『「下弦の月」』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:カニ星人                

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 今宵も、星の無い真っ黒な空には、たった一つ、きらめく月が高く昇っている。
 月は約二週間で、無になる新月から、徐々に満ちて円くなっていき、満月になる。
 そして満ちた後は、欠けていくだけ…。

 あの日見た月は、満ちていく上弦の月だったのだろうか。

 それとも、欠けていく下弦の月だったのだろうか。

* * *

 彼と私が出会ったのは、遠い夏の日。
 太陽が真上から照り付けてくるような暑い日。
 優しげな目と、薄い唇。
 私は一目でピンと来た。
 ”恋に落ちてしまった”

 一目ぼれなんてあるわけがないと思っていたけれど、私の予感は間違っていなかった。
 誰よりも気が合う彼。
 一緒にいるとそれだけで楽しい彼。
 笑いながら並んで歩く輝くアスファルトに、少し目を細める。
 私の予感が本物になるのに、そう時間はかからなかった。

 残暑も厳しい九月の初め、私はもう好きと言う気持ちでいっぱいになり、たまらなくなる。
 そんな不器用な私の想いを彼は笑って受け止めてくれて、私達は恋人になった。
 その頃は毎日を、飛び跳ねたいような気持ちで過ごしていた。
 二人で見上げた真っ青な空。いつまでもしゃべっていた他愛のない話。
 半分ずつ食べたサラダ。十八番の歌。
 すべて憶えている。
 勿論それら全部には私達の笑顔がセットで、会っている間、電話している間、メールでさえもとても楽しかった。

* * *

 私は彼と、キスとかそういうことをしたいとあまり思わなかった。
 小学生の恋みたいな気持ち。ただ純粋に好きだという気持ちで彼を愛していた。
 でも、彼が望むなら拒まないつもりだ。
 17歳なら普通のことだし、SEXも既に以前別の人としたことがある。
 その行為自体はどうってことないと思っていた。
 ただ彼とは、そんなことを考えるだけでも心底照れくさかった。

* * *

 少しずつ風が冷たくなってきた頃。
 ついに私達はそれをすることになった。
 いつになく無口な二人。手をつなぎ歩く夜道は人通りも少なく静かで、お互いの心臓の音が聞こえてきそうだった。
 時々私を見る彼は相変わらず優しい目で、夜でもわかるほど顔が紅潮している。
 路上駐車してある車にたまたま映った私も、マフラーから出た半分が真っ赤だった。
 初めてキスをした時、心臓が破裂するくらいドキドキしたけれど、今回は更に緊張していることが手に取るようにわかる。
 透き通るような澄んだ空気の夜空の下、私達は目が合うたび困ったようなふにゃふにゃ顔で笑う。
 高い空には、太った三日月が低くかかっている。

 三時間ほどでホテルから出てきた私達は、まだ頬の赤みが取れない。
 死にそうなほど恥ずかしくて、それでもすごく嬉しくて。
 行きに見た月も高く昇り、あの時より少し小さく、白っぽくなっている。
 そよ風が吹き、木々の微かなざわめきが私を落ち着かせた。
 町外れの国道の澄んだ空気が、二人の周りを満たしていた。

 それからの私達は、顔を見るのも照れるようになってしまった。
 私は前よりずっと女らしくなった。
 二人の関係も、より恋人らしくなった。
 しかし彼は、一緒にいる時も何か考え事をするようになった。
 笑いは減り、彼の横顔を見る回数が多くなっていく。
 すっかり木々の葉が落ちて、寒々しい灰色の空の季節になった。
 引っかかるものを感じながらも私は、彼と共に過ごす日々が続くと信じて疑わなかった。
 なのに。

 木枯らしが吹く寒い夜。夜中の彼からの電話。着信音が鳴っている光景は、いつもと変わらない。
 無論私はいつもの明るい声で受話器をとる。はーい。もしもしー?
 「もしもし」
 私は気がついた。つながってるのが片耳だけでも伝わる異常。
 低い、思いつめたような口調の彼の声。
 異変を察知して、それでもあえて変わらない声で訊く私。
 「どうしたの?」
 「……」
 答えが返ってこないことに私は突然不安になる。
 沈黙が続く。後ろの方から部屋の時計の音が聞こえ、それは私の焦りをあおる。

 「悪いんだけど、別れようと思う」
 私は自分の血の気が引くのがわかった。頭が真っ白になり、息が詰まる。
 「…どうして?」
 震える声を振り絞って言えたのはその言葉だった。
 彼はなおも重苦しい口調で話す。
 「お前とは、友達の方がいいんだと思う」
 どうして、と訊いたものの、私には理由なんてどうでも良かった。
 何を聞いたって納得できるわけじゃなかったし、むしろそれらの言葉は傷を増やすだけだと知っていた。
 「ごめんな…俺も辛いんだよ」
 ベッドの上でからっぽの私は上の空で彼の言葉を聞く。
 耳に入ってくる声は、相変わらずだったが、それは紛れもなく大好きな彼の声で…。
 その声で別れの言葉など言ってほしくなかった。だから、私はその声だけに耳を傾けていた。
 「…それじゃあ」
 彼が電話を切ろうとした。
 でも、私は引き止められなかった。
 悲しくて声が出なかった。
 「ブツッ」という音に続いて、無情な「ツー、ツー、ツー…」という電子音。
 涙が流れた。

 その夜は、朝まで泣いていた。
 虚無感を埋めるために布団に包まって一人で泣いていた。
 大好きな人を失った悲しみは、誰に慰めてもらったところでやわらがない。
 彼のことを考えないようにしても、涙はとめどなく溢れ出た。
 頭は止まってても、心はちゃんと知っていたから。
 ふられてしまって、失恋してしまって、それでも自分は今も彼が好きだということを。

* * *

 次の日は学校をサボった。
 胸に空洞がぽっかり開いていて、何もする気が起きなかった。
 温かいお風呂に一時間入ってみたりした。
 けれど、心の穴は埋まることなく、結局考え出して涙が出てしまった。

 ふっと私はひらめいた。
 彼に電話してみよう。何か変わるかも知れない。
 わずかに希望が見えた。
 そうだ、彼は昨日の電話でも私を嫌いになったとは言ってないんだ。
 望みがなくなったわけではないんだ。
 私は嬉しくなって、急いでお風呂からあがり着替えて、携帯電話のリダイヤルを押す。
 「トゥルルルルル…」
 呼び出し音が鳴り、その間期待に胸を膨らませる。
 電話に出たような音がして、私は思わずあっと声を漏らす。
 しかし、そこから流れたのはアナウンスの声だった。
 「現在、電話に出ることができません。そのままお待ちになるか、しばらく経ってからおかけ直しください…」
 私は電話を切った。小さな期待は見事に打ち砕かれ、私は再び絶望感に染まった。

 あれは本当に用事があって出られなかったのかも知れない、と思ったのはその日の夜だった。
 潰れた期待感がまた膨らんできて、もう一度電話をかけたい衝動に駆られた。
 今度こそ、と念じて今朝と同じようにボタンを押す。
 だが、いつまで経っても彼は電話に出ない。
 とりあえず切って、五分後にまたかける。
 が、相変わらず呼び出し音が鳴り続けている。
 仕方なく切るが、私は電話を手放せない。
 あと五分してみたら、またかけてみよう。もしかしたら、電話に気づいてないのかも知れないし。
 そうしてかけた何度目かの電話だった。
 「ガチャ」という待ち望んだ音。
 にもかかわらず私は、喜びと同じくらい怖くなる。
 もしもし、と彼の声。百年ぶりに聞いたみたいに愛しくなる。
 思わず笑顔になった私が、あの、と言いかけたその時、彼が口を開いた。
 「もう電話しないでくれ」
 え? と心の中で言って、先ほどの笑顔のまま私は固まってしまった。
 「ごめん」
 そう言って彼は電話を切った。私は慌ててかけなおしたが、電源が切られていた。

 もう彼は振り向かないと、やっと悟った。
 あの後、何度も電話して、会って話したいこと、まだ好きなことなどを伝えた。
 だけど答えはすべてNOだった。
 そしてある日、泣きながらかけてなんとか出てもらえた電話で彼の我慢は限界を超えた。
 「しつこいんだよ。悪いけど一生無理だから」

* * *

 優しげな目も、薄い唇も、心地いい声も、柔らかい髪も。
 大好きだったのに。
 私の心はズタズタに裂かれてしまった。
 ナイフで刺されて、縦にざっくり何度も何度も。
 滴り落ちる赤い血を感じながら、いつか二人で話したことや、見上げた空を鮮明に思い出す。
 あの日二人で歩いた夜の国道も。

 冬の景色の中、私は電車に揺られて彼の家に向かう。
 学校をサボって買った、綺麗なナイフをかばんに入れて。

 心成しか今日の月はあの日の三日月に似ている。
 あの月は、これから満ちていく上弦の月だったのだろうか、それとも、欠けていく下弦の月だったのだろうか。

 今ならわかる気がする。

 あの日の月は、きっと、下弦の月。

2003/10/14(Tue)00:38:29 公開 / カニ星人
http://homepage3.nifty.com/kani-kan/
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■作者からのメッセージ
暗いです…しかもブラックです。
「月」を軸に書いてみたのですが、いかがでしたでしょうか。
この子はかなりの依存症ですね(苦笑)
よろしくお願いします。

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