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『夢の果てる時まで』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:織方誠
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夢に、果てがあるのならば
必ず終わりが来るのならば
その瞬間まで、私は――…
慌しい、無数の足音が屋敷中に響く。
足音の主は全員、小袖を纏った女たち。
庭に面した回廊の角で、その足音たちはぴたりと止まる。
廊下にも庭にも屋敷中の女たちが、淡い浅黄色の肩衣姿の者を囲むように集まっていた。
「さあ…もう…逃げられませんわよ……」
先頭に立つ藍の小袖を纏う女が、息を切らせつつ言う。
「さあて、どうかな」
心底楽しげなその声は、肩衣姿という見た目に反して若い少女のモノ。
「いい加減に、観念しなさってくださいませ」
その言葉に、少女は片方の口端を上げてにやりと笑う。
本来ならば「はしたない」と注意しなければならない小袖の女たちの何人かは、その笑みに見惚れてしまう――それほど、似合う。
しかし、他の者たちよりは彼女の扱いに慣れている藍の小袖の女は動じない。
「左夜殿!今日こそは大人しく捕まっていただきます!」
一歩前に踏み出した女に左夜と呼ばれた少女は、今度は愛らしく笑って見せた。
そして、
「い・や・だ」
言うが早いか、素晴らしいジャンプ力で天井の梁に飛びつく。
そのまま逆上がりの要領で太い梁に上がったかと思うと、そのまま梁の上を走っていってしまった。
女たちが呆然としていると後方がざわめき始めるが、藍の女は気付かない。
頭を抱えて座り込んだまま、ブツブツと愚痴をこぼす。
「ああ、もう…なんてことでしょう…」
「…――――の?」
「左夜殿はもう…何を言ってもあの調子で…」
「――か――の?」
「少しは女だという自覚はないのでしょうか…?」
「――――みの?」
「姫様もどうしてどうしてあの者に…」
「各務野ってば!」
「は、はい!」
名を呼ばれて藍の小袖の女は顔を上げる。
目の前にいるのは、鮮やかな蝶柄の打掛を纏った少女。
「姫様!」
各務野が勢い良く立ち上がると、少女はにっこりと微笑んだ。
「その様子だと、また逃げられてしまったようですね」
「ええ……申し訳ありません」
「そう気落ちしないで、各務野。相手があの左夜姉さまなのだから、仕方ないわ」
でも次は頑張ってねと微笑む自分の主に、
「判りました……蝶姫さま」
各務野は深い溜息を吐いた。
***
時は乱世。
力と力がぶつかり合い、全てに於いてより強い者が勝者となる。
小さな島国がそんな戦いに明け暮れた時代――即ち戦国時代。
男たちは国盗りの夢を馳せ、更には天下を盗ろうと戦いに身を投じる。
他国を攻め落とし、時には互いに相手の腹の内を伺いながら同盟を組む。
下克上の象徴とも言える強国・美濃の蝮――斎藤道三と同盟を結び、その娘を後継ぎの正室として迎えた尾張の織田信秀は、一昨年の三月に病死した。
その後、家督を継いだ息子の信長は美濃との同盟を固めるため、義理父である道三との会見を翌月に控えていた。
「――…つまらん」
会見の日時や場所などを記した紙を放り投げ、信長は仰向けに寝転んだ。
「うつけ」と呼ばれていた以前と違い、今の生活は窮屈で仕方がない。
服装や髪型だけではない。堅苦しい作法や礼儀のせいだけでもない。
―――周りの雰囲気が、彼を縛り上げているようであった。
「……………」
黙ったままむくりと起き上がる。何時までも転がっているわけにはいかない。
転がっていても昔のように叱ってくれる者は居ない。
悔やんでも足掻いても願っても。
―――もう、戻らない。
「平手の奴め。勝手に死におって……」
「そう、死んだ人の悪口を言うものじゃないわよ」
軽く諌めるような声は天井から降ってきた。
そのすぐ後に天井の板が一枚外れ、黒い影がふわりと軽やかに降り立つ。
声の主は、薄い浅黄の肩衣を纏う少女――左夜だった。
「ちょっとお邪魔するよ」
「……構わん。勝手にしろ」
適当に答えてから先刻放り投げた紙を拾い上げ、それからふと尋ねる。
「近頃屋敷が五月蝿いのは、蝮との会見を控えているからかと思っていたのだが……どうもお前が原因らしいな」
「うん。なんか胡蝶が企んでるみたいでさあ」
『胡蝶』――信長の正室、即ち同盟の証に嫁いで来た道三の娘である。
家臣たちは「美濃から来た姫」で『濃姫』と、美濃から姫と共に来た者たちは『蝶姫』と呼んでいるが、信長と左夜の二人は『胡蝶』と呼んでいた。
―――本人がそう呼ぶように言ってきたからだ。
「胡蝶が? なんだ、側室のお前を陥れようとでもしているのか?」
「………本当にそう思う?」
左夜に問われて、信長は「有得んな」と即答した。
蝶姫の病的なまでの「左夜姉さま崇拝」は、尾張に住む者すべてが熟知していることである。
父親である道三に尾張の「大うつけ者」に嫁げと言われた時も、悲しむどころか左夜と共に暮らすことが出来ると喜び、嬉々として嫁いで来た程だ。
「どうも胡蝶は、あたしと信長に祝言を挙げさせたいみたいなのよ」
「…………は? 祝言?」
側室である左夜は信長との祝言を挙げていなかった。
信長が勝手に「わが妻だ」と、父親と一部の家臣に告げただけに過ぎない。
「で、このクソ忙しい時期にそんなこと出来ないって言ったら、今度は『せめて普段に打掛を纏ってくださいませ』と追われてるワケ」
「………………………そうか」
女という生き物は何を考えているのかさっぱり判らん――そう信長は思った。
「それでお前は逃げ続けるのか?」
「そうね。胡蝶が諦めるまでは。……諦めてくれるまでは、ね」
小さく溜息を吐いて、開け放たれた障子の外を眺める。
風が木々を揺らし、何処からか小鳥のさえずりが聞えてくる。
「……ずいぶんと静かね」
「そうだな」
声変わりを終えた青年としては高めの、心地好い声を聞きながら左夜は瞳を閉じた。
まだ少し冷たい風が頬を撫でて行く。
(前よりはまともな格好しているんだけどなぁ……)
去年までの、「うつけ」と遊びまわっていた自分を思い出す。
男装とは言え今のようにちゃんとした服を纏うのは、信長に合わせたからだ。
―――今年の一月、守役であった平手政秀が死んだ。
父親の死後も乱行を収めようとしなかった信長を諌める手紙を残して、自害した。
信長が変わったのは、それからだ。
「……墓には行ったの?」
「まだだ」
妙にはっきりとした口調。少し驚いて、左夜は瞼を上げた。
「どうして?」
「……蝮と会って無事に帰った後、行こうと思っている。それまでは行かぬ」
信長は少し拗ねたような様子で言った。
それを見て、左夜が微笑む。
「そうね。その方が、信長らしいわ」
***
自分の部屋に戻った胡蝶は、それはそれは不機嫌だった。
つい先程、信長と左夜が楽しそうに(胡蝶にはそう見えた) 二人きりで談笑している所を目撃してしまったからだ。
二人は自分の夫とその側室なのだから、普通、正妻である胡蝶は左夜に嫉妬するだろう。
しかし、
(信長ばかりずるいわ。左夜姉さまを独り占めして)
―――胡蝶は普通ではなかった。
「まぁまぁ姫様。そんなムスッたれたお顔をしないでくださいませ」
侍女の各務野が言うが、胡蝶は完全無視である。
……というか、彼女のことだからたぶん、自分が言われているのだと気付いていない。
ずるずると打掛の裾を引き摺りながら脇息の側まで行き、ぺたんと座り込んだ。
その動作のどれをとっても、完全に子供のそれである。
「そうだわ、蝶姫さま。お父様からお手紙が届いておりますよ」
「父上さまから?」
きょとんとした顔のまま、各務野から手紙を受け取る。
しかし表の宛名を見ただけで、ポイと放り投げてしまった。
「ひ、ひめさま? どうなさいましたか?」
驚いた各務野が尋ねるが、胡蝶はプイと顔を反らせた。
各務野が放り出された手紙を拾い上げると、その表には「帰蝶へ」と書かれていた。
その達筆な字は確かに彼女の父親である斎藤道三のモノ。
何がおかしいのだろうかと首を傾げていると、胡蝶が口を開いた。
「わたくしは帰蝶ではありませぬ」
「……はい?」
思わず声が裏返るが、誰も気にしない。
「そんな……蝶姫さまがお父様から頂いたお名前は、間違いなく『帰蝶』でございましょう?」
「それでも、わたくしの名は『帰蝶』などではありません。『胡蝶』です」
主の頑固さを知っている各務野は、これ以上は何を言っても聞かないだろうと思い、溜息を吐いた。
「帰蝶でも胡蝶でも構いませんから。せめて目を通してくださいませ」
そう言って手紙を開いて渡すと胡蝶は素直に手に取り、読み始める。
最後に書かれた父親の名前をしかりと見届けると丁寧に畳み、彼女が読み終えるまでずっと待っていた各務野に渡した。
「渡してきて」
「どなたにですか?」
「どなたにって、信長に決まっているでしょう?」
ああそうですねと、頷きかけた各務野は一瞬で固まった。
各務野は手紙の内容を知っている。同じことを書かれた手紙を受け取っている。
だから、尚更に驚いた。
―――手紙には、四月の会見の際に信長を殺すという計画が書かれていたのだ。
そしてそれがうまくいったら、美濃に帰って来いという事も書かれている。
「そ、それをお館様に渡すのですか?」
「そうよ。当然でしょう?」
驚いている各務野にかえって驚いて、さも当たり前のように言う。
「わたくしは生きる場所も死ぬ場所もこの地と決めたから。信長が死んでしまっては元も子もないわ」
「…………はぁ」
呆れたように頷いて、手紙を受け取った各務野は溜息を吐いた。
なんだかもう、最近は蝶姫に振り回されて溜息を吐いてばかりだ。
(でもまあ、仕方ない……)
溜息を吐きながらも主を変えないのは。
(自分は結局、この姫が好きなのだ)
幼い子供のようにあどけない、それこそ蝶のようにヒラヒラとして頼りない少女。
時折、硬い岩のように揺るがない意志を持つ頑固な姫君。
軒先に現れた小鳥と戯れる主を眺め、苦笑しながら各務野は部屋を出た。
***
会見当日。
胡蝶から渡された手紙によって計画を事前に知ることの出来た信長は、既に普及されつつあった多量の「てつはう」を会見場の庭に用意していた。
『ワシの負けだな』
大胆な娘婿の行動に道三は苦笑し、「娘を頼んだ」と言い残して美濃に帰っていった。
―――それから数日後。
「………似合わんな」
城に帰った信長の前に現れたのは、鮮やかな打掛を纏った左夜だった。
信長のいない間に彼女は結局、胡蝶の頼みを聞く羽目になってしまったのだ。
「そういえば、胡蝶のやつ、元は『帰蝶』という名だそうだな」
「ああ、信長は知らなかったのね」
左夜は以前、本人に聞いたことがあった。
―――わたくしはもう、美濃に『帰る蝶』ではありませぬ。
そう言って淡く微笑んだのは、何時のことだったか。
確か、彼女が嫁いできて間もない頃だったように思う。
―――わたくしは、尾張の地に住む『胡蝶』ですから。
胡≠ヘ夷(えびす)=B異国の者という意味を持つ。
胡蝶も濃姫も、彼女にとっては同じ呼称であった。
蝶は生まれる場所を選ぶことは出来ないが、生きる場所を決めることは出来る。
ヒラヒラと舞い込んできた蝶が選んだのは、愛する者たちが生きる異国の地。
―――我が夢の果てる時まで、わたくしは左夜姉さまのお側に居たいと思いますの。
「どうやったら、あそこまで頼りない頑固者に成れるのか。心底不思議だわ」
半ば溜息を吐くように呟く。
どうもこの点に関しては、彼女の侍女と意見が合うようだ。
「夢の果てる時、か。……どう思う」
「そうねぇ……」
少し考えてから、左夜は再び口を開く。
「生きている限り、夢に果てはない。諦めても、何度でも立ち上がることができるもの。だから――」
「平手のように、死ねば夢を見ることはできぬか」
死の瞬間こそ、夢の果てる時――…
「さて、と。無事に帰ってきたんだから、平手さんのお墓参りに行かないとね」
「そうだな」
立ち上がって、ふと疑問に思う。
「お前、平手の所に行っていなかったのか?」
「信長が行ってなかったのに、あたしが一人で行くわけないじゃない」
ワケの判らない理屈ではあるが、彼女の中ではそういうことであるらしい。
何故か信長も、それで納得したようだった。
「そうか」
それから空を見上げて、呟く。
「……青いな」
「そりゃぁそうよ、だって空だもの」
左夜の謎の答えを特に気にすることなく、信長は更に問う。
「平手は、元気かな」
「やっぱ向こうで、誰かさんみたいな人を怒鳴ってるんじゃない?」
「……それは、俺のことか?」
「さぁて、誰のことだろうねぇ」
そんな他愛もない会話を交わしながら二人で見上げた空は、何処までも広がる青。
果てのない天を見上げて左夜は思う。
―――あたしの『夢の果てる時』は、何時訪れるのだろう?
どうせタダでは終わらないに決まっている。
隣に居るこの男と共にいる限り、普通の終わり方などはしないだろう。
この男がこんな小さな国で、何時までも燻っている筈がないのだから。
……というかこんな時代に生まれて、タダで終わらせるなんて詰まらない。馬鹿げている。もったいない。
時は乱世。
力と力がぶつかり合い、全てに於いてより強い者が勝者となる。
小さな島国が、そんな戦いに明け暮れた時代――即ち戦国時代。
せっかくこんな時代に生まれたのだから、やるなら徹底的に。そして過激に、苛烈に。
(やってやろうじゃない)
時代という名の舞台の上には、隣に居る男が立つのだろう。
ならば自分は、舞台裏で暴れてやる。
「どうせ離れられないんだから、あたしは」
「……? 誰とだ?」
「あんたに決まってるでしょうが」
不敵に微笑んで、
「他に誰が居るっていうのよ」
ゆっくりと瞼を下げる。
閉じた瞳が映すのは何故か、荒れ狂う炎。
そして、目を見張るほど艶やかな、鮮血。
―――それが何を意味するのか、左夜は気付かないフリをした。
夢に、果てがあるのならば
必ず終わりが来るのならば
その瞬間まで、私は夢を追うだろう
形振り構わず、私は足掻くのだろう
―――夢の、果てる時まで。
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■作者からのメッセージ
はじめまして。
若き日の覇王信長と、その側室?の話です。
感想に飢えていますので、お気に召されたら何かお言葉を下さると嬉しいですvv
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。