『「海」』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:カニ星人                

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 本当に暑かった、八月のある晩。
 突発的に家を飛び出し、私は一人旅。
 出不精の私は、友達と遊ぶ日以外めったに外に出ない。
 ましてや、今は夏休み中だから。
 でも、今夜、飛び出した。
 頭なんて働かないまま、夏の夜の中に、飛び込んだ。

* * *

 私は泣いてなどいなかった。
 海までの道を、自転車で行く。
 飽くまでマイペース。すっ飛ばしたりしない。
 いくら深夜十一時だとしても、ここが海辺の田舎町だとしても、車や人にぶつかる危険はあるし。
 それに、そんな元気もない。
 生ぬるい風。真夏の湿った空気が肌にまとわりつく。
 気持ち悪くなんかない。私は夏が大好きだ。
 こんな悲しい季節になるとは思わなかったけれど。
 白い街灯にはたくさんの虫が集まっていて、その下を通る時は思わず顔をしかめる。あれだけは嫌いだ。
 昼間、延々と鳴いていたセミも寝静まった、静かなアスファルトの道。
 走るとタイヤがこすれて、シャリリリ、と心地いい音を立てる。
 私は、前かごの携帯電話が入ったリュックを見つめる。
 彼からメールが来るのを期待しているのではない。
 ただ、部屋にいた時に送られてきたメールを思い返したのだ。
 ぐっとそれから目を逸らし、前を見る。
 唇を噛み締めてこらえる。
 涙を流したら、認めてしまう気がした。

* * *

 片想いだった。
 それも一年越しの恋。
 飽きっぽい私がこんなに長く誰かを想い続けるなんて、まったくもって初めてのことだった。
 高校で出会い同じクラスになって、だんだん好きになったという平凡でありきたりな恋。
 だけど、私は一生懸命だった。
 初めて話した時、すごく嬉しくてその日一日幸せだった。
 一言一句気をつけて喋ったあの頃。
 気兼ねなく話せるようになると、もっと仲良くなりたいと思い始めて。
 勇気を出してさりげなくメールアドレスを聞き、グループで遊ぶようになったら、誰よりも仲の良い友達になれた。

 どうして、更にその上を望んでしまったんだろう。
 最初は話せるだけで充分だったはずなのに。
 私は、好きという気持ちを伝えたくなってしまった。
 友達でいるだけでは、足りなくなってしまった。
 そうして携帯電話のメールで告げた、今日の午後。
 夜になって返ってきたのは、
 「他に好きな人がいるんだ、ごめん」
 の言葉。
 心底申し訳なさそうに言っているであろう彼の顔――彼をずっと見てきた私は、それを安易に想像することが出来る――を思い浮かべると、愛しくて。
 でもどうにもならない現実を、この文を思い出すと、死にそうなくらいに悲しくなって。
 部屋にいたら、泣いてしまいそうだったから、すぐに自転車の鍵を持って飛び出した。
 こんな気持ち、いつまで続くのかと考えて、いつまでも続くような気がして怖くなったから、私は涙をこらえて感情にふたをした。
 現実から、悲しみから逃れるように、家を飛び出した。

* * *

 海へはまもなく着いた。
 暗くてよく見えないが、波は確かに寄せては返し、を繰り返している。
 真っ黒い夜の太平洋は、昼のそれよりも恐ろしい存在だったが、人がひしめき合っていない分親しい感じがした。
 誰もいない海岸。
 私は自転車を停めリュックを背負い、靴を脱いだ。
 それを靴下と一緒に自転車の脇にそろえると、私は砂浜を裸足で駆け下りた。
 滑りそうになりよろけながらも、必死にバランスを取って、波打ち際まで走り寄る。
 海水は冷たく、思ったより軽やかで気持ちよかった。
 足の指と指の間に、砂が入っては抜けていく感触。
 しばらくこうして波と戯れた後、そこからもう少し離れたところに腰を下ろす。

 ぼんやり海を見つめた。
 海と私だけの時間。
 海は私を慰めてくれるだろうか。

 はぁ、と一つ溜息をついて、そのことは考えないようにしようと思った。
 心にふたをして、見ないふり知らないふりをしよう。
 「涙なんか流さない」
 一人海に向かって呟いた。
 絶えず聞こえる綺麗な波音。
 「どうして休む間もなく流れるの?」
 私はバカみたいに、海とその大元の川に問う。
 ふと、流れのない沼や池のことを考える。
 そういえば、沼や池の水は海や川と違って濁っている。
 ハッと気づいて私は訊いてみた。
 「流れているから綺麗なままでいられるの?」
 私は立ち上がって海に近づく。
 海は相変わらず心地いい音で返事ともつかない返事をする。
 永遠に止まることのない流れ。

 ああ。

 「ねぇ、心が水みたいなものだとしたら……」
 私は真っ直ぐに水平線の方を見て言った。
 「せき止めたりしたら、汚くなっちゃうのかなぁ」
 そう言う私の頬を、一筋の涙が伝った。

 泣いてしまおう。

 下手に留めて、無理にせき止めて、濁ってしまう前に。
 海だって、波の荒い日もあれば穏やかな日もある。
 大嵐だって、必ず凪ぐ時が来る。
 だから、大丈夫だよ。
 私は小さく声を漏らして一人泣いた。
 海に慰められて、綺麗な涙をとめどなく流して。

2003/12/02(Tue)19:27:15 公開 / カニ星人
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■作者からのメッセージ
 悲しみから目をそむけようとする女の子が、海と語り合って成長する話にしたかったのですが…(汗) やたら難しくなってしまいました。

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