

 部屋に入ると、そいつは雑誌を読んでいた。タイトルは『全国うまい物巡り全集(イタリア料理編)』と書いてある。こっちはこっちでそれなりに考えているのかもしれない。

「何だ?」
「さっき、売り上げ表を描いていて気付いたんだが、ここ2週間、少しずつだが売り上げが下がってきている。」
「ふむ・・・・。やはり来たか。」

こいつにあの売り上げノートを見せた覚えは無い。だとしたら、こいつはある程度の予想があったということになる。

「どうするんだ?このままだと、本当に政権交代だぞ?」
「・・・・すまんが、そこに置いてあるメニューを取ってくれ。」

 そう言って、杉山が指差した先には、いろんな雑誌が置いてある中に、この店のメニューが埋もれているのが見えた。手渡すと、まるで自分が客であるかのようにメニューを見始めた。

「・・・・もうすぐ7月か。ということは夏野菜が・・・・」

何やらぶつぶつと呟きながら、真剣に考えているようである。ここまで真剣な眼差しで考える杉山を見たのは初めてだ。

「よし。」
「何か思いついたのか。」
「ああ。題して『夏野菜カーニバル』だ。」

俺は一瞬、「『カーニバル』はイタリア語ではないだろう。」と言いそうになったが、やめておいた。

「というと?」

俺は聞いた。

「そのままだ。夏野菜、具体的に言えば、ピーマンやズッキーニなどを盛り合わせた料理を出すということだ。」
「けど、それだけで・・・・。」
「まあ、最後まで聞け。」

杉山は、「ちっちっちっ」という感じで指を振った。何かムカつく。

「野菜=健康的。健康的=疲れにくい。そして、この夏の時期に出す=夏バテ対策である、という方程式が成り立つ。それを入り口の『今月のオススメメニュー』の黒板に書いておく。これでOKだ。」

何とも頭の回転が速い奴だ。俺はこいつがオーナーを勤める事をあながち間違いではないと思う。
 早速、俺はファンたち、厨房メンバーに知らせに行った。こっちもこっちで頭の回転が速く、それを聞いた瞬間、もういくつかメニューを思いついたらしい。その内の1つが、「夏野菜のオムレツ(バジル風味)」だという。ファンの説明によると、そのオムレツの中には、ポテト、かぼちゃ、にんじん、赤ピーマン、バジルをたっぷりと入れた絶品らしい。いかん、よだれが出てきてしまった。
 その結果、開店当初のような、とまでは行かなかったが、それなりに売り上げは回復していった。


「う〜ん・・・・惜しかったわね。」

 店を閉めて、後片付けをしている最中に栄子が悔しそうに言った。今夜の後片付け当番は、俺と栄子になっている。無論、栄子が言っている内容はオーナーの座の事について、である。

「お前は、この店の売り上げを止めたいのか?」

俺はやや呆れ気味に言った。

「そういう訳じゃないけど・・・・」

 やや複雑そうな表情をしていた。しかし、栄子の気持ちも分からないわけではない。元々、あのじじいからこの店を託されたのは栄子だ。そこをいきなり杉山に割り込まれては、それは俺でも腹が立つだろう。

「・・・・俺から杉山に言ってやろうか?」
「い、いいわよ!そんなの私、全然気にしてないから。」
「けど・・・・。」
「大丈夫だって!私がそこまでオーナーの座に執着しているように見える?」

 「見える。」と言いそうになったが、やめておいた。幼い頃に似たような状況で、栄子が強気になって言っているところを俺が否定したことによって、泣かせてしまったことがあったからだ。こいつは、普段は強気だが、実際は、内面は非常に弱い奴だと言うことを俺は知っている。

「・・・・そうか。それなら良いんだけどな。」
「ありがとね、心配してくれて。」

こいつが俺に礼を言うなんて、珍しいこともあるもんだ。よし、ここは1つ、

「じゃ、帰りに何か奢れ。」
「何であんたって奴は?!」

 しまった。調子に乗り過ぎてしまったか。逃げようとした時には、もう顔に拳がめり込んでいた。まあ、こいつはこれぐらい活発な方が、こいつらしくて良い。
 明日もまた騒がしくなりそうだ。・・・・鼻いてえ。




 時はあっという間に過ぎて、もうすぐ年が明けるところまで来た。経営状態はこれと言って上向きではないが、これと言って下降気味でもなく、まあそれなりである。

「俺たちがこの店で働くのもあと3ヶ月程か。」

 俺は地下の作業室で売り上げノートを記録しながら言った。近くにいるのは、何かの書類を書いている栄子と、年明けに行う企画を練っている杉山である。

「そういえば、そうね。」
「早いものだな。」
「栄子。じいさんはいつ帰ってくるんだ?」
「知らないわ。だって、何も言わずに行っちゃったんだもの。」

そりゃそうだな。ったく、電話の1本ぐらいよこせってんだ。無責任にも程がある。

「この店をやっていくのも結構大変だったが、いざ終わるとなると少し寂しいかもな。」

と、杉山。俺もそうかもしれない。いろいろな事があったが、それなりに楽しかった。

「でも、もう1年続けろ、って言われたらどうする?」

栄子の質問に、俺と杉山は、「誰がやるか。」と声を揃えて答えた。

「ところで、話は変わるが、来年の1月に何か企画を立てたいのだが、何か良い案はないか?」
「1月か〜・・・・。ありそうで、案外無いな。」

俺は少し考えたが、何も思いつかなかった。

「そうなんだ。さっきから、俺もずっとそれを悩んでいてな。」
「じゃあ、お餅を使った料理を出すっていうのどう?」
「おい、ちょっと待て。イタリア料理で餅を使うなんて聞いたことが無いぞ?」

 栄子の意外な提案に俺は待ったをかけた。たしかに、発想はなかなか面白いとは思うが、あまりにもイタリアンからかけ離れているような気がする。しかし、

「『聞いたことが無い』ものをやってこそ、面白い企画になるんじゃなくて?」

たしかに一理ある。

「ふむ・・・・。では、明日、ファンに提案してみようか。あいつに提案すれば、大概の物は何とかなるだろう。」

 翌日、ファンに提案すると、またしても斬新なアイデアを思いついたらしい。その1つが、『餅のゴルゴンゾーラソース』といって、切り餅を使った料理である。ファンが言うには、餅とチーズの相性はかなり良いらしい。いかん、またしてもよだれが・・・・。こうして、1月の企画は決定した。
 
 ある日、営業中に1本の電話がかかってきた。予約とは珍しいな、と思いながら俺は電話に出た。そもそも、この店の電話番号を知っている人がいる事自体が珍しい。

「はい、こちら『A Domani!』です。ご予約ですか?」
「おお〜。その声はルーか?元気にしとるか?」
「・・・・・。」

じじいの声だった。俺はこの声を聞いた瞬間、反射的に電話を切りそうになった。

「・・・・ご注文で?」
「注文しても良いんじゃが、今、イタリアにおるからの。運んでもらうのには、ちょいと苦労するぞ?イタリアと言えば、店名からしてイタリア料理店っぽいの。」

と、言いながら笑っている。何だか、内心むかむかしてきた。

「で、何の用だ?」
「おお、そうじゃった!聞いて喜べ!来月には帰ることになったぞ。」

一瞬、俺は何も言えなかった。来月に帰ってくるって事は、この店は・・・・

「どうかしたのか?」

無言の俺に、じじいが問いかける。その声を聞き、俺はハッと我に帰った。

「そ、そうか。分かったよ。さっさと帰ってきて、この店で働いた報酬を払えよ!」
「分かっとるわい。じゃあ、栄子の方にもそう伝えといてくれ。」

 じじいはそれだけ言って、電話を切った。俺の頭の中では、「来月には帰る。」というじじいの言葉がグルグルと回っていた。その場に立ち竦んでいると、栄子に働けとどやされて、話す機会はあったのだが、結局俺はその日にあったじじいの電話のことを言うことは出来なかった。




 じじいの電話があってから、2週間が経ったが、俺は未だに栄子や他のメンバーに言えずにいた。皆がこの店を早くやめたいと思っているという事が分かっているなら、俺もすんなりと言えるが、もし皆がこの店で働くことに充実性を感じていたら・・・・。俺はここ最近、ずっとその事で悩んでいた。

「・・・・くん!ルー君!ルー君!」
「え、あ、はい!」

俺が頭を上げると、そこには門倉さんがいた。ここは作業室なので、厨房にいる人はめったに来ることはない。

「どうしたの?顔色、悪いよ?」
「だ、大丈夫ですよ!」
「そう?ならいいんだけど。」
「はい。ところで、珍しいですね。門倉さんが作業室に来るなんて。」
「あ、別に大した用じゃないんだけどね。さっき、ルー君のお母さんがあなたの携帯を届けに来て、渡してくれ、って言われたから。」

 そう言って、差し出されたのは紛れも無く俺の携帯だった。こんなものまで忘れてしまう俺は、相当悩んでいるのかもしれない。

「すみません。ありがとうございます。」
「いいの、いいの。私なんかより、お母さんにお礼言っといたほうが良いよ。じゃね。」

それだけ言うと、門倉さんは踵を返し、部屋を立ち去ろうとした。

「・・・・門倉さん。」

俺はそれを呼び止めた。

「ん?何?」
「・・・・門倉さんは、この店をどう思いますか?」
「どう思う、って?」

門倉さんは俺の妙な質問に、首をかしげた。

「つまり・・・・この店に対する自分の思い入れ、ってことです。」
「う〜ん、そうね〜・・・・。」

 少し考えている様子だった。俺は自分が質問したことを少し後悔した。門倉さんや他の人には関係の無いことだ。こういうことを言うとすれば、それは栄子ぐらいだ。

「この店で働くのは大変だけど、私はこの店が好きよ。だって、全部自分たちの手で成し遂げている事だもの。そして、それは皆、同じ気持ちだと思う。ルー君もきっとそうだと思うわ。」
「・・・・はい。」

門倉さんは、「やっぱりね。」という笑顔をした。

「でも、本当に今日は大丈夫?そんなルー君らしからぬ質問をするなんて。」
「だ、大丈夫ですってば!」
「そう。じゃ、閉店まで頑張ろうね。」
「はい!」

 そう言って、門倉さんは部屋を後にした。門倉さんの言うとおりだ。1年間も働いてきたのに、今更この店が嫌いだった、なんて言う奴がいるはずがない。何で俺はそんな事にも気付かなかったんだろう。でも、そうだとしたら、俺は・・・・どうすれば?
 ここ最近の俺の作業は、皿を割ったり、オーダーミスを連発したりするなど、目を当てられないほど悪かった。

「はい。本日はこれで解散です。皆さん、お疲れ様でした。」

 という栄子の本日の営業終了の掛け声で、全員がお互いに「お疲れ様でした。」と言い合って、解散するはずだった。俺が更衣室に入ろうとすると、

「ルー。ちょっと来て。」

と、栄子に声をかけられた。どうやら、とうとう栄子の怒りの標的となってしまったようだ。連れて行かれた場所は、やはり地下の作業室だった。

「あんた、今日の作業、一体どういうつもりなの?」
「すまん。」

 栄子はかなり怒っているようだが、いつものような殴り飛ばしてくるようなオーラは感じられなかった。その内、杉山も入ってきた。

「どうかしたの?」
「いや、さすがに今日のルーには俺も少し気になってな。」
「そう、私も気になってたのよ。ルー。あんた、最近、何かあったの?」
「・・・・・。」

この2人にも分かるぐらい、俺はやばいのか。

「ねえ、ルー?私たちで良ければ、力になるわ。だから、話してみて。何かあったんでしょ?」

あったとも。けど、言えるわけがない。そんなことを言ったら、皆が・・・・

「・・・・黙ってたら何も分からん!!」

珍しく杉山が痺れを切らして大声を挙げた。俺と栄子はそれにビクッと反応した。

「俺はこの店のオーナーである以上、そして、お前の友人である以上、お前の助けになりたい。いや、ならなくてはならない。だが、お前の方がそれに応えようとしない限り、俺だけでなく、黒川も他の皆もお前の助けになれない。だから・・・・頼むから話してくれ。」

 俺は涙が出そうになった。今まで、一緒にバカをやってきた杉山や、いつも殴ったり、蹴ったりしてきた栄子がここまで俺の心配をしてくれたことが嬉しかった。そして、それに気付かなかった俺が情けなかった。俺は、じじいから電話があったこと話した。杉山たちはそれをスッと受け入れてくれて、明日、皆に話そうということになった。




 翌日、開店前に、杉山と栄子、そして俺はファンと熊川さんと門倉さんにこの店が来月で終わることを話した。彼らもまた、昨夜の杉山と栄子と同様に理解してくれた。

「というわけで、皆さん、残り1ヶ月頑張りましょう!」

開店前のミーティングを栄子はそう言って、切り上げた。

「栄子。その・・・・ありがとうな。」
「何言ってんのよ。水くさいわね。これはあんただけの問題じゃないでしょ?それに、半年前の借りもあったしね。」
「半年前?」
「あんたが、杉山にかけあってやろうか、って私に言ってくれた事よ。けど、これでチャラだからね。」

 栄子はそう言い残して、女子更衣室へと入っていった。何だかしっくり来なかったが、まあいいか。そう考えた俺は男子更衣室に入った。着替えている際に、ふと室内に掛けてあるカレンダーが目に付いた。

「今日は2月13日。ってことは、明日はバレンタインか・・・・。熊川さんからチョコ、貰えるかな。」
「何を1人で顔をにやにやさせているんだ?気持ちが悪いぞ。」

 熊川さんがチョコをくれるシーンを妄想しているところで、杉山に声を掛けられた。急に現実に引き戻されたせいか、何だか妙にいらいらする。

「何を考えていたんだ?」
「別に。そういや、お前、バレンタインにチョコを貰った事あるか?」
「ない。」

えらいきっぱりと答えたな。

「俺は元々、甘い物は嫌いだからな。だから代わりに、手作り料理を貰った事は何度かある。」
「手作り料理って何だよ?」
「例えば、フライドチキンとかだ。」

 こいつにあげるためにわざわざそんな凝った物を作ったのか。物好きもいるものだな。だいたい、それって、バレンタインにチョコを貰ったことがないというだけで、他の物はしっかり貰っているって事じゃないか。何とも嫌味な野郎だ。

「因みに本命だったが、振った。そういうお前はどうなんだ?」
「ンなもん聞くな。」
「そうだな。聞いた俺が馬鹿だったな。」
「ムカつく野郎だな。」

奥の方に、ファンがいるので、聞いてみた。理由は、1人でも身近に同士がいてほしいから、である。

「こっちに越してきてからは無いけど、大阪に住んどった頃に1度だけあったで。そのくれた子がまためっちゃかわいい子でな、今でもまだ遠距離交際してんねん。ほんでな、最近・・・・」

 ここから約30分に渡ってファンは、『ファンと彼女と彼女の生きる道』という題名のノンフィクションストーリーを語り始めた。栄子からの義理が1度だけ(小学生の頃)の俺って・・・・・。
 

さて、仕事中・・・・

「ねえ、明日はバレンタインデーだけど、どんなチョコか楽しみ〜?」
「楽しみ〜♪」

 1組のバカップルが店内でいちゃいちゃしている。いちゃいちゃするのは構わんが、他の客の飯がまずくなる程やるのはやめてほしい。だが、一方でその光景をうらやましいと思ったりする俺でもあった。
 翌朝、俺はいつもより少し早く目が覚めた。心のどこかで貰える事を期待しているのだろうか?今日は週末なので、開店はAM11:00の日だ。・・・・早く店に行って、自分のロッカーの中を見てみることにした。

「・・・・・。」

 案の定というべきか、期待通りというべきか、俺のロッカーの中には1つも入っていなかった。いや、まだ終わったわけではない。これから、今日の2月14日が終わるまで、まだ12時間以上あるのだ。そう、ここからが勝負どころなのだ!


そして、閉店時刻・・・・・

「やばい・・・・。タイムリミットが近づいてきた。」
「お前、何を言ってるんだ?」

そう言ってきたのは、杉山だ。

「ひょっとして、チョコを貰えることを期待しているのか?」
「わ、悪いかよ?!そういうお前はどうだったんだよ?!」

俺が聞くと、杉山は無言でチョコが入っているであろう青いテープでラッピングされた箱を1つ見せ付けてきた。箱のラッピングの仕方を見たところ、どうやら手作りのようだ。

「お、お前、いつの間に?!ってか、誰から貰ったんだ?!」
「ディナータイムにクラスメイトが店まで渡しに来てくれてな。勿論、ちゃんと夕食も食べていってくれたぞ。」

 そういう問題か。俺はふとファンの方を見た。・・・・漢字がぎっしり詰まっている花柄模様の手紙を目読しながら、うっとりとしている。俺、かなり危ない?

「昨日も言ったが、俺は甘い物が苦手だから、これ、お前が貰ってく・・・・」

 杉山が何やら良からぬ事を言おうとしたので、俺は奴の顔にピーター・アーツもびっくりのハイキックを叩き込んでやった。その時、栄子が解散の号令をかけようとして、奥の部屋から出てきた。

「はい!では、皆さん、お疲れ様でした・・・・って、何で杉山がこんな所で伸びてんの?」
「愛の神様から制裁を喰らったそうだ。」

俺の的確な、かつ平和的なその説明に、栄子の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいるだけだった。
はあ〜・・・・結局、今年もダメだったか、と途方に暮れながら、店を出て、自分の朝歩いてきた道を進んだ。しばらくすると、

「ルーさん。」

と、声を掛けられた。この呼び方をする人はただ1人。振り返るとそこに立っているのは、熊川さんだった。

「あの・・・・こ、これ・・・・バレンタインのチョコレートです!」

 そう言って渡してくれたのは、驚くほど綺麗にラッピングされた手作りチョコだった。いや、それよりも驚くべき事は、形からして本命である、という事だった。

「え、あ、ありがとうございます!!」

 俺は、この予期せぬ事態に、パニック状態に陥ってしまって、何を言えば良いのか分からなかった。一方の熊川さんも、暗くて見にくいが、顔を真っ赤にしているようだった。

「あ、あの、恥ずかしいから、食べるのは家に帰ってからにしてくださいね?じゃ、また明日!」

 それだけ言うと、熊川さんは自分の家の方向へと走っていった。・・・・俺にも春到来っすか?しばらくの間、その場に立ち竦んでいると、どこからともなく、気味の悪い笑い声が聞こえてきた。まさか・・・・

「ついに、ルーにも春が来たのね〜。」

出やがった。近くの曲がり角から出てきたのは、栄子だった。表情からして、今のシーンを一部始終見ていたようだ。

「良かったわね〜。念願の本命チョコ。あんたの事だから、どうせ初めてでしょ?」
「う、うるせえな!そういうお前は、誰かにあげたのかよ?」

俺の質問に、栄子は突然顔を赤くした。

「ん?ひょっとして、本当に誰かにあげたのか?」
「う、うん。まあね。」
「杉山とか?」

 俺は冗談半分で言ったつもりだった。普段、あれほど杉山を嫌っている栄子に限って、あいつにあげるとは思えなかったのだ。ところが、

「え、な、何で知ってるの?!!」

・・・・予想外の返事が帰ってきた。

「いや、冗談だったんだけど・・・・。」
「・・・・・。」

げっ、睨んできた!ここは何とか上手く凌がないと、せっかくの春到来が台無しになってしまう。

「え、え〜っと、いつあげたんだ?」
「・・・・今日の昼休憩の時よ。あんた、覚えてなさいよ。私を騙した罪は重いわよ。」

 騙すも何も、お前が勝手に自滅しただけだろうが。・・・・ん、待てよ?今、昼って言ったよな。杉山が閉店時に見せてきたのは、ディナータイムに貰ったという青いテープでラッピングされた物だった。

「・・・・なあ。それ、どんなラッピングをしたんだ?」
「え、赤いテープでラッピングしたけど、それがどうかしたの?」
「・・・・ぷっ!あっはっはっはっは!!」

 杉山はあの時、俺に甘い物は嫌いだから食べてくれと言って渡してきた。その時に栄子の渡したのを見せなかったという事は・・・・。そう考えると、俺は笑わずにはいられなかった。

「ち、ちょっと、何がおかしいのよ?!」
「悪い、悪い。いや、お前こそ春到来だな。」
「え、どういう事?」

 俺は、杉山の行為を栄子に話してやった。すると、栄子は喜んでいるのか、恥ずかしいのかが分からない、複雑な表情をしたのだった。



 今日はいよいよじじいが帰ってくる日だ。楽しい事も、大変な事も(1:9の比率)あったが、それ相応に良い物だった。店のメンバー全員が、恐らくこの店で働くことが終わりになるだろうと思っていたが、店の外に『本日で閉店。』なんていう縁起の悪い札を立てたりはしていない。
 そして、あっという間に閉店時刻が過ぎた。俺は、オーナー室に栄子と2人で、じじいが来るのを待っていた。9時半に来るそうだ。

「何だか、今日はいつもよりも終わるのが早かったな。」

俺は言った。

「そうね。でも、この1年を振り返ると、1年を通してずっとそんな感じがするわ。」
「たしかにな。」

そんな話をしていると、店の入り口の扉が開く音がした。

「お〜い、わしじゃ。帰ったぞ〜!!!」

来やがったな、悪の枢軸め。

「あ、お久しぶりです。」

 あくまで、社交的な態度を取る栄子。俺はというと、何も言わずにただじっと座ってじじいの顔を見つめていた。

「ん?どうしたんじゃ、ルー?」
「あの、おじいさん。この店はどうなるんですか?」
「ああ、それなら、向こうで金を結構稼いできたから、プロのスタッフに10年間契約という形で任せるつもりじゃ。」

俺はスッと立ち上がった。

「・・・・俺たちがこのまま続けるのはダメか?」
「ならん!」
「即答かよ?!」
「当たり前じゃ。たしかに、この1年間は良くやったと思う。だが、来年も同じようなことが出来るとは限らん。それに、3年生になる者もおるんじゃろ?」
「・・・・・。」

じじいの言うとおりだったので、俺は反論できなかった。

「そういうわけじゃ。それに、お前、最初は嫌がっておったではないか。」
「・・・・栄子。悪いけど、ちょっと席を外してくれ。」
「え、で、でも・・・・」
「この頑固なくそじじいを説得する。」
「・・・・分かったわ。でも、喧嘩はしないでね。」

そう言って、栄子は部屋を出て行った。

「言っとくが、わしは考えを変えるつもりはないぞ?」
「それを変えさせるために、今から話し合うんだ。」

じじいは、オーナー席にどっかりと座った。

「たしかに、さっきじじいが言ったように、俺はこの店を1年間もやるのが嫌だった。けど、今は違う。俺は、いつの間にかこの場所で過ごすことに安らぎ、そして生き甲斐を感じるようになった。」
「何が生き甲斐じゃ。カッコをつけよって。お前はまだ若い。生き甲斐なんていうもんは、これからでも嫌と言うほど見つかる。そして、これから先に見つける生き甲斐も、いつかは終わる。だが、そこからまた別の生き甲斐を見出せる。」
「1つの生き甲斐にこだわって、何が悪い?!若いからこそ、出来ることだってあるはずだ。」
「そうとも。だからこそ、いろんな物や出来事に出会い、自分を高めていくんじゃ。それこそが、若いからこそ出来るというものじゃ。」
「だからって、まだ出来るかもしれないことを、出来ないという仮定で終わるなんて、おかしいだろ。」
「くどい奴じゃ。若い者がしなくてはならんことは、経験を積むということだと言っておるんじゃ。そんなに言うんじゃったら、こちらからも聞かせてもらおう。お前は、この1年で、何を手に入れたというんじゃ。」

口論が続いたが、じじいのその質問に、俺は言葉に詰まった。

「・・・・・。」
「ほれ見ろ。何も思いつかんじゃろ?もしあったとしても、それは今後手に入れることの出来る物のはずじゃ。だから、ここはもう諦めるんじゃ。」

 俺には、じじいの声は聞こえていなかった。手に入れたものを必死になって考えていたからだ。俺は、栄子や杉山、ファン、熊川さん、門倉さんと共に何を手に入れたのか。1年間、ほぼ毎日顔を合わせ、皆で力を合わせて、手に入れた物・・・・

「ルー、聞いておるのか?」
「え、ああ。」
「そういうわけじゃ。明日には、皆に伝えておくんじゃぞ。」

皆に・・・・、俺を除くこの店のメンバー5人に・・・・。

「そろそろ、家に帰った方が良いぞ。」
「・・・・いや、ちゃんと手に入れたものはある。」
「何?」
「この1年を通して、築いたものがある。」
「それは何じゃ?」
「・・・・『絆』だ。」

じじいは何も言わなかった。

「俺はこの1年を通して、皆との『絆』を作った。それは、今後手に入れられるものじゃない。今、出会った仲間だからこそあるものだ。だから頼む。これからもこの店をやらせてくれ。」
「・・・・・。」

じじいはしばらくの無言の後、デスクにある電話を取り、どこかにかけ始めた。

「・・・・ああ、わしじゃ。今日の昼間のスタッフ雇用の件なんじゃがな。――――いや、予定通り、来月から来てもらう。」
「お、おい、じじい!!」
「お前は黙っとれ!――――ああ、すまんの。たしか、わし、契約期間を10年としとったよな?あれを5年間に変更してもらえんかの?」

え・・・・それって・・・・

「――――無理な注文なのは分かっとる。そこを何とかしてほしいんじゃ。――――すまんの。変更料金は後日支払う。じゃあな。」

それだけ言って、じじいは受話器を置いた。

「今ので、大体分かったじゃろう。お前たち全員が大学を卒業したら、またこの店で働け。」

俺はいつの間にか涙が出ていて、ただただ「ありがとう。」という言葉を繰り返していただけだった。

「やれやれ・・・・お前、これでこの店を潰したりなんぞしたら、それこそただじゃすまんからな。」



1ヵ月後

店名は変わっていなかったが、雰囲気は以前とは変わっていた。いや、そんな気がするだけなのかもしれない。

「ルーさん。お待たせしました。」

 熊川さんは少し息を切らせながら言った。俺たちは出掛ける時の待ち合わせ場所として、ここに来ることにしていた。言っておくが、出掛けるというのは勿論、恋人同士としてだ。

「いや、そんなに待ってませんよ。」
「そうですか?それは良かったです。店の方を眺めてましたけど、何を考えてたんですか?」
「・・・・熊川さん、たしか以前、『この店は神様の宿るレストランだ』って言ってましたよね。あれって、強ち間違いじゃなかったな、って思ってたんです。」
「でしょ?・・・・あ!じゃあ、やっぱりあの時のルーさん、私の言ってる事信じてなかったんですね?!」

ぐっ・・・・しまった。思わず口が滑ってしまった。

「そんなルーさん、嫌いです。もう知りません。」

熊川さんはそう言って、ソッポを向いてしまった。

「ご、ごめんなさい・・・・。あとで美味しい物奢ります。」
「じゃあ、許します♪」

何か騙されてるよな?ま、そこが可愛いんだけど///(ノロケ)

「それじゃ、熊川さん。行きましょうか。」
「・・・・その、『熊川さん』って言うの、やめにしませんか?」
「え?」

俺はしばし、どう呼ぶべきかを考えた。そして・・・・

「分かりました。オホン・・・・じゃ、行こうか、瑠奈!」
「はい!ルーさん!」

俺は瑠奈の手を取って歩き出した。

「ところで、こっちは呼び方変えたから、そっちも変えてくれない?」
「というと?」
「ズバリ、本名で呼んでほしい!」

 俺は友達から本名で呼ばれたことがない。それだけに、自分に彼女が出来た時は、絶対に本名で呼んでもらおうと決めていたのだが・・・・

「え〜っと・・・・ごめんなさい。その・・・・ずっと『ルーさん』って読んできてたから・・・・分からない・・・・です。」
「・・・・・・・・・。」

 初デートのこんな妙な始まり方なんて聞いた事がないが、この関係にもまた、神様が宿っているものなのかもしれない。俺は、少し悲しくなりながらも、自己紹介を始めるのだった。


Fin


2004/05/04(Tue)23:37:05 公開 / 浪速の協力者
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■作者からのメッセージ
どうも、浪速の協力者です!
春休みの短期連載で書き始めたのが、ここまで長引いてしまいました(苦笑)
何だか、ヘンテコな作品になってしまいましたが、とりあえずこれで完結です。
ご愛読してくださった皆様、本当にありがとうございました!!

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。