『絵の中に 第一話』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:澤月 更紗
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1
バタン、重い扉の閉まる音が静かにマンションの廊下に響いた。その後に続くカツカツという足音が次第に音の間隔を縮めて非常階段へと向かっていった。
足音の主は私、早瀬 友香(ハヤセトモカ)。セーラー服にベージュのマフラー、授業道具と財布と携帯が入っている学生カバン、私の持ち物はたったそれだけだった。
今さっき出てきた部屋で飛び交っていた言葉がまだ耳に響きつづけている。見えてきた非常階段は急で、高いところが苦手な私は普段はめったに近づかなかった。けれど、今この瞬間に階段から落ちて死んでしまっても良いかもしれない、とさえ思う。フツフツと体の中を陰湿に巡っているこの状態を「はらわたが煮え繰り返る」とでもいうのだろうかと、ふと思った。
学校から帰ってきた私は、リビングにいた母に見せたいものがあった。
「おかえり」
読んでいた小説から目をあげて母は微笑んだ。私の好きな温かい笑顔だ。カバンからゴソゴソと何かを探している私にどうしたの、と問いかけた。
「あのね、この前まで描いていた風景画がコンクールで優秀賞をとったの。今回のコンクールは全国規模のなんだよ」
賞状とメダルを母の目の前に差し出した。とたん、母は立ち上がった。乾いた音が響いた。母が私の頬を思い切り殴ったのだ。熱を急に発し出した頬に手を触れて私は呆然とした。
「まだ、そんなくだらない事をしていたの!やっぱりあなたもアイツの子供なのね」
母は私の目の中に世の中に汚らしい忌むべきものが全て詰まっているかのように睨みつけた。傍にいるだけで逃げ出したくなるようなほどの殺気を周りに漂わせながら。先ほど微笑んでいた人は別人だったのではないかと思うほどに。
私はまだこの状況に付いていけず、帰ってきたら言おうと予定していた言葉を吐き出した。
「私、美術系の大学に行きたいの。絵本の挿絵とか書くような仕事に就きたいから。だからね・・・・・・」
言葉は途中で遮られた、頬がまたの衝撃で熱を増す。母は肩で息をしていた。
「私たちを捨てたアイツと同じ道を行こうとするの。今まで育ててやった恩も忘れて!」
私は、ぽかんと口を開けていた。数秒後母の怒りが私をも侵食したかのように私は母に怒鳴り散らした。
「誰も育ててくれなんて頼んでない。私が何に興味を持つかなんて父さんも母さんも関係ない」
そして深く息を吸い込んで私は叫んだ。
「そんな心の醜い女だから母さんは捨てられたんだよ」
来た廊下を戻って外にでた。後ろの方では狂ったようにわめき散らす母の声が背中に刺さった。
そして今にいたる。非常階段の一番上に腰掛けた私は何があんなに母を鬼とするのか考えていた。
母の言うアイツとは父の事だ。私が小学二年生だったときに一言残して家から消えた人。
「君といるのはもう疲れた」
父が消えた日、母は私に父はちょっと旅行に行っている、と話した。しかし、私には父がもう戻ってこないという予感がした。事実あれから九年たった今も父は「旅行」から戻らない。
私はふいに回想から引き戻された。後ろを振り返ると部屋の前から母が私のほうへ走ってきた。髪を振り乱す彼女はまさしく、鬼だった。カバンを持ち上げ階段を降り始めようとして母に腕を掴まれた。
「あんたもアイツと同じ・・・・・・」
呪詛のように呟く母を見て私の背中を寒気が走った。
「離して・・・・・・!!」
手を振り解こうと私は体をねじった。その時、ローファーを履いた私の足はバランスを崩し、カバンの重みも加わってフッと階段から離れた。手を振り解くと同時に私の体は暗い鉄の階段を地面に背を向けて落ちていった。
瞬間、目に入った母の口が叫ぶように形作っていたのに私の耳には声が届かなかった。
貫くような痛みを感じたとたん、私の世界は暗転した。
2
閉じているまぶたに光が優しく降り注ぐ。私は、ぼやけた意識から急速に浮き上がった。目を開けば木目の天井が見える。
どこ、ここ。
しばらく天井を見つめたまま布団に横になっている。少しずつ思考回路が動き始める。
何かおかしい。
起き上がればそこは見たことの無い部屋。足元の方の壁に窓がある。朝日が差し込んで私の体を通り抜けて掛け布団に陽だまりを作っている。声も出せずに私は枕元を首をめぐらせて見た。そこには半年くらいの薄いピンク色の服に包まれた赤ん坊がいた。
「この子、誰?」思わず少し大きな声を出してしまった、が赤ん坊はスヤスヤと眠りつづけている。私は自分の手のひらを見た。手が透けて掛け布団の柄が見える。手を合わせてみることは出来たなのに、布団をめくろうとしても触れない。
立ち上がって部屋を歩き回る。足音はせず、部屋は静かなままだ。小さな机と赤ちゃん用の玩具、木製の洋服ダンス。それらのものを長めていると、なぜか懐かしさがこみ上げてくる。なぜ、と思っていると部屋のドアがそっと開かれた。
「あら、トモちゃんはまだねんねしてるのね」
小花柄のエプロンをつけた女の人が入ってきた。それは私が知っている頃より若い、母だった。
赤ん坊が目を覚ましてぐずり始めた。若い母は私の横を通り過ぎて、赤ん坊に近寄っていく。どうやら私の姿は見えていないらしい。母は微笑みながら赤ん坊を抱き上げた。
「トモちゃんおっきしたの?いい子ね、ほうら、泣かない、泣かない」
これが若い頃の母ならば、今抱かれているのは・・・・・・私?
私はしばらく母子の様子を眺めていた。穏やかで優しい空気が部屋に満ちている。今は見せない安らかな母の微笑みに私は少し驚いた。
2004/03/22(Mon)22:28:48 公開 /
澤月 更紗
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■作者からのメッセージ
少し、足しました。まだ、続きます。
今度はもっとまとめて。
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